http://www.freeassociations.org/
式子内親王→ ←順徳院 ┃ 風┃風 ┃ ┃ ┃ 山┃山 山┃山 山┃山 あ┃あ 89玉┃玉37吹┃吹58風┃風79雲┃雲12風┃風32風┃風94吹┃吹69吹┃吹22ら┃る100 絶え ┃ 風 ┃ 原人┃ 出月 ┃ 天 ┃ 紅葉山┃ みのの┃竜田川嵐┃嵐 嵐 ┃ ある ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 絶え ┃ 風お┃小 原人┃ 出月天┃天 天 ┃ 紅葉山┃ みのの┃竜田川 ┃ 嵐 ┃ なく 63思┃思48の┃野39原┃原 7の┃の60山┃山 5奥┃奥14そ┃括17ふ┃ふ96花┃花33 思 ┃ ころ ┃ 小野 ┃月 見山┃山橋ふみ┃ふみ聞鳴┃鳴 初め┃る 神る┃りふり ┃ 花 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 思 ┃ ころ ┃ をの ┃月 見夜┃夜 橋霜┃霜きく ┃ 初 ┃ 神 ┃ ふりふ┃ふ 花 80長┃長84長┃長 3寝┃寝59更┃更 6白┃白29初┃初74祈┃神24手┃手15り┃る 9 物 思 ┃ 世 ┃ 独寝む┃ かた月┃ おく ┃ 心 ┃ 瀬 ┃ たむき┃ 春衣┃ ふる花 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 物 思夜┃夜 夜 ┃ 独寝む┃ かた月┃ おく ┃ 心 ┃ 淵な┃なたきた┃た 春衣┃ ふる花 85明┃明53独┃独91鳴┃鳴81鳴┃鳴83山┃山26み┃み13り┃り55え┃へ 2香┃香35 物 思 ┃ ぬるり┃りなく方┃方 月 ┃ 思 ┃ ゆきね┃ね 嶺ぬ┃ぬ 音 ┃来 山 ┃花 知人 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 物 思 ┃ ぬる ┃ なく ┃ 月 ┃ 思逢┃逢ゆき ┃ゆ 嶺 ┃ 音 ┃来 山 ┃山花知人 43逢┃逢20逢┃逢44逢┃逢57逢┃逢77せ┃せ10ゆ┃き 4ね┃ね62逢┃逢25知┃知66 物 思思┃思詫び身┃身 恨 ┃月 見 ┃瀬 川か┃きしるく┃ば出でて┃関鳥夜坂┃坂 来 ┃人 桜 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 物 思 ┃ 詫び ┃ 恨 ┃月 見 ┃瀬 川 ┃ しる ┃ば出でて┃関鳥夜 ┃ 来 ┃人 桜 40恋┃恋65恨┃恨52朝┃朝31朝┃朝64川┃川98夕┃夕70何┃い78い┃来47八┃八61 恋 人 ┃ 袖 ┃ 明け ┃月 明 ┃ わた ┃ 川暮┃暮たち処┃く通うく┃ 寂し重┃重 桜 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 恋 人立┃立 袖う┃う明け ┃月 明 ┃ わた ┃ 川 ┃ たつ ┃ 通う ┃ 寂し ┃ 桜 41そ┃染95き┃き30明┃明36雲┃雲76原┃原27つ┃つ 8住┃住18人┃人28山┃山73 わがめ┃ うき ┃ばかりけ┃け 月明┃ わた見┃見 恋み┃み 世人┃人よる目┃目 早 ┃ 高砂 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ わが ┃ うき ┃ばかりば┃ば 月明┃ わたわ┃わ 恋 ┃ 世 ┃みよる ┃ 早 ┃ 高砂 86涙┃涙82あ┃な67か┃か21つ┃釣11た┃た88芦┃芦19短┃か49思┃思51知┃知34 思 ┃ 命る┃くなくり┃り長月る┃るわた舟┃ かり ┃ 芦き┃き 火 ┃さしも ┃ まつ ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 思 ┃ 命共┃共あら ┃ 長月 ┃ わた舟┃とかり秋┃秋 芦夕┃夕 干 ┃させも ┃ まつ 50命┃命54が┃が56世┃世68恋┃恋46と┃ま 1田┃田71葉┃葉87露┃露75と┃と16来 惜 思 ┃ 忘な┃な 思 ┃あらで月┃ 舟を┃を濡れ ┃ おと秋┃秋 干 ┃秋契りし┃しまつむ ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 惜 思人┃人 忘人┃人 思 ┃あらね月┃ 舟 ┃ 濡れ ┃ おと秋┃秋 干 ┃秋契りし┃ まつ来 99惜┃惜38思┃思45身┃身23悲┃悲93天┃天90袖┃袖72浜┃沖92袖┃袖42ま┃ま97ぬ 身思┃思身 身┃身 ┃ し┃し の┃の 濡┃濡 袖┃袖 ┃ つ┃つ 後鳥羽院→ ←定家 あるいは、 式子内親王→ ←順徳院
全体は情念(左3列)と景色(右7列)とに分かれるそうだ(間、左4列目を縦に月の主題が貫く)。 色違いで、 式子内親王→ ←順徳院 ┃ 風┃風 ┃ ┃ ┃ 山┃山 山┃山 山┃山 あ┃あ 89玉┃玉37吹┃吹58風┃風79雲┃雲12風┃風32風┃風94吹┃吹69吹┃吹22ら┃る100 絶え ┃ 風 ┃ 原人┃ 出月 ┃ 天 ┃ 紅葉山┃ みのの┃竜田川嵐┃嵐 嵐 ┃ ある ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 絶え ┃ 風お┃小 原人┃ 出月天┃天 天 ┃ 紅葉山┃ みのの┃竜田川 ┃ 嵐 ┃ なく 63思┃思48の┃野39原┃原 7の┃の60山┃山 5奥┃奥14そ┃括17ふ┃ふ96花┃花33 思 ┃ ころ ┃ 小野 ┃月 見山┃山橋ふみ┃ふみ聞鳴┃鳴 初め┃る 神る┃りふり ┃ 花 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 思 ┃ ころ ┃ をの ┃月 見夜┃夜 橋霜┃霜きく ┃ 初 ┃ 神 ┃ ふりふ┃ふ 花 80長┃長84長┃長 3寝┃寝59更┃更 6白┃白29初┃初74祈┃神24手┃手15り┃る 9 物 思 ┃ 世 ┃ 独寝 ┃ かた月┃ おく ┃ 心 ┃ 瀬 ┃ たむき┃ 春衣┃ ふる花 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 物 思夜┃夜 夜 ┃ 独寝 ┃ かた月┃ おく ┃ 心 ┃ 淵な┃なたきた┃た 春衣┃ ふる花 85明┃明53独┃独91鳴┃鳴81鳴┃鳴83山┃山26み┃み13り┃り55え┃へ 2香┃香35 物 思 ┃ ぬるり┃りなく方┃方 月 ┃ 思 ┃ ゆきね┃ね 嶺ぬ┃ぬ 音 ┃来 山 ┃花 知人 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 物 思 ┃ ぬる ┃ なく ┃ 月 ┃ 思逢┃逢ゆき ┃ 嶺 ┃ 音 ┃来 山 ┃山花知人 43逢┃逢20逢┃逢44逢┃逢57逢┃逢77せ┃せ10ゆ┃ゆ 4ね┃ね62逢┃逢25知┃知66 物 思思┃思詫び身┃身 恨 ┃月 見 ┃瀬 川か┃きしるく┃き出でて┃関鳥夜坂┃坂 来 ┃人 桜 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 物 思 ┃ 詫び ┃ 恨 ┃月 見 ┃瀬 川 ┃ しる ┃ 出でて┃関鳥夜 ┃ 来 ┃人 桜 40恋┃恋65恨┃恨52朝┃朝31朝┃朝64川┃川98夕┃夕70何┃い78い┃来47八┃八61 恋 人 ┃ 袖 ┃ 明け ┃月 明 ┃ わた ┃ 川暮┃暮たち処┃く通うく┃ 寂し重┃重 桜 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 恋 人立┃立 袖う┃う明け ┃月 明 ┃ わた ┃ 川 ┃ たつ ┃ 通う ┃ 寂し ┃ 桜 41そ┃染95き┃き30明┃明36雲┃雲76原┃原27つ┃つ 8住┃住18人┃人28山┃山73 わがめ┃ うき ┃ばかりけ┃け 月明┃ わた見┃見 恋み┃み 世人┃人よる目┃目 早 ┃ 高砂 ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ わが ┃ うき ┃ばかりば┃ば 月明┃ わたわ┃わ 恋 ┃ 世 ┃みよる ┃ 早 ┃ 高砂 86涙┃涙82あ┃な67か┃か21つ┃釣11た┃た88芦┃芦19短┃か49思┃思51知┃知34 思 ┃ 命る┃くなくり┃り長月る┃るわた舟┃ かり ┃ 芦き┃き 火 ┃さしも ┃ まつ ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 思 ┃ 命共┃共あら ┃ 長月 ┃ わた舟┃とかり秋┃秋 芦 ┃ 干 ┃させも ┃ まつ 50命┃命54が┃が56世┃世68恋┃恋46と┃ま 1田┃田71葉┃葉87露┃露75と┃と16来 惜 思 ┃ 忘な┃な 思 ┃あらで月┃ 舟を┃を濡れ ┃ おと秋┃秋 干 ┃秋契りし┃しまつむ ━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━╋━━━━ 惜 思人┃人 忘人┃人 思 ┃あらね月┃ 舟 ┃ 濡れ ┃ おと秋┃秋 干 ┃秋契りし┃ まつ来 99惜┃惜38思┃思45身┃身23悲┃悲93天┃天90袖┃袖72浜┃沖92袖┃袖42ま┃ま97ぬ 身思┃思身 身┃身 ┃ し┃し の┃の 濡┃濡 袖┃袖 ┃ つ┃つ 後鳥羽院→ ←定家 |
式子内親王→ ←順徳院 風風 山山 山山 山山 あある 89玉玉37吹吹58風風79雲雲12風風32風風94吹吹69吹吹22ら100 絶え 風 原人 出月 天 紅葉山 みのの竜田川嵐嵐 嵐 ある 絶え 風お小 原人 出月天天 天 紅葉山 みのの竜田川 嵐 なく 63思思48の野39原原 7のの60山山 5奥奥14そ括17ふふ96花花33 思 ころ 小野 月 見山山橋ふみふみ聞鳴鳴 初める 神るりふり 花 思 ころ をの 月 見夜夜 橋霜霜きく 初 神 ふりふふ 花 80長長84長長 3寝寝59更更 6白白29初初74祈神24手手15りる 9 物 思 世 独寝 かた月 おく 心 瀬 たむき 春衣 ふる花 物 思夜夜 夜 独寝 かた月 おく 心 淵ななたきたた 春衣 ふる花 85明明53独独91鳴鳴81鳴鳴83山山26みみ13りり55えへ 2香香35 物 思 ぬるりりなく方方 月 思 ゆきねね 嶺ぬぬ 音 来 山 花 知人 物 思 ぬる なく 月 思逢逢ゆき 嶺 音逢来 山 山花知人 43逢逢20逢逢44逢逢57逢逢77せせ10ゆゆ 4ねね62坂逢25知知66 物 思思思詫び身身 恨 月 見 瀬 川かきしるくき出でて関 鳥夜坂 来 人 桜 物 思 詫び 恨 月 見 瀬 川 しる 出でて関 鳥夜 来 人 桜 40恋恋65恨恨52朝朝31朝朝64川川98夕夕70何い78い来47八八61 恋 人 袖 明け 月 明 わた 川暮暮たち処く通うく 寂し重重 桜 恋 人立立 袖うう明け 月 明 わた 川 たつ 通う 寂し 桜 41そ染95きき30明明36雲雲76原原27つつ 8住住18人人28山山73 わがめ うき ばかりけけ 月明 わた 恋みみ 世人人よる目目 早 高砂 わが うき ばかりばば 月明 わたわわ 恋 世 みよる 早 高砂 86涙涙82あな67かか21つ釣11たた88芦芦19短か49思思51知知34 思 命るくなくりり長月るるわた舟 かり 芦きき 火 さしも まつ 思 命共共あら 長月 わた舟とかり秋秋 芦 干 させも とまつ 50命命54がが56世世68恋恋46とま 1田田71葉葉87露露75とし16来 惜 思 忘なな 思 あらで月 舟をを濡れ おと秋秋 干 秋契りし まつむ 惜 思人人 忘人人 思 あらね月 舟 濡れ おと秋秋 干 秋契りし まつ来 99惜惜38思思45身身23悲悲93天天90袖袖72浜沖92袖袖42まま97ぬ 身思思身 身身 しし のの 濡濡 袖袖 つつ 後鳥羽院→ ←定家 |
\ \ 身分 時代\ | |||||||
男 性 七九 | 女 性 二一 | ||||||
天皇七 親王一 | 官人 五八 (藤原姓二五) | 僧侶 一三 | 女帝一 内親王一 | 女房 一七 | 母 二 | ||
万葉集時代 計六 (男五、 女一) | 天智 天皇 (1) | 人麿(3) 赤人(4) 家持(6) 仲麿(7) | 持統 天皇 (2) | ||||
六歌仙 時代 計一二 (男一一、 女一) | 陽成院 (13) 光孝 天皇 (15) | 猿丸大夫(5) 参議篁(11) 河原左大臣け(14) 行平(16) 業平(17) 文屋康秀(22) | 喜撰 (8) 蝉丸 (10) 遍昭 (12) | 小町 (9) | |||
古今集 時代 計一八 (男一七、 女一) | 大江千里お(23) 菅家(24) 宗于げ(28) 躬恒(29) 壬生忠岑(30) 坂上是則(31) 列樹(32) 友則(33) 貫之(35) 清原深養父(36) 文屋朝康(37) | 敏行 (18) 三条右大臣 (25) [貞信公] (26) [兼輔] (27) 興風 (34) | 素性 (21) | [伊勢] (19) | |||
後撰集 以後 千載集 までの 時代 計四八 (男三四、 女一四) | 元良 親王 (20) 三条院 (68) | 参議等け(39) 平兼盛へ(40) 壬生忠見(41) 清原元輔(42) 曽禰好忠(46) 源重之げ(48) 能宣(49) | [敦忠](43) [朝忠](44) [謙徳公](45) 義孝(50) 実方(51) 道信(52) [公任](55) [道雅](63) [定頼](64) | 恵慶 (47) 能因 (69) 良暹 (70) | [右近](38) 和泉式部お(56) [紫式部](57) [大弐三位](58) 赤染衛門お(59) 小式部内侍お(60) 伊勢大輔(61) 清少納言(62) 相模お(65) | [道綱母] (53) [儀同三司母] (54) | |
崇徳院 (77) | 経信け (71) 匡房お (73) 俊頼げ (74) 兼昌げ (78) | 基俊(75) [法性寺 入道](76) [顕輔](79) [後徳大寺 左大臣](81) 清輔(84) | 行尊け (66) [道因] (82) 俊恵け (85) | 周防内侍へ (67) 紀伊へ (72) 堀河け (80) | |||
新古今集 時代 計一六 (男一二、 女四) | 後鳥羽 院 (99) 順徳院 (100) | 実朝け (93) | [俊成](83) [良経](91) [雅経](94) [公経](96) [定家](97) [家隆](98) | 西行 (86) [寂蓮] (87) [慈円] (95) | 式子 内親王 (89) | 皇嘉門院別当け (88) [殷富門院大輔] (90) 二条院讃岐け (92) |
≪紫式部関係図≫ ※ピンク色は勅撰集歌人 ┌長良──清経──元名──文範──為信──────女 │ ┃ └良門─┬利基──兼輔─┬────雅正 ┌為頼 ┃ ┌惟規 │ │ ┃ │ ┠──┤ │ └清正 ┠──┼為長 ┃ └紫式部 │ ┃ │ ┃ ┃ │ ┌────女 └────為時 ┠───賢子 │ │ ┃ └高藤─┬定方─┴朝頼──為輔──────────宣孝 │ └胤子(宇多天皇女御) |
\ | 思ふ | | 命他 | 夢他 | 月 | | 独寝 | | | 秋 | | 花 | 舟 | | ||||
86 | | 68 | | 57 | | | | | | | | | ||||||
忍ぶ | 100 | 39 | 40 | 89 | 14 | 17 | 9 | |||||||||||
風 | 97 | 98 | 58 | 48 | 37 | 79 | 94 | 71 | 12 | 32 | 69 | 96 | 22 | |||||
84 | 29 | 24 | ||||||||||||||||
恋 | 41 | 6 | 44 | 19 | 77 | 56 | 26 | 33 | ||||||||||
82 | 7 | 60 | 61 | |||||||||||||||
85 | 23 | 13 | ||||||||||||||||
54 | 59 | 27 | 3 | 88 | 20 | 5 | 45 | 66 | 74 | 55 | ||||||||
47 | 36 | |||||||||||||||||
命? | 49 | 38 | 70 | 81 | 91 | 78 | 83 | 73 | 76 | |||||||||
87 | 62 | |||||||||||||||||
35 | 80 | 50 | 21 | 53 | 25 | 34 | 11 | |||||||||||
朝他 | 43 | 75 | 31 | 52 | 64 | 8 | ||||||||||||
51 | 30 | 10 | 16 | |||||||||||||||
63 | 4 | 15 | 28 | 46 | ||||||||||||||
99 | 18 | |||||||||||||||||
67 | ||||||||||||||||||
袖 | | | | 95 | 2 | 1 | 65 | 42 | 72 | 92 | 90 | 93 |
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89玉 絶え | 風 玉37吹 風 | 風 吹58風 原人 | 風79雲 出月 | 雲12風 天 | 山 風32風 紅葉山 | 山 山 風94吹 みのの | 山 山 吹69吹 竜田川嵐 | 山 あ 吹22ら 嵐 嵐 | あ る100 ある |
絶え 63思 思 | 風お 思48の ころ | 小 原人 野39原 小野 | 出月天 原 7の 月 見山 | 天 天 の60山 山橋ふみ | 紅葉山 山 5奥 ふみ聞鳴 | みのの 奥14そ 鳴 初め | 竜田川 括17ふ る 神る | 嵐 ふ96花 りふり | なく 花33 花 |
思 80長 物 思 | ころ 長84長 世 | をの 長 3寝 独寝 | 月 見夜 寝59更 かた月 | 夜 橋霜 更 6白 おく | 霜きく 白29初 心 | 初 初74祈 瀬 | 神 神24手 たむき | ふりふ 手15り 春衣 | ふ 花 る 9 ふる花 |
物 思夜 85明 物 思 | 夜 夜 明53独 ぬるり | 独寝 独91鳴 りなく方 | かた月 鳴81鳴 方 月 | おく 鳴83山 思 | 心 山26み ゆきね | 淵な み13り ね 嶺ぬ | なたきた り55え ぬ 音 | た 春衣 へ 2香 来 山 | ふる花 香35 花 知人 |
物 思 43逢 物 思思 | ぬる 逢20逢 思詫び身 | なく 逢44逢 身 恨 | 月 逢57逢 月 見 | 思逢 逢77せ 瀬 川か | 逢ゆき せ10ゆ きしるく | 嶺 ゆ 4ね き出でて | 音 ね62逢 関鳥夜坂 | 来 山 逢25知 坂 来 | 山花知人 知66 人 桜 |
物 思 40恋 恋 人 | 詫び 恋65恨 袖 | 恨 恨52朝 明け | 月 見 朝31朝 月 明 | 瀬 川 朝64川 わた | しる 川98夕 川暮 | 出でて 夕70何 暮たち処 | 関鳥夜 い78い く通うく | 来 来47八 寂し重 | 人 桜 八61 重 桜 |
恋 人立 41そ わがめ | 立 袖う 染95き うき | う明け き30明 ばかりけ | 月 明 明36雲 け 月明 | わた 雲76原 わた | 川 原27つ 恋み | たつ つ 8住 み 世人 | 通う 住18人 人よる目 | 寂し 人28山 目 早 | 桜 山73 高砂 |
わが 86涙 思 | うき 涙82あ 命る | ばかりば な67か くなくり | ば 月明 か21つ り長月る | わたわ 釣11た るわた舟 | わ 恋 た88芦 かり | 世 芦19短 芦き | みよる か49思 き 火 | 早 思51知 さしも | 高砂 知34 まつ |
思 50命 惜 思 | 命共 命54が 忘な | 共あら が56世 な 思 | 長月 世68恋 あらで月 | わた舟 恋46と 舟を | とかり秋 ま 1田 を濡れ | 秋 芦 田71葉 おと秋 | 干 葉87露 秋 干 | させも 露75と 秋契りし | まつ と16来 しまつむ |
惜 思人 99惜 身思 | 人 忘人 惜38思 思身 身 | 人 思 思45身 身 | あらね月 身23悲 し | 舟 悲93天 し の | 濡れ 天90袖 の 濡 | おと秋 袖72浜 濡 袖 | 秋 干 沖92袖 袖 | 秋契りし 袖42ま つ | まつ来 ま97ぬ つ |
29 Comments:
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風 山 山 山 ある
89玉37吹58風79雲12風32風94吹69吹22ら100
絶え 風小 原人 出月天 天 紅葉山みの竜田川 嵐ある/なく
63思48野39原 7の60山 5奥14括17ふ96花33
思 ころ をの月 見夜 橋霜きく 初染 神 ふ 花
80長84長 3寝59更 6白29初74神24手15る 9
物 思 世 独寝かた月 おく 心 瀬/淵たむき春衣ふる花
85明53独91鳴81鳴83山26み13り55えへ2香35
物 思 ぬる なく 月 思逢ゆき 嶺 音逢来 山花知人
43逢20逢44逢57逢77せ10ゆ 4ね62坂25知66
物 思思詫び身 恨月 見瀬 川かきしくき出で関鳥夜坂 来人桜
40恋65恨52朝31朝64川98夕70何78来47八61
恋 人立 袖う明け月 明 わた 川暮たち処通う行く寂し重 桜
41染95き30明36雲76原27つ 8住18人28山73
わが う ばかりば月明 わわ 恋 世みよる 早 高砂
86涙82な67か21釣11た88芦19短49思51知34
思 命るなくり長月るわた舟 かり 芦き火/干さしもまつ
50命54が56世68恋46とま1田71葉87露75と16来
惜 思 忘なな 思あらで月 舟を濡れおと秋 干秋契りしまつむ
99惜38思45身23悲93天90袖72浜92袖42ま97ぬ
身思身 身 し の 濡 袖 つ
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風 山 山 山 ある
89玉37吹58風79雲12風32風94吹69吹22ら100
絶え 風小 原人 出月天 天 紅葉山みの竜田川 嵐 ある/なく
63思48野39原 7の60山 5奥14括17ふ96花33
思 ころ をの月 見夜 橋霜きく 初染 神 ふ 花
80長84長 3寝59更 6白29初74神24手15る 9
物思 世 独寝かた月おく 心 瀬/淵たむき春衣ふる花
85明53独91鳴81鳴83山26み13り55えへ2香35
物思 ぬる なく 月 思 ゆき 嶺 音 逢来 花知
43逢20逢44逢57逢77せ10ゆ 4ね62坂25知66
物思思詫び身 恨月 見瀬 川かきしくき出で関鳥夜坂 来人桜
40恋65恨52朝31朝64川98夕70何78来47八61
恋人立 袖う明け月 明 わた 川暮たち処通う行く寂重 桜
41染95き30明36雲76原27つ 8住18人28山73
わが う ばかりば月明 わわ 恋 世みよる 早 高砂
86涙82な67か21釣11た88芦19短49思51知34
思 命るなくり長月るわた舟 かり 芦き火/干さしもまつ
50命54が56世68恋46とま1田71葉87露75と16来
惜思 忘なな 思あらで月 舟を濡れおと秋 干秋契りしまつむ
99惜38思45身23悲93天90袖72浜92袖42ま97ぬ
身思身 身 し の 濡 袖 つ
これらの言葉遊びは定家「物語二百番歌合」に原型があるそうだ。
見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけん(後鳥羽院)
ながめつる今日は昔になりぬとも 軒端の梅はわれを忘るな( 式子内親王)
林氏はこの二つの歌が隠れているという
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風 山 山 山 ある
89玉37吹58風79雲12風32風94吹69吹22ら100
絶え 風小 原人出月天 天 紅葉山みのの竜田川 嵐 有無
63思48野39原 7の60山 5奥14括17ふ96花33
思 ころ をの月 見夜 橋霜きく 初染 神るふりふる花
80長84長 3寝59更 6白29初74祈24手15り 9
物 思夜 世 独寝 かた月おく 心 瀬淵 たむきた春衣ふる花
85明53独91鳴81鳴83山26み13り55えへ2香35
物 思 ぬる なく 月 思逢ゆき 嶺ぬ 音来 山山花知人
43逢20逢44逢57逢77せ10ゆき4ね62逢25知66
物 思思詫び身 恨月 見 川かしるく出で関鳥夜坂 来人 桜
40恋65恨52朝31朝64川98夕70何78往47八61
恋 人立 袖う明け月 明 わた 川暮たち処通う来寂し重 桜
41そ95き30明36雲76原27つ 8住18人28山73
わがめうきばかりば 月明わたわ 恋 世みよる 早 高砂
86涙82有67か21つ11た88芦19短49思51知34
思 命無く り長月るわた舟かり 芦き火干さSも まつ
50命54共56世68恋46と 1田71葉87露75と16来
惜 思 忘がな思あらで月 舟まを濡れおと秋 干秋契りしまつむ
99惜38思45身23悲93天90袖72浜92袖42ま97ぬ
身思身 身 し の 濡 袖 つ
これらの言葉遊びは定家「物語二百番歌合」に原型があるそうだ。
見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけん(後鳥羽院)
ながめつる今日は昔になりぬとも 軒端の梅はわれを忘るな( 式子内親王)
林氏はこの二つの歌が隠れているという
:
風 山 山 山 ある
89玉37吹58風79雲12風32風94吹69吹22ら100
絶え 風 原人出月 天 紅葉 みのの竜田川 嵐 有無
63思48小39原 7天60山 5奥14括17ふ96花33
思 ころ野をの月 見夜 橋霜きく 初染 神るふりふる花
80長84長 3寝59更 6白29初74祈24手15り 9
物 思夜 世 独寝 かた月おく 心 瀬淵 たむきた春衣ふる花
85明53独91鳴81鳴83山26み13り55えへ2香35
物 思 ぬる なく 月 思逢ゆき 嶺ぬ 音来 山山花知人
43逢20逢44逢57逢77せ10ゆき4ね62逢25知66
物 思思詫び身 恨月 見 川かしるく出で関鳥夜坂 来人 桜
40恋65恨52朝31朝64川98夕70何78往47八61
恋 人立 袖う明け月 明 わた 川暮たち処通う来寂し重 桜
41そ95き30明36雲76原27つ 8住18人28山73
わがめうきばかりば 月明わたわ 恋 世みよる 早 高砂
86涙82有67か21つ11た88芦19短49思51知34
思 命無く り長月るわた舟かり 芦 火干さSも まつ
50命54共56世68恋46と 1田71葉87露75と16来
惜 思 忘がな思あらで月 舟ま 濡 おと秋 干秋契りしまつむ
99惜38思45身23悲93天90袖72浜92袖42ま97ぬ
身思身 身 し の 濡 袖 つ
これらの言葉遊びは定家「物語二百番歌合」に原型があるそうだ。
見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけん(後鳥羽院)
ながめつる今日は昔になりぬとも 軒端の梅はわれを忘るな( 式子内親王)
林氏はこの二つの歌が隠れているという
物語二百番歌合
を見れば定家がこの言葉遊びに意識的だったことがわかる
世界文学史上最大の言葉遊びだ
丸山圭三郎『言葉と無意識』講談社現代新書81ー86頁にこの歌織物説は言及されている。
safari以外のブラウザだと文字化けするかもしれません
百人一首歌織物説とは?
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/utaorimono.html
(一)百人一首は、これをタテ10首、ヨコ10首のわく内に、ある特別な順序で
並べると、隣りに来る歌どうしが、上にも下にも右にも左にも、何らかの共通語
をふくみ合うことよによって、一つの隙間もなしに、全部ぴったり結び合わされ
るという奇想天外なしくみをもっている。
上記図はsafariでないと文字化けする
承久の乱 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/承久の乱
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権である北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。承久の変、承久合戦ともいう。
日本史上初めて、朝廷の勅や院宣に逆う軍事行動によって朝廷に反乱軍が勝利した事件。一般には討幕のための挙兵とされているが、研究者の間ではこれを否定する見方も出されている(後述)。
武家政権である鎌倉幕府の成立後、京都の公家政権(治天の君)との二頭政治が続いていたが、この乱の結果、幕府が優勢となり、朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになる。
鎌倉幕府の源氏一門(御門葉)の重鎮であった大内惟信は後鳥羽上皇に味方し敗死し、源頼朝が最も信頼を置いていた平賀氏・大内氏は没落することになる。山本七平の「日本史上最大の事件」という意見もある[1]
…
7月、首謀者である後鳥羽上皇は隠岐島、順徳上皇は佐渡島にそれぞれ配流された。討幕計画に反対していた土御門上皇は自ら望んで土佐国へ配流された(後に阿波国へ移される)。後鳥羽上皇の皇子の六条宮、冷泉宮もそれぞれ但馬国、備前国へ配流。仲恭天皇(九条廃帝、仲恭の贈諡は明治以降)は廃され、行助法親王の子が即位した(後堀河天皇)。親幕派で後鳥羽上皇に拘束されていた西園寺公経が内大臣に任じられ、幕府の意向を受けて朝廷を主導することになる。
後鳥羽上皇の膨大な荘園は没収され、行助法親王(後高倉院の称号が贈られる)に与えられた。ただし、その支配権は幕府が握っている。
討幕計画に参加した上皇方の「合戦張本公卿」と名指しされた一条信能、葉室光親、源有雅、葉室宗行、高倉範茂ら公卿は鎌倉に送られる途上で処刑され、坊門忠信らその他の院近臣も各地に流罪になったり謹慎処分となった。また藤原秀康、藤原秀澄、後藤基清、佐々木経高、河野通信、大江親広ら御家人を含む京方の武士が多数粛清、追放された[8]。
乱後、幕府軍の総大将の泰時、時房らは京の六波羅に滞在し、朝廷の監視や西国武士の統率を行う。朝廷は京都守護に代り新たに設置された六波羅探題の監視を受けるようになり、皇位継承をも含む朝廷に対する鎌倉幕府の統制が強化された。
京方の公家、武士の所領約3000箇所が没収され、幕府方の御家人に分け与えられ新補地頭が大量に補任された。
事件の影響 編集
承久の乱ののち、朝廷は幕府に完全に従属した。幕府は朝廷を監視し皇位継承も管理するようになり、朝廷は幕府を憚って細大もらさず幕府に伺いを立てるようになった。院政の財政的基盤であった長講堂領や八条院領などの所領も一旦幕府に没収され、治天の管理下に戻されたあともその最終的な所有権は幕府に帰属した。承久の乱には、鎌倉と京都の二元政治を終わらせて武家政権を確立する意義があったとする学者もいる[9]。
また、処刑された院近臣の多くは後鳥羽上皇の支持を受けて家格の上昇を目指した家々であったが、これによって挫折を余儀なくされ、衰退もしくは没落することとなり、院近臣層の構成にも変化が見られるようになった(これは父親が初めて大臣となり、自身の昇進も類似した経歴を辿っていた坊門忠信(挙兵派)と西園寺公経(反対派)及びその子孫のその後がこの乱を機に大きく分かれていることが物語っている)。
また、西国で京方の公家、武家の多くの没収地を得、これを戦功があった御家人に大量に給付したため、執権北条氏と御家人との信頼関係が強固になり、鎌倉幕府の開府期に続いて多くの御家人が西国に移り住むこととなり、幕府の支配が畿内にも強く及ぶようになる。
承久の乱の翌年に生まれた日蓮はこの事件を「先代未聞の下剋上」として捉えた。この時の朝廷には既に国家を統治する力が無かったとし、「王法すでに尽ぬ」と解釈した。 日蓮は、彼自身の持つ東国人の京都への反発も含め、鎌倉幕府(=北条得宗家)こそが真の「日本の国主(国王)」であると考えており、数々の弾圧にも関わらず国家諌暁の対象を鎌倉幕府にのみ行い、京都や朝廷に対する自己の教えの布教には消極的あるいは否定的であったとする見方がある[10]。
承久の「乱」と「変」 編集
安田元久[11]によると、本事件についての呼称は、鎌倉幕府側の文献である『吾妻鏡』では「承久兵乱」「承久逆乱」「承久三年合戦」「承久三年大乱」といった表記を用いた。南北朝時代には、北朝方の武士の手によると推定される『保暦間記』では「承久ノ乱」「承久ノ事」、南朝方の北畠親房『神皇正統記』でも「承久の乱」と表記された。こうして、大正中期まで「承久の乱」の表記が主流となり、次いで「承久の役」が使われることもあった。
江戸時代になると尊王論に基づく『大日本史』が「承久の難」と表記し、後鳥羽上皇を逆臣・北条義時の被害者として書く主張が生まれた。『大日本史』編纂に携わった安積澹泊は、『大日本史賛藪』で「乱」「難」と共に、初めて「承久の変」表記を用いた。さらに大正時代になると、皇国史観から「承久の変」の表記を積極的に使うようになり、国定教科書でも大正9年(1920年)版『尋常小学国史』から「変」表記になった。これは、上皇が起こしたのだから「反乱」ではないという思想からである。その後も学界では「乱」「役」「合戦」表記も使われたが、昭和10年代後半、太平洋戦争期になると、専門書でも「承久の変」表記にほぼ統一されるに至った。しかし、「変」は主に不意の政治的・社会的事件に、「乱」は主に武力を伴う事件に使われていることから、安田は戦乱の発生した本事件を「乱」と呼称すべきことは疑問の余地もないとしている。
第二次世界大戦後は、「乱」表記が主流になっている。しかし、田中卓の『教養日本史』を始め、明成社の高等学校用教科書『最新日本史』、新しい歴史教科書をつくる会の中学校用教科書『新しい歴史教科書』などでは「変」を用いている。
承久の乱は討幕目的であったのか?
…
著者「林直道」紹介
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/tyosha.html
はやし なおみち
林 直道
大阪市に生まれる。大阪商科大学を卒業。大阪市立大学教授をへて、
現在、大阪市立大学名誉教授、関西勤労者教育協会副会長、経済学博士
【主な経済関連著書】
『西田哲学批判』(1948年)
『マックス・ウェーバーの思想体系』(1952年)
『景気循環の研究』(1959年)
『史的唯物論と経済学』(1971年)
『国際通貨危機と世界恐慌』(1972年)
『史的唯物論と所有理論』(1974年)
『フランス語版資本論の研究』(1975年)
『恐慌の基礎理論』(1976年)
『経済学入門』(1981年)
『現代の日本経済』(第5版,1996年)
『日本経済をどう見るか』(1996年)
『恐慌・不況の経済学』(2000年) など多数
【百人一首、歴史推理関連の著書】
『百人一首の秘密-驚異の歌織物』(1981年)
『百人一首の世界』(1986年)
『嵐の中の青春』(1990年)
『日本歴史推理紀行』青木書店(1991年)
「金座・銀座研究序説」『大阪経法大論集』(1992年)
「飛鳥の二つの酒船石」『経済』(2000年1月)
論文に「勅撰和歌集の言葉連鎖について」(『国文学・解釈と鑑賞』1983年1月号)、「藤原定家の遊びの文芸」(東京大学出版会『UP』1982年9・10・11月号)、「秘宝三十六歌仙絵巻と百人一首」(『科学と思想』第52号)、「隠されたラヴレター小倉百人一首」(『芸術新潮』1987年3号)など
こちらが決定版
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/t-sekai.html
百人一首の世界
著者: 林直道
『百人一首の世界』 林直道著
ミステリアスな歌集・藤原定家
『百人一首』は歌詞の
≪クロスワードパズル≫
百人一首の歌詞をつなぎあわせてみたら‥‥‥
美しい、しかも実在する景色が浮かびあがり、消滅してしまった豪華な離宮が姿を現わし、有名な三つの歴史物語が織りこまていた……
なぜ? キーワードは「用捨は心にあり」に!
〔主要目次〕
第1章 百人一首とは
第2章 「用捨は心にあり」
第3章 和歌の世界の言葉遊び
第4章 百人一首は《歌織物》-その成り立ち
第5章 《歌織物》復元の異常な困難
第6章 《歌織物》に景色が浮かぴ出る
第7章 水無瀬離宮の紙上発掘
第8章 なぜ定家は《歌織物》をつくったか
第9章 織り込まれた三大物語
出版社:青木書店
ISBN:4250860051
サイズ:単行本 / 214頁
発行年月: 1986年 05月
本体価格: 2,000円
『百人一首の秘密-驚異の歌織物』へ
| ホームへ | 筆者紹介 | 筆者に連絡をとる |
noanoa 日々の日記 : 「百人一首の秘密~歌織物」というのを知って興奮した
http://blog.livedoor.jp/noanoa07/archives/1765160.html
京都の「小倉山荘」のおかきを頂いたら、リーフレットに百人一首の謎という面白い解説が載っていました。
→ 小倉百人一首は歌織物《秘められた水無瀬絵図》
林直道先生によると、百人一首の各札を合わせ言葉を手がかりにして、上下左右をジグソーパズルのように並べると100枚がきれいに並んで、そのうち70枚はある風景になって並ぶそうです。
そして、その風景とは後鳥羽上皇ゆかりの水無瀬の里という実在する風景なのだ、というのだからびっくり。
→歌織物:林直道の百人一首の謎
こんな知的興奮は久しぶり!
IMG_1279
というわけで、実際に百首並べてみました。
ちょっと強引なところも(特に左側 30首)あるけど、その発想力と完成させた実行力には脱帽です!
なかなか学会では認められてないみたいだけど、『ダ・ヴィンチ・コード』に匹敵するという評にもうなずけます。
百人一首の秘密―驚異の歌織物百人一首の秘密―驚異の歌織物
百人一首の秘密―驚異の歌織物 | 林 直道
https://www.amazon.co.jp/dp/4250810127/
noanoa 日々の日記 : 「百人一首の秘密~歌織物」というのを知って興奮した
http://blog.livedoor.jp/noanoa07/archives/1765160.html
著者「林直道」紹介
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/tyosha.html
はやし なおみち
林 直道
大阪市に生まれる。大阪商科大学を卒業。大阪市立大学教授をへて、
現在、大阪市立大学名誉教授、関西勤労者教育協会副会長、経済学博士
【主な経済関連著書】
『西田哲学批判』(1948年)
『マックス・ウェーバーの思想体系』(1952年)
『景気循環の研究』(1959年)
『史的唯物論と経済学』(1971年)
『国際通貨危機と世界恐慌』(1972年)
『史的唯物論と所有理論』(1974年)
『フランス語版資本論の研究』(1975年)
『恐慌の基礎理論』(1976年)
『経済学入門』(1981年)
『現代の日本経済』(第5版,1996年)
『日本経済をどう見るか』(1996年)
『恐慌・不況の経済学』(2000年) など多数
【百人一首、歴史推理関連の著書】
『百人一首の秘密-驚異の歌織物』(1981年)
『百人一首の世界』(1986年)
『嵐の中の青春』(1990年)
『日本歴史推理紀行』青木書店(1991年)
「金座・銀座研究序説」『大阪経法大論集』(1992年)
「飛鳥の二つの酒船石」『経済』(2000年1月)
論文に「勅撰和歌集の言葉連鎖について」(『国文学・解釈と鑑賞』1983年1月号)、「藤原定家の遊びの文芸」(東京大学出版会『UP』1982年9・10・11月号)、「秘宝三十六歌仙絵巻と百人一首」(『科学と思想』第52号)、「隠されたラヴレター小倉百人一首」(『芸術新潮』1987年3号)など
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百人一首の世界
著者: 林直道
『百人一首の世界』 林直道著
ミステリアスな歌集・藤原定家
『百人一首』は歌詞の
≪クロスワードパズル≫
百人一首の歌詞をつなぎあわせてみたら‥‥‥
美しい、しかも実在する景色が浮かびあがり、消滅してしまった豪華な離宮が姿を現わし、有名な三つの歴史物語が織りこまていた……
なぜ? キーワードは「用捨は心にあり」に!
〔主要目次〕
第1章 百人一首とは
第2章 「用捨は心にあり」
第3章 和歌の世界の言葉遊び
第4章 百人一首は《歌織物》-その成り立ち
第5章 《歌織物》復元の異常な困難
第6章 《歌織物》に景色が浮かぴ出る
第7章 水無瀬離宮の紙上発掘
第8章 なぜ定家は《歌織物》をつくったか
第9章 織り込まれた三大物語
出版社:青木書店
ISBN:4250860051
サイズ:単行本 / 214頁
発行年月: 1986年 05月
本体価格: 2,000円
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『百人一首の秘密』の著者 林直道教授の講演を聴く ( 短歌 ) - 白文鳥ピピme物語 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/55460039.html
『百人一首の秘密』の著者 林直道教授の講演を聴く記事をクリップする
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2008/11/7(金) 午前 3:56 水無瀬散策紀 短歌
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イメージ 1
先月、町のコミュニティセンターで「百人一首の秘密」の著者 林直道教授の講演があり出席しました。
最初の30分の講演第一節は、源氏物語などの教授の研究分野以外の事でしたから睡魔が度々。
何しろ、その日の朝十時頃に寝台特急日本海で田舎から帰ってきたばかりですからね。
講演第二節から、いよいよ教授の研究分野に入りました。
処が、眠気はすっとびあっと言う間に二時間が過ぎていました。教授の熱意、流石ですね。
理解し易くするために先ずはここをクリックしてみて下さい→「水無瀬絵図」小倉山荘サイト
イメージ 2
さて、
隣同士の歌を何か共通語でつないでゆくという歌の歴史上の伝統があるのだそうです。
図の上段の「勅選和歌集」では、横一列に歌をつないでおります。
下段「物語二百番歌合」では、源氏物語と狭衣物語とを二階建てにし、横同士、左右相方同士(三方)をつないでおります。
ちょっと分かり難いですから、古今和歌集 巻第五 秋歌下 のつなぎの実例を見ましょう。
249番 吹くからに【秋】の【草木】のしをるれば むべ山嵐といふらむ
250番 【草】も【木】も色かはれども【わた】つ海の浪の花にぞ【秋】なかりける
251番 紅葉せぬときはの山は吹く風の音にや【秋】をきき【わた】るらむ
●言葉のつなぎ 249番【秋】【草木】の単語→次の250番【草】【木】【秋】と同じですね。
250番【秋】【わた】の単語→次の251番【秋】【わた】と同じ。
単純に言えば、一種のしりとりのようなものですね。
百人一首は、このつなぎを十階建て(10×10)にしたのではないかと教授は想像したのです。
イメージ 3
歌のつなぎで全体を組み立てようとしても、100首の場合の組み合わせ種類は9×10の157乗。
PCを使って何十年、何百年かかっても正解に達することは出来ないそうです。
イメージ 4
そこで先ずは歌を分類。
情念の歌の中に、後鳥羽院と式子内親王が含まれていましたのでこれを対としました。
★後鳥羽院は隠岐に島流しになっていた →京の都から観て西北
★式子内親王は既に薨(こう・死ぬ事)じていた→西方浄土
二人とも共通するのは西。拠って、情念の歌は歌織物の左側という結論。
と言うことは景色の歌は右側ですね。
イメージ 5
教授は景色の歌を桃源郷(とうげんきょう)の絵になるように配置してみました。
出来上がった歌織物は何を語るのか?
右下隅の定家が『来ぬ人』を待ちわびて『身もこがれる』想いでいますと悲痛な声で呼びかけています。
「来ぬ人をまつ帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」
そして残る三つの隅には、三人の帰り来ぬ人の歌を配置。
左下隅 後鳥羽院 隠岐に配流され都に還り来ぬみかど
右上隅 順徳院 佐渡に配流され都に還り来ぬみかど
左下隅 式子内親王 十年前に死亡しこの世に還り来ぬ恋人
この歌織物の右六列に浮き出る絵(景色)は、水無瀬の里でした。
約60の地名・神社仏閣名などが水無瀬の実際とほぼ合致する位置に織り込まれているのです。
→水無瀬が百人一首の舞台でした。
参考「百人一首の秘密」著者林直道教授の公式サイト
余談)何故に藤原定家は小倉百人一首を水無瀬の情景で作ったかと言いますと、後鳥羽院の怨念を恐れたからだそうです。
かって定家は後鳥羽院に重宝されていましたが、承久の乱(承久3年1221年)で後鳥羽院が時の執権北条義時から隠岐に流されるや、敵方であった北条側に従い、親子共々大出世していくのですからね。
★ ★ ★
(追記)『百人一首』を足蹴にする企業 2007/1/8(月)
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/43639937.html
雪の嵐山公園・百人一首の石碑 2008/2/16(土)
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/51872389.html
.
.
Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 経済学入門
林直道
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4250810011/
5つ星のうち5.0高校生から読めるであろう経済学入門
投稿者Kevin・B・Jackson2013年3月13日
形式: 単行本|Amazonで購入
とても平明な文体で、特に高度な知識がなくても楽に読めます。
これからマルクス経済学を勉強しようとする方にお勧めです。
著者は恐慌や所有のシステムをマルクス経済学の立場から解明し、
かつ80年代以降の新自由主義システムの批判を行ってもいます。
特に2007年に新日本出版から発刊した『強奪の資本主義』は
戦後史として大変わかりやすくまとめられているので、合わせて読むことを勧めます。
ところで、マルクス経済学とは一般的なエコノミクス(経済学)とは異なり、
社会や政治と経済とがどのように関連しているのかを追及する総合学問であり、
英語ではポリティカルエコノミー(政治経済学)と呼びます。
よって、世の中の動きをつかむには有効的なのですが、特にそういった方面に
興味がない方は、マンキューやスティグリッツのエコノミクスの入門書を買ったほうが良いでしょう。
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ref=acr_search_see_all?ie=UTF8&showViewpoints=1
歌織物
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/utaorimono.html
はっぱ なっぱ
日本の古代・中世の歌や詩の中には「八重だすき」や「野馬台詩」など凝った趣向のものがいろいろあるが、その中には、深刻な歴史の秘密をはらんだと覚ぼしい物も存在する。たとえば『いろは歌』四十七文字もその一つであって、これを七字づつで区切って並べ、下の段の文字を綴ると、「とかなくてしす」(咎なくて死す=無実の罪を着せて処刑された)という恐ろしい恨み言某が出てくるという説が有名である。
百人一首は、この種の言葉遊び文芸のうちでも、ずば抜けて高度な仕掛をもち、また、日本史の大転換期を背景とした深刻な政治的社会的内容をふくんだ歌集と考えられるのである。
私の研究は、過去になされた先人たち(石田吉貞、丸谷才一、樋口芳麻呂、およびとりわけ織田正吉などの諸氏)のすぐれた業績をうけつぎ、その土台の上に展開されたものであるが、その関連の詳細は、私の本の当該箇所を見て頂くようお願いすることにして、ここでは、直ちに私の到達した結論をかいつまんで述べることとしたい。
(一)百人一首は、これをタテ10首、ヨコ10首のわく内に、ある特別な順序で並べると、隣りに来る歌どうしが、上にも下にも右にも左にも、何らかの共通語をふくみ合うことよによって、一つの隙間もなしに、全部ぴったり結び合わされるという奇想天外なしくみをもっている。
歌織物(全容)
右下16首(詳細)
百の歌が、合せ言葉のタテ糸、ヨコ糸によって一枚の織物のように織り上げられているという意味で、私はこのしくみを《歌織物》と名づけた。
(この復元の過程では経済学の再生産論にいう二部門分割からの水平思考が大いに役立った)
(二)さて、復元された歌織物からは、まことに奇想天外な数々の仕掛が発見された。まず、歌と歌をつなぐ合せ言葉(山、川、紅葉、雲、花、桜、菊、鳥、鹿、瀬、滝、松、等々)を絵におきかえていくと、歌織物の右側七列分のスペースに、掛軸のような山紫水明の美しい景色が浮き出した。
上と右手とに山が連なり、下手は大きな浪打際である。中央やや上方に滝が懸り、滝を半円型にとり囲む山々には、桜、山吹、菊、紅葉が妍(けん)を競う。露をふくんだ野草と鳥の鳴声。山奥では鹿が鳴く。川が流れて下段に注ぐあたり、芦が生い茂り、霧立ち上る。舟人漕ぎゆく姿も見える。
日本人好みのこの桃源境の画が、じつは、後鳥羽上皇を中心とする新古今歌壇の舞台となった水無頼の里のリアルな描写と推定される。山は天王山、浪打ぎわは淀川をあらわす。三つの歌枕、「水無瀬川」、「水無瀬滝」、「山崎津」の地名も的確な位置に織りこまれている。滝のすぐ上には「竜神」の文字が続く。なかでもすごいのは、『増鏡』に「えもいはず面白き院造り」と書かれたまま、洪水で流出して、図面も記録も残っていない壮麗華美な水無瀬離宮の寝殿造りのレイアウトが浮び出ている点である。百山の上の御所の姿も見える。この絵こそ、まさに全盛時代の後鳥羽上皇への讃歌といえるであろう。
(三)私は、一般に謎をはらんだ歌集の意味をときほぐす重要な鍵は、編者の自撰歌にあると考えている。百人一首の定家の自撰歌は「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ」である。ここで「松」は待つの掛け詞であり、「凪」は泣きに通ずる。この歌は、誰か帰り来ぬ人に向って、定家が悶々たる思慕の情を述べるのが百人一首の基本点だったという推測を成り立たせる。では誰に向ってなのだろうか?
ここで問題なのは歌織物の四隅の歌である。定家の歌は右下にある。ところが、左下には後鳥羽院、右上には順徳院という、鎌倉幕府と戦って敗れ、隠岐と佐渡に幽閉され、都を恋いこがれつつ、帰り来ることを許されぬ非運の帝が置かれ、左上には、すでに薨去してこの世には二度と帰り来ぬ薄幸の美女・式子内親王が置かれている。この四人の配置は まさしく「曼荼羅の四天王」を思わせる。あたかも定家は、この三人の「来ぬ人」に向って「あなたをお待ちして泣きながら身もこがれる思いでございます」と訴える構図となっている。ここに百人一首歌織物に秘めた定家の其の意図があったのではなかろうか。
以上のほか、歌織物の中には、後鳥羽院の絶唱「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけん」や、式子内親王の「ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅よ我れを忘るな」が編みこまれているとか、『百人秀歌』(九十七首までが百人一首と同じだというミステリアスな定家撰の歌集)は、実は百人一首の「合法的改訂版」としての歌織物であったとか、語らねばならぬことが多いが、ここでは省かせて頂く。
要するに、百人一首とは、後鳥羽院らへの哀惜の情という形を通じて、武家政権に対する嫌忌の念をこめつつ、亡びゆく王朝社会への挽歌をうたい上げたものということができるであろう。(林直道)
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ここで問題なのは歌織物の四隅の歌である。定家の歌は右下にある。ところが、左下には後鳥羽院、右上には順徳院という、鎌倉幕府と戦って敗れ、隠岐と佐渡に幽閉され、都を恋いこがれつつ、帰り来ることを許されぬ非運の帝が置かれ、左上には、すでに薨去してこの世には二度と帰り来ぬ薄幸の美女・式子内親王が置かれている。この四人の配置は まさしく
「曼荼羅の四天王」
を思わせる。あたかも定家は、この三人の「来ぬ人」に向って「あなたをお待ちして泣きながら身もこがれる思いでございます」と訴える構図となっている。ここに百人一首歌織物に秘めた定家の其の意図があったのではなかろうか。
藤原定家:日記の「赤気」はオーロラ 極地研などが解析 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20170322/k00/00e/040/274000c?fm=mnm
藤原定家
日記の「赤気」はオーロラ 極地研などが解析
毎日新聞2017年3月22日 13時40分(最終更新 3月22日 17時40分)
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南極の昭和基地で観測された赤いオーロラ。藤原定家の明月記に「赤気」として記録されている=国立極地研究所提供
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平安・鎌倉時代の歌人、藤原定家(1162~1241年)が日記「明月記」に書き残した「赤気(せっき)」という現象は、太陽の異常な活発化によって京都の夜空に連続して現れたオーロラだった可能性が高いと、国立極地研究所や国文学研究資料館などのチームが米地球物理学連合の学術誌に発表した。連続したオーロラの観測記録としては国内最古という。
明月記には、1204年2~3月にかけて、京都の北から北東の夜空に赤気が連続して現れ、定家は「山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね恐ろしい」と書き残している。
オーロラは太陽から噴き出した高エネルギー粒子が、地球の大気を光らせる現象。北極や南極などで観測され、京都で連続して発生することは考えにくい。赤気の現象が何を指しているかは長年の謎で、彗星(すいせい)説もあった。
片岡龍峰(りゅうほう)・極地研准教授らのチームが過去2000年の地磁気の軸の傾きを計算した結果、北米大陸方向に傾いている現在の軸が1200年ごろには日本列島側へ傾きオーロラが出現しやすい時期だったことが分かった。また、中国の歴史書「宋史」の同2月の記録に「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」と書かれているのに着目。太陽活動が活発化していた可能性が高いと分析した。
太陽の活動が活発化するとオーロラが発生しやすくなるといい、宋史にも900~1200年代に赤いオーロラの観測例が十数件記述されているという。屋久杉などの年輪に残る太陽活動の痕跡と照合した結果、オーロラが観測された年と太陽活動が活発だった年がほぼ一致したという。【阿部周一】
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王朝物語秀歌選 (上) (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1987/11/16
樋口 芳麻呂 (著)
5つ星のうち5.0 1個の評価
『源氏物語』『狭衣物語』などから秀歌を選び出して成った鎌倉期の代表的な秀歌撰として,
『物語二百番歌合』(四○○首.定家撰)[歌織物原型]
『風葉和歌集』(一四二○首.為家撰か)『源氏物語歌合』(一○八首.撰者不詳.)を収めた.各歌ごとに的確な注解と現代語訳を付し,だれにでも容易に親しめるよう細心の工夫がこらされている.
書籍版2009確認では
左右上斜め二つづつが逆
web版は式子内と順徳院が角に来て圧倒的
式子内親王 順徳院
後鳥羽院 定家
この四隅が肝
以下が隠されている
新古今集 見渡せば山もとかすむ水無瀬川 品詞分解と訳 - くらすらん
https://nbataro.blog.fc2.com/blog-entry-211.html
新古今集 見渡せば山もとかすむ水無瀬川 品詞分解と訳
HOME > 新古今和歌集 > 新古今集 見渡せば山もとかすむ水無瀬川 品詞分解と訳
今回は、「新古今和歌集」収録和歌の現代語訳(口語訳・意味)・品詞分解・語句文法解説・修辞法(表現技法)・おすすめ書籍などについて紹介します。
新古今集・巻1・春歌上・36 太上天皇(後鳥羽院:ごとばいん)
をのこども詩を作りて歌に合はせ侍りしに、水郷春望といふことを
(殿上人たちが、漢詩を作って和歌に合わせました時に、「水郷の春望」という題を)
見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ
<平仮名> (歴史的仮名遣い)
みわたせば やまもとかすむ みなせがは ゆふべはあきと なにおもひけむ
<現代語訳>
見渡すと、山のふもとはかすみ、水無瀬川が流れている。夕暮れの趣は秋に限ると、どうして今まで思っていたのであろう。(春の夕暮れもそれに劣らぬ趣があってすばらしいのに。)
(枕草子1段「春はあけぼの」・「秋は夕暮れ」を念頭に置いて春の夕暮れの美しさを詠んだ歌。藤原定家の「見渡せば花も紅葉も~」などの秋の夕暮れを詠んだ「三夕の歌(さんせきのうた)」に対して反発したものとも言われている。)
<語句文法解説> 詞書
太上天皇(だいじやうてんわう) :譲位後の天皇を敬った言い方。上皇。
をのこ :殿上人
詩を作りて歌に合はせ侍りしに :元久二年(1205年)「元久詩歌合」のこと。
水郷春望(すいきやうのしゆんばう) :歌題 「水辺の里の春の眺め」の意味。
<古典文法の基礎知識>
「古文」を苦手科目から得意科目にする古典文法の基礎知識です。
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◇「助動詞・助詞の意味」や「係り結び」・「準体法」などについては、「古典文法の必須知識」 の記事をどうぞ。
◇「助動詞の活用と接続」については、「助動詞の活用と接続の覚え方」の記事をどうぞ。
◇「音便」や「敬語(敬意の方向など)」については、 「音便・敬語の基礎知識」の記事をどうぞ。
<作者>
後鳥羽院(ごとばいん)=後鳥羽天皇
1180年~1239年。平安末期~鎌倉初期の第82代天皇。名は尊成(たかひら)。高倉天皇の第四皇子。1183年即位。1198年に譲位し、以後は上皇として院政を行う。1221年に王政の復古を図り、鎌倉幕府の執権北条義時の追討を企てたが失敗し(承久の乱)、隠岐に配流され、その地で崩御。和歌に優れ、格調高く真情のこもった歌風。千五百番歌合わせを主催、藤原定家に命じて新古今和歌集を撰集させた。家集「後鳥羽院御集」、歌論書「後鳥羽院御口伝」。
<品詞分解・語句文法解説> 歌
見渡せ :動詞サ行四段活用「見渡す(みわたす)」の已然形
ば :順接確定条件(偶然的条件)の接続助詞 ~すると。
山もと :名詞 山のふもと。
かすむ :動詞マ行四段活用「霞む(かすむ)」の連体形
水無瀬川(みなせがは) :歌枕 今の大阪府北部を流れる川。後鳥羽院の水無瀬離宮があった。
夕べ(ゆふべ) :名詞
は :係助詞
秋 :名詞
と :格助詞
なに :疑問の副詞 どうして。
思ひ :動詞ハ行四段活用「思ふ」の連用形
けむ :過去推量の助動詞「けむ」の連体形
※疑問の副詞(陳述の副詞)「なに」に呼応して結びは連体形となる。
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<修辞法(表現技法)>
歌枕 :水無瀬川
句切れ :三句切れ
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【見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど
2020年1月12日 2020年1月12日
【見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど
古典文学の時代から連綿と続く和歌の世界。いにしえ人は花鳥風月の美しさを和歌に詠み、愛でてきました。
和歌を詠むことは、平安時代・鎌倉時代の上流階級の人々にとっては必須の教養でした。国家事業として和歌集が編纂されてもいました。
その中で、天皇の命令によって編纂された和歌集を勅撰和歌集と言います。
今回は、鎌倉時代に編纂された勅撰和歌集「新古今和歌集」の中のあまりにも有名な一首「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」をご紹介します。
本記事では、「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の詳細を解説!
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ
(読み方:みわたせば はなももみじも なかりけり うらのとまやの あきのゆうぐれ)
作者と出典
この歌の作者は「藤原定家」です。平安時代末期、鎌倉時代初期を代表する歌人です。
この歌の出典は『新古今和歌集』秋上・363 ・『二見浦百首』秋など
『新古今和歌集』は、建仁元年(1201年)の後鳥羽院の命により編纂された日本で8番目の勅撰和歌集です。
勅撰和歌集とは、天皇や上皇(院)の命令で編集される和歌集のことで、国家事業として歌集が作られるのです。
藤原定家は、『新古今和歌集』の撰者のひとりに選ばれました。勅撰和歌集に作品が入集することも大変な名誉であるのに、さらにその選者に選ばれるというのは歌人としての才能が本当に認められているということの証でもありました。
現代語訳と意味(解釈)
この歌の現代語訳は・・・
「見渡してみると、美しく咲く花も見事な紅葉も見たらないことだよ。浜辺の粗末な漁師の小屋だけが目に映る、なんともわびしい秋の夕暮れであることよ。」
となります。
平安時代までの和歌では、美しく咲く花や見事な紅葉、すばらしい花鳥風月を美しい言葉でうたい上げることが主流でしたが、この歌は「花も紅葉も」否定をしています。
和歌に詠まれてしかるべき美しいものの存在を否定したところに、価値を見出しているのです。
文法と語の解説
「見渡せば」
動詞「見渡す」の已然形「見渡せ」+順接の確定条件を表す接続助詞「ば」です。
「花も紅葉も」
どちらの「も」も係助詞です。同類のものを並列、列挙するはたらきを持ちます。
「なかりけり」
形容詞「なし」の連用形「なかり」+詠嘆の助動詞「けり」終止形です。
「浦の苫屋の」
「浦」は浜辺のこと。「苫屋」は苫で屋根を葺いた粗末な家で、漁師の家です。苫とは、チガヤやアシなどのイネ科の植物で編んだむしろのようなものです。
「秋の夕暮れ」
「の」は連体修飾格の格助詞です。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、普通の文でいえば句点「。」がつくところでの意味の切れ目です。リズム上でも少し間合いを取って詠むところになります。
詠嘆を表す助動詞や助詞(けり、かな、も、よ など)のあるところ、動詞、形容詞、形容動詞、助動詞などの終止形、終助詞、係り結びのあるところなどに注目していくことで句切れが見つかります。
この歌は「なかりけり」の「けり」が詠嘆を表す助動詞であり、ここで切れます。三句のところで切れるので、三句切れです。
詠嘆の助動詞「けり」は、「~だなあ」「~だよ」と言う古来の意味です。
この歌の「花も紅葉もなかりけり」というのは、「花も紅葉もないことだよ」ということです。目に留まる華やかなものが何もない、と言うことに作者は強い興味を覚え、その雰囲気を歌にしようとしているのです。
体言止め
この短歌で使われている表現技法は、「秋の夕暮れ」の体言止めです。
体言止めとは、一首の終わりを、体言、名詞で止めることで余韻を持たせたり、意味を強める働きがあります。
「秋の夕暮れ」と名詞でこの歌を止めることで、寂寞としたわびしい雰囲気を余韻をもって読者に伝えています。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」が詠まれた背景
この歌の初出は、文治2年(1186年)、西行法師の勧進による「二見浦百首(ふたみがうらひゃくしゅ)」と言う歌集です。
西行法師の求めにより、伊勢神宮に奉納するために詠まれた100首の歌のなかの一首です。このとき、定家は25歳くらいでした。
歌題となるべき「花も紅葉も」否定したところに風情を見出し、それを歌に詠みこむ感覚は、当時としてはあたらしいものでした。似たような趣向の歌を、定家は他にも詠んでいます。
「み吉野も 花見し春の けしきかは 時雨るる秋の 夕暮の空」
(意味:桜の名所と言われる吉野も、花見をするような春の景色ばかりがすばらしいのではない。時雨ふる秋の夕暮れの空の風情もまたすばらしいものである。)
吉野とは、奈良県の吉野山のことで、桜の名所として知られていました。その吉野の桜を否定して、時雨の降る夕暮れの空を、定家はよしと詠んだのです。
「二見浦百首」で「見渡せば…」の歌を詠んでから、15年余りたって後鳥羽院下命による勅撰和歌集『新古今和歌集』が編纂されるわけですが、この歌集には、「三夕」(さんせき)と呼ばれる三首の有名な歌があります。
寂寞とした、愁いのある秋の夕暮れを詠んだ三首の歌で、どの句も三句で「~けり」と木切れ、結句が「秋の夕暮れ」と結ばれる歌です。
さびしさはその色としもなかりけり 真木立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮法師 秋上・361)
(意味:寂しいと言って、目に見えてはっきりするものがあるわけでもない。はなやかな紅葉もない、杉やひのきが茂る山の、秋の夕暮の寂しさが身に染みるよ。)
心なき身にもあはれ知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行法師 秋上・362)
(意味:世を捨て、法師となり、煩悩を捨てて無心となる私のような者にも、あわれな趣は身にしみて感じられるものである。シギが飛び立っていく秋の夕暮れの景色はあわれ深いものだ。)
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家 秋上・363)
(意味:見渡してみると、美しく咲く花も見事な紅葉も見たらないことだよ。浜辺の粗末な漁師の小屋だけが目に映る、なんともわびしい秋の夕暮れであることよ。)
この三首の中でも最も有名なのが「見渡せば…」であるといえるでしょう。
秋の夕暮れの「もののあはれ」を詠う感覚や、寂寞としたものに風情を見出す感覚はその後の文学や芸能にも影響を与えました。
また、鎌倉時代の有名な随筆『徒然草』には、このような文章があります。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。」
(意味:花は盛りの時を、月は皓々と照る満月のみを美しいものとみなしてもてはやすべきものなのであろうか。けっしてそうではあるまい。雨の夜に見ることのできない月のことを思い、引きこもって春の花咲く野辺の様子を知らぬというのもまた、あわれ深く、情趣に富んだものである。もうじき花が咲くであろう桜の梢、逆に花が散りしおれてしまった庭の様子も、見ごたえのあるものである。)
美しい花や見事な満月を否定し、華やかではないものに価値を見出す感覚が受け継がれています。
華美なものを排し、あるがままのものの素朴さや、つましさに美を見出すわびやさびと言った感覚は、茶の湯などの芸能でその後もてはやされるようにもなりました。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の鑑賞
平安時代の和歌の常識としては、美しい花や見事な紅葉と言った花鳥風月を中心に和歌を詠むことが当たり前でした。
しかし、この歌は、「花も紅葉もなかりけり」と、歌の中にあるべき、美しいものを否定しています。
寂寞とした秋の夕暮れの浜辺の風景を詠んだこの和歌の感覚は、鎌倉時代から言われるようになる、「わび」や「さび」といった観念の端緒ともいえるものでした。
「見渡せば花も紅葉も」と歌いだすことで、読者は一瞬色鮮やかな花や紅葉を思い浮かべます。それを「なかりけり」と強い調子で否定し、「浦の苫屋」というなんとも寂寞としたものを提示します。
一瞬、「花や紅葉」といった華やかなものを思い浮かべた後だけに、モノトーンの「浦の苫屋」のわびしさが際立ちます。
時は「秋の夕暮れ」、しんみりとした愁い漂う歌となっています。
作者「藤原定家」を簡単にご紹介!
(藤原定家の肖像画 出典:Wikipedia)
藤原定家(ふじわらのていか・さだいえ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた、公家の歌人です。
藤原北家の御子左家(みこひだりけ)の生まれで、父は藤原俊成(しゅんぜい・としなり)です。父俊成も高名な歌人でした。
定家は応保2年(1162年)の生まれと言われます。若くして父俊成から歌才を認められました。
定家の家は、貴族ではありましたが中流階級で、定家は20代のころから、九条家という名家に家司(けいし。上流貴族、皇族の家の家政をあずかる職員。)として仕え、当時の高名な歌人らと交流し、歌集や歌合せに出詠するようになります。
その後、後鳥羽院の愛顧を受けるようになります。建仁元年(1201年)には、後鳥羽院の命により、勅撰和歌集『新古今和歌集』の撰者のひとりに選ばれました。当世の歌人の第一人者として認められたのです。
定家は、後鳥羽院やその息子順徳天皇の歌壇の重要なメンバーの一人として活動していましたが、承久二年(1220年)、歌会での作が、後鳥羽院の不興を買うことになり、謹慎を命じられます。
しかしその後、後鳥羽院は失脚、謹慎していた定家は西園寺家や九条家と言った名門貴族の引き立てにより、再び歌人として世に出るようになりました。
貞永元年(1232年)、後堀河天皇から勅撰和歌集編集の命が下り、3年の歳月をかけて『新勅撰和歌集』を編集しました。このとき定家はすでに70歳を超える高齢でした。
仁治2年(1241年)、80歳で死去しました。
定家自筆本物語二百番歌合と研究 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1343263
新古今集・巻1・春歌上・36 太上天皇(後鳥羽院:ごとばいん)
をのこども詩を作りて歌に合はせ侍りしに、水郷春望といふことを
(殿上人たちが、漢詩を作って和歌に合わせました時に、「水郷の春望」という題を)
見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ
<平仮名> (歴史的仮名遣い)
みわたせば やまもとかすむ みなせがは ゆふべはあきと なにおもひけむ
<現代語訳>
見渡すと、山のふもとはかすみ、水無瀬川が流れている。夕暮れの趣は秋に限ると、どうして今まで思っていたのであろう。(春の夕暮れもそれに劣らぬ趣があってすばらしいのに。)
(枕草子1段「春はあけぼの」・「秋は夕暮れ」を念頭に置いて春の夕暮れの美しさを詠んだ歌。藤原定家の「見渡せば花も紅葉も~」などの秋の夕暮れを詠んだ「三夕の歌(さんせきのうた)」に対して反発したものとも言われている。)
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」が詠まれた背景
この歌の初出は、文治2年(1186年)、西行法師の勧進による「二見浦百首(ふたみがうらひゃくしゅ)」と言う歌集です。
西行法師の求めにより、伊勢神宮に奉納するために詠まれた100首の歌のなかの一首です。このとき、定家は25歳くらいでした。
歌題となるべき「花も紅葉も」否定したところに風情を見出し、それを歌に詠みこむ感覚は、当時としてはあたらしいものでした。
百人一首歌織物説改訂版
https://youtu.be/OUBCdToPvro
97 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
こぬひとをまつほのうらのゆふなきに やくやもしほのみもこかれつつ
権中納言定家(藤原定家)
89 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
たまのをよたえなはたえねなからへは しのふることのよはりもそする
式子内親王
99 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
ひともをしひともうらめしあちきなく よをおもふゆゑにものおもふみは
後鳥羽院
100 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
ももしきやふるきのきはのしのふにも なほあまりあるむかしなりけり
順徳院
(注:「百敷」は皇居をさす。)
以下が隠されているという。
見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ
後鳥羽院
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
藤原定家
百人一首、歌織物説
代々木手話サークルさんによる紹介
https://vt.tiktok.com/ZSRynYteF/
https://vt.tiktok.com/ZSRytw7AN/
《#手話#百人一首の秘密〜驚異の歌織物#林直道 著# 久しぶりに本を引っ張り出してきて、改めてもう一度読んでみます♪「共通語」が正式か?!失敗多くてごめんなさい。なお、この本ではまだ四人は四隅に配置されておらず、少しずれている人がいます。続編の『百人一首の世界』[青木書店1986]できっちり四隅に配置する案が提示されます》
『百人一首の秘密』[初版1981]の著者、林直道さんの公式サイト
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/utaorimono.html
https://youtu.be/JVKEaK79t-w
97 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
こぬひとをまつほのうらのゆふなきに やくやもしほのみもこかれつつ
権中納言定家(藤原定家)
89 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
たまのをよたえなはたえねなからへは しのふることのよはりもそする
式子内親王
99 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
ひともをしひともうらめしあちきなく よをおもふゆゑにものおもふみは
後鳥羽院
100 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
ももしきやふるきのきはのしのふにも なほあまりあるむかしなりけり
順徳院
(注:「百敷」は皇居をさす。)
以下が隠されているという。
見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ
後鳥羽院
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
藤原定家
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