1991年に起きた湾岸戦争は、日本の安全保障政策を語るうえで大きな転機となった。130億ドルもの財政支援を行ったにもかからず、国際社会から「汗を流さない国」と突き放されたことで、日本の国際貢献の在り方がさかんに議論されるようになったからだ。
1969年に日本教文社から刊行されときは『若きサムラヒのために』のタイトルだったが、現在は、文藝春秋から『若きサムライのために』と改題されて売られている
翌年の「PKO(国連平和維持活動)国会」は荒れに荒れ、当時の野党・社会党は「牛歩戦術」を繰り出すなど、本会議の採決を5泊6日で徹底抗戦。PKOへの参加は、自衛隊とは別組織の「文民」に限定するといった代案を出したものの、当時の与党・自民党は最終的に公明・民社の賛同を取り付け、数の論理で押し切るかたちで収まった。
このとき、にわかに再注目されたのが作家・三島由紀夫が提唱した「自衛隊二分論」だ。1969年に論壇誌『20世紀』4月号で発表したこの論文は、現憲法下の自衛隊員のうち、陸自の9割、海自の4割、空自の1割を「国土防衛軍」として残し、それ以外の隊員は「国連警察予備軍」の名の下、国連軍に派遣するというもの。かねてから、憲法第9条の2つの条項を「敗戦国日本の戦勝国への詫証文(わびしょうもん)」と揶揄し、一刻も早く憲法改正し自衛隊を正規軍に再編すべきと訴えていた三島にとって、この自衛隊二分論で語った「国連警察予備軍」は、あくまで日米安保に忠実な部隊として、憲法の枠組みのなかでも十分運用可能な“打開策”と考えていた節がある。
安保関連法案を巡っては、政府与党が来週中の衆院通過を目指すなか、ここにきて、維新の党と民主党が対案を提出するなどせわしなくなってきたが、果たして、46年前に三島が唱えた「自衛隊二分論」とは何だったのか?
三島が自決を遂げた1970年11月25日の盾の会事件を契機に創設され、戦後のアメリカ従属体制打破を目指している一水会代表・木村三浩氏が説明する。
「三島先生は『自衛隊二分論』を、京大名誉教授で防衛大学校の校長も務めた猪木正道さんとの対談(1969年7月に『若きサムラヒのための』に収録)でさらに深く掘り下げています。当時、世界は冷戦時代の真っ只中だったわけですが、日本の国内に目を向けると、70年安保の混沌と大阪万博の狂騒に浮かれている時代。防衛は国の最重要課題であり、これを抜きにして国家を語ることなどできないと考えていた三島先生は、敗戦後に不名誉な十字架を背負わされ、国の防人であるにもかかわらず、その存在そのものが憲法違反だ! と名誉を貶められ続けていた自衛隊員を慮っていた。だからこそ、その曖昧な存在意義を再定義させるうえで、侵略、ならびに間接的侵略があった際に、国内の治安を守る『国土防衛軍』と、国際的な要請に応えられる『国連警察予備軍』の2つの部隊に再編成することで、自衛隊員にもっとも必要な名誉と存在意義や価値を付与させようとしたのです」
現在、自衛隊員の身分は、あくまで「特別職の国家公務員」という肩書だが、この『国連警察予備軍』がPKOで派遣されるような場合、国連事務局における日本人職員に準ずる身分で参加させるという。この場合、派遣された隊員(国連職員)は兵力に当たらないので「武器使用」も「武力行使」も制限なく行える……という方法論のようだが、憲法改正ができなければ、核兵器を持つことはおろか、海外派兵すらままならないことへの忸怩たる思いから、三島なりに捻り出した苦肉の策とも言えるだろう。ただ当時、この自衛隊二分論は「一考の価値はあるものの、政治的な場で議論がなされるほどの盛り上がりには至らなかった」(木村氏)ともいう。木村氏が続ける。
「三島先生は、安全保障を祖国防衛の崇高な使命と考えており、一刻も早い自衛隊の『国軍化』を考えていた。だが、日本には憲法第9条という制約があるため、個別的自衛権の枠組みの中で『国土防衛軍』を運用する一方、国際的な要請があった際には、一部の自衛隊員を、あくまで国連職員として紛争地に派遣し、国連軍の指揮監督の下で活動に参加させるべきという結論に達したわけです。現在、国会で繰り広げられている安保法制関連法案の議論、特に『存立危機事態』を巡る与野党の攻防が続いていますが、実は、極めて基本的な論点がひとつ抜け落ちている。それは、自衛隊は軍隊ではないため軍法会議が存在しないという点です。軍事機密の保持という理由から、本来、軍法会議の審理はどこの国でも非公開で行われている。つまり、軍法会議もない今の状況で、安倍政権が想定している米軍との連携を行うとなると、任務不履行が起きたときに対応できない。なぜなら、日本では自衛隊員の裁判も原則公開となっているため、共同で任務に当たっている米軍の機密に触れることになり、裁判が成り立たない可能性が出てくる。隊員が敵前逃亡したときの罰則規定もないようでは、軍の規律が徹底しているとは言い難く、混乱を極める紛争地に派遣されてもリスクが大きくなるだけ。やはり、先に憲法改正を行った上で、自衛隊を国軍化する必要があるのです」
7月8日、維新の党は安保法案の対案を国会に提出した。「領域警備法案」については民主党との共同提出となったが、政府の「存立危機事態」に基づく集団的自衛権は認めず、日本を周辺で守る他国軍が武力攻撃を受けた場合、日本への攻撃と見なして自衛権行使ができるということが法案の柱となっている。
「維新の党が出した対案は、集団的自衛権は違憲という前提に立って、個別的自衛権の範囲内で米軍との連携を確保するというものだが、これも、三島先生が提起した自衛隊二分論に比べると単なる弥縫策にすぎず、強力な対案とはなっていない。そもそも今回の安保法制は、『有事の際、アメリカは日本を助けてくれるのに、アメリカに何かあったとき、日本にはそれができない』という日米安保条約の『片務性』を正したい安倍総理の思惑があってのもの。しかし、憲法の“最高呪縛”となっている日米安保そのものを見直すべき! という発想がなければ、政府案に対抗できる対案の意味がないわけです。集団的自衛権の行使を可能にさせるということは、日米安保条約を『変質』させるという意味であり、それがしたいなら、憲法61条の規定で国会の承認を経なければならない。こういった根本的な議論を置き去りにしているからなのでしょう……。国民に安保法制の議論が十分伝わっていないとのお批判の声があるのは、これからの日米安保の在り方そのものが今の国会で議論されていないからに他ならない」(木村氏)
野党が対案を提出したこともあり、安保法制の議論がより深まってほしいところだが、三島は、草葉の陰から何を思って見ているだろうか。 <取材・文・撮影/山崎 元(本誌)>
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