火曜日, 2月 28, 2012

百人一首=歌織物(林直道説):メモ


歌織物(林直道説):時代順図表付録系図土地分類その他リンク →改訂版別頁

式子内親王→                                       ←順徳院
    
   風風              山山  山山  山山  あ
 89
3758791232946922100
 絶え 
  風   原人 出月   天  紅葉山 みのの竜田川嵐嵐 嵐  ある
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
 絶え 
  風お小 原人 出月天天 天  紅葉山 みのの竜田川   嵐  なく
 63
4839原 60山 14179633
  思 
 ころ  小野 月 見山山橋ふみふみ聞鳴鳴 初める 神るりふり ┃  花
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
  思 
 ころ  をの 月 見夜夜 橋霜霜きく   初   神  ふりふふ 花
 80
84長 59更 29742415る 
物 思 
  世  独寝む かた月 おく   心     たむき  春衣 ふる花
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
物 思夜
夜 夜  独寝む かた月 おく   心   なたきたた 春衣 ふる花
 85
53918183261355へ 35
物 思 
 ぬるりりなく方方 月   思  ゆきねね 嶺ぬぬ 音 来 山 花 知人
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
物 思 
 ぬる  なく   月   思逢逢ゆき ゆ 嶺   音 来 山 山花知人
 43
2044577710き 622566
物 思思
思詫び身身 恨 月 見 瀬 川かきしるくば出でて関鳥夜坂坂 来 人 桜
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
物 思 
 詫び   恨 月 見 瀬 川  しる ば出でて関鳥夜   来 人 桜
 40
655231649870784761 
恋 人 
  袖  明け 月 明  わた   川暮暮たち処く通う 寂し重重 桜
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
恋 人立
立 袖うう明け 月 明  わた   川  たつ  通う  寂し   桜
 41
9530367627つ 182873
 わがめ
 うき ばかりけけ 月明 わた見見 恋みみ 世人人よる目目 早  高砂
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
 わが 
 うき ばかりばば 月明 わたわわ 恋   世 みよる   早  高砂
 86
826721118819495134
  思 
  命くなくり長月るるわた舟 かり   芦きき  さしも  まつ
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
  思 
  命共あら  長月  わた舟とかり秋秋 芦夕夕  させも  まつ 
 50
54566846ま 71877516
惜 思 
  忘なな 思 あらで月  舟をを濡れ  おと秋秋 干 秋契りししまつむ
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
惜 思人
人 忘人人 思 あらね月  舟  濡れ  おと秋秋 干 秋契りし まつ来
 99
384523939072924297
  身思
思身 身身      しし  のの  濡濡  袖袖      つ

後鳥羽院→                                         ←定家


あるいは、

式子内親王→                               ←順徳院

 89

 絶え 
   
37
  風

58
 原人

79

 出月

12
  天
   
32
 紅葉山
  
94
 みのの
  
69
竜田川嵐
 あ
22
嵐 嵐 
   
100
 ある
 絶え
 63
  思 
  風お
48
 ころ 
小 原人
39
 小野 
 出月天
原 
月 見山
天 天 
60
山橋ふみ
 紅葉山
山 
ふみ聞鳴
 みのの
14
鳴 初め
竜田川 
17
る 神る
  嵐 
96
りふり 
 なく
33
  花
  思
 80
物 思 
 ころ
84
  世 
 をの
長 
 独寝む
月 見夜
59
 かた月
夜 橋霜
更 
 おく 
霜きく
29
  心 
  初 
74
   
  神 
24
 たむき
 ふりふ
15
  春衣
ふ 花
る 
 ふる花
物 思夜
 85
物 思 
夜 夜 
53
 ぬるり
 独寝む
91
りなく方
 かた月
81
方 月 
 おく 
83
  思 
  心 
26
 ゆきね
  
13
ね 嶺ぬ
なたきた
55
ぬ 音 
た 春衣
へ 
来 山 
 ふる花
35
花 知人
物 思 
 43
物 思思
 ぬる 
20
思詫び身
 なく 
44
身 恨 
  月 
57
月 見 
  思逢
77
瀬 川か
逢ゆきゆ
10
きしる 
ゆ 嶺
き 
ば出でて
  音 
62
関鳥夜坂
来 山 
25
坂 来 
山花知人
66
人 桜
物 思
 40
恋 人 
 詫び 
65
  袖 
  恨 
52
 明け 
月 見 
31
月 明 
瀬 川 
64
 わた 
 しる 
98
  川暮
ば出でて
70
暮たち処
関鳥夜 
78
く通う
  来 
47
 寂し重
人 桜
61 
重 桜
恋 人
41
わがめ
 袖う
95
 うき 
う明け 
30
ばかりけ
月 明 
36
け 月明
 わた 
76
 わた見
  川 
27
見 恋み
 たつ 
つ 
み 世人
 通う 
18
人よる目
 寂し 
28
目 早 
  
73
 高砂
 わが 
 86
  思 
 うき
82
  
ばかりば
67
くなく
ば 月明
21
り長月る
 わたわ
11
るわた舟
わ 恋 
88
 かり 
  世 
19
  芦き
みよる 
49
き  
  早 
51
さしも 
 高砂
34
 まつ
  思 
 50
惜 思 
  命共
54
  忘な
あら 
56
な 思 
 長月 
68
あらで月
 わた舟
46
  舟を
とかり秋
ま 
を濡れ 
秋 芦夕
71
 おと秋
夕  
87
秋 干 
させも 
75
秋契りし
 まつ 
16
しまつむ
惜 思人
 99
 身思
人 忘人
38
思身 身
人 思 
45
身   
あらね月
23
   し
  舟 
93
し  の
 濡れ 
90
の  濡
 おと秋
72
濡  袖
秋 干 
92
袖   
秋契りし
42
   つ
 まつ来
97

後鳥羽院→                                 ←定家

全体は情念(左3列)と景色(右7列)とに分かれるそうだ(間、左4列目を縦に月の主題が貫く)。


色違いで、




式子内親王→                                       ←順徳院
    
   風風              山山  山山  山山  あ
 89
3758791232946922100
 絶え 
  風   原人 出月   天  紅葉山 みのの竜田川嵐嵐 嵐  ある
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 
 絶え 
  風お小 原人 出月天天 天  紅葉山 みのの竜田川   嵐  なく
 63
4839原 60山 14179633
  思 
 ころ  小野 月 見山山橋ふみふみ聞鳴鳴 初める 神るりふり ┃  花
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
  思 
 ころ  をの 月 見夜夜 橋霜霜きく   初   神  ふりふふ 花
 80
84長 59更 29742415る 
物 思 
  世  独寝  かた月 おく   心     たむき  春衣 ふる花
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
物 思夜
夜 夜  独寝  かた月 おく   心   なたきたた 春衣 ふる花
 85
53918183261355へ 35
物 思 
 ぬるりりなく方方 月   思  ゆきねね 嶺ぬぬ 音 来 山 花 知人
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━  
物 思 
 ぬる  なく   月   思逢逢ゆき   嶺   音 来 山 山花知人
 43
2044577710ゆ 622566
物 思思
思詫び身身 恨 月 見 瀬 川かきしるくき出でて関鳥夜坂坂 来 人 桜
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
物 思 
 詫び   恨 月 見 瀬 川  しる  出でて関鳥夜   来 人 桜
 40
655231649870784761 
恋 人 
  袖  明け 月 明  わた   川暮暮たち処く通う 寂し重重 桜
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
恋 人立
立 袖うう明け 月 明  わた   川  たつ  通う  寂し   桜
 41
9530367627つ 182873
 わがめ
 うき ばかりけけ 月明 わた見見 恋みみ 世人人よる目目 早  高砂
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
 わが 
 うき ばかりばば 月明 わたわわ 恋   世 みよる   早  高砂
 86
826721118819495134
  思 
  命くなくり長月るるわた舟 かり   芦きき  さしも  まつ
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
  思 
  命共あら  長月  わた舟とかり秋秋 芦    させも  まつ 
 50
54566846ま 71877516
惜 思 
  忘なな 思 あらで月  舟をを濡れ  おと秋秋 干 秋契りししまつむ
━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━
惜 思人
人 忘人人 思 あらね月  舟  濡れ  おと秋秋 干 秋契りし まつ来
 99
384523939072924297
  身思
思身 身身      しし  のの  濡濡  袖袖      つ

後鳥羽院→                                         ←定家


林直道氏『百人一首の秘密-驚異の歌織物』における試み:
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/utaorimono.html
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/ezu.html


歌織物説時代順図表付録系図土地分類その他 →改訂版別頁


歌織物(林直道説):

式子内親王→                              ←順徳院
       風風              山山  山山  山山  あある
 89玉玉37吹吹58風風79雲雲12風風32風風94吹吹69吹吹22100
 絶え   風   原人 出月   天  紅葉山 みのの竜田川嵐嵐 嵐  ある 
 絶え   風お小 原人 出月天天 天  紅葉山 みのの竜田川   嵐  なく
 63思思48の野39原原 のの60山山 奥奥14そ括17ふふ96花花33
  思  ころ  小野 月 見山山橋ふみふみ聞鳴鳴 初める 神るりふり   花
  思  ころ  をの 月 見夜夜 橋霜霜きく   初   神  ふりふふ 花
 80長長84長長 寝寝59更更 白白29初初74祈神24手手15りる 
物 思   世  独寝  かた月 おく   心     たむき  春衣 ふる花
物 思夜夜 夜  独寝  かた月 おく   心   ななたきたた 春衣 ふる花
 85明明53独独91鳴鳴81鳴鳴83山山26みみ13りり55えへ 香香35
物 思  ぬるりりなく方方 月   思  ゆきねね 嶺ぬぬ 音 来 山 花 知人  
物 思  ぬる  なく   月   思逢逢ゆき   嶺   音逢来 山 山花知人
 43逢逢20逢逢44逢逢57逢逢77せせ10ゆゆ ねね62坂逢25知知66
物 思思思詫び身身 恨 月 見 瀬 川かきしるくき出でて関 鳥夜坂 来 人 桜
物 思  詫び   恨 月 見 瀬 川  しる  出でて関 鳥夜  来 人 桜
 40恋恋65恨恨52朝朝31朝朝64川川98夕夕70何い78い来47八八61    
恋 人   袖  明け 月 明  わた   川暮暮たち処く通う 寂し重重 桜
恋 人立立 袖うう明け 月 明  わた   川  たつ  通う  寂し   桜
 41そ染95きき30明明36雲雲76原原27つつ 住住18人人28山山73
 わがめ うき ばかりけけ 月明 わた   恋みみ 世人人よる目目 早  高砂
 わが  うき ばかりばば 月明 わたわわ 恋   世 みよる   早  高砂
 86涙涙82あな67かか21つ釣11たた88芦芦19短か49思思51知知34
  思   命るくなくりり長月るるわた舟 かり   芦きき  さしも  まつ
  思   命共共あら  長月  わた舟とかり秋秋 芦    させも とまつ    
 50命命54がが56世世68恋恋46とま 田田71葉葉87露露75とし16
惜 思   忘なな 思 あらで月  舟をを濡れ  おと秋秋 干 秋契りし まつむ
惜 思人人 忘人人 思 あらね月  舟  濡れ  おと秋秋 干 秋契りし まつ来
 99惜惜38思思45身身23悲悲93天天90袖袖72浜沖92袖袖42まま97
  身思思身 身身      しし  のの  濡濡  袖袖      つつ

後鳥羽院→                                ←定家


林直道氏『百人一首の秘密-驚異の歌織物』における試み:
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/utaorimono.html
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/ezu.html
<百の歌が、合せ言葉のタテ糸、ヨコ糸によって一枚の織物のように織り上げられているという意味で、私はこのしくみを《歌織物》と名づけた。
(この復元の過程では経済学の再生産論にいう二部門分割からの水平思考が大いに役立った)>
(上記、林直道氏サイトより)
絵解き(右七列):
http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin01.html

まとめサイト:
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/144788199.html





林直道氏サイトより

___________________

___________________

時代順図表

\    
 \ 身分
時代\  
男 性 七九女 性 二一
天皇七
親王一
    官人 五八 (藤原姓二五)僧侶
一三
女帝一 
内親王一
女房
一七

万葉集時代
計六
(男五、
 女一)
天智
天皇
人麿
赤人
家持
仲麿


持統
天皇


六歌仙
時代

計一二
(男一一、
 女一)
陽成院
(
13)
光孝
天皇
(
15)
猿丸大夫 
参議篁11 
河原左大臣け(14)
行平16
業平17
文屋康秀22

喜撰

蝉丸
10
遍昭
12

小町

古今集
時代

 計一八
(男一七、
 女一)


大江千里お23
菅家24
宗于げ28
躬恒29
壬生忠岑30
坂上是則31
列樹32
友則33
貫之35
清原深養父36
文屋朝康37
敏行
18
三条右大臣
25
[貞信公]
26
[兼輔]
27
興風
34
素性
21

[伊勢]
19

後撰集
以後
千載集
までの
時代
   
   
   
   
計四八
(男三四、
 女一四)
元良
親王
(
20)


三条院
(68)
参議等け39
平兼盛へ40
壬生忠見41
清原元輔42
曽禰好忠46
源重之げ48
能宣49
 
 
[敦忠]43
[朝忠]44
[謙徳公]45 
義孝50
実方51
道信52
[公任](55
[道雅]63
[定頼]64
恵慶
47
能因
69
良暹
70

[右近]38
和泉式部お(56)
[紫式部](57
[大弐三位](58)
赤染衛門お(59)
小式部内侍お(60)
伊勢大輔61
清少納言(62
相模お65
[道綱母]
(
53)
[儀同三司母]
(
54)

   
   
   
崇徳院
(
77)
   
経信け
71
匡房お
73
俊頼げ
74
兼昌げ
78
基俊(75
[法性寺      
 入道](76) 
[顕輔]79
[後徳大寺    
左大臣]81 
清輔(84
行尊け
66
[道因]
82
俊恵け
85

周防内侍へ
(67)
紀伊へ
72
堀河け
80

新古今集
時代

計一六
(男一二、
女四)
後鳥羽

(99)
順徳院
(100)
実朝け
93
[俊成](83
[良経]91
[雅経]94
[公経](96
[定家](97
[家隆](98
西行
86
[寂蓮]
87
[慈円]
95
式子 
内親王
(89)
皇嘉門院別当け
88
[殷富門院大輔]
90
二条院讃岐け
92

春六夏四秋一六冬六羇旅四離別一、雑部二〇、恋四三  (参照:鈴木知太郎著『小倉百人一首』29、31頁)
人名:赤=六歌仙紫=六歌仙であり三十六歌仙青=三十六歌仙。人麿と赤人は歌聖。(参照:吉海直人著『図説 百人一首』19頁)

注:元良親王と敦忠(共に古今集に未収録、後撰集に収録)の時代を鈴木知太郎の資料より一つ下げた。
[名前]は藤原姓なのに呼称として採用されていない。「名前げ」は源氏、「名前け」は源氏なのに呼称に採用されていない。「名前へ」は平氏。「名前お」は大江氏(平兼盛の娘と言われる赤染衛門は平氏ではなく大江氏に数えた)。
付録 天皇家、清原氏、大江氏系図:

               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 
               天智1               天武
               ┣━━┳━━┳━━┓     ┏━━┻━━┓
               施基 弘文 持統 元明    皇子    舎人親王
               皇子          ┏━┻━┓   ┣━━━┓
               ┃            文武  元正  御原王 貞代王
               光仁           ┃       ┃   ┃
               ┃            聖武      小倉王 有雄
    ┏━━━━━━━━━━桓武━━┳━━━┓    ┃       ┃   ┃
    葛原親王(桓武平氏祖)┃   平城  良岑安世 孝謙・称徳   繁野王  通雄?房則?
    ┃      ┏━━━嵯峨  ┃   ┃                ┃
 ┏━(略)    (略)  ┣━┓ 阿保  遍昭12             清原深養父36
将門 ┏┻━┓    ┃   ┃源融 親王  ┃                ┃
  (略)(略)  参議等3914 ┣━┓ 素性21             春光?顕忠?
周防内侍  紀伊       ┃  行平 業平                 ┃
  67  72       仁明 16 17                 元輔42
    ┏(略)━土師氏   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓       ┃
┏━━(略)┓    ┏━━━光孝15             文徳      清少納言62
大江音人  菅原道真(略)  ┣━━━━━━━━━━━━━┓  ┃
┣━━━━┓  24 ┃伊勢━宇多            是忠 清和
千古   大江千里  ┃19 ┣━(略)┓  源氏   親王 ┣━━━━┳
┣━━━┓  23 (玄孫) 醍醐   (71、74、  ┃  陽成13 ┃ 貞元親王━┓
維明  維明    平兼盛  ┣(略)┓ 85、78へ) 源宗于┃    貞純親王  (略)
┃   ┃     40   村上 55、64へ)   28 元良親王      
 
仲宣  重光    ┃    ┣━━┳(略)┓ 藤原氏       20 源経基   (孫)
┃   ┣━━┓  赤染   円融 冷泉 80、88へ)源氏      ┃
      源重之 
清言  雅到 匡衡┳衛門   ┃  ┣━━━━━━━━┓         満仲     48
┣━┓ ┃    ┃59   一条 花山       三条68      ┣━━━┓ 
公資┃ 和泉┳橘 挙周    ┣━━━━━━┓    ┃         頼光┓ 頼信┓
 相模 式部┃道貞┃     後朱雀    後一条  敦明親王━┓     (略) (略)
 65 56┃  成衡    ┣━━━━━━┓        (孫)     二条院 実朝
     小式部 ┃     後三条    後冷泉       行尊     讃岐  93
     内侍  匡房    ┃                66     92
     60  73   (三代略)
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓
               後白河    崇徳77  近衛
               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓
               高倉               式子内親王
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓      89
               後鳥羽99  安徳    守貞親王  
               ┣━━━━━━┓     ┃
               土御門    順徳100 後堀河
               ┃      ┃     ┃
               後嵯峨    仲恭    四条

(桓武平氏高棟流の子孫である周防内侍67及び桓武平氏紀伊72や清和源氏、三条源氏の系譜は入れたが、宇多源氏〜71源経信、74源俊頼、85源俊恵、78源兼昌が該当〜と村上源氏〜80堀河、88皇嘉門院別当が該当〜は省いた。醍醐天皇関連の藤原氏〜55公任、64定頼が該当〜も省いた。周防内侍67と桓武平氏紀伊72は葛原親王高棟流の系譜。ちなみに平将門も高望流ではあるが葛原親王の系譜。大江氏と菅原氏は共に野見宿禰を遠い祖に持つ土師氏の出と言われる。)


歴代天皇の略系図外部


又は、

天皇家、清原氏、大江氏系図:

               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 
               天智1               天武
               ┣━━┳━━┳━━┓     ┏━━┻━━┓
               施基 弘文 持統 元明    皇子    舎人親王
               皇子          ┏━┻━┓   ┣━━━┓
               ┃            文武  元正  御原王 貞代王
               光仁           ┃       ┃   ┃
               ┃            聖武      小倉王 有雄
    ┳━━━━━━━━━━桓武━━┳━━━┓    ┃       ┃   ┃
    葛原親王(桓武平氏祖)┃   平城  良岑安世 孝謙・称徳   繁野王  通雄?房則?
    ┃      ┳━━━嵯峨  ┃   ┃                ┃
 ┳━(略)    (略)  ┣━┓ 阿保  遍昭12             清原深養父36
将門 ┏┻━┓    ┃   ┃源融 親王  ┃                ┃
  (略)(略)  参議等3914 ┣━┓ 素性21             春光?顕忠?
周防内侍  紀伊       ┃  行平 業平                 ┃
  67  72       仁明 16 17                 元輔42
    ┳(略)━土師氏   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓       ┃
┏━━(略)┓    ┳━━━光孝15             文徳      清少納言62
大江音人  菅原道真(略)  ┣━━━━━━━━━━━━━┓  ┃
┣━━━━┓  24 ┃伊勢━宇多            是忠 清和
千古   大江千里  ┃19 ┣━(略)┓  源氏   親王 ┣━━━━┳
┣━━━┓  23 (玄孫) 醍醐   (71、74、  ┃  陽成13 ┃ 貞元親王━┓
維明  維明    平兼盛  ┣(略)┓ 85、78へ) 源宗于┃    貞純親王  (略)
┃   ┃     40   村上 55、64へ)   28 元良親王      
 
仲宣  重光    ┃    ┣━━┳(略)┓ 藤原氏       20 源経基   (孫)
┃   ┣━━┓  赤染   円融 冷泉 80、88へ)源氏      ┃
      源重之 
清言  雅到 匡衡┳衛門   ┃  ┣━━━━━━━━┓         満仲     48
┣━┓ ┃    ┃59   一条 花山       三条68      ┣━━━┓ 
公資┃ 和泉┳橘 挙周    ┣━━━━━━┓    ┃         頼光┳ 頼信┳
 相模 式部┃道貞┃     後朱雀    後一条  敦明親王━┓     (略) (略)
 65 56┃  成衡    ┣━━━━━━┓        (孫)     二条院 実朝
     小式部 ┃     後三条    後冷泉       行尊     讃岐  93
     内侍  匡房    ┃                66     92
     60  73   (三代略)
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓
               後白河     崇徳77  近衛
               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓
               高倉               式子内親王
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓      89
               後鳥羽99   安徳    守貞親王  
               ┣━━━━━━┓     ┃
               土御門     順徳100 後堀河
               ┃      ┃     ┃
               後嵯峨     仲恭    四条

(桓武平氏高棟流の子孫である周防内侍67及び桓武平氏紀伊72や清和源氏、三条源氏の系譜は入れたが、宇多源氏〜71源経信、74源俊頼、85源俊恵、78源兼昌が該当〜と村上源氏〜80堀河、88皇嘉門院別当が該当〜は省いた。醍醐天皇関連の藤原氏〜55公任、64定頼が該当〜も省いた。周防内侍67と桓武平氏紀伊72は葛原親王高棟流の系譜。ちなみに平将門も高望流ではあるが葛原親王の系譜。大江氏と菅原氏は共に野見宿禰を遠い祖に持つ土師氏の出と言われる。)


あるいは、

天皇家、清原氏、大江氏系図:

               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 
               天智1               天武
               ┣━━┳━━┳━━┓     ┏━━┻━━┓
               施基 弘文 持統 元明    皇子    舎人親王
               皇子          ┏━┻━┓   ┣━━━┓
               ┃            文武  元正  御原王 貞代王
               光仁           ┃       ┃   ┃
               ┃            聖武      小倉王 有雄
    ┳━━━━━━━━━━桓武━━┳━━━┓    ┃       ┃   ┃
    葛原親王(桓武平氏祖)┃   平城  良岑安世 孝謙・称徳   繁野王  通雄?房則?
    ┃      ┳━━━嵯峨  ┃   ┃                ┃
 ┳━(略)    (略)  ┣━┓ 阿保  遍昭12             清原深養父36
将門 ┏┻━┓    ┃   ┃源融 親王  ┃                ┃
  (略)(略)  参議等3914 ┣━┓ 素性21             春光?顕忠?
周防内侍  紀伊       ┃  行平 業平                 ┃
  67  72       仁明 16 17                 元輔42
               ┣━━━━━━━━━━━━━━┓       ┃
           ┳━━━光孝15             文徳      清少納言62
大江音人      (略)  ┣━━━━━━━━
━━━┓  ┃
┣━━━━━┓    ┃伊勢━宇多            是忠 清和
千古    大江千里 ┃19 ┣━(略)
┓  源氏   親王 ┣━━━━┳
┣━━━┓   23(玄孫) 醍醐   (71、74、  ┃  陽成13 ┃ 貞元親王━┓
維明  維明    平兼盛  ┣(略)┓ 85、78へ) 源宗于┃    貞純親王  (略)
┃   ┃     40   村上 55、64へ)   28 元良親王      
 
仲宣  重光    ┃    ┣━━┳(略)┓ 藤原氏     20   源経基   (孫)
┃   ┣━━┓  赤染   円融 冷泉 80、88へ)源氏      ┃
      源重之 
清言  雅到 匡衡┳衛門   ┃  ┣━━━━━━━━┓         満仲     48
┣━┓ ┃    ┃59   一条 花山       三条68      ┣━━━┓ 
公資┃ 和泉┳橘 挙周    ┣━━━━━━┓    ┃         頼光┳ 頼信┳
 相模 式部┃道貞┃     後朱雀    後一条  敦明親王━┓     (略) (略)
 65 56┃  成衡    ┣━━━━━━┓        (孫)     二条院 実朝
     小式部 ┃     後三条    後冷泉       行尊     讃岐  93
     内侍  匡房    ┃                66     92
     60  73   (三代略)
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓
               後白河     崇徳77  近衛
               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓
               高倉               式子内親王
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓      89
               後鳥羽99   安徳    守貞親王  
               ┣━━━━━━┓     ┃
               土御門     順徳100 後堀河
               ┃      ┃     ┃
               後嵯峨     仲恭    四条

(桓武平氏高棟流の子孫である周防内侍67及び桓武平氏紀伊72や清和源氏、三条源氏の系譜は入れたが、宇多源氏〜71源経信、74源俊頼、85源俊恵、78源兼昌が該当〜と村上源氏〜80堀河、88皇嘉門院別当が該当〜は省いた。醍醐天皇関連の藤原氏〜55公任、64定頼が該当〜も省いた。周防内侍67と桓武平氏紀伊72は葛原親王高棟流の系譜。ちなみに平将門も高望流ではあるが葛原親王の系譜。)

別版:

:天皇家、清原氏、大江氏系図:

               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 
               天智1               天武
               ┣━━┳━━┳━━┓     ┏━━┻━━┓
               施基 弘文 持統 元明    皇子    舎人親王
               皇子          ┏━┻━┓   ┣━━━┓
               ┃            文武  元正  御原王 貞代王
               光仁           ┃       ┃   ┃
               ┃            聖武      小倉王 有雄
    ┳━━━━━━━━━━桓武━━┳━━━┓    ┃       ┃   ┃
    葛原親王(桓武平氏祖)┃   平城  良岑安世 孝謙・称徳   繁野王  通雄?房則?
    ┃      ┳━━━嵯峨  ┃   ┃                ┃
 ┳━(略)    (略)  ┣━┓ 阿保  遍昭12             清原深養父36
将門 ┏┻━┓    ┃   ┃源融 親王  ┃                ┃
  (略)(略)  参議等3914 ┣━┓ 素性21             春光?顕忠?
周防内侍  紀伊       ┃  行平 業平                 ┃
  67  72       仁明 16 17                 元輔42
               ┣━━━━━━━━━━━━━━┓       ┃
           ┳━━━光孝15             文徳      清少納言62
大江音人      (略)  ┣━━━━━━━━
━━━┓  ┃
┣━━━━━┓    ┃伊勢━宇多            是忠 清和
千古    大江千里 ┃19 ┣━(略)
┓       親王 ┣━━━━┳
┣━━━┓   23(玄孫) 醍醐   (71、74、  ┃  陽成13 ┃ 貞元親王━┓
維明  維明    平兼盛  ┣(略)┓ 85、78へ) 源宗于┃    貞純親王  (略)
┃   ┃     40   村上 55、64へ)   28 元良親王      
 
仲宣  重光    ┃    ┣━━┳(略)┓         20   源経基   (孫)
┃   ┣━━┓  赤染   円融 冷泉 80、88へ)        ┃
      源重之 
清言  雅到 匡衡┳衛門   ┃  ┣━━━━━━━━┓         満仲     48
┣━┓ ┃    ┃59   一条 花山       三条68      ┣━━━┓ 
公資┃ 和泉┳橘 挙周    ┣━━━━━━┓    ┃         頼光┳ 頼信┳
 相模 式部┃道貞┃     後朱雀    後一条  敦明親王━┓     (略) (略)
 65 56┃  成衡    ┣━━━━━━┓        (孫)     二条院 実朝
     小式部 ┃     後三条    後冷泉       行尊     讃岐  93
     内侍  匡房    ┃                66     92
     60  73   (三代略)
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓
               後白河     崇徳77  近衛
               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓
               高倉               式子内親王
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓      89
               後鳥羽99   安徳    守貞親王  
               ┣━━━━━━┓     ┃
               土御門     順徳100 後堀河
               ┃      ┃     ┃
               後嵯峨     仲恭    四条

(桓武平氏高棟流の子孫である周防内侍67及び桓武平氏紀伊72や清和源氏、三条源氏の系譜は入れたが、宇多源氏〜71源経信、74源俊頼、85源俊恵、78源兼昌が該当〜と村上源氏〜80堀河、88皇嘉門院別当が該当〜は省いた。醍醐天皇関連の藤原氏〜55公任、64定頼が該当〜も省いた。周防内侍67と桓武平氏紀伊72は葛原親王高棟流の系譜。ちなみに平将門も高望流ではあるが葛原親王の系譜。)

以下、草稿:

天皇家、清原氏、大江氏系図:

               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 
               天智1               天武
               ┣━━┳━━┳━━┓     ┏━━┻━━┓
               施基 弘文 持統 元明    皇子    舎人親王
               皇子          ┏━┻━┓   ┣━━━┓
               ┃            文武  元正  御原王 貞代王
               光仁           ┃       ┃   ┃
               ┃            聖武      小倉王 有雄
    ┳━━━━━━━━━━桓武━━┳━━━┓    ┃       ┃   ┃
    葛原親王(桓武平氏祖)┃   平城  良岑安世 孝謙・称徳   繁野王  通雄?房則?
    ┃      ┳━━━嵯峨  ┃   ┃                ┃
 ┳━(略)    (略)  ┣━┓ 阿保  遍昭12             清原深養父36
将門 ┏┻━┓    ┃   ┃源融 親王  ┃                ┃
  (略)(略)  参議等3914 ┣━┓ 素性21             春光?顕忠?
周防内侍  紀伊       ┃  行平 業平                 ┃
  67  72       仁明 16 17                 元輔42
               ┣━━━━━
━┓         ┃
           ┳━━━光孝15           文徳        清少納言62
大江音人      (略)  ┣━━━━━━━━━━━┓  ┃
┣━━━━━┓    ┃伊勢━宇多          是忠 清和
千古    大江千里 ┃19 ┣
(略)┓      親王 ┣━━━━┳━┓
┣━━━┓   23(玄孫) 醍醐   71、74、 ┃  陽成13 ┃ 貞元親王━(略)━┓
維明  維明    平兼盛  ┣(略)┓85、78 源宗于┃    貞純親王      (孫)
┃   ┃     40   村上  55、64  28 元良親王         源重之
仲宣  重光    ┃    ┣━━┳(略)┓         20 経基王(源経基)  48
┃   ┣━━┓  赤染   円融 冷泉  80、88へ       ┃
清言  雅到 匡衡┳衛門   ┃  ┣━━━━━━━━┓       満仲 
┣━┓ ┃    ┃59   一条 花山       三条68    ┣━━━┓ 
公資┃ 和泉┳橘 挙周    ┣━━━━━━┓    ┃       頼光┳ 頼信┳
 相模 式部┃道貞┃     後朱雀    後一条  敦明親王━┓   (略) (略)
 65 56┃  成衡    ┣━━━━━━┓        (孫)   二条院 実朝
     小式部 ┃     後三条    後冷泉       行尊   讃岐  93
     内侍  匡房    ┃                66   92
     60  73   (三代略)
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓
               後白河     崇徳77  近衛
               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓
               高倉               式子内親王
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓      89
               後鳥羽99   安徳    守貞親王  
               ┣━━━━━━┓     ┃
               土御門     順徳100 後堀河
               ┃      ┃     ┃
               後嵯峨     仲恭    四条

(桓武平氏高棟流の子孫である周防内侍67及び桓武平氏紀伊72や清和源氏、三条源氏の系譜は入れたが、宇多源氏〜71源経信、74源俊頼、85源俊恵、78源兼昌が該当〜と村上源氏〜80堀河、88皇嘉門院別当が該当〜は省いた。醍醐天皇関連の藤原氏〜55公任、64定頼が該当〜も省いた。周防内侍67と桓武平氏紀伊72は葛原親王高棟流の系譜。ちなみに平将門も高望流ではあるが葛原親王の系譜。)

又は、

天皇家、清原氏、大江氏系図:

               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 
               天智1               天武
               ┣━━┳━━┳━━┓     ┏━━┻━━┓
               施基 弘文 持統 元明    皇子    舎人親王
               皇子          ┏━┻━┓   ┣━━━┓
               ┃            文武  元正  御原王 貞代王
               光仁           ┃       ┃   ┃
               ┃            聖武      小倉王 有雄
    ┳━━━━━━━━━━桓武━━┳━━━┓    ┃       ┃   ┃
    葛原親王(桓武平氏祖)┃   平城  良岑安世 孝謙・称徳   繁野王  通雄?房則?
    ┃      ┳━━━嵯峨  ┃   ┃                ┃
 ┳━(略)    (略)  ┣━┓ 阿保  遍昭12             清原深養父36
将門 ┏┻━┓    ┃   ┃源融 親王  ┃                ┃
  (略)(略)  参議等3914 ┣━┓ 素性21             春光?顕忠?
周防内侍  紀伊       ┃  行平 業平                 ┃
  67  72       仁明 16 17                 元輔42
               ┣━━━━━━┓                 ┃
           ┳━━━光孝15   文徳                清少納言62
大江音人      (略)  ┣━━━┓  ┃
┣━━━━━┓    ┃伊勢━宇多  是忠 清和
千古    大江千里 ┃19 ┣━━┓親王 ┣━━━━┳━┓
┣━━━┓   23(玄孫) 醍醐  ┃  陽成13 ┃ 貞元親王━(略)━┓
維明  維明    平兼盛  ┣━┓源宗于 ┃    貞純親王      (孫)
┃   ┃     40   村上  28 元良親王         源重之
仲宣  重光    ┃    ┣━━┳━━┓  20 経基王(源経基)  48
┃   ┣━━┓  赤染   円融 冷泉             ┃
清言  雅到 匡衡┳衛門   ┃  ┣━━━━━━━━┓     満仲 
┣━┓ ┃    ┃59   一条 花山       三条68  ┣━━━┓ 
公資┃ 和泉┳橘 挙周    ┣━━━━━━┓    ┃     頼光┳ 頼信┳
 相模 式部┃道貞┃     後朱雀    後一条  敦明親王━┓ (略) (略)
 65 56┃  成衡    ┣━━━━━━┓        (孫) 二条院 実朝
     小式部 ┃     後三条    後冷泉       行尊 讃岐  93
     内侍  匡房    ┃                66 92
     60  73   (三代略)
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓
               後白河     崇徳77  近衛
               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓
               高倉               式子内親王
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓      89
               後鳥羽99   安徳    守貞親王  
               ┣━━━━━━┓     ┃
               土御門     順徳100 後堀河
               ┃      ┃     ┃
               後嵯峨     仲恭    四条

(桓武平氏高棟流の子孫である周防内侍67及び桓武平氏紀伊72や清和源氏、三条源氏の系譜は入れたが、宇多源氏〜71、74、85、78が該当〜と村上源氏〜80、88が該当〜は省いた。醍醐天皇関連の藤原氏〜55、64が該当〜も省いた。周防内侍67と桓武平氏紀伊72は葛原親王高棟流の系譜。ちなみに平将門も高望流ではあるが葛原親王の系譜。)

別バージョン:

天皇家、清原氏、大江氏系図:

               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 
               天智1               天武
               ┣━━┳━━┳━━┓     ┏━━┻━━┓
               施基 弘文 持統 元明    皇子    舎人親王
               皇子          ┏━┻━┓   ┣━━━┓
               ┃            文武  元正  御原王 貞代王
               光仁           ┃       ┃   ┃
               ┃            聖武      小倉王 有雄
    ┳━━━━━━━━━━桓武━━┳━━━┓    ┃       ┃   ┃
    葛原親王(桓武平氏祖)┃   平城  良岑安世 孝謙・称徳   繁野王  通雄?房則?
    ┃      ┳━━━嵯峨  ┃   ┃                ┃
   (略)    (略)  ┣━┓ 阿保  遍昭12             清原深養父36
    ┃      ┃   ┃源融 親王  ┃                ┃
  周防内侍67  参議等3914 ┣━┓ 素性21             春光?顕忠?
               ┃  行平 業平                 ┃
               仁明 16 17                 元輔42
               ┣━━━━━━┓                 ┃
           ┳━━━光孝15   文徳                清少納言62
大江音人      (略)  ┣━━━┓  ┃
┣━━━━━┓    ┃伊勢━宇多  是忠 清和
千古    大江千里 ┃19 ┣━━┓親王 ┣━━━━┳━┓
┣━━━┓   23(玄孫) 醍醐  ┃  陽成13 ┃ 貞元親王━(略)━┓
維明  維明    平兼盛  ┣━┓源宗于 ┃    貞純親王      (孫)
┃   ┃     40   村上  28 元良親王         源重之
仲宣  重光    ┃    ┣━━┳━━┓  20 経基王(源経基)  48
┃   ┣━━┓  赤染   円融 冷泉             ┃
清言  雅到 匡衡┳衛門   ┃  ┣━━━━━━━━┓     満仲 
┣━┓ ┃    ┃59   一条 花山       三条68  ┣━━━┓ 
公資┃ 和泉┳橘 挙周    ┣━━━━━━┓    ┃     頼光┳ 頼信┳
 相模 式部┃道貞┃     後朱雀    後一条  敦明親王━┓ (略) (略)
 65 56┃  成衡    ┣━━━━━━┓        (孫) 二条院 実朝
     小式部 ┃     後三条    後冷泉       行尊 讃岐  93
     内侍  匡房    ┃                66 92
     60  73   (三代略)
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓
               後白河     崇徳77  近衛
               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓
               高倉               式子内親王
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓      89
               後鳥羽99   安徳    守貞親王  
               ┣━━━━━━┓     ┃
               土御門     順徳100 後堀河
               ┃      ┃     ┃
               後嵯峨     仲恭    四条

(桓武平氏高棟流の子孫である周防内侍67や清和源氏、三条源氏の系譜は入れたが、宇多源氏〜71、74、85、78が該当〜と村上源氏〜80、88が該当〜は省いた。醍醐天皇関連の藤原氏〜55、64が該当〜も省いた。桓武平氏紀伊72〜周防内侍67と同じく葛原親王高棟流の系譜。平将門も高望流ではあるが葛原親王の系譜〜も省いた。)

あるいは、

               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 
               天智1               天武
               ┣━━┳━━┳━━┓     ┏━━┻━━┓
               施基 弘文 持統 元明    皇子    舎人親王
               皇子          ┏━┻━┓   ┣━━━┓
               ┃            文武  元正  御原王 貞代王
               光仁           ┃       ┃   ┃
               ┃            聖武      小倉王 有雄
    ┳━━━━━━━━━━桓武━━┳━━━┓    ┃       ┃   ┃
    葛原親王(桓武平氏祖)┃   平城  良岑安世 孝謙・称徳   繁野王  通雄?房則?
    ┃      ┳━━━嵯峨  ┃   ┃                ┃
   (略)    (略)  ┣━┓ 阿保  遍昭12             清原深養父36
    ┃      ┃   ┃源融 親王  ┃                ┃
  周防内侍67  参議等3914 ┣━┓ 素性21             春光?顕忠?
               ┃  行平 業平                 ┃
               仁明 16 17                 元輔42
               ┣━━━━━━┓                 ┃
           ┳━━━光孝15   文徳                清少納言62
大江音人      (略)  ┣━━┓   ┃
┣━━━━━┓    ┃伊勢━宇多 是忠  清和
千古    大江千里 ┃19 ┃  親王  ┣━━━━━┓
┣━━━┓   23(玄孫) 醍醐 ┃   陽成13  貞元親王━(略)━┓
維明  維明    平兼盛  ┃  源宗于 ┃             (孫)
┃   ┃     40   村上 28  元良親王20       源重之
仲宣  重光    ┃    ┣━━━━━┓              48
┃   ┣━━┓  赤染   円融    冷泉
清言  雅到 匡衡┳衛門   ┃     ┣━━━━━┓
┣━┓ ┃    ┃59   一条    花山    三条68
公資┃ 和泉┳橘 挙周    ┣━━━━━━┓    ┃
 相模 式部┃道貞┃     後朱雀    後一条  敦明親王━┓
 65 56┃  成衡    ┣━━━━━━┓        (孫)
     小式部 ┃     後三条    後冷泉       行尊
     内侍  匡房    ┃                66
     60  73   (三代略)
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓
               後白河     崇徳77  近衛
               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓
               高倉               式子内親王
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓      89
               後鳥羽99   安徳    守貞親王  
               ┣━━━━━━┓     ┃
               土御門     順徳100 後堀河
               ┃      ┃     ┃
               後嵯峨     仲恭    四条


(桓武平氏の子孫である周防内侍67は入れたが、48以外の清和源氏〜92、93が該当〜と宇多源氏〜71、74、85、78が該当〜と村上源氏〜80、88が該当〜は省いた。)

歴代天皇の略系図外部

付録:藤原家関連系図(数字は百人一首の歌番号)

   鎌足
   ┃
   不比等
   ┣━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 
   房前(北家)     (南家)(式家)(京家) ┃   宮子┳文武天皇
   ┃           ┃       ┃  光明子━┳━聖武天皇
   真楯         (略)     (略)     孝謙
   ┃           ┣━━━━┓  ┃      天皇
   内麻呂        (略)  (略) 興風34 
   ┃           ┃    ┃
   ┃           敏行18 右近38
   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   冬嗣┳━━━━━━━━━━┓                     真夏
 ┏━━━良房         良門┳━━━━━━━━━━━━━━━┓   ┃
基経┳━━━━━━━━━━┓    高藤┓             利基  〜
 貞信公┳━━━━┓   時平┓    三条右大臣25       ┃   〜
藤原忠平┃ 醍醐 師尹┓   敦忠   藤原定方          ┃   ┃
26  ┃ 天皇  ┏実時  43   ┃             ┃   伊勢
┃  実頼  ┃ 実方51       ┣━━┳━━┳━━┳━━┓ 兼輔  19
師輔  ┃代明親王┳━┳━右大臣藤原定方女  ┃  ┃  朝忠 女┳27 
┃  頼忠━┳━━厳子┃    代明親王室  朝頼 ┃  44  ┃  
┃ ┏━━━公任 女王┃           ┃  女━━━━┳━雅正    
定頼64 55   ┃           為輔      ┣━━━━━━┓
┣━┳━┳━┓   恵子           ┣━┳━┓   為時     為頼
┃ ┃公季 伊尹━┳女王          惟孝 ┃ ┃   ┣━━━┓  ┃
┃為光 ┃ 45 義孝━┓          ┃ ┃宣孝━┳━紫式部 惟規 〜
┃ ┃ 実成┓  50 行成         ┃ ┃   賢子 57    〜
┃ 道信  公成┓              ┃ 説孝 大弐三位      ┃
┃ 52    実季━━━━━━┳━━┓   ┃ ┃   58       家隆
兼家━┳道綱母         公実 顕季  〜〜〜            98
┃ 道綱 53         ┃  ┃   〜〜〜
┣━┳━┳━┓      三司┣━┓顕輔  ┃ ┃  
道長    道隆━━┳━┳54┃ ┃79 敦頼 殷富門院
┣┳┳┳┓     ┃ 伊周  ┃ ┃┃  道因 大輔    
┃┃ ┃彰子┳一条┳定子┃   実能┃清輔 82 90 
┃┃ ┃   天皇   道雅  ┃ ┃84
┃┃ 頼通━━┓    63  ┃ 通季┓ 
┃頼宗┓   師実━┓     公能┓ 公通┓  
長家 俊家  ┃  忠教┓     実定  実宗┓   
┃  ┃   師通  (略)  後徳大寺    公経、入道前太政大臣
忠家 基俊  ┃   雅経94  左大臣    96
┃  75 ┏忠実┓        81
俊忠┓  頼長  忠通━┳━━━━┓
 俊成83    76 兼実┓  慈円95
  ┣━━━━━┓    良経
定家97┓   寂蓮87 91 
   ┏為家 (養子) 
  為相

(飛鳥井雅経94も藤原氏に入れた。)

右近



あるいは、


:藤原家関連系図(数字は百人一首の歌番号)

   鎌足
   ┃
   不比等
   ┣━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 
   房前(北家)     (南家)(式家)(京家) ┃   宮子┳文武天皇
   ┃           ┃       ┃  光明子━┳━聖武天皇
   真楯         (略)     (略)     孝謙
   ┃           ┣━━━━┓  ┃      天皇
   内麻呂        (略)  (略) 興風34 
   ┃            ┃    ┃
   ┃           敏行18 右近38
   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   冬嗣┳━━━━━━━━━━┓                     真夏
 ┳━━━良房         良門┳━━━━━━━━━━━━━━━┓   ┃
基経┳━━━━━━━━━━┓    高藤┳             利基  〜
 貞信公┳━━━━┓   時平┳    三条右大臣25       ┃   〜
藤原忠平┃ 醍醐 師尹┳   敦忠   藤原定方          ┃   ┃
26  ┃ 天皇  ┳実時  43   ┃             ┃   伊勢
┃  実頼  ┃ 実方51       ┣━━┳━━┳━━┳━━┓ 兼輔  19
師輔  ┃代明親王┳━┳━右大臣藤原定方女  ┃  ┃  朝忠 女┳27 
┃  頼忠━┳━━厳子┃    代明親王室  朝頼 ┃  44  ┃  
┃ ┳━━━公任 女王┃           ┃  女━━━━┳━雅正    
定頼64 55   ┃           為輔      ┣━━━━━━┓
┣━┳━┳━┓   恵子           ┣━┳━┓   為時     為頼
┃ ┃公季 伊尹━┳女王          惟孝 ┃ ┃   ┣━━━┓  ┃
┃為光 ┃ 45 義孝━┓          ┃ ┃宣孝━┳━紫式部 惟規 〜
┃ ┃ 実成┳  50 行成         ┃ ┃   賢子 57    〜
┃ 道信  公成┳              ┃ 説孝 大弐三位      ┃
┃ 52    実季━━━━━━┳━━┓   ┃ ┃   58       家隆
兼家━┳道綱母         公実 顕季  〜〜〜            98
┃ 道綱 53         ┃  ┃   〜〜〜
┣━┳━┳━┓      三司┣━┓顕輔  ┃ ┃  
道長    道隆━━┳━┳54┃ ┃79 敦頼 殷富門院
┣┳┳┳┓     ┃ 伊周  ┃ ┃┃  道因 大輔    
┃┃ ┃彰子┳一条┳定子┃   実能┃清輔 82 90 
┃┃ ┃   天皇   道雅  ┃ ┃84
┃┃ 頼通━━┳    63  ┃ 通季┳ 
┃頼宗┳   師実━┓     公能┳ 公通┳  
長家 俊家  ┃  忠教┳     実定  実宗┳   
┃  ┃   師通  (略)  後徳大寺    公経、入道前太政大臣
忠家 基俊  ┃   雅経94  左大臣    96
┃  75 ┳忠実┳        81
俊忠┳  頼長  忠通━┳━━━━┓
 俊成83    76 兼実┳  慈円95
  ┣━━━━━┓    良経
定家97┳   寂蓮87 91 
   ┳為家 (養子) 
  為相

(飛鳥井雅経94も藤原氏に入れた。)

右近


参考:天皇家と藤原氏の近親相姦的血縁関係のプロトタイプ

          舒明
        ┏━┻━┓
   鎌足  天智   天武
   ┃   ┏┻┓  ┃
  不比等 元明┓持統┳┛
   ┃    ┃  ┃
   ┃    ┗┳草壁皇子
  ┏┻┓   ┏┻┓   
光明子┓宮子┳文武 元正
   ┃  ┃
   ┗┳聖武
    ┃
    孝謙

親子:┃
夫婦:┳ 

「彼(不比等)は、鎌足が死の直前まで手に入れることのできなかった大臣の位を、五十歳で獲得し、
また、文武天皇の夫人として入内させた娘、宮子の生んだ首(おびと)皇子を、皇太子の地位につけて、
藤原氏の血をひく最初の天皇の実現の道を確保し、藤原氏の家格を一挙に最高位にひき上げるための基礎
をきずいたのです。」(『埋もれた巨像』上山春平)

参考:系図体系 http://keizusoko.yukihotaru.com/contents_html.html#taikei



百 人 一 首:本文
(天皇家、藤原氏、源氏、平氏、大江氏、を組にした。|は親子、||は祖父母と子、(|)は養子。以上を重視し順番を入れ替えた。)
万葉時代(7−2−1=4):天皇家(10+1=11):六歌仙時代(1+10−2=9):小野氏(2):藤原氏(34):源氏(13):大江氏(5):平氏(2−1=1):菅原氏(1):清原氏(3):和泉氏(2):壬生氏(2):伊勢氏(2):紀氏(3):その他(4):僧侶(4):の順。


万葉時代:


 3 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
あしひきのやまとりのをのしたりをの なかなかしよをひとりかもねむ 柿本人麻呂

 4 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
たこのうらにうちいててみれはしろたへの ふしのたかねにゆきはふりつつ 山辺赤人

 6 鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける
かささきのわたせるはしにおくしもの しろきをみれはよそふけにける 中納言家持(大伴家持)
 
 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
あまのはらふりさけみれはかすかなる みかさのやまにいてしつきかも 安倍仲麿
(注:歌が詠まれたのは唐と伝わる。百人一首で唯一外国で詠まれた歌ということになる。)

____________

天皇家:

 1 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
あきのたのかりほのいほのとまをあらみ わかころもてはつゆにぬれつつ
                            天智天皇(中大兄皇子)
 |

  春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山
はるすきてなつきにけらししろたへの ころもほすてふあまのかくやま
                            持統天皇


13 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる
つくはねのみねよりおつるみなのかわ こひそつもりてふちとなりぬる 陽成院
|                                      
20 わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ
わひぬれはいまはたおなしなにはなる みをつくしてもあはむとそおもふ 元良親王



15 君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ
きみかためはるののにいててわかなつむ わかころもてにゆきはふりつつ 光孝天皇
||
28 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば
やまさとはふゆそさびしさまさりける ひとめもくさもかれぬとおもへは 源宗于朝臣)
本来は源氏


68 心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな
   こころにもあらてうきよになからへは こひしかるへきよはのつきかな
                                三条院
(注:後拾遺集の詞書によれば、三条院が皇位にあった時、内裏で詠んだ歌。)

|||
66
曾祖父・三条天皇(68番)と曾孫・大僧正行尊




77 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
   せをはやみいわにせかるるたきかはの われてもすゑにあはむとそおもふ
                                崇徳院

89 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
   たまのをよたえなはたえねなからへは しのふることのよはりもそする
                              式子内親王



99 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
   ひともをしひともうらめしあちきなく よをおもふゆゑにものおもふみは
                               後鳥羽院

100 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
    ももしきやふるきのきはのしのふにも なほあまりあるむかしなりけり
                                 順徳院
(注:「百敷」は皇居をさす。)


百人一首参考系図(白洲正子『私の百人一首』参照):

┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 
天智1               天武
┣━━━━┓            ┃
持統2  施基皇子         〜
     ┃          (六代略)
     光仁           〜
     ┃            ┃
     桓武━━┳━━━┓    清原深養父36
     ┃   平城  良岑安世 ┃
 ┳━━━嵯峨  ┃   ┃    顕忠
(略)  ┣━┓ 阿保  遍昭12 ┃
 ┃   ┃源融 親王      元輔42
参議等3914 ┣━┓ 素性21 ┃
     ┃  行平 業平     清少納言62
     仁明 16 17
     ┣━━━━━━┓
 ┳━━━光孝15   文徳
(略)  ┣━━┓   ┃
 ┃伊勢━宇多 是忠  清和
 ┃19 ┃  親王  ┣━━━━━┓
(玄孫) 醍醐 ┃   陽成13  貞元親王━(略)━┓
平兼盛  ┃  源宗于 ┃             (孫)
 40  村上 28  元良親王20       源重之
 ┃   ┣━━━━━┓              48
 赤染  円融    冷泉
衛門  ┃     ┣━━━━━┓
59  一条    花山    三条68
略)   ┣━━━━━━┓    ┃
┃    後朱雀    後一条  敦明親王━┓
匡房   ┣━━━━━━┓        (孫)
73   後三条    後冷泉       行尊
     ┃                66
    (三代略)
     ┣━━━━━━┳━━━━━┓
     後白河     崇徳77  近衛
     ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓
     高倉               式子内親王
     ┣━━━━━━┳━━━━━┓      89
     後鳥羽99   安徳    守貞親王  
     ┣━━━━━━┓     ┃
     土御門     順徳100 後堀河
     ┃      ┃     ┃
     後嵯峨     仲恭    四条

参考:
http://www.geocities.jp/suikyou001/keizu.html





白洲正子『私の百人一首』より

________________

六歌仙時代:

 
 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき
おくやまにもみちふみわけなくしかの こゑきくときそあきはかなしき 猿丸大夫

(1〜7は普通万葉時代になるが、5だけは9世紀後半まで生きたようである。)

  わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり
わかいほはみやこのたつみしかそすむ よをうちやまとひとはいふなり 喜撰法師



10 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関
これやこのゆくもかへるもわかれては しるもしらぬもあふさかのせき 蝉丸



12 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ
あまつかせくものかよひちふきとちよ をとめのすかたしはしととめむ 僧正遍昭
(注:宮中で五節の舞を見て詠んだ歌。)


21 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな
いまこむといひしはかりになかつきの ありあけのつきをまちいてつるかな 素性法師



16 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む
たちわかれいなはのやまのみねにおふる まつとしきかはいまかへりこむ 中納言行平

17 ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは
ちはやふるかみよもきかすたつたかは からくれなゐにみつくくるとは 在原業平朝臣






22 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
ふくからにあきのくさきのしをるれは むへやまかせをあらしといふらむ 文屋康秀

37 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
しらつゆにかせのふきしくあきののは つらぬきとめぬたまそちりける
                               文屋朝康

小野氏?:

 9 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
はなのいろはうつりにけりないたつらに わかみよにふるなかめせしまに 小野小町


11 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船
わたのはらやそしまかけてこきいてぬと ひとにはつけよあまのつりふね 参議篁



_________________

藤原氏:


18 住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ
すみのえのきしによるなみよるさへや ゆめのかよひちひとめよくらむ 藤原敏行朝臣

34 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに
たれをかもしるひとにせむたかさこの まつもむかしのともならなくに
                               藤原興風

38 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな
わすらるるみをはおもはすちかひてし ひとのいのちのをしくもあるかな
                                 右近








19 難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや
なにはかたみしかきあしのふしのまも あはてこのよをすくしてよとや 伊勢



25 名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな
なにしおははあふさかやまのさねかつら ひとにしられてくるよしもかな 三条右大臣
 |

44 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし
あふことのたえてしなくはなかなかに ひとをもみをもうらみさらまし
                              中納言朝忠

25
|||
50、55、57


曾祖父・藤原定方(25番)と曾孫・藤原義孝(50番)・藤原公任(55番)・
                 紫式部(57番)

付録:藤原北家関連系図(数字は百人一首の歌番号)

   冬嗣
   ┣━━━━━━━━━━━━┓          
 ┳良房            良門
基経              ┣━━━━━━━━━━━┓
┣━━━━━━━━━━┓    高藤          利基 
貞信公(忠平)26  時平┳  ┃           ┃
┣━┳━━━━┓     敦忠 三条右大臣25     ┃
┃ ┃     師尹┳  43 藤原定方        ┃
┃ ┃       実時┳   ┃           ┃
┃ 実頼 醍醐天皇   実方51┃           ┃
┃ ┃   ┃         ┣━┳━┳━┳━┓   ┃
┃ ┃代明親王┳━右大臣藤原定方女 ┃ ┃ ┃ 女━┳━兼輔 
┃ ┃    ┣━┓  代明親王室 ┃ ┃ ┃   ┃ 27 
┃頼忠┳━━厳子 ┃        ┃ ┃ ┃   ┃  
┃  公任 女王 ┃        ┃ ┃ ┃   ┃
┃  ┃55   ┃      ┳朝頼 ┃ 朝忠  ┃    
師輔 定頼64  ┃     為輔   ┃ 44  ┃    
┣┳┳━┓    恵子    ┃    女━━┳━━雅正
┃ ┃藤原伊尹┳━女王    ┣━┳━┓   為時      
┃ ┃45  義孝     惟孝 ┃ ┃   ┃ 
┃ 為光   50      ┃ ┃宣孝━┳━紫式部57
┃ ┃            ┃ ┃   賢子  
┃ 道信52      53 ┃ 説孝  58   
兼家━━━━━━━━━┳道綱母┃ ┃
 ┣━━━━┳三司母 道綱  〜〜〜
道長   道隆 54     〜〜〜
 ┣━┳━┓┃        ┃ ┃  
      伊周      敦頼 殷富門院
      ┃     道因法師 大輔    
      道雅63    82 90



曾祖父・藤原定方(25番)と曾孫・藤原義孝(50番)・藤原公任(55番)・
                 紫式部(57番)

曾祖父・藤原忠平(26番)と曾孫・藤原義孝(50番)・藤原実方(51番)・
                 藤原道信(52番)・藤原公任(55番)

曾祖父・藤原兼輔(27番)と曾孫・紫式部(57番)

1.藤原
01  18.藤原敏行朝臣  藤原敏行 [藤原 南家]
02  19.伊勢      伊勢守 藤原継蔭の娘。 別称;伊勢の御、伊勢の御息所
03  25.三条右大臣   定方    冬嗣 → 良門 → 高藤 → 定方
04  26.貞信公     忠平    冬嗣 → 良房 → 基経 → 忠平
05  27.中納言兼輔   兼輔    冬嗣 → 良門 → 利基 → 兼輔
06  34.藤原興風    藤原興風 [藤原 京家]
07  38.右近      右近少将 藤原季縄(すえなわ)の娘。
08  43.権中納言敦忠  敦忠    冬嗣 → 良房 → 基経 → 時平 → 敦忠
09  44.中納言朝忠   朝忠    25.三条右大臣 の 子
10  45.謙徳公     伊尹(コレタダ) 26.貞信公の孫
11  50.藤原義孝    義孝    26.貞信公のひ孫 & 45.謙徳公の子
12  51.藤原実方朝臣  実方    26.貞信公のひ孫
13  52.藤原道信朝臣  道信    26.貞信公のひ孫
14  53.右大将道綱母        兼家(26.貞信公の孫 &道長の父)の妻
             菅原孝標女(たかすえのむすめ、『更級日記』著者=道真の5代下)の叔母
15  54.儀同三司母   高階貴子  道隆(兼家の子 &道長の兄)の妻  一条天皇妃・定子の 母
                   息子伊周(これちか)の官名(儀同三司)による
16  55.大納言公任   公任    26.貞信公のひ孫 
17  57.紫式部     紫式部   27.中納言兼輔の曾孫(ひ孫)
18  58.大弐三位    藤原賢子  57.紫式部の娘
19  63.左京大夫道雅  道雅    54.儀同三司母の孫  一条天皇妃・定子の 甥
20  64.権中納言定頼  定頼    55.大納言公任の子
21  75.藤原基俊    基俊    藤原道長(道隆と兄弟)のひ孫
22  76.法性寺入道…  忠通    藤原道長の5代下
23  79.左京大夫顕輔  顕輔    26.貞信公の7代下
24  81.後徳大寺左大臣 実定    26.貞信公の9代下
25  82.道因法師    藤原敦頼
26  83.皇太后宮大夫… 俊成    藤原道長の4代下
27  84.藤原清輔朝臣  清輔    79.左京大夫顕輔の子
28  87.寂蓮法師    定長    藤原道長の5代下。83.俊成の子
29  90.慇富門院大輔  父 従五位下 藤原信成。 母 菅原在良の娘。
30  91.後京極摂政…  良経    藤原道長の7代下。76.法性寺[忠通] の孫
32  95.前大僧正慈円  慈円    藤原道長の6代下。76.法性寺[忠通] の子
32  96.入道前太政大臣 公経    26.貞信公の10代下
33  97.権中納言定家  定家    藤原道長の5代下。83.俊成の子
34  98.従二位家隆   家隆    27.兼輔の9代下 & 57.紫式部の祖父(雅正)の8代下
                  兼輔→雅正→為頼→伊祐→頼成→清綱→隆時→清隆→光隆→家隆
                  兼輔→雅正→為時→式部→三位


http://blog.goo.ne.jp/erika2672-t/e/74e2a8f58e4a801b1d14ae2b4bf5e226
http://homepage1.nifty.com/shiun-sai/sub2_02.html
http://www.geocities.jp/okugesan_com/ikouson.htm

付録:藤原北家関連系図(数字は百人一首の歌番号)

   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   冬嗣┳━━━━━━━━━━┓                     真夏
 ┳━━━良房         良門┳━━━━━━━━━━━━━━━┓   ┃
基経┳━━━━━━━━━━┓    高藤┳             利基  〜
 貞信公┳━━━━┓   時平┳    三条右大臣25       ┃   〜
藤原忠平┃ 醍醐 師尹┳   敦忠   藤原定方          ┃   ┃
26  ┃ 天皇  ┳実時  43   ┃             ┃   伊勢
┃  実頼  ┃ 実方51       ┣━━┳━━┳━━┳━━┓ 兼輔  19
師輔  ┃代明親王┳━┳━右大臣藤原定方女  ┃  ┃  朝忠 女┳27 
┃  頼忠━┳━━厳子┃    代明親王室  朝頼 ┃  44  ┃  
┃ ┳━━━公任 女王┃           ┃  女━━━━┳━雅正    
定頼64 55   ┃           為輔      ┣━━━━━━┓
┣━┳━┳━┓   恵子           ┣━┳━┓   為時     為頼
┃ ┃公季 伊尹━┳女王          惟孝 ┃ ┃   ┣━━━┓  ┃
┃為光 ┃ 45 義孝            ┃ ┃宣孝━┳━紫式部 惟規 〜
┃ ┃ 実成┳  50            ┃ ┃   賢子 57    〜
┃ 道信  公成┳              ┃ 説孝 大弐三位      ┃
┃ 52    実季━━━━━━┳━━┓   ┃ ┃   58       家隆
兼家━┳道綱母         公実 顕季  〜〜〜            98
┃ 道綱 53         ┃  ┃   〜〜〜
┣━┳━┳━┓      三司┣━┓顕輔  ┃ ┃  
道長    道隆━━┳━┳54┃ ┃79 敦頼 殷富門院
┣┳┳┳┓     ┃ 伊周  ┃ ┃┃  道因 大輔    
┃┃ ┃彰子┳一条┳定子┃   実能┃清輔 82 90 
┃┃ ┃   天皇   道雅  ┃ ┃84
┃┃ 頼通━━┳    63  ┃ 通季┳ 
┃頼宗┳   師実       公能┳ 公通┳  
長家 俊家  ┃          実定  実宗┳   
┃  ┃   師通       後徳大寺    公経、入道前太政大臣
忠家 基俊  ┃         左大臣    96
┃  75 ┳忠実┳        81
俊忠┳  頼長  忠通━┳━━━━┓
 俊成83    76 兼実┳  慈円95
  ┣━━━━━┓    良経
定家97┳   寂蓮87 91 
   ┳為家 (養子) 
  為相


あるいは、

付録:藤原北家関連系図(数字は百人一首の歌番号)

   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   冬嗣┳━━━━━━━━┓                  真夏
 ┳━━━良房       良門┳━━━━━━━━━━━━┓   ┃
基経┳━━━━━━━━━┓   高藤┳          利基  〜
 貞信公┳━━━━┓ 時平┳    三条右大臣25    ┃   〜
藤原忠平┃ 醍醐 師尹┳ 敦忠43 藤原定方       ┃   ┃
26  ┃ 天皇  ┳実時     ┃          ┃   伊勢  
┃  実頼  ┃ 実方51     ┣━┳━┳━┳━┓  兼輔  19
師輔  ┃代明親王┳━┳右大臣藤原定方女┃ ┃朝忠 女┳━27 
┃  頼忠━┳━━厳子┃   代明親王室┃ ┃44  ┃  
┃ ┳━━━公任 女王┃      ┳朝頼 女━━┳━雅正    
定頼64 55   ┃     為輔      ┣━━━━━━┓
┣━┳━┳━┓   恵子     ┣━┳━┓   為時     為頼    
┃ ┃公季 伊尹━┳女王    惟孝 ┃ ┃   ┣━━━┓  ┃
┃為光 ┃ 45 義孝      ┃ ┃宣孝━┳━紫式部 惟規 〜
┃ ┃ 実成┳  50      ┃ ┃   賢子 57    〜
┃ 道信  公成┳        ┃ 説孝  58       ┃
┃ 52    実季┳━━┓   ┃ ┃            家隆        
兼家━┳道綱母   公実 顕季  〜〜〜            98
┃ 道綱 53   ┃  ┃   〜〜〜
┣━━┓   54 ┣━┓顕輔79┃ ┃  
道長 道隆┳三司母 ┃ ┃┃  敦頼 殷富門院
┣┳┓ 伊周┳  実能 ┃清輔 道因 大輔    
┃┃┃  道雅63 ┃ ┃84 82 90    
┃┃頼通━━┳   ┃ 通季┳ 
┃頼宗┳  師実  公能┳ 公通┳  
長家 俊家 ┃     実定  実宗┳   
┃  ┃  師通  後徳大寺    公経、入道前太政大臣
忠家 基俊 ┃    左大臣    96
┃  75 忠実┳   81
俊忠┳     忠通━┳━━━━┓
  俊成83  76 兼実┳  慈円95
  ┣━━━━━┓    良経
定家97┳   寂蓮87 91 
   ┳為家 (養子) 
  為相

あるいは、

改訂版:藤原北家関連系図(数字は百人一首の歌番号)

   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   冬嗣                            真夏
   ┣━━━━━━━━━━━━━━┓              ┃
 ┳良房              良門             〜
基経                ┣━━━━━━━━━━━┓  〜
┣━━━━━━━━━━━━┓    高藤          利基 ┃
貞信公(忠平)26    時平┳  ┃           ┃  伊勢
┣━━━┳━━━━┓     敦忠 三条右大臣25     ┃  19
┃   ┃    師尹┳   43 藤原定方        ┃
┃   ┃      実時┳    ┃           ┃
┃   実頼 醍醐天皇  実方51 ┃           ┃
┃   ┃   ┃         ┣━┳━┳━┳━┓   ┃
┃   ┃代明親王┳━右大臣藤原定方女 ┃ ┃ ┃ 女━┳━兼輔 
┃   ┃    ┣━┓  代明親王室 ┃ ┃ ┃   ┃ 27 
┃  頼忠┳━━厳子 ┃        ┃ ┃ ┃   ┃  
┃    公任 女王 ┃        ┃ ┃ ┃   ┃
┃    ┃55   ┃      ┳朝頼 ┃ 朝忠44┃    
師輔   定頼64  ┃     為輔   女━━┳━━雅正    
┣━┳━┳━┓    恵子    ┃       ┣━━━━━━┓
┃ ┃公季 伊尹━┳━女王    ┣━┳━┓   為時     為頼    
┃ ┃ ┃ 45 義孝     惟孝 ┃ ┃   ┣━━━┓  ┃
┃ 為光┃    50      ┃ ┃宣孝━┳━紫式部 惟規 〜
┃ ┃ 実成┳          ┃ ┃   賢子 57    〜
┃ 道信  公成━━┓      ┃ 説孝  58       ┃
┃ 52      実季     ┃ ┃            家隆
┃         ┣━━┓   〜〜〜            98
兼家━┳道綱母53 公実 顕季  〜〜〜
┃  道綱     ┃  ┃   ┃ ┃
┣━━┓      ┣━┓顕輔  ┃ ┃  
道長 道隆┳三司母 ┃ ┃79 敦頼 殷富門院
┣┳┓ 伊周 54 ┃ ┃┃  道因 大輔    
┃┃┃  ┃    ┃ ┃清輔 法師 90    
┃┃┃  道雅   ┃ ┃84 82
┃┃┃  63  実能 通季┳
┃┃頼通━━┳   ┃   公通┳ 
┃頼宗┳  師実  公能┳   実宗┳
長家 俊家 ┃     実定    公経、入道前太政大臣
┃  ┃  師通  後徳大寺    96
忠家 基俊 ┃    左大臣  
┃  75 忠実    81
俊忠    ┃
┃     忠通━┳━━━━┓
俊成83  76 兼実┳  慈円95
┣━━┓       良経
定家 寂蓮87    91
97 (養子) 

為家┳
  為相


 __26___      __27_
|       |    |     |
|    ___|_25_|___  |
|   |   |    |   | |
|   |50 |    |   | |
|51 |   |    |   | |
|52 |   |    |   | |
|   |55 |    |   | |
|___|___|    |57 | |
    |________|___| |
             |_____|



曾祖父・藤原定方(25番)と曾孫・藤原義孝(50番)・藤原公任(55番)・
                 紫式部(57番)

曾祖父・藤原忠平(26番)と曾孫・藤原義孝(50番)・藤原実方(51番)・
                 藤原道信(52番)・藤原公任(55番)

曾祖父・藤原兼輔(27番)と曾孫・紫式部(57番)

1.藤原
01  18.藤原敏行朝臣  藤原敏行 [藤原 南家]
02  19.伊勢      伊勢守 藤原継蔭の娘。 別称;伊勢の御、伊勢の御息所
03  25.三条右大臣   定方    冬嗣 → 良門 → 高藤 → 定方
04  26.貞信公     忠平    冬嗣 → 良房 → 基経 → 忠平
05  27.中納言兼輔   兼輔    冬嗣 → 良門 → 利基 → 兼輔
06  34.藤原興風    藤原興風 [藤原 京家]
07  38.右近      右近少将 藤原季縄(すえなわ)の娘。
08  43.権中納言敦忠  敦忠    冬嗣 → 良房 → 基経 → 時平 → 敦忠
09  44.中納言朝忠   朝忠    25.三条右大臣 の 子
10  45.謙徳公     伊尹(コレタダ) 26.貞信公の孫
11  50.藤原義孝    義孝    26.貞信公のひ孫 & 45.謙徳公の子
12  51.藤原実方朝臣  実方    26.貞信公のひ孫
13  52.藤原道信朝臣  道信    26.貞信公のひ孫
14  53.右大将道綱母        兼家(26.貞信公の孫 &道長の父)の妻
             菅原孝標女(たかすえのむすめ、『更級日記』著者=道真の5代下)の叔母
15  54.儀同三司母   高階貴子  道隆(兼家の子 &道長の兄)の妻  一条天皇妃・定子の 母
                   息子伊周(これちか)の官名(儀同三司)による
16  55.大納言公任   公任    26.貞信公のひ孫 
17  57.紫式部     紫式部   27.中納言兼輔の曾孫(ひ孫)
18  58.大弐三位    藤原賢子  57.紫式部の娘
19  63.左京大夫道雅  道雅    54.儀同三司母の孫  一条天皇妃・定子の 甥
20  64.権中納言定頼  定頼    55.大納言公任の子
21  75.藤原基俊    基俊    藤原道長(道隆と兄弟)のひ孫
22  76.法性寺入道…  忠通    藤原道長の5代下
23  79.左京大夫顕輔  顕輔    26.貞信公の7代下
24  81.後徳大寺左大臣 実定    26.貞信公の9代下
25  82.道因法師    藤原敦頼
26  83.皇太后宮大夫… 俊成    藤原道長の4代下
27  84.藤原清輔朝臣  清輔    79.左京大夫顕輔の子
28  87.寂蓮法師    定長    藤原道長の5代下。83.俊成の子
29  90.慇富門院大輔  父 従五位下 藤原信成。 母 菅原在良の娘。
30  91.後京極摂政…  良経    藤原道長の7代下。76.法性寺[忠通] の孫
32  95.前大僧正慈円  慈円    藤原道長の6代下。76.法性寺[忠通] の子
32  96.入道前太政大臣 公経    26.貞信公の10代下
33  97.権中納言定家  定家    藤原道長の5代下。83.俊成の子
34  98.従二位家隆   家隆    27.兼輔の9代下 & 57.紫式部の祖父(雅正)の8代下
                  兼輔→雅正→為頼→伊祐→頼成→清綱→隆時→清隆→光隆→家隆
                  兼輔→雅正→為時→式部→三位


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曾祖父・藤原兼輔(27番)と曾孫・紫式部(57番)

27藤原兼輔
|||
57紫式部

26
|||
50.51、52、55

曾祖父・藤原忠平(26番)と曾孫・藤原義孝(50番)・藤原実方(51番)・
                 藤原道信(52番)・藤原公任(55番)

      

25曾祖父・藤原定方           26曾祖父・藤原忠平
|||                   |||
55 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
   たきのおとはたえてひさしくなりぬれと なこそなかれてなほきこえけれ
                              大納言公任
(注:拾遺集の詞書などによれば、嵯峨の大覚寺で詠まれた歌。)


64 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
   あさほらけうちのかはきりたえたえに あらはれわたるせせのあしろき
                             権中納言定頼


26 小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ
をくらやまみねのもみちはこころあらは いまひとたひのみゆきまたなむ 貞信公(藤原忠平)
||

45 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな
あはれともいふへきひとはおもほえて みのいたつらになりぬへきかな
                                謙徳公(藤原伊尹)

50 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
きみかためおしからさりしいのちさへ なかくもかなとおもひけるかな
                               藤原義孝

26
|||
50.51、52、55

曾祖父・藤原忠平(26番)と曾孫・藤原義孝(50番)・藤原実方(51番)・
                 藤原道信(52番)・藤原公任(55番)


26曾祖父・藤原忠平
|||

51 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
かくとたにえやはいふきのさしもくさ さしもしらしなもゆるおもひを
                             藤原実方朝臣

26曾祖父・藤原忠平
|||
52 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな
あけぬれはくるるものとはしりなから なほうらめしきあさほらけかな
                             藤原道信朝臣




27 みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ
みかのはらわきてなかるるいつみかは いつみきとてかこひしかるらむ 中納言兼輔
 |||
57 めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影
   めくりあひてみしやそれともわかぬまに くもかくれにしよはのつきかけ
                                紫式部


58 有馬山猪名の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
   ありまやまゐなのささはらかせふけは いてそよひとをわすれやはする
                               大弐三位


25曾祖父・藤原定方    (27藤原兼輔)
       |||    |||          
         57紫式部

(50義孝・55公任の母方の祖母と紫式部の父方の祖母は25藤原定方の娘で姉妹。)







≪紫式部関係図≫ ※ピンク色は勅撰集歌人



┌長良──清経──元名──文範──為信──────女

│                        ┃

└良門─┬利基──兼輔─┬────雅正 ┌為頼  ┃  ┌惟規

    │       │    ┃  │    ┠──┤

    │       └清正  ┠──┼為長  ┃  └紫式部

    │            ┃  │    ┃   ┃

    │       ┌────  └────為時  ┠───賢子

    │       │                ┃

    └高藤─┬定方─┴朝頼──為輔──────────宣孝

        │

        └胤子(宇多天皇女御)



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43 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
あひみてののちのこころにくらふれは むかしはものをおもはさりけり
                             権中納言敦忠


53 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
なけきつつひとりぬるよのあくるまは いかにひさしきものとかはしる
                             右大将道綱母





54 忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな
わすれしのゆくすゑまてはかたけれは けふをかきりのいのちともかな
                              儀同三司母
||


63 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな
   いまはたたおもひたえなむとはかりを ひとつてならていふよしもかな 
                             左京大夫道雅

26貞信公(忠平)以降、系譜略図:


 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
貞信公(忠平)                             時平
 26                                 ┃
 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━┓   敦忠 
師輔                         師尹   実頼  43
 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━┳━━┓ ┃    ┃ 
兼家━━━━━━━━━━━┳━道綱母 伊尹 為光   実時   頼忠
 ┣━━┓        道綱 53 45 ┃    ┃    ┃
道長  道隆┳三司母         ┃  道信   実方   公任
 ┣━┳━┓┃ 54         義孝 52   51   55       
      伊周           50           ┃    
      ┃                         定頼
      道雅                        64
      63                       
       







75 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり
   ちきりおきしさせもかつゆをいのちにて あはれことしのあきもいぬめり
                               藤原基俊



76 わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波
   わたのはらこきいててみれはひさかたの くもゐにまかふおきつしらなみ
                        法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)


95 おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖
   おほけなくうきよのたみにおほふかな わかたつそまにすみそめのそて
                            前大僧正慈円
(注:「我たつ杣」は比叡山のこと。)

76藤原忠通
||

91 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
   きりきりすなくやしもよのさむしろに ころもかたしきひとりかもねむ
                        後京極摂政前太政大臣

79 秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ
   あきかせにたなひくくものたえまより もれいつるつきのかけのさやけさ
                             左京大夫顕輔
 |

84 長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
   なからへはまたこのころやしのはれむ うしとみしよそいまはこひしき
                             藤原清輔朝臣




81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる
   ほとときすなきつるかたをなかむれは たたありあけのつきそのこれる
                            後徳大寺左大臣

82 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり
   おもひわひさてもいのちはあるものを うきにたへぬはなみたなりけり
                               道因法師

83 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
   よのなかよみちこそなけれおもひいる やまのおくにもしかそなくなる
                           皇太后宮大夫俊成


97 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
   こぬひとをまつほのうらのゆふなきに やくやもしほのみもこかれつつ
                            権中納言定家(藤原定家)

83
(|)
87 村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮
   むらさめのつゆもまたひぬまきのはに きりたちのほるあきのゆふくれ
                               寂蓮法師


90 見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず
   みせはやなをしまのあまのそてたにも ぬれにそぬれしいろはかはらす
                             殷富門院大輔


94 み吉野の山の秋風さよ更けて ふるさと寒く衣打つなり
   みよしののやまのあきかせさよふけて ふるさとさむくころもうつなり
                              参議雅経

96 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり
   はなさそふあらしのにはのゆきならて ふりゆくものはわかみなりけり
                           入道前太政大臣


98 風そよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける
   かせそよくならのをかはのゆふくれは みそきそなつのしるしなりける
                             従二位家隆





(白洲正子『私の百人一首 豪華版』より)
__________


源氏:



14 陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに 乱れそめにしわれならなくに
みちのくのしのふもちすりたれゆゑに みたれそめにしわれならなくに 河原左大臣



39 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき
あさちふのをののしのはらしのふれと あまりてなとかひとのこひしき
                                参議等

嵯峨源氏系譜





48 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな
かせをいたみいはうつなみのおのれのみ くたけてものをおもふころかな
                                源重之



92 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし
   わかそてはしほひにみえぬおきのいしの ひとこそしらねかわくまもなし
                             二条院讃岐

93 世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも
   よのなかはつねにもかもななきさこく あまのおふねのつなてかなしも
                             鎌倉右大臣
清和源氏系譜



15光孝天皇
||

28 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば
やまさとはふゆそさびしさまさりける ひとめもくさもかれぬとおもへは 源宗于朝臣

光孝源氏系譜

(28源宗于朝臣 は天皇家にも()つきで入れた)


71 夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く
   ゆうされはかとたのいなはおとつれて あしのまろやにあきかせそふく
                              大納言経信


74 憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを
   うかりけるひとをはつせのやまおろしよ はけしかれとはいのらぬものを
                              源俊頼朝臣


85 夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり
   よもすからものおもふころはあけやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり
                               俊恵法師



78 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守
   あはちしまかよふちとりのなくこゑに いくよねさめぬすまのせきもり
                                源兼昌


宇多源氏系譜



80 ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ
   なかからむこころもしらすくろかみの みたれてけさはものをこそおもへ
                             待賢門院堀河

88 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき
   なにはえのあしのかりねのひとよゆゑ みをつくしてやこひわたるへき
                             皇嘉門院別当


村上源氏系譜



66 もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし
   もろともにあはれとおもへやまさくら はなよりほかにしるひともなし
                             前大僧正行尊
(注:金葉集の詞書によれば大峯で修行中の作。)

(行尊は三条院 68 の血を引く。)

三条源氏系譜


2.源
01  14.川原左大臣   源融[とおる]  52代 嵯峨天皇の12男    (嵯峨源氏)
02  28.源宗于朝臣   源宗于      58代 光孝天皇の皇子是忠親王の子 (光孝源氏)
03  39.参議等     源等[ひとし]  52代 嵯峨天皇のひ孫 ← 希 ← 弘 ← 嵯峨天皇
04  48.源重之              56代 清和天皇の皇子貞元親王の子 (清和源氏)
05  66.大僧正行尊   源基平の子              (三条源氏)
06  71.大納言経信   源経信                (宇多源氏)
07  74.源俊頼朝臣   源俊頼                (宇多源氏)
08  78.源兼昌     源俊輔の子              (宇多源氏)
09  80.待賢門院堀河  父は 神祇伯 源顕仲          (村上源氏)
10  85.俊恵法師    74.源俊頼朝臣 の 子         (宇多源氏)
11  88.皇嘉門院別当  父は源俊隆。祖父は大蔵卿、源師隆   (村上源氏)
12  92.二条院讃岐   父は源頼政。母は源斉頼の娘。     (摂津、清和源氏)
13  93.鎌倉右大臣   源実朝(鎌倉初代将軍 源頼朝 の3男) (清和源氏)





白洲正子『私の百人一首』より:再掲
__________


__________


大江氏:

23 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
つきみれはちちにものこそかなしけれ わかみひとつのあきにはあらねと 大江千里



40 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
しのふれといろにいてにけりわかこひは ものやおもふとひとのとふまて
                                平兼盛


59 やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな
   やすらはてねなましものをさよふけて かたふくまてのつきをみしかな
                               赤染衛門

(|||)

73 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ
   たかさこのをのへのさくらさきにけり とやまのかすみたたすもあらなむ
                            前権中納言匡房

曾祖母・赤染衛門(59番)と曾孫・大江匡房(73番)




65 恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
   うらみわひほさぬそてたにあるものを こひにくちなむなこそをしけれ
                                 相模
大江氏系図:

大江音人
┣━━━━━━━┓
千古      大江千里23
┣━━━━━┓
維明    維明     平兼盛
┃     ┃      40
仲宣    重光     ┃
┃     ┣━━━┓  赤染
清言    雅到  匡衡┳衛門
┣━━┓  ┃     ┃59 
公資 相模 和泉┳橘  挙周 
   65 式部┃道貞 ┃
      56┃   成衡
       小式部  ┃ 
       内侍   匡房 
       60   73




http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/129870001.html

___________

和泉氏:

56 あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな
   あらさらむこのよのほかのおもひてに いまひとたひのあふこともかな
                               和泉式部


60 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
   おほえやまいくののみちのとほけれは またふみもみすあまのはしたて
                              小式部内侍

大江氏系図(改訂版):

大江音人
┣━━━━━━━┓      ┳━━━光孝
千古      大江千里  (略)  天皇 
┣━━━━━┓   23   ┃   15
維明    維明     平兼盛
┃     ┃      40
仲宣    重光     ┃
┃     ┣━━━┓  赤染
清言    雅到  匡衡┳衛門
┣━━┓  ┃     ┃59 
公資 相模 和泉┳橘  挙周 
   65 式部┃道貞 ┃
      56┃   成衡
       小式部  ┃ 
       内侍   匡房 
       60   73



___________



菅原氏:


24 このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに
このたひはぬさもとりあへすたむけやま もみちのにしきかみのまにまに 菅家(菅原道真)

野見宿禰
 ┃
阿陀勝
 ┣━━━━━━━━━┓
盤毘        伸毘
 ┃         ┃
土師身臣      (略)
 ┃         ┃
土師意富曽婆    土師磐村
 ┃         ┃
土師小鳥       土師猪手
 ┃    
土師昨子
 ┃
土師大保度
 ┃
土師首
 ┣━━━━━━┳━━━━━━┓
土師兎    土師八嶋   土師兄国
 ┃      ┃      ┃
土師土徳   土師身    土師真敷
 ┃      :       ┃
土師富除   土師根麻呂  土師弟麻呂
 ┃      ┃      ┃
土師祖麻呂  土師甥    土師百村
 ┃      ┃      ┃
土師和麿   土師宇庭   土師千村
 ┃      ┃      ┃
大枝諸上   菅原古人   秋篠安人
 ┃      ┃
大江氏へ   菅原氏へ

http://ja.wikipedia.org/wiki/土師氏  はじしけいず
________


平氏:

40平兼盛は15光孝天皇の血を引く。赤染衛門の父。大江氏に入れた。

67 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ
   はるのよのゆめはかりなるたまくらに かひなくたたむなこそをしけれ
                               周防内侍


72 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ
   おとにきくたかしのはまのあたなみは かけしやそてのぬれもこそすれ
                           祐子内親王家紀伊

桓武平氏(高棟流)系譜


________

清原氏:

36 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ
なつのよはまたよひなからあけぬるを くものいつこにつきやとるらむ
                              清原深養父
||

42 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは
ちきりきなかたみにそてをしほりつつ すゑのまつやまなみこさしとは
                               清原元輔


62 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ
   よをこめてとりのそらねははかるとも よにあふさかのせきはゆるさし
                               清少納言

     天武天皇
      ┃
     舎人親王
      ┣━━━━━┓
     御原王   貞代王
      ┃     ┃
     小倉王    有雄
      ┃     ┃
     繁野王    通雄
      ┏━━━━━┫
     海雄    深養父
      ┃     ┣━━━━━━━━━━┓ 
     房則    元輔          春光
      ┃     ┣━━━━━┓    ┃
    (深養父)  致信    清少納言 (元輔)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%8E%9F%E6%B0%8F#.E7.B3.BB.E8.AD.9C

一般に、清原春光 が 元輔の父・清少納言の祖父とされるが。上記のように元輔を深養父の子と併記する系図もある。
___________


壬生氏:

30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし
ありあけのつれなくみえしわかれより あかつきはかりうきものはなし 壬生忠岑

41 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
こひすてふわかなはまたきたちにけり ひとしれすこそおもひそめしか
                               壬生忠見

_______________

伊勢氏:



49 御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ
みかきもりゑしのたくひのよるはもえ ひるはきえつつものをこそおもへ
                            大中臣能宣朝臣
(注:「みかき」は御垣。宮門のこと。)
||

61 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな
   いにしへのならのみやこのやへさくら けふここのへににほひぬるかな 
                               伊勢大輔

_____________

紀氏:

33 ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
ひさかたのひかりのとけきはるのひに しつこころなくはなのちるらむ 
                                紀友則


35 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける
ひとはいさこころもしらすふるさとは はなそむかしのかににほひける
                                紀貫之
(注:古今集の詞書によればこの「古郷」は、初瀬と平安京の間のどこか。)

_____________


その他:


29 心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花
こころあてにおらはやおらむはつしもの おきまとはせるしらきくのはな 凡河内躬恒


31 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪
あさほらけありあけのつきとみるまてに よしののさとにふれるしらゆき
 坂上是則

32 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり
やまかはにかせのかけたるしからみは なかれもあへぬもみちなりけり 春道列樹
(注:古今集の詞書は「志賀の山越えにてよめる」。)


46 由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな
ゆらのとをわたるふなひとかちをたえ ゆくへもしらぬこひのみちかな
                               曾禰好忠

___________

僧侶:


47 八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり
やへむくらしけれるやとのさひしきに ひとこそみえねあきはきにけり
                               恵慶法師
(注:拾遺集の詞書によればこの「宿」は河原院。京六条、鴨川畔。)


69 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり
   あらしふくみむろのやまのもみちはは たつたのかはのにしきなりけり
                               能因法師

70 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ
   さひしさにやとをたちいててなかむれは いつくもおなしあきのゆふくれ
                               良暹法師


86 嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな
   なけけとてつきやはものをおもはする かこちかほなるわかなみたかな 
                               西行法師




以上
http://www.diana.dti.ne.jp/~fujikura/List/List.html
より




追記:
ペアの思想。百人一首はペア(対)で考えると面白い。

親子:
 (天智天皇)ー (持統天皇)、
12(僧正遍昭)ー21(素性法師)、
13(陽成院) ー20(元良親王)、
22(文屋康秀)ー37(文屋朝康)、
25(藤原定方)ー44(藤原朝忠)、
30(壬生忠岑)ー41(壬生忠見)、
40(平兼盛) ー59(赤染衛門)、
42(清原元輔)ー62(清少納言)、
45(謙徳公、藤原伊尹)ー50(藤原義孝)、
55(藤原公任)ー64(藤原定頼)、
56(和泉式部)ー60(小式部内侍)、
57(紫式部) ー58(大弐三位)、
71(源経信) ー74(源俊頼)ー(85俊恵法師)、
74(源俊頼) ー85(俊恵法師)、
76(藤原忠通)ー95(前大僧正慈円)、
79(藤原顕輔)ー84(清輔)、
83(藤原俊成)ー97(定家)。
         87(寂蓮法師)は俊成の養子。
99(後白河院)ー100(順徳院)

36(清原深養父)の孫が42(清原元輔) 、曾孫が62(清少納言)。
85(俊恵)は74(源俊頼)の子、の71(源経信)の孫ということになる。


(赤線が親子、青線が祖父母と子。)


<曾祖父母と曾孫
曾祖父・藤原兼輔(27番)と曾孫・紫式部(57番)
曾祖父・三条天皇(68番)と曾孫・大僧正行尊(66ばん)
      *行尊は三条天皇の皇子敦明親王の孫)
曾祖母・赤染衛門(59番)と曾孫・大江匡房(73番)
 *匡房の祖父の挙周は赤染衛門の実子ではないという説もあるようです。 
曾祖父・藤原忠平(26番)と曾孫・藤原義孝(50番)・藤原実方(51番)・
                 藤原道信(52番)・藤原公任(55番)
曾祖父・藤原定方(25番)と曾孫・藤原義孝(50番)・藤原公任(55番)・
                 紫式部(57番)
 *義孝・公任の母方の祖母と紫式部の父方の祖母は藤原定方の娘で姉妹。>
百人一首の歌人たちの血縁関係
http://blog.goo.ne.jp/erika2672-t/e/74e2a8f58e4a801b1d14ae2b4bf5e226


(改訂版:親子は赤、祖父母と孫は青、曾祖父母と曾孫は黒い点線↓)



紫式部の曾祖母を考慮しない場合。






土地による分類、歌枕:別サイト(http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/100i_u.html)も参考になる。

◆畿 内 30首 山城国12(皇居124968100宇治8、64小倉山26、みかの原泉川27、河原院47、嵯峨55、大江山60、楢の小川(上賀茂神社)98)
       大和国11(香久山2、三笠山7、立田川17、69手向山24、吉野3194、初瀬と平安京の間のどこか?35奈良の都61大峰66、初瀬74)
       摂津国7(住の江(住吉)18、難波19、2088有馬山猪名58、高師浜72、須磨78)
◆東海道 8首 近江国6(逢坂10、2562志賀32、伊吹山51、比叡山95)
       駿河国1(田子の浦富士4)
       常陸国1(筑波嶺男女の川13)
◆東山道 3首 陸奥国3(信夫14、末の松山42、雄島90)
◆南海道 3首 淡路国2(淡路島78重出、松帆の浦97)
       紀伊国1(由良の門46)
◆山陽道 1首 播磨国1(高砂34)
◆山陰道 4首 丹波国 1(生野60重出)
       丹後国1(天の橋立60再重出)
       因幡国1(因幡の山16)
       隠岐国1(隠岐島11)       固有の土地と特に関係ない歌が54首あるとされる。


http://homepage.mac.com/xupotomo/baka29agatuma01.html

参考:
末の松山 42
http://wind.ap.teacup.com/togo/100.html




______

その他

織田正吉氏の『絢爛たる暗号』説:
http://homepage2.nifty.com/100-1/teika/HYAKUNIN/TORI/refer.htm
沖=隠岐説など、後鳥羽院に焦点を合わせているのが興味深い。
同説準拠配列:
http://kuma2.xrea.jp/100/cryptogram/index.htm




思ふ  
命他夢他
 月  
独寝
  
  

 秋
  
 花
 舟
  




86  
68  
57  
  
  
  


  
  
  
  
忍ぶ
1003940
89





1417
 9

 風
97
9858
48

37

79
94

71
12
32
69

96
22







84


29




24







41




 6
44
19
77
56
26

33








82

 7
60






61






85



23
13















54

59
27
 3
88
20

 5
45
66
74
55







47
36










命?



49

38
70
81

91


78
83
73
76








87





62








35
80

50

21

53


25


34
11

朝他



43


75
31

5264


 8











51
30




10


16






63
 4
15
28








46





99


18


















67











 袖 
 
 
95
 2
 1
65

42

72

92

90

93


主題による分類

月     7、21、23、31、36、57、59、68、79、81、86
風(嵐) 12、22、32、37、48、58、69、71、74、79、94、96、98
物思ふ  40、41、43、48、49、63、80、85、86、99
紅葉・鹿  5、17、24、26、32、69、83
逢ふ   10、19、20、25、44、56、62、77
命    38、50、54、68、82、84、89
袖濡る  42、65、72、90、92
桜(花)  9、33、61、66、73、96
しのぶ  14、39、40、89
舟    11、46、76、93
朝ぼらけ 31、52、64
ひとり寝  3、53、91
夢    18、67
宇治    8、64
難波江(潟)19、20、88
高砂   34、73
その他   1、 2、 4、 6、13、15、16、27、28、29、30
     35、45、47、51、55、60、70、75、78、87、95、97


名:25、41、55、65、67


正連鎖:━
逆連鎖:x

              思ふ    命他  秋  月                 秋     花
              86━━━━68━━━━57                紅葉
               ┃     ┃     ┃
     忍ぶ100━39━40━━━━89━━━━━十━━━━━━━━━━━━━14━17━━━━09
            ┃  ┃     ┃     ┃                 ┃     ┃
     97━98━58━48━━━━37━━━━79━94━━━━71━12━32━69━━━━96━22風(嵐)
     風(嵐)      ┃     ┃     ┃     独  ┃ 風(嵐) 紅葉┃     ┃  ┃
               ┃    84     ┃ 29  り  ┃       24     ┃  ┃
               ┃     ┃     ┃ 白┃  寝  ┃        ┃ 秋と春 ┃  ┃
              41     ┃    月┃ 06 44━19x77━56━26xxxx33  ┃
               ┃     ┃     ┃天 ┃  ┃逢ふ┃ 逢┃  x  ┃     ┃  ┃
               ┃    82    07━60  ┃  ┃ ふ┃  x  ┃    61  ┃
               ┃     ┃     ┃  ┃  ┃  ┃  ┃  x  ┃     ┃  ┃
              85     ┃    23 13  ┃  ┃  ┃  x  ┃     ┃  ┃
               ┃     ┃     ┃ 川x  ┃  ┃難波┃  x  ┃     ┃  ┃
               ┃    54    59 27 03x88━20  x 05 45━66━74━55
               ┃     ┃  秋  ┃    独┃  x     x  ┃  あはれ┃  ┃  名
               ┃     ┃ 47━36    り┃  x     x  ┃     ┃  ┃
               ┃     ┃  ┃ 月┃    寝┃  x     x  ┃     ┃  ┃
              49xxxx38 70━81━━━━91━━十━━━━78━83xxxx73 76
               ┃     ┃  ┃  ┃     ┃  x    鳥x  ┃     ┃高 ┃
              思┃     ┃ 87  ┃     ┃  x    62  ┃     ┃砂 ┃舟
           心  ふ┃     ┃  ┃ 月┃     ┃  x     ┃  ┃     ┃  ┃
           35━80━━━━50━━十━21━━━━53xx十xxxx25━━十━━━━34 11
               x     ┃  ┃  ┃     ┃  x朝    ┃  ┃     ┃  ┃
              43     ┃ 75 31━━━━52━64━━━━━十━08     ┃  ┃舟
               ┃     ┃  ┃  ┃  朝       宇治  ┃        ┃  ┃
               ┃     ┃ 51 30━━━━━━━━━━━━━10━━━━━━━16  ┃
               ┃   雪 ┃ 草x        別れ       ┃ 別れ        ┃
              63 04━15 28                 ┃          46
               ┃  ┃  ┃  ┃                 ┃           ┃
              99  ┃  ┃ 18                 ┃           ┃舟
                  ┃  ┃ 夢┃                 ┃           ┃
                  ┃  ┃ 67                 ┃           ┃
                  ┃春秋┃  ┃         袖濡る     ┃           ┃
            袖 95x02x01━65━━━━42━━━━72━━━━92━━━━90━━━━93
                                                      舟





リンク
    スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    ハイデガー
     柄谷 フロイト
ドゥルーズ    老子
 アドルノ    パーソンズ
 カレツキ ゲゼル
    ライプニッツ
 スポーツ    文学
     ガンジー
     ラカン
     ニーチェ






式子内親王→                               ←順徳院

 89

 絶え 
   
37
  風

58
 原人

79

 出月

12
  天
   
32
 紅葉山
  
94
 みのの

  
69
竜田川嵐
  
22
嵐 嵐 
   
100
 ある
 絶え
 63
  思 
  風お
48
 ころ 
小 原人
39
 小野 
 出月天
原 
月 見山
天 天 
60
山橋ふみ
 紅葉山
山 
ふみ聞鳴
 みのの
14
鳴 初め
竜田川 
17
る 神る
  嵐 
96
りふり 
 なく
33
  花
  思
 80
物 思 
 ころ
84
  世 
 をの
長 
 独寝 
月 見夜
59
 かた月
夜 橋霜
更 
 おく 
霜きく
29
  心 
  初 
74
   
  神 
24
 たむき
 ふりふ
15
  春衣
ふ 花
る 
 ふる花
物 思夜
 85
物 思 
夜 夜 
53
 ぬるり
 独寝 
91
りなく方
 かた月
81
方 月 
 おく 
83
  思 
  心 
26
 ゆきね
  
13
ね 嶺ぬ
なたきた
55
ぬ 音 
た 春衣
へ 
来 山 
 ふる花
35
花 知人
物 思 
 43
物 思思
 ぬる 
20
思詫び身
 なく 
44
身 恨 
  月 
57
月 見 
  思逢
77
瀬 川か
逢ゆき
10
きしるく
  嶺
ゆ 
き出でて
  音 
62
関鳥夜坂
来 山 
25
坂 来 
山花知人
66
人 桜
物 思
 40
恋 人 
 詫び 
65
  袖 
  恨 
52
 明け 
月 見 
31
月 明 
瀬 川 
64
 わた 
 しる 
98
  川暮
 出でて
70
暮たち処
関鳥夜 
78
く通う
  来 
47
 寂し重
人 桜
61 
重 桜
恋 人立
 41
 わがめ
立 袖う
95
 うき 
う明け 
30
ばかりけ
月 明 
36
け 月明
 わた 
76
 わた 
  川 
27
 恋み
 たつ 
つ 
み 世人
 通う 
18
人よる目
 寂し 
28
目 早 
  
73
 高砂
 わが 
 86
  思 
 うき 
82
  命
ばかりば
67
くなく
ば 月明
21
り長月る
 わたわ
11
るわた舟
わ 恋 
88
 かり 
  世 
19
  芦き
みよる 
49
き  
  早 
51
さしも 
 高砂
34
 まつ
  思 
 50
惜 思 
  命共
54
  忘な
あら 
56
な 思 
 長月 
68
あらで月
 わた舟
46
  舟を
とかり秋
ま 
を濡れ 
秋 芦 
71
 おと秋
   
87
秋 干 
させも 
75
秋契りし
 まつ 
16
しまつむ
惜 思人
 99
 身思
人 忘人
38
思身 身
人 思 
45
身   
あらね月
23
   し
  舟 
93
し  の
 濡れ 
90
の  濡
 おと秋
72
濡  袖
秋 干 
92
袖   
秋契りし
42
   つ
 まつ来
97

後鳥羽院→                                 ←定家



29 Comments:

Blogger yoji said...




      風           山  山  山  ある
 89玉37吹58風79雲12風32風94吹69吹22ら100
 絶え  風小 原人 出月天 天 紅葉山みの竜田川  嵐ある/なく
 63思48野39原 7の60山 5奥14括17ふ96花33
  思 ころ をの月 見夜 橋霜きく  初染  神  ふ 花
 80長84長 3寝59更 6白29初74神24手15る 9
物 思   世 独寝かた月 おく  心 瀬/淵たむき春衣ふる花
 85明53独91鳴81鳴83山26み13り55えへ2香35
物 思  ぬる なく  月  思逢ゆき  嶺 音逢来 山花知人
 43逢20逢44逢57逢77せ10ゆ 4ね62坂25知66
物 思思詫び身 恨月 見瀬 川かきしくき出で関鳥夜坂 来人桜
 40恋65恨52朝31朝64川98夕70何78来47八61    
恋 人立 袖う明け月 明 わた  川暮たち処通う行く寂し重 桜
 41染95き30明36雲76原27つ 8住18人28山73
 わが  う ばかりば月明 わわ 恋  世みよる  早 高砂
 86涙82な67か21釣11た88芦19短49思51知34
  思  命るなくり長月るわた舟 かり  芦き火/干さしもまつ  
 50命54が56世68恋46とま1田71葉87露75と16来
惜 思  忘なな 思あらで月 舟を濡れおと秋 干秋契りしまつむ
 99惜38思45身23悲93天90袖72浜92袖42ま97ぬ
  身思身 身     し  の  濡  袖     つ

2:19 午前  
Blogger yoji said...



      風           山  山  山  ある
 89玉37吹58風79雲12風32風94吹69吹22ら100
 絶え  風小 原人 出月天 天 紅葉山みの竜田川 嵐 ある/なく
 63思48野39原 7の60山 5奥14括17ふ96花33
  思 ころ をの月 見夜 橋霜きく  初染  神  ふ 花
 80長84長 3寝59更 6白29初74神24手15る 9
 物思  世  独寝かた月おく  心 瀬/淵たむき春衣ふる花
 85明53独91鳴81鳴83山26み13り55えへ2香35
 物思  ぬる なく 月  思 ゆき  嶺  音 逢来 花知
 43逢20逢44逢57逢77せ10ゆ 4ね62坂25知66
 物思思詫び身 恨月 見瀬 川かきしくき出で関鳥夜坂 来人桜
 40恋65恨52朝31朝64川98夕70何78来47八61    
 恋人立 袖う明け月 明 わた  川暮たち処通う行く寂重 桜
 41染95き30明36雲76原27つ 8住18人28山73
 わが  う ばかりば月明 わわ 恋  世みよる  早 高砂
 86涙82な67か21釣11た88芦19短49思51知34
  思  命るなくり長月るわた舟 かり 芦き火/干さしもまつ  
 50命54が56世68恋46とま1田71葉87露75と16来
 惜思  忘なな 思あらで月 舟を濡れおと秋 干秋契りしまつむ
 99惜38思45身23悲93天90袖72浜92袖42ま97ぬ
  身思身 身     し  の  濡  袖     つ

これらの言葉遊びは定家「物語二百番歌合」に原型があるそうだ。

見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけん(後鳥羽院)
ながめつる今日は昔になりぬとも 軒端の梅はわれを忘るな( 式子内親王)

林氏はこの二つの歌が隠れているという

7:00 午前  
Blogger yoji said...


      風           山  山  山  ある
 89玉37吹58風79雲12風32風94吹69吹22ら100
 絶え  風小 原人出月天 天 紅葉山みのの竜田川 嵐 有無
 63思48野39原 7の60山 5奥14括17ふ96花33
  思 ころ をの月 見夜 橋霜きく  初染 神るふりふる花
 80長84長 3寝59更 6白29初74祈24手15り 9
物 思夜 世 独寝 かた月おく  心 瀬淵 たむきた春衣ふる花
 85明53独91鳴81鳴83山26み13り55えへ2香35
物 思 ぬる なく  月  思逢ゆき  嶺ぬ 音来 山山花知人
 43逢20逢44逢57逢77せ10ゆき4ね62逢25知66
物 思思詫び身 恨月 見  川かしるく出で関鳥夜坂 来人 桜
 40恋65恨52朝31朝64川98夕70何78往47八61 
恋 人立 袖う明け月 明 わた  川暮たち処通う来寂し重 桜
 41そ95き30明36雲76原27つ 8住18人28山73
 わがめうきばかりば 月明わたわ 恋  世みよる  早 高砂
 86涙82有67か21つ11た88芦19短49思51知34
  思  命無く り長月るわた舟かり  芦き火干さSも まつ
 50命54共56世68恋46と 1田71葉87露75と16来
惜 思  忘がな思あらで月 舟まを濡れおと秋 干秋契りしまつむ
 99惜38思45身23悲93天90袖72浜92袖42ま97ぬ
  身思身 身     し  の  濡  袖     つ



これらの言葉遊びは定家「物語二百番歌合」に原型があるそうだ。

見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけん(後鳥羽院)
ながめつる今日は昔になりぬとも 軒端の梅はわれを忘るな( 式子内親王)

林氏はこの二つの歌が隠れているという

7:42 午前  
Blogger yoji said...


      風           山  山  山  ある
 89玉37吹58風79雲12風32風94吹69吹22ら100
 絶え  風  原人出月  天 紅葉 みのの竜田川 嵐 有無
 63思48小39原 7天60山 5奥14括17ふ96花33
  思 ころ野をの月 見夜 橋霜きく  初染 神るふりふる花
 80長84長 3寝59更 6白29初74祈24手15り 9
物 思夜 世 独寝 かた月おく  心 瀬淵 たむきた春衣ふる花
 85明53独91鳴81鳴83山26み13り55えへ2香35
物 思 ぬる なく  月  思逢ゆき  嶺ぬ 音来 山山花知人
 43逢20逢44逢57逢77せ10ゆき4ね62逢25知66
物 思思詫び身 恨月 見  川かしるく出で関鳥夜坂 来人 桜
 40恋65恨52朝31朝64川98夕70何78往47八61 
恋 人立 袖う明け月 明 わた  川暮たち処通う来寂し重 桜
 41そ95き30明36雲76原27つ 8住18人28山73
 わがめうきばかりば 月明わたわ 恋  世みよる  早 高砂
 86涙82有67か21つ11た88芦19短49思51知34
  思  命無く り長月るわた舟かり  芦 火干さSも まつ
 50命54共56世68恋46と 1田71葉87露75と16来
惜 思  忘がな思あらで月 舟ま 濡 おと秋 干秋契りしまつむ
 99惜38思45身23悲93天90袖72浜92袖42ま97ぬ
  身思身 身     し  の  濡  袖     つ



これらの言葉遊びは定家「物語二百番歌合」に原型があるそうだ。

見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけん(後鳥羽院)
ながめつる今日は昔になりぬとも 軒端の梅はわれを忘るな( 式子内親王)

林氏はこの二つの歌が隠れているという

7:50 午前  
Blogger yoji said...

物語二百番歌合
を見れば定家がこの言葉遊びに意識的だったことがわかる

世界文学史上最大の言葉遊びだ

8:02 午前  
Blogger yoji said...

丸山圭三郎『言葉と無意識』講談社現代新書81ー86頁にこの歌織物説は言及されている。

11:16 午前  
Blogger yoji said...

safari以外のブラウザだと文字化けするかもしれません

5:24 午前  
Blogger yoji said...

百人一首歌織物説とは?
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/utaorimono.html

(一)百人一首は、これをタテ10首、ヨコ10首のわく内に、ある特別な順序で
並べると、隣りに来る歌どうしが、上にも下にも右にも左にも、何らかの共通語
をふくみ合うことよによって、一つの隙間もなしに、全部ぴったり結び合わされ
るという奇想天外なしくみをもっている。

7:51 午前  
Blogger yoji said...

上記図はsafariでないと文字化けする

9:17 午前  
Blogger yoji said...

承久の乱 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/承久の乱
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権である北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。承久の変、承久合戦ともいう。

日本史上初めて、朝廷の勅や院宣に逆う軍事行動によって朝廷に反乱軍が勝利した事件。一般には討幕のための挙兵とされているが、研究者の間ではこれを否定する見方も出されている(後述)。

武家政権である鎌倉幕府の成立後、京都の公家政権(治天の君)との二頭政治が続いていたが、この乱の結果、幕府が優勢となり、朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになる。

鎌倉幕府の源氏一門(御門葉)の重鎮であった大内惟信は後鳥羽上皇に味方し敗死し、源頼朝が最も信頼を置いていた平賀氏・大内氏は没落することになる。山本七平の「日本史上最大の事件」という意見もある[1]


7月、首謀者である後鳥羽上皇は隠岐島、順徳上皇は佐渡島にそれぞれ配流された。討幕計画に反対していた土御門上皇は自ら望んで土佐国へ配流された(後に阿波国へ移される)。後鳥羽上皇の皇子の六条宮、冷泉宮もそれぞれ但馬国、備前国へ配流。仲恭天皇(九条廃帝、仲恭の贈諡は明治以降)は廃され、行助法親王の子が即位した(後堀河天皇)。親幕派で後鳥羽上皇に拘束されていた西園寺公経が内大臣に任じられ、幕府の意向を受けて朝廷を主導することになる。

後鳥羽上皇の膨大な荘園は没収され、行助法親王(後高倉院の称号が贈られる)に与えられた。ただし、その支配権は幕府が握っている。

討幕計画に参加した上皇方の「合戦張本公卿」と名指しされた一条信能、葉室光親、源有雅、葉室宗行、高倉範茂ら公卿は鎌倉に送られる途上で処刑され、坊門忠信らその他の院近臣も各地に流罪になったり謹慎処分となった。また藤原秀康、藤原秀澄、後藤基清、佐々木経高、河野通信、大江親広ら御家人を含む京方の武士が多数粛清、追放された[8]。

乱後、幕府軍の総大将の泰時、時房らは京の六波羅に滞在し、朝廷の監視や西国武士の統率を行う。朝廷は京都守護に代り新たに設置された六波羅探題の監視を受けるようになり、皇位継承をも含む朝廷に対する鎌倉幕府の統制が強化された。

京方の公家、武士の所領約3000箇所が没収され、幕府方の御家人に分け与えられ新補地頭が大量に補任された。

事件の影響 編集

承久の乱ののち、朝廷は幕府に完全に従属した。幕府は朝廷を監視し皇位継承も管理するようになり、朝廷は幕府を憚って細大もらさず幕府に伺いを立てるようになった。院政の財政的基盤であった長講堂領や八条院領などの所領も一旦幕府に没収され、治天の管理下に戻されたあともその最終的な所有権は幕府に帰属した。承久の乱には、鎌倉と京都の二元政治を終わらせて武家政権を確立する意義があったとする学者もいる[9]。

また、処刑された院近臣の多くは後鳥羽上皇の支持を受けて家格の上昇を目指した家々であったが、これによって挫折を余儀なくされ、衰退もしくは没落することとなり、院近臣層の構成にも変化が見られるようになった(これは父親が初めて大臣となり、自身の昇進も類似した経歴を辿っていた坊門忠信(挙兵派)と西園寺公経(反対派)及びその子孫のその後がこの乱を機に大きく分かれていることが物語っている)。

また、西国で京方の公家、武家の多くの没収地を得、これを戦功があった御家人に大量に給付したため、執権北条氏と御家人との信頼関係が強固になり、鎌倉幕府の開府期に続いて多くの御家人が西国に移り住むこととなり、幕府の支配が畿内にも強く及ぶようになる。

承久の乱の翌年に生まれた日蓮はこの事件を「先代未聞の下剋上」として捉えた。この時の朝廷には既に国家を統治する力が無かったとし、「王法すでに尽ぬ」と解釈した。 日蓮は、彼自身の持つ東国人の京都への反発も含め、鎌倉幕府(=北条得宗家)こそが真の「日本の国主(国王)」であると考えており、数々の弾圧にも関わらず国家諌暁の対象を鎌倉幕府にのみ行い、京都や朝廷に対する自己の教えの布教には消極的あるいは否定的であったとする見方がある[10]。

承久の「乱」と「変」 編集

安田元久[11]によると、本事件についての呼称は、鎌倉幕府側の文献である『吾妻鏡』では「承久兵乱」「承久逆乱」「承久三年合戦」「承久三年大乱」といった表記を用いた。南北朝時代には、北朝方の武士の手によると推定される『保暦間記』では「承久ノ乱」「承久ノ事」、南朝方の北畠親房『神皇正統記』でも「承久の乱」と表記された。こうして、大正中期まで「承久の乱」の表記が主流となり、次いで「承久の役」が使われることもあった。

江戸時代になると尊王論に基づく『大日本史』が「承久の難」と表記し、後鳥羽上皇を逆臣・北条義時の被害者として書く主張が生まれた。『大日本史』編纂に携わった安積澹泊は、『大日本史賛藪』で「乱」「難」と共に、初めて「承久の変」表記を用いた。さらに大正時代になると、皇国史観から「承久の変」の表記を積極的に使うようになり、国定教科書でも大正9年(1920年)版『尋常小学国史』から「変」表記になった。これは、上皇が起こしたのだから「反乱」ではないという思想からである。その後も学界では「乱」「役」「合戦」表記も使われたが、昭和10年代後半、太平洋戦争期になると、専門書でも「承久の変」表記にほぼ統一されるに至った。しかし、「変」は主に不意の政治的・社会的事件に、「乱」は主に武力を伴う事件に使われていることから、安田は戦乱の発生した本事件を「乱」と呼称すべきことは疑問の余地もないとしている。

第二次世界大戦後は、「乱」表記が主流になっている。しかし、田中卓の『教養日本史』を始め、明成社の高等学校用教科書『最新日本史』、新しい歴史教科書をつくる会の中学校用教科書『新しい歴史教科書』などでは「変」を用いている。

承久の乱は討幕目的であったのか?

1:28 午前  
Blogger yoji said...

著者「林直道」紹介
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/tyosha.html
はやし なおみち
林 直道


 大阪市に生まれる。大阪商科大学を卒業。大阪市立大学教授をへて、
 現在、大阪市立大学名誉教授、関西勤労者教育協会副会長、経済学博士

 【主な経済関連著書】
   『西田哲学批判』(1948年)
   『マックス・ウェーバーの思想体系』(1952年)
   『景気循環の研究』(1959年)
   『史的唯物論と経済学』(1971年)
   『国際通貨危機と世界恐慌』(1972年)
   『史的唯物論と所有理論』(1974年)
   『フランス語版資本論の研究』(1975年)
   『恐慌の基礎理論』(1976年)
   『経済学入門』(1981年)
   『現代の日本経済』(第5版,1996年)
   『日本経済をどう見るか』(1996年)
   『恐慌・不況の経済学』(2000年) など多数
 
 【百人一首、歴史推理関連の著書】
   『百人一首の秘密-驚異の歌織物』(1981年)
   『百人一首の世界』(1986年)
  『嵐の中の青春』(1990年)
『日本歴史推理紀行』青木書店(1991年)
  「金座・銀座研究序説」『大阪経法大論集』(1992年)
  「飛鳥の二つの酒船石」『経済』(2000年1月)

 論文に「勅撰和歌集の言葉連鎖について」(『国文学・解釈と鑑賞』1983年1月号)、「藤原定家の遊びの文芸」(東京大学出版会『UP』1982年9・10・11月号)、「秘宝三十六歌仙絵巻と百人一首」(『科学と思想』第52号)、「隠されたラヴレター小倉百人一首」(『芸術新潮』1987年3号)など


こちらが決定版


http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/t-sekai.html
百人一首の世界

著者: 林直道

『百人一首の世界』 林直道著
 ミステリアスな歌集・藤原定家
    『百人一首』は歌詞の
           ≪クロスワードパズル≫

 百人一首の歌詞をつなぎあわせてみたら‥‥‥
美しい、しかも実在する景色が浮かびあがり、消滅してしまった豪華な離宮が姿を現わし、有名な三つの歴史物語が織りこまていた……
 なぜ? キーワードは「用捨は心にあり」に!

〔主要目次〕
 第1章 百人一首とは
 第2章 「用捨は心にあり」
 第3章 和歌の世界の言葉遊び
 第4章 百人一首は《歌織物》-その成り立ち
 第5章 《歌織物》復元の異常な困難
 第6章 《歌織物》に景色が浮かぴ出る
 第7章 水無瀬離宮の紙上発掘
 第8章 なぜ定家は《歌織物》をつくったか
 第9章 織り込まれた三大物語

出版社:青木書店
ISBN:4250860051
サイズ:単行本 / 214頁
発行年月: 1986年 05月
本体価格: 2,000円

『百人一首の秘密-驚異の歌織物』へ

| ホームへ | 筆者紹介 | 筆者に連絡をとる |

4:13 午前  
Blogger yoji said...

noanoa 日々の日記 : 「百人一首の秘密~歌織物」というのを知って興奮した
http://blog.livedoor.jp/noanoa07/archives/1765160.html
京都の「小倉山荘」のおかきを頂いたら、リーフレットに百人一首の謎という面白い解説が載っていました。

→ 小倉百人一首は歌織物《秘められた水無瀬絵図》


林直道先生によると、百人一首の各札を合わせ言葉を手がかりにして、上下左右をジグソーパズルのように並べると100枚がきれいに並んで、そのうち70枚はある風景になって並ぶそうです。
そして、その風景とは後鳥羽上皇ゆかりの水無瀬の里という実在する風景なのだ、というのだからびっくり。

→歌織物:林直道の百人一首の謎


こんな知的興奮は久しぶり!


IMG_1279

というわけで、実際に百首並べてみました。
ちょっと強引なところも(特に左側 30首)あるけど、その発想力と完成させた実行力には脱帽です!


なかなか学会では認められてないみたいだけど、『ダ・ヴィンチ・コード』に匹敵するという評にもうなずけます。



百人一首の秘密―驚異の歌織物百人一首の秘密―驚異の歌織物

4:25 午前  
Blogger yoji said...

百人一首の秘密―驚異の歌織物 | 林 直道
https://www.amazon.co.jp/dp/4250810127/

noanoa 日々の日記 : 「百人一首の秘密~歌織物」というのを知って興奮した
http://blog.livedoor.jp/noanoa07/archives/1765160.html

著者「林直道」紹介
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/tyosha.html


はやし なおみち
林 直道


 大阪市に生まれる。大阪商科大学を卒業。大阪市立大学教授をへて、
 現在、大阪市立大学名誉教授、関西勤労者教育協会副会長、経済学博士

 【主な経済関連著書】
   『西田哲学批判』(1948年)
   『マックス・ウェーバーの思想体系』(1952年)
   『景気循環の研究』(1959年)
   『史的唯物論と経済学』(1971年)
   『国際通貨危機と世界恐慌』(1972年)
   『史的唯物論と所有理論』(1974年)
   『フランス語版資本論の研究』(1975年)
   『恐慌の基礎理論』(1976年)
   『経済学入門』(1981年)
   『現代の日本経済』(第5版,1996年)
   『日本経済をどう見るか』(1996年)
   『恐慌・不況の経済学』(2000年) など多数
 
 【百人一首、歴史推理関連の著書】
   『百人一首の秘密-驚異の歌織物』(1981年)
   『百人一首の世界』(1986年)
  『嵐の中の青春』(1990年)
『日本歴史推理紀行』青木書店(1991年)
  「金座・銀座研究序説」『大阪経法大論集』(1992年)
  「飛鳥の二つの酒船石」『経済』(2000年1月)

 論文に「勅撰和歌集の言葉連鎖について」(『国文学・解釈と鑑賞』1983年1月号)、「藤原定家の遊びの文芸」(東京大学出版会『UP』1982年9・10・11月号)、「秘宝三十六歌仙絵巻と百人一首」(『科学と思想』第52号)、「隠されたラヴレター小倉百人一首」(『芸術新潮』1987年3号)など


こちらが決定版


http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/t-sekai.html
百人一首の世界

著者: 林直道

『百人一首の世界』 林直道著
 ミステリアスな歌集・藤原定家
    『百人一首』は歌詞の
           ≪クロスワードパズル≫

 百人一首の歌詞をつなぎあわせてみたら‥‥‥
美しい、しかも実在する景色が浮かびあがり、消滅してしまった豪華な離宮が姿を現わし、有名な三つの歴史物語が織りこまていた……
 なぜ? キーワードは「用捨は心にあり」に!

〔主要目次〕
 第1章 百人一首とは
 第2章 「用捨は心にあり」
 第3章 和歌の世界の言葉遊び
 第4章 百人一首は《歌織物》-その成り立ち
 第5章 《歌織物》復元の異常な困難
 第6章 《歌織物》に景色が浮かぴ出る
 第7章 水無瀬離宮の紙上発掘
 第8章 なぜ定家は《歌織物》をつくったか
 第9章 織り込まれた三大物語

出版社:青木書店
ISBN:4250860051
サイズ:単行本 / 214頁
発行年月: 1986年 05月
本体価格: 2,000円

『百人一首の秘密-驚異の歌織物』へ

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4:27 午前  
Blogger yoji said...

『百人一首の秘密』の著者 林直道教授の講演を聴く ( 短歌 ) - 白文鳥ピピme物語 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/55460039.html
『百人一首の秘密』の著者 林直道教授の講演を聴く記事をクリップする
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2008/11/7(金) 午前 3:56 水無瀬散策紀 短歌
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イメージ 1

先月、町のコミュニティセンターで「百人一首の秘密」の著者 林直道教授の講演があり出席しました。

最初の30分の講演第一節は、源氏物語などの教授の研究分野以外の事でしたから睡魔が度々。
何しろ、その日の朝十時頃に寝台特急日本海で田舎から帰ってきたばかりですからね。

講演第二節から、いよいよ教授の研究分野に入りました。
処が、眠気はすっとびあっと言う間に二時間が過ぎていました。教授の熱意、流石ですね。


理解し易くするために先ずはここをクリックしてみて下さい→「水無瀬絵図」小倉山荘サイト



イメージ 2

さて、

隣同士の歌を何か共通語でつないでゆくという歌の歴史上の伝統があるのだそうです。

図の上段の「勅選和歌集」では、横一列に歌をつないでおります。
下段「物語二百番歌合」では、源氏物語と狭衣物語とを二階建てにし、横同士、左右相方同士(三方)をつないでおります。


ちょっと分かり難いですから、古今和歌集 巻第五 秋歌下 のつなぎの実例を見ましょう。

  249番 吹くからに【秋】の【草木】のしをるれば むべ山嵐といふらむ

  250番 【草】も【木】も色かはれども【わた】つ海の浪の花にぞ【秋】なかりける

  251番 紅葉せぬときはの山は吹く風の音にや【秋】をきき【わた】るらむ


  ●言葉のつなぎ 249番【秋】【草木】の単語→次の250番【草】【木】【秋】と同じですね。
          250番【秋】【わた】の単語→次の251番【秋】【わた】と同じ。

単純に言えば、一種のしりとりのようなものですね。

百人一首は、このつなぎを十階建て(10×10)にしたのではないかと教授は想像したのです。



イメージ 3

歌のつなぎで全体を組み立てようとしても、100首の場合の組み合わせ種類は9×10の157乗。
PCを使って何十年、何百年かかっても正解に達することは出来ないそうです。


イメージ 4

そこで先ずは歌を分類。
情念の歌の中に、後鳥羽院と式子内親王が含まれていましたのでこれを対としました。

 ★後鳥羽院は隠岐に島流しになっていた    →京の都から観て西北
 ★式子内親王は既に薨(こう・死ぬ事)じていた→西方浄土

二人とも共通するのは西。拠って、情念の歌は歌織物の左側という結論。
と言うことは景色の歌は右側ですね。



イメージ 5

教授は景色の歌を桃源郷(とうげんきょう)の絵になるように配置してみました。


出来上がった歌織物は何を語るのか?
右下隅の定家が『来ぬ人』を待ちわびて『身もこがれる』想いでいますと悲痛な声で呼びかけています。


「来ぬ人をまつ帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」

そして残る三つの隅には、三人の帰り来ぬ人の歌を配置。

   左下隅 後鳥羽院 隠岐に配流され都に還り来ぬみかど
   右上隅 順徳院  佐渡に配流され都に還り来ぬみかど
   左下隅 式子内親王 十年前に死亡しこの世に還り来ぬ恋人


この歌織物の右六列に浮き出る絵(景色)は、水無瀬の里でした。
約60の地名・神社仏閣名などが水無瀬の実際とほぼ合致する位置に織り込まれているのです。


                 →水無瀬が百人一首の舞台でした。


参考「百人一首の秘密」著者林直道教授の公式サイト


余談)何故に藤原定家は小倉百人一首を水無瀬の情景で作ったかと言いますと、後鳥羽院の怨念を恐れたからだそうです。

かって定家は後鳥羽院に重宝されていましたが、承久の乱(承久3年1221年)で後鳥羽院が時の執権北条義時から隠岐に流されるや、敵方であった北条側に従い、親子共々大出世していくのですからね。


   ★   ★   ★

(追記)『百人一首』を足蹴にする企業 2007/1/8(月)
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/43639937.html


雪の嵐山公園・百人一首の石碑 2008/2/16(土)
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/51872389.html
.
.

4:41 午前  
Blogger yoji said...

Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 経済学入門
林直道
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4250810011/

5つ星のうち5.0高校生から読めるであろう経済学入門
投稿者Kevin・B・Jackson2013年3月13日
形式: 単行本|Amazonで購入
とても平明な文体で、特に高度な知識がなくても楽に読めます。
これからマルクス経済学を勉強しようとする方にお勧めです。

著者は恐慌や所有のシステムをマルクス経済学の立場から解明し、
かつ80年代以降の新自由主義システムの批判を行ってもいます。

特に2007年に新日本出版から発刊した『強奪の資本主義』は
戦後史として大変わかりやすくまとめられているので、合わせて読むことを勧めます。

ところで、マルクス経済学とは一般的なエコノミクス(経済学)とは異なり、
社会や政治と経済とがどのように関連しているのかを追及する総合学問であり、
英語ではポリティカルエコノミー(政治経済学)と呼びます。

よって、世の中の動きをつかむには有効的なのですが、特にそういった方面に
興味がない方は、マンキューやスティグリッツのエコノミクスの入門書を買ったほうが良いでしょう。
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11:13 午前  
Blogger yoji said...

歌織物
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/utaorimono.html
はっぱ なっぱ
日本の古代・中世の歌や詩の中には「八重だすき」や「野馬台詩」など凝った趣向のものがいろいろあるが、その中には、深刻な歴史の秘密をはらんだと覚ぼしい物も存在する。たとえば『いろは歌』四十七文字もその一つであって、これを七字づつで区切って並べ、下の段の文字を綴ると、「とかなくてしす」(咎なくて死す=無実の罪を着せて処刑された)という恐ろしい恨み言某が出てくるという説が有名である。

 百人一首は、この種の言葉遊び文芸のうちでも、ずば抜けて高度な仕掛をもち、また、日本史の大転換期を背景とした深刻な政治的社会的内容をふくんだ歌集と考えられるのである。

 私の研究は、過去になされた先人たち(石田吉貞、丸谷才一、樋口芳麻呂、およびとりわけ織田正吉などの諸氏)のすぐれた業績をうけつぎ、その土台の上に展開されたものであるが、その関連の詳細は、私の本の当該箇所を見て頂くようお願いすることにして、ここでは、直ちに私の到達した結論をかいつまんで述べることとしたい。



(一)百人一首は、これをタテ10首、ヨコ10首のわく内に、ある特別な順序で並べると、隣りに来る歌どうしが、上にも下にも右にも左にも、何らかの共通語をふくみ合うことよによって、一つの隙間もなしに、全部ぴったり結び合わされるという奇想天外なしくみをもっている。


歌織物(全容)
右下16首(詳細)
 百の歌が、合せ言葉のタテ糸、ヨコ糸によって一枚の織物のように織り上げられているという意味で、私はこのしくみを《歌織物》と名づけた。
(この復元の過程では経済学の再生産論にいう二部門分割からの水平思考が大いに役立った)


(二)さて、復元された歌織物からは、まことに奇想天外な数々の仕掛が発見された。まず、歌と歌をつなぐ合せ言葉(山、川、紅葉、雲、花、桜、菊、鳥、鹿、瀬、滝、松、等々)を絵におきかえていくと、歌織物の右側七列分のスペースに、掛軸のような山紫水明の美しい景色が浮き出した。

 上と右手とに山が連なり、下手は大きな浪打際である。中央やや上方に滝が懸り、滝を半円型にとり囲む山々には、桜、山吹、菊、紅葉が妍(けん)を競う。露をふくんだ野草と鳥の鳴声。山奥では鹿が鳴く。川が流れて下段に注ぐあたり、芦が生い茂り、霧立ち上る。舟人漕ぎゆく姿も見える。
 日本人好みのこの桃源境の画が、じつは、後鳥羽上皇を中心とする新古今歌壇の舞台となった水無頼の里のリアルな描写と推定される。山は天王山、浪打ぎわは淀川をあらわす。三つの歌枕、「水無瀬川」、「水無瀬滝」、「山崎津」の地名も的確な位置に織りこまれている。滝のすぐ上には「竜神」の文字が続く。なかでもすごいのは、『増鏡』に「えもいはず面白き院造り」と書かれたまま、洪水で流出して、図面も記録も残っていない壮麗華美な水無瀬離宮の寝殿造りのレイアウトが浮び出ている点である。百山の上の御所の姿も見える。この絵こそ、まさに全盛時代の後鳥羽上皇への讃歌といえるであろう。


(三)私は、一般に謎をはらんだ歌集の意味をときほぐす重要な鍵は、編者の自撰歌にあると考えている。百人一首の定家の自撰歌は「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ」である。ここで「松」は待つの掛け詞であり、「凪」は泣きに通ずる。この歌は、誰か帰り来ぬ人に向って、定家が悶々たる思慕の情を述べるのが百人一首の基本点だったという推測を成り立たせる。では誰に向ってなのだろうか?
 ここで問題なのは歌織物の四隅の歌である。定家の歌は右下にある。ところが、左下には後鳥羽院、右上には順徳院という、鎌倉幕府と戦って敗れ、隠岐と佐渡に幽閉され、都を恋いこがれつつ、帰り来ることを許されぬ非運の帝が置かれ、左上には、すでに薨去してこの世には二度と帰り来ぬ薄幸の美女・式子内親王が置かれている。この四人の配置は まさしく「曼荼羅の四天王」を思わせる。あたかも定家は、この三人の「来ぬ人」に向って「あなたをお待ちして泣きながら身もこがれる思いでございます」と訴える構図となっている。ここに百人一首歌織物に秘めた定家の其の意図があったのではなかろうか。

 以上のほか、歌織物の中には、後鳥羽院の絶唱「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけん」や、式子内親王の「ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅よ我れを忘るな」が編みこまれているとか、『百人秀歌』(九十七首までが百人一首と同じだというミステリアスな定家撰の歌集)は、実は百人一首の「合法的改訂版」としての歌織物であったとか、語らねばならぬことが多いが、ここでは省かせて頂く。

 要するに、百人一首とは、後鳥羽院らへの哀惜の情という形を通じて、武家政権に対する嫌忌の念をこめつつ、亡びゆく王朝社会への挽歌をうたい上げたものということができるであろう。(林直道)


| 秘められた謎< | ホームへ | >水無瀬絵図 | 筆者紹介 |

6:26 午前  
Blogger yoji said...

 ここで問題なのは歌織物の四隅の歌である。定家の歌は右下にある。ところが、左下には後鳥羽院、右上には順徳院という、鎌倉幕府と戦って敗れ、隠岐と佐渡に幽閉され、都を恋いこがれつつ、帰り来ることを許されぬ非運の帝が置かれ、左上には、すでに薨去してこの世には二度と帰り来ぬ薄幸の美女・式子内親王が置かれている。この四人の配置は まさしく

「曼荼羅の四天王」

を思わせる。あたかも定家は、この三人の「来ぬ人」に向って「あなたをお待ちして泣きながら身もこがれる思いでございます」と訴える構図となっている。ここに百人一首歌織物に秘めた定家の其の意図があったのではなかろうか。

6:30 午前  
Blogger yoji said...

藤原定家:日記の「赤気」はオーロラ 極地研などが解析 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20170322/k00/00e/040/274000c?fm=mnm
藤原定家

日記の「赤気」はオーロラ 極地研などが解析

毎日新聞2017年3月22日 13時40分(最終更新 3月22日 17時40分)
中国
科学・技術
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南極の昭和基地で観測された赤いオーロラ。藤原定家の明月記に「赤気」として記録されている=国立極地研究所提供
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 平安・鎌倉時代の歌人、藤原定家(1162~1241年)が日記「明月記」に書き残した「赤気(せっき)」という現象は、太陽の異常な活発化によって京都の夜空に連続して現れたオーロラだった可能性が高いと、国立極地研究所や国文学研究資料館などのチームが米地球物理学連合の学術誌に発表した。連続したオーロラの観測記録としては国内最古という。

 明月記には、1204年2~3月にかけて、京都の北から北東の夜空に赤気が連続して現れ、定家は「山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね恐ろしい」と書き残している。

 オーロラは太陽から噴き出した高エネルギー粒子が、地球の大気を光らせる現象。北極や南極などで観測され、京都で連続して発生することは考えにくい。赤気の現象が何を指しているかは長年の謎で、彗星(すいせい)説もあった。

 片岡龍峰(りゅうほう)・極地研准教授らのチームが過去2000年の地磁気の軸の傾きを計算した結果、北米大陸方向に傾いている現在の軸が1200年ごろには日本列島側へ傾きオーロラが出現しやすい時期だったことが分かった。また、中国の歴史書「宋史」の同2月の記録に「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」と書かれているのに着目。太陽活動が活発化していた可能性が高いと分析した。

 太陽の活動が活発化するとオーロラが発生しやすくなるといい、宋史にも900~1200年代に赤いオーロラの観測例が十数件記述されているという。屋久杉などの年輪に残る太陽活動の痕跡と照合した結果、オーロラが観測された年と太陽活動が活発だった年がほぼ一致したという。【阿部周一】

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inRead invented by Teads

4:04 午前  
Blogger yoji said...

王朝物語秀歌選 (上) (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1987/11/16
樋口 芳麻呂 (著)
5つ星のうち5.0 1個の評価


『源氏物語』『狭衣物語』などから秀歌を選び出して成った鎌倉期の代表的な秀歌撰として,


『物語二百番歌合』(四○○首.定家撰)[歌織物原型]


『風葉和歌集』(一四二○首.為家撰か)『源氏物語歌合』(一○八首.撰者不詳.)を収めた.各歌ごとに的確な注解と現代語訳を付し,だれにでも容易に親しめるよう細心の工夫がこらされている.


4:12 午後  
Blogger yoji said...

書籍版2009確認では

左右上斜め二つづつが逆
web版は式子内と順徳院が角に来て圧倒的

11:25 午前  
Blogger yoji said...

式子内親王 順徳院
後鳥羽院  定家

この四隅が肝

11:27 午前  
Blogger yoji said...

以下が隠されている

新古今集 見渡せば山もとかすむ水無瀬川 品詞分解と訳 - くらすらん
https://nbataro.blog.fc2.com/blog-entry-211.html

新古今集 見渡せば山もとかすむ水無瀬川 品詞分解と訳
HOME > 新古今和歌集 > 新古今集 見渡せば山もとかすむ水無瀬川 品詞分解と訳
 今回は、「新古今和歌集」収録和歌の現代語訳(口語訳・意味)・品詞分解・語句文法解説・修辞法(表現技法)・おすすめ書籍などについて紹介します。


新古今集・巻1・春歌上・36 太上天皇(後鳥羽院:ごとばいん)

をのこども詩を作りて歌に合はせ侍りしに、水郷春望といふことを
(殿上人たちが、漢詩を作って和歌に合わせました時に、「水郷の春望」という題を)


見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ


<平仮名> (歴史的仮名遣い)

みわたせば やまもとかすむ みなせがは ゆふべはあきと なにおもひけむ


<現代語訳>

見渡すと、山のふもとはかすみ、水無瀬川が流れている。夕暮れの趣は秋に限ると、どうして今まで思っていたのであろう。(春の夕暮れもそれに劣らぬ趣があってすばらしいのに。)

(枕草子1段「春はあけぼの」・「秋は夕暮れ」を念頭に置いて春の夕暮れの美しさを詠んだ歌。藤原定家の「見渡せば花も紅葉も~」などの秋の夕暮れを詠んだ「三夕の歌(さんせきのうた)」に対して反発したものとも言われている。)


<語句文法解説> 詞書

太上天皇(だいじやうてんわう) :譲位後の天皇を敬った言い方。上皇。

をのこ :殿上人

詩を作りて歌に合はせ侍りしに :元久二年(1205年)「元久詩歌合」のこと。

水郷春望(すいきやうのしゆんばう) :歌題 「水辺の里の春の眺め」の意味。


<古典文法の基礎知識>

「古文」を苦手科目から得意科目にする古典文法の基礎知識です。

◇「現代仮名遣い」のルールについては、「現代仮名遣い・発音(読み方)の基礎知識」の記事をどうぞ。

◇「用言の活用と見分け」については、「用言(動詞・形容詞・形容動詞)の活用と見分け方」の記事をどうぞ。

◇「助動詞・助詞の意味」や「係り結び」・「準体法」などについては、「古典文法の必須知識」 の記事をどうぞ。

◇「助動詞の活用と接続」については、「助動詞の活用と接続の覚え方」の記事をどうぞ。

◇「音便」や「敬語(敬意の方向など)」については、 「音便・敬語の基礎知識」の記事をどうぞ。
<作者>

後鳥羽院(ごとばいん)=後鳥羽天皇
1180年~1239年。平安末期~鎌倉初期の第82代天皇。名は尊成(たかひら)。高倉天皇の第四皇子。1183年即位。1198年に譲位し、以後は上皇として院政を行う。1221年に王政の復古を図り、鎌倉幕府の執権北条義時の追討を企てたが失敗し(承久の乱)、隠岐に配流され、その地で崩御。和歌に優れ、格調高く真情のこもった歌風。千五百番歌合わせを主催、藤原定家に命じて新古今和歌集を撰集させた。家集「後鳥羽院御集」、歌論書「後鳥羽院御口伝」。


<品詞分解・語句文法解説> 歌

見渡せ :動詞サ行四段活用「見渡す(みわたす)」の已然形

ば :順接確定条件(偶然的条件)の接続助詞 ~すると。

山もと :名詞 山のふもと。

かすむ :動詞マ行四段活用「霞む(かすむ)」の連体形

水無瀬川(みなせがは) :歌枕 今の大阪府北部を流れる川。後鳥羽院の水無瀬離宮があった。

夕べ(ゆふべ) :名詞

は :係助詞

秋 :名詞

と :格助詞

なに :疑問の副詞 どうして。

思ひ :動詞ハ行四段活用「思ふ」の連用形

けむ :過去推量の助動詞「けむ」の連体形
※疑問の副詞(陳述の副詞)「なに」に呼応して結びは連体形となる。

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<和歌の基礎知識>

◎和歌の文法、用語、和歌集、歌風などについては、「和歌の文法・用語の基礎知識」をどうぞ。

◎和歌の修辞法(表現技法)については、「和歌の修辞法(表現技法)の基礎知識」をどうぞ。


<修辞法(表現技法)>

歌枕 :水無瀬川

句切れ :三句切れ

◇「水無瀬川」が「体言止め」だと思った人は、上にリンクをつけている「修辞法の基礎知識」の「体言止め」のところを参照してね。


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11:42 午前  
Blogger yoji said...

その下に以下の下句が折り込まれている


https://tanka-textbook.com/miwataseba/

【見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど
2020年1月12日 2020年1月12日
【見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど
古典文学の時代から連綿と続く和歌の世界。いにしえ人は花鳥風月の美しさを和歌に詠み、愛でてきました。



和歌を詠むことは、平安時代・鎌倉時代の上流階級の人々にとっては必須の教養でした。国家事業として和歌集が編纂されてもいました。



その中で、天皇の命令によって編纂された和歌集を勅撰和歌集と言います。



今回は、鎌倉時代に編纂された勅撰和歌集「新古今和歌集」の中のあまりにも有名な一首「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」をご紹介します。







本記事では、「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。



「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の詳細を解説!



見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ

(読み方:みわたせば はなももみじも なかりけり うらのとまやの あきのゆうぐれ)

作者と出典

この歌の作者は「藤原定家」です。平安時代末期、鎌倉時代初期を代表する歌人です。



この歌の出典は『新古今和歌集』秋上・363 ・『二見浦百首』秋など

『新古今和歌集』は、建仁元年(1201年)の後鳥羽院の命により編纂された日本で8番目の勅撰和歌集です。

勅撰和歌集とは、天皇や上皇(院)の命令で編集される和歌集のことで、国家事業として歌集が作られるのです。

藤原定家は、『新古今和歌集』の撰者のひとりに選ばれました。勅撰和歌集に作品が入集することも大変な名誉であるのに、さらにその選者に選ばれるというのは歌人としての才能が本当に認められているということの証でもありました。

現代語訳と意味(解釈)

この歌の現代語訳は・・・

「見渡してみると、美しく咲く花も見事な紅葉も見たらないことだよ。浜辺の粗末な漁師の小屋だけが目に映る、なんともわびしい秋の夕暮れであることよ。」



となります。



平安時代までの和歌では、美しく咲く花や見事な紅葉、すばらしい花鳥風月を美しい言葉でうたい上げることが主流でしたが、この歌は「花も紅葉も」否定をしています。



和歌に詠まれてしかるべき美しいものの存在を否定したところに、価値を見出しているのです。

文法と語の解説

「見渡せば」
動詞「見渡す」の已然形「見渡せ」+順接の確定条件を表す接続助詞「ば」です。



「花も紅葉も」
どちらの「も」も係助詞です。同類のものを並列、列挙するはたらきを持ちます。



「なかりけり」
形容詞「なし」の連用形「なかり」+詠嘆の助動詞「けり」終止形です。



「浦の苫屋の」
「浦」は浜辺のこと。「苫屋」は苫で屋根を葺いた粗末な家で、漁師の家です。苫とは、チガヤやアシなどのイネ科の植物で編んだむしろのようなものです。



「秋の夕暮れ」
「の」は連体修飾格の格助詞です。

「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の句切れと表現技法



句切れ

句切れとは、普通の文でいえば句点「。」がつくところでの意味の切れ目です。リズム上でも少し間合いを取って詠むところになります。



詠嘆を表す助動詞や助詞(けり、かな、も、よ など)のあるところ、動詞、形容詞、形容動詞、助動詞などの終止形、終助詞、係り結びのあるところなどに注目していくことで句切れが見つかります。



この歌は「なかりけり」の「けり」が詠嘆を表す助動詞であり、ここで切れます。三句のところで切れるので、三句切れです。



詠嘆の助動詞「けり」は、「~だなあ」「~だよ」と言う古来の意味です。



この歌の「花も紅葉もなかりけり」というのは、「花も紅葉もないことだよ」ということです。目に留まる華やかなものが何もない、と言うことに作者は強い興味を覚え、その雰囲気を歌にしようとしているのです。



体言止め

この短歌で使われている表現技法は、「秋の夕暮れ」の体言止めです。



体言止めとは、一首の終わりを、体言、名詞で止めることで余韻を持たせたり、意味を強める働きがあります。



「秋の夕暮れ」と名詞でこの歌を止めることで、寂寞としたわびしい雰囲気を余韻をもって読者に伝えています。

11:47 午前  
Blogger yoji said...


「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」が詠まれた背景



この歌の初出は、文治2年(1186年)、西行法師の勧進による「二見浦百首(ふたみがうらひゃくしゅ)」と言う歌集です。



西行法師の求めにより、伊勢神宮に奉納するために詠まれた100首の歌のなかの一首です。このとき、定家は25歳くらいでした。



歌題となるべき「花も紅葉も」否定したところに風情を見出し、それを歌に詠みこむ感覚は、当時としてはあたらしいものでした。似たような趣向の歌を、定家は他にも詠んでいます。

「み吉野も 花見し春の けしきかは 時雨るる秋の 夕暮の空」

(意味:桜の名所と言われる吉野も、花見をするような春の景色ばかりがすばらしいのではない。時雨ふる秋の夕暮れの空の風情もまたすばらしいものである。)

吉野とは、奈良県の吉野山のことで、桜の名所として知られていました。その吉野の桜を否定して、時雨の降る夕暮れの空を、定家はよしと詠んだのです。



「二見浦百首」で「見渡せば…」の歌を詠んでから、15年余りたって後鳥羽院下命による勅撰和歌集『新古今和歌集』が編纂されるわけですが、この歌集には、「三夕」(さんせき)と呼ばれる三首の有名な歌があります。



寂寞とした、愁いのある秋の夕暮れを詠んだ三首の歌で、どの句も三句で「~けり」と木切れ、結句が「秋の夕暮れ」と結ばれる歌です。

さびしさはその色としもなかりけり 真木立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮法師 秋上・361)

(意味:寂しいと言って、目に見えてはっきりするものがあるわけでもない。はなやかな紅葉もない、杉やひのきが茂る山の、秋の夕暮の寂しさが身に染みるよ。)

心なき身にもあはれ知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行法師 秋上・362)

(意味:世を捨て、法師となり、煩悩を捨てて無心となる私のような者にも、あわれな趣は身にしみて感じられるものである。シギが飛び立っていく秋の夕暮れの景色はあわれ深いものだ。)

見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家 秋上・363)

(意味:見渡してみると、美しく咲く花も見事な紅葉も見たらないことだよ。浜辺の粗末な漁師の小屋だけが目に映る、なんともわびしい秋の夕暮れであることよ。)

この三首の中でも最も有名なのが「見渡せば…」であるといえるでしょう。



秋の夕暮れの「もののあはれ」を詠う感覚や、寂寞としたものに風情を見出す感覚はその後の文学や芸能にも影響を与えました。



また、鎌倉時代の有名な随筆『徒然草』には、このような文章があります。

「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。」

(意味:花は盛りの時を、月は皓々と照る満月のみを美しいものとみなしてもてはやすべきものなのであろうか。けっしてそうではあるまい。雨の夜に見ることのできない月のことを思い、引きこもって春の花咲く野辺の様子を知らぬというのもまた、あわれ深く、情趣に富んだものである。もうじき花が咲くであろう桜の梢、逆に花が散りしおれてしまった庭の様子も、見ごたえのあるものである。)

美しい花や見事な満月を否定し、華やかではないものに価値を見出す感覚が受け継がれています。



華美なものを排し、あるがままのものの素朴さや、つましさに美を見出すわびやさびと言った感覚は、茶の湯などの芸能でその後もてはやされるようにもなりました。

「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の鑑賞



平安時代の和歌の常識としては、美しい花や見事な紅葉と言った花鳥風月を中心に和歌を詠むことが当たり前でした。



しかし、この歌は、「花も紅葉もなかりけり」と、歌の中にあるべき、美しいものを否定しています。



寂寞とした秋の夕暮れの浜辺の風景を詠んだこの和歌の感覚は、鎌倉時代から言われるようになる、「わび」や「さび」といった観念の端緒ともいえるものでした。

「見渡せば花も紅葉も」と歌いだすことで、読者は一瞬色鮮やかな花や紅葉を思い浮かべます。それを「なかりけり」と強い調子で否定し、「浦の苫屋」というなんとも寂寞としたものを提示します。

一瞬、「花や紅葉」といった華やかなものを思い浮かべた後だけに、モノトーンの「浦の苫屋」のわびしさが際立ちます。

時は「秋の夕暮れ」、しんみりとした愁い漂う歌となっています。

作者「藤原定家」を簡単にご紹介!



(藤原定家の肖像画 出典:Wikipedia)

藤原定家(ふじわらのていか・さだいえ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた、公家の歌人です。

藤原北家の御子左家(みこひだりけ)の生まれで、父は藤原俊成(しゅんぜい・としなり)です。父俊成も高名な歌人でした。

定家は応保2年(1162年)の生まれと言われます。若くして父俊成から歌才を認められました。

定家の家は、貴族ではありましたが中流階級で、定家は20代のころから、九条家という名家に家司(けいし。上流貴族、皇族の家の家政をあずかる職員。)として仕え、当時の高名な歌人らと交流し、歌集や歌合せに出詠するようになります。

その後、後鳥羽院の愛顧を受けるようになります。建仁元年(1201年)には、後鳥羽院の命により、勅撰和歌集『新古今和歌集』の撰者のひとりに選ばれました。当世の歌人の第一人者として認められたのです。

定家は、後鳥羽院やその息子順徳天皇の歌壇の重要なメンバーの一人として活動していましたが、承久二年(1220年)、歌会での作が、後鳥羽院の不興を買うことになり、謹慎を命じられます。

しかしその後、後鳥羽院は失脚、謹慎していた定家は西園寺家や九条家と言った名門貴族の引き立てにより、再び歌人として世に出るようになりました。

貞永元年(1232年)、後堀河天皇から勅撰和歌集編集の命が下り、3年の歳月をかけて『新勅撰和歌集』を編集しました。このとき定家はすでに70歳を超える高齢でした。

仁治2年(1241年)、80歳で死去しました。

11:48 午前  
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定家自筆本物語二百番歌合と研究 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1343263

12:45 午後  
Blogger yoji said...


新古今集・巻1・春歌上・36 太上天皇(後鳥羽院:ごとばいん)

をのこども詩を作りて歌に合はせ侍りしに、水郷春望といふことを
(殿上人たちが、漢詩を作って和歌に合わせました時に、「水郷の春望」という題を)


      見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ


<平仮名> (歴史的仮名遣い)

みわたせば やまもとかすむ みなせがは ゆふべはあきと なにおもひけむ


<現代語訳>

見渡すと、山のふもとはかすみ、水無瀬川が流れている。夕暮れの趣は秋に限ると、どうして今まで思っていたのであろう。(春の夕暮れもそれに劣らぬ趣があってすばらしいのに。)

(枕草子1段「春はあけぼの」・「秋は夕暮れ」を念頭に置いて春の夕暮れの美しさを詠んだ歌。藤原定家の「見渡せば花も紅葉も~」などの秋の夕暮れを詠んだ「三夕の歌(さんせきのうた)」に対して反発したものとも言われている。)

12:46 午後  
Blogger yoji said...


「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」が詠まれた背景



この歌の初出は、文治2年(1186年)、西行法師の勧進による「二見浦百首(ふたみがうらひゃくしゅ)」と言う歌集です。



西行法師の求めにより、伊勢神宮に奉納するために詠まれた100首の歌のなかの一首です。このとき、定家は25歳くらいでした。



歌題となるべき「花も紅葉も」否定したところに風情を見出し、それを歌に詠みこむ感覚は、当時としてはあたらしいものでした。

12:48 午後  
Blogger yoji said...


百人一首歌織物説改訂版
https://youtu.be/OUBCdToPvro

97 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
   こぬひとをまつほのうらのゆふなきに やくやもしほのみもこかれつつ
                            権中納言定家(藤原定家)

89 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
   たまのをよたえなはたえねなからへは しのふることのよはりもそする
                              式子内親王

99 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
   ひともをしひともうらめしあちきなく よをおもふゆゑにものおもふみは
                               後鳥羽院

100 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
    ももしきやふるきのきはのしのふにも なほあまりあるむかしなりけり
                                 順徳院
(注:「百敷」は皇居をさす。)

以下が隠されているという。

見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ
                     後鳥羽院

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
                     藤原定家

11:49 午前  
Blogger yoji said...

百人一首、歌織物説

代々木手話サークルさんによる紹介
https://vt.tiktok.com/ZSRynYteF/
https://vt.tiktok.com/ZSRytw7AN/

《#手話#百人一首の秘密〜驚異の歌織物#林直道 著# 久しぶりに本を引っ張り出してきて、改めてもう一度読んでみます♪「共通語」が正式か?!失敗多くてごめんなさい。なお、この本ではまだ四人は四隅に配置されておらず、少しずれている人がいます。続編の『百人一首の世界』[青木書店1986]できっちり四隅に配置する案が提示されます》

『百人一首の秘密』[初版1981]の著者、林直道さんの公式サイト
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/utaorimono.html

https://youtu.be/JVKEaK79t-w


97 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
   こぬひとをまつほのうらのゆふなきに やくやもしほのみもこかれつつ
                            権中納言定家(藤原定家)

89 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
   たまのをよたえなはたえねなからへは しのふることのよはりもそする
                              式子内親王

99 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
   ひともをしひともうらめしあちきなく よをおもふゆゑにものおもふみは
                               後鳥羽院

100 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
    ももしきやふるきのきはのしのふにも なほあまりあるむかしなりけり
                                 順徳院
(注:「百敷」は皇居をさす。)

以下が隠されているという。
見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ
                     後鳥羽院

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
                     藤原定家

11:49 午前  

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