土曜日, 11月 05, 2016

Quantum economics - Wikipedia (量子経済学)


             (ドゥルーズ体系、経済学リンク::::::::::) 

NAMs出版プロジェクト: Quantum economics - Wikipedia (量子経済学,ベルナール・シュミット)

http://nam-students.blogspot.jp/2016/11/quantum-economics-wikipedia.html


いまの私たちに欠けているのは、誰がどう考えてもマルクス主義批判などではなく、マルクスの理論と同じくらい有効で、マルクス理論の延長となるような、金銭をめぐる現代的な理論なのです(経済学者のベルナール・シュミットがこの方面で先端的な研究をおこなってはいますが、それでも金銭のことで理論の基礎を築くとなれば、経済学者よりも銀行家のほうが適任でしょうね)。》ドゥルーズ『記号と事件』#4哲学より

ベルナール・シュミットのような経済学者は、無限負債のこの流れを特徴づけるために、〈瞬時の創造的流れ〉といった抒情的な奇妙なことばを見いだしている。銀行は自発的に自分自身への負債としてこのような流れを創造する。銀行のこの創造は無からの創造であって、これは支払い手段としてあらかじめ準備された貨幣を流布させるのではなく、負の貨幣(銀行の債務として登記された負債)を充実身体の一方の極に深く埋めこみ、正の貨幣(生産経済が銀行に対してもつ債権)を他方の極に突出させる。これは「突然変異の力をもつ流れ」であるが、この流れは収入の中には入らず、購買には向けられない。つまり純粋な待機であって、所有物でもなく、富でもない(91)。》AO#3:9

(91) Bernard Schmitt, Monnaie, salaires et profits , P. U. F., 1966, pp. 234-236.


《名目賃金は国民の収入の全体を包括するものであるが、賃金労働者は、企業によって捕獲された大量の収入を漏出させるのである。…(92)》A.O.3#3:9

(92) ib. p. 292.


http://www.quantum-macroeconomics.info/Web_Site_Quantum/wp-content/uploads/2014/11/Schmitt-B.-1975-1966-Monnaie-salaires-et-profits-Albeuve-Castella.pdf
全354頁


「所有物でもなければ富でもない」──まさにベルナール・シュミットの言う通りで、彼は近代経済学者たちの間で、まさに錯乱的な経済システムの錯乱的な解釈を与えているという点で、私たちにとって比類のない長所をもっている》AO#4:5

分子状の流れが噴き出し、はじめは微小でも、やがてどこに位置づけるべきかわからないまま、しだいに肥大していった……。だが、逆もまた真である。逃走も分子状の運動も、いま一度モル状の組織に立ち戻り、その切片に、また性、階級、党派の二項的分配に修正を加えるのでなければ、およそとるに足りないものになるだろうからだ。 
 したがって問題は、モル状のものと分子状のものは、その大きさ、尺度、規模によって区別されるだけでなく、検討されるべき座標系の性質によっても区別されるということだ。それなら、「線」および「切片」という語はモル状組織だけにあてがうことにして、分子状組成にふさわしい用語は別に探さなければならないだろう。実際、ここで注目すべきは、はっきり限定された切片をもつ線を定めおおせたとしても、この線は必ず別の形で延長され、量子をもつ流れに変わるということである。そして線が流れに変わるごとに、「権力の中心」を両者の境目に位置づけ、これを特定領域での絶対的な権力行使によってではなく、線と流れのあいだでおこなわれる相対的な順応や転換によって規定することができるのだ。複数の切片をもつ通貨の線があるとしよう。これら切片はさまざまな観点から限定することができる。たとえば企業予算の観点からすると、実質賃金、純益、経営陣の給与、資本金の利潤、準備金、投資などが、そうした切片に該当する。ところが、この支払-通貨の線はまったく違った局面にもつながっていく。つまり、もはや切片を含むことなく、極、特異性、量子を含む融資-通貨の流れにかかわっていくのだ(流れの極とは通貨の設定と廃棄のことであり、特異性は名目流動資産に、量子はインフレーション、デフレーション、スタグフレーションに相当する)。この方面に「突然変異性、痙攣性、創造性、そして循環性の流れ」を認めた論者もいる。そうした流れが、堅固な線にいつもひそむ欲望と、この線上で利潤と需要・供給によって限定される切片に結びつくというのだ(14)。支払のバランスにも、いわゆる独立取引と繰越取引を区別する二項的な切片性を見ることができるが、ほかならぬ資本の運動は、「その性質と持続、そして債権者や債務者の人格にしたがって極度に分解された」動きであるため、やすやすと切片化されることがなく、したがって資本の流れに関しては「どこに線を引いていいのか皆目見当がつかない」ことになるのだ(15)。とはいえ、これら二つの局面が絶えず相関し合うことに変わりはない。なぜなら、線形化と切片化によってこそ流れは尽きるのだし、新たな創造の出発点となるのもまた、線形化と切片化にほかならないからである。銀行権力はとりわけ中央銀行に集中するといわれるが、この場合の権力は流通機構を構成する二つの部分の疎通、転換、相互適応を、可能な「範囲内で」調節する相対的な力にほかならない。だからこそ、権力の中心は、その力がおよぶ範囲よりも、むしろそれを逃れるもの、あるいはその無力によって、はるかに的確に規定されるのだ。要するに分子性、ミクロ経済学、ミクロ政治学とは、その要素が小さいことによって規定されるのではなく、その「群集」の性質によって規定されるのである。「群集」、すなわち量子をもつ流れ。これは切片をもつモル状の線とは似ても似つかないものだ(16)。切片を量子に対応させ、量子の性質に応じて切片を調節する作業は、リズムと様態の変化をもたらすものだが、その変化は万能の力によって果たされるというよりも、むしろかろうじて実践されるというべきだろう。常に〈何か〉が逃れていくのである。MP#9

(14) 「突然変異の力をもつ流れ」、そして二種類の通貨の区別については、Bernard Schmitt, Monnaie, salaires et profits, Ed. Castella, pp.236, 275-277を参照。

(15) Michel Lelart, Le dollar monnaie internationale, Ed. Albatros, p.57.  

(16) たとえば、『監獄の誕生』…


(シュミットの主著は66年だから五月革命以前。スラッファやケインズの系譜だがノイマンには行かない。タルドやフーコーの社会学の括りと見て良い。ドゥルーズによれば、キルケゴールはミクロ神学らしい…)


《国家または捕獲装置によって開始されるのは、原始的記号系を超コード化する全体的な記号学なのである。…》MP#13:12


ベルナール・シュミットは、比較と所有の操作を説明する捕獲装置のモデルを提出した。このモデルは、資本主義経済における貨幣機能をもとにして作られているのは確かだが、そのような限定を超える抽象的原則の上に成立しているように思われる(33)。──A.まだ比較も所有も知らず、「純粋な使用可能性であり」、「保有物でも富でもない」、不分割の流れがまずある。これは正確には、銀行が貨幣を発行する場合のことだが、より一般的には、ストックの決定、不分割の流れの創造と言える。──B.不分割の流れは、「要因」に分配されるにしたがって、また「要因」のあいだで配分されるにしたがって分割される。要因としては、直接的な生産者という一種類があるだけである。これを「貧しい者」と呼び、流れは貧しい者たちのあいだで分割されると言うこともできる。だがあらかじめ富んだ者がいるわけではない以上、これは正確ではないだろう。考慮されるべきこと、大切なことは、生産者はまだ彼らに分配されるものを獲得していないこと、彼らに分配されるものはまだ富になっていないことだ。報酬は比較も所有も売買も前提とせず、むしろはるかにネクサム・タイプの操作である。集合Aと集合B、不分割の集合と分割された集合とのあいだの等価性があるだけだ。この分割された集合は名目給与と呼ばれ、名目給与は不分割の集合全体の表現形式となる(「総体的名目的表現」、または、しばしば言われる「国民収入全体の表現」)。ここで捕獲装置は記号論的なものとして登場している。──C.こうして分割や報酬と見なされる給与は、購買とさえ言えない。反対に、購買力は給与から派生するものだ。「生産者に対する報酬は購買ではなく、貨幣が新しい力能を発揮する第二段階において購買を可能にする操作である……。」実際、集合Bが富となる、もしくは、さらに別のものに対して比較される力を獲得するのは、分割されたものとしてである。この別のものとは、一定の生産された財の集合であり、このとき初めて購買可能なものになるものである。最初は生産された財に対し異質なものであった貨幣も、貨幣によって購買しうる財と同質なものとなり、購買が実現されるとともに消滅する購買力を獲得する。より一般的に言えば、分配されたものからなる集合Bと現実の財からなる集合Cという二つの集合のあいだに、一つの対応、一つの比較が成り立つ(「獲得のための力能は、現実の生産全体との直接的結合によって産み出される」)。──D.このときの一種のずれの中に、神秘もしくは魔術がひそんでいる。比較される集合、つまり現実の財の集合に対応する集合をB'とすれば、この集合は必然的に分配された集合以下であるのがわかる。集合B'は、必然的に集合B以下である。購買力は一定期間にわたる全生産物を対象にすると前提しても、利用または比較される集合は分配される集合を下回っていて、直接的生産者が財に変換できるのは分配された集合の一部でしかない。実質給与は、名目給与の一部でしかない、同様に、「有効」労働とは労働の一部でしかない。そして「利用される」土地は分配された土地の一部でしかない。こうして、利益、余剰労働、余剰生産を構成するこの差異もしくは過剰そのものを、〈捕獲〉と呼んでいいだろう。「名目給与はすべてを含んでいる。しかし受給者は財に変換できる収入だけしか保存できず、企業によって捕獲された収入を失うのである。」すべては確かに「貧しい者たち」に分配されたといえよう。しかし、この不思議な速度の競争において、変換できなかったものを掠め取られたと気づくのもつねに貧しい者たちなのだ。捕獲は、分割可能な波や流れを逆転させる。独占的所有の対象となるのは、まさにこの捕獲操作なのだ。そしてこの所有(「富んだ者」による)は後からやってくるのではない。それはすでに実質給与から逃れ、名目給与の中に含まれている。所有は二つのあいだにあり、保有をともなわない分配と、対応または比較による変換とのあいだに挿入される。捕獲は、集合Bと集合B'のあいだにある力能の差異を表現している。結局のところ、神秘的なものは何もない。捕獲のメカニズムは捕獲が実施される集合の一部を構成している。》
(33)Bernard Schmitt前掲書(Bernard Schmitt, Monnaie, salaires et profits , P. U. F., 1966)。

MP#13,命題12


AOでは以下の書も参照される、

独占資本―アメリカの経済・社会秩序にかんする試論 (1967年)  – 古書, 1967


量子経済学なるものを提示したベルナール・シュミットはスラッファの影響を受けているらしい。

Biography | The Quantum Analysis of Economics

http://www.quantum-macroeconomics.info/biography/

ベルナール・シュミットBernard Schmitt (1929–2014),
量子経済学Quantum Economics

《もしわれわれが、ある特定の貨幣額によって、それを構成する金属片の額をあらわそうとするだけでなく、それと交換に入手しうる財貨へのあいまいな言及を、その意味のなかにふくめようとするならば、このばあいにそれが表示する富または収入は、同一のことばによってこのようにいくらかあいまいに暗示されている二つの価値のうちの、ひとつだけにひとしいのであって、前者よりも後者に、すなわち貨幣よりも貨幣の値うちに、ひとしいのであって、前者よりも後者に、すなわち貨幣よりも貨幣の値うちに、ひとしいという方が適切なのである。》スミス国富論2:2


《かれらすべてをいっしょにしたものの全収入は、あきらかに、その貨幣とその消費財との双方にではなく、それらふたつの価値のうちの一方か他方だけに、ひとしいのであって、そして前者にというより後者にひとしいという方がてきとうなのである。》


《したがって、われわれはしばしばある人の収入を、かれに年々支はらわれる金属片で表現するけれども、それは、それらの金属片の額が、かれの購買力の規模、すなわちかれが年年消費することができる財貨の価値を、規制するからなのである。それでもなおわれわれは、かれの収入を、この購買力または消費力にあるものとみなすのであって、それをもたらすその金属片にあるとはみなさない。》

国富論2:2


When, by any particular sum of money, we mean not only to express the amount of the metal pieces of which it is composed, but to include in its signification some obscure reference to the goods which can be had in exchange for them, the wealth or revenue which it in this case denotes is equal only to one of the two values which are thus intimated somewhat ambiguously by the same word, and to the latter more properly than to the former, to money’s worth more properly than to the money[1]



お金の任意の特定の合計によって、我々はそれを構成している金属片の量を表現するために、その意味でそれらと引き換えにあったことができた商品にはいくつかのあいまいな参照を含むように、富だけでなく意味すると、またはそれがこのケースで表し収入は、より適切にお金よりもお金の価値に、より適切に前者に比べて同じ単語によって、後者に多少曖昧に暗示されている2つの値の1に等しく、1スミス


[ 編集元 ]

量子経済学の起源は過去の著名な経済学者の作品までさかのぼることができます。 量子エコノミストはを参照してくださいアダム・スミス彼に昇進お金とお金の価値との間の区別国富論以降に取り込まれたデヴィッド・リカードカール・マルクス :



レオン・ワルラス純粋に数値、adimensionalオブジェクトとしてのお金の見解(「 ルMOTフランエストルNOMドール宇根はQUI n'existeのPASを選びました 」 [4]量子経済学者によって信奉別の直感です)。 彼らはまた、ジャン=バティスト復活セイの法則を通常保持するよりもわずかに異なる意味であるが、。 支払いと生産の会計ロジックを解析することにより、量子エコノミストは、世界的な供給と世界的な需要が時間内にすべての瞬間に、必ずしも同一であることを主張します。 彼らはまた、からインスピレーションを取る資本理論オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク -特に資本と時間の関係上の彼の仕事-とのクヌート・ヴィクセルとお金が内因的に銀行によって作成されていることを彼の考えを。 おそらく、量子経済学者にとって最も重要な著者であるジョン・メイナード・ケインズ 。 ベルナール・シュミットは、経済理論はお金の性質及び「生産の貨幣論」における銀行の役割を統合するべきであるという彼のアイデアに触発されました。 [5]ケインズはお金がに入力された債務の自発的な確認応答、であることに注意しました両面動作時の銀行の元帳。 量子経済学者によって採用された他のケインズ的洞察がメジャーの経済単位として賃金単位の彼の選択である、 [6]と同様に彼のアイデア世界的な需要とグローバルなサプライ間のマクロ経済のアイデンティティ、および貯蓄と投資の間に、論理的なアイデンティティがあること、むしろ平衡条件より:

その直接的な意味で解釈貯蓄と投資は、互いに異なることができるという考えの有病率は、原因片側あるとして彼の銀行に対する個人預金の関係についてに錯覚することによって、私が思うに、説明されるべきですトランザクション、代わりにそれは実際にある両面トランザクションとしてそれを見ての。[7]ケインズ


任意の主権国内通貨システムは、支払いの満足な国際システムは、これまでの国の間に実装されていない、それは金銭的均質性と銀行間の支払いの最終決済を確実に存在することを認めました。 量子エコノミストは金銭的な仲介者としてや国際クリアリングハウスとして動作する超国家銀行の制度に基づいて、世界の金融改革のためのバーナード・シュミットの提案を提唱しています。 彼らは、国際収支は最高の国際的なお金を使って定住し、その円形または車両使用して超国家的な銀行は、様々な国の銀行システムの債権債務を決済することをされるだろうと主張しています。実装即時グロス決済の中央銀行間のシステムを、商品または一国のサービスの輸入はすぐに商品、サービスおよび/または同じ国の有価証券の同等の輸出でバランスされることになります。 このように、量子経済学者が主張し、国家間の支払いは落ち着くだろうとお金は支払いの円形と車両手段のその天然の機能を引き受けることになります。 量子経済学者によって提案された改革は、もともとブレトンウッズでジョン・メイナード・ケインズによって設計された1つを彷彿とさせます。 それはまだ金およびその他の準備資産の使用を暗示するためしかし、ケインズのソリューションは、完全に満足のいくものではなかった、それは完全に国際通貨の車両使用して行わ支払いは国際取引の実際の決済を可能にすることができる方法を説明していませんでした。








生産能力と消費意欲の双方を勘案したとき、その中間に、富を増加させる刺激が最大となる点が存在しなければならないという理屈になる。もっとも経済学の力量ではその点を確定することはできないかもしれないが(1)。

(1) マルサス『経済学原理』序文、八、九ページ。

(ケインズ1936#23:7より孫引き)




Quantum economics

From Wikipedia, the free encyclopedia

Quantum Economics (a.k.a. quantum macroeconomics, a.k.a. the theory of money emissions) is a school of monetary economic analysis developed by French economist Bernard Schmitt (1929–2014), beginning in the 1950s in Dijon (France) and Fribourg (Switzerland).

Origins[edit source]

The origins of quantum economics can be traced back to the works of prominent economists of the past. Quantum economists refer to Adam Smith’s distinction between money and money’s worth promoted in his Wealth of Nations and later taken up by David Ricardo and Karl Marx:

When, by any particular sum of money, we mean not only to express the amount of the metal pieces of which it is composed, but to include in its signification some obscure reference to the goods which can be had in exchange for them, the wealth or revenue which it in this case denotes is equal only to one of the two values which are thus intimated somewhat ambiguously by the same word, and to the latter more properly than to the former, to money’s worth more properly than to the money[1]


《もしわれわれが、ある特定の貨幣額によって、それを構成する金属片の額をあらわそうとするだけでなく、それと交換に入手しうる財貨へのあいまいな言及を、その意味のなかにふくめようとするならば、このばあいにそれが表示する富または収入は、同一のことばによってこのようにいくらかあいまいに暗示されている二つの価値のうちの、ひとつだけにひとしいのであって、前者よりも後者に、すなわち貨幣よりも貨幣の値うちに、ひとしいのであって、前者よりも後者に、すなわち貨幣よりも貨幣の値うちに、ひとしいという方が適切なのである。》スミス国富論2:2

In another passage Adam Smith emphasizes that money is not a product, but a simple means of circulation whose value does not add up to that of national output. Karl Marx dwelled further on this subject and suggested that money is but the social form of value:

In the form of money, all properties of the commodity as exchange value appear as an object distinct from it, as a form of social existence separated from the natural existence of the commodity.[2]

— Karl Marx

《交換価値としての商品のすベての諸性質は、商品とは異なったーつの対象と

して、商品の自然的な存在形態から解放されたーつの社会的な存在形態として、

貨幣において現われる。》

邦訳『マルクス資本論草稿集1(1857~58年の経済学草稿1)』119頁


In the form of money all properties of the commodity as exchange value appear as an object distinct from it, as a form of social existence separated from the natural existence of the commodity. 

Quantum economists refer also to David Ricardo’s idea that commodities cannot measure value because their value fluctuates:

The only qualities necessary to make a measure of value a perfect one are, that it should itself have value, and that that value should be itself invariable, in the same manner as in a perfect measure of length the measure should have length and that length should be neither liable to be increased or diminished; or in a measure of weight that it should have weight and that such weight should be constant.[3]


《[絶対価値と交換価値]

   [草稿]

 価値尺度というものを完全あ全なものにする唯ーの必要条件は、尺度自身が価値をもつべきだということと、その

価値がまたそれ自身不変であるべきだということである。それはちょうど、長さについてのある完全な尺度とい

う場合に、その尺度が長さをもつべきであり、またその長さに増減があってはならず、あるいはまた重さの尺度

の場合に、尺度が重さをもつべきであり、またそうした重さは不変であるべきだ、というのと同じである。》

以下(435頁,原著p.361)が正確な出典

デイヴィド・リカードウ全集 第4巻 後期論文集1815-1823

 出版者   雄松堂書店

 出版年   1970.4

 大きさ等  22cm 512p

 注記    編者:P.スラッファ 協力:M.H.ドッブ

 NDC分類 331.44

 内容    リカードウのパンフレット類の各版本の対応ペイジ表:p509~512

 書誌番号  3-0190072808 

Léon Walras’s view of money as a purely numerical, adimensional object („Le mot franc est le nom d'une chose qui n'existe pas[4])is another intuition espoused by quantum economists. They also revive Jean-Baptiste Say’s Law, although in a slightly different sense than usually retained. By analyzing the accounting logic of payments and production, quantum economists claim that global supply and global demand are necessarily identical at every instant in time. They also take inspiration from the capital theory of Eugen Böhm von Bawerk – in particular his work on the relation between capital and time – and to Knut Wicksell and his idea that money is endogenously created by banks. Perhaps the most crucial author to quantum economists is John Maynard Keynes. Bernard Schmitt was inspired by his idea that economic theory ought to integrate the nature of money and the role of banks in a “monetary theory of production”.[5] Keynes noted that money is a spontaneous acknowledgement of debt, which is entered into the bank’s ledger in a two-sided operation. Other Keynesian insights adopted by quantum economists are his choice of the wage unit as the economic unit of measure,[6] as well as his idea that the macroeconomic identities between global demand and global supply, and between saving and investment, are logical identities, rather than equilibrium conditions:

The prevalence of the idea that savings and investment, taken in their straightforward sense, can differ from one another, is to be explained, I think, by an optical illusion due to regarding an individual depositor’s relation to his bank as being a one-sided transaction, instead of seeing it as the two sided transaction which it actually is.[7]1936,#7:5


《語の素直な意味での貯蓄と投資が互いに異なりうるという見解が広く流布しているのは、思うに、目の錯覚、つまり個々の預金者と彼の取引銀行との関係は現実には二面的な取引であるにもかかわらず、それを一面的な取引だと見る目の錯覚に囚われているからである。(そこでは、預金者と銀行が協力してなんとか工夫すれば、貯蓄を銀行体系に閉じ込めその貯蓄を投資にまわらないようにすることができる、あるいは反対に、銀行体系はそれに見合う貯蓄がなくとも投資を引き起こすことができる、と考えられている。しかし貯蓄を行えば、必ず、現金であれ、債権であれ、はたまた資本財であれ、必ず資産を取得することになる。)》

Fundamental concepts[edit source]

The following concepts are the cornerstones of quantum economics.

Money[edit source]

Bank money is indisputably the starting point of Bernard Schmitt’s analysis. Referring to double entry bookkeeping, he shows that the emission of money is an instantaneous event taking place every time a payment is carried out by banks. Since no positive asset can be created out of nothing, quantum economists maintain that, far from being a net asset, money is a purely numerical vehicle issued by banks in a circular flow defining its instantaneous creation and destruction. Money is therefore nothing more than a means of payment, a numerical vehicle through which payments are conveyed from purchaser to seller and whose existence in chronological time coincides with that of the payment it conveys: a mere instant.

Income[edit source]

Quantum economists introduce a fundamental distinction between money and income. Money has no positive value whatsoever; and income is the very object of economic payments. While money is emitted by banks at zero cost, income is the result of production. According to quantum economic analysis, when banks grant a credit to the economy they do so by lending it the income generated by its own productive activity, not through money creation.

Production and quantum time[edit source]

The expression quantum economics or quantum macroeconomics (since the approach proposed by quantum economists is substantially macroeconomic) has its raison d’être in the fact that, as shown by Bernard Schmitt, production is an instantaneous event that quantizes time. According to his analysis, output is literally emitted as a whole at the very moment production takes place, that is, at the instant the production process is completed. The entire period of production (a finite period of time) is thus ‘given in an instant’ as an indivisible interval of time: a quantum of time. As quantum economists explain it, from an economic point of view production coincides with the payment of wages. It is at the very moment wages are paid that output acquires its numerical form and is transformed from a physical object into an economic entity. The payment of wages is therefore the instantaneous event that defines production, through which money acquires a real content and is replaced by a positive amount of income.

Absolute exchange[edit source]

An absolute exchange is an exchange of an object with itself (as opposed to a relative exchange, an exchange between two different objects). We can exemplify this unusual phrasing by considering a wage payment. When firms pay wages, wage earners receive a bank deposit. Assuming, for the sake of simplicity, that the firm pays wages by contracting a new loan with the bank, this new asset in the bank’s balance sheet exactly matches the bank’s liability with wage earners. Wage earners receive a positive purchasing power because their credit with the bank has a real object – the newly produced output. Wage earners' income therefore does not exist independently of output; it is the numerical form of output, its expression in terms of units of accounts. In this sense, in the payment of wages output in its physical form exchanges for output in its numerical form (income), in what quantum economists call an absolute exchange.

The law of the identity between sales and purchases[edit source]

Following Bernard Schmitt, quantum economists claim that the correct interpretation of the principle of double-entry bookkeeping implies the necessary equality between each economic agent’s sales and purchases. Perfectly consistent with the flow nature of money, this law applies to the buying and selling transactions carried out on the set of available markets. Hence, for example, within any national economy it is always verified on the labour, commodity, and financial markets taken together. If money were a net asset, the purchase of agent a would simply be matched by the sale of another agent b. Agent a would be debited and agent b credited. Yet, since money is but a flow and consistently with double-entry bookkeeping, a can pay for his/hers purchases only through his/hers simultaneous sales: his/hers purchases on the commodity market, for example, must be balanced by his/hers sales on the labour or/and the financial markets. According to quantum economists this is but the necessary consequence of the true principle of double-entry bookkeeping, each agent being simultaneously debited-credited or credited-debited.

The law of the identity between global demand and global supply[edit source]

Since output finds its economic measure in the payment of wages and since income is initially formed by this same payment, quantum economists hold that global supply and demand are jointly determined as the two aspects of one and the same reality. They maintain that global or macroeconomic demand is defined, irrespective of economic agents’ behaviour, by the amount of income available within a given economy, and that global or macroeconomic supply is determined by the economic measure of produced output. Both terms of the equation D = S being measured by the same amount of wages, quantum economists conclude that their relationship is necessarily that of an identity and that the present economic disequilibria have to be explained starting from and consistently with this identity.

Monetary pathologies[edit source]

Inflation[edit source]

Inflation is the situation where global demand numerically exceeds global supply. This situation is at odds with the logical quantum identity between demand and supply – inflation is pathological. To have inflation there must be some money devoid of purchasing power, which quantum economists call empty money, that increases or inflates global demand only numerically without altering the substantial identity between D and S. According to quantum economists, the origin of inflation is closely connected with capital accumulation.[8] By marking up prices over costs of production, firms make a profit. In the process wage earners transfer part of their purchasing power over produced output to firms. Firms may then either redistribute their profits or invest them. In the first case, shareholders and creditors spend their dividends and interests on the goods market and income is thereby destroyed. In the second case, firms invest their income (profit) by financing the production of fixed capital goods. Because wages are paid out of a pre-existing income, their payment implies the purchase of fixed capital goods by firms. This is a final purchase of output, which therefore destroys income. However, current systems of payments do not recognize this fact, and allow banks to lend on the financial market the deposits formed following the investment of profits. Logically, the income invested by firms is transformed into fixed capital, and should therefore no longer be available on the financial market. This not being the case, an ‘empty’ sum of money pathologically increases the demand for produced output: there is a nominal demand not matched by an equal supply (inflation). Quantum economists emphasize that inflation and its effect – the pathological accumulation of capital – is a macroeconomic disorder that does not stem from the behavior of economic agents. The root of the problem lies in the current accounting system of banks, which, being inconsistent with the logical distinction between money, income and fixed capital, generates inflation.

Involuntary unemployment and deflation[edit source]

Quantum economists consider involuntary unemployment as a macroeconomic pathology. Unlike micro-founded theories of unemployment, quantum economists state that involuntary unemployment is a macroeconomic disorder independent of people’s behavior. Inflation causes capital over-accumulation as empty money emissions lead to inflationary profits for firms and to their investment in the production of new fixed capital goods. Yet, firms must also pay the cost of capital – the market’s rate of interest – out of profits. Quantum economists then argue that, as the amount of fixed capital goods grows persistently, at some point the ratio between profits and capital must fall. As the margin or the gap between the rate of profit and the market interest rate falls, firms will then either invest less, or use their profits for the production of consumer goods. In the first case, national production suffers, thus causing a positive measure of involuntary unemployment. In the second, firms supply an amount of consumer goods for which there is no associated demand (deflation).

Sovereign or external debt crisis[edit source]

Bernard Schmitt and his followers argue that a correct definition of a country’s sovereign debt cannot be limited to what is known as public debt, but must include both that part of public and private debt a country incurs abroad. At the same time they claim that, because of the lack of a true system of international payments respectful of the flow nature of money, the sovereign or external debt of countries is the object of a pathological duplication. In a few words, they maintain that countries’ external debt is much higher than it should be because of a pathological, monetary mechanism that multiplies by two the debt incurred every time a country finances its net expenditures through a foreign loan. As a consequence of this pathological increase in their sovereign debt, countries are forced to pay huge amounts of interests without obtaining any real counterpart. What is lost by countries is gained by what is known as the financial bubble, a stateless, pathological capital whose presence is at the origin of speculation and whose continuing growth explains the increasing disrupting effects of the financial crisis.

Proposals for reform[edit source]

All monetary pathologies identified by quantum economists can in principle be cured by reforming bookkeeping practices of banks and settlement institutions. The reforms proposed by quantum economists are not aimed at changing the behaviour of individuals, but would merely alter the way transactions are recorded by banks and settlement institutions. Quantum economists propose two reforms, which would get rid of inflation and deflation, involuntary unemployment, sovereign debt crisis and pathological volatility in financial markets.

Reform of national payment systems[edit source]

In the reformed system of national payments, transactions are recorded in three separate departments.[9]

I. The monetary department (department I) records all money emissions.

II. The financial department (department II) records all newly formed bank deposits and their expenditure.

III. The fixed capital department (department III) records the capitalization of profits.

The basic principle behind this tripartite structure of banks’ bookkeeping is the practical separation of money (department I), income (department II) and fixed capital (department III). The first two departments guarantee the separation between money – a valueless, numerical vehicle – and income – a positive bank deposit and the monetary definition of current output. Because banks can issue money without cost by the stroke of a pen and can thereby extend the assets and liabilities side of the balance sheet theoretically ad infinitum, an over-emission of money can occur. The separation will ensure that banks cannot lend more money than they have income deposited, thereby preventing a credit-led inflation. Banks will not be able to lend more than the amount of income generated by production. Thanks to this partition, bank directors would know at every point in time the exact amount of income they can lend to the public. The third department is there to guarantee that income is not mixed up with fixed capital, which in the present system leads to the emission of empty money, the cause of inflation according to quantum theory.[10] All profits, once formed in the market for goods, have to be transferred to the third department. Profits distributed by firms as interests and dividends are transferred back to the second department; anything remaining in the third department defines the amount of fixed capital formed in the economy. Fixing these profits in the balance sheet of the third department prevents firms from spending these deposits once again, which would give rise to an inflationary process of capital accumulation.

Reform of international payment systems[edit source]

Granted that within any sovereign country a monetary system exists that ensures monetary homogeneity and the final settlement of inter-bank payments, no satisfactory international system of payments has so far been implemented between countries. Quantum economists advocate Bernard Schmitt’s proposal for a world monetary reform based on the institution of a supranational bank acting as a monetary intermediary and as an international clearing house. They argue that international payments would be best settled using an international money and that through its circular or vehicular use the supranational bank would settle credits and debts of the various national banking systems. Implementing a real-time gross settlement system between central banks, the imports of goods or services of one country would be immediately balanced by an equivalent export of goods, services and/or securities of the same country. This way, quantum economists argue, payments between nations would settle and money would assume its natural function of a circular and vehicular means of payment. The reform proposed by quantum economists is reminiscent of the one originally designed by John Maynard Keynes at Bretton Woods. However, Keynes’s solution was not entirely satisfactory, for it still implied the use of gold and other reserve assets, and it did not fully explain how payments carried out through the vehicular use of an international currency can enable the real settlement of international transactions.

Publications[edit source]

Schmitt, B. (1960): La formation du pouvoir d’achat, Paris: Sirey.
Schmitt, B. (1966): Monnaie, salaires et profits, Paris: Presses Universitaires de France.
Schmitt, B. (1972): Macroeconomic Theory. A Fundamental Revision, Albeuve: Castella.
Schmitt, B. (1975): Théorie unitaire de la monnaie, nationale et internationale, Albeuve: Castella.
Schmitt, B. (1984a): Inflation, chômage et malformations du capital. Macroéconomie quantique, Paris and Albeuve: Economica and Castella.
Schmitt, B. (1984b): La France souveraine de sa monnaie, Paris and Albeuve: Economica and Castella.
Schmitt, B. (2012): Money, effective demand and profits, in C. Gnos and S. Rossi (eds) Modern Monetary Macroeconomics, Cheltenham, UK and Northampton, MA, USA: Edward Elgar.
Schmitt, B. (2012): Sovereign debt and interest payments, in C. Gnos and S. Rossi (eds) Modern Monetary Macroeconomics, Cheltenham, UK and Northampton, MA, USA: Edward Elgar.
Cencini, A. (1984): Time and the Macroeconomic Analysis of Income, London and New York: Pinter.
Cencini, A. (1988): Money, Income, and Time. A Quantum-Theoretical Approach, London and New York: Pinter.
Cencini, A. and Schmitt, B. (1991): External Debt Servicing. A Vicious Circle, London and New York: Pinter.
Cencini, A. (1995): Monetary Theory. National and International, London and New York: Routledge.
Cencini, A. (2001): Monetary Macroeconomics. A New Approach, London and New York: Routledge.
Cencini, A. (2005): Macroeconomic Foundations of Macroeconomics, London and New York: Routledge.
Cencini, A. (2012): Towards a macroeconomic approach to macroeconomics, in C. Gnos and S. Rossi (eds) Modern Monetary Macroeconomics, Cheltenham, UK and Northampton, MA, USA: Edward Elgar.
Rossi, S. (2001): Money and Inflation: A New Macroeconomic Analysis, London and New York: Routledge.
Rossi, S. (2006): The theory of money emissions, in Arestis, P. and Sawyer, M. (eds.) A Handbook of Alternative Monetary Economics, Cheltenham and Northampton: Edward Elgar.
Rossi, S. (2007): Money and Payments in Theory and Practice, London and New York: Routledge.

External links[edit source]

Footnotes[edit source]

  1. Jump up ^ Smith, A. (1978), The Wealth of Nations, Pelican Classics: Harmondsworth (first published 1776).
  2. Jump up ^ Marx, K. (1973), Grundrisse, The Pelican Marx Library: Harmondsworth.
  3. Jump up ^ Ricardo, D. (1817), On the Principles of Political Economy and Taxation, J. Murray: London; reprinted Cambridge University Press: Cambridge, 1951.
  4. Jump up ^ Walras, L. (1952) Elémentsd'économiepolitique pure, ou la théorie de la richessesociale, Paris, LibrairieGénérale de Droit et de Jurisprudence.
  5. Jump up ^ Keynes, J.M. (1933/1973), ‘A monetary theory of production’. Reprinted in The Collected Writings of John Maynard Keynes, Vol. XIII The General Theory and After: Part I Preparation, London and Basingstoke: Macmillan, 408–11.
  6. Jump up ^ Keynes, J.M. (1936), The General Theory of Employment, Interest and Money.
  7. Jump up ^ Keynes, J. M. (1973), The Collected Writings of John Maynard Keynes, The General Theory of Employment, Interest and Money, London and Basingstoke: Macmillan.
  8. Jump up ^ Schmitt, B. (1984), This is in opposition to the Austrian Economic view that inflation is correlated directly to increases in the money supply. Inflation, chômage et malformation du capital, Albeuve: Castella.
  9. Jump up ^ Rossi, S. (2007), Money and Payments in Theory and Practice, London and New York: Routledge.
  10. Jump up ^ Cencini, A. (2005), Macroeconomic Foundations of Macroeconomics, London and New York: Routledge.☆☆
第一章 経済学=量子経済学

第一部(ミクロの世界)第四十七章【状態】で論述したように、
量子力学とは、状態を表現する学問に他ならない。
なぜなら、
映画館で上映される映画のメカニズムでたとえるとよく理解できる。
まさに、
粒子だけの世界は、映画館の席で座っている鑑賞者だけの世界で、白いスクリーンで映画はまだ上映されていない状態に他ならない。
一方、
波動の世界は、映画館の席で座っている鑑賞者が、白いスクリーンで上映されている映画を鑑賞している状態に他ならない。
従って、
映画館自体には変わりはないが、映画館の中の状態が違うだけである。
まさに、
映画館の状態が、
粒子だけの世界なのか?(映画が上映されていない状態か?)
粒子と波動の世界なのか?(映画が上映されている状態か?)
の違いに他ならないからである。
従って、
状態を表現する量子力学とは、統計学に他ならないのである。
一方、
経済学も統計学である。
まさに、
経済学は、人間社会だけにある概念の世界で、自然社会や宇宙にあるのは事実だけで、概念の世界などない証明に他ならない。
言い換えれば、
経済学は、粒子と波動の世界(映画が上映されている映画館の世界)で、自然社会や宇宙にあるのは粒子だけの世界(映画が上映されていない映画館の世界)に他ならない。
従って、
量子力学も経済学も、粒子と波動の世界(映画が上映されている映画館の世界)を表現する学問に他ならない。
更に、
第一部(ミクロの世界)第四十八章【人間社会しか表現できない量子力学】で述べたように、
1号車から16号車まである地球号という新幹線でたとえれば、
量子力学も経済学も、窓のカーテンが開けられている16号車の世界だけの話であって、窓はあるが窓のカーテンは閉められている15号車の世界の話でもなく、窓自体がない1号車から14号車までの世界の話でもないのである。
まさに、
経済学とは量子経済学に他ならないのである。


Bernard Schmitt  "Monnaies, salaires et profit" (P.U.F). 1971


DELEUZE: 211271

https://www.le-terrier.net/deleuze/anti-oedipe1000plateaux/0321-12-71.htm

La condition du rapport différentiel c'est que les deux grandeurs considérées hétérogènes, qualitativement distinctes, ne soient pas à la même puissance. Il faut que l'une des deux soit une puissance et que l'autre soit une simple grandeur. Nous devons saisir la nature des deux flux et leur rapport du côté de la monnaie. Je voudrais proposer un principe : la monnaie, par essence, joue comme sur deux tableaux et c'est la coexistence de ces deux tableaux qui va être à la base la plus générale des mécanismes du capitalisme; je vais m'appuyer sur deux économistes actuels : Suzanne de Brünhof ("LA monnaie chez Marx et l'offre de monnaie") et un économiste néo-capitaliste qui fait, sans le vouloir, une théorie économique complètement schizophrénique au point où ça nous permet de poser le problème : quelle est la différence entre un texte d'ambition scientifique dans le domaine de l'économie et un texte schizophrénique une fois dit que ça porte sur les mécanismes du capitalisme ? Cet économiste qui a beaucoup de fougue, de talent, c'est Bernard Schmitt et je prendrai le livre "Monnaies, salaires et profit" (P.U.F). 

Or, Suzanne de Brünhof, marxiste, et lui, pas du tout marxiste, disent exactement la même chose au seul niveau qui m'intéresse pour l'instant, à savoir le niveau phénoménologique, et ça revient à dire : il y a deux formes de monnaie qui vont inspirer deux conséquences différentes. La marxiste va en tirer l'idée que les mécanismes capitalistes ne peuvent jouer qu'en instaurant une convertibilité fictive, notamment entre les deux sortes de monnaie; cette convertibilité est complètement fictive, elle dépend du rattachement à l'or, elle dépend de l'unité des marchés, elle dépend du taux d'intérêt; en fait, elle n'est pas faite pour fonctionner, elle est faite pour, suivant Suzanne de Brünhof, dissimuler l'opération capitaliste : la convertibilité fictive, théorique, constante, d'une forme à une autre de monnaie assure la dissimulation de comment ça marche. Ce qui m'intéresse dans ce concept de dissimulation, c'est que au niveau où de Brünhof l'analyse, ce n'est plus un concept idéologique, mais un concept opérationnel, organisationnel, à savoir : le circuit monétaire capitaliste ne peut fonctionner que sur base d'une dissimulation objective qui est la suivante : la convertibilité d'une forme de monnaie dans l'autre. 

Schmitt, ce qu'il va dire ça revient au même, il reconnaît pleinement les deux formes de monnaie et il essaie de les définir : l'une, dit-il, c'est un pur flux créateur - on sent déjà que le phénomène fondamental dans le capitalisme c'est ce que tous les banquiers appellent : création de monnaie, un flux créateur qui se réalise dans la création de monnaie. L'autre forme, complètement différente, c'est la monnaie-revenus, i.e. la monnaie définie comme pouvoir d'achat. L'aspect diabolique de la thèse de Schmitt, c'est de dire : vous comprenez, c'est la transformation de la première forme de monnaie, flux créateur de monnaie, dans la seconde forme monnaie-revenus, c'est ça qui crée le pouvoir d'achat; le pouvoir d'achat ne préexiste pas à la forme de monnaie-revenus. On peut dire ça, pourquoi pas, en effet il y a une forme de monnaie, création de monnaie, pouvoir mutant, c'est la fameuse monétarisation d'une économie par création de monnaie; le rôle des banques centrales est ici déterminant : créer de la monnaie; il y a une autre forme qui est la monnaie revenu pouvoir d'achat; c'est la monnaie-revenus et donc la mutation du flux de création de monnaie-revenus qui crée le pouvoir d'achat, le pouvoir d'achat ne préexiste pas. Conséquence immédiate : l'ouvrier il n'est pas acheté, il ne peut pas y avoir de vol, il n'y a pas de plus-value; Schmitt dit que Marx s'est trompé; que, pour qu'il y ait de la plus-value, il faut que la force de travail de l'ouvrier soit achetée, mais le revenu-salaire ça ne peut pas être ça parce que le pouvoir d'achat il est créé par le revenu, ils n'est pas présupposé par le revenu; donc, comme il dit : le salaire ce n'est pas une forme d'achat, c'est une forme de mutation de la monnaie en une autre.


_____


ベルナール・シュミット:


《いまの私たちに欠けているのは、誰がどう考えてもマルクス主義批判などではなく、

マルクスの理論と同じくらい有効で、マルクス理論の延長となるような、金銭をめぐる

現代的な理論なのです(経済学者のベルナール・シュミットがこの方面で先端的な研究

をおこなってはいますが、それでも金銭のことで理論の基礎を築くとなれば、経済学者

よりも銀行家のほうが適任でしょうね)。》ドゥルーズ『記号と事件』#4哲学より


《ベルナール・シュミットのような経済学者は、無限負債のこの流れを特徴づけるた

めに、〈瞬時の創造的流れ〉といった抒情的な奇妙なことばを見いだしている。銀行は

自発的に自分自身への負債としてこのような流れを創造する。銀行のこの創造は無から

の創造であって、これは支払い手段としてあらかじめ準備された貨幣を流布させるので

はなく、負の貨幣(銀行の債務として登記された負債)を充実身体の一方の極に深く

埋めこみ、正の貨幣(生産経済が銀行に対してもつ債権)を他方の極に突出させる。

これは「突然変異の力をもつ流れ」であるが、この流れは収入の中には入らず、購買に

は向けられない。つまり純粋な待機であって、所有物でもなく、富でもない(91)。

(91)Bernard Schmitt, Monnaie, salaires et profits , P. U. F., 1966, pp. 234-236.》AO#3:9

http://www.quantum-macroeconomics.info/Web_Site_Quantum/wp-content/uploads/2014/11/Schmitt-B.-1975-1966-Monnaie-salaires-et-profits-Albeuve-Castella.pdf

全354頁


《「所有物でもなければ富でもない」──まさにベルナール・シュミットの言う通り

で、彼は近代経済学者たちの間で、まさに錯乱的な経済システムの錯乱的な解釈を与え

ているという点で、私たちにとって比類のない長所をもっている》AO#4:5


《…この方面に「突然変異性、痙攣性、創造性、そして循環性の流れ」を認めた
論者もいる。そうした流れが、堅固な線にいつもひそむ欲望と、この線上で
利潤と需要・供給によって限定される切片に結びつくというのだ(14)。…

(14) 「突然変異の力をもつ流れ」、そして二種類の通貨の区別については、

Bernard Schmitt, Monnaie, salaires et profits, Ed. Castella, pp.236, 275-277を参照。》MP#9


《ベルナール・シュミットは、比較と所有の操作を説明する捕獲装置のモデルを
提出した。このモデルは、資本主義経済における貨幣機能をもとにして作られて
いるのは確かだが、そのような限定を超える抽象的原則の上に成立しているよう
に思われる(33)。》MP#13:命題12(シュミット経済学の詳細な紹介はここ)
(33)前掲書


以下のwikiによれば、シュミット(厳密にはアダム・スミス)の創始した量子経済学はケインズの提案した
超国家通貨・バンコールに理論的根拠を与えるものでもあるようだ(Schmitt(1988) L'ECU et les souverainetés nationales en Europe , Paris: Dunod.☆)&☆☆。バンコールは国家間の地域通貨と考えられる。

Quantum economics - Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Quantum_economics



《If the ‘impossible’ lives in Utopia, it is certainly not utopian to suppose that, once achieved, scientific progress may take hold of people's mind, especially if the well-being of whole populations depends on it. In our field, advancement of learning is [twofold]. Bank money is a means of payment and not a net asset (bank money is an object of mediation and not a final product); European monetary union requires the creation of a common currency qua European countries and not a single currency for their residents.

 (Schmitt 1988: 173, our translation)》


シュミットはバンコールに近いが、センチーニ☆☆の解釈はバンコールよりユーロに近い。


15.1



1 Comments:

Blogger yoji said...


ベルナール・シュミット:

《いまの私たちに欠けているのは、誰がどう考えてもマルクス主義批判などではなく、
マルクスの理論と同じくらい有効で、マルクス理論の延長となるような、金銭をめぐる
現代的な理論なのです(経済学者のベルナール・シュミットがこの方面で先端的な研究
をおこなってはいますが、それでも金銭のことで理論の基礎を築くとなれば、経済学者
よりも銀行家のほうが適任でしょうね)。》ドゥルーズ『記号と事件』4哲学より

《ベルナール・シュミットのような経済学者は、無限負債のこの流れを特徴づけるた
めに、〈瞬時の創造的流れ〉といった抒情的な奇妙なことばを見いだしている。銀行は
自発的に自分自身への負債としてこのような流れを創造する。銀行のこの創造は無から
の創造であって、これは支払い手段としてあらかじめ準備された貨幣を流布させるので
はなく、負の貨幣(銀行の債務として登記された負債)を充実身体の一方の極に深く
埋めこみ、正の貨幣(生産経済が銀行に対してもつ債権)を他方の極に突出させる。
これは「突然変異の力をもつ流れ」であるが、この流れは収入の中には入らず、購買に
は向けられない。つまり純粋な待機であって、所有物でもなく、富でもない(91)。》AO3:9

(91) Bernard Schmitt, Monnaie, salaires et profits , P. U. F., 1966, pp. 234-236.

http://www.quantum-macroeconomics.info/Web_Site_Quantum/wp-content/uploads/2014/11/Schmitt-B.-1975-1966-Monnaie-salaires-et-profits-Albeuve-Castella.pdf
全354頁

《「所有物でもなければ富でもない」──まさにベルナール・シュミットの言う通り
で、彼は近代経済学者たちの間で、まさに錯乱的な経済システムの錯乱的な解釈を与え
ているという点で、私たちにとって比類のない長所をもっている》AO4:5

3:40 午前  

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