水曜日, 1月 06, 2016

フーコー『狂気の歴史』 Foucault, Michel . Histoire de la folie à l'âgeclassique .1961

   (リンク::::::::::行動システム監視社会思考集成言葉と物性の歴史ドゥルーズ『フーコー』

フーコー『狂気の歴史』 Foucault, Michel . Histoire de la folie à l'âgeclassique .1961

NAMs出版プロジェクト: フーコーと行動システム(『カントの人間学』書評付き)
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_13.html?showComment=1452142764985


《ブルジョア的意識にとっては、悪評(スキャンダル)ということがその意識の至高権を行使する道具の一つとなる。》
フーコー『狂気の歴史』 邦訳469頁3:3,参考:464頁

《神は女だ。人はそこから何かを奪う》
《批判しかしない人間を批判する罠にハマるな》
《名声は呪いだ》by ボブ・ディラン

こうしたディランのアルカイックな発想と思考をフーコーは補強し得る。




ブルジョア的スキャンダルの装置はメディアという噂話を変換し、伝達する機能が不可欠である。ダビデとバテシバの
密通もスキャンダルであるが、それは新聞というメディアを通してユダヤ人に浸透したわけではない。ダビデが恐れたの
は神であって、世間ではない。道徳は神の死により、ニヒリズムの状態に陥り、スキャンダルがブルジョアの道徳基準で
ある。新聞は話題になり、発行部数を増やすために、スキャンダルを追い求め、ブルジョアはそれによって好奇心を満足
させる。近代の道徳は新聞によって規定される。近代小説はそうしたブルジョア道徳的な新聞の三面記事やゴシップ記事
の延長であり、ギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』が示している通り、スキャンダルを取りあげ、作品な
らびに作者をもスキャンダル(悪の見せしめ)の渦に巻きこむ。
監禁は姿を変え、反対に…

《ブルジョア的意識にとっては、悪評(スキャンダル)ということがその意識の至高権を行使する道具の一つとなる。》
フーコー『狂気の歴史』 邦訳469頁3:3,参考:464頁




http://infoseek_rip.g.ribbon.to/hpcunknown.hp.infoseek.co.jp/unpublished/woman.html


 木部を有名にし、葉子と蔵地を破滅に追いこんだのは新聞である。新聞はブルジョア社会において重要な役割を果たしている。ミシェル・フーコーは、『狂気の歴史』において、一八世紀以降、西欧ではスキャンダルがブルジョアのモラルを強化する道具として使われていたと指摘する。王侯貴族は直接的な暴力によって人々を抑圧したが、ブルジョアはスキャンダルによって自分たちのモラリティへの反逆者を抑圧・排除する。

「祖先のうちで奴隷でなかった者もなかったし、奴隷の祖先のうちで王でなかった者はいなかった」(ヘレン・ケラー『わたしの生涯』)。近代では、それを賞賛されるべき過去なのか非難されるべきものなのかは新聞次第である。「わたしたちはたくさんの嘘をまことしやかに話すこともできますが、しかしまたその気になれば、わたしたちは真実をも話すことができるのです」(ヘシオドス『神々の誕生』)。ブルジョア的スキャンダルの装置はメディアという噂話を変換し、伝達する機能が不可欠である。ダビデとバテシバの密通もスキャンダルであるが、それは新聞というメディアを通してユダヤ人に浸透したわけではない。ダビデが恐れたのは神であって、世間ではない。道徳は神の死により、ニヒリズムの状態に陥り、スキャンダルがブルジョアの道徳基準である。新聞は話題になり、発行部数を増やすために、スキャンダルを追い求め、ブルジョアはそれによって好奇心を満足させる。近代の道徳は新聞によって規定される。近代小説はそうしたブルジョア道徳的な新聞の三面記事やゴシップ記事の延長であり、ギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』が示している通り、スキャンダルを取りあげ、作品ならびに作者をもスキャンダルの渦に巻きこむ。

狂気の歴史 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%82%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
『狂気の歴史』(フランス語: Histoire de la folie à l'âge classique 1961年)とは西欧の歴史において狂気を扱った思想、制度、芸術などについて考察したミシェル・フーコーの著作。フランス語の教師をしていたスウェーデンのウプサラで第一稿が書かれたが(ウプサラ大学図書館の医学文庫が重要な役割を果たした)、スウェーデンにおける博士論文提出を拒否され、その後ワルシャワ、パリで完成された。『狂気の歴史』はソルボンヌ大学に博士論文として提出され(審査員はジョルジュ・カンギレム、ダニエル・ラガーシュ)、同時に『狂気と非理性、古典主義時代における狂気の歴史』というタイトルで1961年にプロン社から出版された。出版された本書に対して、フェルナン・ブローデル、モーリス・ブランショは熱烈な賛辞を送っている。その後、1972年、初版の序文を削除し、「狂気、作品の不在」とデリダへの返答「私の身体、この紙、この炉」を追加した現在の版『古典主義時代における狂気の歴史』が、ガリマール社「歴史学叢書」から再刊された[1]。


Foucault, Michel『狂気の歴史――古典主義時代における』
http://www.arsvi.com/b1900/6100fm.htm

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『狂気の歴史――古典主義時代における』

Foucault, Michel 1961 Histoire de la folie à l'âge classique, Plon.
=197502 田村 俶訳,『狂気の歴史――古典主義時代における』,新潮社,621p.

このHP経由で購入すると寄付されます

■Foucault, Michel 1961 Histoire de la folie à l'âge classique, Plon → 1972, 増補版=197502 田村 俶 訳,『狂気の歴史――古典主義時代における』,新潮社,621p. ISBN-10: 4105067028 ISBN-13: 978-4105067021 \6300  [amazon]/[kinokuniya] p0601, c0105

■目次
序言
序文――ガリマール版
第一部
第1章 《阿呆船》
第2章 大いなる閉じ込め
第3章 感化院の世界
第4章 狂気の諸経験
第5章 気違いたち
第二部
序論
第1章 種の園における狂人
第2章 幻想の超越性
第3章 狂気の現象
第4章 医師と病者
第三部
序論
第1章 大いなる恐怖
第2章 新しい分割
第3章 自由の正しい使途について ☆
第4章 狂人保護院の誕生
第5章 人間論上の円環
付録
《一般施療院》の歴史
一 狂気,営みの不在
二 私の身体,この紙,この炉
訳者あとがき
固有名詞索引

1961 、一九七五

Histoire de la folie à l'âge classique
Folie et déraison. Histoire de la folie à l'âge classique est la thèse majeure du doctorat d'État et le premier ouvrage important de Michel Foucault, qui y étudie les développements de l'idée de folie à travers l'Histoire. C'est la deuxième édition, révisée, de 1972, qui abandonne le titre principal au profit du seul sous-titre.

Histoire de la folie à l'âge classique — Wikipédia
https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Histoire_de_la_folie_%C3%A0_l%27%C3%A2ge_classique
Plan
Première partie Modifier
Chapitre I - Stultiferas navis
Chapitre II - Le grand renfermement
Chapitre III - Le monde correctionnaire
Chapitre IV - Expériences de la folie
Chapitre V - Les insensés

Deuxième partie Modifier
Introduction
Chapitre I - Le fou au jardin des espèces
Chapitre II - La transcendance du délire
Chapitre III - Figures de la folie
Chapitre IV - Médecins et malades

Troisième partie Modifier
Introduction
Chapitre I - La grande peur
Chapitre II - Le nouveau partage
Chapitre III - Du bon usage de la liberté
Chapitre IV - Naissance de l'asile
Chapitre V - Le cercle anthropologique


■紹介・言及

◇ルイ・アルチュセール
◇差別 discrimination

◇橋口 昌治 200908 「格差・貧困に関する本の紹介」, 立岩 真也編『税を直す――付:税率変更歳入試算 +格差貧困文献解説』,青土社


*作成:橋口 昌治 更新:樋口也寸志
UP: 20090804 REV: 0811, 1005
◇犯罪/刑罰・文献 歴史  ◇精神障害/精神障害者・文献  ◇貧困・格差関係の本  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK 
 
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ミシェル・フーコーまとめ
http://souzouhou.com/2015/12/05/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83
%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81/

フーコーが考察しているのは、狂気が西洋の歴史のなかでいかにして形成されてきたかです。狂気の意味付けと排除の歴史的仮定をフーコーは『狂気の歴史』で分析しています。

狂気は太古の昔から存在しています。しかし、狂気が人間の精神の病として意味づけられるようになったのは、近代の初頭、古典主義時代においてです。

なぜこの時期にこのような意味付けがなされたかというと、近代社会の根幹の理念である理性の概念が形成され、西洋の思想と社会のシステムに根を下ろした時期であったからです。狂気は理性ではないもの、つまり非理性として差異化されてしまいました。そして理性的ではない、狂人は人間ではないものとして排除されるようになりました。治療の対象となっていくのです。ちなみに前近代において狂人は聖なる言葉を聞くものとしての意味付けでした。
フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926-1984)によると、17世紀までのヨーロッパは、狂人を排除・隔離する社会ではなかった。つまり狂人は、社会の一員として暮らしていたのである。
中世紀とルネサンスにおいては、狂人は社会の内部に存在することを許されていました。いわゆる村の狂人は、結婚もせず、遊びにも参加せず、他人によって養われ、支えられていました。彼らは町から町へと放浪し、ときには軍隊に入ったり、行商をしたりもしましたが、あまり興奮して他人にとって危険になると、他人が町のはずれに小さな家を建てて、一時的にそこに入れられたこともありました。(神谷美恵子訳「狂気と社会」)

このような狂人たちの姿が、ルネサンス芸術が盛期を迎える15世紀後半から、文学や絵画のテーマとして好んで取り上げられるようになる。

ヒエロニムス・ボス『阿呆船』

絵はネーデルランドの画家ヒエロニムス・ボス(1450-1516)が描くところの《阿呆船》(1490-1500)である。このような狂人の船というイマジネーションは、15世紀後半に登場してくるとフーコーはいう(『狂気の歴史(1961)』)。

文芸復興期の空想上の風景のなかに、一つの新しい事物が出現し、やがてそれは特権的な位置をしめるようになる。それは狂人の船(ネフ・デ・フゥー)、つまりラインランド地方の静かな河川やフランドル地方の運河にそって進む奇怪な酩酊船である。(田村俶訳)
ラインランドはドイツ西部のライン川沿岸の一帯を指す地方の名称であり、フランドルは低地を意味するネーデルランドのことで、オランダ南部からフランス北部にかけての地域のことをいう。このように水上交通の発達した地域で、狂人の船という空想上の風景が描かれたのである。

ルネサンス盛期にはそれ以外にもさまざまな夢想の船が空想されたが、フーコーによると、《阿呆船》は空想上の産物ではなく、実在するものだった。

だが、これらの空想的あるいは嘲笑的な船のうち、阿呆船(ナレンジッフ)だけが現に実在した唯一の船である。実際、気違いという船荷をある都市から別の都市へはこんでいる船が実在したのだった。当時、狂人は容易に放浪しうる生活をいとなんでいた。都市は狂人を市域のそとに放逐しがちだったし、ある種の商人や巡礼たちに預けられなかった場合、彼らは人里はなれた野を自由にさまようことができた。(同前)
水上交通によって発達した各都市は、その都市の市民に属する狂人は保護したが、接岸する船に乗せられていた他国の狂人たちを受け入れることはなく、巡礼と称して他の都市に放遂するのが慣例だったようだ。つまり狂人たちは、各都市に接岸するがそこに上陸することは果たされず、水上だけが彼らの土地といえるものだった。
狂人が気違い船にのっておもむく先は、あの世である。舟をおりて帰ってくるのは、あの世からである。(同前)

水上は他界であった。狂人たちは他界に放遂され、他界から現世に接岸するのである。そして狂人は都市の関門で監禁されることになる。現代風にいえば、空港ロビーだけが狂人の地上における場所だということになる。それは外部の内側でもあるし、逆に内部の外側ともいえる場所だ。

狂人は、自分のものとなりえぬ二つの土地(出立地と上陸地)のあいだの、あの不毛の広い空間にしか自分の真実と自分の生れ故郷をもちあわせない。(同前)

17世紀までのヨーロッパでは、狂人の船のような狂気の追放によって、社会秩序を保ってきた。しかしぼくたちは、ボスの絵によって、狂人たちの意味不明なつぶやきを聞くことができる。このつぶやきのなかに、ぼくたちの狂気は潜んでいる。ぼくたちがこの船に乗り合わせていないという証拠などどこにもないからだ。

17世紀フランスの思想家ブレーズ・パスカル(1623-1662)は、「人間が狂気じみているのは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう」(同前)と『パンセ(1670)』で述べている。人間の存在自体が狂気じみているので、狂気じみていないことも狂気の証だということだ。

フーコーは『狂気の歴史』の巻頭に、このパスカルの言葉をあげている。それはぼくたちが《阿呆船》の乗組員だという前提に立っていることを意味する。


デリダとの論争は1,2部はじめのデカルト解釈が主な対象になる。

4 Comments:

Blogger yoji said...


160 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2016/01/08(金) 23:30:49.58 ID:3zW+9z9b0
>>119 週刊誌の「まだまだ続きがある!」
は「ネタ持ってる人タレこんで!」という悲鳴。

そんなもんがあったら、他に報道される前にすぐに出す。

6:41 午前  
Blogger yoji said...


166 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2016/01/08(金) 23:31:01.86 ID:mKm8l+ff0
さっきどっかのスレで書かれてたけど
ベッキーはバンドマンのグルーピーをやるのはゲスが初めてじゃなくて
「大勢の中から選ばれる私=エクスタシー」症候群にハマってて
それを繰り返してると芸人が言ってた
っていう話は本当なんだろうか

6:42 午前  
Blogger yoji said...

319 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2016/04/11(月) 21:46:38.75 ID:gAol3ILLO
矢口は妻でありながら余所の男と浮気した→男の視聴者が怒る
ベッキーは浮気相手であり、妻がいる男と浮気した→女の視聴者が怒る

5:51 午前  
Blogger yoji said...

フーコーとチョムスキー
https://youtu.be/lyOym-URjgA
https://youtu.be/i_jyKaqF9yc

ミシェル・フーコー「規律社会について」part1 声のみ
https://youtu.be/Cvyj664XeIM

7:55 午後  

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