金曜日, 10月 30, 2015

ドゥルーズ体系(Deleuze-system):メモ

ドゥルーズ:差異と反復ノート:柄谷関連リンク::::::::::

ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925年1月18日 - 1995年11月4日)

 NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ体系(Deleuze-system):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_72.html(本頁)
ドゥルーズ:マルクス、フロイト関連(作業中)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_3.html

NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ「書誌の計画」1989
http://nam-students.blogspot.jp/2016/11/1989.html

創造行為とは何か?Qu'est ce que l'acte de creation Gilles Deleuze 1987

http://nam-students.blogspot.jp/2017/05/blog-post_54.html

ドゥルーズ体系:     分子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトンカント ベーコン
     Hegel\   |   /Heidegger
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
          ABC\|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】カフカ
             /|\     [修辞学]
        フーコー/ | (ヒューム
   マルクスMarxアンチ Freud      フロイト 
          /・オイディプス
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ     プルースト
           哲学とは何か?
            
             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

             virtualité
           réalité+possibilité
             actualité

潜在性 実在性
   +
現働性 可能性

もしくは、

実在性 潜在性
   +
可能性 現働性 


カントのカテゴリーと同じ

量質関係様相の順に、現実潜在可能現働があると考えるといい。

日本語の問題としては現実と現働を区別する必要がある。実在より現実の方が訳語としてはいい。

ドゥルーズ哲学では実存(出来事)と本質が逆転する。質の定義は内包量なので単なる量と混同しやすい。


      量 (現実)

      リアリティ

質 (潜在)    I_   関係 (可能)

ヴァーチャリティ_    ポッシビリティ

         I

     アクチュアリティ

      様相 (現働)


今日のVRは仮想(潜在)現実と言うより可能現実である。可能を仮言と解釈した。


参考:

NAMs出版プロジェクト: カント『純粋理性批判』:メモ及び目次

http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/blog-post_27.html#_c

範疇表、カテゴリー表<判断表>◎=アンチノミー
 ___________________
|    |1   |    |1   |    
|    |単一性 |    |実在性 |       
|    |<全称>|    |<肯定>|    
|___「量」___|___「質」◎分割合成
|2   |3総体、|2   |3   |    
|多数性 |全体性 |否定性 |限界性 |   
|<特称>|<単称>|<否定>|<無限>|    
|____|_◎起源|____|____|
|    |1   |    |1   |    
|    |実体性 |    |可能性 |   
|    |<定言>|    |<蓋然>|   
|___「関係」__|___「様相」__|
|2原因、|3   |2   |3   |   
|因果性 |相互性 |現実存在|完全性 |    
|<仮言>|<選言>|<実然>|<確定>|   
|_◎発生|____|____|◎必然性|

純粋理性のカテゴリー
量(単一性、多数性、全体性)
質(実在性、否定性、限界性)
関係(実体性、因果性、相互性)
様態(可能性、現実存在、必然性)


最初の図はKantハイデガーの準備したマトリクスである。これらを
スピノザ☆☆、
  ニーチェが横断し、マルクス、フロイト(懐疑論)が左右において上下の断絶を決定づける。
出発点にはサルトルSartreがいた。

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ(國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』単行本63-4頁参照)。


ガタリ( Félix Guattari )のいう「分裂分析 schizo-analyse」「制度分析 analyse institutionnelle」はAOの時点ではまだ総合的である。 

DRは強度を外から捉えていて、LSは意味を内部から捉える。
AOは社会に留まり、MPは飛び立つ。*
ただし、分析的(分子的)に物質を基礎付けるのはMPの方である。
アプリオリな分析はLeibnizにある。Platoプラトン哲学の転倒が課題となる。
Bergson的な質的な差異、さらには時間とともにシーニュはProustにある。
Foucaultは関係の基礎となるダイアグラムを準備する。
人格への懐疑論はHumeにある(AOには未登場だがその懐疑論は精神医学化される)。
NietzscheSpinozaはこれらを横断する。
Cinema1は狂気の断絶(1945,1968)を系譜、系列として歴史化する。

これらはカント体系【 】とずれながらも一致していると考えていい。

ドゥルーズを整理するとカントが必要になるということだ。
ガタリはカント的4分割を採用するから、ガタリとの共闘以降、カントがより潜在的に重要になる。
器官なき身体は主にMPで展開される。スピノザの名の下にあるCsOはしかし、
カント的に言えば、分析的、数学的に位置づけられる。それは潜在性と同じ意味だ。

《ここで生じてくる多くの問題は、哲学史ばかりでなく哲学にもかかわっている。内在平面のもろもろの薄層は、或る場合には、互いに対立するほどまでに、また そのひとつひとつがあれこれの哲学者に適合するほどまでに、たがいに離れ、或る場合には反対に、少なくともかなり長い期間通用するようになるために寄り集まる。そのうえ、ひとつの前・哲学的平面〔内在平面〕の創建と、哲学的諸概念の創造とのあいだの関係は、それら自身複雑なものである。長期間にわたって、 いく人かの哲学者は、おのれの師として援用するひとりの先行的な哲学者と同じ平面の上にとどまりながらも、また彼と同じイメージを前提としながらも、いくつかの新たな概念を創造することができるー(以下略) 》
『哲学とは何か』ドゥルーズ 邦訳単行本84頁より 


 『哲学とは何か』ドゥルーズ Deleuze-Guattari:Qu'est-ce que la philosophie ? 1991
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/Deleuze-Guattari-Quest-ce-que-la-philosophie.html

DR(1968)#3には、『ニーチェと哲学』(1962)3:15と『プルーストとシーニュ』(1964)第一部の結論が合流する。

 プルースト:メモ(下書き)
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_30.html
 『感覚の論理―画家フランシス・ベーコン論』ドゥルーズ
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/francis-bacon-logique-de-la-sensation.html
 ドゥルーズA.O補遺、キートン、ティンゲリ、ライヒ他
  http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/ao.html 
 ダブルバインド(Double bind)Bateson, G.1956
 http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/double-bindbateson-g1956.html

ドゥルーズにとってダブルバインドは決定的な概念だ。器官なき身体と欲望する諸機械もそれぞれダブルバインドである。両者合わせてダブルダブルバインドですらある。


《「意味」は『差異と反復』のどこにあるのか。「強度」は『意味の論理学』の
どこに行ったのか。》(宇野邦一『没後~』120頁)。
《『アンチ・オイディプス』の欲望の讃歌があくまで歴史をつらぬく生命の次元に響いているとすれば、
『千のプラトー』は、大地や宇宙をつらぬき、非生命の次元にまでその讃歌をとどかせている。》
(宇野邦一『千のプラトー』解説)

「意味の論理学」ではなく「意味の修辞学」とすべきだ。

  個体 分
     析  
  規定 + 反省
     総
     合 人格

LS
#16「ライプニッツの劇場に常に立ち帰る必要がある。」16:上205
#17「個体は、無限の分析命題…人格は、有限な総合命題…論理学的発生と存在論的発生の間にあるのは、平行関係ではなく…あらゆる種類の不一致と混信を伴うリレーである。」17:上212~3
ライプニッツは有限=現働的な総合命題に繋がる分析命題を打ち立てたのではないか? 『襞』での高い評価はそれを示す。


ドゥルーズの解釈したベルクソンは持続の絶対化を避けるなど、独自のものであることに注意。 

キリストからブルジョアジーへ…ウェーバー(「宗教」決定論)を反転(正確には90度回転)させ、能動性の契機探るドゥルーズ。能動性はフロイトの症例的には危険だが、自殺することさえ一つの生を獲得する契機になる。オイディプスに対抗するのは機械モデルであり、敵を反転させるだけではなく、三角形には円形で対抗する。金子光晴のように…。両義的なスピノザの表現もまたドゥルーズの手にかかれば能動性の契機になる。

『ベルクソンの哲学』(Gilles Deleuze ,LE BERGSONISME, 1966)
ジル・ドゥルーズ著 宇波彰訳 法政大学出版 1974
目次
第一章 方法としての直観(方法の五つの規則) 3
第二章 直接与えられたものとしての持続(多様性の理論) 33
第三章 潜在的共存としての記憶(過去の存在論と記憶の心理学) 51
第四章 持続は一か多か(持続と同時性) 79
第五章 差異化の運動としてのエラン=ヴィタル(生命・知性・社会) 101
 訳 註 130
 訳者あとがき 133

Table des matières
I – L’intuition comme méthode (Les cinq règles de la méthode)
II – La durée comme donnée immédiate (Théorie des multiplicités)
III – La mémoire comme coexistence virtuelle (Ontologie du passé et psychologie de la mémoire)
IV – Une ou plusieurs durées ? (Durée et simultanéité)
V – L’élan vital comme mouvement de la différenciation (Vie, intelligence et société)
http://www.puf.com/Quadrige:Le_bergsonisme
http://filosofia.fflch.usp.br/sites/filosofia.fflch.usp.br/files/docentes/sites/safatle/2015/2%20sem/Teoria%20das%20Ci%C3%AAncias%20Humanas
%20III/DELEUZE,%20Gilles.%20Le%20Bergsonisme.pdf


(小林秀雄の書き込みは第三章前半、第四章全体に多い。第五章も全体にラインが多い。)
小林秀雄について:メモ(ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』への書き込み)
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_12.html

     差異化の概略的シェーマ(『創造的進化』第二章)

           ↗|
       物質 ↗↘|さまざまな世界。そしてそれぞれの世界に物質のもろもろのタイプがあり、
      (弛緩)→ |それは、生命が回避すべき外的・内的な障害として出現する。
      /   ↘ |
     /                         炭素同化作用
記憶-持続     植物:葉緑素の作用(連続的にエネルギー|/
     \   /   を蓄積し、爆薬を貯蔵する。)  |\窒素同化作用
      \生命
      (収縮)                非中心化した神経系:本能
         \動物:神経系(非連続的にエネ|/             物質の外在化と支配 
             ルギーを消費し、爆薬を|\中心化した神経系 :知性/
             爆発させる。)    |             \生命の転換と包括(直観) 

  
★ベルクソンの「生命」は「植物」「動物」。
 ベルクソンの生命の捉え方を「差異化の概略的シェーマ」(『創造的進化』第二章)としてジル・ドゥルーズ(1995)が示している(『ベルクソンの哲学』邦訳p114)。ドゥルーズは、「生命」とは、「動物」と「植物」であり、「物質」を除いているのである。

☆☆
ドゥルーズのスピノザ像も、ライプニッツに近づけすぎている点に注意。そのライプニッツ像も信仰から遠くなっている。

Spinoza et le problème de l'expression (1968) 
Table des matières
Introduction : Rôle et importance de l’expression
Première partie : Les triades de la substance
Chapitre I : Distinction numérique et distinction réelle – 
Chapitre II : L’attribut comme expression – 
Chapitre III : Attributs et noms divins – 
Chapitre IV : L’absolu – 
Chapitre V : La puissance

Deuxième partie : Le parallélisme et l’immanence
Chapitre VI : L’expression dans le parallélisme – 
Chapitre VII : Les deux puissances et l’idée de Dieu – 
Chapitre VIII : Expression et idée – 
Chapitre IX : L’inadéquat – 
Chapitre X : Spinoza contre Descartes – 
Chapitre XI : L’immanence et les éléments historiques de l’expression

Troisième partie : Théorie du mode fini
Chapitre XII : L’essence de mode : passage de l’infini au fini – 
Chapitre XIII : L’existence du mode – 
Chapitre XIV : Qu’est-ce que peut un corps ? – 
Chapitre XV : Les trois ordres et le problème du mal – 
Chapitre XVI : Vision éthique du monde – 
Chapitre XVII : Les notions communes – 
Chapitre XVIII : Vers le troisième genre – 
Chapitre XIX : Béatitude
Conclusion : Théorie de l’expression chez leibniz et chez spinoza (l’expressionnisme en philosophie) 
Appendice : Étude formelle du plan de l’Éthique et du rôle des scolies dans la réalisation de ce plan

スピノザと表現の問題 新装版 (叢書・ウニベルシタス)  
目次
 はしがき

序論 表現の役割と重要性

第 I 部 実体の三つ組
 第1章 数的区別と実在的区別
 第2章 表現としての属性
 第3章 属性と神の名称
 第4章 絶対者
 第5章 力

第 II 部 平行論と内在性
 第6章 平行論における表現
 第7章 二つの力と神の観念
 第8章 表現と観念
 第9章 非十全性
 第10章 デカルトとスピノザ
 第11章 表現の内在性と歴史的要素

第 III 部 有限様態について
 第12章 様態の本質、無限から有限への移行
 第13章 様態の存在
 第14章 身体は何をなしうるか
 第15章 三つの秩序と悪の問題
 第16章 倫理的世界観
 第17章 共通概念
 第18章 第三種の認識に向かって
 第19章 至福

結論 スピノザにおける表現の理論(哲学における表現主義)

付録 『エティカ』の計画とこの計画が実現された際の注解の役割についての形式的研究──二つの『エティカ』

 原注
 訳者注
 訳者あとがき
著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ドゥルーズ,ジル(ドゥルーズ,ジル/Deleuze,Gilles)
1925年生まれのフランスの哲学者。1969年からパリ第八大学教授をつとめる。ドゥルーズは概念の創造に哲学本来のあり方を探り、自ら概念を新たに創造することによって哲学を作り直そうとした。1995年11月4日死去

工藤 喜作(クドウ キサク)
1930年横浜に生まれる。東京教育大学大学院博士課程満期退学。筑波大学名誉教授、目白大学名誉教授。文学博士。2010年死去

________

Spinoza: Philosophie pratique (1981) 
Table des matières
Chapitre premier - Vie de Spinoza 
 BIBLIOGRAPHIE 
 I. Dévalorisation de la conscience (au profit de la pensée) : Spinoza le matérialiste 
Chapitre II - Sur la différence de l’Éthique avec une morale 
 
II. Dévalorisation de toutes les valeurs, et surtout du bien et du mal (au profit du « bon » et du « mauvais ») : Spinoza l’immoraliste 
 III. Dévalorisation de toutes les « passions tristes » (au profit de la joie) : Spinoza l’athée 
Capitre III - Les lettres du mal (correspondance avec Blyenbergh) 
Chapitre IV - Index des principaux concepts de l’Éthique 
Chapitre V - L’évolution de Spinoza (sur l’inachèvement du Traité de la réforme) 
Chapitre VI - Spinoza et nous  
スピノザ―実践の哲学 -Spinoza: Philosophie pratique (1981)
https://sites.google.com/site/kyototekken2011/shu-ping/supinoza-shi-jianno-zhe-xue
著者:G.ドゥルーズ 平凡社ライブラリー (440) 発売日:2002/08

【内容】
ドゥルーズのスピノザについての論文集。 第一章はスピノザの伝記。第三章はスピノザの概念をいくつか辞典的に整理。第六章はエッセイ。あとは論文という構成。

【目次】
第一章 スピノザの生涯
第二章 道徳と生態の倫理のちがいについて
第三章 悪についての手紙(ブレイエンベルフとの往復書簡)
第四章 『エチカ』主要概念集
第五章 スピノザの思想的発展(『知性改善論』の未完成について)
第六章 スピノザと私たち

【レビュー】
■全体の構成
六章仕立てだが、内容として続き物であるわけではなく、好きな箇所から読んでいっていいと思う
読んでおもしろいと思ったのは、第二章と第五章。

■おもしろかった章(2,5,6)
第二章は、スピノザ哲学を生の哲学と規定しているのが特徴。意識、善悪の倫理観、悲しみの受動的感情を否定する理論を作ったとして解釈している。ニーチェよりも先に、ニーチェ的なことを言った哲学者という解釈。 スピノザは、形而上学から入るには難解なので、生の哲学という方面から入るのはとっかかりとしていいかもしれない。
第五章は、思想の発展過程を検証する系の論文。知性改善論からエチカの間の発展を説明するものとして、「共通概念」に着目している。六章のうちで一番研究論文っぽい。研究者が、論文を作るために個々の解釈を知る必要がある場合は、参考になるかもしれない。
あと、読み物としては第六章がおもしろかった。エチカを音楽と結びつけたエッセイ。論証的ではなく、これが一番気楽に読める。 
ジル・ドゥルーズ - Wikipedia
Le bergsonisme (1966) 
 『ベルクソンの哲学』宇波彰訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1974  
Différence et répétition (1968) 
 『差異と反復』 財津理訳 河出書房新社、1992/河出文庫上下、2007  
Spinoza et le problème de l'expression (1968) 
 『スピノザと表現の問題』工藤喜作ほか訳 法政大学出版局、1991  
Logique du sens (1969) 
 『意味の論理学』 岡田弘・宇波彰訳、法政大学出版局、1987  
 『意味の論理学』 小泉義之訳、河出文庫上下、2007  
Dialogues avec Claire Parnet (1977) 
 『対話』 河出書房新社 
Spinoza: Philosophie pratique (1981) 
 『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳 平凡社 1994/平凡社ライブラリー 2002 
_______

『差異と反復』:構造図
Différence et répétition (1968)

0=はじめに、
  序 論:反復と差異
1=第1章:それ自身における差異
2=第2章:それ自身へ向かう反復
3=第3章:思考のイマージュ
4=第4章:差異の理念的総合
5=第5章:感覚されうるものの非対称的総合
6=結 論:差異と反復 
          時   間 
 __________反 復__________
|\          |\    |はじめに/|
潜在性 可能性    未来 \(6)|ハイデガー|
|//\ 6結論  表象|  \  |  ///|
|〜差異と反復     |(5)\ | /(0)|
|////\スピノザ  |    \|/反復と差異
|///永劫回帰    |___0序論、1___|
|//ニーチェ\   運動、行動 <質>////|
|//5////\   |(4)//|/\(1)|
〜感覚されうるもの\  |  ///|//\//|
|の非対称的総合//\ | /(3)|(2)\/|
|//////////\|/////|////\|空
|_____ドゥルーズ『差異と反復』|_____差
|///////////|(ショーペンハウアー)異
|/ライプニッツ/// | \/アリストテレス/|間
〜差異の理念的総合/矛盾|  \それ自身における|
|//4/////同一性|キルケ\差異/1///|
|/////// 想起 |ゴール \/スコトゥス|
|//微分// 弁証法 |ヒューム \プラトン/|
|/////      |   <様相>////|
|////    3  |  2    \///|
|//〜思考のイマージュ|それ自身へ向かう反復/|
|//プラトン、デカルト|ベルクソン タルド\/|
|/ カント、ヘーゲル 過去 フロイト ラカン\|
/__________起源___________\

「差異は現象(フェノメノン)ではなく、現象にこの上なく近い可想的存在(ヌーメノン)である。」(第五章冒頭部分より)

「図式は、〈時-空〉的諸連関を概念の論理的諸連関に対応させている…」(第四章「力動あるいはドラマ」文庫版下135頁より)

Raum und Zeit (Minkowski) 1908
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/raum-und-zeit-minkowski1908.html 
参考:
////\    時間的    ///////
/////\    |    ////////
//////\  未来   /////////
///////\  |  //////////
////////\ | ///////////
____ 空間的_\|/_空間的(=物自体)__
//////////|\///////////
///////// | \//////////
//////// 過去  \/////////
///////   |   \////////
//////  時間的    \///////

ミンコフスキー時空図
参照:湯川秀樹『物理講義』

___________________

ドゥルーズ『差異と反復』:メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_20.html
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源 Essais de Theodicee:ライプニッツ,1710
 http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/1710.html
ヒューム:メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
ルイス・キャロルの論理ゲーム:メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html
プラトンの洞窟の比喩と映画
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/test_18.html
ヘーゲル体系
 http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5795.html?m=0
NAMs出版プロジェクト: マルコフ連鎖:メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_54.html
NAMs出版プロジェクト: アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_5039.html
笑い:メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/blog-post_28.html
小林秀雄について:メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_12.html
NAMs出版プロジェクト: 『意味の論理学(上、下)』 ドゥルーズ
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/05/blog-post_21.html
プルースト:メモ(下書き)
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_30.html
スピノザ:インデックス
 http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_6805.html
ライプニッツ:インデックス
 http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_4574.html
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』参考動画リスト
 http://nam-students.blogspot.jp/2010/08/blog-post_31.html
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ『シネマ2 時間イメージ』参考動画
 http://nam-students.blogspot.jp/2011/07/blog-post.html 

_________
Mille Plateaux: Capitalisme et schizophrenie 2 (1980) 
 『千のプラトー──資本主義と分裂症』 宇野邦一ほか訳、河出書房新社、1994/河出文庫上中下、2010.9-11  

11 一八三七年──リトルネロについて

 暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。

 Ⅱ 逆に、今度はわが家にいる。もっとも、あらかじめわが家が存在するわけではない。わが家を得るには、もろくて不確実な中心を囲んで輪を描き、境界のはっきりした空間を整えなければならないからである。あらゆる種類の目印や符号など、きわめて多様な成分が介入してくる。これは第一の場合についても当てはまることだ。けれども、ここで問題になる成分は、一つの空間を整えることを目指しているのであり、もはや一時的に中心を定めることを目指しているのではない。こうして、カオスの諸力ができるかぎり外部に引きとめられ、内側の空間が、果たすべき務めの、あるいはなすべき事業の胚種となる諸力を保護するにいたる。ここでは選別、排除、抽出の活動がくりひろげられ、それによって大地の内密な諸力、大地の内部にある諸力が、埋没することなく抵抗し、さらに、成立した空間のフィルターやふるいでカオスを選別して、カオスから何かを取り入れることもできるようになる。声と音の成分は特に重要だ。それは音の壁であり、少なくとも壁の一部は音響的なものである。一人の子供が、学校の宿題をこなすため、力を集中しようとして小声で歌う。一人の主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力をもたせているのだ。ラジオやテレビは、個々の家庭にとっていわば音の壁であり、テリトリーを標示している(だから、音が大きすぎると近所から苦情が来るのだ)。都市の建造とか、ゴーレムの製造といった崇高な事業を起こすときにも、やはり輪が描かれる。だが、とりわけ重要なのは、子供が輪になって踊るのと同じように、輪の周囲を歩き、子音や母音を組み合わせてリズムをとり、それを内に秘められた創造の力や、有機体の分化した部分に対応させるということである。速度やリズムやハーモニーに関する過失は破局をもたらすはずだ。それはカオスの諸力を回復させ、創造者も被造物も破壊することになるからである。

      Ⅲ さて、今度は輪を半開きにして開放し、誰かを中に入れ、誰かに呼びかける。あるいは、自分が外に出ていき、駆け出す。輪を開く場所は、カオス本来の力が押し寄せてくる側にではなく、輪そのものによって作られたもう一つの領域にある。それはあたかも輪そのものが、みずからの内部に収容した活動状態の力と連動して、未来に向けて自分を開こうとしているかのようだ。そして、いま目的となっているのは未来の力や宇宙的な力に合流することなのである。身を投げ出し、あえて即興を試みる。だが、即興することは、世界に合流し、世界と渾然一体になることなのだ。ささやかな歌に身をまかせて、わが家の外に出てみる。ふだん子供がたどっている道筋をあらわした運動や動作や音響の線に、「放浪の線」が接ぎ木され、芽をふきはじめ、それまでと違う輪と結び目が、速度と運動が、動作と音響があらわれる(1)。
http://hideonakane.com/text/2004TraceXII.html

    リュイエが言うように、生得性はいってみれば行為の先にあり、行為の下流に位置するのである。

     われわれは、地層化した環境から始めて、領土化したアレンジメントに到達した。同時に、カオスの諸力が環境によって振り分けられ、コード化され、コード変換を受けたところから始めて、大地の諸力がアレンジメントの中に集められるところまでたどりついた。次に領土的アレンジメントから相互的アレンジメントへと進み、脱領土化の線に沿ったアレンジメントの開放に到達した。それと同時に、集められた大地の諸力から、脱領土化した、あるいはむしろ脱領土化する宇宙の諸力にたどりついた。この最後の運動は、大地の「様相」であることをやめ、宇宙への「抜け道」になっている。パウル・クレーはそれをどのように描いているだろうか。そして、精密であるはずの操作を語るにあたって宇宙という大げさな言葉が使われるのはどうしてなのか。クレーは言う。「人は大地から飛び立とうとして衝動的に試みをくりかえす」、そして「重力に打ち勝つ遠心力の支配下に入ると、実際に大地から舞い上がっていくのだ」と。さらに言う。芸術家はまず自分の周囲を見つめ、あらゆる環境を見つめるが、それは被造物の中に残った創造の痕跡をとらえ、所産的自然の中に残った能産的自然の痕跡をとらえるためだ。そして芸術家は「大地の境界」に腰をすえ、顕微鏡や結晶に、分子や原子や微粒子に関心をもつが、彼は科学的整合性を求めているわけではない。運動を求めているからそうするのだ。内在的運動だけを求めるのである。芸術家は心に思う。この世界は昔、今とは違う光景を呈していたし、これから先も、また違った光景を呈することだろう、それに、別の惑星に行けば、もっと違った光景が見られるのだ、と。芸術家は宇宙に向けておのれを開き、「作品」に宇宙の諸力を注ぎ入れようとする(さもなければ宇宙に向けての開放は単なる夢想にとどまり、大地の境界を広げるなど望むべくもない)。そのような作品を目指すなら、簡素で純粋このうえない、そしてほとんど児戯に近い手段が必要になる。だが、それと同時に民衆の力も必要だ。そしてこれこそまさに、いまもって欠けているものにほかならない。「われわれにはこの力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ。われわれはバウハウスでそれを始めた。それ以上のことはできないのだ……(38)。」

    (1) Cf. Fernand Deligny,《Voix et voir》, Cahiers de I'immuable. 自閉症児の場合、「流浪の線」が通常の道筋を離れて「振動」し、「身震い」を起こし、「急に針路をそれる」。

    (38) Paul Klee, Théorie de l'art moderne, pp.27-33.〔『造形思考』上145-151ページ〕

以下の対応も可能だろう(『差異と反復』邦訳解説参照)。
カント【】、ドゥルーズ『』:

            |     『差異と反復』
            |【純粋理性批判】
            | 感性論  分析論   
            |     (カテゴ
            |       リー
            | 弁証論  方法論
            |(二律背反)   
   _________|_________
   【実践理性批判】 |【判断力批判】
        分析論 |      美学 
     (カテゴリー)|        分
            |      弁
    弁証論 方法論 | 目的論
   (アンチ     |   分
     ノミー    | 弁 方
            | 
『アンチ・ オイディプス』 『シネマ』『感覚の論理学』
『千のプラトー』 
__________
カント純粋理性批判&三批判書の位置づけ:

理性|\      第二批判 『アンチ・ オイディプス』『千のプラトー』
__|範型:判断力 第三批判 『シネマ』『感覚の論理学』     
悟性|範疇\    
__|図式:構想力            『意味の論理学』
感性|____\  第一批判 差異と反復』 

ただし、三批判書は真善美が三方向から互いに牽制しあっているというのが現代的な読みだろう。
そこには一方向のヒエラルキーはない。

          【分析(分子化)】
          \   |   /
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | \ヒューム
       (マルクスアンチフロイト
          /・オイディプス
           【 総 合 】

           【 分 析 】
          \   |   /
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | \ヒューム
           /アンチ・ \
          / オイディプス
           【 総 合 】


      スピノザ 【分析=分子化】
          \   |   /
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | \ヒューム
       (マルクスアンチフロイト
          /・オイディプス
           【 総 合 】 ニーチェNietzsche



      スピノザ 【分析=分子化】
          \   |   /
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム
       (マルクスアンチ フロイト
          /・オイディプス
           【 総 合 】 
ニーチェNietzsche



      スピノザ 【分析=分子化】
          \   |   /
           千のプラトー
        
ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        
フーコー/ | (ヒューム
       (マルクスアンチ フロイト
          /・オイディプス
           【 総 合 】 
ニーチェNietzsche
参考:(作業中)
『経験論と主体性 : ヒュームにおける人間的自然についての試論』1953ドゥルーズ:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_2.html
ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』(Gilles Deleuze ,LE BERGSONISME, 1966)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/gilles-deleuze-le-bergsonisme-1966.html
ドゥルーズ『差異と反復』1968:メモ  
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_20.html
『スピノザと表現の問題』1968ドゥルーズ:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html
NAMs出版プロジェクト: 『意味の論理学(上、下)』1969 ドゥルーズ:目次(転載)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/05/blog-post_21.html
『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』1972  
http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_5039.html
『千のプラトー 資本主義と分裂症』:目次 1980
http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_13.html
NAMs出版プロジェクト: リーマン空間 by ロートマン:メモ(ドゥルーズMP1980#14より)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/mp14.html
Foucault (1986)『フーコー』ドゥルーズ:目次
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/foucault-1986.html
Le Pli: Leibnitz et le Baroque (1988) 『襞──ライプニッツとバロック』
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/le-pli-leibnitz-et-le-baroque-1988-1998.html

_______________






















      スピノザ 【 分 析 】
          \ アンチ・  /
          
 オイディプス
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム
       (マルクス)   フロイト
          / 
千のプラトー
           【 総 合 】 ニーチェNietzsche 

             分子化

マルクス:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_2074.html
"My name is Sigmund Freud"
http://nam-students.blogspot.jp/2010/10/my-name-is-sigmund-freud.html
ドゥルーズ体系:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_72.html

      スピノザ 【分析=分子化】
          \   |   /
           \差異と反復
        ライプニッツ| ベルクソン
    アンチ・     \|/
【規定】オイディプスーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | \ヒューム
       (マルクス) | (フロイト
          / 千のプラトー
           【 総 合 】 ニーチェNietzsche


      スピノザ 【分析=分子化】
          \   |   /
           \千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
    アンチ・     \|/
【規定】オイディプスーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | \ヒューム
       (マルクス) | (フロイト
          / 差異と反復 \
           【 総 合 】 ニーチェNietzsche


ドゥルーズ体系:
     スピノザ 【 分 析 】
         \ アンチ・  /
          オイディプス
       ライプニッツ| ベルクソン
            \|/
【規定】千のプラトーーーシネーーー意味の論理学【反省】
            /|\     [修辞学?]
       フーコー/ | \ヒューム
      (マルクス) | (フロイト
         / 差異と反復 \
          【 総 合 】 ニーチェNietzsche
            分子化

ドゥルーズ体系:
     スピノザ 【 分 析 】
         \ アンチ・  /
          オイディプス
       ライプニッツ| ベルクソン
            \|/
【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
            /|\     [修辞学?]
       フーコー/ | \ヒューム
      (マルクス) | (フロイト
         / 千のプラトー
          【 総 合 】 ニーチェNietzsche

   潜在的 
 可能的+実在的  
   現働的   
Bergsonisme#2、DR#4を読めばわかるが、潜在性は実在的たり得る。そして、
これらがスピノザ的汎神論だとするなら、現働的な出来事とは多様性のことだ。
スピノザの汎神論も潜在的な多様性を持つから二種類の多様性があることになる。
ライプニッツは出来事の多様性を共可能性として提示する。
ドゥルーズはスピノザとライプニッツの間に理論的な共可能性を見出している。

ドゥルーズ体系:
      スピノザ 【分析=分子化】          
          \   |   /
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
 
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム

        (マルクスアンチ フロイト
          /・オイディプス
           【 総 合 】 ニーチェNietzsche


Bergsonisme#2、DR#4を読めばわかるが、潜在性は実在的たり得る。そして、
これらがスピノザ的汎神論だとするなら、現働的な出来事とは多様性のことだ。
スピノザの汎神論も潜在的な多様性を持つから二種類の多様性があることになる。
ライプニッツは出来事の多様性を共可能性として提示する。
ドゥルーズはスピノザとライプニッツの間に理論的な共可能性を見出している。

ドゥルーズ体系:
      スピノザ 【分析=分子化】Heidegger         
          \   |   /
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン

             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム

        (マルクスアンチ フロイト
          /・オイディプス
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェNietzsche


   潜在的 
 可能的+実在的  
   現働的 

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ。


ドゥルーズ体系:     分子化
      スピノザ 【 分 析 】 Heidegger
     Hegel\   |   /カントPlato
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム
       (Marxアンチ Freud
          /・オイディプス
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ


ドゥルーズ体系:     分子化
      スピノザ 【 分 析 】 Platoカント
     Hegel\   |   /Heidegger
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム
       (Marxアンチ Freud
          /・オイディプス
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ


 ドゥルーズ体系:     分子化
       スピノザ 【 分 析 】 HeideggerKantカント
      Hegel\   |   /Plato
            千のプラトー
         ライプニッツ| ベルクソン
              \|/
  【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
              /|\     [修辞学?]
         フーコー/ | (ヒューム
        (Marxアンチ Freud
           /・オイディプス
       サルトル 【 総 合 】 ニーチェNietzsche

参考:
哲学史的見取り図としては、アガンベンの『思考の潜勢力(La Potenza del pensiero)』の最後で
紹介されている図が参考になる(邦訳単行本では、雑誌掲載時と違い線が一本追加*されている)。

   超越           内在

  カント          スピノザ
    |            |
  フッサール        ニーチェ
      \       /  |
        ハイデガー    |*
       /     \   |
レヴィナス、デリダ   フーコー、ドゥルーズ

「(略)彼(引用者注:ドゥルーズ)の遺書を哲学の使命として引き受けるとともに、近代哲学
〜その大部分は、新たな意味での「生の哲学」である〜を内在の線と超越の線ではっきり区別す
るような系譜図を遡及的に再構成してゆくという仕事も、その一端として必然的に課されるので
ある。それはたとえば、このような概略的な系統図が目安になるだろう。」
(アガンベン「絶対的内在」『現代思想2002.8』)

ドゥルーズDeleuze体系:
               分子化   プラトンPlato
 スピノザSpinoza【 分 析 】 カントKant
       Hegel\   |   /Heidegger
             千のプラトー
 ライプニッツLeibniz | ベルクソンBergson
               \|/
   【規定】差異と反復ーーシネマ①ーー意味の論理学【反省】
               /|\     [修辞学]
 フーコーFoucault/ | \(ヒュームHume
  (マルクスMarx)/ アンチ \フロイトFreud
            /・オイディプス
  サルトルSartre【 総 合 】 ニーチェNietzsche

《先験的な経験論は、反対に、(カントのように)経験的なものを引き写す
ことによって先験的なものを描くなどということをしない唯一の手段なのである》
(DR#3単行本p.224,文庫本上383頁,原書p187) 
 《結局、CsOに関する偉大な書物は、『エチカ』ではなかろうか。属性attributとはCsOのタイプ、あるいは種類であり、実体にして力、生産的な母体としての強度ゼロである。様態modeとは、生起するすべての事柄、つまり波と波動、移動、閾と勾配、一定の実体的なタイプのもとで、ある母体から産み出される強度である。属性または実体の種類としてマゾヒストの身体があり、身体を縫うことから、つまり零度から始まって、強度が、つまり責苦的な様態が産み出される。麻薬中毒者の身体はさらに他の属性であり、〈絶対寒冷〉=0から始まって、特異な強度を生産する。〔中略〕あらゆる実体にとって同一の実体があるか、あらゆる属性にとって唯一の実体があるか、という問いは、あらゆるCsOから成る一つの総体が存在するだろうか、という問いに言い換えられる。しかし、CsOがすでに一つの極限であるなら、あらゆるCsOの総体についていったい何を言うべきなのだろう。問題は一と多ではない。一と多の対立をまったく超えてしまう融合状態の多様体こそが問題なのだ。実体的属性の形相的な多様性は、このようなものとして実体の存在論的な統一を達成する。同一の実体のもとにあるあらゆる属性の、またはあらゆる種類の強度の連続体。そして同一タイプまたは同一の属性のもとにある、一定種類の強度の連続体。あらゆる実体の、強度における連続体、さらにあらゆる強度の、実体における連続体。CsOの、中断のない連続体。CsO、内在性、内在的な極限。麻薬中毒者、マゾヒスト、分裂病者、恋人たちなど、すべてのCsOはスピノザをたたえる。CsOは、欲望の内在野champ d'immanenceであり、欲望に固有の存立平面plan de consistanceである(そこで欲望はあくまで生産の過程として定義されるのであって、それに空虚をうがつ欠如、これを満たしにくる快楽などの、どんな外的契機とも無縁である)。》
(ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』#6邦訳文庫本上315-316頁。)


ガタリとの共著

  • L'Anti-OEdipe: Capitalisme et schizophrénie 1 (1972)
  • Kafka: Pour une littérature mineure (1975)
  • Rhizome, extrait de Mille Plateaux (1976)
  • Mille Plateaux: Capitalisme et schizophrenie 2 (1980)
    • 『千のプラトー──資本主義と分裂症』 宇野邦一ほか訳、河出書房新社、1994/河出文庫上中下、2010.9-11 
  • Qu'est-ce que la philosophie? (1991)
    • 『哲学とは何か』 財津理訳、河出書房新社、1997
  • Politique et psychanalyse 

ドゥルーズ体系:     分子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトンカント ベーコン
     Hegel\   |   /Heidegger
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム
       (Marxアンチ Freud
          /・オイディプス
プルースト サルトル 【 総 合 】 ニーチェ

             潜在的 
           可能的+実在的  
             現働的 

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ。


http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/Deleuze-Guattari-Quest-ce-que-la-philosophie.html
Qu'est-ce que la philosophie ?  1991
http://www.leseditionsdeminuit.fr/f/index.php?sp=liv&livre_id=2316
Gilles Deleuze
Félix Guattari

208 p.    
Qu'est-ce que la philosophie ?
2005
Introduction. Ainsi donc la question.

I - PHILOSOPHIE
1. Qu'est-ce qu'un concept ?
2. Le plan d'immanence.
3. Les personnages conceptuels
4. Géophilosophie.

II - PHILOSOPHIE, SCIENCE LOGIQUE ET ART
5. Fonctifs et concepts.
6. Prospects et concepts.
7. Percept, affect et concept.

Conclusion. Du chaos au cerveau.

Qu'est-ce que la philosophie ?
1991,2005
http://www.leseditionsdeminuit.fr/f/flip.php?editor=3&livre_id=2316

Couverture1
Des mêmes auteurs 4
Titre 5
Copyright 6
Introduction. Ainsi donc la question... 7
I – PHILOSOPHIE 19
1. Qu’est-ce qu’un concept ? 21
2. Le plan d’immanence 39
3. Les personnages conceptuels 63
4. Géophilosophie 86
II – PHILOSOPHIE, SCIENCE, LOGIQUE ET ART 115
5. Fonctifs et concepts 117
6. Prospects et concepts 135
7. Percept, affect et concept 163
Conclusion. Du chaos au cerveau 201
Table des matières 220
Des mêmes auteurs (suite) 221
Dans la même collection 222
Justification 223

NEOACA BLOG: ネオアカ読書会 第1回ドゥルーズ『哲学とは何か』
http://neoaca.blogspot.jp/2012/10/blog-post_30.html

目次
序論 こうして結局、かの問は・・・・・・
Ⅰ 哲学
1 ひとつの概念とは何か
2 内在平面
3 概念的人物
4 哲学地理

Ⅱ 哲学 -科学、論理学、そして芸術
5 ファンクティヴと概念
6 見通しと概念
7 被知覚態、変様態、そして概念

結論 カオスから脳へ
ドゥルーズ体系(再改訂版):   
           【 分 析 】 
          \   |    /ベルクソン
           \  |  /
        差異と反復 | 意味の論理学[修辞学]
    スピノザ  ABC\|/ カフカ
【規定】ライプニッツーーシネーーー【反省】(ヒューム
    Hegel    /|\    ニーチェ  プルースト ベーコン
      アンチ  / | \   Freud フロイトマゾッホ
      オイディプス  |  千のプラトー 
          /   |   \
           【 総 合 】 
             フーコー
       (Marxサルトル

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

             virtualité
           réalité+possibilité
             actualité   


ドゥルーズ体系(改訂版):     
      スピノザ 【 分 析 】 プラトンカント 
     Hegel\ 差異と反復  /Heidegger
           \  |  /
        ライプニッツ| ベルクソン
    アンチ  ABC\|/
【規定】オイディプスーーシネーーー意味の論理学【反省】カフカ
             /|\     [修辞学]
        フーコー/ | (ヒューム
       (Marx) |  Freud フロイトマゾッホ
          /千のプラトー \
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ  プルースト ベーコン

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

             virtualité
           réalité+possibilité
             actualité  

参考:

『無人島(上)』「はじめに」編者注*でその存在が知られていた「書誌の計画」1989は、
『ドゥルーズ書簡…』(河出書房新社2016月8月)ではじめて邦訳された。

以下、ドゥルーズ「書誌の計画」(邦訳『ドゥルーズ書簡』10~17頁より。項目を抜粋)

 1 ヒュームからベルクソンヘ(ヒューム、カント、ベルクソン)
 2 古典研究(スピノザ、ライプニッツ)
 3 ニーチェ研究
 4 批評と臨床(マゾッホとサド、プルーストとシーニュ、カフカ)
 5 美学(ベーコン、ベーネ)
 6 映画研究(運動、時間)
 7 現代研究(フーコー、アラファト、構造主義)
 8 意味の論理学
 9 アンチ・オイディプス
10 差異と反復
11 千のプラトー

1.En1989,Deleuze a repris et classe lensemble de ses travaux,y compris les livres,
selon une serie de themes generaux:“
I.De Hume a Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzscheennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthetique/
VI.Etudes cinematographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.L'Anti-OEdipe/
X.Difference et repetition/
XI.Milleplateaux.”

1988『映画イメージ時間』英語版序文(6)や1991『哲学とは何か』(2)が入っていない。

『無人島(上)』「はじめに」編者注*でその存在が知られていた「書誌の計画」1989は、
『ドゥルーズ書簡…』2016で完全版が邦訳された。


1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,
selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.LAnti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»

書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より。項目のみ抜粋)

 1 ヒュームからベルクソンヘ
 2 古典研究(スピノザ、ライプニッツ)
 3 ニーチェ研究
 4 批評と臨床(マゾッホとサド、プルーストとシーニュ、カフカ)
 5 美学(ベーコン、ベーネ)
 6 映画研究(運動、時間)
 7 現代研究(フーコー、アラファト、構造主義)
 8 意味の論理学
 9 アンチ・オイディプス
10 差異と反復
11 千のプラトー


______

『無人島(上)』「はじめに」編者注でその存在が知られていた「書誌の計画」*1989は、
『ドゥルーズ書簡…』2016で完全版が邦訳された(と言っても単に著作リストだが)。


1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.L'Anti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»

現実的な出版の際のボリュームごとに分類されたものだろう。全11巻全集といったように。
1985年の同種のリストも所収されているがまだ未整理(134頁)。
両者を比べると『批評と臨床』がプルーストやカフカを包括するようになったことがわかる。

NAMs出版プロジェクト: チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』再考


1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,selon une série de thèmes généraux:«I.De Hume à Bergson/II.Etudes classiques/III.Etudes nietzschéennes/IV.Critique et clinique/V.Esthétique/ VI.Etudes cinématographiques/VII.Etudes contemporaines/VIII.Logique du sens/IX.L'Anti-Œdipe/X.Différence et répétition/XI.Milleplateaux.»


書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より)

1 ヒュームからベルクソンヘ
 『経験論と主体性』(一九五三年)
 一九五五年の未刊の講義〔『ドゥルーズ書簡』「ヒューム講義」〕
 ヒューム(『哲学史』シャトレ編)〔『無人島』22〕
 本能と制度〔『無人島』3〕

 『カントの批判哲学』(一九六三年)
 四つの定式……(一九八六年)〔『批評と臨床』第5章〕

 べルクソニスム(一九六六年)〔『ベルクソンの哲学』〕
 ベルクソンにおける差異の概念(一九五六年)〔『無人島』5〕
 ベルクソン〔『無人島』4〕
 英語版序文(一九八八年)〔『狂人の二つの体制』49〕

2 古典研究
 『スピノザと表現の問題』(一九六八年)
 M・ゲルーの書評(『道徳・形而上学雑誌』)〔『無人島』20〕
 ネグリ『野生のアノマリー』序文〔『狂人の二つの体制』25〕

 『スピノザ、実践の哲学』(一九八一年)
 スピノザの文体について(ベンスマイアヘの書簡、一九八八年)〔『記号と事件』「レダ・ベンスマイアヘの手紙(スピノザについて)」〕

 『襞(ライプニッツとバロック)』(一九八八年)
 『リベラシオン』紙のインタビュー(一九八八年九月)〔『記号と事件』「ライプニッツについて」〕

3 ニーチェ研究
 『ニーチェと哲学』(一九六二年)
 アリアドネの神秘〔『批評と臨床』第12章〕
 ニーチェとノマド的思考〔『無人島』34)
 英語版序文〔『狂人の二つの体制』28〕
 『ニーチェ』人生と作品〔『ニーチェ』ちくま学芸文庫〕
 ニーチェと迷宮〔『批評と臨床』第12章〕
 ニーチェと聖パウロ、ロレンスとヨハネ〔『批評と臨床』第6章〕
 力能の意志と永遠回帰(ロワイヨモン)〔『無人島』15〕

4 批評と臨床
 『ザッヘル=マゾッホ紹介』(一九六七年)〔『マゾッホとサド』〕
 『プルーストとシーニュ』[(一九六四年,一九七四年)]
 『カフカ』(一九七五年)〔『カフカ--マイナー文学のために』〕
 ルイス・キャロルに関する短いテクスト二篇〔『批評と臨床』第3章〕
 ウルフソン、序文〔『批評と臨床』第2章〕
 (計画)

5 美学
 『感覚の論理学、ベーコン』(一九九一年)
 冷たいものと熱いもの、フロマンジェ〔『無人島』33〕
 『重合、ベーネ』(一九七九年)
 ベーネと声に関する短いテクスト〔『狂人の二つの体制』24〕
 怪物、フリンカー(そして病室)=デッサン〔『書簡』所収「五つのデッサン」〕
 IRCAM〔『狂人の二つの体制』16、『書簡』所収「音楽的時間」〕
 ブーレーズでブルースト、時間〔『狂人の二つの体制』41〕
 声がテクストにもたらすもの……(八七年一一月)〔『狂人の二つの体制』46〕
 推理小説について(一九六六年)〔『無人島』11〕

6 映画研究
 『運動イメージ』(一九八三年)
 植樹者の技芸〔『無人島』39〕
 ベケットの『フィルム』〔『批評と臨床』第4章〕
 『6×2』をめぐる3つの問い(『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌)〔『記号と事件』〕
 『リベラシオン』紙の書簡(八三年一〇月)〔『狂人の二つの体制』29〕
 『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌のインタビュー(八三年一〇月)『記号と事件』「『運動イメージ』について」〕
 英語版『運動イメージ』序文〔『狂人の二つの体制』38〕

 『時間イメージ』(一九八五年)〔『シネマ2*時間イメージ』〕
 「結晶イメージ」(『枠外』誌、一九八六年)〔『記号と事件』「想像界への疑義」〕
 『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌のインタビュー〔『狂人の二つの体制』40〕
 『シネマ』誌のインタビュー〔『記号と事件』「『時間イメージ』について」〕
 セルジュ・ダネヘの手紙〔『記号と事件』「セルジュ・ダネヘの手紙」〕
 FEMISでの講演--映画におけるアイデアが浮かぶこと(一九八七年)(創造するとは何か)
〔『狂人の二つの体制』45〕
  英語版序文(一九八八年)〔『狂人の二つの体制』52〕

7 現代研究
 『対話』(一九七七年)〔『ディアローグ--ドゥルーズの思想』〕
 クレソールヘの手紙〔『記号と事件』「口さがない批評家への手紙』〕
 『ロートル・ジュルナル』誌のインタビュー(一九八五年)〔『記号と事件』「仲介者」〕
 英語版序文〔『狂人の二つの体制』43〕
 『マガジン〔・リテレール〕』の対談(一九八八年)〔『記号と事件』「哲学について」〕
 主体について、英語で発表(『トポイ』誌)〔『狂人の二つの体制』51〕

 『フーコー』(一九九六年)
 ミシェル・フーコーとの対談〔『無人島』26〕
 ドンズロ『家族に介入する社会』序文〔『狂人の二つの体制』10〕
 フーコーをめぐるテクスト三篇―
  (a)『ヌーヴェル・ロプセルヴァトゥール』誌〔『記号と事件』「芸術作品としての生」〕、
  (b)『リベラシオン』紙〔『記号と事件』「物を切り裂き、言葉を切り裂く」〕、
  (c)『ロートル・ジュルナル』誌〔『記号と事件』「追伸 管理社会について」〕
 装置とは何か(シンポジウム)〔『狂人の二つの体制』50〕

 アラファトの偉大〔『狂人の二つの体制』34〕
 フランソワ・シャトレの哲学についての命題(一九八七年)(『ペリクレスとヴェルディ』)〔『ドゥルーズ・コレクション2』所収、河出文庫〕

 何を構造主義として認めるか(一九七二年)〔『無人島』23〕

8 『意味の論理学』(一九六九年)
  加えて essais “Points”

9 『アンチ・オイディプス』(一九七二年)
 〔ガタリ〕『精神分析と横断性』序文〔『無人島』24〕
 オッカンガムヘの序文〔『無人島』38〕
 精神分析と政治〔『無人島』36、『狂人の二つの体制』8〕
 フェリックスとの対談、『ラルク』誌〔『記号と事件』「フェリックス・ガタリとともに『アンチ・オイディプス』を語る」〕
 分裂症〔『狂人の二つの体制』2〕

10『差異と反復』(一九六八年)
 ドラマ化の方法〔『無人島』14〕
 無人島についての考察(一九五〇)〔『無人島』1〕
 英語版序文〔『狂人の二つの体制』42〕

11 『千のプラトー』(一九八〇年)
 リベラシオン紙のインタビュー〔『記号と事件』「『千のプラトー』を語る」〕
 イタリア語版序文〔『狂人の二つの体制』44〕

編者注
* 書誌の計画は、おそらく一九八九年に外国の出版社のために執筆された。…

(389頁の訳者による解説文「後期」参照)

_____

書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より。単著のみ抜粋)

1 ヒュームからベルクソンヘ
 『経験論と主体性』(一九五三年)
 一九五五年の未刊の講義〔『ドゥルーズ書簡』「ヒューム講義」〕

 『カントの批判哲学』(一九六三年)
 四つの定式……(一九八六年)〔『批評と臨床』第五章〕

 べルクソニスム(一九六六年)〔『ベルクソンの哲学』〕
 ベルクソンにおける差異の概念(一九五六年)〔『無人島』〕

2 古典研究
 『スピノザと表現の問題』(一九六八年)
 『スピノザ、実践の哲学』(一九八一年)
 『襞(ライプニッツとバロック)』(一九八八年)
 『リベラシオン』紙のインタビュー(一九八八年九月)〔『記号と事件』「ライプニッツについて」〕

3 ニーチェ研究
 『ニーチェと哲学』(一九六二年)
 『ニーチェ』人生と作品〔『ニーチェ』ちくま学芸文庫〕

5 批評と臨床
 『ザッヘル・マゾッホ紹介』(一九六七年)〔『マゾッホとサド』〕
 『プルーストとシーニュ』[(一九六四年,一九七四年)]
 『カフカ』(一九七五年)〔『カフカ--マイナー文学のために』〕
 ルイス・キャロルに関する短いテクスト二篇〔『批評と臨床』第三章〕
 ウルフソン、序文〔『批評と臨床』第二章〕
 

5 美学
 『感覚の論理学、ベーコン』(一九九一年)
 『重合、ベーネ』(一九七九年)

5 映画研究
 『運動イメージ』(一九八三年)
 植樹者の技芸〔『無人島』39〕
 ベケットの『フィルム』〔『批評と臨床』第四章〕
 『6×2』をめぐる3つの問い(『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌)〔『記号と事件』〕
 英語版『運動イメージ』序文〔『狂人の二つの体制』38〕

 『時間イメージ』(一九八五年)『シネマ2*時間イメージ』
 「結晶イメージ」(『枠外』誌、一九八六年)〔『記号と事件』「想像界への疑義」〕
 『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌のインタビュー〔『狂人の二つの体制』〕

7 現代研究
 『対話』(一九七七年)〔『ディアローグ ドゥルーズの思想』〕
 クレソールヘの手紙〔『記号と事件』「口さがない批評家への手紙』〕

 『フーコー』(一九九六年)
 ミシェル・フーコーとの対談〔『無人島』〕

 アラファトの偉大〔『狂人の二つの体制』〕
 フランソワ・シャトレの哲学についての命題(一九八七年)(『ペリクレスとヴェルディ』)〔『ドゥルーズ・コレクション2』所収、河出文庫〕

 何を構造主義として認めるか(一九七二年)〔『無人島』〕

8 『意味の論理学』(一九六九年)

9 『アンチ・オイディプス』(一九七二年)

10『差異と反復』(一九六八年)
 ドラマ化の方法〔『無人島』〕
 英語版序文〔『狂人の二つの体制』〕

11 『千のプラトー』(一九八〇年)
 リベラシオン紙のインタビュー〔『記号と事件』「『千のプラトー』を語る」〕
 イタリア語版序文〔『狂人の二つの体制』〕


編者注
* 書誌の計画は、おそらく一九八九年に外国の出版社のために執筆された。…


(389頁の訳者による解説文「後期」参照)

________________



(1985年アラブ人向け、アンソロジー案。134~137頁)

エリアス・サンバール宛て
一九八五年七月一五日 月曜日




1 『ザッヘル・マゾッホ紹介』
2 『カフカ』
3 『アンチ・オイディプス』
4 『千のプラトー』
  (1)「古典主義、ロマン主義、現代芸術」#11
  (2)「ノマドロジー」#12
  (3)「樹木とリゾーム」#0
5 『運動イメージ』(「二つの空間類型、黒澤と溝口」…)
6 『プルーストとシーニュ』(第七章)
7 『ニーチェと哲学』
8 『スピノザ、実践の哲学』
9 『意味の論理学』
  (1)「プラトン主義とは何か」付録
  (2)「命題とは何か」#3
10『差異と反復』「思考の要請」#3

* エリアス・サンバールとパレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュが主導した計画は、ドゥルーズ自身によって選び出されたテ
クストのアンソロジーを出発点として、アラブの読者にドゥルーズの思想を知らしめようとするものであった。このアンソロジーは、当
時ダルウィーシュが編集してした雑誌Al-Karmilに一部掲載された…



http://s3.amazonaws.com/academia.edu.documents/30213846/Intro_PDF.pdf

2.  In  particular,  see  the  series  of  articles  on  the  plight  of  the  Palestinian  people  including  „Les  gêneurs‟  in  Le Monde,  7  avril  1978,  translated  as  „Spoilers  of  Peace‟,  (Deleuze  2007:  161–3);  „Les  Indiens  de  Palestine‟  in Libération,  8–9  May  1982,  translated  as  „The  Indians  of  Palestine‟,  (Deleuze  2007:  194–200);  „Grandeur  de Yasser  Arafat‟  in  the  Revue  d‟Études  Palestiniennes  10,  1984,  translated  as  „The  Importance  of  Being  Arafat‟ (Deleuze  2007:  241–5);  and  „Les  Pierres‟  in  Al-Karmel  29,  1988,  translated  as  „Stones‟  (Deleuze  2007:  3389).

AWSAccessKeyId=AKIAJ56TQJRTWSMTNPEA&Expires=1479603549&Signature=5c7MeoRXK5JP1Ufs%2B1AwM1%2FWOjU%3D&response-content-disposition=attachment%3B%20filename%3Dwith_Paul_Patton_Deleuze_and_the_Postco.pdf



78 Comments:

Blogger yoji said...




《…ニーチェとカントとの関係は、マルクスとヘーゲルとの関係と同じである。》 3:7ニーチェと哲学133頁

_______

  チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』  
             ______|________はじめに:
        差異__|__反復             |/同一性
     ___|__     |序論:    差異の哲学 / の哲学
    |      |  反復と差異     ハイデガー/|ヘーゲル
 一: |      |  __|_反復と         |美しき魂
 それ自身における差異| |   一般性の区別 反復=イデア|
    |      | |  __|__    普遍性  |
 ショーペンハウアー | | |  |  |  一 | 特 |
    |      | |行動  法  概念 般ー+ー殊 |
    | アリストテレス|   /キルケ|  性 | 性 |
    |   類的差異、|   ゴール_|__ 単独性  |
    |  カテゴリーと|  裸__|_空間 |     |
    |   種的差異 |  拍子 | 物質 留保(阻止)|
    |      | |    着 衣         |
 一義性と差異    | 時間   リズム / +++++ |
 スコトゥス、    | |     |          |
 スピノザ、     | |   二:|     ヒューム |
 ニーチェ      | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
    | ライプニッツ |___時間の総合 デカルト   |
    |ヘーゲル、カント      |    カント   |
    |______|      現在__過去__円環  |
       |     マルクス  |   |   |  |
     ハイデガー   フロイト(習慣__潜在_死の本能)|イマージュ
 プラトン『ソピステス』他   見せかけ   |______|デカルト
       |     理念     ベルクソン|   カント
 四:差異の理念的総合 =多様体  三:思考のイマージュ プラトン
    カント|_________________|障害としての諸公準
 ライプニッツ         |         /自然的or哲学的
 微分       五:感覚されうるものの___    
   潜在的      非対称的総合      |      表象批判
 可能的◇現実的  他者 /良識、共通感覚  結論:差異と反復 存在=
   実在的     ダーウィン           ニーチェ 差異
       個体化 個体的差異 強度の   一義性を永遠回帰における
        強度的 巻き込み  特徴    反復として実現すること

4:12 午前  
Blogger yoji said...

0=はじめに、
  序 論:反復と差異
1=第1章:それ自身における差異
2=第2章:それ自身へ向かう反復
3=第3章:思考のイマージュ
4=第4章:差異の理念的総合
5=第5章:感覚されうるものの非対称的総合
6=結 論:差異と反復

          時   間
 __________反 復__________
|\          |\    |はじめに/|
| \         | \(6)|ハイデガー|
|  \   6結論  |  \  |  /  |
| 差異と反復     |(5)\ | /(0)|
|    \  スピノザ|    \|/差異と反復
|ニーチェ \     |___0序論、1___|
|     <量>   |    <質>    |
|  5    \   |(4)/ | \(1)|
|感覚されうるもの\  |  /  |  \  |
|の非対称的総合  \ | /(3)|(2)\ |
|          \|/    |    \|空
|_____ドゥルーズ『差異と反復』|_____差
|          /|(ショーペンハウアー)異
| ライプニッツ  / | \ アリストテレス |間
|差異の理念的総合/  |  \それ自身における|
|   4   /   |キルケ\差異 1   |
|      /    |ゴール \ スコトゥス|
| マルクス/     |ヒューム \プラトン |
|   <関係>    |   <様相>    |
|   /    3  |  2    \   |
|  /思考のイマージュ|それ自身へ向かう反復 |
| /プラトン、デカルト|ベルクソン タルド\ |
|/ カント、ヘーゲル |  フロイト ラカン\|
/___________|___________\

4:15 午前  
Blogger yoji said...


          時   間 
 __________反 復__________
|\          〜それ自身へ向かう反復/|
潜在性 可能性    未来   2     //|
|//\ 6結論  表象|キルケゴール  ///|
|〜差異と反復     |ベルグソン  ////|
|////\スピノザ  | (フロイト)////|
|///永劫回帰    |    アリストテレス|
|//ニーチェ\   運動、行動 //スコトゥス|
|//5////\   |   ///1////|
〜感覚されうるもの\  |  〜それ自身における|
|の非対称的総合//\ | ////////差異|
|//////////\|/有機的=オルジック/|空
|_____ドゥルーズ『差異と反復』______差
|///////////|\////|/////異
|/ライプニッツ/// | \(6)|(2)//|間
〜差異の理念的総合/矛盾|  \//|/////|
|//4/////同一性|(5)\/|//(1)|
|/////// 想起 |    \|/////|
|//微分// 弁証法 |_____0_____|
|/////      |    /|\(0)/|
|////    3  |(4)/〜反復と差異/|
|//〜思考のイマージュ|  /  |  \序論|
|//プラトン、デカルト| /(3)〜はじめに/|
|/ カント、ヘーゲル 過去    ハイデガー\|
/__________起源_____|_____\

「差異は現象(フェノメノン)ではなく、現象にこの上なく近い可想的存在(ヌーメノン)である。」
(第五章冒頭部分より)

4:19 午前  
Blogger yoji said...


参考:

////\    時間的    ///////
/////\    |    ////////
//////\  未来   /////////
///////\  |  //////////
////////\ | ///////////
____ 空間的_\|/_空間的(=物自体)__
//////////|\///////////
///////// | \//////////
//////// 過去  \/////////
///////   |   \////////
//////  時間的    \///////

ミンコフスキー時空図
参照:湯川秀樹『物理講義』

4:23 午前  
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『ベルクソンの哲学』(Gilles Deleuze ,LE BERGSONISME, 1966)
ジル・ドゥルーズ著 宇波彰訳 法政大学出版 1974
目次
第一章 方法としての直観(方法の五つの規則) 3
第二章 直接与えられたものとしての持続(多様性の理論) 33
第三章 潜在的共存としての記憶(過去の存在論と記憶の心理学) 51
第四章 持続は一か多か(持続と同時性) 79
第五章 差異化の運動としてのエラン=ヴィタル(生命・知性・社会) 101
 訳 註 130
 訳者あとがき 133

(小林秀雄の書き込みは第三章前半、第四章全体に多い。第五章も全体にラインが多い。)


ベルクソン関連:
http://ameblo.jp/notebook-notebook949/entry-11656729596.html
★ベルクソンの「生命」は「植物」「動物」。
 ベルクソンの生命の捉え方を「差異化の概略的シェーマ」(『創造的進化』第二章)としてジル・ドゥルーズ(1995)が示している(『ベルクソンの哲学』邦訳p114)。ドゥルーズは、「生命」とは、「動物」と「植物」であり、「物質」を除いているのである。

          差異化の概略的シェーマ(『創造的進化』第二章)

      物質 __|さまざまな世界。そしてそれぞれの世界に物質のもろもろのタイプがあり、
     (弛緩)  |それは、生命が回避すべき外的・内的な障害として出現する。
     /
記憶-持続    植物:葉緑素の作用(連続的にエネルギー|/炭素同化作用
     \  /   を蓄積し、爆薬を貯蔵する。)  |\窒素同化作用
      生命
     (収縮)                 非中心化した神経系:本能
        \動物:神経系(非連続的にエネ| /        物質の外在化と支配
            ルギーを消費し、爆薬を| \中心化した神経/
            爆発させる。)    |         \生命の転換と包括(直観)
                       |  系:知性

2:40 午後  
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https://www.facebook.com/IamasLibrary/posts/489779391101336

IAMAS library
July 15, 2013 ·
ドゥルーズのもう一冊のスピノザ論。
これは繰り返し読んだものです。
【目次】
序論 表現の役割と重要性
第1部 実体の三つ組(数的区別と実在的区別
表現としての属性
属性と神の名称
絶対者
力)
第2部 平行論と内在性(平行論における表現
二つの力と神の観念
表現と観念
非十全性
デカルトとスピノザ
表現の内在性と歴史的要素)
第3部 有限様態について(様態の本質、無限から有限への移行
様態の存在
身体は何をなしうるか
三つの秩序と悪の問題
倫理的世界観
共通概念
第三種の認識に向かって
至福)
結論 スピノザにおける表現の理論(哲学における表現主義)
付録 『エティカ』の計画とこの計画が実現された際の注解の役割についての形式的研究―二つの『エティカ』
http://www.amazon.co.jp/…/product/toc/4588003216/ref=dp_toc…

スピノザと表現の問題 (叢書・ウニベルシタス)
スピノザと表現の問題 (叢書・ウニベルシタス)
AMAZON.CO.JP

2:00 午前  
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http://www.yodobashi.com/pd/100000009002028690/

スピノザと表現の問題 新装版 (叢書・ウニベルシタス) の 商品概要
目次
 はしがき

序論 表現の役割と重要性

第 I 部 実体の三つ組
 第1章 数的区別と実在的区別
 第2章 表現としての属性
 第3章 属性と神の名称
 第4章 絶対者
 第5章 力

第 II 部 平行論と内在性
 第6章 平行論における表現
 第7章 二つの力と神の観念
 第8章 表現と観念
 第9章 非十全性
 第10章 デカルトとスピノザ
 第11章 表現の内在性と歴史的要素

第 III 部 有限様態について
 第12章 様態の本質、無限から有限への移行
 第13章 様態の存在
 第14章 身体は何をなしうるか
 第15章 三つの秩序と悪の問題
 第16章 倫理的世界観
 第17章 共通概念
 第18章 第三種の認識に向かって
 第19章 至福

結論 スピノザにおける表現の理論(哲学における表現主義)

付録 『エティカ』の計画とこの計画が実現された際の注解の役割についての形式的研究──二つの『エティカ』

 原注
 訳者注
 訳者あとがき
著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ドゥルーズ,ジル(ドゥルーズ,ジル/Deleuze,Gilles)
1925年生まれのフランスの哲学者。1969年からパリ第八大学教授をつとめる。ドゥルーズは概念の創造に哲学本来のあり方を探り、自ら概念を新たに創造することによって哲学を作り直そうとした。1995年11月4日死去

工藤 喜作(クドウ キサク)
1930年横浜に生まれる。東京教育大学大学院博士課程満期退学。筑波大学名誉教授、目白大学名誉教授。文学博士。2010年死去


スピノザ―実践の哲学 - 京都大学哲学研究会
https://sites.google.com/site/kyototekken2011/shu-ping/supinoza-shi-jianno-zhe-xue
スピノザ―実践の哲学


著者:G.ドゥルーズ

平凡社ライブラリー (440)

発売日:2002/08

存在論-観念論
評価 C

【内容】
ドゥルーズのスピノザについての論文集。 第一章はスピノザの伝記。第三章はスピノザの概念をいくつか辞典的に整理。第六章はエッセイ。あとは論文という構成。

【目次】
第一章 スピノザの生涯
第二章 道徳と生態の倫理のちがいについて
第三章 悪についての手紙(ブレイエンベルフとの往復書簡)
第四章 『エチカ』主要概念集
第五章 スピノザの思想的発展(『知性改善論』の未完成について)
第六章 スピノザと私たち
【レビュー】

■全体の構成

六章仕立てだが、内容として続き物であるわけではなく、好きな箇所から読んでいっていいと思う
読んでおもしろいと思ったのは、第二章と第五章。

■おもしろかった章(2,5,6)

第二章は、スピノザ哲学を生の哲学と規定しているのが特徴。意識、善悪の倫理観、悲しみの受動的感情を否定する理論を作ったとして解釈している。ニーチェよりも先に、ニーチェ的なことを言った哲学者という解釈。 スピノザは、形而上学から入るには難解なので、生の哲学という方面から入るのはとっかかりとしていいかもしれない。

第五章は、思想の発展過程を検証する系の論文。知性改善論からエチカの間の発展を説明するものとして、「共通概念」に着目している。六章のうちで一番研究論文っぽい。研究者が、論文を作るために個々の解釈を知る必要がある場合は、参考になるかもしれない。

あと、読み物としては第六章がおもしろかった。エチカを音楽と結びつけたエッセイ。論証的ではなく、これが一番気楽に読める。

■おもしろくなかった章(1,3,4)

第一章はスピノザの伝記だが、あまりまとまっていないという印象。スピノザの生涯を把握したいのであれば、もっとわかりやすい伝記があると思う。

第三章は、ブレイエンベルフとの往復書簡の解説。原典のわかりにくい箇所を解説する、というのではなく、ドゥルーズの、悪に関するスピノザ解釈を論証するための一つの論文、という位置づけだと思う。実際に原典を理解したいのなら、普通にスピノザの書簡集を手に入れ、該当箇所を読む方が早い。

第四章は辞典だが、検索がしにくく、スピノザの読解の際に分からない単語を調べる、という用途では使えない。また、個々の説明も、原典各所にある記述を網羅的にまとめたというような性質ではなく、あくまでドゥルーズがどのようにそれを理解しているか、をまとめたものでしかない。ドゥルーズのスピノザ論をある程度読んで、それを整理したいという場合には使えると思う。六つの章の中では一番有用性が低そう…なんだけど、でもこれ、本の半分くらい占めてるんだよな…

■感想

スピノザの哲学を理解するためのとっかかりをつかむという点では、生の哲学という解釈はおもしろく、いいかもしれない だが、エチカの全体像を描写しているわけでもなく、扱っている内容もある程度原典を読み込んでいなければ理解できなかったり、研究書としても厳密に論証している章が一つしかなかったりという点ではイマイチ。


2:07 午前  
Blogger yoji said...

差異  反復
 |  |/−1
 |  /0
 | /|
 |/1|
 |\ |
 | \|2
 |  \
 |  |\
 |  |/
 |  /3
 |4/|
 |/ | 
 |\_|
  5\
   /
   6

2:07 午前  
Blogger yoji said...

朝日新聞読書面 @asahi_book 2時間
浅田彰さん「ところが、さらに15年経った今は、「誤配」の可能性よりも、昔つぶやいて
忘れられたはずの問題発言さえ事後的に検索されてしまう、つまりいや応なくメッセージが
届いてしまうことが問題になっている」
千葉雅也さん「僕は、「逃走」の行方であったはずの横へのつながりが、今や過剰化してし
まった状況から、 部分的に「切断」されることが必要だ、と強調しています」


 A 知識人=代表者の動きすぎ
   || 
   || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
   \/
  動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
   /\
   || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
   || 
 B ジャンキーの動きすぎ

「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)


https://www.facebook.com/sports.instructor.support/posts/660770013945854
(朝日新聞デジタルより)
つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん


 千葉 形骸化したコミュニケーションから分離された思考をどうやって確保するか。
しかし完全な「引きこもり」になるのでもない。これまた程度問題ですが、それこそが難
しい。たとえて言えば、「発達障害」的な独自のこだわりによって世間から「切断」され
る、部分的に隠れるということです。

 浅田 『逃走論』の次に出した『ヘルメスの音楽』で、ピアニストのグレン・グールドを
取り上げました。彼はライブでの聴衆の盛り上がりが音楽をゆがめるという理由で、演奏会を
やめてスタジオに引きこもった。そこでの自由なプレーを、情報技術を使って直接リスナーの
もとに届けようとした。まずは「切断」があり、それがシンギュラー(特異)なメッセージの
伝達を可能にするわけです。

 グールドは元祖「引きこもり」とはいえ健常者でしたが、しいて言えばドゥルーズの
言う「スキゾ(分裂症=統合失調症者)」より「アスペルガー症候群」に近いかもしれ
ない。そういう積極的な「発達障害」の可能性も考えられますね。


http://digital.asahi.com/articles/TKY201312100317.html?iref=comkiji_redirect&ref=com_top_pickup


以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

          逃走論と切断論

パラノ        スキゾ           アスペ
インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
蓄積         ギャンブル         節約
定住         逃走            仮住まい
セントラル      マージナル         パーシャル
メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
ヘテロ        ゲイ            クィア
ウェット       ドライ           クリスプ(?)
ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

https://twitter.com/Kren2rideauxUFO/status/406391982907326464/photo/1

5:33 午前  
Blogger yoji said...



129 つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん 12/11(水)14:21 0
電車に乗って周囲を見回すとスマートフォンをいじってどこかにつながる人ばかり。
今の社会の特徴を「接続過剰」と呼ぶ哲学者の千葉雅也さんと、かつて「逃走」という言葉で
消費社会の最先端を語った批評家の浅田彰さんに「つながる」社会の行方を聞いた。

 【接続過剰とは?】
 ――「接続過剰」とは、どういう意味ですか。

 千葉 今のネット社会では、ささいなことまでソーシャルネットワーク(SNS)などで「共有」され「可視化」
されている。スマホも普及し、生活の細部と細部がかつてない規模でつながる。「接続過剰」とは
そういう意味です。
 接続が過剰になると、相互監視に等しくなってしまう。ネット上での「楽しい相互監視」が、国家や企業
が推進する「監視・管理社会」化を暗にサポートすることになっていないかと考えています。
 SNSは、適度に参加すれば、アイデアを得たり、共に考えたりできますが、重要なのは「適度」で、
これが難しい。適度に放っておかれるというのは、互いの自律性を確保することを意味しますが、
どんどん難しくなっている。接続過剰でも、切断過剰(引きこもり、見捨てること)でもない共生の術を
情報社会においてどう考えるかが問題です。

 今、ネットで発言すると、データベースに保存されるので、消去の操作をしなければ、時につれて
「記憶が劣化し忘れられる」ことがありえない。また、拡散した情報を消去して回ることはきわめて困難です。
 「接続過剰」なネット社会では、コミュニケーションの形骸化も進んでいます。常に「つながりのアピール」
が求められる。メッセージが来れば、できるだけ早く返信する。相手からの返信が遅ければ、嫌われてい
ないかと不安になる。
 最小限でも反応を返すことが「思いやり」として目的化し、形骸化する。以前の携帯メールもそうでしたが、
SNSとスマホの普及は、視聴覚を総動員し、ほとんど依存症のような状態を広げています。

 浅田 「接続過剰」な社会では「無視」が許されない。店の冷蔵庫でアルバイトが寝転がった写真が
ネット上で公開されて「炎上」する「バカッター問題」でも、無視すればいいのに、企業がネット上の批判
を配慮して本人を解雇し、さらに損害賠償を求めるなんてことが起きる。昔なら「バカだな」ですんだ冗談なのに。
130 12/11(水)16:10 0↓
【情報社会の変化】

 千葉 こうした状況下で僕は、個であるための「切断」の哲学を考えていますが、これは、浅田さんが
1980年代に主張した「逃走」論をふまえてのことです。「逃走」は、フランスの哲学者ドゥルーズの言葉で、
「漏れてしまう」とか「落ちこぼれる」といった意味もありますね。

 浅田 30年前、『構造と力』や『逃走論』で提案したのは、学校や企業にせよ、反体制セクトにせよ、
一丸となって前進しようとする、そういうパラノ(妄想症)的なドライブ(力)から「逃げること」でした。
逃げた後で横につながればいい、と。

 千葉 80、90年代には、横の多様なつながりの方へ逃走するという希望があった。

 浅田 そのころはやっと使いものになるパソコンが出てきた時代です(マッキントッシュの発売が84年)。
他方、ウィンドウズ95が出た95年が、インターネット普及の画期でしょう。それによって、実際に個人が
横につながる可能性が広がった。98年に発表された東浩紀さんの『存在論的、郵便的』は、デリダの思想
を「誤配」という鍵概念に注目して論じた本ですが、背景にはネットのもたらす新しい接続の可能性への期待
も見て取れます。

 ところが、さらに15年経った今は、「誤配」の可能性よりも、昔つぶやいて忘れられたはずの問題発言さえ
事後的に検索されてしまう、つまりいや応なくメッセージが届いてしまうことが問題になっている。そこまで
発達したネットが、千葉さんの言う「接続過剰」の病理を生むばかりか、アメリカ国家安全保障局の契約職員
だったエドワード・スノーデンが暴露したように、当局が望めば裏からすべてを見られる65億総監視社会
を招来しつつある。ドゥルーズの言葉で言うなら「規律(ディシプリン)から監視(コントロール)へ」。
個人に規範を内面化させずとも、個人をネットで監視し制御
すればよくなったわけです。



http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_831.html

5:37 午前  
Blogger yoji said...


ドゥルーズ体系:メモ
(ドゥルーズ:差異と反復、ノート:柄谷関連、リンク::::::::::)

NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ体系:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_72.html(本頁)


      スピノザ 【分析=分子化】
          \   |   /
           千のプラトー/
        ライプニッツ| ベルクソン☆
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム)
       (マルクス)アンチ フロイト
          /・オイディプス\
           【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
上はカント、ハイデガーの準備したマトリクスである。これらを
ニーチェ、
 スピノザ☆☆が横断する。マルクス、フロイト(懐疑論)が左右において上下の断絶を決定づける。
出発点にはサルトル、Sartreがいた。

DRは強度を外から捉えていて、LSは意味を内部から捉える。
AOは社会に留まり、MPは飛び立つ。*
ただし、分析的(分子的)に物質を基礎付けるのはMPの方である。
アプリオリな分析はLeibnizにある。
Bergson的な質的な差異、さらには時間とともにシーニュはProustにある。
Foucaultは関係の基礎となるダイアグラムを準備する。
人格への懐疑論はHumeにある(AOには未登場だがその懐疑論は精神医学化される)。
Nietzsche、Spinozaはこれらを横断する。
Cinema1/2は狂気の断絶(1945,1968)を系譜、系列として歴史化する。

これらはカント体系【 】とずれながらも一致していると考えていい。

1:27 午前  
Blogger yoji said...


                  ニーチェ『道徳の系譜』への言及は『ニーチェと哲学』3:7
否定的ニヒリズム(ユダヤ、キリスト教)→反動的ニヒリズム(ヨーロッパ)→受動的ニヒリズム(仏教)
 ドゥルーズ『ニーチェと哲学』5:3より。キリスト個人は仏教に位置付けられる(『アンチクライスト』参照)。

『ニーチェの哲学』1962「とは何か?」→「誰?」(邦訳単行本116,280頁)
  ↓
『差異と反復』1968、ドラマ化
  ↓
『A.O』1972、機械

3:7
《…ニーチェとカントとの関係は、マルクスとヘーゲルとの関係と同じである。》(133頁)

11:37 午前  
Blogger yoji said...


        ニーチェ『道徳の系譜』への言及は『ニーチェと哲学』3:7

        否定的ニヒリズム(ユダヤ、キリスト教)
             ↓
        反動的ニヒリズム(ヨーロッパ)
             ↓
        受動的ニヒリズム(仏教)
        ドゥルーズ『ニーチェと哲学』5:3より。
        キリスト個人は仏教に位置付けられる(『アンチクライスト』参照)。

『ニーチェの哲学』1962「とは何か?」→「誰?」(邦訳単行本116,280頁)
  ↓
『差異と反復』1968、ドラマ化
  ↓
『A.O』1972、機械

3:7
《…ニーチェとカントとの関係は、マルクスとヘーゲルとの関係と同じである。》
(『ニーチェと哲学』133頁)

11:40 午前  
Blogger yoji said...

http://home.hiroshima-u.ac.jp/logos/logica/07b_040610_prt.html
広島大学大学院文学研究科
発表者:脇田恵実(西洋哲学,B4)
発表題目:ニーチェの仏教観―キリスト教観との比較において―
1.発表要旨

 この発表では,ニーチェが仏教に対してどのような見解を持っているのか,またニーチェと仏教がどのような関係なのかについて考察する.

 ニーチェは,仏教もキリスト教も最終的には同じくニヒリズムの運動として厳しく拒絶する(『反キリスト者』Der Antichrist, 20).

ニーチェはニヒリズムを,受動的ニヒリズムder passive Nihilismusと能動的ニヒリズムder active Nihilismusに分けて,仏教やキリスト教は前者に属すると述べる(『権力への意志』Der Wille zur Macht, 23).
しかしニーチェは,「ニヒリズム的宗教の内部でもキリスト教のそれと仏教のそれとはいぜんとして鋭く区別される必要がある(『権力への意志』154)」と言う.

 ニーチェによると,キリスト教道徳は弱者のルサンチマン(怨恨感情)によって形成されたものである.弱者は強者を憎悪するにもかかわらず,現実にはその上下関係を逆転できないために,本来の価値を転倒させ自分たちを正当化するという想像上の復讐を行う.そして「神」「彼岸」といった現世の生を否定する観念を捏造する.それに対して仏教は,ルサンチマンを克服しようとする(『この人を見よ』Ecce Homo, 1章6).また,超越的原理を否定する無神論としての仏教をニーチェは称賛する. ニーチェの課題は新しい価値の創造であった.そこで彼は,ニヒリズムに徹することによって既存の価値を価値転換し,ニヒリズムを超克しようとする能動的ニヒリズムを提唱した.そして彼はニヒリズムの極限形式として「永劫回帰」die ewige Wiederkehrを挙げ,これを「仏教のヨーロッパ的形式」die europaeische Form des Buddhismusと呼んでいる(『権力への意志』55).ニーチェはヨーロッパ的な意味の価値観に立たない仏教をニヒリズムの宗教と捉えながらも,親近性を感じているのである.

11:49 午前  
Blogger yoji said...

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ。

6:38 午後  
Blogger yoji said...


http://www.ne.jp/asahi/net/jpn/segawa/dgd/essay_1.htm

『差異と反復』はじめに

「本書で論じられる主題は、明らかに、時代の雰囲気の中にある。その雰囲気のしるしとして、つぎの四つの点をあげて良いだろう。まず、 ハイデガーが存在論的≪差異≫の哲学にますます強く定位しようとしていること、つぎに構造主義の活動が或る共存の空間における差異的=微分的(différentiel)な諸特徴の配分に基づいていること、さらに現代小説という芸術がそのもっとも抽象的な省察ばかりでなくその実際的な技法においても差異と反復をめぐって動いていること、最後に無意識の、言語の、そして芸術の力でもあろうような反復本来の力(puissance)があらゆる種類の分野において発見されていること。これらのすべてのしるし(シーニュ)は、或る一般化した反ヘーゲル主義に数え入れることができる。つまり、差異と反復が、同一的なものと否定的なものに、同一性と矛盾に取ってかわったのである。邦訳文庫上11-12頁



http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1605.html

『差異と反復』

「本書で論じられる主題は、明らかに、時代の雰囲気の中にある。その雰囲気のしるしとして、つぎの四つの点をあげて良いだろう。まず、ハイデガーが、存在論的〈差異〉の哲学にますます強く定位しようとしていること」(p13)


...ドゥルーズは正確に、「永遠回帰における車輪は、差異から出発しての反復の生産である」(p78)と述べているが、もしも「反復」の概念を起源に設定した場合、「差異」は各様態に「選別」されていると考えられている。このように、ドゥルーズの規定する「存在」は一義的であるのだが、これは「差異の回帰」すなわち「反復」を意味する。ドゥルーズにもしもハイデッガー的な意味での「存在論」があるとすれば、それは「永遠回帰」を本質とした「差異の回帰」の存在論なのである。

 我々がドゥルーズと「観覧車」の問題に注目する一つの決定的な理由となるテクストは以下である。「神話の構造は、プラトンにおいて明瞭に現れている。その構造とは、二つの動的な機能、すなわち、〈回転し、還帰すること〉、および〈配分すること、つまり割り振ること〉という二つの機能をもった円環である――分け前〔運命〕の割り振りは、永遠回帰の輪廻として回転する車輪に属しているのだ」(p107)。ドゥルーズはここで、プラトンの『パイドロス』、『ポリティコス』などの神話のモデルに「回転する車輪」の構造が見出されると述べている。この箇所は、永遠回帰の存在論とプラトニズムにおける「イデア」の概念が接合されている点でいっそう興味深く、また神秘的である。ドゥルーズによれば、プラトンの『パイドロス』には、「天球の外側に乗って循環するプシューケー(魂)たちによって観照されるイデアたち」(p107)という神話的モデルが見出される。また、『ポリティコス』には、「宇宙の循環的運動を自ら司る〈神―牧養者〉」(p107)という原理がやはり登場する。見落とすべきではないのは、ドゥルーズが「循環するもの」を円、ないし球体として把捉し、その「中心」は常に不動であったという神話の記述を重視している点である。かつては「中心」に「神」や「イデア」が設定されたが、ドゥルーズは現代思想においてその機能を持つ概念を「差異」に見出す。『差異と反復』は、少なくとも第一章において伝統的な神話体系、古代ギリシア哲学の中心原理を相続しつつ、新しい「語彙」によって表象=再現前化している。

 ドゥルーズは永遠回帰を可能にするのは「差異」の選別を可能にする「反復」であると述べるわけだが、永遠回帰というこの円環の中心に存在するのは「差異」であると規定する。永遠回帰の法則に従えば、全てのありとあらゆる事物はけして同一的であることができず、見られる対象だけでなく我々が見る対象の視点も常に多義的であり、画一的ではない。例えば空に浮かぶ雲は刻一刻と姿を差異化させるが、それらを見る我々の内在意識も時間によって差異化する。こうした諸差異の中で、事物は「八つ裂き」(p99)にされていると表現されている。また、永遠回帰という概念は「オリジナル/コピー」という概念の考察にも寄与する。ドゥルーズによれば、「もの」は常に反復されることによってでしか存在し得ないのであり、「もの」はそれぞれ背後に「オリジナル」なものを起源として控えてはいないのである。「もの」たちはただコピーをコピーする。したがって、「もの」は動物であろうと他の何であろうと、常に永遠回帰においてはシミュラークル(見せかけ)の状態として維持されるのである。これは我々、存在了解を有する「現存在」においても妥当する。ハイデッガーは基礎存在論において現存在の情動性に注目し、「不安」を人間存在に特有の明かし得ぬ本質として定義したが、ドゥルーズはこういった心理的概念を捨象する。彼はより大胆に、我々の本質はシミュラークルに過ぎないという事実を前提にしている。

 永遠回帰の存在論から明らかになるのは、「もの」だけでなく「事象」も含め、全ては「反復」しているという構造である。「反復」は「差異」を中心原理として回転する円環である。だとすれば、ボルヘスがいみじくも述べたように、「失う」という動詞は「発見する」という動詞と再帰的関係にあると言えるのではないだろうか? 実はドゥルーズも第一章の記念すべきラストで、以下のように述べている。「どのセリーも他のセリーの回帰によってのみ存在する以上、何も失われはしないのである。全てはシミュラークルへと生成したのだ」(p117)。「もの」は原理的には失われることができない。何故なら、失われた対象は再び回帰して表象=再現前化されるからである。第二章でも、この章の深い考察で獲得されたドゥルーズの概念は形式を変えて再演されている。例えば、以下のテクストはまさに上記のテクストの換言であろう。「常に置き換えられ、また偽装される対象の特徴である〈ジャメ・ヴュ(未視)〉は、その対象がそこから引き出される当の純粋過去一般の特徴たる〈既視(デジャ・ヴュ)〉の中に潜んでいる」(p174)。


6:02 午後  
Blogger yoji said...

http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/51919914.html
ブランショ?(五月革命、40周年)
以下の書き込みをブランショmixiコミュに書き込んだのですが、レスが無いので転載します。

///以下転載/////

五月革命を扱ったドキュメンタリーDVD『革命の夜、いつもの朝』に一瞬だけブランショが出ているのでは?という議論が以下の掲示板↓でなされています(DVDでは26分頃、チャプター5のまんなかあたり)。
http://524.teacup.com/presque/bbs
年表等↓を見ても「学生ー作家行動委員会」の会議の場にいないはずはないのですが、デュラスはわかってもブランショは確定できません。どなたか詳しい方ご教示いただけるとうれしいです。
http://getsuyosha.jp/kikan/blanchot/blanchotprofile.htm
 ↓ブランショ?
デ、ブランショ?308041956_183

デ、ブランショ若年74938_184


7119290b.jpg



(画像:一番下はデュラス。真ん中は若いときのブランショ、唯一の公開写真?)
///以上/////

参考動画(該当箇所):

(リンク切れ)

追記:
五月革命から40年経ったが、二月革命からもすでに160年経っている。
両者は政治革命への幻滅という無意識の反復の中にあったという点が共通しているというのが僕の考えだ。
だから、当時ロックが商業化したなかで、自らのレーベルを創り、コンサートを企画しようと努力したミュージシャンたちこそ(社会=経済)革命の観点からは画期的だったと考えている。





6:22 午後  
Blogger yoji said...

Bergsonisme#2、DR#4を読めばわかるが、潜在性は実在的たり得る。そして、
これらがスピノザ的汎神論だとするなら、現働的な出来事とは多様性のことだ。
スピノザの汎神論も潜在的な多様性を持つから二種類の多様性があることになる。
ライプニッツは出来事の多様性を共可能性として提示する。
ドゥルーズはスピノザとライプニッツの間にさらに理論的な共可能性を見出している。

ドゥルーズ体系:     分子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
     Hegel\   |   /Heidegger
           千のプラトー/
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学]
        フーコー/ | (ヒューム)
       (Marx)アンチ Freud
          /・オイディプス\
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ

   潜在的 
 可能的+実在的  
   現働的 

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ。

6:15 午前  
Blogger yoji said...



Bergsonisme#2、DR#4を読めばわかるが、潜在性は実在的たり得る。そして、
これらがスピノザ的汎神論だとするなら、現働的な出来事とは多様性のことだ。
スピノザの汎神論も潜在的な多様性を持つから二種類の多様性があることになる。
ライプニッツは出来事の多様性を共可能性として提示する。
ドゥルーズはスピノザとライプニッツの間にさらに理論的な共可能性を見出している。

ドゥルーズ;Deleuze体系:
               分子化   プラトン;Plato
 スピノザ;Spinoza【 分 析 】 カント;Kant
       Hegel\   |   /Heidegger
             千のプラトー/
 ライプニッツ;Leibniz | ベルクソン;Bergson
               \|/
   【規定】差異と反復ーーシネマ①②ーー意味の論理学【反省】
               /|\     [修辞学]
 フーコー;Foucault/ | \(ヒューム;Hume)
  (マルクス;Marx)/ アンチ \フロイト;Freud
            /・オイディプス\
  サルトル;Sartre【 総 合 】 ニーチェ;Nietzsche


   潜在的 
  可能的+実在的  
    現働的 

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ。

9:19 午前  
Blogger yoji said...


Bergsonisme#2、DR#4を読めばわかるが、潜在性は実在的たり得る。そして、
これらがスピノザ的汎神論だとするなら、現働的な出来事とは多様性のことだ。
スピノザの汎神論も潜在的な多様性を持つから二種類の多様性があることになる。
ライプニッツは出来事の多様性を共可能性として提示する。
ドゥルーズはスピノザとライプニッツの間にさらに理論的な共可能性を見出している。

ドゥルーズ;Deleuze体系:
               分子化   プラトン;Plato
 スピノザ;Spinoza【 分 析 】 カント;Kant
       Hegel\   |   /Heidegger
             千のプラトー/
 ライプニッツ;Leibniz | ベルクソン;Bergson
               \|/
   【規定】差異と反復ーーシネマ①②ーー意味の論理学【反省】
               /|\     [修辞学]
 フーコー;Foucault/ | \(ヒューム;Hume)
  (マルクス;Marx)/ アンチ \フロイト;Freud
            /・オイディプス\
  サルトル;Sartre【 総 合 】 ニーチェ;Nietzsche


               潜在的 
             可能的+実在的  
               現働的 

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ。

9:20 午前  
Blogger yoji said...


      観 念
       :
      普遍性
       |
概  一   |   特
 ・・般ーーー十ーーー殊
念  性   |   性
       |
      単独性

(柄谷行人『探究2』文庫版150頁より)

8:11 午前  
Blogger yoji said...


ドゥルーズ体系:     分子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント ベーコン
     Hegel\   |   /Heidegger
           千のプラトー/
        ライプニッツ| ベルクソン☆
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム)
       (Marx)アンチ Freud
          /・オイディプス\
プルースト サルトル 【 総 合 】 ニーチェ

2:50 午前  
Blogger yoji said...

            身体 器官なき
ドゥルーズ体系:     分子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント ベーコン
     Hegel\   |   /Heidegger
           千のプラトー/
        ライプニッツ| ベルクソン☆
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】カフカ
             /|\     [修辞学?]
        フーコー/ | (ヒューム)
       (Marx)アンチ Freud
          /・オイディプス\
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ     プルースト
           諸機械 欲望する

4:30 午後  
Blogger yoji said...

ガタリは潜在的なカント主義者で、ドゥルーズをカントの枠組みに近づけた。

そこから分析、分子化への接近に成功した。

6:11 午前  
Blogger yoji said...


カント上383頁(p187)3:
超越論的経験論

「先験的な経験論は、反対に、(カントのように)経験的なものを引き写す
ことによって先験的なものを描くなどということをしない唯一の手段なのである」
(単行本p.224)


20151123ドゥルーズ早稲田シンポジウム
2日、江川隆男も鈴木泉も『差異と反復』の同じ部分を引用していたのが印象的だった。
カントに批判的に触れた部分だ。
ドゥルーズを整理するとカントが必要になるということだ。
ガタリはカント的四分割を採用するから、ガタリとの共闘以降、カントがより潜在的に重要になる。
器官なき身体は主にMPで展開される。スピノザの名の下にあるCsOはしかし、
カント的に言えば、分析的、数学的に位置づけられる。それは潜在性と同じ意味だ。
私見では、シネマイメージもサドも、潜在性に位置づけられる。

 potential
real+possible
 actual

68年は右下、現働的かつ可能性を維持した出来事として位置づけられる。
CsOは出来事ではない。


9:50 午後  
Blogger yoji said...

量  potential 質
  real+possible
関係 actual 様相

7:18 午後  
Blogger yoji said...



             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

             virtualité
           réalité+possibilité
             actualité

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ(國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』単行本63-4頁参照)。
フロイトの死の欲動も時間論の中で分節化され(DR#2)、後に器官なき身体に繋がっていく。

7:20 午後  
Blogger yoji said...

ドゥルーズ体系図と似ているが90度違う?


ハドロンの分類図:

(udd)      Y     (uud)
 中性子 n0____|____P+ 陽子 
      /\   |1  /\   
     /  \  |  /  \
    /    \ | /    \ 
___/______\|/______\__
Σ ー \ー1/2 Σ 0|λ0 ー1/2/Σ+
 ー1 \    / | \    / 1
     \  /  |  \  / 
      \/___|___\/ 
      三ー   |ー1  三0

物理

数学
          y|
           |p
       ____|____   
      /\   |   /\   
    q/U+\  |  /V+\q
    /    \ | /    \ 
___/Tー____\|/____T+\_→
   \      /|\      / t 
    \    / | \    / 
   p \Vー/  |  \Uー/ p
      \/___|___\/ 
           |q
:SU(3)の図

奇妙な一致。

5:12 午後  
Blogger yoji said...


カント上383頁(p187)3:
超越論的経験論

「先験的な経験論は、反対に、(カントのように)経験的なものを引き写す
ことによって先験的なものを描くなどということをしない唯一の手段なのである」
(単行本p.224)


20151123ドゥルーズ早稲田シンポジウム
2日、江川隆男も鈴木泉も『差異と反復』の同じ部分を引用していたのが印象的だった。
カントに批判的に触れた部分だ。

超越論的演繹がカントによる心理的投影にすぎないというのは正しい。
しかしそれは自分に跳ね返ってくる。AOにおけるように精神分析の批判的導入が必須となる。

6:43 午前  
Blogger yoji said...






「先験的な経験論は、反対に、(カントのように)経験的なものを引き写す
ことによって先験的なものを描くなどということをしない唯一の手段なのである」
(『差異と反復』邦訳単行本p.224。邦訳文庫上383頁(原著p187))


20151123ドゥルーズ早稲田シンポジウム
2日、江川隆男も鈴木泉も『差異と反復』の同じ部分を引用していたのが印象的だった。
カントに批判的に触れた部分だ。

超越論的演繹がカントによる心理的投影にすぎないというのは正しい。
しかしそれは自分に跳ね返ってくる。AOのように精神分析の批判的導入(超越論的経験論?)
が必須となる。



             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

             virtualité
           réalité+possibilité
             actualité

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものであり、
分子化を分析として捉え直すべきだ(國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』単行本63-4頁参照)。
フロイトの死の欲動も時間論の中で分節化され(DR#2)、後にMP器官なき身体CsOに繋がっていく。


6:47 午前  
Blogger yoji said...



「先験的な経験論は、反対に、(カントのように)経験的なものを引き写す
ことによって先験的なものを描くなどということをしない唯一の手段なのである」
(『差異と反復』邦訳単行本p.224。邦訳文庫上383頁(原著p187))


20151123ドゥルーズ早稲田シンポジウムの2日目、江川隆男も鈴木泉も『差異と反復』の
同じ部分を引用していたのが印象的だった。カントに批判的に触れた部分だ。

超越論的演繹がカントによる心理的投影にすぎないというのは正しい。
しかしそれは自分に跳ね返ってくる。AOのように精神分析の批判的導入(超越論的経験論?)
が必須となる。

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

             virtualité
           réalité+possibilité
             actualité

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものであり、
分子化を分析として捉え直すべきだ(國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』単行本63-4頁参照)。
フロイトの死の欲動も時間論の中で分節化され(DR#2)、後にMP器官なき身体CsOに繋がっていく。

6:49 午前  
Blogger yoji said...



「先験的な経験論は、反対に、(カントのように)経験的なものを引き写す
ことによって先験的なものを描くなどということをしない唯一の手段なのである」
(『差異と反復』邦訳単行本p.224。邦訳文庫上383頁(原著p187))


20151123ドゥルーズ早稲田シンポジウムの2日目、江川隆男も鈴木泉も『差異と反復』の
同じ部分を引用していたのが印象的だった。カントに批判的に触れた部分だ。

超越論的演繹がカントによる心理的投影にすぎないというのは正しい。
しかしそれは自分に跳ね返ってくるたぐいの批判だ。AOのように精神分析の批判的
導入(超越論的経験論?)が必須となる。

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

             virtualité
           réalité+possibilité
             actualité

千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものであり、
分子化を分析として捉え直すべきだ(國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』単行本63-4頁参照)。

6:50 午前  
Blogger yoji said...

DRの演奏がLS
AOの演奏がMP

付論I シミュラークルと古代哲学
1 プラトンとシミュラークル
《プラトニズムの転倒》は何を意味するのか。それがニーチェの規定した哲学の仕事、或いはもっと一
般的には未来の哲学の仕事である。この表現の意味は、本質の世界と仮象の世界の廃棄であるように見え
る。しかし、こうした企画はニーチェ特有のものではない。本質と仮象の両方を否定することはヘーグル
に、或いはカントにまでさかのぼる。一一―チェがそれと同じことを言おうとしたのかどうかは疑わしい。
さらに、こうした転倒という表現は抽象的であるという欠点がある。それはプラトニズムの動機付けを隠
してしまう。逆に、プラトニズムの転倒はこの動機付けをあばくこと、プラトンがソフィストを追いつめ
たように、この動機付けを《追いつめる》ことを意味しなければならない。
きわめて一般的に言うならば、イデアの理論の動機は、選択し分類する意志の側に求められなくてはな
らない。差異を作ることが重要である。《事物》そのものとそのイマージュ、 オリジナルとコピー、 モデ
ルとシミュラークルを区別しなければならない。しかし、これらの表現のすべては価値があるのだろうか。
プラトンの意図が本当に現われるのは、分割の方法にわれわれがかかわるばあいに限られる。なぜならこ
の方法は、弁証法の手続きのひとつではないからである。この方法は、弁証法のすべての力を集めて、
311
319

...ボルダス=ドゥムーランの解釈の強みがある。すなわち、dx/dyあるいは0/0と
いうかたちで取り消されるものは、諸微分量〔dx、dy〕ではなく、ただ、関数のなかに
ある、個的なものと、個的なものの関係=比〔分数〕のみである...

ニュートンの誤りは、それゆえ、諸微分〔量〕〔dx、dy〕を
ゼロに等しいと見るところにあり、ライプニッツの誤りは、諸微分〔量〕を個的なもの
あるいは変化可能性と同一視するところにある。

4下21
23

11:03 午前  
Blogger yoji said...

別の力でそれを溶解させ、それによってすべてのシステムを表象する。最初は、この方法はひとつの類を対
立する種に分けて、適切な種に求められている事物をあてはめることだと言うだろう。つまり、魚釣りの
定義を求めるのに、種の分類を続けるようなものだと言うかもしれない。しかしそれは、分類の表面的な
様相、そのイロニー的な様相にすぎない。もしこの様相をまともに認めるならば、アリストテレスの反対
がまったく妥当なものだということになるだろう。つまり、この分割は間違った、不当な三段論法になる
だろう。なぜならば、たとえば魚釣りは獲得の技術、生けどりによる獲得の技術と同じようなものだとわ
れわれに結論させるような中間項が欠けているからである。

11:05 午前  
Blogger yoji said...

分割の本当の目的は、ほかのところに求められなくてはならない。「政治家」のなかに最初の定義があ
る。つまり、政治とは人間の牧者であるという定義である。しかし、医師・商人・労働者といったあらゆ
る種類のライバルが現われて、《人間の牧者は私だ》と言う。「パイドロス」において重要なのは、錯乱を
定義することであり、もっと明確には、充分に根拠のある錯乱と本当の愛とを区別することである。ここ
でも多くの求婚者が現われて、《霊感を受けた者、愛されている者は私だ》と言う。したがって、分割の
目的は類を種に分割することなどではなく、もっと深く、系統を選ぶことである。つまり、求婚者たちを
区別すること、純粋なものとそうでないもの、本当のものとそうでないものを区別することである。その
ために、分割を金の分析にたとえるメタファーがいつも行なわれる。プラトニズムは哲学的な「オデュッ
セイア」である。プラトン的な弁証法は、矛盾や対立の弁証法ではなく、対抗含日■】ひ0”o●この弁証法
であり、競争者もしくは求婚者たちの弁証法である。分割の本質は、類から種を確定するという大きさの
なかにはなく、系統の選択という深さのなかにある。主張を選別し、本当の求婚者とにせの求婚者を区別
すること。


11:06 午前  
Blogger yoji said...


付論I シミュラークルと古代哲学
1 プラトンとシミュラークル
《プラトニズムの転倒》は何を意味するのか。それがニーチェの規定した哲学の仕事、或いはもっと一
般的には未来の哲学の仕事である。この表現の意味は、本質の世界と仮象の世界の廃棄であるように見え
る。しかし、こうした企画はニーチェ特有のものではない。本質と仮象の両方を否定することはヘーゲル
に、或いはカントにまでさかのぼる。一一―チェがそれと同じことを言おうとしたのかどうかは疑わしい。
さらに、こうした転倒という表現は抽象的であるという欠点がある。それはプラトニズムの動機付けを隠
してしまう。逆に、プラトニズムの転倒はこの動機付けをあばくこと、プラトンがソフィストを追いつめ
たように、この動機付けを《追いつめる》ことを意味しなければならない。
きわめて一般的に言うならば、イデアの理論の動機は、選択し分類する意志の側に求められなくてはな
らない。差異を作ることが重要である。《事物》そのものとそのイマージュ、 オリジナルとコピー、 モデ
ルとシミュラークルを区別しなければならない。しかし、これらの表現のすべては価値があるのだろうか。
プラトンの意図が本当に現われるのは、分割の方法にわれわれがかかわるばあいに限られる。なぜならこ
の方法は、弁証法の手続きのひとつではないからである。この方法は、弁証法のすべての力を集めて、

別の力でそれを溶解させ、それによってすべてのシステムを表象する。最初は、この方法はひとつの類を対
立する種に分けて、適切な種に求められている事物をあてはめることだと言うだろう。つまり、魚釣りの
定義を求めるのに、種の分類を続けるようなものだと言うかもしれない。しかしそれは、分類の表面的な
様相、そのイロニー的な様相にすぎない。もしこの様相をまともに認めるならば、アリストテレスの反対
がまったく妥当なものだということになるだろう。つまり、この分割は間違った、不当な三段論法になる
だろう。なぜならば、たとえば魚釣りは獲得の技術、生けどりによる獲得の技術と同じようなものだとわ
れわれに結論させるような中間項が欠けているからである。
 分割の本当の目的は、ほかのところに求められなくてはならない。「政治家」のなかに最初の定義があ
る。つまり、政治とは人間の牧者であるという定義である。しかし、医師・商人・労働者といったあらゆ
る種類のライバルが現われて、《人間の牧者は私だ》と言う。「パイドロス」において重要なのは、錯乱を
定義することであり、もっと明確には、充分に根拠のある錯乱と本当の愛とを区別することである。ここ
でも多くの求婚者が現われて、《霊感を受けた者、愛されている者は私だ》と言う。したがって、分割の
目的は類を種に分割することなどではなく、もっと深く、系統を選ぶことである。つまり、求婚者たちを
区別すること、純粋なものとそうでないもの、本当のものとそうでないものを区別することである。その
ために、分割を金の分析にたとえるメタファーがいつも行なわれる。プラトニズムは哲学的な「オデュッ
セイア」である。プラトン的な弁証法は、矛盾や対立の弁証法ではなく、対抗(amphisbetesis)の弁証法
であり、競争者もしくは求婚者たちの弁証法である。分割の本質は、類から種を確定するという大きさの
なかにはなく、系統の選択という深さのなかにある。主張を選別し、本当の求婚者とにせの求婚者を区別
すること。
311-312
319-320

...ボルダス=ドゥムーランの解釈の強みがある。すなわち、dx/dyあるいは0/0と
いうかたちで取り消されるものは、諸微分量〔dx、dy〕ではなく、ただ、関数のなかに
ある、個的なものと、個的なものの関係=比〔分数〕のみである...

ニュートンの誤りは、それゆえ、諸微分〔量〕〔dx、dy〕を
ゼロに等しいと見るところにあり、ライプニッツの誤りは、諸微分〔量〕を個的なもの
あるいは変化可能性と同一視するところにある。

4下21
23

11:14 午前  
Blogger yoji said...

『*[ドゥルーズ]』の検索結果 - 哲学資料館
http://d.hatena.ne.jp/watanokuni/touch/searchdiary?word=*%5B%A5%C9%A5%A5%A5%EB%A1%BC%A5%BA%5D
ドゥルーズ
Gilles Deleuze(1925-1995)

一言

 ドゥルーズ哲学の発展はおおきく三つに分けられる。第一期は哲学史の読み直しにより、『差異と反復』と『意味の論理学』に集結する「存在の一義性」の哲学の時期(50-60年代)。第二期は、『アンチ・エディプス』から『ミル・プラトー』に至る、ガタリとの共同作業において「器官なき身体」の概念を強力に活用し資本主義批判を行った時期(70年代)。最後に、リーグルのHaptischやベルクソンのイマージュ概念を活用した芸術論によって、初期に考察していた実在の哲学を大規模に作りあげた時期(80年代)。

 これまでは『アンチ・エディプス』の研究か、哲学方面ではベルクソンからの影響ばかりが取りあげられてきたが、それはドゥルーズ哲学の一面でしかない。ドゥルーズは過去の哲学のありとあらゆると言っていいほどのさまざまな問題を取りあげた。しかもその取りあげ方が相互に関連しているというところに、彼が過去最高の哲学者であるゆえんでもある。彼はハイデガーと並んで、哲学史における偉大な哲学史家であり、また偉大な哲学者でもあった。その研究はまだはじまったばかりである。


4:02 午前  
Blogger yoji said...

ドゥルーズ体系(改訂版):   
        プラトン、カント、Heidegger
           【 分 析 】 
          \   |    /ベルクソン
           \  |  /カフカ
        差異と反復 | 意味の論理学[修辞学]
    スピノザ  ABC\|/
【規定】ライプニッツーーーシネマーーー【反省】(ヒューム)
    Hegel    /|\    ニーチェ  プルースト ベーコン
      アンチ・  / | \Freud フロイト(マゾッホ)
      オイディプス  |  千のプラトー 
          /   |   \
           【 総 合 】 
            フーコー
            サルトル(Marx) 

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

             virtualité
           réalité+possibilité
             actualité

3:00 午前  
Blogger yoji said...

DR上p24


―ユの攻略を記念するあるいは表象=再現前化するのが連盟祭なのではなく、まさにバ スティーユ攻略が諸連盟をまえもって祝いかつ反復するのである。あるいはまた、モネ の最初の睡蓮こそが、他のすべての睡蓮を反復するのである。だからわたしたちは、個 別的なものに関する 一般性であるかぎりでの一般性と、特異なものに関する普遍性とし ての反復とを対立したものとみなすのである。わたしたちは、 一個の芸術作品を概念な き特異性として反復するのであ って、 一つの詩が暗誦され 〔心で覚えられ〕なければな らないということは、偶然ではないのだ。頭脳は交換の器官であるが、心は、反復を愛 する器官である。(たしかに、反復は頭脳にも関わっている。しかし、それはまさに、 反復が頭脳にと って恐怖であリパラド ックスであるからだ。)ピ ユス ・セルヴィアンは、 正当にも二つの言語を区別した。ひとつは、諸科学の言語であって、等号に支配され、 どの項 〔辞項〕も他の項によって代理されうるものである。他は、抒情的な言語であっ て、どの項も代理されえず、ただ反復されることしか可能でないものである。なるほど、 反復を、極限的な類似ないしは完全な等価として 「表象 =再現前化」することはできる。 しかし、二つの事物のあいだの本性上の差異は、ひとが一方の

9:45 午後  
Blogger yoji said...


《Nous n’apprenons rien avec celui qui nous dit: fais comme moi.
Nos seuls maîtres sont ceux qui nous disent ‘fais avec moi’ et
qui, au lieu de nous proposer des gestes à reproduire, surent
émettre des signes à développer dans l’hétérogène. 》
(Deleuze, Gilles 1968 Différence et répétition)

《わたしたちは、「私と同じようにやれ」と言う者からは、何も学ぶことはない。
わたしたちにとっての唯一の教師は、わたしたちに対して「私と共にやりなさい」
と言う者であり、この教師は、わたしたちに、再生すべき所作を提示するかわりに、
異質なもののなかで展開するべきいくつかのしるし(signe)を発することのでき
る者なのである。》
(ジル・ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳、単行本49頁、文庫上74-5頁より)

4:04 午前  
Blogger yoji said...

最も重要なドゥルーズ評はフーコーと柄谷のものだ

      観 念
       :
      普遍性
       |
概  一   |   特
 ・・般___|___殊
念  性   |   性
       |
      単独性

(柄谷行人『探究2』より)

《たとえば、ドゥルーズは、キルケゴールの反復にかんして、「反復は、単独なものの普遍性
であり、 特殊なものの一般性としての一般性と対立する」といっている(『差異と反復』)。つま
り、彼は特殊性 (個)ー一般性(類)の対と、単独性ー普遍性の対を対立させている(図参照)。
だが、すでに明らかなように、 これはスピノザが概念と観念を区別したのとほとんど同じことである。》
(柄谷行人『探究2』文庫版150頁)

《…わたしたちは、個別的なものに関する一般性であるかぎりでの一般性と、 特異(サンギュリエ)な ものに関する普遍性としての反復を対立したものとみなす…》
http://blog.livedoor.jp/captainahab/archives/50551139.html
(『差異と反復』邦訳単行本20頁、文庫上22頁)
(『トランスクリティーク』定本版単行本156頁、文庫150頁)

8:39 午前
yoji さんは書きました...
サルトルの影響は大きいが、ドゥルーズの場合、実存が本質に先立つというより
実存と本質が同時にある
実在性と潜在性が同時にあると言うべきか

また、ドゥルーズは本質的様相を探るフォーマットにおいてカントに近い
物自体に留まらない、不可知論のないカントだ

10:19 午前  
Blogger yoji said...

だからスピノザ、カントが理解されていないとドゥルーズも理解され得ない

10:20 午前  
Blogger yoji said...

日本ではもうドゥルーズからスピノザ、カントが理解されるという形になっている

10:21 午前  
Blogger yoji said...

哲学-スピノザ=カント
スピノザ+カント=哲学のすべて

10:22 午前  
Blogger yoji said...

ちなみに、ドゥルーズ自身、『襞』に関する『リベラシオン』のインタビューでの、
「ライプニッツの哲学は、現代の社会や政治に照明を当てることができますか」という質問に答えた中の一例として、こんなのがある。
「現代の社会生活では、窓と外部のシステムにかわって、閉じられた部屋と情報表のつながりが支配的になりつつある。
つまり世界を見るというよりも、世界を読むようになったわけです。」
自室にこもりつつもインターネットにつながり、データ化された世界を機械に読み込ませるこの日常のイメージとしては成る程、とも感じる。

科学に関しては、
「物質は種子からなるのではなく、先にいくほど小さくなる襞からなっているのだと述べるライプニッツの仮説には、
粒子と力の物理学がひとつの意味を与えてくれます。
有機体は内生的な折り畳みの舞台であり要因であるという考え方についていうなら、分子生物学が独自の水準でこの現象に遭遇しているし、
胎生学もまた、これと同じ現象に出会っています。」等々。
(『記号と事件』)

6:35 午前  
Blogger yoji said...

差異化された差異と差異化されない差異との差異が分子、モナドとして機能する
分子化は権力を最小単位に解体するから反権力と言うより脱権力になる
分子化=カントの言う分析に対応するのが重要
個体は個体のままモデルとして機能し、普遍には従属しない
芸術はそうした複数性を可能にする内在平面を先駆的に立ち上げる

6:42 午前  
Blogger yoji said...

差異化された差異と差異化されない差異との差異が分子、モナドとして機能する
分子化は権力を最小単位に解体するから反権力と言うより脱権力になる
分子化=カントの言う分析に対応するのが重要
個体は個体のままモデルとして機能し、普遍には従属しない
芸術は一つのモデルと言うよりもそうした複数性を可能にする内在平面を先駆ける

6:44 午前  
Blogger yoji said...

ドゥルーズのテクストに向き合うことは唯物論足り得るだろうか?
哲学史はヘーゲルの観念論から脱するのに随分かかった

7:18 午前  
Blogger yoji said...


http://yokato41.blogspot.jp/2014/10/blog-post_27.html
◆『批評空間』1996Ⅱ-9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰/柄谷行人)より

蓮實)孤島のロビンソンが、なぜきれいな奥さんと結婚して、子供をふたりもつくるの(笑)。これはもう無頼漢ですよ。それで、浅田さんはドゥルーズが「偉大な哲学者」だと、もちろん誠心誠意おっしゃているんだろうけれども、どこかずるいと思ってない?

浅田)そりゃ、思ってますよ(笑)。

蓮實)あんなことされちゃ困るでしょ。この20世紀末にもなって、いけしゃあしゃあとあのような著作を書いて、家族なんてものはなくていいというような死に方をする。あの図々しさというか、いけしゃあしゃあぶりというものは、哲学者に必須のものなんですか、それとも過剰に与えられた美点なんですか。だってあんな人が20世紀末にいるのは変ですよ。ぼくはデリダよりドゥルーズのほうが好きですけれども、その点では、デリダにはそういうところは全くなくて、一生懸命やっている。フーコーがいるというのもよくわかる。しかし……。

浅田)フーコーは同時代にドゥルーズがいるから自分が哲学者だとは決して言わなかった。哲学者はドゥルーズだから。

蓮實)いいんですか。ああいう人がいて、浅田さん。

浅田)あえて無謀な比較をすれば、ぼくはどちらかというとガタリに近いほうだから、ああいう人がいてくれたのはすばらしいことだと思いますよ。

蓮實)しかし、彼はそれなりにひとりで完結するわけですよ。許せますか、そういう人を(笑)。ぼくは、浅田さんがドゥルーズを「偉大な哲学者」だと言っちゃいけないと思う。そうおっしゃるのはよくわかりますよ。わかるけれども、やっぱり否定してくださいよ。

浅田)でも「彼は偉大な哲学者だった」というのは、全否定に限りなく近い全肯定ですよ。否定するというなら「最も偉大な哲学者」として否定すべきだろう、と。

蓮實)どうしてきっぱりと否定しないの? さっき言ったことだけど、とにかくドゥルーズは確実にある問題体系を避けているわけです。それを避けることで「哲学者」としてあそこまでいったわけですからね。そうしたらば、それは悪しき形而上学とはいいませんけれども……。

浅田)「偉大な哲学」である、と。

蓮實)浅田さんが「偉大な哲学者」とおっしゃることが全否定に近いということを理解したうえでならばいいけれども、その発言はやはりポスト・モダンな身ぶりであって、いまでははっきり否定しないと一般の読者にはわからないんですよ。

浅田)いや、一般の読者の反応を想定するというのがポスト・モダンな身ぶりなのであって、ぼくは全否定に限りなく近い全肯定として「ドゥルーズは偉大な哲学者だった」と断言するまでです。

ただ、たとえばこういうことはありますね。さっき言われたように、ドゥルーズとゴダールは、言葉のレヴェルにおいては非常によく対応する。ただ出来事だけがある(eventumtantum)というのは、たんにイマージュがある(juste une image)ということですよ。しかし、ドゥルーズは、ゴダールがそのイマージュを生きているようには、出来事を生きていない。ぼくはゴダールは絶対的に肯定しますけれど、ドゥルーズは哲学者として肯定するだけです。

蓮實)うん、そこを言わせたいのよ(笑)。

浅田)そんなの自分で言ってくださいよ(笑)。

蓮實)だから浅田さんにとっては、ドゥルーズは一般的に偉いけれども、特異なものとして見た場合はやはりゴダールを取るでしょう。

浅田)絶対にゴダールを取ります。

蓮實)そうしたらば、ドゥルーズに対してもう少し強い否定のニュアンスがあってもいいと思う。

浅田)でも「偉大な哲学者」というのは最高に強い否定のニュアンスでもあるわけですよ。たとえばニーチェは哲学者ではないが、ハイデガーは哲学者である。それで、ゴダールがニーチェだとしたら、ドゥルーズはしいてどちらかといえばハイデガーなんです。

蓮實)ただし、ドゥルーズにとっての美というのは、ハイデガーのそれと全く違いますけれどもね。それともうひとつ、やはり彼は20世紀の両対戦間からその終わりまでに至って哲学は負けたと思っているのは明らかです。何に負けたかというと、実はゴダールではなくて、ジャン・ルノワールに負けている。ジャン・ルノワールが、風の潜在性からこれを顕在化することをやってしまっている、と。

浅田)ベルグソンを超えてしまったんですね。

蓮實)そう、超えてしまった。ぼくがいちばんドゥルーズに惹かれるのは、そこまで見た人はいなかったということです。不意に不ノワールが出てくるでしょう。それでルノワールに負けているんですよ。おれの言ったことをもう全部やってしまている、と。

浅田)『物質と記憶』とほとんど同時に映画が生まれた。で、映画が哲学を完成してしまったんですね。

蓮實)そうです。それも、だれが完成したかというと、ゴダールではなくて、ルノワールなんです。それでもなお「偉大」ですか。

浅田)だから、たかだがそんな哲学だといえばそれまででしょう。でも、ほかにそんな哲学者がいます?(笑) フーコーは、自分は歴史家だと言わねばならなず、デリダだって、自分は物書きだと言わねばならない。しかし、ドゥルーズは単純に、私は哲学者であると言ってしまうんですからね。そして現にハイデガー以後はドゥルーズしかいないでしょう。

6:57 午前  
Blogger yoji said...

浅田)フーコーは同時代にドゥルーズがいるから自分が哲学者だとは決して言わなかった。
哲学者はドゥルーズだから。

蓮實)いいんですか。ああいう人がいて、浅田さん。

浅田)あえて無謀な比較をすれば、ぼくはどちらかというとガタリに近いほうだから、ああいう
人がいてくれたのはすばらしいことだと思いますよ。

蓮實)浅田さんが「偉大な哲学者」とおっしゃることが全否定に近いということを理解したうえで
ならばいいけれども、その発言はやはりポスト・モダンな身ぶりであって、いまでははっきり
否定しないと一般の読者にはわからないんですよ。

浅田)いや、一般の読者の反応を想定するというのがポスト・モダンな身ぶりなのであって、
ぼくは全否定に限りなく近い全肯定として「ドゥルーズは偉大な哲学者だった」と断言するまで
です。

ただ、たとえばこういうことはありますね。さっき言われたように、ドゥルーズとゴダールは、言葉
のレヴェルにおいては非常によく対応する。ただ出来事だけがある(eventumtantum)というの
は、たんにイマージュがある(juste une image)ということですよ。しかし、ドゥルーズは、ゴダー
ルがそのイマージュを生きているようには、出来事を生きていない。ぼくはゴダールは絶対的に
肯定しますけれど、ドゥルーズは哲学者として肯定するだけです。



浅田)『物質と記憶』とほとんど同時に映画が生まれた。で、映画が哲学を完成してしまったん
ですね。

蓮實)そうです。それも、だれが完成したかというと、ゴダールではなくて、ルノワールなんです。そ
れでもなお「偉大」ですか。

浅田)だから、たかだがそんな哲学だといえばそれまででしょう。でも、ほかにそんな哲学者が
います?(笑) フーコーは、自分は歴史家だと言わねばならなず、デリダだって、自分は物書き
だと言わねばならない。しかし、ドゥルーズは単純に、私は哲学者であると言ってしまうんですか
らね。そして現にハイデガー以後はドゥルーズしかいないでしょう。

http://yokato41.blogspot.jp/2014/10/blog-post_27.html
◆『批評空間』1996Ⅱ−9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/
浅田彰/柄谷行人)より

7:00 午前  
Blogger yoji said...

ジル・ドゥルーズ & 財津理「差異と反復 上下合本版」
https://itun.es/jp/zWc0eb.l

4:09 午前  
Blogger yoji said...


ドゥルーズ体系:
             分子化
   >>788スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
     Hegel\   |   /Heidegger
           千のプラトー>>590
     >>786ライプニッツ| ベルクソン>>188
          ABC\|/
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学>>782【反省】
      >>792,>>440 /|\     
     >>554フーコー/ | ヒューム>>433
       (Marx)アンチ フロイト>>39
          /・オイディプス\
>>287,>>798サルトル 【 総 合 】 ニーチェ>>788
           哲学とは何か?>>484

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

             virtualite
           realite+possibilite
             actualite

この図はKant、ハイデガーの準備したマトリクスである。これらをスピノザ、ニーチェが
横断し、マルクス(決定論)、フロイト(懐疑論)が左右において上下の断絶を決定づける。
出発点にはサルトルがいる。
千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として二重に捉え直したところが味噌だ 。

かいてい
2016/10/27(木) 12:28:26.19 0
ドゥルーズ体系: 改
             分子化
   >>788スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
           \   |   /
           千のプラトー>>590
     >>786ライプニッツ| ベルクソン
          ABC\|/
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学>>782【反省】
      >>792,>>440 /|\     
        フーコー/ | ヒューム
       (Marx)アンチ フロイト
          /・オイディプス\
>>287,>>789サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
           哲学とは何か?>>484

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

この図はカント、ハイデガーの準備したマトリクスである。これらをスピノザ、ニーチェが
横断し、マルクス(決定論)、フロイト(懐疑論)が左右において上下の断絶を決定づける。
出発点にはサルトルがいる。 千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として二重に捉え直したところが味噌だ 。

2016/10/27(木) 12:28:26.19 0
ドゥルーズ体系:
             分子化
   >>788スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
           \   |   /
           千のプラトー>>590
     >>786ライプニッツ| ベルクソン
          ABC\|/
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学>>782【反省】
      >>792,448   /|\     
        フーコー/ | ヒューム
       (Marx)アンチ フロイト
          /・オイディプス\
 >>287,798サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
           哲学とは何か?>>484

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

この図はカント、ハイデガーの準備したマトリクスである。これらをスピノザ、ニーチェが
横断し、マルクス(決定論)、フロイト(懐疑論)が左右において上下の断絶を決定づける。
出発点にはサルトルがいる。
千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として二重に捉え直したところが味噌だ 。

8:40 午後  
Blogger yoji said...

ドゥルーズ『シネマ2 時間=イメージ』英訳版への序文(拙訳)
 ギリシャの哲人ども以来カントまで何世紀にもわたって、哲学にはある革命が起こっていた。運動に対する時間の従属は転倒され、時間は普遍的な運動のものさしであることをやめ、いよいよそれそのものとしてあらわれ、矛盾にみちた運動を創造するようになる。時間はタガが外れてしまった、というハムレットのことばは、時間がもはや運動に従属させられることもなくなり、むしろ運動が時間に従属させられるようになったということを意味している。これと同じ経験、同じ転倒を、映画はそれそのものの領域で、より早く推移する状況のなかで繰りかえしている、といえるだろう。戦後、古典映画と呼ばれる運動=イメージは、直接的な時間=イメージに道をゆずった。こうした一般的観念はもちろん、適切化され、修正され、具体的な事例に当てはめられねばならない。
 なぜ第二次世界大戦は一個の変化とみなされるのか? 実はヨーロッパでは、もはやどう反応すればいいかわからないような状況や、もはやどう描写すればいいかわからないような空間が戦後の時代にぐっと増加したのである。見捨てられて誰も住まないような、廃倉庫や、不毛の大地や、破壊あるいは再建の途上にある都市などといった「空間以上の何ものでもない空間」だ。そして空間以上の何ものでもない空間には、ミュータントのたぐいの、新種の登場人物が跋扈する。彼らは行動するよりまず見ようとする、見者たちである。それゆえロッセリーニの三部作、『ヨーロッパ1951年』、『ストロンボリ、神の土地』、『ドイツ零年』に出てくるのは、破壊された都市にいる子供であり、ストロンボリ島にいる異邦の女性であり、周りにあるものを「見る」ことにつとめはじめるブルジョワ女性なのである。状況は異常なものであるか、あるいは真逆に日常の陳腐なものであったり、またその両者が同時にあらわれていたりする。崩壊しつつあるもの、あるいは少なくともそのポジションを失いつつあるものこそが、古い映画の行動=イメージを構成していた感覚=運動図式である。そして感覚=運動の結びつきがゆるめられたおかげで、スクリーン上にあらわれてきたのが「純粋状態にある若干の時間」という時間なのだ。時間は運動に由来するものであるのをやめて、それそのものとしてあらわれるとともに「偽りの運動」として自らをあらわす。それゆえ現代映画においては「間違ったつなぎ」が重要なのであって、イメージどうしはもはや理にかなったカット割りやつながりによって結びつけられることもなく、間違ったつなぎ方と不合理なカット割りによって結びつけなおされる。身体でさえもが、もはやまったく運動するもの、すなわち運動の主体あるいは行動の道具ではなくなり、むしろ時間の現像者[レヴェラトゥール]となって、その飽きや待ちぼうけを通して時間を見せつけるようになる。
 映画的イメージが現前している、ということはまったく適当でない。現前しているものは「表象=再現前している」イメージであるが、絵画におけるそれのように映画においては、イメージそのものでないかぎり、それが表象=再現前しているものと混同されるということは決してない。イメージそのものはその要素どうしの間における関係性の体系であり、すなわち、ただ流れていくだけのうつろいやすい現前=現在からなる時間の関係性の一群である。わたしはこの意味において、タルコフスキーがショットにおける「時間の圧力」によって映画を定義するとき、彼はモンタージュとショットの区別をこころみているのだと考えている。イメージに固有のものは、それが創造的であるかぎりで、表象された対象のなかには見られないような、そして現前するところにまで自らをおとしめさせることのないような時間の関係性を知覚可能にし、可視化するのである。たとえば、ウェルズにおけるフィールドの深さや、ヴィスコンティにおけるトラッキング・ショットをとりあげよう。われわれは交差する空間よりもむしろ、時間のなかへと追いこまれる。サンドラの車は、ヴィスコンティの映画の冒頭において、すでに時間のなかで運動しているし、ウェルズの登場人物は空間内において場所を変えるよりもむしろ、時間において広大な場所を占めている。
 これは時間=イメージがフラッシュバックや、あるいは回想とさえも何の関係もないということである。回想は以前のものの現前にすぎないが、現代映画における記憶喪失の登場人物たちは、文字どおり過去へと沈降していったり、回想においても隠されているものを可視化することによって警告をうけたりする。フラッシュバックは手がかりにすぎないが、偉大な作家に用いられるとき、そこにはもっとずっと複雑な時間構造を見せつけることになる(たとえば、マンキーウィッツにおける「分岐する」時間という、時間が異なったコースをとりえた瞬間の再獲得など)。あらゆる場合において、われわれが時間構造とか直接的な時間=イメージと呼んでいるものは、純粋に経験的な時間の連続――過去=現在=未来、を明らかに超えていっている。それはたとえば、別個の持続どうしや持続の複数のレベルどうしの共存である。ある単独のできごとはさまざまなレベルに属しうる。過去という広がりは、非=年代的な秩序においても共存するのだ。われわれはこれを、ウェルズの力強い大地の直観や、さらには死地から帰還するレネの登場人物たちに見いだしている。

9:59 午後
Blogger yoji said...

 まだたくさんの時間構造が存在する。この本の全体的な目的は、映画的イメージが把握し、また明らかにしてきたものであったり、科学の教説、その他の芸術がわれわれに明らかにするもの、あるいは哲学がわれわれに理解できるようにするものなどに影響を与えうるものであったりを、それぞれの方法で提供することである。映画はまだ、イメージの創造物においてしかあらわれえないような時間の関係性を可視化しようとする研究の出発点にあるのだから、映画の死について語るのはばかげている。テレビを必要としているのは映画ではない――映画芸術によって豊かにされないかぎり、テレビのイメージは残念ながら現前でありつづけるのだから。ヴィジュアルとサウンドの間の、あるいは見られるものと話されるものとの間の関係と分離は、(ピエール・ペローやストローブ、ジーバーベルクらがそれぞれ異なった方法でしているような)イメージにおける時間の獲得のために問題をよみがえらせ、映画に新たな力をもたらす。そう、当初の力を保っているかぎり、映画は虐殺によって命を落としたりはしないのだ。逆にわれわれは戦前の映画やさらにはサイレント映画にさえも、すでに運動=イメージを画期的に進歩させたり、あるいは押しとどめたり、または包括したりしてきたような、きわめて純粋な時間=イメージに目をむけなければならない。たとえば小津の静物画は、時間の不変の形態としてのものなのか? など。
 この運動と時間についての冒険を翻訳するという労について、ロバート・ガレータとヒュッフ・トムリンソンに謝意を表したい。   ジル・ドゥルーズ 1988年7月

http://blog.livedoor.jp/aryusan_nikki/archives/51568752.html

9:59 午後

8:47 午後  
Blogger yoji said...



ドゥルーズ体系: >>846改
             量子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
          \ ベルクソン /  ハイデッガー
           千のプラトー>>590   (感覚)
    科学      ライプニッツ      芸術
             \|/       (印象)
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
   >>440       /|>>796      >>782
       フーコー>>817| \          
      マルクス / アンチ \ フロイト
          /・オイディプス>>853
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
           哲学とは何か?
             ヒューム

             潜在的 
           実在的◇現働的  
             可能的 

(潜在的なものは現働的であり得るが可能的ではあり得ない。
 そのことを明確にするために下の概念図の記載方を変えた。)


846 :
2016/11/06(日) 20:49:45.42 0
ドゥルーズ体系: >>846改
             量子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
          \ ベルクソン /  ハイデッガー
           千のプラトー>>590
            ライプニッツ
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
   >>440       /|>>796      >>782
       フーコー>>817| \          
       マルクス/ アンチ \フロイト
          /・オイディプス>>853
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
           哲学とは何か?
             ヒューム

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

ライプニッツ:
1695 年『実体の本性と実体相互の交渉ならびに心身の結合についての新たな説』#12(8)
哲学とは何か370頁原注^#1:41頁

ベルクソン:
MP#10
《…生成変化に固有の現実をあらわす基本的原則である(「私たちの持続」に勝る持続、あるいは劣る持続、種々雑多な「持続」が共存する、しかもこれらがすべて通底しあっているというベルクソンの着想)。》
ベルクソンの哲学103頁
《記憶が本質的に差異であるように、物質は本質的に反復である。》
(ソシュール的?ベルクソンを唯物論寄りにドゥルーズは解釈している…) 

ヒューム:
ドゥルーズ『哲学とは何か』
結論
原注(12)ヒュームは、『人性論』において、この受動的観照-縮約による想像力を定義している(第一篇、第三部、第一四節)388頁^356頁

第十四節 必然的結合の観念について  こうして、われわれが直接の印象を越えて推論し、しかじかの特定の原因はしかじかの特定の結果を伴わねばならぬと断定する、その仕方を解明しおえたので、今度…

「原因」とは、他の対象に先行し、かつ近接した対象であり、前者と結びついて、一方の観念が他方の観念を形作るよう、一方の印象が他方のより生き生きとした観念を形作るように心を規定するものである

5:49 午後  
Blogger yoji said...

ドゥルーズ体系: >>846改
             量子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
          \ ベルクソン /  ハイデッガー
           千のプラトー>>590   (感覚)
    科学      ライプニッツ      芸術
             \|/       (印象)
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
   >>440       /|>>796      >>782
       フーコー>>817| \          
      マルクス / アンチ \ フロイト
          /・オイディプス>>853
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
           哲学とは何か?
             ヒューム

             潜在的 
           実在的◇現働的  
             可能的 

             virtualité
           réalité+possibilité
             actualité

(潜在的なものは現働的であり得るが可能的ではあり得ない。
 そのことを明確にするために下の概念図の記載方を変えた。)

 ヒュームの原因↗︎から結果↙︎へと続く考察のどちらを重視するかで変わる。

In general, a state of affairs does not actualize a chaotic virtual without taking from it a potential that is distributed in the system of coordinates.
《一般的に言えば、〈物の状態〉は、カオスに属する潜在的なものを現働化させる場合には、かならず、ポテンシャルを、そのカオスに属する潜在的なものから借りて、それを座標系に配分するのである。》哲学とは何か#5:207

11:25 午後  
Blogger yoji said...

ドゥルーズ体系: >>846改
             量子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
          \ ベルクソン /  ハイデッガー
           千のプラトー>>590   (感覚)
    科学      ライプニッツ      芸術
             \|/       (印象)
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
   >>440       /|>>796      >>782
       フーコー>>817| \          
      マルクス / アンチ \ フロイト
          /・オイディプス>>853
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
           哲学とは何か?
             ヒューム

             潜在的 
           実在的◇現働的  
             可能的 

             virtualité
           réalité◇actualité
             possibilité

(潜在的なものは現働的であり得るが可能的ではあり得ない。
 そのことを明確にするために下の概念図の記載方を変えた。)

 ヒュームの原因↗︎から結果↙︎へと続く考察のどちらを重視するかで変わる。

In general, a state of affairs does not actualize a chaotic virtual without taking from it a potential that is distributed in the system of coordinates.
《一般的に言えば、〈物の状態〉は、カオスに属する潜在的なものを現働化させる場合には、かならず、ポテンシャルを、そのカオスに属する潜在的なものから借りて、それを座標系に配分するのである。》哲学とは何か#5:207

『哲学とは何か』の後半部はABCと内容が重なる。冒頭注のウィトへの記述から他者論としての認識が深まっているのもわかる。

4:59 午前  
Blogger yoji said...



ドゥルーズ体系: >>846 改
             量子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
          \ ベルクソン /  ハイデッガー
           千のプラトー>>590   
    科学      ライプニッツ     芸術
             \|/      
 【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
   >>440       /|>>796      >>782
       フーコー>>817| \          
      マルクス / アンチ \ フロイト
          /・オイディプス>>853
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
              哲学 とは何か?
             ヒューム

             潜在的 
           実在的◇現働的  
             可能的 

             virtualite
           realite◇actualite
             possibilite

(潜在的なものは現働的であり得るが可能的ではあり得ない。
 そのことを明確にするために下の概念図の記載方を(ミンコフスキー時空図モデルから)変えた。
 ヒュームは二重に解釈出来る。)

11:20 午後  
Blogger yoji said...

ドゥルーズ書簡とその他のテクスト
著者名等  ジル・ドゥルーズ/著  ≪再検索≫
著者名等  宇野邦一/訳  ≪再検索≫
著者名等  堀千晶/訳  ≪再検索≫
著者等紹介 【宇野邦一】1948年生。著書『ドゥルーズ 群れと結晶』『ドゥルーズ 流動する哲
学』他、訳書、ドゥルーズ『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』、ドゥルーズ+ガタ
リ『アンチ・オイディプス』他(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていた
ものです)
著者等紹介 【堀千晶】1981年生。著書『ドゥルーズ キーワード89』(共著)、訳書、ラプジ
ャード『ドゥルーズ 常軌を逸脱する運動』他(本データはこの書籍が刊行された当時に
掲載されていたものです)
出版者   河出書房新社
出版年   2016.8
大きさ等  20cm 400,4p
注記    原タイトル:LETTRES ET AUTRES TEXTES
NDC分類 135.5
要旨    ガタリ、フーコー、クロソウスキー、そして親しい友人たちに宛てられた哲学者の素顔を
つたえる手紙、重要なヒューム講義、『アンチ・オイディプス』についての対話などの未
刊行テクスト、生前は刊行を禁じられた初期論考を集成。
目次    書誌の計画;書簡(アラン・ヴァンソン宛て;クレマン・ロセ宛て;フランソワ・シャト
レ宛て ほか);デッサンと様々なテクスト(五つのデッサン;三つの読解―ブレイエ、
ラヴェル、ル・センヌ;フェルディナン・アルキエ『シュルレアリスムの哲学』 ほか)
;初期テクスト(女性の叙述―性をもつ他者の哲学のために;キリストからブルジョアジ
ーへ;発言と輪郭 ほか)
内容    内容:書誌の計画 堀千晶訳. 書簡 堀千晶訳. 五つのデッサン 堀千晶訳. 三つ
の読解 堀千晶訳. フェルディナン・アルキエ『シュルレアリスムの哲学』 堀千晶訳
. フェルディナン・アルキエ『デカルト、人と作品』 堀千晶訳. ヒューム講義 堀
千晶訳. ザッヘル=マゾッホからマゾヒズムへ 宇野邦一訳. ロベール・ジェラール
『重力と自由』 宇野邦一訳. 教授資格試験用講義 堀千晶訳. 愛をこめて語られた
インディオ 宇野邦一訳. ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ-レーモン・ベル
ールとの『アンチ・オイディプス』についての討論 ジル・ドゥルーズ述 フェリックス
・ガタリ述 レーモン・ベルール述 宇野邦一訳. 音楽的時間 宇野邦一訳. 『フラ
ンシス・ベーコン感覚の論理学』アメリカ版のための序文 宇野邦一訳. 女性の叙述 
宇野邦一訳. キリストからブルジョアジーへ 宇野邦一訳. 発言と輪郭 宇野邦一訳
. マテシス、科学と哲学 宇野邦一訳. ディドロ『修道女』のための序文 宇野邦一

ISBN等 4-309-24769-5
ISBN等 978-4-309-24769-4
書誌番号  3-0500411046

2:04 午前  
Blogger yoji said...


NAMs出版プロジェクト: チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』再考
http://nam-students.blogspot.jp/2015/01/blog-post_57.html

ちなみに本書はドゥルーズの初期集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』*の後半部分が最適(後に共闘するガタリは上記図を全面展開していることからもわかるように本作は後期作品にも繋がる)。




1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,selon une série de thèmes généraux:«I.De Hume à Bergson/II.Etudes classiques/III.Etudes nietzschéennes/IV.Critique et clinique/V.Esthétique/ VI.Etudes cinématographiques/VII.Etudes contemporaines/VIII.Logique du sens/IX.LAnti-Œdipe/X.Différence et répétition/XI.Milleplateaux.»

1989年書誌の計画は、ドゥルーズ書簡2016で邦訳された

現実的な出版の際のボリュームごとに分類されたものだろう
全11巻全集といったように

1:14 午前  
Blogger yoji said...


NAMs出版プロジェクト: チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』再考
http://nam-students.blogspot.jp/2015/01/blog-post_57.html

ちなみに本書はドゥルーズの初期集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』*の後半部分が最適(後に共闘するガタリは上記図を全面展開していることからもわかるように本作は後期作品にも繋がる)。




1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.LAnti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»

1989年書誌の計画は、ドゥルーズ書簡2016で邦訳された

現実的な出版の際のボリュームごとに分類されたものだろう
全11巻全集といったように

1:15 午前  
Blogger yoji said...


NAMs出版プロジェクト: チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』再考
http://nam-students.blogspot.jp/2015/01/blog-post_57.html

ちなみに本書はドゥルーズの初期集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』*の後半部分が最適。




1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.LAnti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»

1989年書誌の計画は、ドゥルーズ書簡2016で邦訳された

現実的な出版の際のボリュームごとに分類されたものだろう
全11巻全集といったように

1:16 午前  
Blogger yoji said...


書誌の計画

1 ヒュームからベルクソンヘ
 『経験論と主体性』(一九五三年)
▽几五五年の未刊の講義〔本書所収「ヒューム講義」〕
ヒューム(『哲学史』シヤトレ編)〔『無人島 
  本能と制度〔『無人島 

 『カントの批判哲学』(一丸六三年)
四つの定式……二九九六年)〔『批評と臨床』
べルクソニス万一二九六六年)〔『ベルクソンの哲学』宇波形訳、法政大学出版局、一九七四年〕
ベルクソンにおける差異の概念(⊃ヘルクソン研究』第四号、▽几五六年)兄無人島

ベルクソン 言ズノ社)⊇無人島 
‘II英語版序文(一九八八年)〔『狂人の二つの体制 

2 古典研究
 『スピノザと表現の問題』(一九六八年)
M・ゲルーの書評(『道徳・形而上学雑誌』)〔『無人島 
ネグリ『野生のアノマリー』序文ス狂人の二つの体制 }

『スピノザ、実践の哲学』(一九八丁平)
スピノザの文体について(ベンスマイアヘの書簡、▽几ハ八年)谷記号と事件』
率、二〇〇七年、「レダ・ベンスマイアヘの手紙(スピノザについて)」〕

 『奘(ライプュッツとバロック)』(一九八八年)
『リベラシオン』紙のインタビュー(八八年九月)〔『記号と事件』、「ライプュッツについて」

3 ニーチエ研究
言1千ェと哲学』(一丸六二年)〔『ニーチェと哲学』江川隆男訳、所出文庫、二〇〇八年〕
アリアドネの神秘〔『批評と臨床』第コー章]
ニーチエとノマド的思考(スリジー)〔『無人島 
莫訪販序文〔『狂人の二つの体制 }きり届凛』テクスト第二八番〕
『ニーチエ』人生と作品〔『ニーチエ』湯浅博雄訳、ちくま学芸文庫、一九九八年〕
ニーチエと迷宮〔『批評と臨床』第コー章〕
ニーチエと聖パウロ、ロレンスとョハネ〔『批評と臨床』第六章〕
力能の意志と永遠回帰(ロワイョモン)〔『無人島 

5 批評と臨床
『ザツヘル‥マゾツホ紹介』(一九六七年)〔『マゾッホとサド』

『プルーストとシーニュ』
プルーストにつレての円卓討議〔『狂人の二つの体制 届Jム冶だテクスト第三番一

『カフカ』二九七元年)几カフ力マイナー文学のために』
ルイス・キャロルに関する短いテクストニ篇□批評と臨床』第三章〕
ウルフソン、序文言批評と臨床』第二章」
〔計画)

5 美学
 『感覚の論理学、ベーコン』(一九九一年)
冷たいものと熱いもの、フロマンジエ ⊇鉦四人島

『重合、ベーネ』(一丸七九牛)
ベーネと声に関する短いテクスト〔『狂人の二つの体制 届Jニ冶とテクスト第二四番】

怪物、フリンカー(そして病室)士Tyサン〔本書所収「五つのデ。サン」〕
采のyKス狂人の二つの体制 芯ぷニ岳批テクスト第コ八番、本書所収「音楽的時間こ
I?ブーレーズでブルースト、時間〔『狂人の二つの体制
II声がテクストにもたらすもの……て八七年一一月)言。狂人の二つの体制 
推理小説について(一丸六六年)凪無人島 }凛?応―』テクスト第一一番〕

5 映画研究
 『運動イメージ』(一九八三年)兄シネマー*運動イメージ』財津理・斎藤範訳、法政大学出版局、二〇
〇八年】
植樹者の技芸(サンチャゴ)〔『無人島 芯忿―芯j』テクスト第三九番]
ベケットの『フィルム』ス美学雑誌』特別号)〔『批評と臨床』第四章〕
 『6×2』をめぐる3つの問い(『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌)〔『記号と事件』、「『6×2』をめぐる三つの問い』
『リベラシオン』紙の書簡(八三年ス」)月)〔『狂人の二つの体制 
『カイエ〔・デュ・シネマ言語のインタビュー(八三年一〇月)言記号と事件』、「『運動イメー
ジ』 について」〕
  英語版『運動イメージ』序文〔『狂人の二つの体制 }きり芯j』テクスト第三八番〕

 『時間イメージ』(一九八五年)スシネマ2*時間イメージ』宇野邦一・石原陽一郎・汪洋健一郎・大原
理志・岡村民夫訳、法政大学出版局、二〇〇六年〕
「結晶イメージ」(『枠外』誌、∇几八六年)〔『記号と事件』、「想像界への疑義土
『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌のインタビュー〔『狂人の二つの体制 }冶?芯凛』

『シネマ』詰のインタビュー〔『記号と事件』、「『時間イメージ』について土
セルジュ・ダネヘの手紙〔『記号と事件』、「セルジュ・ダネヘの手折」〕
FEMISでの講演
映画におけるアイデアが浮かぶこと(一九八七年)(創造するとは何か)
(『狂人的一言の体制 屈ごム冶J』テクスト第四五番〕
  英語版序文(一丸八八年)ス狂人の一言の体制 ←冶?届凛』テクスト第五二番〕

7 現代研究
 『対話』(一九七七年)〔『ディアローグドゥルーズの思想』江川隆男・増田靖彦訳、
クレソールヘの手紙〔『記号と事件』、「口さがない批評家への手紙ヒ
『口ートル・ジュルナル』詰のインタビュー(一丸八五年)言記号と事件』、「仲介者土
‐‐?英語版序文〔『狂人の二つの体制 ←冶?}冶J』テクスト第四三番】 
『マガジン〔・リテレール言詰の対談(一九八八年)〔『記号と事件』、「哲学について
主体について、英語で発表(『トポイ』詰)几狂人の二つの体制 

『フーコー』(一九九六年)
ミシェル・フーコーとの対談、『ラルク』詰〔『無人島 
ドンズロ『家族に介入する社会』序文〔『狂人の二つの体制 
フーコーをめぐるテクスト三篇?―(a)〔『記号と事
件』、「芸術作品としての生」〕、(b)『リベラシオン』紙〔『記号と事件』、「物を切り裂き、言葉を切り
裂く」】、(c)『ロートル・ジュルナル』詰〔『記号と事件』、「追伸  管理社会についてサ
ーー装置とは何か(シンポジウム)〔『狂人の二つの体制 

アラファトの偉大(『パレスチナ研究』誌)〔『狂人の二つの体制』テクスト第三四番〕
フランソワ・シャトレの哲学についての命題(一丸八七年)(『ペリクレスとヴェルディ』)「『ペリクレスとヴェルディ』丹生谷貴志訳、『ドゥルーズ・コレクション11』所収、河出文庫、二〇一五年】

何を構造主義として認めるか〔『無人島 

8 『意味の論理学』
  凪意味の論理学』小泉義之訳、所出文庫、上下巻、二〇〇七年】
加えてessaigd)ointD,

9 『アンチ・オイディプス』
 〔ガタリ】『精神分析と横断性』序文〔『無人島
才ッカンガムヘの序文〔『無人島 届忿‐芯j』テクスト第三八番〕
精神分析と政治〔『無人島 }ま?ぶ公』テクスト第三六斎、『狂人の二つの体制 
フェリツクスとの対談、『ラルク』誌〔『記号と事件』、「フェリックス・ガタリとともに『アンチ・オイディプス』を語る」〕
ーー分裂症、訟宍言、砂ぷ尽~胎〔『狂人の二つの体制

10 『差異と反復』
ドラマ化の方法〔『無人島 ←凛?芯―』
無人島につレての考察(井∇几五〇)〔『無人島 }原?石―』
英語版序文〔『狂人の二つの体制 }

11 『千のプラトー』
リベラシオン紙のインタビュー〔『記号と事件』、「『千のプラトー』を語る」〕
イタリア語版序文〔『狂人の二つの体制 }冶y芯凛』テクスト第四門番〕


編者注
* 書誌の計画は、おそらく一九八九年に外国の出版社のために執筆された。挙げられたテクストはすべて、ド。ルーズ自身による書物
(『記号と事件』、『批評と臨床』)、あるいは死後にまとめられた論集のいずれか(『無人島とその他のテクスト(一九五三‐一一九七四年)』、
『狂人の二つの体制(一九七五一一九九五年)』〔両著の一部は『ドウルーズ・コレクション』IH、宇野郎一編、所出文庫、二〇一五年
にも収録されている一、あるいは本書に再録されている。




________________

8:31 午前  
Blogger yoji said...


エリアス・サンバール宛て
八五年七月一五日 月曜日



1 『ザッヘル・マゾョホ紹介』(巴・}兄ぶ)
 「法、ユーモア、アイロニー」ワごを←こ○三一一 一回頁。

2 『カフカ』
「法と内在」っ込7凛言○一‐一〇四百(「印←こ日{汗9srFヽし司法が表象されるがままにならない
のは……」から「:・{o豆呂rs ddPlac&s/……欲望の連続体である」まで)。

3 『アンチ・才イディプこ
  「無意識は刺果てはなく工場である……」(冒頭部、タフ}池上巻・一五一二七頁)。

4 『千のプラトー』
  (1)「古典主義、ロマン主義、現代芸術」ツふEムば、中巻・三七固一三人七百(「(y~乱呂召「←・所
  E乙訃ョ・し古典主義について語られるとき:・・:」からご:ぎj咽m?o町……五目が旅をすることもある」
  まで)。
  (2)「ノマドロジー」ツ九}ムペ史下巻・六九『七固百(「に呂∃L・Q呂一犬7汗olし遊牧民は領土を持
  ち……」から「1a glace, la “1“/局所的絶対において存在するのである」まで)と、P.482488/下巻・八
  四一九三百(「召yEn・t訃ら由来する緊張なのである」まで)。
  (3)「樹木とリゾーム」フばこ堅固〇二九二百(「La Pens&11'est P15 ajrbol;6(:ot‘2.../{考は樹木状ではな
  く……」から「...toutes sortes de devenirs/……ありとあらゆる種類の生成変化である」まで)。

5 『運動イメージ』
「二つの空間類型、黒藻と溝戸」ッツヤツミ三二七一三三一頁(「La Peinture chinoiseし中国と日本の絵
画は……」 からフ:毛n孔呂de sorci&re/……仕立てあげているからである」まで)と、に乙ら乙こ二三五
△二三七頁(「にマL←吊し黒藻明と溝口健二の対照は……」から|‐‐‐quelques mois Plus tard/……庭を
見る」まで)と、に言心ぶこ二三八一三四〇頁(「(Jnコぞ訟7乙已夕~しそれは、異質な七のたちを……」
から「mis au monde/幾度七道レ払う」まで)。

6『プルースト〔とシーュュ言(第七章)
  フ記号の分類」ツ}己二回こ○五丿一コー頁(「P(ruvre d'art elle‐m&me/することができるのである」ま
  で)。

7 『ニーチエと哲学』
  「怨恨」『・にF}と、二二二‐二三二百。

8 『スピノザ、実践の哲学』
  「スピノザと生」P. 3743/目七一五目頁(「SiFhh置ue et la Morale.../〈生態の倫理〉と〈道徳〉とが
  ……」一から)。

9 『意味の論理学』
  (1)Tフラトン主義とは何か」7に冶ら凛、下巻・一三三一一三八頁(|renversement du Platonisme/この
  方角を定めたのではない午」まで)。
  (2)入叩題とは何か」P.22‐35/上巻・三五‐五三百(「BeaucouP d'auteurs.../多くの著者は……」から)。

10『差異と反復』
  「思考の要請」ツ←J二百、上巻・三五円―三六九頁こ ̄11 est vain de Pr&e11&(j.../そうした歪曲化するィマ
  ーブュを……」からドbeaucouP Plus g&&11/……第一歩だったのである」まで)と、ツ芯ヤ回々上
  巻・三九六一円∇八真]'erreur est le n@atiE../誤謬は普遍的本性タル……」から「 ̄image doF13tiq9&
  1a Pens&/厄介払レする昌要がでてくる」まで)。

a.エリアス・サンバールとパレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュが圭導した計画は、ドゥルーズ自身によって選び出されたテ
クストのアンソロジーを出発点として、アラブの読者にドゥルーズの思想を知らしめようとするものであった。このアンソロジーは、当
時ダルウィーシュが編集してした雑誌j/jGgj/に一部掲載された


8:32 午前  
Blogger yoji said...




書誌の計画(引用者:単著のみ抜粋、かなり恣意的に省略した)

1 ヒュームからベルクソンヘ
 『経験論と主体性』(一九五三年)
▽几五五年の未刊の講義〔本書所収「ヒューム講義」〕

 『カントの批判哲学』(一丸六三年)
四つの定式……二九九六年)〔『批評と臨床』

べルクソニス万一二九六六年)〔『ベルクソンの哲学』宇波形訳、法政大学出版局、一九七四年〕
ベルクソンにおける差異の概念(⊃ヘルクソン研究』第四号、▽几五六年)兄無人

2 古典研究
 『スピノザと表現の問題』(一九六八年)
『スピノザ、実践の哲学』(一九八丁平)
 『奘(ライプュッツとバロック)』(一九八八年)
『リベラシオン』紙のインタビュー(八八年九月)〔『記号と事件』、「ライプュッツについて」

3 ニーチエ研究
言1千ェと哲学』(一丸六二年)〔『ニーチェと哲学』江川隆男訳、所出文庫、二〇〇八年〕
『ニーチエ』人生と作品〔『ニーチエ』湯浅博雄訳、ちくま学芸文庫、一九九八年〕

5 批評と臨床
『批評と臨床』
『ザツヘル‥マゾツホ紹介』(一九六七年)〔『マゾッホとサド』
『プルーストとシーニュ』
『カフカ』二九七元年)几カフ力マイナー文学のために』

5 美学
 『感覚の論理学、ベーコン』(一九九一年)
『重合、ベーネ』(一丸七九牛)

5 映画研究
 『運動イメージ』(一九八三年)
植樹者の技芸(サンチャゴ)〔『無人島 芯忿―芯j』テクスト第三九番]
ベケットの『フィルム』ス美学雑誌』特別号)〔『批評と臨床』第四章〕
 『6×2』をめぐる3つの問い(『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌)〔『記号と事件』
  英語版『運動イメージ』序文〔『狂人の二つの体制 }きり芯j』テクスト第三八番〕

 『時間イメージ』(一九八五年)スシネマ2*時間イメージ』
「結晶イメージ」(『枠外』誌、∇几八六年)〔『記号と事件』、「想像界への疑義土
『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌のインタビュー〔『狂人の二つの体制 }

7 現代研究
 『対話』(一九七七年)〔『ディアローグドゥルーズの思想』江川隆男・増田靖彦訳、
クレソールヘの手紙〔『記号と事件』、「口さがない批評家への手紙ヒ

『フーコー』(一九九六年)
ミシェル・フーコーとの対談、『ラルク』詰〔『無人島 

アラファトの偉大(『パレスチナ研究』誌)〔『狂人の二つの体制』テクスト第三四番〕
フランソワ・シャトレの哲学についての命題(一丸八七年)(『ペリクレスとヴェルディ』)「『ペリクレスとヴェルディ』丹生谷貴志訳、『ドゥルーズ・コレクション11』所収、河出文庫、二〇一五年】

何を構造主義として認めるか〔『無人島 

8 『意味の論理学』

9 『アンチ・オイディプス』

10 『差異と反復』
ドラマ化の方法〔『無人島 
英語版序文〔『狂人の二つの体制 }

11 『千のプラトー』
リベラシオン紙のインタビュー〔『記号と事件』、「『千のプラトー』を語る」〕
イタリア語版序文〔『狂人の二つの体制 }冶y芯凛』テクスト第四門番〕


編者注
* 書誌の計画は、おそらく一九八九年に外国の出版社のために執筆された。…




________________



(1985年アラブ人向け、アンソロジー案)

エリアス・サンバール宛て
八五年七月一五日 月曜日



1 『ザッヘル・マゾョホ紹介』
2 『カフカ』
3 『アンチ・才イディプス』
4 『千のプラトー』
  (1)「古典主義、ロマン主義、現代芸術」
  (2)「ノマドロジー」ツ九}
  (3)「樹木とリゾーム」
5 『運動イメージ』「二つの空間類型、黒藻と溝戸」…)。
6『プルースト〔とシーュュ言(第七章)
7 『ニーチエと哲学』
8 『スピノザ、実践の哲学』
9 『意味の論理学』
  (1)Tフラトン主義とは何か」7に冶ら凛、下巻・
  (2)入叩題とは何か」
10『差異と反復』「思考の要請」

a.エリアス・サンバールとパレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュが圭導した計画は、ドゥルーズ自身によって選び出されたテ
クストのアンソロジーを出発点として、アラブの読者にドゥルーズの思想を知らしめようとするものであった。…

8:48 午前  
Blogger yoji said...



書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より。単著のみ抜粋)

1 ヒュームからベルクソンヘ
 『経験論と主体性』(一九五三年)
 一九五五年の未刊の講義〔『ドゥルーズ書簡』「ヒューム講義」〕
 ヒューム(『哲学史』シャトレ編)〔『無人島』22〕
 本能と制度〔『無人島』3〕

 『カントの批判哲学』(一九六三年)
 四つの定式……(一九八六年)〔『批評と臨床』第5章〕

 べルクソニスム(一九六六年)〔『ベルクソンの哲学』〕
 ベルクソンにおける差異の概念(一九五六年)〔『無人島』5〕
 ベルクソン〔『無人島』4〕
 英語版序文(一九八八年)〔『狂人の二つの体制』49〕

2 古典研究
 『スピノザと表現の問題』(一九六八年)
 M・ゲルーの書評(『道徳・形而上学雑誌』)〔『無人島』20〕
 ネグリ『野生のアノマリー』序文〔『狂人の二つの体制』25〕

 『スピノザ、実践の哲学』(一九八一年)
 スピノザの文体について(ベンスマイアヘの書簡、一九八八年)〔『記号と事件』「レダ・ベンスマイアヘの手紙(スピノザについて)」〕

 『襞(ライプニッツとバロック)』(一九八八年)
 『リベラシオン』紙のインタビュー(一九八八年九月)〔『記号と事件』「ライプニッツについて」〕

3 ニーチェ研究
 『ニーチェと哲学』(一九六二年)
 アリアドネの神秘〔『批評と臨床』第12章〕
 ニーチェとノマド的思考〔『無人島』34)
 英語版序文〔『狂人の二つの体制』28〕
 『ニーチェ』人生と作品〔『ニーチェ』ちくま学芸文庫〕
 ニーチェと迷宮〔『批評と臨床』第12章〕
 ニーチェと聖パウロ、ロレンスとヨハネ〔『批評と臨床』第6章〕
 力能の意志と永遠回帰(ロワイヨモン)〔『無人島』15〕

4 批評と臨床
 『ザッヘル=マゾッホ紹介』(一九六七年)〔『マゾッホとサド』〕
 『プルーストとシーニュ』[(一九六四年,一九七四年)]
 『カフカ』(一九七五年)〔『カフカ--マイナー文学のために』〕
 ルイス・キャロルに関する短いテクスト二篇〔『批評と臨床』第3章〕
 ウルフソン、序文〔『批評と臨床』第2章〕
 (計画)

5 美学
 『感覚の論理学、ベーコン』(一九九一年)
 冷たいものと熱いもの、フロマンジェ〔『無人島』33〕
 『重合、ベーネ』(一九七九年)
 ベーネと声に関する短いテクスト〔『狂人の二つの体制』24〕
 怪物、フリンカー(そして病室)=デッサン〔『書簡』所収「五つのデッサン」〕
 IRCAM〔『狂人の二つの体制』16、『書簡』所収「音楽的時間」〕
 ブーレーズでブルースト、時間〔『狂人の二つの体制』41〕
 声がテクストにもたらすもの……(八七年一一月)〔『狂人の二つの体制』46〕
 推理小説について(一九六六年)〔『無人島』11〕

6 映画研究
 『運動イメージ』(一九八三年)
 植樹者の技芸〔『無人島』39〕
 ベケットの『フィルム』〔『批評と臨床』第4章〕
 『6×2』をめぐる3つの問い(『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌)〔『記号と事件』〕
 『リベラシオン』紙の書簡(八三年一〇月)〔『狂人の二つの体制』29〕
 『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌のインタビュー(八三年一〇月)『記号と事件』「『運動イメージ』について」〕
 英語版『運動イメージ』序文〔『狂人の二つの体制』38〕

 『時間イメージ』(一九八五年)〔『シネマ2*時間イメージ』〕
 「結晶イメージ」(『枠外』誌、一九八六年)〔『記号と事件』「想像界への疑義」〕
 『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌のインタビュー〔『狂人の二つの体制』40〕
 『シネマ』誌のインタビュー〔『記号と事件』「『時間イメージ』について」〕
 セルジュ・ダネヘの手紙〔『記号と事件』「セルジュ・ダネヘの手紙」〕
 FEMISでの講演--映画におけるアイデアが浮かぶこと(一九八七年)(創造するとは何か)
〔『狂人の二つの体制』45〕
  英語版序文(一九八八年)〔『狂人の二つの体制』52〕

7 現代研究
 『対話』(一九七七年)〔『ディアローグ ドゥルーズの思想』〕
 クレソールヘの手紙〔『記号と事件』「口さがない批評家への手紙』〕

 『フーコー』(一九九六年)
 ミシェル・フーコーとの対談〔『無人島』26〕
 ドンズロ『家族に介入する社会』序文〔『狂人の二つの体制』10〕
 フーコーをめぐるテクスト三篇―
  (a)『ヌーヴェル・ロプセルヴァトゥール』誌〔『記号と事件』「芸術作品としての生」〕、
  (b)『リベラシオン』紙〔『記号と事件』「物を切り裂き、言葉を切り裂く」〕、
  (c)『ロートル・ジュルナル』誌〔『記号と事件』「追伸 管理社会について」〕
 装置とは何か(シンポジウム)〔『狂人の二つの体制』50〕

 アラファトの偉大〔『狂人の二つの体制』34〕
 フランソワ・シャトレの哲学についての命題(一九八七年)(『ペリクレスとヴェルディ』)〔『ドゥルーズ・コレクション2』所収、河出文庫〕

 何を構造主義として認めるか(一九七二年)〔『無人島』23〕

8 『意味の論理学』(一九六九年)
  加えて essais “Points”

9 『アンチ・オイディプス』(一九七二年)
 〔ガタリ〕『精神分析と横断性』序文〔『無人島』24〕
 オッカンガムヘの序文〔『無人島』38〕
 精神分析と政治〔『無人島』36、『狂人の二つの体制』8〕
 フェリックスとの対談、『ラルク』誌〔『記号と事件』「フェリックス・ガタリとともに『アンチ・オイディプス』を語る」〕
 分裂症〔『狂人の二つの体制』2〕

10『差異と反復』(一九六八年)
 ドラマ化の方法〔『無人島』14〕
 無人島についての考察(一九五〇)〔『無人島』1〕
 英語版序文〔『狂人の二つの体制』42〕

11 『千のプラトー』(一九八〇年)
 リベラシオン紙のインタビュー〔『記号と事件』「『千のプラトー』を語る」〕
 イタリア語版序文〔『狂人の二つの体制』44〕

編者注
* 書誌の計画は、おそらく一九八九年に外国の出版社のために執筆された。…

(389頁の訳者による解説文「後期」参照)

6:28 午後  
Blogger yoji said...

『無人島(上)』「はじめに」編者注でその存在が知られていた「書誌の計画」*1989は、
『ドゥルーズ書簡…』2016で完全版が邦訳された(と言っても単に著作リストだが)。


1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.LAnti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»

現実的な出版の際のボリュームごとに分類されたものだろう。全11巻全集といったように。
1985年の同種のリストも所収されているがまだ未整理(134頁)。
両者を比べると『批評と臨床』がプルーストやカフカを包括するようになったことがわかる。

書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より。単著のみ抜粋)

1 ヒュームからベルクソンヘ
 『経験論と主体性』
 『カントの批判哲学』
 『ベルクソンの哲学』

2 古典研究
 『スピノザと表現の問題』
 『スピノザ、実践の哲学』
 『襞(ライプニッツとバロック)』

3 ニーチェ研究
 『ニーチェと哲学』
 『ニーチェ』人生と作品〔『ニーチェ』ちくま学芸文庫〕

5 批評と臨床
 『ザッヘル・マゾッホ紹介』〔『マゾッホとサド』〕
 『プルーストとシーニュ』、
 『カフカ』〔『カフカ--マイナー文学のために』〕

5 美学
 『感覚の論理学、ベーコン』
 『重合、ベーネ』

5 映画研究
 『運動イメージ』
 ベケットの『フィルム』〔『批評と臨床』〕
 『6×2』をめぐる3つの問い〔『記号と事件』〕
 英語版『運動イメージ』序文〔『狂人の二つの体制』〕

 『時間イメージ』
 「結晶イメージ」〔『記号と事件』「想像界への疑義」〕
 『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌のインタビュー〔『狂人の二つの体制』〕
 [英語版序文(一九八八年)]

7 現代研究
 『対話』〔『ディアローグ』〕
 クレソールヘの手紙〔『記号と事件』「口さがない批評家への手紙」〕
 『フーコー』、ミシェル・フーコーとの対談〔『無人島』〕
 アラファトの偉大〔『狂人の二つの体制』〕
 何を構造主義として認めるか〔『無人島』〕

8 『意味の論理学』

9 『アンチ・オイディプス』

10『差異と反復』

11 『千のプラトー』

7:08 午後  
Blogger yoji said...


『無人島(上)』「はじめに」編者注*でその存在が知られていた「書誌の計画」1989は、
『ドゥルーズ書簡…』2016で完全版が邦訳された(と言っても単に著作リストだが)。


1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,
selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.LAnti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»

現実的な出版の際のボリュームごとに分類されたものだろう。全11巻全集といったように。
1985年の同種のリストも所収されているがまだ未整理(134頁)。
両者を比べると『批評と臨床』がプルーストやカフカを包括するようになったことがわかる。

書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より。項目のみ抜粋)

 1 ヒュームからベルクソンヘ
 2 古典研究(スピノザ、ライプニッツ)
 3 ニーチェ研究
 4 批評と臨床(マゾッホとサド、プルーストとシーニュ、カフカ)
 5 美学(ベーコン、ベーネ)
 6 映画研究(運動、時間)
 7 現代研究(フーコー、アラファト、構造主義)
 8 意味の論理学
 9 アンチ・オイディプス
10 差異と反復
11 千のプラトー

7:17 午後  
Blogger yoji said...

『無人島(上)』「はじめに」編者注*でその存在が知られていた「書誌の計画」1989は、
『ドゥルーズ書簡…』2016で完全版が邦訳された(と言っても単に著作リストだが)。


1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,
selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.LAnti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»

現実的な出版の際のボリュームごとに分類されたものだろう。全11巻全集といったように。
1985年の同種のアンソロジー用リスト(134頁)と比べると『批評と臨床』がプルーストやカフカを
包括するようになったことなどがわかる。

書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より。項目のみ抜粋)

 1 ヒュームからベルクソンヘ
 2 古典研究(スピノザ、ライプニッツ)
 3 ニーチェ研究
 4 批評と臨床(マゾッホとサド、プルーストとシーニュ、カフカ)
 5 美学(ベーコン、ベーネ)
 6 映画研究(運動、時間)
 7 現代研究(フーコー、アラファト、構造主義)
 8 意味の論理学
 9 アンチ・オイディプス
10 差異と反復
11 千のプラトー

7:19 午後  
Blogger yoji said...

『無人島(上)』「はじめに」編者注*でその存在が知られていた「書誌の計画」1989は、
『ドゥルーズ書簡…』2016で完全版が邦訳された(と言っても単に著作リストだが)。


1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,
selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.LAnti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»

1985年の同種のアンソロジー用リスト(134頁)と比べると『批評と臨床』がプルーストやカフカを
包括するようになったことなどがわかる。

書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より。項目のみ抜粋)

 1 ヒュームからベルクソンヘ
 2 古典研究(スピノザ、ライプニッツ)
 3 ニーチェ研究
 4 批評と臨床(マゾッホとサド、プルーストとシーニュ、カフカ)
 5 美学(ベーコン、ベーネ)
 6 映画研究(運動、時間)
 7 現代研究(フーコー、アラファト、構造主義)
 8 意味の論理学
 9 アンチ・オイディプス
10 差異と反復
11 千のプラトー

7:22 午後  
Blogger yoji said...

『無人島(上)』「はじめに」編者注*でその存在が知られていた「書誌の計画」1989は、
『ドゥルーズ書簡…』2016で完全版が邦訳された。


1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,
selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.LAnti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»

書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より。項目のみ抜粋)

 1 ヒュームからベルクソンヘ
 2 古典研究(スピノザ、ライプニッツ)
 3 ニーチェ研究
 4 批評と臨床(マゾッホとサド、プルーストとシーニュ、カフカ)
 5 美学(ベーコン、ベーネ)
 6 映画研究(運動、時間)
 7 現代研究(フーコー、アラファト、構造主義)
 8 意味の論理学
 9 アンチ・オイディプス
10 差異と反復
11 千のプラトー

7:22 午後  
Blogger yoji said...


《…ソクラテスの死においてすら、鬱病的な自殺のようなものがある。

…プラトン哲学の羽ばたきに対する、前ソクラテス学派の斧の一撃。

…前ソクラテス学派の哲学は、まさに哲学的な精神分裂病であり、
身体と思考のなかに穿たれた絶対の深層であって、それがニーチェに
先立ってヘルダーリンにエンペドクレスを発見させたのである。》

LS#18

ーーーーー
ABC
R抵抗


 芸術が力及ばぬこともあります レ一ヴィは自殺しました
 ずっとあとになってからですが
彼個人は自殺した
彼は衝撃に耐えきれず 彼個人の生に終止符をった
でも 彼の書いた4頁 12頁 いや100頁の文書は残り一
永遠の抵抗であり続ける 起きてしまったことに対するね
私が人間であることの 恥と言うのは一
レ一ヴィが言うような 壮大な意味においてばかりではない
あえてこんなことを言うのは一
私たちの日々の暮らしの中に一
人間であることの恥を思い知らされる 些細な出来事があるからだ
誰かの下劣な言動を前にした時 事を荒立てずに済ますと一
彼に対して また自分自身に対して 恥ずかしい思いをする
相手の言動を認め 妥協したことになるからね
もし"お前の発言は卑劣だ"と 抗議しても一
喧嘩になって 相手の思う壺になる
アウシュヴィッツと 比ベるベくもないが一
些細な次元でも 人間であることの恥 というものはある
そうした恥こそが 芸術をやる理由だ
そうとしか言えないよ

7:40 午後  
Blogger yoji said...

《ジル・ドゥルーズのわかりやすい言葉でいえば、この現実のほかにいろんな可能性があるということではなく、ほかならぬこの現実が潜在性においていかに多層的で豊かであるかを発見することが重要なんだ、と。そこのところを、そのあとで出てきたSFやアニメやコンピュータ・ゲームの類は全部間違えている。(略)本当はこの現実しかない、言い換えればメタロジックなんてものはないんだから。》浅田彰

http://frequency123.tumblr.com/post/144546614 リンク切れ
「オウムとは何だったのか」 『諸君! 1995年8月号』(文藝春秋)所収
http://d.hatena.ne.jp/kataru2000/20060616
『「オウム事件」をどう読むか』 (文藝春秋)再録 リンク切れ


この浅田の発言に呼応するものとして、以下の言説がある。
《クリプキが現実社会から出発して可能世界を考えるとき、その現実社会とは、素朴な経験的世界ではなく、すでに可能性から見られた現実性の世界である。ここに一種の循環がある。クリプキの批判者はこの論理的循環を衝く。しかし、この循環は、「現実性」が「可能性」なしに考えられないということにすぎない。最初にのべた多数世界論に欠けているのは、この現実性なのである。》(『探究2』(単行本版p52)

9:49 午後  
Blogger yoji said...

“私たちに欠如しているのは、真に一般的に言えば、《東洋》の微粒子であり、《禅》の穀粒である。”

― ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ 『ディアローグ』 (2011)

9:04 午前  
Blogger yoji said...

ドゥルーズの黒澤明論は空間論になっていて
シネマ1ではより詳しく溝口と対比する形になっている

ちなみにフランスの当時の映画批評業界では
溝口派と黒澤派のように派閥があったがドゥルーズが軽やかに飛び越えてみせたのは
新鮮だった

シネマ1,2が示すのはドゥルーズにとって1968年より第二次大戦の方が本質的変化として
決定的だったということ

映画が思考のモデルを提示し得るということは、実存と本質がそれぞれ同時にあるという
サルトル的なスピノザ理解を更新する

10:11 午前  
Blogger yoji said...

ドゥルーズの黒澤明論は空間論になっていて
シネマ1ではより詳しく溝口と対比する形になっている

ちなみにフランスの当時の映画批評業界では
溝口派と黒澤派のように派閥があったがドゥルーズが軽やかに飛び越えてみせたのは
新鮮だった

シネマ1,2が示すのはドゥルーズにとって1968年より第二次大戦の方が本質的変化として
決定的だったということ
この観点からはさらに小津が重要視される

映画が思考のモデルを提示し得るということは、実存と本質がそれぞれ同時にあるという
サルトル的なスピノザ理解を更新する

10:12 午前  
Blogger yoji said...

ドゥルーズの黒澤明論は空間論になっていて
シネマ1ではより詳しく溝口と対比する形になっている

ちなみにフランスの当時の映画批評業界では
溝口派と黒澤派のように派閥があったがドゥルーズが軽やかに飛び越えてみせたのは
新鮮だった

シネマ1,2が示すのはドゥルーズにとって1968年より第二次大戦の方が本質的変化として
決定的だったということ
この観点からはさらに小津が重要視される

こうした映画が思考のモデルを提示し得るということは、実存と本質がそれぞれ同時にあるという
サルトルを反面教師としたスピノザ理解を更新する

10:14 午前  
Blogger yoji said...

ドゥルーズの黒澤明論は空間論になっていて、シネマ1ではより詳しく溝口と対比する形になっている

ちなみにフランスの当時の映画批評業界では溝口派と黒澤派のように派閥があったが
ドゥルーズが軽やかに飛び越えてみせたのは新鮮だった

シネマ1,2が示すのはドゥルーズにとって1968年より第二次大戦の方が本質的変化として
決定的だったということ
この観点からはさらに小津が重要視される

こうした映画が思考のモデルを提示し得るということは、実存と本質がそれぞれ同時にあるという
サルトルを反面教師としたスピノザ理解を更新する

10:15 午前  
Blogger yoji said...

ドゥルーズの黒澤明論は空間論になっていて
シネマ1ではより詳しく溝口と対比する形になっている

ちなみにフランスの当時の映画批評業界では
溝口派と黒澤派のように派閥があったがドゥルーズが軽やかに飛び越えてみせたのは
新鮮だった

シネマ1,2が示すのはドゥルーズにとって1968年より第二次大戦の方が本質的変化として
決定的だったということ
この観点からドゥルーズはさらに小津を重要視する

こうした映画が思考のモデルを提示し得るということは、実存と本質がそれぞれ同時にあるという
サルトルを反面教師としたスピノザ理解を更新する

10:17 午前  

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