http://www.freeassociations.org/
思想
2015年第12号
思想の言葉
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html
2015年 第12号
カントにおける平和と革命
柄谷行人
カントが平和に関して述べたのは、『永遠平和のために』(以後『永遠平和』一七九五年)が最初ではない。それより一〇年ほど前の『世界市民的見地における普遍史の理念』(以後『普遍史』一七八四年)が最初である。が、平和論にのみ関心をもつ者は、そこまで遡ろうとはしない。実際、平和論に関しては、『永遠平和』が『普遍史』よりはるかに緻密な著作であることは疑いない。しかし、そこでは、後者にあった幾つかの重要なポイントが抜け落ちている。そして、それには理由がある。
カントは『普遍史』で、サン・ピエールの「永久平和論」(一七一三年)、そして、それを取り上げたルソーの「抜粋」および批判的コメント(一七六一年)について論じた。サン・ピエールがヨーロッパ諸君主の国家連合体を構想したのに対して、ルソーは、君主らの合意にもとづく国家連合の限界を指摘した。たとえそれによって平和が実現されたとしても、牢獄の平和のようなものだ。真の平和を実現するためには、先ず、諸個人の社会契約によって人民主権にもとづく国家を形成すること、さらに、それらの諸国家が契約によって連合体を形成することが必要である、と彼は考えた。彼はそれについて具体的な構想を述べなかった。ただ、「幾多の革命以外の方法では、国家連合が樹立されることはけっしてない」と結論したのである。同時に、彼はそこで躊躇せざるをえなかった。革命はそれ自体戦争を引き起こすからである。では、それは望ましいことなのか、恐るべきことなのか。ルソーの論考はそこで終わっている。
カントが『普遍史』で考えたのは、この問題だといってよい。ルソーの場合、先ず国民主権にもとづく国家を作る革命があり、その後に諸国家の連合がなされると想定されている。しかし、カントの考えでは、そもそも一国の革命そのものが、他国との関係を離れて考えられない。《完全な市民的体制を達成するという問題は合法則的な対外的国家関係という問題に左右されるので、この後者の問題を別にして解決されるものではない》(第七命題)。ここで、カントがいう「完全な市民的体制」とは、ルソー的な市民革命を意味している。そして、カントが見ていたのは、そのような革命が起こったときどうなるか、という問題である。
これは机上の論ではなかった。まもなく起こったフランス革命では、実際に周囲の諸国の干渉が生じたのである。たとえば、一七九一年八月に、オーストリア皇帝とプロイセン国王は共同声明(ピルニッツ宣言)で、武力干渉を辞さないことを表明した。これは威嚇にすぎなかったが、それに対抗して、ジロンド派がオーストリアに宣戦布告した。国外とつながる貴族の反革命運動を一挙に封じるために、戦争に訴えたのである。さらに、一七九三年一月にルイ一六世が処刑されたあとには、「第一次対仏大同盟」が結成された。これは本格的な軍事的干渉である。そこには、オーストリア、プロイセン、スペインだけでなく、イギリスが入っていた。同年六月にロベスピエール派がジロンド派を倒して権力を握り「恐怖政治」を強いたが、これもむしろ、外からの「恐怖」によって生じたというべきであろう。そのことは、カントが『普遍史』で予想していたことであった。
彼が『永遠平和』を書き始めたのは、フランスと周辺諸国との戦争が起こっていた時期である。この中でナポレオンが軍人として頭角をあらわし始めた。以後、この戦争はいわゆるナポレオン戦争に転化したのである。カントが、『普遍史』で考えた問題を『永遠平和』で論じなかった理由は明らかである。それはもはや市民革命の存立条件を問うような時期ではなかった。彼の眼前には、市民革命が一国で起こったために生じた戦争があった。ゆえに、『永遠平和』で、彼はもっぱら諸国家連盟の構想を論じたのである。
『永遠平和』はその後に大きな影響を与えた。が、最初にいったように、それは「平和論」に限定される傾向がある。実は、カントが『普遍史』で指摘した問題は、平和論よりもむしろ革命論として重要なのである。というより、この二つは本来切り離せない問題なのだ。カントが述べたのは、つぎのようなアンチノミーである。「完全な市民的体制」を創るような革命は一国だけでは不可能である。諸国家が連合する状態が先になければならない。一方、諸国家の連合が成立するためには、それぞれが「完全な市民的体制」となっていなければならない。では、どうすれば、この循環論を脱することができるか。
私の考えでは、この問題を「世界同時革命」によって解こうとしたのが、マルクスである。《共産主義は、経験的には、主要な諸民族が《一挙に》、かつ同時に遂行することによってのみ可能なのであり、そしてそのことは生産力の普遍的な発展とそれに結びついた世界交通を前提としている》(『ドイツ・イデオロギー』)。実際、その後に起こったヨーロッパ革命(一八四八年)は、いわば「世界同時革命」であった。それらはそれぞれ敗北したけれども、外国からの干渉はなかった。
以後も、マルクスやバクーニンは「世界同時革命」を追求し、「インターナショナル」(国際労働者協会)を結成した。しかし、「世界同時革命」は二度と起こらなかった。また、各国の運動もナショナリズムによって分断されてしまった。そのためにインターナショナルは解散し、その後結成された第二インターナショナルも第一次大戦では、各国の社会主義者が自国の戦争を支持したため消滅してしまった。大戦の末期に社会主義革命が起こったが、それはロシア一国においてだけであった。そのとき、フランス革命で生じたことがくりかえされた。外からの軍事的干渉がただちに起こった(たとえば、日本もシベリアに出兵し駐留した)。国家の揚棄を目指した社会主義革命は、「対外的関係」によってねじ曲げられ、国家の強化と「恐怖政治」に帰結したのである。
一方、第一次大戦後には、国際連盟が創られた。これはカントの流れを汲むと見なされているが、事実上、サン・ピエールの構想した諸国家連合に類するものだ。すなわち、帝国主義諸国家の連合体である。たとえば、信託統治などは植民地支配の新版にすぎない。ゆえに、国際連盟は第二次大戦を阻止することができなかった。第二次大戦後にできた国際連合も、根本的には同じである。要するに、カントの『普遍史』において切り離せないものであった平和と革命が、以後切り離され、そのために平和と革命のいずれもが損なわれてしまったのである。
『普遍史』にあり『永遠平和』で抜けてしまったもう一つのポイントは、「自然」という観点である。前者において、カントは、人類が世界共和国にいたるという過程の必然性を、隠微な「自然の計画」として見た。一見すると、彼は「神」というかわりに「自然」といったかのように見える。しかし、このとき、カントはそれまで宗教的な摂理として語られてきたものを唯物論的に見なおす観点をもちこんだのである。彼が最も重視したのは、人間の自然的素質としての「非社交的社交性」である。これが敵対・戦争をもたらすとともに、それを越えた平和状態をも作り出す。《自然は人間を、戦争をとおして、また戦争へ向けてのけっして縮小されない過度の軍備、さらにまったく平和状態にある国家でさえも結局はそれぞれ内心抱かざるをえない苦境をとおして、最初は不十分ながらいろいろな試みをさせるが、最終的には、多くの荒廃や国家の転覆を経て、さらに国力をことごとく内部から消耗させた後に、これほど多くの悲惨な経験をしなくても理性ならば告げることのできたこと、つまり野蛮人の無法状態から抜け出して国際連盟を結ぶ方向へ追い込むのである》(第七命題)。
『永遠平和』でも、カントは「人間の本性にそなわる邪悪」を強調してはいる。しかし、そこでは、邪悪はせいぜい利己心のようなものである。《自然は、互いの利己心を通じて諸民族を結合する》。その意味で、「商業精神」が平和をもたらすといってよい。が、一九世紀以後の戦争は、君主の恣意ではなく、むしろ「商業精神」にこそもとづいている。つまり、根本的に資本主義経済から来るものだ。『永遠平和』におけるカントの見方が非現実的に見えるのは、むしろそのためである。
一方、『普遍史』における「非社交的社交性」は、表層的な心理の問題ではない。それを見るためには、われわれは後期フロイトの精神分析を必要とする。前期のフロイトの考えは、『夢解釈』のような仕事に典型的に示されている。夢において、現実に満たせなかった欲望が実現されるが、それは〝検閲〟を受けて歪曲される。つまり、フロイトは心的現象を快感原則とそれを制限する現実原則の二元性から考えていた。
たとえば、第一次大戦の始まったころ、フロイトはオーストリアの戦争を支持していた。戦争が予期した以上に長引き、悲惨な事態をもたらしたため、戦争に対する楽観的な見方を捨てたが、それでも、戦争が終われば、人々は自然に元に戻るだろうと考えていたのである。彼の考えでは、戦争における野蛮さは、ふだんは抑圧されていた「感情生活」が、国家そのものがその抑制を解き放ったために露出したものにすぎない。したがって、《われわれは、この盲目性が、興奮が醒めると同時に消えさるのを希望することができるのだ》(「戦争と死に関する時評」、『フロイト著作集5』人文書院)。つまり、戦争において一時的に欲望が抑制から解き放たれるが、その後は平常に戻る、というのがフロイトの予測であった。が、第一次大戦後にこのような考えを修正せざるを得なかった。それは戦争神経症の患者らに出会ったからである。彼らにとって、戦争は次第に「消えさる」どころではなかった。毎夜戦争の悪夢を見て飛び起きていたのだから。
戦争神経症者の反復強迫症状に遭遇したフロイトは、快感原則と現実原則という二元性の根底に「死の欲動」を想定するにいたった。《反復強迫の仮定を正当づける余地は充分にあり、反復強迫は快感原則をしのいで、より以上に根源的、一次的、かつ衝動的であるように思われる》(「快感原則の彼岸」、『フロイト著作集6』人文書院)。こうして、彼は快感原則および現実原則よりも根源的なものとして「死の欲動」を見出した。それは、人が社会的・有機的である状態から、無機的な状態に戻ろうとする欲動である。それは外に向けられたときに、攻撃欲動となる。つぎに、それが内に向けられると、今度は攻撃欲動を抑制する「超自我」となる。これは、親あるいは社会の規範のように外部から来るのではなく、内部から来る。その意味で「自律的」である 。
フロイトの考えでは、攻撃欲動(自然)を抑えることができるのは、他ならぬ攻撃欲動(自然)なのである。それは、カントの文脈でいえば、非社交性の発露である戦争が、それ自身を抑制するように「国際連盟を結ぶ方向へ追い込む」ということである。先に私は、カントと深く関連する出来事が二つ、第一次大戦後に生じたことを指摘した。ロシア革命と国際連盟である。が、ここでそれに、後期フロイトの精神分析を付け加えたい。
フロイトは一九三三年に、どうすれば戦争を廃棄できるかというアインシュタインの問いに対してこう述べた。《文化的な態度と、将来の戦争が及ぼす影響に対する当然の不安、これら二つの契機が働いて、近いうちに戦争遂行に終止符が打たれるであろうというのは、ひょっとすれば単にユートピア的な希望ではないかもしれません。どのような道を経て、あるいは回り道を経てそれが実現するのかは、私たちは推し量ることができません。にもかかわらず、文化の発展を促すものはすべて、戦争に立ち向かうことにもなるのだといえます》(「戦争はなぜに」、『フロイト全集20』岩波書店)。
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平和のための教育 講義ノート 4/16 地の塩になれればと/ウェブリブログ
http://85666808.at.webry.info/201504/article_14.html
そして、ルソーやカントの永遠平和論へ
5-2.ジャン=ジャック・ルソー(1712- 1778年)
ルソー、「人間不平等の起源」、「社会契約」、形成と教育、「永遠平和」
産業革命で富が飛躍的に増大し、それに伴い、欲望も膨張した。これに対してルソーは社会契約を提起し、さらにそれを国家の枠を超えて構想した。
ルソーはパリから離れざるを得なくなった。
様々な事情が絡んでいるのであるが、彼の民主主義や平和主義の啓蒙思想に対して、体制が圧力を強めたという側面も考えられる。
宮治弘之訳『ルソー全集』第4巻、白水社、1978年
「サン=ピエール師の永久平和論抜粋」、「永久平和論に関する断片」、「永久平和論批判」
その中で
「永久平和論批判」において「一方では戦争と征服が、他方では専制政治の進行がたがいに補いあっているし、奴隷状態の人民のなかからは、ほかの人民を征服するための勝手気ままに金銭と兵士とが調達されているし、逆に戦争は、金銭を搾取する口実と、人民を制圧するための強力な軍隊を常設するというやはりもっともらしい別の口実とを提供するのだ」p.355
「『私はローマ人を打ち破った』とハンニバルはカルタゴ人たちに書いて知らせた。『私に軍隊を送れ。私はイタリアに強制徴税金を出させた。私に貨幣を送れ。』これこそまさに、その支配者たちの輝かしい勝利に対する感謝の歌、祝いのかがり火、さらに人民の歓喜が意味することなのだ。」「永久平和論批判」p356
ルソー「この企画が実施されずにいるのは善いことだと考えよう。というのは、この計画は人類に対する狂暴で恐ろしいさまざまな手段によってはじめて行われうるからだ。さまざまな革命による以外に国家連合同盟が設立されることはまったくありえないのだ。」「永久平和論批判」p364
「注意。この原稿は、きわめて知性に富み、ひどく几帳面で、しかも中身を判断して口など差しはさんだりしないような人物だけに清書させるように注意してもらいたい」という附記がある。「永久平和論批判」p.364
逆説で、「人類に対する狂暴で恐ろしいさまざまな手段」が使われる「革命」を通してでなければ「永久平和」は実現できないと論じているとも解釈できる。
この点について、渡辺一夫は「アンリ四世の夢は夢かもしれません。棄ててはならぬ夢かもしれません」という文脈で「ルゥソーの心理ははなはだ複雑です」と述べている* 。
ルソーは暴力と秩序のギリギリのところまで迫った。
そこで出したのが、「生まれたばかりの人間の条件であった」p233★
直接民主主義の連携の上ではじめて
国連が可能だ
14頁
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012072900019.html
書評
フロイト講義〈死の欲動〉を読む [著]小林敏明
[評者]柄谷行人(哲学者) [掲載]2012年07月29日 [ジャンル]ノンフィクション・評伝
表紙画像 著者:小林 敏明 出版社:せりか書房 価格:¥ 2,700
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■分子生物学の研究成果で裏付け
フロイトは63歳になって『快感原則の彼岸』(1920年)という論文を発表し、その中で「死の欲動」という概念を提起した。それまでの精神分析では生の(性的)欲動が主であったから、画期的な変更である。彼がこれを書いたのは、第1次大戦後に出てきた多くの戦争神経症者の治療体験にもとづいてであった。つまり、そこに見いだされる死の欲動や攻撃欲動は、歴史的・社会的な問題と切りはなすことができない。
にもかかわらず、フロイトはそれをもっぱら生物学的な観点から見た。つまり、人間はすべての有機的生命体と同様に、無機物に帰ろうとする欲動をもつというのだ。それが問題であった。以来、フロイト派の多くは死の欲動という概念を拒否するか、それを受け入れる者も、ラカンがそうしたように、フロイトの生物学的説明を文字通りに受けとることを避け、それを自己流に解釈してきたのである。
本書で著者は、フロイトが「死の欲動」という考えにいたった過程を、シェリング以来のドイツ哲学史の中にあとづけてはいるが、最終的に、フロイトの理論的可能性をそのような方向に見ることはしない。逆に、フロイトがとった生物学的な観点を文字通りに受けとめ、それを現在の分子生物学の研究成果である「死の遺伝子」という考えによって裏づけようとする。たとえば、多細胞の生命体は、不必要な細胞が自ら死ぬことによって、個体として存続できるようにプログラムされている。
要するに、死はたんに生の否定なのではなく、もっと積極的な何かなのだ。この観点から見直せば、死の欲動、およびそれと攻撃欲動との連関を合理的に理解することができる、というのが著者の仮説である。さらに、著者は攻撃欲動を超える鍵を、あらためてフロイトの「昇華」という概念に見いだそうとする。注目すべき論考である。
◇
せりか書房・2625円/こばやし・としあき 48年生まれ。独・ライプチヒ大学東アジア研究所教授。
29~30頁:
世論調査とは何だろうか (岩波新書) 新書 – 2015/5/21 岩本 裕 (著)
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015070500003.html
書評
世論調査とは何だろうか [著]岩本裕
[評者]柄谷行人(哲学者) [掲載]2015年07月05日 [ジャンル]社会
表紙画像 著者:岩本 裕 出版社:岩波書店 価格:¥ 864
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■戦後GHQが導入、質問の仕方で違い
本書は、世論調査の起源から、現在にいたるまでの歴史を示すとともに、今後の可能性を見ようとするものだ。古来どんな国家体制もそれなりに「民意」にもとづいている。しかし、「世論」(パブリック・オピニオン)が真に重要となったのは、人民が主権者であるような国家が成立してからだ。以来、人民の意思を示す世論が、特別の意味をもつようになった。
世論は代表制選挙において表現される。しかし、選挙だけでは不十分である。というのは、選挙では問われなかった諸問題が生じるからであり、また、選挙以後に民意が刻々と変化するからである。それに対応しないなら、直接行動(抗議デモなど)が生じる。したがって、変化に対応するため、これまでも世論調査に類したことがなされてきた。が、科学的な世論調査が確立されたのは、近年である。統計学の理論にもとづき、少ない調査対象(サンプル)を無作為(ランダム)に選ぶことによって、全体の世論を推定できるようになった。
世論調査は、日本では戦後、新憲法と同様に、連合国軍総司令部(GHQ)によって導入された。GHQにとって、それは日本の民主化にとって不可欠なものであった。1948年7月、朝日新聞が「見本数3500人、面接法、地域層化無作為抽出法」という科学的な世論調査をおこなった。以来、世論調査はどのような役割を果たしてきたか。多くの場合、それは選挙の予測や速報のために使われてきた。それは商業的な意味をもつだけで、民主主義に不可欠であるとはいえない。
ただ、今世紀に入って、RDD調査法(番号をランダムに選んで電話する)が採用されるにいたって、内閣支持率を容易に知ることができるようになった。同時に、これが内閣の存亡を左右するようにもなった。つまり、世論調査が露骨に政治的機能をもつようになったのである。世論調査では、質問の仕方、すなわち、言い回し・順序・選択肢などによって、回答が違ってくる。また、調査主体が誰であるかによって、回答者が違ってくる。こうなると、世論調査は主権者=人民の意思を知るものではなくなる。世論調査はむしろ世論操作となってくる。
本書では、それらと違った、討論型世論調査などの可能性が検討されている。しかし、私は、現在の世論調査でも「民意」を知ることができると考える。たとえば、憲法9条に関して、正しい仕方で質問するならば、改憲反対が圧倒的多数だとわかるだろう。むろん、政府当局者はそのことを知っている。だから、いざ選挙になると、改憲を決して口にしない。その意味で、世論調査が活用されている。世論を無視するために。
◇
岩波新書・864円/いわもと・ひろし 65年生まれ。NHK解説委員などを経て、現在、同局放送文化研究所世論調査部副部長。著書に『朽ちていった命』『NHK 地球テレビ100 世界のニュースがわかる本』『失われた「医療先進国」』など。
178頁:
ドレフュス事件
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2016030700010.html
シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 [著]エマニュエル・トッド
2016年03月06日
柄谷行人(哲学者)
著者:エマニュエル トッド 出版社:文藝春秋 価格:¥ 994
■カトリックの衰退、異教の排撃を招く
トッドはこれまでの著作で、世界各地の社会の政治や思想のあり方を、4種類の家族形態の違いから、統計学にもとづいて説明してきた。すなわち、生産様式にもとづくマルクス主義的決定論を退けながら、家族内での交換様式(兄弟間の平等性など)が窮極的に観念的上部構造(政治や思想など)を決定するという見方をとっている。それによって、彼はフロイトやマルクスとは違った「無意識」の構造を照らしだす。思いもよらぬ省察がそこから生まれる。
本書では、その手法によって、近年のフランスの国内政治が鮮やかに分析されている。2015年1月、過激派イスラム教徒が、イスラム教を風刺した週刊新聞を発行している「シャルリ・エブド」社を襲撃したあと、フランス各地で「私はシャルリ」を掲げた400万人のデモが起こった。それを、言論の自由をまもるフランス革命以来の輝かしい伝統として称賛する反応が日本にもあった。しかし、トッドはそれに異議を唱えた。フランスにはキリスト教(カトリック)に対する風刺の伝統はあったが、それは、他の宗教を嘲笑するような伝統ではなかった。ゆえに、この事件には、何か大きな社会的変容が潜んでいる。
トッドによれば、フランスは、4種類の家族形態が地域的に分布している(欧州では)唯一の国である。それが歴史的にフランスの特異な在り方をもたらしてきた。たとえば、中央部にフランス革命がある一方で、周縁部では中世的なカトリック信仰が残っていた。このような地盤がここ20年ほどのうちに急激に変容したのである。
一般に、人が異教を排撃するのは、自らの宗教を熱烈に信じるからだと考えられるが、実は、そのような所ではむしろ、異教に対して寛容である。異教を排撃するのは、自らの宗教を信じていない時である。トッドの考えでは、フランスに反イスラム主義が生まれたのは、カトリックが衰退してしまったからだ。私は自分の信じていた宗教を冒涜(ぼうとく)する、ゆえに、他人の宗教を冒涜する権利と義務がある、と彼らは考える。
この抗議デモには、右翼が締め出されていた。したがって、それはリベラルで、反イスラム主義と無縁であるように見える。しかし、トッドによれば、現在の反イスラム主義は、ヨーロッパ単一通貨と新自由主義を推進するオランド政権(社会党)を支持する者たちがもたらしたものだ。彼らは保守的右派以上に弱者に冷淡である。現在の社会党政権を支えているのは、最近までカトリックであった地域や階層である。トッドはそれを「ゾンビ・カトリック」と呼ぶ。それが「私はシャルリ」と称する者たちの実体である。
◇
堀茂樹訳、文春新書・994円/Emmanuel Todd 51年生まれ。フランスの歴史人口学者、家族人類学者。世界の家族形態を絶対核家族、平等主義核家族、直系家族、共同体家族の4種類に大別。著書に『新ヨーロッパ大全』『最後の転落』『帝国以後』など。
9~10頁:
フロイト 「戦争と死に関する時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)
フロイト『快原理の彼岸』(『フロイト全集17』岩波書店74頁)
(「マゾヒズムの経済的問 題」)1924年『フロイト全集18』岩波)。本来は2で引用。
(フロイト「戦争はなぜに」、『フロイト全集20』岩波書店)
14,17,18,20
14頁:
フロイト「自我とエス」1923年
173頁:
サルトル、デリダ
https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1604/sin_k883.html
憲法の無意識
柄谷行人著
(新赤版1600)
日本人は憲法9条によって護られてきた
日本の戦後憲法9条には幾つもの謎がある。なぜ戦後70年を経てもなお改憲は実現しないのか。なぜ9条は実行されていないのに残されているのか。改憲、護憲の議論が見逃しているものは何か。著者が見つけた糸口は「無意識」である。意識的ものはすべからく意識的に放棄され得る。放棄されない理由は意識下にある。
占領軍の検閲下での憲法制定、検閲と「無意識」から第1次大戦後のフロイトへ。さらに日本人の歴史的・集団的無意識に分け入るべく、憲法の先行形態としての徳川体制へ。今まで見えてこなかったものが見えてくる。フランス革命前後のカントの思索を導きの糸に、新自由主義下の「戦争の末の」平和ではない、世界平和への道筋を示す。資本主義の論理を超えた国際社会への9条贈与論は、ノーベル平和賞候補となった「9条と日本国民」にとって今や現実的な選択肢となる。
「憲法の無意識」が国民のデモとともに政治の危機に立ち現れる。
■著者紹介
柄谷行人(からたに・こうじん)1941年生まれ。思想家。
著書に、 『定本 柄谷行人文学論集』 『定本 柄谷行人集』 『哲学の起源』(岩波書店)、『トランスクリティーク―カントとマルクス』 『定本 日本近代文学の起源』 『世界史の構造』(岩波現代文庫)、『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』(岩波新書)、『遊動論』(文春新書)、『帝国の構造』(青土社)、『倫理21』(平凡社ライブラリー)ほか著書多数。
■目次
I 章
憲法の意識から無意識へ
1 憲法と無意識
2 第1次大戦とフロイト
3 天皇制と戦争放棄
4 無意識と世論調査
II 章
憲法の先行形態
1 憲法1条と9条
2 建築の先行形態
3 元老支配から天皇機関説へ
4 戦後憲法の先行形態
5 「戦後」としての徳川体制
III 章
カントの平和論
1 中江兆民と北村透谷
2 ヘーゲルによるカント平和論の批判
3 『普遍史』と『永遠平和』
4 カントとマルクス
5 カントとフロイト
6 贈与の力
IV 章
新自由主義と戦争
1 反復するカントの平和論
2 交換様式から見た帝国主義
3 資本蓄積の3形式
4 ヘゲモニー国家の経済政策
5 ヘゲモニー国家の交替
6 自由主義と新自由主義
7 歴史と反復
8 将来の展望
あとがき
知の現在と未来――岩波書店創業百年記念シンポジウム 単行本(ソフトカバー) – 2014/8/29
マルクス主義は江戸を低く評価しすぎた。福本以外は。だから本書はその反動だ。
フロイトは名誉欲を扱い損ねたし、カントは商業を思考に組み込むのが遅すぎた。
だからスピノザ、プルードンに帰る必要がある。
憲法9と1条が今後も両立するには天皇が京都に帰るべきだ。
地域主義、アナキズムが必要だ。それは国連中心主義と矛盾しない。
『憲法の無意識』柄谷行人 201604 岩波新書:索引作業中
167頁:
(アーレント『全体主義の起源』第二巻)
152頁:
資本主義発展の段階論―欧米における宇野理論の一展開 単行本 – 1995/10 ロバート アルブリ(xッ)トン (著), Robert Albritton (原著), 山本 哲三 (翻訳)
(著者名のみ)
51頁:
ゲオルク・イェリネック、または、ゲオルグ・イェリネック
Allgemeine Staatslehre
『一般國家學』、大西邦敏・水垣進譯、敬文堂書店, 1932
『一般国家学』、芦部信喜ほか訳、学陽書房, 1974
29~30頁:
世論調査とは何だろうか (岩波新書) 新書 – 2015/5/21 岩本 裕 (著)
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015070500003.html
159頁:
(ウォーラーステイン『近代世界システムII 』)
6頁:
一九四六年憲法-その拘束―その他 (文春文庫)文庫 – 1995/1/10 江藤 淳 (著)1980年単行本初版
68頁:
神島二郎「非武装主義」「世界」1980年7月
磁場の政治学―政治を動かすもの (1982年) 単行本 – 古書, 1982/11/24 神島 二郎 (著) 岩波書店再録
188~頁:
柄谷行人「自主的憲法について」『〈戦前〉の思考』
189~192,193頁:
(柄谷行人『の思考』講談社学術文庫、2001、p.205-206)
93~4頁:
(カント『永遠平和について』岩波文庫より)
130頁:(カント『永遠平和について』第一補説 3「永遠平和の保証について」岩波文庫より)
131頁:
(カント全集14 『世界市民的見地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年,第七命題)。
110頁:(131頁:)
(カント全集14『世界市民的見地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年,第七命題)。
103頁:
カント『普遍史』第七命題
66頁:
北畠親房『神皇正統記』
著作著者名のみ
89頁:
北村透谷 一種の攘夷思想
『平和』第三号1892年
9頁:
フロイト〈1〉 単行本 – 1997/9 ピーター ゲイ (著)
52頁:
ハンス・ケルゼン
147頁:
幸徳秋水
64頁:
後醍醐天皇
14頁:
フロイト講義“死の欲動”を読む 単行本 – 2012/6 小林 敏明 (著)
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012072900019.html
41頁:
明仁天皇と平和主義 (朝日新書) 新書 – 2015/7/13 斉藤利彦 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4022736267/
55頁:
伊藤博文と明治国家形成 「宮中」の制度化と立憲制の導入 (講談社学術文庫) Kindle版
坂本一登 (著)1992,2012
173頁:
サルトル
70頁:
島崎藤村『夜明け前』
57頁:
瀧井一博『文明史のなかの明治憲法』
22(25~6)頁:
マッカーサー回想記 (1964年) - – 古書, 1964 津島 一夫 (翻訳)
マッカーサー大戦回顧録 (中公文庫) 文庫 – 2014/7/23 ダグラス・マッカーサー (著), 津島 一夫 (翻訳)
25~6(22)頁:
マッカーサー回想記 (1964年) - – 古書, 1964 津島 一夫 (翻訳)
マッカーサー大戦回顧録 (中公文庫) 文庫 – 2014/7/23 ダグラス・マッカーサー (著), 津島 一夫 (翻訳)
173頁:
デリダ
24~5頁:
昭和天皇の戦後日本 ――〈憲法・安保体制〉にいたる道 単行本 – 2015/7/29 豊下 楢彦 (著)
37頁:
昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫) Kindle版 豊下 楢彦 (著) 2008
http://www.amazon.co.jp/dp/B0183IMPJE/
38頁:同
85頁:
三酔人経綸問答 (光文社古典新訳文庫) Kindle版
中江 兆民 (著), 鶴ヶ谷 真一 (翻訳)
87~8頁:
兆民『一年有半』
中江兆民『一年有半附録』全集13岩波
明治33年10月「考えざるべからず」(松永昌三編『中江兆 民評論集』、岩波文庫より)
46頁:
『セヴェラルネス』中谷礼仁(「先行形態論」)
47頁:
同
75頁:
新渡戸稲造『武士道』
168頁:
デヴィッド・ハーヴェイ 『新自由主義―その歴史的展開と現在』(「中国的特色を持った新自由主義」という言葉を引用)憲法168頁
127頁:
『ハムラビ法典』
85~6頁:
サン・ピエール『永久平和論』1713年
95頁:
フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』
9~10頁:
フロイト 「戦争と死に関する時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)
10頁:
フロイト 「戦争と死に関する時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)
10~11頁:
フロイト 「戦争と死についての時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)
(フロイト全集14,165ページ)
13頁:
http://shigemoto.blog105.fc2.com/blog-entry-173.html
フロイト『快原理の彼岸』(『フロイト全集17』岩波書店74頁)
14(8)頁:
『夢判断』1900年、フロイト「自我とエス」1923年
15頁:
フロイト『文化の中の居心地悪さ』1930年
19頁:
(「マゾヒズムの経済的問 題」)1924年『フロイト全集18』岩波)。本来は2で引用。
116~7頁:
(フロイト「ある錯覚の未来」全集20-61)
117頁:
(フロイト「戦争はなぜに」、『フロイト全集20』岩波書店)
96~7頁:
ヘーゲル『法権利の哲学』#333未知谷
22(25~6)頁:
マッカーサー回想記 (1964年) - – 古書, 1964 津島 一夫 (翻訳)
マッカーサー大戦回顧録 (中公文庫) 文庫 – 2014/7/23 ダグラス・マッカーサー (著), 津島 一夫 (翻訳)
25~6(22)頁:
マッカーサー回想記 (1964年) - – 古書, 1964 津島 一夫 (翻訳)
マッカーサー大戦回顧録 (中公文庫) 文庫 – 2014/7/23 ダグラス・マッカーサー (著), 津島 一夫 (翻訳)
106頁:
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html(別訳)
http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20100309
(マルクス『ドイツ・イデオロギー』廣松渉編訳、岩波文庫)廣松の名は未出
62頁:
天皇制史論―本質・起源・展開 単行本 – 2006/10/27 水林 彪 (著)
65頁:
紫式部『源氏物語』、宣長
139頁:
モーゲンソー『国際政治』
84頁:
憲法9条の思想水脈 (朝日選書823) 単行本 – 2007/6/20山室 信一 (著)
76頁:
与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」
http://www.geocities.jp/sybrma/62yosanoakiko.shi.html
26-7頁:
吉田茂『回想十年』
102頁:
ルソー「永久平和論批判」ルソー全集第4巻
http://85666808.at.webry.info/201504/article_14.html
150頁:
http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/note/note1-8.htm
レーニン『帝国主義』
以下、スピノザ『神学・政治論』 (光文社古典新訳文庫) より
Kindle: http://www.amazon.co.jp/dp/B00PRK11PG
iBooks : https://itunes.apple.com/jp/book/shen-xue-zheng-zhi-lun-shang/id942883345?mt=11
《…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう義務付
けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に見出せる*。
この国ではキリスト教が禁じられているから、この地に暮らすオランダ人たちは東イン
ド会社の命により、あらゆる外的な礼拝を行わないよう義務付けられているのである。》
(上巻第五章)
*極東におけるオランダの交易相手として、スピノザは日本という非キリスト教国の存在
だけでなく、日本でのオランダ商人たちの暮らしぶりについてもある程度のことを知って
いたらしい。宗教儀礼にこだわらないことで開かれる異教徒・異教国との交流可能性を
説明する好例として、スピノザは本書後半でもう一度日本のことを引き合いに出している。
《もし、至高の支配権を手にしているのが異教徒たちだったら、次の二通りの考えがあり
うる。…たとえばキリスト教国を支配している人たちは、自国の安全を高めるためなら、
トルコ人などの異教徒たちと同盟を結ぶことをためらわない。また現地滞在に赴く自国民
たちには命令を出し、人事であれ神事であれ、両国間ではっきり取り決めているか、現地
政府がはっきり認めている以上の自由を求めないよう促しているのである。これは前に
述べておいた、オランダ人と日本人の取り結んだ協定からはっきり分かる。》
(下巻第十六章二十二節)
ちなみに17章以下は憲法9条をめぐる問題と直接関連する。
憲法便り#114 吉田茂首相特集(第六回) 『回想十年』に記した、「押し付け憲法」論への反論 : 岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞
http://kenpouq.exblog.jp/20491858/
今日は、2013年5月6日に紹介した吉田茂元首相の文章の再録です。ブログの中で埋もれてしまわないように、吉田茂首相特集に含めました。
吉田茂元首相が『回想十年』に書いた、「押し付け憲法」論への反論を、『心躍る平和憲法誕生の時代』の「プロローグ①」に収録してありますので、その部分を紹介します。
三つのプロローグより
プロローグ①・・・吉田元首相が『回想十年』に記した「押し付け憲法」論への反論
冒頭で、まず吉田茂元首相の『回想十年』第二巻第八章(四十九~五十一頁)に記された、「押し付け憲法」論への反論を紹介する。この文章を読むと、まるで彼が現在の政治状況を見ているような説得力を持っている。
声高に憲法改正を叫んでいる安倍首相にも、孫である麻生太郎副総理にも、素直な気持ちで読んで、是非とも勉強して欲しい文章である。
七、私の見る憲法批判論議
押しつけ憲法ということ このようにして公布された憲法が、翌二十二年五月三日から発効したことは誰も知る通りである。然るに、この憲法については、それが占領軍の強権によって日本国民に押し付けられたものだとする批評が近頃強く世の中に行われている。それは改正論議が喧しくなるに連れて特に甚だしいようである。しかし私はその制定当時の責任者としての経験から、押しつけられたという点に、必ずしも全幅的に同意し難いものを覚えるのである。
成るほど、最初の原案作成の際に当っては、終戦直後の特殊な事情もあって、可成り積極的に、せき立ててきたこと、また内容に関する注文のあったことなどは、前述のとおりであるが、さればといって、その後の交渉経過中、徹頭徹尾「強圧的」もしくは「強制的」というのではなかった。わが方の専門家、担当官の意見に十分耳を傾け、わが方の言分、主張に聴従した場合も少なくなかった。また彼我の議論がなかなか決しない際などには、先方としてよくいったことは、「とにかく、一応実施して成績を見ることにしてはどうか、案外うまくゆくということもある、やってみて、どうしても不都合だというならば、適当の時期に再検討し、必要ならば改めればよいではないか」ということであった(註)。そういう次第で、時の経過とともに、彼我の応酬は次第に円熟して、協議的、相談的となってきたことは、偽りなき事実である。
一応国民の良識と総意を反映 また、いわゆる草案が出来上がってからは、国内手続きとしても、枢密院、衆議院及び貴族院という三段階の公的機関において審議を経たのである。これらの機関の顧問官または議員のうちには、第一流の憲法学者をはじめ、法律、政治、官界のいわゆる学識経験者を網羅しており、しかもこれらの人々は占領下とはいいながら、その言論には何等の拘束を受くることなく、縦横無尽に論議を尽したのである。すなわち憲法問題に関する限り、一応当時のわが国の国民の良識と総意が、あの憲法議会に表現されたのである。
新憲法は終戦直後、軍事占領下に制定されたという点を特に強調する論があるが、外国の憲法制定をみても、戦時とか非常時とかに生まれたものが多く、普通、平常の場合というのは案外少ないようである。故に制定当時の事情にこだわって、余り多く神経を尖らせることは妥当ではないように思う。要は、新憲法そのものが、国家国民の利害に副うか否かである。
国民としては、新憲法が一たび制定された上は、その特色、長所を十分に理解し、その真意を汲み取り、運用を誤らざるように致すことが大切なのである。憲法は一国の基本法である。「千古不磨の大典」とまでいわざるも、一たび公布された以上は、これを尊重してその運用よろしきを得るよう務むべきである。「不都合な点があれば改めればよい」といった前述の総司令部側の発言も、日本側を納得させるための説得の言であったと私は解する。強圧ではなかった証左の一つであるともいえる。」
この後、吉田茂は五十三頁で次のように述べている。
「改正の功を急ぐこと勿れ 憲法改正の如き重大事は、仮にそのこと有りとするも、一内閣や一政党の問題ではない。もちろん私といえども、永遠に改正を不可とするものではない。また現行憲法の運用に対して、国民が絶えず批判的精神を持っている必要もまた十分にこれを認める。国民の総意がどうしても憲法を改正せねばならぬというところまできて、それが何らかの形で表面に現れた時に、初めて改正に乗り出すべきである。換言すれば、相当の年月をかけて、十分国民の総意を聴取し、広く検討審議を重ね、しかも飽くまで民主的手続を踏んで、改正に至るべきである。一内閣や一政党が改正の功をあせるがごときは強く排撃せねばならぬ。」(以下、略)
掲載した『回想十年』第二巻の外函の写真と本文の複写は、故吉田茂首相の著作権者であるお孫さん(麻生太郎氏ではない)、及び初版を出版した新潮社の著作権管理室の許諾を得て使用しております。
※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから
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憲法便り記録・資料憲法千話
みんなの【憲法便り】をまとめ読み
https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1604/sin_k883.html
憲法の無意識
柄谷行人著
■目次
I 章
憲法の意識から無意識へ 1
1 憲法と無意識 2
2 第1次大戦とフロイト 9
3 天皇制と戦争放棄 16
4 無意識と世論調査 28
II 章
憲法の先行形態 35
1 憲法1条と9条 36
2 建築の先行形態 45
3 元老支配から天皇機関説へ 53
4 戦後憲法の先行形態 60
5 「戦後」としての徳川体制 65
III 章
カントの平和論 81
1 中江兆民と北村透谷 82
2 ヘーゲルによるカント平和論の批判 92
3 『普遍史』と『永遠平和』101
4 カントとマルクス 105
5 カントとフロイト 109
6 贈与の力 118
IV 章
新自由主義と戦争 135
1 反復するカントの平和論 136
2 交換様式から見た帝国主義 140
3 資本蓄積の3形式 147
4 ヘゲモニー国家の経済政策 152
5 ヘゲモニー国家の交替 158
6 自由主義と新自由主義 163
7 歴史と反復 173
8 将来の展望 180
あとがき 185
第1章 憲法の意識から無意識へ
第2章 憲法の先行形態
第3章 カントの平和論
第4章 新自由主義と戦争
それぞれ初出は、
1韓国延世大学・「平和」国際会議2015年
2たんぽぽ舎・長池講義合同講演2015年
3日本カント協会創立三十周年記念講演2006年
4岩波書店百周年記念講演2014(○2013)年
本来の発表順序は、
3日本カント協会創立三十周年記念講演2006年
4岩波書店百周年記念講演2014年(○2013年11月)
(知の現在と未来――岩波書店創業百年記念シンポジウム 単行本 – 2014/8/29所収)
1韓国延世大学・「平和」国際会議2015年6月
2たんぽぽ舎・長池講義合同講演2015年11月
1は「反復強迫としての平和」(岩波「世界」2015年6月号)に発表されたものを元にしている。
さらに、3(3:2~5)は「カントにおける平和と革命」↓(「思想の言葉」「思想」2015年 第12号)を原型の一つとする。
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html
フロイト、カントからの引用がやはり目立つものの、さらに日本近現代史邦文資料面での加筆多数。
1フロイト2江戸3カント4マルクスが各主役。執筆順は3412だから3カントから(4マルクスの循環的読み替えを経て)1フロイトへの道。2江戸は臨床例。
『ヘンリー・ミラー再読』:「長池講義」 69 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/hida_2005/archives/51429296.html
〈世界共和国は、それに対して諸国家が主権を放棄するところに成立する。カントがいう「永遠平和」とは、たんに国家の間に戦争がない状態ではなくて、諸国家が揚棄された状態なのだ。しかも、カントはそれを実現することが歴史の目的であると仮定してよいというのである。
《人類の歴史を全体として考察すると、自然がその隠された計画を遂行する過程と見なすことが出来る。ところで、この場合に自然の計画というのは、――各国家をして、国内的に完全であるばかりでなく、さらにこの目的のために対外的にも完全であるような国家組織を設定するということにほかならない、このような組織こそ自然が、人類に内在する一切の自然的素質をあますところなく展開し得る唯一の状態だからである》(「世界公民的見地における一般史の構想」(第八命題)『啓蒙とは何か』)。
《自然の計画の旨とするところは、全人類のなかに完全な公民的連合を形成せしめるにある。かかる計画にそって一般世界史をあらわそうとする試みは、可能であるばかりでなく、また自然のかかる意図の実現を促進する企てと見なさざるをえない》(第九命題、同全)
このような世界共和国あるいは公民的連合が成立するには、それぞれの国家において或る決定的な変化がなければならない。それは、その内部において、各人が他人を手段としてのみならず同時に目的として扱うような経済システムが実現され、「その目的のために対外的にも完全であるような国家組織」となることである。したがって、国家の揚棄と資本主義の揚棄は別々にあるのではない。こうして、カントの倫理学は、たんに道徳的次元にとどまりえず、政治的・経済的なものとして、歴史的に実現されるべき理念(コミュニズム)をはらまずにいないのである。逆にいえば、十九世紀以後、コミュニズムはもっぱら政治・経済的思想としてあらわれたが、それは道徳性に根ざしており、またそうでなければその存在理由はない。〉(『定本 柄谷行人集3』P198~199)
『ヘンリー・ミラー再読』:「長池講義」 177 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/hida_2005/archives/51535973.html
ところで、2006年4月に岩波新書として出版された『世界共和国へ』においては、「死の欲動」に関する考察はほとんどカットされている。このために、なぜ「世界共和国」なのかということは理解できても、そこへ向かう必然性ともいうべきものが示されていないと解釈されて、あまり説得力がないというような読後感が生じているのかもしれない。
とはいえ、『世界共和国へ』においても次のように記されている。
〈(カントは)人間の本性(自然)には「反社会的社会性」があり、それをとりのぞくことはできないと考えていた。しかし、これは個々の人間というよりも、むしろ国家の本性というべきものです。カントが永遠平和のための国家連合を構想したのは、そのような国家の本性を消すことはできないという前提に立ってです。しかも、彼は、国家連合が人間の理性や道徳性によって実現されるとはまったく考えなかったのです。それをもたらすのは、人間の「反社会的社会性」、いいかえれば、戦争だと、カントは考えたのです。〉(P220)
〈カントがいう「自然の隠微な計画」はけっして美しいものではありません。それは人間の善意によってよりも、むしろ悪意や攻撃性を通して実現されるからです。その意味で、われわれはどんな悲惨な状態にあっても、絶望する必要はないということになります。しかし、たとえ究極的に「自然の狡知」が働くとしても、われわれはこのまま座視してよいわけではない。人類にとって致命的なカタストロフがおこる前に、われわれはカント自身がそうしたように、実現可能なところから始めるほかないのです。〉(P224)
「自然の隠微な計画」とはこの一節の直前に引用されたカントの『世界公民的見地における一般史の構想』の第八命題に出てくるのだが、それは合わせて引かれた第九命題にも深く関っている。すなわち、
〈人類の歴史を全体として考察すると、自然がその隠微な計画を遂行する過程と見なすことができる、ところでこの場合にいう自然の計画というのは、――各国家をして国内的に完全であるばかりではなく、更にこの目的のために対外的にも完全であるような国家組織を設定するということにほかならない、このような組織こそ自然が、人類に内在する一切の自然的素質を剰すところなく開展し得る唯一の状態だからである(第八命題)
自然の計画の旨とするところは、全人類のなかに完全な公民的連合を形成せしめるにある。かかる計画にそって一般世界史をあらわそうとする試みは、可能であるばかりでなく、また自然のかかる意図の実現を促進する企てと見なさざるをえない(第九命題)〉(篠田英雄訳)
http://ittokutomano.blogspot.jp/2016/03/kant_23.html
2.「世界公民的見地における一般史の構想」(1784)
本論文において、カントは、人類史とは人間が自らの「理性」を進化させる過程であると主張する。
そして言う。その結果、社会はやがて、「各自の自由が他者の自由と共存しうる社会」へといたるのであると。
以下、本論文を構成する9つの命題を紹介しよう。
第1命題は、人間本性の目的論的発展について。
「およそ被造物に内具するいっさいの自然的素質は、いつかはそれぞれの目的に適合しつつ、あますところなく開展するように予め定められている。」
第2命題は、人類は個ではなく類において進化するという命題。
「人間(地上における唯一の理性的被造物としての)にあっては、理性の使用を旨とするところの自然的素質があますところなく開展するのは、類においてであって、個体においてではない。」
第3命題は、人間は理性によって幸福を得るという命題。
「自然が人間に関して欲しているのは、次の一事である、すなわち――人間は、動物的存在としての機械的体制以上のものはすべて自分自身で作り出すということ、また人間が本能にかかわりなく、彼自身の理性によって獲得した幸福、或いは成就した完全性以外のものには取り合わない、ということである。」
第4命題は、敵対関係こそが長い目で見て社会の合法的秩序を作り出すという命題。
「自然が、人間に与えられている一切の自然的素質を発展せしめるに用いるところの手段は、社会においてこれらの素質のあいだに生じる敵対関係にほかならない、しかしこの敵対関係が、ひっきょうは社会の合法的秩序を設定する原因となるのである。」
第5命題は、各自の自由が他者の自由と共存しうる社会こそが自然の最高の意図であるという命題。
「自然が人類に解決を迫る最大の問題は、組織全体に対して法を司掌するような公民的社会を形成することである。組織において最大の自由が保たれ、従ってまたその成員のあいだに敵対関係が普ねく存在するが、しかしこの自由の限界が厳密に規定せられ、かつ守られていて、各自の自由が他人の自由と共存し得るような社会においてのみ、自然の最高の意図――すなわち、自然が人類に与えたところの一切の素質の開展が達成され得るのである。」
第6命題は、しかし人間は、どうしても支配者を必要としてしまう動物だという困難についての命題。
「如上の問題は、 最も困難であると同時に、また人類によって最後に解決するべき課題である。この課題をちょっと思いみるだけでも現前する困難は、――人間は、同類であるところの他の人間のあいだに生活する場合には、支配者を必要とする動物だということである。」
第7命題は、人類はやがて国際連合を作り出さねばならないという命題。
「かかる国際連合においては、どの国家も――従ってまた最小の国家といえども、その安全と権利とを、自国の威力や法的判決に求めるのでなくて、この大規模な国際連合(Foedus Amphictyonum)に、すなわち合一せる威力と合一せる意志とによって制定せられた法律に従うところの決定とに期待することができるだろう。」
この命題については、後の『永遠平和のために』においてより詳細に論じられることになる(カント『永遠平和のために』のページ参照)。今日の国連が、このカントの構想に多くを負っていることはよく知られていることだ。
第8命題は、人類は国内外において完全な組織を創設しなければならないとする命題。
「人類の歴史を全体として考察すると、自然がその隠微な計画を遂行する過程とみなすことができる、ところでこの場合に自然の計画というのは、――各国家をして国内的に完全であるばかりでなく、更にこの目的のために対外的にも完全であるような国家組織を設定するということにほかならない、このような組織こそ自然が、人類に内在する一切の自然的素質を剰すところなく開展し得る唯一の状態だからである。」
第9命題は、「一般世界史」の試みは、自然の意図の実現促進の企てであるという命題。
「自然の計画の旨とするところは、全人類の中に完全な公民的連合を形成せしめるにある。かかる計画に則って一般世界史を著わそうとする試みは、可能であるばかりでなく、また自然のかかる意図の実現を促進する企てと見なさざるを得ない。」
哲学的な「一般世界史」は、世界史の出来事を単に叙述することとは異なっている。
哲学的な「一般世界史」、それは、歴史とは人間が理性を展開させるプロセスにほかならないことを洞察するものである。
だからこそ、この洞察は、そのような歴史の営み(自然の意図)を促進するのに寄与するであろう。
そうカントは言うのだ。
3… 《商業精神は、戦争とは両立できないが、おそかれ早かれあらゆる民族を支配するようになるのは、この商業精神である。つまり国家権力の下にあるあらゆる力 (手段)のなかで、金力こそはもっとも信頼できる力であろうから、そこで諸国家は、自分自身が(もとより道徳性の動機によるのではないが)高貴な平和を促 進するように強いられ、また世界のどこででも戦争が勃発する恐れがあるときは、あたかもそのために恒久的な連合が結ばれているかのように、調停によって戦 争を防止するように強いられている、と考えるのである。実際、戦争にむけての大合同は、事柄の本性から見てきわめてまれにしか生じないし、それが成功する のはさらにまれだからである。このような仕方で、自然は人間の傾向そのものにそなわる機構を通じて、永遠平和を保証する。なるほどこの保証は、永遠平和の 到来を(理論的に)予言するのに十分な確実さはもたないけれども、しかし実践的見地では十分な確実さをもち、この(たんに空想的ではない)目的にむかって 努力することをわれわれに義務づけるのである。》(カント『永遠平和について』第一補説 3「永遠平和の保証について」岩波文庫より)
131頁:
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html
《自然は人間を、戦争をとおして、また戦争へ向けてのけっして縮小されない過度の軍備、さらにまったく平和状態にある国家でさえも結局はそれぞれ内心抱かざる をえない苦境をとおして、最初は不十分ながらいろいろな試みをさせるが、最終的には、多くの荒廃や国家の転覆を経て、さらに国力をことごとく内部から消耗 させた後に、これほど多くの悲惨な経験をしなくても理性ならば告げることのできたこと、つまり野蛮人の無法状態から抜け出して国際連盟を結ぶ方向へ追い込 むのである。ここで国家はすべて、最小の国家でさえも、自国の軍隊や自国の法律上の判決からではなく、もっぱらこの大きな国際連盟(アンフィクチオン同盟 Foedus Amphictyonum)すなわち統一された権力と統一された意志の法に則った決断から、自国の安全と権利を期待することができる。》(カント全集14 『世界市民的見地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年,第七命題)。
一般に膾炙される柄谷の現状認識は、ドイツは2度戦争に負けたから平和主義が行き渡っていて、日本はもう一度(「戦争の末」に)負けなければ9条の意義が一般には理解されない、というものだ。しかし、本書ではそうしたイロニーは後退し、啓蒙的なわかりやすい本になっている。初出発表順は3412で、その順に読むと柄谷の関心の変化がわかる(改訂加筆が多数ある)。一般的な意味で面白いのは本書アクチュアルな二つの最初の論考1,2だろう。自分はマルクスに依拠しつつもそこから逸脱する宇野弘蔵及びウォーラーステイン関連の4が興味深かった。ただ、本書はフロイトカントマルクスの名は出さなくともスピノザだけで論述できると思う(一箇所156頁にスピノザの名が出てくる)。ヘゲモニー国家オランダを背景にしたスピノザの思想を展開すれば、次の覇権国家争いと言うものが解消するのではないか(『帝国の構造』で重視されたのはライプニッツだが)。アメリカの没落、インドの台頭は、中国を暴走させ、最悪の戦争を招く恐れがあるが、本書はそれを止めようとしている。憲法9条は多大な犠牲を払って得た財産で、そこに必要なのはフロイト的ユーモアでイロニーは必要ないと著者は感じているようだ。過去に書いた自己の内村鑑三論を振り返ったあとがきも興味深い。
『世界史の構造』の主知的な部分で構成された『世界共和国へ』(ニーチェによる人類史の抱える無意識への洞察が参照されていたが)とセットで読むべきだろう。
一般に膾炙される柄谷の現状認識は、ドイツは2度戦争に負けたから平和主義が行き渡っていて、日本ももう一度(「戦争の末」に)負けなければ9条の意義が一般には理解されない、というものだ。しかし、本書ではそうしたイロニーは後退し、啓蒙的なわかりやすい本になっている。初出発表順は3412で、その順に読むと柄谷の関心の変化がわかる(改訂加筆が多数ある)。一般的な意味で面白いのは本書アクチュアルな二つの最初の論考1,2だろう。自分はマルクスに依拠しつつもそこから逸脱する宇野弘蔵及びウォーラーステイン関連の4が興味深かった。ただ、本書はフロイトカントマルクスの名は出さなくともスピノザだけで論述できると思う(スピノザの名が一箇所出てくる)。ヘゲモニー国家オランダを背景にしたスピノザの思想を展開すれば、次の覇権国家争いと言うものが解消するのではないか(『帝国の構造』ではライプニッツが重視されたが)。アメリカの没落、インドの台頭は、中国を暴走させ、最悪の戦争を招く恐れがあるが、本書はそれを止めようとしている。憲法9条は多大な犠牲を払って得た財産で、そこに必要なのはフロイト的ユーモアでイロニーは必要ないと著者は感じているようだ。過去に書いた自己の内村鑑三論を振り返ったあとがきも興味深い。
『世界史の構造』の主知的な部分で構成された『世界共和国へ』とセットで読むべきだろう。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072100038.html
いま、憲法は「時代遅れ」か―〈主権〉と〈人権〉のための弁明(アポロギア) [著]樋口陽一
[評者]柄谷行人(哲学者) [掲載]2011年07月10日 [ジャンル]政治 社会
表紙画像 著者:樋口 陽一 出版社:平凡社 価格:¥ 1,620
■「国家権力縛る」基本は今日的
本書はつぎのエピソードから始まっている。伊藤博文は明治の憲法制定に関する会議で、「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」と発言した。この事実を、著者が法律関係者の多い聴衆に話したとき、衝撃をもって受けとめられた、という。
立憲主義の基本は、憲法は、国民が国家権力を縛るものだという考えにある。それは、別の観点からいうと、国家は本性的に、専制的であり侵略的であるという認識にもとづいている。だから、憲法によって国家を縛らなければならない。明治時代に日本帝国を設計した政治家にとっても、それは自明であった。しかし、今や、法律関係者の間でさえ、この基本が忘れられている。
たとえば、憲法9条にかんする議論がそうである。改憲論者はもっぱら国家の権利を論じる。そして、日本の憲法は異常だという。しかし、9条の趣旨は、伊藤博文の言葉でいえば、「国家の(戦争する)権利を制限し、(平和に暮らす)国民の権利を保全することにある」。確かに、立憲主義が始まった時期に、「戦争の放棄」という観念はなかった。しかし、それは、立憲主義の基本から見ると、正当かつ当然の発展である。
憲法は国民が国家権力を縛るものだ、という観点から見ると、現行憲法は「時代遅れ」であるどころか、きわめて今日的である。憲法25条1項には、こうある。《すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する》。たとえば、震災でホームレスとなり職を失った人々を放置するのは、憲法に反する。また、放射性物質の飛散によって人々の生存を脅かすのは、憲法違反であり、犯罪である。本書は、多くの事柄に関して、憲法からそれを見るとどうなるかを、教えてくれる。憲法全文も付載された、最良の入門書である。
評・柄谷行人(評論家)
*
平凡社・1575円/ひぐち・よういち 34年生まれ。国際憲法学会名誉会長。『近代国民国家の憲法構造』など。
敷衍すれば、中東に転嫁された「ユダヤ人問題」(『憲法の無意識』178頁)とは、スピノザ理解が
試され続けていることに他ならない。
もっと簡単に言えば、思想的には超越的な人格神がイスラエル建国とつながり、スピノザ的内在
的汎神論が西欧内部での市民としてのユダヤ人共存につながる。
柄谷が言うようにイスラム国(IS)がイスラエルを模倣しているなら、スピノザ理解はイスラム
国問題をも融解させる可能性があると言えよう。市民としてのイスラム…
Controversial manifesto by acclaimed cultural theorist debated by
leading writers
Fredric Jameson’s path-breaking essay An American Utopia radically
questions standard leftist notions of an emancipated society,
advocating—among other things—universal conscription as the model for
the communist reorganization of society, fully acknowledging envy
and resentment as the central problem of a communist society, and
rejecting the dreams of overcoming the division between work and
leisure. Endorsing the axiom that to change the world one should
begin by changing our dreams about how we imagine an emancipated
society, Jameson’s text is ideally placed to trigger a debate on
possible and imaginable alternatives to global capitalism. In
addition to Jameson’s essay, the volume brings reactions to it by
philosophers and political and cultural analysts, as well as an
epilogue from Jameson. Many will be appalled at what they will
encounter—there will be blood. But what if one has to spill such
(ideological) blood to give the left a new chance?
Contributors include Kim Stanley Robinson, Jodi Dean, Saroj Giri,
Agon Hamza, Kojin Karatani, Frank Ruda, Alberto Toscano, Kathi Weeks,
and Slavoj Žižek.
1000 名前:考える名無しさん :2016/05/08(日) 05:54:44.00 0
今年夏、ジェイムソン、柄谷行人の共著が出るらしい
教皇フランシスコ キリストとともに燃えて―偉大なる改革者の人と思想 [著]オースティン・アイヴァリー - 柄谷行人(哲学者) - 書評・コラムを読む - BOOK asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2016050100005.html?guid=on
2016年05月01日
柄谷行人(哲学者)
著者:オースティン・アイヴァリー、宮崎修二 出版社:明石書店 価格:¥ 3,024
■世界に「希望」を与える貧者の友
英BBCニュースを見ていたら、ローマカトリック教会教皇フランシスコは、他宗派はむろん、他宗教の信者、さらに無神論者にも人気があるという。彼が類例のない教皇であることは、つぎの事実からもいえる。彼はアメリカ大陸から出た最初の教皇であり、イエズス会から出た最初の教皇であり、また、フランシスコを名乗った最初の教皇である。そして、この三つの点は密接につながっている。
第一に、中南米のカトリック信者は、北米に移住した者もふくめると、世界中の信者の半数を超える。だから、この地域からこれまで教皇が出なかったほうがおかしいぐらいだ。ただ、そのことは、第二の点に原因がある。イエズス会は中南米において「解放の神学」を生み出した。また、それは過激な政治運動をもたらした。フランシスコはそれに対して批判的であったものの、もともとアルゼンチンで左翼のペロン派を支援していたし、その後もつねに「貧者」の側に立って行動していた。彼が教皇となって、貧者の友、アッシジのフランシスコにちなむ名を選んだことは至極当然である。
このような中南米に固有の状況は、それ以外の地域のカトリックにとって理解しがたい、むしろ許しがたいものであった。だから、彼のような人物が教皇となったことは空前の出来事である。彼は中南米だけでなく、新自由主義の下に苦しむ世界中の人々にとって「希望」を与える人となった。しかし、そのことこそ、現状がいかに絶望的なものであるかを物語る。
本書は、いかにしてフランシスコのような人物が出現したかを、複雑な中南米の政治・宗教史から説明しているが、数多いエピソードの中で、私にとって最も印象深かったのは、彼が若い時期からアルゼンチンの世界的作家ボルヘス(まったく非宗教的であった)と親密であったということである。
◇
Austen Ivereigh 英国のジャーナリスト。カトリック評論家としてBBCなどメディアで活躍している。
スピノザがいなければ
ネーションステートキャピタル、言い替えるなら
フロイトカントマルクスを統合するのが
ヘーゲルだけになってしまう
探究2を読めばドゥルーズと柄谷をつなぐのもスピノザだとわかる
ネグリが持ち上げたのはハイデガーとの比較においてだから
反発する必要もない
フロイトはショーペンハウエル、ニーチェ経由で
カントは遺稿で
マルクスは神学政治論抜き書きで
それぞれスピノザの影響を受けている
特にマルクスは自分のユダヤ人出自を曖昧にしたままだった
(フロイトが補完する形になるが、スピノザが参照されれば自然と総合される)
バラバラのアプリではなく古いが確実なOS(=スピノザ)があるということだ
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1468240000/523
>ネトウヨ・ネトサポ諸君
>「改憲勢力」派が3分の2を超えた3日後に、
>天皇陛下が退位を示された意味の重大さを考えよ
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1468240000/524
ネトウヨ・ネトサポ諸君
「改憲勢力」派が3分の2を超えた3日後に、
天皇陛下が退位を示された意味の重大さを考えよ
安倍首相がやったこと
①福島原発で堤防を作らせないようにした。
②イスラエルでISに宣戦布告。その後日本人が10数名が死亡。
③今上天皇を退位に追い込む。
勅命が発せられたのである。既に、天皇陛下の御命令が発せられたのである。
お前達は日本会議や統一協会らのそそのかしを正しいものと信じて絶対服従して誠心誠意活動して来たのであらうが、
既に、天皇陛下の御命令によって、平和憲法を遵守せよと仰せられたのである。
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1468240000/558
http://i.imgur.com/Nx03gpX.jpg
これが陛下のお気持ちやぞ
安倍「みっともない憲法」
陛下
「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,
日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,
深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
下村「(園遊会で直訴した山本太郎について)田中正造のようだ」
陛下 田中正造記念館を訪問
天皇皇后両陛下が出来る範囲で、安倍を批判しているのがよく分かる。
天皇陛下は自民憲法で国家元首とされるのは真っ平だと仰せられたのである。
此上お前達が飽く迄も抵抗したならば、夫は勅命に反抗することになり逆賊とならなければならない。
正しいことをしてゐると信じていたのに、それが間違って居たと知ったならば、徒らに今迄の行懸りや義理上から、
何時までも反抗的態度をとって、天皇陛下に叛き奉り逆賊としても汚名を永久に受けるやうなことがあってはならない。
今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて日本国憲法と政教分離原則の下に復帰する様にせよ。
そうしたら今までの罪も許されるのである。お前達の父兄はともかくとして、国民全体は、それを心から祈って居るのである。
速かに現在の地位を棄ててただの一平民の地位に帰って来い。
天皇「戦後〇〇年この憲法を守り・・・」 ← なんども言われてる
天皇「山本太郎氏は大丈夫でしょうか?」 ← 脅迫された山本氏を案じる
天皇「国歌国旗は強制するものではない」 ← 流石
そら天皇も国抜けたくなるは^^
柄谷行人「憲法の無意識」憲法1条のために9条が出来た! 金児至誠堂/ウェブリブログ
http://gonji.at.webry.info/201605/article_1.html
柄谷行人の「憲法の無意識」を読んだ。目から鱗だった。ネットを覗いたら柄谷の本の全体を要約しながらコメントしている人もいた。
私は1点だけに触れておく。憲法9条は憲法1条のために必要だった。
憲法1条(象徴天皇制)が真に定着したと言えるのは1998年昭和天皇が逝去した後だった。憲法9条が焦点になったのは1991年湾岸戦争が始まって以降だった。その前に、当時の宰相吉田茂の再軍備などは「愚の骨頂」、「痴人の夢」という言葉は重い。
あとがきから印象に残った部分を引用しておくー。
「この25年間、憲法9条を廃棄しようとするうごきが止んだことはありません。(中略)そのかわりに、安保法案のような法律を作る、あるいは緊急事態条項を加えるなどして、9条を形骸化する方法をとろうと画策しています。
ゆえに、護憲派は当面、9条が無くなってしまうのではないかということを恐れる必要はありません。問題はむしろ、護憲派のあいだに、改憲をおそれるあまり、9条の条文さえ保持できればよいとかんがえるふしがあるということです。形の上で9条を護るだけなら、9条があってもなんでもできるような体制になってしまいます。護憲派の課題は、今後、9条を文字通り実行する事であって、現在の状態を護持することではありません。」
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1468240000/523
>「改憲勢力」派が3分の2を超えた3日後に、
>天皇陛下が退位を示された意味の重大さを考えよ
安倍首相がやったこと
①福島原発で堤防を作らせないようにした。
②イスラエルでISに宣戦布告。その後日本人が10数名が死亡。
③今上天皇を退位に追い込む。
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1468240000/524
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1468240000/558
これが陛下のお気持ちやぞ
安倍「みっともない憲法」
陛下
「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,
日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,
深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
下村「(園遊会で直訴した山本太郎について)田中正造のようだ」
陛下 田中正造記念館を訪問
天皇皇后両陛下が出来る範囲で、安倍を批判しているのがよく分かる。
天皇陛下は自民憲法で国家元首とされるのは真っ平だと仰せられたのである。
柄谷行人「憲法の無意識」憲法1条のために9条が出来た! 金児至誠堂/ウェブリブログ
http://gonji.at.webry.info/201605/article_1.html
柄谷行人の「憲法の無意識」を読んだ。目から鱗だった。ネットを覗いたら柄谷の本の全体を要約しながら
コメントしている人もいた。
私は1点だけに触れておく。憲法9条は憲法1条のために必要だった。
哲学者・柄谷行人「憲法9条は変えられない 9条は日本人の意識の問題ではなく無意識(フロイトのいう超自我)の問題だから」 [無断転載禁止]©2ch.net
http://karma.2ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1468726373/-100
意識(フロイトのいう超自我)の問題だから」 [無断転載禁止]©2ch.net
1 : 的井 圭一 ★@無断転載は禁止2016/07/17(日) 12:32:53.18 ID:CAP_USER9?PLT(15074)
選挙前の6月14日に哲学者の柄谷行人氏は、朝日新聞の「憲法を考える」シリーズに登場して憲法を論じていた。
その趣旨は、政権党がいかに議席を伸ばし国民投票にかけようとも、憲法9条を変えることは絶対にできないというものだった。
それを哲学として説明しているので興味があった。
これの原典というか、著作としての「憲法の無意識」(柄谷行人・岩波新書)が今年の4月に発行されている。この本も参照しながら、まずは柄谷氏の説明を紹介してみよう。
「なぜ9条は変えられないといえるのですか」という質問に対して、柄谷氏は「9条は日本人の意識の問題ではなく、無意識の問題だからです。」と答えている。
さらに、無意識は潜在意識とは違う、潜在意識なら洗脳して変えさせられることが出来るが、無意識はそうではないと次のように続ける。
「私がいう無意識はフロイトが『超自我』と呼ぶものですが、それは状況の変化によって変わることはないし、宣伝や教育その他の意識的な操作によって変えることもできません。
フロイトは超自我について、外に向けられた攻撃性が内に向けられたときに生じるといっています。」
このあたりからやや難解になるのだが、日本人の意識は敗戦の経験によって大きく変り、戦争の反対の平和に向かったという一般的な理解があるが、柄谷氏はもっと深いところから見ている。
たとえば日本よりも真剣に反省したと言われるドイツでも、憲法9条のような法制はなく再軍備も受け入れている。
それに対して日本では、非戦が無意識の領域にまで入ってすでに「文化」になっている。こうなると、どんな言説によっても簡単に動かすことはできないのだ。
こうなったについては、日本の戦後事情が大きくかかわっている。マッカーサーは占領政策として天皇制の保存と平和主義をセットとして構想した。
それは「戦争にかかわらない伝統的な日本天皇制の復活」でもあった。これについて柄谷氏は、「日本人が9条を作ったのではなく、9条のほうが日本に来たのですから。
それは、困難と感謝の二重の意味で『有(あ)り難(がた)い』と思います」と述べている。
憲法9条の現世的な「ご利益」について、柄谷氏の判断はさらに広がって行く。たとえば国際社会に対しては、次のように述べている。
「国連で日本が憲法9条を実行すると宣言すれば、すぐ常任理事国になれます。9条はたんに武力の放棄ではなく、日本から世界に向けられた贈与なのです。贈与には強い力があります。
日本に賛同する国が続出し、それがこれまで第2次大戦の戦勝国が牛耳ってきた国連を変えることになるでしょう。それによって国連はカントの理念に近づくことになる。
それはある意味で、9条をもった日本だけにできる平和の世界同時革命です。」
この考え方は非現実的だろうか。そうではないと柄谷氏は言う。「カントの考える諸国家連邦は、人間の善意や反省によってできるのではない。
それは、人間の本性にある攻撃欲動が発露され、戦争となった後にできるというのです。
実際に国際連盟、国際連合、そして日本の憲法9条も、そのようにして生まれました。どうして、それが非現実的な考えでしょうか。」
柄谷行人が説く憲法9条の哲学(1) : 志村建世のブログ
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55696833.html
(憲法を考える)9条の根源 哲学者・柄谷行人さん:朝日新聞デジタル
http://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S12407144.html
考える名無しさん
2016/07/22(金) 05:47:24.35 0
『柄谷行人インタヴューズ2002‐2013』読書メモ集 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/1002836 @togetter_jpさんから
111 :
考える名無しさん
2016/07/22(金) 05:49:08.27 0
柄谷行人著「探究I・II」 東浩紀|北日本新聞ウェブ[webun ウェブン] http://webun.jp/item/7293978
112 :
考える名無しさん
2016/07/22(金) 16:23:30.32 0
2016熊野大学夏期特別セミナー
「中上健次生後70年 次世代へ」開催
2016年8月5日(金)~7日(日)
開催場所 和歌山県新宮市
[講師] 浅田彰、井土紀州、柄谷行人、斎藤環、高澤秀次、
田中康夫、中森明夫、村田沙耶香、やなぎみわ、山戸結希、
渡部直己/市川真人、中上紀 他(五十音順・敬称略)
■ プログラム (講演内容、講師などは予告なく変更する場合があります)
◆ 1日目(8月5日) 新宮市内にて
14:00 新宮駅集合 >新宮市までのアクセス
貸切バスにて中上健次墓参。
開校式(新宮ジストシネマ)
プレトーク 「中上健次と溺れるナイフ」 山戸結希・井土紀州ほか
特別先行上映 映画「溺れるナイフ」 <http://gaga.ne.jp/oboreruknife/>
(企画・制作幹事・配給 GAGA 11/5(土)全国ロードショー)
公開講座 「憂国呆談 LIVE」 田中康夫+浅田彰;コメンテーター=中森明夫
◆ 2日目(8月6日) 高田グリーンランドにて
<午前>
公開講座 「中上健次と溺れるナイフ」 山戸結希・井土紀州ほか
公開講座 「『日輪の翼』をめぐって」 渡部直己・浅田彰・中森明夫
<午後>
特別講座 斎藤環
特別対談 「中上健次と津島佑子」 柄谷行人・高澤秀次
懇親会
やなぎみわ演出野外劇「日輪の翼」観劇
◆ 3日目(8月7日) 高田グリーンランドにて
<午前>
中上健次研究若手4氏からの提案発表 ほか
昼食/セミナー終了/バスにて新宮駅へ/または各自解散
113 :
天皇家こそ拉致被害者
そろそろ京都に帰還させてあげるべきだ
憲法9条は300万人以上の犠牲を払って獲得したもの
戦犯の子孫による名誉回復は別の形でして欲しい
ジョ・ヨンイル「韓国人は司馬遼太郎をどう読むか」
(文學界2016年7月号、高井修訳)
すでに日清戦争時に得た莫大な賠償金(受け取った賠償額は当時の日本政府の
国家予算の四・五倍でした)で社会基盤施設が整備され、鉄鋼産業が育成され
るのを見た当時の民衆は、漠然と戦争が好況をもたらしてくれるという期待
をもつようになり、日清戦争をきっかけにとてつもなく成長したマスコミ(今
は反保守メディアに分類される《朝日新聞》がこのとき大きな役割を果たし
ました)がこのような雰囲気を確信させるのに決定的に寄与し、時代の流れを
追っていた知識人もまたこれに積極的に加担しました。
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柄谷行人 ◎ 『世界共和国へ 』に関するノ ート ( 1 2 )権力論 (承前 )2009/8
2
柄谷行人と世界史柄谷行人インタビュ ー :聞き手 /アフメット ・オズ 「トランスクリティ ーク 」をめぐって
イナン ・オネル回帰する主体 :プロレタリア ート ―柄谷行人イスタンブル講演の意義
柄谷行人 ◎ 『世界共和国へ 』に関するノ ート ( 1 3 )社会主義と協同組合 2009/11
6
『世界史の構造 』を読む柄谷行人 +大澤真幸 +苅部直 +島田裕巳 +高澤秀次座談会可能なる世界同時革命抑圧されたコミュニズムの回帰
いとうせいこう書評 「切り場 」
斎藤環書評狂気としての贈与 、あるいは平和への欲望
磯崎新書評柄谷行人の 「ア ーキテクチュア原論 」
佐藤優書評 『世界史の構造 』における普遍宗教 2010/11
10
柄谷行人資本主義は死にかけているからこそ厄介なのだ 2011/10
11
柄谷行人 〈世界史の構造 〉のなかの中国 ─ ─帝国主義と帝国 2012/2
27
柄谷行人 Dの研究 (第 5回 )社会主義の科学 (その一 )2016/2
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イナン ・オネル回帰する主体 :プロレタリア ート ―柄谷行人イスタンブル講演の意義
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『世界史の構造 』を読む柄谷行人 +大澤真幸 +苅部直 +島田裕巳 +高澤秀次座談会可能なる世界同時革命抑圧されたコミュニズムの回帰
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柄谷行人 Dの研究 (第 5回 )社会主義の科学 (その一 )2016/2
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柄谷行人著作リスト['10s]一覧
http://homepage3.nifty.com/karatani-b/10_l.html
2005
『革命と反復』連載第一回「革命と反復」(季刊「atアット」0号)(発行)太田出版:2005年 6月
『革命と反復』連載第二回「永続革命の問題」(季刊「atアット」1号)(発行)太田出版:2005年9月
『革命と反復』連載第三回:「段階の飛び越えとは何か」(季刊「atアット」2号)(発行)太田出版:2005年12月
2006
『革命と反復』連載第四回:「封建的とアジア的と」(『at』3号)3月)
座談会:『世界共和国へ』をめぐって:浅田彰・萱野稔人・高澤秀次(『at』4号)6月
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート1」(『at』 5号・太田出版 9月刊)
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート2」(『at』6号 12月刊)
2007
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート3」(『at』7号 3月刊)
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート4」(『at』8号 6月刊)
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート5」(『at』9号 9月刊)
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート6」(『at』10号 12月刊)
2008
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート7」(『at』11号 3月刊)
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート8」(『at』12号 6月刊)
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート9」(『at』13号 9月刊)
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート10」(『at』14号 12月刊)
2009
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート11」(『at』 15号 3月刊)
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート12」(『atプラス』 創刊号 8月刊)☆
連載論文「『世界共和国へ』に関するノート13」(『atプラス』 2号 11月刊)☆
2010
「『世界史の構造』を読む」
大澤真幸 苅部直 島田裕巳 高澤秀次 柄谷行人
(『at プラス』 06号 太田出版 2010年11月)☆
2011
論文 「自然と人間」
座談 「震災・原発と新たな社会運動」
山口二郎 大澤真幸 いとうせいこう 磯崎新 柄谷行人
(『at プラス 09号』 太田出版 8月)
講演記録「資本主義は死にかけているからこそ厄介なのだ」
(『at プラス 10号』 太田出版 11月)☆
2012
論文 「〈世界史の構造〉のなかの中国」 (『at プラス 11号』 太田出版)☆
2013
デモクラシーからイソノミアへatプラス 15号2013.02.26対話☆
柳田国男の現代性atプラス 18号2013.11.28対話
2014
帝国の周辺と亜周辺atプラス 21号2014.08.18講演
一八九四年と二〇一四年atプラス 21号2014.08.18インタビュー
2015
Dの研究 第1回 宗教と社会主義 atプラス 23号2015.02.10
Dの研究 第2回 原遊動性の回帰atプラス 24号2015.05.15
Dの研究 第3回 宗教と社会主義(承前)atプラス 25号2015.08.18
Dの研究 第4回 宗教と社会主義(承前)atプラス 26号2015.11.13
2016
Dの研究 第5回 社会主義の科学(その一)atプラス 27号2016.02.18☆
Dの研究 第6回 社会主義の科学(その二)atプラス 28号2016.05.14
書評
http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv.html
原発なしで暮らしたい むしむし通信Fukushima - 柄谷行人―反原発デモ ...
www51.atwiki.jp/omotochikatatsuya/pages/329.html
原発なしで暮らしたい むしむし通信Fukushima - 柄谷行人―反原発デモが日本を 変える - デモという対抗―哲学者の柄谷 ... 議会も集会・デモも英語の「アセンブリ」の訳 です。 ... 官邸前、国会周辺のデモの光景は、まさに2つのアセンブリ対峙するものでした 。
安倍首相がまた「私は立法府の長」発言! たんなる言い間違い ... - リテラ
lite-ra.com>リテラ>社会>政治
2016年5月19日 ... 自由民主党HPより ほんとうにこの人は、どこまで無知を晒すのだろう。16日の衆院 予算委員会で、またも安倍首相が驚くような発言を行った。 例の、 ... 総理大臣は行 政府(内閣)の長ではあるが、立法府(国会)の長では断じてないからだ。
かつて一般に膾炙された柄谷の現状認識は、ドイツの場合は二度戦争に負けたから
平和主義が行き渡っていて、日本の場合は一度負けただけだからもう一度負け
なければ9条の意義が一般には理解されないだろう、というものだ。しかし、周知のよう
に現在ではそうしたイロニーは後退している。
次の戦争をどう終わらせるのかを考えると憲法9条は持っているべきカードだ。
安倍は戦争を始めることは考えているが終わらせ方を考えていない。
フロイトは一九三三年に、どうすれば戦争を廃棄できるかというアインシュタインの問いに対してこう述べた。《文化的な態度と、将来の戦争が及ぼす影響に対する当然の不安、これら二つの契機が働いて、近いうちに戦争遂行に終止符が打たれるであろうというのは、ひょっとすれば単にユートピア的な希望ではないかもしれません。どのような道を経て、あるいは回り道を経てそれが実現するのかは、私たちは推し量ることができません。にもかかわらず、文化の発展を促すものはすべて、戦争に立ち向かうことにもなるのだといえます》(「戦争はなぜに」、『フロイト全集20』岩波書店)。
憲法の無意識
3:5で引用
内省と遡行 (講談社学術文庫) | 柄谷 行人 | 本 | Amazon.co.jp
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内省と遡行
d.hatena.ne.jp/innhatrang/20080412
両者は出版年だけを比較すれば、『内省と遡行』が1985年、『隠喩としての建築』が 1983年ですから、単行本としては .... たとえば、ソシュールとヤコブソンの言語学の相違 、ソシュールとフッサールの近接、ラッセルの論理主義とゲーデルの不 ...
みんなのレビュー:内省と遡行/柄谷 行人 講談社学術文庫 - 紙の本 ...
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内省と遡行/柄谷 行人(講談社学術文庫:講談社学術文庫)のhontoレビュー(感想) ページです。本の購入に役立つ評価やみんなの ... さらに著者は、こうした試みを ゲーデルの不完全性定理のメタファーによって説明している。これについてはこれまで 多くの論者 ...
ゲーデルと思想まわりの用語について(その2、俯瞰編) - Togetterまとめ
togetter.com/li/18432
当初議論になったのは、東浩紀『存在論的、郵便的――ジャック・デリダについて』p104 の「ゲーデル的脱構築は完全に形式的である」の一文だったのだけれど、実はそうした 語用は80年代に柄谷行人が著した『隠喩と建築』『内省と遡行』など ...
乱読の森:r0034 内省と遡行
www.interq.or.jp/neptune/namiheij/Books/.../r0034.html
英語タイトル『Introspection and Retrospection』。日本語表記の「内省と遡行」よりも、 英語のほうがこのふたつの単語(熟語)の「近さ」を端的に表している。ふと、この本の そもそもの「起源」がこのふたつの英単語の「類似性」に発しているのではないか、という ...
読書ノート(思想哲学篇)
www2.wind.ne.jp/oshima/dokushoshisou.html
構造主義や脱構築のデリダ、ゲーデルやウィトゲンシュタインなど人を幻惑する先端的な 知を論じていた著者が、なにをいまさら .... わが国では、柄谷行人の『マルクスその可能 性の中心』や『隠喩としての建築』、『内省と遡行』など一連の論考が先鞭をつけたポスト ...
『内省と遡行』(ポストモダニズム) - nifty
homepage1.nifty.com/phase/bn_b/intro.html
『内省と遡行』 柄谷行人 講談社学術文庫 ... しかしながら、私を含めた数学の専門家 でない読者に、カントール、ヒルベルト、ゲーデルといった数学者の学説の正確な理解を 求めること自体は現実的ではないですし、仮に理解できたとしても、それによってその人 の ...
小林敏明『柄谷行人論』(筑摩選書)
ただ、残念ながら、このNAMの運動は結成後まもなく、この地域通貨のあ
り方をめぐっての内紛や中心人物の急逝などが絡んで、あっけなく挫折して
しまったようだが(8)、そのことによって、ここに表された理念までもが
失効してしまったわけではないだろう。
(8) 私には実情がわかっていないので、立ち入った口出しはできないが、
この「内紛」には柄谷自身も当事者として関与していると言われている。し
かし、こうした運動はそもそも、「柄谷」というブランド名が忘れられて、
各地で自然に進められていったとき、はじめて成功するものだろうと思われ
る。
ゲーデルの不完全性定理は価値形態論に似ている
この比較の場合、ゲーデル数=goldになるが
こう比較するとマルクスが途中までしか論理を展開していないことがわかる
絶対王政が歴史の到達点ではないのと同じだ
(柄谷の言うように集合論が基礎でハイデガー存在論は応用例。
ただしゲーデルの肝は集合論自体を外から見ているところだ)
さて、柄谷は論理学を大学でやっていないから
剽窃はアリストテレス関連、ゲーデル関連は吉永良正からの引用
そして、『内省と遡行』(及び『言語・数・貨幣』)の最大の問題はゲーデルの不完全性定理を
アナロジー(アレゴリカルであってメタファーではない)として使うことの是非だ
柄谷はその後言語ゲームに行くからレベルを変えている
レベルを変えることで問題を回避する
形式化の徹底は形式の複数性(ニーチェ)に行き着いたということ
ただしゲーデルの理解としては正しいのか?
柄谷の主眼は真偽の問題ではないと言わざるを得ない
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内省と遡行』は「内省と遡行」、「言語・数・貨幣」、「転回のための八章」の3つから構成 されていますが、このうちの「内省と遡行」は1980年に雑誌「現代思想」に連載された もので、1981年に「群像」に連載された「隠喩としての建築」(『隠喩として ...
みんなのレビュー:内省と遡行/柄谷 行人 講談社学術文庫 - 紙の本 ...
honto.jp>本の通販ストア>文庫>内省と遡行
内省と遡行/柄谷 行人(講談社学術文庫:講談社学術文庫)のhontoレビュー(感想) ページです。本の購入に ... マルクスその可能性の中心」と「探究」をつなぐ、著者の初期 の理論的仕事から「内省と遡行」「言語・数・貨幣」の2編を収録している。また、その後の ...
resume:大澤信亮「柄谷行人論」 - 忍者ツールズ
trounoir.ohitashi.com/resume_just.html
マルクスその可能性の中心」(一九七八年に単行本版が出版)以後の柄谷は、「内省と 遡行」(一九八〇)から「言語・数・貨幣」(一九八三)といった一連の「形式化」をめぐる 論考に没入する。これは「マルクスその可能性の中心」で論じた価値形態論がそもそも 資本 ...
四九〇 (473─74)
主観を一つだけ想定する必然性はおそらくあるまい。おそらく多数の主観を想定しても同じくさしつかえあるまい、それら諸主観の協調や闘争が私たちの思考や総じて私たちの意識の根底にあるのかもしれない。支配権をにぎっている「諸細胞」の一種の貴族政治? もちろん、たがいに統治することに馴れていて、命令することをこころえている同類のものの間での貴族政治?
『内省と遡行』「序説」16頁、「言語・数・貨幣 第1章」164頁に引用
五一八 (500─501)
私たちの「自我」が、私たちにとっては、私たちがそれにしたがってすべての存在をつくりあげたり理解する唯一の存在であるなら、それもまことに結構! そのときには、或る遠近法的幻想が──一つの地平線のうちへのごとく、すべてのものをそのうちへとひとまとめに閉じこめてしまう見せかけの統一が、ここにはあるのではなかろうかとの疑問がとうぜんおこってくる。肉体を手引きとすれば巨大な多様性が明らかとなるのであり、はるかに研究しやすい豊富な現象を貧弱な現象の理解のための手引きとして利用するということは、方法的に許されていることである。(結局、すべてのものが生成であるとすれば、認識は存在を信ずることにもとづいてのみ可能である。)
内省と遡行15~6頁164頁
四七七 (673─74)
主は内的世界についてもその現象性を固執する。すなわち、私たちが意識するすべてのものは、徹頭徹尾、まず調整され、単純化され、図式化され、解釈されている
内省と遡行9頁163頁
492
主観が主観に関して直接問いたずねること、また精神のあらゆる自己反省は、危険なことである[が、その危険は、おのれを、偽って解釈することがその活動にとって有用であり重要であるかもしれないという点にある。]それゆえ私たちは肉体に問いたずねる[のであり、鋭くされた感官の証言を拒絶する。言ってみれば、隷属者たち自身が私たちと交わりをむすぶにいたりうるかどうかを、こころみてみるのである。 ]
内省と遡行9頁163頁
─────────────
ニーチェにとって、永劫回帰とは、けっして内面化も一般化もしえない個別性(単独性)の反復であり、それはいわば固有名を取り返すことなのだ。
柄谷定本5・217頁
4:53 午前 削除
Blogger yoji さんは書きました...
柄谷行人とプルードン : 関本洋司のブログ
http://yojiseki.exblog.jp/9320919/
柄谷行人とプルードン
柄谷行人は「群像」誌上における『探究3』の連載を単行本化する際に、プルードンへの考察を取り入れた(『トランスクリティーク』のアナーキストと最終章における考察)。
だが重要なのは、それ以前の『探究2』でスピノザを論ずるなかで得た結論と、プルードンの見解が一致するということだ。
プルードンは以下のようにいう。
「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」
(プルードン『革命と教会における正義』未邦訳。斉藤悦則氏のHPより)
http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/vive.htmlhttp://www.exblog.jp/myblog/entry/edit/?eid=a0024841&srl=9320919#
これらは以下の柄谷の考察と同じだ。
<コジェーヴは、ヘーゲルの哲学を超越することはできないといった。《ヘーゲルの言説は思惟のすぺての可能性を汲み尽くしている。ゆえに彼の言説の一部を成していないような言説を、全体の契機として体系の一節に再現されていないような言説を彼の言説に対立させることは不可能であるしたがって、「弁証法的に揚棄され」うる「定立」ではないという意味では、この言説が弁証法的でないことが理解される》(『ヘーゲル哲学入門』上妻棉・今野雅方訳、国文社p275)。(略)要するに、ヘーゲルを超越しようとすることがまちがいなのだ。なぜなら、ヘーゲルの哲学はいわば超越の哲学であり、それを完結したものだからである。マルクスがやったのは「超越」の不可能性を示すことだ。そして、マルクス以前にスピノザはそれを示している。それは「無限」の観念によって可能なのである。>
(『探究2』、単行本p151-152、文庫p177)
<だが、シュレーゲル的な戯れを拒み、さらにヘーゲル的な和解を拒むとき、何が可能だろうか。(略)ニーチェにとって、永劫回帰とは、決して内面化も一般化もしえない個別性(単独性)の反復であり、それはいわば固有名を取り返すことなのだ。>
(定本第5巻p216-217)
ちなみに後者の引用に出てくるニーチェはスピノザの影響を受けている(「善悪の彼岸」なることばはニーチェがスピノザを読んだ後の覚え書きにある言葉であり、実際『エチカ』第4部定理68*に同様の言葉がある。また、マルクスの『資本論』におけるプルードンに対する執拗な批判も、貨幣を揚棄されて得た概念とするマルクスに対して、貨幣を設計可能なものとするプルードン=ゲゼル的思考を際立たせるものとしてあることに思い当たる。)
柄谷のプルードンに関する直接的な言及も重要だが、これらの考察こそ柄谷の可能性の中心と言えるものではないだろうか?
マルクスの認識にカントの倫理を組み入れたのが柄谷のアソシエーション論だとするなら、プルードンはそれを先取りしていたのである。そのことは柄谷のスピノザ論を見ることで論理的に明確になると思う。
*注:
スピノザ『エチカ』第四部には以下のようにある。なお後半部のモーゼをめぐる考察は柄谷の「抑圧されたものの回帰」等、フロイト(『探究2』単行本p159ではスピノザとの同種性が第5部定理3=<受動の感情は、われわれがその感情についての明瞭・判明な観念を形成れば、ただちに受動の感情でなくなる。>から導かれる)をめぐる言説にも直接関係してくる内容である。
「 定理六八 もし人々が自由なものとして生まれたとしたら、彼らは自由である間は善悪の概念を形成しなかったであろう。
証明 私は理性のみに導かれる人を自由であると言った。そこで自由なものとして生まれかつ自由なものにとどまる人は妥当な観念しか有しない。またそのゆえに何ら悪の概念を有しない(この部の定理六四の系により)。したがってまた善の概念をも有しない(善と悪とは相関的概念であるから)。Q・E・D・
備考 この定理の仮定が誤りであること、そしてそれは人間本性だけを眼中に置く限りにおいてのみ、あるいはむしろ、無限なものとしての神ではなく、単に人間の存在の原因にすぎない神を眼中に置く限りにおいてのみ、考えられるのだということは、この部の定理四から明らかである。
このことや我々のすでに証明したその他のことどもは、モーゼが最初の人間に関するあの物語の中で暗示しているように見える。すなわちその物語の中では、人間を創造したあの能力、言いかえれば人間の利益のみを考慮したあの能力、以外のいかなる神の能力も考えられていない。そしてこの考え方にそって次のことが物語られている。すなわち神は自由な人間に対して善悪の認識の木の実を食うことを禁じた、そして人間はそれを食うや否や生を欲するよりもむしろ死を恐れた、それから人間は自己の本性とまったく一致する女性を発見した時、自然の中に自分にとって彼女より有益な何ものも存しえないことを認めた、しかし彼は動物が自分と同類であると思ってからはただちに動物の感情を模倣(第三部定理二七を見よ)して自分の自由を失い始めた。この失われた自由を、族長たちが、そのあとでキリストの精神、すなわち神の観念 〜 神の観念は人間が自由になるための、また前に証明したように(この部の定理三七により)人間が自分に欲する善を他の人々のためにも欲するようになるための、唯一の基礎である 〜 に導かれて再び回復したのであった。」(畠中尚志訳。岩波文庫より)
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1 :
ムイシキン公爵
2016/05/08(日) 05:58:07.50 0
2016/10 佐藤優・柄谷行人 対談 新潟
2016/5/6 柄谷行人・大澤真幸 講演会 紀伊國屋サザンシアター
柄谷行人「Dの研究(第6回)」 atプラス28
2016/4/20 柄谷行人『憲法の無意識』 岩波新書
2016/1/8 柄谷行人『定本 柄谷行人文学論集』 岩波書店
2015/1/16 柄谷行人『世界史の構造』 岩波現代文庫
2014/7/24 柄谷行人『帝国の構造 中心・周辺・亜周辺』 青土社
2014/1/20 柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』 文春新書
2012/11/16 柄谷行人『哲学の起源』 岩波書店
625 :
考える名無しさん
2016/11/12(土) 06:46:36.88 0
あのスラヴォイ・ジジェクがまさかのトランプ支持!?
2016/11/7 2016/11/8
インタビュアー「もしあなたがアメリカ人だったらどの候補に投票しますか?」
ジジェク「私はトランプに投票します」
(以下ジジェクの言葉)
私はたしかに彼のことが恐いですが、ヒラリーにはもっと恐怖を感じます。彼女こそが真に危険な存在です。
なぜなら彼女は全てを包括する連合体を作ったからです。
私がトランプを支持する点は、バーニーサンダースがヒラリー支持を表明したときの言葉の通りです。
「トランプは完全に間違っている。彼の言動はまるでオキュパイ・ウォールストリートの参加者が
リーマン・ブラザーズを支持しているように支離滅裂だ。」
すべての社会の中には「政治がどのように動くか」「皆がどうやって合意を形成するか」ということを記した、
暗黙のルールから成るネットワークが存在します。トランプはそのネットワークをかき乱す存在なのです。
もしトランプが勝利したら、民主党と共和党はこれまでのままでは居られません。
自分たちの行いを省みて、自分たちの原点に立ち戻ろうとするはずです。
そこから何かが変わり始める可能性があります。
これは私の半ば自暴自棄ともいえる願望なんですが、もしトランプが勝利したら、
もはやアメリカは独裁的な国のままではいられず、ファシズムを呼び起こすこともなくなると思います。
これは覚醒ともいえる出来事で、新しい政治のプロセスが起動し始めるきっかけになり得ると思います。
一方、私がとても心配している点もあります。それは、彼がとても「白人至上主義」的な言葉を口にしていて、
おそらくその言葉通りのことをしてしまうのではないかということです。
例えば、彼はアメリカの最高裁のメンバーに右翼サイドの人間を任命すると公言しています。
トランプのこういう言動は恐ろしいところがありますが、
やはり真に恐ろしいのはヒラリーがもたらす世界の流れです。
ヒラリーは冷戦主義者で、金融の世界と密に繋がっていて、社会進歩主義を装っている、
危険な存在だからです。
http://moblog.absgexp.net/zizek_vs_trump/
626 :
考える名無しさん
2016/11/13(日) 22:44:28.03 0
柄谷行人・高澤秀次「中上健次と津島佑子」
文學界二〇一六年一〇月号
柄谷 湾岸戦争に反対する集会をやろうと言ったのは中上健次です。彼は最初、むちゃくちゃなことを言ってきた。「ニューヨーク・タイムズに、俺とあんたと安部公房の三人で意見広告を出そう」と。
高澤 ところで、熊野大学の常連の受講者で、反原発の社会運動家でもあった飛弾五郎さんという方が、昨年急逝されました。その飛弾さんの発言で忘れられないのが、「『黄金の夢の歌』は柄谷さんの『世界史の構造』(二〇一〇)だ」というものです。
627 :
考える名無しさん
2016/11/13(日) 22:51:10.52 0
松本「トランプが当選しそうでヤバいですね」、柄谷「ヒラリーもヤバいよ」
考える名無しさん[sage] 投稿日:2016/07/13 23:23:59
シン・ゴジラ GODZILLA RESURGENCE 17 /映画作品・人板
>「改憲勢力」派が3分の2を超えた3日後に、
>天皇陛下が退位を示された意味の重大さを考えよ
安倍首相がやったこと
①福島原発で堤防を作らせないようにした。
②イスラエルでISに宣戦布告。その後日本人が10数名が死亡。
③今上天皇を退位に追い込む。
シン・ゴジラ GODZILLA RESURGENCE 17 /映画作品・人板
シン・ゴジラ GODZILLA RESURGENCE 17 /映画作品・人板
これが陛下のお気持ちやぞ
安倍「みっともない憲法」
陛下
「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,
日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,
深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
下村「(園遊会で直訴した山本太郎について)田中正造のようだ」
陛下 田中正造記念館を訪問
天皇皇后両陛下が出来る範囲で、安倍を批判しているのがよく分かる。
天皇陛下は自民憲法で国家元首とされるのは真っ平だと仰せられたのである。
柄谷行人「憲法の無意識」憲法1条のために9条が出来た! 金児至誠堂/ウェブリブログ
http://gonji.at.webry.info/201605/article_1.html
柄谷行人の「憲法の無意識」を読んだ。目から鱗だった。ネットを覗いたら柄谷の本の全体を要約しながら
コメントしている人もいた。
私は1点だけに触れておく。憲法9条は憲法1条のために必要だった。
考える名無しさん[sage] 投稿日:2016/07/13 23:23:59
>「改憲勢力」派が3分の2を超えた3日後に、
>天皇陛下が退位を示された意味の重大さを考えよ
安倍首相がやったこと
①福島原発で堤防を作らせないようにした。
②イスラエルでISに宣戦布告。その後日本人が10数名が死亡。
③今上天皇を退位に追い込む。
これが陛下のお気持ちやぞ
安倍「みっともない憲法」
陛下
「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,
日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,
深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
下村「(園遊会で直訴した山本太郎について)田中正造のようだ」
陛下 田中正造記念館を訪問
天皇皇后両陛下が出来る範囲で、安倍を批判しているのがよく分かる。
天皇陛下は自民憲法で国家元首とされるのは真っ平だと仰せられたのである。
柄谷行人「憲法の無意識」憲法1条のために9条が出来た! 金児至誠堂/ウェブリブログ
http://gonji.at.webry.info/201605/article_1.html
柄谷行人の「憲法の無意識」を読んだ。目から鱗だった。ネットを覗いたら柄谷の本の全体を要約しながら
コメントしている人もいた。
私は1点だけに触れておく。憲法9条は憲法1条のために必要だった。
"根底的な破壊の後に立ち上がる強靭な言葉と思想――。この20年間の代表的講演を著者自身が精選した待望の講演集。学芸文庫オリジナル":柄谷行人『柄谷行人講演集成1995−2015 思想的地震』 http://comingbook.honzuki.jp/?detail=9784480097736 …
>柄谷行人はかつて、ごく短いエッセイの中で、スポーツの領域で、誰かが大きく世界記録を更新すると、それまで何十年間も誰も到達できなかったその近辺の記録を出す者が、突如として次々と出てくることがあるが、それはどうしてだろうか、という疑問を提起した。
http://www.webchikuma.jp/articles/-/365?page=4
これって何のエッセイだったっけ?
覚えている人は教えてほしい
批評とポスト・モダン - 289 ページ
https://books.google.com/books?id...
柄谷行人 - 1989 - スニペット表示
柄谷行人. 三 世界記録の壁が、いったん一人に破 私がつねづね不思議に思うのは、 スポーツなどでも、とうてい破られないと思われた同じことが詰碁や詰将棋についていえる。どんなやさしい問題でも実戦ではなかなか解けない。そのために、実戦では心理的 ...
群像 - 第 54 巻、第 7~8 号 - 356 ページ
https://books.google.com/books?id...
1999 - スニペット表示 - 他の版
かが、大きく世界記録を更新すると、それまで何年間も誰も到達できなかったその近辺の記録を出すものが、突然、次々と出ることがあるが、それはなぜだろ ... 柄谷行人は、 かつてごく短いエッセイの中で、スポーツの領域で誰納得するには議論による他はない。
批評とポスト・モダン ( 読書 ) - 絶版書籍の標本箱 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/unasaka2/66790457.html?__ysp=5om56KmV44Go44Od44K544OI44Oi44OA44OzIOebruasoQ%3D%3D
柄谷 行人
「批評とポスト・モダン」
福武文庫
323頁・発行 1989年
カバー紹介文
ポスト・モダンの嵐は批評に何をもたらしたのか――閉ざされたシステムあるいは言説空間から《外部》に出るために、絶えずトポロジカルに移動し反転しつづける著者の批評活動を集成した注目の評論集。
目次
1
批評とポスト・モダン
無作為の権力
モダニティの骨格
2
今ここへ ― 中上健次
物語のエイズ
場所についての三章
根底の不在 ― 尹興吉『長雨』について
梶井基次郎と『資本論』
仏教について ― 武田泰淳の評論
森敦の『意味の変容』
交通について
文体について
私と小林秀雄
懐疑的に語られた「夢」
『門』について
『草枕』について
安吾はわれわれの「ふるさと」である
唐十郎の劇と小説
3
感じることと考えること
反動的文学者
街の眺め
占星学のこと
断章
「反核アピールについて」再論
ブタに生れかわる話
凡庸化するための方法
文科系の数学
ポール・ド・マンの死
テクノロジー
解説 島田雅彦
絶版文庫書誌集成
柄谷行人っていう、私の大変尊敬する思想家が、おとといの金曜日に、ここ
で講演してくださったんです。タイトルは、「憲法9条と『神の国』」。
冒頭に、ルカの福音書を引用しました。
「イエスは言われた。神の国は、見える形で来るのではない。『ここにあ
る』『あそこにある』と言えるものでもない。神の国はあなたがたの間にあ
るのだ」 (cf.ルカ17:20-21) 。
イエスに言わせれば、神の国は見えないけれども、現実の、私たちの関係
性のうちに始まっている、と。
よく、われわれは、死後の「天国」だの「地獄」だの、勝手なことを言っ
てるけれども、神のご計画によれば、真の天の国は、単なる死後の世界のこ
とだけではなく、もう私たちの間、愛し合う関係性のうちに始まっているの
だ、と。だから、私たちの間に現実にある、悲惨な争い、それこそ「地獄の
ような関係性」を忍耐強く克服し、不完全でも、一つひとつ、「地上の天国」
を生み出していこう、と。それこそが、真の平和である、完全なる天の国へ
向かう道なんだと、イエスはそう言いたいんじゃないですか。そう宣言し、
そう生きているこの私こそが、その道だ、と。
多様な民族と宗教が複雑に渦巻く現実の中で、利己的、原理主義的な平和
ではなく、すべての人に通用する、より普遍的な平和を求め続けること、そ
の道の果てに、本ものの天の国がある。その本ものの天の国が、イエスにお
ける究極の普遍主義によって、もうこの地上に始まっている。それを信じて、
私たちの「間」に生まれつつある天の国を証しして行こうじゃないか。キリ
スト教は、そう願い、そのように生きる。・・・まさに、キリスト教にとっ
ては、「地続き」なんですよ、「天」と「地」っていうのは。
そうでなければ、「どうせこの世は地獄だ。過ぎ行くこの世なんか、どう
でもいい。こんな悲しみと暴力に満ちた世の中から離れてサッサと死ねば、
楽しい天国に行ける」ってことになってしまう。この世を愛して生み出した
神が、そんなことを望んでいるはずがない。それは、あまりにも、この地上
を軽視している。種がなければ実りもない。
680:
>柄谷行人はかつて、ごく短いエッセイの中で、スポーツの領域で、誰かが大きく世界記録を更新すると、それまで何十年間も誰も到達できなかったその近辺の記録を出す者が、突如として次々と出てくることがあるが、それはどうしてだろうか、という疑問を提起した。
http://www.webchikuma.jp/articles/-/365?page=4
これって何のエッセイだったっけ?
覚えている人は教えてほしい
>>680
「豚に生れかわる話」(『批評とポスト・モダン』)
用匿名的方式公表意見的人、在現実中不會興他人接触。ー般説来、
想要脱離匿名状態的欲望興政治結合的時候、有一個顕著的傾
向、就是容易産生排外的・?視的運動;在政治上會出現法西斯主義。
但這是必然的事情、我們除了暫時容忍、没有別的辨法。 想要透過密名
的方式宣揚理念、是心行不通的。人的「 主體」是由他身處的場合或結構
所形塑而成的。證據很明顯‥人一旦離開匿名的状態、就會立刻改變他
的意見。
所以、日本之所以貢要示威活動、並不是為了要發動革命;但總而
言之、示威活動的存在是很重要的一件事。不過、為了這個目標、我們
需要Association。
『柄谷行人談政治』柄谷行人 / 林暉鈞 / 心靈工坊 台北 22011-7-4 180〜1頁
(p)http://book.douban.com/subject/6756119/
匿名で意見を述べる人は、現実に他人と接触しません。一般的にいって、
匿名状態で解放された欲望が政治と結びつくとき、排外的・差別的な運動
に傾くことに注意すべきです。だから、ここから出てくるのは、政治的に
はファシズムです。しかし、それは当たり前なのだから、ほうっておくほ
かない。2ちゃんねるで、人を説得しようなどとしてはいけない。場所あ
るいは構造が、主体をつくるのです。その証拠に、匿名でない状態におか
れると、人はただちに意見を変えます。
だから、日本では、デモは革命のために必要だというようなものではない。
とりあえず、デモが存在することが大事なのです。しかし、そのためには、
アソシエーションがなければならない。
柄谷行人『政治と思想』平凡社ライブラリー 151頁
交換様式AとDみたいに一応構造主義的に概念規定しないと
パンドラの箱を開けたようになってしまう
『可能性の中心』でも引用された「彼らは意識していないが、しかしそう行なう
のである」というマルクスの言葉は(資本論1:1:4)、ルカ福音書(23:34)の「為すところ
を知らざればなり」というキリストの言葉(ジジェクが書名に使った)を想起させる…
マルクスは断罪し、キリストは許しを乞い、ニーチェは笑う…
『世界史の構造』ではキリスト教はその両面が記述される
____
交換様式AとDみたいに一応構造主義的に概念規定しないと
パンドラの箱を開けたようになってしまう
パゾリーニの『奇跡の丘』みたいなアプローチもあるが…
「彼らは意識していないが、しかしそう行なうのである」という言葉は(資本論1:1:4)、
ルカ伝(23:34)の彼らは知らないのですというキリストの言葉を想起させる
マルクスは断罪し、キリストは許しを乞う
柄谷は怒り、ジジェクは笑う
カウツキーはプラトンの共産主義と原始キリスト教の共産主義の考察から記
述を始め、ともに消費の共産制に留まった点に注目している。両者の相違は
〈プラトンは共産主義を貴族階級の特権とし、私有財産は人民大衆のために
残しておいた〉が原始キリスト教は人民大衆が必要としたものだという点に
ある。プラトンの理想国家では支配階級は生産しないがゆえに生産手段の共
産制については考察されていない。「守護者」の財産の共有ならびに個別家
族の廃止すなわち妻と子供の共有を主張する。私的利害がひきおこす〈けん
かや不和の種をまき散らす〉ようなものを追放するためである。一方原始キ
リスト教時代の生産状態は〈生産手段の私有制を必要とし、キリスト教はこ
の状態をのり越えることはできなかった。〉そこで〈有産者は生産手段、と
りわけ土地は手放さずにおき、利用することになった。しかし彼らが消費手
段として所有し取得したもの―食糧、衣服、住居、そうしたものを買うため
の金銭―そういうものはキリスト教団に用だて〉た。また〈消費の共産制は、
家族と個別婚の廃止ときわめて密接なかかわりがある〉がこの廃止には二つ
の方法がある。〈婦女と子供の共有による〉か〈性的交わりの断念、つまり
独身による〉かである。プラトンは前者を選び、〈キリスト教の急進共産主
義的発端においては〉〈多く禁欲の形をとり、家族と結婚に攻めかかった。〉
3 :考える名無しさん:2013/11/09(土) 01:45:06.52 P
「僕の本には書いてないんですけど…想起ということの問題を改めて考えました。
思い出すというのは、ソクラテス問答法というのは…相手が思い出すのを助ける。
自分は何もしない…
精神分析も医者は関係ない。患者が思い出すだけです…後になって理論的にまとめ
たのは医学用の話で…
僕はそのことで思うのは、それは革命の問題もみな同じではないか。
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかと聞く
んですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働
商品ではないから、イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言
っているんです。マルクスは若いときから言っています‥
『彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、
崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会
の諸要素を解放することである。』(『フランスの内乱』より)
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…それを思い出せばいいだけです。」
2013年02月7日 @新宿サザンシアター
「民主主義を超えて――イソノミアへ 」柄谷行人(大澤真幸との対談)未活字化
柄谷行人 書評委員が選んだ「今年の3点」
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2016122500010.html?guid=on
2016年12月25日
(1)家族システムの起源 1 ユーラシア 上・下(エマニュエル・トッド著、石崎晴己監訳、
藤原書店・上4536円、下5184円)
(2)セカンドハンドの時代(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、松本妙子訳、岩波書店・
2916円)
(3)世界マヌケ反乱の手引書(松本哉著、筑摩書房・1404円)
◇
書評ではトッドの『シャルリとは誰か?』(文春新書)を取り上げたが、私はその後刊行された
(1)を推したい。というのも、彼の現状分析の根底に、家族構造を世界史的に考究した本書の
認識があるからだ。たとえば、近代的と思われている核家族が人類最古の家族制度であること、
また、母系制は父系制が確立した後に反動として生まれたことなど、多くの画期的な考えが提示
されている。(2)は、ソ連時代にひどい目にあったが、その後の資本主義の中で再び、別種の
ひどい状況に置かれた人々の「声」を拾い上げた。もはや出口はないが、人々には苦悩する力が
ある。それが新たな活路を見いだすことになるだろう。それは日本の社会でも同じだ。(3)は
いわば、活路を「マヌケ」に見いだしたのである。
◇
今までの仕事(講演集成および坂口安吾論)をまとめ、来年は「Dの研究」を一から書き直す
予定
【憲法記念日】GHQの憲法草案に「これでいいじゃないか」。昭和天皇のお言葉、メモに [無断転載禁止]©2ch.net
1 : 記憶たどり。 ★2017/05/03(水) 04:46:24.07 ID:CAP_USER9
http://www.asahi.com/articles/ASK4N64JQK4NUTIL03Q.html?iref=comtop_8_01
「これでいいじゃないか」――。日本国憲法起草のもとになった連合国軍総司令部
(GHQ)草案の受け入れをめぐり、1946年2月22日に昭和天皇が幣原(しではら)
喜重郎首相(当時)と面談した際の天皇の発言を示すメモが、憲法学者の
故宮沢俊義・東大教授のノートに記されていたことがわかった。
「安心して、これで行くことに腹をきめた」という幣原氏の心情も記載されている。
ノートには、46年9月ごろ、宮沢氏ら貴族院特別委員会のメンバーが幣原氏から
首相官邸に呼ばれ、「内話を聞かされた」なかでの、幣原氏と昭和天皇のやりとりが
備忘録的に記されていた。高見勝利・上智大名誉教授(憲法)がメモの記述を見つけた。
ノートの原本は立教大学図書館に所蔵されている。
幣原氏と面談した際の昭和天皇の発言に関しては、GHQ作成の資料に、天皇自身が
徹底的な改革を望み、草案を「全面的に支持する」と述べたとの記載があり、様々な
文献にも引用されているが、「発言が積極的過ぎる」などと疑問視する声もあった。
高見氏は、「メモからは、日本や天皇制を取り巻く厳しい国際情勢を考え、草案の受け入れ
しかないという現実的判断をしたことがうかがえる。GHQの資料よりもメモの方が実態に
近いのではないか」と話す。
調査委員会でまとめた憲法改正案が明治憲法の微修正にとどまったため、GHQの
同意を得られなかった。46年2月13日、GHQ側から渡された草案では天皇の地位が
「象徴」となるなど、政府内では受け入れをめぐり賛否が割れたが、22日午前の閣議で
事実上の受け入れを決定。同日午後、首相だった幣原氏が天皇を訪ね、経緯を報告した
――ここまではすでに明らかになっている。
宮沢ノートのメモは、この時の様子をこう記す。
「陛下に拝謁(はいえつ)して、憲法草案(先方から示されたもの)を御目(おめ)にかけた。
すると陛下は『これでいいじゃないか』と仰せられた。自分はこの御一言で、安心して、
これで行くことに腹をきめた」
また、幣原氏は2月21日、マッカーサー司令官と面会。そこでのマッカーサー氏の発言に
ついて「元帥曰(いわ)く。『天皇の問題については、自分は諒承(りょうしょう)しているが、
南と北とから、反対がある。天皇を象徴とする憲法を承認するということは、日本の為に
のぞましいと思う』。〔南とは濠州、ニュージイランド、北とはソ聯(れん)だろう〕」。
草案に沿って憲法改正案作りをすることを決定した日本政府は、3月4日から5日にかけて
GHQ側との徹夜の協議で案を確定。6日、「憲法改正草案要綱」として発表した。
帝国議会の審議を経て、46年11月3日に日本国憲法を公布。475月3日に施行した。
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170502003336_comm.jpg
昭和天皇と幣原喜重郎とのやりとりが書かれた宮沢俊義のノート=立教大学図書館所蔵
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072701514.html
法と掟と
[著]宮崎学
[評者]柄谷行人(哲学者)
■日本社会の「正体」を問う痛快な試み
…
本書の定義によれば、掟とは個別社会の規範である。「個別社会」は家族、村、労働組合、
同業者組合、経済団体といった基礎的な集団であるが、著者はそれを「仲間内」と呼ぶ。
そこには、相互扶助(互酬)的であるとともに内部で共有する規範がある。それが「掟」である。
一方、「全体社会」は国民国家のように抽象的な集団であり、そこで共有される規範が「法」
である。
通常、社会は、個別社会の掟で運営されており、掟ではカバーできないときに法が出てくる。
ところが日本社会では、そういう関係が成り立たない。掟をもった自治的な個別社会が希薄で
あるからだ。著者によれば、その原因は、日本が明治以後、封建時代にあった自治的な個別
社会を全面的に解体し、人々をすべて「全体社会」に吸収することによって、急速な近代化を
とげたことにある。…
日本は自治的な個別社会を解体したために、国民国家と産業資本主義の急激な形成に成功し
たが、それは、今やグローバル化の中で通用しなくなっている。それに対して、中国では個別
社会——幇(バン)や親族組織——が強く、それが国民(ネーション)の形成を妨げてきた。
しかし、逆に、今日のグローバル化において、国境を超えた個別社会のネットワークが強みとな
っている。
著者は、若い人たちに個別社会の形成をすすめている。そのためには個々人が「世間」の
規範から出なければならない。
参考:
宮崎学『法と掟と』解説 - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-35.html
『資本論』第1巻第24章「いわゆる本源的蓄積」第7節
http://study-capital.la.coocan.jp/2-houkou1/report2-1-097.html
【資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた資本主義的私有も、
自分の労働にもとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし、資本主義的生産は、一つの
自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定は、
私有を再建しはしないが、しかし、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。
すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによって生産される生産手段の共同占有とを
基礎とする個人的所有をつくりだすのである。】
『資本論』第1巻第24章「いわゆる本源的蓄積」第7節
http://study-capital.la.coocan.jp/2-houkou1/report2-1-097.html
【資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた資本主義的私有も、
自分の労働にもとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし、資本主義的生産は、一つの
自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定は、
私有を再建しはしないが、しかし、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。
すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによって生産される生産手段の共同占有とを
基礎とする個人的所有をつくりだすのである。】
多分この概念的区別に関してマルクスはシスモンディの影響を受けている
参考:
『資本論』第1巻第5章第1節「労働過程」 解説
http://members3.jcom.home.ne.jp/study-capital/2-houkou1/report2-1-031.html
マルクスは、労働過程を、労働、労働対象、労働手段という3つの契機において把握します。
…
マルクスは本節の最後で、労働過程が資本家による労働力の消費過程として行われること
によって、労働そのものが資本家に属し、さらにその結果としての生産物が資本家のものに
なる、と述べています。この部分に注10があり、シェルビュリエの「プロレタリアは、自分の
労働を一定量の生活手段と引き換えに売ることによって、生産物のいっさいの分けまえを
完全に放棄する。生産物の取得は以前のままである。それは、前述の契約によっては少し
も変えられていない。生産物は、ただ原料や生活手段を供給した資本家だけのものである。
これは、取得の法則の一つの厳密な帰結であるが、この法則の根本原理は、これとは反対
に、各自の生産物にたいする各労働者の排他的な所有権だったのである」の一節が引用さ
れています。これについて出席者から、シェルビュリエは、取得の法則の「根本原理」は自己
労働による生産物の排他的所有権ということなのに、資本家は自己労働によらず生産物を
取得するという、取得の法則の変転の問題を事実上論じている、との指摘がありました。
シェルビュリエ、アントワーヌ-エリゼー(一七九七~一八六九)A.Cherbuliez,Riche ou pauvre ,1840
スイスの経済学者でシスモンディの弟子。シスモンディの説をリカードの理論とむすびつけた。
私的所有はブルジョア的所有で不労所得を含む
個人的所有が確立してはじめて労働者は生産設備を自前で持てる
本源的蓄積という概念や
所有は盗みであるというプルードンの言葉は前者を指す
それが持続不可能、再生産不可能になるというのがマルクスの予言(最後の鐘がなる)だ
『資本論』第1巻第24章「いわゆる本源的蓄積」第7節
http://study-capital.la.coocan.jp/2-houkou1/report2-1-097.html
【資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた資本主義的私有も、
自分の労働にもとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし、資本主義的生産は、一つの
自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定は、
[私有を再建しはしないが、]
しかし、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。
すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによって生産される生産手段の共同占有とを
基礎とする個人的所有をつくりだすのである。】
多分この概念的区別に関してマルクスはシスモンディの影響を受けている
[]は福冨によるとマルクスの指示に基づいたエンゲルスによる加筆
福冨マルクス個人的所有論
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/133466/1/eca1093_314.pdf
2017 柄谷行人『思想の散策』
2017 ジェイムソン・柄谷行人『アメリカン・ユートピア』 書肆心水
2017 柄谷行人『坂口安吾論』
2017/2/10 島田雅彦・柄谷行人・星野智幸 風花朗読会
2017/1/10 柄谷行人『柄谷行人講演集成1995ー2015 思想的地震』ちくま学芸文庫
https://www.amazon.co.jp/American-Utopia-Dual-Power-Universal/dp/1784784532
An American Utopia: Dual Power and the Universal Army (英語) ペーパーバック – 2016/7/12
Fredric Jameson (著), Slavoj Zizek (編集)
5つ星のうち 3.9 16件のAmazon.comでのレビュー
2016
https://thecharnelhouse.org/wp-content/uploads/2017/09/Fredric-Jameson-An-American-Utopia-Dual-Power-and-the-Universal-Army-2016.pdf
google translate
https://translate.google.co.jp/translate?sl=en&tl=ja&js=y&prev=_t&hl=ja&ie=UTF-8&u=http%3A%2F%2Fnam-students.blogspot.jp%2F2018%2F01%2Fhttpsthecharnelhouse.html&edit-text=
6
A Japanese Utopia
Kojin Karatani
I read Fredric Jameson's "An American Utopia" just as I was beginning to commit myself to various protest movements against Prime Minister Shinzo Abe's bill to enable Japan to dispatch its Self-Defense Forces overseas in collaboration with the United States. These movements, especially street demonstrations, grad ually gathered popular momentum, reaching a scale the likes of which has not been seen since the 1960s. The people, including young students, are particularly outraged by Abe's trampling on Japan's post-World War II pacifist constitution, in particular Article 9, which reads:
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. In order to accomplish the aim of the preced ing paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war poten tial, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
This provision prohibits Japan from having any military power. It unconditionally denies the right of waging war. Any state may claim the right to defend itself, but Japan abandons it. Apparently, this provision reflects the antiwar Kellogg-Briand Pact of 1928, which can be traced back to Kant's "perpetual peace." I will come back to this point later in more detail.
The mass media expected this bill to pass based on Prime Minister Abe's high approval rating. However, Abe's proposal was met with an unanticipated setback, as he aroused deep resent ment outside of the Japanese Diet. This unlikely-but growing protest seemed to confirm my long-held theory about Article 9. Here I will outline this theory, making references to Jameson's paper.
I had a curious thought while reading "An American Utopia," which goes like this. If my understanding is accurate, Jameson argues that there are no more effective tactics for revolution in America than general conscription, and that is an American utopia. I was deeply moved by Jameson's desperate measure, not to mention the rare candidness of his essay. At the same time, I believe that his theory opens up another possibility. Following Jameson, I would like to call it "A Japanese Utopia." In fact, these two utopias are inextricably connected.
『新潮』3月号リレー日記特集、
柄谷の12/30記事に震撼したと言ってる人がいたり、
円城某氏みずから「文字渦」でやりたかったことが全部書いてあるとか言ってるけど、
該解釈はニッポニカに全部書いてある。
それから「男もすなる」の「も」は「女もしてみんとて」の「も」の "先行呼応" 語法に過ぎまい。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13288218.html
柄谷行人 書評委員が選ぶ「今年の3点」
2017年12月24日05時00分
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柄谷行人
(1)宣教師ザビエルと被差別民(沖浦和光著、筑摩選書・1620円)
(2)虜囚 一六〇〇~一八五〇年のイギリス、帝国、そして世界(リンダ・コリー著、中村裕子ほか訳、法政大学出版局・8424円)
(3)殺生と戦争の民俗学 柳田國男と千葉徳爾(大塚英志著、角川選書・2160円)
(1)宣教師ザビエルに関する研究は数多いが、著者のように、日本における被差別民の歴史から見た人はいない。ザビエルはとりわけハンセン病者の救済を考えていた。この時期の日本の仏教では、ハンセン病者は前世の報いで仏の慈悲も及ばないと考えられていた。そこから見ると、彼の言動がいかに衝撃的であったかがわかる。(2)小さな島国のイギリス人がいかにして世界帝国を築きえたのか。その秘密を、輝かしい軍事的・政治的勝利からではなく、海外で虜囚となった多くの惨めなイギリス人の体験記から照明した。(3)柳田国男の弟子であった千葉徳爾は、通常の柳田学派と異なる観点において柳田を受け継いだ。それは文科系というより理科系であり、また農耕民よりも狩猟民に注目するものだ。
(哲学者)
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『新潮』3月号リレー日記特集、柄谷の12/30記事に震撼したと言ってる人がいたり、円城某氏みずから「文字渦」でやりたかったことが全部書いてあるとか言ってるけど、該解釈はニッポニカに全部書いてある。それから「男もすなる」の「も」は「女もしてみんとて」の「も」の "先行呼応" 語法に過ぎまい。 pic.twitter.com/PwzFRKcLwo
kiyama_yusaku (木山祐作)
返信 リツイート いいね 2/13(火) 22:22
...芸人・小説家)→坂本龍一(音楽家)→ 川上未映子(小説家)→都築響一(編集者・写真家)→ 笹久保伸(ギタリスト・作曲家)→筒井康隆(小説家)→Phew(ミュージシャン)→滝口悠生(小説家)→ 円城塔(小説家)→津村記久子(小説家)→ 千葉雅也(哲学者)→小川洋子(小説家)→ 村田沙耶香(小説家)→戌井昭人(作家)→ 瀬戸内寂聴(小説家)→藤野可織(小説家)→ 椹木野衣(美術評論家)→上田...
Shin Sasakubo
1/27(土) 0:44
柄谷も浅田も福田の天皇京都回帰説に同意したはず
戦争はもう始まっていて
その終わらせ方が問題だ
憲法9条は戦争を終わらせるために必要