土曜日, 10月 22, 2016

カール・バルト ローマ書講解(1919,1922,1940[1968])Karl Barth - DerRömerbrief:目次


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カール・バルト ローマ書講解(1919,1922,1940[1968])Karl Barth - Der Römerbrief:目次
http://nam-students.blogspot.jp/2016/10/1919192219401968.html  @

口語訳聖書 - ローマ人への手紙
http://bible.salterrae.net/kougo/html/romans.html

カール・バルト ローマ書講解(1919,1922,1940[1968]):目次
Karl Barth - Der Römerbrief


KARL BARTH (1886-1968)


Der Römerbrief: (zweite Fassung), 1922 - Karl Barth, Cornelis van der Kooi, Katja Tolstaja - Google ブックス
https://books.google.co.jp/books?id=akVHAQAAIAAJ

目次

Vorwort ix
Textkritik und Textkonstitution xxxix
Abkürzungen xlv
Vorwort zur ersten Auflage 3
Vorwort zur dritten Auflage  25
Vorwort zur vierten Auflage 32
Vorwort zur sechsten Auflage 40
1. Eingang
 Die Nacht 67
2.Kapitel Menschengerechtigkeit 83
3.Kapitel Gottesgerechtigkeit 111
4.Kapitel Die Stimme der Geschichte 160
  Vom Nutzen der Historie 191
5.Kapitel Der nahende 204
6.Kapitel Die Gnade 259
7.Kapitel Die Freiheit 316
8.Kapitel Der Geist 372
9.Kapitel Die Not der Kirche 451
10.Kapitel Die Schuld der Kirche 492
11.Kapitel Die Hoffnung der Kirche 527
12.-15. Die große Störung
15.-16. Kapital Der Apostel und die Gemeinde

Bibelstellen 717
Begriffe 735
著作権





http://www.blickinsbuch.de/3290175626&account=4907031511
Karl Barth Der Römerbrief
INHALT
Vorwort
1.Eingang 
  Die Nacht
2.Menschengerechtigkeit
3.Gottesgerechtigkeit
4.Die Stimme der Geschichte
5.Der nahende Tag
6.Die Gnade
7.Die Freiheit
8.Der Geist
9.Die Not der Kirche
10. Schuld der kirche
11. -15. Hoffnung der kirche
12.-15. Die
große Störung
15.-16. Kapital Der Apostel und die Gemeinde

序 
Vorwort
 第一版への序
 第二版への序
 第三版への序
 第四版への序
 第五版への序
 第六版への序
第一章 導入部
1.Eingang
 筆者から読者へ (一・一―七)
 個人的なこと (一・八―一五)
 主題 (一・一六―一七)
  夜
 Die Nacht
 原因 (一・一八―二一)
 結果 (一・二二―三二)
第二章 人間の義
 2. Menschengerechtigkeit
 裁く者 (二・一―一三)
 裁き (二・一四―二九)
第三章 神の義
3. Gottesgerechtigkeit
 律法 (三・一―二〇)
 イエス (三・二一―二六)
 ただ信仰によってのみ (三・二七―三〇)
第四章 歴史の声
4.Die Stimme der Geschichte
 信仰は奇跡である (三・三一―四・八)
 信仰は出発点である (四・九―一二)
 信仰は創造である (四・一三―一七前半)
 歴史の効用について (四・一七後半―二五) 
 Vom Nutzen der Historie
第五章 夜明け
5. Der nahende Tag
 新しい人間 (五・一―一一)
 新しい世界 (五・一二―二一)
第六章 恵み
6. Die Gnade
 復活の力 (六・一―一一)
 従順の力 (六・一二―二三)
第七章 自由
7. Die Freiheit
 宗教の限界 (七・一―六)
 宗教の意味 (七・七―一三) 
 宗教の現実 (七・一四―二五) ☆

第八章 霊
8. Der Geist
 決定 (八・一―一〇)
 真理 (八・一一―二七)
 愛 (八・二八―三九)
第九章 教会の危急
9. Die Not der Kirche
 連帯性 (九・一―五)
 ヤコブの神 (九・六―一三)
 エサウの神 (九・一四―二九)
第十章 教会の罪責
10. Die Schuld der Kirche
 認識の危機 (九・三〇―一〇・三)
 暗闇の中の光 (一〇・四―二一)
第十一章 教会の希望
11. Die Not der Kirche
 神の一元性 (一一・一―一〇)
 外の者たちへの言葉 (一一・一一―二四)
 目標 (一一・二五―三六)
第十二―十五章 大きな阻害
12.-15. Die
große Störung 
 倫理学の問題 (一二・一―二)
 前提 (一二・三―八)
 積極的可能性 (一二・九―一五)
 消極的可能性 (一二・一六―二〇)
 大きな消極的可能性 (一二・二一―一三・七)
 大きな積極的可能性 (一三・八―一四)
 自由な生の試みの危機 (一四・一―一五・一三)
第十五―十六章 使徒と教会(一五・一四―三三、一六・一―二四)
15.-16. Kapital Der Apostel und die Gemeinde


解題──神学における近代主義の突破
 Ⅰ 著者について
 Ⅱ なぜ書かれたか
  Ⅲ 第一版から第二版へ
  Ⅳ 何をもたらしたか

訳者あとがき
解説──未来の書物──『ローマ書講解』との出遭い  富岡幸一郎  
カール・バルト年譜


聖書釈義的著作
『ローマ書(第一版)』Der Römerbrief 1919年
『ローマ書(第二版)』Der Römerbrief 1922年
『死人の復活』Die Avferstehung der Totem 1924年
『ピリピ書注解』Erklärung des Philipperbriefes 1927年
『ローマ書講解』Kurze Erklärung des Römerbrief 1941年
『キリストとアダム―ローマ5書による』Christus und Adam 1952年

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12冊目『ローマ書講解』カール・バルト Epistle to the Romans: Soul and Belief 孤独な哲学者たち
http://soulandbelief.seesaa.net/article/411270712.html

12冊目『ローマ書講解』カール・バルト Epistle to the Romans

ローマ書はプロテスタンティズムの立役者ルターが、ヨハネ福音書と並んで新約聖書中で最も重要と見なしたパウロによる書簡です。キリスト教はイエスが作ったものではなく、ある意味ではその弟子たちがイエス解釈を通して作ったものであり、新約聖書もイエスの言行録プラス解釈集であるわけですが、弟子(とは言ってもパウロはイエスに対面したことはないが)の中でも思想的に最も独創性を放つひとりがそのパウロで、また彼は新約の著者の中でほぼ唯一どの書簡を書いたのかがはっきりと伝承されている人物でもあり、それも実は新約聖書の正典のうち半分近くが彼の手によるものとされているのです。(異論あり。しかし、他にも多くの書物が書かれた中でパウロの著作としてこれだけ多くのものが正典に残されたのは確か)そんなパウロが神への信仰などについて論じたのがこのローマ書になります。

そのローマ書を数節ずつ全文に渡って解釈していく形式で書かれているのがバルトの『ローマ書講解』です。この本の魅力は解釈の正確さなどにあるのではなく、なんといってもパウロに触発されながら溢れ出るバルトの豊かな構想力にあると思います。弁証法神学・危機の神学などと言われるバルトの立場から、ローマ書に魂が吹き込まれていく様は圧巻です。弁証法神学の代表的人物とされるバルトやティリッヒは、ニーチェやスピノザという宗教とは微妙な距離にいる哲学者の影響を強く受けていますが、これは「神が死んだ」現代こそがむしろ神について余計な固定観念をもっておらず、かえって混じりけのない純粋な信仰を確立できるというように弁証法的に考えるからです。

弁証法といえば、正反合(テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ)という方法のことを言います。まずあるテーゼ(命題)を立て、続いてそれをアンチテーゼによって徹底的に否定し、最後に二つの立場を含みこむようなより一般性の高い答えを導くことが目的です。このように弁証法神学も、世俗的な常識を批判するだけでなく、神学上の不確かな常識をも徹底的に批判し尽くし、なおも疑い得ないものを見つけ出すことを任務とします。

弁証法神学が危機の神学と言われるときに、それは二重の意味で危機なのだと言えます。それは、時代遅れになった神学の危機であると同時に、神学しか信じられるものがない時代の危機です。このことが意味するのは、社会が排除しようとしながら、最も排除しがたいものが「宗教的なもの」だということです。それはまた宗教が人間が最も必要としながら、最も手に入れがたいものでもあるということです。こういった逆説に真摯に向き合おうとしたのが弁証法神学であり、ニーチェ以後の神学のあり方に対していち早く方向性を示したのが本書だということになるでしょう。

最後に一箇所だけ引用を紹介しておきます。

「宗教は、罪責と運命の問題性から、人間を全く脱出させないで、かえってなおさら初めて、その中に導き入れる。宗教は、人間に、人生の問題の解決をもたらさず、宗教はむしろ人間そのものを、全く解きがたい謎とする。宗教は、人間の救いでも、救いの発見でもない。むしろ、人間の救われがたさの発見である。宗教は、享受されることも、祝われることをも望まず、むしろ投げ捨てられることはありえないからこそ、厳しい軛として背負われなければならない。われわれは宗教を、だれに対しても持つように願ったり、勧めたり、受け取るように推薦することはできない。宗教は、一つの不幸であって、運命的必然性をもってある人たちに降りかかり、その人たちからまた他の人たちへと移るものである。(中略)宗教は不幸であって、その下では、人間と名の付くすべての者は、しかしおそらくはひそかに、嘆きの吐息をもらさなければならないのである。」(平凡社ライブラリー上巻pp.516-517)☆


現実とは異なる幻想を見せるのが宗教なのではなく、人間の罪責や救われがたさというありのままの不幸な現実に直面させるのが宗教だということです。不幸な現実を知ったときに、他者への共感能力というのは、この現実をより良いものにしたいと思わせる一方で、他方ではより大きな不幸と向き合わなければならないと思わせるのではないでしょうか。自分に苦痛の経験が多ければ、それだけより多くの不幸な人たちと共感できるようになるでしょう。他者の不幸にリアリティを感じるためには、その不幸の半分を自分の経験として受け入れる必要があるのです。けれども、その残りの半分は自分がどれだけ努力しても分かち合えない、その他者(と神)だけの領域と考えるべきです。バルトが宗教を誰に対しても勧めることはできないと言うのはそういう意味だと思います。

ローマ書講解〈上〉 (平凡社ライブラリー) -
ローマ書講解〈上〉 (平凡社ライブラリー) - 




6版序
…永遠の相の下に(スプ・スペキエ・アエテルニ)はすでに存在する「昨日」が、時間の中でも議論の余地なく明白になるまで待ってくれるように頼むことは許されるであろう。

以下スピノザエチカ索引より
永遠の相のもとに sub specie aeternitatis,二定理44系2四定理62証明,五定理2223備考29証明,同備考30証明,31証明,同備考36
口語訳聖書 - ローマ人への手紙
http://bible.salterrae.net/kougo/html/romans.html

 7:14わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。 7:15わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。7:16もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。 7:17そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 7:18わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。 7:19すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。7:20もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 7:21そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。 7:22すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、7:23わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 7:24わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。 7:25わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。