火曜日, 10月 18, 2016

ハイデガーの思考構造図:まとめ

NAMs出版プロジェクト: ハイデガーの思考構造図:まとめ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/10/blog-post_18.html















ハイデガーの思考構造図:まとめ
http://yojiseki.exblog.jp/7748670/

以下、ハイデガーの思考構造図に関して、過去のブログ記事をまとめてみました。

参照:
http://yojiseki.exblog.jp/6344224/ 
http://yojiseki.exblog.jp/6306542/
http://yojiseki.exblog.jp/7589414/

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柄谷行人はハイデガーの存在論を「ハイデガーが究極的に見出すのは、自己言及的な形式体系、あるいは自己差異的な差異体系である」としてある程度評価しています(定本第2集p.133)。
ちなみに、存在=メタレベル、存在者=オブジェクトレベルという柄谷の解釈を東浩紀は受け継いで図解↓しています。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/41/a0024841_4162993.jpg


ただし、実際にハイデガー自身が書いた図はそれとは違っています。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/14/41/a0024841_15442757.jpg


http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/14/41/a0024841_15442757.jpg

上記は、「ハイデッガーが講堂の黒板に描いた図形、現存在の図示としておそらく唯一の物と思われる図形」(*)です。
それでも複数のクラインの壷を上から見たのだと解釈すれば整合性があります。また、右上を余白にした所に図を見るものの「脱自」を促す余地があり、ハイデガーはその点さすがだと思われます。クラインの壷だと図を見るものの位置が超越的になってしますので、ハイデガーの意図とズレてしまうでしょうから。


上記図のハイデガー自身の解説:
「次ページの図は、人間の実存がその本質根拠において、決してどこかに事物的に存在している対象ではなく、ましてや、それ自身の内で完結した対象ですらないということを明示するためのものでしかない。 (略)現存在として実存するとは次のことを意味する。現存在が「開け」られていることからもろもろの所与がそれに向かって語りかけてくるが、その意味指示性を認取しうることによってある領域を開けたままにしておくというのがその意味である。人間の現存在は、認取しうることの領域として、決して単に事物的に存在する対象ではない。反対にそれはそもそも決して、もともと決していかなる場合であろうとも、対象化すべき何かではない。 」
ハイデッガー『ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房1991年,p3) より
(参考サイト:http://www.archi.kyoto-u.ac.jp/~maeda-lab/A_maeda/A03_thesises/A03_thesis_room.html
上記サイトはハイデガーの原図を解説しているが、矢印の解釈が少し違う。)

その後、困ったことにハイデガー自身の別の時間図が見つかりました。



http://pds.exblog.jp/pds/1/200810/20/41/a0024841_21385795.jpg

上図は『ハイデガー=存在神秘の哲学 』(講談社現代新書 古東 哲明 p174,175より孫引き。本来の出典は、右は邦訳全集26巻-1928年の講義録-p282、左は42巻にあたる邦訳『シェリング講義』-1936の講義録-p307より)
左図は右図の応用ですが、シェリングの生命観を示していて、右下図は存在が過去と未来の間に挟まれている事を示す。ベルグソンを意識的に乗り越えようとしたものです。
右上図は存在が先端(Spitze)にある事を示す右下図の前段階の図。精神の位置に存在を置いただけです。ちなみに右端の小さな記号はクエスチョンマークで(開けは放たれた地平を意味している)ベルグソン流の時間論の限界を体現します。

この図はベルグソンとシェリングの解説であって、ハイデガー自身の時間図とは言えないかも知れませんが、貴重な図であり,ハイデガー自身の解釈が入っていることは間違いありません。
それでも、ベルグソン自身の有名な『物質と記憶』における円錐形の図↓の側面をスパイラル上に動いていると捉えれば、ベルグソンの図とハイデガーの図に矛盾はなく、東浩紀のクラインの壷の図とも整合性がとれます。

a0024841_1448329.gif

http://pds.exblog.jp/pds/1/200812/19/41/a0024841_1448329.gif
http://noos.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2008/07/29/bergsn.gif
http://noos.cocolog-nifty.com/cavesyndrome/2008/07/5023_f540.htmlより。このサイトではミンコフスキーの光円錐との比較、照合がなされている。)

ハイデガーの場合は未来から過去からも線が延びており、これは二種類のクラインの壷を考えるか(上記サイトでは主観と客観と二つの円錐をつなげている)、矢印(ニーチェの言う「力」)自体が逆流することもあると考えればいいでしょう( ただし、この際ハイデガー自身がツォリコーンゼミナールで書いた矢印とは方向性がズレてしまい、この点は考え直さなくてはなりません。ハイデガーはDNAのようなものを考えていたのかも知れませんし、現存在を知覚の一点、つまり円錐の頂点に集約するのではなく、解釈学の素材=テクスト?として円錐の底辺として捉えていたのかも知れません)。

付録:
ハイデガーの時間概念は、以下のようにいくつものレイヤーで成り立っている。#-は『存在と時間』節番号。

通俗的時間概念#81-------未来-----------現在---------------過去 /既在
実存論的時間概念#70----到来-----------現在(現成化)-------/既在
非本来的時間性#68-------予期-----------現成化------------忘却性
----------------------------------------空談#35/沈黙#34,語り#34,36----------------
-------------------------------------好奇心#36/視#36--------------------
-------------------------------------曖昧性#37,38/決意性#62

(参考: 村田久行『ケアの思想と対人援助』 。以下は同p65より、キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』におけるチャートとの比較。死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53に詳しい。)

a0024841_1538480.jpg

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