火曜日, 1月 17, 2012

ニーチェ:メモ

                (ニーチェ:インデックスリンク::::::
、→作曲者ニーチェhttp://yojiseki.exblog.jp/i21/
参考:
弁証法の優先権(デューリング)
https://nam-students.blogspot.com/2013/04/blog-post_3.html





上の写真は、1881年8月、ニーチェが永劫回帰を思いついて立ち止まった場所だそうです(清水真木『ニーチェ』p97より)。

<根本概念「永劫回帰思想」は、これまで達することのできなかった至高の肯定である。この考えがひらめいたのは、1881年の8月のことであった。わたしは1 枚の紙切れに、大急ぎでメモをとり、追記として「人間と時間とを超えて横たわる六千フィート」と書いた。その日わたしは、シルヴァプラーナ湖のそばの林を散歩していた。わたしはスルライ村からさほど離れていない大きなピラミッド型をした岩のそばで立ち止まった。まさにそのとき、この考えがひらめいたのであった。>
(『この人を見よ』より 参考:http://blog.tane1q.com/?eid=536744)

ちなみに、永劫回帰を思いついた直前、ニーチェはスピノザを発見しています。
ニーチェとスピノザに関しては、(すぐにニーチェがスピノザの理性主義に反発して決別するので無理もないですが)入門書ではほとんど語られないが最重要項目だと思います。
(それでも講談社学術文庫『ニーチェ』(山崎庸佑)、中公新書『ニーチェ』(藤田健治)は少しスピノザに言及していますが。)

1881年(7月30日=永劫回帰発見の直前)のニーチェのスピノザ評は以下です。

<僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ。僕には先駆者がいたんだ、なんという先駆者だろう。
僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザを(読んで)認めるまで。………彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿を見た。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近いのだ。
………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を苦しくさせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、すくなくとも(スピノザを読んだ)いまは、二人連れの孤独になったんだ——不思議だね!>
(ニーチェ。1881年7月30日、オーヴァーベック宛て書簡、ちくま学芸文庫『ニーチェ全集』別巻一、p500参照)

スピノザとニーチェには、神への愛と運命への愛、コナトゥスと力への意志、隠者=ツァラツストゥラといった相似点,論点が見出せます。
以下、ヨベル『異端の系譜』(p460)より。

<おそらくは両者の印象的な「二人の孤独」のゆえに、スピノザの姿は絶えずニーチェにつきまとっていた。
「隠者よ、私はあなたの正体を見抜いた[すなわち、仮面を剥ぎ取った]だろうか」
彼は実際に正体を見抜いたのだろうか。
と、「スピノザに」という詩のなかで彼は問いかけている。

「一者こそすべて」に愛の面ざしを向け
<神への愛>に酔い、知のもたらす至福に浸るーー
さあ、靴を脱げ! これは至純の聖なる土地なのだからーー
ーーしかし、この愛の下には秘かに、焼き尽くす、
復讐の炎が燃えさかっていた、
ユダヤ人の憎悪によって焼き尽くされたユダヤの神…
隠者よ! 私はあなたの正体を見抜いただろうか?

      (ニーチェ貢作集[ライプチヒ、クレーナ一社]第八巻、三六九頁
[邦訳、ニーチェ全詩集、人文書院、二二七頁]、英訳は引用者による)

スピノザについてのニーチェの評言のいくつかは、彼自身にも同じように当てはまるだろう。「病気の隠者」とニーチェはスピノザのことを呼び、詮索好きな俗世間から自分の最も個人的な哲学を隠すために「仮の衣装」(彼の幾何学的方法)を身につけていた「内気」で「傷つきやすい」人間、とスピノザを評している。比喩の方向を変えて、ニーチェはまたスピノザの仮面を「貞操帯」とも呼び、彼の個人的な哲学を「一人の処女」と称している。性的なほのめかしは再び、この二人の独身哲学者(これはニーチェが他のところで強調している類似点である)の双方に当てはまるのであって、それは「隠者」という言葉にさらに多くの光を投じている。>

___________________

永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツによる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357、講談社学術文庫『ニーチェ』山崎庸佑p338参照)。

アガンベンやカウルバッハがしたようにライプニッツの先見性が見直されるべきだろう。

参考:
http://d.hatena.ne.jp/m-takeda/20060914/p1

『バートルビー 偶然性について
<つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』の無神論的な変種でしかない。それは、ピラミッドの一部屋一部屋のなかには起こったことの繰り返しだけをつねに見て、そのことによってのみ、現実の世界と可能世界のあいだの差異を抹消して世界に潜勢力を回復する。ニーチェの決定的な経験を、はじめて、それもほとんど同じ用語を用いて定式化したのがまさにライプニッツだということも偶然ではない。「人類が、現在ある状態に充分に長く持続すれば、個人の生までもが些末な細部に至るまで同じ状態であらためて起こるという瞬間が必ずや到来するだろう。私自身も、このハノーファーという名の都市にいて、ライネ河の河岸でブラウンシュヴァイクの歴史の研究に取り組み、同じ友人たちに同じ意味の手紙を書いているところだろう」。

 筆生バートルビーが、筆写を放棄することを決心する瞬間まで固執しているのがこの解決法である。ベンヤミンは、永遠回帰を居残りの罰課Strafe des Nachsitzens、怠慢な生徒に教師が課す、同じ文章を何度も筆写させる罰課に喩えたことがあるが、そのときベンヤミンは筆写と永遠回帰とのあいだにある内密の照応関係を発見している。(「永遠回帰とは、宇宙に投影された筆写である。人間は、自分のテクストを終わりなく反復して筆写しなければならない」。)かつてあったことの無限の反復は、存在しないことができるという潜勢力を完全に放棄している。その執拗な筆写にあっては、アリストテレスの偶然的なものにおけるのと同じように、「非の潜勢力という状態にあるものが何もなくなる」のだ。潜勢力への意志とは、じつは意志への意志であり、永遠に反復される現勢力であり、反復されることでのみ潜勢力を回復される現勢力なのだ。筆生が筆写をやめ、「筆写を放棄」しなければならないのはそのためである。p77-78>


(アガンベンにはさらにライプニッツの論理学的「ピラミッド」への批判がある。
http://takakuwa.at.infoseek.co.jp/texts/fff.html#27
<[...] ライプニッツは次のように想像する. デルポイの神託でアポロンはセクストゥス・タルクィニウスに対して, ローマ王になれば不幸に見舞われるだろうと告げたが, この応えに満足しなかった彼はドドネのユピテルの神殿におもむき, 自分を悪人へと運命づけた神を責め, その運命を変えてほしいと, あるいはせめて間違いを認めてほしいと言う. ユピテルがこの頼みを拒絶し, ローマをあきらめるようにあらためて言うと, セクストゥスは神殿を退出して, 自分の運命に身をまかせてしまう. しかし, この光景に立ちあっていたドドネの司祭テオドロスが, この件についてさらに知りたいと思う. 彼はユピテルの勧めにしたがってアテナイのパラス神殿におもむき, そこで深い眠りに落ち, 夢のなかで見知らぬ国に運ばれていった. そこで女神パラスが見せてくれたのが〈運命の宮殿〉である. それは輝く頂上のある巨大なピラミッドで, その基礎は無限に下に続いている. 宮殿の部屋は無数にあり, そのそれぞれがセクストゥスの可能な運命のそれぞれを表している. それぞれの可能な, だが現実のものとはならなかった世界がそのそれぞれに対応する. その一室にテオドロスは, セクストゥスが神に説得されて神殿から出てくるところを見る. そこでは, セクストゥスはコリントスに行き, 小さな庭を買っている. 庭を耕すうちに彼は財宝を発見する. 彼は誰からも愛され重きを置かれて, そこで, 老年まで幸福に暮らす. また別の部屋を見ると, セクストゥスはトラキアにいて, そこで王の娘と結婚して王座を継承し, 民衆に敬慕される幸福な主権者になっている. また別の部屋を見ると, 彼が送っているのは平凡な人生だが, 苦痛はない. このようにして, 部屋から部屋へ, ある可能な運命から別の可能な運命へと続いている.「部屋はピラミッド状になっていた. 頂上に向かうにつれて部屋は美しくなり, それはより美しい世界を表していた. そしてついに, ピラミッドの終わりの, 最上階の部屋にたどりついた. それはあらゆる部屋のなかで最も輝かしい部屋だった. というのも, ピラミッドには始まりはあったが, 終わりは見えなかったからだ. つまり, ピラミッドには頂上はあったが, 基礎はまったくなかった. 下は限りなく大きくなっていたからだ. それは, 女神の説明によれば, 無限にある可能世界のなかには, 最善の世界が1つあるからであり, さもなければ, 神は世界を創造しようと決定することもなかっただろうというのだ. だが, 自分より完成度の劣る世界をもたない世界は1つもない. ピラミッドが終わりなく下に向かって続いているのはそのためである. その最上階の部屋に入ると, テオドロスは恍惚に我を忘れた [...]. 我々は真の現実の世界にあり, おまえたちは今, 幸福の源そのものにある, と女神は言った. これが, おまえたちが忠実に仕えるならユピテルが用意してくれるものだ. そしてこちらが今あるセクストゥス, 現実のこれからのセクストゥスである. 彼はすっかり怒って神殿を退出し, 神々の助言を軽んじている. 見よ, セクストゥスがローマに行き, いたるところで混乱の種をまき, 友人の妻を犯している. ほら, 父とともに追放され, 戦に敗れて不幸になっている. もし, ここでユピテルが, コリントスにいる幸福なセクストゥス, トラキアで王となっているセクストゥスを選んでいたなら, このような世界にはならなかったであろう. だが, 彼はこの世界を選ぶより他はなかった. この世界は他のあらゆる世界を超えて完璧な, ピラミッドの頂点を占める世界なのだ」>

http://essentia.exblog.jp/2934781/フリードリヒ・カウルバッハFriedrich Kaulbach『ニーチェにおけるモナドロギー』
<普遍的存在と個体的存在の関係について、ニーチェとライプニッツのバランス感覚は驚くほど良く似ています。ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』などを読むと、「スピノザがドイツ観念論の王様だ」ということになるのですが、ニーチェにおける「普遍的存在と個体的存在との構造関係」はライプニッツなのです。ニーチェの哲学において、ニーチェやキリストやソクラテスのような個人一人一人は、決して「没個性」の存在ではなく、個として輝かしい光を放ちうる存在です。それは「個という名のモナドであり、形而上学的点である」と評されて、全く問題ありません。

もちろん、『弁神論』を著して神の存在を擁護し、予定調和を説くライプニッツは、ニーチェから「背後世界論者」として批判されます。つまり、「世界の意味付け」の段階で、ニーチェとライプニッツは乖離するのです。「世界の構造」に関しては、ニーチェは驚くほどライプニッツ的だと思います。>


ただし、先に示したようにニーチェはライプニッツに関しては自覚的だったと見ていい。
ハイデッガーが強調するように(ハイデガー『ニーチェ』第三巻では最後にライプニッツの24命題が引用される)論理学的な認識の果に、論理学を否定、逸脱する力をそこにみるべきなのだろう。
個人的にはヘーゲル経由でスピノザが誤解されていることが多いので、ライプニッツよりもスピノザの影響を強調したい。なぜならニーチェの永劫回帰はライプニッツ経由の論理学的なものというよりはスピノザの無限理解に基づいたより数学的なものだからだ(スピノザの「神への(知的な)愛」は幾何学に基礎を持っていた)。

ニーチェをカントの批判の延長と考えた(ニーチェの仮想敵はカントであるのは間違いない)ドゥルーズもスピノザとニーチェに言及しながらそのことを強調しているように思えるが、柄谷行人の方が明確にスピノザの無限に関して書いているので(『探究2』)今後のニーチェ読解により有効だと思う。

(ドゥルーズの批判を援用し、ニーチェが様態による逆転を目指し、想像力を擁護することを協調するならばニーチェはネグリあたりと近いということになる。)

また、ニーチェの歴史的なものに対する戦いは、題材は違っていても、スピノザの『神学政治論』にその理想的な形を見出せると思う。

______________________

シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書にはニーチェの書き込みが残っているのだ。

ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)における記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として描いている点が(同p195)スピノザよりもライプニッツに近いかも知れない。

以下、邦訳シュタイナー『ニーチェ』(p198-199)より(ドイツ語原文は以下のサイトから追加した。http://www.archive.org/stream/cursusderphiloso00dhuoft/cursusderphiloso00dhuoft_djvu.txt,pp.84-85))。

<デューリングはこう述べている(引用者注:原著84頁にあるという)、『したがって意識を有するすべての生命のより深い理論的根底として、言葉のもっとも厳密な意味における、被造物の無窮性が要求される。つねに新しい形態を送り出すこの無限性の存立は、それ自体可能であろうか? 物質の粒子の数やエネルギーの総量が考慮されると、空間と時間という恒常的媒介が無制限のヴァリエイションを保証せぬかぎり、粒子連関結合の無限反復は不可能となるだろう。有限数の存在からはやはり有限数の結合しか生じえないのだ。しかし本質との矛盾を来すことなく、たしかに有限数の存在ではないと想像されうるような存在があるとすれば、その存在からは、無制限の多様性を持つ状態や連関が生じうるにちがいない。そうなると我々が宇宙の形成の摂理のために要求しているこのの無限性は、どんな変化をLも可能にし、一定期間ほぼ不変の状態を出現させたり、あるいは完全な自己同一性をすら可能にするだろう。ーーもっとも、すべての変化が停止することだけは不可能であるが。この無限性を有する原初状態に対応した存在の、表象を得んとする者が反省すべきことは、時間的展開の真の方向性がただ一つしか存在しないということと、因果も同様この方向に沿って生じているということである。相異を曖昧にすることの方が、明確にとらえることより易しいものである。相異による間隙を跳び越えて、結末を発端からの類推によって想像することはたやすいことである。しかし我々はそのような浅薄な短絡は慎もうでほないか。なぜなら宇宙の中にいったん生じた存在は、どれも同じ取るに足らぬ日常茶飯事などではなく、我々がそこから帰納や予測を行う、唯一無二の確実かつ明白な根拠であるのだから(後略)("Der tiefere logische Grund alles bewussten Lebens fordert daher im strengsten Sinne des Worts eine ünerschöpflichkeit der Gebilde. Ist diese Unendlichkeit, vermöge deren immer neue Formen hervorgetrieben werden, an sich möglich? Die blosse Zahl der materiellen Theile und Kraftelemente würde an sich die unendliche Häufung der Combinationen ausschliessen , wenn nicht das stetige Medium des Raumes und der Zeit eine Unbeschränktheit der Variationen verbürgte. Aus dem, was zählbar ist, Tiann auch nur eine erschöpfbare Anzahl von Combinationen folgen. Aus dem aber, was seinem Wesen nach ohne Widerspruch gar nicht als etwas Zählbares concipirt werden darf, muss auch die unbeschränkte Mannichfaltigkeit der Lagen und Beziehungen hervorgehen können. Diese Unbeschränktheit, die wir für das Schicksal der Gestaltungen des Universums in Anspruch nehmen, ist nun mit jeder Wandlung und selbst mit dem Eintreten eines Intervalls der annähernden Beharrung oder der vollständigen Sichselbstgleichheit, aber nicht mit dem Aufhören alles Wandels verträglich. Wer die Vorstellung von einem Sein cultiviren möchte, welches dem Ursprungszustande entspricht, sei daran erinnert, dass die zeitliche Entwicklung nur eine einzige reale Richtung hat, und dass die Causalität ebenfalls dieser Richtung gemäss ist. Es ist leichter, die Unterschiede zu verwischen, als sie festzuhalten, und es kostet daher wenig Mühe, mit Hinwegsetzung über die Kluft das Ende nach Analogie des Anfangs zu imaginiren. Hüten wir uns jedoch vor solchen oberflächlichen Voreiligkeiten; denn die einmal gegebene Existenz des Universums ist keine gleichgültige Episode zwischen zwei Zuständen der Nacht, sondern der einzige feste und lichte Grund, von dem aus wir unsere Rückschlüsse und Vorwegnahmen bewerkstelligen. "』。デューリングは、状態の永続的反復は人生にとって何の魅力もないと考えている。彼はこう述べているのだ。『生に魅力が必要であるという原則は、同一形態の永遠の反復とは相容れないことがこれで自明のこととなった("Nun versteht es sich von selbst, dass die Principien des Lebensreizes mit ewiger Wiederholung derselben Formen nicht verträglich sind. ")』と。
 デューリングが数学的に考察し、その結果をありありと異様な像に描いてみせながら、自分でもおぞましく顔をそむけて否定し去った見解に、ニーチェは結局己れの自然観を通じて肯定的に到達したのである。
 私(引用者注:シュタイナーのこと)の論文からの引用をさらに続けよう。
 「物質粒子とエネルギーに関し有限回の連関結合のみが可能であると仮定した場合、我々はまたもやニーチェの(同一事象の反復回帰〉の考えを見い出すことになる。つまりデューリングの見解から採った、ほかならぬ正反対の結論が、ニーチェによって弁護されている一節を、アフォリズム203(ケーゲル版のー二巻とホルネッファーの著作『ニーチェの永劫回帰説』の中のアフォリズム22)の中に見い出すことができるのである。『エネルギーの総和は一定であり、(無限)ではない。その種のいい加減な概念上の逸脱は慎もう! したがってたしかにこのエネルギーの状態や変化や結合や展開の数は、途方もなく大きなものであり実際上(測り難い)けれども、やはりそれでもともかく一定であり無限ではないのだ。すなわちエネルギーは永劫に同一であり永劫に動的である。ーー今のこの一瞬に至るまですでに一つの無限が経過したのである。すなわちあらゆる可能な限りの展開がすでに存在したにちがいないのだ。したがって今現在の展開は一つの反復であるにちがいなく、今を産んだ展開も今から生じる展開も同じことであって、未来も過去も果てしない反復の連続であるのだ(略)」>

まとめるなら、<シュタイナーの解釈によれば、(略)進化論からは「超人」思想を、そしてエネルギー総和の一定説からは「永劫回帰」の思想を生みださざるをえなかった「同時代との闘争者」なのである。>(シュタイナー『ニーチェ』p217解説より)ということらしい。
ただし、「霊人」ではなく「超人」であるところにニーチェの限界がある(同書p197)。

ちなみに、エンゲルスは主にこの本に抗するようにして『空想から科学へ』の前身となる『反デューリング論』(1877年、序論と社会主義論である第三部が後にまとめられた)を書いた。
そこにはマルクスがプルードンに対してなしたような自己欺瞞と剽窃がある。例えばエンゲルスの『自然弁証法』Dialektik der Natur 1873 〜1886のタイトルはあきらかにデューリングの『自然的弁証法』Naturliche Dialektik, 1865を意識している。

デューリングの上記書籍は最近ドイツで復刊された。
" Cursus der Philosophie als streng wissenschaftliche Weltanschauung und Lebensgestaltung"Dühring, E. (1875)、
(邦題は『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』あるいは『哲学教程,厳密な科学的世界観および生命形成論として』(1875) とも表記される。)

現状における無理解を改めるためにも、またニーチェの思考の跡を確かめるためにもドイツ語板の復刊は重要だし、邦訳を望みたい。



    スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    ハイデガー
     柄谷 フロイト
ドゥルーズ    老子
 アドルノ    パーソンズ
 カレツキ ゲゼル
    ライプニッツ
 スポーツ    文学
     ガンジー
     ラカン

______
改訂:

「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ! 僕には先駆者がいるのだ、なんという先駆者だろう! 僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザをもとめたというのは、ひとつの「本能的な行為」であったのだ。彼の傾向がすべて、――認識をもっとも力づよい情熱とする――僕の傾向にそっくりというだけではない。彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿をみたのだ。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近い、――彼は意志の自由を否定する、目的を、道徳的世界秩序を、非利己的なものを、そして悪を否定する。………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を詰まらせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、少なくともいまは、二人連れの孤独なのだ――ふしぎだね!」
(ニーチェ。1881年、オーヴァーベック宛て書簡。ちくま文庫ニーチェ全集別巻1上500頁より)

ヨベル『異端の系譜』によれば、のちにニーチェの力への意志がスピノザのコナトゥスに、運命愛が知的愛に対抗して提出される。


追記:

タルコフスキーは遺作にニーチェの名を出している。

http://www.youtube.com/watch?v=FcBzwWYUdnU&t=5m45s




「時々奇妙なことを考えるんです
例えばあの小人です
ニーチェが書いてるじゃないですか
ツァラトゥストラを気絶させた奴です

(ニーチェを知っているのか?)

会ったことはありません
勉強したわけじゃないんで

時々妙なことが頭に浮かびます
永劫回帰のような

(君は永劫回帰を信じるのか?)

ええ時には信じます」


参考:

100分de名著 ニーチェ「ツァラトゥストラ」 アニメ部分
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTIzNTU2.html?x 4:30~7:30概略、21:27~22:35序説蜂蜜
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTE2NjA0.html?x 3:00~5:00序説神の死、16:43~18:25序説綱渡り
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTA0NjA0.html?x 4:13~5:30第三部幻影と謎より牧人と永劫回帰、(参考13:17~14:53深夜の鐘の歌)
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1ODgwNTQw.html?x (アニメなし)

アニメーション制作:ケシュ#203(=仲井陽&田中希代子)
ナレーション:甲斐田裕子


以下、映画『善悪の彼岸』より

1889年1月3日トリノのカルロ・アルベルト広場において発狂して昏倒する。(45歳)
家族のもとに連れ戻されその後は11年間痴呆状態のまま生きつづける。
http://www4.plala.or.jp/s-tatu/nich01.html

67 Comments:

Blogger yoji said...

私は他者である
JE est un autre
rimbaud

言葉と物の分離
思惟と延長、
概念ー対象関係の分離、差異
分裂、二重化

5:38 午前  
Blogger yoji said...

ジョーカーマン

水の上に立ちパンを与えている
鉄の頭をした偶像の目が光っている
遠くの船がもやの中に入っていく
ハリケーンが吹き荒れる中
両のこぶしに蛇をつかんであなたは生まれた
自由はあなたにとってもうそこまで来ているが
真理がそんなに遠くにあるのなら 何の益があるだろう

 ジョーカーマンはナイチンゲールの調べに合わせて踊る
 鳥は月の光をあびて飛ぶ
 Oh,oh,oh,ジョーカーマン

落ちるように陽が沈む
誰にも別れを告げずあなたは立ち上がる
おろか者 蛇におじず
未来は誰にも怖れに満ちているが
あなたはおくびにも出さない
もう一度脱皮して
内なる迫害者の一歩先を行く

 ジョーカーマンはナイチンゲールの調べに合わせて踊る
 鳥は月の光をあびて飛ぶ
 Oh,oh,oh,ジョーカーマン

あなたは確信に満ち 雲の上だって歩ける
群衆をあやつり 夢さえねじ曲げる
あなたはソドムとゴモラに行くが
気にすることはない
そこの誰もあなたの妹と結婚したいとは思わない
殉教者の友 娼婦の友
あなたは真赤に燃える炉をのぞく
そこには名前のない金持ちがいる

 ジョーカーマンはナイチンゲールの調べに合わせて踊る
 鳥は月の光をあびて飛ぶ
 Oh,oh,oh,ジョーカーマン

レビ記と申命記
それに密林と海の掟だけがあなたを教え導くもの
白馬の上の黄昏のもやの中に
ミケランジェロはあなたの姿を彫ることもできただろう
喧噪の巷を離れ 野原に休み
星々の近くでまどろむあなたの顔を子犬がなめている

 ジョーカーマンはナイチンゲールの調べに合わせて踊る
 鳥は月の光をあびて飛ぶ
 Oh,oh,oh,ジョーカーマン

ライフルを持った男が病人や足の不自由な人をつけねらっている
説教師も同じものをねらっている どっちが先に追いつくか
警棒と放水砲 催涙弾 南京錠
火炎びんと石が カーテンというカーテンの後ろに隠されている
不誠実な裁判官が自分でかけた網にかかって死んでいる
夜が忍び込んでくるのはもう時間の問題

 ジョーカーマンはナイチンゲールの調べに合わせて踊る
 鳥は月の光をあびて飛ぶ
 Oh,oh,oh,ジョーカーマン

実体のない世界 変わりやすい灰色の空
今日ひとりの女が王子を生み 緋の産衣を着せた
彼は祭司を支配下におき 刃に焼を入れるだろう
そして母のない子らを通りから連れ去り
娼婦の前に置くんだろう
Oh,ジョーカーマン,彼が何を望んで入るか知ってるだろう
Oh,ジョーカーマン,あなたはどんな反応もしめさない

 ジョーカーマンはナイチンゲールの調べに合わせて踊る
 鳥は月の光をあびて飛ぶ
 Oh,oh,oh,ジョーカーマン


※対訳:三浦久

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5:43 午後  
Blogger yoji said...

http://nam-students.blogspot.jp/2011/02/blog-post_17.html
NAMs出版プロジェクト: 作曲家ニーチェ

3:45 午前  
Blogger yoji said...

音楽建築原発政治中国歴史分類図像学

文学東洋思想プラトンアリストテレスリンク:::::

3:44 午前  
Blogger yoji said...

彼(スピノザ)の説の 五つ の主要な点 に僕は僕の姿をみたのだ。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近い、――彼は

意志の自由を否定する、
目的を、
道徳的世界秩序を、
非利己的なものを、
そして悪を否定する

10:08 午前  
Blogger yoji said...


http://www.amazon.de/dp/112051472X/
Cursus Der Philosophie ALS Streng Wissenschaftlicher Weltanschauung Und Lebensgestaltung (1875)
Eugen Karl Duhring (Autor)
(6. November 2009)
(デューリング『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)
未邦訳)

エンゲルスは主にこの本に抗するようにして『空想から科学へ』の前身となる『反デューリング論』(1877年。序論と社会主義論である第三部が後にまとめられた)を書いた。
そこにはマルクスがプルードンに対してなしたような自己欺瞞と剽窃がある。
エンゲルスの『自然弁証法』Dialektik der Natur 1873 〜1886のタイトルはあきらかにデューリングの『自然的弁証法』Naturliche Dialektik, 1865を意識している。

ちなみに、ニーチェもデューリングの『…哲学教程』(1875年)における記述の否定的展開から永劫回帰の説をあみだしたらしい(邦訳シュタイナー『ニーチェ』197頁)。

6:15 午後  
Blogger yoji said...

ニーチェ31

[12]3/19(火)22:22 0
《形而上学的真理の唯一の源泉は命令する(jubere)である。》(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』)

10:14 午前  
Blogger yoji said...

神の死はキリスト以前=ギリシア回帰のためのアルカイックな寓話だが、
一方、「超人」はダーウィンへの応答で科学的なものだし、
「永劫回帰」もライプニッツ的世界観への応答で疑似科学的なもの。
スピノザの後継者としてニーチェを捉えればそれほど矛盾はない。

12:42 午後  
Blogger yoji said...


279 :俺の尻をなめろ :2013/03/23(土) 16:37:50.15 0
ニーチェって生前から、自分の名前を悪用した反ユダヤ主義者に悩まされてたのね・・・。

>お前はなんという途方もない愚行を犯したのか――おまえ自身に対しても、私に対しても
>だ! お前とあの反ユダヤ主義者グループのリーダーとの交際は、私を怒りと憂鬱に沈み
>込ませて止まない、私の生き方とは一切相容れない異質なものだ。……反ユダヤ主義に
>関して完全に潔白かつ明晰であるということ、つまりそれに反対であるということは私の名
>誉に関わる問題であるし、著書の中でもそうであるつもりだ。『letters and Anti-Semitic
>Correspondence Sheets』[16]は最近の私の悩みの種だが、私の名前を利用したいだけの
>この党に対する嫌悪感だけは可能な限り決然と示しておきたい。

12:56 午後  
Blogger yoji said...

100分de名著 ニーチェ「ツァラトゥストラ」 (各回アニメあり)
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTIzNTU2.html?x 4:30~7:30
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTE2NjA0.html?x 3:00~5:00
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTA0NjA0.html?x 4:13~5:30(参考13:17~14:53)
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1ODgwNTQw.html?x (アニメなし)

8:25 午後  
Blogger yoji said...


http://kamata.natura-humana.net/lib/zarath.html
 それにしても、勇気は最善の殺害者である、攻撃する勇気は。それは死をも打ち殺す。つまり勇気はこう言うのだ。「これが生だったのか。よし。もう一度」と。
 こういうことばのなかには、高く鳴りひびく剣のたわむれがあるのだ。耳ある者は、聞くがよい。 -

8:25 午後  
Blogger yoji said...


http://semi.natura-humana.net/2008/micromacro/friedrich_wilhelm_nietzsche.html
P139「わたしは、永遠にくりかえして、細大洩らさず、そっくりそのままの人生にもどってくるのだ。くりかえし一切の事物の永遠回帰を教えるために、-くりかえし大地と人間の大いなる正午について語るために。くりかえし人間に超人を告知するために。」
P315「まことにこの地上に生きるのは、甲斐のあることなのだ。ツァラトゥストラとともにした一日、一つの祭りが、わたしにこの大地を愛することを教えてくれた。『これがー人生という者であったか?』わたしは死に向かって言おう。『よし!それならもう一度!』と。」
P326「そして嘆きに対しても言うがいい。「終わってくれ、しかしまた戻ってきてくれ!」と。なぜなら、すべてのよろこびはー永遠を欲するからだ。」

8:25 午後  
Blogger yoji said...


http://web.archive.org/web/20040820165808/http://www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/zarathustra/zarathustra-toc.html

ツァラトゥストラ:目次

生田長江 (1882-1936年) 譯,フリイドリッヒ・ニイチェ (Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900年) 著, 「ツァラトゥストラ(Also sprach Zarathustra, 1883-1891年)」。
底本:「ツァラトゥストラ」,新潮社,明治四十三年十二月三十日印刷,明治四十四年(1911年)一月三日發行

ツァラトゥストラ

フリイドリッヒ・ニイチェ 作

生田長江 譯

内容
沈默の塔(譯本ツァラトゥストラの序に代ふ)森鴎外

第一編

ツァラトゥストラの緒言
 超人と末人と
ツァラトゥストラの言説
三樣の變形
徳の講座
背世界人
肉體の侮蔑者
歡樂と慾望と
蒼白の犯罪者
讀書と述作と
丘上の樹木
死の説教者
戰爭と戰士と
新しき偶像
市塲の蠅
純潔
朋友
千有一個の標的
隣人に對する愛
創造者の道
老いたる女と若き女と
蝮蛇の毒
小兒と結婚と
自由の死
與ふるの徳

第二編

鏡を持てる小兒
幸福なる島
同情者
祭司
有徳者
愚衆
毒蜘蛛
高名の智者
夜の歌
舞の歌
墓の歌
自己の超越
莊嚴なる者
文化の國土
學者
詩人
大事變
卜者
救濟
男らしき細心
いと靜かなる時

第三編

漂泊者
幻影と謎と
不本意の福祉
日出の前
矮小ならしむるの徳
橄欖の山
通過
背教者
歸郷
三惡
重壓の精神
新舊の卓
平癒者
大なる憧憬
第二の舞の歌
七の封印(或は心願如是の歌)

第四編

蜂蜜の供物
救を求めむる聲
王と談る

妖術者
解職
極醜の人
任意の乞丐

正午
式辭
晩餐
高人
鬱憂の歌
學識
沙漠の女
覺醒
驢馬祭
醉歌
標徴

8:30 午後  
Blogger yoji said...

100分de名著 ニーチェ「ツァラトゥストラ」 (各回アニメあり)
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTIzNTU2.html?x 4:30~7:30、21:27~22:35
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTE2NjA0.html?x 3:00~5:00、16:43~18:25
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTA0NjA0.html?x 4:13~5:30(参考13:17~14:53)
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1ODgwNTQw.html?x (アニメなし)

10:54 午後  
Blogger yoji said...

100分de名著 ニーチェ「ツァラトゥストラ」 (各回アニメあり)
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTIzNTU2.html?x 4:30~7:30、21:27~22:35序説
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTE2NjA0.html?x 3:00~5:00序説、16:43~18:25序説
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTA0NjA0.html?x 4:13~5:30第三部幻影と謎
、(参考13:17~14:53深夜の鐘の歌)
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1ODgwNTQw.html?x (アニメなし)

11:20 午後  
Blogger yoji said...

2008.12.24 Wednesday
総てのよろこびは永遠を欲してやまぬ「第二の舞踏の歌~深夜の鐘の歌」 -ニーチェ作 ツァラトゥストラより 
author : agatha915
-古ぼけた重い鐘があって、
そのにぶい唸り声が、夜ごとツァラトゥストラの洞穴まで
のぼってくる。

その鐘が、真夜中の時を打つとき、
かれはいつも「あのこと」、すなわち永遠回帰のことを考える。

一つ、/ああ、人間よ!しかと聞け!
二つ、/深い真夜中は何を語る
三つ、/わたしは眠りに眠り――――、
四つ、/深い夢から、いま目が覚めた。
五つ、/この世は深い
六つ、/『昼』考えたよりもさらに深い
七つ、/この世の嘆きは深い
八つ、/しかし、よろこびは、断腸の悲しみよりも深い
九つ、/嘆きの声は言う、『終わってくれ』
十、/しかし、すべてのよろこびは永遠を欲してやまぬ――――、
十一、/――深い、深い永遠(よろこび)を欲してやまぬ」
十二、/
十二句(最後の句は無言)

しかし私は付け足して
十二、/――永遠(よろこび)それはどこか遠くにあるものではなく
それはまるで、ひっそりと咲く花のように
あなたの心の内にある、永遠(よろこび)それはあなた自身なのである。

(微笑)ニーチェがこの付け足し見たら、たまげるだろうな
しかし自身を知らずして世界(宇宙)を知ることは侭成らない
聖夜は、誰かが与えてくれるものではなく
自分自身の力で創り上げるものだという事を、忘れてはいけない


11:23 午後  
Blogger yoji said...

100分de名著 ニーチェ「ツァラトゥストラ」 (各回アニメあり)
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTIzNTU2.html?x 4:30~7:30、21:27~22:35序説
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTE2NjA0.html?x 3:00~5:00序説、16:43~18:25序説
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1OTA0NjA0.html?x 4:13~5:30第三部幻影と謎
、(参考13:17~14:53第二の舞の歌より、深夜の鐘の歌)
http://v.youku.com/v_show/id_XMzA1ODgwNTQw.html?x (アニメなし)

11:24 午後  
Blogger yoji said...

詐欺師(八潮版・アメリカの文学)
メルヴィル全集〈第11巻〉信用詐欺師 

ツァラツゥストゥラ

バルタザールの風変わりな毎日 (創元推理文庫) モーリス・ルブラン

バルタザールのとっぴな生活 (アルセーヌ・ルパン全集 (別巻 2)) モーリス・ルブラン

ラピラート


上記を挙げ、シネマ2でもセリーの思考を擁護しつつもドゥルーズにプルードンへの言及はない


4:22 午前  
Blogger yoji said...


http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/425129.html

ツァラトゥストラはこう言った 下
ニーチェ 著 ; 氷上英広 訳
ニーチェ思想の核心をなす「永遠回帰」がついにツァラトゥストラの口を通して語られる。やがては神の国に救われることを夢みて安逸をむさぼる卑小な人間たち。嘔き気をもよおしながらも、そういう人間たちに生の真の意味をつきつけずにはいられぬニーチェの使命感が、芸術的感動をともなってわれわれの魂をゆさぶるのである。
「BOOKデータベース」より

[目次]
目次
第三部
旅びと / p9
幻影と謎 / p15
来ては困る幸福 / p25
日の出前 / p31
小さくする美徳 / p37
オリブ山で / p47
通過 / p53
脱落者たち / p59
帰郷 / p67
三つの悪 / p74
重力の魔 / p82
古い石の板と新しい石の板 / p91
快癒に向かう者 / p128
大いなるあこがれ / p140
第二の舞踏の歌 / p145
七つの封印 / p153
第四部(最終部)
蜜の供え物 / p161
悲鳴 / p168
王たちとの対話 / p174
蛭 / p182
魔術師 / p188
退職 / p202
最も醜い人間 / p210
求めてなった乞食 / p219
影 / p226
正午 / p233
挨拶 / p238
晩餐 / p249
「ましな人間」について / p253
憂鬱の歌 / p272
学問 / p282
砂漠の娘たちのもとで / p288
覚醒 / p300
驢馬祭り / p306
酔歌 / p314
徴 / p328

解説(第三・四部) / p335
「国立国会図書館のデジタル化資料」より

4:28 午前  
Blogger yoji said...


http://blogs.yahoo.co.jp/go_go_zarathustra/folder/350149.html

「ツァラトゥストラはかく語りき」
-だれにでも読めるが、だれにも読めない書物-

――――――――――――――――――――――――――――――――――
第一部
――――――――――――――――――――――――――――――――――
01 序説 -超人と「おしまいの人間」たち-
02 教説
03 三段の変化
04 徳の講壇
05 世界の背後を説く者
06 身体の軽蔑者
07 喜びの情熱と苦しみの情熱
08 蒼白の犯罪者
09 読むことと書くこと
10 山上の木
11 死の説教者
12 戦争と戦士
13 新しい偶像
14 市場の蠅
15 純潔
16 友
17 千の目標と一つの目標
18 隣人への愛
19 創造者の道
20 老いた女と若い女
21 蝮の咬み傷
22 子どもと結婚
23 自由な死
24 贈り与える徳

――――――――――――――――――――――――――――――――――
第二部
――――――――――――――――――――――――――――――――――
25 鏡を持った幼子
26 至福の島々で
27 同情者たち
28 聖職者たち
29 有徳者たち
30 賤民
31 毒ぐもタランテラ
32 名高い賢者たち
33 夜の歌
34 舞踏の歌
35 墓の歌
36 自己超克
37 悲壮な者たち
38 教養の国
39 汚れなき認識
40 学者
41 詩人
42 大いなる事件
43 預言者
44 救済
45 処世の術
46 最も静かな時

――――――――――――――――――――――――――――――――――
第三部
――――――――――――――――――――――――――――――――――
47 旅びと
48 幻影と謎
49 来ては困る幸福
50 日の出前
51 小さくする美徳
52 オリブ山で
53 通過
54 脱落者たち
55 帰郷
56 三つの悪
57 重力の魔
58 古い石の板と新しい石の板
59 快癒に向かう者
60 大いなるあこがれ
61 第二の舞踏の歌
62 七つの封印

――――――――――――――――――――――――――――――――――
第四部
――――――――――――――――――――――――――――――――――
63 蜜の供え物
64 悲鳴
65 王たちとの対話
66 蛭
67 魔術師
68 退職
69 最も醜い人間
70 求めてなった乞食
71 影
72 正午
73 挨拶
74 晩餐
75 「ましな人間」について
76 憂鬱の歌
77 学問
78 砂漠の娘たちのもとで
79 覚醒
80 驢馬祭り
81 酔歌
82 徴




4:31 午前  
Blogger yoji said...

ツァラトゥストラはこう言った
ニーチェ 著 ; 氷上英広 訳
岩波文庫

Bookliveで電子版あり

4:35 午前  
Blogger yoji said...

遠里丹婦麗天(をりにふれて) 九鬼周造著

昭和16年11月18日発行 定價 貳圓
偶然と運命


2・44
救済
に言及




http://www.bekkoame.ne.jp/~morihisa/morip/unmei-g.htm
 ニイチェの『ツァラトゥストラ』の中にこういう話があります。ツァラトゥストラが或日、大きい橋を渡つていたところが、片輪だの乞食だのがとりまいて来た。その中にひとりせむしがいてツァラトゥストラに向つて、だいぶ大勢の人があなたの教を信じるようになつては来たが、まだ皆とは行かない。それには一つ大切なことがある。それは先づ私共のような片輪までも説きふせなくてはだめだと云つたのであります。それに対してツァラトゥストラは「意志が救ひを齎(もたら)す」ということを教えたのであります。せむしに生れついたのは運命であるが意志がその運命から救ひ出すのであります。
 「せむしに生れることを自分は欲する」という形で「意志が引返して意志する」ということが自(みづか)らを救う道であることを教えたのであります。このツァラトゥストラの教は偶然なり運命なりにいわば活を入れる秘訣であります。人間は自己の運命を愛して運命と一体にならなければいけない。それが人生の第一歩でなければならないと私は考えるのであります。皆さんは今ラジオを聞いておいでになる。放送局は幾つありますか幾つかの放送局があつて、それぞれ違つた波長の電波を送つているのであります。皆さんは受信機のダイアルを勝手にお廻しになつてそれらの色々と違つた波長のうちでどの波長でもお選びになることができたのであります。そうして自由に選択して一定の放送を聞いておいでになるのであります。運命というものは我々の側にそういう選択の自由がなくていやでも應でも無理に聞かされている放送のようなものであります。ほかに違つた放送が同じ時間に沢山あるのであるけれども、何故かこの放送を無理に聞かされているというわけであります。他のことでもあり得たと考えられるのに、このことがちょうど自分の運命になつているのであります。人間としてその時になし得ることは、意志が引返してそれを意志して、自分がそれを自由に選んだのと同じわけ合いにすることであります。山鹿素行も武士は命(めい)に安んずべきこと、すなわち運命に安んずべきことを教えているのでありますが、安んずるというばかりでなく運命と一体になつて運命を深く愛することを学ぶべきであると思うのであります。自分の運命を心から愛することによつて、溌剌たる運命を自分のものとして新たに造り出して行くことさえもできるということを申して私の講演を終わります。

4:54 午前  
Blogger yoji said...

3・48
幻影と影

に小びと


タルコフスキーが言及したのはこれか?
気絶ではなく圧迫

5:05 午前  
Blogger yoji said...

2・36
に価値

への言及

5:09 午前  
Blogger yoji said...

ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)
ポータル クラシック音楽
『ツァラトゥストラはこう語った』(Also sprach Zarathustra)作品30は、リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲した交響詩。『ツァラトゥストラはかく語りき』とも訳される。
フリードリヒ・ニーチェの同名の著作にインスピレーションを得て作曲されたが、原作の思想を具体的に表現したというわけではなく、原作のいくつかの部分を選び、そこから受けた印象・気分を表現している。
ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)
ポータル クラシック音楽
『ツァラトゥストラはこう語った』(Also sprach Zarathustra)作品30は、リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲した交響詩。『ツァラトゥストラはかく語りき』とも訳される。
フリードリヒ・ニーチェの同名の著作にインスピレーションを得て作曲されたが、原作の思想を具体的に表現したというわけではなく、原作のいくつかの部分を選び、そこから受けた印象・気分を表現している。

全体は9部からなり、切れ目なしに演奏される。基本的には自由な形式をとるが、主題の対立や展開、再現などの図式を含むことからソナタ形式の名残を見ることもできる。演奏時間は約33分である。

Einleitung (導入部)
C音の保持音の上に、トランペットによって"自然の動機"が奏される。後述の通りの非常に有名な場面である。

Von den Hinterweltlern (世界の背後を説く者について)1:5
「自然」を象徴する導入部のハ長調に対し、「人間」を象徴するロ長調に転じ、低弦のピッツィカートに上行分散和音を基本とした"憧憬の動機"が提示される。ホルンによってグレゴリオ聖歌「クレド」の断片が提示され、キリスト教者が暗示されると、ハ長調とロ長調のどちらからも遠い変イ長調によって、20以上の声部に分かれた弦楽を中心に陶酔的なコラールが奏される。

Von der großen sehnsucht (大いなる憧れについて)3:60
既出の動機や聖歌「マニフィカト」の断片が並列される短い経過句に続き、「世界の背後を説く者」のコラールと、"憧憬の動機"から派生した低弦の激しい動機が拮抗しながら高まっていく。

Von den Freuden und Leidenschaften (喜びと情熱について)1:7
二つの新しい動機、比較的狭い音域を動くものと十度音程の跳躍を含むものが提示され、活発に展開されていく。展開の頂点においてトロンボーンに減五度音程が印象的な"懈怠の動機"が提示されると、徐々に音楽は静まっていく。

Das Grablied (墓場の歌)2:35
「喜びと情熱について」と共通の動機を扱うが、そちらとは異なりしめやかな雰囲気を持つ。弦楽パートの各首席奏者がソロで扱われる書法が試みられている。

Von der Wissenschaft (学問について)2:40
"自然の動機"をもとにした12音全てを含む主題による、低音でうごめくようなフーガ。それが次第に盛り上がると、高音を中心とした響きになり"舞踏の動機"が提示される。"自然の動機"と"懈怠の動機"による経過句が高まり、次の部分に以降する。

Der Genesende (病より癒え行く者)3:59
「学問について」と共通の主題によるフーガがエネルギッシュに展開される。徐々に"懈怠の動機"が支配的になると、"自然の動機"が総奏で屹立し、ゲネラルパウゼとなる。
"懈怠の動機""憧憬の動機"による経過句を経て、トランペットによる哄笑や、小クラリネットによる"懈怠の動機"などが交錯する諧謔的な部分に入る。"舞踏の動機"や"憧憬の動機"を中心にクライマックスが形成されると、フルート・クラリネットによる鈴の音が残り、次の部分に移行する。

Das Tanzlied (舞踏の歌)2:34
全曲の約3分の1を占める部分であり、ワルツのリズムを基調に、全曲における再現部の役割も果たす。独奏ヴァイオリンが非常に活躍する場面でもある。弦楽(ここでも執拗に分割される)を中心にしたワルツに始まり、"自然の動機"、「世界の背後を説く者」のコラール、"舞踏の動機"、「喜びと情熱について」の諸動機が次々と再現される。その後は、既出の動機が複雑に交錯する展開部となり、壮麗なクライマックスを築く。

Nachtwandlerlied (夜の流離い人の歌)3:61?
真夜中(12時)を告げる鐘が鳴り響くなか、「舞踏の歌」のクライマックスが"懈怠の動機"を中心に解体されていく。音楽がロ長調に落ち着くと、「大いなる憧れについて」や「学問について」で提示された旋律が極めて遅いテンポで再現される。終結では、高音のロ長調の和音(「人間」)と低音のハ音(「自然」)が対置され、両者が決して交わらないことを象徴する。


1:41 午後  
Blogger yoji said...

0,1,7, 2,4,5, 6,3,8
1,2,8, 3,5,6, 7,4,9

1:49 午後  
Blogger yoji said...

ちなみに、全体の構成はあの有名な冒頭部分(導入部)を含めて以下の9つに分かれています。

1. Einleitung (導入部)
2. Von den Hinterweltlern (世界の背後を説く者について)
3. Von der gro�en sehnsucht (大いなる憧れについて)
4. Von den Freuden und Leidenschaften (喜びと情熱について)
5. Das Grablied (墓場の歌)
6. Von der Wissenschaft (学問について)
7. Der Genesende (病より癒え行く者)
8. Das Tanzlied (舞踏の歌)
9. Nachtwandlerlied (夜の流離い人の歌)

作品はニーチェの「超人思想」に深く共感したと言うよりは、ニーチェの著作から気に入った部分を抜粋して音楽的に表現したエッセイみたいな雰囲気の作品と言った方がいいのかもしれません。作品全体が一つの統一感のもとにまとめられていると言うよりは、次々と風景が変わっていくような風情を楽しめば、「訳のわかんない音楽が延々と続く」のも我慢できるかもしれません。

2:21 午後  
Blogger yoji said...

ちなみに、全体の構成はあの有名な冒頭部分(導入部)を含めて以下の9つに分かれています。

1. Einleitung (導入部)
2. Von den Hinterweltlern (世界の背後を説く者について)1-5
3. Von der gro�en sehnsucht (大いなる憧れについて)3-60
4. Von den Freuden und Leidenschaften (喜びと情熱について)1-7
5. Das Grablied (墓場の歌)2-35
6. Von der Wissenschaft (学問について)2-40
7. Der Genesende (病より癒え行く者)3-59
8. Das Tanzlied (舞踏の歌)2:34
9. Nachtwandlerlied (夜の流離い人の歌)3-61

2:29 午後  
Blogger yoji said...

3と8の順番を変えればニーチェの構成と同じ

2:31 午後  
Blogger yoji said...


http://www1.bbiq.jp/hiroko22/Da_mu/m.R.Strauss.html

《 哲学的叙事詩 》

【 交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」作品30 】

十九世紀後半から二十世紀にかけての作曲家の大部分は、何らかの意味で
ワーグナーの巨大な存在を意識せずにいられなかったといってよい。
ある者はその影響から逃れて新しい方向をめざすことをとるべき道と考え、
またある者は逆にその手法を積極的に自らの内に取り入れようとした。

リヒャルト・シュトラウスは後者で、本質的にはワーグナーの道を継承し、
ロマン派音楽の最後の花を咲かせた偉大な音楽家であった。

「ツァラトゥストラはかく語りき」は、シュトラウス32歳の作品で、
ドイツの哲学者ニーチェの哲学上の著作の名称である。
4部からなるこの大著はいわば哲学的叙事詩とでも呼ぶべきもので、
ニーチェの思想の確信を示した彼の代表作のひとつである。

ニーチェはここで「ゾロアスター教」の開祖といわれる伝説上の人物
ツァラトゥストラの姿を借り「超人」と「永却回帰」の思想を説いている。

シュトラウスは、スコアの初めにニーチェの原著の序文を掲げ、
それを標題とした。
ツァラトゥストラが、10年の山ごもりの後突然心機一転し、蓄えた思想を
人々に説くために山を下ることを太陽に向かって宣言する。
さらに曲中のところどころには章のタイトルのいくつかが書き添えられている。

「自然の主題」と呼ばれるトランペットの印象的な上昇音型で始まり
「後の世の人々について」「大いなる憧れについて」「歓喜と情熱について」
「埋葬の歌」「科学について」「病が癒えゆく者」「舞踏の歌」
「夜の歌」と続く。

6つのホルンをはじめとして、管楽器群と60人を超える弦という
大編成オーケストラによる音響の効果は圧倒的で、またとくに加えられた
オルガンによる独特の効果も見逃せない。

この曲の冒頭は、スタンリー・キューブリック監督の映画
「2001年宇宙の旅」で取り上げられ、有名になった。

ニーチェ,フリードリヒ・ヴィルヘルム 〔独〕
(1844.10.15?1900.08.25) 55歳

哲学者のニーチェは158年前の10月15日、ドイツのレッケンで生まれた。
幼いころから作曲を試み、ピアノもかなりの腕前だったという。

ワーグナーを崇拝し、初期の著作ではワーグナー賛美を繰り広げ、
音楽家としての自分を認めてもらおうとワーグナー夫妻に
自作の曲を贈ったが全く相手にされなかった。

その後、ニーチェの思想自体がロマン主義から離れていったこともあり、
ワーグナーとは犬猿の仲になってしまった。
ワーグナーへの傾倒と離反は、ニーチェ研究には重要な課題といわれる。

彼は、ショーペンハウアーの影響をうけた詩人でもあり、
アマチュア作曲家として、歌曲、合唱曲、ピアノ曲などの作品もあるが、
音楽史におけるニーチェの名は、彼の代表的著作を題名につけられた
同時代の作曲家による作品も少なくない。

哲学的叙事詩といえる「ツァラトゥストラはかく語りき」は、
シュトラウス32歳の作品で、彼の代表作のひとつとなっている。

歌曲やピアノ曲を残していて、17歳の1861年に交響詩「エルマナリヒ」を、
最後の作品となったのは1882年に書いた「生への讃歌」だった。

1889年にニーチェの精神は崩壊した。
そして、11年後の8月25日に肺炎のため55年の生涯を閉じた。

1885年に発表された代表作で哲学的叙事詩といえる
「ツァラトゥストラはこう語った」は、ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラの
ドイツ語形の一つで、リヒャルト・シュトラウスは、32歳の1896年8月24日に
交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」を完成させた。
彼の代表作のひとつとなっている。

次のように記された旋律が次々と演奏される。
「後の世の人々について」
「我は唯一の神を信ず」
「信仰をもって」
「大いなる憧れについて」
「マニフィカート」
「歓喜と情熱について」
「埋葬の歌」
「科学について」
「病より癒えゆく者」
「怒りではなく笑いで人間は死ぬ」
「自分は汝にいう。人はまだ渾沌の中にいなければならない、と」
「舞踏の歌」
「夜のさすらい人の歌」

8:16 午後  
Blogger yoji said...


http://www.zeno.org/Philosophie/M/Nietzsche,+Friedrich/Also+sprach+Zarathustra

Friedrich Nietzsche

Also sprach Zarathustra

Ein Buch für Alle und Keinen



Zarathustras Vorrede
Die Reden Zarathustras
Von den drei Verwandlungen
Von den Lehrstühlen der Tugend
Von den Hinterweltlern
Von den Verächtern des Leibes
Von den Freuden- und Leidenschaften
Vom bleichen Verbrecher
Vom Lesen und Schreiben
Vom Baum am Berge
Von den Predigern des Todes
Vom Krieg und Kriegsvolke
Vom neuen Götzen
Von den Fliegen des Marktes
Von der Keuschheit
Vom Freunde
Von tausend und einem Ziele
Von der Nächstenliebe
Vom Wege des Schaffenden
Von alten und jungen Weiblein
Vom Biß der Natter
Von Kind und Ehe
Vom freien Tode
Von der schenkenden Tugend

Zweiter Teil. Also sprach Zarathustra
Das Kind mit dem Spiegel
Auf den glückseligen Inseln
Von den Mitleidigen
Von den Priestern
Von den Tugendhaften
Vom Gesindel
Von den Taranteln
Von den berühmten Weisen
Das Nachtlied
Das Tanzlied
Das Grablied
Von der Selbst-Überwindung
Von den Erhabenen
Vom Lande der Bildung
Von der unbefleckten Erkenntnis
Von den Gelehrten
Von den Dichtern
Von großen Ereignissen
Der Wahrsager
Von der Erlösung
Von der Menschen-Klugheit
Die stillste Stunde

Dritter Teil. Also sprach Zarathustra
Der Wanderer
Vom Gesicht und Rätsel
Von der Seligkeit wider Willen
Vor Sonnen-Aufgang
Von der verkleinernden Tugend
Auf dem Ölberge
Vom Vorübergehen
Von den Abtrünnigen
Die Heimkehr
Von den drei Bösen
Vom Geist der Schwere
Von alten und neuen Tafeln
Der Genesende
Von der großen Sehnsucht
Das andere Tanzlied
Die sieben Siegel

Vierter und letzter Teil. Also sprach Zarathustra
Das Honig-Opfer
Der Notschrei
Gespräch mit den Königen
Der Blutegel
Der Zauberer
Außer Dienst
Der häßlichste Mensch
Der freiwillige Bettler
Der Schatten
Mittags
Die Begrüßung
Das Abendmahl
Vom höheren Menschen
Das Lied der Schwermut
Von der Wissenschaft
Unter Töchtern der Wüste
Die Erweckung
Das Eselsfest
Das trunkne Lied
Das Zeichen

8:38 午後  
Blogger yoji said...

http://www.zeno.org/Philosophie/M/Nietzsche,+Friedrich/Also+sprach+Zarathustra/Dritter+Teil.+Also+sprach+Zarathustra/Das+andere+Tanzlied

Das andere Tanzlied



3

Eins!
O Mensch! Gib acht!
Zwei!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
Drei!
»Ich schlief, ich schlief –,
[473] Vier!
Aus tiefem Traum bin ich erwacht: –
Fünf!
Die Welt ist tief,
Sechs!
Und tiefer als der Tag gedacht.
Sieben!
Tief ist ihr Weh –,
Acht!
Lust – tiefer noch als Herzeleid:
Neun!
Weh spricht: Vergeh!
Zehn!
Doch alle Lust will Ewigkeit –,
Elf!
– will tiefe, tiefe Ewigkeit!«
Zwölf!

8:46 午後  
Blogger yoji said...

2008.12.24 Wednesday
総てのよろこびは永遠を欲してやまぬ「第二の舞踏の歌~深夜の鐘の歌」 -ニーチェ作 ツァラトゥストラより 
author : agatha915
-古ぼけた重い鐘があって、
そのにぶい唸り声が、夜ごとツァラトゥストラの洞穴まで
のぼってくる。

その鐘が、真夜中の時を打つとき、
かれはいつも「あのこと」、すなわち永遠回帰のことを考える。

一つ、/ああ、人間よ!しかと聞け!
二つ、/深い真夜中は何を語る
三つ、/わたしは眠りに眠り――――、
四つ、/深い夢から、いま目が覚めた。
五つ、/この世は深い
六つ、/『昼』考えたよりもさらに深い
七つ、/この世の嘆きは深い
八つ、/しかし、よろこびは、断腸の悲しみよりも深い
九つ、/嘆きの声は言う、『終わってくれ』
十、/しかし、すべてのよろこびは永遠を欲してやまぬ――――、
十一、/――深い、深い永遠(よろこび)を欲してやまぬ」
十二、/
十二句(最後の句は無言)

8:47 午後  
Blogger yoji said...


http://www.zeno.org/Philosophie/M/Nietzsche,+Friedrich/Also+sprach+Zarathustra/Dritter+Teil.+Also+sprach+Zarathustra/Das+andere+Tanzlied

Nach dem Takt meiner Peitsche sollst du mir tanzen und schrein! Ich vergaß doch die Peitsche nicht? – Nein!« –

2

Da antwortete mir das Leben also und hielt sich dabei die zierlichen Ohren zu:
»O Zarathustra! Klatsche doch nicht so fürchterlich mit deiner Peitsche! Du weißt es ja: Lärm mordet Gedanken – und eben kommen mir so zärtliche Gedanken.
Wir sind beide zwei rechte Tunichtgute und Tunichtböse. Jenseits von Gut und Böse fanden wir unser Eiland und unsre grüne Wiese – wir zwei allein! Darum müssen wir schon einander gut sein!
Und lieben wir uns auch nicht von Grund aus –, muß man sich denn gram sein, wenn man sich nicht von Grund aus liebt?
[472] Und daß ich dir gut bin und oft zu gut, das weißt du: und der Grund ist, daß ich auf deine Weisheit eifersüchtig bin. Ah, diese tolle alte Närrin von Weisheit!
Wenn dir deine Weisheit einmal davonliefe, ach! da liefe dir schnell auch meine Liebe noch davon.« –

Darauf blickte das Leben nachdenklich hinter sich und um sich und sagte leise: »O Zarathustra, du bist mir nicht treu genug!
Du liebst mich lange nicht so sehr wie du redest; ich weiß, du denkst daran, daß du mich bald verlassen willst.
Es gibt eine alte schwere schwere Brumm-Glocke: die brummt nachts bis zu deiner Höhle hinauf: –
– hörst du diese Glocke mitternachts die Stunde schlagen, so denkst du zwischen eins und zwölf daran –
– du denkst daran, o Zarathustra, ich weiß es, daß du mich bald verlassen willst!« –

»Ja«, antwortete ich zögernd, »aber du weißt es auch –« Und ich sagte ihr etwas ins Ohr, mitten hinein zwischen ihre verwirrten gelben törichten Haar-Zotteln.
»Du weißt das, o Zarathustra? Das weiß niemand. – –«

Und wir sahen uns an und blickten auf die grüne Wiese, über welche eben der kühle Abend lief, und weinten miteinander. – Damals aber war mir das Leben lieber, als je alle meine Weisheit. –

Also sprach Zarathustra.

3

Eins!
O Mensch! Gib acht!
Zwei!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
Drei!
»Ich schlief, ich schlief –,
[473] Vier!
Aus tiefem Traum bin ich erwacht: –
Fünf!
Die Welt ist tief,
Sechs!
Und tiefer als der Tag gedacht.
Sieben!
Tief ist ihr Weh –,
Acht!
Lust – tiefer noch als Herzeleid:
Neun!
Weh spricht: Vergeh!
Zehn!
Doch alle Lust will Ewigkeit –,
Elf!
– will tiefe, tiefe Ewigkeit!«
Zwölf!

8:52 午後  
Blogger yoji said...

ちなみに、全体の構成はあの有名な冒頭部分(導入部)を含めて以下の9つに分かれています。

1. Einleitung (導入部)
2. Von den Hinterweltlern (世界の背後を説く者について)1-5
3. Von der gro�en sehnsucht (大いなる憧れについて)3-60
4. Von den Freuden und Leidenschaften (喜びと情熱について)1-7
5. Das Grablied (墓場の歌)2-35
6. Von der Wissenschaft (学問について)4-77
7. Der Genesende (病より癒え行く者)3-59
8. Das Tanzlied (舞踏の歌)2:34
9. Nachtwandlerlied (夜の流離い人の歌)3-61(2-33?),4-81?


3と6と8の順番を変えればニーチェの構成とほぼ同じ

9:12 午後  
Blogger yoji said...


http://www.zeno.org/Philosophie/M/Nietzsche,+Friedrich/Also+sprach+Zarathustra/Zarathustras+Vorrede
Zarathustras Vorrede

1



[277] Als Zarathustra dreißig Jahre alt war, verließ er seine Heimat und den See seiner Heimat und ging in das Gebirge. Hier genoß er seines Geistes und seiner Einsamkeit und wurde dessen zehn Jahre nicht müde. Endlich aber verwandelte sich sein Herz, – und eines Morgens stand er mit der Morgenröte auf, trat vor die Sonne hin und sprach zu ihr also:
»Du großes Gestirn! Was wäre ein Glück, wenn du nicht die hättest, welchen du leuchtest!
Zehn Jahre kamst du hier herauf zu meiner Höhle: du würdest deines Lichtes und dieses Weges satt geworden sein, ohne mich, meinen Adler und meine Schlange.
Aber wir warteten deiner an jedem Morgen, nahmen dir deinen Überfluß ab und segneten dich dafür.
Siehe! Ich bin meiner Weisheit überdrüssig, wie die Biene, die des Honigs zuviel gesammelt hat, ich bedarf der Hände, die sich ausstrecken.
Ich möchte verschenken und austeilen, bis die Weisen unter den Menschen wieder einmal ihrer Torheit und die Armen wieder einmal ihres Reichtums froh geworden sind.
Dazu muß ich in die Tiefe steigen: wie du des Abends tust, wenn du hinter das Meer gehst und noch der Unterwelt Licht bringst, du überreiches Gestirn!
Ich muß, gleich dir, untergehen, wie die Menschen es nennen, zu denen ich hinab will.
So segne mich denn, du ruhiges Auge, das ohne Neid auch ein allzugroßes Glück sehen kann!
Segne den Becher, welcher überfließen will, daß das Wasser golden aus ihm fließe und überallhin den Abglanz deiner Wonne trage!
Siehe! Dieser Becher will wieder leer werden, und Zarathustra will wieder Mensch werden.«
– Also begann Zarathustras Untergang.

2

[278] Zarathustra stieg allein das Gebirge abwärts und niemand begegnete ihm. Als er aber in die Wälder kam, stand auf einmal ein Greis vor ihm, der seine heilige Hütte verlassen hatte, um Wurzeln im Walde zu suchen. Und also sprach der Greis zu Zarathustra:



http://web.archive.org/web/20040506045015/http://www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/zarathustra/zarathustra-0.html
ツァラトゥストラの緒言



ツァラトゥストラ歳三十の時、其郷里と郷里の湖とを去りて山に入れり。 其處《そのところ》に彼は、自らの精神と自らの孤獨を樂めり。十年を經て勞るることなかりき。 されど遂に彼の心機は一轉せり、 -- 或る日の朝、黎明と共に起き出でて、日輪の前に歩み寄り、 斯く彼は日輪に語りき。
『汝大なる星よ。汝が照らすところのものなきとき、何の幸福なることか汝にあらむ。十年の間、 汝は此我が洞に來りき。我と、我が鷲と、また我が蛇とのあるに非ずば、汝は其光と其道とに倦じたりしなるべし。

されど我等は朝毎に汝を待ち、汝の氾濫を受けて汝を祝せり。

見よ。我わが智慧に勞れたること、餘りに多くの蜜を集めたる蜜蜂のごとし。 我はこれを獲むとて差伸べらるる手を要《もと》む。

我は賢き人々が今一�d《たび》その愚なるを悦び、貧しき人々が今一�d《たび》その富めるを悦ぶに至るまで、 自ら有てるものを分ち與へむことを希ふ。

されば汝が夕々《ゆふべ》に、海のあなたへ降り行き、光を幽界に齎す時の如く、 我も亦深きところに降り行かざる可からず。汝、豐饒なる星よ。

我は汝の如く沒落せざるべからじ。我が降り行かむとする人々、 これに名けて沒落と云ふ。

されば汝、過大の幸福をも嫉まざる靜平の眼《まなこ》、我を祝せよ。

將に溢れむとする觴《さかづき》を祝せよ、金色なる水の此《これ》より流れ、 普く汝が悦樂の反照を及ぼさむが爲めに觴を祝せよ。

見よ、此觴は再び空しからむとす。而して、ツァラトゥストラは今一�d《たび》人間とならむとすなり。』 -- 斯くしてツァラトゥストラの沒落は始りき。



ツァラトゥストラはただ一人山を下りしが、途《みち》に相會ふものなかりき。 されど彼が森に來りし時、忽ち一人の老翁ありて其前に立ちぬ。食ふべき根を森林に求めむとて、 隱遁の庵を出でたりしなり。さてツァラトゥストラに語りて言ふ。
『此漂泊者は我が未だ知らざるの人に非ず,多くの年の前、彼は此處を過ぎぬ。ツァラトゥストラと呼べりき。 されど彼は變りたり。

9:20 午後  
Blogger yoji said...


http://intouch.blog56.fc2.com/?tag=%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
詩シルス・マリア
ここに坐り、われ待ちに待つ、--何を待つということもなく
善悪の彼岸に、ときに光を、
ときに影を 楽しみーーただ戯れのみ、
ただ湖、ただ正午、ただ目的なき時。
そのとき、突如、女友達よ!一は二となりきーーー
ーーーと ツァラトゥストラ わがかたえを通り過ぎぬ・・・

ある日私はシルヴァプラーナ湖に沿って森を幾つか通り抜けていった。スールレイ近くにピラミッド型をして聳えている巨大な岩があり、私はそばで休止した。そのとき、この思想が私に到来したのであった(『この人を見よ』ツァラトゥストラはこう語った)






ジェノヴァ



*Via degli Orfici(金銀細工通り)
文献学は、「言葉の金銀細工の技術」・・『曙光』序文

*下宿先・・サリタ・デレ・バチスチーネ( Salita delle Batistine)の途中に建つ黄色い6階建ての建物(8番地)の屋根裏部屋6号室
とても歩きでがある!それに登りだ!自分の屋根裏部屋まで来るのに、屋内で164段の階段を登らねばならないから。そしてこの家自体がとても高いところにある。つまり急勾配で、それが大きな石段となっているため、至極閑静で、石の隙間からところどころ草などが生えているような険しい宮殿通りに建っているのだ。・・(1880年12月5日、私信)

11:14 午後  
Blogger yoji said...


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nietzsche-Stein_01.jpg
Description
Deutsch: Der Nietzsche-Stein bei Surlej am Silvaplanersee (Oberengadin, Schweiz).

11:18 午後  
Blogger yoji said...


http://www.virtusens.de/walther/lou1_e.htm

The "Zarathustra Rock" at Lake Silvaplana - HW 1982

However, the name "Zarathustra Rock" is a misnomer, since "Zarathustra", itself, belongs into the following period in Genoa.

11:19 午後  
Blogger yoji said...


http://www.engadin.stmoritz.ch/sommer/en/sightseeing/nietzsche-rock-in-surlej-by-the-waterfall/
DESCRIPTION
The philosopher and poet Friedrich Nietzsche visited the Engadin for the first time at the beginning of July 1881. Thereafter he spent every summer from 1883 to 1888 in Sils. He would be seen sitting on this stone on the shore of Lake Silvaplana, deep in thought. Here, among other things, he came up with the idea of eternal recurrence - the key concept of his major poetic work, "Thus spoke Zarathustra".

11:20 午後  
Blogger yoji said...

ドゥルーズ シネマ2第6章

ライプニッツの真なるものの力能は複数世界だったが、系列的に示されるニーチェ的力能は同一世界での多元性である。

5:02 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツからの影響がある。
ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを賞賛する手紙を書いている。
肯定という主題がはじめて出現したのだ。
ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツによる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357、講談社学術文庫『ニーチェ』山崎庸佑p338参照)。

アガンベンやカウルバッハがしたようにライプニッツの先見性が見直されるべきだろう。

8:19 午前  
Blogger yoji said...

アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

シュタイナーは永遠回帰はニーチェがデューリングの物理学を紹介した本を読んで思いついたと書いている。ニーチェの蔵書に書き込みがあるというのだ。




スピノザについてのニーチェの評言のいくつかは、彼自身にも同じように当てはまるだろう。「病気の隠者」とニーチェはスピノザのことを呼び、詮索好きな俗世間から自分の最も個人的な哲学を隠すために「仮の衣装」(彼の幾何学的方法)を身につけていた「内気」で「傷つきやすい」人間、とスピノザを評している。比喩の方向を変えて、ニーチェはまたスピノザの仮面を「貞操帯」とも呼び、彼の個人的な哲学を「一人の処女」と称している。性的なほのめかしは再び、この二人の独身哲学者(これはニーチェが他のところで強調している類似点である)の双方に当てはまるのであって、それは「隠者」という言葉にさらに多くの光を投じている。>

___________________

永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツによる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357、講談社学術文庫『ニーチェ』山崎庸佑p338参照)。

アガンベンやカウルバッハがしたようにライプニッツの先見性が見直されるべきだろう。

参考:
http://d.hatena.ne.jp/m-takeda/20060914/p1
『バートルビー 偶然性について
<つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』の無神論的な変種でしかない。それは、ピラミッドの一部屋一部屋のなかには起こったことの繰り返しだけをつねに見て、そのことによってのみ、現実の世界と可能世界のあいだの差異を抹消して世界に潜勢力を回復する。ニーチェの決定的な経験を、はじめて、それもほとんど同じ用語を用いて定式化したのがまさにライプニッツだということも偶然ではない。「人類が、現在ある状態に充分に長く持続すれば、個人の生までもが些末な細部に至るまで同じ状態であらためて起こるという瞬間が必ずや到来するだろう。私自身も、このハノーファーという名の都市にいて、ライネ河の河岸でブラウンシュヴァイクの歴史の研究に取り組み、同じ友人たちに同じ意味の手紙を書いているところだろう」。

8:23 午前  
Blogger yoji said...

シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書にはニーチェの書き込みが残っているのだ。

ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)における記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として描いている点が(同p195)スピノザよりもライプニッツに近いかも知れない。

デューリングはライプニッツの影響を受けているから、間接的にライプニッツ経由と言える。

8:24 午前  
Blogger yoji said...

スピノザとライプニッツ両方が必要で、両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。

8:27 午前  
Blogger yoji said...


永遠回帰にはスピノザとライプニッツからの影響がある。
ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。
肯定という主題がはじめて出現したのだ。
ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。

アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているのだ。
ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)
における記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー
『ニーチェ』p197)。現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として
描いているのだ(同p195)。
デューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ経由と言える。
ニーチェにはスピノザとライプニッツ両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。

8:33 午前  
Blogger yoji said...


永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響がある。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。
シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているのだ。
ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)
における記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー
『ニーチェ』p197)。現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として
描いているのだ(同p195)。
デューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ経由と言える。

ニーチェにはスピノザとライプニッツ両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。

8:35 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響がある。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。
シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として
描いている点において、ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)
における記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー
『ニーチェ』p197)。
デューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザとライプニッツ両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。

8:37 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響がある。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。
シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として
描いている点において、ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論と
しての哲学教程』(1875年)における記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことに
なる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
デューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザとライプニッツ両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。

8:37 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響があると思う。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として
描いている点において、ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論と
しての哲学教程』(1875年)における記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことに
なる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
デューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザとライプニッツ両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。

8:38 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響があると思う。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として
描いている点において、ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論と
しての哲学教程』(1875年)における記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことに
なる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
デューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザとライプニッツ両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。
『ツァラトゥストラ』を読めば、東洋思想の重要性は明らかで、仏教からの影響も考えるべきだが、
シュタイナーの言うように、永遠回帰は最新物理学への、超人思想は最新生物学(=進化論)への
ニーチェなりの回答と取るべきかもしれない。

8:42 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響があると思う。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として
描いている点において、ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論と
しての哲学教程』(1875年)における記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことに
なる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
デューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザとライプニッツ両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザ(一元論)とライプニッツ(多元論)を共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。
『ツァラトゥストラ』を読めば、東洋思想の重要性は明らかで、仏教からの影響も考えるべきだが、
シュタイナーの言うように、永遠回帰は最新物理学への、超人思想は最新生物学(=進化論)への
ニーチェなりの回答と取るべきかもしれない。

8:44 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響があると思う。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として
描いている点において、ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論と
しての哲学教程』(1875年)における記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことに
なる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
ただしデューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザとライプニッツ両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザ(一元論)とライプニッツ(多元論)を共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。
『ツァラトゥストラ』を読めば、東洋思想の重要性は明らかで、仏教からの影響も考えるべきだが、
シュタイナーの言うように、永遠回帰は最新物理学への、超人思想は最新生物学(=進化論)への
ニーチェなりの回答と取るべきかもしれない。

8:45 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響があると思う。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として描いている点において、
ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)におけ
る記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
ただしデューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザとライプニッツ両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザ(一元論)とライプニッツ(多元論)を共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。
『ツァラトゥストラ』を読めば、東洋思想の重要性は明らかで、仏教からの影響も考えるべきだが、
シュタイナーの言うように、永遠回帰は最新物理学への、超人思想は最新生物学(=進化論)への
ニーチェなりの回答と取るべきかもしれない。

8:46 午前  
Blogger yoji said...

彦頁テ''力


シャムスカは日本の夏をわかってない
ブラジルとは違う暑さがある
これさえわかれば名将なのに





    クレア高瀬
仲田    陽子    京川
     澤 磯金
  渡辺  甲斐  三宅




本田柿谷


遠藤青山


2トップ2ボランチ
左で遅攻、右でカウンター
互いに邪魔しない

8:47 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響があると思う。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

ところで、シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているというのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として描いている点において、
ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)におけ
る記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
ただしデューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザとライプニッツ両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザ(一元論)とライプニッツ(多元論)を共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。
『ツァラトゥストラ』を読めば、東洋思想の重要性は明らかで、仏教からの影響も考えるべきだが、
シュタイナーの言うように、永遠回帰は最新物理学への、超人思想は最新生物学(=進化論)への
ニーチェなりの回答と取るべきかもしれない。

8:49 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響があると思う。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

ところで、シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているというのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として描いている点において、
ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)におけ
る記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
ただしデューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこれもライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザ(一元論)とライプニッツ(多元論)両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。
『ツァラトゥストラ』を読めば、東洋思想の重要性は明らかで、仏教からの影響も考えるべきだが、
シュタイナーの言うように、永遠回帰は最新物理学への、超人思想は最新生物学(=進化論)への
ニーチェなりの回答と取るべきかもしれない。

8:51 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響があると思う。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

ところで、シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているというのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として描いている点において、
ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)におけ
る記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
ただしデューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこの説もライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザ(一元論)とライプニッツ(多元論)両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。
『ツァラトゥストラ』を読めば、東洋思想の重要性は明らかで、仏教からの影響も考えるべきだが、
シュタイナーの言うように、永遠回帰は最新物理学への、超人思想は最新生物学(=進化論)への
ニーチェなりの回答と取るべきかもしれない。

8:51 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響があると思う。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ(プラトン『国家』
ラストの輪廻説と対比せよ)。


ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

ところで、シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているというのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として描いている点において、
ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)におけ
る記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
ただしデューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこの説もライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザ(一元論)とライプニッツ(多元論)両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。
『ツァラトゥストラ』を読めば、東洋思想の重要性は明らかで、仏教からの影響も考えるべきだが、
シュタイナーの言うように、永遠回帰は最新物理学への、超人思想は最新生物学(=進化論)への
ニーチェなりの回答と取るべきかもしれない。

8:54 午前  
Blogger yoji said...

永遠回帰にはスピノザとライプニッツ両者からの影響があると思う。

ニーチェが永遠回帰を発見したのは1881年8月だが、その直前にニーチェはスピノザを
賞賛する手紙を書いている。肯定という主題がはじめて出現したのだ(プラトン『国家』
ラストの輪廻説と対比せよ)。

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

ところで、シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う
(シュタイナー『ニーチェ』)。ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書には
ニーチェの書き込みが残っているというのだ。
現在の一瞬を極小小粒子の特定の連関結合(Kombination)として描いている点において、
ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)におけ
る記述の否定的記述から永劫回帰の説をあみだしたことになる(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
ただしデューリング自身はライプニッツの影響を受けているから、間接的にこの説もライプニッツ
経由と言える。

ニーチェにはスピノザ(一元論)とライプニッツ(多元論)両方が必要で、永遠回帰は両者の統合だったと思う。
だからこそスピノザとライプニッツを共存させたドゥルーズがニーチェを賞賛したのだ。
思えば『差異と反復』はまるまる一冊、永遠回帰に捧げられていると言っていい。
『ツァラトゥストラ』を読めば、東洋思想の重要性は明らかで、仏教からの影響も考えるべきだが、
シュタイナーの言うように、永遠回帰は最新物理学への、超人思想は最新生物学(=進化論)への
ニーチェなりの回答と取るべきかもしれない。

8:55 午前  
Blogger yoji said...

>>672
ニーチェは自然科学を否定的媒介にしているということ
後にスピノザを否定するようになるのと似ている
シュタイナーの根拠はニーチェによるデューリング書(極小小粒子の連結を論じた)への
書き込みにある

《一つの理論において、それが反駁されうるということは真にその魅力を最も減じる
ものではない。これによってこそ、その理論は繊細な頭脳の人々を惹きつけるのだ。》
(善悪の彼岸18)

1:45 午前  
Blogger yoji said...

ライプニッツに関しては、永劫回帰の発見以後の1886年、ニーチェはライプニッツに
よる「意識は表象の一偶有性にすぎない」というテーゼを賞賛している(『悦ばしい
知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357)。
アガンベンは「つまるところ、ツァラトゥストラの永遠回帰は、ライプニッツの『弁神論』
の無神論的な変種でしかない」とまで言っている(『バートルビー』)。

1:47 午前  
Blogger yoji said...

権力への意志1066

ウィリアム・トムソンがそれから引きだした或る終局状態という帰結

差異と反復でドゥルーズが言及

3:08 午前  
Blogger yoji said...

ウィリアム・トムソン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・トムソン
効果を発見
ジュール=トムソン効果の発見
影響を
受けた人物 ハンフリー・デービー
ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー
主な受賞歴 ロイヤル・メダル
コプリ・メダル
署名

プロジェクト:人物伝
初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン(英: William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE、1824年6月26日 - 1907年12月17日)は、アイルランド生まれのイギリスの物理学者。爵位に由来するケルヴィン卿(Lord Kelvin)の名で知られる。特にカルノーの理論を発展させた絶対温度の導入、クラウジウスと独立に行われた熱力学第二法則(トムソンの原理)の発見、ジュールと共同で行われたジュール=トムソン効果の発見などといった業績がある。これらの貢献によって、クラウジウス、ランキンらと共に古典的な熱力学の開拓者の一人と見られている。このほか電磁気学や流体力学などをはじめ古典物理学のほとんどの分野に600を超える論文を発表した。また、電磁誘導や磁気力を表すためにベクトルを使い始めた人物でもある。

目次 [非表示]
1 年譜
2 経歴
2.1 生い立ち
2.2 電磁気
2.3 熱力学
2.4 海底電信
2.5 地球物理学
2.6 流体力学
3 人物
4 出典
5 関連項目
年譜[ソースを編集]
1824年 - アイルランド、アルスター地方のアントリム州ベルファストに生まれる。
1834年 - グラスゴー大学へ入学。
1841年 - ケンブリッジ大学へ入学(1845年卒業)。
1846年 - グラスゴー大学の自然哲学教授となる(1899年まで)。
1848年 - 絶対温度目盛を導入。
1851年 - 熱力学の第二法則を定式化。王立協会会員となる[1]。
1852年 - ジュール=トムソン効果を発見。
1858年 - 海底電信用に反照検流計を発明。鏡検流計とも。
1862年 - 地球の年齢を2000万年から4億年と概算。
1866年 - 大西洋横断電信ケーブルの敷設に成功。この功績でナイトに叙せられ、サー・ウィリアムとなる。
1867年 - 象限電位計を発明。
1870年 - 絶対電位計を発明。
1876年 - ビナクルを自差修正装置とした磁気コンパスを発明し特許を取得。英海軍に採用されたが、その後も少しずつ改良されて全世界で利用された。
1883年 - 王立協会からコプリ・メダルを受賞。
1890年 - 王立協会会長に就任(1894年まで)。
1892年 - 男爵に叙せられ、ケルヴィン卿となる。
1896年 - ロイヤル・ヴィクトリア勲章を授けられる。
1902年 - メリット勲位を授けられる(創設時の12人の一人)。
1904年 - グラスゴー大学総長に就任。
1907年 - スコットランド、エアーシャーのラーグスで死去。ウェストミンスター寺院に葬られた。
経歴[ソースを編集]
生い立ち[ソースを編集]
1824年6月26日、アイルランドのベルファストで2人兄弟の次男として生まれた。父親のジェームズ・トムソン(英語版)はスコットランド系アイルランド人の農家の生まれで、教師として働く傍ら独学でグラスゴー大学へ入学し、ベルファスト大学の数学教授となった。トムソンは兄とともに父から家庭で教育を受けた。兄のジェームズ(父と同名)も後に物理学者となり、圧力による氷点降下や水の三重点を発見している。父は1832年にグラスゴー大学へ赴任するが、幼い頃から神童ぶりを発揮していたトムソンは、その2年後わずか10歳でグラスゴー大学への入学を許可された。1841年からはケンブリッジ大学ピーターハウス・カレッジ(英語版)で学び、1845年に次席で卒業した[2]。その後パリのルニョーのもとで学んだ。そして翌1846年に22歳の若さでグラスゴー大学の教授に就任し、イギリスの大学で初めて物理学の研究室を作った。

電磁気[ソースを編集]
ケンブリッジ大学在学中の1842年からトムソンは独自の研究を開始した。この年発表した、熱の分布と静電気力の分布の比較研究による論文は、電磁場と非圧縮性弾性体の間の類似点を指摘していた。1845年の論文では、電磁誘導を何らかの媒体(現在「場」と呼ばれているもの)によるというファラデーの考えに数学的な表現を与えた。これらは後のマクスウェルに重大な示唆を与えるものだった。

1849年から10年間、トムソンはファラデーが発見した常磁性と反磁性、およびその理論を一般化するための研究を行った。ここで透磁率と磁気感受率という概念を導入し、磁石のもつ全エネルギーを表す式を導いた。電気においては、電流の流れる回路のもつエネルギーを表す式を得、1853年に振動回路の理論を発展させた。これは1857年に実験で確かめられ、後にヘルツによって電波を発生させるのに使われた。

1851年、ヴェーバーが国際単位系の電磁気への拡張を提案したとき、トムソンはこれを受けてダニエル電池の起電力やジュールの法則の計算を行い、さらに英国学術協会に電磁気の標準を決定するように働きかけた。

熱力学[ソースを編集]
1845年、ケンブリッジ大学を卒業したトムソンは、パリのルニョーのもとで実験技術を磨き、同時にクラペイロンの論文を通じてカルノーの研究を知った。トムソンはルニョーの実験結果とカルノーの研究結果を発展させ、1848年に、「温度が物体中のエネルギー総量を表す」という絶対温度の概念を導いた。この単位は後に彼にちなんでケルビン(K)と呼ばれるようになった。また熱素説が残っていた当時、ジュールが発表していた「熱はエネルギーの一形態である」という論文を高く評価し、1851年に「熱を全て仕事にすることはできない(トムソンの原理)」ならカルノーの理論とジュールの法則が矛盾しないということを示した。これは現在熱力学の第二法則と呼ばれている。

同じく1851年からは熱電気の研究を行い、「温度勾配がある物質に電流を流すと熱の移動が起こる」というトムソン効果を発見した。

1847年のオックスフォードで初めて会ってから数年間、トムソンとジュールは共同で研究を行った。1852年、二人は細いノズルから気体を噴出させる実験を行い、ジュール=トムソン効果を発見した。

3:12 午前  
Blogger yoji said...

地球物理学[ソースを編集]
1862年、トムソンはフーリエの熱伝導理論を用いて球の冷却速度を計算し、地球の年齢が数千万年、長くても4億年を越えることはないと結論した[3]。これは地球全体がどろどろに融けた状態から現在の温度に冷えるまでの時間を求めたものであった。またトムソンは同年に、太陽の熱が重力収縮によって発生するとし、太陽の年齢を1億年未満、最大で5億年とした[3]。別々に計算した太陽と地球の年齢がおおむね一致し、トムソンの議論を説得力のあるものにした[3]。しかし、地質学の斉一説とは矛盾し、当時生まれたばかりの進化論を交えて一部の地質学者と論争になった[3]。

トムソンの計算は、当時発見されていなかった放射性元素の崩壊熱や核融合のエネルギーが考慮されておらず、また地球内部の熱伝導率が場所によらず一定という仮定が誤っていたため、正しい値からは大きくずれていた。現代では、トムソンの地球の年齢推定が大きくずれていた理由は、地球内部の対流により熱が表層よりも内部で速く伝わることを知らなかったことが大きく、放射性崩壊熱の影響は小さいとわかっている[3]。

1863年にトムソンは、地球の形状が太陽や月の潮汐力によって変形していること(地球潮汐)を利用して地球のかたさを求めた。

流体力学[ソースを編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
人物[ソースを編集]
キリスト教(非国教派)の敬虔な信者であった。ライト兄弟が空を飛ぶ数年前に、「空気より重い機械が空を飛べるわけがない」と言っていた。彼の発言として記録に残っているものには、「電波には未来などない」や「X線はそのうちいたずらとわかるだろう」などもある[4]。ケンブリッジ大学在学中はスポーツにも取り組み、オックスフォード大学とのボートレースにも参加した。特にヨットに熱心で、海に関するあらゆるものに関心を持った。

かつて、クライズデール銀行が発行する100ポンド紙幣に肖像が使用されていた。

出典[ソースを編集]
[ヘルプ]
^ “Thomson; William (1824 - 1907); Baron Kelvin of Largs” (英語). Past Fellows. The Royal Society. 2011年12月11日閲覧。
^ Venn, J.; Venn, J. A., eds (1922–1958). “Thomson, William”. Alumni Cantabrigienses (online ed.). Cambridge University Press.
^ a b c d e マリオ・リヴィオ『偉大なる失敗』(早川書房,2015年)ISBN 4152095180
^ ロバート・ウィンストン著「人間の本能」2002年
関連項目[ソースを編集]
ウィキメディア・コモンズには、初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソンに関連するカテゴリがあります。
トムソンの原理(ケルヴィンの原理、熱力学の第二法則)
トムソン効果
ジュール=トムソン効果
ケルビンの渦定理
ケルヴィン問題
ケルビン(温度の単位)
ケルヴィン水滴誘導起電機
マイケル・ファラデー
ジェームズ・クラーク・マクスウェル
ニコラ・カルノー
ジェームズ・プレスコット・ジュール
ジョージ・ガブリエル・ストークス

3:17 午前  
Blogger yoji said...

ウィリアム・トムソン(ケルビン卿) - Conductor’s Club
https://sites.google.com/site/conductorsclub/works/great/kelvin
ウィリアム・トムソン William Thomson(1824~1907)

ウィリアム・トムソン
流体力学の分野でも有名な定理をいくつか残していますが,ウィリアム・トムソンは非常に有名な人です.特に熱力学の分野で有名ですね.

何でかって?温度の単位って知ってますか?摂氏ではなくて,絶対温度の単位です.

そう!ケルビンです!

実は意外と知られていませんが,ケルビン卿とウィリアム・トムソンは同一人物です.熱力学に詳しい人でも,結構知らない事実だと思います.

まぁ,ケルビン先生の業績は左の業績一覧をご覧いただくとして,ここではウィリアム・トムソンさんがどのような人生を送って,最終的にロード(爵位)の地位を得るまでに至ったかを書きたいと思います.

ウィリアム・トムソン,1824年にアイルランドのベルファストに生まれました.研究者一家で,お父さんはグラスゴー大学の数学教授,お兄さんは同じくグラスゴー大学の工学部教授を勤めていました.お兄さんの業績では,水の三重点,水の氷点降下などの発見が知られています.

ところで,ウィリアム.非常な天才で,10歳のときにグラスゴー大学に入学が許可されています.その後ケンブリッジ大学で学び,な・な・なんと!!22歳のときに母校グラスゴー大学の物理学教授に就任しています.恐るべし天才!

時代が下って1904年,つまり死ぬ3年前に大学の総長に推されました.ちなみにバロン(爵位)を受けたのは1892年です.彼の膨大な業績に対して贈られました.

このケルビン紹介の文を書きたかったのは,次のエピソードを皆さんに伝えたかったからです.それというのは,なぜ"ケルビン"という名前にしたか,ということです.

上に書いたように,トムソンは22歳のときからグラスゴー大学の教授を勤めてきました.そのグラスゴー大学の構内に小川が流れています.その名前が"ケルビン".というわけで,トムソンはその小川の名前にちなんでケルビン卿と名乗ったわけです.

とりあえず,22歳で教授に就任するというだけでも,僕にとっては神様のように思えますが,ケルビンの研究分野というのは熱力学にだけ限ったものではないのです.当時のあらゆる分野の科学について,ほぼ全分野に研究領域が及んでいました.

今こうして,熱エネルギーを使えるのも,こうした偉大な先達が偉大な業績を残してくれたからです.改めて感謝の念を抱きますね.

■ トムソンの業績

ジュール・トムソン効果(1851年)
圧力の低い場所に気体を噴出すると温度が下がり,圧力の高い場所に気体を噴出すると温度が上がるという効果.簡単な例でいうと,満員電車(人から受ける圧力が高い)からホームへ降りると,(つまり圧力の低い所に行くと)温度が下がったように感じる.(分かったでしょうか?)
絶対温度目盛の導入(1848年)
原子の振動も止まる温度を絶対零度に置いた温度目盛.ケルビンの業績を称えて,単位はK[ケルビン]である.
熱力学第2法則の定式化(1851年)
カルノーサイクルの理論の一般化を試みて,定式化した.彼の第2法則の表し方は,温度の決まったただ1つの熱源から熱を受け取って,それを全部仕事に変え,それ以外に何の変化も残さないような過程は実現不可能である.
ケルビンの渦定理
流体を完全流体であると仮定すると,渦は不生不滅であり,渦糸・渦管の強さは不変.また渦糸に端はない,など完全流体中の渦に関する定理

3:17 午前  
Blogger yoji said...

ちくま


あるいは、後にエンゲルスから厳しく批判されることになる左派の経済学者、オイゲン・デューリングも、リービッヒの理論に注目し、「意識的な物質分配の規制」を訴えた。アメリカではヘンリ・チャールズ


マルクスより先にデューリングはリービッヒに着目している

4:16 午後  

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