日曜日, 10月 18, 2015

ヘーゲル『精神現象学』各種翻訳の比較 : 転載


カント純粋理性批判、ヘーゲル精神現象学、ハイデガー存在と時間。この三冊はよく比較される。
存在と時間は倫理と処世術的な美学?を含むので純粋理性批判もカバーするがそれを超えて実践理性批判、判断力批判に対応する。
とはいえカントの思索の方が深く、カントのカテゴリー、アンチノミーは応用が効くから、ハイデガーを別角度から読むことも可能にする。ハイデガーはカントが時間の問題を先に持ってきたのを逆にした感じだ。(カントも対ライプニッツ的には、調停者による収奪でしかないが。また、カントにはギリシアへの憧れはない。ギリシア哲学の枠組みを継承してはいるが。)
精神現象学はワーズワースの序曲と比較されるように、文学的、詩的だ。
存在と時間も小説的な意味で難解だが、精神現象学もアナロジーに終始して難解だ。
精神現象学には、前意識を扱う部分もある。ギリシア哲学史、その後の精神哲学をなぞる下書き的な部分もある。
精神現象学は、意識の目覚めを描いていると考えれば、一筆書きのようなスピード感が味わえて分かりやすくなる。存在と時間が徒然草なら精神現象学は竹取物語だ。純粋理性批判は般若心経みたいなものだ。


ヘーゲル『精神現象学』各種翻訳の比較 : 転載
http://yojiseki.exblog.jp/7106814

ヘーゲル『精神現象学』各種翻訳の比較



ヘーゲル『精神現象学』(1807年)の「意識」の章の終わりあたりより、翻訳の比較です。

以下、同じ箇所を引用してみました。
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「知覚を越えて高まったとき、意識は現象という媒語を通じて超感覚的なものと推理的に連結したものとして現われてきて、現象という媒語を通じて[超感覚的なものという] この背景(後ろの根拠)を観じている。」
金子武蔵訳、岩波書店『精神の現象学』上p166

「知覚を超えて高まったとき、意識は、現象という媒語[中間]によって、超感覚的なものと推理的に結ばれて、現われる。この媒語を通じて意識はその背景を見るのである。」
樫山欽四郎訳、平凡社上p203

「知覚を超えた境地にある意識は、現実界を媒介とし、現実界の背後を透視するというかたちで超感覚的世界とつながっている。」
長谷川宏訳、作品社p117

「意識[自身はというと、それ]は知覚よりは高まっているから、現象という中項を介して超感覚的なもの[内なるもの]と連結するのであり、意識はその中項を介してこの[超感覚的なものという]背景を覗き見るのである。」
牧野紀之訳、未知谷p311

"Raised above perception, consciousness exhibits itself closed in term of appearance, through which it gazes into this background [lying behind appearance]."
"HEGEL'S Phenomenology of Spirit"translated by A.V.Miller,p103

"Erhoben über die Wahrnehmung stellt sich das Bewußtsein mit dem Übersinnlichen durch die Mitte der Erscheinung zusammengeschlossen dar, durch welche es in diesen Hintergrund schaut."
G.W.F. Hegel"Phänomenologie des Geistes"
http://www.marxists.org/deutsch/philosophie/hegel/phaenom/kap3.htm


追加:精神の章の冒頭。

「理性が精神であるのは、あらゆる実在性であるという確信が真理にまで高められ、そうして理性が自分自身を自分の世界として、また、世界を自分自身として意識しているときである。」
金子武蔵訳、岩波書店『精神の現象学』下p731

「全実在であるという確信が真理に高められ、理性が自己自身を自己の世界として、世界を自己自身として意識するようになったとき、理性は精神なのである。」樫山欽四郎訳、創文社『ヘーゲル精神現象学の研究』p388

「物の世界すべてに行きわたっているという理性の確信が真理へと高められ、理性がおのれ自身を世界として、また、世界をおのれ自身として意識するに至ったとき、理性は精神である。」
長谷川宏訳、作品社p296

「理性は[今や]精神となっている。[自分は]全ての実在であるという[自己意識の主観的]確信が[客観的]真理にまで高まり、その確信が自分の世界との一体性を自覚するに至ったからである。」
牧野紀之訳、未知谷p618

"REASON is spirit, when its certainty of being all reality has been raised to the level of truth, and reason is consciously aware of itself as its own world, and of the world as itself. "
"THE PHENOMENOLOGY OF MIND "Translated by J. B. Baillie(先出とは違い書名でmindを使用したバージョン。)
http://www.class.uidaho.edu/mickelsen/texts/Hegel%20Phen/hegel%20phen%20ch%20VI.htm
http://www.class.uidaho.edu/mickelsen/ToC/Hegel%20Phen%20ToC.htm



"Die Vernunft ist Geist, indem die Gewißheit, alle Realität zu sein, zur Wahrheit erhoben, und sie sich ihrer selbst als ihrer Welt und der Welt als ihrer selbst bewußt ist."
G.W.F. Hegel"Phänomenologie des Geistes"

http://www.marxists.org/deutsch/philosophie/hegel/phaenom/kap6.htm


http://www.marxists.org/deutsch/philosophie/hegel/phaenom/index.htm



専門家には金子訳、一般には長谷川訳でいいのではないでしょうか?
ヘーゲルが大急ぎで書いたものなので、早く読める長谷川訳がいいと思います。
細かい訳の問題は、それぞれの訳者の書いた入門書にあたるのがいいと思います。
牧野訳における「序言」「序論」という目次設定は的確だと思いますが、、、
なお英訳にも精神をmindとする バージョンとspiritとするバージョンがあって、意見が分かれます。spiritの方が歴史的には正確でしょうが、mindの方が現在の意味としてはニュアンスが正確に伝わるようです。

追記:
概念を把握でき、読みやすく、本の造りもいい(高価だが金子訳ほどではない)という点で牧野訳が一番推薦できると最近は考えています。金子訳と長谷川訳の長所短所をふまえているという部分も評価できます。
ヘーゲルの弁証法は最悪で、カントの方がいい。とはいえ、誤解されているがヘーゲルは帝国主義ともオリエンタリズムとも無縁だ。歴史的にそれ以前なのだ。