道元『正法眼蔵』Shôbôgenzô : la réserve visuelle desévénementsdansleurjustesse / Dôgen :メモ
慈永祐士 (@jiei_yushi) | |
正法眼蔵「洗浄」巻の元にもなった話で、うんこを行ずる舎利弗尊者を目撃した婆羅門が、そのあまりの尊さ故に調伏されてしまうという根本有部律の話がありますが、この本でも紹介されていますね。 pic.twitter.com/XRwgrsqZU7
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(リンク:::::::::、仏教)
http://nam-students.blogspot.jp/2016/11/blog-post_8.html
http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/blog-post_76.html
ドゥルーズ『哲学とは何か』の後半部はABCと内容が重なる。冒頭注のウィトへの記述から他者論としての認識が深まっているのもわかる。
また、#2の注で道元に触れている。
Gilles Deleuze
L’Image-temps. Cinéma 2
https://monoskop.org/images/8/85/Deleuze_Gilles_Cinema_2_L_Image-temps.pdf 28p- 『正法眼蔵』 - 3巻。大慧宗杲著
- (仮字)『正法眼蔵』(仮名記述) - 75巻+12巻+拾遺4巻(現在の研究結果による)。道元著
- (真字)『正法眼蔵』(漢文記述) - 300則の公案集。道元選(ただし道元による若干の変更あり)
曹洞宗の開祖道元禅師(1200~1253)は当時の日本仏教に飽きたらず、中国(宋の時代)に渡り、禅要を悟って日本に帰国します。そして先ず、禅の根本道場として興聖寺を建立します。その開設に臨んでの上堂(修行者に対する説法)の一節が『永平広録』にあります。
以前、道元禅師関係の本をぱらぱら見ていたら、
「横眼鼻直」という言葉が目に飛び込んできた。
道元が入宋、修行の結果、大悟したということで、
日本に帰国したのだが、
弟子のひとりが、道元にその悟りの内容を質問したときに
道元は<「横眼鼻直(何故、顔の上に眼が横についており、
鼻がまっすぐに通っているのか)」がわかっただけだ>
とのみ答えたのだという。
弟子はそのあまりにもそっけない答えに、
困惑し、煙にまかれる思いがして、唖然としてしまった、
というエピソードの紹介であったように記憶する。
禅語に親しむ 平成09年度
http://zenken.aichi-gakuin.ac.jp/zen/familiarity/h09.html
喫茶去(きっさこ)(著・神戸信寅)
お茶には、栄西の『喫茶養生記』を待つまでもなく、古くから効用や功徳が言われています。その為、喫茶の風習が広まると共に、茶の製法が発達しました。さらに、禅院で茶が珍重されるようになると、仏道修行と深い関わりをもつようになりました。 ところで、この趙州(じょうしゅう)の「喫茶去」も、喫茶の風習が既に禅院の修行生活の中にとけこんでいたことを物語るものといえます。この有名な趙州の「喫茶去」の出典はといえば、『五灯会元』の趙州の章に、新しく修行にやってきた僧に趙州は、いつも「曽(かつ)て此間(すかん)に至るや」と、つまり「まえにここにやって来たことがありますか」と問うのを常としていました。新到の僧が「曽到(はい、あります)」と答えても、「不曽到(いや、ありません)」と答えても、趙州はきまって「喫茶去」と応答したということです。そして、そのことに不審をいだいた寺の院主がそのわけを聞くと、趙州は「院主さん」と呼びかけた。この呼びかけに思わず院主が「はい」と応ずると、趙州はすかさず「喫茶去」といわれたということによります。
一般に「去」は助字で意味はなく、「まあ、お茶をおあがり」とでもいった意といわれています。
一方、『禅語辞典』をみると、文字どおり「喫茶し去れ」と読み、「茶を飲んでこい」、「お茶を飲みに行け」の意と説明しています。どちらにしても、お茶を喫することには変わりはありません。お茶を喫することは、我々も常日頃人に会うと「お茶でも飲もうか」とか、訪問客が来ると「お茶でもどうぞ」と、まずいいます。お茶のもてなしがあればこそ、会話も弾み、互いのコミュニケーションもうまくいくものです。お茶が無いと「無茶苦茶」という言葉もあるように、意思の疎通がうまくいかないということに成りかねません。人によっては、お酒や葡萄酒の方がと思う人もいるかもしれませんが、親睦をはかる懇話会はできますが、ややもすると大トラになって話が脱線しかねません。筋道の通った会話ともなると、まず、お茶でも飲み、惺惺著(せいせいじゃく)と目を覚ましておくことの方がよいかと思います。
特に、禅門では「茶」を行ずることが大切な行持となっています。例えば、修行僧の第一座である首座(しゅそ)和尚の法戦にちなみ、まず本則を大衆(だいしゅ)に披露する時に行われる「本則茶」や、僧堂内で茶を飲む儀式である「行茶」等があります。また二祖三仏忌や各寺の開山忌等、重要な法要にあたって、特に供養する意味で「特為献茶」の式があるというように、禅門ではお茶を喫しお茶を供することに特別な意義を認めています。
道元禅師がこの趙州の「喫茶去」の問答に対して、『正法眼蔵』「家常(かじょう)」の巻で趙州が新しくやってきた僧にいつも「曽て此間に到るや」と、いっていた「此間(ここ)」は跳脱した此間であるから、「曽到(来たことがある)であり「不曽到(来たことがない)」であるといっている。いわゆる此間に「曽到」・「不曽到」することが問題なのではなく、「喫茶去」というお茶を飲むという日常の振る舞い自体が問題であり、そこに仏祖の家風があることを示しております。道元禅師の言葉をかりれば、「しかあれば、仏祖の家常は喫茶喫飯のみなり」ということであります。(短期大学教授)
。。。。。
第五十九 家常
http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou59/index.html
...
趙州眞際大師、問新到



師曰、喫茶去。
又問一



師曰、喫茶去。
院主問師、爲甚曾到此間也喫茶去、不曾到此間也喫茶去(院主、師に問ふ、甚と爲てか曾到此間も喫茶去、不曾到此間も喫茶去なる)。
師召院主(師、院主を召す)。
主應諾(主、應諾す)。
師曰、喫茶去。
いはゆる此間は、頂


しかあれば、佛


正法眼藏家常第五十九
ラベル: 禅
日常生活そのものが坐禅です。食べるのも坐禅。眠るのも坐禅。いわば仏が食事をし、仏が眠るのが坐禅です。そのことを道元は、 ──只管打坐(あるいは祇管打坐とも表記されます)── と呼んでいます。
100分DE名著より
身心脱落:
○
《仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹(ごしゃく)の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長々出ならしむ。》
《仏道を学ぶということは、自己を学ぶことだ。自己を学ぶというのは、自己を忘れること。自己を忘れるというのは、悟りの世界に目覚めさせられることである。悟りの世界に目覚めさせられるということは、自己および他己(他なる自己。すなわち自己のうちにある他人)を脱落させることである。悟りの痕跡すら残してはならぬ。しかも、その痕跡なき悟りを長時間にわたって保持し続けるのだ。》
(ひろさちや現代語訳、『[新訳]正法眼蔵』二〇一三年)
75巻本[ソースを編集]
12巻本[ソースを編集]
別巻[ソースを編集]
その他[ソースを編集]
①大人が覚知するべき八種の法門を指しており、八念ともいう。日本曹洞宗でも枕経などで読誦する『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』では、釈尊最後の説法であるとされて詳しく説かれている。
②道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。95巻本では95巻、12巻本では12巻。建長5年(1253)1月6日に永平寺にて書かれた。
【内容】
①『遺教経』では、「八大人覚」として以下の項目を挙げている。
1・少欲(欲をわずかにす)
2・知足(足るを知る)
3・楽寂静(寂静を楽[ねが]う)
4・勤精進(精進を勤める)
5・不忘念(念を忘れず)
6・修禅定(禅定を修める)
7・修智慧(智慧を修める)
8・不戯論(戯論せず)
なお、八大人覚(八念)の概念自体は、別の経典(『長阿含経』『阿那律八念経』等多数)にも見ることが出来るが、その内容は、それぞれ相違する場合がある。
②道元禅師は、釈尊が最後に「八大人覚」を説かれたことを意識しながら、自らにとっても最後の『正法眼蔵』となる「八大人覚」巻を最晩年に、事実上最後の『正法眼蔵』として書かれている。涅槃に至るために守るべき八種の徳目を『仏遺教経』から引用し、さらに『大乗義章』巻13「八大人覚義」をもって説明を加えている。なお、一々の徳目を説き終わった道元禅師は、これが仏陀の教法として、縦横無尽に働くことを意識して、「八」という数字にすら把われないことを示す。
そして、釈尊が亡くなる時に説かれた最後の教法であり、最後の到達点であることを強調しながら、まさに仏となるべき衆生は、必ず「八大人覚」を修行し、無上菩提を得て、それを他の衆生のために説くべきであると示された。
道元禅師の直弟子である懐弉禅師は、同巻の奥書にて、道元禅師を追慕する者は、必ずこの巻を書写し護持するべきであると説いた。
75巻本___/河出文庫一[ソースを編集]
12巻本____/五[ソースを編集]
別巻[ソースを編集]
その他[ソースを編集]
単語と表現。
用語を表現する場合、脱用語は発現されません。 式が発現していることを知って、 脱表現 脱 式は名誉仏像または その骨髄に 達成されていない こと を 求めていません 。
話すために彼の4弟子たちを尋ねたところ(ダルマ、 最初の3つは言葉で表現された、と慧可、最後は、 彼は彼のマスターの前に3の祈りをしたサイレントジェスチャーをし た 、と彼は彼を取り戻しました 場所)。 皮肉骨髄 どのように表現「彼の代わりに立っ3の祈り」は、 それが他の3皮膚の発現と同様にすることができますか? 後者は最初と対合しない、それは私が 最初にncluse ではありません 。 ここでは、自己とは異なり、 他方 は、他のは 、顔に顔を始めます。 それ、もう一方は、異なって、 顔に顔を入れている ということです 。 私にとっては、表現および脱 式が あります 。 それについては、表現および脱表現があります。 発現のために、自己と他者があります。 脱発現のために、自己と 他が あります 。 (Daute)。
わば因根生起の煩悩のことでもある。小乗仏教は、この葛藤の
根源を断ち切ることをことで解脱する。「煩悩を断じて涅槃を
得る」
しかし、大乗においては、葛藤(複雑にからまりあった煩悩・
生死)の中に菩提(悟り)、涅槃(寂静)を証得していく。
「生死即涅槃」「煩悩即菩提」の即の仏道である。
「葛藤」で言われる「皮肉骨髄」は、煩悩塗れの生死のことだ。
菩提達磨に三拝し、自己のいるべき位置によって立った慧可に、
菩提達磨は「汝は吾(わたし)の随を得た」と言って二祖とし
たとされるが、「皮肉骨髄」浅い深いの話でないという。ただ
慧可は無言でただ行じたことが〈禅の立場〉であるということ
だろう。
慧可は、自己の中の菩提達磨という仏性に礼拝したことになる。
禅の立場からすれば、今此処、この「皮肉骨髄」という実生活
の中において、ただ行を行じて菩提達磨を証得していくという
ことだろう。自己の仏性を今ここ如何に扇ぎ出すかである。
菩提達磨の悟りもまた無常で、今ここにおいて証得していく。
道元は「葛藤のまんまでいい」なんて不抜けたことは言ってい
ない。
皮肉骨髄の葛藤の道理は、古仏の示衆する「汝得吾」の
標準なり。この標準を工夫参究すべし。
とあるように、この煩悩塗れの娑婆世界で、今此処、菩提達磨
の無量の光明、自己の仏性の輝きをを証するということだろう。
それは、慧可がただ菩提達磨(仏性)を礼拝し、自己の現状を
ありのままに受け入れそれ徹したように、今此処に徹すること。
それが禅の標準であるという。
葛藤即菩提達磨。即の仏道を懇切丁寧に弟子に諭している。
ここに展開せられた葛藤の意義は、我々の言葉に訳すれば、イデーの弁証法的展開というに最も近いであろう。それは矛盾の纏繞を通じて伸びて行く。だから不断に抗立否定の動きを呼び起こしている。かかる論争は無限に論争を生ぜしむべき種子である。
『日本精神史研究』岩波文庫、353頁
しかしながら、道元禅師の本意は、このような見解だったのだろうか?そして、少なくとも「葛藤」巻の冒頭でも「証伝」について詳しく示されているが、その後の内容からしても、和辻氏の見解は、やや学びが足りないと指摘せざるを得ない。この「葛藤」とは、「矛盾」という意味ではなくて、「伝える」ということと、「まとわりつく」ということが示されているのだ。「葛藤」という文字を見ていくと、それぞれ「葛」「藤」であり、ツタを持った植物で、自分自身の幹は非常に細いが、何かにまとわりつくことで自らを支え、そして地下から天までスッと伸びていくものでもある。
このスッとどこまでも伸びていくという直観から生まれたのが「つたへ(伝え)」という語である。この「つたへ」の「つた」と「蔦」は語幹が同じであり、その意味で「伝える」という現代語は、時間的には過去・現在・未来に伸びていく様子、空間的にも直線的に伸びていく様子ということになる。この直観を共有できなければ、「葛藤」という語については、全容を理解できないだろう。
この示衆、かつて古今の諸方に見聞せざるところなり、はじめて先師ひとり道示せり。葫蘆藤の葫蘆藤をまつふは、仏祖の仏祖を参究し、仏祖の仏祖を証契するなり。たとへば、これ以心伝心なり。
この示衆をよくよく参究してみれば、葛藤(葫蘆藤)が葛藤をまとわりつかせるということは、法を伝えている仏祖が、法を伝えている仏祖を参究し、証し究めることになる。これは、葛藤=煩悩を破壊する事という見解とは全く違う。むしろ、仏法が仏法にまとわりつくことで、それが「伝法」として、仏法が重層的、かつ連続的に伝承されていくことを示されたものであり、それを「以心伝心」というのである。
おほよそ諸聖ともに、葛藤の根源を截断する参学に趣向すといへども、葛藤をもて葛藤をきるを截断といふ、と参学せず、葛藤をもて葛藤をまつふ、としらず、いかにいはんや葛藤をもて葛藤に嗣続することをしらんや。嗣法これ葛藤としれるまれなり、きけるものなし。道著せる、いまだあらず。証著せる、おほからんや。
これは、先に挙げた葛藤=煩悩を破壊することが参学することではないということである。そうではなくて、葛藤が葛藤を切ることであり、葛藤をもって葛藤にまとわりつくのである。これは、葛藤として葛藤を受け嗣いでいくことになる。つまり、葛藤とは切ってはならないものであり、そもそも切れないものである。確かに、葛藤を切ることを截断といい、これは切ってもまた葛藤であるから、葛藤そのものは切れない。これは、以前このブログでも書いたが「仏法を批判するには仏法をもってせよ」ということであろう。だからこそ、仏法以外になりようがない。批判とは、非難や削除ではなくて、「選択」なのであり、この「選択」は、他の状況が一切現成できなくなったことを意味しない。たまたまそうなるという程度の「偶然性」を把握しておくべきである。
いま参学すべし、初祖道の汝得吾皮肉骨髄は祖道なり。門人四員、ともに得処あり、聞著あり。その聞著ならびに得処、ともに跳出身心の皮肉骨髄なり、脱落身心の皮肉骨髄なり。知見解会の一著子をもて、祖師を見聞すべきにあらざるなり。能所彼此の十現成にあらず。しかあるを、正伝なきともがらおもはく、四子おのおの所解に親疎あるによりて、祖道また皮肉骨髄の浅深不同なり。皮肉は骨髄よりも疎なり、とおもひ、二祖の見解すぐれたるによりて、得髄の印をえたり、といふ。かくのごとくいふいひは、いまだかつて仏祖の参学なく、祖道の正伝あらざるなり。
先に挙げたような、「非難や削除」については、この「正伝なきともがら」に相当することが明らかになるであろう。ただの「選択」であるべきが、そこに優劣であるとか、「必然性」を読み解く者、それが「正伝なきともがら」であり、独断の価値観を、仏法に投影しているに過ぎない。そして、それはあってはならないことである。むしろこの達磨の4人ともに、仏法を伝持しているのである。見解の出し方は偶然性で、具体的で、誰にも当て嵌まってしまう「正解」があるわけではない。
しるべし、祖道の皮肉骨髄は、浅深にあらざるなり。たとひ見解に殊劣ありとも、祖道は得吾なるのみなり。その宗旨は、得吾髄の為示、ならびに得吾骨の為示、ともに為人接人、拈草落草に足不足あらず。たとへば拈華のごとし、たとへば伝衣のごとし。四員のために道著するところ、はじめより一等なり。祖道は一等なりといへども、四解かならずしも一等なるべきにあらず。四解たとひ片片なりとも、祖道はただ祖道なり。
達磨大師の弟子達は、達磨大師からそれまでの修行で得た見解を提示せよといわれ、それぞれに様々な見解を顕したが、達磨大師はそれぞれ自分の皮・肉・骨・髄を得たとしたのである。後代の者は、ここから皮を得た道副の見解は皮相的なことであり、髄を得たとされた二祖慧可大師が真髄を得ていて勝れているとしたのである。いわば、ここには先に挙げた「独断の価値観の投影」が見られるのであるが、道元禅師は明確に、そのような価値観の投影を否定し、「祖道を得吾している」という事実だけを重んじたのである。さらに、この「祖道を得吾」することを、自ら道得するとなると、何をもって表現すれば良いのだろうか。道元禅師は次のようにされる。
おほよそ道著と見解と、かならずしも相委なるべからず。たとへば、祖師の、四員の門人にしめすには、なんぢわが皮吾をえたり、と道取するなり。もし二祖よりのち百千人の門人あらんにも、百千道の説著あるべきなり、窮尽あるべからず。門人ただ四員あるがゆえに、しばらく皮肉骨髄の四道取ありとも、のこりていまだ道取せず、道取すべき道取おほし。
下線は拙僧
この下線部に見るような、道取すべき道取は未だに継続的に表現すべきであると言えよう。何が、道取となるかは偶然的であるが、一度道取されれば、我々自身が法を伝持するという経験を形成し、その形成に於いて、新たな自己が形成されていく。経験の形成には、その調整にイメージを用いるが、イメージの形成には、様々な言語的要素、表現的要素が関わっていく。ただし、イメージやイメージ形成のための言語が仏法なのではなくて、経験そのものが仏法であり、その発現を「祖道の得吾」というべきであり、或いは法としての自己が法に関わっていく様子を持って「葛藤」とするべきなのである。
先師天童古仏道わく「胡蘆藤種、胡蘆を纒う」と。
これ曩祖の正眼のつたはれ、骨髄のつたはれる説法無情なり、一切説法無情なる道理によりて、無情説法なり、いはゆる典故なり。
『正法眼蔵』「無情説法」巻46
無情が無情を説法し、無情が無情を問法するというとき、まさにそれこそが「葛藤」としての「伝」であり、この発動については、偶然性と必然性とが交わり、結果的に仏法者として生きるための不断の調整こそが、我々には求められる。今回提示した「葛藤」巻に見る「伝」の論理とは、実は「伝えるべき実体的なものがない」ことを示したのであり、むしろ何をもって「伝」とするかは、自己組織化の論理でもって捉えた方がよいということであった。
●「土を喰う日々」 著者 水上 勉 昭和57年 8月25日発行 新潮文庫
その副題に「わが精進十二ヵ月」とあるように、著者が仕事場としている軽井沢の住まいの一隅にある野菜畑(3畝というから約300平方メートル)で育てた季節の野菜を材料に精進に徹した料理を工夫した様を1月から12月に章立てして綴っている。九歳の時に禅宗寺院の小僧として入寺し、そこで精進料理を覚える。何もない寺の台所で、その時、畑でとれる野菜とあとは豆腐か油揚げを使って料理を工夫する。何もない台所から絞り出すことが精進で、料理は畑と相談してから決められる。このことから著者は精進料理とは、土を喰うものだと思うにいたり、旬を喰うこととはつまり土を喰うことととらえ、土にいま出ている菜だということで精進は生々してくると言う。何でも手に入る軽井沢での生活の中でも、少年の頃、寺での生活で培われた洗い水も惜しみ、芋の皮一切れだって無駄にせず、その材料を親しく見つめ、細かいところまで行き届いた心で扱う姿勢が貫かれている。文中に道元禅師の「典座教訓」%%%の文章が紹介されているが、まさにその教えを実践している。月ごとに紹介されている料理は、身近で素朴な素材を使った精進料理であるが、読んでいて自分も作って味わってみたくなるほど旨そうで、解説で丸元淑生氏が「一人の生活に根ざした料理人の書き上げた一冊の生活料理書であって実に学ぶところが多いのだ。(・・・しかもそこで開陳される知識が著者九歳の体験に基づいているあたりが、この本のすごいところで、あえて料理人といったのは、実際、十代の水上先生は、食事にうるさい禅寺のなかで、すでにひとかどの料理人だったと思われるからである。)」と記しているとおりである。
永平寺の開祖、道元禅師(どうげんぜんじ)。鎌倉仏教の項で歴史の教科書にも登場するため、ほとんどの方がその名を聞いたことがあるでしょう。
しかし、道元禅師が『典座教訓(てんぞきょうくん)』という書を著し、「食」に関する金言を示されたことは、一般にはあまり知られていないようです。
「典座(てんぞ)」とは、禅寺において「食」を司る重責を担う役僧のことです。その典座職の行うべき職責を、非常に細かく丁寧にお説き下さったのです。
今から750年以上も前に、一宗の開祖が、これほど親切に、また細やかに「食」について説かれたことに驚きと感動を覚えます。
典座ネットでは、食乱れる現代にこそ、あらためてこの名著を広く世に薦めたいと願って、サイトを運営しています。
目次
[非表示]故事[ソースを編集]
「また私が上陸許可を待って港の船の中にいた時、ある老僧が食材の買入れに港にやってきた。船室に招いて茶を勧め、話を聞くと『私は、阿育王寺の典座である。故郷を出て四十年、歳も六十を越えたが、これからまた20キロほど歩いて、食事の用意に寺まで帰らねばならぬ』
道元は日本に帰国してより建仁寺に留まったが、建仁寺の典座が食事の用意を軽く考え、職務を適当に行っていることを見、宋との落差を非常に遺憾とした。そして『典座教訓』を執筆し、典座職の重要性と、その職務要領を詳細に書き残した。
現在の道場の典座職には、修行経験が深く篤実温厚な人物が任命される場合が多く、修行僧たちの相談役として敬慕される者が多いという。
出典[ソースを編集]
関連項目[ソースを編集]
外部リンク [ソースを編集]
『礼拝得髄』後半 75巻本からは削除された「女人禁制」批判
この巻で道元禅師は、
真実を得たものであれば誰であってもその得道、得髄に礼拝すべきである。
女性だからといって軽んずるのは全く誤りである、と説かれます。
188ページ「また和漢の古今に帝位にして女人あり」から。
皇帝になった女性が国土を所領し、人々が臣下となるのは、皇帝の位を尊ぶから。
比丘尼を敬うことも僧侶として釈尊の教えをはっきりつかんだときに敬うのである。
「またいま至愚のはなはだしき人おもふことは、女流は貪婬所対の境界にてありとおもふこころをあらためずして、これをみる」
女性は欲望の対象とであるからこれを忌み嫌う、というのは愚のきわみ。
そんなことを言うなら「一切男子もまたいむべきか」
男だろうと女だろうと幻だろうと、あらゆるものが情欲の対象・機縁になる。
「これみなすつべきか、みるべからざるか」
「おほよそ境をみてはあきらむることをならふべし、
何にかぎらず、何かにぶちあたったら逃げずにそれが何なのか学ばなくてはならない。
「日本国にひとつのわらひごとあり」
巻の終盤で、に道元禅師は「女人禁制の結界」を、女性というだけで排除するのは全く的外れなものと批判します。
権威が決めたことだから、古くからのしきたりだから、などという説明は
「わらはば人の腸(はらわた)もたえぬべし」
つまるところ
「一切衆生みな化をこうぶらん功徳を、礼拝恭敬すべし」
西嶋老師は解説されます。
釈尊はすべての人々を救おうと教化された。あれは救うけれどもこれは救わない、ということではない。
誰でも釈尊の教化を受けうるということ、そのことを敬うべきである。
なお、この日読んだ本巻の後半は現在の岩波文庫ではこのように説明されています。
「以下は75巻の正法眼蔵には諸本いずれも欠き、ただ永平寺に伝わる秘密(密)正法眼蔵の中だけに残ったものである。恐らく、75巻の正法眼蔵が整理された時、削られたものであろう」
なにか不都合があったのでしょうか。
現代語訳正法眼蔵 第1巻 | 西嶋 和夫 | 本 | Amazon.co.jp
…
延應庚子
…
又、いま至愚のはなはだしき人おもふことは、女流は貪婬所對の境界にてありとおもふこころをあらためずしてこれをみる。佛子如是あるべからず。婬所對の境となりぬべしとていむことあらば、一切男子も又いむべきか。染汚の因
律云、男二所、女三所、おなじくこれ波羅夷不共住。
しかあれば、婬所對の境になりぬべしとてきらはば、一切の男子と女人と、たがひにあひきらうて、さらに得度の期あるべからず。この道理、子細に
又、外道も妻なきあり。妻なしといへども、佛法に入らざれば邪見の外道なり。
正法眼藏禮拜得髓
道元:( >>860追記 )
《時間とは「正しさにおいてある出来事の視覚的な貯蔵庫」である。》
(『シネマ2』邦訳23頁)
《Le temps, c'est “ la réserve visuelle des événements dans leur justesse ”》
(Gilles Deleuze L’Image-temps. Cinéma 2
https://monoskop.org/images/8/85/Deleuze_Gilles_Cinema_2_L_Image-temps.pdf fr, 28p)
「正しさにおいてある出来事の視覚的な貯蔵庫」は道元の『正-蔵-眼-蔵』の逐語訳。
ドゥルーズが『哲学とは何か』でも参照した以下の仏訳書名副題?でもある。
http://www.sudoc.fr/023101695
Shôbôgenzô : la réserve visuelle des événements dans leur justesse / Dôgen
René de Ceccaty and Ryôji Nakamura (Paris: La Différence, 1980).
ルネ・ド・セカティ,中村亮二 編訳
『正法眼蔵』をコンパクトに再構成している。理論、実践、詩、テーマ別、注、という順番。
参考:
正法眼蔵 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%B3%95%E7%9C%BC%E8%94%B5
UN ZEN OCCIDENTAL : SHOBOGENZO
http://www.zen-occidental.net/dogen/shobogenzo.html
正法眼藏 Shohogenzo
http://www.shomonji.or.jp/soroku/
Ateliers d'étude du Shôbôgenzô avec Yoko Orimo
http://www.shobogenzo.eu/
和尚と座禅を組み合って、眠りこけてしまった三四郎に対して和尚は朝になってもまだ座禅を組み続けていたのだが、目を覚ました三四郎がよくよく見ると、和尚も座禅を組みながら眠っていたなどは、その最たるもの。
かくのごとくして大潙にまうす、智閑は心神昏昧(しんしんこんまい)にして道不得(どうふて)なり、和尚わがためにいふべし。大潙のいはく、われ、なんぢがためにいはんことを辞せず。おそらくは、のちになんぢわれをうらみん。かくて年月をふるに、大証国師の蹤跡をたづねて武当山にいたりて、国師の庵のあとにくさをむすびて為庵(いあん)す。竹をうゑてともとしけり。あるとき、道路を併浄(ひんじん)するちなみに、かはらほとばしりて竹にあたりて、ひびきをなすをきくに、豁然(かつねん)として大悟す。沐浴し、潔斎(けつさい)して、大潙山にむかひて焼香礼拝して、大潙にむかひてまうす、大潙大和尚、むかしわがためにとくことあらば、いかでか、いまこの事あらん。恩のふかきこと、父母よりもすぐれたり。つひに偈をつくりていはく、
一撃亡所知《一撃に所知を亡ず》、
更不自修治《更に自ら修治せず》。
動容揚古路《動容古路を揚ぐ》、
不堕悄然機《悄然の機に堕せず》。
処々蹤跡無《処々蹤跡無し》、
声色外威儀《声色外の威儀なり》、
諸方達道者《諸方達道の者》、
咸言上々機《咸く上々の機と言はん》。
この偈を大潙に呈す。大潙いはく、此子徹也《此の子、徹せり》。
阿耨菩提に傳道受業の佛
大宋國に、東坡居士蘇軾とてありしは、字は子瞻といふ。筆海の眞龍なりぬべし、佛海の龍象を學す。重淵にも游泳す。曾雲にも昇降す。あるとき、廬山にいたりしちなみに、溪水の夜流する聲をきくに悟道す。偈をつくりて、常總禪師に呈するにいはく、
谿聲便是廣長舌、
山色無非
夜來八萬四千偈、
他日如何擧似人。
(谿聲便ち是れ廣長舌、山色
この偈を總禪師に呈するに、總禪師、然之す。總は照覺常總禪師なり、總は黄龍慧南禪師の法嗣なり、南は慈明楚圓禪師の法嗣なり。
居士、あるとき佛印禪師了元和尚と相見するに、佛印、さづくるに法衣佛戒等をもてす。居士、つねに法衣を搭して修道しき。居士、佛印にたてまつるに無價の玉帶をもてす。ときの人いはく、凡俗所及の儀にあらずと。
しかあれば、聞谿悟道の因
この居士の悟道せし夜は、そのさきのひ、總禪師と無
又香嚴智閑禪師、かつて大
香嚴、いはんことをもとむること數番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年來たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。つひに火をもちて、年來のあつむる書をやきていはく、畫にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず。われちかふ、此生に佛法を會せんことをのぞまじ、ただ行粥
かくのごとくして大
大
かくて年月をふるに、大證國師の蹤跡をたづねて武當山にいりて、國師の庵のあとにくさをむすびて爲庵す。竹をうゑてともとしけり。あるとき、道路を併淨するちなみに、かはらほとばしりて竹にあたりて、ひびきをなすをきくに、瞎然として大悟す。沐浴し、潔齋して、大
一撃亡所知、
更不自修治。
動容揚古路、
不墮悄然機。
處處無蹤跡、
聲色外威儀。
咸言上上機。
(一撃に所知を亡ず、更に自ら修治せず。動容古路を揚ぐ、悄然の機に墮せず。處處蹤跡無し、聲色外の威儀なり。
この偈を大
大
又、靈雲志勤禪師は三十年の辨道なり。あるとき遊山するに、山脚に休息して、はるかに人里を望見す。ときに春なり。桃花のさかりなるをみて、忽然として悟道す。偈をつくりて大
三十年來尋劍客、
幾囘葉落又抽枝。
自從一見桃花後、
直至如今更不疑。
(三十年來尋劍の客、幾囘か葉落ち又枝を抽んづる。一たび桃花を見てより後、直に如今に至るまで更に疑はず)。
大
すなはち許可するなり。いづれの入者か從
長沙景岑禪師に、ある
師いはく、いかにしてか自己を轉じて山河大地に歸せしめん。
いまの道取は、自己のおのづから自己にてある、自己たとひ山河大地といふとも、さらに所歸に
琅
かくのごとくとふに、和尚しめすにいはく、
ここにしりぬ、
しるべし山色谿聲にあらざれば、拈花も開演せず、得髓も依位せざるべし。谿聲山色の功
しかあれば、從來の光陰はたとひむなしくすごすといふとも、今生のいまだすぎざるあひだに、いそぎて發願すべし。
ねがわくはわれと一切衆生と、今生より乃至生生をつくして、正法をきくことあらん。きくことあらんとき、正法を疑著せじ、不信なるべからず。まさに正法にあはんとき、世法をすてて佛法を受持せん、つひに大地有
かくのごとく發願せば、おのづから正發心の因
又この日本國は、海外の遠方なり、人のこころ至愚なり。むかしよりいまだ聖人むまれず、生知むまれず、いはんや學道の實士まれなり。道心をしらざるともがらに、道心ををしふるときは、忠言の逆耳するによりて、自己をかへりみず、他人をうらむ。
おほよそ菩提心の行願には、菩提心の發未發、行道不行道を世人にしられんことをおもはざるべし、しられざらんといとなむべし。いはんやみづから口稱ぜんや。いまの人は、實をもとむることまれなるによりて、身に行なく、こころにさとりなくとも、他人のほむることありて、行解相應せりといはん人をもとむるがごとし。迷中又迷、すなはちこれなり。この邪念、すみやかに抛
學道のとき見聞することかたきは、正法の心
いはく、三毒を三毒としれるともがらまれなるによりて、うらみざるなり。いはんやはじめて佛道を欣求せしときのこころざしをわすれざるべし。いはく、はじめて發心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。名利をもとむるにあらず、ただひとすぢに得道をこころざす。かつて國王大臣の恭敬供養をまつこと、期せざるものなり。しかあるに、いまかくのごとくの因
みずや、ほとけののたまはく、如來現在、猶多怨嫉(如來の現在にすら猶怨嫉多し)の金言あることを。愚の賢をしらず、小畜の大聖をあたむこと、理かくのごとし。又、西天の
初
又、歸依供養する魔類もあるべきなり。
前佛いはく、不親近國王、王子、大臣、官長、婆羅門、居士(國王、王子、大臣、官長、婆羅門、居士に親近せざれ)。
まことに佛道を學
又むかしより、天帝きたりて行者の志氣を試驗し、あるいは魔波旬きたりて、行者の修道をさまたぐることあり。これみな名利の志氣はなれざるとき、この事ありき。大慈大悲のふかく、廣度衆生の願の老大なるには、これらの障礙あらざるなり。
修行の力量おのづから國土をうることあり、世運の達せるに相似せることあり。かくのごとくの時節、さらにかれを辨肯すべきなり。かれに
おほよそ初心の
その接渠のところに、有
善知識この田地にいたらんとき、人天の大師なるべし。いまだこの田地にいたらず、みだりに爲人の儀を存ぜん、人天の大賊なり。春松しらず、秋菊みざらん、なにの草料かあらん、いかが根源を截斷せん。
又、心も肉も、懈怠にもあり、不信にもあらんには、誠心をもはらして前佛に懺悔すべし。恁麼するとき前佛懺悔の功
願はわれたとひ過去の惡業おほくかさなりて、障道の因
佛
昔生未了今須了、
此生度取累生身。
古佛未悟同今者、
悟了今人
(昔生に未だ了ぜずは今須らく了ずべし、此生に累生身を度取す。古佛も未悟なれば今者に同じ、悟了せば今人
しづかにこの因
かくのごとく懺悔すれば、かならず佛
正修行のとき、谿聲谿色、山色山聲、ともに八萬四千偈ををしまざるなり。自己もし名利身心を不惜すれば、谿山また恁麼の不惜あり。たとひ谿聲山色八萬四千偈を現成せしめ、現成せしめざることは夜來なりとも、谿山の谿山を擧似する盡力未便ならんは、たれかなんぢを谿聲山色と見聞せん。
正法眼藏谿聲山色第二十五
爾時延應庚子結制後五日在觀音導利興聖寶林寺示衆