木曜日, 8月 04, 2016

ハイデガーとアリストテレス『自然学 』

            (リンク:::::::::

NAMs出版プロジェクト: ハイデガーとアリストテレス『自然学 』
http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/blog-post_4.html (本頁)
NAMs出版プロジェクト: M・ハイデガー:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/heidegger.html

NAMs出版プロジェクト: アリストテレスと四大元素:付リンク::::
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_1706.html
 ___アリストテレスの著作__________________
|形|             | |         オ   |
|而|『形而上学』       |論|『カテゴリー論』 ル   |
|上|             | |『命題論』    ガ   |
|学|             |理|『分析論前書』  ノ 道 |
|_|_____________| |『分析論後書』  ン=具 |
| |『自然学』運動、時間論他 |学|『トピカ』    所   |
| |   一部が『天について』| |『詭弁論駁論』  収   |
|自|「生成消滅論」      |_|_____________|
| |「気象論」        | |『ニコマコス倫理学』   |
| |_____________|実|『マグナ・モラリア』@  |
| |『動物誌』        | |『エウデモス倫理学』   |
|然|『動物部分論・動物運動論・|践|『美徳と悪徳について』  |
| | 動物進行論』      | |_____________|
| |『動物発生論』他     |哲|『アテナイ人の国制』   |
| |_____________| |『政治学』        |
|学|『霊魂論』        |学|『弁論術』        |
| |「夢について」      | |『詩学』         |
| |「呼吸について」他    | |             |
|_|_____________|_|_____________|
  (『イラスト西洋哲学史 上』127頁)
  @『マグナ・モラリア』=『大道徳学』

存在と時間 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%A8%E6%99%82%E9%96%93

『存在と時間』(そんざいとじかん、"Sein und Zeit"、1927年)は、ドイツ哲学者マルティン・ハイデッガーの主著。「ものが存在するとはどういうことか」というアリストテレス形而上学』以来の問題に挑んだ著作であるが、実際に出版された部分は序論に記された執筆計画全体の約3分の1にすぎない。『存在と時間』は実存主義構造主義ポスト構造主義などに影響を与えた。…

序論第2章8節「論証の構図」で明らかにされる『存在と時間』の全体的構成の概要はおおむね以下の通りである。

第1部 現存在の解釈と時間の解明
第1編 現存在の基礎分析
第2編 現存在と時間性
第3編 時間と存在
第2部 存在論の歴史の現象学的解体
第1編 カントの時間論について
第2編 デカルトの「我あり」と「思う」について
第3編 アリストテレスの時間論について
このうち、実際に書かれたのは第1部第2編までにすぎず、そこで論じられているのは現存在と時間性についてである。序論以降ハイデッガーが何度も言明している「存在一般についての問い」に関する考察が書かれるべき〈本論〉は第1部第3編「時間と存在」という、書名自体にも似た標題をもつ章であると考えられるが、そこでハイデッガーが何を書くつもりであったのか、なぜそこへ至る前に中断されてしまったのかは長いあいだ謎とされてきた。

ナトルプ報告 
ハイデッガー自身の証言などから、1923年には『存在と時間』の草稿が書かれていたことが知られていたが、その所在は長らく不明だった。同年にハイデッガーはフライブルク大学の非常勤講師からマールブルク大学への異動が決まっており、そのさいに現在執筆中の著書の概要をまとめたものを審査論文として提示するよう要求され、『アリストテレスの現象学的解釈──解釈学的状況の提示』と題した論考をパウル・ナトルプへ提出していた(通称「ナトルプ報告」)。この論考が『存在と時間』の初期草稿に当たるのではないかと推測する向きと、「アリストテレスの現象学的解釈」と『存在と時間』がいかなる関係をもつのか疑問視する向きとがあったが、この「ナトルプ報告」も行方不明となっていたため結論は出なかった。しかし1989年、マールブルク大学と同時期にやはりハイデッガーを招聘しようとしていたゲッティンゲン大学のゲオルク・ミッシュに提出した同内容の論考が発見され、その内容から「ナトルプ報告」が『存在と時間』の初期草稿であるとする推測の正しかったことが証明された。そこで明らかにされている本論はアリストテレスの読解を通した古代ギリシアから中世を経て近代に至る存在論、ひいては西洋哲学全体の読み直しであり、問題の第1部第3編「時間と存在」はこの歴史的考察の基盤となるものであること、また序論はその準備段階にすぎないものであること、したがって実際に刊行された『存在と時間』は長大に膨れ上がった序論が本論へたどりつく前に中断されたものであることなどが明らかになった[1]。

____

ついに日本語訳単行本化:ハイデガー『アリストテレスの現象学的解釈』1922、平凡社より : ウラゲツ☆ブログ
http://urag.exblog.jp/6819878/
a0018105_23423181.jpgアリストテレスの現象学的解釈――『存在と時間』への道

マルティン・ハイデガー:著 高田珠樹:訳
平凡社 08年2月 定価2,940円 46判上製カバー装232頁 ISBN978-4-582-70277-4

帯文より:『存在と時間』の原型となった若きハイデガーの幻の草稿「ナトルプ報告」、初の邦訳単行本化。「若きマルティン・ハイデガーの草稿、それも本人の偉大な活動の始まりを示す原稿が出てきたというのは、まことにひとつの事件というほかない。……このアリストテレス理解は真にひとつの革命を引き起こすことになった。アリストテレスが、われわれのいる場に立ち現われ、われわれに向かって本当に語り始めたのである」(ハンス=ゲオルク・ガダマー:本書より)。

底本:"Phänomenologische Interpretationen zu Aristoteles (Natorp-Brecht)", hrg. von Günther Neumann, Reclam, 2003. 

目次:
アリストテレスの現象学的解釈
 序にかえて
 解釈学的状況の提示
  『ニコマコス倫理学』第六巻
  『形而上学』第一巻の第一章と第二章
  『自然学』第一巻から第五巻
  〔第二部について、『形而上学』第七巻、第八巻、第九巻の解釈〕

ハイデガーの初期「神学」論文 (ハンス=ゲオルク・ガダマー)
編者あとがき (ギュンター・ノイマン)
付録『ナトルプ報告』の成立とその位置 (高田珠樹)
訳者あとがき

***
…「編者あとがき」や「付録」「訳者あとがき」を参照すると、本書の成立はおおよそ次のようになるかと思います。

新カント派の代表的哲学者の一人であるパウル・ナトルプの求めに応じて、マールブルク大学への就職のため自らの目下の研究内容を端的にまとめた「アリストテレス序論」、それが本書「ナトルプ報告」の名前の由来です。本稿は結局序論にとどまり、本編は執筆されませんでしたが、彼が試みた思索はやがて代表的著作『存在と時間』に結実します。その前哨地として長らく幻の草稿とされてきた「ナトルプ報告」が初めて公刊されたのは、ハイデガーの生誕百周年となる1989年でした。

高田珠樹さんによる初の日本語訳が発表されたのは、岩波書店の月刊誌「思想」813号(92年3月)でした。底本は89年に『ディルタイ年鑑』第6号に掲載されたいわゆる「ミッシュ・タイプ稿」です。「序論」はマールブルク大学に送付されると同時に、ゲッティンゲン大学のゲオルク・ミッシュのもとにも送られていたのでした。

「ナトルプ報告」には、ハイデガーの手元に残されていた、手書きの修正や加筆を含む「ハイデガー・タイプ稿」もあり、これが03年にレクラム文庫の元になっていて、ミッシュ稿との異同が注記されています。今回の単行本化においては、このレクラム文庫版を底本として改訳したとのことです。

本書に収録されたガダマーの論文の中で、彼は「ナトルプ報告」のインパクトをこう回想しています。「当時の読者にとって、このテクストの一文一文がどれほど新奇なものであったか、今日ではほとんど書きつくせそうにない。ハイデガー自身の面識を得て、彼から次第に何かを学ぶようになった後も、私は、その頃を思い出しては、ナトルプが、この大胆な思索の徒の語り口や文章に見られる伝統に逆らった一種独特の流儀にもかかわらず、その若き後学の天分を認めたのにはやはり敬服するほかないと密かに考えたものである」(111頁)。

かなり難解な著作であり、翻訳の苦労はつぶさに「訳者あとがき」に綴られています。「ナトルプ報告」は03年のレクラム版のあとに、05年にドイツ語版『ハイデガー全集』第62巻「存在論と論理学に関するアリストテレスの精選論文の現象学的解釈」に付録として収録されました。いずれは、創文社版『ハイデッガー全集』でも別訳が刊行されることになるのだろうと思います。創文社版では第62巻は、講義部門の初期フライブルク講義1919-1923のうち、1922年夏学期にあたり、邦訳題は「オントロギーと論理学に関するアリストテレスの精選諸論文の現象学的研究」と予告されています。 

____
 ハイデガーは、アリストテレスがプラトンが南イタリアのピタゴラス派の影響の下に出発したと記している点を強調して、プラトン哲学はギリシャにとって異質なもの、異国風なものであると述べている。

 ハイデガーがここで言いたいのは、いわゆるプレ・ソクラティカーたちのフィシス(自然)についての思索と、プラトンのイデア論から始まる「哲学」との間には決定的な断絶がある、ということである。

 ハイデガーによれば、プレ・ソクラティカーたちのフィシスとは、単なる物質的自然、死んだ自然ではなく、むしろ生成する自然、そして存在の根源そのものである。これに対して、プラトンが数学的な世界観(ピタゴラス主義)によって持ち込んだイデアという不変なるものは、存在そのもの(Sein)ではなく、あるものが「何であるか」という意味でのもの(Was-Sein)でしかなかった。この「本質-存在」に対置されるのが、現実に存在している物事としての「事実-存在」(Dass-Sein)である。プラトンが「本質-存在」を重視したのに対して、アリストテレスは「事実-存在」としての個体に注目した。これによって「形而上学」が始まったのだ、とハイデガーは言っている。

 しかし、ハイデガーは、プラトンはもとより、アリストテレスにも味方しない。なぜなら、「事実-存在」というものは、そもそも「本質-存在」と対になって現れたものであるにすぎないからである。むしろ、「本質-存在」と「事実-存在」という区別の根源にあるもの、その区別によって引き裂かれたもの、つまり「存在そのもの」としてのフィシスこそが重要なのだとハイデガーは考えるのである。その意味でハイデガーにとって、アリストテレスはプラトンよりもましだが、アリストテレスもプラトンとワン・セットなのであって、ここで形而上学が始まると同時に「存在そのもの」が隠蔽され、忘却されたのだとするのである。これがハイデガーの言う「存在忘却」の歴史の始まりである。

____

初期ハイデガーのピュシス論の射程(森秀樹)ⓒ Heidegger-Forum vol.2 2008

http://heideggerforum.main.jp/ej2data/shoki.pdf

…そもそも、「アリストテレス解釈」を超越論哲学として解釈することは、若きハイデガーの思想形成におけるアリストテレスの位置づけからしても、是認できない。それというのも、ハイデガーは、カント、リッカート、フッサールらの超越論哲学から強い影響を受けつつも、アリストテレス的傾向に依拠して、それを批判するというスタンスにおいて思想形成を行ってきたからである。まず、ハイデガーが存在の問いへと向かう契機となったとされるブレンターノの『アリストテレスによる存在者の多様な意義について』はアリストテレスのカテゴリー論をカテゴリーの生成論として解釈するものであった。そして、ハイデガーが一番最初に公表した哲学論文「現代哲学における実在生の問題」は、アリストテレス的実在論に依拠しつつ、当時のカント主義を批判したキュルペの批判的実在論を評価するものであった。また、ハイデガーの教授資格論文『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論』はラスクの思想の影響下にあるが、ラスクこそ、リッカート的観念論に対して、アリストテレスに依拠しつつ、素材の意義を唱えた人物であった。このように、様々な経路を経由してではあるが、ハイデガーの思想形成において、アリストテレスは、カントの超越論哲学の可能性の条件を規定する役割を果たしてきたことがわかる。…



ギリシア哲学に、「ノモス(nomos)」と「ピュシス(physis)」という概念がある。 「ノモス 」は、法律や制度や慣習や政治など「人為」的なものを、「ピュシス」は、あらゆる人為的 なものを超えた「自然」を表す言葉。

____

アリストテレスはその『範疇論』で、単語表現が意味するものとしては、

「実体」(例:人間、馬)
「量」(例:2ペーキュス、3ペーキュス)
「質」(例:白い、文法的)
「関係」(例:二倍、半分、より大きい)
「場所」(例:リュケイオン、市場)
「時」(例:昨日、昨年)
「体位」(例:横たわっている、坐っている)
「所持」(例:靴を履いている、武装している)
「能動」(例:切る、焼く)
「受動」(例:切られる、焼かれる)

のいずれかである、としている。

同じアリストテレス『形而上学』では上記のアリストテレスが『範疇論』で挙げられた
10のカテゴリーの二つは省略されている。

「実体」(例:人間、馬)
「質」(例:白い、文法的)
「量」(例:2ペーキュス、3ペーキュス)
「関係」(例:二倍、半分、より大きい)
「能動」(例:切る、焼く)
「受動」(例:切られる、焼かれる)
「場所」(例:リュケイオン、市場)
「時」(例:昨日、昨年)
[×「体位」(例:横たわっている、坐っている)]
[×「所持」(例:靴を履いている、武装している)]

形而上学と文法(カテゴリー=述語という定義は不変)は違うということだろう。

ハイデガーはアリストテレスの範疇論より形而上学を重視したから(ブレンターノは範疇論を重視し論じたが…)最初から8カテゴリーと
して認識していたかも知れない。 
カテゴリー論はカントがアップデイトしたとされるが、それより先に、より本質的革新としては 
アリストテレスをデカルト経由で昇華したスピノザを待たなければならなかった。
スピノザは実存(アリストテレス)と本質(プラトン)を同時に捉えた。

教授資格論文『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論(Die. Kategorien-und Bedeutungslehre des Duns Scotus )』1915においてはあくまで《ハイデガーの目的は、ドゥンス・スコトゥス(贋作)の「意義論」を考察するための準備工作として、「範疇論」を先ず取り上げて、検討を進めている》。

参考:
浅野論考

有馬論考


ブレンターノの学位論文「アリストテレスに於ける存在者の諸意味」、目次


以下アリストテレス形而上学5:7岩波文庫上174頁より
《それ自体においてある[または存在する]と言われるのは、まず述語[カテゴリー]の諸形態によってそう言われるものどもである。なぜなら、ものが云々である[または存在する]というのにも、それらがいろいろ異なる形態で述語されるだけそれだけ異なる多くの意味があるからである。けだし、述語となるものども[述語諸形態]のうち、その或るもの(1)はその述語のなにであるか[実体・本質]を、或るもの(2)はそれのどのようにあるか[性質]を、或るもの(3)はそれのどれだけあるか[量]を、或るもの(4)はそれが他のなにものかに対してどうあるか[関係]を、或るもの(5)はそれのすること[能動]または(6)されること[受動]を、或るもの(7)はそれのどこにあるか[場所]を、或るもの(8)はそれのいつあるか[時]を指し示すものであるが、あると言われるものにもこれらと同じだけ多くの意味があるからである。》

以下アリストテレス『カテゴリー論』第四章 より
 《どんな結合にもよらないで言われるものどものそれぞれが意味するのは、あるいは実体か、あるいは「なにかこれだけ」[量]か、あるいは「何かこれこれ様の」[質]か、あるいは「或るものとの関係において」[関係]か、あるいは「或るところで」[場所]か、あるいは「或る時に」[時]か、あるいは「位している」[体位]か、あるいは「持っている」[所持]か、あるいは「為す」[能動]か、あるいは「為される」[受動]かである。 
 しかし、実体というのは、大ざっぱに言って、例えば人間、馬。「何かこれだけ」は例えば二ペーキュス、三ペーキュス。「何かこれこれ様の」は例えば白い、文法的。「或るものとの関係において」は例えば二倍、半分、より大きい。「或るところで」は例えばリュケイオンにおいて、あるいは市場において。「或る時に」は例えば昨日、昨年。「位している」は例えば横たわっている、座っている。「持っている」は例えば靴をはいている、武装している。「為す」は例えば切る、焼く。「為される」は例えば切られる、焼かれる。 
 しかし上に挙げられたものどもは、それぞれがそれ自身としてただそれだけで言われることは、どんな肯定においても存しない、いや、これらのものどもの相互の結合によって肯定はできるのである。というのは肯定はそのすべてが真であるか、偽であるかと思われるのに、どんな結合にもよらないで言われるものどもの何ものも(例えば、人間、白い、走る、勝つ)、真でもなければ、偽でもないからである。 》


https://www.amazon.co.jp/dp/toc/4423196220
初期論文集 (ハイデッガー全集1) [単行本]1996 創文社
マルティン ハイデッガー (著), 
辻村 公一 (編集), 上妻 精 (編集), 茅野 良男 (編集), 大橋 良介 (編集), Martin Heidegger (原著), Hartmut Buchner (原著), Evelyn Lachner (原著), 岡村 信孝 (翻訳), ハルトムート ブフナー (翻訳), 丸山 徳次 (翻訳), エヴェリン ラフナー (翻訳)
目次 
現代哲学における実在性の問題 *
論理学に関する最近の諸研究
書評
序文―『初期論文集』(一九七二年)初版のための
心理学主義の判断論―論理学への批判的・積極的寄与
ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論 **
自薦の言葉
歴史科学における時間概念

《カントの主張に反して、範疇がなくても思考はなされる。》11頁

**
邦訳ハイデッガー全集1目次より
ドゥンス·スコトゥスの範疇論と意義論(一九一五年)
Die Kategorien-und  Bedeutungslehre des  Duns Scotus 
まえがき
序論 スコラ哲学の問題史的考察の必要性
第一部 範疇論〜意義論理解の体系的基礎づけ
 第一章 一〈Unum〉、数学的現実性と自然的現実性と形而上学的現実性
 第二章 真 〈V eru m〉、論理的現実性と心理的現実性
 第三章 言語形態と言語内実 意義領域
第二部 意義論
 第一章 意義と意義機能〜意義論の諸原理
 第二章 意義の形式論
      名詞
      代名詞
      動詞
      分詞
      副詞
      接続詞
      前置詞
      間投詞
結び 範疇問題

(範疇と言っても一と多、量にしか触れない。ライプニッツ的?)

カントはアリストテレスの10のカテゴリーから二次的と思われるものを切り捨てていった。カントからデカルトを通ってアリストテレスへ遡行するのがハイデガー存在と時間のプログラムだから、カントによって切り捨てられたカテゴリーをもう一度拾い上げるのはハイデガー研究においては適切な準備作業と言える。

もっと簡単に考えればいい
野球で攻守が変わるとき
能動受動が変わるというように
ハイデガーの独我論的構想力=時間論に
付き合う必要はない
文法に内在するだけなのだから
自意識に回収する必要もない

ただアリストテレスの存在論の現象学的読み直しは必然だった

『カントと形而上学の問題』より

第4版への前書き…
一九二七―二八年冬学期に行われた『カントの純粋理性批判』に関する講義を仕上げている間に、私は図式性の章に注目させられ、そしてその中にカテゴリーの問題すなわち伝承的形而上学の有の問題と時間の現象との間にひとつの連関を見出した。そこで『有と時』の問題提起は、カント解釈試論を先取するものとして関わりをもつことになった。カントの原文は、私によって提起された有の問いに対する代弁者をカントにおいて求める隠れ家となったのである。
 このような形で規定された隠れ家は、『純粋理性批判』は『有と時』当のところはカントの問いに対して、その問いを条件づけはするが、結果に導くことになった。6頁

第三五節 置かれた根拠の根源性と形而上学の問題
 カントの形而上学の根拠づけは、オントローギッシュな認識の本質統一の内的可能性の根拠を問うものである。その根拠づけが突き当たる根拠が超越論的構想力である。心性の二つの根拠源泉(感性と悟性)の端緒に対して、この構想力は中間能力として押し出されてくる。しかしこの置かれた根拠のより根源的な解釈は、この中間能力をたんに根源的に合一する中間者としてだけではなく、この中間者を二つの幹の根として開示した。
 このことによって二つの根本源泉の根源的な源泉根拠への途が開かれた。超越論的構想力を根として解釈すること、すなわち純粋綜合がいかにして二つの幹を自分から発生させそしてそれらを保持するかを開明することは、おのずからこの根を根づかせることの中へ、つまり根源的時間へと導いた。この根源的時間がはじめて、未来・過去および現在一般の根源的な三位一体的形成として、純粋綜合の「能力」、すなわち純粋綜合が可能にしうるもの、つまりそれらの統一において超越が形成されるオントローギツシュな認識の三要素の合一を可能にするのである。192頁
____

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11138642321
angelic_chakochanさん 2014/11/25 12:06:59
【100枚】アリストテレスの時間論はどんな内容なのか詳しく教えて下さい。

出来る限り分かりやすく教えて頂ければ幸いです。
回答数:1 閲覧数:375 お礼:知恵コイン100


ベストアンサー

fieskrlqrtlmnczairkさん 2014/11/25 13:49:35
アリストテレスの「自然学」第4巻、第11章「時間とは何であるか」で次のように言っています。

「時間は運動に対して、その性格において準じるからであり、運動における・より先とより後・はその存在主体からいえば運動そのものに他ならないが、しかし、その定義のされ方は別であって、運動と同じものではない。そしてわれわれが時間を識別するのは運動を、より先とより後の区別によって区分するときに他ならない。つまり時間とは、より先とより後の区別に基づくに他ならないからである。したがって時間は運動そのものではなく、数をもつ限りおいての運動なのである」岩波旧全集③別訳170頁参照219b

言っていることは、運動は連続しているけど、時間はその運動を、より先とより後に分割して、それを数えることだ、ということです。
アリストテレスは時間は出来事の前後関係、因果関係だと言っていることになります。
出来事のより先とより後を認識するための、一種の「枠組み」を時間と考えていた、ということ。

質問した人からのコメント2014/11/30 22:20:40
感謝 分かりやすくお答え頂きありがとうございました!

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  • 編集

自然学 (アリストテレス)

1837年オックスフォード版の第1ページ

自然学[1]』(Φυσικῆς ἀκροάσεως (physikēs akroaseōs)、Physica, Physicae AuscultationesPhysics)とは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスによる自然哲学の研究書である。

アリストテレスは、「万学の祖」と呼ばれ、様々な領域の研究を行った傑出した哲学者であり、自然学的な研究も数多く残しており、現代の天文学、生物学、気象学 等々等々に相当する領域でも研究業績を残している。この『自然学』はそうした自然学研究群の基礎を構成し、なおかつアリストテレス哲学の中でも重要な位置を占めている[2]

本書は全8巻で構成されており、第1巻から第2巻までは原理についての論述、第3巻では運動と無限なものについて、第4巻では場所、空間、時間について、第5巻から第8巻では運動と変化について考察されている。自然を研究する上でまず一般的な原理に基づきながら徐々に個別な対象を分析している。

目次

構成編集

全8巻から成る。

  • 第1巻 - 自然学の領域と原理の概説。全9章。
    • 第1章 - 自然学の対象と研究方法上の心得
    • 第2章 - 自然の「第一原理」の数や種類についての諸難問、自然的実在はエレア派が想定するような「一者」ではない
    • 第3章 - エレア派の論議に対する論理的検討
    • 第4章 - 原理についての自然学者たちの所見会とこれらに対する批判
    • 第5章 - 原理は反対のものどもである
    • 第6章 - 原理は数において二つまたは三つ
    • 第7章 - 生成過程の分析により著者の見解 --- 原理の数は二つ(質料形相)または三つ(質料と形相と欠除)であること --- の正しさが示される
    • 第8章 - この正しい見解によって原理についての諸難問が解決される
    • 第9章 - 「第一原理」(質料と形相と欠除)についての補説
  • 第2巻 - 自然学の対象と四原因。全9章。
    • 第1章 - 自然・自然的とは何か、自然と技術
    • 第2章 - 自然学の対象と「自然学研究者」の任務、彼らと「数学研究者」及び「第一哲学研究者」との相違
    • 第3章 - 転化の四原因、自体的原因と付帯的原因
    • 第4章 - 偶運と自己偶発、これらについての他の人々の見解
    • 第5章 - 偶運とか自己偶発とかは存在するか、またどのように存在するか、偶運の定義
    • 第6章 - 自己偶発と偶運の相違、これらは転化の自体的原因ではない
    • 第7章 - 自然学研究者はその四原因の全てから考察し把握せなばならない
    • 第8章 - 自然の合目的性、エンペドクレス等の機械的必然論への批判
    • 第9章 - 自然の世界における必然性の意義
  • 第3巻 - 運動無限。全8章。
      【運動について】
    • 第1章 - 運動の種類、運動の暫定的定義
    • 第2章 - この定義を確証するための補説
    • 第3章 - 動かすものと動かされるもの、それらの現実化、運動の定義
      【無限について】
    • 第4章 - 無限なものについての先人の諸見解、その存在を認める人々の説と彼らがそれを想定する理由、無限の諸義
    • 第5章 - 実体としての無限なものを認めるピュタゴラス派の説とその批判、無限な感覚的物体は存在しない
    • 第6章 - 無限なものは可能的に存在する、加えることによる無限と分割することによる無限、無限とは何か
    • 第7章 - 諸種の無限なもの、数における無限と量における無限、空間的な大きさ及び時間の長さに関する無限と運動の関係、無限は四原因のいずれに関するものか
    • 第8章 - 無限なものを現実的に存在するとする諸見解に対する批判
  • 第4巻 - 場所空虚時間。全14章。
      【場所について】
    • 第1章 - 場所の存否、それが何であるかについての諸難問
    • 第2章 - 場所とは何か、それはものの質料なのか形相なのか
    • 第3章 - 何ものかの内にあるということの諸義、ものはそのもの自らの内に存在するのか、場所は場所の内に存在するのか
    • 第4章 - 場所の本質についての4つの見解、場所の定義
    • 第5章 - この定義の補説、天界の外にこれを包む場所は存しない、第1章の諸難問に対する解答
      【空虚について】
    • 第6章 - 空虚についての他の人々の諸見解
    • 第7章 - 一般に「空虚」という語で何が考えられているか、空虚の存在を肯定する諸説への反論
    • 第8章 - 物体から離れて独立な空虚は存在しない、物体によって占められる空虚も存在しない
    • 第9章 - 空虚はいかなる物体の内部にも存在しない
      【時間について】
    • 第10章 - 時間の存否についての諸難問、時間についての種々の見解
    • 第11章 - 時間とは何か、時間と運動との関係、時間の定義、時間と「今」との関係
    • 第12章 - 時間の諸属性、ものごとが時間の内にあるということの諸義
    • 第13章 - 時間の過去・現在・未来と時間関係の諸語(いつか、やがて、先程、昔、突然など)の意味
    • 第14章 - 時間論補稿 --- 時間と意識との関係、時間と天体の円運動との関係など
  • 第5巻 - 諸運動の分類。全6章。
    • 第1章 - 運動・転化の研究のための予備的諸考察、転化とその分類
    • 第2章 - 運動の分類、動かされ得ないもの
    • 第3章 - 「一緒に」「離れて」「接触する」「中間に」「継続的」「接続的」「連続的」の意味
    • 第4章 - 運動が一つと言われる、その多くの意味
    • 第5章 - 運動の反対性
    • 第6章 - 運動と静止の反対性、「自然的」「反自然的」な運動と静止の反対性
  • 第6巻 - 分割転化移動静止。全10章。
    • 第1章 - 連続的なものは不可分なものから成ることはできず、常に可分的である
    • 第2章 - 前章の詳細
    • 第3章 - 「今」は不可分なものであり、どんなものも「今」においては運動も静止もしていない
    • 第4章 - 転化するものは全て可分的である、運動は時間と諸部分の運動とに関して可分的である、時間・運動・現に運動している状態・運動しているもの・運動の領域は全て同じように可分的である
    • 第5章 - 転化し終えたものは転化し終えたまさにその時には転化の終端の内にある、転化し終えるのは不可分な時としての「今」においてである、転化するものにも転化する時間にも最初というものが無い
    • 第6章 - 転化するものは転化の直接的な時間のどの部分においても転化している、転化しているものはより先に転化し終えたのであり転化し終えたものはより先に転化していた
    • 第7章 - 運動するもの、距離、時間の有限と無限
    • 第8章 - 停止の過程と静止について、運動するものがその運動の時間において静止しているあるものに対応していることは不可能である
    • 第9章 - ゼノンの運動否定論への論駁
    • 第10章 - 部分の無いものは運動し得ない、円環的な移動を除いて転化は無限でありえない
  • 第7巻 - 動者。全5章。
    • 第1章 - 動くものは全て何かによって動かされる、どんな他のものによっても動かされることのない第一の動かすものがある
    • 第2章 - 動かすものと動かされるものとは接触していなければならない
    • 第3章 - 性質の変化は全て感覚的諸性質に関する
    • 第4章 - 運動の速さについての比較
    • 第5章 - 力が重いものを動かす働きに関する原理
  • 第8巻 - 第一動者不動の動者)と宇宙。全10章。
    • 第1章 - 運動は常にあったし常にあるだろう
    • 第2章 - 前章に反対する見解への反駁
    • 第3章 - 時には運動し時には静止している事物がある
    • 第4章 - 動くものは全て何かによって動かされる、特に自然的に動くものについて
    • 第5章 - 第一の動かすものは他のものによって動かされるのではない、第一の動かすものは動かされ得ないものである
    • 第6章 - 第一の動かすものは永遠で一つである、それは付帯的にさえ動かされない、第一の動かされるものも永遠である
    • 第7章 - 移動が第一の運動である、移動以外のどんな運動・転化も連続的でない
    • 第8章 - 円運動のみが連続的で無限である
    • 第9章 - 円運動が第一の移動である、以上のことの若干の再確認
    • 第10章 - 第一の動かすものは部分も大きさも持たず宇宙の周辺にある

内容編集

各巻概略編集

【第1巻】 kinesis(キネーシス、“運動”[3])やmetabole(メタボーレ、変化)が可能であるためにはどのような原理が必要なのか、という問いが立てられる。そしてアリストテレス以前の哲学者たちの説が検討され、eidos(エイドス、形相)、steresis(ステレーシス欠如態、hylee(ヒュレー質料)の3つの原理が運動や変化を説明するのに必要でありかつ十分である、と述べる。

【第2巻】 ここでアリストテレスは自然学の対象と方法を規定する。まず自然物を「運動や静止の原理をそれ自体のうちにもつもの」と定義する。次に「〜のphysis」(「 〜のフュシス自然)」)という表現の意味を分析し、それは「〜のヒュレー質料)」と「〜のエイドス形相)」の2つの意味でありうるとし、エイドスのほうが優先されるべきだ、と述べる。そして、ヒュレーとエイドスからなるものとして自然物を研究するのが自然学だ、とする。

また原因という概念が分析される。原因の中でも基本的なものとして質料因、形相因、目的因、始動因の4つを挙げ(四原因説)、さらに、派生的なそれとして付帯原因、偶然などにも言及し、自然学というのは上記基本的原因のすべてを解明すべきだ、と述べる(なお、目的因を認めないような機械論的考え方には反対する)。

【第3巻、第4巻】 運動の概念と、それに関係する連続無限場所空虚時間等の概念について考察する。

【第5巻】kinesisに関する問題

【第6巻】連続性の問題(ゼノンのパラドックス など)

【第7巻】kinesisに関する問題

【第8巻】kinesisするものは何かによって動かされるという事実から、その何かを動かした何かを遡ってゆけば、不動の動者(全ての運動を引き起こした究極の原因で、それ自身は動かないもの)が存在する、と論証する。

_____

『新版 アリストテレス全集 全20巻+別巻』moreinfo 2014~
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/092771+/top2.html
1 カテゴリー論 命題論
言語に表現される存在の基本的区分を論じ,古来アリストテレス入門に使用された『カテゴリー論』,言明の意味論と言明相互の論理関係を分析する『命題論』を収める.

カテゴリー論  中畑正志
命題論  早瀬 篤(京都大学)☆

アリストテレス諸伝
ディオゲネス・ラエルティオス  近藤智彦(北海道大学)
ヘシュキオス  近藤智彦
サン・マルコ図書館所蔵写本  近藤智彦
プトレマイオス  高橋英海(東京大学)

編者総説
アリストテレスの生涯と著作  内山勝利
アリストテレス哲学案内  神崎 繁
歴史のなかのアリストテレス――テキストと思想の冒険  中畑正志


2 分析論前書 分析論後書
演繹的推論を考察する『前書』は形式論理学の誕生を告げる記念碑的著作.『後書』はその成果にもとづいて公理や論証などの知の方法と構造を解明する学問原論.

分析論前書  今井知正(東京大学)※ 河谷 淳(駒澤大学)
分析論後書  高橋久一郎(千葉大学)


3 トポス論 ソフィスト的論駁について
討論での特定の言明への賛否を論証する方法を論じた『トポス論』と,誤謬推論を系統的に述べた『ソフィスト的論駁について』は,アリストテレスの思想形成を考えるための重要資料.

トポス論  山口義久(大阪府立大学)
ソフィスト的論駁について  納富信留(慶應義塾大学)


4 自然学  内山勝利
自然の根本原理,運動変化,時間,場所,無限などの基礎的な概念を規定しつつ,生成変化を通じて永続する自然的世界という,その後の世界理解の基本枠組みを作り出した書物.


5 天界について 生成と消滅について
天界世界の永遠的円運動と四基本要素からなる月下世界の運動変化とを論じる『天界について』と,月下世界での生成消滅の基本原理を論じた『生成と消滅について』を収める.

天界について  山田道夫(神戸松蔭女子学院大学)
生成と消滅について  金山弥平(名古屋大学)


6 気象論 宇宙について
気象現象を含む物理的現象の考察と生物学的分析を橋渡しする注目すべき著作『気象論』と,偽作とされるがイスラーム圏と西欧中世に大きな影響を与えた『宇宙について』を収める.

気象論  三浦 要(金沢大学)
宇宙について  金澤 修(専修大学)☆


7 魂について 自然学小論集
心の哲学と心理学の不朽の古典『魂について』,記憶,想起,夢,睡眠などの心理現象についてのきわめて示唆に富む論集『自然学小論集』,他一篇を収める.

魂について  中畑正志
自然学小論集  坂下浩司(南山大学)
気息について  木原志乃(國學院大學)


8・9 動物誌(上・下)
数百もの動物の行動や生態についての観察や記録を収集整理して,それら動物種に固有の特性や種のあいだの差異を明らかにする,観察家アリストテレスの真骨頂を示す著作.

金子善彦(首都大学東京)/濱岡 剛(中央大学)/伊藤雅巳(中央大学)☆/金澤 修


10 動物論三篇
豊富な観察をふまえて,動物の器官の説明とそれに働く原因について考察するとともに,さまざまな動物の運動の具体的な分析を行う三つの著作を収める.

動物の諸部分について  濱岡 剛
動物の運動について  永井龍男(富山大学)
動物の進行について  永井龍男


11 動物の発生について  今井正浩(弘前大学)
動物の生長を素材因と運動因から巨視的に捉え,生殖から妊娠,発生・成長から遺伝にまで及ぶ諸現象を鋭利な観察力と洞察力によって学術的な議論にまとめ上げた書物.


12 小論考集
後代の作品とされるもので,自然学の周辺的なテーマに関する論考集.各篇はなお試論的なものにとどまっているが,ペリパトス派における研究の幅広さと重層的特色をよく示す.

色彩について  土橋茂樹(中央大学)
聴音について  土橋茂樹
観相学  土橋茂樹
植物について  土橋茂樹
異聞集  瀬口昌久(名古屋工業大学)
機械学  和泉ちえ(千葉大学)
分割不可能な線について  和泉ちえ
風の方位と名称について  村上正治(関西学院大学)☆
メリッソス,クセノパネス,ゴルギアスについて  村上正治


13 問題集
医学,気象,音楽など,自然と人事にわたるあらゆる領域から,奇問を含む約900の問いが集められ,それに解答が試みられる.古来引用されることの多い特異な書.

丸橋 裕(兵庫県立大学)/土屋睦廣(早稲田大学)☆/坂下浩司


14 形而上学  中畑正志
「ある」ということの最終的根拠は何か.そしてそれは神とどのように関わるのか.「第一の哲学」と呼ばれるアリストテレスの労多きスリリングな考察が展開される.


15 ニコマコス倫理学  神崎繁
「徳」というソクラテス・プラトン以来の考えを周到に組み立てなおし,現代の行為論や道徳心理学の発想の源泉ともなってきた,「人間的な事柄をめぐる哲学」の豊かな達成.



16 大道徳学 エウデモス倫理学
『ニコマコス倫理学』と比較しても独自の考察を展開し,近年あらためて注目を集めている『エウデモス倫理学』,その成立に諸論ある『大道徳学』,他一篇を収める.

大道徳学  新島龍美(九州大学)
エウデモス倫理学  荻野弘之(上智大学)
徳と悪徳について  荻野弘之


17 政治学 家政論
国家(ポリス)を作る社会的動物としての人間の諸相を分析し,あるべき国制を論じた『政治学』と,家(オイコス)のあり方と国家の財政を論じた『家政論』(第三巻は初訳)とを収める.

政治学  内山勝利
家政論  瀬口昌久


18 弁論術 詩学
説得の技術を弁論の構成や言語表現に即して論じた『弁論術』,叙事詩や悲劇を分析して西欧の美学芸術論に多大な影響を与えた『詩学』,他一篇を収める.

弁論術  堀尾耕一(青山学院大学)☆
アレクサンドロス宛の弁論術  野津 悌(国士舘大学)
詩学  朴 一功(大谷大学)


19 アテナイ人の国制 著作断片集1
国制の変遷を辿り当時の民主制度を記録した『アテナイ人の国制』.アテナイ以外の157の国制を記述した断片をも抜粋収録する(初訳).

アテナイ人の国制  橋場 弦(東京大学)
著作断片集1  國方栄二(大阪大学)☆


20 著作断片集2 付用語集
逸失した初期対話篇や哲学論考からの断片を収録.新たに初訳断片を多数追加する.さらに主要な用語について簡便な解説を加えた用語集を付す.

著作断片集2  國方栄二
アリストテレス用語集  [編集]中畑正志


別巻 総索引

6 Comments:

Blogger yoji said...


http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card57408.html

 ハイデガーは、アリストテレスがプラトンが南イタリアのピタゴラス派の影響の下に出発したと記している点を強調して、プラトン哲学はギリシャにとって異質なもの、異国風なものであると述べている。

 ハイデガーがここで言いたいのは、いわゆるプレ・ソクラティカーたちのフィシス(自然)についての思索と、プラトンのイデア論から始まる「哲学」との間には決定的な断絶がある、ということである。

 ハイデガーによれば、プレ・ソクラティカーたちのフィシスとは、単なる物質的自然、死んだ自然ではなく、むしろ生成する自然、そして存在の根源そのものである。これに対して、プラトンが数学的な世界観(ピタゴラス主義)によって持ち込んだイデアという不変なるものは、存在そのもの(Sein)ではなく、あるものが「何であるか」という意味でのもの(Was-Sein)でしかなかった。この「本質-存在」に対置されるのが、現実に存在している物事としての「事実-存在」(Dass-Sein)である。プラトンが「本質-存在」を重視したのに対して、アリストテレスは「事実-存在」としての個体に注目した。これによって「形而上学」が始まったのだ、とハイデガーは言っている。

 しかし、ハイデガーは、プラトンはもとより、アリストテレスにも味方しない。なぜなら、「事実-存在」というものは、そもそも「本質-存在」と対になって現れたものであるにすぎないからである。むしろ、「本質-存在」と「事実-存在」という区別の根源にあるもの、その区別によって引き裂かれたもの、つまり「存在そのもの」としてのフィシスこそが重要なのだとハイデガーは考えるのである。その意味でハイデガーにとって、アリストテレスはプラトンよりもましだが、アリストテレスもプラトンとワン・セットなのであって、ここで形而上学が始まると同時に「存在そのもの」が隠蔽され、忘却されたのだとするのである。これがハイデガーの言う「存在忘却」の歴史の始まりである。



対戦リストへ

→ プラトン

→ ハイデガー

7:29 午前  
Blogger yoji said...

範疇論 (アリストテレス) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%84%E7%96%87%E8%AB%96_(%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9)
編集このページをウォッチする
範疇論 (アリストテレス)
『範疇論』(はんちゅうろん、希: Κατηγορίαι、羅: Categoriae, 英: Categories)とは、アリストテレスの著作であり、『オルガノン』の中の一冊。『カテゴリー論』とも。

文字通り、様々な概念・言葉の「分類」について述べられている。

目次
題名 編集
本書の題名は、以下のように、古代の註釈家たちによって様々な名で呼ばれてきた[1]。「十のカテゴリー」といった呼称が散見されるのは、第4章にて10の分類が挙げられていることに因む。

『諸カテゴリーについて』
『十のカテゴリー』
『十のカテゴリーについて』
『十の類について』
『あるものの類について』
『諸カテゴリー、あるいは十の最も類的な類について』
『普遍的な言葉について』
構成 編集
15の章から成り、それらは内容上、

1章 - 後で用いられる「同名異義的」「同名同義的」「派生名的」が説明される
2-9章 - 本編
10-15章 - 「対立」「反対」「より先」「運動」「同時に」「持つ」といった詞が使われる色々な場合の区別
の3つに分けることができる[2]。

この内、「post-praedicamenta」と総称される3番目の10-15章は、アリストテレスの作でなく、後世の挿入(ただし、紀元前200年以前のわりと早い時期)ということが、定説となっている[3]。

内容 編集
第1章

同名異義的(ホモーニュモン、希: ὁμώνυμον (homonymon)) - 名称だけが共通で、本質的定義が異なるもの。(例:「動物」という名称で呼ばれる「人間」と「像」[4])
同名同義的(シュノーニュモン、希: συνώνυμον (synonymon)) - 名称も本質的義も同じもの。(例:「動物」という名称で呼ばれる「人間」と「牛」)
派生名的(パローニュモン、希: παρώνυμον (paronymon)) - 語尾変化によって生じたもの。(例:「文法学」(γραμματική)から「文法家」(γραμματικός)、「勇気」(ανδρεία)から「勇者」(ανδρείος))
第2章
表現方法には、

結合無し(単語)による表現 (例:「人間」「牛」「走る」「勝つ」)
結合(文)による表現 (例:「人間は走る」「人間は勝つ」)
の2種類がある。

概念の内、あるものは、

ある「基体[5]」(主語)についての述語になるが、いかなる「基体」(主語)の内にも無い。(例:「人間」は、「特定の人間」(基体)の述語となるが、どの「基体」の内にも無い)
ある「基体」(主語)についての述語にはならないが、「基体」(主語)の内にある。(例1:「特定の文法知識」は、「霊魂」(基体)の内にあるが、いかなる「基体」(主語)の述語にもならない、例2:「ある特定の白」は、「物体」(基体)の内にあるが、いかなる「基体」(主語)の述語にもならない)
ある「基体」(主語)についての述語になると共に、「基体」(主語)の内にある。(例:「知識」は、「霊魂」(基体)の内にあり、「文法的知識」(基体)の述語となる)
ある「基体」(主語)についての述語にならず、「基体」の内にも無い。(例:「特定の人間」「特定の馬」)
(なお、上記の話は要するに、

「ある「基体」の述語になるか否か」によって、「種・類」と「個」が、
「なんからの「基体」の内にあるか否か」によって、「実体」と「非実体」(性質・量)が、
それぞれ振り分けられ、その組み合わせで作られた4分類であり、分かりやすくまとめると、

「実体」のカテゴリーにおける「種・類」
「実体」以外のカテゴリーにおける「個」
「実体」以外のカテゴリーにおける「種・類」
「実体」のカテゴリーにおける「個」
ということになる[6]。)

第3章

「あるもの(A)が、基体(主語)としてのあるもの(B)についての述語となる関係にある」場合、その述語となるあるもの(A)について言われるものは、全て基体(B)に対してもあてはまる。(例:「特定の人間」(基体・主語、A)と「人間」(述語、B)の場合、「動物」は「人間」(述語、B)の述語となるので、「特定の人間」(基体・主語、A)の述語ともなる。)
「異なった「類」で、互いに他の下に配されない関係にある」場合、その「種差」も異なっている。(例:「動物」と「知識」の場合、「動物」の「種差」は、「陸棲的」「有翼的」「水棲的」「二足的」などによって表されるが、それらは「知識」の「種差」とはならない。)
第4章
単語表現が意味するものは、

「実体」(例:人間、馬)
「量」(例:2ペーキュス、3ペーキュス)
「質」(例:白い、文法的)
「関係」(例:二倍、半分、より大きい)
「場所」(例:リュケイオン、市場)
「時」(例:昨日、昨年)
「体位」(例:横たわっている、坐っている)
「所持」(例:靴を履いている、武装している)
「能動」(例:切る、焼く)
「受動」(例:切られる、焼かれる)
のいずれかである。

第5章
「実体」について。

「第一実体」 - (第2章の4) (例:「特定の人間」、「特定の馬」)
「第二実体」 - (第2章の1) (例:「人間」「馬」)
第6章
「量」について。

第7章
「関係」について。

第8章
「質」について。

第9章
「能動」「受動」について。

訳書 編集
『新版アリストテレス全集 1 』 中畑正志、早瀬篤訳 岩波書店 2013年
『アリストテレス全集 1 』 山本光雄、井上忠、加藤信朗訳 岩波書店 1971年
脚注・出典 編集
^ 『アリストテレス全集1』岩波書店 p152
^ 『アリストテレス全集』岩波書店 p153
^ 『アリストテレス全集』岩波書店 pp153-156
^ 「銅像」「偶像」「画像」の「像」。ギリシア語ではそれらも「ζῶον」(ゾーオン、動物)と呼ばれた。
^ 「ヒュポケイメノン」(ὑποκείμενον、hypokeimenon)。
^ 『アリストテレス全集1』岩波書店 p61
関連項目 編集
オルガノン
カテゴリー

7:31 午前  
Blogger yoji said...

初期ハイデガーのピュシス論の射程(森秀樹)ⓒ Heidegger-Forum vol.2 2008

http://heideggerforum.main.jp/ej2data/shoki.pdf


。そもそも、「アリストテレス解釈」を超越論哲学として解釈することは、若きハイデガーの思想形成におけるアリストテレスの位置づけからしても、是認できない。それというのも、ハイデガーは、カント、リッカート、フッサールらの超越論哲学から強い影響を受けつつも、アリストテレス的傾向に依拠して、それを批判するというスタンスにおいて思想形成を行ってきたからである。まず、ハイデガーが存在の問いへと向かう契機となったとされるブレンターノの『アリストテレスによる存在者の多様な意義について』はアリストテレスのカテゴリー論をカテゴリーの生成論として解釈するものであった。そして、ハイデガーが一番最初に公表した哲学論文「現代哲学における実在生の問題」は、アリストテレス的実在論に依拠しつつ、当時のカント主義を批判したキュルペの批判的実在論を評価するものであった。また、ハイデガーの教授資格論文『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論』はラスクの思想の影響下にあるが、ラスクこそ、リッカート的観念論に対して、アリストテレスに依拠しつつ、素材の意義を唱えた人物であった。このように、様々な経路を経由してではあるが、ハイデガーの思想形成において、アリストテレスは、カントの超越論哲学の可能性の条件を規定する役割を果たしてきたことがわかる。だとすれば、「ア

7:49 午前  
Blogger yoji said...

初期論文集 (ハイデッガー全集) | マルティン ハイデッガー, 辻村 公一, 上妻 精, 茅野 良男, 大橋 良介, Martin Heidegger, Hartmut Buchner, Evelyn Lachner, 岡村 信孝, ハルトムート ブフナー, 丸山 徳次, エヴェリン ラフナー | 本 | Amazon.co.jp
https://www.amazon.co.jp/dp/toc/4423196220

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初期論文集 (ハイデッガー全集)

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初期論文集 (ハイデッガー全集) [単行本]
マルティン ハイデッガー (著), 辻村 公一 (編集), 上妻 精 (編集), 茅野 良男 (編集), 大橋 良介 (編集), Martin Heidegger (原著), Hartmut Buchner (原著), Evelyn Lachner (原著), 岡村 信孝 (翻訳), ハルトムート ブフナー (翻訳), 丸山 徳次 (翻訳), エヴェリン ラフナー (翻訳)
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目次
現代哲学における実在性の問題
論理学に関する最近の諸研究
書評
序文―『初期論文集』(一九七二年)初版のための
心理学主義の判断論―論理学への批判的・積極的寄与
ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論
自薦の言葉
歴史科学における時間概念

8:02 午後  
Blogger yoji said...


http://gen-kou.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a413.html
ブレンターノの学位論文「アリストテレスに於ける存在者の諸意味」、目次

フランツ・ブレンタノ著『アリストテレスの存在論』、岩崎勉訳、理想社、1933年、初版。

第一章 存在者と云ふことは同名異義語である。その多様なる意味は、偶然的存在者と、真としての存在者と、諸範疇の存在者と、可能的並びに現実的存在者と、の四つの区別の下に従属する。

第二章 偶然的存在者に就いて。

第三章 真としての存在者に就いて。

一 真と誤とに就いて。
二 真としての存在者と誤としての非存在者とに就いて。


第四章 可能的並びに現実的存在者に就いて。

一 この存在者の意味の規定。
二 可能態及び現実態の両状態の結合。


第五章 範疇の諸形式に従つての存在者に就いて。

一 緒論的叙述。範疇はアリストテレスに依つて一定数のものが挙げられてゐる。アリストテレスの範疇に就いての近代解説者達の種々なる解釈。
二 範疇は実在的概念である。
三 範疇は存在者の種々な類推的なる諸意味である。その類推の詳細なる規定。
四 範疇は存在者の最高の諸類である。
五 範疇は第一実体の最高の諸賓辞である。
六 範疇分類の原理。
七 範疇の数と相違とは叙述の様式の数と相異とに対応する。
八 範疇分類と、定義、特有性、類、偶有性への賓辞の分類との原理的なる相異。斯かる分類の原理と演繹。
九 範疇は概念的に異なるものでなければならぬ。
一〇 範疇の相異は必ずしも実在的なる相異ではない。
一一 何故実在的なる自体的存在者のいづれもが必ずしも直接に一つの範疇に属するものでないか。
一二 範疇分類の演繹の可能。
一三 範疇分類の演繹。アリストテレスの著述の中に見られる斯かる演繹の痕跡。
一四 この推理式に依る確信は古来近代に於いて数多のアリストテレス解説者に依つて同じ様にして展開せられた。——アンモニウスとダビッド。——(似而非–)アウグスチヌスとイシオドルス・ヒスパレンシス。——トーマス・アクィナス。——プラントゥル。——トレンデレンブルク。——ツェラー。
一五 アリストテレスの範疇と、名詞、形容詞、動詞、副詞の文法的区別との間の一致。
一六 アリストテレスの範疇分類に対する諸方面よりの非難への回答。(一)原理の欠如に関して。(二)原理の外面的なることに関して。(三)何故範疇の根元を事物の四原因のうちに求むべきでないか。(四)分類の継続の欠如に関して。(五)一範疇のうちに於ける同義性の欠如に関して。(六—七)a—f、下属する諸事物に於ける混乱に関して。即ち性質と分量、能動と受動、何処と分量等、分量と関係、能動と受動と関係、その類が関係に属すべき諸性質。(八)同等的権利づけの欠如に関して。(九)a、過剰なる枚挙及び下属的なるものの同格視に関して。b、完全性の欠陥に関して。結合。——形而上学の最も本来の対象は実体である。


(ギリシャ語表記は省略した。漢字表記は新字体で表記した)

9:20 午前  
Blogger yoji said...

http://www.marx2016.com/daiititetugaku.html
《それ自体においてある[または存在する]と言われるのは、まず述語[カテゴリー]の諸形態によってそう言われるものどもである。なぜなら、ものが云々である[または存在する]というのにも、それらがいろいろ異なる形態で述語されるだけそれだけ異なる多くの意味があるからである。けだし、述語となるものども[述語諸形態]のうち、その或るもの(1)はその述語のなにであるか[実体・本質]を、或るもの(2)はそれのどのようにあるか[性質]を、或るもの(3)はそれのどれだけあるか[量]を、或るもの(4)はそれが他のなにものかに対してどうあるか[関係]を、或るもの(5)はそれのすること[能動]または(6)されること[受動]を、或るもの(7)はそれのどこにあるか[場所]を、或るもの(8)はそれのいつあるか[時]を指し示すものであるが、あると言われるものにもこれらと同じだけ多くの意味があるからである。》
アリストテレス形而上学5:7岩波文庫上174頁

6:56 午後  

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