http://www.freeassociations.org/
http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/blog-post_11.html
NAMs出版プロジェクト: 大応国師(1235-1309)「大応国師禅誡」…
http://nam-students.blogspot.jp/2017/05/blog-post_42.html@
NAMs出版プロジェクト: 大燈国師(1282-1338)
http://nam-students.blogspot.jp/2017/05/blog-post_15.html
NAMs出版プロジェクト: 関山国師(1277-1361)「無相大師遺誡」
http://nam-students.blogspot.jp/2017/05/blog-post_88.html
NAMs出版プロジェクト: 夢窓疎石(1275-1351)
http://nam-students.blogspot.jp/2017/05/blog-post_29.html
NAMs出版プロジェクト: 白隠(1686-1769) 隻手音声
http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/blog-post_21.html
御用達市場 / 禅文化研究所 新修第二版 臨済宗勤行聖典(全三巻)
http://www.rinnou.net/shop/products/detail.php?product_id=674大応国師と崇福寺
http://www.fukuoka-art-museum.jp/_jb/html/jb01/2007/dai_oh/dai_oh_3.html
第一書房:国訳禅宗叢書
http://www.daiichishobo.co.jp/shinkan/shokai/217.html
12巻
円通大応国師語録(二巻)大燈国師語録(二巻)大覚禅師座禅論(一巻)の三部五巻を収む。大応・大燈二祖の語録は臨済門下の眼睛にして、禅宗の語録中宗旨を明むるに於いて、最も緊要なるものなり。大覚禅師座禅論は、わが国禅法流伝の最初に於いて撰述せられたものである。
国立国会図書館デジタルコレクション - 禅学向上録
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823195
高橋新吉全集, 第 3 巻 |
禅の法系図:
釈迦牟尼仏 B.C.463(or593)~
┃
(27代略)
┃
菩提達磨 ?~528年 祖師
┃
慧可大祖 487~593年
┃
僧璨(そうさん、生年不詳(推定500年~505年頃))禅宗の第三祖
┃
(2代略)
┃
慧能大観 638~713年 六祖
┏━━┳┻━━━━━━━━━━━━┓
青原行思 永嘉玄覚 南獄懐譲
┃ ┃
石頭希遷 馬祖道一 709~788年
┏━┻━┓ ┏━━┻━━━━━┓
┃ (中略) ┃ 南泉普願 748~834年
(以下略)┃ 百丈懐運 ┃
┃ ┣━━━━┓ 趙州従諗
龍潭 黄檗希運 潙山霊祐771~853年
┃ ┃ ┣━━━━━┓
徳山宣鑑780~865年 臨済義玄 香厳智閑 仰山
┃ ?~867年 ?~898年
雪峯 ┃
┣━━━━━━━┓ (12、3代略)
玄沙835~908年 雲門 ┃
廓庵禅師 12c?
(曹洞宗)(法眼宗) (雲門宗)(臨済宗) (潙仰宗)
(影山純夫『禅画を読む』126頁他参照)
禅の法系図:
釈迦牟尼仏 B.C.463(or593)~
┃
(27代略)
┃
菩提達磨 ?~528年 祖師
┃
慧可大祖 487~593年
┃
僧璨(そうさん、生年不詳(推定500年~505年頃))禅宗の第三祖
┃
(2代略)
┃
慧能大観 638~713年 六祖
┏━━┳┻━━━┓
青原行思 永嘉玄覚 南獄懐譲
┃ ┃
石頭希遷 馬祖道一 709~788年
┏━┻━┓ ┏━━┻━━━━━┓
┃ (中略) ┃ 南泉普願 748~834年
(以下略)┃ 百丈懐運 ┃
┃ ┣━━━━┓ 趙州従諗
龍潭 黄檗希運 潙山霊祐771~853年
┃ ┃ ┣━━━━━┳━━┓
徳山 臨済義玄 香厳智閑 仰山 *徳山宣鑑780~865年
* ?~867年 ?~898年 ┃
(以下略)┃ 雪峯
(12、3代略) ┣━━━━━━━━┓
┃ 玄沙835~908年 雲門
廓庵禅師 12c?
(曹洞宗) (臨済宗) (潙仰宗)(法眼宗) (雲門宗)
(影山純夫『禅画を読む』126頁他参照)
徳山宣鑑 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/徳山宣鑑
徳山 宣鑑(とくざん せんがん、780年 - 865年)は、中国唐代の禅僧。 俗姓は周氏、剣南(四川省)の出身である。
後、石頭宗の天皇道悟の法嗣である龍潭崇信に師事し、その嗣法となり、30年間にわたって、その門下で修禅した。その後、潙山霊祐らに参禅した。
(本来龍潭の系譜だが上の図では潙山霊祐の系譜に置いた。本来なら曹洞宗に近い。)
鎌倉仏教 | 地球環境問題情報2016
http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress014/宗教・社寺・寺院/鎌倉仏教/
http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress014/%E5%AE%97%E6%95%99%E3%83%BB%E7%
BE%E5%AF%BA%E3%83%BB%E5%AF%BA%E9%99%A2/%E9%8E%8C%E5%80%89%E4%
南浦紹明 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/南浦紹明老子『道徳経』(TaoDeChing - Lao Tze)
http://nam21.sakura.ne.jp/tao/#note25南浦紹明 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/南浦紹明幼くして故郷駿河国の建穂寺に学び、1249年(建長元年)鎌倉建長寺の蘭渓道隆に参禅した。1259年(正元元年)宋に渡って、虚堂智愚の法を継いだ。1267年(文永4年)日本に帰国して建長寺に戻り、その後は1270年(文永7年)筑前国興徳寺、1272年(文永9年)、博多崇福寺の住持をつとめた。1304年(嘉元2年)後宇多上皇の招きにより上洛し万寿寺に入る。1307年(徳治2年)鎌倉に戻り建長寺の住持となったが、1309年(延慶元年)に75歳で死去した。門下には宗峰妙超(大燈国師)、恭翁運良などがいる。
没後の延慶2年(1309年)、後宇多上皇から「円通大応」の国師号が贈られたが、これは日本における禅僧に対する国師号の最初である。南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」といい、現在、日本臨済宗はみなこの法系に属する。
大応―語録 (禅入門3) | 荒木 見悟 |本 | 通販 | Amazon 1994
https://www.amazon.co.jp/dp/4062502038/物有り天地に先だつ、本と相無く豈に名有らんや双眸も見ること能わず、両耳
を聴くに聲無し。強いて心と説き佛と言わば、空華眼裏(くうげげんり)
に生ず。非心非佛底、寂默にして自ら霊明。明眼の士看取せよ。法元色聲に非
ず、道何んぞ言句を仮らん。佛は群盲を誘わんと欲す、説々金口を弄す。満天満地
の荊、會中の龍象、法雷の聲を聴かんことを要す。語盡き情亡して後、這のー精
を知ることあらん。慧公言わく、佛法は人情に付す可からず。
禅への道 : 禅のことば 古田紹欽 現代教養文庫1965,171頁
There is a reality even prior to heaven and earth;
Indeed, it has no form, much less a name;
Eyes fail to see it; It has no voice for ears to detect;
To call it Mind or Buddha violates its nature,
For it then becomes like a visionary flower in the air;
It is not Mind, nor Buddha;
Absolutely quiet, and yet illuminating in a mysterious way,
It allows itself to be perceived only by the clear-eyed.
It is Dharma truly beyond form and sound;
It is Tao having nothing to do with words.
Wishing to entice the blind,
The Buddha has playfully let words escape his golden mouth;
Heaven and earth are ever since filled with entangling briars.
O my good worthy friends gathered here,
If you desire to listen to the thunderous voice of the Dharma,
Exhaust your words, empty your thoughts,
For then you may come to recognize this One Essence.
Says Hui the Brother, "The Buddha's Dharma
Is not to be given up to mere human sentiments."
物有り天地に先立つ、本(も)と相無く豈に名有らんや。
物有り天地に先だつ、本と
相無く豈に名有らんや双
眸も見ること能わず、両耳
を聴くに聲無し。強いて心
と説き佛と言わば、空華眼裏(くうげげんり)
に生ず。非心非佛底、寂
默にして自ら霊明。明眼の
士看取せよ。法元色聲に非
ず、道何んぞ言句を仮らん。
佛は群盲を誘わんと欲す、
説々金口を弄す。満天満地
の荊、會中の龍象、法雷の
聲を聴かんことを要す。語
盡き情亡して後、這のー精
を知ることあらん。慧公言
わく、佛法は人情に付す可からず。
禅への道 : 禅のことば 古田紹欽 現代教養文庫1965,171頁
Those who enter the gate of Buddhism should first of all cherish a firm faith in the dignity and respectability of monkhood, for it is the path leading them away from poverty and humbleness. Its dignity is that of the sonship of the Dharmaraja of the triple world; no princely dignity which extends only over a limited area of the earth compares with it. Its respectability is that of the fatherhood of all sentient beings; no parental respectability belonging Only to the head of a little family group equals it. When the monk finds himself in this position of dignity and respectability, living in the rock-cave of the Dharma where he enjoys the greatest happiness of a spiritual life, under the blissful protection of all the guardian gods of the Triple Treasure, is there any form of happiness that can surpass his?
The shaven head and the dyed garment are the noble symbols of Bodhisattvahood; the temple-buildings with all their ornamental fixtures are the honorific emblems of Buddhist virtue. They have nothing to do with mere decorative effects.
[1. Left to his disciples as his last words when he was about to pass away.]
That the monk, now taking on himself these forms of dignity and respectability, is the recipient of all kinds of offerings from his followers; that he is quietly allowed to pursue his study of the Truth, not troubling himself with worldly labours and occupations-this is indeed due to the loving thoughts of Buddhas and Fathers. If the monk fails in this life to cross the stream of birth-and-death, when does expect to requite all the kindly feelings bestowed upon him by his predecessors? We are ever liable as time goes on miss opportunities; let the monk, therefore, be always on e watch not to pass his days idly.
The one path leading up to the highest peak is the mysterious orthodox line of transmission established by Buddhas and Fathers, and to walk along this road is the essence of appreciating what they have done for us. When the monk fails to discipline himself along this road, he thereby departs from the dignity and respectability of monk-hood, laying himself down in the slums of poverty and misery. As I grow older I feel this to be my greatest regret, and, O monks, I have never been tired day and night of giving you strong admonitions on this point. Now, on the eve of my departure, my heart lingers with you, and my sincerest prayer is that you are never found lacking in the virtue of the monkish dignity and respectability, and that you ever be mindful of what properly belongs to monkhood. Pray, pray, 'be mindful of this, O monks!
This is the motherly advice of Nampo;[1] old monk-mendicant of Kencho Monastery.
大同国策のアドミニストレーション[1]
仏教の門に入る人はまず、君主の尊厳と尊厳を堅実に信じるべきです。なぜなら、仏教を貧困と謙虚さから救う道なのですから。その尊厳は、三重世界のダルマラジャの息子の尊厳です。地球の限られた地域だけに広がる尊厳は、それと比較されません。その優位性は、すべての知的な存在の父性のものです。親の尊重は属しません。僧侶が尊厳と尊厳のこの立場で自分を見つけたとき、トリプルトレジャーのすべての守護神たちの幸せな保護の下で、精神的な生活の最大の幸福を楽しむダルマの岩窟に住んでいるとき、そこには彼を上回る幸福の形?シェービングヘッドと染めた衣服はBodhisattvahoodの貴重なシンボルです。すべての装飾備品を備えた寺院の建物は、仏教の美徳の栄誉ある象徴です。彼らは単なる装飾効果とは関係がありません。[1。彼が去っていくときの最後の言葉として弟子たちに去った。]その僧侶は、今や、このような尊厳と尊厳の形を取っていることは、彼の信者からのあらゆる種類の奉仕の受け取りだということです。彼は静かに真実の研究を追求することが許され、世俗的労働と職業に悩まされることはありません。これは確かに仏陀や父親の愛情に満ちた考えによるものです。僧侶がこの世で生死の流れを越えることに失敗した場合、前任者が彼に与えた親切な気持ちをいつでも期待するのだろうか?私たちは時間が逃す機会になるにつれて責任を負います。だから、僧侶はいつも空っぽの日を過ごさないように注意してください。最高峰に至る道のりは、仏教徒や父親によって確立された神秘的な正統的な伝播線であり、この道を歩くことは、彼らが私たちのためにしたことを感謝する本質です。修道士がこの道に沿って自分自身を訓練することに失敗したとき、彼はそれによって僧侶の尊厳と尊厳から離れ、貧困と悲惨のスラム街に身を置く。私が年を重ねるにつれて、私はこれが私の最大の後悔であると感じています。そして、修道士たちは、あなたにこの点について強い示唆を与える昼も夜も飽きたことはありません。今、私の出発の前夜に、私の心はあなたと一緒に残っています、そして私の心からの祈りは、あなたが僧侶の尊厳と敬意を欠いていることが決して見つからないことと、祈って、祈って、「このことに気をつけて、僧侶よ!これはナンポの母親のアドバイスです。
[1]建長寺の僧侶です。
虚堂 智愚(きどう ちぐ、1185年 - 1269年)は、中国・南宋時代の禅僧。名は智愚、息耕(そくこう)・息耕叟と号し、俗姓は陳。象山の人。運庵普巌の法嗣、門下に霊石如芝、日本僧では南浦紹明らがいる。南浦紹明の弟子が大徳寺の開山・宗峰妙超であるが、大徳寺は茶道と縁が深く、茶道において宗峰の師としての虚堂の墨跡は鎌倉時代から特に重んじられた。その墨跡には張即之の書の影響が見られる。一休宗純は虚堂7世の孫にあたる。著に『虚堂和尚語録』(1269年刊)がある[3][16][31][125][126]。
国立国会図書館デジタルコレクション - 禅への道 : 禅のことば
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2968717
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禅への道 : 禅のことば
古田紹欽 現代教養文庫1965
目次・巻号
書誌情報
操作方法
目次・巻号
↓ 禅への道 : 禅のことば [125]
・ 禅への道-目次-
・ まえがき
・ 1 心について〈信心銘より〉/p9
・ 作者・内容/p9
・ 信心銘原文(抄)/p12
・ 心について/p13
・ 2 悟りについて〈証道歌より〉/p27
・ 作者・内容/p27
・ 証道歌原文(抄)/p30
・ 悟りについて/p31
・ 3 差別即ち平等について〈参同契より〉/p59
・ 作者・内容/p59
・ 参同契原文/p63
・ 差別即ち平等について/p64
・ 4 無について〈無門関より〉/p85
・ 作者・内容/p85
・ 無門関原文(抄)/p87
・ 無について/p88
・ 5 食事の心得について〈五観・三匙の偈より〉/p117
・ 作者・内容/p117
・ 五観・三匙の偈原文/p120
・ 食事の心得について/p121
・ 6 風性について〈正法眼蔵より〉/p143
・ 作者・内容/p143
・ 正法眼蔵原文(抄)/p150
・ 風性について/p151
・ 7 誡めについて〈大応国師禅誡より〉/p167
・ 作者・内容/p167
・ 大応国師禅誡原文/p171
・ 誡めについて/p172
・ 8 修行の心がまえについて〈大燈国師遺誡より〉/p191
・ 作者・内容/p191
・ 大燈国師遺誡原文/p194
・ 修行の心がまえについて/p195
・ 9 弟子について〈夢想国師遺誡より〉/p209
・ 作者・内容/p209
・ 夢想国師遺誡原文/p221
・ 弟子について/p222