以下再送。http://yojiseki.exblog.jp/9070045/
末木剛博(すえきたけひろ)は『東洋の合理思想』のなかで、老子第11章の論理を無→成→有の弁証法としている。
『道徳経』第11章
三十の矢が放射状に集まって、一つの車輪の中心部と共にある。
そこに無(空間)があるから、車輪の働きをする。
土をこねて、それで器を作る。その器に無(空間)があるこらこそ、
それは、器としての用を為すのである。
壁をうがって戸口や窓をつくり、それで以って、部屋をつくる。
部屋の中に無(空間)があってこそ、それは部屋の用を為す。
従って、有が有としての価値がある為には、そこに何らかの
無の働きがあるからなのである。
参照:http://www.est.hi-ho.ne.jp/noah/chaos-noah/tao/tao_11.htm
これはヘーゲルの有→無→成の論理を補完するもので、なおかつ自然の循環を表現している。
「道」はこうして一つのロジックとして認知されうる。
ただしそれは西欧風のロジックではなく、知識は減らしたほうがいいし(48章)、能動より受動(62章)が歓迎される*。
(*『エチカ』第5部定理24では認識の増大を賛美し、受動(3:定義3、5:3のフロイト的認識)に関しては第四部付録2などで否定的に言及している。)
誤解を生むといけないが、自然反自然という弁証法において、老子も一つの論理を持っているということである。一見レトリカルな表象批判も実質的な根拠と論理を持っている。これは論理的な西欧に対して非論理で対抗しようと言うものではない。
だから結論においては異なるものの(先に触れた知の位置づけ、受動性の評価)、構造においてはスピノザの論理とも親和性があるのである。
以下、以前書いたスピノザ図解:
http://yojiseki.exblog.jp/9135357/
☆TOP☆ 生活7,9,16, 道1#,23,25,32,34,(51),6033,44,50,67(宝),70,73 /\
玄6,27 11#,21,25,\
善2,8,65 /
39#,40#,42,52 武器軍事,29,30,31#,36,(68),69 処世術24,47#_____/_
発出論___\______
行政(税金75)
\ / /\ \ /37,46,54,57,58,59,(60),61,62,(66),(68),(72),75#,(78)
\ 学問批判18,19,20,48#\___\
政治 /
\ /言語5,32 \ /
聖人3#,13,15,17,25,26,27,29,53,61,(63),65,71,72#,74#,79
\知71\
感覚論12#,14,35 \/ \/
/\ /\ 2,20 /\ / \
/ \/__\____/__\
嬰児礼賛10#,49,55、女性(受動性)礼賛6,20,28,49 自然,天地5,6,7 \ \ / /
無為38,43,57,63 水8#,78# _______\___\/___/______\
理想状況(小国寡民80#),64 物理4,5,11#,22,26,36,40, \
逆説1,2#,18,(41),81# 43,45,66,77(柔弱76# \ /
無用の用11#、対立52,63) \ /
\/
徳38,41,51#,55,65もしくは、
道1、23、32(言語)、34、60生活7、13、16、 /\
処世術24、33、44、 /
21、39、 行政29、武器軍事30、31@、37、処世術47@、50、 /
40、52 58、59、62、46、54、57(無為)、善65、70、73____/_
_発出論_\________
武器軍事(68)、69、(税金 75、79 ) \ / /\ \ /
学問批判18、19、20(母)、48@___\
政治32、67(宝) 言語56、知71/\ / \ /\
聖人3@、15、17、25ー27(善)、53、72@、74 感覚論12@ー14、35 \/ \/
/\ /\ /\ / \
自然、天地5、\/__\____/__\
女性(受動性)礼賛6、(玄9)、嬰児礼賛10@、非区別28、 水8@(善)、66、78@ \ / / \
(無為43)、非区別49、嬰児55 /_______\___\/___/______\
物理4、(無用の用11@)\
逆説2@、81@ 理想状況(61)、64、小国寡民80@22、26、対立36、45、\ /
対立63、(柔弱76@)、77\ /
\/
徳38、41、51@
あるいは、
道 1#,23,32(言語),34,60 /\
生活7,9,13,16,処世術24, / \
33,44,処世術47#, /
21,39#, 40#,42,52 行政29,武器軍事30,31#,37,46,54,57(無為),50,善65,70,73______/_
発出論___\________
58,59,62,武器軍事(68),69,(税金 75, 79) \ / /\ \ /
\
学問批判18,19, 20(母),48#,___\
政治32,67(宝) \
言語56、知71 \ /\ /
聖人3#,(15),17,25-27(善),53,72#,74# \
感覚論12#-14,35 / \/
/\ /\ /\ / \
自然,天地5 \/__\____/__ \
女性(受動性)礼賛6(玄),嬰児礼賛10#,非区別28, 水8#(善),66,78#\ \ / / \
(無為43),非区別49、嬰児55 /________\___\/___/______\
物理4,(無用の用11#),22,26, \
逆説2#,81# 理想状況(61),64、小国寡民80# 対立36,45,対立63, \ /
(柔弱76#),77 \ /
\/
徳38,41, 51#老子『道徳経』(1〜81)
|
|_道(ロジック)1#,23,25,32,34,(51),60
| | |
| | 発生論11#,21,25,39#,40#,42,52
| | |
| | | __水8#,78#
| | |___|
| | |__嬰児 (女性(受動性)礼賛6,10#,20,28,49)49,55、
| |
| | _物理法則4,5,(自然,天地5,6,7),無用の用11#,22,26,36,40,(対立52,63)
| |___|
| |_理想状態64,(小国寡民)80#
|
|
|_徳(
修身/
政治)
38,41,51#,55,65
| |
| 逆説1,2#,18,(41),81#
| ||
| ||______感覚批判12#,14,(相2,20),35
| |
| | __学問批判18,19,20,48#
| | 学問_|
| |__| |__知識批判71
| |
| | __聖人5,29,49,64,70
| 政論_|
| |__政治論3#,13,15,17,25,26,27,29,53,61,(63),65,71,72#,74#,79
|
| 修身____処世術(玄6,27,善2,8,65)7,9,16,24,33,44,47#,50,67(宝),70,73、
|__|
| __武器軍事29,30,31#,36,(68),69
政治_|
|__行政37,46,54,57,58,59,(60),61,62,(66),(68),(72),税金75#,(78)参考:
夏目漱石老子解説図☆ 付記:
スピノザ『エチカ』☆ 2b様態 /\
/無限\
/ \
悲しみ________/_
2a属性__\________喜び
\ 憎しみ / /\ \ 愛 /
\ 悪/___
1実体\___\善 /
\ /\ 知_/\_至福 /\ /
\/ \/ \ / \/ \/
/\ /\/_\/_\ /\ / \
所産的自然 \/ 神\__徳__自然(能産的) \
/ 延長\個体
5自由/ 認識/思惟 \
物体/_____身体___\/___精神_____\観念
\
4理性 /
\ /
\努力/
\/
欲望
3感情幾何学的秩序に従って論証された
エ チ カ
五部に分たれ、その内容は左記の通り
1神について2精神の本性および起源について3感情の起源および本性について4人間の隷属あるいは感情の力について5知性の能力あるいは人間の自由について参考:
スピノザ『国家論』 :目次
1序論(エチカ参照箇所)3p1,3p32n,4f13,3p31n,3p31n,4p58n,4p15,5p4n,5p42n
2自然権について(神学政治論,エチカの要約)4p37n2,4p66n,4p67,3p29n
3国家の権利について
4最高権力の所管事項について
5国家の目的について
6、7君主国家について(7)3p29,4p58
8、9、10貴族国家について
11民主国家について(未完、以下を欠く)
※本文より抜粋
-----------------------------------------
人間は必然的に諸感情に従属する。また人間の性情は、不幸な者を憐れみ、幸福な者をねたむようにできており、同情よりは復讐に傾くようになっている 1:5,p14
国家の安全にとっては、いかなる精神にとって人間が正しい政治へ導かれるかということはたいして問題ではない。要はただ正しい政治が行なわれさえすればよいのである。なぜなら、精神の自由あるいは強さは個人としての徳であるが、国家の徳はこれに反して安全の中にのみ存するからである 1:6,p16
実に人間は、自然状態においても国家状態においても、自己の本性の諸法則によって行動しかつ自己の利益を計るものである。人間は――あえて言うが――そのどちらの状態にあっても、希望あるいは恐怖によってこれあるいはあれをなしまたはなさないように導かれる 3:3p37
理性に基づき理性に指導される国家は最も力があり、最も自己の権利のもとにありうるのである。なぜなら国家の権利は、あたかも一つの精神からのように導かれる多数者の力によって決定されるのであるが、精神のこの一致はまさに、健全な理性がすべての人間に有益であると教えるものを国家が最も多く追求する場合でなくては決して考えられえないからである 3:7 p40
臣民は、国家の力または威嚇を恐れる限りにおいて、あるいは国家状態を愛する限りにおいて、自己の権利のもとにはなく、国家の権利のもとにあるということである。この帰結として、報酬あるいは威嚇によって何びともそれへ動かされえないような一切のことは国家の権利に属さないということが生ずる 3:8,p40-41
国家が自己の権利のもとにあるためには恐怖と尊敬との原因を保持するように拘束される。そうでなければ国家はもはや国家ではない。思うに、統治権を握る人あるいは人々にとっては、酔って、裸で、遊女とともに町を歩き回ったり、俳優のまねをしたり、自らの定めた法律をあからさまに破ったり軽蔑したりして、それでいて威厳を保持することは不可能である(中略)臣民を虐殺したり、掠奪したり、処女を誘惑したり、その他これと同様のことどもは、恐怖を憤慨に変え、したがって国家状態を敵対状態に変える 4:4,p53-54
自由な民衆は恐怖よりも希望によって多く導かれるのに対し、征服された民衆は希望よりも恐怖によって多く導かれる(中略)実に前者は生活をはぐくむことに努めるのに反し、後者はただ死を避けることにのみ努力する
5:6,p60
国家は常に敵のゆえによりも国民のゆえに危険であるということが確実である。事実、善良な国民は稀だからである 6:6,p67
参照サイト:http://blog.goo.ne.jp/eliesbook/e/6e0669ee9898a7f0995a47fd66d8bd11
<スピノザ『国家論』畠中尚志訳、岩波文庫p139>
第八章第二七節
諸事のとり決めならびに官吏の選任にあたってすべての貴族が同じ力を持つためには、そしてすべての事務の決裁が迅速であるためには、ヴェニス国の人たちの守った手続きが最も推薦に値する。彼らは官吏を任命するにあたり会議体から若干名を抽籤で選び、この人々が順次に選ぶぺき官吏を指名し、続いておのおのの貴族は指名された官吏の選任に対し賛成あるいは反対の意見を投票用小石によって表明する。あとになって誰が賛成あるいは反対の意見であったかがわからないように。こうすればすべての貴族が決議にあたって同じ酪威を持ちかつ事務が迅速に決裁されるばかりでなく、その上おのおのの者は(これは会議にあって何より必要なことであるが)誰からも敵意を持たれる心配なしに自分の意見を表示する絶対的自由を有することになる。
http://yojiseki.exblog.jp/4997449/#noteメモ:
老子 スピノザ
生活態度
受動性を推奨 ←→ 能動性を推奨
(43,47,
63他) (
第3部定理3他)
善悪
違いなし ←→ 自由なら存在しない
(
20) (
第4部定理68)
知識
減少を推奨 ←→ 正しい知、認識を推奨
(
20,
48,71) (
第5部定理15,
第5部定理24他)
認識
嬰児たれ ←→ 第三種認識を推奨
(
10他) (
第5部定理25他)
治世(以下を参照)
?
老子『道徳経』65章
古の善く道を為(おさ)むる者は、以て民を明らかにするに非ず。将に以て之を愚にせんとするなり。
http://ryufuu.cocolog-nifty.com/hibinokaze/2007/11/65_084a.htmlスピノザ『エチカ』第4部定理17備考
これでもって私は、なぜ人間が真の理性によってよりもむしろ意見(オビニオ)によって動かされるか、またなぜ善および惑の真の認識が心情の動揺を惹き起こしかつしばしばあらゆる種類の官能欲に征服されるかの原因を示したと信ずる。かの詩人の言葉はここから来ている、「我はより善ぎものを見てこれを可とす、されど我はより悪しきものに従う」。伝道者〔ソロモン〕が「知識を増す者は憂患を増す」と言っているのも同じことを念頭に置いたものと思われる。
しかし私がこうしたことを言うのは、それから無知が知にまさるとか、感情の制御において愚者と智者の間に差別がないとかいうようなことを結論しようと思ってではない。むしろ、理性が感情の制御において何をなしえ、また何をなしえざるかを決定しうるには、我々の本性の能力とともにその無能力をも知ることが必要だからである。
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note4p17 老子『道徳経』74章
民(たみ)死を畏(おそ)れざれば、
奈何(いかん)ぞ死を以て之(こ)れを懼(おそ)れしめんや。
http://home.att.ne.jp/wave/ayumi/Lao/074.htmスピノザ『エチカ』第4部定理54備考
民衆は恐れを知らない時に恐るぺきものである。
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note4p54n ☆スピノザプルードン ヘーゲル マルクス 空海 カント 坂本龍馬 ハイデガー ☆柄谷 フロイトドゥルーズ 老子 アドルノ パーソンズ カレツキ ゲゼル ライプニッツ スポーツ 文学☆ ガンジー ラカン☆
2 Comments:
私は他者である
JE est un autre
rimbaud
言葉と物の分離
思惟と延長、
概念ー対象関係の分離、差異
分裂、二重化
エチカ
第一部公理六 真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。
コメントを投稿
<< Home