月曜日, 11月 02, 2015

Le Pli: Leibnitz et le Baroque (1988) 『襞──ライプニッツとバロック』宇野 邦一訳 河出書房新社、1998

Le Pli: Leibnitz et le Baroque (1988) 『襞──ライプニッツとバロック』宇野 邦一訳 河出書房新社、1998
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ体系:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_72.html


ドゥルーズ体系:     分子化
      スピノザ 【 分 析 】 HeideggerKant       
     Hegel\   |   /
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
          ABC\|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム
       (Marxアンチ Freud
          /・オイディプス
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェNietzsche

Le Pli: Leibnitz et le Baroque (1988) 
『襞──ライプニッツとバロック』宇野邦一訳 河出書房新社、1998 


  必然(思考)神=∞/1 
    &
    偶然(事実)          偶然(事実)

     \//////        無矛盾    
      \////        B、類比の原理 主語 包む
       \//        /|(結合法)  全一のモーメント
        \        / |       
A、矛盾律  /_\______/__|______
    &     \/////分析的|////// 
    同一律    \///(潜在 |////// 
(例:アルファベット) \/ 的同一)|////// 
            充分理由律  |////// 
___________/__\C   |////// 
/////////// (記号法、  |//////
//////////微積分dy/dx)|//////
/////////〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 連続律
////////           |//////    
///////D、不可識別者同一の原理|////// 述語 包まれる
//////(動植物)(モナド1/∞) |////// 個多のモーメント

__原理______存在の分類__包摂___________主語__述語_____無限_________
A、矛盾律     同一的なもの 自立的包摂        神   属性     それ自身による〜
B、類比の原理   定義可能   相互的包摂        外延  関係     原因による〜 
C、充分理由律   条件づけ可能 一方向的局限可能包摂   内包  必要条件   内的極限を持つ〜の系列
D、不可識別者同一 個体     一方向的局限不可能包摂  実体  様式、出来事 外的極限を持つ〜の系列

(ドゥルーズによるライプニッツの論理学原理、参考:邦訳『襞』84,99頁)


‑‑‑‑‑ Table des matières ‑‑‑‑‑

I. Le pli

1. Les replis de la matière : Le pli qui va à l’infini – La maison baroque – L’étage d’en bas : matière, forces élastiques, ressorts – Organisme et forces plastiques – Les plis organiques – Pourquoi il faut un autre étage, problème de l’âme animale – L’élévation des âmes raisonnables, et ses conséquences, organiques et inorganiques.

2. Les plis dans l’âme : L’inflexion – Les singularités – Les mathématiques baroques et la variation : nombre irrationnel, quotient différentiel, famille de courbes – Nouveau statut de l’objet – Le perspectivisme – Variation et point de vue – Nouveau statut du sujet. De l’inflexion à l’inclusion – Le département – La monade, le monde et la condition de clôture.

3. Qu’est-ce qui est baroque ? : La pièce sans -fenêtre – L’intérieur et l’extérieur, le haut et le bas – Heidegger, Mallarmé et le pli – La lumière baroque – Recherche d’un concept – Les six caractères esthétiques du Baroque – L’art moderne, ou informel : texture et formes pliées.

II. Les inclusions

4. Raison suffisante : Évènements ou prédicats – Les quatre classes d’êtres, les genres de prédicats, la nature des sujets, les modes d’inclusion, les cas d’infini, les principes correspondants – Choses et substances – Les rapports internes – Le maniérisme de Leibniz – Le prédicat n’est pas un attribut – Les cinq critères de la substance – Manières et fond – Le jeu des principes.

5. Incompossibilité, individualité, liberté : L’incompossibilité ou la divergence des séries – Le récit baroque – Singularités pré-individuelles et individu – Individuation et spécification – Le jeu du monde baroque – Optimisme, misère du monde et maniérisme – La question de la liberté humaine – Phénoménologie des motifs – L’inclusion du prédicat et le présent vivant – Leibniz et Bergson : le mouvement en train de se faire – La damnation baroque.

6. Qu’est-ce qu’un événement ? :Whitehead successeur – Extension, intensité, individu – Les préhensions et les monades – Objets éternels – Le concert – Le leibnizianisme moderne : suppression de la condition de clôture, et Néo-baroque.

III. Avoir un corps

7. La perception dans les plis :L’exigence d’avoir un corps – Première étape de la déduction : du monde à la perception dans la monade – Les petites perceptions : l’ordinaire et le remarquable – Rapports différentiels – Récapitulation des singularités – Mécanisme psychique de la perception hallucinatoire – Poussières et plis dans l’âme – Deuxième étape : de la perception au corps organique – À quoi la perception “ressemble”-t-elle ? – Organes et vibrations : mécanisme physique de l’excitation – Replis de la matière – Le statut du calcul.

8. Les deux étages :Les deux moitiés les uns les autres, les “chacun” – Mathématiques des moitiés – Rôle des extrema – Virtuel-actuel, possible-réel : l’événement – Leibniz et Husserl : théorie des appartenances – Âme et corps : l’appartenance renversée, les appartenances provisoires – Domination et vinculum – Les trois espèces de monades : dominantes, dominées, dégénérées – Foules, organismes et amas – La force – Privé et public – Où passe le pli ?

9. La nouvelle harmonie : Vêtement baroque et matière vêtue – Le pli à l’infini : peinture, sculpture, architecture et théâtre – L’unité des arts – Le monde en cône : allégorie, emblème et devise – Le concettisme de Leibniz – La musique ou l’unité supérieure – Harmonique : la monade comme nombre – Théorie des accords – Les deux aspects de l’harmonie, spontanéité et concertation – Harmonie, mélodie et musique baroque.

襞――ライプニッツとバロック 新装版
ジル・ドゥルーズ著 宇野邦一訳
河出書房新社 2015年7月 本体3,800円 A5判上製252頁 ISBN978-4-309-24719-9

帯文より:2015、ドゥルーズ没後二十年。2016、ライプニッツ没後三百年。われわれはライプニッツ主義者であり続ける。核心的な主題を新たなるバロックとして展開するドゥルーズ後期の目眩めく達成。

目次:
I 襞
第1章 物質の折り目
第2章 魂の中の襞
第3章 バロックとは何か
II さまざまな包摂
第4章 十分な理由
第5章 不共可能性、個体性、自由
第6章 一つの出来事とは何か
III 身体をもつこと
第7章 襞における知覚
第8章 二つの階
第9章 新しい調和
訳者あとがき

★発売済。原書は、Le pli: Leibniz et le baroque (Minuit, 1988)です。日本語訳の初版は1998年10月刊行。装丁は初版も今回の新装版も戸田ツトムさんが手掛けられています。デザインの変化には17年の時の経過が如実に表れているような気がしてたいへん興味深いです。訳者あとがきには特に追記等はありません。今春は工作舎さんの『ライプニッツ著作集』第II期の刊行が開始され、町田一さんによる『初期ライプニッツにおける信仰と理性――『カトリック論証』注解』(知泉書館、2015年4月)も発売されました。確か他版元でもライプニッツの著作の新訳が進んでいたはずで、今年から来年にかけて様々な新刊が出るのだろうと思われるだけに、ドゥルーズ本の再刊はタイムリーです。

★印象的な部分を抜き書きします。「最終段階としての満足、「セルフ-エンジョイメント」は、把握が自分自身のデータでみたされ、主語が、ますます豊かな私的生活に到達しつつ、自己にみたされる仕方を示すのである」(137頁)。「〈バロック〉がなぜ一つの移行状態なのか、いまはよく理解できる。古典的な理性は、発散、不共可能性、不調和、不協和音の脅威にさらされて崩壊した。しかし〈バロック〉は古典的な理性を復興しようとする最後の試みであり、様々な発散を、そのまま可能世界に振り分け、様々な不共可能性をそのまま世界の間の境界にしたのである。同一の世界に出現したもろもろの不調和は暴力的なものでありえても、調和において解決される」(143頁)。


聖堂のスケッチ 出典=Gilles Deleuze, Le Pli: Leibniz et le Baroque, Editions de Minuit, 1988.    

1.死の線 2.戦略的帯域 3.地層 4.襞(主体化の帯域)
 フーコーのダイアグラム 出典=Gilles Deleuze, Foucault, Minuit, 1986.  文庫版228頁
(──凹部生成のダイアグラム)

参考:
NAMs出版プロジェクト: ライプニッツ:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_4574.html

MP#14
「モナドロジー的」観点は、ノマド空間で初めて接続される。全体と部分は、それらを見つめる眼に、もはや光学的機能ではなく把握的機能を与えている。》
MPにライプニッツの名はないが、政治と数学の後にモナドが浮上する。
ドゥルーズ体系:
      スピノザ 【分析=分子化】          
          \   |   /
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム
        (マルクスアンチ フロイト
          /・オイディプス
           【 総 合 】 ニーチェNietzsche

[ドゥルーズ「襞」

ドゥルーズ「LE PLI  襞」目次襞―ライプニッツとバロック


I 襞
 1.物質の折り目 Les replis de la matiere
 2.魂のなかの襞 Les pli dans l'ame
 3.バロックとはなにか
II さまざまな包摂 les inclusions
 4.十分な理由 raison suffisante
 5.不共可能性、個体性、自由 Incompossibilite,individualite,liberte
 6.ひとつの出来事とはなにか
III 身体をもつこと
 7.襞における知覚 
 8.ふたつの階
 9.新しい調和
第一部を読む。以前読んだときより大分、つかめた。窓のある一階=感官、窓のない二階=魂。って、ま、襞があって、折り目があって、ひだひだなもんだから、そのひだひだにそって。
 第三章は、芸術論。というか、この本自体、ヴェルフリンとかリーグルとかヴォリンガーを前提に組み立てられている。ラウシェンバーグ、デュビュッフェ、クレー、グレコ、ティントレット、フォートリエ、ポロック。ベテンクールとハンタイは知らない。
 
 ジャン・ルッセ「フランスバロック期の文学」(邦訳筑摩書房)が参照されていた。アングールヴァン「バロックの精神」クセジュ文庫にも。ルッセの本は以前ゾッキ本で見かけたことがあった。買い損ねた。
文庫化希望。
 とにかくあいかわらずドゥルーズはおもしろい。バルトやセールのいう意味で、文学こそが真理なのだとすれば、ドゥルーズの文章は、まさに真理としての文学といえる。まあでもルクレティウスでもプラトンでもカントですら、小説といや小説といえる。ジャンルカテゴリーがあるだけで、実際にあるのは、さまざまな文ということ。
 弾性についての件、妙におもしろい。p16-
 
「差異と反復」でも「意味の論理学」でもこの「襞」でもそうだが、ドゥルーズはよく舞台を引き合いに出している。まあアルトー好きだから、当然アルトーの演劇論は基本中の基本参照項なんだろうけれど。
 そうなんです。マラルメライプニッツも、「劇場」だ。「読書の劇場」p56


1-1
バロックの館(アレゴリー
大理石の縞
ヴェルフリン
宇宙の曲線は、物質の流動性、物体の可塑性、メカニズムとしての弾性の三つの根本概念にしたがって伸びて行く。
圧縮の力。p13
物質の単位としての襞
物質における部分分割→曲線的運動/屈折による分解の過程
(数的な分割は、形態発生と、褶曲としての陥入にとっての条件でしかない)
弾性p16
 
前成説preformation。p16
可塑的な力forces plastiques/圧縮的compressiveな力、弾性的なelastiqueな力 (minuit,p11)
マシニック機械状machinique   cf.メカニックmecanique
モナドロジー」§64
「自然の機械つまり生物の身体は、それを無限に分けていってどれほど小さな部分になっても、やはり機械なのである」
Lady mashamへの手紙「可塑的な力は機械のなかにある」
観点は身体のなかにあるp22
水滴のなかに存続する点のような魂
「死際には、魂はそれがあったところ、つまり身体の一部に、どんなに体積は縮小しても、とどまっている」
「身体のなかですべては物質的な力にしたがって、機械状に成立する」
「物質のなかのいたるところに魂がある」
圧縮的compressiveな力、弾性的なelastiqueな力 p25


1-2
屈折inflexion
ベルナール・カッシュ
オブジェクティル対象体
時間的な変調→質料だけでなく形相の連続的発展をもたらす
たえまない型取りとしてのエネルギー循環
sujetはsub-jetでなくsuperjet(ホワイトヘッド
観点と主体について。p36
観点とは、任意の主体がひとつの変化をとらえる(メタモルフォーズ)、あるいはなにか=Xをとらえる(アナモルフォーズ)ための条件である。
…le point de vue est la condition sous laquelle un eventuel sujet saisit une variation(metamorphose),ou quelque chose = x (anamorphose).
プロクロス 系列
、ブルーノp42


「個体の統一性としておのおののモナドは系列全体を包摂し、こうして世界全体を表現する。その際、必ずより明晰に世界のひとつの小さな地域、ひとつの区画、町の一地区、有限のシークゥエンスを表現する」45
世界と主体、ハイデガー、ポンティ pp46-7
参考:
ライプニッツのピラミッド
http://yojiseki.exblog.jp/7724741/ 

「ライプニッツは、欺かない神についてのデカルトの推論をかなり警戒し、これに不共可能性の水準で新しい根拠を与えている。神は戯れるが、戯れの規則を与 えるのだ(略)。この規則とは可能世界は神が選んだ世界と不共可能的ならば、存在にたどりつくことがないということだ。ライプニッツによれば*『アスト レー』のような小説だけが、われわれにこのような不共可能的**なものの理念を与えるのである。」(ドゥルーズ『襞 ライプニッツとバロック』邦訳 p110)

*(Lettre a Bourguet,decembre 1714)
**または「共不可能的(incompossible)」
≪compossible-incompossible≫
『差異と反復』:共可能-非共可能
『意味の論理学』(宇波):共通可能-共通不可能 および両立可能-両立不可能
小沢訳:共存可能-非共存可能

オノレ・デュルフェ作の『アストレ(ー)』は17世紀パリの貴婦人に流行ったロマン小説で、日本では無名だが、今度エリック・ロメールによって(小説の一部が)映画化され2009年に公開される。

ストーリーは映画の公式サイトに詳しい。
http://www.alcine-terran.com/wagaai/trailer.html
(公式サイト予告編)

可能世界なるものがデカルトのような推論によって本質に回収されるのを嫌ったライプニッツがラブストーリーを念頭においていたというのは面白い。

僕だったら黒澤の『乱』のストーリーを不共可能性を扱った代表作にあげたい。

最 近、ライプニッツの論理学信奉と、黒澤とタルコフスキーのような芸術家による論理学不信奉の違いはあっても、『弁神論』のラストで触れられた底辺が無限の ピラミッドと『乱』のラストで城跡に逆説的に浮かび上がるピラミッドのような美しさは同じものだったのではないかと考えている。


追記:
以下のようなスタッフの証言が実は不共可能性をうまく説明しているかもしれない。
http://www.unifrance.jp/festival/report_view.php?number=657&langue=JAPANESE
「一 番好きなのは、お城の迷宮のような庭園でニンフの女ボスのガラテと僕が口論をするシーンなんだ。このロケ地は最後の最後に見つけた場所なんだが、撮影段階 になってロメール監督は素晴らしいアイデアを思い付いたんだ。城を出て行くと言い張る僕を引き止めようとしたガラテは、迷路の壁にぶち当たってしまう。こ のシーンを撮ることによって監督は、状況が硬直状態に陥り、壁にぶち当たったことと現実の動きをドッキングさせて見せているんだ。」

http://movie.felista.jp/e319.html
「私 は原作を完全に自分のものにし、なんの気がねもなくのびのびと扱うことができた。ここではっきりとさせておくが、私の脚本はズカが残した脚本とはかなり異 なるものである。今回、私は彼の脚本を一切活用しなかった。あとで読み比べてみて、2作に共通のセリフがたったひとつしかないことを確認してニヤリとした ほどである。とは言え、この作品を彼に捧げることは私には重要だった。」


メモ:
ちなみに、ライプニッツの主要論理原則を、ドゥルーズ『襞 』(邦訳p99)を参照して、カントのカテゴリー論と照合すると以下になる。


量         質 
類似の原理      同一律、矛盾律
結合法則       アルファベット 

関係        様相
十分な理由の    識別不可能原理
原理        モナド1/∞ 
微分積分dy/dx  


追記の追記:
フーリエは『アストレ』からセラドニーCeladonieという概念を抽出し展開している。この造語は精神的ないし感傷的な恋愛情念を意味するらしい。その精神的愛はフーリエの唱える共同体では重要度を増すという。

ところで、フーリエはこの精神的愛を概念化し、官能的愛の次に続くものとして系列的に展開しているが、冒頭で触れた20世紀をハイデガーとともに代表する哲学者のドゥルーズはこうしたフーリエやプルードンの系列的思考法にどれくらい意識的だったのだろうか?

ドゥルーズはマルクスに関しては意識的だったが、いわゆる空想社会主義にはあまり関心がなかったのではないか?
それは当時のフランスの思想界が、マルクスとフロイトにあまりにも支配されていたためでもあるだろう。

フーリエ、プルードン、そしてドゥルーズが採用したアンチノミーが揚棄されずに二項が進行する系列的思考は無意識的なフランス的伝統ということかもしれない。


補記(2009.4.12):
そ の後映画を見た感想としては、この映画においてロメールはモラルというよりも「私の許可なく二度と姿をみせないで!」という主人公セラドンとアストレーと の相互契約を守りつつ、映画としてはエモーション=肉感的欲望を手放さないという離れ業に挑み、その課題に見事に成功しているのではないか?というもの だ。

一見些末なエピソードのように見える登場人物による神々の説明、肉体的愛に対する精神的愛の優位などなど、映画のところどころでロ メール先生による間接的授業(とはいえカメラは常に登場人物と水平に位置され、決して権威的ではない)が展開されているが、これらは映画のなかで内容とし てのモラルの描写として成功している。

おそらく賛否が分かれるであろう部分は、リアリティーを無視した時代描写および自然描写であり、何 よりも女装したセラドンとの和解であるラブシーンを描いたラストだ。場内の失笑とともに観客である自分の胸にわき上がったのは、先述したライプニッツ的な モラル=論理を守りつつジャン・ルノワール的欲望を同時に肯定することに成功したロメールの巧みさへの賛美だ。

蓮実重彦はそこにハワー ド・ホークス的映画装置の作動、つまり映画の自同律を見出しているようだ。たしかにその装置の作動は形式としてのモラル(この場合は映画の自同律)の展開 でもあるが、それ以上にそうした形式を主演俳優同士の官能の描写と背理させなかったロメールの手腕が称揚されるべきであり、そこに彼のデビュー作『獅子 座』からの一貫性を見るべきだろう。

12 Comments:

Blogger yoji said...



解析の元祖だから誤解されているがライプニッツのモナドは離散数学に親和性がある。
ドゥルーズはうまく説明している。

「ライプニッツは、欺かない神についてのデカルトの推論をかなり警戒し、これに不共可能性の
水準で新しい根拠を与えている。神は戯れるが、戯れの規則を与 えるのだ(略)。この規則とは可
能世界は神が選んだ世界と不共可能的ならば、存在にたどりつくことがないということだ。ラ
イプニッツによれば*『アストレー』のような小説だけが、われわれにこのような不共可能的**
なものの理念を与えるのである。」(ドゥルーズ『襞 ライプニッツとバロック』邦訳単行本 110頁)

*(Lettre a Bourguet,decembre 1714)未邦訳
**または「共不可能的(incompossible)」
≪compossible-incompossible≫
『差異と反復』:共可能-非共可能
『意味の論理学』(宇波):共通可能-共通不可能 および両立可能-両立不可能
小沢訳:共存可能-非共存可能

オノレ・デュルフェ作の『アストレ(ー)』は17世紀パリの貴婦人に流行ったロマン小説で、日本
では無名だが、今度エリック・ロメールによって(小説の一部が)映画化され2009年に公開された。

http://youtu.be/0JRwGGndvyk (日本語予告編)

可能世界なるものがデカルトのような推論によって「本質」に回収されるのを嫌ったライプニッツが
ラブストーリーを念頭においていたというのは面白い。

ちなみにフーリエは『アストレ』からセラドニーCeladonieという概念を抽出し展開している。この
造語は精神的ないし感傷的な恋愛情念を意味するらしい。その精神的愛はフーリエの唱える共同体
では重要度を増すという。

8:57 午前  
Blogger yoji said...



解析の元祖だから誤解されているがライプニッツのモナドは離散数学に親和性がある。
ドゥルーズはうまく説明している。

「ライプニッツは、欺かない神についてのデカルトの推論をかなり警戒し、これに不共可能性の
水準で新しい根拠を与えている。神は戯れるが、戯れの規則を与 えるのだ(略)。この規則とは可
能世界は神が選んだ世界と不共可能的ならば、存在にたどりつくことがないということだ。ラ
イプニッツによれば*『アストレー』のような小説だけが、われわれにこのような不共可能的**
なものの理念を与えるのである。」(ドゥルーズ『襞 ライプニッツとバロック』邦訳単行本 110頁)

*(Lettre a Bourguet,decembre 1714)未邦訳
**または「共不可能的(incompossible)」
≪compossible-incompossible≫
『差異と反復』:共可能-非共可能
『意味の論理学』(宇波):共通可能-共通不可能 および両立可能-両立不可能
小沢訳:共存可能-非共存可能

オノレ・デュルフェ作の『アストレ(ー)』は17世紀パリの貴婦人に流行ったロマン小説で、日本
では無名だが、今度エリック・ロメールによって(小説の一部が)映画化され2009年に公開された。

http://youtu.be/0JRwGGndvyk (日本語予告編)

可能世界なるものがデカルトのような推論によって「本質」に回収されるのを嫌ったライプニッツが
小説(しかもラブストーリー)を念頭においていたというのは面白い。

ちなみにフーリエは『アストレ』からセラドニーCeladonieという概念を抽出し展開している。この
造語は精神的ないし感傷的な恋愛情念を意味するらしい。その精神的愛はフーリエの唱える共同体
では重要度を増すという。

8:58 午前  
Blogger yoji said...


解析の元祖だから誤解されているがライプニッツのモナドは離散数学と親和性がある。
ドゥルーズはうまく説明している。

《ライプニッツは、欺かない神についてのデカルトの推論をかなり警戒し、これに不共可能性の
水準で新しい根拠を与えている。神は戯れるが、戯れの規則を与 えるのだ(略)。この規則とは可
能世界は神が選んだ世界と不共可能的ならば、存在にたどりつくことがないということだ。ラ
イプニッツによれば*『アストレー』のような小説だけが、われわれにこのような不共可能的
(incompossible)なものの理念を与えるのである。》
(ドゥルーズ『襞 ライプニッツとバロック』邦訳単行本 110頁)

*(Lettre a Bourguet,decembre 1714)未邦訳

オノレ・デュルフェ作の『アストレ(ー)』は17世紀パリの貴婦人に流行ったロマン小説で、日本
では無名だが、今度エリック・ロメールによって(小説の一部が)映画化され2009年に公開された。
http://youtu.be/0JRwGGndvyk (日本語予告編)

可能世界なるものがデカルトのような推論によって「本質」に回収されるのを嫌ったライプニッツが
小説(しかもラブストーリー)を念頭においていたというのは面白い。

ちなみにフーリエは『アストレ』からセラドニーCeladonieという概念を抽出し展開している。この
造語は精神的ないし感傷的な恋愛情念を意味するらしい。その精神的愛はフーリエの唱える共同体
では重要度を増すという。

9:01 午前  
Blogger yoji said...


解析の元祖だから誤解されているがライプニッツのモナドは離散数学と親和性がある。
ドゥルーズはうまく説明している。

《ライプニッツは、欺かない神についてのデカルトの推論をかなり警戒し、これに不共可能性の
水準で新しい根拠を与えている。神は戯れるが、戯れの規則を与 えるのだ(略)。この規則とは可
能世界は神が選んだ世界と不共可能的ならば、存在にたどりつくことがないということだ。ラ
イプニッツによれば*『アストレー』のような小説だけが、われわれにこのような不共可能的
(incompossible)なものの理念を与えるのである。》
(ドゥルーズ『襞 ライプニッツとバロック』邦訳単行本 110頁)

*(Lettre a Bourguet,decembre 1714)未邦訳

オノレ・デュルフェ作の『アストレ(ー)』は17世紀パリの貴婦人に流行ったロマン小説で、日本
では無名だが、今度エリック・ロメールによって(小説の一部が)映画化され2009年に公開された。
http://youtu.be/0JRwGGndvyk (日本語字幕つき予告編)

可能世界なるものがデカルトのような推論によって「本質」に回収されるのを嫌ったライプニッツが
小説(しかもラブストーリー)を念頭においていたというのは面白い。

ちなみにフーリエは『アストレ』からセラドニーCeladonieという概念を抽出し展開している。この
造語は精神的ないし感傷的な恋愛情念を意味するらしい。その精神的愛はフーリエの唱える共同体
では重要度を増すという。

9:02 午前  
Blogger yoji said...


解析の元祖だから誤解されているがライプニッツのモナドは離散数学と親和性がある。
ドゥルーズはうまく説明している。

《ライプニッツは、欺かない神についてのデカルトの推論をかなり警戒し、これに不共可能性の
水準で新しい根拠を与えている。神は戯れるが、戯れの規則を与 えるのだ(略)。この規則とは可
能世界は神が選んだ世界と不共可能的ならば、存在にたどりつくことがないということだ。ラ
イプニッツによれば*『アストレー』のような小説だけが、われわれにこのような不共可能的
(incompossible)なものの理念を与えるのである。》
(ドゥルーズ『襞 ライプニッツとバロック』邦訳単行本 110頁)

*(Lettre a Bourguet,decembre 1714)未邦訳

オノレ・デュルフェ作の『アストレ(ー)』は17世紀パリの貴婦人に流行ったロマン小説で、日本
では無名だが、今度エリック・ロメールによって(小説の一部が)映画化され2009年に公開された。
http://youtu.be/0JRwGGndvyk (日本語字幕つき予告編)

可能世界なるものがデカルトのような推論によって「本質」に回収されるのを嫌ったライプニッツが
小説(しかもラブストーリー)を念頭においていたというのは面白い。

ちなみにフーリエは『アストレ』からセラドニーCeladonieという概念を抽出し展開している。この
造語は精神的ないし感傷的な恋愛情念を意味するらしい。その精神的愛はフーリエの唱える共同体
では重要度を増すという。

ロメールはパゾリーニの自由間接話法を受け継いでいるとされるが、第一作『獅子座』の出来が
ずば抜けている。

9:06 午前  
Blogger yoji said...


解析の元祖だから誤解されているがライプニッツのモナドは離散数学と親和性がある。
ドゥルーズはうまく説明している。

《ライプニッツは、欺かない神についてのデカルトの推論をかなり警戒し、これに不共可能性の
水準で新しい根拠を与えている。神は戯れるが、戯れの規則を与えるのだ(略)。この規則とは可
能世界は神が選んだ世界と不共可能的ならば、存在にたどりつくことがないということだ。ラ
イプニッツによれば*『アストレー』のような小説だけが、われわれにこのような不共可能的
(incompossible)なものの理念を与えるのである。》
(ドゥルーズ『襞 ライプニッツとバロック』邦訳単行本 110頁)

*(Lettre a Bourguet,decembre 1714)未邦訳

オノレ・デュルフェ作の『アストレ(ー)』は17世紀パリの貴婦人に流行ったロマン小説で、日本
では無名だが、今度エリック・ロメールによって(小説の一部が)映画化され2009年に公開された。
http://youtu.be/0JRwGGndvyk (日本語字幕つき予告編)

可能世界なるものがデカルトのような推論によって「本質」に回収されるのを嫌ったライプニッツが
小説(しかもラブストーリー)を念頭においていたというのは面白い。

ちなみにフーリエは『アストレ』からセラドニーCeladonieという概念を抽出し展開している。この
造語は精神的ないし感傷的な恋愛情念を意味するらしい。その精神的愛はフーリエの唱える共同体
では重要度を増すという。

ロメールはパゾリーニの自由間接話法を受け継いでいるとされるが、第一作『獅子座』の出来が
ずば抜けている。

9:08 午前  
Blogger yoji said...

Re: The Romance of Astrea And Celadon Scene 7.rmvb http://youtu.be/edrJ5t20EzM

9:43 午前  
Blogger yoji said...

少なくとも吉本本人はドゥルーズを読んでドゥルーズを批判していた
なのに吉本信者は全く読まないでその党派性だけを前提にし批判する

これでは「マルクス主義」が何を意味するのかももはやわからないだろう
ドゥルーズにとってマルクス主義は資本の分析を意味する


《…フェリックス・ガタリと私は、各人の流儀に違いがあるだろうとはいえ、やはりふ
たりともマルキシストでありつづけていると思います。私たちには資本主義とその
発展の分析に焦点をしぼらないような政治哲学が信じられられないのです。私たち
がマルクスでいちばん面白いと思ったのは、資本主義を内在性のシステムとして
分析しているところです。つまり資本主義はみずからのリミットを絶えず押しやってい
く、しかしリミットすなわち資本である以上、尺度を拡大したかたちで、どうしてもまた
同じリミットに逢着するということですね。》
記号と事件

ただしドゥルーズは左翼の定義として「政権につかない」と述べている(『ABC』より)
晩年は明らかにマルクス主義よりもアナーキズムに接近し、その系譜上にある
柄谷のように両者を二項対立にしたくないのだろうが…
ドゥルーズも吉本(親鸞)もアナーキズムとして読めるが
その伝統が途切れている
(プルードンが読まれていないからだ)


昨今の論理学はヘーゲルに近づいて再評価しているが
スピノザを知らないために無駄な遠回りをしている
吉本やジジェクのようにヘーゲルに回帰するのはいいが、
そこから出るにはスピノザが必要だ
戸田山の近著はスピノザに近づいているのに自覚がない…

《結局、CsOに関する偉大な書物は、『エチカ』ではなかろうか。》MP#2


ただしドゥルーズによってヘーゲル(=吉本)に対置されるのはスピノザではなくライプニッツだ

解析の元祖だから誤解されているがライプニッツのモナドは離散数学と親和性がある。
ドゥルーズはうまく説明している。

《ライプニッツは、欺かない神についてのデカルトの推論をかなり警戒し、これに不共可能性の
水準で新しい根拠を与えている。神は戯れるが、戯れの規則を与えるのだ(略)。この規則とは可
能世界は神が選んだ世界と不共可能的ならば、存在にたどりつくことがないということだ。ラ
イプニッツによれば*『アストレー』のような小説だけが、われわれにこのような不共可能的
(incompossible)なものの理念を与えるのである。》
(ドゥルーズ『襞 ライプニッツとバロック』邦訳単行本 110頁)

*(Lettre a Bourguet,decembre 1714)未邦訳

オノレ・デュルフェ作の『アストレ(ー)』は17世紀パリの貴婦人に流行ったロマン小説で、日本
では無名だが、今度エリック・ロメールによって(小説の一部が)映画化され2009年に公開された。
http://youtu.be/0JRwGGndvyk (日本語字幕つき予告編)

可能世界なるものがデカルトのような推論によって「本質」に回収されるのを嫌ったライプニッツが
小説(しかもラブストーリー)を念頭においていたというのは面白い。

ちなみにフーリエは『アストレ』からセラドニーCeladonieという概念を抽出し展開している。この
造語は精神的ないし感傷的な恋愛情念を意味するらしい。その精神的愛はフーリエの唱える共同体
では重要度を増すという。

ロメールはパゾリーニの自由間接話法を受け継いでいるとされるが(『シネマ』2参照)、第一作『獅子座』の出来が
ずば抜けている。

10:51 午後  
Blogger yoji said...

スピノザ補足

( スピノザ、リンク:::::::::)本頁

         I(全論理空間)
          ◯
         /\
        /  \ 
       /    \
a=b=S /      \  a/=b/=M
    ◯/        \◯
 Sは実体\        / Mは様態
      \      / 
       \    / 
        \  /
         \/ 
          ◯
         O(空なるクラス)

図は『論理学史』(山下正男)p208より、スピノザ哲学の論理構成。

デカルトの場合、属性は主にS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
例を挙げるならば(スピノザ往復書簡の無限の説明)、実体Sが二つの円、様態Mが無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを生んだ。
上を延長、下を思惟ととらえれば(逆でもいい)両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまうということだ。
スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定さらには思惟の優越にはならない。空なるクラスも定義としての否定において維持される。
ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。


また、ドゥルーズによれば平行論なる命名はライプニッツが初めて行ったもので、スピノザ自身の用語ではない。
(ドゥルーズ『スピノザ 表現の問題』邦訳単行本103,390頁参照)
さらにライプニッツの並行論は悪口ではない。ライプニッツも自身を並行論者と考えていたからだ。
ただスピノザには個体による実体の分有を説明出来ないと考えていた(「唯一の普遍的精神の説に
ついての考察」8巻132頁)。

ライプニッツはこんな図式を描いている。

  瞬間Aにおける肉体の状態       | 瞬間Aにおける魂の状態 
  次の瞬間Bにおける肉体の状態(チクリ)| 瞬間Bにおける肉体の状態(痛み)

「魂がチクリにかならず気がつくのは、関係の法則によっている。」
「魂は、いつもかならずしも判明に、チクリだの、その直後にやってくるはずの痛みだのが、
いったいなんで起こるのか、気がついているとはかぎりません。」
(アルノー宛書簡20邦訳ライプニッツ著作集第八巻361~362頁)

http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/docs/F.%20IMAI.pdf
ライプニッツは、物体は延長だとするデカルトの考え方のみをアルノーが前提としており、
物体が自身の力で運動することを否定しているといって批判する(書簡16『ライプニッツ著作集 8』320 頁)。

共通概念=スピノザの公理をドゥルーズは肯定的に捉えている。ライプニッツの複数性へとスピノザの一元論を変換する鍵がそこにある。

法よりも判例が大事というのと同じだ。ドゥルーズの感覚論はゆがんではいるが、、、
ドゥルーズが、共通感覚には否定的だが、共通概念に肯定的なのは、上記図のように感覚に概念を対応させるためで、概念の優位を称えているのではない。
(ドゥルーズが、カントの主要テーマをランボーやシェークスピアの引用で要約したことが想起される。)
ドゥルーズもまた並行論者なのだ。

               |
        欲望する諸機械|器官なき身体
               |

5:37 午後  
Blogger yoji said...

ドゥルーズ体系: >>846改
             量子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
          \ ベルクソン /  ハイデッガー
           千のプラトー>>590
            ライプニッツ
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
 >>440         />>796      >>782
       フーコー>>817| \          
      (Marx) アンチ \フロイト
          /・オイディプス>>853
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
           哲学とは何か?
             ヒューム

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

ライプニッツ:
1695 年『実体の本性と実体相互の 交渉ならびに心身の結合についての新たな説』#12
哲学とは何か370頁原注
#1,41頁

5:15 午前  
Blogger yoji said...

ライプニッツによる著作: 文献
http://leibniz-japan-biblio.seesaa.net/article/116327264.html


ライプニッツによる著作
ライプニッツの著作、日本語による翻訳


・「単子論」 (岩波文庫)
河野 与一訳 岩波書店(1951)
「単子論」「実体の本性および実体の交通ならびに精神物体間に存する結合についての新説」「理性に基づく自然および恩寵の原理」「認識、真理、観念に関する考察」「第一哲学の改善と実体概念」「自称の根本的生産」「自然そのもの」

・「形而上学叙説」(岩波文庫)
河野与一訳 岩波書店(2005)
「形而上学叙説」「ライプニッツ・アルノー往復書簡」

・「論理学」 (工作舎 ライプニッツ著作集1)
沢口 昭聿訳 (1988)
「結合法論」「普遍的記号法の原理」「普遍的計算の試論」「概念と真理の解析についての一般的探求」「論理形式の作図による証明」「理性の数学」「三段論法の形式の数学的決定」「計算」「幾何学的記号法」

・「数学論・数学」(工作舎 ライプニッツ著作集2) 
原 亨吉、 三浦 伸夫訳 (1997)
「普遍的総合および解析、もしくは発見および判断の技法について」「普遍数学」「数学の形而上学的基礎」「無限算へのアプローチ」「円の算術的求積」「求積解析第2部」「接線の微分算」「ユークリッドの基本について」「位置解析について」「分析的計算の至高点」「新しい解析の実例」

・「数学・自然学」(工作舎 ライプニッツ著作集3)
原 亨吉、 三浦 伸夫訳 (1999)
「極大、極小のための新しい方法」「等速降下線について」「規則正しく引かれて合い交わる無数の線から作られる線について」「三次方程式の解について」「和と求積に関する無限論のための解析新例」「代数計算と無限小計算の間の注目すべき符合」「微分算の歴史と起源」「自然法則に関するデカルトらの著しい誤謬についての簡潔な証明」「天体運動の原因に関する試論」「動力学論考」「動力学試論」「光学、反射光学、屈折光学の独自の原理」

・「認識論 上」(工作舎 ライプニッツ著作集4) 
谷川 多佳子、 岡部 英男訳(1995)
「人間知性新論」上

・「認識論 下」(工作舎 ライプニッツ著作集5)
谷川多佳子、岡部英男訳(1995)
「人間知性新論」下

・「宗教哲学 上」(工作舎 ライプニッツ著作集6) 
佐々木 能章訳 (1990)
「弁神論」上

・「宗教哲学 下」(工作舎 ライプニッツ著作集7)
佐々木能章訳(1990)
「弁神論」下

・「前期哲学」(工作舎 ライプニッツ著作集8)
西谷祐作、竹田篤司訳(1990)
「対話」「観念とは何か」「認識、真理、観念についての省察」「形而上学叙説」「アルノー、ライプニッツ往復書簡」「自然の法則の説明原理」「実在的現象を想像的現象から区別する仕方について」「実体の本性と、実体相互の交渉ならびに、心身の結合についての新説」「24の命題」「感覚と物質とから独立なものについて」「唯一の普遍的精神の切についての考察」

・「後期哲学」(工作舎 ライプニッツ著作集9)
西谷祐作、米山優、佐々木能章訳(1990)
「生命の原理と形成的自然についての考察」「動物の魂」「アリストとテオドルとの最初の対話に続く、フィラレートとアリストの対話」「デ・フォルダー宛書簡」「デ・ボス宛書簡」「モナドロジー」「理性に基づく自然と恩寵の原理」「ライプニッツ、クラーク往復書簡」

・「中国学・地質学・普遍学」(工作舎 ライプニッツ著作集10)
山下正男、小林道夫、谷本勉訳(1990)
「最新中国事情」「中国哲学についての書簡」「0と1の数字のみを用いる二進法算術の解説、ならびにその効用と中国古代から伝わる伏羲の図の意味」「普遍学について」「プロトガイア」

・「ライプニッツの国語論―ドイツ語改良への提言 」 (叢書・ウニベルシタス) 
高田 博行、 渡辺 学訳 法政大学出版会(2006)

・「人類の知的遺産〈38〉 ライプニッツ」
増永洋三訳 講談社(1981)

・「世界の名著 (30) スピノザ・ライプニッツ」( 中公バックス)
下村 寅太郎訳 中央公論社(1980)
「形而上学叙説」「モナドロジー」「対話-事物と言葉の結合」「位置解析について」「学問的精神について」「事物の根本的起源」「必然性と偶然性―コストへの手紙」「モナドについて―ワグナーへの手紙」

・「モナドロジー・形而上学叙説」(中公クラシックス)
清水 富雄、 飯塚 勝久訳 中央公論社(2005)

・「ライプニッツ論文集」
園田 義道訳 日清堂書店(1976)
「ライプニッツとクラークの論争文」「対話」「観念とは何か」「ロック氏の人間悟性論について」

・「人間知性新論」
米山優訳 みすず書房(1987)

5:28 午前  
Blogger yoji said...

――蓮實先生も学生時代に熱中した映画について研究しています

 中学1年生で親に隠れて映画を見て、こんなに面白いものはないと思いました。
一番前の席で1日7本立て続けに映画を見て、顔面まひになったこともあります(笑)。
これほど映画を見ているのは日本の同世代で私が一番だという自尊心がありました。何でも見なければと思ってあらゆる映画を見ましたね。
役に立つかは全く考えませんでした。私が東大に入って一番良かったことは、学校秀才がいかにくだらないかを学べたことです。
何でも良くできる人が、本当に伸びたのを見たことがない。
そういう人は正誤の判断力には優れていても、何かを創造する力が欠けている気がします。
彼らは好奇心だけで何かに集中しない。私は秀才とは全く別の形で好きなことばかりしてきました。

――創造性を大学で伸ばすことは可能だと思いますか

 できると思います。研究より、教育の方が大切なのです。他人との競争の中で自分は秀でていると感じられる教育が必要。
そのためには学生を何かに没頭させ、知らぬ間に自分の限界を超えて、
他の人よりも前を走っているような状況に導くことが重要なのだと思います。

――東大生へのメッセージをお願いします

 若者全般へのメッセージですが、世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い。
それが嘘だと自分は示し得るという自信を持ってほしい。
たとえ今は評価されなくとも、世界には自分を分かってくれる人が絶対にいると信じて、世界に働き掛けていくことが重要だと思います。
http://www.todaishimbun.org/otameshi_interview20170317/

6:32 午前  

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