『憲法の無意識』柄谷行人 201604 岩波新書:メモ改定版
NAMs出版プロジェクト: 『憲法の無意識』柄谷行人 201604 岩波新書
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/201604.html
憲法の無意識 (岩波新書)2016/4/21 柄谷 行人
内容紹介
なぜ戦後70年を経てもなお改憲は実現しないのか。なぜ九条は実行されていないのに残されているのか。改憲、護憲の議論が見逃しているものは何か。糸口は「無意識」である。
日本人の歴史的・集団的無意識に分け入り、「戦争の末の」平和ではない、世界平和への道筋を示す。デモで社会を変え、国際社会に九条を贈与しよう。「憲法の無意識」が政治の危機に立ち現れる。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-431600
憲法の無意識 (岩波新書): 柄谷 行人: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4004316006/
■新赤版 1600
■体裁=新書判・並製・208頁
■定価(本体 760円 + 税)
■2016年4月20日
■ISBN978-4-00-431600-8 C0230
憲法の無意識
柄谷行人著
■目次
I 章
憲法の意識から無意識へ 1
1 憲法と無意識 2
2 第1次大戦とフロイト 9
3 天皇制と戦争放棄 16
4 無意識と世論調査 28
II 章
憲法の先行形態 35
1 憲法1条と9条 36
2 建築の先行形態 45
3 元老支配から天皇機関説へ 53
4 戦後憲法の先行形態 60
5 「戦後」としての徳川体制 65
III 章
カントの平和論 81
1 中江兆民と北村透谷 82
2 ヘーゲルによるカント平和論の批判 92
3 『普遍史』と『永遠平和』101
4 カントとマルクス 105
5 カントとフロイト 109
6 贈与の力 118
IV 章
新自由主義と戦争 135
1 反復するカントの平和論 136
2 交換様式から見た帝国主義 140
3 資本蓄積の3形式 147
4 ヘゲモニー国家の経済政策 152
5 ヘゲモニー国家の交替 158
6 自由主義と新自由主義 163
7 歴史と反復 173
8 将来の展望 180
あとがき 185
第2章 憲法の先行形態
第3章 カントの平和論
第4章 新自由主義と戦争
それぞれ初出は、
1韓国延世大学・「平和」国際会議2015年
2たんぽぽ舎・長池講義合同講演2015年
3日本カント協会創立三十周年記念講演2006年
4岩波書店百周年記念講演2014(○2013)年
本来の発表順序は、
3日本カント協会創立三十周年記念講演2006年(原題「カントとフロイト」)
4岩波書店百周年記念講演2014年(○2013年11月)(原題「資本主義に安楽死はない」)
(知の現在と未来――岩波書店創業百年記念シンポジウム 単行本 – 2014/8/29所収)
1韓国延世大学・「平和」国際会議2015年6月
2たんぽぽ舎・長池講義合同講演2015年11月(原題「日本の憲法──先行形態から見る」憲法1条と9条の謎を、戦後憲法及び明治憲法の形成過程から解き明かす)
1は「反復強迫としての平和」(岩波「世界」2015年6月号)として発表されたものを元にしている。
さらに、3(3:2~5)は「カントにおける平和と革命」↓(「思想の言葉」「思想」2015年 第12号)を原型の一つとする。
フロイト、カントからの引用がやはり目立つものの、さらに日本近現代史邦文資料面での加筆多数。
1フロイト2江戸3カント4マルクスが各主役。執筆順は3412だから3カントから(4マルクスの循環的読み替えを経て)1フロイトへの道。2江戸は臨床例。
ユーモアとしての無意識:
一般に膾炙される柄谷の現状認識は、ドイツの場合は二度戦争に負けたから平和主義が行き渡っていて、日本の場合は一度負けただけだからもう一度(「戦争の末」に)負けなければ9条の意義が一般には理解されないだろう、というものだ。しかし、本書ではそうしたイロニーは後退し、啓蒙的なわかりやすい本になっている。初出発表順は3412で、その順に読むと柄谷の関心の変化がわかる(改訂加筆が多数ある)。一般的な意味で面白いのはアクチュアルな二つの最初の論考1,2だろう。自分はマルクスに依拠しつつもそこから逸脱する宇野弘蔵及びウォーラーステイン関連の4が興味深かった。ただ、本書はフロイト/カント/マルクスの名は出さなくともスピノザだけで論述できると思う(一箇所156頁にスピノザの名が出てくる)。ヘゲモニー国家オランダを背景にしたスピノザの思想を展開すれば、次の覇権国家争いというものが内在的に解消するのではないかということだ(『帝国の構造』で重視されたのはライプニッツだが)。アメリカの没落、インドの台頭は、中国を暴走させ、最悪の戦争を招く恐れがあるが、本書はそれを止めようとしている。憲法9条は多大な犠牲を払って得た財産で、そこに必要なのはフロイト的ユーモアでイロニーは必要ないと著者は感じているようだ(憲法制約説も言及されていない)。過去に書いた自己の内村鑑三論を振り返ったあとがきも興味深い。
『世界史の構造』の主知的な部分で構成された『世界共和国へ』(ニーチェによる人類史の抱える無意識への洞察が参照されていたが)とセットで読むべきだろう。
長池講義
http://web.nagaike-lecture.com/
第1章 憲法の意識から無意識へ
NAMs出版プロジェクト: 「反復強迫としての平和」柄谷行人:メモ(フロイトの戦争論)岩波「世界」201506
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/blog-post_16.html?m=0
6頁:
一九四六年憲法-その拘束―その他 (文春文庫)文庫 – 1995/1/10 江藤 淳 (著)1980年単行本初版
9頁:
フロイト〈1〉 単行本 – 1997/9 ピーター ゲイ (著)
フロイト 「戦争と死に関する時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)
フロイト 「戦争と死に関する時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)
10~11頁:
フロイト 「戦争と死についての時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)
http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/10296956.html
《しかし戦争が廃止されることはないだろう。諸民族の生存条件がこれほどまでに多様であり、諸民族の間の反発がこれほどまでに激しいものである限り、戦争 は存在せざるを得ないだろう。そこで次のような疑問が生ずる。われわれは、膝を屈して戦争に適応するような存在であってはならないのか。われわれは、認め るべきではないだろうか。死に対する文明的な考え方によって、われわれは、心理学的にはむしろ分不相応に生きてきたのだ、と。おそらくわれわれは、改心し て、真実を告白すべきなのだ。》(9~10)
(フロイト全集14,165ページ)
14頁:
フロイト講義“死の欲動”を読む 単行本 – 2012/6 小林 敏明 (著)
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012072900019.html
19頁:
《人は通常、倫理的な要求が最初にあり、欲動の断念がその結果として生まれる
と考えがちである。し かし、それでは、倫理性の由来が不明なままである。実際
には、その反対に進行するように思われる。最初の欲動の断念は、外部の力によ
って強制されたものであり、欲動の断念が初めて倫理性を生み出し、これが良心
というかたちで表現され、欲動の断念をさらに求めるのである》
(「マゾヒズムの経済的問題」)1924年『フロイト全集18』岩波)。本来は2で引用。
26-7頁:
第二に、国民思想の実情からいって、再軍備の背景たるべき心理的基盤が全く失われている。第三に、理由なき戦争に駆り立てられた国民にとって、敗戦の傷跡が幾つも残っておって、その処理の未だ終らざるものが多い。
吉田茂『回想十年』(第二巻(旧中公文庫〈2〉182頁)に含まれている、「第十三章 私の再軍備観」から「一、私は何故再軍備に反対か」。毎日ワンズ新版にはない)
世論調査とは何だろうか (岩波新書) 新書 – 2015/5/21 岩本 裕 (著)
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015070500003.html
2.
第2章 憲法の先行形態
NAMs出版プロジェクト: 20151116 柄谷行人 長池講義 KARATANI Kojin:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/20151116-karatani-kojin_17.html
http://www.amazon.co.jp/dp/B0183IMPJE/
http://www.amazon.co.jp/dp/4022736267/
46頁:
『セヴェラルネス』中谷礼仁(「先行形態論」)
《計画道路は見事にその古墳を避けて通っていた。つまり過去の事物は、規模の大小にかかわらずこのよう にして、ことさら意識もされないうちに、現在に強大な影響を与えている。過去に作られたものとはいえ、そこにある限り、それは現在的なものとして扱わざる を得ないのではないか、と考えたのである。過去は「あった」のではなくて「いる」。むしろ現在は過去からの投影によって成り立っている。かつてあって今は存在しないと思われるものが、実は現在のあり方を規定しており、その意味で今も存在している。》
柄谷行人は、中谷礼仁「先行形態論」所収として2015長池講義で赤字部分を引用したが、同論(『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』鹿島出版会2011増補版)にはない。 特に最後の文はWEBにあるバージョンにも無い。
47頁:
《先行形態は、現在の都市に影響を与え、実際に都市の変容を無意識のうちに支えるのである。というのも、もし先行形態が意識的にしか受け継がれないのであるとすれば、……とっくに過去における都市・都市痕跡跡は消え去っているのであろうからである。しかし先行形態は、ほとんどその形態を宿命的に現在にまで温存させる。》
同
51頁:
55頁:
《伊藤の構想は、君主権力を制限して、天皇を「立憲君主」にしようとするものであった。換言すれば、天皇と議会政治とを可能なかぎり分離し、総理大臣すなわち 内閣を中心とした政治システムを構築することによって、「政治」の自立的な空間を作り出そうとするものであった。》#4:205
伊藤博文と明治国家形成 「宮中」の制度化と立憲制の導入 (講談社学術文庫) Kindle版
坂本一登 (著)1992,2012
瀧井一博『文明史のなかの明治憲法』
62頁:
天皇制史論―本質・起源・展開 単行本 – 2006/10/27 水林 彪 (著)
64頁:
後醍醐天皇
65頁:
紫式部『源氏物語』、宣長
75頁:
76頁:
与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」
http://www.geocities.jp/sybrma/62yosanoakiko.shi.html
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。
3.
第3章 カントの平和論
84頁:
憲法9条の思想水脈 (朝日選書823) 単行本 – 2007/6/20山室 信一 (著)
85頁:
三酔人経綸問答 (光文社古典新訳文庫) Kindle版
中江 兆民 (著), 鶴ヶ谷 真一 (翻訳)
中江兆民『一年有半附録』全集13岩波
89頁:
北村透谷 一種の攘夷思想
http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/46582_29498.html
幽玄なる哲学者カントが始めて万国仲裁の事を唱へてより、漸く欧洲の思想家、宗教家、政治家等をして、実際に平和の仲裁法の行はるべきを確信せしめたり。…
『平和』第三号1892年
90~1頁:
内村鑑三「戦争廃止論」
http://green.ap.teacup.com/lifework/524.html
近くはその実例を、二十七、八年の日清戦争において見ることができる。二億の富と一万の生命を消費して、日本国がこの戦争から得たものは何であるか。わずかばかりの名誉と、伊藤博文伯が侯となって、彼の妻妾を増したことの他に、日本国はこの戦争から何の利益を得たか。
その目的であった朝鮮の独立は、日清戦争によって強められずに、反って弱められ、支那分割の端緒は開かれ、日本国民の分担は非常に増加され、その道徳は非常に堕落し、東洋全体を危殆(きたい)の地位にまで持ち来たったではないか。
この大害毒、大損耗を目前に見ながら、なおも開戦論を主張するようなことは、正気の沙汰とはとても思えない。
http://www.interq.or.jp/kanto/just/ronten/senso_haisi.html
…
《近くは其実例を二十七八年の日清戦争に於て見ることが出来る、二億の富と一万の
生命を消費して日本国が此戦争より得しものは何である乎、僅少の名誉と伊藤博文
伯が侯となりて彼の妻妾の数を増したることの外に日本国は此戦争より何の利益を
得たか、其目的たりし朝鮮の独立は之がために強められずして却て弱められ、支那
分割の端緒は開かれ、日本国民の分担は非常に増加され、其道徳は非常に堕落し、
東洋全体を危殆の地位にまで持ち来つたではない乎、此大害毒大損耗を目前に視な
がら尚ほも開戦論を主張するが如きは正気の沙汰とは迚も思はれない。》
勿論サーベルが政権を握る今日の日本に於て余の戦争廃止論が直に行はれやうとは
余と雖も望まない、然しながら戦争廃止論は今や文明国の識者の輿論となりつゝあ
る、爾うして戦争廃止論の声の揚らない国は未開国である、然り、野蛮国である、
余は不肖なりと雖も今の時に方て此声を揚げて一人なりとも多くの賛成者を此大慈
善主義のために得たく欲ふ、世の正義と人道と国家とを愛する者よ、来て大胆に此
主義に賛成せよ。
〈万朝報・明治36年6月30日〉1903年
「…さまざまな革命による以外に国家連合同盟が設立されることはまったくありえないのだ。…」「永久平和論批判」p364
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html(別訳)
http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20100309
《共産主義は、経験的には、主要な諸国民の行為として「一挙的」かつ同時的にのみ可能なのであって、このことは生産諸力の全般的な発展およびそれと連関する世界交通を前提としている》
(マルクス『ドイツ・イデオロギー』廣松渉編訳、岩波文庫)廣松の名は未出
110頁:(131頁:)
《自然は人間を、戦争をとおして、また戦争へ向けてのけっして縮小されない過度の軍備、さらにまったく平和状態にある国家でさえも結局はそれぞれ内心抱かざる をえない苦境をとおして、最初は不十分ながらいろいろな試みをさせるが、最終的には、多くの荒廃や国家の転覆を経て、さらに国力をことごとく内部から消耗 させた後に、これほど多くの悲惨な経験をしなくても理性ならば告げることのできたこと、つまり野蛮人の無法状態から抜け出して国際連盟を結ぶ方向へ追い込 むのである。》
(カント全集14『世界市民的見地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年,第七命題)。
116~7頁:
http://shigemoto.blog105.fc2.com/blog-entry-220.html
《あと二つの点について...知性の声はか細い。しかしこの声は誰かに聞き取られえるまでは止むことがない。...無限の彼方にあるのではないようだ。》
(フロイト「ある錯覚の未来」全集20-61)
117頁:
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html 2015.12
《文化的な態度と、将来の戦争が及ぼす影響に対する当然の不安、これら二つの契機が働いて、近いうちに戦争遂 行に終止符が打たれるであろうというのは、ひょっとすれば単にユートピア的な希望ではないかもしれません。どのような道を経て、あるいは回り道を経てそれ が実現するのかは、私たちは推し量ることができません。にもかかわらず、文化の発展を促すものはすべて、戦争に立ち向かうことにもなるのだといえます。》
(フロイト「戦争はなぜに」、『フロイト全集20』岩波書店)
118頁:(3:6)
ジョー・ルイスの逸話127頁:『ハムラビ法典』
130頁:商業、カント永遠平和
第一補説 永遠平和の保証について
この保証を与えるのは、偉大な技巧家である自然(諸物の巧みな造り手である自然natura daedala rerum*)にほかならない。…
3… 《商業精神は、戦争とは両立できないが、おそかれ早かれあらゆる民族を支配するようになるのは、この商業精神である。つまり国家権力の下にあるあらゆる力 (手段)のなかで、金力こそはもっとも信頼できる力であろうから、そこで諸国家は、自分自身が(もとより道徳性の動機によるのではないが)高貴な平和を促 進するように強いられ、また世界のどこででも戦争が勃発する恐れがあるときは、あたかもそのために恒久的な連合が結ばれているかのように、調停によって戦 争を防止するように強いられている、と考えるのである。実際、戦争にむけての大合同は、事柄の本性から見てきわめてまれにしか生じないし、それが成功する のはさらにまれだからである。このような仕方で、自然は人間の傾向そのものにそなわる機構を通じて、永遠平和を保証する。なるほどこの保証は、永遠平和の 到来を(理論的に)予言するのに十分な確実さはもたないけれども、しかし実践的見地では十分な確実さをもち、この(たんに空想的ではない)目的にむかって 努力することをわれわれに義務づけるのである。》(カント『永遠平和について』第一補説 3「永遠平和の保証について」岩波文庫より)
131頁:
《自然は人間を、戦争をとおして、また戦争へ向けてのけっして縮小されない過度の軍備、さらにまったく平和状態にある国家でさえも結局はそれぞれ内心抱かざる をえない苦境をとおして、最初は不十分ながらいろいろな試みをさせるが、最終的には、多くの荒廃や国家の転覆を経て、さらに国力をことごとく内部から消耗 させた後に、これほど多くの悲惨な経験をしなくても理性ならば告げることのできたこと、つまり野蛮人の無法状態から抜け出して国際連盟を結ぶ方向へ追い込 むのである。ここで国家はすべて、最小の国家でさえも、自国の軍隊や自国の法律上の判決からではなく、もっぱらこの大きな国際連盟(アンフィクチオン同盟 Foedus Amphictyonum)すなわち統一された権力と統一された意志の法に則った決断から、自国の安全と権利を期待することができる。》(カント全集14 『世界市民的見地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年,第七命題)。
4.
第4章 新自由主義と戦争
2013年11月23日 知の現在と未来:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/20131123.html
139頁:
モーゲンソー『国際政治』
(B) | (A)
___________|__________
世界=経済 |
(近代世界システム) | 世界共和国
(C) | (D)
|1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜
|1810 |1870 |1930 |1990 |
______|______|______|______|______|_______
①世界資本主|帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
主義の段階_|______|_______\_____|_______\_____循
______|______|_____________|_____________環
対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
______|______|__1848_\_____|__1968_\______
③マルクス主| 重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
義的な段階論|______|______|______|______|______リ
④資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
______|______|______|______|______|______
⑤世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報 ニ
と |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
______|______|______|______|______|______ア
⑥国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
______|______|______|______|______|______
宇野経済学| 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
143:
ネグリおよびハート『帝国』
144~6,148,157:
マルクス『資本論』
145:
アダム・スミス『国富論』
145:
リカード『経済学および課税の原理』
148:
ホブソン、ヒルファーディング、カウツキー、レーニン
147頁:
幸徳秋水『二◯世紀の怪物 帝国主義』
148:
ホブソン、ヒルファーディング
……資本の所有と資本の生産への投下と分離、貨幣資本と産業資本あるいは生産的資本との分離、貨幣資本からの収益だけで生活する金利生活者と、企業家および資本の運用に直接たずさわるすべての人々との分離―これは資本主義一般に固有のこと。帝国主義とは、あるいは金融資本の支配とは、このような分離(貨幣資本と産業資本の分離)が著しい規模に達する、資本主義の最高段階である。他の全ての形態の資本にたいする金融し本の優越は、金利生活者と金融寡頭制の支配を意味し、金融上の「力」を持つ少数の国家がその他の全ての国家から傑出することを意味する。……(p274)
152~4:
宇野弘蔵
153頁:
資本主義発展の段階論―欧米における宇野理論の一展開 単行本 – 1995/10 ロバート アルブリ(xッ)トン (著), Robert Albritton (原著), 山本 哲三 (翻訳)
(著者名のみ)
155:
コンドラチェフ
156:
デカルト、ロック、スピノザ
159頁:
http://homepage2.nifty.com/dreirot/kether/030620.html
……特定の中核国が、同時に生産・商業・金融の三次元すべてにおいて、あらゆる中核諸国に対して優位を保っているような状態はほんの短い期間でしかありえないことになる。この一瞬だけ頂点にある国の状態こそが、ここでいうヘゲモニーである。オランダすなわちネーデルラント連邦の場合、その時期は、一六二五年から一六七五年にかけてであったと思われる。(II, 46)
(ウォーラーステイン『近代世界システムII 』)
167頁:
《ヨーロッパ自体においては、ブルジョアジーの政治的解放が帝国主義時代の国内政治上の中心的出来事だった。それまではブルジョアジーは経済的には支配的地位にあったものの、政治的支配を狙ったことは一度もなかった》
(アーレント『全体主義の起源』第二巻)
168頁:
デヴィッド・ハーヴェイ 『新自由主義―その歴史的展開と現在』(「中国的特色を持った新自由主義」という言葉を引用)憲法168頁
173頁:
サルトル、デリダ
あとがき
188~頁:
しかし、《外発的な強制があったがゆえに、且つそれに対する抵抗があったがゆえに、彼の信仰は、たんなる「自発性」とは違って、確固たるものとなったのです。もしそれが自発的な意志によるならば、先輩たち、あるいはのちに内村のところに来た人たちのように、いつの間にか熱烈な信仰も冷めて去ってしまうことになったでしょう。…》
そのような憲法が発布されるとは夢にも思わなかった。日本人が「自発的」に憲法を作っていたなら、九条がないのみならず、多くの点で、明治憲法とあまり変わらないものとなったでしょう。(…)しかし、まさに当時の日本の権力にとって「強制」でしかなかったこの条項は、その後、日本が独立し、簡単に変えることができたにも
かかわらず、変えられませんでした。それは、大多数の国民の間にあの戦争体験が生きていたからです。しかし、死者たちは語りません。この条項が語るのです。それは死者や生き残った日本人の「意志」を超えています。もしそうでなければ(…)こんな条項はとうに廃棄されているはずです。》(柄谷行人『<戦前>の思考』講談社学術文庫、2001、p.205-206)
31
Nの逆順
_____
以下の書評も関連し得る。
文化進化論―ダーウィン進化論は文化を説明できるか
[著]アレックス・メスーディ - 柄谷行人(哲学者) -書評
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2016041000004.html
…
たとえば、経済学では人間が利己的であることが前提とされている。それによって、
経済現象は数量的に扱われることができる。一方、そのような見方を疑う者は文学的・
宗教的であり、科学的でないとみなされる。しかし、実は、人間は案外、利他的なのだ。
歴史的に、利己的なものを追求する集団・文化に対して、利他的な集団・文化が勝ち残っ
てきたのである。「文化進化論」は、そのことを実験可能なかたちで示すことができる。
それはこれまでの文化的/自然科学的という区分の不毛さを示す。その意味で、これは、
さまざまな領域の文化科学を統一的に把握しようとする新たな企てなのである。
____
安倍首相の祖父追従擁護は父殺しでもあるからフロイトはやはり有効だ。
________
________
思想 2015年第12号
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html
カントにおける平和と革命
柄谷行人
カントが平和に関して述べたのは、『永遠平和のために』(以後『永遠平和』一七九五年)が最初ではない。それより一〇年ほど前の『世界市民的見地における 普遍史の理念』(以後『普遍史』一七八四年)が最初である。が、平和論にのみ関心をもつ者は、そこまで遡ろうとはしない。実際、平和論に関しては、『永遠 平和』が『普遍史』よりはるかに緻密な著作であることは疑いない。しかし、そこでは、後者にあった幾つかの重要なポイントが抜け落ちている。そして、それ には理由がある。
《完全な市民的体制を達成するという問題は合法則的な対外的国家関係という問題に左右されるので、この後者の問題を別にして解決されるものではない》(第七命題)。
《自 然は人間を、戦争をとおして、また戦争へ向けてのけっして縮小されない過度の軍備、さらにまったく平和状態にある国家でさえも結局はそれぞれ内心抱かざる をえない苦境をとおして、最初は不十分ながらいろいろな試みをさせるが、最終的には、多くの荒廃や国家の転覆を経て、さらに国力をことごとく内部から消耗 させた後に、これほど多くの悲惨な経験をしなくても理性ならば告げることのできたこと、つまり野蛮人の無法状態から抜け出して国際連盟を結ぶ方向へ追い込 むのである。ここで国家はすべて、最小の国家でさえも、自国の軍隊や自国の法律上の判決からではなく、もっぱらこの大きな国際連盟(アンフィクチオン同盟 Foedus Amphictyonum)すなわち統一された権力と統一された意志の法に則った決断から、自国の安全と権利を期待することができる。》(『世界市民的見 地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年,第七命題)。
憲法の無意識131頁
カント全集14
________
関連書評:
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072100038.html
いま、憲法は「時代遅れ」か―〈主権〉と〈人権〉のための弁明(アポロギア) [著]樋口陽一
[評者]柄谷行人(哲学者) [掲載]2011年07月10日 [ジャンル]政治 社会 出版社:平凡社 価格:¥ 1,620
■「国家権力縛る」基本は今日的
本書はつぎのエピソードから始まっている。伊藤博文は明治の憲法制定に関する会議で、「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」と発言した。この事実を、著者が法律関係者の多い聴衆に話したとき、衝撃をもって受けとめられた、という。
立憲主義の基本は、憲法は、国民が国家権力を縛るものだという考えにある。それは、別の観点からいうと、国家は本性的に、専制的であり侵略的であるという認識にもとづいている。だから、憲法によって国家を縛らなければならない。明治時代に日本帝国を設計した政治家にとっても、それは自明であった。しかし、今や、法律関係者の間でさえ、この基本が忘れられている。
たとえば、憲法9条にかんする議論がそうである。改憲論者はもっぱら国家の権利を論じる。そして、日本の憲法は異常だという。しかし、9条の趣旨は、伊藤博文の言葉でいえば、「国家の(戦争する)権利を制限し、(平和に暮らす)国民の権利を保全することにある」。確かに、立憲主義が始まった時期に、「戦争の放棄」という観念はなかった。しかし、それは、立憲主義の基本から見ると、正当かつ当然の発展である。
憲法は国民が国家権力を縛るものだ、という観点から見ると、現行憲法は「時代遅れ」であるどころか、きわめて今日的である。憲法25条1項には、こうある。《すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する》。たとえば、震災でホームレスとなり職を失った人々を放置するのは、憲法に反する。また、放射性物質の飛散によって人々の生存を脅かすのは、憲法違反であり、犯罪である。本書は、多くの事柄に関して、憲法からそれを見るとどうなるかを、教えてくれる。憲法全文も付載された、最良の入門書である。
評・柄谷行人(評論家)
*
平凡社・1575円/ひぐち・よういち 34年生まれ。国際憲法学会名誉会長。『近代国民国家の憲法構造』など。
________
178:
シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 [著]エマニュエル・トッド - 柄谷行人(哲学者) - 書評・コラムを読む - BOOK asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
20160306
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2016030700010.html?guid=on
■カトリックの衰退、異教の排撃を招く
トッドはこれまでの著作で、世界各地の社会の政治や思想のあり方を、4種類の家族形態の違いから、統計学にもとづいて説明してきた。すなわち、生産様式に もとづくマルクス主義的決定論を退けながら、家族内での交換様式(兄弟間の平等性など)が窮極的に観念的上部構造(政治や思想など)を決定するという見方 をとっている。それによって、彼はフロイトやマルクスとは違った「無意識」の構造を照らしだす。思いもよらぬ省察がそこから生まれる。
本 書では、その手法によって、近年のフランスの国内政治が鮮やかに分析されている。2015年1月、過激派イスラム教徒が、イスラム教を風刺した週刊新聞を 発行している「シャルリ・エブド」社を襲撃したあと、フランス各地で「私はシャルリ」を掲げた400万人のデモが起こった。それを、言論の自由をまもるフ ランス革命以来の輝かしい伝統として称賛する反応が日本にもあった。しかし、トッドはそれに異議を唱えた。フランスにはキリスト教(カトリック)に対する 風刺の伝統はあったが、それは、他の宗教を嘲笑するような伝統ではなかった。ゆえに、この事件には、何か大きな社会的変容が潜んでいる。
トッドによれば、フランスは、4種類の家族形態が地域的に分布している(欧州では)唯一の国である。それが歴史的にフランスの特異な在り方をもたらしてき た。たとえば、中央部にフランス革命がある一方で、周縁部では中世的なカトリック信仰が残っていた。このような地盤がここ20年ほどのうちに急激に変容し たのである。
一般に、人が異教を排撃するのは、自らの宗教を熱烈に信じるからだと考えられるが、実は、そのような所ではむしろ、異教に対 して寛容である。異教を排撃するのは、自らの宗教を信じていない時である。トッドの考えでは、フランスに反イスラム主義が生まれたのは、カトリックが衰退 してしまったからだ。私は自分の信じていた宗教を冒涜(ぼうとく)する、ゆえに、他人の宗教を冒涜する権利と義務がある、と彼らは考える。
この抗議デモには、右翼が締め出されていた。したがって、それはリベラルで、反イスラム主義と無縁であるように見える。しかし、トッドによれば、現在の反 イスラム主義は、ヨーロッパ単一通貨と新自由主義を推進するオランド政権(社会党)を支持する者たちがもたらしたものだ。彼らは保守的右派以上に弱者に冷 淡である。現在の社会党政権を支えているのは、最近までカトリックであった地域や階層である。トッドはそれを「ゾンビ・カトリック」と呼ぶ。それが「私は シャルリ」と称する者たちの実体である。
◇
堀茂樹訳、文春新書・994円/Emmanuel Todd 51年生まれ。フランスの歴史人口学者、家族人類学者。世界の家族形態を絶対核家族、平等主義核家族、直系家族、共同体家族の4種類に大別。著書に『新ヨーロッパ大全』『最後の転落』『帝国以後』など。
____
文化進化論―ダーウィン進化論は文化を説明できるか [著]アレックス・メスーディ - 柄谷行人(哲学者) - 書評・コラムを読む - BOOK asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2016041000004.html
文化進化論―ダーウィン進化論は文化を説明できるか [著]アレックス・メスーディ
2016年04月10日
公式 柄谷行人(哲学者)
表紙画像著者:アレックス・メスーディ、竹澤 正哲、野中 香方子 出版社:エヌティティ出版 価格:¥ 3,672
■宗教的な現象も定量的に証明
本書は、文化の「進化」をダーウィンの理論的枠組みにもとづいて考えるものだ。ダーウィンの進化論といえば、今でも進化=進歩という意味に受けとられてい るが、実はその逆である。彼は「進化」のかわりに「変化を伴う継承」という言い方をした。それは進化がはらむ、進歩あるいは目的論的な意味合いを取りさる ためであった。一方で、ダーウィンは自然淘汰(とうた)という考えを、マルサスの人口論から着想した。それは、自然現象が経済的あるいは文化的現象と共通 する何かをもつことを含意する。文化を「社会的に伝達された情報」と定義するならば、それは生物界にも妥当することであり、人間に限定されない。
ただ、そこからまず、適者生存・弱肉強食で知られるスペンサー流の社会ダーウィニズムが生まれて世に風靡(ふうび)した。今日では、それを批判するネオ・ ダーウィニズムによってとってかわられた。ただし、後者は遺伝学にもとづいて自然界の進化を見るもので、文化論との接点をもたない。文化の進化を考えるた めに、著者はそのいずれをも退けて、ダーウィンの地点に立ち返る。それによって、自然界だけでなく、国家・経済から言語におよぶ「文化」における「変化を 伴う継承」の現象を、統一的に見なおそうとする。それは、別の観点からいえば、これまでは質的あるいは心理的領域と見なされていた領域を定量化することで ある。
たとえば、経済学では人間が利己的であることが前提とされている。それによって、経済現象は数量的に扱われることができる。一方、 そのような見方を疑う者は文学的・宗教的であり、科学的でないとみなされる。しかし、実は、人間は案外、利他的なのだ。歴史的に、利己的なものを追求する 集団・文化に対して、利他的な集団・文化が勝ち残ってきたのである。「文化進化論」は、そのことを実験可能なかたちで示すことができる。それはこれまでの 文化的/自然科学的という区分の不毛さを示す。その意味で、これは、さまざまな領域の文化科学を統一的に把握しようとする新たな企てなのである。
本書に書かれた多くの興味深い事例の中から幾つか述べておく。言語習得は生得能力によるというチョムスキーの仮説は疑わしいこと。宗教は母親を通して子供 に伝達されること。父系制は牧畜とともに始まること。太平洋諸島の言語の起源は台湾であること。帝国は国境地域から勃興すること。以上のような事柄はこれ までも推定されていたかもしれない。しかし、それが定量的に証明されるということに、私は驚かざるをえない。
◇
Alex Mesoudi 80年生まれ。ロンドン大学講師、ダーラム大学准教授などを経て、エクセター大学生物科学部准教授。理論モデルなどを通じて文化進化の研究領域を先導する英国の学者。
_______
第1章 憲法の意識から無意識へ
(憲法9条は守られていないのに、変更もされていない。
これは無意識に憲法が入り込んでいるからだ。
この点は、世論調査からも明らかであろう。)
第2章 憲法の先行形態
(建築における先行形態というアイデアは興味深い。
戦後体制の先行形態は江戸体制であった。
そこでは、戦争への無意識の罪責感があり、それが
天皇を権威として持ち上げていたのだ。)
第3章 カントの平和論
(カントの「永遠平和」は「普遍史」における論点を2つ落としている。
「普遍史」は革命論であると同時に、人間の攻撃性を直視している。
そして、憲法9条は純粋贈与なのである。)
第4章 新自由主義と戦争
(現在は、帝国主義の時代である。
この点を見落として、30年代の再来などと言っている連中は
有害である。)
981 :考える名無しさん:2016/04/23(土) 01:02:15.88 0.net
shinshigeru @shinshigeru1952 2月26日
9条には幣原がかかわっていると言われているが、実際上は、天皇制を維持するためには日本の戦争放棄、交戦権の否定が必要ということで、
極東委員会で過激な改革を主張する一派を説得するしかないと、ホイットニーなどが考え、マッカーサーもそれに合わせたというものであった。雨宮昭一『占領と改革』
2)することである」と幣原首相がマッカーサー将軍と会見したあと大平に述べており、「その後幣原首相は「戦争放棄はわしから望んだことにしよう・・・」
とポツンといわれたことがある。翻訳憲法はウ呑みにしたと後世非難されては困ると考えたのかも知れない」と推察している。雨宮昭一『占領と改革』
982 :考える名無しさん:2016/04/23(土) 11:11:43.22 0.net
>>981日米どちらの発案であるにしても、日本人が大歓迎したのが9条だよね。
柄谷の指摘は正しい。
もっとも、この手の「裏話」は、誰も証明できないから、たいして意味があるとも思えないが。
韓国語版 柄谷行人コレクション[編集]
『세계공화국으로(世界共和国へ)』, 2007
『역사와 반복(歴史と反復)』, 2008
『네이션과 미학(ネーションと美学)』, 2009
『일본 근대문학의 기원(定本 日本近代文学の起源)』, 2010
『근대문학의 종언(近代文学の終わり)』, 2010
『정치를 말하다(柄谷行人 政治を語る)』, 2010
『언어와 비극(言葉と悲劇)』, 2004
『문자와 국가(戦前の思考)』, 2011
『트랜스크리틱(定本 トランスクリティーク―)』, 2012
『세계사의 구조(世界史の構造)』, 2012
『자연과 인간(自然と人間)』, 2013
『세계사의 구조를 읽는다("世界史の構造"を読む)』, 2014
『철학의 기원(哲学の起源)』, 2015
マルクス 江戸
カント フロイト
マルクス
ヘーゲル
理性
カント フロイト
自然
ルソー…直接民主主義の連携の上ではじめて国連も可能だ
→ライプニッツ→カント
スピノザ→ヘーゲル→マルクス
→ショーペンハウアー→ニーチェ→フロイト
『マルクス、その可能性の中心』:書評
http://www.horagai.com/www/book/rev/rev003.htm
彼等はあいことなる生産物を交換において等価物として等置することにより、あいことなる労働を人間的労働として等置する。彼らは意識していないが、しかしそう行なうのである。(『資本論』1:1:第四節 商品の物神的性格とその秘密)
フロイト、カント、マルクスを使って9条と江戸を再評価しているが、
実は使うのはスピノザ(156頁)だけでいい
「(今の世界秩序を)疑いつつある」
ということだ。(探究2参照)
スピノザ思想はヘゲモニー国家オランダを背景に生まれた。ドゥルーズがフランスから生まれたように。
以下、スピノザ『神学政治論』岩波文庫上より
第5章 諸々の祭式が制定された理由について。又史的物語への信憑について、
換言すればそうした信憑が何故に、又如何なる人々のために必要であるかについて
…
《キリスト教が禁止されている国に住んでいる者はそうした祭式を差し控えなければな
らぬのであるが、それにも拘らずその人間は幸福に生活し得るであろう。こうした例は
日本国においてみられる。》第五章上187ー8頁
別訳、
《…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう義務付
けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に見出せる*。
この国ではキリスト教が禁じられているから、この地に暮らすオランダ人たちは東イン
ド会社の命により、あらゆる外的な礼拝を行わないよう義務付けられているのである。》
*極東におけるオランダの交易相手として、スピノザは日本という非キリスト教国の存在だけでなく、日本でのオランダ商人たちの暮らしぶりについてもある程度のことを知っていたらしい。宗教儀礼にこだわらないことで開かれる異教徒・異教国との交流可能性を説明する好例として、スピノザは本書後半でもう一度日本のことを引き合いに出している(下巻第十六章二十二節)。
16:22
《[二十二]もし、至高の支配権を手にしているのが異教徒たちだったら、次の二通りの考えがありうる。…たとえばキリスト教国を支配している人たちは、自国の安全を高めるためなら、トルコ人などの異教徒たちと同盟を結ぶことをためらわない。また現地滞在に赴く自国民たちには命令を出し、人事であれ神事であれ、両国間ではっきり取り決めているか、現地政府がはっきり認めている以上の自由を求めないよう促しているのである。これは前に述べておいた、オランダ人と日本人の取り結んだ協定からはっきり分かる。》
17:以下は憲法9条をめぐる問題と関連し得る。
以下、スピノザ『神学・政治論』 (光文社古典新訳文庫) より
Kindle: http://www.amazon.co.jp/dp/B00PRK11PG
iBooks : https://itunes.apple.com/jp/book/shen-xue-zheng-zhi-lun-shang/id942883345?mt=11
《…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう義務付
けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に見出せる*。》
(上巻第五章)
*極東におけるオランダの交易相手として、スピノザは日本という非キリスト教国の存在
だけでなく、日本でのオランダ商人たちの暮らしぶりについてもある程度のことを知って
いたらしい。宗教儀礼にこだわらないことで開かれる異教徒・異教国との交流可能性を
説明する好例として、スピノザは本書後半でもう一度日本のことを引き合いに出している。
《…たとえばキリスト教国を支配している人たちは、自国の安全を高めるためなら、
トルコ人などの異教徒たちと同盟を結ぶことをためらわない。また現地滞在に赴く自国民
たちには命令を出し、人事であれ神事であれ、両国間ではっきり取り決めているか、現地
政府がはっきり認めている以上の自由を求めないよう促しているのである。これは前に
述べておいた、オランダ人と日本人の取り結んだ協定からはっきり分かる。》
(下巻第十六章二十二節)
_____
試され続けていることに他ならない。
もっと簡単に言えば、思想的には超越的な人格神がイスラエル建国とつながり、スピノザ的内在
的汎神論が西欧内部での市民としてのユダヤ人共存につながる。
柄谷が言うようにイスラム国(IS)がイスラエルを模倣しているなら、スピノザ理解はイスラム
国問題をも融解させる可能性があると言えよう。市民としてのイスラム…
________
________
改定版:
『憲法の無意識』柄谷行人 201604 岩波新書:索引作業中
【ア】
アーレント『全体主義の起源』第二巻:167頁ロバート アルブリ(xッ)トン (著), Robert Albritton (原著),資本主義発展の段階論―欧米における宇野理論の一展開 単行本 – 1995/10 , 山本 哲三 (翻訳)
(著者名のみ):152頁
ゲオルク・イェリネック、または、ゲオルグ・イェリネック :51頁
Allgemeine Staatslehre
『一般國家學』、大西邦敏・水垣進譯、敬文堂書店, 1932
『一般国家学』、芦部信喜ほか訳、学陽書房, 1974
岩本 裕 (著)世論調査とは何だろうか (岩波新書) 新書 – 2015/5/21 :29~30頁
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015070500003.html
ウォーラーステイン『近代世界システムII 』:159頁
江藤 淳 (著)一九四六年憲法-その拘束―その他 (文春文庫)文庫 –
1995/1/10 1980
年単行本初版:6頁
神島二郎「非武装主義一その伝統と現実性」「世界」1980年7月:68頁
柄谷行人「自主的憲法について」『〈戦前〉の思考』:188~頁
(柄谷行人『<戦前>の思考』講談社学術文庫、2001、p.205-206):189~192,193頁
カント
『永遠平和について』岩波文庫:93~4頁,第一補説 3「永遠平和の保証について」:130頁
『世界市民的見地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年カント全集14,第七命題 :103頁,110頁,131頁
北畠親房『神皇正統記』:66頁 著作著者名のみ
北村透谷 一種の攘夷思想:89頁 『平和』第三号1892年ピーター ゲイ (著)フロイト〈1〉 単行本 – 1997/9 :9頁
ハンス・ケルゼン:52頁
幸徳秋水『二◯世紀の怪物 帝国主義』:147頁
後醍醐天皇:64頁
小林 敏明 (著)フロイト講義“死の欲動”を読む 単行本 – 2012/6:14頁
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012072900019.html
【サ】
斉藤利彦 (著):明仁天皇と平和主義 (朝日新書) 新書 – 2015/7/13 41頁
http://www.amazon.co.jp/dp/4022736267/
坂本一登 (著)伊藤博文と明治国家形成 「宮中」の制度化と立憲制の導入 (講談社学術文庫) Kindle版:55頁
1992,2012
サルトル:173頁
島崎藤村『夜明け前』:70頁
シュタイン:55~6頁
スピノザ:156
瀧井一博『文明史のなかの明治憲法』 :57頁
津島 一夫 (翻訳) マッカーサー回想記 (1964年) - , 1964 :22(25~6)頁,) :25~6(22)頁
マッカーサー大戦回顧録 (中公文庫) 文庫 – 2014/7/23 ダグラス・マッカーサー (著), 津島 一夫 (翻訳)
デリダ:173頁
豊下 楢彦 (著):昭和天皇の戦後日本 ――〈憲法・安保体制〉にいたる道 単行本 –2015/7/29
昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫) Kindle版 豊下 楢彦 (著) 2008
http://www.amazon.co.jp/dp/B0183IMPJE/ :24~5頁,37頁,38頁
【ナ】
中江兆民
『一年有半附録』全集13岩波
明治33年10月「考えざるべからず」(松永昌三編『中江兆民評論集』岩波文庫再録):87~8頁
中谷礼仁『セヴェラルネス』(「先行形態論」):46頁,:47頁
新渡戸稲造『武士道』:75頁
ネグリおよびハート『帝国』:143
【ハ】
『ハムラビ法典』 :127頁
サン・ピエール『永久平和論』1713年:85~6頁
フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』:95頁
フロイト
「戦争と死に関する時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010) :9~10頁,
:10頁,:10~11頁(フロイト全集14,165ページ)
http://shigemoto.blog105.fc2.com/blog-entry-173.html
『快原理の彼岸』(『フロイト全集17』岩波書店74頁):13頁
(フロイト講義“死の欲動”を読む 単行本 – 2012/6 小林 敏明 (著):14頁
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012072900019.html)
『夢判断』1900年、フロイト「自我とエス」1923年:14(8)頁
『文化の中の居心地悪さ』1930年:15頁
「マゾヒズムの経済的問題」1924年『フロイト全集18』岩波:19頁、本来は2で引用。
「ある錯覚の未来」全集20-61:116~7頁
「戦争はなぜに」『フロイト全集20』岩波:117頁
ヘーゲル『法権利の哲学』#333未知谷:96~7頁
マッカーサー
回想記 (1964年) - – 古書, 1964 津島 一夫 (翻訳) :22(25~6)頁, :25~6(22)頁
マッカーサー大戦回顧録 (中公文庫) 文庫 – 2014/7/23 ダグラス・マッカーサー (著), 津島 一夫 (翻訳)
マルクス
『ドイツ・イデオロギー』廣松渉編訳、岩波文庫)廣松の名は未出:106頁
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html(別訳)
http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20100309
水林 彪 (著)天皇制史論―本質・起源・展開 単行本 – 2006/10/27 :62頁
紫式部『源氏物語』、宣長:65頁
モーゲンソー『国際政治』 :139頁
山室 信一 (著)憲法9条の思想水脈 (朝日選書823) 単行本 – 2007/6/20:84頁
与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」:76頁
http://www.geocities.jp/sybrma/62yosanoakiko.shi.html
吉田茂『回想十年』:26-7頁
【ラ】
リカード『経済学および課税の原理』:145
ジョー・ルイスの逸話:118頁(3:6)
ルソー「永久平和論批判」ルソー全集第4巻:102頁
http://85666808.at.webry.info/201504/article_14.html
レーニン『帝国主義』:(148),150頁
http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/note/note1-8.htm
ロック:156頁
http://blogs.yahoo.co.jp/countrytown2010/18737706.html
《マルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは、何を意味するのか。近代的な私有権は、それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えられたものだ。私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのである。それゆえに、私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むしろ、私有財産の廃棄は国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズムが新たな「個体的所有」の確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソシエーションとして見ていたからである。》『トランスクリティーク』柄谷行人著