水曜日, 8月 24, 2016

ジェボンズのパラドックス - Wikipedia


                      (経済学リンク::::::::::) 

NAMs出版プロジェクト: ジェボンズのパラドックス - Wikipedia
http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/wikipedia.html(本頁)
NAMs出版プロジェクト: 水とダイヤモンド (メンガー他)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/06/blog-post_2.html
レオン・ワルラス Leon Walras 『純粋経済学要論 』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/leon-walras_3.html
NAMs出版プロジェクト: マーシャル,Alfred Marshall
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/alfred-marshall.html
シーニョア
https://en.wikipedia.org/wiki/Nassau_William_Senior

ジェボンズのパラドックス 1865 - Wikipedia
『石炭問題』1865で発表。後述。マルサス人口論の石炭版。以下が主著、

経済学の理論 (近代経済学古典選集): 単行本 – 1981/8

The theory of political economy. 4th ed.1911(初版1871)
/の翻訳
目次   
第1章 諸論
第2章 快楽および苦痛の理論 ☆
第3章 効用の理論 ☆☆
第4章 交換理論
第5章 労働理論
第6章 地代理論
第7章 資本理論
第8章 結論


Jevons, William Stanley
(1835-1882)
Editor/Trans.
First Pub. Date
1871
Publisher/Edition
London: Macmillan and Co.
Pub. Date
1888
Comments
3rd edition. Includes Preface by Harriet Jevons.

Jevons, The Theory of Political Economy | Library of Economics and Liberty
http://www.econlib.org/library/YPDBooks/Jevons/jvnPE.html
TABLE OF CONTENTS
Cover
Table of Contents
About the Book and Author
Preface to the First Edition 
Preface to the Second Edition 
Preface to the Third Edition, by Harriet Jevons 
Errata
I. Introduction
II. Theory of Pleasure and Pain
III. Theory of Utility
IV. Theory of Exchange
V. Theory of Labour
VI. Theory of Rent
VII. Theory of Capital
VIII. Concluding Remarks
Appendix I and II. Bibliographies.
Footnotes



 同じく1871 年初版刊行の メンガーのGrundsätze (『国民経済学原理』) の構成に似ている。
水とダイヤモンド(メンガー他)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/06/blog-post_2.html

ゴッセンについては1879年第2版序に詳しい。ジェボンズは限界革命(ジェボンズの言葉では「最終効用度」)の優先権に関してはかなりフェアである。

Jevons, The Theory of Political Economy, Chapter II | Library of Economics and Liberty
http://www.econlib.org/library/YPDBooks/Jevons/jvnPE2.html

CHAPTER II
THEORY OF PLEASURE AND PAIN

Pleasure and Pain as Quantities.




☆☆

「われわれの欲求は、量よりはむしろ多様性を目ざすことは明瞭である」シーニョア 41頁


ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ - Wikipedia
ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(William Stanley Jevons、1835年9月1日 - 1882年8月13日)は、イギリス経済学者論理学者。彼は、彼の著書『経済学理論』("The Theory of Political Economy",1871年)の中で、「最終の」効用(限界効用)による価値理論を詳しく説明した。ジェヴォンズの著作は、オーストリアカール・メンガー(1871年)とスイスレオン・ワルラス(1874年)による同様の発見を通して、経済思想の歴史における新しい時代の始まりを刻印した。貨幣景気循環に対する分析も著名で、景気循環と太陽黒点の関係を示した太陽黒点説が特に有名である。

目次

経歴編集

ジェヴォンズは1835年、リヴァプールで生まれた。彼の父トーマス・ジェヴォンズは、強い科学的好奇心を持った人物であり、法律的・経済的主題に関する文筆家で、鉄の商人であった。彼の母はリヴァプールの銀行家ウィリアム・ロスコーの娘であった。
15歳のとき、彼はUniversity College schoolへ行くためにロンドンへ送られた。思想家としての重要な業績を挙げることが自分に可能であるという信念の形成が、このとき既に現れている。そして、彼の経歴における更に危機的な時期において、この確信が、彼の行為を決心させる決定的要因となった。彼は化学と植物学を好み、大学で2年を費やした後、1853年の末に、彼が予期しなかった、オーストラリアの新しい造幣局の試金官の仕事の提示を受けた。英国を去るという考えは好ましいものではなかったが、1847年に起こった彼の父の会社の失敗の結果、金銭的理由が極めて重要となったことから、彼はその職を引き受けた。
彼は1854年6月、ロンドンでの自然科学の研究を中止し、シドニーで試金官として働いたが、そこで経済学への関心を持つようになった。1859年の秋にイギリスへ帰ると再び学生としてユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの大学に入り、やがてロンドン大学の文学学士、文学修士へと進んだ。
1862年には価値の限界効用理論の概略を述べた『経済学の一般的数学理論』("General Mathematical Theory of Political Economy")を、1863年には『金の価値における深刻な下落』("A Serious Fall in the Value of Gold")を出版した。彼によれば、生産物の追加的1単位が消費者に与える効用や価値は、消費者が既に得た生産物の単位の量(少なくとも生活を維持するだけの相当量)と逆の相関関係があるとのことだった。
この頃の彼の主たる注目は道徳科学に向けられたが、彼の自然科学に対する関心が枯渇した訳では決してなかった。彼の生涯を通じて、彼は科学的主題や、彼の主たる論理学の著作である『科学の原理』の成功に大きく貢献した物理学への深い知識に関する時折の論文を書き続けた。文学修士号を取って間もなく、彼はマンチェスターのオーエンズ大学(マンチェスター大学の前身)で講師の地位を得た。
彼は『石炭問題』("The Coal Question",1865年)の中で、英国の石炭供給が徐々に枯渇しつつあることへの注意を促し、それによって公的認知を得た。論理学と科学的手法に関する彼の最も重要な著作は、彼の『科学の法則』("Principles of Science",1874年)、これと並んで『経済学理論』(1871年)及び『労働関係の状態』("The State in Relation to Labour",1882年)である。
1866年に彼はオーエンズ大学における論理学、心理学、道徳哲学の教授、及びコブデン記念経済学教授に選任された。翌年彼はハリエット・アン・テイラーと結婚。彼女の父はマンチェスター救貧院の創立者であり、所有者であった。
1872年に王立協会のフェローに選出された[1]
その後、彼は不健康と不眠に大いに苦しみ、あまりに広範囲の主題をカバーしている講義がとても煩わしいと気付いた。1876年に彼はオーエンズ大学の教授職とユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの経済学の教授職との交換に喜んで応じた。旅行と音楽が彼の人生での主なレクリエーションだった。しかし、彼の病は続き、抑鬱に苦しんだ。彼は教授職をますます退屈に感じ、著作活動のプレッシャーが彼に余分のエネルギーを残さないことに気付き、1880年に職を辞すことを決心した。
1882年8月13日、彼はヘイスティングスの近くで水浴中に溺死した。
彼の生涯を通じて、彼は献身と勤勉をもって彼の言う理想像を追求し、彼の日誌と手紙は、気質の気高い実直さと目的の揺るぎない正直さを表している。彼は多作の文筆家であり、彼が死去する頃には、論理学者と経済学者のいずれにおいても英国で一流の地位を築いていた。アルフレッド・マーシャルは彼の経済学に関する著作について、「リカードを除けば、恐らく過去100年になされた他のどれよりも建設的な力を持つことが見出されるだろう」と述べた。彼が死去する頃、彼は、少なくとも彼が以前に試みたものと同じくらい重要と見込まれる経済学の著作に取り組んでいた。彼の人生をあまりに早く断った事故によって、論理学と経済学が被った損失は、どのように誇張しても足りないであろう。

効用理論編集

ジェヴォンズは、彼の経歴のかなり早い時期において、経済学と論理学に対する彼の最も特徴的かつ独創的な貢献の本質となる学説に到達した。彼の経済学の一般理論の基調となったこの効用理論は、1860年には実際に手紙の中で公式化されており、類似物の代替についての彼の論理法則の萌芽は、1861年に書かれた他の手紙の中で提起した、「哲学とは、物事の類似性をただ単に指摘することを意味するだけだ、ということがわかるだろう」という考え方に見出される。
先に言及した効用理論、即ちある商品の効用の度合は、利用可能な商品の量についての連続的な数学的関数である、という理論は、そこに暗示される、経済学は本質的に数学的な科学である、という学説と共に、1862年に英国学術協会のために書かれた『経済学の一般的数学理論』での論文において、より明瞭な形で採用された。この論文は1862年にも、4年後に"Journal of the Statistical Society"に出版された時にも、多くの関心を惹き付けたようには見えない。その状況は、彼が自身の学説を完全に発展した形で送り出した『経済学理論』が現れる1871年まで続いた。
その出版後はそうではなかった。彼は初期の文筆家、特にアントワーヌ・オーギュスタン・クールノーヘルマン・ハインリヒ・ゴッセン等によって行われた、経済学への数学の適用に精通した。効用理論は1870年頃からいくつかの同じような系列上で、オーストリアのカール・メンガー、スイスのレオン・ワルラスによって独立に発展した。交換における価値と最終の効用(あるいは限界効用)との間の関係の発見に関しては、優先権はゴッセンにある。しかし、この事が、その原理を彼が新たに発見し、これによって最終的にその原理を認知させたことによって、彼が英国経済学に与えた貢献の重要性を決して損なうものではない。流布している見方では、彼の反応の中には、彼は時々、正当な資格無しに自説を述べたというものがある。例えば、『経済学理論』の初めに書かれた宣言、「価値は効用に完全に依存するか?」は、誤解を招いた。しかし、強調点のいくらかの誇張は、無関心な世間の注意を引きつけようと努める文筆家には許容されるかもしれない。経済学を作り変えようとする新古典主義革命が開始された。
ジェヴォンズのパラドックス英語Jevons paradox)とは、技術の進歩により資源利用の効率性が向上したにもかかわらず、資源の消費量は減らずにむしろ増加してしまうというパラドックス[1]である。1865年イギリスの経済学者ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズが著書『石炭問題』の中で、技術の進歩によって石炭をより効率的に利用することができるようになった結果、より広範な産業で石炭が使われるようになったことに注目し、ふつう直感的に理解するのとは逆に、技術の進歩が燃料消費量の減少をもたらすとは限らないと唱えた[2]
この問題は、エネルギー効率の改善による消費のリバウンド効果英語版を研究する経済学者によって近年再検討されている。効率性の改善はある特定の利用に必要な資源量を減らす一方で、資源利用コストを下げ新たな資源需要を増やすため、効率性の向上によって得たエネルギー節約分は相殺される。さらに効率向上によって経済成長が促進されるため、さらなる資源需要が生まれる。ジェボンズのパラドックスは、需要の増加が節約効果よりも大きく、全体として資源利用が増えるときに起こる。
ジェボンズのパラドックスは、効率性の向上が燃料使用量を増やすことを示すとして、省エネが無駄であるとする主張の根拠に使われてきた。だが一方で効率性の向上は物質的な生活水準の向上をもたらし得るものであり、効率性向上によるコスト差が環境税やその他の省エネ政策によって同程度に(またはより高く)維持されれば、燃料使用量は減る[3]。ジェボンズのパラドックスは、エネルギー効率を高める技術進歩だけがある場合にのみあてはまり、省エネ基準を定めたり税でコストを増やすような政策がある場合には成り立たない。 

目次

成り立ち編集


19世紀イギリスの経済学者、ジェボンズ
ジェボンズのパラドックスは、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズの1865年の著書『石炭問題( The Coal Question )』の中で初めて言及された。同書でジェボンズは、エネルギー効率の向上は燃料消費量の減少よりはむしろ増加をもたらすとして、「燃料の経済的使用が燃料消費量の削減に相当するとするのは、考え方が混乱している。本当はその逆だ。」と述べている[4]
ジェボンズは、ジェームズ・ワットにより石炭を燃料とする蒸気機関が導入されたあと石炭の消費量が急激に増加したことに着目した。ワットの蒸気機関はトーマス・ニューコメンが初め設計したものと比べ大幅に効率が良くなったものであった。このワットの発明によって石炭はより費用効率のよい資源となり、蒸気機関はより幅広い産業で利用されるようになった。つまり、あるひとつの場所で必要とされる石炭の量は減ったかもしれないが、全体的な石炭の消費量は増加したのである。
産業革命当時のイギリスでは石炭資源が急速に減少することが懸念されていたが、専門家の中には効率性をさらに向上させることによって石炭消費量は減ると唱えるものもいた。ジェボンズはこの見方は誤っていると主張し、効率性の向上は石炭消費量のさらなる増加をもたらし、イギリスの石炭資源の枯渇を促進するものであると指摘した[2][4]

パラドックス発生の原因編集


Elastic Demand for Work(弾力的需要):
縦軸・価格が半分(燃料効率が2倍)になったときの横軸・数量(燃料使用量)の増え方が2倍以上であるため、全体として燃料需要は増える。ジェボンズのパラドックスが発生する。

Inelastic Demand for Work(非弾力的需要):
縦軸・価格が半分(燃料効率が2倍)になったときの横軸・数量(燃料使用量)の増え方が2倍以下であるため、全体として燃料需要は減る。ジェボンズのパラドックスは発生しない。

リバウンド効果編集

ジェボンズのパラドックスを理解するための一つの方法として、資源(例えば燃料)の利用効率性の向上は、その資源によって得られるもの(例えば仕事)から測ったその資源価格(その資源の実効価格)の下落をもたらす点に注目したい。一般的に、サービスの価格が下がると需要は増える(参考:需要と供給需要曲線)。従って、仕事の価格が低くなるとより多くの仕事が 購入 され、間接的により多くの燃料が購入される(つまり燃料需要が増える)。このような需要増は「リバウンド効果(rebound effect)」と呼ばれている。需要の増加は、効率性の向上による需要低下分を埋め合わせるほど大きい場合もあれば小さい場合もあるが、ジェボンズのパラドックスは、リバウンド効果が100%以上すなわち効率性による需要減少以上に需要の増加が生まれた場合に起こる。100%を超えた分はbackfire(バックファイア) と呼ばれることもある[2]

7 Comments:

Blogger yoji said...

An Outline of the Science of Political Economy - 133 ページ
https://books.google.co.jp/books?id...

Nassau William Senior - 1836 - ‎読む - ‎他の版
Nassau William Senior. Political Economy. Wealth. ... His first object is to vary his food; but this desire, though urgent at first, is more easily satisfied than any other, except perhaps that of dress. Our ancestors, long ...


It is obvious, however, that our desires do not aim so much at quantity as at diversity. Not only are there limits ...

Senior
シーニョア

2:52 午前  
Blogger yoji said...

An Outline of the Science of Political Economy - 133 ページ
https://books.google.co.jp/books?id...

Nassau William Senior - 1836 - ‎読む - ‎他の版
Nassau William Senior. Political Economy. Wealth. ... His first object is to vary his food; but this desire, though urgent at first, is more easily satisfied than any other, except perhaps that of dress. Our ancestors, long ...


It is obvious, however, that our desires do not aim so much at quantity as at diversity. Not only are there limits ...

Senior
シーニョア
経済学概説 1836

2:54 午前  
Blogger yoji said...

「われわれの欲求は、量よりはむしろ多様性を目ざすことは明瞭である」シーニョア 41頁
An Outline of the Science of Political Economy - 133 ページ
https://books.google.co.jp/books?id...
Nassau William Senior - 1836 - ‎
It is obvious, however, that our desires do not aim so much at quantity as at diversity. Not only are there limits ...
Senior
シーニョア
経済学概説 1836

2:55 午前  
Blogger yoji said...

ナッソウ・ウィリアム・シーニョアとは (ナッソウウィリアムシーニョアとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 ...
dic.nicovideo.jp › ナッソウ・ウィリアム・...
dic.nicovideo.jp からのシーニョア
2012/06/27 · ナッソウ・ウィリアム・シーニョア(Nassau William Senior、1790〜1864)とは、イギリスの経済学者である。 概要 ナッソウ・ウィリアム・シーニョアは、リカードからミ...
古典派経済学と階級 - だるろぐ
https://blog.daruyanagi.jp › 2012/11/14
2012/11/14 · 経済学史―学説ならびに方法の諸段階 (岩波文庫 白 147-3) 三つの階級(+1) 地主(階級) 「 自然的要素」の所持者 シーニョアによる規定(シーニョアによる生産要素論 - だるろぐ)。以下、これにならって ...
シーニョアによる生産要素論 - だるろぐ
https://blog.daruyanagi.jp › 2012/11/14
2012/11/14 · 労働 自然的要素 節欲(abstinence) 大多数の古典学派は(この三要素を認めるか)、あるいはペティの先例に従ってわずかに二つの本源的生産要素を認知するか(たとえば、J.S.ミルのごとし。今日はこの ...

2:59 午前  
Blogger yoji said...

ナッソウ・ウィリアム・シーニョア(Nassau William Senior、1790〜1864)とは、イギリスの経済学者である。

概要

ナッソウ・ウィリアム・シーニョアは、リカードからミルの間に活躍した独創的な理論を持った古典派経済学者であった。

彼は価値、地代、人口、貨幣、国際貿易についての理論に独創的な貢献をしているが、彼の最も有名で、悪名高い意見は、利潤制欲説(利潤とは、資本家が自分自身の資本の現在の消費を控えたことに対する報酬であるという考え)であり、これが「ブルジョワ経済学」の謝罪の本質に対するマルクスのもっとも大きなためらいを招くことになった。しかし、需要理論と全く関連のない限界効用逓減の法則の叙述と、固定供給のもとでの要素に関するリカード地代概念の一般化、それに国際収支の均衡が国際的な賃金や物価に予測される不平等をもたらすという彼の証明は、もっと賞賛に値するとされる。彼はまたリカードの追従者の中でも、経済学のあらゆる命題を経済学上の動機付けについての四つの公理と、工業や農業の科学技術から引き出そうとすることによって方法論的に洗練させることを大いに促進した。

シーニョアは当時のウィッグ党の相談役を務めた初めて経済学者であり、労働組合法、地方自治体の改革、アイルランドの貧民救済行政に取り組み、四つの王立委員(救貧法、工場条例、手織り職人問題、大衆教育)を任され、どの場合にも委員会報告書の多くは彼が作成した。

3:02 午前  
Blogger yoji said...

Nassau William Senior, 1790-1864.

原ページ
 
Google
WWW 検索 cruel.org 検索

The first holder of the Drummond Chair at Oxford, Nassau William Senior was a detractor from orthodox Ricardianism and more in the the "Oxford-Dublin" tradition of supply-and-demand economics. Specifically, Senior can be credited with the initiation in Great Britain of the utility-based demand and the cost of production-based supply scheme, thus an important predecessor of the Marginalist Revolution. John Stuart Mill took much effort to respond to Senior.

Senior also developed an "abstinence" theory of capital and interest (in his main 1836 treatise). An important opponent of Malthus's population doctrines, Senior was also one of the developers of the ill-fated "wages fund" doctrine. His methodological essays on the scope of political economy - his insistence on the deductive method and his arguments for the distinction between wealth and welfare - are also well-known.

A proponent of laissez-faire, Senior was a active participant in Whig politics, being one of the commissioners responsible for the Poor Law Amendment Act of 1834. Senior was famously opposed to trade unions and against reductions in working hours (arguing that for enterprise, "the whole net profit is derived from the last hour.").

Major works of Nassau William Senior

"Report on the State of Agriculture", 1821, Quarterly Review
"Some Ambiguous Terms Used in Political Economy", 1826, in Whateley, editor, Elements of Logic, Encyclopedia Metropolitana,
Three Lectures on the Transmission of Precious Metals from Country to Country and the Mercantile Theory of Wealth, 1827.
Two Lectures on Population, 1829
Three Lectures on the Rate of Wages, 1830.
On the Cost of Obtaining Money and on some effects of private and government paper money, 1830.
Letter on a Legal Provision for the Irish Poor. 1831.
An Outline of the Science of Political Economy, 1836.
Statement of the Provision for the Poor in America and Europe. 1835.
An Outline of the Science of Political Economy, 1836.
Letters on the Factory Act, 1837.
Three Lectures on the Value of Money 1840.
Lecture on the Production of Wealth, 1847.
"J.S. Mill on Political Economy", 1848, Edinburgh Review
Four Introductory Lectures on Political Economy, 1852.
Essays on Fiction, 1864.
Historical and Philosophical Essays, 1865.

Resources on N.W.Senior

Introduction to Collected Works of W.N. Senior by Donald Rutherford (at Thoemmes)
"The Laws of Population and Wages: Review of Senior", 1831, North American Review
Senior on the differences between England and Ireland (at An Gota Mor)
Senior Page at McMaster
Senior Page at Peel Web
Senior Page at Laura Forgette
Senior Page at Britannica.com
Historians & Political Orators: W.N. Senior at Bartleby
Portrait of Senior at Hughes website

3:04 午前  
Blogger yoji said...

マーシャルはジェヴォンズに関していい文章を書いている
以下は間違い


https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/56040897.html?__ysp=44K344O844OL44On44KiIOe1jOa4iOWtpg%3D%3D

Keynes, On Jevons (April, 1936)

                               2007年5月8日 記

1. ケインズの書いた伝記のなかでマーシャル伝に次いで長いもの。

2.ケインズはジェヴォンズの天才ぶり、そして帰納法的手法と演繹的手法を合わせもつ
稀有の人物、と評価している。(cf. p.139)

3.帰納法的手法の領域では、景気変動論や物価指数論での卓越した研究手法、ならびにそこでの血のにじむような努力を高く評価している。

  ジェヴォンズは、彼の材料を、透徹した眼力と、自然科学者のもつ豊かな統制のとれた想像力で調べた最初の理論的経済学者であった。(p.119)

 例えば、「金の価値の深刻な下落」(A Serious Fall in the Value of Gold ) に対し、ケインズは、天才的なもの、ときわめて高い評価を与えている。
 これにたいし、有名な「太陽黒点説」についは、ある程度の理解を示しつつも、上記のようなレベルのものではまったくない、と断じている。
 
   その理論は、あまりにも精密で断定的な形式で述べられることで、偏ったものになっている。(p.127)

ケインズ自身、『貨幣論』にみられるように、物価指数論の研究を続けていた人物であることからみて、こうしたジェヴォンズ評価は納得のいくものである。

4.演繹的な領域では、価値論があげられる。これはジェヴォンズがオーストラリアで孤独
な研究を続けているなかで着想を得たものであり、それをロンドンに戻ってから、いろ
いろなかたちで発表していくことになった。これらについては、ほとんど好意的な反応
を得ることはなかったのであるが、ジェンキンが似た考えを発表し始めたため、急いで
著作にしたのが、かの有名な『経済学の理論』である。

… ジェヴォンズのこの本は、主観価値、限界原理、そしていまや周知の、経済学に代数学と図表のテクニックに基づいた価値論の完成版を提示した最初の研究所である。 (p.131)

5.ここで興味深いのはマーシャルとの関係である。というより、マーシャルがいかにジェヴォンズにたいし、冷たい評価を続けたかについての言及である。(pp.133-136)

とりわけ興味深いのは、p.135に引用されているマーシャルの話である。そしてこれにたいするケインズのコメント。

  この一文は、現代経済学の2人の創設者のアプローチの類似性からくるライバル心 よりも、両者のあいだのシンパシーの欠如というより深い原因を浮かび上がらせている。すなわち、各々が経済学に深い情熱をもちあわせ、依然として未解決の、リカードウが真の預言者であったのか、それとも誤った預言者であったのか、という論争において反対の立場に立っているということから来るシンパシーの欠如である。  (p.136)

6. ジェヴォンズは、経済学はリカードウ、ミルの路線ではなく、マルサス、シーニョアの路線で進むべきであった、と考えていた。
  ここでは、おそらく価値論の相違が露呈しているのだろうと思う。ジェヴォンズは、交換を主観価値説にもとづいて展開する経済学をマルサス、シーニョアのなかにみており、それにたいしリカードウ、ミルは交換理論を軽視したことが、こうしたジェヴォンズのスタンスにつながっているのだと思う。
  ケインズの場合、ジェヴォンズの価値論の功績を、非常に素直にここでは認めており、しかもマーシャルとの関係をみる場合でも、この主観価値論との関連(these two founders of modern economics)で評価している (1936年に、である)。すでに『一般理論』を書き上げていたケインズにあっては、これらはやはり批判の対象であったと思われるが、ここではケインズはその点にはまったく触れていない。
  ケインズはこの領域でのジェヴォンズの功績に本当に関心があったのだろうか。歴史的にその意義を認めるとしても、それ以上のものではなかったのかもしれない。
  面白いことに、『一般理論』でケインズは、リカードウではなく、マルサスが主流であったら、と書いていた。ここでは、セイ法則を許容するかいなかをめぐる基準が問題にされていたが、ジェヴォンズの場合、価値論の内容をめぐる点が基準となっていた。
  たしかにマーシャルがリカードウ、ミルに私淑していた(エッジワースもそうである)という点を考えると、マーシャルはジェヴォンズを許せなかったのであろう。

7. しかし,さらに面白いのは、ジェヴォンズが大学の講義で、ミルの経済学を教えており、自分の理論はまったく教えなかったという事実、そしてそのことが彼を逆に過激なまでにミル嫌いにした、という点である。

  私ははるか昔に、この話を父からきいた - 彼自身の理論にたいするこの抑制が
  いかに、ミルにたいする彼の感情を憎しみのあるものにまでもっていったのかを。 (p.138)

8. このほか、ジェヴォンズの性格(心理)分析 (p.146), 2人の若い研究者との付き合い(エッジワース、フォックスウェル [書籍収集はジェヴォンズによって触発された])、そしてウィックスティード (Wicksteed)との交流。エッジワース (Edgeworth) とWicksteedはジェヴォンズによって経済学に導かれた可能性が大である (p.148の注4)

   彼は、現在の言葉で言えば、きわめて内向的であった。彼は、内的な光線のみで最良の仕事をなしとげた … (p.146)
 
9.ジェヴォンズの資本理論がオーストリア学派に影響をおよぼしたことが書かれている。
(p.132)。もちろんケインズはこの理論に批判的であったが、そのことにはここでは言及されていない。

10.その他にも、ジェヴォンズの市場社会観のようなことが語られている(p.143)。
教育や芸術への国家の支援の重要性(p.144)。

11.論理学での彼の功績への言及(p.141)
  経済学や統計学での彼の功績には及ばないけれども (p.142)

12. 自らの研究の先行者発見への興味
  その最大のものはカンティロンである(p.139)

13.ホートリー (Hawtrey) もこのコンファランスに参加しており、1つの意見を述べている。それは『経済学の理論』での経済分析にたいする貢献である。そしてそれは、マーシャルにたいしてよりも高い評価になっている (pp.157-158)。

14. ヴィクトリア女王のインド女帝戴冠にたいする反対運動を起こしていた、という事実。
(これは息子H. S. Jevonsによる発言)。

3:10 午前  

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