http://yojiseki.exblog.jp/4761687/
カントの遺稿『オプス・ポストムム』に関して、興味深い論文を読みました。「カントの{{Opus postumum}}の哲学史的位置について」福谷茂(「哲学研究」578号 京都哲学界)です。
存在論的な可能的経験の導入において一線を画しながらも、カントがスピノザとの接点を垣間見せているという論旨でした。旧来のカント観を一掃するものであり衝撃的でさえあります。
福谷氏はこう書いています。
「ではそのような形而上学の世界がなぜカントの最終目的地でなければならなかったのか。それは、この形而上学が世界の一つの制度であり、言わば公共の場であるからである。(中略)カントは理解されることを求めたのである。」
(「哲学研究」No.578,京都哲学会,p143)
一元化された哲学体系に同じ土俵で立ち向かうとはいえ、可能的経験という様相概念を導入することで自然と自由の二元論は維持されますから、それまでの批判哲学は結果的には相補的な形で補強されます。『純粋理性批判』以来、仮想敵としてきたスピノザを本質的に咀嚼する段階にカントはようやくたどり着いた、、というのが『オプス・ポストゥムム』の好意的読みになります。
カントは晩年、自身の手でスピノザの側からカントの批判哲学を読み直していたということにもなります。総じて日本のカント研究者は生真面目過ぎてこの件に関して対応できていないようです。岩波版で全集から排除されたという状況もあり、『オプス・ポスト(ゥ)ムム』に関しては更なる研究が望まれます。
具体的には英訳↓で検討中なので、またご報告させていただきます。
http://www.amazon.com/Postumum-Cambridge-Works-Immanuel-Translation/dp/0521319285/sr=8-1/qid=1162222289/ref=pd_bbs_sr_1/002-0412426-8840850?ie=UTF8&s=books
Commented by yoji at 2010-01-02 03:42 x
上記論考が単行本に収録された様です。
カント哲学試論
福谷 茂 著 知泉書館 版
フクタニ,シゲル チセンシヨカン
2010年01月
『純粋理性批判』とカント形而上学の形成
〈形而上学〉という観点から『純粋理性批判』を総合的に考察、カント哲学の核心に挑む意欲的な試みである。『純粋理性批判』を一体的でヴェクトルをもった作品として読む独自の方法により、重要概念を吟味するとともにカントのメッセージを形而上学のカテゴリーとの関係から掘り下げ、さらに自然神学批判がカントの世界理解に対してもつ意味を神の存在証明を通して解明する。次に哲学史との関連で、カントとドイツ講壇哲学やニュートン、バークリ、ライプニッツ、スピノザとの接触が、カント哲学の形成と解明にどのように還元されるかを分析し、また1930年代に全貌を現したカントの『遺稿』はカントがそれまでの哲学史と自身の哲学を結びつける努力であり、「超越論哲学の最高点」と『純粋理性批判』の〈完成〉を目指したものであることを明らかにする。さらに平和、歴史、神など理論哲学以外のテーマを『純粋理性批判』との関連で捉えることにより啓蒙主義者カントの背景に形而上学者のカントを読みとる。
Commented by kibino at 2010-04-10 08:39 x
著書「哲学者16人の謎と真実」は、わずか36頁で哲学史の全てが理解でき、ネットで読むことができる。
http://www.geocities.jp/k_kibino/page2000.html
ところで、ヒュームの「観念は連合する」に対し、「観念連合には分断もある」と考えるよう提唱する。
つまり、観念連合に関する3法則、因果・近接・類似の反対に、分断に関する意外・遠隔・相違がある。
こうすることでヒュームを(カントよりも)相対化し、ブッシュ・小泉時代の新自由主義にも真に引導を渡すことができる。
http://blogs.yahoo.co.jp/k_kibino/60877061.html
Commented by clonecd299 at 2011-05-12 19:08 x
Art has an enemy called ignorance.
Commented by yojisekimoto at 2012-11-15 15:38
カント『純粋理性批判』関連書寸評(上から順番にだんだんむずかしくなって行く?):
まんがで読破 純粋理性批判(意外にも大雑把にカントをとらえている部分に好感が持てる。
宇宙論関連で宇宙を出す所などもいい。話のネタになる)
カント入門 (ちくま新書) 石川 文康
(もはや定番。第一批判を読む前に『プロレゴメナ』とこれを買うべき。この本の論理学関連
の記述に興味があればカントに行かない方がいいかも)
カント純粋理性批判 黒崎政男 (第一版と第二版の異同についてはこれと天野訳の解説が必読)
カントの純粋理性批判 金子 武蔵 (著者はヘーゲル研究者だが逆に客観的、総括的記述が目立つ)
純粋理性批判』を噛み砕く 中島 義道 (真面目にカントを読みたい人にとっては、同著者の著作の中でベスト)
トランスクリティーク 柄谷行人 (必読。マルクスの倫理的欠陥をカントで補強している)
理性の不安―カント哲学の生成と構造 坂部 恵(スウェーデンボルグ関連の論考は柄谷に影響を与えた)
カント「純粋理性批判」の研究 岩崎 武雄 (近年新装版が出た)
Commented by yojisekimoto at 2012-11-15 15:38
カント哲学試論 福谷茂(カント遺稿に関する本格的論考はめずらしい。専門外の人には中公『哲学の歴史7』 でも同著者の簡潔な主張が読めるのでこちらも薦める)
カント『純粋理性批判』註解 <上下> ノーマン・ケンプ スミス(カント遺稿に関する本格的論考は疑念があるが貴重)
追記:
ルソー、ロック、ライプニッツ、ヒュームはやはり独自に読んでおくといい。
ハイデッガー、ショーペンハウアーは除外した(彼らの第一批判の第一版賞讃の理由は上記黒崎書に詳しい)。
Commented by yojisekimoto at 2012-11-17 13:49
フーコー著『カントの人間学』(新潮社)
重要なのは7章の「源泉・領域・限界」の『論理学』と『オプス・ポストゥムム』(遺稿、遺作)に触
れた箇所だろう。
『論理学』での文法上の
「主語」「述語」「繋辞」(96頁)がそれぞれ、
『オプス・ポストゥムム』の
「源泉・領域・限界」、
つまり
「神」「世界」「人間」(94頁)に対応し、
さらに『第一批判』の
「理性」「知性」「感性」(106頁)、
全体系では
「純粋理性」「実践理性」「判断力」(106頁)に対応する、という指摘は参考になった。
神 _________ 世界 遺稿
(源泉)|\ /|(領域)
| \人 間 学/ |
主語|__\ /__|述語 論理学
|\ \人間 /|
| \ (限界)/ |
Commented by yojisekimoto at 2012-11-17 13:50
(三幅対を強調すれば以下の図のようになるだろう)
神 _________ 世界 遺稿
(源泉)|\ /|(領域)
| \人 間 学/ |
主語|__\ /__|述語 論理学
|\ \人間 /|
| \ (限界)/ |
理性|__\ | /__|知性 能力
|\ \繋辞 /|
純粋 | \ | / |実践
理性批判|__\_|_/__|理性批判 批判書(↑レベル)
\ \感性 /
\ | /
\ | /
\判断力批判
☆
_資本論
/___/|
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ゲゼル| ||
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| | | 柄谷
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文学☆☆ | |
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| | ___|_|______フーコー
| | /デュルケ|ム| / ウェーバー /|
| |/_____|_|/_______/ |
| / マルクス | / フロイト / |
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| /___________|____間___|____________/ |
| /| | | /| (快、不快) /| |ス
| / | | | / | | / | |
| / (欲求) | 学 | / | | / | |・
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|永 | | | | | | | 論|
|遠 | | | | ライプニッツ | | |ス
|平 | |_______|____|___|_______|____|__理|
|和 | /| | | /| | | /|ト
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|に /| | (徳|論) /| | | /| |ム
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| /(法|学) |形 而 上 学| /宗教(目的論) | / | |ム
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| | / 純 粋 | 理 |性/ 批 判 |カテゴリ|ー/
| |/(ス ピ ノ ザ )| |/(物理学) | |/
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| /(倫理学/徳or福) | / | /
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デカルト
☆スピノザ
プルードン ヘーゲル
マルクス 空海 カント
坂本龍馬 ハイデガー
☆柄谷 フロイト
ドゥルーズ 老子
アドルノ パーソンズ
カレツキ ゲゼル
ライプニッツ
スポーツ 文学☆☆
ガンジー
ラカン☆
ニーチェ ショーペンハウアー
孔子
インド哲学
音楽、建築、原発、政治、中国、歴史、分類、図像学
文学、東洋思想、リンク:::::
政治、経済、文化、音楽、映画、科学、数学、医学、栄養学
返信削除http://yojiseki.exblog.jp/9138866/
返信削除ゲーデル
哲学の歴史 07 理性の劇場』 加藤尚武編 (中央公論新社). 理性の劇場
返信削除にコンパクトな福谷論考が載っている
岩波「思想」201404によると、福谷茂氏は知泉書館 から遺稿刊行を準備しているとある。
返信削除新・カント読本 « 法政大学出版局
返信削除http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-15089-0.html
新・カント読本
哲学・思想・倫理
> 哲学・思想一般
> 近代哲学
新・カント読本
牧野 英二:編
A5判 / 422ページ / 並製 / 定価:3,400円 + 税
ISBN978-4-588-15089-0 C1010 [2018年02月 刊行]
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内容紹介
超越論哲学の構築と永遠平和論を通じて、形而上学・倫理学・美学の近代200年を決定づけたカント。その思想の現代的意義を、前批判期から晩年までの各テーマに即し、最新の視点で気鋭の研究があぶり出す。西洋先進諸国以外の地域でのカント受容史や、正義論や生命倫理学への寄与にも光をあて、哲学史への鋭い解釈を提示するコラムが多面的な哲学者像を映し出す。詳細年譜付の最良の手引き。
目次
序論 グローバル化時代の新たなカント像【牧野英二】
第一部 カント哲学のグローバルな展開
1 フランス語圏のカント受容──「人間」以後の超越論哲学の行方【宮﨑裕助】
2 英米圏のカント研究──経験論の伝統【城戸 淳】
3 スペイン語圏のカント研究──スペイン、メキシコでの展開【ドゥルセ・マリア・グランハ・カストロ】
4 イスラーム文化圏のカント研究──イランにおける受容と展開【セイェド・アリー・マフムーディ】
5 漢字文化圏のカント研究──その受容史と意義および課題【牧野英二】
6 ロシアのカント研究──グリガ以後、一九九六年から二〇一七年まで【ダニール・アロンソン】
7 ドイツ語圏における現在のカント研究──直面する課題と論争【ハイナー・F・クレンメ】
【コラム①】夏目漱石とカント──理性批判の世界反転光学【望月俊孝】
第二部 カント哲学の新しい読み方
批判哲学への途上
8 「常識」の概念とカントの思想形成──ドイツ啓蒙思想とスコットランド啓蒙思想からの影響 【長田蔵人】
9 ヴォルフの形而上学とその批判者たち──十八世紀後半ドイツにおける形而上学の展開【佐藤慶太】
【コラム②】カントとヘーゲル──「観念論」の再検討【加藤尚武】
理論哲学の主要論点
10 身体と時間・空間論──「直観の形式」と非ユークリッド幾何学【植村恒一郎】
11 カテゴリーの演繹論と図式論──超越論的真理概念をめぐって【鵜澤和彦】
12 『純粋理性批判』の自由論──自由のとしての「いま」【湯浅正彦】
【コラム③】新カント学派とは──歴史的再検証【大橋容一郎】
実践哲学の中心課題
13 道徳法則と法の定言命法──『人倫の形而上学』と倫理学の課題【小野原雅夫】
14 純粋理性宗教と歴史的信仰の相克──『宗教論』と「隠されたアンチノミー」の存在【大森一三】
15 カントと悪の問題──人間はなぜ現に悪を為してしまうのか【中島義道】
【コラム④】カントとハイデガー──心の闇を前にして【高田珠樹】
美学と目的論の射程
16 『判断力批判』における「自然の技巧」の体系的意義──解釈学的観点から【相原 博】
17 『判断力批判』における超越論的哲学の新たな可能性──反省的判断力の根源性【円谷裕二】
【コラム⑤】パースとカント プラグマティズムとカテゴリー論【伊藤邦武】
自然哲学と晩年の思想
18 自然哲学と自然の形而上学──カント自然哲学の変遷【犬竹正幸】
19 『オプス・ポストゥムム』のコンテクスト──遺稿著作はカント最晩年の思想か?【加藤泰史】
第三部 現代の哲学からみたカント哲学
カントと応用倫理学
20 カント倫理学と生命倫理──「人間の尊厳」という価値【蔵田伸雄】
21 カントにおける生と死の倫理学──有限な理性の奇妙な運命【三谷尚澄】
【コラム⑥】カントとエコロジカルな心の問題──生態学的観点から【河野哲也】
カントの永遠平和論・正義論
22 カントの正義論と人権論の射程──リベラリズムとリバタリアニズムの間【宇佐美公生】
23 永遠平和と世界市民主義──国境を超える正義【石田京子】
【コラム⑦】カント歴史哲学と物語り論──高坂正顕・坂部恵を導きの糸に【野家啓一】
カントと現代の言語哲学
24 コミュニケーション論の現代的意義──カントとハーバーマス【舟場保之】
25 超越論的記号論と価値の超越論的論証──シェーンリッヒとコースガード【近堂 秀】
カント年譜 物語風に【菅沢龍文/小谷英生】
晩年のカント
返信削除#7
『オプス・ポストゥムム(遺稿集)』──質料の中に分け入る
一七八六年に『自然科学の形而上学的原理』を刊行してから、カントは「自然科学の形而上学的原理から物理学への移行」という大きなテーマに挑んだ。やや専門的な領域に入るが、カントの超越論的観念論という壮大な体系において、その「そと」に位置する「物自体からの触発」が、はじめから「躓きの石」であった。たしかに、世界は、人間理性の構築物(意味付与の産物)にほかならず、「現象」にすぎない。あらゆる学問が描き出すのは、絶対的真理でなく、あくまでも人間にとっての真理なのであって、人間理性の限界をわれわれ人間は超えられない。
とはいえ、世界は単なる形式(概念)にのみではなく質料(世界の実質を成しているもの、ここでは、「物質」としておく)によっても成り立っている。われわれ人間が世界の質料(物質)を創造したのではない。われわれには質料(物質)が「与えられている」のであって、そのもとで人間理性は形式(概念)によって世界を現象として描き出すのだ。だが、こうして、現象としての世界もまた質料(物質)を取り込んで成立しているのだとすると、われわれが創造したのでもない質料(物質)は、なにゆえに人間理性に従いえるのであろうか? このことは、単なる偶然なのだろうか? それとも、質料(物質)の中に人間理性と呼応する何かがすでに潜んでいるのであろうか?
およそ、こういう思考過程を経て、カントは『自然科学の形而上学的原理』を刊行したときから、さらに質料(物質)の中に分け入ろうとした。カントは物質を扱う「化学」の中にその秘密が隠されていると信じて、晩年とくに化学に取り組んだ。しかし、その試みは断片に留まり、膨大な『オプス・ポストゥムム(遺稿集)』として、アカデミー版カント全集に収められている。