木曜日, 9月 06, 2012

判断力批判:メモ、付リンク

1790年 - 『判断力批判』 Kritik der Urteilskraft   (カント:インデックス、→リンク::::::
目次、(→第一批判)         
 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |6~9 |1~5 |
|           |           |     数学的   |     | 趣味判断|
|           |           | 量25〜|質27  |     |     |
|           |           |____崇高_____|__________|
|           |           |   23~29   |   1~22    |
|           |           |   力学的     |関係   |様相   |
|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
|           |  (上級心能力の表)|____演繹_____|  (分類51、54)|
|           |           |   30~54   |           |   
|           |           |35~42|43~54|           |    
|           |           |共通感覚 |(天才論 |           |
<規定的◯>______|___________|__40_|4650)______<◯反省的>
|           |           |         <機械的>   | 実質  |    
|           |           |      70、80|規定/反省| /62 |    
|           |    55     |           |61   | 形式  |    
|           |    (イントロ) |           |___分析論62~68|    
|           |           |           | 内的66| 機械的(究極目的、
|           |           |           |  /  | /64 原因67)
|           |           |           |相対的63| 有機的65~68
|________美学、弁証論_________|<構成的☆>___目 的 論_<☆統整的65~注72>
|     |   55~60         |     |   61~91   |     |    
|     |     |           |     |エピクロス|スピノザ80 ヒューム|
|   趣味の     |           |     |   73|85、87|   80|
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
56、57|     |    60     |判断力の スピノザ73|究極目的、|   信憑|
|(概念/)|     |           70二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
|     |     |           |69~73|72~78|自然神学85  91 |    
|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|道徳86_|_(第一序論1~12
                                 <目的論的>80

                                               TOP

上級心能力の表(岩波上67頁、序論九、LVIII):

心的能力の全体    認識能力    ア・プリオリな原理  適用の範囲
 認識能力       悟性      合法則性       自然
 快・不快の感情    判断力     合目的性       芸術
 欲求能力       理性      究極目的       自由


参考:
40節より
(ハンナ・アーレントがこの共通感覚論を晩年の政治学講義で重要視し、引用している。)
共通感覚とは、他のすべての人々のことを顧慮し、他者の立場に自己をおく立場のことである
(岩波文庫上232頁参照)

要するにかかる共通感覚は一種の判定能力──換言すれば、その反省において他のすべての人の表象の仕方を考えのなかで(ア・プリオリに)顧慮する能力なのである。
(岩波文庫上236頁参照)
 

参考:
共通感覚はノーマル(規範的)であり、それにもとづいて多くの凡庸な作品が作られる。共通感覚は
歴史的に変化するが、たんに連続的に変わるのではない。それを変えるのはこの共通感覚に対立しそ
こから逸脱するような諸個人ーー天才ーーである。しかし、カントはそれを趣味判断‐芸術にだけ限定
している。「学問においては、最も偉人な発見者とひたすら苦心惨憺する模倣者や学習者との相異は
結局、程度の差にすぎない。これに反して、かかる発見者と、自然によって芸術的天分を付与された
者とは種別的に異なっているのである
」(『判断力批判』上、同前)。第 47節 岩波文庫259頁
(柄谷行人定本『トランスクリティーク』66頁)

  →天才?:
   http://nam-students.blogspot.jp/2010/03/blog-post_05.html
   黒澤明&今井凌雪


「芸術は、自然においては醜く不快であるはずのものを美しく〔みごとに〕描写する(schön beschreiben)というまさにその点で優れている。復讐や病や戦禍などは〔現実には〕損傷をもたらすものであるが、それでもきわめて美しく描写することができるのであり、それどころか絵画に表象されることさえある。ただ、醜さのある種のものだけは、自然のままに表象されればすべての美的な悦びを消滅させてしまい、したがって芸術美を消滅させてしまう。それは、吐き気(Ekel)を催させるような醜さである。というのも、この吐き気という奇妙な感覚は、想像だけにもとづき、いわばそこでは対象はあたかもそれを呑みこむ〔摂取する〕よう追ってくるもののごとく表象されるのだが、それに対して私たちは力づくで(mit Gewalt)抵抗するのであって、そのために、自分の感覚のなかで対象の芸術的表象がもはや対象そのものの現実〔自然〕と区別できなくなり、そのときその芸術的表象は美しいとみなされるのが不可能になってしまうからである。」(『判断力批判』第48節)

  →参考:
   デリダ『エコノミメーシス』


趣味のアンチノミー
正命題 :趣味判断は概念に基づかない。なぜなら、もしも基づくとするならば、趣味判断について論議できる(証明によって決定できる)ことになってしまうからである。
反対命題:趣味判断は概念に基づく。なぜなら、もしも基づかないとするならば、趣味判断が異なっているにもかかわらず、趣味判断について論争する(他のひとびとがこの判断に必然的に同意することを要求する)ことすらできなくなってしまうからである。
(第56節)

判断力のアンチノミー
正命題 :物質的な物とその形式との産出は、すべて単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定されなければならない。
反対命題:物質的自然における所産のなかには、単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定され得ないものがある。
(第70節)



http://www.ibunsha.co.jp/books/0232/0232.con.html
http://www.ibunsha.co.jp/books/0233/0233.con.html

『判断力批判』(Kritik der. Urteilskraft, 1790)
目次(以文社版)
凡例
序 言
序 論
1 哲学の区分について

2 哲学一般の領域について
3 哲学の二部門を一つの全体へと結合する手段としての判断力批判について
4 アプリオリに立法的な能力としての判断力について
5 自然の形式的合目的性の原理が判断力の超越論的原理である
6 快の感情と自然の合目的性の概念との結合について
7 自然の合目的性の情感的表象について
8 自然の合目的性の論理的表象について
9 判断力による悟性の立法と理性の立法との結合について  (上級心能力の表)

第一部 情感的(美学的)判断力の批判

第一編 情感的判断力の分析論

第一章 美の分析論
質にかんする、趣味判断の第一の契機
1 趣味判断は情感的である
2 趣味判断を規定する適意は、一切の関心を欠いている
3 快適なものに対する適意は、関心と結びついている
4 善いものに対する適意は、関心と結びついている
5 種別的に異なる三種の適意の比較
趣味判断の第二の、つまりその量にかんする契機
6 美しいものは、概念を欠いたまま普遍的な適意の客観として表象されるものである
7 上述の微表による、美しいものと快適なものや善いものとの比較
8 適意の普遍性は、趣味判断において、たんに主観的として表象される
9 趣味判断においては快の感情が対象の判定に先立つのか、それとも後者が前者に先立つのかという問いの探究
趣味判断においては諸目的の関係が考慮されるが、この関係にかんする趣味判断の第三の契機
10 合目的性一般について
11 趣味判断が根拠としているのは、対象の(もしくは対象の表象様式の)合目的性の形式以外のなにものでもない
12 趣味判断はアプリオリな諸根拠に基づいている
13 純粋な趣味判断は、魅力や感動には依存していない
14 実例による説明
15 趣味判断は、完全性の概念にはまったく依存していない
16 ある対象を、ある規定された概念の条件の下で美しいと言明する趣味判断は、純粋ではない
17 美の理想について
対象に対する適意の様相にかんする、趣味判断の第四の契機
18 趣味判断の様相とはなにか
19 われわれが趣味判断に付与する主観的必然性は、条件づけられている
20 趣味判断が主張する必然性の条件は、ある共通感の理念である
21 はたして共通感は根拠をもって前提されることができるか
22 趣味判断においては、普遍的賛同の必然性が考えられるが、この必然性は、
  共通感の前提の下で客観的と表象される主観的必然性である
分析論第一章にかんする一般的な注

第二章 崇高の分析論
23 美しいものの判定能力から崇高なものの判定能力への移行
24 崇高の感情の探究の区分について
 A 数学的に=崇高なものについて
25 崇高という名称の解明
26 崇高の理念のために必要な、自然諸事物の大きさの評価について
27 崇高なものの判定における適意の質について
 B 自然の力学的に=崇高なものについて
28 勢力としての自然について
29 自然の崇高なものについての判断の様相について
情感的反省的判断の開明にかんする一般的な注

純粋な情感的判断の演繹
30 自然の対象についての情感的判断の演繹は、われわれが自然において崇高とよぶものにむけられる必要はなく、美しいものにのみむけられればよい
31 趣味判断の演繹の方法について
32 趣味判断の第一の特有性
33 趣味判断の第二の特有性
34 趣味のいかなる客観的原理も可能ではない
35 趣味の原理は判断力一般の主観的原理である
36 趣味判断の演繹という課題について
37 ある対象についての趣味判断において、いったいなにがアプリオリに主張されるのか
38 趣味判断の演繹
39 感覚の伝達可能性について
40 一種の共通感としての趣味について  
41 美しいものに対する経験的関心について
42 美しいものに対する知性的関心について
43 技術一般について
44 美術について
45 美術は、それが同時に自然であるように見える限りでの技術である
46 美術は天才の技術である
47 天才についての上述の解明の説明と立証  
48 天才と趣味との連関について
49 天才を形成する心の諸能力について
50 美術の産物における趣味と天才との結合について
51 諸美術の区分について
52 同一の産物における諸美術の結合について
53 諸美術相互の間での情感的価値の比較
54 注

第二編 情感的判断力の弁証論
55

56 趣味の二律背反の提示  
57 趣味の二律背反の解決
     注一
     注二
58 情感的判断力の唯一の原理としての、自然ならびに芸術の合目的性の観念論について
59 道徳性の象徴としての実について
60 付録 趣味の方法論について  

訳注者あとがき
索 引
目次
凡 例

第二部 目的論的判断力の批判
61 自然の客観的合目的性について

第一編 目的論的判断力の分析論
62 実質的な客観的合目的性とは区別される、たんに形式的な客観的合目的性について
63 内的合目的性から区別される、自然の相対的合目的性について
64 自然諸目的としての諸事物の特有な性格について
65 自然諸目的としての諸事物は、有機的諸存在者である
66 有機的諸存在者における内的合目的性の判定の原理について
67 諸目的の体系としての自然一般の目的論的判定の原理について
68 自然学の内的原理としての目的論の原理について

第二編 目的論的判断力の弁証論
69 判断力の二律背反とはなにか
70 この二律背反の提示  
71 上述の二律背反を解決するための準備
72 自然の合目的性についてのさまざまな体系について
73 上述のどの体系もそれが称えていることを成し遂げていない
74 自然の技巧という概念を教説的に扱うことが不可能である理由は、自然目的というものが解明不可能であることにある
75 自然の客観的合目的性の概念は、反省的判断力のための理性の批判的原理である
76 注
77 自然目的という概念がわれわれに可能となるのは、人間の悟性の特有性によるが、その特有性について
78 物質の普遍的機構の原理と、自然の技巧における目的論的原理との結合について

付録 目的論的判断力の方法論
79 目的論は自然学に属するものとして扱われなければならないか
80 自然目的としてのある事物の解明において、機構の原理が目的論的原理に必然的に従属することについて
81 自然産物としてのある自然目的の解明において、目的論的原理に機構が添えられることについて
82 有機的諸存在者の外的連関における目的論的体系について
83 目的論的体系としての自然の最終目的について
84 世界の現存の、すなわち創造そのものの究極目的について
85 自然神学について
86 倫理神学について
87 神の現存の道徳的証明について
88 道徳的証明の妥当性の制限
89 道徳的論証の効用について
90 神の現存の目的論的証明における信憑の種類について
91 実践的信仰による信憑の種類について
目的論にかんする一般的な注

付録 判断力批判『第一序論』
1 一つの体系としての哲学について
2 哲学の基礎にある、上級認識諸能力の体系について
3 人間の心のあらゆる能力の体系について
4 判断力に対する一つの体系としての経験について
5 反省的判断力について
6 それぞれ特殊な体系をなす自然諸形式の合目的性について
7 自然の技巧という理念の根拠としての、判断力の技巧について
8 判定能力の情感論について
9 目的論的判定について
10 技巧的判断力の原理の探求について
11 純粋理性批判の体系のうちに判断力批判を導入する総括論的序論
12 判断力批判の区分

訳注者あとがき
索 引


参考:
http://ja.wikipedia.org/wiki/目的論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E7%9A%84%E8%AB%96

    スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    ハイデガー
     柄谷 フロイト
ドゥルーズ    老子
 アドルノ    パーソンズ
 カレツキ ゲゼル
    ライプニッツ
 スポーツ    文学
     ガンジー
     ラカン
     ニーチェ ショーペンハウアー 
      孔子

51 Comments:

Blogger yoji said...

哲学者、翻訳家・中山元の書評ブログ : 『エコノミメーシス』ジャック・デリダ(未來社)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/nakayama/archives/2007/02/post_28.html
こうして賃金をめぐる二つの指摘のあいだにミメーシスの議論が展開される空間が築かれたのは、決して偶然ではなかったことが明らかにされた。これでいわばデリダのこの論文の「宿題」は終わったのである。しかしここでデリダは別のブランコに跳躍する。それが四六ページ以降の「範例的口唇性」という概念の問題系である。カントは『判断力批判』において、人間の五感を比較しながら、見ること、聞くこと、触ること、味わうこと、嗅ぐことの比較を行なっているが、デリダは口唇においては、二つの機能が行使されることに注目する。語ることと味わうことである。

味わいは、他者に伝達することのできない私的な感覚であるが、語ることは他者への最高度の伝達の機能である。「味覚の場である口」と「同時にロゴスを発信し産出する口」(p.62)。詩人が語るときに使う器官は口であり、人間が嘔吐するに使う器官も口である(p.63)。味覚のようにもっとも主観的で感性的な機能と、語りという自由で客観的な機能を果たすのはどちらも口である。同じ器官であるこの口こそ、「アナロジー的空間を指揮するのだが、口そのものはそのアナロジー空間には含まれてしまうことにない」(p.81)のである。

その意味では口もまた一つのパレルゴンである。そして芸術作品として描かれることが決してないもの、それが口から吐き出される嘔吐物である。これは「特殊なパレルゴン的横溢」(p.83)を示すものなのだ。「吐き気を催させるもの」それはイデア化しえないものなのである(p.87)。それは人が決して「喪を行なうことのできないもの」(p.91)なのである。これはロゴス的な空間からも美的な空間からもつねに排除されるものなのだ。

しかしロゴスの体系はあるトリックによってこれを防ごうとする。「吐きだされるもの」という語が、言葉によって鎮痛し、慰めるのだ(p.97)。肛門的なものの代わりに、口唇的なものを置くのでこれを宥めるのである。さてぼくたちはいったいデリダのブランコにつきあって、いったいどこまで来てしまったのだろうか。デリダの最後の言葉は、「哲学の悪趣味(デグー)そのものにおいて」(p.98)である。

5:21 午前  
Blogger yoji said...


共通感覚はノーマル(規範的)であり、それにもとづいて多くの凡庸な作品が作られる。共通感覚は
歴史的に変化するが、たんに連枝的に変わるのではない。それを変えるのはこの共通感覚に対立しそ
こから逸脱するような諸個人ーー天才ーーである。しかし、カントはそれを趣味判断‐芸術にだけ限定
している。「学問においては、最も偉人な発見者とひたすら苦心惨憺する模倣者や学習者との相異は
結局、程度の差にすぎない。これに反して、かかる発見者と、自然によって芸術的天分を付与された
者とは種別的に異なっているのである』『判断力批判』上、回前)。47節 岩波文庫259頁

(柄谷行人定本『トランスクリティーク』66頁)

8:32 午前  
Blogger yoji said...


共通感覚はノーマル(規範的)であり、それにもとづいて多くの凡庸な作品が作られる。共通感覚は
歴史的に変化するが、たんに連枝的に変わるのではない。それを変えるのはこの共通感覚に対立しそ
こから逸脱するような諸個人ーー天才ーーである。しかし、カントはそれを趣味判断‐芸術にだけ限定
している。「学問においては、最も偉人な発見者とひたすら苦心惨憺する模倣者や学習者との相異は
結局、程度の差にすぎない。これに反して、かかる発見者と、自然によって芸術的天分を付与された
者とは種別的に異なっているのである」『判断力批判』上、回前)。47節 岩波文庫259頁

(柄谷行人定本『トランスクリティーク』66頁)

8:32 午前  
Blogger yoji said...

http://nam-students.blogspot.jp/2010/03/blog-post_05.html

金曜日, 3月 05, 2010
今井凌雪
『乱』以降(『影武者』は未確認)の題字を担当している今井凌雪氏は、書道界の重鎮だそうだが、黒澤映画の最も重要なスタッフと言えるのではないでしょうか?
『蝦蟇の油』や『全集黒澤明』の題字も担当しています。

以下、wikipediaより
黒沢明監督作品「乱(1985)」、「夢(1990)」、「まあだだよ(1993)」の題字を担当したことでも知られ、2002年には、映画「阿弥陀堂だより」題字も担当している。

8:36 午前  
Blogger yoji said...


「芸術は、自然においては醜く不快であるはずのものを美しく〔みごとに〕描写する(schön beschreiben)
というまさにその点で優れている。復讐や病や戦禍などは〔現実には〕損傷をもたらすものであるが、
それでもきわめて美しく描写することができるのであり、それどころか絵画に表象されることさえある。
ただ、醜さのある種のものだけは、自然のままに表象されればすべての美的な悦びを消滅させてしまい、
したがって芸術美を消滅させてしまう。それは、吐き気(Ekel)を催させるような醜さである。という
のも、この吐き気という奇妙な感覚は、想像だけにもとづき、いねばそこでは対象はあたかもそれを
呑みこむ〔摂取する〕よう追ってくるもののごとく表象されるのだが、それに対して私たちは力づくで
 (mit Gewalt)抵抗するのであって、そのために、自分の感覚のなかで対象の芸術的表象がもはや対象そ
のものの現実〔自然〕と区別できなくなり、そのときその芸術的表象は美しいとみなされるのが不可能
になってしまうからである。」(『判断力批判』第48節)



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おぞましさの美学の帰趨―「吐き気」の芸術的表象について
www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81002350.pdf
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
長野順子 著
判断力批判』演繹論の後半に展開される芸術論において、芸術による「醜(Häßlichkeit)」. の表現と関連して「 ... 芸術は、自然においては醜く不快であるはずのものを美しく〔みごとに〕描写する(schön beschreiben). というまさにその点で ...... 日常のなかでの「嘔吐」や「吐き気」という反応について、カントは「人間学」講義(1772. 年冬学期から 20 数 ...

9:13 午前  
Blogger yoji said...

趣味のアンチノミー

「(一)定立:趣味判断は概念に基づかない。なぜなら、もしも基づくとするならば、趣味判断について論議でき る(証明によって決定できる)ことになってしまうからである。
(二)反定立:趣味判断は概念に基づく。なぜなら、もしも基づかないとするならば、趣味判断 が異なっているにもかかわらず、趣味判断について論争する(他のひとびとがこの判断に必然的に同意することを要求する)ことすらできなくなってしまうから である」(第56節)
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1059/kotoba.html


趣味のアンチノミー
正命題  趣味判断は概念に基づくものではない、もしそうであれば趣味判断は証明によって決定され得るからである
反対命題 趣味判断は、概念に基づくものである。さもないと、その判断が相違したとき、その判断についてわれわれは論議することができなくなる(われわれの判断に他の人々が同意することを要求できなくなる)からである
(第56節)

判断力のアンチノミー
正命題  物質的な物の産出は、すべて単なる機械的法則に従ってのみ可能である ×
反対命題 物質的な物の産出のなかには単なる機械的法則に従うのでは不可能なものがある×

しかしこれは『純粋理性批判』の第三アンチノミーの言い換えにすぎない。つまりこれは、いまだ与えられていない概念―原理を、あらかじめ与え られた客観的原理と取り違える誤謬によって発生したアンチノミーにすぎないとカントは退ける。反省的判断力において生じるのは、正しくは、

正命題  物質的な物とその形式との産出は、すべて単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定されなければならない◯
反対命題 物質的自然における所産のなかには、単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定され得ないものがある◯
(第70節)
http://correlative.org/publishing/jyunbi.html
http://tetsugakusya2.blog38.fc2.com/?mode=m&no=18

9:50 午前  
Blogger yoji said...


  美学的判断力の批判
    美学的判断力の分析論
      美の分析論
        趣味判断の第一様式 - 「性質」
        趣味判断の第二様式 - 「分量」
        趣味判断の第三様式 - 目的の「関係」
        趣味判断の第四様式 - 対象の「様態」
      崇高の分析論
        数学的崇高について
        力学的崇高について
    美的判断論の弁証論

  目的論的判断力の批判
    目的論的判断力の分析論
    目的論的判断力の弁証論

11:08 午前  
Blogger yoji said...


カント三批判書
判断力批判 下巻
判断力批判 下巻
宇都宮 芳明:監訳・注解
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7531-0233-4.html


目次

序言
序論
第一部 情感的判断力の批判
第一篇 情感的判断力の分析論
第一章 美の分析論
第二章 崇高の分析論
第二編 情感的判断力の弁証論

『判断力批判・下巻』
第二部 目的論的判断力の批判
第一篇 目的論的判断力の分析論
第二篇 目的論的判断力の弁証論
付録 判断力批判『第一序論』









序論(哲学の区分について
哲学一般の領域について
哲学の二部門を一つの全体へと結合する手段としての判断力批判について ほか)
第1部 情感的判断力の批判(情感的判断力の分析論(美の分析論
崇高の分析論)
情感的判断力の弁証論)


第2部 目的論的判断力の批判(目的論的判断力の分析論(実質的な客観的合目的性とは区別される、たんに形式的な客観的合目的性について
内的合目的性から区別される、自然の相対的合目的性について ほか)
目的論的判断力の弁証論(判断力の二律背反とはなにか
この二律背反の提示 ほか)
付録 判断力批判『第一序論』(一つの体系としての哲学について
哲学の基礎にある、上級認識諸能力の体系について ほか))

11:21 午前  
Blogger yoji said...

『判断力批判』(Kritik der. Urteilskraft, 1790)

11:22 午前  
Blogger yoji said...

http://www.ibunsha.co.jp/books/0232/0232.con.html
http://www.ibunsha.co.jp/books/0233/0233.con.html


目次

凡例

序 言

序 論

1 哲学の区分について

2 哲学一般の領域について

3 哲学の二部門を一つの全体へと結合する手段としての判断力批判について

4 アプリオリに立法的な能力としての判断力について

5 自然の形式的合目的性の原理が判断力の超越論的原理である

6 快の感情と自然の合目的性の概念との結合について

7 自然の合目的性の情感的表象について

8 自然の合目的性の論理的表象について

9 判断力による悟性の立法と理性の立法との結合について

第一部 情感的判断力の批判


第一編 情感的判断力の分析論

第一章 美の分析論

  質にかんする、趣味判断の第一の契機

1 趣味判断は情感的である

2 趣味判断を規定する適意は、一切の関心を欠いている

3 快適なものに対する適意は、関心と結びついている

4 善いものに対する適意は、関心と結びついている

5 種別的に異なる三種の適意の比較

  趣味判断の第二の、つまりその量にかんする契機

6 美しいものは、概念を欠いたまま普遍的な適意の客観として表象されるものである

7 上述の微表による、美しいものと快適なものや善いものとの比較

8 適意の普遍性は、趣味判断において、たんに主観的として表象される

9 趣味判断においては快の感情が対象の判定に先立つのか、

   それとも後者が前者に先立つのかという問いの探究

趣味判断においては諸目的の関係が考慮されるが、

この関係にかんする趣味判断の第三の契機

10 合目的性一般について

11 趣味判断が根拠としているのは、対象の(もしくは対象の表象様式の)

合目的性の形式以外のなにものでもない

12 趣味判断はアプリオリな諸根拠に基づいている

13 純粋な趣味判断は、魅力や感動には依存していない

14  実例による説明

15 趣味判断は、完全性の概念にはまったく依存していない

16 ある対象を、ある規定された概念の条件の下で美しいと言明する趣味判断は、
純粋ではない

17 美の理想について

対象に対する適意の様相にかんする、趣味判断の第四の契機

18 趣味判断の様相とはなにか

19 われわれが趣味判断に付与する主観的必然性は、条件づけられている

20 趣味判断が主張する必然性の条件は、ある共通感の理念である

21 はたして共通感は根拠をもって前提されることができるか

22 趣味判断においては、普遍的賛同の必然性が考えられるが、この必然性は、

共通感の前提の下で客観的と表象される主観的必然性である

分析論第一章にかんする一般的な注

第二章 崇高の分析論

23 美しいものの判定能力から崇高なものの判定能力への移行

24 崇高の感情の探究の区分について

  A 数学的に=崇高なものについて

25 崇高という名称の解明

26 崇高の理念のために必要な、自然諸事物の大きさの評価について

27 崇高なものの判定における適意の質について

  B 自然の力学的に=崇高なものについて

28 勢力としての自然について

29 自然の崇高なものについての判断の様相について

情感的反省的判断の開明にかんする一般的な注

純粋な情感的判断の演繹

30 自然の対象についての情感的判断の演繹は、われわれが自然において崇高と

   よぶものにむけられる必要はなく、美しいものにのみむけられればよい

31 趣味判断の演繹の方法について

32 趣味判断の第一の特有性

33 趣味判断の第二の特有性

34 趣味のいかなる客観的原理も可能ではない

35 趣味の原理は判断力一般の主観的原理である

36 趣味判断の演繹という課題について

37 ある対象についての趣味判断において、いったいなにが

アプリオリに主張されるのか

38 趣味判断の演繹

39 感覚の伝達可能性について

40 一種の共通感としての趣味について

41 美しいものに対する経験的関心について

42 美しいものに対する知性的関心について

43 技術一般について

44 美術について

45 美術は、それが同時に自然であるように見える限りでの技術である

46 美術は天才の技術である

47 天才についての上述の解明の説明と立証

48 天才と趣味との連関について

49 天才を形成する心の諸能力について

50 美術の産物における趣味と天才との結合について

51 帯美術の区分について

52 同一の産物における諸美術の結合について

53 諸美術相互の間での情感的価値の比較

54 注

第二編 情感的判断力の弁証論

55

56 趣味の二律背反の提示

57 趣味の二律背反の解決

     注一

     注二

58 情感的判断力の唯一の原理としての、自然ならびに芸術の合目的性の観念論につ
いて

59 道徳性の象徴としての実について

60 付録 趣味の方法論について  

訳注者あとがき

索 引

目次

凡 例

第二部 目的論的判断力の批判

61 自然の客観的合目的性について

第一編 目的論的判断力の分析論

62 実質的な客観的合目的性とは区別される、

      たんに形式的な客観的合目的性について

63 内的合目的性から区別される、自然の相対的合目的性について

64 自然諸目的としての諸事物の特有な性格について

65 自然諸目的としての諸事物は、有機的諸存在者である

66 有機的諸存在者における内的合目的性の判定の原理について

67 諸目的の体系としての自然一般の目的論的判定の原理について

68 自然学の内的原理としての目的論の原理について

第二編 目的論的判断力の弁証論

69 判断力の二律背反とはなにか

70 この二律背反の提示

71 上述の二律背反を解決するための準備

72 自然の合目的性についてのさまざまな体系について

73 上述のどの体系もそれが称えていることを成し遂げていない

74 自然の技巧という概念を教説的に扱うことが不可能である理由は、自然目的というもの
が解明不可能であることにある

75 自然の客観的合目的性の概念は、反省的判断力のための理性の批判的原理である

76 注

77 自然目的という概念がわれわれに可能となるのは、人間の悟性の特有性によるが、
その特有性について

78 物質の普遍的機構の原理と、自然の技巧における目的論的原理との結合について

付録 目的論的判断力の方法論

79 目的論は自然学に属するものとして扱われなければならないか

80 自然目的としてのある事物の解明において、機構の原理が目的論的原理に必然
的に従属することについて

81 自然産物としてのある自然目的の解明において、目的論的原理に機構が添えられる
ことについて

82 有機的諸存在者の外的連関における目的論的体系について

83 目的論的体系としての自然の最終目的について

84 世界の現存の、すなわち創造そのものの究極目的について

85 自然神学について

86 倫理神学について

87 神の現存の道徳的証明について

88 道徳的証明の妥当性の制限

89 道徳的論証の効用について

90 神の現存の目的論的証明における信憑の種類について

91 実践的信仰による信憑の種類について

目的論にかんする一般的な注

付録 判断力批判『第一序論』

1 一つの体系としての哲学について

2 哲学の基礎にある、上級認識諸能力の体系について

3 人間の心のあらゆる能力の体系について

4 判断力に対する一つの体系としての経験について

5 反省的判断力について

6 それぞれ特殊な体系をなす自然諸形式の合目的性について

7 自然の技巧という理念の根拠としての、判断力の技巧について

8 判定能力の情感論について

9 目的論的判定について

10 技巧的判断力の原理の探求について

11 純粋理性批判の体系のうちに判断力批判を導入する総括論的序論

12 判断力批判の区分

訳注者あとがき

索 引


1:04 午後  
Blogger yoji said...


上級心能力の表(岩波上67頁、LV):

心的能力の全体    認識能力    ア・プリオリな原理  適用の範囲
 認識能力       悟性      合法則性       自然
 快・不快の感情    判断力     合目的性       芸術
 欲求能力       理性      究極目的       自由

https://docs.google.com/viewer

7:14 午後  
Blogger yoji said...


嘔吐については48節 天才に関する論考にある


美学的判断力の批判
美学的判断力の分析論
美の分析論
趣味判断の第一様式 - 「性質」
趣味判断の第二様式 - 「分量」
趣味判断の第三様式 - 目的の「関係」
趣味判断の第四様式 - 対象の「様態」
崇高の分析論
数学的崇高について
力学的崇高について
美的判断論の弁証論
目的論的判断力の批判
目的論的判断力の分析論
目的論的判断力の弁証論

wiki

7:16 午後  
Blogger yoji said...

合目的性は4つ

論理的、美的
有機的、歴史的

1:14 午前  
Blogger yoji said...

高坂p392

1:15 午前  
Blogger yoji said...

論   美
   有
  有
美   歴

2:23 午前  
Blogger yoji said...


http://www.systemicsarchive.com/ja/b/teleologische_urteilskraft.html

表10 機械論と目的論の二律背反

          定立(機械論) 反定立(目的論)

物理的     偶然性の観念論   物活論的実在論
         (エピクロス)  (ターレス)
         leblose Materie lebende Materie

超物理的     宿命性の観念論   唯神論的実在論
       (スピノザ)     (中世神学)
         lebloser Gott    lebendiger Gott


カントは、偶然性の観念論は自然の合目的性を仮象としてすら説明することができず、スピノザの宿命論的決定論は全てのものを目的と見なすことによって目的の表象を不可能にしているとして機械論を斥け、目的論も、それが物活論であれ唯神論であれ根拠なき独断論であるとして斥ける。表11にまとめたように、カントはここの二律背反でも、超越論的観念論=経験的実在論の立場を採ことによって定立と反定立の対立地平そのものを克服しようとする。

3:27 午前  
Blogger yoji said...

カントは、偶然性の観念論は自然の合目的性を仮象としてすら説明することができず、スピノザの宿命論的決定論は全てのものを目的と見なすことによって目的の表象を不可能にしているとして機械論を斥け、目的論も、それが物活論であれ唯神論であれ根拠なき独断論であるとして斥ける。表11にまとめたように、カントはここの二律背反でも、超越論的観念論=経験的実在論の立場を採ことによって定立と反定立の対立地平そのものを克服しようとする。

表11 二律背反の止揚
      規定的人間悟性  反省的人間悟性  規定的神的悟性
結合様式   機械論      目的論     目的論
結合様相   必然的      偶然的     必然的
理念     構成的      統制的     構成的
悟性     diskursiv     diskursiv    intuitiv
認識順序   部分 → 全体   部分 → 全体   全体 → 部分
順序内容   因果 → 法則   有機体 → 目的  目的 → 有機体

この三者のうち左の機械論しか認めないのが定立、右の目的論までも認めるのが反定立、機械論を認めながらも真中の目的論をも認めるのがカントの立場である。右の目的論は物自体的な目的論であって、人間には認識不可能であり、ただ神的な知的直観によってのみされる。

しかしカントは、規定的構成的目的論を人間に全く認めないわけではない。理論的自然目的は偶然的統制的概念であるが、実践的道徳目的は必然的構成的概念なのである。定言命法の実現は、認識が同時に無制約的なものの創造であるという点でも神的な知的直観と類似しているが、ただ実現能力が有限か無限かの相違があるだけである。

カントは『判断力批判への第一序論』のなかで、「実践的」の名に値する行為はただ自由の理念に基づいている場合だけであり、幸福促進のための選択意志的行為は、「実践的 praktisch」ではなく「技巧的 technisch」であり、その原理は理論的認識の適用に過ぎないと主張する [Kant: Handschriftlicher Nachlaß,SS.197-198] 。それゆえ規定的構成的目的論は道徳的実践に限られる。

かくして目的論のトピックは、自然目的の観察から道徳目的の実現へと移って行く。《目的なき合目的性》としての自然に究極目的が措定されることによって、の画竜は点睛を得る。

3:34 午前  
Blogger yoji said...



機械十反省
 目的論

3:24 午前  
Blogger yoji said...


 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     |     |
|           |           | 量27 |質26  |     |     |
|           |           |____崇高_____|_____美_____|
|           |           |   23~29   |   1~22    |
|           |           |   力学的     |関係   |様相   |
|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
|           |  (上級心能力の表)|____演繹_____|   分類51    |
|           |           |   30~50   |           |   
|           |           |35~42|43~54|           |    
|           |           |共通感覚 |(天才論 |           |
<規定的◯>______|___________|__40_|46~50)______<◯反省的>
|           |           |        <機械的>    | 実質  |    
|           |           |           |規定/反省| /62 |    
|           |    55     |           |61   | 形式  |    
|           |    (イントロ) |           |___分析論62~68|    
|           |           |           | 内的66| 機械的(究極目的、
|           |           |           |  /  | /64 原因67)
|           |           |           |相対的63| 有機的65~68
|________美学、弁証論_________|<構成的☆>___目 的 論_<☆統整的65~注72>
|     |   55~60         |     |   61~91   |     |    
|     |     |           |     |     | ヒューム|スピノザ80   
|     |     |           |     |     | 80  |85、87|  
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |70   スピノザ73|究極目的、|   信憑|
|(概念/)|     |           | 二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
|     |     |           |69~73|72~78|道徳神学 | 91  |    
|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|__86_|_(第一序論1~12)

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1:04 午前  
Blogger yoji said...

|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     |     |
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|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
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|           |           |   30~50   |           |   
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|           |           |共通感覚 |(天才論 |           |
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                                 <自然目的>   

1:05 午前  
Blogger yoji said...

 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     |     |
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|           |           |____崇高_____|_____美_____|
|           |           |   23~29   |   1~22    |
|           |           |   力学的     |関係   |様相   |
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|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
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|(概念/)|     |           | 二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
|     |     |           |69~73|72~78|道徳神学 | 91  |    
|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|__86_(第一序論1~12)
                                 <自然目的>   

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 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     |     |
|           |           | 量27 |質26  |     |     |
|           |           |____崇高_____|_____美_____|
|           |           |   23~29   |   1~22    |
|           |           |   力学的     |関係   |様相   |
|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
|           |  (上級心能力の表)|____演繹_____|   分類51    |
|           |           |   30~50   |           |   
|           |           |35~42|43~54|           |    
|           |           |共通感覚 |(天才論 |           |
<規定的◯>______|___________|__40_|46~50)______<◯反省的>
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|           |    55     |           |61   | 形式  |    
|           |    (イントロ) |           |___分析論62~68|    
|           |           |           | 内的66| 機械的(究極目的、
|           |           |           |  /  | /64 原因67)
|           |           |           |相対的63| 有機的65~68
|________美学、弁証論_________|<構成的☆>___目 的 論_<☆統整的65~注72>
|     |   55~60         |     |   61~91   |     |    
|     |     |           |     |     | ヒューム|スピノザ80   
|     |     |           |     |     | 80  |85、87|  
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |70   スピノザ73|究極目的、|   信憑|
|(概念/)|     |           | 二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
|     |     |           |69~73|72~78|道徳神学 | 91  |    
|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|__86_|_(第一序論1~12)
                                 <自然目的>   

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 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     |     |
|           |           | 量27 |質26  |     |     |
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|           |           |   力学的     |関係   |様相   |
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|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
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|     |     |           |     |     | 80  |85、87|  
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |70   スピノザ73|究極目的、|   信憑|
|(概念/)|     |           | 二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
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|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|__86_|(第一序論1~12)
                                 <自然目的>   

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 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     | 趣味判断|
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|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
|           |  (上級心能力の表)|____演繹_____|   分類51    |
|           |           |   30~50   |           |   
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|     |     |           |     |     | 80  |85、87|  
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |70   スピノザ73|究極目的、|   信憑|
|(概念/)|     |           | 二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
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                                 <自然目的>   

1:19 午前  
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 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     | 趣味判断|
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|           |           |   力学的     |関係   |様相   |
|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
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|     |   55~60         |     |   61~91   |     |    
|     |     |           |     |     | ヒューム|スピノザ80   
|   趣味の     |           |     |     | 80  |85、87|  
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |70   スピノザ73|究極目的、|   信憑|
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                                 <自然目的>   

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 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     | 趣味判断|
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|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
|           |  (上級心能力の表)|____演繹_____|   分類51    |
|           |           |   30~50   |           |   
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|________美学、弁証論_________|<構成的☆>___目 的 論_<☆統整的65~注72>
|     |   55~60         |     |   61~91   |     |    
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|  趣味の|     |           |     |     | 80  |85、87|  
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |判断力の スピノザ73|究極目的、|   信憑|
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                                 <自然目的>   

1:25 午前  
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 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     | 趣味判断|
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|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
|           |  (上級心能力の表)|____演繹_____|   分類51    |
|           |           |   30~50   |           |   
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<規定的◯>______|___________|__40_|46~50)______<◯反省的>
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|________美学、弁証論_________|<構成的☆>___目 的 論_<☆統整的65~注72>
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|   趣味の     |           |     |     | 80  |85、87|  
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |判断力の スピノザ73|究極目的、|   信憑|
|(概念/)|     |           70二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
|     |     |           |69~73|72~78|道徳神学 | 91  |    
|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|__86_|(第一序論1~12)
                                 <自然目的>   

1:26 午前  
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 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     | 趣味判断|
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|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
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|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
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|________美学、弁証論_________|<構成的☆>___目 的 論_<☆統整的65~注72>
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|   趣味の     |           |     |     | 80  |85、87|  
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |判断力の スピノザ73|究極目的、|   信憑|
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|     |     |           |69~73|72~78|道徳神学 | 91  |    
|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|__86_|(第一序論1~12)
                                 <自然目的>   

1:27 午前  
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1790年 - 『判断力批判』 Kritik der Urteilskraft   (→リンク::::::)
→目次、(→第一批判)         
 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
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|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
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|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
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|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |70   スピノザ73|究極目的、|   信憑|
|(概念/)|     |           | 二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
|     |     |           |69~73|72~78|道徳神学 | 91  |    
|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|__86_|_(第一序論1~12)

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 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
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|   趣味の     |           |     |     | 80  |85、87|  
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |判断力の スピノザ73|究極目的、|   信憑|
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|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
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|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |判断力の スピノザ73|究極目的、|   信憑|
|(概念/)|     |           70二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
|     |     |           |69~73|72~78|道徳神学 | 91  |    
|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|___86|(第一序論1~12)
                                 <目的論的>80   

2:30 午前  
Blogger yoji said...

 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |量6~9 |質1~5 |
|           |           |     数学的   |     | 趣味判断|
|           |           | 量27 |質26  |     |     |
|           |           |____崇高_____|_____美_____|
|           |           |   23~29   |   1~22    |
|           |           |   力学的     |関係   |様相   |
|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一~九(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
|           |  (上級心能力の表)|____演繹_____|   分類51    |
|           |           |   30~50   |           |   
|           |           |35~42|43~54|           |    
|           |           |共通感覚 |(天才論 |           |
<規定的◯>______|___________|__40_|46~50)______<◯反省的>
|           |           |         <機械的>   | 実質  |    
|           |           |      70、80|規定/反省| /62 |    
|           |    55     |           |61   | 形式  |    
|           |    (イントロ) |           |___分析論62~68|    
|           |           |           | 内的66| 機械的(究極目的、
|           |           |           |  /  | /64 原因67)
|           |           |           |相対的63| 有機的65~68
|________美学、弁証論_________|<構成的☆>___目 的 論_<☆統整的65~注72>
|     |   55~60         |     |   61~91   |     |    
|     |     |           |     |     | ヒューム|スピノザ80   
|   趣味の     |           |     |     | 80  |85、87|  
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
|56、57|     |    60     |判断力の スピノザ73|究極目的、|   信憑|
|(概念/)|     |           70二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
|     |     |           |69~73|72~78|自然神学85 91  |    
|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|道徳86_|_(第一序論1~12)
                                 <目的論的>80

3:20 午前  
Blogger yoji said...

 アリストテレスが生物学の創始者であるのは、ただ単に生物やその生命現象に関する著作を残したからではもちろんなく、生物学という学問の研究に関する方法論を示したからである。彼の生物学に関する評価もまた、個々の叙述からではなく、その方法論に即してなされなければならない。生命現象は、生物個体の生存維持や種の存続に役立っている点で、合目的的だといわれる。この生命現象の合目的性は今日に到るまで生物学の研究において欠かすことのできない事柄であろう。合目的性は、確かに偶々生じることもありうる。しかし、生命現象の合目的性は恒常的であり、偶然によるものでない。一定の合目的的な形(形相)が内在しており、生命現象はそれに従っているのである。アリストテレスは、こうした生命現象の合目的性を研究の起点とする。つまり、生命現象に合目的性(形相)を授けている原因(始動因)と、合目的性(形相)の実現に必要となっている素材(質料因)とを探求するのである。ここに目的論的と呼ばれる彼の生物学の基本的枠組みがある[1]。
http://barbara.fc2web.com/biol/tnsf.htm

2:52 午前  
Blogger yoji said...

40 一種の共通感としての趣味について

共通感覚 コモンセンス
アーレントが引用している

「要するにかかる共通感覚は一種の判定能力──換言すれば、その反省において他のすべての人の表象の仕方を考えのなかで(ア・プリオリに)顧慮する能力なのである。」



アーレントは1954年の論考「理解と政治」のなかで、次のように書いている。

体主義の独創性の恐るべきところは、......その行為そのものが私たちの一切の伝統から断絶していることに
ある。それは明らかに私たちの政治思想のカテゴリーと道徳的判断の規準を吹き飛ばしてしまった。言い換え
れば、私たちが理解しようと務めている──務めなければならない──まさにその出来事、その現象が、理解
のための伝統的な手立てを私たちから奪ってしまったのである。(17)

判断についての彼女の思索の出発点はここにあるといえるだろう



http://www14.ocn.ne.jp/~sthsmt66/zpdf/2007_kantou_rejume.pdf
共通感覚について最初に言及したのは、アリストテレスであった。彼は『霊魂論(デ・アニマ)』の
なかで、
固有の感覚器官に帰属せず、五感を貫く共通の属性を感受する能力として、「共通感覚」(コイネ・ア
イステーシス)を論じている。五感はそれぞれ独立に作用するが、一つの対象が複数の異なる感覚を
もたらす際に(たとえば白くかつ
..
甘いものを感覚する場合)、われわれは個々の感覚が単なる感覚の束
としてではなく、それらが同時に一つの対象にかかわっているという同一性の感覚を感受する。そこ
でいわれる共通感覚とは、複数の感覚が「一つの対象」に備わる性質だと判別するための、五感の統
合機能をあらわしている

11





カントは「共通感覚とは、他のすべての人々のことを顧慮し、他者の立場に自己をおく立場のことである」
http://1000ya.isis.ne.jp/0792.html


 アーレントは、遺稿『精神の生活』(1978年、岩波書店、1994年)を3巻に分け、それぞれを三批判書のタイトルになぞらえて「思考」「意志」「判断力」と題したが、政治哲学と関連が深いはずの「判断力」論は1行も手をつけないまま生涯を閉じた。『カント政治哲学の講義』(1982年、法政大学出版局、1987年)によれば、美的判断力、共通感覚の理論を政治哲学に生かそうと試みているが、アーレントもまた、ショペンハウエルやヘーゲルと同様、『判断力批判』の位置づけに、理解しがたい点を見出したのかも知れない。
http://homepage2.nifty.com/teiyu/idea/in_0607.html



Immanuel Kant, Kritik der Urteilskraft,1790,p
.XXVI.(以下KUと略記。邦訳は篠田英雄訳『判断力批
判』岩波書店,1964.に依拠している。)
(6)Ibid., §40.

アーレントは判断を政治・道徳領域にかかわる精神活動、つまり「善悪の問題、正不正を区別する
能力」だとしている

3

。判断を論ずる彼女の議論の特徴は、何よりもまず、カントの第三批判である
『判断力批判』を、カントのもっとも優れた(しかし彼自身は意図せざる)政治哲学として位置づけ
たところにあるだろう。通常の解釈では、善悪の区別をあつかった道徳哲学とみなされるのは『実践
理性批判』の方である。しかしアーレントは論理的推論に盲従する定言命法をしりぞけ、趣味にかか
わる美学的判断こそが「人間の事象」の判定にふさわしい判断様式だと考えた。判断をめぐる彼女の
考察は、カン


55 回関東社会学会大会自由報告
(2007.6.16 於筑波大学)
第 1 部会配布用レジメ
ハンナ・アーレントにおける共通感覚論をめぐって
報告者:橋本摂子(東京工業大学)
【要旨】
古来から共通感覚(
sensus communis
)は、二つの位相において語られてきた。一つには五感に共通し、五感を
統合する見えない内的な感覚(=第六感)として、二つには人々に共通し、人々が共有する外的な感覚(=常識)
としてである。周知のように、カントは共通感覚を美的判断の根拠として規定した。本来、美の判定は個々人の
趣味にもとづく。にもかかわらず、美とは単なる主観の域を超えて人々に共有される社会的な現象である。カン
トは、趣味判断に他者からの同意を求められるのは、あらゆる主観に共有される美についての感覚、つまり共通
感覚が存在するためだと考えた。
アーレントは、カントによる美的判断が正不正の判断に拡張できると考えた。それはしばしばアーレントをア
リストテレス主義に結びつけてきたが、彼女はたとえばフロネーシスのような共同体感覚によって正不正が規定
されると考えたのではない。というのも、彼女は共通感覚を単に正不正の規準としたのではなく、美しさや正し
さよりもはるかに根源的な、世界の実在性(リアリティ)についての感覚だとみなしているためである。
アーレントにおいて共通感覚の存在根拠は、人間の認識能力の同一性ではなく、われわれが複数の人々と同じ
世界を共有しているという世界の同一性に見出される。人間の「複数性」と呼ばれるその事実は、いっさいの伝
統から断絶した現在において、公的世界を築いていくための唯一所与の真理として、アーレント政治思想の中心
に位置している。
1
.ハンナ・
アーレントの判断論
アーレントの著作の中で、「判断」という主題が明示的にあらわれはじめるのは比較的遅く、主著と
される『全体主義の起源』『人間の条件』が執筆されて以降である

12:17 午前  
Blogger yoji said...


1

。その後晩年に至るまで、「判断」
は彼女の中心テーマの一つでありつづけた。遺著となった『精神の生活』は、当初「思考」「意志」
「判
断」の3部作として構想されていたものだが、「意志」篇が書かれた直後、アーレントの突然の死によ
って執筆は中断される。死後に公刊された『カント政治哲学の講義』は、うしなわれた最後の「判断」
篇を再現しようとする試みの一環として、アーレントが生前におこなった大学でのセミナーの講義録
を編集したものである

2


アーレントは判断を政治・道徳領域にかかわる精神活動、つまり「善悪の問題、正不正を区別する
能力」だとしている

3

。判断を論ずる彼女の議論の特徴は、何よりもまず、カントの第三批判である
『判断力批判』を、カントのもっとも優れた(しかし彼自身は意図せざる)政治哲学として位置づけ
たところにあるだろう。通常の解釈では、善悪の区別をあつかった道徳哲学とみなされるのは『実践
理性批判』の方である。しかしアーレントは論理的推論に盲従する定言命法をしりぞけ、趣味にかか
わる美学的判断こそが「人間の事象」の判定にふさわしい判断様式だと考えた。判断をめぐる彼女の
考察は、カントの美学的判断を公的領域にかかわる政治的営為と捉えなおす過程で構築されていった
といえる。
ここで簡単に、カントによる趣味判断の概略を素描しておこう。カントによれば、判断力とは「特
殊を普遍のもとに含まれているものとして考える能力」を意味するが、判断一般はさらに規定的判断
と反省的判断の二つの形式にわけられる(4)
。規定的判断力とは、普遍的な法則があらかじめ与えられ
ているときに、特殊を普遍のもとに包摂する能力である。それに対し反省的判断力とは、規定的判断
とは逆に、悟性にとっては多様で偶然的な特殊だけが与えられた状況において、それらを一つの体系


へと統一しうる普遍法則を遡及的に見出す能力である。つまり反省的判断とは、特殊から普遍へとさ
かのぼり
、先験的な自然法則が「あるかのように」個別の事例を判定する判断様式をあらわす。
カントは『判断力批判』の「美学的判断力の分析論」において、美の判定に関する判断が、この反
省的判断の様式にしたがう判断であることを示した。カントによれば、美の判断は主観的な趣味判断
である。したがって、ある対象を美とする判定を強要できる普遍法則は存在しない。そのため、美学
的判断は、実践理性による道徳判断のように他の人々に同意を強制(命令)することはできない。し
かしカントは、人は自らの美の判定が妥当性をもつことについて、すべての他者に同意を要請
..
するこ
とがア・プリオリに可能であると考えた。なぜなら美しさは主観的でありながらも、その成立要件に
は、つねに主観を超えた妥当性が含まれるためである。カント曰く、「もしその物が、彼に対してだけ
快いものなら、彼はそれを美と呼んではならない」

5

。つまり美とは、一切の個人的な関心から離れた
場所で、複数の人々に共有されて初めて「美」たりうるような、本来的に公共的
...
な性格をもつ現象な
のである。
では、そのような美的判断に対する妥当性要求の可能性は、何によってア・プリオリに保証するさ
れるのか。それこそが、カントが「共通感覚(
sensus communis

」と呼ぶ感覚の存在である

6

。客観的
な法則をもたない美学的判断が、単なる主観を超えて他者から同意を要求する権能をもつためには、
美の判定(=悟性と構想力の調和)において、何が快い感情なのか、あらかじめ各人に個別に共有さ
れていなければならない。さらに、そのような普遍的かつ個別的に共有された美への適意を見極める
には、各人はあらゆる偶然的・個人的条件を想像力によって超出し、利害の介在しない距離から公平
不偏な判断をくださねばならない

7

。閉じられた主観を脱し、自分以外のあらゆる他者の立場を顧慮
することによってはじめて、より広く他者の同意に与りうる「趣味の良い」判断が可能になるのであ
る。つまり、ここで言われる共通感覚とは、美の判定の(不可視の)原理であると同時に、どれだけ
その原理を適正に使用することができるかについての判定能力をも意味している
(8)


4)Immanuel Kant, Kritik der Urteilskraft,1790,p
.XXVI.(以下KUと略記。邦訳は篠田英雄訳『判断力批
判』岩波書店,1964.に依拠している。)
(5)Ibid., p.19.
(6)Ibid., §40.
(7)Ibid., p.159-60.
(8)Ibid., p.157
.「要するにかかる共通感覚は一種の判定能力──換言すれば、その反省において他のすべての人の表象の仕方を考えのなかで(ア・プリオリに)顧慮する能力なのである。」


第55 回関東社会学会大会自由報告
(2007.6.16 於筑波大学)
第 1 部会配布用レジメ
ハンナ・アーレントにおける共通感覚論をめぐって
報告者:橋本摂子(東京工業大学)

12:18 午前  
Blogger yoji said...

定本『トランスリティーク』柄谷行人333−6頁より

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

  それだから自然の崇高に関する適意は、消極的な適意でしかない(美に関する適意は積極的で
 あるが)、即ち構想力が自分自身の自由をみずから奪うという感情である、その場合に構想力は、
 経験的使用の法則とは異なる法則に従って合目的に規定されるからである。とは言えこれによっ
 て構想力は、自分か犠牲に供したところのものよりも大きな拡張と威力とを得るのであるが、し
 かしかかるものの根拠は、構想力自身にすら隠されているのである。(『判断力批判』上、同前)
                                   岩波文庫上188頁

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。


 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。

しかし、資本の
蓄績のたえまない連動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきである。

8:36 午前  
Blogger yoji said...

http://1000ya.isis.ne.jp/1250.html
 では、こんなところでバークの政治思想のほうを粗略ながら瞥見したことにして、ふたたび『崇高と美の観念の起源』に戻ることにする。それにしても、これはまことに示唆に富む一冊だったのである。懐かしい思いを蘇らせつつ、おいしいところだけを案内したい。
 本書が近代の「美学の発端」に位置していたことは、最初にのべた。それは「感性学」の出発だった。そこで本書は冒頭で「趣味」(taste)をとりあげる。なぜ、趣味をとりあげるのか。
 趣味というのは、もともとは味覚を意味するギリシア語やラテン語から生じた概念で、そこから味覚のように取り出せない内的感覚にもとづく傾向をもった感性の動向のことをさすようになった。したがって、バークも書いていることだが、趣味の発生はそれがどこに起因したかわからないような「好奇心」や「好み」にもとづいている。しかし、好奇心や好みにもとづくのだとしても、それによって趣味はどうして成長していくのかといえば、ここからがバークの推理が独得におもしろくなるところで、趣味を成立させるのはたんなる内的感覚なのではなくて、想像力と判断力が複合しているものだとみなすのである。
 この想像力の本体は「類似」なのである。また判断力の正体は「差異」なのだ。バークは「類似」と「差異」とが互いに相克し、その複合のぐあいから好みや趣味が生まれるとした。
 では、どんな複合のぐあいかというと、バークは趣味や好奇心はしだいにその人物のなかや民族のなかに進捗していくのだから、そこではきっと「類似」が「差異」に少しずつ勝って、おそらくは「模倣」(imitation)がおこっているのだろうとみなしたのだ。この見方はハンス・ゲオルグ・ガダマーの『真理と方法』(いずれ千夜千冊する)などにおける模倣への着目や、晩年のジル・ドゥルーズ(1082夜)が注目したガブリエル・タルドの『模倣の法則』(いずれ千夜千冊する)の推理などともきわめて重なるところもあって、はなはだ興味深いものがある。
 つまりバークは、類似は模倣を生み、模倣は「共感」(sympathy)の拡張になっていくとみなしたのである。そしてここから「美」の本来や「崇高」の確立に向かっていった。となると、共感はどうして生まれていくのかということが問題になる。

  
 「美」の発生や発育について、バークは驚くべき推理をほどこした。そのスタートには「目新しさ」か「曖昧さ」かが関与しているだろうと言うのだ。これが趣味や共感の端緒なのだ。ホメーロス(999夜)からジョン・ミルトンにおよぶ詩にヒントを得たものだった。
 そして、その趣味と共感の端緒には「注意」が生じていて、そこからいよいよ感性というものが「美」や「崇高」に向かうというのだった。今日の認知科学や編集工学に照らしても、遜色がない見解だ。しかし、ここまではまだ序の口なのである。バークが追求した「美」の本体は、もっと驚くべきものだった。それは「小ささ」や「僅かさ」から生じるものだったのである。まるで『枕草子』(419夜)なのである!
 次に、この「小ささ」や「僅かさ」は、これまたすばらしい概念であるけれど、そして当然のことでもあろうけれど、「繊細」(delicacy)と結びつく。この「繊細」は、どのように見分けられるかというと、その対象物の「構成部分が多様に変化すること」で保証される。細部に注意のカーソルが動くのだ。まことに感嘆すべき説明だ。しかもバークはさらに説明を加えて、「繊細」はもっといえば「これらの部分が互いに他と、いわば融合している」ということによって成立するという。それだけではない。このように「繊細な構造を有し、力強さの外見があらわでないこと」が、このことこそが「美」を生ぜしめる条件になっていくというふうに、説明した。
 まことにもって、あっぱれな見方だというほかはない。しかもこれらを総じて「もっともらしさ」(specious)と名付けたのだ。「らしさ」とは、これだったのだ! そして、それが「美」が“fine”である根拠になっていくだろうと結論づけたのだ。いやいや、とんでもないバーク28歳の著作だった。

  
 さて、そこでいよいよ「崇高」(sublime)である。この概念はのちにカントが大いに称揚するところとなったもので、うっかりするとカントの考え方とまざって解説されることが多いのだが、今夜は厳密にエドマンド・バークが推理した「崇高」だけをとりあげる。端的にいうと、こういうことなのだ。
 崇高とは「高さ」なのである。これがまず前提になる。実は崇高という概念は、3世紀にロンギノスという詩人が書いた『崇高論』(Perihypous)という謎の書物があって(実際には1世紀の作者不詳の書物)、そこでは修辞学上の“文体の高さ”などが「崇高」として絶賛されていた。しかしバークはこれを修辞学からいったん解放して、美の概念の究極にもってきた。
 では「高さ」とは何かといえば、そこからのべつまくなしというわけではないけれど、それに似たような「継起」が連続的に次々におこることに応じて生ずる、感性や感動の高揚のことをいう。ここまでは誰しも見当がつくだろう。ようするにわが国の“歌論”にいう「長高き体」(ながたかきてい)なのだ。「有心」や「幽玄」だ。
 が、バークはこの「高さ」すなわち「崇高」は、必ずや驚愕や共感や敬意を呼ぶのだから、そこにはいくつもの条件が参集しているのだろうと見た。ここが日本の歌論とちがって、分析的なところなのだ。その条件というのが、またまたすばらしい。第1には「曖昧」がもたらす不安な印象であり、第2には古代ローマの詩人ウェリギリウスが巧みにそのことを表現してみせた「欠如」であって、そして第3には至上や壮麗を突き動かす「闇のような力」なのである。

6:21 午前  
Blogger yoji said...

 これはそうとうに意外であろう。まさかバークがこのように崇高の条件を「負」の領域から持ち出しているとは、予想できなかったのではあるまいか。「曖昧」と「欠如」と「闇」なのだ。それが崇高に参集する条件たちなのだ。が、これこそがエドマンド・バークの真骨頂なのだ。バークの崇高とは、そうなのだ、実は「恐怖」の本体とまじわっているものなのである! 
 こう、書いている。「恐るべき対象物とかかわりあって恐怖に類似した仕方で作用するものは、何によらず崇高の源泉であり、それゆえに心が感じうる最も強力な情緒を生み出すものにほかならない」。また、こうも書いた。「恐怖をひきおこす性質をそなえたものは、何によらず崇高の基礎となる」。

  
 崇高が恐怖と紙一重になっているというバークの美学は、きわめて独得である。特異でもあろう。にわかには理解しがたいかもしれない。
 しかしよくよく考えてほしいのだが、その恐怖というのは、対象から感じられる「曖昧」「欠如」「闇」がもたらすもので、そうであればこそ、そこから崇高がすっくと屹立するわけなのである。ウィリアム・ターナー(1221夜)の絵を思い浮かべてもらえばいいだろう。それはいいかえれば、先に指摘しておいた「美」の本体である「小ささ」「僅か」「繊細」の相対作用そのものだったのだ。
 わかってもらえるだろうか。バークの美学は崇高と恐怖がネガポジであり、原型と模倣が「抜き型」で、そこには「小ささ」「僅か」「繊細」の回転扉が動いていたわけなのだ。そのきわどい相対性が感情の高揚をもたらし、「美」を感得させるということだったのだ。
 バークはむろん、ネガポジとか抜き型とか回転扉などとは言ってはいない。それを「連合」というふうに言っている。ただその連合は「振動」をともなうとか、その振動は「同質」だろうというふうに言う。それで十分だろう。いや、よくぞそこまで説明しているではないか。
 そのため、バークはわざわざ「適合性は美にはならない」とまで言ってのけた。さらには「均斉は美ではない」とさえ念を押した。古代ギリシアのプロポーションや、現代のインダストリアルデザインの利便性や機能性は、はなっからバークのお呼びではなかったのである。やはりバークはバロックの申し子だったのだ。
 本書の終わり近く、バークは「黒色」の魅力を持ち出している。そして「黒色は局部的暗闇である」と書く。バークはこのようなことを持ち出して、いったい何を説明したいのかというと、暗闇や黒色はわれわれを不安にはこぶけれど、そのような不安や欠如を感じられるということが、われわれに崇高の深さや高さを刻印しているのだと言いたいわけなのである。
 まったくもってよくぞよくぞ、ここまで書いたものだ。してやったり、エドマンド・バークだ。たいしたもんだ、「負の崇高」。
 しかしながら、これは冒頭にも示しておいたように、「美学」の歴史の発端でもあったのだ。その後の美学の成果がどのように変遷していったのかは、これも最初にも書いたようにバークの仮説を紛らわせてしまったところが、少なくなかった。では、いったい美学って何なのかということである。いずれ機会をあらめて、エステを総浚いしてみたい。たとえばカント、たとえばガダマー、たとえばアドルノ‥‥。


ブリストルのバーグ像

附記:バークの著作物はだいたい翻訳されている。『エドマンド・バーク著作集』(みすず書房)、「世界の名著」第41巻(中央公論社)などを見られるといい。『フランス革命についての省察』は中公のほうに全文が収録されている。バークその人については、中野好之『評伝バーク』(みすず書房)が主としてアメリカ独立戦争期を中心にまとめている。政治思想については、岸本広司『バーク政治思想の展開』(御茶の水書房)が圧倒的だ。800ページをこえる。そのほか美学関係の詳しい本ならば、たいていバークが“歴史的”に登場するが、バークを詳しく扱っているものはかなり少ない。美学はやはりカント以降なのである。そしてヘーゲルなのである。とりあえず佐々木健一の『美学辞典』(東京大学出版会)と今道友信監修の『講座・美学』全5巻(東京大学出版会)を、入門書としてお薦めしておく。
  
追記:たいへんうっかりしていた。この文章を書いた直後、ぼくは桑島秀樹の『崇高の美学』という本が講談社選書メチエから刊行されていたことを知った。奥付は20008年5月10日になっているから、発売されてから約2ヵ月たっている。近くの本屋になかったのでさっそく取り寄せたところ、これは凄い。この38歳の著者は大阪大学文学部で学問に勤しんだ当初からバークに関心をもったようなのだ。いまは広島大学総合科学研究科の准教授である。
 ざっと目を通してみて、これは日本で唯一のバーク論になっていることが瞭然とした。むろんカントのことも詳しいが、なんといってもバークの崇高論を適確に、かつ深く捉えていると見受けた。いずれ紹介したい。そうでないと、ぼくの上記のバーク案内ではあまりにも舌足らずなのだ(もともとカントを省いていたので、それについてはいずれ書こうとは思っていたが)。また、著者が「石」と「ヒロシマ」に言及していることにも心が動いた。そこにはなんと井上ひさしの『父と暮らせば』もとりあげられている。この芝居(映画は黒木和雄監督で原田芳雄・宮沢りえ主演)は、1ヵ月前に見たばかりなのである。そのことについても、そのとき触れたい。7月5日の「連塾」で井上ひさしさんと話したことを含めて。

6:21 午前  
Blogger yoji said...

 この想像力の本体は「類似」なのである。また判断力の正体は「差異」なのだ。バークは「類似」と「差異」とが互いに相克し、その複合のぐあいから好みや趣味が生まれるとした。
 では、どんな複合のぐあいかというと、バークは趣味や好奇心はしだいにその人物のなかや民族のなかに進捗していくのだから、そこではきっと「類似」が「差異」に少しずつ勝って、おそらくは「模倣」(imitation)がおこっているのだろうとみなしたのだ。この見方はハンス・ゲオルグ・ガダマーの『真理と方法』(いずれ千夜千冊する)などにおける模倣への着目や、晩年のジル・ドゥルーズ(1082夜)が注目したガブリエル・タルドの『模倣の法則』(いずれ千夜千冊する)の推理などともきわめて重なるところもあって、はなはだ興味深いものがある。
 つまりバークは、類似は模倣を生み、模倣は「共感」(sympathy)の拡張になっていくとみなしたのである。そしてここから「美」の本来や「崇高」の確立に向かっていった。となると、共感はどうして生まれていくのかということが問題になる。

6:31 午前  
Blogger yoji said...


2011-05-01 02:36:29
『判断力批判』第1部第2篇55
感覚の自由な遊び。
賭事遊び(一種の関心を必要とする)、音調の遊び(音楽。感覚の交替を必要とし、美学的理念を喚びおこす)、思惟の遊び(機知。表象の交替から生じ、心を生き生きさせる)http://twitter.com/miniaturebook/statuses/64518523426312192

2011-05-01 07:22:23
『判断力批判』第1部第2篇56
趣味のアンチノミー
正命題:趣味判断は概念に基づかない。もし基づくと、趣味判断は証明により決定されうることになるから。
反対命題:趣味判断は概念に基づく。もし基づかないと、我々の判断への必然的な同意を他人に要求できなくなるから。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/64590472110284800

2011-05-01 09:53:28
『判断力批判』第1部第2篇57
趣味のアンチノミーの解決
趣味判断はなんらかの概念に関係せねばならないが、一定の概念にもとづいて証明されうるものではなく、不定の概念である。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/64628494625280000

2011-05-02 23:35:56
『判断力批判』第1部第2篇57 注1
美学的理念:主観的原理に従って直観に関係される理念。概念的に表示できない構想力の表象。
理性理念:客観的原理に従って概念に関係される理念。直感的に証示できない理性概念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65197864564965376

2011-05-03 01:14:03
『判断力批判』第1部第2篇57 注2
純粋理性の3種の認識能力、アンチノミー、理念を順に列挙する。
1 悟性。認識能力に対しては無条件者にまで及ぶ悟性の理論的使用に関する理性のアンチノミー。
自然の基体としての超感性的なもの一般の理念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65222553114918913

2011-05-03 01:14:23
『判断力批判』第1部第2篇57 注2(続き1)
2 判断力。快・不快の感情に対しては判断力の美学的使用に関する理性のアンチノミー。
判断力に対する自然の主観的合目的性の原理としての超感性的なものの理念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65222639471431681

2011-05-03 01:14:48
『判断力批判』第1部第2篇57 注2(続き2)
3 (実践)理性。欲求能力に対してはそれ自体立法的な理性の実践的使用に関するアンチノミー。
自由の目的の原理および道徳的なものにおける自由とかかる目的との一致の原理としての超感性的なものの理念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65222742835855360

2011-05-03 02:14:24
『判断力批判』第1部第2篇58
自然・美における合目的性の観念論(ア・プリオリな根拠に基づいて判断すること)は、美の判定において判定のア・プリオリな基準を我々自身のうちに求めること及び美学的判断力は美の判断に関して立法的であることを証明する。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65237742405160960

2011-05-03 13:52:35
『判断力批判』第1部第2篇59
感覚的表示の仕方。
1 図式的:概念の直接的表示を直観的証示によって行なう。
2 象徴的:概念の間接的表示を類比(経験的直観を含む)を用いて行なう。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413447659159552

2011-05-03 13:53:03
『判断力批判』第1部第2篇59(続き1)
「美は道徳的善の象徴である」
美と道徳の比較。
1美は直接に快いものである。道徳は概念によって快い。
2美は一切の関心にかかわりなく快いものである。道徳的善はある種の関心と必然的に結びついている。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413563925274624

2011-05-03 13:53:23
『判断力批判』第1部第2篇59(続き2)
3構想力の自由は美の判定で悟性の合法則性と一致、調和すると考えられる。
意志の自由は道徳的判断で意志が理性の普遍的法則に従って自分自身と一致すると考えられる。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413645689032704

2011-05-03 13:53:48
『判断力批判』第1部第2篇59(続き3)
4美を判定する主観的原理は普遍的なものと考えられるが、普遍的概念によって表示され得ない。
道徳的判断は格律(主観的原理)の根拠を構成的原理とその普遍性に求めることによって可能となる。
※第1部美学的判断力の批判の実質的なまとめの節。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413752190808064

2011-05-05 02:20:05
『判断力批判(下)』読了。
第2部は第1部とは変わり、自然、目的論、神について語られる。
『実践理性批判』では「神の要請」だったのが、「神の存在の道徳的証明」となり、神、心の不死、自由をめぐる(カントの考える)形而上学の課題をまとめて解く。
うーん。こう解くのか。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65963947081211904

2011-05-06 12:05:13
『判断力批判』第1部第2篇60
予備的なものとして学より前にある純粋理性や実践理性への批判とは異なり、趣味の予備的訓練は道徳的理念の開展、道徳的感情の涵養のためにある。
感情が道徳的感情と一致させられる場合に、真正の趣味は一定不変の形式を帯びることができる。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/66473588357738496

2011-05-06 12:44:18
『判断力批判』を1790年に著したカントが、1794年に現れ突然消えた写楽をもしも知っていたら?
役者絵のブロマイド的販売→報酬のための仕事
木版画、肉筆絵画→造形芸術
人間の個性・表情を大胆に描く→≠自然美
せいぜいこんなところか、うーん。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/66483423635701760

僕のツイッター「哲学書読みの哲学知らず」からカント『判断力批判』第1部第2篇に関するツイートをまとめました。
投稿時間がどうもおかしいようですが、おおよその日付と投稿間隔がわかるので入れておきました。


http://tetsugakusya2.blog38.fc2.com/?mode=m&no=16



5:21 午前  
Blogger yoji said...


http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/02/gr/cg/greenberg02.html
岡崎 そうですね。クレメント・グリンバーグでも、あるいは藤枝晃雄さんでも、肝心なところで、絵画を描くだけで絵画はのりこえられるとか、平面でありながら平面でないとか、わけのわからない反語形を言い出すところで、残念なことに小林秀雄になってしまうんですね。なんて理念をふりまわし始めたら、せっかくの本邦唯一の読むに堪える形式批評も台無しですよ。ただの判断基準なき趣味判断になってしまう。自分だけが特権的にその見えざる理念をにぎっていると主張しているにすぎなくなってしまうわけですから。

柄谷 それはもともとロマン派(シュレーゲル)にあったような事柄ですね。カントがそういうことを背理として指摘していたけれども。

浅田 カントは、美学的判断は主観的であるにもかかわらず原理上はいかなる人にも普遍的に妥当することを要求するという、ほとんどむちゃくちゃなことを言っている。

柄谷 ロマン派はそれをつなぐのがイロニーだと言う。

浅田 グリンバーグのような目ききとその追随者たちとか、小林秀雄とか、そういう特権的な人がけが見られるものだとすれば、それはではないんです。とにかく、日本のグリンバーギアンの不思議なところは、きわめてドグマティックな個人崇拝になっているところでしょう。岡崎さんとの往復書簡(『読売新聞』一九九〇年三月二十日夕刊)で藤枝晃雄が書いていたのは、磯崎新は、理論的にはともあれ、卑俗なポストモダニストたちとは区別して評価しなければならない、なぜなら、彼の設計したロサンジェルス現代美術館で講演をしてきたグリンバーグが、建築を認めこそすれ批判しなかったから、と(笑)。これはモダニズムどころかプレモダンそのものでしょう。

岡崎 どういうわけかわからないけれど、この私にだけ見えちゃったっていう人がいるわけね。あるいはそれによって事後的に私という主体性を支えている、そういう話になっちゃう。本人は、私が、とは主張していない。受動的であるかのように装ってしまう。

磯崎 それはいたって日本的なレトリックじゃないの。

岡崎 かもしれないけれど、ドナルド・ジャッドだってほとんど同じレトリックだから。

柄谷 小林秀雄の有名な言葉で、「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」というのがある。しかし「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう。ぼくは「花」なんて見たことがない(笑)。「この花」と言っても、結局は概念から逃れられない。ものを書くなら、そこで勝負するほかない。とにかく概念がいやなら、いっさい物を言わないことだね。「美はひとを沈黙させる」なんてことも、書くべきではない。

浅田 小林秀雄で言うと、私といまここの美しい「花」(あるいはランボーでもモーツァルトでも)との特権的な出会いというトポスがあって、とにかくそれをバーンと出せばみんな平伏するしかない、と。磯崎さんも「見えない制度」で言われるように、その安っぽいトリックをもっとも鮮烈に批判したのは高橋悠治でしょう。

  2-2 浅田彰「忘却の淵を超えて―上田高弘氏に答える」 『批評空間』 No.10 1993年 福武書店 pp.40

   ●「モダニズムのハード・コア」
"・・・われわれは、アメリカにおけるクレメント・グリンバーグのようなモダニズムの正統を代表する批評家が日本にはおらず、モダニズムのハード・コアをディコンストラクトすべきポストモダニズムが表面的に空回りしてしまったのはそのせいであるかもしれない、と述べた。上田氏によれば、ここには「作為的」な「黙殺」がある。上田氏が「私淑している」ことを隠さない藤枝晃雄という「真正なモダニスト」が日本にいるにもかかわらず、われわれはその名をあげていない、というのである。しかし、それを言うなら、われわれが他の誰の名をあげているだろうか。"

10:18 午後  
Blogger yoji said...

https://www.facebook.com/sports.instructor.support/posts/660770013945854
 過剰に接続され、すべての情報が一瞬で検索されてしまう万能のシステムに見えながら、一瞬で壊れてしまう
かもしれない脆弱(ぜいじゃく)性を抱えている。

10:34 午後  
Blogger yoji said...

https://www.facebook.com/sports.instructor.support/posts/660770013945854
 過剰に接続され、すべての情報が一瞬で検索されてしまう万能のシステムに見えながら、
一瞬で壊れてしまうかもしれない脆弱(ぜいじゃく)性を抱えている。

10:34 午後  
Blogger yoji said...

9
原注三 純粋哲学におけるわたくしの区分がほとんどいつも三分法的となることを人々は気づかわしく思っている。しかしこれは事柄の性質にあることなのである。およそ区分が先天的に行なわれるべきものとすれば、それは矛盾律にしたがって分析的となるか、──そのとき区分は常に二分法的となる(quodlibet ens est aut A aut non A. およそいかなるものも、Aでなければ、非Aである)──それとも総合的であるかであろう。そして後者の場合に区分が先天的概念からなされるべきであるならば(数学においてのように概念に対応する先天的直観からなされるべきではなくて)、総合的統一一般にとって必要とせられるもの、すなわち(一)制約(二)制約されたもの(三)制約されたものとその制約との結合から生まれる概念、にしたがって、その区分は必然的に三分法でなければならない。

6:25 午前  
Blogger yoji said...


9 判断力による悟性の立法と理性の立法との結合について  

原注三 純粋哲学におけるわたくしの区分がほとんどいつも三分法的となることを人々は気づかわしく思っている。しかしこれは事柄の性質にあることなのである。およそ区分が先天的に行なわれるべきものとすれば、それは矛盾律にしたがって分析的となるか、──そのとき区分は常に二分法的となる(quodlibet ens est aut A aut non A. およそいかなるものも、Aでなければ、非Aである)──それとも総合的であるかであろう。そして後者の場合に区分が先天的概念からなされるべきであるならば(数学においてのように概念に対応する先天的直観からなされるべきではなくて)、総合的統一一般にとって必要とせられるもの、すなわち(一)制約(二)制約されたもの(三)制約されたものとその制約との結合から生まれる概念、にしたがって、その区分は必然的に三分法でなければならない。

6:27 午前  
Blogger yoji said...

カントによれば、美の判断は主観的な趣味判断である。したがって、ある対象を美と
する判定を強要できる普遍法則は存在しない。そのため、美学的判断は、実践理性
による道徳判断のように他の人々に同意を強制(命令)することはできない。しかし
カントは、人は自らの美の判定が妥当性をもつことについて、すべての他者に同意を
要請することがア・プリオリに可能であると考えた。なぜなら美しさは主観的でありなが
らも、その成立要件には、つねに主観を超えた妥当性が含まれるためである。カント曰
く、「もしその物が、彼に対してだけ快いものなら、彼はそれを美と呼んではならない」。
つまり美とは、一切の個人的な関心から離れた場所で、複数の人々に共有されて初めて
「美」たりうるような、本来的に公共的な性格をもつ現象なのである。
では、そのような美的判断に対する妥当性要求の可能性は、何によってア・プリオリに
保証するされるのか。それこそが、カントが「共通感覚(sensus communis)」と呼ぶ感覚の
存在である。客観的な法則をもたない美学的判断が、単なる主観を超えて他者から同意を
要求する権能をもつためには、美の判定(=悟性と構想力の調和)において、何が快い
感情なのか、あらかじめ各人に個別に共有されていなければならない。さらに、そのような普遍的かつ個別的に共有された美への適意を見極めるには、各人はあらゆる偶然的・個人的
条件を想像力によって超出し、利害の介在しない距離から公平不偏な判断をくださねばな
らない。閉じられた主観を脱し、自分以外のあらゆる他者の立場を顧慮することによっては
じめて、より広く他者の同意に与りうる「趣味の良い」判断が可能になるのである。つまり、
ここで言われる共通感覚とは、美の判定の(不可視の)原理であると同時に、どれだけ
その原理を適正に使用することができるかについての判定能力をも意味している。

7:26 午前  
Blogger yoji said...

定本『トランスリティーク』柄谷行人335~6頁より

…カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

  それだから自然の崇高に関する適意は、消極的な適意でしかない(美に関する適意は積極的で
 あるが)、即ち構想力が自分自身の自由をみずから奪うという感情である、その場合に構想力は、
 経験的使用の法則とは異なる法則に従って合目的に規定されるからである。とは言えこれによっ
 て構想力は、自分か犠牲に供したところのものよりも大きな拡張と威力とを得るのであるが、し
 かしかかるものの根拠は、構想力自身にすら隠されているのである。(『判断力批判』上、同前)
                                   岩波文庫上188頁

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。

 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。

しかし、資本の 蓄績のたえまない連動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきである。

7:36 午前  
Blogger yoji said...

定本『トランスリティーク』柄谷行人334~6頁より

…カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

  それだから自然の崇高に関する適意は、消極的な適意でしかない(美に関する適意は積極的で
 あるが)、即ち構想力が自分自身の自由をみずから奪うという感情である、その場合に構想力は、
 経験的使用の法則とは異なる法則に従って合目的に規定されるからである。とは言えこれによっ
 て構想力は、自分か犠牲に供したところのものよりも大きな拡張と威力とを得るのであるが、し
 かしかかるものの根拠は、構想力自身にすら隠されているのである。(『判断力批判』上、同前)
                                   岩波文庫上188頁

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。

 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。

しかし、資本の 蓄績のたえまない連動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれ
らの「彼岸」に ある活動(死の欲動)として見られるべきである。

7:47 午前  
Blogger yoji said...

色彩論 (ちくま学芸文庫) Kindle版
ゲーテ (著), 木村直司 (編集)
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カントの判断…


そうこうしているうちに 『判断力批判 』が手に入り 、そのおかげで私は最高に楽しい生涯の一時期を過ごすことができた 。ここで私は 、自分の種々雑多な研究が整然と並べられ 、芸術の所産と自然の産物が同等に取り扱われているのを見た 。美的判断力と目的論的判断力は互いに照らし合っていたのである 。私のものの見方では必ずしもつねに著者についていくことはできず 、ところどころ何かが不足しているように思われたにせよ 、この著作の偉大な根本思想は私のこれまでの創作 、活動および思索とまったく類似していた 。芸術ならびに自然の内的生命 、両者の内面からの相互作用はこの書物の中ではっきり言い表わされていた 。これら二つの無限な世界の産物はほんらいそれ自身のために存在すべきであり 、並び合って存立するものも 、互いに相対しているのではあっても 、意図的に相互のためにあるのではなかった 。目的因に対する私の反感 〔 * 1 0 〕はいまや規制を受け正当化された 。私は目的と作用の結果をはっきり区別すること

11:22 午後
Blogger yoji said...
 そうこうしているうちに 『判断力批判 』が手に入り 、そのおかげで私は最高に楽しい生涯の一時期を過ごすことができた 。ここで私は 、自分の種々雑多な研究が整然と並べられ 、芸術の所産と自然の産物が同等に取り扱われているのを見た 。美的判断力と目的論的判断力は互いに照らし合っていたのである 。
 私のものの見方では必ずしもつねに著者についていくことはできず 、ところどころ何かが不足しているように思われたにせよ 、この著作の偉大な根本思想は私のこれまでの創作 、活動および思索とまったく類似していた 。芸術ならびに自然の内的生命 、両者の内面からの相互作用はこの書物の中ではっきり言い表わされていた 。これら二つの無限な世界の産物はほんらいそれ自身のために存在すべきであり 、並び合って存立するものも 、互いに相対しているのではあっても 、意図的に相互のためにあるのではなかった 。
 目的因に対する私の反感 〔 * 1 0 〕はいまや規制を受け正当化された 。私は目的と作用の結果をはっきり区別すること


ゲーテ
近代哲学の影響

 そうこうしているうちに 『判断力批判 』が手に入り 、そのおかげで私は最高に楽しい生涯の一時期を過ごすことができた 。ここで私は 、自分の種々雑多な研究が整然と並べられ 、芸術の所産と自然の産物が同等に取り扱われているのを見た 。美的判断力と目的論的判断力は互いに照らし合っていたのである 。
 私のものの見方では必ずしもつねに著者についていくことはできず 、ところどころ何かが不足しているように思われたにせよ 、この著作の偉大な根本思想は私のこれまでの創作 、活動および思索とまったく類似していた 。芸術ならびに自然の内的生命 、両者の内面からの相互作用はこの書物の中ではっきり言い表わされていた 。これら二つの無限な世界の産物はほんらいそれ自身のために存在すべきであり 、並び合って存立するものも 、互いに相対しているのではあっても 、意図的に相互のためにあるのではなかった 。
 目的因に対する私の反感 〔 * 1 0 〕はいまや規制を受け正当化された 。私は目的と作用の結果をはっきり区別すること


形式  衝動 内的欲求 強制力  力  能力  素材
            
             生命


形成衝動
 標題の重要問題においてなされたことについて 、カントは 『判断力批判 』の中で次のように言明している 〔 * 2 4 〕 。 「この個体新生説 〔 * 2 5 〕に関しては 、その証明のためおよびその真の適用原理の基礎づけのために 、またそのあまりに不当な使用を制限することによっても 、ブル ーメンバハ氏以上に寄与した人はいない 」



カント判断#81
この新成説の理論の証明についても、理論を適用する真正な原理を基礎づけることについても、宮中顧問官ブルーメンバッハ氏以上の功績を挙げた人はない(これは、一部はその原理のあまりにも越権的な使用を抑制することによってなされたのである)。氏は有機体の形成のあらゆる物理的説明の出発点を、有機的に組織された物質においている。〔379〕なぜならば、天然のままの物質が最初から機械的法則にしたがって形成されたとか、


四三 ブルーメンバッハ Blumenbach, Johann Friedrich(1752─1848). ドイツの自然科学者、近代人類学の祖、ゴータの生まれ、はじめ医学に志し、1769イェナ大学に入っ


熱心な活力論者であり、活力を 'Bildungstrieb' または 'Nisus formativus' の語で置きかえ、これを定義して、種々に組織されうる形成物質を多様にしかも合目的的に一定の形すなわち生体の形、あるいは器官の形に造り上げる力なりとした。ゲーテにも影響した。〔主著〕Handbuch der Naturgeschichte, 1779. Über den Bildungstrie


八一 自然目的が自然産物として説明される場合に機械的関係が目的原理に随伴することについて〔372〕

11:38 午後  
Blogger yoji said...

色彩論 (ちくま学芸文庫) Kindle版
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カントの判断…



ゲーテ
近代哲学の影響

 そうこうしているうちに 『判断力批判 』が手に入り 、そのおかげで私は最高に楽しい生涯の一時期を過ごすことができた 。ここで私は 、自分の種々雑多な研究が整然と並べられ 、芸術の所産と自然の産物が同等に取り扱われているのを見た 。美的判断力と目的論的判断力は互いに照らし合っていたのである 。
 私のものの見方では必ずしもつねに著者についていくことはできず 、ところどころ何かが不足しているように思われたにせよ 、この著作の偉大な根本思想は私のこれまでの創作 、活動および思索とまったく類似していた 。芸術ならびに自然の内的生命 、両者の内面からの相互作用はこの書物の中ではっきり言い表わされていた 。これら二つの無限な世界の産物はほんらいそれ自身のために存在すべきであり 、並び合って存立するものも 、互いに相対しているのではあっても 、意図的に相互のためにあるのではなかった 。
 目的因に対する私の反感 〔 * 1 0 〕はいまや規制を受け正当化された 。私は目的と作用の結果をはっきり区別すること


形式  衝動 内的欲求 強制力  力  能力  素材
            
             生命


形成衝動
 標題の重要問題においてなされたことについて 、カントは 『判断力批判 』の中で次のように言明している 〔 * 2 4 〕 。 「この個体新生説 〔 * 2 5 〕に関しては 、その証明のためおよびその真の適用原理の基礎づけのために 、またそのあまりに不当な使用を制限することによっても 、ブル ーメンバハ氏以上に寄与した人はいない 」



カント判断#81

八一 自然目的が自然産物として説明される場合に機械的関係が目的原理に随伴することについて〔372〕

この新成説の理論の証明についても、理論を適用する真正な原理を基礎づけることについても、宮中顧問官ブルーメンバッハ氏以上の功績を挙げた人はない(これは、一部はその原理のあまりにも越権的な使用を抑制することによってなされたのである)。氏は有機体の形成のあらゆる物理的説明の出発点を、有機的に組織された物質においている。〔379〕なぜならば、天然のままの物質が最初から機械的法則にしたがって形成されたとか、


四三 ブルーメンバッハ Blumenbach, Johann Friedrich(1752─1848). ドイツの自然科学者、近代人類学の祖、ゴータの生まれ、はじめ医学に志し、1769イェナ大学に入っ


熱心な活力論者であり、活力を 'Bildungstrieb' または 'Nisus formativus' の語で置きかえ、これを定義して、種々に組織されうる形成物質を多様にしかも合目的的に一定の形すなわち生体の形、あるいは器官の形に造り上げる力なりとした。ゲーテにも影響した。〔主著〕Handbuch der Naturgeschichte, 1779. Über den Bildungstrie

11:39 午後  

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