http://www.freeassociations.org/
“In September 1931, Ursula Hicks (wife of John Hicks) was attending Mises’ seminar in Vienna when England suddenly announced it was going off the gold exchange standard. Mises predicted the British pound would be worthless within a week, which never happened. Thereafter, Mises always expressed deep skepticism about the ability of economists to forecast.” (Skousen 2009: 286, n. 2).Mises’ prediction was falsified. By contrast, Keynes was vindicated in predicting that British trade would benefit from abandoning the gold exchange standard and from the currency depreciation that resulted.
The purpose of the Arts Council of Great Britain is to create an environment, to breed a spirit, to cultivate an opinion, to offer a stimulus to such purpose that the artist and the public can each sustain and live on the other in that union which has occasionally existed in the past at the great ages of a communal civilised life.
日本語
「本当にこの国を見守っいくつかの摂理があるようです。二ヶ月前、我々は不可能な位置にあった。我々の業界を渡された年もの間、そのコストは避けられない結果で、ハイにされて私たちのお金の交換価値によって絞殺されていました私達の商品の地球上で私たちはhonourble方法で失わ取得した方法。海外市場のために高いにもあった?高い交換価値で外国資金を受け入れた私たちの銀行のためには、自主的に私たちのお金の値を変更するために間違っているだろうと感じました。
イベントが判明してきたように変化がexordinarily幸運、良好な状況下で私たちに強制されています。我々は、正直何も恐れることは何もありません。だから、多くの場合、過去10年間で、私は悪のProficyしなければなりませんでしたが、今大きな重みが私たちから持ち上げられ、大きな緊張relieved.Thereは交換がはるかに落下の危険性がなく、コストの重大な上昇の恐れがありません生活の。さらに悪い私はいくつかの2年前の価格に戻ることを期待しなければなりません。しかし、一方で英国の貿易は、私たちのほとんどは、まだ実現しているよりもはるかに巨大なstimulousを受けています。
それは私たちのビジネスの男性と我々のメーカーと再び希望を味わうために私たちの失業者のための素晴らしいことですが、彼らは誰もが、彼らはすべてのこれらの年外に彼らの心をピニングされた金のケージにそれらを戻すのを許してはなりません。」
異常な失業の終わりが見えていると言っても過言ではありません。そして、それだけでなく、違いを感じるだろう誰が失業者です。偉大な数は他にも毎週家よりよいお金を取ることになります。かつ効率的な労働需要が供給をoutrunningで、どのようにはるかに快適で安全な、誰もが彼の仕事に感じるでしょう。グランド実験が始まりました。それが動作するかどうか-場合軍備への支出は本当に治すん失業を-私たちは事務の古い状態にすべての道を戻ることはありませんしなければならないと予測しています。グッドは、悪から来るかもしれません。私たちは平和の日が来たときに有用で来るトリックまたは2を、学習することができます。
Facts & other stubborn things: Keynes on the War Economy
http://factsandotherstubbornthings.blogspot.jp/2011/10/keynes-on-war-economy.html
Posted by dkuehn at 12:54 PM
Doing a little more reading on the war economy and post-war expectations. This was interesting - it's from a radio broadcast "Will Re-armament Cure Unemployment" (1939):
"What a difference all this makes! It is not an exaggeration to say that the end of abnormal unemployment is in sight. And it isn't only the unemployed who will feel the difference. A great number besides will be taking home better money each week. And with the demand for efficient labour outrunning the supply, how much more comfortable and secure everyone will feel in his job. There will be other reasons for plenty of anxiety. But on of the worst anxieties is anxiety about getting and keeping work. There should be less of that than for years past.
I have a special extra reason for hoping that trade unionists will do what they can to make this big transition to fuller employment work smoothly. I began by saying that the grand experiment has begun. If it works, if expenditure on armaments really does cure unemployment, I predict that we shall never go back all the way to the old state of affairs. If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments, we can cure it for the productive purposes of peace. Good may come out of evil. We may learn a trick or two which will come in useful when the day of peace comes, as in fullness of time it must."
(25:607~612頁)
5月23日ケインズはBBC放送で再軍備と失業の関係について話した。この談話はその後刊行された。
『リスナー』誌、1939年6月1日
再軍備は失業を救済するか?
…
すべてのことは何という違いをもたらすことであろうか! 異常な失業の終わりが視野に入っているといっても過
言ではない。違いを感じるのは失業者だけではない。それ以外の多くの人は毎週より多くの金を家庭に持って帰るだ
ろう。そして有能な労働に対する需要が供給を上回っているので、誰でもがその仕事において如何にずっとより快適
で安全であると感じることであろうか。多くの不安には他の理由はあるだろう。しかし最悪の不安のーつは仕事を得
ること、また、それを続けることについての不安である。過去の年よりもそれは少ないに違いない。
わたしは労働組合員たちがより完全な雇用ヘのこの大きな移行が円滑に働くように彼らがなし得ることをすると望
む特別の追加的な理由を持っている。わたしは大きな実験が始まっていると初めに言った。もしそれがうまくいくな
らば、すなわち軍備への支出が本当に失業を救済するならば、われわれは、はるばると過去の状態ヘ戻ることは決し
てないとわたしは予言する。もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、われわれは平
和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。善は悪から生まれるかもしれない。われわれは平和の時が来れ
ば役に立つ一つ二つの秘訣を学ぶだろう、時満ちて必ず然るごとく(訳注*)。
*「ガラテヤ書」第四章四「時満つるに及びては…」。
フロイトなどを見ればわかるがこの時期のラジオは重要だ
ケインズは貨幣論などでフロイトに言及していて敬愛していたようだ
NAMs出版プロジェクト: "My name is Sigmund Freud"
http://nam-students.blogspot.jp/2010/10/my-name-is-sigmund-freud.html
ジークムント・フロイト(ドイツ:Sigmund Freud、1856年5月6日 - 1939年9月23日)
死の前年のラジオ用の音声及びその原稿(録音は1938年12月7日。放送は1938年12月27日)。
リンク:死の欲動:再考、The Battle of the Huns 、Haeckel=Freud 、「…欲望転換について」1916
Freud Says;
"I started my professional activity as a neurologist trying to bring relief to my neurotic patients.
Under the influence of an older friend and by my own efforts, I discovered some important and new facts about the unconscious in psychic life, the role of instinctual urges and so on.
Out of these findings grew a new science, Psycho-Analysis, a part of psychology and a new method of treatment of the neuroses.
I had to pay heavily for this bit of good luck. People did not believe in my facts and thought my theories unsavoury.
Resistance was strong and unrelenting. In the end I suceeded in acquiring pupils and building up an International Psycho-Analytic Association. But this struggle is not yet over. "
"Im Alter von 82 Jahren verließ ich infolge der deutschen Invasion mein Heim in Wien und kam nach England, wo ich mein Leben in Freiheit zu enden hoffe. My name is Sigmund Freud"
「私は、神経症の患者を治そうと、神経科医として専門的な活動を始めました。年上の友人の影響のもとに、また、自分自身の努力によって、私は、心的生活における無意識や、本能的欲動が果たす役割その他についての、新しくて重要な事実をいくつか発見しました。
これらの発見の中から一つの新しい科学である精神分析が育ちましたが、これは心理学の一部分であって、神経症治療の新しい方法だったのです。
このわずかな幸運を手に入れるために、私は大きな犠牲を払わなければなりませんでした。人々は私が言う事実を信じてくれないし、私の学説を味気ないものだと考えたのです。世間の抵抗は強くて容赦ないものでした。ようやく、私は弟子を持つことが出来、国際精神分析教会を設立できました。けれども、まだ闘いは終わっていないのです。
(以下ドイツ語)
82歳の時、ドイツが侵攻したので、私はウィーンを去り、イギリスへ来ました。自由のなかで生涯を終えたいと願っております。
(英語で)
私の名前はジークムント・フロイト。」
参照:邦訳『フロイト最後の日記』(日本教文社、XXII頁及び261頁)
一部分をドイツ語で語ったのは、この放送をドイツ人に聞かせたいというせめてもの抵抗の姿勢であるようだ(前掲書より)。
当時、すでに顎の癌により人工口蓋をつけていたのでかなり話しにくかったと推察される。
参考:
http://www.pakistan.tv/videos-sigmund-freud-on-the-bbc--%5B_sm5YFnEPBE%5D.cfm
http://www.pakistan.tv/videos-sigmund-freuds-voice-bbc-broadcast-recording-[5jJ6Lhk1pNg].cfm
http://www.freud-museum.at/freud/media/audio-e.htm
http://www.dra.de/online/hinweisdienste/wort/2006/mai06.html
http://books.google.co.jp/books?id=RTfJV3fWXWUC&pg=PA32
なお現在刊行中の邦訳『フロイト全集』には上記の草稿は未収録。
フロイトについては
ドスタレール
ケインズの闘い106頁~参照
Our history | Arts Council England
www.artscouncil.org.uk>...>Our organisation
1940 Committee for Encouragement of Music and the Arts (CEMA) set up by Royal Charter. 1941 John Maynard Keynes becomes Chair of CEMA. 1945 46 art ... 1997 Department for Culture, Media and Sport (DCMS) created. Chris Smith ...
Arts Policy Special - Is Keynes s dream still alive? | ArtsProfessional
we must free old ideas that I had policiy whose those recognize the impossibility of restoring to the old gold standard ,
we must free old ideas that I had policiy whose those recognize the impossibility of restoring to the old gold standard ,
I have qualities who those
We must free ourselves from the bondage of old ideas,
that I have criticized whose those recognize the impossibility of restoring to the old gold standard ,
We must free ourselves from the bondage of old ideas that I have criticised whose those recognize the impossibility of restoring to the old gold standard ,
We must free ourselves from the bondage of old ideas that I have criticised whose those recognize the impossibility of restoring to the old gold standard ,
我々は、それらが古い金本位制への復元の不可能を認識し、その私が批判している古い考えの束縛から自分自身を解放しなければなりません
We must free ourselves from the bondage of old ideas but I have policies whose those recognize the impossibility of restoring to the old gold standard ,
、私たちは古い考えの束縛から自分自身を解放しなければなりませんが、私は、そのそれらの古い金本位制への復元の不可能を認識ポリシーを持っています
, Watashitachi wa furui kangae no sokubaku k
ケインズの闘い - 本と奇妙な煙
http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20081117
市場が底を打ってもまだ株をもっていることについて、私には何の恥じらいもありません。……冷静な心で自分を責めることなく持株の減価を甘受することは、時には真面目な投資家の義務であると言うべきなのです。それ以外の方針は反社会的であり、信頼を破壊するとともに、経済体系のはたらきとは両立しないものです。投資家は長期的な成果を第一の目的としているし、またそうするべきであるのです。そして投資家は、それらによってのみ判断されるべきであるのです。……市場の底では他人にすべてを売り払い、自分は現金以外に何も持たないようにするべきだという考えは、非現実的であるだけでなく全体系を破壊するものです
結婚のような投資
「投資物件の購入を、あたかも結婚のように、死とかその他重大な原因による以外には解消することのできない恒久的なものにすることが、おそらく今日の害悪を救う有効な方策となるであろう」(略)
ケインズのポートフォリオは、つねに少数の企業の株式によって占められていた。ときには四つ以下の企業だったのである。
崩壊
新しい不安と希望とが、警告なしに人間行動を支配するであろう。幻滅の力が、突然、価値判断の新しい慣習的基礎を押しつけることになるかもしれない。きれいに鏡板を張った重役室や、巧妙に規制された市場のために作られた、これらすべての見事で洗練された技術は崩壊を免れない。漠然とした恐慌の不安、およびそれと同様に漠然として理由のない希望が現実に静まることは常になく、ただ一本の細々とした道があることを除いては、それらの不安と希望は常に人々の心の内面に横たわっている。
革命は時代遅れ
保守主義と同様に、共産主義は、「経済問題の重要性を途方もなく過大評価している。経済問題は難しすぎて解決できないということはない。私に任せてもらえるならば、私が面倒を見てあげよう」。
[共産主義者と保守主義者]1930年代においても資本主義は機能しつづけると考えていた。ただし共産主義者は、暴力革命だけがブルジョアジーを打倒することによって経済問題を解決することができると信じていた。上述の諸理由からケインズはあらゆる形の暴力的な社会変革に反対していたという事実に加えて、彼は、19世紀以降には権力の所有者が変わったと考えていた。権力は、産業の統率者から賃金稼得者の階級へと移った。けれども、それはプロレタリアートではない。「ウェルズの言うとおり、革命は時代遅れとなっている。なぜなら、革命とは個人的な権力に反対するものであるからだ。今日のイギリスでは、だれも個人的な権力をもってはいない」。共産主義者の企ては、政治的なレベルで誤っていると同時に、まちがった理論的基礎にもとづくものでもあった。
第一次大戦後大蔵省首席代表として他国との交渉にあたる
連合国間のすべての負債を帳消しにし、ヨーロッパの再建を助けるためにアメリカの資金を配分するという提案によってもまた、彼は非難を受けた。さらに彼は、ドイツの債務を大きく削減し、「ドイツの領土内に希望と企業意欲が再生するのを可能に」するような仕方で、ヴェルサイユ条約の諸条項を抜本的に改訂することを提案した。
『平和の経済的帰結』
は1919年12月12日に公刊された。発売当初の売れ行きは好調ではなかったものの、その本は世界中で並はずれた成功を収めた。公刊の六ヵ月後には、イギリスとアメリカでの売り上げは10万部を超え、すでに1ダースもの言語に翻訳されていた。これ以後の彼のすべての著書がそうであったように、ケインズは、すべての利益を自分のものとし、利益の10%に相当する権利料を彼の本の出版社であるマクミランに支払うことにして、印刷・流通・広告の費用を自分で負担することにした。こうして彼は巨額の富を得た。
(略)
彼はまた、いくつかの批判の的になった。政治指導者のなかには、機密情報を利用したことについて彼を非難した者もいた。彼の本は、イギリスとアメリカの関係を害することになるとも考えられた。しかし、もっとも敵意に満ちた批判はフランスから寄せられたのであり、ケインズは反仏派であり、親独派であるとして非難された。ごく当然のこととして、その書物はドイツやオーストリアではきわめて好意的に迎えられた。のちにケインズの思想に対するもっとも厳しい批判者となるフリードリッヒ・ハイエクは、当時ケインズは、彼とその友人たちにとって英雄であったと書いている。
マネー(1919年の手紙より)
お金とは不思議なものです。現行の制度が今後も許容されつづけると考えることは不可能であるように思われます。ほんのわずかの余分な知識と、特殊な経験の成果として、お金は簡単に(そして、いかなる意味においても不当に)転がり込んでくるのです
1922年のヴァージニア・ウルフによるブルームズベリー・グループ回想
突然ドアが開いたかと思うと、長身で意地悪そうな姿のリットン・ストレイチー氏が入口に立っていた。彼は、ヴァネッサの白いドレスについたシミを指さした。そして彼は、「ザーメンか」と言った。
何てことを言うのだろう、と私は思った。そして私たちはどっと笑った。その一言で、寡黙と遠慮という壁が崩れた。聖なる液体の洪水が私たちを圧倒したかのように思われた。性が私たちの会話に浸透した。男色者という言葉さえも、私たちは口にするようになった。善の性質について議論したときと同じような興奮と率直さをもって、私たちは性交について議論した
ケインズの闘い - 本と奇妙な煙
http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20081117
市場が底を打ってもまだ株をもっていることについて、私には何の恥じらいもありません。……冷静な心で自分を責めることなく持株の減価を甘受することは、時には真面目な投資家の義務であると言うべきなのです。それ以外の方針は反社会的であり、信頼を破壊するとともに、経済体系のはたらきとは両立しないものです。投資家は長期的な成果を第一の目的としているし、またそうするべきであるのです。そして投資家は、それらによってのみ判断されるべきであるのです。……市場の底では他人にすべてを売り払い、自分は現金以外に何も持たないようにするべきだという考えは、非現実的であるだけでなく全体系を破壊するものです
結婚のような投資
「投資物件の購入を、あたかも結婚のように、死とかその他重大な原因による以外には解消することのできない恒久的なものにすることが、おそらく今日の害悪を救う有効な方策となるであろう」(略)
ケインズのポートフォリオは、つねに少数の企業の株式によって占められていた。ときには四つ以下の企業だったのである。
崩壊
新しい不安と希望とが、警告なしに人間行動を支配するであろう。幻滅の力が、突然、価値判断の新しい慣習的基礎を押しつけることになるかもしれない。きれいに鏡板を張った重役室や、巧妙に規制された市場のために作られた、これらすべての見事で洗練された技術は崩壊を免れない。漠然とした恐慌の不安、およびそれと同様に漠然として理由のない希望が現実に静まることは常になく、ただ一本の細々とした道があることを除いては、それらの不安と希望は常に人々の心の内面に横たわっている。
革命は時代遅れ
保守主義と同様に、共産主義は、「経済問題の重要性を途方もなく過大評価している。経済問題は難しすぎて解決できないということはない。私に任せてもらえるならば、私が面倒を見てあげよう」。
[共産主義者と保守主義者]1930年代においても資本主義は機能しつづけると考えていた。ただし共産主義者は、暴力革命だけがブルジョアジーを打倒することによって経済問題を解決することができると信じていた。上述の諸理由からケインズはあらゆる形の暴力的な社会変革に反対していたという事実に加えて、彼は、19世紀以降には権力の所有者が変わったと考えていた。権力は、産業の統率者から賃金稼得者の階級へと移った。けれども、それはプロレタリアートではない。「ウェルズの言うとおり、革命は時代遅れとなっている。なぜなら、革命とは個人的な権力に反対するものであるからだ。今日のイギリスでは、だれも個人的な権力をもってはいない」。共産主義者の企ては、政治的なレベルで誤っていると同時に、まちがった理論的基礎にもとづくものでもあった。
第一次大戦後大蔵省首席代表として他国との交渉にあたる
連合国間のすべての負債を帳消しにし、ヨーロッパの再建を助けるためにアメリカの資金を配分するという提案によってもまた、彼は非難を受けた。さらに彼は、ドイツの債務を大きく削減し、「ドイツの領土内に希望と企業意欲が再生するのを可能に」するような仕方で、ヴェルサイユ条約の諸条項を抜本的に改訂することを提案した。
『平和の経済的帰結』
は1919年12月12日に公刊された。発売当初の売れ行きは好調ではなかったものの、その本は世界中で並はずれた成功を収めた。公刊の六ヵ月後には、イギリスとアメリカでの売り上げは10万部を超え、すでに1ダースもの言語に翻訳されていた。これ以後の彼のすべての著書がそうであったように、ケインズは、すべての利益を自分のものとし、利益の10%に相当する権利料を彼の本の出版社であるマクミランに支払うことにして、印刷・流通・広告の費用を自分で負担することにした。こうして彼は巨額の富を得た。
(略)
彼はまた、いくつかの批判の的になった。政治指導者のなかには、機密情報を利用したことについて彼を非難した者もいた。彼の本は、イギリスとアメリカの関係を害することになるとも考えられた。しかし、もっとも敵意に満ちた批判はフランスから寄せられたのであり、ケインズは反仏派であり、親独派であるとして非難された。ごく当然のこととして、その書物はドイツやオーストリアではきわめて好意的に迎えられた。のちにケインズの思想に対するもっとも厳しい批判者となるフリードリッヒ・ハイエクは、当時ケインズは、彼とその友人たちにとって英雄であったと書いている。
マネー(1919年の手紙より)
お金とは不思議なものです。現行の制度が今後も許容されつづけると考えることは不可能であるように思われます。ほんのわずかの余分な知識と、特殊な経験の成果として、お金は簡単に(そして、いかなる意味においても不当に)転がり込んでくるのです
1922年のヴァージニア・ウルフによるブルームズベリー・グループ回想
突然ドアが開いたかと思うと、長身で意地悪そうな姿のリットン・ストレイチー氏が入口に立っていた。彼は、ヴァネッサの白いドレスについたシミを指さした。そして彼は、「ザーメンか」と言った。
何てことを言うのだろう、と私は思った。そして私たちはどっと笑った。その一言で、寡黙と遠慮という壁が崩れた。聖なる液体の洪水が私たちを圧倒したかのように思われた。性が私たちの会話に浸透した。男色者という言葉さえも、私たちは口にするようになった。善の性質について議論したときと同じような興奮と率直さをもって、私たちは性交について議論した
030ジル・ドスタレール著(鍋島直樹・小峯敦監訳)『ケインズの闘い――哲学・政治・経済学・芸術――』 - akamac book review
http://d.hatena.ne.jp/akamac/20090306/1236347583
ケインズの闘い―哲学・政治・経済学・芸術
作者: ジルドスタレール,鍋島直樹,小峯敦
出版社/メーカー: 藤原書店
発売日: 2008/09/30
メディア: 単行本
購入: 2人 クリック: 9回
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2009年2月28日午後5時20分読了!「大部で,しかも幅広い内容を扱う書物ではあるけれども,読者には,ぜひ最初から最後までゆっくりとページをめくって本書を通読していただきたい」(監訳者あとがき,626ページ)を身をもって実践したことになる。苦節5ヶ月の「ケインズの闘い」への闘いはようやく完了した。
政治哲学や道徳哲学との繋がりを重視するケインズの闘いの資料は,全集,アーカイブズ,二次文献を含めると壮観である。ケインズ非専門家をして5ヶ月もねばらせたわけだから,欧米ではなかなか認知されない経済思想史(経済学史)の分野ではひとり日本が「多元主義と寛容の地」(「日本語版への序文」,1ページ)とし,原書(英語),フランス語に続いていち早く日本語の翻訳書を慫慂した著者の日本観はみごとあたっていたというべきであろう。
本書は「経済理論の著作でもなければ経済思想史の著作でもない」(29ページ)。政治的ビジョンや哲学的見解と結びついたケインズ経済学を浮き彫りにする本書は,哲学・政治・経済学・芸術――この副題は原書にはなく,序論での著者による概要から採ったもの――各領域でのケインズの軌跡を縦横に絡ませている。「通読」せよという監訳者の勧めはあたっている。
ケインズの生涯は,二度の世界大戦,ロシア革命,大不況,ファシズム,アメリカの覇権の確立と未曾有の歴史と背中合わせであった。同時代人ケインズは目の前の貧困,不平等,失業,経済恐慌から世界秩序の確立にかかわる金本位制や国際機関の設立にいたるまでなんらかの改革による可能性を提示しようとした。著者はこの問題意識からケインズその人を「伝記的・歴史的な文脈」(26ページ)に位置づけ,倫理学に始まり,美学に終わる「闘い」を入念に跡づけた。
哲学の領域では,大きく倫理(ケインズのビジョンの源泉)と知識(不確実性,確率,モラル・サイエンス)を扱い,ブルームズベリーとアポスルズとのかかわりを補章として挿入している。ここではヴィクトリア朝のイデオロギーの基礎には宗教的道徳観にあると見抜いたケインズが,ムーアの善の観念をヴィクトリア朝の道徳に代わるものとみたことやフロイトとの出会いによる道徳観念の相対化に進化する姿を見る。同時に著者は,ヴィクトリア朝的道徳を理論的には否定しながらも,実践においては遵守しているケインズを描き,現代の極端な自由主義が道徳上の厳格主義,保守主義,宗教的原理主義ときわめて親和的であることを指摘することで,初期の自由主義やケインズの闘いは未了であることを確認する。ブルームズベリーとアポスルズの補章では純粋芸術と応用芸術とは一致するとしたフライ(文化経済学ではよく引き合いに出される)や宗教的な反啓蒙,性道徳への反逆で共感を見いだしたフロイトとの交遊が目を引く。知識の章では,初期から晩年までの著作などを中心に,父との関係,『一般理論』に及ぼした影響,モラル・サイエンスとしての経済学と自然科学との相違に触れる。なかでも,経済学はモラル・サイエンスであり,自然科学で用いられる方法を適用することができないことや一般均衡の観点から概念化することに反対したことを特徴的に描く。著者は,ケインズ経済学が「社会物理学」・「物理学モデル」(「日本語版への序文」,2,3ページ)のそれとはまったく異なり,文明の進歩に資するものであるとし,ケインズ再評価を試みる。ケインズ経済学の底流には若き時代からの哲学的ビジョンが存在することを確認している。
政治の領域では,ケインズの政治的ビジョンと戦争(ボーア戦争と第一次世界大戦)時の対応を扱い,当時のイギリス政治史を補章としている。バークに関する初期著作から,ケインズ政治思想の中心的見解であるマルクス主義と共産主義にたいするケインズの思想源泉を抽出する。同時に,民衆の能力についての懐疑や知的エリートへの期待をともなう,ケインズの立場――反動と革命のあいだ,つまりニュー・リベラリズム,ソーシャル・リベラリズム,リベラル・ソーシャリズムと表現される――を明らかにする。ケインズ的ユートピアがマルクスのそれと似ているとして,『ドイツ・イデオロギー』の一節を引き,両者のちがいが「変革の手段」だとする著者の意見は,マルクスを毛嫌いしたケインズの再解釈としておもしろい。戦争時の対応は,良心的兵役拒否と『平和の経済的帰結』にいたる軌跡が中心である。良心的兵役拒否と戦闘に加わる決意とのあいだには矛盾がなかったこと,耐乏生活を弱い立場にある人々に押しつけてはならないことを内容とするケインズの戦争と平和が史実とともに語られている。
ケインズの主領域である経済学では,『貨幣改革論』(1923年),『貨幣論』(1930年),『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)という3つの書物を繙き,経済的原動力にして社会的病理である貨幣,ケインズ前後の失業分析とケインズ理論,国際通貨体制を扱う。貨幣についてはフロイトからの影響として,肛門愛と保蔵性向および貨幣と排泄物との同一視があるとし,『一般理論』における貨幣不浄視に繋げている。あわせて,貨幣数量説への懐疑,貨幣需要のうち金融動機を付加した理由,流動性選好需要の解説がある。労働については失業理論の系譜とケインズ失業論の特徴が明快に述べられている。とくに失業理論の系譜についてはケインズ理論の登場を必要とした「社会が直面しつづけている問題」(438ページ)だけでなく,理論史上の位置を知る上でもきわめて有益である。マルクスの資本の一般的定式に賛意を表明していたこと(388ページ),シスモンディをマルクスとケインズの先駆者と位置づけること(409ページ以降),さらにはマルクス産業予備軍との関連を問うていること(410ページ以降)など著者の視野は広い。国際通貨体制では,ケインズがその生涯をとおして国際経済の諸問題,とりわけ貨幣的・金融的な性格をもつ問題に熱意を示していたことを確認することからはじめ,完全雇用と成長を促進し戦争のない世界をつくるための国際金融秩序の設計が,周知のブレトン・ウッズにいたる確執とともに微細に描かれている。ケインズのように選挙で選ばれたのではない専門家たちが縦横に活躍した舞台裏(「テクノクラートの権力」499ページ)の物語は政治の世界との緊張関係をともなうものでもあった。
貨幣愛を論いながら,ケインズは貨幣蓄積に大きな精力を注いだ。実業家たちを「芸術家や科学者になれる見込みのなかった」(507ページ)人物とみなしながら,ケインズはとてつもなく貨幣への執着をみせた。「美への接近」(507ページ)のゆえである。ケインズは芸術の理論家であり,消費者であり,後援者でもあった。伝記類は別として,ケインズと芸術(美学)については論じられることがすくないことを考えれば,本書の最終章に芸術を論じる章をおき,ケインズの学生時代からの美学理論を詳述する構成は本書の魅力のひとつといえるだろう。美の観照能力や審美眼教育という「ヴィクトリア朝的なエリート主義」(514ページ)を残すとはいえ,経済理論家としての使命以上に芸術および芸術家の後援者としての使命をみたケインズの生き様が活写されている。いまなお残るケンブリッジの芸術劇場はケインズの遺産というべきであり,芸術評議会の創設――著者は触れていないが,at arm's length原則で知られる芸術支援の一類型――は,ブレトン・ウッズ協定よりも心血を注いだケインズの生涯をあますところなく伝えている。ニュートン文書のコレクションに関連して,「彼(ケインズ:引用者注)の最後の論文の一つはニュートンについてのものだった」(530ページ)と簡単である。近代科学者ニュートンが実は錬金術に最後まで興味を失っていなかったというケインズの発見(ニュートン像への問題提起)についてはあえて省略したのだろうか。
ジョン・ロビンソンが残した,ある会合でのケインズの言葉「そこでは私は,ただ一人の非ケインジアンであった」,あるいはフリードマンが記者に語ったという「いまや,われわれは皆ケインジアンである」とは,ケインズ主義の多様な受容を示している。著者が本書をとおして訴えたかったことは,ケインズの社会についての総体的な理解であり,経済・政治・倫理・知識・芸術と複雑に結びついていたことの再構成である。もし社会に病弊があるとしたら,その治療法は状況や時期や場所によって異なってくる。この意味で「『ケインズ政策』なるものは存在しない」(567ページ)のではなく,存在してはならないのだ。
関連エントリー
経済学史学会『経済学史研究』第50巻第2号→http://d.hatena.ne.jp/akamac/20090207/1234016184
(追記)監訳者のおひとり小峯さんによると,この度重版になったそうだ。「厚高」(厚い,高い)もなんのその,快挙といっていいかもしれない。(2009年3月14日記)
経済学史の授業・研究日誌→http://komine-gakushi.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-1fdb.html
ミダスの呪い
1931ケインズ言及
ミダス王の話
http://members.jcom.home.ne.jp/a-tkms/newpage34.htm
~
ミダス王のブドウ畑に、ディオニュソスの育ての親・サチュロス(野山の神)が酔っ払ってよろよろとさまよっていました。
それを見つけたお百姓達が、ミダス王の所へ連れて行きました。ミダス王は彼を見ると、すぐにディオニュソスの所へ
連れて行ってあげました。彼の親切を嬉しく思ったディオニュソスは、お礼にどんな願いでも叶えてあげようと言いました。
ミダス王の願いは「自分が触るとどんな物でも金に変わる力が欲しい」でした。・・・そんな願いをしなければよかった、
と彼が後悔するのはずっと後の事でした。
願いは確かに聞き届けられました。ミダス王が触るとどんな物でも金に変わりました。―木の枝も石も。なんと食べ物や
飲み物まで!
さすがに食べ物まで金になってしまうとなると、ミダス王は空腹を満たす事が出来ません。飲み物が金になってしまえば、
喉を潤す事もできません。ミダス王の心は重く悲しくなってきました。まるで心臓や心までも金になってしまった気分です。
ミダス王は金の掛け布団をして、金の枕をして眠りましたが、休まる事はありませんでした。自分の力で、大切な人達を
金の石像に変えてしまうかもと思うと! ミダス王には、金銀宝石が一番醜い物に見えてきました。その考えはある意味
正解です。どんなにお金があっても、肝心の商品がないとお金は使えないし、金銭問題で命を奪われる事もありますからね。
翌朝、ミダス王はディオニュソスの所に行って、この力を取り消して欲しいと言いました。
「じゃあパクトロスの川の泉に行って、体をよく洗ってくる事だ。そうすればその力は消えるよ。」
彼は笑いながら言いました。ミダス王がその通りにすると、その力は消え、ミダス王はすがすがしい心になりました。
因みにそれ以来、パクトロスの川の砂は、ミダス王の持っていた不思議な力のせいで金色になってしまいました。多分、今でも砂は
金色に輝いているはずですよ。
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1974
芸術関連
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[PDF]Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅 | KYOTOUNIVERSITY ...
repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/145326/1/ykeik00195.pdf
持元江津子 著 - 2004
と実践より」は序と6章及び終章がらなり、芸術の持つ公共性を保持育成するための財政支援のあり方をケインズの芸術論 ... のことを芸術家に任せたまま、財政支出を受けながら政府介入を最小に抑えた半独立的な国家機関の必要性を見いだし、ア. ー 210ー ...
研究紹介
www.saitama-u.ac.jp/koho/intro/keyaki/2002-3/keyaki_06/kenkyu/01.html
しかし、現代的には、ケインズ(芸術支援の原則を提唱)やボウモル(芸術を産業として分析)、ピーコック(文化市場の二重性を ... 60年代には、多くの福祉国家において芸術・文化支援が本格化するとともに、1973年には、国際文化経済学会が創設されている。
今後の文化政策 — 課題と展望|伊藤 裕夫|ネットTAM
www.nettam.jp/course/cultural-policy/5/
2008/08/01 - 本連載の最初に、「文化政策が芸術文化の振興をめざすものという見方は、第二次大戦後になってはじめて、日本や欧米 ... 学者のケインズは就任演説で、支援は芸術を「社会化」し統制していくためではなく、芸術家に「勇気と確信と機会を与える」ために行われると述べています。 ... また同時期に進んだヨーロッパの統合(EUの成立)は、これまでの(国民文化の形成という点で)文化政策の原点であった「国民国家」の ...
[PDF]ケインズの経済思想 - 東北学院大学
www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2013/pdf/no11_02.pdf
小沼宗一 著 - 関連記事
(F.A.Hayek,1899-1992)は,ケインズという人物は,知識や芸術における多くの分野での偉大. な愛好家であり,政策立案者で ... 1914年に帝国主義諸国家間の争いとして始まった第一次大戦は,交戦国が国の総力をあげて戦. う総力戦となり,1918年11月に ...
ケインズとケンブリッジ芸術劇場 リディアとブルームズベリー・グループ - HMV
www.hmv.co.jp › 本・雑誌・コミック › 経済・ビジネス › 中矢俊博
ケインズとケンブリッジ芸術劇場 リディアとブルームズベリー・グループ | 中矢俊博 | 発売国:日本 | 書籍 | 9784495439217 | ローチケHMV 支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利 ... 本. 経済認識の歩み 国家と経済システム 南山大学経済研究叢書.
ケインズとケンブリッジ芸術劇場 リディアとブルームズベリー・グループ/中矢 ...
honto.jp › 本の通販ストア › 経済・ビジネス
ケインズとケンブリッジ芸術劇場 リディアとブルームズベリー・グループ/中矢 俊博(経済・ビジネス) - 人生の目的は愛と美の享受と真理の追求にある! 芸術を愛し、芸術家の妻との愛に ... 経済認識の歩み 国家と経済システム. 専門書. 経済認識の歩み 国家と ...
ケインズの予言: 幻想のグローバル資本主義(下) - Google ブック検索結果
https://books.google.co.jp/books?id=Ok7OCgAAQBAJ
佐伯啓思 - 1999 - Business & Economics
この経済的利益という原則に従うことによって、われわれは、田舎の美しさを破壊し、星や太陽を遮り、ロンドンを芸術の都にすることに失敗したので ... しかも、それらの価値を保証できるものがあるとすれば、それはあくまで「国家」という枠の中でのことであろう。
池上惇書評
members.jcom.home.ne.jp/tekato/Ikegami.html
無論、「資本主義の全般的危機」や「国家独占資本主義」もない。でてくるのは、ケインズであり、西村伊作であり、とりわけ、J・ラスキンである。ただし、ケインズはイギリス芸術評議会の文化芸術政策の創設者として、西村は「財産家であり『人類の協同生活』を ...
[PDF]オープンフォーラム 「都市と地域の未来に向かう ... - アーツカウンシル東京
https://www.artscouncil-tokyo.jp/uploads/2015/02/2014_openforum_finalreport.pdf
2015/02/07 - つのテキストで彼は政府から半ば独立した、「半自治的な組織」という概念を提唱しています。これ. は例えば大学なども含めた組織の外形的なあり方を提案したものです。 さらにケインズは、「芸術と国家」や「アーツカウンシル、その政策と期待」.
芸術文化の公的支援に関する理論的根拠について― 英国 ... - 帝塚山大学
www.tezukayama-u.ac.jp/tlr/nakagawa/nakagawa2_j.htm
国家的威信」や「国民的アイデンティティ」の源としての芸術文化を主として意識しているだろう国はともかくとして、住民や芸術家と .... 結局、ケインズの宣言にもかかわらず、ACGBの官僚化や、助成に伴う反射的な創造行為への影響がやはり今[190頁]日指摘 ...
ケインズの世界
http://sky.geocities.jp/kunippi7/wizard/John_Maynard_Keynes.html
1. 学者の力
「経済学者や政治学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりはるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外にないのである」
J. M. 『雇用・利子および貨幣の一般理論』(原著1936年、塩野谷祐一訳、
東洋経済新報社、1983, p.386)
…非常に有名な文章。「一般に考えられているより」という箇所に非常にリアリティを感じる。
Keynes
2. 国内経済の視点
「ケインズは理解を容易にするためにたまたま失業の問題を一国経済の枠の中で論じたわけではない。当然ながら失業という現象はナショナル・エコノミーを前提とするのである。つまり労働者は容易には国境を超える事はできない。余剰労働を速やかに他国に輸出する事はできない。ここに労働力と通常の財や資本との違いがあるのであって、失業を論じる際は、資本や商品ではなく一国経済の枠を設定する必要がある。」
(佐伯啓思(1999)『ケインズの予言』PHP新書より)
「我々の貯蓄を国外に投資するのも国内に投資するのも差別はないという既存のシステムを我々は当然の事と受けとめている。…しかし、本当だろうか。確かに投資家の私的利益からすれば、海外であろうと国内であろうと無差別である。ただ利益とリスクの勘案だけが投資の場所を決める。しかし、これはナショナル・エコノミーの観点からすれば決して公益とはならない。対外投資は確かに一部の投資家の利益になり、利子収入はイギリスに還元するかもしれない。しかし、これはせいぜい利子生活階級の利益でしかなく、決してイギリス国内の産業の発展や技術の進歩を、また生活空間の向上をもたらすわけではないのである。つまりそれは『国民の利益』とはならない」
(佐伯啓思(1999)『ケインズの予言』PHP新書より)
Keynes
3.経済学者の素質
「経済学の研究のためには、非常に高度な天賦の才といったものは必要ない。経済学は哲学や自然科学に比べればはるかに易しい学問といえるだろう。にもかかわらず優れた経済学者は稀にしか生まれない。このパラドックスを解く鍵は、経済学者がいくつかの全く異なる才能を持ち合わせなければならない、というところにある。彼は数学者であり、歴史家であり、政治家であり、哲学者でもなければならない。記号を理解し、しかも言葉で語らなければならない。個々の問題を一般的な視点にたって考えなければならないし、抽象と具体を同時に兼ね備えた考察を行わなければならない。未来のために、過去に照らし、現在を研究しなければならない」
吉川洋『マクロ経済学』(2001)岩波書店,p40
…経済学の難しさと面白さが、まさにこの言葉によってほぼ言い尽くされていると思います。さらに、「演出家 」や「芸人(エンターテイナー)」の要素があれば最高ですが…。
Keynes
4.芸術への態度
「国家による芸術支援が芸術の自由を損なわないか、という疑問に対して、私はアームズ・レングスの原則を提唱したい。即ち、政府はお金は出しても口は極力出さないようにすべきである」
[参考資料] 後藤和子 『文化政策学』(2001)有斐閣コンパクト, p.53
…ケインズは芸術評議会(アーツ・カウンシル)という専門家による予算配分機関を設立し、芸術・文化への公的支援の充実をはかった。
芸術・文化への公的支援の根拠として、アメリカのボウモルとボウエンは「芸術・文化が持つ正の外部性」 として以下のような項目を挙げているそうである。(後藤(2001)参照。)
①舞台芸術が国家に付与する威信
②文化活動の広がりによる周辺のビジネスの拡大
③将来世代の芸術水準の向上
④コミュニティにもたらされる教育的貢献
…地域経済の景況に厳しさが見られる昨今であるが、公共政策が向かうべき方向性について、上記のケインズの姿勢が非常に参考になる。
アームズ・レングス原則 (arm's length principle :ALP) とは、取引関係にある当事者間の独立性や、競争を行う際の諸条件を平等にする条件、またはそれらが実現している事実をいう。 アームズ・レングスの原則やアームスレングスルールとも呼ばれる。
アームズ・レングス原則 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/アームズ・レングス原則
アームズ・レングスは、本来利害関係があり得る当事者間が、一定の適正な距離を保つことを腕の長さになぞらえている。 「複数の当事者が互いに近い距離の(経済上・権限上の)関係を保ちつつ、それぞれ目的を異にする関係や牽制し合う関係であるなど、利害不一致(ないしは対立)の可能性をも保ち、互いに独立の立場を取る」ことを「アームズ・レングス(の関係)」と呼ぶ。「アームズ・レングス原則」はこうした関係が法的・倫理的に求められる状況において妥当する。
この原則は、法学においては「アームズ・レングス取引(独立当事者間取引)」とも呼ばれる。契約法においては「契約の当事者が、たとえ互いに利害を共有する当事者(例えば雇用者と被用者)の場合、あるいはあまりに親密な関係の当事者間(例:家族や親戚)の場合でも、厳密な法的精査にたえる公平な契約を結ぶ」という用法で使われている。
企業の場合は、親子会社間・関連会社間の取引は、常に公平であり市場価格で行うべきである、といった事例に使われることが多い。目的は顧客との利益背反を回避するためのルールである。銀行や証券会社などにもグループ内会社との取引における健全性を担保するために用いられる。こうした金融業界のグループ内において、顧客との通常の取引と異なる条件で金融商品取引等を行うことは、公平な経済活動を阻害し、顧客の利益を毀損する可能性が大きいため、日本では金融庁が規制している[1]。
使用例
親子間
アームズ・レングス原則が適用される、すなわちアームズ・レングス関係が求められる場面のシンプルな例は、親から子への不動産の譲渡の場合である。
親は、時価を下回る価格で自分の子供に財産を売却したい(低額譲渡)と思う可能性があるが、そうした取引は税務署から税法上「譲渡」ではなく「贈与」であると認定され、取引価額と時価との差額に贈与税が課税されるなど法的な問題が生じることがある。こうした認定を避けるためには、当事者は取引内容がどんな第三者に対して行われたとしても同じであったことを示す必要がある(例えば、譲渡価格が不動産の真の価値に見合った適切なものであると証明できる専門家に委託して可能となる。日本では不動産鑑定士が法令に基づき鑑定を行なっている)。
政府組織と独立団体
この原理は、報道機関や学術、文化芸術領域など、一定の自律性が重要とされる領域を対象とした法や制度・事実状態を論評する際に「政府が他の主体に対して過度な影響を与えることを避けるべき」という旨を述べる際にも引き合いに出される。
例えば、英国では報道機関が警察とあまりに親密であることを批判する際に、「両者がarms-length relationshipであることを求める」とか[2]、アーツ・カウンシルが政府から受け取った文化振興助成金の配分事業をat arm's lengthで実施している(芸術分野の自立性確保のため)という。また英国には、Arms Length Management Organisations[ALMOs]というNPOがある。これは日本の地方特殊法人である地方住宅供給公社と類似の機能を果たすNPOで、地方自治体の長期的な住宅政策とは別の(アームズ・レングスの)立場で、住宅を管理供給する機関であることを強調したネーミングが特徴的である。
アームズ・レングス原則は、例えば行政委員会や行政の外郭団体など、母体となる行政部門からある程度独立した形でその所管する特定の行政権を行使する(あるいは補完する)地位を認められた機関に対しても使用されることがある。 英国ではこのような政府から独立性を持ちつつ、その運営に対する政府からの助成・支援を受ける機関を一般的にアームズ・レングス・ボディ(Arm's length bodies [ALBs] )という。これは通称Quangoとも呼ばれる(正式名称はnon-departmental public body (NDPB)、非政府部門公共機構)。上述したアーツ・カウンシルもアームズ・レングス・ボディの一つである。2010年には、それまで600を超える数に達していたALBs/Quangoの大幅な整理・統合・廃止が行われた(2010 UK quango reforms)。
ケインズの世界
http://sky.geocities.jp/kunippi7/wizard/John_Maynard_Keynes.html
Keynes
4.芸術への態度
「国家による芸術支援が芸術の自由を損なわないか、という疑問に対して、私はアームズ・レングスの原則を提唱したい。即ち、政府はお金は出しても口は極力出さないようにすべきである」
[参考資料] 後藤和子 『文化政策学』(2001)有斐閣コンパクト, p.53
…ケインズは芸術評議会(アーツ・カウンシル)という専門家による予算配分機関を設立し、芸術・文化への公的支援の充実をはかった。
全集28芸術と国家参照
アームズ・レングス原則 (arm's length principle :ALP) とは、取引関係にある当事者間の独立性や、競争を行う際の諸条件を平等にする条件、またはそれらが実現している事実をいう。 アームズ・レングスの原則やアームスレングスルールとも呼ばれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アームズ・レングス原則
アームズ・レングスは、本来利害関係があり得る当事者間が、一定の適正な距離を保つことを腕の長さになぞらえている。 「複数の当事者が互いに近い距離の(経済上・権限上の)関係を保ちつつ、それぞれ目的を異にする関係や牽制し合う関係であるなど、利害不一致(ないしは対立)の可能性をも保ち、互いに独立の立場を取る」ことを「アームズ・レングス(の関係)」と呼ぶ。「アームズ・レングス原則」はこうした関係が法的・倫理的に求められる状況において妥当する。
Keynes, J. M. ([1936b] 1982) 'Art and the state', The Listener, 26 August, reproduced in The Collected Writings of John Maynard Keynes, vol. XXVIII, London: Macmillan,
Open Economics: Economics in Relation to Other Disciplines
https://books.google.co.jp/books?isbn=1134045689 - このページを訳す
Richard Arena, Sheila Dow, Matthias Klaes - 2009 - Business & Economics
Keill, J. ([1718] 1721) An Introduction to the true Astronomy, London: Strahan (translated from Latin). Kelly, G. A. (1963) A Theory of Personality, ... Keynes, J. M. ([1936b] 1982) 'Art and the state', The Listener, 26 August, reproduced in The Collected Writings of John Maynard Keynes, vol. XXVIII, London: Macmillan, for the ...
bloomsbury
http://britannia.xii.jp/a_z/bloomsbury.html
ブルームズベリー・グループとは
1906年から30年頃に活躍した知識人や芸術家の集まりのこと。 彼らの多くは豊かな教養を備えたアッパーミドルクラスの出身で、19世紀の古い道徳観念を批判する一方で、知性と美に満ちた20世紀の自由な文化を開拓しようとした。 文芸においてはヴァージニア・ウルフやE.M.フォースターら、美術の分野においてはロジャー・フライとクライブ・ベルが企画した「ポスト印象派展」、オメガ・ワークショップの装飾芸術などが挙げられる。
バージニア・ウルフ(作家)、E・M・フォースター(作家)、ジョン・メイナード・ケインズ(経済学者)、リットン・ストレーチー(批評家・伝記作家)、ロジャー・フライ(美術批評家)、クライブ・ベル(美術批評家)、ダンカン・グラント(画家)、ヴァネッサ・ベル(画家)、レナード・ウルフ(作家・出版者)
先輩格として、哲学者バートランド・ラッセル、G・E・ムーア、政治学者G・L・ディキンソンも広義には含まれる
ブルームズベリー・グループのはじまり
著名な文芸批評家レズリー・スティーブンの4人の子供、長女ヴァネッサ(後のヴァネッサ・ベル)、長男トゥービー(Thoby)、次女ヴァージニア(後のヴァージニア・ウルフ)、末弟エイドリアンは、父レズリーの死をきっかけにロンドンの文教地区ブルームズベリーのゴードン・スクウェア46番地にある家に転居。 ここにThoby(1906年に夭折)のケンブリッジ時代の友人たちが集まるようになり、毎週木曜の夜に開かれたサロンがブルームズベリー・グループのはじまりとなった。
ケンブリッジ使徒会(The Apostles)とブルームズベリーグループ
ゴードン・スクウェアの家に集まってきたのは主にThobyのケンブリッジ大学時代の友人が中心だったが、その中にはシークレット・ソサエティとして知られる「ケンブリッジ使徒会(The Apostles)」のメンバーが少なくなかった。 そもそも、リットン・ストレイチーと彼の友人レナード・ウルフが使徒会の中に作った小グループが発展して、ブルームズベリーグループへとつながって行ったのだ。このグループにはロジャー・フライやデズモンド・マッカーシー、ケインズらがいた。
ケンブリッジ使徒会は、1820年の創立以来詩人のテニソンや哲学者バートランド・ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、経済学者ケインズ、作家E.M.フォースターやリットン・ストレイチー、そしてイギリスを震撼させたダブルスパイのガイ・バージェスやアントニー・ブラントら、さまざまな分野に多くの足跡を残した知識人たちを輩出した。
ブルームズベリーグループのメンバーやグループに関わりを持った人々のうち、主な使徒会員は以下の通り。 (括弧内の数字は会員となった年)
バートランド・ラッセル/Bertrand Russell(1892)哲学者・数学者
G・E・ムーア/George Edward Moore(1894)哲学者
G・L・ディキンソン/Goldsworthy Lowes Dickinson (1885)政治学者
ロジャー・フライ/Roger Fry(1887)美術評論家
デズモンド・マッカーシー/Desmond MacCarthy(1896)
E・M・フォースター/E. M. Forster(1901)
サクソン・シドニー=ターナー/Saxon Sydney-Turner (1902)
リットン・ストレーチー/Lytton Strachey(1902)
メイナード・ケインズ/John Maynard Keynes(1903)
アーサー・ホブハウス/Arthur Lee Hobhouse (1905)
フランク・ロレンス・(愛称ピーター)ルーカス/Frank Lawrence Lucas (1914)
第二次大戦中はブレッチレー・パーク勤務
クライブ・ベルは使徒でなかったが、息子のジュリアン・ベルは使徒会員となった(スペイン内戦で死亡)
ヴァネッサとヴァージニアの従兄で切り裂きジャックの容疑者のひとりJ.K.・スティーブン(クラレンス公の家庭教師)も使徒会員
良心的兵役拒否(conscientious objector)
第一次大戦が勃発すると、ブルームズベリーグループの人々は「良心的兵役拒否者」としての立場をとるものが少なくなかった。
バートランド・ラッセルは第一次大戦が勃発すると反戦運動を展開したため、1916年にはケンブリッジを追われ、1918年には獄中生活を余儀なくされる。 労働党のクリフォード・アレン率いる徴兵反対同盟(NCF)とも関わりを持っていた。
リットン・ストレイチーは「徴兵反対国民会議」に参加。実際は次々と医者の診断書を持ち出して何とか兵役を逃れようとしていたらしい。
ダンカン・グラントと当時の恋人デイビッド・ガーネットは良心的兵役拒否者として農家での仕事をするために、イースト・サセックスに移った。
自由党議員フィリップ・モレルと彼の妻オットリーン・モレルは、オックスフォード郊外のガーシントン・マナーに、良心的懲役拒否をする知識人たちに農作業などの職を与えて兵役を免除させ、庇護した。 平和主義者のフィリップは主に自由党員らによって組織された「民主的支配同盟 (UDC:Union of Democratic Control)」のメンバーだった。
ブルームズベリー・グループの人々とその周辺
ヴァージニア・ウルフ / Virginia Woolf (1882-1941)
1882年1月25日、著名な文芸評論家レズリー・スティーブンと才色兼備の母ジュリア・ダックワースの三子としてロンドンのHyde Park Gate 22番地の家に生まれ、学校には行かず両親によって家庭で教育を受ける。幼い頃、父がコーンウォール半島のセント・アイヴズに借りていた別荘「タランド・ハウス(Talland House)」をしばしば訪れ、後にここが『灯台へ』のモデルとなる。
1912年に、政治評論家のLeonard Woolf (1880-1969)と結婚(レナードセイロンから帰ってきた)し、Brunswick Square 38番地に転居。 この建物の1階にはケインズとその当時の恋人ダンカン・グラント、2階にヴァージニア・ウルフ、3階には弟のエイドリアン、4階にはレナード・ウルフがそれぞれ住んでいた。1912~17年にレナードとヴァージニアは イーストサセックスのエイシャム(Asheham)にあるウーズ川(に近い邸宅を別荘として借り、週末をここで過ごしていた。 1919年の夏にすぐ近くRodmellのMonk's Houseを別荘として借りる。
ホガース・プレス
ヴァージニアの精神状態が悪化したこともあって、1914年にロンドン郊外リッチモンドのザ・グリーン17番地に転居、翌1915年Paradise Roadのホガースハウスに転居。 1917年に夫妻は印刷機を購入し、ここで出版社ホガース・プレスを設立。T.S.エリオットの『荒地(Waste Land)』(1922)を始めとして、ロバート・グレイブスの詩集、キャサリン・マンスフィールドやフロイドの著作なども手がけている。
やがて1924年にブルームズベリー地区のTavistock Square52番地に戻る。
“If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments,
we can cure it for the productive purposes of peace.”
1939年5月23日BBC
「もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、
われわれは平和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。」
(邦訳全集21巻612頁)
keynes 1931 Will Re-armament Cure Unemployment? 全集21巻
https://youtu.be/bC1Lw06nzg0
ケインズ音声資料
1931☆
1939
1944
1945
☆は動画
By Corey Robin May 7, 2020★
私たちにできることは何でも、私たちは余裕を作ることができます– J. W.メイソン
http://jwmason.org/slackwire/keynes-quote-of-day-2/
できることなら何でもできる
JWメイソン2011年6月3日
ジョンメイナードケインズ、1942 BBC演説で:
すべての企業がポンド、シリング、ペンスの現金収入を正当化しなければならないという19世紀の卑劣な教義に服従しないでください。なぜ、すべての実質的な都市に、古代の大学やヨーロッパの首都の品格を加えてはならないのでしょう...十分な劇場、コンサートホール、ダンスホール、ギャラリー、カフェなど。確かに、これ以上の余裕があります。私たちが実際にできることは何でも、余裕があります。 …私たちは前任者よりも計り知れないほど豊かです。私たちが人生の装飾において彼らよりもはるかに卑劣になることを余儀なくされた場合、いくつかの社会主義、いくつかの誤りが私たちの集団行動を支配することは明らかではありませんか? …
しかし、これらは、人々の住居、産業と輸送の再構築、そして私たちの日常生活の環境の再計画に関する、より堅固で緊急かつ必要な支出のトリミングにすぎません。私たちはこれらの優れたものを所有するようになるだけではありません。規制されたペースで実行される大きなプログラムで、私たちは今後何年にもわたって雇用を維持できると期待できます。実際には、私たちは新しいエルサレムを、以前の無駄な愚かさの中で、使われずに強制された怠惰の中で不幸にしていた労働から作り上げました。
(収集作品XXVII)
今日の関連性は明らかです。1300万人が失業し、25%の生産能力がアイドル状態にあり、資本が金利であるとすれば、数十年よりも豊富です。マスターが誰もが最善であると常に主張しているように、主人が興味を持っているとしたら、今が新しい橋、病院、地下鉄、大学、公共住宅、そして公園、劇場、美術館、カフェの瞬間です。風力発電所は言うまでもありません。景気後退は、帆を整えて短い展望を取る時ではなく、長く行く時です。では、その新しいエルサレムを建設しましょう。
Anything We Can Do, We Can Afford – J. W. Mason
http://jwmason.org/slackwire/keynes-quote-of-day-2/
Anything We Can Do, We Can Afford
JW MasonJune 3, 2011
John Maynard Keynes, in a 1942 BBC address:
Let us not submit to the vile doctrine of the nineteenth century that every enterprise must justify itself in pounds, shillings and pence of cash income … Why should we not add in every substantial city the dignity of an ancient university or a European capital … an ample theater, a concert hall, a dance hall, a gallery, cafes, and so forth. Assuredly we can afford this and so much more. Anything we can actually do, we can afford. … We are immeasurably richer than our predecessors. Is it not evident that some sophistry, some fallacy, governs our collective action if we are forced to be so much meaner than they in the embellishments of life? …
Yet these must be only the trimmings on the more solid, urgent and necessary outgoings on housing the people, on reconstructing industry and transport and on replanning the environment of our daily life. Not only shall we come to possess these excellent things. With a big programme carried out at a regulated pace we can hope to keep employment good for many years to come. We shall, in fact, have built our New Jerusalem out of the labour which in our former vain folly we were keeping unused and unhappy in enforced idleness.
(Collected Works XXVII)
Relevant today, obviously: Thirteen million people unemployed, 25 percent of industrial capacity idle, and capital, if the interest rate is any guide, more abundant than it’s been in decades. If our masters were only interested in what’s best for everyone, as they always claim, now would be the moment for new bridges, hospitals, subways, colleges, and public housing, and for parks, theaters, museums, and cafes. Not to mention wind farms. A recession isn’t the time to trim sails and take short views, it’s the time to go long. So let’s build that New Jerusalem.
★
2020年5月8日金曜日
The Pandemic Is the Time to Resurrect the Public University By Corey RobinMay 7, 2020
Stephanie Kelton (@StephanieKelton)
2020/05/07 23:12
Extremely good piece from @CoreyRobin newyorker.com/culture/cultur…
https://twitter.com/stephaniekelton/status/1258399365284184064?s=21
What prompted this public investment in higher education was neither sentimentality about the poor nor a noblesse oblige of good works. It was a vision of culture and social wealth, derived from the activism of the working classes and defended by a member of Britain’s House of Lords. “Why should we not set aside,” John Maynard Keynes wondered in 1942, “fifty million pounds a year for the next twenty years to add in every substantial city of the realm the dignity of an ancient university.” Against those who disavowed such ambitions on the grounds of expense, Keynes said, “Anything we can actually do we can afford.” And “once done, it is there.”
この高等教育への公共投資のきっかけとなったのは、貧しい人々への感傷性でも、善い仕事への貴族の義務でもありませんでした。 それは、労働者階級の活動主義に由来し、英国の貴族院の一員によって擁護された、文化と社会的富のビジョンでした。 ジョンメイナードケインズは、1942年に、「なぜ私たちが脇に置いてはいけないのか」と疑問に思いました。「今後20年間、年間5000万ポンドで、古代の大学の尊厳をこの分野のあらゆる実質的な都市に加えました」 ケインズは費用の理由でそのような野心を否定した人々に対して、「私たちが実際にできることはすべて、私たちが支払うことができるものです。」と語った。 そして、「完了したら、そこにあります。」
https://www.newyorker.com/culture/cultural-comment/the-pandemic-is-the-time-to-resurrect-the-public-university?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=onsite-share&utm_brand=the-new-yorker&utm_social-type=earned
The Pandemic Is the Time to Resurrect the Public University
How Much Does Finance Matter ?( 1942 年 3. 月 23 日放送)は BBC のトーク ...
Keynes on the Wireless : John Maynard Keynes(Donald Moggridge 編 Palgrave Macmillan 社刊 2010年) 神 藤 浩 明
https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/jss/pdf/jss630304_137144.pdf
1942 年春までに,Keynes と大蔵省の同僚,戦時内閣府経済部の経済学者たちは戦後の世界秩序の構築に向けた議論に関わっていたが,HowMuchDoesFinanceMatter?(1942 年3月23日放送)は BBC のトークシリーズ‘Post-WarPlanning’ の一部を成すものである.Keynes は今回の戦争終結時における財政の技術的問題は,平和時に良好な雇用情勢が維持される限り,また今日有用で不可欠である金融機構に対する規制の多くが維持される限り,第一次世界大戦後の終結時ほど困難ではないとみていた.その上で,国民にあまねく雇用を提供
できる十分な需要を確保すること,物理的に可能な供給を上回る需要をつくりださないこと,戦後直後は輸出産業の再興に注力すべきこと,その後の余剰資源と労働力が capitalworksof improvementに利用可能となるであろうことを説いた.そのためには,我々が必要とする幅広い分野を網羅した復興プログラムを準備することが必要であり,その実行の速度については様々な種類の競合するプロジェクトの優先順位に依存することになるという.‘Romewasnot builtinaday.’ という諺を引き合いに出した背景には,戦後復興はあくまで長期的なプログラムに沿って進めることが重要であり,速さを強要してはならず,各種プログラムを適切な速さに制御して実行に移すことこそが政府の重要な任務だという Keynes の想いが色濃く反映されていることを忘れてはならないだろう.
平和裡に完全雇用を達成出来ない国が戦争によって
完全雇用を実現しようとする。
“If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments,
we can cure it for the productive purposes of peace.”
1939年5月23日BBC
https://youtu.be/bC1Lw06nzg0
「もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、
われわれは平和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。」
(邦訳全集21巻612頁)
ちなみに、
Monetary Myth-Busting: An Interview With Stephanie Kelton | Dissent Magazine
https://www.dissentmagazine.org/online_articles/monetary-mythbusting-an-interview-with-stephanie-kelton
(軍備拡張等)予算が無駄に使われるのではという懸念に対してケルトンは、
民主主義を信じると述べている。
“If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments,
we can cure it for the productive purposes of peace.”
1939年5月23日BBC
「もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、
われわれは平和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。」
(邦訳全集21巻612頁)
keynes 1931 Will Re-armament Cure Unemployment? 全集21巻
https://youtu.be/bC1Lw06nzg0