土曜日, 8月 06, 2016

"Je est un autre." ― Arthur Rimbaud (13 mai 1871) 「私は他人(ひと)であ る。」


                   (文学リンク::::::::::) 

NAMs出版プロジェクト: "Je est un autre." ― Arthur Rimbaud (13 mai 1871) 「私は他人(ひと)であ る。」
http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/est-un-autre-arthur-rimbaud-13-mai-1871.html(本頁)
『カントの批判哲学』ドゥルーズ La philosophie critique de Kant par Gilles Deleuze 1963
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_8.html

"Je est un autre."
― Arthur Rimbaud (13 mai 1871)

「私は他人(ひと)である。」 


ドゥルーズ批評と臨床第5章 カント哲学を要約してくれる四つの詩的表現について 2/4

「〈私〉とは他者である……」       
 ──ランボー、一八七一年五月イザンバール宛て書簡、        
一八七一年五月十五日ドゥムニー宛て書簡。
  思考の様態あるいは魂の内包的[intensif]運動としての、もう一つの古めかしい時間の考え方があった。それは、一種の精神的で修道士的な時間である。デカルトのコギトが実行するのは、その還俗、世俗化である。すなわち、「私は思考する」は瞬間的な規定行為であり、この行為は一つの無規定な実存(私は存在する)を伴い、かつ、思考する実体の実存としてその実存を規定する(私は一つの思考する物[chose]である)。だが、どんなやり方でそれが「規定可能」であるかが示されないとしたら、いったいどうしてその規定が無規定なものにまでおよぶことができよう? ところで、このカント的要求は、つぎのような解決以外の解決を残さない。すなわち、無規定なものにまでおよぶことができよう? ところで、このカント的要求は、つぎのような解決以外の解決を残さない。すなわち、無規定な実存が規定可能なものになるのは、ただ時間の内部においてのみ、時間という形式のもとでのみであるということだ。それゆえ、「私は思考する」は時間を触発するのであり、時間の中で変化し、一瞬ごとに意識のある度合いを呈示する、そんな自己の実存のみを規定するのである。規定可能性の形式としての時間は、したがって、魂の内包的運動に従属しているのではない。そうではなく、反対に、瞬間における意識の度合いの強度的[intensive]生産こそが、時間に従属しているのだカントは、時間の第二の解放を実行し、その世俗性を完成するのである。

1/4
「〈時間〉の蝶番がはずれている(1)……」        
──シェイクスピア『ハムレット』第一幕第五場
 Out of jointな時間、つまり蝶番のはずれた扉が意味しているのは、第一の偉大なカント的逆転である。すなわち、運動こそが時間に従属するのだ。

3/4
「認識できぬ法の数々によって支配されるのは、何たる刑苦であることか!        
……というのも、それらの法の性質は        
かくしてその内容について秘密を要求するからである」
──カフカ『万里の長城』
  それは法というものと言っても同じことだ。…

4/4
「あらゆる感覚の錯乱[dérèglement]によって未知なるものへ        
到達すること、……それも、長く、広大で、熟慮にもとづいた、        
あらゆる感覚の錯乱によって」
──ランボー、前掲書簡。
  あるいはむしろ、あらゆる能力の錯乱的=規則解体的[dérèglé]行使。これこそが、『判断力批判』における深くロマン主義的なカントによる第四の表現であるだろう。…


関本洋司サイト:ゴダール、ランボー、ディランその他 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/51992044.html
ゴダール『気違いピエロ』のラストより 


(女)見つけた
(男)何を (女)永遠を
(男)それは海
(女)そして太陽

Elle est retrouvée.
Quoi ? - L'Eternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/rimbaud/9.html

また見つかった、
何が、
永遠が、
海と溶け合う太陽が 
(小林秀雄訳)

これはランボーの『地獄の季節』のなかの詩の一節だが、有名な詩を独白ではなく男女の掛け合いにした点にゴダールの才能を感じる。
「私は他者である」というランボーのこれまた有名な言葉を内在的に使用したと言えるし、デリダの脱構築とも重なる。
このラストシーン(海へのパン)は溝口健二の『山椒大夫』へのオマージュとも言われるが、ゴダールはいい題材と出会うとき、というより「彼が生涯育んできた理念に<触れた>とき」傑作をつくるとタルコフスキーが正確に論評していた(『映像のポエジア』p110)。トリュフォーはゴダールがいい映画を作るのは若者を題材にした時だとも語っていた、、、

さて、ランボーの「私は他者である」という言葉だが、この言葉に関してディランはこう書いている。

「同じころ、こうしたことに加えて、スージーに教えられてフランスの象徴派の詩人、アルチュール・ランボーの詩を読むようになった。
そして「わたしはべつのだれかである」という題の彼の書簡を知った。このことばを見たとき、鐘が一気に鳴りはじめた。ぴったりのことばだった。どうしてもっと早くだれかがそう言ってくれなかったのかと思った。そのことばは、(ロバート・)ジョンソンの暗い夜の魂にも、ウディ(・ガスリー)の熱っぽい組合集会の説法にも、海賊ジェニー(ブレヒト)で学んだ歌づくりの基本概念にもうまくなじんだ。すべてが変わりはじめ、わたしはその入り口に立っていた。わたしはやがて準備を万端に整え、生き生きとした力にあふれ、エンジンをフル回転させ、一歩を踏み出すことになる。… 」
(『ボブ・ディラン自伝』邦訳pp357-358より。()内は引用者が補足しました。) 

ランボーの言葉は、「見者の手紙」と言われるパリコミューンが失敗する前に書かれた手紙のなかにあるものだが、僕が好きな手紙は、パリコンミューンのあとの落胆したランボーの手紙だ。その手紙でランボーはまったく異なった殊勝な文面を綴っている(「私は働きたいのです、、、私は疲れた足です、、、」)。

さて、ゴダールやバディウは政治革命への幻影を引きずっているが、ランボーは「砂漠の商人」となることでその幻影を振り払った。
以下は1980年代に話題になった日本のCMより。

Suntory Whisky Royal CM -Arthur Rimbaud- (LongVer.) 1982

ディランはライブを続ける自身を井戸を掘る人間に喩えていたが、商人と詩人を兼任していると言っていいかも知れない。ランボーの時代のように外部があるわけではないのだ。

以上、話が脱線しましたが、詩人たち同士の交歓が盛んだという主旨だと受け取って下さい。
脱線ついでにランボーの詩(sensation)にメロディをつけた人がいるようなので紹介します。


Sensation

Par les soirs bleus d'été, j'irai dans les sentiers
Picoté par les blés, fouler l'herbe menue:
Rêveur, j'en sentirai la fraîcheur à mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tête nue.

Je ne parlerai pas, je ne penserai à rien:
Mais l'amour infini me montera dans l'âme,
Et j'irai loin, bien loin, comme un bohémien,
Par la nature, - heureux comme avec une femme.

夏の青い宵に 僕は行くだろう、小径をとおり、
麦の穂につつかれ、こまかな草を踏もうと、
夢想家の僕は、草の夕べの冷気を足に感じ、
風にあらわな顔をまかせたまま。

僕は話すまい、 何も考えまい、
しかし無限の愛が魂にこみあげてくるだろう
そして僕は行こう、遥かに遠く、ジプシーのように、
自然のなかを、女の人と一緒のように幸せに。

by : フランス 四季と愛の詩 
(mixiランボーコミュニティより)


http://nam-students.blogspot.jp/2014/11/blog-post_19.html

参考
ランボーの右足 XXIV.
http://homepage3.nifty.com/false/garden/rimbaud/rimbaud24.html
ランボーのお見合いなんてまるで冗談みたいな話だが、満更ふざけていたわけでもなさそうだ。上記の手紙では、何とその後に釣書がつづく。

僕の財産は、今手元にあります。いつでも好きなときに使えます。
ティアン氏は、三十年もアデンで暮らしているとても立派な商人で、僕はアフリカのこの地方での彼の共同経営者なわけです。提携するようになってから、これで二年半になります。それに加えて、一人で自分のための事業もしています(*注149)。しかし適当な機会が見つかり次第、こちらのほうは精算してしまうことができます。
僕は海岸にむけて、金、麝香、象牙、コーヒーなど、この地方の産物を隊商に乗せて送りだしています。ティアン氏と共同でしているこの事業では、利益の半分が僕の取り分です。
なお問い合わせは、アデンのフランス領事ド・ガスパリ氏か彼の後任者になされば十分です。
ただしアデンには誰一人、僕を悪く言える人はいません。この国では十年来、僕は誰からもよく見られていますから。
物好きな人はご自由に。
ハラルには、領事館も、郵便局も、道路も、何もありません。ここにはラクダに乗って来るのです。そしてまるきり黒人たちばかりとの生活です。しかし結局、ここでは人は自由なのです。気候もいいところです。
これが今の状態です。

(同上)

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