水曜日, 4月 10, 2019

ウォーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘」WARRENMOSLERSEVENDEADLYINNOCENT FRAUDS OF ECONOMIC POLICY


転載:サッチャー時代はこう見えた by ウォーレン・モズラー(2013年4月 10日)
https://nam-students.blogspot.com/2019/08/by-20134-10.html

参考:
THE TALE OF100 DOGS AND 95 BONES
https://nam-students.blogspot.com/2019/11/the-tale-of100-dogs-and-95-bones.html

#14:213 “The tale of 100 dogs and 95 bones”(&5:69):箱
https://nam-students.blogspot.com/2019/06/14213-tale-of-100-dogs-and-92-bones.html


望月慎(望月夜) (@motidukinoyoru)
⁦‪@awtjvyjz‬⁩ 「税は財源ではない」というのは、モズラーが強調 econdays.net/?p=9414 しているように、通貨発行者に決済不履行リスクはないという(だけ)の話なんです。
財政水準や財政内容が物価や厚生から見て適切かどうかという次元の議論ではありません。


Warren Mosler - Modern Monetary Theory (MMT) Interview - Real Vision - J...
2019/7
56:57

ビル・ミッチェル「シンプルな”名刺”経済」(2009年3月31日)

Bill Mitchell, “A simple business card economy”, Bill Mitchell – Modern Monetary Theory, March 31, 2009
一部の読者が、現代金融経済がどのように機能しているかについて、経済学者が隠れ蓑にしている全ての専門用語を廃しつつ、簡単に説明するよう私に求めてきた。以前私は、別のブログ記事の一部で、現代の金融経済の実際の運用を理解するのに必要になる重要な洞察全てを提供することができる、とあるシンプルな”財政ゲーム”を紹介した。この世の全てのモデルと同様、それは様式化に過ぎない。しかし、基本的な結論と理解を変えるような追加の複雑性は何もない。なので、後に参照目的でこのモデルを見つけやすくするために、単体のブログ記事としてモデルを再度紹介しておこう。それでは読んでほしい!

シンプルな”財政ゲーム”!

この経済用語の全貌について考えるにあたって、役立つ例を次に示す。このコンセプトは単純で、利用する数字も少ないため、理解と関連付けが容易だろう(このヒューリスティック(*発見的手法)のオリジナルのアイデアについては、ウォーレン・モズラー(Warren Mosler)に依拠する)。
私(親)とあなた(子供)の家庭で構成される経済を想像して欲しい! 親として私は「政府」の役割を引き受け、あなたは非政府(民間)セクターを成す。政府として私は、あなたが週ごとに庭を手入れすることに同意するなら、週に100枚の名刺を提供することを布告する。この名刺というのは、家庭外の取引先との会議で交換するカードで、通常のサイズの長方形のボール紙のものだ。
当然あなたはこう言う、「お父さん/お母さんの名刺なんか、いりませんけど?」
そこで私は(現代の金融システムが、この家事労働の件に如何に似通っているかという私の知見を反映して)、「家に居続けたかったら、税として一週間に名刺100枚を私に納めなさい」と答える。
するとあなたはこう言う:「いつから働けますか!?」
私は発行通貨(名刺)の納付義務を課すことで、直ちに通貨需要を創出した。これにより、民間リソース(あなたの庭での労働)を公共部門(素敵な庭)に移行することができる。ただし、あなたが100枚のカードの税金を支払う前に、あらかじめ私が毎週100枚のカードを支出しておかなければならないことにも注意して欲しい。このことが明らかにするのは、税を(「資金調達」のための、或いは最初の時点での支出を可能にするための)収入源と見做すことは絶対に出来ないということだ。名刺は無から生じたものであり、私は名刺を支出する独占的権利を有している。私が自分の名刺(通貨)による財政的制約を受けることはありえない。
さて、この種の通貨は、我々が法定通貨と呼ぶものであり – 立法上の認可によって合法化されている。本質的な価値はなく、その価値は税によって駆動されている。まさしくオーストラリアドルのように!
おそらく私は、名刺を実際に”印刷”するなんてことはしないだろう、と言っておこう。私は家のコンピューターでスプレッドシートを用いて「銀行通帳」を保持し、すべての流出(支出)と流入(課税)をただ単に記録するだけだろう。すべての取引は、関連項目の列に入力された数字に過ぎなくなる。もし私が入力し損じ、一週の支出で0を一桁多く書き込んでしまったとしても、私は900枚の新しい名刺を「印刷」する必要はない。あなたの口座に預金として900”名刺”が計上されるので、あなたはより裕福にはなるだろう。しかし、そのほかに何も必要になるものはない。オーストラリア経済と同じだ。
さて、上記条件下では、家庭予算は毎週バランスしている。私は100枚の名刺を支出し、あなたは100枚の名刺を納めている。私の支出によって利用可能となる量の名刺しか得られないので、あなたは名刺を蓄積させる(つまり、貯蓄する)ことができない。オーストラリア経済と同じだ。
もし私があなたに、あなたが大人になったときの自立のための準備として、貯蓄するという行為を教示したいならば、どうすれば良いだろう? あなたが貯蓄できるようになる唯一の方法は、例として、私が毎週さらにあなたを雇用して、例えば週に120名刺を賃金(政府支出)としてあなたに提供し、にも関わらずあなたに対して100名刺しか課税しない、というような手法だけだ。同じ効果は、税率を引き下げて支出を一定に保った場合、または支出の増加と減税の組み合わせた場合にも起きるだろう。
何にせよ、120の支出と100の税に固定すると、現行予算は週20名刺の赤字になる。私の支出(政府支出)があなたに貯蓄を許す「資金」を提供したので、あなたは今では週に20枚の名刺を貯蓄することができる。週が経つにつれて、あなたはいっそう貯蓄を増やすことができる(スプレッドシート上の数字が増加する)。 そして、非政府部門の貯蓄が、私(政府)によって実行されている累積財政赤字の正確な記録であることを遠からず理解するだろう。オーストラリア経済と同じだ。
次に、あなたはもっと多くのお金(名刺)を貯蓄したいと思うかもしれない。可能である唯一の方法は、私があなたに対して国債(貯蓄を私に毎週預け入れれば、将来のある時点で全ての名刺+いくらかの金利を払い戻すと約束した紙切れ)を提供することである。こうして、新しい金融資産 – 家庭債券(紙切れ) – の提供により、貯蓄を増やし、場合によっては休暇を取ることができるかもしれない – 数週間働かなくても、税金が払えるようになるからだ!
こうして、家庭での債券発行により、家庭内でのゼロ以上の金利が確保され、富は増加する。この場合私は、赤字を継続するにあたって、必ずしも債券を発行しなくてはならないわけではなかった。この債券は、(「銀行」システムに蓄えられている)無利子の貯蓄を、有利子資産(債券)に置き換えたに過ぎない。オーストラリア経済と同じだ。
さて、ここで私が、財政赤字に対して警告を発するインターネット上の新自由主義的文献をいくつか読んでいるとしよう。そしてその結果、私が「責任ある政府になるためには、財政黒字に戻らなければならない」と感じ、そして100枚の名刺を徴税しながらも、庭仕事への支出を週に90枚にすると宣言したとする。
このとき何が起こるか予期できるだろうか? その特定の週には、税金を支払うために必要な資金を形成するのに十分な「支出済み」名刺がない。 10枚の名刺不足が生じている。家庭(政府)の予算は、その週に10名刺分の黒字となる。しかし、民間部門(つまり、あなた!)での名刺流動性の不足は、次のような事態を招く:
(a)あなたは不足分を稼ぐためにより多くの仕事を要求する–このとき、家庭の(時間当たりの)雇用水準が低下し、いくらかの不完全雇用が忍び込んでいることに注意しよう。 モデル例を複雑にして、2人あるいは3人の子供が居るとした場合、1人あるいはそれ以上の子供への支出をカットすることで、容易に失業を作り出すことができる。
(b)あなたは所有物の一部を売却して名刺を取得しようとする。このシンプルなケースでは、資金を得るために債券(紙切れ)を売りに出す。そうして、財政黒字はあなたの資産ポートフォリオを食いつぶし始める。私は新自由主義者のように、”政府の重荷を取り除いた”(”getting the debt monkey off the gobernment’s back”)ことを自慢げに感じ、よく眠れるようになるだろうが、あなたはどんどん貧乏になっていくように感じるだろう(そして不眠症になる!)。
(c)あなたは債券化していない貯蓄を使い果たし始める。いずれにせよ、あなたは財産を切り崩すことになる。
こうして、全体で見ると、財政黒字はあなたの名刺流動性を搾り取り、富を切り崩すことを余儀なくする。オーストラリア経済と同じだ。
財政黒字を続けると、最終的にあなたの資産は枯渇し、且つあなたの労働力がほとんど活用されなくなる。あなたは私に対し、(私からあなたへの)融資を説得することができるかもしれない(私は家計内で民営化銀行を設立するかもしれない)。これにより、あなたは(民間債務水準の増加を受け入れる用意ができている限りにおいて)税金を支払いつつも破産せずに居られることになる。しかし、これは持続可能な選択肢ではない。オーストラリア経済と同じである。

Warren B. Mosler #MMT (@wbmosler)
This is the short video of Mario Draghi's mention of MMT:
youtube.com/watch?reload=9…
(hat tip to Professor Andrea Terzi)

Draghi: The ECB should look into helicopter money & MMT

ヨーロッパの中央銀行ドラギ総裁「ECB、各国政府は金融政策ではなく財政政策に力を入れるべきで、
MMTの様な新しいアイデアを検討すべき」と発言

MMT大正義来たな

Draghi Says ECB Should Examine New Ideas Like MMT



261 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (アークセー Sx51-McVF)[sage] 2019/09/24(火) 23:09:48.92  ID:e2ZWUQkUx 
Monetary dialogue with Mario DRAGHI, ECB President: Q&A - part 1
Event date: 23/09/2019



00:20:07 SOUNDBITE (Original), Philippe LAMBERTS (Greens/EFA, BE), asking a question
00:23:01 SOUNDBITE (Original), Mario DRAGHI, President of the European Central Bank, answering the question
>MMTについて言及。ここをクリック。(動画が重い。)





モズラー発案、名刺マネーについては

MMTポリティクス~現代貨幣理論~ 第一回 LT 三橋 2019/5/13

ウォーレン・モズラー
https://nam-students.blogspot.com/2019/04/blog-post_33.html

望月夜 → 望月慎 (@motidukinoyoru)
これは余談になるのですが、中央銀行による国債と準備預金の両替について。
これについて、MMTerのウォーレン・モズラーは、統合政府を銀行に例えると、国債は貯蓄性預金、準備預金は決済性預金にあたるという旨を指摘 ameblo.jp/nakedcds/entry… ★しています。
twitter.com/motidukinoyoru…
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/1163970356584931328?s=21


IRMA (Interest Rate Maintenance Account 、 利子率維持勘定・口座)

「政府が無限のお金を持っているという過激な理論」
このコラムは以下の記事の翻訳です。Tom Streithorst氏によるMMT創設史の紹介となります。
ケルトンとレイはウェイン・ゴドリーの部門別バランス分析をモズラーに紹介した。それは政府赤字に害がないというばかりか、実際にはむしろ有益なものであることを示唆するものだ。ゴドリーの理論を単純化して、どの経済にも2つの部門があるとする。民間部門と公共部門(または政府部門)とする。政府が徴税額以上の支出をすると、財政赤字が発生する。そして、公共部門の赤字はそのまま民間部門の黒字を意味している。

ウェイン・ゴドリー
http://nam-students.blogspot.com/2019/04/embracing-wynne-godley-economist-who.html


             ~社会科学の系譜とMMT
   1900年 世界恐慌            2000年 世界金融危機
 人類学 ┏イネス  ポランニー                    グレーバー
     ┃グリアソン                       インガム
 社会学 ┃ジンメル                        
     ┃ ウェーバー
リスト  ⬇︎ ⬆︎
 ドイツ ┃ ┃
┏歴史学派┃クナップ(→ケインズ、ラーナー、コモンズ)    [☆=MMT
⬇︎    ┗━━┓
┃シュンペーター┃シュンペーター━━━━┓
┃       ┃           ⬇︎     ゴドリー 
┃ケインズ   ┗━━━➡︎ケインズ ➡︎ ミンスキー  ➡︎  レイ☆、ケルトン
┃ポスト・ケインズ派┏━━┛┗➡︎ラーナー ⬆︎        ミッチェル☆、キーン
┃         ⬆︎          ┃ カルドア 
ムーア
マルクス     ┃  カレツキ━━━━┛       ラヴォア
┃         ┃          (ケインズ➡︎┓)
┃       コモンズ (ジョン・ガルブレイス)➡︎ ジェームス・ガルブレイス☆
┗(旧)制度学派 ┏┛
         ⬆︎ エクルズ               グッドハート
 実務家     ホートリー                モズラー
         (ケインズ)
 日本                          西田昌司☆、藤井聡
                              三橋貴明☆、中野剛志
                                 (リスト➡︎┛)
MMT is a relatively new approach that builds on the insights of John Maynard Keynes, Karl Marx, A. Mitchell Innes, Georg F. Knapp, Abba Lerner, Hyman Minsky, Wynne Godley, and many others. It “stands on the shoulders of giants”, so to speak. (Wray,2012)




参考:
Soft Currency Economics II: The Origin of Modern Monetary Theory (英語) ペーパーバック – 2013/3/11 Warren Mosler  (著)
https://www.amazon.co.jp/Soft-Currency-Economics-II-MMT-ebook/dp/B009XDGZLI
Fiat money is a tax credit not backed by any tangible asset.

In the real world, banks make loans independent of reserve positions, and then during the next accounting period, they borrow any needed reserves. The imperatives of the accounting system, as previously discussed, require the Fed to lend to the banks whatever they need.

1. The inelastic nature of the demand for bank reserves leaves the Fed no control over the quantity of money. The Fed controls only the price.
 2. The market participants who have direct and immediate effect on the money supply include everyone except the Fed.

As long as the Fed has a mandate to maintain a target Fed funds rate, the size of its purchases and sales of government debt are not discretionary.

Under a fiat monetary system, the government spends money and then borrows what it does not tax, because deficit spending, if not offset by borrowing, would cause the Fed funds rate to fall.

The Federal government, on the other hand, is able to spend a virtually unlimited amount first, adding reserves to the banking system, and then borrow, if it wishes to conduct a reserve drain.

neochartalist







 Savings equals investment, but the act of investment must occur to have real savings. 

Once the government levies a tax, the private sector needs the government’s money so that it can pay the tax.

ソフト通貨経済学II:近代通貨理論の起源(英語)ペーパーバック - 2013/3/11 Warren Mosler(著)
https://www.amazon.co.jp/Soft-Currency-Economics-II-MMT-ebook/dp/B009XDGZLI
フィアットマネーは、いかなる有形資産によっても裏付けられていない税額控除です。

現実の世界では、銀行は融資を準備ポジションとは無関係に行い、次の会計期間中に必要な準備を借ります。会計システムの必須事項は、前述のように、FRBが必要とするものは何でも銀行に貸すことを要求します。


1.銀行の準備に対する需要の弾力性がないという性質のため、FRBは貨幣量を管理できません。連邦機関は価格だけを制御する。
 2.マネーサプライに直接かつ即座に影響を与える市場参加者には、FRBを除く全員が含まれます。

FRBが目標FRBファンドレートを維持するという使命を持っている限り、その購入および政府債務の売却の規模は任意ではありません。

赤字の支出が借り入れによって相殺されないとFRBの資金率を低下させるので、平等な通貨制度の下では、政府はお金を使い、それから課税しないものを借ります。

一方、連邦政府は、最初に実質的に無制限の金額を使用して準備金を銀行システムに追加し、次に準備金の流出を希望する場合は借りることができます。






 貯蓄は投資に等しいが、投資の行為は本当の貯蓄を持つために起こらなければならない。

政府が税金を徴収すると、民間部門は税金を支払うために政府の資金を必要とします。
____

MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 1/7」


関連
経済学・経済論|望月夜|note



ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘」2010

MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 3/7」

この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら
  • 嘘1:政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。
  • 嘘2:政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残す
  • 嘘3:政府赤字が貯蓄を奪う。 ←いまここ
  • 嘘4:社会保障制度は崩壊している
  • 嘘5:貿易赤字は、職業や産出を奪う
  • 嘘6:投資には、先立つ貯蓄が必要だ
命取りに無邪気な嘘 その3:
政府赤字が貯蓄を奪う
事実:
財政赤字が貯蓄を増やす
ローレンス・サマーズ
数年前のこと。トム・ダシュル上院議員とともにローレンス・サマーズ副財務長官と面談する機会があった。もともとダシュル上院議員とは、「無邪気な嘘」たちがどれほど彼への投票者たちの福祉に反する働きをしているかについてずっと話し合っていた。そういうわけで彼がこの元ハーバード大学の経済学部教授、しかも叔父には二人のノーベル経済学賞受賞者がいる副財務長官との面談をセッティングしたというわけだ。サマーズの反応を見てみたかったし、自分の言うことに同意してくれればよいなと思っていた。
この質問から始めた。「ラリー、財政赤字の何が悪いんだい?」彼は答えた。「財政赤字が、本来は投資に回されるべき貯蓄を奪ってしまうことだ。」私は反対した。「それはない。国債はFEDが運用上の諸要素を調節するのに働いているに過ぎない。貯蓄や投資とは何の関係もないじゃないか。」彼はこう返してきた。「いや自分は準備預金の会計はよく知らないから、そのレベルの議論はできないよ。」
ダシュル上院議員は信じられないという様子でこれを見ていた。このハーバード大経済学教授、副財務長官であるローレンス・サマーズが準備預金会計を理解していない?悲しいが本当だ。
こうして面談の残りの20分は「節約のパラドックス」(詳しくは無邪気な嘘6番にて)を段階を踏んで説明することになった。彼なりに理解してくれたようで、最後にこう言った。「…そうすると、投資がもっと必要で、それが貯蓄になる?」私はフレンドリーに答えた。「イエス」。こうして良きハーバード大教授に対して経済学の一番の初歩を説明して面談は終わった。翌日のこと、彼がコンコルド連合(財政赤字テロリスト集団)とともに演壇に立ちながら財政赤字の重大な危険性について話しているのを見ることになった。
このように、この致命的に無邪気な嘘第三番は国のトップ中のトップにおいても健在だ。じっさい財政赤字はどのように働いているのだろうか。それはこの上なく単純な話だ。政府の赤字は、額が幾らであっても、政府以外の残り全部(企業、家計、国内居住者、非国内居住者)ー「非政府」部門と呼ばれている ー が持っているドル建ての金融資産の増加額とぴったり一致する。つまり財政赤字は、私たち政府以外の「金融性貯蓄」をぴったり同額増やす働きをするのだ。
一言で済む。政府の赤字は私たちの貯蓄を増やす(ぴったり)。これは会計的な事実であって、理論とか哲学といったものではない。議論の余地がない国民所得計算の基本なのだ。たとえば、去年の財政赤字が1兆ドルだったなら、みんなの金融資産貯蓄を合わせたものがちょうど1兆ドル増えたということを意味になる(経済学をかじったことが事がある人なら、純金融貯蓄とは現金と国債とFEDにある銀行の預金の合計だということを覚えているだろう)。これは経済学入門であり、銀行論金融論のイロハのイにあたる。疑問の余地もない会計の恒等式だ。ところがそれが政治の最上層部でもずっとねじ曲がったまま理解されているのだ。彼らはただただ間違っている。
CBO(議会予算局)の誰かに尋ねてみればいい。私は実際尋ねたことがある。彼らは答えるだろう「収支は必ず一致させなくてはならない」。そうしたら次は、財政赤字と私たちの貯蓄の増加が一致しているかを確認してみよう。もし一致していなければ、彼らは深夜まで残業してどこで会計ミスをしたのかを探すはめになる。
前に書いたように政府の支出はスプレッドシートへの入力だった。財政赤字はそれが集まったものだ。政府支出の際、会計係は「政府」という名前の口座から引き落とし操作を行い、同時に受け取る誰かさんの口座に振り込む操作をする。政府の口座の残高は減り、誰かさんの口座の残高はぴったり同じ額だけ増える。
次は、政府の財政赤字が民間の貯蓄を増やす様子をオペレーションごとに見ていこう。ついでに、最近登場してきた新しいこんな無邪気な嘘のバカバカしさをも暴くことになる。
「財政赤字は結局誰かから借たものを別の誰かに与えるものだから、何もプラスにはならない。ある人から別の人への移動に過ぎない。」というやつだ。つまり財政赤字は私たちの貯蓄を増やしたりせず、貯蓄を付け替えているだけだと言うのだ。最上級の間違いだ!では、財政赤字は貯蓄の付け替えているのではなく、貯蓄を増やしている様子を見ていこう。
1.スタート。政府が一千億ドルの国債を販売する。(注意:この販売は強制ではない。つまり国債の買い手は買いたいから買う。買わないよりも買った方が得だと考えている。政府に強制された誰かが買うわけではない。オークション形式で販売され、いちばん少ない利回りを受け入れた参加者に売られることになる。)
2.国債の買い手が代金を支払うが、買い手がFEDに持つ当座預金口座から一千億ドルが支払いとして引き落とされる。つまり、FEDの当座預金口座にあったお金は、国債、つまりFEDにある普通預金口座に移される(訳者注:筆者は前の記事で「国債」を「普通預金」になぞらえており、この記事でもそれを受けている)。この時点では非政府部門の貯蓄はまだ変化していない。買い手が国債を買う前は当座預金にあったお金が、そのまま貯蓄として普通預金口座に移動しただけだ。
3.こうして一千億ドルの国債を販売した後、財務省は普段よく買っているものに一千億ドル分支出するとする。
4.この財務省の支出が誰かの当座預金を一千億ドル分増やすことになる。
5.ここにおいて、非政府部門の当座預金に一千億ドルが加算され(国債購入前の残高に戻る)、同時に一千億ドルの国債も持っている状態になっている。
まとめ:一千億ドルの赤字財政支出が、非政府部門(政府以外の全員と言う意)の貯蓄を新しい国債という形で一千億ドル増加させた。
一千億ドルという新国債の買い手はまず、当座預金のお金を国債(普通預金)に移動させた。次に財務省が一千億ドルの支出をしたことにより、この一千億ドルの受け取り手の当座預金が同額増える。
ポイントに戻ると、赤字財政支出とは、単に政府以外にある金融資産(ドルと国債)をシフトさせるだけのものではないとわかった。赤字財政支出は、非政府部門にある金融資産貯蓄をぴったり同額、ダイレクトに増やすのだ。そして同様に、財政黒字はとは、私たちの貯蓄をダイレクトに同額奪うものなのだ。メディアも政治家も、一流経済学者たちでさえ、これを逆に考えている!
1999年7月のこと。ウオールストリートジャーナルの一面に二つの見出しが並んでいた。向かって左は、クリントン大統領と財政黒字額を賞賛し、いかに財政運営がうまくいっているか説明する内容の記事だった。向かって右側の記事は、アメリカ人は貯蓄をしておらず、私たちはもっともっと働いて貯蓄に励まなければならないという内容だった。何ページかめくるとグラフが載っていて、財政黒字が増えていることを示す線と、国民の貯蓄が減っていることを示す線が一緒に描かれていた。二つの線はほぼ同じ形をしていたが、向きが真逆だった。このことは、財政黒字の増加が、民間貯蓄の減少とほぼ等しいことをはっきり示していた。
財政黒字であるならば、民間貯蓄(海外居住者のドル建て金融貯蓄を含む)の増加はあり得ない。あり得ないのだが、主流経済学者や政府高官にはまだ理解されていない。
アル・ゴア
2000年の初め頃、フロリダ州ボカラトンの私邸で催されたアル・ゴア大統領候補の資金集めパーティのディナーで私は彼の隣に座っていた。経済について議論するためだ。彼の最初の質問はこうだった。「予測では向こう10年の財政黒字が5.6兆ドルになると見込まれていますが、次期大統領としてはこの黒字を何に使えばいいでしょうね?」私は説明した。5.6兆ドルの黒字はありえない、なぜならそれは非政府部門の金融資産貯蓄を5.6兆ドル減らすわけで、馬鹿げた計画なのだ。その時点で、民間部門にはそれだけの額を課税で奪われるだけの貯蓄は残っていなかったし、直近の数千億ドルの黒字が民間貯蓄を奪っていたことは、むしろクリントン景気が崩壊直前であることを暗示していた。
私はさらに指摘した。200年以上の米国の歴史における直近六回の財政黒字期を見てみると、その直後に不況に陥ったのは六回のうちたった六回だけだったと。そして、来たる崩壊は、財政黒字を許容して私たちの貯蓄を抜きとったために起こるのだから、結果としての不況は、私たちの失われた貯蓄が十分埋め合わせられ、産出と雇用を修復するのに必要なだけの総需要をもたらすだけの財政赤字が蓄積せれるまで収束しないことでしょう、と。
起こったのはその通りのことだった。経済は崩壊し、2003年にブッシュ大統領は緊急回避的に強力な財政赤字支出を打ち出した。しかしその後、クリントン時代の黒字時代に失われた金融資産(財政黒字はぴったり同額の貯蓄を私たちから抜き取る)を十分埋め合わせるのに十分な財政支出に到達しないうちに(財政黒字はぴったりその額だけ私たちから貯蓄を奪っていたのだから)、再び財政赤字は縮小されてしまった。そしてサブプライムのバブルが崩壊し、再び経済は崩壊したが、それは当時の環境に対して財政赤字が小さいままだったからなのだ。
現在の政府財政の水準といえば、私たちは税を取られ過ぎの状態にあり、税引き後の所得は経済と呼ばれる巨大デパートで売られているものを買うには十分なものではなくなっている。
とにかく、アルは良い生徒だった。さらに詳しい話をしたところ、この話が本当であること、そしてこれから何が起こり得るかについてまでも同意してくれた。しかし彼は「そこまでは行けない」とも言った。立ち上がる彼に私は言った。政治的現実はわかるよ、と。彼は演壇に向かい、来たるべき黒字をどう使うかの演説を始めた。
ロバート・ルービン
10年ほど前、2000年くらいだったか景気減速の直前ごろ、シティバンクの顧客ミーティングでロバート・ルービンと一緒になった。クリントン政権の前財務長官だ。他に20人ほどの顧客がいた。ルービン氏は経済についての持論を述べ、低い貯蓄率はやがて問題になって行くだろうと指摘した。その話を数分聴いたところで、私は「自分も貯蓄率の低さは問題と思う」と述べてからこう尋ねた。「ボブ、ワシントンでは誰か、財政黒字が非政府部門の貯蓄を奪っていることを認識している人がいるのかい?」彼は答えた。「いや、黒字は貯蓄をもたらす。政府が黒字運営できれば市場から国債を買い戻せるから、貯蓄と投資が増える。」私は反論した。「いや、黒字運営だと私たちは国債をFEDに売って納税資金を獲得しなきゃならないから、私たちの金融資産貯蓄はその黒字分だけ減るじゃないか。」ルービンは言った。「いや、間違えているのは君だろう。」私は反論せず、ミーティングは終わった。私の質問の答えは得られた。黒字が貯蓄を奪うことを彼が理解していないのならば、クリントン政権の誰もが理解していないということだ。経済はその後ほどなく崩壊したのだった。
2009年1月に貯蓄統計が発表され、マスコミは「貯蓄成長率がGDPの5%と1995年以来の最高水準に達した」と報じたが、同時に、財政赤字はGDPの5%を超えていたいうことの方は報じられなかった。財政赤字も1995年以来の最高水準だったのだが。
明らかに、主流は財政赤字が貯蓄を増やすということをまだ理解していない。アル・ゴアはわかっているとしても、何も語らない。まあ、今年も財政赤字が増えるか見ていよう。そして貯蓄も増えるかどうかも観察しよう。再度言うが、非政府部門の「ドル建て純貯蓄」(海外居住者も合わせた金融資産)の原資になることができるのは、政府の支出だけなのだ。
貯蓄を増やせと言っているその人のことを観察しよう。同じ口で「収支を均衡」させたいと言ってはいないだろうか。財政支出削減と増税により、つまり、私たちから貯蓄を取り除くことによって。同じ口で正反対のことを言う。混乱の元になるだけで何ら解決にはならない。それが国のトップレベルで起こっていることなのだ。
一人を除いて。
ウェイン・ゴドリー教授
ウェイン・ゴドリー教授はケンブリッジ大学の経済学部長を退かれて、80歳を超えていらっしゃる。教授は過去何十年にもわたり英国経済を予測する名人として知られていた。彼は自身が開発した「セクター(部門)分析」によって予測を行っていた。この手法の核心にあるのは「政府部門の赤字は、政府以外の部門の純金融貯蓄を合計したものと等しくなる」という事実なのだ。しかし、彼の予測の成功、会計上の絶対的ファクトも、彼の地位の重さ(これらは皆今もある)をもってしても、彼の教えが主流を説得するにはまだ至っていない。
さて、読者はこのことを理解したはずだ。
財政赤字は、主流が信じているような「恐るべき何か」ではない。そう、赤字はとても重要だ。過剰な支出はインフレを引き起こす。とは言っても政府が破産することはない。財政赤字は子供たちの負担ではない。財政赤字は、単にある人から別の人への資金移動でもない。財政赤字は私たちの貯蓄を増やす。
では財政赤字の役割を政策面で見るとどうだろう。それはとても単純。私たちの産出と雇用は、財政支出が足りないと維持できない。経済と呼ぶ巨大デパートで売られているものを買うのに十分な購買力が私たちにないときには、政府は減税もしくは政府支出の拡大によって、私たちの産出物が確実に売れるように行動することができるのだ。
税の一般的機能とは、購買力と経済の調整だ。産出と雇用をサポートするのに適切な水準で課税がなされおり、税収が政府の支出よりもかなり少ない結果としての財政赤字は、ソルベンシーだのサステイナビリティだの子供への悪い影響だのは、何も怖れることはないのだ。
働いてお金を得たいけれど、あまり使いたくないと人々が思っていたら?それでいいじゃないか!政府は人々が支出したいと思うまで減税し続てもいいし、支出して生産物を買ってもいいし、雇用してもいい(インフラ修復、社会保障、医療研究、などなど)。どう組み合わせるかは政治の問題だ。適切な額の財政赤字は、私たちが望む産出を雇用を成し遂げるためのものであり、また、適切な政府の大きさとは、財政赤字の大小とは無関係に考えられるべきものだ。
本当に大切なのは現実の生活 – 産出と雇用 – だ。財政赤字の大きさは一つの統計値だ。1940年代、アバ・ラーナーという名の経済学者はこれを「機能的財政論」と呼び、このタイトルの本(現代にもなお通用する)を書いている。
訳者のリンク集







  • 「フューチャー・デザインはなぜ必要か」というスライド
  • 「政府債務残高名目GDP比は過去120年で最悪の水準」という記事
  • 「債務残高の国際比較(対GDP比)」で「債務残高は最悪」と財務省

  • ジェイムズ・K・ガルブレイス「命取りに無邪気な七つの嘘(ウォーレン・モズラー)」 への序文

    MMT(Modern Monetary Therory)創始者のひとり、ウォーレン・モズラーがサイトで配布している「SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS
    OF ECONOMIC POLICY、https://moslereconomics.com/wp-content/powerpoints/7DIF.pdf



    WARREN MOSLER
    SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS OF  ECONOMIC POLICY
     WRITINGS of  WARREN MOSLER (found on  www.moslereconomics.com ) 
    The Seven Deadly Innocent Frauds Galbraith/Wray/Mosler submission for February 25 Mosler Palestinian Development Plan Soft Currency Economics Full Employment  AND Price Stability A General  Analytical Framework for the  Analysis of Currencies and Other Commodities The Natural Rate of Interest is Zero 2004 Proposal for Senator Lieberman EPIC -  A Coalition of Economic Policy Institutions An Interview with the Chairman What is Money? The Innocent Fraud of the  Trade Deficit:  Who’s Funding  Whom? The Financial Crisis -  Views and Remedies Quantitative Easing for Dummies Tax-Driven Money WARREN MOSLER


    Part  I:  The  Seven  Deadly  Innocent  Frauds 
    Deadly Innocent Fraud #1: 
    The  federal  government  must  raise  funds  through taxation  or  borrowing  in  order  to  spend.  In  other words,  government  spending  is  limited  by  its  ability to tax or borrow. 
    Fact: 
    Federal  government  spending  is  in  no  case operationally  constrained  by  revenues,  meaning that  there  is  no  “solvency  risk.”  In  other  words, the  federal  government  can  always  make  any  and  all payments  in  its  own  currency,  no  matter  how  large the deficit is, or how few taxes it collects.


    命取りに無邪気な嘘 その1:
    政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。
    事実:
    政府の支出は、収入には全く制約されない、つまり「ソルベンシー・リスク」というものは存在しない。言い換えれば、連邦政府は赤字の大きさとは無関係に、また税収がいかに少ないとしても、自国通貨を用いた支払いをすることができる。

    Deadly Innocent Fraud #2: 
    With  government  deficits,  we  are  leaving  our  debt burden to our children. 
    Fact: 
    Collectively,  in  real  terms,  there  is  no  such burden  possible.  Debt  or  no  debt,  our  children  get  to consume whatever they can produce.

    命取りに無邪気な嘘 その2:
    政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる
    事実:
    そのような、ある世代全体に及ぶ負担は存在しえない。子供たちは、債務があろうがなかろうが彼らが生産できるものなら何でも消費することができる。


    Deadly Innocent Fraud #3: 
    Federal  Government  budget  deficits  take  away savings. 
    Fact: 
    Federal  Government  budget  deficits  ADD  to savings.

    命取りに無邪気な嘘 その3:
    政府赤字が貯蓄を奪う
    事実:
    財政赤字が貯蓄を増やす

    Deadly Innocent Fraud #4: 
    Social Security is broken. 
    Fact: 
    Federal Government Checks Don’t Bounce.



    命取りに無邪気な嘘 その4:
    社会保障制度は崩壊している
    事実:
    政府の小切手は不渡りにならない



    Deadly Innocent Fraud #5: 
    The  trade  deficit  is  an  unsustainable  imbalance that takes away jobs and output.
     Facts: 
    Imports  are  real  benefits  and  exports  are  real costs.  Trade  deficits  directly  improve  our  standard  of living.  Jobs  are  lost  because  taxes  are  too  high  for  a given  level  of  government  spending,  not  because  of imports.
    5:
    貿易赤字は維持することのできない不均衡で、職業や産出を奪うものである
    事実:
    輸入とは実質的に利益で輸出は費用だ。貿易赤字は私たちの生活水準を直接的に改善する。職は輸入が原因で失われるのではなく、政府支出の水準に対して税が高すぎるゆえに失われる。

    Deadly Innocent Fraud #6: 
    We  need  savings  to  provide  the  funds  for investment. 
    Fact: 
    Investment adds to savings.


    命取りに無邪気な嘘 その6:
    投資には、先立つ貯蓄が必要だ
    事実:
    投資が貯蓄を増やすのだ




    致命的な無邪気な詐欺#6:
    投資資金を提供するために貯蓄が必要です。
    事実:
    投資は貯蓄を増やす。


    参考:

    http://econdays.net/?p=10584

    私の見立てでは、この嘘のために有用な産出と雇用の20%以上が毎年毎年捨てられている。これは人類史上、比類のない規模だ。

    (中略)

     実際、議会が作り出す、支出(「需要漏出」と言われる)を減らそう減らそうとする税のインセンティブ構造こそが、私たちの購買力の多くを奪うものなのであり、結局はそれこそが、完全雇用を維持するために多額の財政赤字が必要になる事態を引き起こしている、当のものだったのだ。皮肉なもので、議会が貯蓄奨励税制を推し進めるのは、投資のためのお金と貯蓄しようと考えてのことのはずだった。財政赤字とは真逆のことをしたかったのに。

    もちろん、もっと悪いことが起こる! 巨大な資金プール(この致命的に無邪気な嘘6で誕生したプールだ。貯蓄は投資されなければならない)は、将来の受益者のために管理され複利運用されなければならない。
    問題は、連邦政府の赤字が必要になることに留まらない。これら、複利運用される何十億ドルもの資金が、あの恐ろしい金融セクターの基盤になることが問題だ。
    金融セクターは何千人ものファンドマネジャーを雇っている。大部分は政府の規制対象になってはいる。ほとんどの資金は上場株式、格付き債券に投資されるが、一部は多角投資として他の戦略、たとえばヘッジファンドや商品パッシブ運用戦略に向かう。
    そして、これら「肥大化したクジラ」を飼っていれば、必ずサメが現れる – 何千もの仲介や金融管理産業のプロフェッショナルというサメを生きながらえさせるのが、この第6の命取りに無邪気な嘘だったのだ。

    Deadly Innocent Fraud #7: 
    It’s  a  bad  thing  that  higher  deficits  today  mean higher taxes tomorrow. 
    Fact: I  agree  -  the  innocent  fraud  is  that  it’s  a  bad  thing, when in fact it’s a good thing!!!


    致命的な無邪気な詐欺#7:
    今日の赤字の増加が明日の増税を意味することは悪いことです。

    事実:私は同意します - 
       無実の詐欺は、それが悪いことであるということです。実際、それは良いことです。

    ジェイムズ・K・ガルブレイス「命取りに無邪気な七つの嘘(ウォーレン・モズラー)」 への序文

    MMT(Modern Monetary Therory)創始者のひとり、ウォーレン・モズラーがサイトで配布している「SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS
    OF ECONOMIC POLICY、
    https://moslereconomics.com/wp-content/powerpoints/7DIF.pdf」。
    原文は平易な英語で書かれており、超おススメなのですが、前半(七つの嘘のパート)だけ日本語化してみたく。
     嘘その3以降(coming soon)
    まず、ガルブレイス教授による序文です。

    ウォーレン・モズラーは珍鳥だ。独学のエコノミストでありながら変人ではない。投資の成功者でありながら高慢ではない。教育の才をもつビジネスマン。公共の善に真にコミットする資本家。

    彼とは議会証言や時事に関する記事を一緒に書いたこともあるが、それらへの努力は自分を超えている。私が保証する。

    多くの経済学者は、複雑性というものをそのまま評価する。現代の経済学ジャーナルを見れば一目で確認できる。本当に、不可解な議論が威光をもたらしているのだ!議論が明らかに不可解に見える時は、論者自身もそれをわかっていない場合が多い(フィンランドのヘルシンキで中央銀行家と国際金融経済学者の会議に出たときのことだ。ある発表の後、スウェーデンの傑出した経済学者に尋ねてみた。「あなたが教えてきた学生のうちどのくらいがその数式を追えましたか?」彼は言った。「ゼロ」)。ウォーレンの才能は簡潔にして明晰であることだ。彼は物事をできるだけ単純に考える(そのために多大な労力を払っている。真の単純化は難しいのだ)。彼は馴染みやすい比喩や、素朴な喩え話を好んでする。彼の話を使えば誰でも、ほとんどの子供(少なくとも私の子供)や同級生、金融市場のプレーヤーにその説明をすることができる。難しいのは、固定観念への強い忠誠を持つ経済学者たちだけだ。政治家はもちろん理解するのだが、自分自身の考えを口にできることが滅多にない。

    ウォーレン・モズラーのこの小本は、キーとなる7つの問題についての議論が提示されている。それらは、政府の赤字や債務、財政赤字と民間貯蓄の関係、貯蓄と投資の関係、社会保障や貿易赤字に関する論点だ。ウォーレンはこれらを「無邪気な嘘」と呼ぶ – 私の父が最後の本で作ったフレーズを使ってくれた。父も喜んだことだろう。

    各々の論点を結びつける糸は単純そのものだ。現代金融はスプレッドシートだ!コンピューター上で動いている!政府の支出や貸出は、民間銀行の口座の数字を増やすことでなされる。税金を集めるときは数字を減らす。借りるときは当座預金(準備預金勘定と呼ばれる)から貯蓄(有価証券勘定と呼ばれる)に残高を移す。実務的な操作はこれがすべてだ。政府が支出する貨幣はどこかから来るものはなく、貨幣を作る費用すらない。ゆえに、政府は破産のしようがない。

    貨幣は政府の支出で創造される(あるいは信用を創出する銀行貸出によって)。税は私たちが貨幣を欲しがるようにするためだ – 税金を納めるために貨幣が要る。そして税は支出を制限する役割を持つ。税は私たちの支出の合計が、今の値段で入手できるモノを超えないように、つまり、物価を押し上げたりインフレーションにならないようにしている。但し、支出に先んじた税金は必要ない。必要ない言うより、できない。なぜなら政府が支出するまでは納める貨幣が存在しないから。
    政府の自国通貨での借金は、デフォルトする必要が全くない。利払いとは、債券の保有者の銀行口座に金利を加えるだけなのだから。あり得るとすれば、政府が自分からデフォルト – 金的な自殺行動 – を決断するか、中央銀行に強制されるかだ。しかし米国の中央銀行は何が起こっても米国政府の小切手を決済するだろう。

    政府債務が将来の重荷になるということもない。なりようがない。未来に生産されるものは未来に消費される。どのくらい生産できるかは、その時の経済の生産性に依存する。それは今日の公的債務とは何の関係もない。今日の公的債務は未来の生産性を下げたりしない。むしろ、債務こそが今日の資源の賢い活用に直結し、未来の経済の生産性を高めるだろう。

    公的債務は民間金融貯蓄を増やす。会計の事実として、ぴったり同額増やす。輸入は利益で、輸出は費用だ。私たちは消費の資金調達のために中国から借りているのではない(訳注:対中国の貿易赤字の話が出ます)。その借入の資金とは、米国の消費者が米国の銀行で借りているものだ。社会保障の民営化は、単に経済に存在する株式と債券の所有者を、リスク資産はシニア層に、安全資産は金持ちに入れ替えるだけになるだろう。連邦準備制度は好きなように金利を決めている。

    この小本ではこれらは全部、単純な原則として提示される。

    ここにはまた、一人の金融専門家の教育についての魅力的な記述、また、米国の経済を高失業の危機から救うためのアクションプログラムが書かれている。ウォーレンの方法は、給与支払税を停止することによって勤労者の所得を8%以上増やし、州や地方政府に人口に比例した補助を出すことによって財政の危機を癒し、職を望む人ならだれでもある程度の報酬で雇う公的な雇用プログラムを提示するというものだ。これによって失業の危機を消滅させ、特に若い人々に有益な仕事を与えることになる。

    ウォーレンのヒーローは、経済学者では父を別とすれば、ウェイン・ゴドリーとアバ・ラーナーだ。ゴドリーは最近亡くなった驚くべき人物で、そのストックーフロー一貫マクロ経済モデルによってこの本の内容の多くの部分の見取り図を描いた。このモデルは最も優れた景気予測ツールの一つだ。ラーナーは「機能財政論」を提示した。これは公共政策の評価は債務や赤字がどれだけになろうと、雇用、生産性、物価の安定といった現実世界の結果で判断されるべきという論だ。ウォーレンもまたラーナーの基準に忠実だ。その原則とは、経済学においては他人に理解してもらうのがどれほど困難であっても原理において妥協をしてはいけない、というものだ。願わくば自分も彼のようにこの原則を貫くものでありたい。

    とにかく、この本は魅力的で、非常に有益な読み物だ。大いに推薦する。

    James K. Galbraith The University of Texas at Austin June 12, 2010



    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 1/7」

    この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら
    嘘2嘘3嘘4嘘5
    命取りに無邪気な嘘 その1:
    政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。
    事実:
    政府の支出は、収入には全く制約されない、つまり「ソルベンシー・リスク」というものは存在しない。言い換えれば、連邦政府は赤字の大きさとは無関係に、また税収がいかに少ないとしても、自国通貨を用いた支払いをすることができる。

    上のことを国会議員(私は何度も聞いた)や普通の市民に話すと、彼らは強い調子でこう言うだろう: 「…政府は、資金を調達するために徴税や借金をしなければならない。家計と同じで、使うお金は用意しておく必要がある。」そして、医療、防衛、社会保障などなどすべての政府支出についてこんな質問をしてくるだろう。
    「どうやってそれを払うのだ?」
    これはキラー質問だ。誰も正しくわかっていない。本書の底流である「公共の目的」の核心はこの質問に正しく答えるところにある。この本をほんのしばらく読み進めれば、それは理論でも哲学でもなく、単なる冷徹な事実なのだと明瞭に分かって行くだろう。ではこの質問に答えるべく、まずは政府がどのように税を取っているかを正確に観察し、その次にどのように支出してるかを検討しよう。
    政府はどのように税を取っているのか?
    スタートとして、あなたが小切手を切ることで税金を払うときに起こっていることを見てみよう。政府は小切手を受け取り、これが引き落とされて「精算」となる。政府がすることと言えば、あなたの当座預金口座の数字を減らす方向に変える。あなたの銀行の残高から小切手の金額分を差し引くことによって。この時政府は何かの実物を手に入れているとか、誰かにあげたりなどしているだろうか?違う。これは「金貨を使う」ようなものではない。この時起こっていることはオンライン銀行で実際に見ることができる。スクリーン上に表示されているあなたの口座の残高をじっと見てみよう。もとの残高が5000ドルだったとして、政府に送った小切手は2000ドルだ。小切手が精算されるとき何が起こるだろうか。数字の5が3に変わり、新しい残高は3000ドルに減った。あなたの目の前で!政府は本当に何も「得て」ないし、誰かにあげたりしていない。FEDのバケツに金貨が落とされたりしていない。彼らは銀行口座の数字を変えただけ。どこかに「行った」ものなど何もない。
    それでは地元の税務署で現金によって納税する場合はどうなっているだろうか。あなたはまず窓口の人に札束を手渡すだろう。担当者はそれを数えて領収書をくれる。社会保障や国の借金への金利やイラク戦争に手を貸してくれてありがとうございますと言ってくれるといいのだが。次にあなた、つまり納税者が部屋を出る。担当者は、あなたがやっと手に入れ今手渡したばかりの現金をシュレッダーに投げ込む
    そう、それは捨てられる。破壊される!なぜ?もう使い道がないのだ。ちょうどスーパーボウルのチケットと同じだ。スタジアムに入って窓口にチケットを出すときには1000ドルの価値だったかもしれない。担当者はそれを切り刻んで捨てる。ワシントンに行けば裁断された紙幣を本当に買うことができる。
    あれれ、政府は集めた現金を捨てているならば、いったい政府はどうやって支払いをしているのだろうか。社会保障やいろいろな政府の支出は?違うのだ。
    政府は支出するために、あらかじめ税をとることによってお金を確保しておく必要があると考えるのはナンセンスだということが、おわかりいただけただろうか?政府がお金を「使う」前に何かを「得て」いるということは実際に無いのだ。では、以上の如く政府は徴税によって何も得ていないとすれば、何をどのように支出しているのだろうか?
    政府はどのように支出しているのか?
    あなたが2000ドルの社会保障給付を受け取るところを想像してみよう。受け取る銀行口座にはもともと3000ドル入っているとしよう。パソコンに表示されるその口座をじっと見えていると、政府がいっさい「現金使わず」に支出する様子がわかるだろう。3000ドルだったあなたの口座の残高が一瞬にして5000ドルになる。さてここであなたにお金を渡すために、政府は何をしただろう? 政府は、単に口座に書かれている番号を3000から5000に書き換えただけだ。パソコンに金貨を捻じ込んだわけではない。政府がしたことと言えば、政府のスプレッドシート(訳者注:エクセルに代表される、表を作るソフトウエアのこと)にデータを打ち込んだことだけなのだ。このシートは金融システムの中で無数のスプレッドシートとつながっている。政府支出とは「米国ドル通貨システム」と呼ばれる政府のスプレッドシートにデータを入力することで実施されているというわけだ。
    ご参考に、これはテレビ番組の”60ミニッツ”から、よきFED議長であるベン・バーナンキの言葉だ。
    スコット・ペリー: それはFEDが税金を使っているということでは?

    バーナンキ議長
    :それは税金なのではありません。民間銀行は、あなたが市中銀行に口座を持つのとほぼ同じように、Fedに口座を持っています。なので、市中銀行に貸し付けを行うには、我々はFedにある市中銀行の口座残高を、簡単なコンピュータ操作で増やすだけなんですよ。

    議長がきれいな英語で説明しているのはこんなことだ。「お金は、銀行口座の数字を変えるだけの操作によって払い出されている(支出にしても貸出にしても)」。支出する前に、あらかじめ税(または借入金)を「獲得」することなどまるでなくて、ただスプレッドシートに数値を入力することが、私たちが「政府支出」と呼ぶものなのだ。そのデータはどこからか「やってくる」ものではない。それなら誰でも知っている!
    似たような話がどこにあるか?例えばフットボールスタジアム。ひいきチームがフィールドゴールを決めて、7点だったスコアボードが10点になった。この時、この3点ってスタジアムはいったいどこから手に入れたんだっけ、なんて気にする人いる?いるわけない!
    あるいは、ボウリング場で5ピンを倒して表示されるスコアが10から15になった。あれれ、このボウリング場はどこからこの5点を手に入れたんだ?なんて不思議に思うだろうか?そんなことない!
    その次、ボウリング場のシステムがあなたのフットフォールトを見つけて、スコアを5点減点したとしよう。この時ボウリング場の人は、やあこれでプレーヤーにあげられるポイントが増えたぞ、なんて思うだろうか?もちろん思わない!
    このように、私たちはデータ入力がどのようなものであるか知っている。しかしどういうわけか、政治家、メディア、そしてなんと言っても、著名な主流派経済学者たちはこれをひっくり返して理解しているのだ。政府はあらかじめドルを「持っている」のでも「持っていない」のでもない。出発点として、まずはこのことを覚えよう。
    スタジアムも同じで、誰かに配るために貯めた点数を「持つ」とか「持たない」ではない。ドルの話で言えば、私たちの政府は、その機関である連邦準備銀行と財務省を通じたシステムの「記録係」をしている。(同時に、ルール作りもしている!)
    ここまでで「どうやってそれを払うのだ?」という質問の機能的回答が得られた。答えはこう。「政府は普段の支払いでやっているように、私たちの銀行口座の数字を変えるだけですよ。」
    大統領がいつもいつも間違えるように「連邦政府の金が尽きる」ということはない。それはありえない。それから、中国だかどこかからドルを「獲得」しなければならないということもない。政府が支出の時にしなければならない事といえば、連邦準備銀行のある口座の数字を変えることだけ。政府が支出を望むなら、その金額に上限はない(社会保障でも利払いでもそう)。誰に対して払う場合であれ、政府によるドル払いは全部これなのだ。
    ただし、これは政府がいくら支出しても物価が上がる(つまりインフレ)可能性がないということではない。
    そうではなく政府は破産のしようがないということだ。それは単純にあり得ない。[1]
    それならどうして政府の人間はこれをわかっていないような感じなのだろう。議会の歳入委員会が「どうやってそれを払うのだ?」と心配するのはなぜだろう。よく言われるところの「連邦政府も家計と同じで、まず使うお金を用意してから支出しなければならない」という話を信じているからかもしれない。そう、彼らだって政府は家計とは違うという話を聞いたことがあるだろう。でも信じられなかったのだろうし、意味が通って確信させてもらえるような説明を受けなかったのだろう。
    彼らがみんな見落としているのはここだ。「自国自身が創り出す通貨による支出と、他の誰かによって創られた通貨での支出は異なる。」実は政府を家計になぞらえるのも、正しくやればちゃんとしたものができる。そこで次は家庭内の「通貨」を作る例をやってみよう。
    まず親がクーポンを作ることで話が始まる。次に、子供たちに家事を頼む時にこのクーポンを与えると決める。その次は「モデルを動かす」ために、毎週10枚のクーポンを税として子供たちから集めることにする。税を支払わない子供には罰を与える。これは、私たちも税を払わないとペナルティがあるという現実の税をコピーしている。クーポンは新通貨だ。親は「支出」することによって子供たちから「サービス」(家事)を購入する。この新しい家庭内通貨における両親は、通貨の発行者として連邦政府に相当する。この「独自通貨を持つ家計」は独自通貨を持つ政府と非常に似ているとわかるだろう。
    では、この通貨がどのように機能するかの質問だ。親は子供の雑用への対価としてクーポンを支払うことになるが、そのためにあらかじめ子供たちからクーポンを徴収しておかなければならないのだろうか?もちろんそんなことはない。むしろ逆に、週10クーポンを徴収できるようにするためには、先に子供に家事をしてもらってクーポンを支払っておく必要がある。そうでなければ子供たちは親に支払うクーポンを得ることができない。
    現実の経済でも、政府はちょうどこの家庭と同じように自国通貨の発行者なので、支出のためのドルを、どこかから税を取ったり借りたりするなどして準備しておく必要がない。現代の技術をもってすれば、政府は親がクーポンを印刷するようにドルを印刷する必要すらない。
    覚えてほしい。ボウリング場に点数をためる箱がないのと同じように、政府がドルを持つとか持たないではない。ドルの場合では私たちの政府が記録係だ。親子クーポンの話では、親がどれだけクーポンを持っているかはどうでもいいことになる。親は、子供たちがどれだけ稼いだか、と、彼らが毎月の10クーポンを支払ったかどうかだけを紙一枚にメモしておくだけでいい。政府が支出するときも、元手がどこかから「やってくる」わけではない。フットボールスタジアムやボウリング場のポイントがどこからか「やってくる」わけではないのと変わらない。また、政府が税を取っても(または借りても)、支出のために使える「蓄えられた原資」が増えるわけではない。
    政府の支出を実際に行う(銀行口座の数字を加算する)財務省の人たちは、税金を集めている歳入庁の人たちの電話番号すらしらないし、接触もしない。同じ財務省の中の「借入」(国債の発行)担当者との接触もない。集めた税額や借り入れた額が本当に重要事項なのだったら、少なくともお互いの電話番号くらいは知っているはず!支出という目的に関してそれらは明らかに重要ではないのだ。
    私たちの側は(政府側ではないですよ)、何か支払いをするためには、ドルをあらかじめ持っておく必要がある。これは子供たちが週ごとのクーポンを親に払うため、あらかじめ親からクーポンを稼がなければならないのと同じだ。州政府や市町村や企業も、私たちと同じ舟に乗っている。ドルの支出できるようになるためには、まずどうにかしてドルを用意できる状態になっていなければならない。稼いだり、借りたり、何かを売ることで初めてドルを使えるようになる。つまり私たちが納税しなければならないドルが直接的または間接的に由来しているのは、通貨の始まるところ、つまり政府の支出からなのだ。(政府の借入もあるが、その議論はのちほど)
    では次は、国の通貨をゼロから作ってみよう。新しい通貨を持つ新しい国を想像しよう。国民はまだ誰も通貨を持っていない。政府はまず、たとえば固定資産税をとりますよ、と宣言する。さて、それはどうやって支払われるだろう? 政府が支出を開始してくれないとできっこない。政府が支出をスタートすることで初めて人々は納税のための新しい通貨を準備できるようになる。
    繰り返す:納税の元手になるものは、もともと政府の支出(または借入)に由来するもの。それ以外に何があり得ようか?[2]
    そう、つまり究極的に言えば、政府は私たちに納税に必要な原資を提供するため、まず支出しなければならないのだ。そしてこの意味で政府とは、子供からクーポンを回収するためにはそれを使わなければならなかった親と同じだ。政府にしろ親にしろ、支出した以上の通貨を集めることは不可能だ。ほかのどこかから来るなんてことがあるだろうか?[3]
    というわけで、いまの政治家は、支出を可能にするために税金を取るか借りるかして、私たちから貨幣を取る必要があると信じている。しかし本当はこうだ。
    私たちが税金を払えるようにするためにはまず政府の支出が必要だ
    私たちは政府(やボウリング場やフットボールスタジアム)がやっているように、「数字を変える」ことができない[4]。子供たちが毎週のクーポン支払いのためクーポンを稼ぐか入手しなければならないのと同じように、私たちはドルで税金を払うためにそれを稼ぐか入手しなければならない。もうお分かりのように、家庭内クーポンを発行している家計とちょうど同じだ。子供たちが親に支払うのに必要なクーポンは親から受け取るしかないのだ。
    そして、前に述べたように政府支出はオペレーション上、収入(税収や借入)に制約されることはない。いや、議会が「自分から課している」制約なら現実に存在するが、それは全く別の問題だ。なるほど債務上限ルールや財政収支ルール、FEDによる国債買入禁止ルールなどは存在する。これらはすべて、金融システムの生きた知識を持たない議会によって課されているルールに過ぎない。公共の目的を推進するという観点からは、今の金融制度の下でこれらの制約を自ら課すことは生産を制限することに繋がる。
    こうした制約は、金融という配管の中にわざわざ障害物を設置するようなもので、わざわざ問題を作り出しているものだ。事実、これらわざわざ置いた障害物が、この間の金融危機を実体経済にまで流出させ、不況を招くことになったのだ。
    政府支出が、機能として収入に制約されていないという事実は、「ソルベンシーリスク」は存在しないという意味になる。言い換えれば、債務がどれだけ多いとしても、また税収がどれだけ少ないとしても、政府はいつでも自国通貨で支払いをすることはできる。
    ただし、政府は何の問題もなく好きなだけ支出できるという意味ではない。過剰な支出は物価を上昇させ、インフレをあおる。
    この文が意味するのはソルベンシーリスクは存在しないということで、言わば連邦政府は破産しないということであり、オバマ大統領か何度も言う「支出するお金が無くなる」とか「政府の支出はいくら借りることができるかに制限されている」とうことはない、ということだ[5]
    お次はこの質問が来るだろう。 「社会保障のお金はどこから来るの?」。それにはこう答えよう。「それはただのデータ入力です。ボウリングのスコアと同じところから来るのですよ。」
    別の言い方をすれば、政府の小切手は、政府が不渡りにしようと決断しない限り不渡りにならない。
    政府の小切手は不渡りにならない
    数年前、オーストラリアの経済学カンファレンスで「政府の小切手は不渡りにならない」と題した講演をした時のことだ。聴衆の中にオーストラリア連銀で首席研究員を務めるデイビッド・グルーエン氏がいた。あれは最高のドラマだった。その数年前から私はこの学会で何度か講演をしていたのだが、「政府のソルベンシーは問題ではない」ということを参加者の多くに本当に分からせることまではできていなかった。彼らはいつも最初にこう言っていた。「オーストラリアのような小規模な開放経済はアメリカ合衆国と違うってことをアメリカ人はわかっていない」と。教育を受けすぎた(おそらく)脳には、この論点に限れば経済の規模は全く関係ないということが、なかなか理解されないようだった。スプレッドシートはスプレッドシートだ。ビル・ミッチェル教授と彼の同僚の数人以外の人たちには「心の壁」があって、もし「マーケットがオーストラリアに反乱を起こして”債務を調達”できなくなったらどうなるのか」という深い怖れを抱いていた。
    そういうわけだったので、私は米国政府の小切手は不渡りにならないという話を始めたのだが、数分話したところで、デイビッドの手が上がり、中級の経済学部の学生がよくやるようなお馴染みの台詞を言った。「もし債務の金利がGDPの成長率を超えたら、政府債務は維持不能だ。」質問ですらなく、あたかも事実だとして述べたのだ。
    対して私はこう答えた。「さあ私は連銀の端末入力担当者だ。デイビッド、教えてくれないか、”維持不能”っていうのはどういう意味だい?金利がとても高くて、過去20年間で政府債務が大きくなりすぎたから政府は金利を払えないと言うのかい?自分はちょうどいま年金受給者への小切手を切るところだけれど、この小切手が不渡りになるよと言っているのかい?」
    デイビッドは黙り、深い思考に沈み、このことを考え続け、ついにこう言った。「ああ、自分は今日ここに来た時まで、準備銀行の小切手清算がどのように機能しているのかちゃんと考えたことがなかった。」さらにユーモアを挟もうとオバマ大統領の言葉を引用した。しかし、そこにいた誰も笑ったり音を立てたりしなかった。全員が彼の答えを待っていた。それはこの議論の「天王山」だった。ついにデイビッドは言った。「いや、その小切手は普通に処理する。でもそれはインフレを引き起こし通貨価値を下げる。人々が”持続不可能”という言葉で意味しているのはそれなんだ。」
    聴衆は死んだように静かだった。長い議論は終わった。小規模な開放経済だろうがソルベンシーは問題ではないのだ。「そうだ、我々はいつもそれを言っていたんだ」といういつもの一段階上の観点からのコメントが来たが、ビルと私で瞬時に撃退した。
    私はデイビッドに話し続けた。「ええと、ほとんどの年金支払者が関心を持っているのは、引退したときに基金が存続しているだろうか、とか、オーストラリア政府はもう基金に支払うことができなくなるのでは、ということじゃなかったのかな。」対してデイビッドはこう答えた。「いや、彼らが心配しているのはインフレーション、オーストラリアドルの水準だと思う。」するとニューカッスル大学の経済学部長のマーチン・ワッツが嘴を入れた。「彼らは悪魔だ、デイビッド!」。デイビットは考え深げに認めた。「イエス、あなたが正しいようです。」
    あの日、シドニーの学会で参加者が確認したこととは何だっただろう? 独自通貨を持つ政府は、政府が望みさえすれば、常にフットボールスタジアムと同じように、ボードに好きなポイントを入れることができる。過剰な支出の帰結はインフレーションかもしれないが、決して破産ではない。
    事実はこうだ。:政府債務が支払い不能を引き起こすことはあり得ない。ソルベンシーの問題は存在しない。支出とは政府自身の準備銀行に持つ口座の数字を増やすだけの行為なのだから、「お金を使い果たす」ということはない。
    そう、家計や企業、そして地方政府は小切手を切る際にあらかじめ銀行口座にドルを持っている必要がある。さもないと不渡りになってしまう。それは彼らが支出するドルを創造しているのが別の主体 – 連邦政府 – だからだ。家計や企業、そして地方政府はドルの記録係ではないのだ。
    政府が税を取る理由
    では政府は支出のために何かを得ているわけではなく、そうしておく必要もないのなら、政府はどうして私たちに税を課しているのだろうか?(ヒント:親自身はクーポンを必要としないのに子供から週10のクーポンを取る需要がある。それと同じ理由だ)
    政府が私たちから税金を取ることには、大事な理由がある。税は、経済の中に「ドルを獲得するニーズ」を生み出すのだ。このことゆえに、人々はドルを得るためにモノやサービスや労働を売らなければということになる。納税の義務があるからこそ、政府はもともと何の価値もない紙切れでモノを買うことができる。そのドルを納税のために必要とする人がいるからだ。子供たちに課するクーポン税が、家事をすることで親から稼ぐクーポンのニーズを生み出している。固定資産税で考えよう(所得税で考えるのは現時点ではちょっと早い。結局は同じことなのだが、回りくどい複雑な話になってしまうからだ)。さて、あなたは固定資産税をドルで払うか、さもなければ家を失ってしまう。ちょうど子供と同じ状況だ。子供たちも10クーポンを手に入れなければ罰を受けることになる。そこであなたは何かを売ろうと考える。必要なドルを入手するために、モノかサービスか労働力を売らなければと。これは、必要なクーポンを得るために家事をしようと動機づけられる子供とまさに同じだ。
    最後になるが、「税を納めるためにドルを必要としている人たち」と「モノを売ったり買ったりするためにドルを欲したり使ったりする人々」の関係を見よう。ここで、新しい通貨を持つ新しい国の例に戻る。通貨の名前は「クラウン」とし、固定資産税が課されるとしよう。政府がこの税を課す目的の一つは、軍隊の創設だ。兵士の給料を「クラウン」で支払うと定めて志願者を募る。固定資産を持っている人々は、いきなりクラウンを得る必要に迫られるが、そのうちの多くの人々は兵士となって政府から直接クラウンを得たいとは思わない。彼らは自分の持つモノやサービスを売りに出して、軍隊に参加しなくても、交換によって必要なクラウンを得られないかと行動し始める。固定資産を持たない人々から見ても、チキン、トウモロコシ、衣服や、散髪、医療など、多くの欲しいモノやサービスが売りに出されているということなる。モノやサービスを売っている人々は、軍隊に参加せずに税金を納めるためのクラウンを受け取りたい。これらのモノがクラウンとの交換のために売りに出されることにより、貨幣を得ようと軍に参加した人々も、必要なモノやサービスを購入するための貨幣を得ることになる。
    物価は「政府が必要とする兵士数が集まるところ」に調整されて行く。そこに調整されるまでは、納税者全員が税を納めるには支出総額が足りないので、クラウンが必要だけれども軍には参加したくない人々は売りに出すモノやサービスの価格を必要な金額が得られるところまで下げるか、あきらめて軍に参加するということになるからだ。
    次に紹介するのは理論上の概念ではなく本当に起こったことだ。1800年代のアフリカで、英国が作物を作るために植民地を作ったときの話だ。最初英国は現地の人々から職を募ったが、英国のコインを稼ぐことに興味を示さす者は誰もいなかった。そこで英国はすべての住居に「小屋税」を課し、それは英国の硬貨だけでしか納められないものとした。すると地域はたちまち「マネタイズ」され、人々は英国の硬貨を必要とすることになり、それを得るためにモノや労働力を売りに出し始めた。こうして英国は彼らを英国硬貨で雇い、作物を育てることができるようになったのだ。
    これはちょうど、親が子供に家事をやってもらうため子供たちから労働時間を得ていたのと同じことだ。そして、これがドルや円、ポンドといったいわゆる「不換貨幣」のしくみだ(金本位制は終わり、固定相場制も今やわずかに残っているのみだ)。
    さあ、以上で現代経済における税の役割を、経済学の言葉を使って新たな角度から見る準備が整った。勉強してきた経済学者なら「税の総需要抑制機能」と言うものだ。この「総需要」とは「購買力」のカッコいい言い方だ。
    政府が私たちから税を取るのは、ある一つの理由のためだ。支出を限定することよって通貨の希少性と価値を維持するのだ。あるいは、「インフレを引き起こすことなく政府が死守する余地を残すため」に私たちからお金をとっている考えてもいい。経済を巨大デパートだと考えてみよう。毎年、私たちみんなが生産し売りに出しているモノやサービスでいっぱいの巨大デパートだ。そして仮に、私たちはデパートで売っているものをちょうど全部買うだけ給与をもらったり利益を稼げたりできている、としよう。(つまり、さらに借り入れができればデパート全部のもの以上を買える)。もしその時、いくばくかのお金が税として奪われると、デパートで売られているもの全部を買うには購買力がその分足りないということになる。こうして欲しいものを政府が買う「余地」が生まれる。ここで政府が欲しいものを買えば、政府と私たちの支出を合わせてても、デパートで売られているもの全部より多いということにはならない。
    ところが、政府が税を取りすぎる(支出に比して )と 、デパートで売られているものがすべて売られるには総支出が足りない、ということになる。企業が生産したものがすべて売れないと、人々は職を失い、支出するお金が足りなくなり、モノはさらない売れなくなる。人々はさらに職を失い、経済は下降スパイラルに陥る。これは不況と呼ばれているものだ。
    政府が税を取っている裏には、公共インフラを提供するという公的な目的があることを覚えておいてほしい。公共インフラとは軍や、法律システム、議会、政府の執行機関などなどだ。これらを初め、いちばん保守的な人でも政府に任せたいと考える事柄はかなりたくさんある。
    では、こんなことを考えてみよう:私たちにとって望ましいように国が運営されるとして、その「適正」な政府支出はどのくらいで、税はどのくらいであるべきだろうか? この質問をする理由だが、ここで伝えたいのはこういうことだ。「政府支出の適正額」とは、正しく理解されれば、これは経済的、政治的な意思決定なのであって、政府の財政状態とは何の関係もないものなのだ。政府を運営する真の「コスト」とは、運営のために消費する現実のモノとサービスだ。それは労働時間、燃料、電気、炭素繊維、ハードディスクなどなど、政府が買わなければ民間の人々も入手可能なものだ。従って、政府が政府運営のため実物資源を買い上げると、民間部門の活動のために残る実物資源はだいぶ減少することになる。人的資源を例にすれば、防衛のために十分な兵力を持つ軍隊の兵士数とは、民間で作物を育て、車を製造し、医療行為をし、株や不動産を売る事務をし、家にペンキを塗り、芝生を刈るなどなどをする人がどれだけ減るかということと関係する。
    それゆえ、私の考え方からは、「適正な」水準の公共インフラを備えた政府の大きさとは、「財政」の観点からではなく、実質的な便益と費用に基づいてまず決めるべきということになる。この時金融システムとは、私たちの現実の経済と政治的な目的を調整するために使われる道具なのであって、何をするかを決めるときに参照する情報源ではない。こうして適正なサイズの政府のためには何をどれだけ買う必要があるかがまず決まったら、税は、政府がその買い物をした後に「デパート」に残っている売り物を買うのに十分なだけの購買力が私たちに残るように調整される。私の見立てでは、一般的に税は政府支出よりだいぶ少なくなるのがいい。理由はすでに説明したし、この本の後でも詳しく論じる。こう考えると、GDPの5%ほどの財政赤字あたりが基準になるだろう。今でいえば毎年7500億ドルというところだ。しかしながら、この数字自身に絶対的な意味があるわけではなく、状況によってだいぶ多かったり少なかったりする。大事なのは、税の目的とは、経済が過熱しすぎず、また停滞しすぎにもならないようにバランスをとることだ。私たちが望む政府の大きさと範囲を先に決めるので、税額はその適正量に合うように設定されることになる。
    これが意味するのは、経済を低迷から救い出すために政府を大きくするべきではないということだ。あらかじめ適正な大きさの政府にしてあるのなら、経済低迷のたびに政府を大きくするべきではない。もちろん、低迷期に政府支出を増やせば多くの仕事が創出され、低迷は終わるだろう。しかしそれは、適切な減税によって民間の支出を望ましい量に再生することによって低迷を終わらせるのに比べ、だいぶ劣ると思う。
    さらに悪いのは、財政黒字の時に政府を大きくすることだ。再度言うが、政府の大きさがどれくらいであるべきは政府の財政とは何の関係もない。それは財政とは完全に独立に決めるものだ。この政府支出の適正量は、税収とも借入能力とも全く関係がない。その二つは単に公共の目的に資する政策実現のための道具に過ぎず、支出するしないの根拠にはならず、そもそも政府支出に必要な収入源でもない。
    政府の役割がどうあるべきかについての細かい意見は本の後半になるが、安心してほしい、ビジョンとしては基本的な公益基盤に集中する、今よりずっと合理的で効率的な政府だ。幸いなことに、それを容易に成し遂げる、ものすごく賢明な方法が存在する。規制をはるかに小さくしても、公的目的をより良く推進するために、市場の力を導く適切なインセンティブを導入することは可能だ。結果として世界にうらやましがられる政府と文化ができるだろう。私たちのアメリカ的価値、つまり、真摯な労働やイノベーションの奨励、平等な機会の提供、公平な結果、真の誇りをもって遵守される法と規制といったものを表明する政府になるだろう。
    少し脱線した。税金はどのくらい必要かという問題に戻ろう。もし政府が単純に政府に必要なものだけを買おうとし、私たちから購買力を奪わなかったら、つまり税を取らなければ「少な過ぎるモノを多すぎるお金が追いかける」ことになりインフレになるのだった。実際のところは、そもそも税がなかったら、国の貨幣でモノを売ろうという人がいなくなるというのは先に論じたとおりだ。
    こういったインフレを起こさないように政府が支出をしていくためには、政府は徴税によって私たちの購買力をいくらか除去しなければならない。何かに支払うためではなく、支出がインフレを引き起こさないようにするためだ。経済学者ならこんな風に言う。税の機能は収入を増やすこと自体ではなく、総需要を統制することにある。言い換えれば、政府が私たちに税を課し、私たちのお金を奪うのはインフレを避けるためであって、支出するためのお金を獲得するためではない。
    再度言う。税の機能は経済を統制するためであって、議会の支出のためのお金を得るためではない
    そして、これも再度言うが、政府はドルを持っているわけでも持っていないわけでもない。政府は単に私たちの銀行口座の数字を増やすことによって支出し、減らすことによって徴税している。こうした行為は、経済を統制するという公共の目的のためと考えられる。
    しかし、政府がこの「命取りに幼稚な嘘」の第一番、「政府が支出をするためには、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない」を信じ続ける限り、産出と雇用を制約する政策が支持され続けていくだろう。そうやらなければ素晴らしい経済的結果など、容易に達成できるのだが。
    1. いま心の中で疑問がわいたと思う。それにはこの本でもすぐ後でも答えるが、ここに簡単に書いておく。
      疑問:政府が支出のための税を必要としないなら、いったいどうして税を取るのか?
      答え:政府が税金を取るのは、経済学者が「総需要」(「購買力」をカッコよさそうに表す言葉)と呼ぶものを調整するためだ。簡単に言えば経済が「加熱しすぎている」時には税を増やすことで冷やし、「低迷しすぎている」時には税を減らして温める。税は支出のためのお金を得るためのものではなく、購買力が強すぎてインフレになったり、弱すぎて失業や不況を招いたりすることがないように調節するためのものだ。
      []
    2. 準備預金の会計を理解している人のために。FEDは準備預金を加えずしてそれを除去することはできない。それでは決済日に国債残高が増えていた時にFEDがやることは何か?レポ取引を行う。金融システムに資金を提供し、国債を買わなければならない。そうでなければ国債を買う資金がないので、銀行は資金不足に陥ってしまう。ここでFEDにおける資金不足とは何だろう?機能の面では、それは政府からの借り入れだ。それゆえ、いずれにしても国債を買うために使うお金はいずれにしても政府自身に由来するということになる。税を支払うにせよ国債を買うにせよ、その資金は政府の支出に由来しており、政府の支出がまずあって、次に徴税や借り入れができるようになるという順番だ。 []
    3. 金融システム内部ではどうなっているかについてのメモ:
      小切手を切ることで政府に納税をするとき、政府はあなたの銀行がFEDに持っている準備預金口座から引き落とす。準備預金は民間部門では生み出せず、FEDに由来するしかない。もしあなたの銀行が準備預金を持っていなかったら、あなたの小切手はその銀行の準備預金不足となる。準備預金不足はFEDからの借り入れに他ならない。したがって、いずれにしても政府に支払うための資金は政府にのみ由来している。 []
    4. ここで思い出してほしいのが、州政府や地方政府は、連邦政府のようなドルの発行者ではなく、ドルのユーザーだということだ。地方政府は私たちと同じ位置にいる。いずれも小切手を切る前には銀行口座に資金を用意しておかないと破産してしまう。親と子の比喩で言えば、地方政府は与える前に獲得しておく必要がある子供と同じ位置にある。 []
    5. バラク・オバマ大統領から引用 []

    命取りに無邪気な嘘 その2:
    政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる
    事実:
    そのような、ある世代全体に及ぶ負担は存在しえない。子供たちは、債務があろうがなかろうが彼らが生産できるものなら何でも消費することができる。

    これは、政府の赤字財政支出は問題であると認識している多くの人が最初に頭に思い浮かべている「無邪気な嘘」だ。いま支出のために借りるということは将来返すことになるのだろうと。メディアもいつもそのように報道している。
    “財政赤字の増加は将来の増税を意味する” 
    そして赤字財政支出で支払いを後回にすると、私たちの子孫の生活水準や福祉を損なうことになる。
    プロの経済学者たちはこれを「世代間」債務問題と呼ぶ。それは「政府が赤字財政支出をすると、その支出の支払い負担が将来世代に残る」というようなことだ。
    巨額の数字が、今にも倒れてきそうだ!
    しかし幸いなことに七つの命取りに無邪気な嘘はこれ全部、やさしい理解の仕方によってあっさり却下することができる。「将来、私たちの子孫のモノやサービスが奪われる、その理由は”国の借金”と呼ばれているもののためだ」という考えはひたすらバカバカしいのだ。
    要点を伝えるための話をしよう。数年前のことだ。セント・クロイ島のボートデッキで、かつて上院議員やコネチカット州知事を務めた、ローウェル・ウェイッカー氏と夫のクラウディア夫人にばったり出会った。私はウェイッカー知事にこう尋ねた。「この国の財政政策にまずいとこはありますか?」 彼の返事は、「今の支出の支払い負担を子供たちに残す赤字の増大を止めなければならない」というものだった。
    そこで自分は、彼の論理の背後に隠されている嘘を表現できないかと願いつつ次の質問をした。「子供たちがこれから向こう20年間で毎年15万台の自動車を製造するとして、そこで彼らは、さあ負債を返済しようと考えて2008年の今にその自動車を送ったりするでしょうか。我々だって、第二次大戦以来の債務を返済するためにモノやサービスを1945年に送ったりしているでしょうか?」
    今私はコネチカット上院議員に立候補しているが、全く同じことを言っている。他の候補者たちのホットなテーマは、「私たちは現在の支出のために中国などから借金をしていて、子や孫に支払いのつけを回している」とのことだ。
    もちろん、もうお判りのように、私たちは政府債務を支払うために時をさかのぼりモノやサービスを過去に送り返したりしていないし、子供たちもそんなことはする必要がない。
    将来、子供たちが仕事に行ったり、モノやサービスを生産する時に、過去の政府支出がその妨げになる理由もない。また、子供たちの未来においても(いまも同じなのだが)国債残高がいくらであろうと、その時生きている人は誰でも仕事に行けるし、モノやサービスを生産したりそれを消費することができるのだ。「過去のために」と今年の生産を諦め、諦めた分をご先祖世代に送り返すなどということはない。子供たちは、私たちが彼らに残す何であれ、私たちに返さないし、返すことができない。返したいと望んだとしてもだ。
    赤字支出の調達とは、何ら重大なことでもない。政府が支出するとき、政府は私たちの銀行口座の数字を増える方向に「変える」だけだった。より精確にはこうだ。私たちが普段使っている民間銀行がFEDに口座を持っていて、それは準備預金口座と呼ばれている。海外の政府もまたFEDに同様のを持っている。これら準備預金口座は、ちょうど民間銀行が持つ当座預金口座と見なせる。
    政府が支出するときに(税は関係ない)政府がすることと言えば、適切な当座預金(準備預金口座)の数字を大きくすることだけだ。たとえば政府があなたに2000ドルの社会保険の支払いをするときは、あなたの口座を置いている銀行がFEDに持っている当座預金口座の数字を2000ドル増やす。さらに自動的に、あなたの口座の数字が2000ドル増えることになる。
    次に「国債とは実際のところ何であるか」を理解しよう。国債とは、FEDに置かれる普通預金だ。国債を買うときにFEDにドルを送ると、将来のどこかの時点で彼らは利子を付けて返してくる。民間銀行の普通預金と同じだ。銀行にドルを送ると、彼らは利子を付けて返してくる。銀行が2000ドル分の価値を持つ国債を購入するとしよう。FEDはこの国債の支払いを受けつけるため、銀行がFEDに持っている当座預金の口座の数字を2000ドル分減らし、普通預金口座の数字を2000ドル増やす。(ここで私は国債のことを「普通預金口座」と言っている。そうなのだから。)
    言い換えれば、政府が「借金する」と言われているものをするときに政府がすることとは、FEDにある当座預金から普通預金(国債)に残高を移すことなのだ。FEDは全部で13兆の債務を持っているが、これは「経済が全体としてFEDに持っている普通預金がその額である」という以上の意味はない。
    さて国債が満期を迎え、その「債務」を返済しなければならない時には何が起こるだろうか? そう、もうおわかりの通り、FEDにある普通預金口座(国債)からFEDにある適正な当座預金口座(準備預金)にドル収支がシフトするだけだ。何も新しいことはない。はるか以前からそうされている通りなのだ。しかしこれほどシンプルで今後も問題になるわけがないということを、誰も理解していないように思われる。
    連邦政府の徴税と支出が作用するのは分配だ
    分配とは、生産されたすべてのモノとサービスが誰のものになるかということだ。政治家が法案を通すたびにやっていることだ。彼らは制度によってモノやサービスの行き先を変える。良い方向の変更もあれば悪い変更もある。良くなる方の確率を上げるのは、7つの「命取りに無邪気な嘘」への無理解を減らしていくことだ。たとえば議会では毎年税制について議論するときに収入と支出に注目している。「いちばん払えそうなところに課税」。「必要とされているところに支出」。また、利息やキャピタルゲインや不動産、もちろん所得にどうやって課税するかも決めている。これらはみな、分配の問題だ。
    議会はまた、政府は誰を雇って誰を解雇するか、モノを誰から買うか、誰が直接給付を受けるかを決定する。さらに、価格や収入に直接影響を及ぼす法を作りもする。
    米国ドルを持っている外国人には特有のリスクがある。彼らは私たちにモノやサービスを売ることによってドルを稼ぐが、将来私たちからモノやサービスを買える保証はない。物価が上がる(インフレーション)かもしれないし、外国人が私たちから買いたい物に合法的に課税することもあり得る。この場合彼らの購買力が減少するということになる。
    たとえば、昔、日本が私たちに一台2000ドル以下で自動車を売っていたとしよう。彼らはそのドルをFEDの普通預金口座にずっと持っていた(米国の国債を持っている)として、今彼らがこのドルを使いたいと思っても、自動車を買うためには一台20,000ドル以上は必要になるだろう。彼らはどうしたらいいだろうか?メーカーに電話して文句を言う?彼らは、何百万台の素晴らしい自動車をFEDの帳簿に置かれた信用と交換したのだ。それによって買うことができるのは私たちが許可したものだけだ。最近起こったことを見てみよう。FEDは金利を引き下げたのだが、これによって日本が米国国債から得る金利が減少した。(この議論はこの先の別の「無邪気な嘘」に続く)
    これは全部、合法的で日常的なものだ。毎年の産出は全体の生活水準に広がる。債務残高があるからといって現実の産出がどこかに消えたりはしない。債務の大きさとも関係ない。債務残高が産出や雇用を減らすこともない。むしろ分かっていない政治家たちが債務を減らす決定をすることが産出と雇用を減らす。残念なことに今はそれだ。だからこれは「命取りに無邪気な嘘」なのだ。
    今日(2010年4月15日)、議会は増税によって政府支出の余地を必要以上に増やし、私たちからさらに購買力を奪おうとしている。私たちが欲しいものに支出したとしても政府の巨大支出は可能だ。経済と呼ばれる大きなデパートにはまだ売れていないものがたくさん残っているのだから。
    どうしてそれが分かるかって?簡単!失業者の数を数えればいい。この経済にどれだけ巨大な余剰能力があるかを見ればいい。FEDが「産出ギャップ」と呼ぶもので、私たちが今生産しているものと、完全雇用の時に生産できるものの差だ。それは凄い量だ。
    もちろん、赤字や政府債務は「記録」されるが、もう知っている通り、それはFEDが国債と呼んでいる私たちが普通預金に預けている額だ。ついでながら、米国の累積赤字を経済の規模との比率でみると、まだ日本より小さく、ほとんどのヨーロッパ諸国よりだいぶ小さく、第二次大戦当時に大恐慌から脱出するためだったそれ(そして後の負担にはならなかった)よりもはるかに小さい。
    この本を深く理解したあなたは、赤字の規模は財政運営上の問題ではないということに気付いているだろう。税の機能は経済を統制することであって、議会が考えているように歳入を増やすことではないと気づいてくれたらうれしい。私にはいまの経済からの悲鳴が聞こえている。人々が支出するのに十分なお金を持っていないと叫んでいる。購買力が強すぎて使い過ぎだと叫んではいない。これに同意しない人、いる?
    失業は倍増している。GDPは、もし議会が課税し過ぎず、また、これほどまでに私たちから購買力を奪わなかったとした場合に比べ10%以上は小さいだろう。
    私たちが潜在力を発揮していないということは – 完全雇用に達していないということは – 子孫の利益のために生産できる物やサービスを子孫からも奪っていることになる。同じように、高等教育への助成の削減は、子供が将来彼らにできる最高のことをするのに必要な知識を彼らから奪っている。また、基礎研究や宇宙開発への支出削減は、そこからの果実を子供たちから奪い、その代わりに今この失業を維持しているということになる。
    そう、生きている人々は、今年産出するものを消費することができるし、さらに産出のいくらかを「モノやサービスへの投資」という形で使おうと決めることもできるのだ。それは将来の産出を増やすだろう。そしてそう、今年の産出を誰がどう使うかについて最大の発言力を持つのは議会だ。過去の財政赤字に由来する分配問題があるなら議会で議論すればいい。分配は合法的手続きによって人々の満足に変えることができるのだ。
    中国への返済はどうする?
    政府債務の返済を心配する人は、それが実務的にどのようなものかをボルトとナット(入金記帳と出金記帳)レベルでの理解ができていないのだろう。そうでなければそういう心配に意味がないと気付いているはずだ。彼らが分かっていないのは、ドルも国債もどちらも「口座」にほかならず、政府が帳簿に乗せている「数字」以上のものではないということだ。
    まず最初は、私たちが中国とどうやって現状に至ったのかを見てみよう。最初は中国が私たちにモノを売りたいと思い、私たちがそれを買いたいと思ったのがスタートだ。例として、米軍が一億ドルの制服を中国から買おうして、中国はその値段で制服を売りたいと望んだとしよう。よって米軍は中国から一億ドルの制服を買ったと。ここでは両者がハッピーであることを理解してほしい。そこに「不均衡」などない。中国は一億ドルよりもユニフォームよりを持っていることもできたし、売れなかったかもしれない。米軍はユニフォームでなく一億ドルを持っていることもできたし、買えなかったかもしれない。元の論点に戻ろう。中国はどうやって支払いを受けるのだろうか。
    中国は米国の連邦準備銀行(FRB)に準備預金口座を持っている。準備預金口座とは簡単に言えば当座預金口座の格好良い名前だ。「連邦準備銀行」だから、当座預金口座と呼ばないで「準備預金」口座と呼ぶわけだ。さて中国への支払いのため、FEDは中国がFEDに持つ当座預金口座に一億ドルを足す。口座の数字を変えるだけ。この数字は別にどこかから来たわけではなくて、フットボールのスコアと何も変わらない。中国には選択肢がある。何もしないでそのまま十億ドルをFEDにある当座預金に置いたままでもいいし、米国の国債を買うこともできる。
    繰り返すが、国債は簡単に言えばFEDに置かれる普通預金の格好の言い呼び方だった。買い手はFEDにお金を渡し、後日金利付きで返ってくる。これは普通預金だ。銀行にお金を渡し、後日金利付きで返ってくる。
    仮に中国が一年物の国債を買うとしよう。そこで起こることはこうだ。「FEDは中国の当座預金から一億ドルを引き、中国の普通預金口座に一億ドルを加える。」そして一年物の国債の満期の一年後に起こることはこれだけだ。「 FEDは中国の普通預金口座からそのお金(利息が付いている)を差し引き、FEDにある中国の当座預金口座に加算する。」
    中国は現時点で、二兆ドルほどの米国国債を持っている。それらが満期になり中国に返済するときが来たら私たちはどうする? FEDの普通預金口座にあるそのドルを減らし、FEDの当座預金口座に足したら、あとは何なら、彼らが次に何をしたいと言うかを待てばいい。
    これは政府の債務が満期を迎えたときにいつも、常に起こっていることだ。FEDは帳簿上の普通預金口座から数字を減らして当座預金口座の数字に足す。人々が国債を購入する場合は、FEDは当座預金口座から減らして普通預金口座に加算する。どうして大騒ぎするわけ?
    ただただ悲劇的な無理解だ。
    中国は私たちが「債務償還の原資を調達」する必要がないと知っていて騒ぎをバカにしているだろう。今ならガイトナー、クリントン、オバマ、サマーズやそれ以外の行政の執行者たちもそのバカに含まれる。議会やマスコミもバカだ。
    興味のある読者のために、より技術的な書き方をしよう。例えば短期、中期、長期の国債が銀行に買われるとき、私たちが「金融システム」と呼ぶスプレッドシートへの入力が二つなされる。まず、政府は買い手がFEDに持つ準備預金勘定(当座預金)からの引き落としをする。次に、買い手がFEDに持つ有価証券勘定の数字を増やす(振り込む)。いつも通り、政府は単にスプレッドシートの数字を買えるだけだ。片方の数字は小さくなり、もう片方が大きくなる。そして満期日が来ると、中国が持っているその国債が償還される。FEDはもう一度スプレッドシートの二つの数字をただ変える。中国がFEDに持っている有価証券勘定から引き落とす。そして中国がFEDに持つ準備預金(当座預金)勘定に振り込む。これで全部だ。債務償還完了!
    中国は自分のお金を取り戻した。中国はFEDの当座預金にUSドル(巨額)を持っている。中国が何か欲しいのなら – 自動車、船舶、不動産、他の通貨 – 代金をドルの振込で受け取りたい売り手から市場価格で買う必要がある。中国が何かを買うときには、FEDは中国の当座預金からその金額を引き落とし、中国がそれを買った誰かさんの当座預金に同額を加算する。
    「中国への返済」が「中国が米国ドルで持つ富」を何ら変えるわけではないことにも注意してほしい。単に彼らは同じ金額を「国債(普通預金)」でなく「当座預金」で持つというだけのことだ。彼らがやっぱり国債で持っておきたいと望んでも、問題ない。FEDは彼らのUSドルをもう一度当座預金から普通預金に移すだけだ。適切に数字を変えることによって。
    国の債務の返済とは、FEDにある満期になったある一つの証券勘定を減らし、FEDにある別の勘定の数字を増やすことなのだ。この移動は実質経済にとってごく普通のことだし、主流経済学者や政治家やビジネスマンやマスコミが思っているような「差し迫った危機」でも何でもない。
    もう一度。国の債務の返済とは、政府が、自身が持つスプレッドシートの二つの数字を変えることだ。一つの数字は、有価証券が民間部門に所有されているかを表す数字で、これは減らされる。もう一つの数字はFEDに置かれているUSドルがどれだけあるかを表す数字で、これは増やされる。それで終わり。債務返済終了。貸し手にお金が戻った。凄い取引かな?
    では、もし中国が今の低い金利ではもう米国の国債を買わないと言ったらどうなる?彼らを引き付けるために金利を上げなければならいだろうか?違う!
    それなら中国は当座預金で持ち続ければいいだけだ。自国の金融システムを理解している政府なら別段問題を感じない。残高が政府支出に使われるわけではないのは前に説明したとおりだ。それがFEDの当座預金にあろうが、FEDの普通預金あろうが、悪くなる道理は一切ない。
    ではもし中国がこう言ったらどうなるだろう。「FEDに当座預金勘定などもう持ちたくない。金とか何か別の方法で返してくれ!」。現在の「不換紙幣」制度[1]の下では、単にその選択肢はない。中国だって、米国軍に制服を売ってFEDの当座預金でお金を持った時に理解していた通りだ。ドル以外の何かで欲しいならば、その欲しいものを売りたい人から買わなければならない。ちょうど私たち国民がドルで支出しているように。
    いつか私たちの子供たちも、私たちがやっているように、そして私たちの親もやっていたようにスプレッドシートの数字を変えているだろう。願わくばもっと理解が進んでいることを。何しろ今は「子供たちに政府債務を残している」などという命取りに無邪気な嘘が政策を動かし、最適な生産や雇用ができないようにさせられているのだから。
    失われた産出や人的資本の棄損は、私たちにも子供たちにも現実の代償となっていて、現役世代と将来世代の両方を痛めつける。私たちが生産できるはずのものを制限し、高失業(犯罪や家族問題や医療問題を伴う)を維持するとそうなることになる。私たちが完全雇用と産出を維持する方法を知ってさえいれば現実として投資できるものを、子供たち世代は奪われていることになるのだ。
    1. 1971年、米国は金本位制から完全に離脱し、ドルと金との交換は政府に保証されなくなった。 []

    命取りに無邪気な嘘 その3:
    政府赤字が貯蓄を奪う
    事実:
    財政赤字が貯蓄を増やす


    ローレンス・サマーズ

    数年前のこと。トム・ダシュル上院議員とともにローレンス・サマーズ副財務長官と面談する機会があった。もともとダシュル上院議員とは、「無邪気な嘘」たちがどれほど彼への投票者たちの福祉に反する働きをしているかについてずっと話し合っていた。そういうわけで彼がこの元ハーバード大学の経済学部教授、しかも叔父には二人のノーベル経済学賞受賞者がいる副財務長官との面談をセッティングしたというわけだ。サマーズの反応を見てみたかったし、自分の言うことに同意してくれればよいなと思っていた。
    この質問から始めた。「ラリー、財政赤字の何が悪いんだい?」彼は答えた。「財政赤字が、本来は投資に回されるべき貯蓄を奪ってしまうことだ。」私は反対した。「それはない。国債はFEDが運用上の諸要素を調節するのに働いているに過ぎない。貯蓄や投資とは何の関係もないじゃないか。」彼はこう返してきた。「いや自分は準備預金の会計はよく知らないから、そのレベルの議論はできないよ。」
    ダシュル上院議員は信じられないという様子でこれを見ていた。このハーバード大経済学教授、副財務長官であるローレンス・サマーズが準備預金会計を理解していない?悲しいが本当だ。
    こうして面談の残りの20分は「節約のパラドックス」(詳しくは無邪気な嘘6番にて)を段階を踏んで説明することになった。彼なりに理解してくれたようで、最後にこう言った。「…そうすると、投資がもっと必要で、それが貯蓄になる?」私はフレンドリーに答えた。「イエス」。こうして良きハーバード大教授に対して経済学の一番の初歩を説明して面談は終わった。翌日のこと、彼がコンコルド連合(財政赤字テロリスト集団)とともに演壇に立ちながら財政赤字の重大な危険性について話しているのを見ることになった。
    このように、この致命的に無邪気な嘘第三番は国のトップ中のトップにおいても健在だ。じっさい財政赤字はどのように働いているのだろうか。それはこの上なく単純な話だ。政府の赤字は、額が幾らであっても、政府以外の残り全部(企業、家計、国内居住者、非国内居住者)ー「非政府」部門と呼ばれている ー が持っているドル建ての金融資産の増加額とぴったり一致する。つまり財政赤字は、私たち政府以外の「金融性貯蓄」をぴったり同額増やす働きをするのだ。
    一言で済む。政府の赤字は私たちの貯蓄を増やす(ぴったり)。これは会計的な事実であって、理論とか哲学といったものではない。議論の余地がない国民所得計算の基本なのだ。たとえば、去年の財政赤字が1兆ドルだったなら、みんなの金融資産貯蓄を合わせたものがちょうど1兆ドル増えたということを意味になる(経済学をかじったことが事がある人なら、純金融貯蓄とは現金と国債とFEDにある銀行の預金の合計だということを覚えているだろう)。これは経済学入門であり、銀行論金融論のイロハのイにあたる。疑問の余地もない会計の恒等式だ。ところがそれが政治の最上層部でもずっとねじ曲がったまま理解されているのだ。彼らはただただ間違っている。
    CBO(議会予算局)の誰かに尋ねてみればいい。私は実際尋ねたことがある。彼らは答えるだろう「収支は必ず一致させなくてはならない」。そうしたら次は、財政赤字と私たちの貯蓄の増加が一致しているかを確認してみよう。もし一致していなければ、彼らは深夜まで残業してどこで会計ミスをしたのかを探すはめになる。
    前に書いたように政府の支出はスプレッドシートへの入力だった。財政赤字はそれが集まったものだ。政府支出の際、会計係は「政府」という名前の口座から引き落とし操作を行い、同時に受け取る誰かさんの口座に振り込む操作をする。政府の口座の残高は減り、誰かさんの口座の残高はぴったり同じ額だけ増える。
    次は、政府の財政赤字が民間の貯蓄を増やす様子をオペレーションごとに見ていこう。ついでに、最近登場してきた新しいこんな無邪気な嘘のバカバカしさをも暴くことになる。
    「財政赤字は結局誰かから借たものを別の誰かに与えるものだから、何もプラスにはならない。ある人から別の人への移動に過ぎない。」というやつだ。つまり財政赤字は私たちの貯蓄を増やしたりせず、貯蓄を付け替えているだけだと言うのだ。最上級の間違いだ!では、財政赤字は貯蓄の付け替えているのではなく、貯蓄を増やしている様子を見ていこう。
    1.スタート。政府が一千億ドルの国債を販売する。(注意:この販売は強制ではない。つまり国債の買い手は買いたいから買う。買わないよりも買った方が得だと考えている。政府に強制された誰かが買うわけではない。オークション形式で販売され、いちばん少ない利回りを受け入れた参加者に売られることになる。)
    2.国債の買い手が代金を支払うが、買い手がFEDに持つ当座預金口座から一千億ドルが支払いとして引き落とされる。つまり、FEDの当座預金口座にあったお金は、国債、つまりFEDにある普通預金口座に移される(訳者注:筆者は前の記事で「国債」を「普通預金」になぞらえており、この記事でもそれを受けている)。この時点では非政府部門の貯蓄はまだ変化していない。買い手が国債を買う前は当座預金にあったお金が、そのまま貯蓄として普通預金口座に移動しただけだ。
    3.こうして一千億ドルの国債を販売した後、財務省は普段よく買っているものに一千億ドル分支出するとする。
    4.この財務省の支出が誰かの当座預金を一千億ドル分増やすことになる。
    5.ここにおいて、非政府部門の当座預金に一千億ドルが加算され(国債購入前の残高に戻る)、同時に一千億ドルの国債も持っている状態になっている。
    まとめ:一千億ドルの赤字財政支出が、非政府部門(政府以外の全員と言う意)の貯蓄を新しい国債という形で一千億ドル増加させた。
    一千億ドルという新国債の買い手はまず、当座預金のお金を国債(普通預金)に移動させた。次に財務省が一千億ドルの支出をしたことにより、この一千億ドルの受け取り手の当座預金が同額増える。
    ポイントに戻ると、赤字財政支出とは、単に政府以外にある金融資産(ドルと国債)をシフトさせるだけのものではないとわかった。赤字財政支出は、非政府部門にある金融資産貯蓄をぴったり同額、ダイレクトに増やすのだ。そして同様に、財政黒字はとは、私たちの貯蓄をダイレクトに同額奪うものなのだ。メディアも政治家も、一流経済学者たちでさえ、これを逆に考えている!
    1999年7月のこと。ウオールストリートジャーナルの一面に二つの見出しが並んでいた。向かって左は、クリントン大統領と財政黒字額を賞賛し、いかに財政運営がうまくいっているか説明する内容の記事だった。向かって右側の記事は、アメリカ人は貯蓄をしておらず、私たちはもっともっと働いて貯蓄に励まなければならないという内容だった。何ページかめくるとグラフが載っていて、財政黒字が増えていることを示す線と、国民の貯蓄が減っていることを示す線が一緒に描かれていた。二つの線はほぼ同じ形をしていたが、向きが真逆だった。このことは、財政黒字の増加が、民間貯蓄の減少とほぼ等しいことをはっきり示していた。
    財政黒字であるならば、民間貯蓄(海外居住者のドル建て金融貯蓄を含む)の増加はあり得ない。あり得ないのだが、主流経済学者や政府高官にはまだ理解されていない。
    アル・ゴア
    2000年の初め頃、フロリダ州ボカラトンの私邸で催されたアル・ゴア大統領候補の資金集めパーティのディナーで私は彼の隣に座っていた。経済について議論するためだ。彼の最初の質問はこうだった。「予測では向こう10年の財政黒字が5.6兆ドルになると見込まれていますが、次期大統領としてはこの黒字を何に使えばいいでしょうね?」私は説明した。5.6兆ドルの黒字はありえない、なぜならそれは非政府部門の金融資産貯蓄を5.6兆ドル減らすわけで、馬鹿げた計画なのだ。その時点で、民間部門にはそれだけの額を課税で奪われるだけの貯蓄は残っていなかったし、直近の数千億ドルの黒字が民間貯蓄を奪っていたことは、むしろクリントン景気が崩壊直前であることを暗示していた。
    私はさらに指摘した。200年以上の米国の歴史における直近六回の財政黒字期を見てみると、その直後に不況に陥ったのは六回のうちたった六回だけだったと。そして、来たる崩壊は、財政黒字を許容して私たちの貯蓄を抜きとったために起こるのだから、結果としての不況は、私たちの失われた貯蓄が十分埋め合わせられ、産出と雇用を修復するのに必要なだけの総需要をもたらすだけの財政赤字が蓄積せれるまで収束しないことでしょう、と。
    起こったのはその通りのことだった。経済は崩壊し、2003年にブッシュ大統領は緊急回避的に強力な財政赤字支出を打ち出した。しかしその後、クリントン時代の黒字時代に失われた金融資産(財政黒字はぴったり同額の貯蓄を私たちから抜き取る)を十分埋め合わせるのに十分な財政支出に到達しないうちに(財政黒字はぴったりその額だけ私たちから貯蓄を奪っていたのだから)、再び財政赤字は縮小されてしまった。そしてサブプライムのバブルが崩壊し、再び経済は崩壊したが、それは当時の環境に対して財政赤字が小さいままだったからなのだ。
    現在の政府財政の水準といえば、私たちは税を取られ過ぎの状態にあり、税引き後の所得は経済と呼ばれる巨大デパートで売られているものを買うには十分なものではなくなっている。
    とにかく、アルは良い生徒だった。さらに詳しい話をしたところ、この話が本当であること、そしてこれから何が起こり得るかについてまでも同意してくれた。しかし彼は「そこまでは行けない」とも言った。立ち上がる彼に私は言った。政治的現実はわかるよ、と。彼は演壇に向かい、来たるべき黒字をどう使うかの演説を始めた。
    ロバート・ルービン
    10年ほど前、2000年くらいだったか景気減速の直前ごろ、シティバンクの顧客ミーティングでロバート・ルービンと一緒になった。クリントン政権の前財務長官だ。他に20人ほどの顧客がいた。ルービン氏は経済についての持論を述べ、低い貯蓄率はやがて問題になって行くだろうと指摘した。その話を数分聴いたところで、私は「自分も貯蓄率の低さは問題と思う」と述べてからこう尋ねた。「ボブ、ワシントンでは誰か、財政黒字が非政府部門の貯蓄を奪っていることを認識している人がいるのかい?」彼は答えた。「いや、黒字は貯蓄をもたらす。政府が黒字運営できれば市場から国債を買い戻せるから、貯蓄と投資が増える。」私は反論した。「いや、黒字運営だと私たちは国債をFEDに売って納税資金を獲得しなきゃならないから、私たちの金融資産貯蓄はその黒字分だけ減るじゃないか。」ルービンは言った。「いや、間違えているのは君だろう。」私は反論せず、ミーティングは終わった。私の質問の答えは得られた。黒字が貯蓄を奪うことを彼が理解していないのならば、クリントン政権の誰もが理解していないということだ。経済はその後ほどなく崩壊したのだった。
    2009年1月に貯蓄統計が発表され、マスコミは「貯蓄成長率がGDPの5%と1995年以来の最高水準に達した」と報じたが、同時に、財政赤字はGDPの5%を超えていたいうことの方は報じられなかった。財政赤字も1995年以来の最高水準だったのだが。
    明らかに、主流は財政赤字が貯蓄を増やすということをまだ理解していない。アル・ゴアはわかっているとしても、何も語らない。まあ、今年も財政赤字が増えるか見ていよう。そして貯蓄も増えるかどうかも観察しよう。再度言うが、非政府部門の「ドル建て純貯蓄」(海外居住者も合わせた金融資産)の原資になることができるのは、政府の支出だけなのだ。
    貯蓄を増やせと言っているその人のことを観察しよう。同じ口で「収支を均衡」させたいと言ってはいないだろうか。財政支出削減と増税により、つまり、私たちから貯蓄を取り除くことによって。同じ口で正反対のことを言う。混乱の元になるだけで何ら解決にはならない。それが国のトップレベルで起こっていることなのだ。
    一人を除いて。
    ウェイン・ゴドリー教授
    ウェイン・ゴドリー教授はケンブリッジ大学の経済学部長を退かれて、80歳を超えていらっしゃる。教授は過去何十年にもわたり英国経済を予測する名人として知られていた。彼は自身が開発した「セクター(部門)分析」によって予測を行っていた。この手法の核心にあるのは「政府部門の赤字は、政府以外の部門の純金融貯蓄を合計したものと等しくなる」という事実なのだ。しかし、彼の予測の成功、会計上の絶対的ファクトも、彼の地位の重さ(これらは皆今もある)をもってしても、彼の教えが主流を説得するにはまだ至っていない。
    さて、読者はこのことを理解したはずだ。
    財政赤字は、主流が信じているような「恐るべき何か」ではない。そう、赤字はとても重要だ。過剰な支出はインフレを引き起こす。とは言っても政府が破産することはない。財政赤字は子供たちの負担ではない。財政赤字は、単にある人から別の人への資金移動でもない。財政赤字は私たちの貯蓄を増やす。
    では財政赤字の役割を政策面で見るとどうだろう。それはとても単純。私たちの産出と雇用は、財政支出が足りないと維持できない。経済と呼ぶ巨大デパートで売られているものを買うのに十分な購買力が私たちにないときには、政府は減税もしくは政府支出の拡大によって、私たちの産出物が確実に売れるように行動することができるのだ。
    税の一般的機能とは、購買力と経済の調整だ。産出と雇用をサポートするのに適切な水準で課税がなされおり、税収が政府の支出よりもかなり少ない結果としての財政赤字は、ソルベンシーだのサステイナビリティだの子供への悪い影響だのは、何も怖れることはないのだ。
    働いてお金を得たいけれど、あまり使いたくないと人々が思っていたら?それでいいじゃないか!政府は人々が支出したいと思うまで減税し続てもいいし、支出して生産物を買ってもいいし、雇用してもいい(インフラ修復、社会保障、医療研究、などなど)。どう組み合わせるかは政治の問題だ。適切な額の財政赤字は、私たちが望む産出を雇用を成し遂げるためのものであり、また、適切な政府の大きさとは、財政赤字の大小とは無関係に考えられるべきものだ。
    本当に大切なのは現実の生活 – 産出と雇用 – だ。財政赤字の大きさは一つの統計値だ。1940年代、アバ・ラーナーという名の経済学者はこれを「機能的財政論」と呼び、このタイトルの本(現代にもなお通用する)を書いている。
    訳者のリンク集





























  • 「フューチャー・デザインはなぜ必要か」というスライド
  • 「政府債務残高名目GDP比は過去120年で最悪の水準」という記事
  • 「債務残高の国際比較(対GDP比)」で「債務残高は最悪」と財務省

  • MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 4/7」

    この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら
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    本翻訳は@やまぐろさんに大半をやっていただいたのです、感謝です。
    命取りに無邪気な嘘 その4:
    社会保障制度は崩壊している
    事実:
    政府の小切手は不渡りにならない

    国会議員が全員信じているようなものがもし何か一つあるとすれば、それは「社会保障制度は崩壊している」ということだろうか。かつてオバマ大統領(候補)が「そのお金はいつか尽きているだろう」と言ったかと思えば、ブッシュ大統領は「破産」という言葉を一日に四度も口にした。マケイン上院議員もしょっちゅう「社会保障制度は崩壊している」と主張しているのだから。全員、間違い!

    すでに論じてきたように、政府が自国の貨幣を「持っている」とか「持っていない」とかではなかった。政府は、わたしたちの銀行口座の数字をただ変更するだけだ。社会保障制度もその一つ。政府が社会保障費を適宜支払う能力に上限などない。

    社会保障信託基金の口座残高の数字がいくつだったとしても別段問題はない。Fedにあるすべての口座は皆そうだが、信用基金とは帳簿の「記録」に過ぎないからだ。社会保障費を支払うときに政府がしなければならないことと言えば、受取人の口座の数字を増やし信託基金の口座の数字を減らす、それで全部だ。仮に信託基金の数字がマイナスになったとしても問題ない。それは単に、社会保障費の支払いによって受益者の口座の数字が増えたことを表しているのに過ぎない。

    社会保障制度の民営化の是非は、ワシントンでなされる主要な議論のひとつだ。読者はもうおわかりだろうが、この議論は全く意味をなしていない。まずはそれを片付け、その次の話に進むことにしよう。

    社会保障制度の民営化とは具体的にはいったい何だろう?そしてそれは経済や私たち個人に対しどのような影響を及ぼすのだろう?

    民営化の考え方は、こうだ。
    1. 社会保障の徴収と支給を共に減額する。
    2. 社会保障費としての徴収が減る分で被雇用者は優良株式を購入する。
    3. 徴収が少なくなるので、政府の財政赤字がいったんかなり拡大する。財務省は「それを賄う」(彼らの表現)ために国債を売る

    これでわかっただろうか?簡単な言葉に置き換えよう。
    - あなたの給料から社会保障のために引き落とされる金額は少なくなる
    - あなたはこれまで引き落とされていた分の資金で株式を買うことができるようになる。
    - あなたが将来リタイアした後にもらえる社会保障費は少々少なくなる。
    - 但し、その時あなたは株式の所有者となっている。社会保障支払いを途中でやめた分よりも価値がついている可能性がある。

    個人の視点からは興味深いトレードオフであるように見える。ただし、あなたが買った株式はかなり時間を掛けてゆっくり値上がりしていなければならない。案に賛成な人は、こう考える。

    「これによりいったんは財政支出が大きく拡大するが、それは後の社会保障給付の抑制によって埋め合わせられる。そして、社会保障費として徴収されていたお金は株式市場に流れ込むことで、経済の成長と発展につながる」

    案に反対な人は、2008年の大暴落を引き合いに、社会保障の代わりとして株式市場に資金を投入するなど危険性が高すぎると主張する。

    「もし人々が株式市場で敗北したら、政府は退職者を貧困から救うために年金支給を増やさなければならなくなるだろう。だから、私たちが多数の高齢者を貧困ラインを下回るような危機に晒そうと思わない限り、政府がリスクを負うことになるのだ。」

    両方とも、ひどい間違いだ!(いったいだれがこんなこと思いついたんだ!)

    これはメディアの議論でよく現れる典型的な間違いで、「合成の誤謬」と呼ばれているものだ。教科書的な典型例を挙げよう。フットボールの試合を観戦中に、もっとよく見ようと立ち上がるとする。では、全員が立ち上がって観戦すれば全員が試合をもっとよく見えるようになるだろうか?そうはならない。全員が立ち上がってしまったら、誰一人立つ前よりよく見えるようにはならないどころか、立ち上がる前より見えなくなってしまう。

    彼らはみな、社会保障制度への参加者という立場からのミクロレベルでしかものを見ておらず、国民全体をマクロなレベルで見ていないのだ。

    マクロ(大きな絵、トップダウン)レベルで見たときに何が根本的に間違っているかを理解するためには、まず最初に「社会保障制度への参加とは、機能的には国債の購入と同じだ」ということを理解する必要がある。説明しよう。

    現行の社会保障制度においては、あなたが今政府にドルを渡すと、後日ドルが戻ってくる。これはまさしく、あなたが国債を買うとき(もしくは普通預金口座にお金を預けたとき)に起こることだ。

    いま政府にドルを渡し、後日ドルが戻ってくる。加えて利子がつく。そう、社会保障制度は結果としてよい投資ということになって多めのリターンをもたらしてくれるかもしれない。しかし利回りがいくらであるかという点を除けば、国債とほぼ同じなのだ。(なお、今やこのことを知ったあなたは議会よりも一歩先に進んでいる。)


    スティーブ・ムーア


    さて、これでCATO研究所の経済学部長のスティーブ・ムーアと私との数年前の会話について話す準備が整った。彼は現在CNBCのレギュラー出演者で、長年社会保障の民営化を推進しようとしてきた人物だ。スティーブは私が主催したある会議で、社会保障についてスピーチするためフロリダにやって来たことがある。彼は、国民に社会保障の支払いをさせるのではなく、その資金を株式市場に投入するに任せたほうが、退職して時間が経ったときには彼らにとって良くなるのだとする講演を行った。また彼は、政府の財政赤字の一時的な増加もそれには十分な価値があり、株式への資金が景気の拡大と繁栄を助け、それ続く景気拡大により長期的にはおそらく”払い戻されているだろう”と主張した。

    その時点で私は質疑応答のセッションに持って行った。


    ウォーレン:「スティーブ、あなたの言う、お金を政府に社会保障税の形で与え、後でそれを取り戻すというのは、機能として見れば国債を買うのと同じです。つまり、いま政府にお金を渡し、後であなたに返ってくるという機能という面においてです。唯一の違いは、高齢者がどのくらいのリターンを得るかですね。」

    スティーブ:「そうだが国債の方が利回りが大きい。社会保障は2%の利子が付くだけだ。社会保障は個人にとって悪い投資だ。」

    ウォーレン:「オーケー、投資面についてはあとで触れるつもりですが、あなたの民営化案では、政府が支給する社会保障の額を減らし、社会保障制度に参加していた被雇用者はその分のお金を株式市場に投入するということになりますね。」

    スティーブ:「そうだ。1ヵ月あたり約100ドル、承認された優良銘柄のみに対してだ。」

    ウォーレン:「なるほど。そして財務省は、徴収が減る分を埋め合わせるために追加の国債を発行し、それを売却する必要があるのですね。」

    スティーブ:「そう、それは将来の社会保障支給という財政負担を減らすことにもなる。」

    ウォーレン:「そうですね。私の論点を続けますが、株式を買うことになる被雇用者はその株式を別の誰かから買うわけで、株式の所有者は変わりますが経済に新しい資金が投入されるわけではありませんね。」

    スティーブ:「そうだ。」

    ウォーレン:「株式を売った人たちはそれによってお金を得ますが、それが追加国債を買うお金になると見ることができますね。」

    スティーブ:「そうだ。そのように考えることはできる。」

    ウォーレン:「するとどうなるでしょう。我々がすでに同意したように、被雇用者は国債を購入することと機能的に同義である社会保障への支払いをやめて、株を買うと。そしてその株を売った方人の方は、その代わりに新しく発行された国債を買うと。これをマクロのレベルから見てみると、いくつかの株式の所有者が変わり、またいくつかの国債の所有者が変わっているというだけです。社会保障を債券として捉えれば、株式総数も発行済国債も総数はほぼ変わりありません。ですのでこのことが経済や総貯蓄、その他のことに影響を与えることはありません。せいぜい取引手数料が発生するくらいでしょう。」

    スティーブ:「そうだ、そのように見ることもできる。しかし私はそれを民営化だと捉えている。政府よりも人々の方が上手な投資ができると確信している。」

    ウォーレン:「オーケー。しかし人々が持つ株式の量に変化はないとあなた同意しましたよね。するとこの提案では経済全体に変化はありません。」

    スティーブ:「しかし、社会保障制度の参加者にとって変化は確かにある。」

    ウォーレン:「そうです。そしてそれ以外の人にまさしくちょうど逆の変化が起こるということです。そしてこの点に関しては議会も主流の経済学者もまったく議論してきていないのではないでしょうか?あなたがたは提案の実態よりも、民営化という言葉に対してイデオロギー的なバイアスを持っているように見えます。」

    スティーブ:「私はこの案がいいと思っているのだ。民営化を信じている。民間は政府よりも上手な投資ができると信じる。」


    私はスティーブとの話をここで打ち切った。彼の提案は決して株式の数を変えないし、アメリカ人一般が投資のためにもつ株式の数も変えない。ゆえにマクロレベルでは、国民が「政府ができるよりも優れた投資」をできるようにはならない。そして、スティーブはそれを知っているが、彼にとって重要なことではない – 彼はこの話が非論理的だと知りながら、ただ話を続けるのだった。

    メディアが彼を批判することもない。彼は「社会保障制度よりも株式の方が良い投資である」だとか、「政府が国債を売らなければならなくなり、それが投資に使われるべき貯蓄を奪う」だとか、「政府債務がどんどん増大るすると政府は破産の危機にさらされる」などと、私たちが「無邪気な嘘」と呼んでいるありとあらゆるナンセンスを展開しているのだが。
    残念なことだが、命取りに無邪気な嘘はモグラ叩きのようにあちこちから湧いてきて、どこからまともに相手をして行けばいいのか見えにくくなってしまうほどだ。

    そして議論のレベルが低くなって行く!この「世代間の」とかいう話は次のように続く。「問題なのは、30年後には今より多くの退職者が存在するので労働者人口は今よりも減少し(それ自体は真実だ)、社会保障信託基金が枯渇してしまうことだ(あたかも信託基金の口座の値が政府の支出能力を制約になるなどと、、、馬鹿馬鹿しい話だが彼らはそう信じている)。だから問題解決のため、高齢者が必要な財やサービスへの支払いをするための十分なお金を持てるようにするべく、何とかしてその方法を構築する必要がある。」その考え方がとんでもなく酷いのだ。

    労働者が減少し退職者が増加する問題(”依存人口比率”と呼ばれる)だが、彼らは「高齢者が十分な購買ができるための基金を確実に作ることで問題を解決できる」と考える。

    こんな風に考えてみよう。もし今から50年後、現役で働いている人はたったの一人、退職者が三億人だとしよう(単純化のために誇張している)。現役のたった一人ですべての食糧を生産しなければならず、あらゆる建物を建てメンテナンスする必要があり、洗濯をしたり、すべての医療ニーズを満たしたり、テレビ番組を制作する、エトセトラエトセトラエトセトラ・・・と、この一人はものすごく忙しいだろう。さて、いまのわたしたちは、この三億人の退職者が彼一人に対して支払うための十分な基金を確実に持てるようにしておこうと考える必要があるのだろうか?私はそうは思わない!これは明らかにお金の問題ではない。

    我々がしておかなければならないこと。それはこのたった一人の労働者が十分賢く、また十分生産的であるようにしておき、またすべてをこなすために十分な資本財とソフトウェアがあるような状態を作っておくことだ。さもなくば退職者たちがいくらたくさんのお金を持っていようと深刻な問題に直面してしまう。ゆえに今の問題というのは、現役労働者を充分には生産的ではない状態に留めておくことの方で、その結果が将来の資本財とサービス不足につながってしまう。

    「”支出のためお金”を多くためておく」というスローガンはせいぜい物価上昇につながるだけで、より多くの財やサービスを創出することには決してつながらない。この主流派ストーリーはいっそう酷くなって次のように展開する。「それゆえ、政府は今のうちに歳出を削るか増税をしておく必要がある。将来の支出に備えて資金を積み増しておくためだ。」これはまったく馬鹿馬鹿しい話で、われわれ現役世代の幸福だけでなく、将来世代の生活水準をも破壊する「命取りに無邪気な嘘」であることを読者はもう理解されていると信じる。

    私たちはもう、政府はドルを持つとか持たないとかではないと知っている。政府は私たちの銀行口座の数値を増やすことで支出し減らすことで徴税している。税率を上げることは私たちの支出能力を下げることにはなるが、政府の支払い能力を何ら増やしはしない。もし支出が多すぎて、経済が”過熱”(経済という巨大デパートで売られているものに対する、私たちの購買力が強すぎるということ)したそしてもそれはまあオーケーだ。しかしその逆の場合、今の実態が正にそうなのだが、仮に完全雇用状態だったら生産され売りに出されるであろうものに対して支出がはるかに弱いようなときは、増税して私たちからさらに支出能力を奪ってしまうと、それは実態を更に悪化させることにしかならない。

    このストーリーは、まだまだ酷くなる。主流派経済学者は、私たちが今日作ることができるもののうち、50年先も役立つ実際の財などほとんどないと言う。

    そしてこう続ける。「私たちが遠い未来の子孫のためにできるたったひとつのことは、彼らが将来の需要を満たせるようにすることを確かなものにするために、彼らが知識と技術を持てるよう今ベストを尽くすことだ」、と。公共の財産を未来のために「抑制(貯蓄)」するために我々がすることは今日の支出をカットなのだと言う。皮肉なことにそれは何にもならないどころか、雇用と成長を減らし、我々の経済を後退させることにしかならない。そしてさらに悪いことに、またがっかりさせられることに、私たちの指導者が方針を誤ってまず削減したのは教育分野だったのだ。教育こそは子供たちの50年後のためにいま為されなければならないことだとは、主流派も同意するところであるのに。

    もし政策決定者が、通貨システムがどのように機能しているかを正しく把握したならば、問題は社会資本そして恐らくはインフレなのであり、政府の支払い能力は問題ではありえないということに気づくことになるはずだ。

    彼らが高齢者の収入をもっと確保しておきたいと考えていたならば気づくだろう。問題は単純に「便益の向上」なのであって、真の課題は「私たちは高齢者に対してどれくらい水準の実質資源を割り当てたいのか」なのだ。高齢者にどのくらい食料を割り当てるのか?どの程度の住居を?衣服を、電気を、ガソリンを、医療サービスを? 本当の問題とはこういうこと。そしてそう、高齢者により多くのモノとサービスを与えることは、残りの人たちの分が少ないということになる。私たちの本当のコストとは、高齢者に割り当てているモノやサービスの量なのだ。それにいくらを支払っているかでは決してない。それは銀行口座の「数字」でしかない。

    そしてもし将来を心配するようなリーダーであるなら、その目的から見て価値が高いと考えられる教育形態に対して助成をするだろう。

    しかし、彼らは金融システムを理解していない。理解するまではこうしたことを「正しい方向性」で把握することはない。

    そうであるかぎり、この社会保障に関する「命取りに無邪気な嘘」は、私たちの今の幸福と将来の幸福の両方を棄損し続けるというわけだ。


    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 5/7」

    この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら

    これまでの目次
    • 嘘1:政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。
    • 嘘2:政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる
    • 嘘3:政府赤字が貯蓄を奪う
    • 嘘4:社会保障制度は崩壊している
    命取りに無邪気な嘘 その5:
    貿易赤字は維持することのできない不均衡で、職業や産出を奪うものである
    事実:
    輸入とは実質的に利益で輸出は費用だ。貿易赤字は私たちの生活水準を直接的に改善する。職は輸入が原因で失われるのではなく、政府支出の水準に対して税が高すぎるゆえに失われる。
    読者諸兄はこれを見ただけで、主流派は貿易についてもやはり全部逆に捉えているのではないか、と疑うだろう。貿易の話をきちんと理解するためにはいつも忘れないでおくべきことがある。経済的に「受け取ること」は「与えること」より良い、ということだ。
    輸入とは実質の利益であり、輸出は実質の費用なのだ。
    別の言い方をすると、海外の誰かが消費するモノやサービスを生み出すために労働することは、経済的に良いことをもたらさない。ただし海外からモノやサービスを輸入し消費する分がなければだ。簡潔に言えば、国の富とは「自分たちのために産出し保有しているものすべて」に「輸入したすべて」を足し、「輸出の分」を引いたものだ。
    結局のところ、貿易赤字は私たちの生活水準を向上させている。そうでないことはあり得るだろうか?だから貿易赤字とは、大きいほど好ましいのだ。主流の経済学者や政治家、そしてマスコミは皆、貿易問題をあべこべに考えている。残念な真実だ。
    要点を理解するための例え話。第二次大戦後、もしマッカーサー司令官が「日本は戦争に負けたのだから毎年200万台の自動車を米国に送ること」と宣言していたら、それは征服した敵からの搾取である、大きな国際問題になっていただろう。第一次大戦後に同盟国がドイツに対し高額過ぎ搾取的な賠償請求を行って第二次大戦を引き起こすことになったことを繰り返しているという非難にさらされたことだろう。マッカーサーはそんな命令はしなかった。にもかかわらず、実際には日本はその後60年以上にわたり米国に毎年約200マン台の自動車を送り続けてきた。対して米国から送ったものはほとんどなかった。すると驚くべきことに、日本側はこのことは「貿易戦争に勝利」したことを意味すると考え、われわれ米国側は「負けている」という意味だと考えるのだ。しかし米国は自動車を獲得し、日本は口座にドルが入りましたという通知をFEDから受け取っただけだった。
    中国も同じだ。彼らの製品が米国の小売店の棚をいっぱいにし続けている一方で、FEDからの支払い通知書以外のものは受け取っていないことから「戦いに勝っている」と考えている。大狂気だ。
    毎日のように目にするマスコミの見出しやコメントを引用してみよう。
    - 米国は貿易赤字に「陥って」いる
    - この貿易赤字は維持不可能な「不均衡」だ
    - 中国のせいで米国の職が失われている
    聞き飽きたナンセンスだ。私たちは貿易赤字から膨大な利益を得ている。諸外国は数千億ドル分に相当するモノとサービスを米国に送ってきており、これは米国から諸外国に送ったモノとサービスより多い。彼らは生産して輸出したいし、私たちは輸入して消費したい。これは修正する必要がある維持不可能な不均衡だろうか?それを終わらせることを望む理由は?彼らが対価として私たちからのモノとサービスを望んでいないけれども私たちにはそれを送りたいのなら、それを受け入れるべきでないというのは何故だろう。理由などない。ただ国の指導者達は金融システムを完全に誤解して、実は巨大な実質利益なのを国内の失業という悪夢にひっくり返して理解しているだけなのだ。
    これまでの「無邪気な嘘」を思い出してほしいが、米国は常に国内の生産をサポートし、国内の完全雇用を維持することが可能だ(減税または政府支出、あるいはその両方によって)。たとえ中国やその他の国が国内産業のライバルとなるモノやサービスを送ると決めたとしてもだ。外国が売りたいものと、私たち自身が完全雇用の水準で生産できるものの全部を買うのに十分な購買力を維持すればいいだけのことだ。その結果として一つかそれ以上の産業は失われるかもしれない。それでも適正な財政政策をもってすれば、働くことができて働く意思のある人々を全員雇用し、民と公が消費するためのモノやサービスを生産しつつ、十分な購買力を維持することは常に可能だ。実際に、ずっと貿易赤字は高水準だったにもかかわらず、低い失業率を最近まで保つことができていた。
    では、米国は支出の習慣を賄うため、酔っぱらった水夫のように外国から借金しまくっているというあの話は?それも嘘だ!中国が国債を買うかあるいは別の方法でわれわれの支出を賄っていて、それに依存している、なんてことは全然ない。実際に起こっていることはこうなのだ:「米国の信用創造が海外の貯蓄を賄っている」
    これはどういう意味か?例として典型的な取引で見てみよう。米国に住んでいるあなたが中国製の自動車を買うと決意する。米国の銀行に行き、その自動車を買う資金の借入が受理される。あなたは借入れた資金を自動車と交換した。中国の自動車会社は銀行預金を得、銀行の帳簿にはあなたへの貸付金と中国の自動車会社の預金が記載されている。参加者は皆「ハッピー」だ。あなたは資金より自動車を持っていたかった。借りていなかったら変えないのだからあなたはハッピー。中国の自動車会社は自動車よりも資金を持っていたい。車を売っていないとそうならないのだから彼らもハッピー。銀行は貸付金と預金を持ちたいが、貸し出さないとそうならないのだから、やはりハッピー。
    「不均衡」はどこにもない。全員が満足しきっている。まさしく望みの物を実際に得ている。銀行は貸付金と預金を得たのでハッピー、そして貸借は一致。中国の自動車会社は貯蓄として米国ドルの預金を得たのでハッピー、そして貸借は一致。あなたは欲しかった自動車を得、納得の上で支払いをしたのでハッピー、そして貸借は一致。この時点で全員が望みの物を得てハッピーな状態だ。
    そして、この中国人が望んだ米国ドルの銀行預金を賄っているのが米国内の信用創造、つまり銀行貸出で、私たちが「貯蓄」とも言っているものだ。さて「海外資本」ってどこに?そんなものはない!米国は海外資本に何か依存しているという考えは当てはまらないのだ。それどこか、米国ドルという金融資産を貯蓄したいという彼らの希望を賄っているのは米国の信用創造プロセスなのだから、彼らがこれに依存している。私たちは、外国の貯蓄が何かを賄っているということに依存していたりはしない。
    再度言うが、これは私たちのスプレッドシートだ。もし私たちのドルを貯蓄したいのなら、彼らは私たちの砂場の中で遊ぶしかないのだ。また、海外の貯蓄者がドル預金を使うことにはどんな選択肢があるだろう?特になにもありはしない。別の金融資産を誰か売りたい人から買うか、モノやサービスを売りたい人から買えるだけだ。その取引が市場価格でなさるなら売り手も買い手も双方ハッピーだ。買い手は欲しかった、モノやサービスや金融資産などを獲得する。売り手も欲しかった、ドル預金を獲得する。不均衡などあり得ない。なので、米国の海外資本依存の可能性は毛ほどもない。この手続きのどこにも海外資本は登場していないのだから。



    今回は、MMTerの一人であるウォーレン・モズラーの翻訳記事「命取りに無邪気な七つの嘘」を紹介していきたい。

    これまで紹介してきたビル・ミッチェルは、歴とした経済学の教授だったわけだが、このモズラー氏はやや毛色が違う。彼はアカデミシャンではなく、ファンドマネジャーとしてキャリアを積んでおり、あくまで”独学”のエコノミストだ。

    とはいえ、その経緯もあって、彼はMMTの研究以上に、啓蒙に熱心である。今回から紹介していく彼の記事も、MMTをまだ知らない人々にわかりやすいように苦心して書かれている。私がこれまで翻訳し紹介してきたビル・ミッチェルの記事よりも、こちらの方がわかりやすく役に立つ、といったことも十分考えられるはずだ。

    早速、以下に紹介していこう。

    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 1/7
    『命取りに無邪気な嘘 その1:
    政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。』
    『事実:
    政府の支出は、収入には全く制約されない、つまり「ソルベンシー・リスク」というものは存在しない。言い換えれば、連邦政府は赤字の大きさとは無関係に、また税収がいかに少ないとしても、自国通貨を用いた支払いをすることができる。』


    冒頭ではまず、「政府は支出するために、あらかじめ税をとることによってお金を確保しておく必要があると考えるのはナンセンスだ」ということが強調されている。

    納税に際して、小切手で振り出すなら、あなたの銀行預金口座の数字が減るだけだし、現金で納税するとしても、それは税務署でシュレッダーされる。「そう、それは捨てられる。破壊される!なぜ?もう使い道がないのだ。ちょうどスーパーボウルのチケットと同じだ。スタジアムに入って窓口にチケットを出すときには1000ドルの価値だったかもしれない。担当者はそれを切り刻んで捨てる。ワシントンに行けば裁断された紙幣を本当に買うことができる。」


    次に、「政府はどのように支出しているのか」という疑問に対して、端的に「お金は、銀行口座の数字を変えるだけの操作によって払い出されている(支出にしても貸出にしても)」という現実を指摘している。

    「支出する前に、あらかじめ税(または借入金)を「獲得」することなどまるでなくて、ただスプレッドシートに数値を入力することが、私たちが「政府支出」と呼ぶものなのだ。そのデータはどこからか「やってくる」ものではない。それなら誰でも知っている!」

    「大統領がいつもいつも間違えるように「連邦政府の金が尽きる」ということはない。それはありえない。それから、中国だかどこかからドルを「獲得」しなければならないということもない。政府が支出の時にしなければならない事といえば、連邦準備銀行のある口座の数字を変えることだけ。政府が支出を望むなら、その金額に上限はない(社会保障でも利払いでもそう)。誰に対して払う場合であれ、政府によるドル払いは全部これなのだ。」

    その上で、モズラーは以下のように釘を刺す。

    「ただし、これは政府がいくら支出しても物価が上がる(つまりインフレ)可能性がないということではない。」

    「そうではなく政府は破産のしようがないということだ。それは単純にあり得ない。」

    こうして、真の問題と偽の問題が切り分けられた。政府支出が起こし得る問題はインフレである。政府それ自体が、民間部門のような”破産”を起こす恐れは全くなく、それへの警戒は杞憂、ないし欺瞞である。


    こうした政府の通貨・会計システムを説明する例として、モズラーは「親が子供にクーポンを発行・支出して家事を課すケース」を用いている。

    「まず親がクーポンを作ることで話が始まる。次に、子供たちに家事を頼む時にこのクーポンを与えると決める。その次は「モデルを動かす」ために、毎週10枚のクーポンを税として子供たちから集めることにする。税を支払わない子供には罰を与える。これは、私たちも税を払わないとペナルティがあるという現実の税をコピーしている。クーポンは新通貨だ。親は「支出」することによって子供たちから「サービス」(家事)を購入する。この新しい家庭内通貨における両親は、通貨の発行者として連邦政府に相当する。この「独自通貨を持つ家計」は独自通貨を持つ政府と非常に似ているとわかるだろう。」

    「では、この通貨がどのように機能するかの質問だ。親は子供の雑用への対価としてクーポンを支払うことになるが、そのためにあらかじめ子供たちからクーポンを徴収しておかなければならないのだろうか?もちろんそんなことはない。むしろ逆に、週10クーポンを徴収できるようにするためには、先に子供に家事をしてもらってクーポンを支払っておく必要がある。そうでなければ子供たちは親に支払うクーポンを得ることができない。」

    「親子クーポンの話では、親がどれだけクーポンを持っているかはどうでもいいことになる。親は、子供たちがどれだけ稼いだか、と、彼らが毎月の10クーポンを支払ったかどうかだけを紙一枚にメモしておくだけでいい。」


    この例示は、通貨システムの本質をほぼ過不足なく説明していると言って良い。政府(統合政府、財務省+中央銀行)が、支出に際して通貨をあらかじめ税によって徴収する必要などないどころか、むしろ国民が納税を行うためには、政府があらかじめ支出を行って、国民に通貨を事前に供給しておかなくてはならない。

    「ドルの支出できるようになるためには、まずどうにかしてドルを用意できる状態になっていなければならない。稼いだり、借りたり、何かを売ることで初めてドルを使えるようになる。つまり私たちが納税しなければならないドルが直接的または間接的に由来しているのは、通貨の始まるところ、つまり政府の支出からなのだ。」

    「私たちが税金を払えるようにするためにはまず政府の支出が必要だ」

    これは完全なる事実であるにも関わらず、全く逆の認識が世間には浸透してしまっている。


    ここで、モズラーの興味深い小噺を、少々長くなるが引用したい。

    「数年前、オーストラリアの経済学カンファレンスで「政府の小切手は不渡りにならない」と題した講演をした時のことだ。聴衆の中にオーストラリア連銀で首席研究員を務めるデイビッド・グルーエン氏がいた。あれは最高のドラマだった。」

    「私は米国政府の小切手は不渡りにならないという話を始めたのだが、数分話したところで、デイビッドの手が上がり、中級の経済学部の学生がよくやるようなお馴染みの台詞を言った。「もし債務の金利がGDPの成長率を超えたら、政府債務は維持不能だ。」質問ですらなく、あたかも事実だとして述べたのだ。」

    「対して私はこう答えた。「さあ私は連銀の端末入力担当者だ。デイビッド、教えてくれないか、”維持不能”っていうのはどういう意味だい?金利がとても高くて、過去20年間で政府債務が大きくなりすぎたから政府は金利を払えないと言うのかい?自分はちょうどいま年金受給者への小切手を切るところだけれど、この小切手が不渡りになるよと言っているのかい?」」

    「デイビッドは黙り、深い思考に沈み、このことを考え続け、ついにこう言った。「ああ、自分は今日ここに来た時まで、準備銀行の小切手清算がどのように機能しているのかちゃんと考えたことがなかった。」」

    「ついにデイビッドは言った。「いや、その小切手は普通に処理する。でもそれはインフレを引き起こし通貨価値を下げる。人々が”持続不可能”という言葉で意味しているのはそれなんだ。」」

    「私はデイビッドに話し続けた。「ええと、ほとんどの年金支払者が関心を持っているのは、引退したときに基金が存続しているだろうか、とか、オーストラリア政府はもう基金に支払うことができなくなるのでは、ということじゃなかったのかな。」対してデイビッドはこう答えた。「いや、彼らが心配しているのはインフレーション、オーストラリアドルの水準だと思う。」」

    「あの日、シドニーの学会で参加者が確認したこととは何だっただろう? 独自通貨を持つ政府は、政府が望みさえすれば、常にフットボールスタジアムと同じように、ボードに好きなポイントを入れることができる。過剰な支出の帰結はインフレーションかもしれないが、決して破産ではない。」

    最終的には、以下のようにまとめられる。

    「事実はこうだ。:政府債務が支払い不能を引き起こすことはあり得ない。ソルベンシーの問題は存在しない。支出とは政府自身の準備銀行に持つ口座の数字を増やすだけの行為なのだから、「お金を使い果たす」ということはない。」


    さて、ここからモズラーは「は政府は支出のために何かを得ているわけではなく、そうしておく必要もないのなら、政府はどうして私たちに税を課しているのだろうか?」という問いへと向かっていく。

    「政府が私たちから税金を取ることには、大事な理由がある。税は、経済の中に「ドルを獲得するニーズ」を生み出すのだ。このことゆえに、人々はドルを得るためにモノやサービスや労働を売らなければということになる。納税の義務があるからこそ、政府はもともと何の価値もない紙切れでモノを買うことができる。そのドルを納税のために必要とする人がいるからだ。」

    またモズラーは、既に用いた親・子ども・家事・クーポンの例を意識しつつ以下のように述べている。

    「親自身はクーポンを必要としないのに子供から週10のクーポンを取る需要がある。それと同じ理由だ」

    「子供たちに課するクーポン税が、家事をすることで親から稼ぐクーポンのニーズを生み出している。」

    モズラーは、わかりやすい史実の例として、英国の植民地運営を引用している。

    「1800年代のアフリカで、英国が作物を作るために植民地を作ったときの話だ。最初英国は現地の人々から職を募ったが、英国のコインを稼ぐことに興味を示さす者は誰もいなかった。そこで英国はすべての住居に「小屋税」を課し、それは英国の硬貨だけでしか納められないものとした。すると地域はたちまち「マネタイズ」され、人々は英国の硬貨を必要とすることになり、それを得るためにモノや労働力を売りに出し始めた。こうして英国は彼らを英国硬貨で雇い、作物を育てることができるようになったのだ。」

    モズラーは、税のもう一つの機能として、総需要抑制効果を挙げる。政府が十分に支出しつつ、インフレを発生させないための適切な徴税の基準がある、というわけだ。その裏では、政府支出が要求する「本当のコスト」が、実物資源の接収(による機会費用)であることが根本にある。

    ここではモズラーは、不況に際して政府を拡大することも、財政黒字に乗じて政府を拡大することにも反対している。尤もそれは、「あらかじめ適正な大きさの政府にしてあるのなら」という極めて強力な留保の上での話であるし、私見を述べれば、不況においては、実物資源が余剰となり、政府支出による機会コストは低下しているので、基本的には政府拡大が望ましくなる可能性が高いのではあるが。

    さて、モズラーのこの見解をまとめれば、「税の機能は経済を統制するためであって、議会の支出のためのお金を得るためではない。」となる。


    「政府がこの「命取りに幼稚な嘘」の第一番、「政府が支出をするためには、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない」を信じ続ける限り、産出と雇用を制約する政策が支持され続けていくだろう。そうやらなければ素晴らしい経済的結果など、容易に達成できるのだが。」

    ___

    590:「財政赤字を拡大せよ!」という奇特な米ヘッジファンド・マネージャーの物語:NYタイムズ記事より

    ヘッジファンド、国の借金、と来れば、

    「日本の国の借金は大きすぎるのでもうすぐ破綻!」

    と言って、日本国債が暴落するほうに賭けまくっているカイル・バス氏を思い出してしまいます。

    一方で、「国の借金はもっと増やせ!」と主張し、「アメリカの連邦債務は増え続けているが、まったく問題なし」というほうに賭けまくってひと財産もふた財産も築き上げたヘッジファンド・マネジャーの物語をNYタイムズが記事にしています。


    (この記事については、日本経済復活の会の小野誠司会長から教えて頂きました)

    ということで、そのNYタイムズの記事を全訳してみました(8時間くらいかけてかなり丁寧に翻訳しました^^)ので、以下、掲載しておきます。



    Warren Mosler, a Deficit Lover With a Following
    ウォーレン・モスラー ―― 一定の支持層を持つ、財政赤字愛好家
    By ANNIE LOWREY, New York Times
    Published: July 4, 2013 
    ニューヨークタイムズ 2013年7月4日

    〔日本語訳:廣宮孝信 ひろみや よしのぶ (経済評論家) 2013年7月18日〕

    CHRISTIANSTED, V.I. — Warren Mosler is a card-carrying member of the 1 percent. A deeply tanned, tennis-lean hedge fund executive, Mr. Mosler lives on this run-down but jewel-toned Caribbean island for tax reasons. Transitioning into an active retirement, he recently designed and had built an $850,000 catamaran called Knot My Problem. He whizzes around St. Croix in a white, low-slung sports car he created himself, too.
    ヴァージン諸島、クリスチャンステッド ― ウォーレン・モスラー(注1) は「1%」に属する一人だ。よく日焼けした、テニス好きのヘッジファンドの重役であるモスラー氏は、税務上の理由からこのひなびた、しかし美しいカリブ海に浮かぶ島に暮らしている。活動的な引退生活への移行のため、彼は最近、Knot My Problem と名付けた85万ドルの双胴船を設計し、建造した。彼はまた、セント・クロイ島(アメリカ領ヴァージン諸島)で自身が創り出した車高の低いスポーツカーをびゅんびゅん飛ばし回ってもいる。

    (注1)英語版Wikipediaによれば、モスラー氏はヘッジファンドを経営する債券トレーダーであり、1985年にはスーパーカー専門の自動車会社モスラー・オートモーティブを設立している(ただし、モスラー・オートモーティブは2013年6月に突如廃業)。


    “There would have been no recession,” Mr. Mosler, 63, said over a salad at a hole-in-the-wall seaside cafe called Rum Runners. 
    「景気後退など、なかった」。63歳のモスラー氏は、Rum Runnersという海辺のみすぼらしいカフェで、サラダの向こうからそう語った。

    Washington’s debts would have soared, of course. But Mr. Mosler sees no problem with that. A failed Senate candidate in Connecticut with unorthodox but attention-grabbing economic theories, he says he believes the United States should be running much bigger deficits and that the last thing the government needs to worry about is balancing its budget. 
    ワシントンの負債(連邦政府の負債)はこれまで、急激に増加してきた。しかし、モスラー氏はそれには何の問題もないと見ている。異端ながら人の注意を引く経済理論をひっさげたコネティカット州上院議員選の落選候補である彼(注2) は、合衆国はもっと赤字を拡大すべきであると信じており、政府が最も心配しなくてよいことがその予算の均衡であると信じている。

    (注2)英語版Wikipediaによれば、モスラー氏は2009年には大統領選に独立系候補として出馬を表明。2010年には大統領選から撤退し、コネティカット州で一時は民主党候補として、その後は独立系候補として上院議員選に出馬した。結果、0.98%の得票率で敗退した。


    Mr. Mosler’s ideas, which go under the label of “modern monetary theory,” or M.M.T., are clearly on the fringe, drawing skeptical reactions even from many liberal Keynesian economists who agree with some of his arguments. But they have attracted a growing following, flourishing on the Internet and in a handful of academic outposts, as he and others who share his thinking have made the case that austerity budgeting in the United States and in Europe is doing irreparable harm. 
    「現代的金融理論(MMT)」と名付けられたモスラー氏の理論は明らかに非主流派であり、彼の議論に部分的に賛成する多くのリベラルなケインズ派経済学者からですら、懐疑的な反応を引き出している。

    Like many Keynesian economists, Mr. Mosler and other modern monetary theorists are particularly disturbed by the longstanding campaign articulated and financed by Peter G. Peterson, a former commerce secretary who co-founded the Blackstone Group private equity fund, to reduce the deficit or else. 
    特に元商務長官にしてブラックストーン・グループのプライベート・エクイティ・ファンドの共同設立者であるピーター・ピーターターソンによって推進され、かつ、資金提供されている赤字削減等を目的とする政治運動によって、多くのケインズ派経済学者と同様、モスラー氏ら「現代的金融理論(MMT)」論者は、かく乱されている。

    “There’s a whole deficit lobby of Peterson-funded groups arguing we’re turning into Greece,” said James K. Galbraith, an economist at the University of Texas at Austin. “They’re blowing smoke and the M.M.T. group has patiently explained why.” 
    「我々(合衆国)がギリシャになろうとしていると主張するピーターソンに資金提供されているグループの“財政赤字”ロビー活動が存在している」。オースティン(テキサス州都)のテキサス大学の経済学者、ジェームズ・ガルブレイスは語った。「彼ら(ピーターソンのグループ)は嘘八百をまき散らしているが、MMTグループはこれまで辛抱強くその理由を説明してきた」

    Still, even for those with some knowledge of economics, the tenets of the modern monetary theory can make your head spin. The government does not tax its citizens to pay for federal spending. It taxes them to ensure they use the dollar and to help to regulate demand. Since the government prints the dollar, it can never run out of money and it need never balance its budget, not even to prevent the crowding out of private investment when the economy is humming along. 
    しかし、多少の経済学の知識を持つ人々にとってすら、MMTの理論には目まいがするかもしれない。政府は連邦支出をまかなうために市民に税を課すのではない。政府は、市民がドルを使うことを保証し、需要を抑制するために課税するのである(訳者注:政府はいくらでもおカネを刷れるからカネに困らない、というのに税金が存在する意義は、インフレを抑制するということにある、という意味と思われる)。政府はドルを印刷するのであるから、カネが尽きることは決してありえず、政府は予算を均衡させる必要は決してないし、経済がうまくいっているときに民間投資を締め出すこと(クラウディング・アウト)を防ぐ必要すらないのである。

    What about inflation? “What about it?” Mr. Mosler replied. “How can the United States have $16 trillion in debt and still be on the verge of deflation, even when Chairman Bernanke’s using every alphabet-soup trick in his book?” 
    インフレーションについてはどうか?「インフレについてかい?」モスラー氏は答えた。「どうして合衆国は16兆ドルの負債を抱えることができているのか、どうしていまだにデフレの瀬戸際に立っているんだというんだい?しかも、バーナンキ議長が彼の知り得るあらゆる芸当を繰り出しているというのにだ(訳者注:巨額の財政赤字拡大とかつてない大規模な金融緩和をやっているのにいまだデフレの危機にある。そんな時にインフレの心配をしてどうするんだ、ということ)

    To mainstream economists, Mr. Mosler and his adherents represent something of a counterpoint to the handful of academics on the right who believe the United States should return to the gold standard because the government is supposedly going bankrupt and the Federal Reserve under Ben S. Bernanke is debasing the currency. 
    主流派の経済学者にとって、モスラー氏とその支持者らは、「政府は恐らく破産し、ベン・バーナンキは通貨価値を下落させることとなるので、金本位制に回帰すべき」と主張する一握りの右派の学者らとの興味深い比較対象(counterpoint)となっている。

    “They deny the fact that the government use of real resources can drive the real interest rate up,” said Mark Thoma, an economics professor and widely followed blogger who teaches at the University of Oregon. After delving into the technical details of modern monetary theory for a few minutes, he paused, then added, “I think it’s just nuts.” 
    「彼らは、政府の実物資源の使用が、実質金利の上昇につながる事実を否定している」と、多数の読者を抱えるブロガーであり、オレゴン大学の経済学部教授でもあるマーク・ソーマは語った(訳者注:このオレゴン大学の教授の発言の趣旨は「政府が供給力を使用することが民間が利用できる供給力を制限することになること=クラウディングアウトを無視しているから、MMTはダメだ」ということ)。2、3分ほどMMTの専門的な詳細に立ち入ったあと、すこし間を置いて彼はこう付け加えた。「思うに、MMTは頭がいかれているね」

    But just as a return to the gold standard has attracted a popular following — including many supporters of Ron Paul, the charismatic former Texas congressman — so has modern monetary theory, which has been spread on the great stage of the Web. A thriving academic blogosphere brings ideas up and knocks them down, and popular sites like Business Insider and Naked Capitalism have given modern monetary theorists a platform to join in. 
    しかし、金本位制への回帰が多くの人々――カリスマ的な元下院議員、ロン・ポールの支持者を含む――を惹きつけるなか、MMTもまた、ネット上で大いに広まった。にぎわっている学者らのブログ界において、さまざまな考えが取り上げられ、また打ちのめされもする。そして、ビジネス・インサイダーやネイキッド・キャピタリズムといった人気サイトがMMT論者らに、議論に参入する場を提供している。

    “These ideas definitely aren’t disseminated through published academic journals,” said Stephanie Kelton, an economist at University of Missouri-Kansas City, who coined the term “deficit owls” to distinguish modern monetary theorists from “deficit hawks.” “It’s all on the Internet.”
    「これらの考え方は、出版された学術論文誌によって広まったものでは、明らかに、ない」と、カンザス・シティーのミズーリ大学の経済学者、ステファニー・ケルトンは言う。彼女は、「財政タカ派」と区別するため、MMT論者を「財政フクロウ派」と呼ぶ新語を作った。「全部、ネット上のものだから」。(訳者注:ケルトン女史が「タカ派(hawks)」に対して「ハト派(doves)」と言わずに「フクロウ派owls」としているのは、フクロウ→夜更かしの象徴→ネット民ということを言いたいのではないかと推測される)[???]

    (Page 2 of 2)
    Mr. Mosler has played a pivotal role in promoting the theory, and unlike many economists he has the resources to do so. He runs a popular blog called the Center of the Universe, a sly joke, perhaps, given that tiny, tropical St. Croix, which is about 1,200 miles from Miami, is the easternmost point in the United States. He eagerly appears on radio programs and on television. Recently, he went on a tour of Italy to promote his anti-austerity ideas. 
    モスラー氏はMMTの普及拡大に重要な役割を果たしてきた。彼は多くの他の経済学者らと違い、そのための手段を持っている。彼はthe Center of the Universe(世界の中心)――マイアミからおよそ1200マイル離れたアメリカの最東端、熱帯のセント・クロイという小島を、恐らくは茶目っ気のあるジョークとしてそう呼んでいる――と名付けた人気ブログを運営している。彼は意欲的にラジオやテレビに出演している。最近、彼は彼の反緊縮財政論の普及のため、イタリアにまで出かけて行った。

    There were also a few self-financed political campaigns, including some fruitless races in the Virgin Islands. In his 2012 run, Mr. Mosler said he believed the voting was rigged. He made a vanity run for Senate in Connecticut in 2010 as an independent, making waves by offering to use $100 million of his own money to pay down the deficit if any member of Congress could prove that government spending was actually constrained by tax revenue. He came in third, with about 1 percent of the vote. “It was a mistake,” Mr. Mosler said of running in Connecticut. “It did get the ideas out there, though.” 
    (モスラー氏が)自己資金で行っている政治運動はほかにも2、3ある。例えば、ヴァージン諸島におけるいくつかの成果の出なかった選挙だ。2012年の選挙についてモスラー氏が言うには、準備不足であったとのこと。2010年のコネティカット州上院議員選はむなしい結果に終わったが、彼は、もしも連邦議員の誰かが、政府の支出が実際に税収に制限されているということを証明できたなら、彼の持ち金から1億ドル、財政赤字を埋めるために即金で支払うと申し出たことで、物議をかもした。彼はおよそ1%の得票率を得て、第三位となった。「あれは間違いだった」とモスラー氏はコネティカットでの出馬について語った。「でも、あそこでアイデアを得た」。

    Mr. Mosler started his career at a small bank in Connecticut, and eventually became a Wall Street trader. It was there, he said, that he developed an intuitive understanding of how the economy works — one very different from that of policy makers in Washington and the vast bulk of academics. 
    モスラー氏はコネティカットの小さな銀行で彼のキャリアを開始した。そして遂にはウォール街のトレーダーの一人となった。彼が言うには、彼はそこで経済がいかに動いているか、直感的な理解――ワシントンの政策立案者や大勢の学者らとかなり違う理解――を構築することとなった。

    “All debt management is, is debiting and crediting different accounts,” Mr. Mosler said, recalling seeing numbers appear and disappear from his computer at Bankers Trust in New York in the 1970s. “Can the federal government run out of dollars? No, because the Fed could pipe in a bigger number. That number doesn’t come from anywhere. It’s like when a player scores a field goal at a stadium. Three points just appear. The government is just the scorekeeper for the dollar.” 
    1970年代、ニューヨークのバンカーズ・トラスト(訳者注:アメリカの投資銀行)で、彼のコンピューター画面に現れては消える数字たちを見ていたことを思い出しながら、「すべての負債管理では、借り方と貸し方の異なる帳簿に記入してる 」(注3)と、モスラー氏は語った。「連邦政府がドルを使い果たすことなんてあり得るか?あり得ない。なぜなら、FRBがより多くのドルを送り込むことができるからだ。そのドルは他のどこかから来たものではない。まるでスタジアムで(アメフトの)選手がフィールドゴールを決めたときのようなものだ。それで3点が入る(訳者注:フィールドゴールとはアメフトでキックにより得られる3点ゴールのこと)。政府はドルの得点記録係ってわけだ。」

    (注3)「すべての負債管理では、借り方と貸し方の異なる帳簿に記入している」というのは、借金をしたとき、貸し方creditor項目として負債勘定帳に帳簿記載されるのみならず、費用もしくは資産(現金や設備や不動産など)という借り方debtor項目の勘定帳にも必ず帳簿記載が行われる、つまり、負債が発生したときは必ず貸し方creditorと借り方debtorの両建てで帳簿記載がなされるということを意味するのであろう。
     なお、企業が借りて来たカネを何に使ったとしても、そのカネは必ず他の誰かの資産項目(借り方項目)として存在することになる。
     国全体を連結決算、あるいは世界全体を連結決算してやれば、誰かの負債(貸し方に記載)は必ずそれと同じ金額だけ他の誰かの資産(借り方に記載)となるため、金融資産から負債を差し引いて相殺すれば必ずゼロになる。
     だから借金とは、マクロでみれば必ず負債と資産の両面を併せ持つ両性具有体である。
     よって、マクロ経済の管理運営者である政府は、外国から多額の外貨建て借金でもしていない限り、基本的に借金を気にする必要がない、ということとなる(気にすべきはインフレ率のみ)。モスラー氏はこのような簿記の発想を基礎としてマクロ経済を考えているように思われる。

    In the early 1980s, he left Wall Street and along with a partner, Clifford Viner, who is now the owner of the Florida Panthers hockey team, founded a hedge fund in Boca Raton, Fla. The fund made relatively few, relatively complicated financial bets, said Michael Reger, a partner of Mr. Mosler’s for the last 20 years. “He’s an urban myth,” Mr. Reger said of the affable, talkative and bookish Mr. Mosler. 
    1980年代前半、彼はパートナーであるクリフォード・バイナー ――現在、フロリダ・パンサーズというホッケーチームのオーナー ――とともにウォール街を去り、ボカ・ラタン(フロリダ州パームビーチ郡の都市)でヘッジファンドを設立した。そのファンドはどちらかというと珍しい、どちらかというと複雑な、金融上の賭けをしてきた、とモスラー氏の20年来のパートナー、マイケル・レーガーは言う。「彼は、一つの都市伝説だ」と、レーガー氏は、親しみやすく、おしゃべり好きであり、かつ、堅苦しいモスラー氏について語った。

    Mr. Mosler’s fund has made a number of bets informed by his theory. For instance, Mr. Reger said, when the Treasury was paying down the United States debt during the Clinton years, many bond traders thought that prices would spike because of increasing scarcity. But Mr. Mosler predicted that no such scarcity would ever materialize, and shorted the bonds. 
    モスラー氏のファンドは、彼の理論に励まされる形で数々の賭けを行ってきた。レーガー氏が言うには、例えば、クリントン政権で財務省が連邦債務を減らそうとしていたとき、多くの債券トレーダーは国債の不足が進むことで価格が急上昇すると考えた。しかし、モスラー氏はそのような不足が実現することはないと予見し、債券をショートした(値下がりすれば儲かるほうに賭けた)。

    That trade panned out, though others have not. The business lost hundreds of millions of dollars betting that Russia would not default on its debts. That country’s fixed exchange rate spurred it to go belly up, Mr. Mosler said. 
    そのトレードはうまく行ったが、ほかはダメだった。(モスラー氏は)ロシアが債務不履行しないほうに賭け、何億ドルという損失を出した。ロシアの固定為替レートが、ロシアの破綻に拍車をかけた(注4) 、とモスラー氏は語った。

    (注4)IMF資料”Russian Federation--Recent Economic Developments (September 20, 1999)”(p.7)に、「限られた金融調節にも関わらず、1993年から95年にかけて獲得した経済的安定は、1998年半ばまで続いた。その安定は、巨額の対外債務(主に短期債務)によって支えられた固定為替相場制によって維持された。しかしながら、政府の負債総額を増大させた、政府による外貨建て短期債務容認の決断は、政府の資金調達に関する脆弱性を増大させ、市場心理に変化をもたらした」という記述がある。
     端的に言えば、当時のロシアはドルを借りて来てそれを売り、ルーブルを買うことで固定相場を維持(ルーブルの価値を維持)していたが、それはドルによる短期債務を急増させた。モスラー氏はこのことがロシアの破綻を決定的にしたと言っているのであろう。
     なお、上記IMF資料によれば98年の破綻直前のロシアの連邦債務は外貨建て債務が大半であった。また、ルーブル建ての国内向け国債の約3割は外国人投資家が保有していたが、外国人投資家はロシア国内の銀行で為替予約をしてルーブルとドルのレートを固定していたため、外国人保有のルーブル建て国債も、ロシア国家にとって実質的には外貨建て債務であったと言える。
     なお、このIMF資料についての解説は訳者のブログ(「自国通貨建て国債で破綻?~ロシア危機の場合(2010/09/26)」)参照。

    On the side, he ran Mosler Automotive, which created several dozen low-slung, lightweight, superfast sports cars over its nearly 30 years in business. That passion project never quite worked out, he said, and he is now in the process of selling it off. “The Consulier got named one of the 50 worst cars ever made by Time magazine,” he said with a laugh. “Look it up!” 
    副業として、彼はモスラー・オートモーティブという、いくつかの低車高、軽量、超高速のスポーツカーを世に送り出した自動車会社を、30年近く経営していた。彼曰くは、その情熱的なプロジェクトも決してうまくいったわけではなく、彼はいまその会社を売りに出している。「Consulier(という車種)はタイム誌で史上最低の車50選に選ばれてしまったよ。」

    But entering retirement, Mr. Mosler has more than enough work to do promoting his monetary theories, he said. 
    しかし、引退生活に入るとなると、モスラー氏は、彼の金融理論を普及拡大するためにやるべき仕事がまだまだある、と語った。

    “Economics is about the allocation of scarce resources,” Mr. Mosler said. “If there’s a food shortage, you have a real problem in divvying up the food. Right now, we have a dollar shortage because of mistaken notions about how the monetary system works. How does that make any sense?”
    「経済学というものは、不足した資源の配分に関するものなんだ。もし、食糧の不足があれば、君は食い物の山分けをするにあたって実際上の問題に直面することとなる。現在我々は、金融システムがどう動いているかということについての間違った考えによって、ドル不足の問題を抱えている。ね、そうだろ? (注5)」

    (注5)つまり、モスラー氏の考えは、カネであれ、食べ物であれ、不足しているものを補ってやれば経済はうまくいくのだ、という発想と思われる。訳者もこれまで、そのような観点でブログを書き、本を出版してきた。簿記を入口にマクロ経済論に立ち入るに至った点においても、訳者はモスラー氏に親近感を覚えずにはいられない。


    モスラー氏のMMTのような、「国の借金大丈夫だ」論は、米国において、ネットでは支持を拡大しつつあるようです。しかし、彼のこれまでの選挙戦の結果をみるにつけ、リアルではあまり支持が広がっていないように思われます。この点、アメリカは日本とかなり似た状況であるようです。

    最近、NHKで参院選に向けた各党の参議院代表者の討論会を見ましたが、すべての党の代表者が「国の借金大変だ!」という前提で、どうやって借金を減らすか――やれ、増税だ、やれ、歳出削減だ――ということばかり語っていました。
    リアル世界では、まだまだ「国の借金大変だ」教の勢力が極めて強大であるということの反映なのでしょう。
    このような各党代表者の発言は、こう言わないと票が取れないという大前提に基づいているのでしょう。

    そんな中、モスラー氏のような1%側に属する大金持ちである「国の借金大丈夫だ」教の指導者に関するNYタイムズの今回の記事は、この史上空前の猛暑の真っただ中で、私には清涼飲料水のようなさわやかさを与えてくれました。

    まあ、私も私なりに、地道に布教活動を続けて行きたいと思う、今日この頃であります。


    というわけで、 

    「 

    アメリカよりもインフレ率が圧倒的に低い

    というか、正真正銘のデフレ日本は、

    アメリカよりももっと大丈夫。

    財政赤字愛好家(Deficit Lover)、万歳!!!

    」 

    「国の借金」に対するネガティブな見方など、世の中全体のネガティブな思考を、ポジティブな思考で塗りつぶすことを早める
    、という
    趣旨での寄付金の募集をさせて頂いております。 

    詳細は↓こちらのPDFファイルをご覧ください http://www12.plala.or.jp/YNHiromiya/donation.pdf 

    ※お問い合わせ用メール フォーム:
     
       http://form1.fc2.com/form/?id=784087 


    関連記事


    経済を名刺交換してみると。

    一昨日紹介したカンザスブログの経済学者たち、およびビル・ミッチェルというオーストラリアの経済学者は、金融政策でマネーサプライがコントロールできるという考え方に否定的である。彼らは、7/18エントリで紹介したように、教科書的な貨幣乗数理論を否定しており、量的緩和の効果も否定している。
    そこでさらに、民間の資金需要がマネーサプライを決めるのだ、中央銀行はそれに対し受動的にハイパワードマネーを供給するだけなのだ、と言ってしまうと、昔懐かし翁−岩田論争における日銀理論ということになるが、彼らの考えはその斜め上を行っている。というのは、彼らはハイパワードマネーをコントロールするのは政府の財政である、と主張しているからである。もちろん、中央銀行の準備預金操作といった金融政策もハイパワードマネーを増減させるが、彼らの中では、それはどちらかというと脇役扱いである。基本的に、彼らにとってハイパワードマネーとは、財政支出によってもたらされ、納税によって減少するものなのである。  
    ビル・ミッチェルは、その観点から経済を寓話的に描いたブログエントリを起こしているので、今日はそれを紹介してみる。クルーグマンの有名なベビーシッター協同組合の逸話と対比させて考えてみるのも面白いだろう(本エントリのタイトルも、その山形浩生氏訳のタイトルをもじって付けてみた)。
    ビル・ミッチェル A simple business card economy 2009/3/31  http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=1075  
    経済を子守りしてみると。  Baby-Sitting The Economy  
    Paul Krugman 著,1998 年 8 月13日 http://cruel.org/krugman/babysitj.html

    登場人物
    親と子供
    設定
    子供が庭の手入れをする代わりに、親は週100枚の名刺を子供に渡す。子供にとって名刺自体の使用価値は無いが、家賃代わりの税金として、週100枚の名刺を親に納付しなくてはならない。
    これは、政府(親)が課税によって貨幣(名刺)への需要を創り出し、それによって民間の資源(子供の労働)を公的部門(手入れされた庭)に移転することが可能になった、という状態をモデル化している。
    ここで、子供が税金を払うためには、最初に親は名刺100枚を支出しなくてはならない。つまり、親への税金が収入としてまずあって、そこから支出を賄う、というわけではない。その逆である。
    親は名刺を独占的に好きなだけ発行できる。これは不換紙幣の特徴である。実は名刺を物理的に発行する必要もない。PCの表計算ソフトのスプレッドシートに支出と収入を記入すれば、それで話は済んでしまう。
    この状態では、親が100枚支払って子供が100枚納税するので、週ごとに財政が均衡している。半面、子供は貯蓄することができない。そこで、子供の貯蓄を可能にするために以下のように設定を変更する。
    均衡財政の放棄
    賃金を週120枚に増やす。ただし税金は100枚のままで変更しない。
    これにより、子供は週20枚貯蓄できるようになる。ただし、その貯蓄額は親の赤字額にちょうど等しい(累積額も当然一致する)。
    子供がさらに貯蓄を増やしたいと思ったらどうするか?
    国債の発行
    親が子供に、貯蓄を預けてくれたら、将来、利子(もちろん名刺の形で)を付けて返すという証書を手渡す。
    これにより子供は貯蓄を殖やすことができ、数週間休みを取っても納税できるだけの蓄えの余裕ができるかもしれない。
    これは、金利の付かない貯蓄(現実の銀行システムで言えば準備預金)を、有利子資産(国債)に交換したことに相当する。
    ここで、親が突然ネオリベラル派の主張に目覚め、財政赤字は良くない、黒字財政こそ責任ある姿なのだ、と考えたらどうなるだろうか?
    黒字財政の実現
    税金は100枚のままで、庭の手入れへの支出を週90枚に減らす。
    すると子供は納税に10枚不足する収入しか得られないことになる。これは民間部門での流動性不足の発生に相当する。
    この場合、子供には3つの選択肢がある。
    1. 不足分を補うだけの労働を要求する。それが満たされなければ、不完全雇用(子供が複数いれば一部の失業)が発生する。
       
    2. 持ち物を売って名刺に代える。たとえば国債を売った場合、子供の資産が減少する一方、親の負債も減少する。ネオリベラル派の立場から言えば政府負債の減少は喜ぶべきことかもしれないが、子供の立場から見ると資産の減少は憂うべきことである。
       
    3. 国債以外の貯蓄を食い潰し始める。これも子供にとっては資産減少になる。
    政府の財政黒字が続けば、民間の資産はやがて枯渇し、労働力は十分に利用されないままとなる。今度は民間が政府に対し負債を負うことで税金を払い続けるということも考えられるが、それは維持可能な選択肢ではない。
    従って、政府は財政赤字を維持してハイパワードマネーを供給し、民間が資産を保有して経済活動ができるようにすべし、というのがミッチェル(およびカンザスブログの人たち)の主張である。
    新・貨幣国定主義 - himaginary’s diary
    https://himaginary.hatenablog.com/entry/20091110/chartalism_summary

    新・貨幣国定主義












    昨日のエントリで紹介したように、WCIブログの11/6エントリのコメント欄では、RoweとNeo-Chartalistたちの議論が交わされた。
    そこから見えてきたNeo-Chartalistの主張を一枚の図で表すならば、以下が相応しいだろう。
    これは、「新しい日本銀行─その機能と業務」の第9章「国庫金に関する業務」の図である。Neo-Chartalismの基本的な主張は、貨幣の創出の本質は上図に存しており、中央銀行の紙幣の発行や、国債の発行は、二次的な話に過ぎない、というものなのである。
    その意味で、表券主義という訳語よりは、貨幣国定主義という訳語の方が、彼らの主張の核心を言い当てていると言えよう。


    議論でNeo-Chartalist側の代表的論客となったスコット・フルワイラーは、紙幣について、次のように述べている*1
    CURRENCY IS RELATIVELY UNIMPORTANT AND, AGAIN, SUPPLIED AT THE REQUEST OF THE NON-GOVT SECTOR VIA DEBITS TO RESERVE ACCOUNTS.
    (拙訳)
    紙幣*2というのは相対的には重要なものではなく、民間部門からの要求に応じて、準備預金からの引き落としという形で供給されるものに過ぎない。
    また国債については、次のように述べている。
    BOND SALES OR SOME OTHER METHOD OF PROVIDING INTEREST EARNING ACCOUNTS TO THE NON-GOVT SECTOR IS OPERATIONALLY NECESSARY IF A POSITIVE INTEREST RATE TARGET IS DESIRED.
    (拙訳)
    債券発行、もしくは民間部門に金利の付く口座を提供する他の何らかの手段は、金利を正に保つためのオペレーション面で必要であるに過ぎない。
    ちなみに、Neo-chartalistの一人として紹介されているWarren Moslerの政策主張では、以下のようなことが述べられている。
    I would cease all issuance of Treasury securities. Instead any deficit spending would
    accumulate as excess reserve balances at the Fed. No public purpose is served by the
    issuance of Treasury securities with a non convertible currency and floating exchange rate
    policy. Issuing Treasury securities only serves to support the term structure of interest rates at higher levels than would be the case. And, as longer term rates are the realm of investment, higher term rates only serve to adversely distort the price structure of all goods and services.
    (拙訳)
    私はすべての国債の発行を停止したい。その代わり、財政赤字による支出は、すべてFRBの超過準備残高として蓄積されるものとする。不換紙幣と変動為替制のもとでは、国債の発行によって得るところは無い。国債の発行は、金利の期間構造を高止まりさせるのに役立つに過ぎない。そして、長期のターム物金利は投資に関係するので、より高いターム物金利は、すべての財やサービスの価格構造を歪める方向に働いてしまう。
    つまり、極端な話、彼らにとっては、紙幣も国債も無くても良いものなのである。本質的な話は、政府の支出がそのまま民間の資産となることであり、紙幣や国債はその表現形態の一つに過ぎない。
    フルワイラーは次のように述べている。
    THE GOVT IS THE BY ACCOUNTING DEFINITION THE MONOPOLY SUPPLIER OF NET FINANCIAL ASSETS FOR THE NON-GOVT SECTOR. THESE NET FINANCIAL ASSETS ARE EQUAL TO THE SUM OF CURRENCY, RESERVE BALANCES, AND TREASURIES LESS CENTRAL BANK LOANS. 
    (拙訳)
    政府は、会計の定義によって、民間部門に対する金融純資産の独占的供給者である。その金融純資産は、紙幣、準備預金、国債の合計から、中央銀行貸出を差し引いたものに等しい。
    そして、彼によれば、経済面でその政府支出に上限を与えるのはあくまでも経済そのもののキャパシティであり、債務残高の対GDP倍率や国債金利といった指標は政治的な制約に過ぎない。
    UNDER A NON-GOLD STANDARD-TYPE OF MONETARY SYSTEM, THERE IS NO OPERATIONAL, FINANCIAL, OR NOMINAL LIMIT TO THE GOVT’S ABILITY TO DO THIS. THERE ARE USUALLY POLITICAL LIMITS THAT ARE SELF-IMPOSED. AND THERE IS A “REAL” LIMIT IN THE SENSE OF ECONOMIC CAPACITY. 
    (拙訳)
    金本位制の金融システムにおいては、政府のこうした能力に、オペレーション面、金融面、もしくは名目面での制約は存在しない。ただ、通常、自ら課した政治的な制約は存在する。また、経済のキャパシティという意味での「実物的」制約は存在する。
    さらに、シニョリッジについては以下のように述べている。
    AS SUCH, SEIGNIORAGE “PROFITS” ARE ECONOMICALLY UNIMPORTANT IN THAT THEY DO NOT ENABLE MORE SPENDING AND LESS OF THEM DOES NOT CONSTRAIN SPENDING. INSTEAD, SEIGNIORAGE IS SIMPLY THE ACCOUNTING RECORD OF REDUCED INTEREST ON THE NATIONAL DEBT AS CURRENCY IN CIRCULATION OR RESERVE BALANCES RISE RELATIVE TO INTEREST-BEARING TREASURIES HELD BY THE NON-GOVT SECTOR.
    (拙訳)
    ということで、シニョリッジによる利益というのは、経済的に重要ではない。というのは、それが支出の制約を押し広げたり、その減少が支出の制約を押し下げたりするわけではないからである。そうではなく、シニョリッジというのは、(民間が資産として保有している)政府負債に対する金利の減少の会計記録に過ぎない。それは、金利の付く国債の民間保有分に比べ、流通紙幣もしくは準備預金の額が相対的に大きくなったことにより生じる。
    なお、国債の利払いについては次のようなことも述べている。
    A KEY POINT IS THAT A DEFICIT “FINANCED” BY BOND SALES IS NOT LESS INFLATIONARY THAN ONE UNACCOMPANIED BY BOND SALES. IN FACT, THE BOND SALES ARE MORE INFLATIONARY GIVEN THE ADDITIONAL INTEREST PAYMENT TO THE NON-GOVT SECTOR.
    (拙訳)
    重要なポイントは、財政赤字を債券発行で「ファイナンスした」場合でも、債券発行を伴わない財政赤字に比べて、インフレ度が劣るわけではないことだ。実際のところ、民間部門に追加的に供与される利払いの存在を考えると、債券発行はむしろよりインフレ的と言える。
    最後にフルワイラーは、要はインフレが危険水準になるまで政府支出を増やせ、ということか、というRoweの問い掛けに対し、まったくその通り、と答えている。
    彼らの主張がどこまで正しいかは小生には判断がつかない。ただ、一般会計の概算要求で95兆円という過去最高の数字を叩きだし、国債金利の上昇をもたらしたとも言われる民主党政権は、期せずしてNeo-Chartalistの処方通りの政策を実施しているようにも見える。現在の日銀、およびその総裁を事実上選択した民主党の政権下では、金融面でのリフレ政策が実現する可能性は乏しいことを考えると、今の日本では彼らの主張が正しいことを祈るしか道が残されていないのかもしれない。
    *1:コメントが大文字になっているのは、文中で引用したRoweのコメントに対する自分の応答を区別するためとの由。
    *2:currencyという用語を使っているが、ここでは貨幣一般を指すのではなく、特に中央銀行券を指している。



    ウォーレン・モズラー「命取りに無邪気な七つの嘘」紹介①、②(政府支出と徴税/政府債務の将来負担)

    noteにて、「経済学・経済論」執筆中!
    また、「望月夜の経済学・経済論 第一巻」「望月夜の経済学・経済論 第二巻」も発売中!
    その他、
    「貨幣論まとめ」
    「不況論まとめ」 
    「財政論まとめ」 

    などなど……


    ――――――――――――――――――――

    ウォーレン・モズラー「命取りに無邪気な七つの嘘」紹介①(政府支出と徴税能力について)
    投稿先はこちら

    今回は、MMTerの一人であるウォーレン・モズラーの翻訳記事「命取りに無邪気な七つの嘘」を紹介していきたい。

    これまで紹介してきたビル・ミッチェルは、歴とした経済学の教授だったわけだが、このモズラー氏はやや毛色が違う。彼はアカデミシャンではなく、ファンドマネジャーとしてキャリアを積んでおり、あくまで”独学”のエコノミストだ。

    とはいえ、その経緯もあって、彼はMMTの研究以上に、啓蒙に熱心である。今回から紹介していく彼の記事も、MMTをまだ知らない人々にわかりやすいように苦心して書かれている。私がこれまで翻訳し紹介してきたビル・ミッチェルの記事よりも、こちらの方がわかりやすく役に立つ、といったことも十分考えられるはずだ。

    早速、以下に紹介していこう。

    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 1/7」
    『命取りに無邪気な嘘 その1:
    政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。』
    『事実:
    政府の支出は、収入には全く制約されない、つまり「ソルベンシー・リスク」というものは存在しない。言い換えれば、連邦政府は赤字の大きさとは無関係に、また税収がいかに少ないとしても、自国通貨を用いた支払いをすることができる。』



    冒頭ではまず、「政府は支出するために、あらかじめ税をとることによってお金を確保しておく必要があると考えるのはナンセンスだ」ということが強調されている。

    納税に際して、小切手で振り出すなら、あなたの銀行預金口座の数字が減るだけだし、現金で納税するとしても、それは税務署でシュレッダーされる。「そう、それは捨てられる。破壊される!なぜ?もう使い道がないのだ。ちょうどスーパーボウルのチケットと同じだ。スタジアムに入って窓口にチケットを出すときには1000ドルの価値だったかもしれない。担当者はそれを切り刻んで捨てる。ワシントンに行けば裁断された紙幣を本当に買うことができる。


    次に、「政府はどのように支出しているのか」という疑問に対して、端的に「お金は、銀行口座の数字を変えるだけの操作によって払い出されている(支出にしても貸出にしても)」という現実を指摘している。

    支出する前に、あらかじめ税(または借入金)を「獲得」することなどまるでなくて、ただスプレッドシートに数値を入力することが、私たちが「政府支出」と呼ぶものなのだ。そのデータはどこからか「やってくる」ものではない。それなら誰でも知っている!

    大統領がいつもいつも間違えるように「連邦政府の金が尽きる」ということはない。それはありえない。それから、中国だかどこかからドルを「獲得」しなければならないということもない。政府が支出の時にしなければならない事といえば、連邦準備銀行のある口座の数字を変えることだけ。政府が支出を望むなら、その金額に上限はない(社会保障でも利払いでもそう)。誰に対して払う場合であれ、政府によるドル払いは全部これなのだ。

    その上で、モズラーは以下のように釘を刺す。

    ただし、これは政府がいくら支出しても物価が上がる(つまりインフレ)可能性がないということではない。

    そうではなく政府は破産のしようがないということだ。それは単純にあり得ない。

    こうして、真の問題と偽の問題が切り分けられた。政府支出が起こし得る問題はインフレである。政府それ自体が、民間部門のような”破産”を起こす恐れは全くなく、それへの警戒は杞憂、ないし欺瞞である。


    こうした政府の通貨・会計システムを説明する例として、モズラーは「親が子供にクーポンを発行・支出して家事を課すケース」を用いている。

    まず親がクーポンを作ることで話が始まる。次に、子供たちに家事を頼む時にこのクーポンを与えると決める。その次は「モデルを動かす」ために、毎週10枚のクーポンを税として子供たちから集めることにする。税を支払わない子供には罰を与える。これは、私たちも税を払わないとペナルティがあるという現実の税をコピーしている。クーポンは新通貨だ。親は「支出」することによって子供たちから「サービス」(家事)を購入する。この新しい家庭内通貨における両親は、通貨の発行者として連邦政府に相当する。この「独自通貨を持つ家計」は独自通貨を持つ政府と非常に似ているとわかるだろう。

    では、この通貨がどのように機能するかの質問だ。親は子供の雑用への対価としてクーポンを支払うことになるが、そのためにあらかじめ子供たちからクーポンを徴収しておかなければならないのだろうか?もちろんそんなことはない。むしろ逆に、週10クーポンを徴収できるようにするためには、先に子供に家事をしてもらってクーポンを支払っておく必要がある。そうでなければ子供たちは親に支払うクーポンを得ることができない。

    親子クーポンの話では、親がどれだけクーポンを持っているかはどうでもいいことになる。親は、子供たちがどれだけ稼いだか、と、彼らが毎月の10クーポンを支払ったかどうかだけを紙一枚にメモしておくだけでいい。


    この例示は、通貨システムの本質をほぼ過不足なく説明していると言って良い。政府(統合政府、財務省+中央銀行)が、支出に際して通貨をあらかじめ税によって徴収する必要などないどころか、むしろ国民が納税を行うためには、政府があらかじめ支出を行って、国民に通貨を事前に供給しておかなくてはならない。

    ドルの支出できるようになるためには、まずどうにかしてドルを用意できる状態になっていなければならない。稼いだり、借りたり、何かを売ることで初めてドルを使えるようになる。つまり私たちが納税しなければならないドルが直接的または間接的に由来しているのは、通貨の始まるところ、つまり政府の支出からなのだ。

    私たちが税金を払えるようにするためにはまず政府の支出が必要だ

    これは完全なる事実であるにも関わらず、全く逆の認識が世間には浸透してしまっている。


    ここで、モズラーの興味深い小噺を、少々長くなるが引用したい。

    数年前、オーストラリアの経済学カンファレンスで「政府の小切手は不渡りにならない」と題した講演をした時のことだ。聴衆の中にオーストラリア連銀で首席研究員を務めるデイビッド・グルーエン氏がいた。あれは最高のドラマだった。

    私は米国政府の小切手は不渡りにならないという話を始めたのだが、数分話したところで、デイビッドの手が上がり、中級の経済学部の学生がよくやるようなお馴染みの台詞を言った。「もし債務の金利がGDPの成長率を超えたら、政府債務は維持不能だ。」質問ですらなく、あたかも事実だとして述べたのだ。

    対して私はこう答えた。「さあ私は連銀の端末入力担当者だ。デイビッド、教えてくれないか、”維持不能”っていうのはどういう意味だい?金利がとても高くて、過去20年間で政府債務が大きくなりすぎたから政府は金利を払えないと言うのかい?自分はちょうどいま年金受給者への小切手を切るところだけれど、この小切手が不渡りになるよと言っているのかい?」

    デイビッドは黙り、深い思考に沈み、このことを考え続け、ついにこう言った。「ああ、自分は今日ここに来た時まで、準備銀行の小切手清算がどのように機能しているのかちゃんと考えたことがなかった。」

    ついにデイビッドは言った。「いや、その小切手は普通に処理する。でもそれはインフレを引き起こし通貨価値を下げる。人々が”持続不可能”という言葉で意味しているのはそれなんだ。」

    私はデイビッドに話し続けた。「ええと、ほとんどの年金支払者が関心を持っているのは、引退したときに基金が存続しているだろうか、とか、オーストラリア政府はもう基金に支払うことができなくなるのでは、ということじゃなかったのかな。」対してデイビッドはこう答えた。「いや、彼らが心配しているのはインフレーション、オーストラリアドルの水準だと思う。」

    あの日、シドニーの学会で参加者が確認したこととは何だっただろう? 独自通貨を持つ政府は、政府が望みさえすれば、常にフットボールスタジアムと同じように、ボードに好きなポイントを入れることができる。過剰な支出の帰結はインフレーションかもしれないが、決して破産ではない。

    最終的には、以下のようにまとめられる。

    事実はこうだ。:政府債務が支払い不能を引き起こすことはあり得ない。ソルベンシーの問題は存在しない。支出とは政府自身の準備銀行に持つ口座の数字を増やすだけの行為なのだから、「お金を使い果たす」ということはない。


    さて、ここからモズラーは「政府は支出のために何かを得ているわけではなく、そうしておく必要もないのなら、政府はどうして私たちに税を課しているのだろうか?」という問いへと向かっていく。

    政府が私たちから税金を取ることには、大事な理由がある。税は、経済の中に「ドルを獲得するニーズ」を生み出すのだ。このことゆえに、人々はドルを得るためにモノやサービスや労働を売らなければということになる。納税の義務があるからこそ、政府はもともと何の価値もない紙切れでモノを買うことができる。そのドルを納税のために必要とする人がいるからだ。

    またモズラーは、既に用いた親・子ども・家事・クーポンの例を意識しつつ以下のように述べている。

    親自身はクーポンを必要としないのに子供から週10のクーポンを取る需要がある。それと同じ理由だ

    子供たちに課するクーポン税が、家事をすることで親から稼ぐクーポンのニーズを生み出している。

    モズラーは、わかりやすい史実の例として、英国の植民地運営を引用している。

    1800年代のアフリカで、英国が作物を作るために植民地を作ったときの話だ。最初英国は現地の人々から職を募ったが、英国のコインを稼ぐことに興味を示さす者は誰もいなかった。そこで英国はすべての住居に「小屋税」を課し、それは英国の硬貨だけでしか納められないものとした。すると地域はたちまち「マネタイズ」され、人々は英国の硬貨を必要とすることになり、それを得るためにモノや労働力を売りに出し始めた。こうして英国は彼らを英国硬貨で雇い、作物を育てることができるようになったのだ。

    モズラーは、税のもう一つの機能として、総需要抑制効果を挙げる。政府が十分に支出しつつ、インフレを発生させないための適切な徴税の基準がある、というわけだ。その裏では、政府支出が要求する「本当のコスト」が、実物資源の接収(による機会費用)であることが根本にある。

    ここではモズラーは、不況に際して政府を拡大することも、財政黒字に乗じて政府を拡大することにも反対している。尤もそれは、「あらかじめ適正な大きさの政府にしてあるのなら」という極めて強力な留保の上での話であるし、私見を述べれば、不況においては、実物資源が余剰となり、政府支出による機会コストは低下しているので、基本的には政府拡大が望ましくなる可能性が高いのではあるが。

    さて、モズラーのこの見解をまとめれば、「税の機能は経済を統制するためであって、議会の支出のためのお金を得るためではない。」となる。


    政府がこの「命取りに幼稚な嘘」の第一番、「政府が支出をするためには、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない」を信じ続ける限り、産出と雇用を制約する政策が支持され続けていくだろう。そうやらなければ素晴らしい経済的結果など、容易に達成できるのだが。



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    ウォーレン・モズラー「命取りに無邪気な七つの嘘」紹介②(政府債務の将来負担について)
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    前回のモズラー紹介記事、「ウォーレン・モズラー「命取りに無邪気な七つの嘘」紹介①(政府支出と徴税能力について)」では、

    ・政府支出が税収に制約されることは無いし、税で集めた通貨を政府支出に回しているのでもない。政府支出によって市中に供給された通貨の一部を税で回収するのであって順序が逆。
    ・税は、通貨を市中に流通させるための措置として存在するに過ぎない。
    ・税の経済的機能は総需要の抑制に過ぎないのであり、支出の元手を確保するためにあるのではない。

    といったモズラーの主張を紹介・解説した。

    今回は、「二番目の嘘」に関するモズラーの記事を紹介していこう。



    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 2/7」

    『命取りに無邪気な嘘 その2:
    政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる』
    『事実:
    そのような、ある世代全体に及ぶ負担は存在しえない。子供たちは、債務があろうがなかろうが彼らが生産できるものなら何でも消費することができる。』


    昨今流行り(?)の、「政府債務の将来負担」についての通説批判である。

    このワードは、「“財政赤字の増加は将来の増税を意味する”」、「政府が赤字財政支出をすると、その支出の支払い負担が将来世代に残る」というような意味で使われるわけだが、経済(経済学)的な意味での『負担』なのであれば、政府債務の過剰がどのようにして『実物』的負担(モノ・サービスの面での負担)になるのかを考察せねばならない。
    そこでモズラーは以下のように諭して見せる。

    子供たちがこれから向こう20年間で毎年15万台の自動車を製造するとして、そこで彼らは、さあ負債を返済しようと考えて2008年の今にその自動車を送ったりするでしょうか。我々だって、第二次大戦以来の債務を返済するためにモノやサービスを1945年に送ったりしているでしょうか?

    もちろん、もうお判りのように、私たちは政府債務を支払うために時をさかのぼりモノやサービスを過去に送り返したりしていないし、子供たちもそんなことはする必要がない。

    将来、子供たちが仕事に行ったり、モノやサービスを生産する時に、過去の政府支出がその妨げになる理由もない。......「過去のために」と今年の生産を諦め、諦めた分をご先祖世代に送り返すなどということはない。

    したがって、政府がどのような徴税、支出を試みる場合であっても、そこで発生するのはそれぞれの年代における「分配」の問題だけである。世代間で生産物がタイムトラベルすることはないわけだ。
    むしろ、現実にはありもしない”財政問題”という虚妄に囚われて、各種投資を出し渋ることこそ、将来への取り返しのつかないツケを生むことに繋がるのである。

    私たちが潜在力を発揮していないということは – 完全雇用に達していないということは – 子孫の利益のために生産できる物やサービスを子孫からも奪っていることになる。同じように、高等教育への助成の削減は、子供が将来彼らにできる最高のことをするのに必要な知識を彼らから奪っている。また、基礎研究や宇宙開発への支出削減は、そこからの果実を子供たちから奪い、その代わりに今この失業を維持しているということになる。



    さて、ここから話は、政府支出の実務、国債とその返済の実務へと移っていく。

    政府支出の際、金融上何が起こるか。これはモズラーの言う通り、「政府があなたに2000ドルの社会保険の支払いをするときは、あなたの口座を置いている銀行がFEDに持っている当座預金口座の数字を2000ドル増やす。さらに自動的に、あなたの口座の数字が2000ドル増えることになる」。

    次に国債とは何か? モズラーは、国債のことを、中央銀行当座預金と対比して、銀行にとっての「普通預金」(saving account)なのだと言う。

    ここは日本人にはピンとこないところだと思う。アメリカでは、個人でも普通預金(saving account)と当座預金(checking account)をそれぞれ持つのが普通で、さらに決済には基本的に当座預金を用い、普通預金は当座預金へ「補填」するために存在する貯蓄用口座に過ぎない、という慣行が通例なのである。

    普通預金で貯蓄も決済も兼ねる日本の慣行とはかなり異なっており、それを知らないとモズラーのこの記述も理解しがたいだろう。

    この”ギャップ”を意識して、拙記事「国債≒統合政府の定期預金or金融債というアナロジー」では、タイトルの通り、定期預金、ないし金融債という例えを使わせていただいた。こちらの方が、日本人のイメージに合うはずだ。

    こうした慣行の違いを意識して、モズラーの記述を追っていただきたい。

    銀行が2000ドル分の価値を持つ国債を購入するとしよう。FEDはこの国債の支払いを受けつけるため、銀行がFEDに持っている当座預金の口座の数字を2000ドル分減らし、普通預金口座の数字を2000ドル増やす。(ここで私は国債のことを「普通預金口座」と言っている。そうなのだから。)

    言い換えれば、政府が「借金する」と言われているものをするときに政府がすることとは、FEDにある当座預金から普通預金(国債)に残高を移すことなのだ。FEDは全部で13兆の債務を持っているが、これは「経済が全体としてFEDに持っている普通預金がその額である」という以上の意味はない。

    さて国債が満期を迎え、その「債務」を返済しなければならない時には何が起こるだろうか? そう、もうおわかりの通り、FEDにある普通預金口座(国債)からFEDにある適正な当座預金口座(準備預金)にドル収支がシフトするだけだ。


    統合政府(中央銀行+財務省)レベルで考えれば、国債の発行、及び国債の償還というのは、単にsaving accountとchecking accountの間の資金移動に過ぎない。(私が用いた例えで言えば、定期預金(or金融債)と当座預金の間の資金移動に過ぎない、となる。) 統合政府の負債”内訳”の変化に過ぎないというわけだ。(裏を返せば、中央銀行が国債オペで行っているのは、統合政府負債の内訳変更だけだとも言える)

    国債発行は、単にchecking accountからsaving account(ここではsaving account=国債)への数字の切り替えに過ぎないし、国債償還はその逆に、saving accountからchecking accountへの数字の移動に過ぎない。

    統合政府は、この各種口座の数字を打ち込むにあたって、何の実物的準備も必要でない(不換紙幣制度なので)。したがって、「国債返済のための資金が不足する」などということはそもそも起こり得ないというわけだ。saving accountからchecking accountへの数字の移行、あるいは定期預金口座から当座預金口座への数字の移行に際して、一体どこから「資金調達」する必要があるというのか? そんな必要、あるわけがない。


    モズラーは、アメリカである意味ホットな「中国の米国債保有」の具体的な話に移る。中国が米国債返済を要求したとして、その際行われるのは、saving accountからchecking accountへの振替に過ぎない。中国は当座預金を得るし、中国が欲しがる分だけ、Fedは当座預金を追加発行可能である。

    米国債の金利が低すぎて、中国が買いたがらないからといって、そこに何の問題も生じない。単に中国は当座預金をそのまま持っておけば良いだけだし、Fedは増加した当座預金需要の分だけ当座預金残高を追加・維持しておくだけだ。

    もし中国が当座預金すら要らないとすれば? それは当座預金で何か他の物を買うということに他ならないのであるが、基本的にドル預金で購入できるのはドルで売られている商品、つまりアメリカの生産物なわけで、それが起こす問題はせいぜいインフレである。

    中国がドルを他の通貨に変換する場合ですらも、そこで問題になり得るのは、為替安によるインフレだけだ。

    前のモズラーの紹介記事でも明らかにされた通り、問題は常にインフレが起こるか否かに集約されてくるのである。財政問題という虚偽の問題意識から脱し、インフレ問題という正しい問題意識に辿りつくわけだ。(もののついでに、アメリカを含む先進諸国がどちらかというとディスインフレーションに困っているということも思い出しておくと良い。)



    余談になるが、この「政府債務の将来負担」の問題は、私も特別に取り上げたことがある。詳しくは拙note「政府債務は「将来世代の負担」なのか?」★★にて網羅的にまとめたのだが、端的に説明すると、いわゆる将来世代負担論は

    ①仮に財政赤字(≡通貨発行)が過剰に大きく、将来的にも「返済」(≡「徴税による発行通貨回収」)を行わないと予想された場合→現時点にてインフレが発生する。

    ②仮に財政赤字が過剰に大きく、将来の増税で「返済」を行う場合→通貨を貯蓄していた特定の世代が損をする(単純に将来世代全体が損をするのではなく、現在から将来にかけて貯蓄を行っていた特定の世代が損をする、という構図であることに注意。)

    という立て付けになっている。構造的には、将来世代負担論というより、世代間格差論と呼ぶべきものなのだが、この議論では、「現在の財政赤字が過剰に大きく、将来的な課税で回収しなければ必ずインフレになる」という前提が置かれている。裏を返せば、この前提が誤りであれば、つまり「現在の財政赤字は過剰ではなく、インフレが起きそうな規模ではない」という状況であれば、上記の世代間格差論は全く成り立たないことになるのである。


    さて、最後はモズラー自身の一節で締めさせていただこう。


    今は「子供たちに政府債務を残している」などという命取りに無邪気な嘘が政策を動かし、最適な生産や雇用ができないようにさせられている

    失われた産出や人的資本の棄損は、私たちにも子供たちにも現実の代償となっていて、現役世代と将来世代の両方を痛めつける。私たちが生産できるはずのものを制限し、高失業(犯罪や家族問題や医療問題を伴う)を維持するとそうなることになる。私たちが完全雇用と産出を維持する方法を知ってさえいれば現実として投資できるものを、子供たち世代は奪われていることになるのだ。


    ★★

    国債≒統合政府の定期預金or金融債というアナロジー / 累進課税の意義

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    その他、
    「貨幣論まとめ」
    「不況論まとめ」 
    「財政論まとめ」 

    などなど……


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    国債≒統合政府の定期預金or金融債というアナロジー

    現実の運用を鑑みると、統合政府(財政+中央銀行)から見て、国債は類比的に言えば『定期預金』ないし『金融債』に近い構造を持っている。
    国債それ自体は、将来的に通貨currencyに(利子付きで)交換するという約束をされた債権・債務に過ぎない、というのが実態だからである。

    そうした財政金融政策上の実態を知っていると、「通貨発行支出currency-issuing spendingは回収しなくても良いが、国債は租税によって返済する必要がある」とでも言いたげな経済学界隈の馬鹿げた言論には閉口するしかない。
    むしろ、直接的に租税と紐づけられているのは発行通貨の方だからだ。
    (「貨幣はいかなる意味で負債なのか」で論じたように、統合政府の発行する通貨は、徴税債権(国民側から見れば納税負債)を ”相殺” する意味において、政府負債に他ならず、この意味で通貨は、租税との直接的な関係を通じてその機能を持つからである。)

    もし国債が租税と関係するとしても、それは国債の償還形態=通貨currenxyを通じた間接的な関係に過ぎないのである。

    したがって、「国債を通貨に変換しておけば、租税による償還義務がなくなる」みたいな言論は完全に馬鹿げている。
    国債はそもそも、通貨(通貨発行)による償還しか約束していないからだ(その意味で国債は、定期預金や金融債に近似的である)。

    裏を返せば、財政出動の結果として銀行に(銀行負債である銀行預金の増加を伴って)引き渡される資産が、準備預金であろうが国債(≒定期預金・金融債)であろうが、総需要効果に違いが発生したりしない。

    唯一違うのは銀行間市場金利の変化だが、特定の政策金利を設定し、それに対して適宜誘導(金融調節)を行っているなら、まったくの別問題となってくる。
    (ここらへんの金融調節周りの詳しい話は、『ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げはインフレ促進的ではない」』★★★が参考になるかもしれない)

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    累進課税の意義

    最近は、累進課税にはあまり格差是正効果を期待していないというか、格差是正のためだけに累進課税を設定する必要はないかもしれないと考えている。

    仮に完全にフラットな税であっても、きちんと支出が必要な人々(例:失業者や、悪い労働条件を強いられている労働者)に配られれば、庶民の生活は改善し、かつ安定することになる。
    庶民に必要十分な所得が行き渡ることは、相対的に富裕層の消費水準を低下させるかもしれないが、それは富裕層が甘受すべきだし、逆にきちんと庶民への分配が行き渡る限りにおいて、富裕層に特別に懲罰的な重税を課す、という必要性は必ずしもない。

    また、そもそも、累進課税をきっちりやっていても、その分だけ高所得者優位な支出ばかり組まれるようでは意味がない。
    例えば、育児費用や学業費用の安易な無差別援助は、結婚・育児が可能な一定以上の所得・地位の層を却って有利にするばかり……という逆進的構造があったりしており、こうした支出システムと組み合わされると、いくら高所得者から徴税するとしても、それ以前に高所得者向けに支出=財・サービス提供が行われてしまうようでは、庶民全体の厚生改善が限定的になってしまったりする。
    この意味でも、あくまで最重要なのは「支出」だと考えなくてはならない。


    『であるにも関わらず』、それでも尚、累進課税それ自体は必要だとも思っている。

    累進課税に格差是正効果を特別に期待しないなら、一体何を累進課税に求めるのか?

    それはなぜかというと、それが反循環的な効果を持つからである。
    要するに、総需要亢進時の物価高騰を自然に抑制し、総需要低下時には低下スピードを自然に緩める効果があるのである。(余談だが、法人税にも似た効果がある。)
    もしそうした自動安定化装置が取り外されれば、総需要の変動は今よりさらにひどくなってしまうかもしれない。そうした総需要の自動調節機能として、累進課税etcは意味を持ってくるのはないかと考えるのである。

    (以上)

    ★★★
    ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げはインフレ促進的ではない」(2009年12月14日) — 経済学101
    https://econ101.jp/%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%bb%e3%83%9f%e3%83%83%e3%83%

    ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げはインフレ促進的ではない」(2009年12月14日)

    Bill Mitchell, “Building bank reserves is not inflationary“, Bill Mitchell – billy blog, December 14, 2009.
    今日私は仕事でDubboにいる。Dubboはニューサウスウェールズ州の西部で、州の中でも外れた辺鄙なところにある。普通の人々はしばしば通り過ぎてしまうこのオーストラリアの田舎では、美しい景観が楽しめる。私のこの実地見学は、この地域の土着のコミュニティについて私が継続的に行っている研究と関係がある。この研究についてはいつか報告しよう。さて、今日の記事は、私が昨日に準備預金について展開したテーマの続きだ。昨日の記事―Building bank reserves will not expand credit邦訳)では、準備預金の動態について検討したが、時間が無かったので、いくつかの論点を残してしまっている。一つの論点は、準備預金拡張がインフレーションに与える影響の可能性についてだ。これは、危機に対する金融政策の効果に関する時代遅れな考えについての主流派たちの病的熱狂の核心的部分だ。結論については安心してほしい――金融政策についての唯一の問題は、それが無効であり、より大きい財政政策の努力が必要だというところだ。
    この記事の目的は、昨日からスタートさせた準備預金についての2パートに渡る記事のシリーズの結論を下すことだ。この記事は――他の表現法によって――現代金融理論(MMT)の重要な原則の一部をよりいっそう明らかにするだろう。MMTの原則については、Deficit spending 101  Part 1 (邦訳|Deficit spending 101  Part 2邦訳)|Deficit spending 101  Part 3邦訳) および他の記事にて展開している。MMTの最重要原則を網羅した記事の総集編が見たければ、Debriefing 101をご覧いただきたい。
    昨日の記事―Building bank reserves will not expand credit (邦訳) では、BISの最近のワーキングペーパーであるUnconventional monetary policies: an appraisalを、金融システムのオペレーションの各側面を説明するために利用した。金融システムオペレーションは、MMTの核の部分であり、主流派マクロ経済学が首尾一貫した形で描写できていないものでもある。
    具体的な論点は、ポール・クルーグマンが現在実行している「量的緩和が融資刺激に必要だ」という政策提案についてだった。私は量的緩和が融資刺激に関しておおよそ不能であるということと、融資は準備預金に制約されていないが故にそれが驚くべくもない当然のことであるということを示した。クルーグマンは、金融政策と準備預金を関連付ける銀行オペレーションについて明らかに理解していない、という結論が得られた。こうした理解を発展させていくのがMMTの際立った核心的特徴である。
    このBIS研究ペーパーを用いるのにはわけがあって、というのは、このペーパーは、銀行の専門家たちもまた、(主流派の論説に出てくる言語慣習を利用してはいるものの)MMTの重要部分を理解していることを示しているからだ。このことをさらに示すために、準備預金が金利政策とインフレ実現可能性に与える影響について、このBISワーキングペーパーをさらに検討していくつもりだ。
    通常(現在のような顕著な経済危機でない間)は、金融政策は”短期金利に関するものだけだと定義される”。その場合、中央銀行は”政策金利”を設定するというシグナルを出す―この政策金利は、中央銀行の政策目標を達成するよう計算された金利である。しかし、同時に中央銀行は流動性管理オペレーションに従事しなくてはならない:
    …金利が有効なものになるのを手助けするために: 中央銀行は、市場の”参照金利”、典型的にはオーバーナイト金利が、望ましい金利水準の近傍を確実に至るようにする。そのために、流動性管理オペレーションは、純粋に技術的で支持的な役割を果たすことになる
    MMTを理解するためには、金融政策領域における流動性管理オペレーションのアイデアと、財政政策分野における政府支出と税収発生の影響とを結び付けることが重要だ。主流派経済学のいかなる教科書を読んでも、これら二つの領域を首尾一貫した形で結び付けているものはないだろう。実際、主流派経済学のパラダイムはこの二つの領域に対して誤った説明を行っているため、間違った結論を導いている。(例えば、主流派経済学者は財政赤字が金利を引き上げると主張している)
    政府が支出を行うとき、銀行の準備預金口座への記帳が行われる(あるいは、銀行間決済システムに対する小切手を発行する)。そして、全ての取引が完了されたのちには、準備預金は拡張しているのである。逆に、政府が徴税を行うときは、銀行の準備預金口座が引き落とされ(あるいは現金or小切手を受け取って)、結果的に同額の準備預金が減少する。
    こうした取引は政府と非政府部門との間の垂直取引 (邦訳) であり、上記のように準備預金の創造と破壊を生ずるのである。必然的に、政府が財政赤字(徴税を越える支出)を計上したら、準備預金に与える影響は全体では正になる――全体では準備預金は拡張するのである。逆に、政府が財政黒字(徴税未満の支出)を計上したとき、準備預金に与える影響は全体では負になる――全体では準備預金は縮小するのである。
    こうした財政的影響を理解することは重要だ。なぜなら、中央銀行による流動性管理オペレーションがどのような方法で行われているかを理解する手助けになるからだ。そうしたオペレーションは財政政策からは分離されているが、本質的に財政的影響とリンクしている。
    そのリンクが形成される理由は、支出する際に”資金調達する必要がある”からではない。それは主流派経済学の教科書が作り上げているよくある誤解だ。自国通貨(own currency)を発行できる統治政府は、自身の支出に対する資金調達を必要としない。こうしたことは明白な事実なので、コメンテーターたちが逆の主張に固執しているという現実は私を絶えず驚かせている。
    (政府債務発行や、租税といった)全ての財政的企図は、表面的には”資金調達オペレーション”だとみられているかもしれないが、実際にはそうした類のものではない。以下に続く議論で、政府債務発行が金融システムの中で果たす役割を明らかにするつもりだ。政府のレトリックに従えば(政府債務発行は資金調達オペレーションであるという)違う結論を出してしまうかもしれないが、日常的な流動性管理オペレーションの厳密な現実は(理解できれば)真実を明らかにする――政治的スタンスを現実から引き剥がすのである。
    BISが言うには:
    準備預金を通じて金利政策を実行する際の支点は市場だ。しかも特定の市場である。準備預金に対する支配力を通じて、中央銀行は準備預金の量とその(マージナルな)供給期間を設定できる。そうして、中央銀行は準備預金の機会費用(”価格”)であるオーバーナイト金利を自由な水準で設定できる。その唯一の理由は、中央銀行は自ら望めば、選択した価格で無制限に売買する用意があるからである。この事実は、中央銀行の出すシグナルの信頼性の源となっている。
    重要なことだが、このシステムの中では金利は準備預金量から完全に独立して設定することができる。同じ準備預金量であっても、全く違う金利水準との共存があり得る。裏を返せば、同じ金利であっても、全く違う準備預金量との共存があり得るのである。重要なのは、政策金利に応じて準備預金に報酬を発生させる手法である。我々はこの手法を”分離主義”と呼称している。これは残りの分析において広範に渡る含意を持つものである。
    彼らが参照している「シグナル」とは、アナウンスされた政策金利・ターゲット金利のことである。あなたがたもご存知の通り、中央銀行(財務省と合同で統合政府部門を構成する不可分要素)もまた収入制約を持たない――中央銀行は、準備預金を好きな価格で無制限に売買できる。
    分離主義については昨日のブログ記事―Building bank reserves will not expand credit (邦訳) にて検討した。以下の議論では、”重要なのは、政策金利に応じて準備預金に報酬を発生させる手法である”という文言について明らかにしていく。
    BISはこの議論を進めるために以下の図を用いている。この図は彼らのペーパーの4ページにあり、金融政策と商業銀行の利益追求目標との関係の中でどのような異なる準備預金付利スキームが運用されるかを理解するのに役に立つ。
    図の中の様々なパラメータについては以下の通りに定義されている:
    ・rp=中央銀行の金融政策金利――中央銀行が自らの政策目標に近づくと信じている金利
    ・ro=インターバンク市場における準備預金の需給で決定されるオーバーナイト金利。インターバンク市場では、商業銀行がオーバーナイトで準備預金を貸し出したり獲得したりすることができる。システム全体で準備預金の超過がある場合は、インターバンク市場の取引は準備預金超過を解消することが出来ない。こうした場合は、中央銀行による吸収オペ(政府債務売却)のみが超過準備を解消する唯一の手段となるだろう。同様に、システム全体で準備預金の不足がある場合は、個別の商業銀行の保有量に関係なく、中央銀行による準備預金注入だけが不足を埋め合わせることが出来る。
    ・rE=オーバーナイトでシステムに残存する超過準備に対して、中央銀行から商業銀行へと支払われる金利(訳注:超過準備付利のこと)
    ・Rmin=決済目的に必要な準備預金の最小量。準備預金の移動を必要とする全ての日常的取引の決済を整然と実行するために、銀行はその量を保持する。
    ・R*=準備預金の均衡量。この均衡量は、銀行が決済目的に必要な最小量の準備預金と、競争的金利で所得を得られる超過準備を保有するときに達成される。均衡は、インターバンク市場でそれ以上の取引が無いという事を含意する。
    この図をどう理解したらよいだろう?
    ここでは2つのスキーム(Scheme1とScheme2)が示されている。Scheme1では、中央銀行が、政策金利を下回るサポート金利(rE)をオーバーナイト準備預金に支払うという通常の状況が示されている。オーストラリアでは、サポート金利は基本的に目標金利を25ベーシスポイント下回る。ニュージーランドでは、ニュージーランド準備銀行がrE=rEと設定してきた。(訳注:おそらく誤記? 政策金利=サポート金利ということが言いたいのではないかと) 最近まで、日本銀行とFRBはrE0として設定していた。
    Figure1で記述されている金融システムでは、平均残高でみた必要準備が課されていない。(訳注:法定準備は普遍的な制度ではなく、カナダ、イギリス、オーストラリアなど、法定準備の存在しない国は多い。参照)したがって、BISの著者によれば:
    …銀行がオーバーナイトで保有する必要のある準備預金量、すなわちRminは、完全に銀行の決済ニーズで決まる。決済ニーズには、予備的なものも含む。こうした決済需要は実施された全ての決済取り決めに依存し、事実上金利からは独立である
    ペーパーによれば、銀行の超過準備需要(DD)は垂直(短期金利(オーバーナイト金利)とは無関係)である。なぜなら、銀行は確実の決済需要を確実に満たすだけの最小の準備預金(Rmin)だけを保持しようと望むからである。その水準は金利によって決定するものではない。中央銀行は、超過準備に適用される付利アプローチとは関係なく、上記の必要最小量の準備預金が常に利用可能な状態を確保しなくてはならない。もし中央銀行がその水準の準備預金の供給に失敗したなら、”オーバーナイト金利の著しい変動”が結果的に生じてしまうだろう。
    BISは以下のように詳説している:
    あらゆる超過準備は、オーバーナイト金利を、超過準備付利(ゼロ、あるいはスタンディング・ファシリティの金利)(訳注:スタンディング・ファシリティについて)が設定する底辺にまで導くだろう。というのは、銀行は不必要な準備預金をオーバーナイト・インターバンク市場に貸し出して処分しようとするからである。あらゆる準備預金不足は潜在的な決済困難につながり、オーバーナイト金利は許容不能なレベルまで上昇するか、一日貸出ファシリティが設定する天井にまで到達するだろう。ひとたび準備預金需要が満たされれば、中央銀行は、望む金利水準を示すことによってあらゆる水準のオーバーナイト金利を設定することができる。
    さて、付利スキームはどのように重要なのだろうか? Scheme1では、利潤追求型の銀行は、決済用の最小量を超える超過準備を縮減しようとするだろう。なぜなら、”サポート金利”がオーバーナイト金利より低いからである。
    もし(Rminを越える)準備預金がある場合:
    準備預金保持による機会費用(ro– rE)の存在は、Rminを越える超過準備が存在するとき、銀行がこの超過分を貸し出そうとするだろうという事を含意する。そうすると、銀行はオーバーナイト金利をrEまで押し下げてしまうだろう。そうして機会費用は除去される。
    したがって、決済用に必要な最小量を超える準備預金が存在するときはいつでも、銀行はrE(中央銀行から付与されるサポート金利)を越えるリターンを求めてインターバンク市場に準備預金を貸し出そうとするのである。もしrE=0なら、中央銀行が野放しにする限りは、オーバーナイト金利はインターバンク市場の融資競争によってゼロまで下がるだろう。
    こうして得られる明白な含意は、中央銀行はそのとき目標短期金利のコントロールを失うという事である(rp>ro)。こうしたケースでは、中央銀行はインターバンク市場の動きを締め付けるために介入しなければならないし、そのために中央銀行は、商業銀行に対してrpに見合うリターンの代替的類似資産を準備預金の代わりに提示する。それは政府債券である。故に、政府債務発行は、正しくは、中央銀行が政策目標金利をコントロールするための手段であると理解されるのである。
    Scheme2では、中央銀行は商業銀行の超過準備(決済用に必要な最小量を超える分)に対して政策金利に等しい付利を支払っている。この場合では:
    …超過準備保持による機会費用は存在せず、決済用の最小量が満たされている限り、銀行は準備預金量を気にしなくなるだろう
    したがってこの場合は商業銀行に対して公的債務を売りつける必要はない。サポート金利を政策金利に等しい値に設定することによって、中央銀行は政府債務に等しいものを商業銀行に提示しているのである。そうした支払い(訳注:中央銀行による超過準備付利)は、商業銀行が超過準備保有を削減する必要性を完全に解消し、銀行は代替有利子資産(例えば公的債務)を求めることなく巨大な準備預金を喜んで放置するだろう。
    関連付けられるその他の重要ポイントは、準備預金における財政政策の影響についてである。我々が知っているように、財政赤字は超過準備を創造する。このケースでは、財政赤字は流動性システム(あるいは現金システム)にダイナミクスをもたらし、それによって金利は(上述のように)インターバンク市場の競争を通じて大いに低下してしまう。これにより中央銀行は、もしその特定の金融政策スタンスを維持するのであれば(訳注:政策金利を維持するならば)、(準備預金を吸収するために)債務を発行して商業銀行に売るか、政策金利に見合うサポート金利を支払うかのどちらかを行わなくてはならなくなる。
    こうした状況では、政府債務発行は財政赤字によって生じる金利の(サポート金利への)下落を防ぐ。財政赤字それ自体は金利に対する上昇圧力を齎さない。流動性管理オペレーションに関する金融オペレーションが金利の下落を防ぐのであって、それは全く別物なのである。
    全てを理解すれば、主流派経済学の教科書の関連チャプターや金融財政政策について精通しているとされている解説のほとんどが何故甚だ間違っているのかについても把握できるだろう。
    準備預金とインフレーション
    BISペーパーの後半で、著者たちは次の疑問を検討している: ”準備預金によるファイナンスは特別にインフレ促進的なのか?” 昨日の記事――Building bank reserves will not expand credit (邦訳) を思い出してほしい。ポール・クルーグマンは、現時点において再び量的緩和が望ましい政策であると提唱した。量的緩和が民間部門に将来的なインフレーションを予想させるからだという。彼はQEを準備預金の拡張と定義づけた。
    次に、インフレ予想は、(ゼロ金利、あるいは非常に低い名目金利になっている状況下において)実質金利がマイナスになると”貯蓄者と投資者”に判断させるだろう。クルーグマンによれば、このことは銀行融資需要を刺激して経済を始動させるのだという。
    したがって、この議論の重要な部分は、「準備預金の積み上げがインフレ促進的である」というところなのである。
    BISの著者たちが言うには:
    準備預金を通じたファイナンスによるインフレ促進を強調する主張は、最初の疑問に極めて密接に関係している。もし準備預金が融資追加に貢献せず、短期政府債務の近似代替物であるなら、インフレ加速効果の発端を見ることは困難だ。総需要、およびそれによるインフレに対する効果は、中央銀行がどのようなバランスシート政策を選択するかに関わらず、極めて似通っている。例えば、銀行システムにおいて、銀行が一週間満期の中央銀行債あるいは財務省証券を保有する場合に比して、オーバーナイト準備預金という形で中央銀行に流動性資産を保持することがどのようにしてより一層インフレ圧力を高めるかは明らかではないのである。
    同じ議論が政府債務の”マネタイゼーション”に関しても適用できる。マネタイゼーションというのは、中央銀行が政府債券をプライマリーマーケットあるいはセカンダリーマーケットで購入することだ。ここでの問題は、準備預金創造を通じた政府支出のファイナンスが、(財政拡張による総需要のブーストはさておいて)インフレーションを齎すか否か、というところである。
    第一に、BISの著者たちは銀行システムにおけるオペレーションは理解しているが、MMTのパラダイムには則していないことがわかるだろう。”資金調達手段”(financing medium)といった用語法からそれがわかる。こうした用語法は、このペーパーに見るように銀行家たちにとっては通例ではあるものの、極めてミスリーディングだ。中央銀行は、準備預金の創造によって政府支出の”資金調達”を行ったりはしない。準備預金は政府支出によって創造されるのであり、既に論じたように、中央銀行の金融政策スタンスに応じていくつかの選択肢を中央銀行に与える。中央銀行によって遂行される金融オペレーションは、”資金調達”オペレーションではなく、正しくは流動性管理オペレーションであると理解される。
    その上、中央銀行が公共支出をマネタイズしつつプラスの目標金利を維持する(そして政策金利を下回るサポート金利を支払う)という考えは不可能である。もし中央銀行はそれを実行しようとしたら、銀行は超過準備を削減しようとし、そうして生じるインターバンク市場の競争によって中央銀行は政策金利のコントロールを失うだろう。中央銀行は、超過準備を吸収するために公的債務を売却するか、超過準備に支払うサポート金利を政策金利と同じ水準まで引き上げなければならなくなる。主流派経済学の教科書や研究記事ではこのような論理への理解を得ることはできないだろう。
    第二に、Building bank reserves will not expand credit (邦訳) において、我々は準備預金の拡張が銀行融資を増加させないことを示した。準備預金の拡張が銀行融資を増加させるというアイデアは、銀行が融資の前に準備預金を必要とするという誤った理解に基づいている。そんなことは疑いなく絶対にないのだ。この点において、主流派マクロ経済学の教科書は完全に間違っている。
    この論点について、インフレーションの分析は生産キャパシティに対する総需要の状態と関係しているということを理解するのが肝心だ。信用拡張は支出増加を示すが、それ自体はインフレ促進的ではない。名目支出成長は、もし企業が利用可能な生産キャパシティを保持しているなら、企業からの実物的反応――生産と雇用の拡大――を刺激するだろう。企業は、彼らの製品やサービスの需要増大に対して、値上げで反応することには消極的だろう。なぜなら、そうした反応は企業にとって高コストである(カタログを改訂しなくてはならないetc)し、企業は市場シェアを保持したいし、競争相手が値上げに追随しないことを恐れるからである。
    したがって、(特定の資産区分に生じる価格バブルではなく)普通のインフレーションは、利用可能な生産キャパシティがある間は問題にはなりにくい。高い需要があるときでさえ、企業は通常、需要急騰に対応可能にするために予備の生産キャパシティを持っている。経済がかなりの期間の高い需要圧力を受けたときにのみ、インフレ圧力は明確になり、需要を引き下げるような政策が必要になる。(例えば、支出カットや増税など)
    その上、支出成長は、名目需要成長の前に生産キャパシティ拡張を後押しする。生産キャパシティに対する企業の投資はその例であり、政府による生産的インフラ(人的資本育成も含む)への支出も同様である。したがって、全ての支出が名目支出成長と利用可能な生産キャパシティの間のギャップを縮めるわけではない。
    さて、BISの著者たちは、インフレーションの問題を、中央銀行が商業銀行に提示している付利の点から考察している。
    超過準備付利が政策金利を下回っているケースでは、準備預金注入は預金ファシリティ付利によって出来た底辺にまでオーバーナイト金利を引き下げるだろう。ゼロにもなり得る(Scheme1)。これは金利政策の緩和と同等だ。結果として、発生するあらゆるインフレ圧力は、金利変動に伴う通常の総需要拡張におおよそ起因するだろう。
    したがって、金融政策設定ではなく生産キャパシティを越える最終的な支出がインフレーションを起こすのである。しかし、こうした議論はどれだけ総需要が金利の動きによく反応するかに依存している。主流派経済学では、支出が金利に対して比較的敏感に変化すると想定されており、彼らがインフレーション・プロセスを実現するためにインフレ目標を提唱する理由はそれである。
    MMTにおいては、通常の範囲での政策金利変化が劇的に支出を変動させるという確信はあまりない。理解しておかなくてはならないことは、そこに二つの考慮すべき側面があるということである。資金調達のコストの側面――この側面においては、金利の上昇は(所与の投資収益期待において)おそらく資金調達需要を引き下げるだろう。そして所得の側面――この側面においては、金利の上昇は債券保有者の所得を上昇させ、次に支出を上昇させるだろう。この影響は投資にも帰ってくるだろう。なぜなら、投資家は、借入コストの上昇に直面しているだけでなく、将来の所得への信頼の強化も感じ取るからである。
    したがって、そうした分配上の複雑性は、金利の変化が総需要を操作する効果的な方法であるかどうかを明確に結論付けるのを難しくしている。金利変化はまた、とにかくもっとゆっくりと間接的に働くのであり、需要における他の影響の中から金利変化の影響を抽出してくるのは極めて難しい。
    Scheme1において、公的債務の売却が超過準備を吸収しオーバーナイト金利が政策金利以下に下がるのを防ぐというのは重要なポイントだ。この意味では、(どれだけ総需要が金利変化に敏感であっても)何のインフレ促進効果もないだろう。
    Scheme2(サポート金利=政策金利)について、BISは以下のように述べている:
    超過準備が政策金利分の付利を受けているか、あるいは金利が既にゼロ制約に嵌っている場合は、超過準備の機会費用がゼロなので、超過準備の拡張はオーバーナイト金利に何の影響も与えない(scheme2)。インフレに対する何かしらの追加的な影響が存在した場合は、それは主に、擬制債務管理オペレーションが誘発するであろうイールドカーブ平坦化による総需要への影響に起因するだろう。例えば、もし仮に中央銀行が長期国債購入によって準備預金を注入したとすると、イールドとインフレに与える全体の影響は政府の資金調達を長期から超短期にリバランスしたのと全く同じになるだろう。実際、そうした”オペレーション・ツイスト”は財政当局それ自体で達成可能である。
    これは複雑に聞こえるかもしれないが、要するに長期金利の変化が投資を刺激し、実物キャパシティの吸収力を越えて迅速な名目支出成長を導くだろう、ということだ。
    言い換えると、起こりうるインフレ効果は支出サイドから生じるのであり、中央銀行が行う流動性管理オペレーションに起因するものではないということである。
    BISはいわゆるマネタイゼーションについても考察している:
    より一般的に言って、マネタイゼーションによるインフレの可能性は、大部分は、金融当局によって対応される財政政策(=利上げの手控えを伴う財政政策)を通じた総需要的影響に起因する。中央銀行の対応というのは、インフレ促進的な政府支出の資金調達(準備預金という形であれ、短期政府証券という形であれ)それ自体ではなく、長期にわたる不適切に低い金利設定である。批判的に言えば、これらの二つの側面は政策論議において一般的に区別されていない。なぜなら、一般のパラダイムは金利とバランスシート政策の区別に失敗しているからだ。通常の準備預金需要に関して普及している想定では、一方が見られたらその片割れも見られる:より多い準備預金はより低い金利を含意する。しかし、我々がずっと強調してきたように、これは事実とは異なる。そして今回の危機における金利とバランスシート政策の分離は、そのことを再び分かりやすく裏付けた。
    マネタイゼーションに関する既述の私のコメントを見てほしい。このことは、政策金利が既にゼロであるか、サポート金利が政策金利と一致しているときにのみ起こり得るだろう。その場合、準備預金の積み上げは全体での純粋な財政的注入に伴うだろうが、既に論じた通り――経済の実物キャパシティに対する支出成長が起こす事象とは本質的に無関係だ。
    もし総需要が金利設定に対して比較的非感応的であるなら、このポイントはいずれにせよ無関係になる。しかし、仮に金利の変化が、「低金利が高い金利より拡張的である」という風に支出に対する影響を持つなら、そのときゼロ金利政策を伴う財政拡張は経済刺激的なものになるだろう。重要なのは、マネタイゼーションが(主流派が主張するような)本質的にインフレ促進的な代物であるというわけではないということだ。
    そうしたマネタイゼーションは生産キャパシティのフル活用を達成するために必要な財政注入の程度が小さくなることを意味するに過ぎない。(訳注:つまり、マネタイゼーションを行えば、基本的にその分だけ低金利になるので、需給ギャップを埋めるために必要な追加的財政政策の量が少なくて済む、という意味) 政府はいかなるときでも、総支出を経済キャパシティにマッチさせる能力を持つのである。
    私がこの記事と昨日の記事を書いたのは、MMTのメインの考えのいくつかについてより深い議論を提供するためだ。BISのワーキングペーパーを用いることで、”彼らの言語”を利用しつつMMTの重要な支柱を表現することが出来た。違う言語を用いることは、時には、思い込みを克服して複雑な事例に対する理解を広めるのに役に立つ。
    しかし、誰にとっても明らかであるだろうが、主流派経済学の教科書の金融システムの描写、及び財政政策による金融システムの利用法と金融システムにおける影響の描写は完全に間違っている。これらの教科書およびこれらの教科書を使った授業だけで勉強している学生は、自身の学識の中に金融システム機能の間違った印象を残すことになってしまうだろう。
    彼らのうちの一部は政府の政策決定部門に職を得て、そこで金融システムに関する間違った見方を採用することになるだろう。乏しい政策成果に甘んじ、政治的リーダー用にばかげたスピーチが書かれたとしても、何の不思議もない。
    主流派経済学を修めた他の人々はジャーナリストになり、それによって生じる問題をあなたがたは目の当たりにしている。
    追伸
    一夜明けて、我が友人のMarshall Auerbackからメールを受け取った。彼は最近ニューカッスル大学にて訪問講義を行っており、執筆しているNew Deal blogがRoosevelt Instituteから出版された。彼はこのBIS研究ペーパーが重要な寄稿だと考えている。なぜなら、それがMMTでない経済学者たちによって書かれたものであり、彼らは(金融用語の利用法から見て)明らかに主流派経済学のパラダイムの中で議論を行っているにもかかわらず、現実世界の金融システムを統治する金融オペレーションを理解しているからである。
    Marshallは私がBISレポートから行った以下の引用部分に言及していた:
    資金(銀行が保有する準備預金)がインフレ促進的になるためには、それが借り入れられ、支出されなくてはならない。
    以下に示す彼の反応は、全て引用するに足る価値があると私は思う。私がほんとうに興味深いメールを受けたことがこれを見れば分かるだろう。(-:
    Marshallは以下のように書いている:
    これは、私がオーストリア学派、財政ハト派、それ以外の人々に対して明らかにしようとしてきたポイントである。財やサービスがマネーストックの変動によって価格改定される、という風ないかなる魔術的メカニズムも存在しない。貨幣(money)は財に追随するものではない。それはごまかしだ――貨幣はそれ自体で機能する代物ではない。そこには(訳注:貨幣の)”市場”は存在しない――そこにいるのは市場メカニズムの制約の中でふるまい、活動する人々だ。貨幣を借り入れ支出する人々は、財やサービス(及び金融資産や有形資産)に代価を支払う。もし(準備預金としての)貨幣が借入・支出されるのではなく、創造されるのであれば、そこにはすべての価格を自動的かつ神秘的に変化させる市場メカニズムなど明らかに存在しない。貨幣の相対供給量変化はあるかもしれないが、それが生産市場自体と無関係に自動的に相対価格の変動を起こすような市場は存在しない。市場では、売り手が財やサービスの価格を提示し、買い手が入札するのである。
    BISは、金融バランスおよび金融安定性について明確に思索し、著述し、提案を行おうとしている数少ない公式組織の一つであり続けている。このことは、私の同僚であるカナダ人William Whiteの遺産であり、Claudio Bolioその他によって運営されていることと大いに関係がある。この文書を見ての通り、BISは現在主流派マクロの幻想を公然と粉砕している。とても大きな一歩だ…しかし、クルーグマンの「不発」を止めることは出来ないだろうし、BISがMMTに既に賛同しているというわけでもない…しかしBISは真実にかなり近づいてきている。
    ここで終わらせて、Dubboへ向かう飛行機を捕まえに行くとしよう。Dubboはニューカッスルからいくには辛い場所だ。シドニー空港に向かう片道三時間の電車にのってから、西へ飛ぶ飛行機に乗らなくてはいけない。



    Seven Deadly Innocent Frauds of Economic Policy

    作成者Warren Mosler · 2010


    4/7

    https://web.archive.org/web/20180625003033/http://econdays.net/?p=9619


    スティーブ・ムーア


    さて、これでCATO研究所の経済学部長のスティーブ・ムーアと私との数年前の会話について話す準備が整った。彼は現在CNBCのレギュラー出演者で、長年社会保障の民営化を推進しようとしてきた人物だ。スティーブは私が主催したある会議で、社会保障についてスピーチするためフロリダにやって来たことがある。彼は、国民に社会保障の支払いをさせるのではなく、その資金を株式市場に投入するに任せたほうが、退職して時間が経ったときには彼らにとって良くなるのだとする講演を行った。また彼は、政府の財政赤字の一時的な増加もそれには十分な価値があり、株式への資金が景気の拡大と繁栄を助け、それ続く景気拡大により長期的にはおそらく”払い戻されているだろう”と主張した。


    その時点で私は質疑応答のセッションに持って行った。


    ウォーレン:「スティーブ、あなたの言う、お金を政府に社会保障税の形で与え、後でそれを取り戻すというのは、機能として見れば国債を買うのと同じです。つまり、いま政府にお金を渡し、後であなたに返ってくるという機能という面においてです。唯一の違いは、高齢者がどのくらいのリターンを得るかですね。」
    スティーブ:「そうだが国債の方が利回りが大きい。社会保障は2%の利子が付くだけだ。社会保障は個人にとって悪い投資だ。」
    ウォーレン:「オーケー、投資面についてはあとで触れるつもりですが、あなたの民営化案では、政府が支給する社会保障の額を減らし、社会保障制度に参加していた被雇用者はその分のお金を株式市場に投入するということになりますね。」
    スティーブ:「そうだ。1ヵ月あたり約100ドル、承認された優良銘柄のみに対してだ。」
    ウォーレン:「なるほど。そして財務省は、徴収が減る分を埋め合わせるために追加の国債を発行し、それを売却する必要があるのですね。」
    スティーブ:「そう、それは将来の社会保障支給という財政負担を減らすことにもなる。」
    ウォーレン:「そうですね。私の論点を続けますが、株式を買うことになる被雇用者はその株式を別の誰かから買うわけで、株式の所有者は変わりますが経済に新しい資金が投入されるわけではありませんね。」
    スティーブ:「そうだ。」
    ウォーレン:「株式を売った人たちはそれによってお金を得ますが、それが追加国債を買うお金になると見ることができますね。」
    スティーブ:「そうだ。そのように考えることはできる。」
    ウォーレン:「するとどうなるでしょう。我々がすでに同意したように、被雇用者は国債を購入することと機能的に同義である社会保障への支払いをやめて、株を買うと。そしてその株を売った方人の方は、その代わりに新しく発行された国債を買うと。これをマクロのレベルから見てみると、いくつかの株式の所有者が変わり、またいくつかの国債の所有者が変わっているというだけです。社会保障を債券として捉えれば、株式総数も発行済国債も総数はほぼ変わりありません。ですのでこのことが経済や総貯蓄、その他のことに影響を与えることはありません。せいぜい取引手数料が発生するくらいでしょう。」
    スティーブ:「そうだ、そのように見ることもできる。しかし私はそれを民営化だと捉えている。政府よりも人々の方が上手な投資ができると確信している。」
    ウォーレン:「オーケー。しかし人々が持つ株式の量に変化はないとあなた同意しましたよね。するとこの提案では経済全体に変化はありません。」
    スティーブ:「しかし、社会保障制度の参加者にとって変化は確かにある。」
    ウォーレン:「そうです。そしてそれ以外の人にまさしくちょうど逆の変化が起こるということです。そしてこの点に関しては議会も主流の経済学者もまったく議論してきていないのではないでしょうか?あなたがたは提案の実態よりも、民営化という言葉に対してイデオロギー的なバイアスを持っているように見えます。」
    スティーブ:「私はこの案がいいと思っているのだ。民営化を信じている。民間は政府よりも上手な投資ができると信じる。」


    私はスティーブとの話をここで打ち切った。彼の提案は決して株式の数を変えないし、アメリカ人一般が投資のためにもつ株式の数も変えない。ゆえにマクロレベルでは、国民が「政府ができるよりも優れた投資」をできるようにはならない。そして、スティーブはそれを知っているが、彼にとって重要なことではない – 彼はこの話が非論理的だと知りながら、ただ話を続けるのだった。


      Steve: 「でも、国債なら、2%の利子しかつかない社会保障制度より高いリターンが得られますよ。社会保障制度は個人にとっては悪い投資です。ウォーレン:「OK、投資の話は後でするとして、話を続けましょう。あなたの民営化案では、政府は社会保障費の支払いを減らし、従業員はそのお金を株式市場に投入することになりますね。スティーブ:"はい、毎月100ドル程度、しかも承認された優良銘柄にのみです。" Warren: "OK、そして米国財務省は減収分を補うために追加の証券を発行して売らなければならない。" Steve: "Yes, and it would also reduce Social Security payments down the road." (そうすれば、この先社会保障費を減らすことになる。Warren: "そうですね。つまり、私が言いたいのは、株を買う従業員は他の誰かから株を買うので、株が動くのは手を変えるだけです。新しいお金が経済に入ることはないのです。Steve: "Right." Warren: "そして、株を売った人は、その売ったお金で国債を買います。" Steve: "そう、そのように考えることができます。"  ウォーレン:「つまり、何が起こったかというと、従業員が社会保障を買うのをやめ、それは機能的には国債を買うのと同じだと私たちは同意しますが、その代わりに株を買いました。そして、他の人々は株を売って、新しく発行された国債を買いました。つまり、マクロ的に見れば、株式が入れ替わり、債券が入れ替わっただけなのです。株式発行残高と国債発行残高は、社会保障費を国債としてカウントすれば、ほぼ同じです。これは経済にも貯蓄にも、取引コストを発生させる以外には何の影響も与えないということですね?Steve: "そう、そのように見ることもできるだろう。しかし、私はこれを民営化と見ている。そして、人々は政府よりもうまく資金を運用できると信じている。" Warren: "わかりました、でも、国民が保有する株式の量は変わらないので、この提案では、経済全体としては何も変わらないということに同意してください。"  

    経済政策の7つの致命的な無実の詐欺 作成者ウォーレン・モスラー - 2010



     
     
    Charles Hayden
    ⁦‪@CarlitosMMT‬⁩
    Warren Mosler’s Badge of Honor 2019 pic.twitter.com/FLOZA9IymV
     
    2022/12/18 3:32
     
     

    https://twitter.com/carlitosmmt/status/1604182798025334784?s=61&t=3SP6kU7BMTWIy4rSiPWc-g

    Interest-Rate Policy Is Backward, Modern Monetary Theory Pioneer Mosler Says 
    https://www.bloomberg.com/news/videos/2019-05-28/interest-rate-policy-is-backward-modern-monetary-theory-pioneer-mosler-says-video

    2019/05/28

    9分49秒 Modern monetary theory pioneer Warren Mosler, author of "The Seven Deadly Innocent Frauds of Economic Policy ... May 28th, 2019, 2:39 PM PDT. Bloomberg.com-Bloomberg 2019/05/28


    #88

    https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/02/89-warren-mosler-phil-armstrong-weimar.html?m=1

    #89

    https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/02/the-mmt-podcast-with-patricia-pino_24.html?m=1


    Spending Necessary for Economic Recovery - Fox Business video.foxbusiness.com › ... · このページを訳す warren mosley Varney CAN MORE GOVERNMENT SPENDING GET US OUT OF THE ECONOMIC SLUMP? FOXBUSINESS.COM の動画検索結果 Center for Economic and Public Policy's Warren Mosler argues further government spending is necessary ... 2011/05/06 

    https://video.foxbusiness.com/v/4250679/#sp=show-clips x

    Spending Necessary for Economic Recovery
    May. 07, 2011 - 6:16 - Center for Economic and Public Policy’s Warren Mosler argues further government spending is necessary to improve the economy.

    https://video.foxbusiness.com/v/934577691001?playlist_id=937116503001#sp=show-clips

    要登録

    Mosler: "When you have a non-convertible currency and a floating exchange rate, all government spending is merely changing numbers in banking accounts" ... Varney: "I gotta go cause I'm out of time, and my head's spinning!" 🙃


    KUREALCR

    CAN MORE GOVERNMENT SPENDING GET US OUT OF THE ECONOMIC SLUMP?

    FOXBUSINESS.COM/CHANNELFINDER BUSINESS

     

    influential nobel laureate paul krugman says and we've been reporting this all week he says we need to keep on spending a lot more money to get this economy working well our next guest agrees with paul krugman he is warren mosler he's associate fellow with the center for economic and public policy he joins the company now so we've got a series of people on this program who support more spending now more stimulus okay and you do too i believe my lead proposal was a full payroll tax holiday for the government to stop taking fica taxes out of everyone's paycheck but let me start with um hold on hold on okay you want more spending in whatever form it comes that's spending net new spending and you want a payroll holiday yes that will be the social security taxes yes you want a holiday for everybody yes okay so pumps money into the economy it's the federal government stops taking it out of people's paychecks people working for a living but that is different from a whole new stimulus plan where we extend unemployment benefits or where we bail out the states that's different the difference is largely political now let me lead with one statement okay i'm going to appeal back to your llc days oh you googled me haven't you okay go ahead i'll do that with professor goodheart yeah yeah were you that i met i sat in on one of your classes ladies and gentlemen um our guest is warren mosler and he's referring to the london school of economics where i did attend along with mick jagger by the way ladies and gentlemen sir make your point sir for the u.s government government spending is not operationally constrained by revenues and therefore taxes function to regulate aggregate demand and not to collect revenue per se well you totally lost us all now oh i didn't always use that okay now just put put put the fica thing on one side put that on one side do you support the current spending plans which are before congress namely an extension of unemployment benefits and a bailout of the state to tens of billions of dollars now that's flat out spending yes you support that i i support the short answer is yes but i support 150 billion dollars of revenue distributions to the states on a per capita basis okay okay so wait let's get this straight that is federal money 150 billion dollars distributed around to all of the states on a per capita basis helicopter money throw it out the door okay so let me get back that's what you want that's your stimulus there's only one kind of money as chairman bernanke told us a year ago when he was asked where the hundreds of billions came for from the banks and he said quote we use the computer to mark up the numbers in their accounts that's where all government spending comes from right now to the last social security check i got to nail this one okay before you go on yes look we've already spent a trillion dollars and i don't care how you define money in all the rest we spent a trillion bucks on the sim plan one yes it didn't work as advertised you can tell you say all day long that it helped preserve two million jobs i don't care it didn't create net new jobs now you're proposing another big spending plan more of the same how can you guarantee that this will create net new jobs it can't be guaranteed okay but why would you assume that it would when the first plan didn't okay the first we're suffering from a massive lack shortfall of aggregate demand due to a failure of the credit system which is fine any shortfall of aggregate demand for any reason can always be handled by an adjustment in either taxes or spending now my politics caused me to want to adjust the tax side down and yours you probably would agree with that okay but yeah but i'm looking at the spending side yeah the numbers the numbers will work let's let charleston yeah i mean because you know you said money all money is money but there is a distinct difference between spending and investment if you go back to eisenhower what they did was something tangible they built 46 000 miles of highway that people could use and they created commerce you know giving someone unemployment 40 million people on food stamps that doesn't really generate the kind of aggregate demand that we need to get us out of this slump okay look if we generate the aggregate demand with the payroll tax holiday i agree with the payroll tax holiday but i think we're talking about just the kind of spending we've seen so far on sperm research and puberty research i don't support any of those okay and and the um revenue distribution to the states then the transfer payments fall off as these people get employed in a private sector
     
     4:28
    V:
    wait a minute in the meantime huge assumption that he said you distribute 150 billion dollars to all the states on a per capita basis you are assuming that that increase in demand that you stimulate with that money.
    M:
     with the payroll private sector jobs with the apparel the reason we lost private sector jobs is one reason because sales fell off.

    V:
     okay but you've got to admit that the deficit simply explodes at that point the deficit gets larger yes it explodes and 
    M:
    you understand what the deficit is from your school days right well look that's all theoretical this is operational fact i'm not talking any theory or philosophy here 
    V:
    go on.
    M:
     okay when the government spends it adds balances to reserve accounts at the fed these are checking accounts at the fed okay.
     and when the government taxes it subtracts money from checking accounts at the fed net spending deficit spending is a net ad of uh dollar net financial assets to the system.
     it's an accounting identity that the government deficit equals so with private sector savings that we print non-government safety 

    V:
    we print it.

    M
     printing is a word that goes back to the gold standard it's the ratio between printed money and the gold supply it's not an applicable term the applicable term is weak.

    V:
     smart and internal and theoretical.

    M:
     this is a fundamental error that's been made and why we're in the situation we're in now okay when you have a non-convertible currency and a floating exchange rate.
     all government spending is merely changing numbers and bank accounts the person at the treasury who changes numbers up.
     and he's the spending is operationally independent from the taxing there's no operation.

    V:
     i've got to go because i'm out of time and my head's spinning.

    M:
     i've been under roads by the way oh really yes but not on this program in this program
    V:
     that was interesting .
    and we appreciate you being with us Warren thank you very much.

     影響力のあるノーベル賞受賞者の ポール・クルーグマン氏が 今週もお伝えしています 彼は経済をうまく機能させるためには もっと多くのお金を使い続ける必要があると言っています 次のゲストはポール・クルーグマン氏に 同意するウォーレン・モズラー氏 経済公共政策センターのアソシエイトフェローです 彼は会社に入社しました この番組ではもっと多くの人に支持されています 私の提案は、政府がみんなの給料からFIFAの税金を取るのを止めるために、完全な給与所得税の休暇を取るというものだったと思いますが、まず、ちょっと待ってください、あなたはどんな形であれ、もっと支出を増やしたいと思っています。みんなのための休暇ですね。連邦政府は生活のために働く人々の給料から お金を吸い上げるのを止めます。 しかし、それは全く新しい刺激策とは違います。失業給付を拡大したり、州を救済するのとは違います。LC時代を思い出してください ググったんですね? グッドハート教授に聞いてみます あなたの授業を聞いたことがあります 皆さん ゲストは ウォーレン・モスラーさんです ロンドンの経済学部のことを話してくれました ミック・ジャガーと一緒に通っていた ロンドンの経済学部のことです 政府の支出は収入によって運営上の制約を受けることはありません。したがって、税金は総需要を調整するために機能し、収入を集めるために機能するのではありません。何百億ドルもの州を救済することになりましたが、それは全くの出費です あなたは支持しています 私は支持しています 簡潔な答えはイエスですが、私は支持しています 1500億ドルの収入を州に分配することを支持しています 一人当たりの州への分配額ですが、これは連邦政府のお金です 1500億ドルを州全体に分配しています 一人当たりの州へのヘリコプターマネーです これが刺激策です。バーナンキ議長が1年前に言ったように、お金の種類は一つしかありません。バーナンキ議長は何千億ものお金が銀行からどこから来たのかと聞かれた時に 1兆ドルを使ったが、それ以外のすべてのお金の定義はどうでもいい。SIMプラン1に1兆ドルを使ったが、広告通りにはいかなかった。それが200万人の雇用を維持するのに役立ったと一日中言っていてもいい。最初の計画では大丈夫だったのに、なぜそうなると思うのですか?最初の計画では大丈夫だったのに、最初の計画では、信用システムの破綻による総需要の大規模な不足に悩まされていました。私は支出面を見ています 数字はうまくいくでしょう チャールストンに行かせてみましょう お金はすべてお金と言いましたが 支出と投資には明確な違いがあります アイゼンハワーに戻ると 彼らがしたことは具体的なものでした 46,000マイルの高速道路を建設し 商業を創出しました 誰かの失業者を4,000万人にしたのです 給料減税には賛成ですが、これまで見てきたような精子の研究や思春期の研究への支出のことを言っているのだと思いますが、私はそれらを支持していません。この人たちが民間企業に就職すると 振り込まれた資金が減ります 州への歳入分配は、民間企業に雇用されている人が増えれば、移転の支払いは減ります。

     
    4:28
    V:
    ちょっと待ってください 彼が言っていた大前提ですが、一人当たり1500億ドルを 全州に分配すると言っていました そのお金で刺激を与え、需要が増加することを前提にしています
    M:
     給料の民間部門の仕事とアパレル部門の仕事です 民間部門の仕事を失った理由の一つは、売上が落ちたからです

    V:
     しかし、赤字はその時点で単純に爆発的に拡大していることを認めなければなりません。
    M:
    お前は学生時代から 赤字の意味を理解しているだろうが それは理論的なことであって 運用上の事実であり 理論や哲学の話をしているのではない 
    V:
    進んでください。
    M:
     政府が支出する時には、連邦政府の準備口座に残高を追加しますこれは連邦政府の当座預金です
     政府が税金を課す時には、連邦政府の当座預金からお金を引きます。支出純額の赤字支出は、システムへの金融資産の純額です。
     政府の赤字は、民間部門の貯蓄と等しく、政府以外の安全性を印刷しています。

    V:
    私たちはそれを印刷します。

    M
     印刷という言葉は、金本位制に遡る言葉です。印刷されたお金と金供給量の比率です。

    V:
     賢くて、内部的で、理論的な言葉です。

    M:
     これは、今までの根本的な誤りであり、なぜ今の状況になっているのかということです。
     すべての政府支出は、単に数字と銀行口座を変えているだけなのです 国庫の人が、数字を変えているのです。
     政府の支出は、ただ単に数字を変えているだけで、その人は数字を変えているだけなのです。

    V:
     時間がないし、頭がクラクラするから 行かないと。

    M:
     仝仝そうなんだけど、このプログラムの中では、このプログラムではないんだよね。
    V:
     面白かったわ
    ウォーレン、ありがとうございました。



    www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。



    ケロッグ1849:モズラーTwitterより
    モズラー、ワイマールを語る 2021/02/17podcast#88
    学部通貨・バッカルー THE BUCKAROOS MODEL ミッチェル2019#2 & モズラー自然利子率ゼロ
    モズラー2021/02/17

    転載:サッチャー時代はこう見えた by ウォーレン・モズラー(2013年4月 10日)
    モズラー「命取りに無邪気な嘘」「“名刺”経済」


    THE TALE OF100 DOGS AND 95 BONES
    https://nam-students.blogspot.com/2019/11/the-tale-of100-dogs-and-95-bones.html

    #14:213 “The tale of 100 dogs and 95 bones”(&5:69):箱
    https://nam-students.blogspot.com/2019/06/14213-tale-of-100-dogs-and-92-bones.html
    https://youtu.be/OPbgbr2Mk6I 2013
    http://mmtitalia.info/


    Gower Initiative for Modern Money Studies (@GowerInitiative)
    ⁦‪@wbmosler‬⁩ was one of the founders of MMT, and what is known as `Mosler's law' states: "No financial crisis is so deep that a sufficiently large increase in public spending cannot deal with it."

    #MMT #LearnMMT

    cnbc.com/2020/04/29/op-…
    https://twitter.com/gowerinitiative/status/1255773562260111361?s=21



    MMT White Paper(ウォーレン・モスラー)
    https://docs.google.com/document/d/1gvDcMU_ko1h5TeVjQL8UMJW9gmKY1x0zcqKIRTZQDAQ/edit


    ものぽーる (@monopole0001)
    MMT White Paper(ウォーレン・モスラー)
    docs.google.com/document/d/1gv…

    モスラーの「MMT White Paper」です。ちょくちょく更新されています。最終更新日は、2020/4/9 です。

    https://twitter.com/monopole0001/status/1253348426462515200?s=21






    #MMT In Under A Minute (@in_mmt)
    Thanks largely to the conscious awareness of Messrs Mosler, Mitchell & Wray, their understanding of the monetary system has disrupted mainstream #economics forever.

    #MMT has taught us about the operational realities of federal govt spending, taxation & so called “debt”

    #auspol pic.twitter.com/9Qrwe8DSsS
    https://twitter.com/in_mmt/status/1246732783688400896?s=21




    Warren B. Mosler #MMT (@wbmosler)
    Now in one 10 minute video- MMT for You and Me!
    Please distribute!!!
    youtube.com/watch?v=vryfJl…

    https://twitter.com/wbmosler/status/1181228501455790081?s=21




    Warren B. Mosler #MMT (@wbmosler)
    My proposals for the crisis (draft) pic.twitter.com/OgamOfh5Dn

    https://twitter.com/wbmosler/status/1240578788393713665?s=21


    1.失われた税金を相殺するために、州政府および準州に一人当たり1,000ドルを即座に分配
    州および地方自治体の収入と公共サービスの維持
    2.運輸製造業を含む公共目的の促進に戦略的に重要と思われる財政的に失敗した企業を国有化し、株主と取締役からの支配権を握り、破産と同様のすべての運営経費と収入を想定する。企業の経営陣と従業員は、それがさらなる公共の目的であると見なされる場合は、そのままにしておくことができます。
    危機は株主のせいではないかもしれませんが、投資する際のリスクです。
    3.社会保障の最低支払い額を月額2,000ドルに増やし、損失を相殺する
    無保険の年金から、そしてアメリカ人であることを誇りに思うレベルで高齢者をサポートすることから。
    4.最小失業補償を1週間あたり500ドルに増やし、すべての失業者に制限なく提供できるようにします。
    5.適格な非営利組織がその賃金で喜んで働くことができる人を雇用できるようにするために、適格な非営利団体のために1時間あたり15ドルの仕事に資金を提供します。
    6.無料のメディケアの対象年齢を65歳から0歳に引き下げ、十分な資金を提供して
    アメリカ人であることを誇りに思う医療。
    7.関税を撤廃します。
    8.望ましくない排出を排除し、持続可能な成長を促進するための提案を補足する。

    1. Immediate $1,000 per capita distribution to state governments and territories to offset lost tax
    revenues of state and local governments and sustain public services
    2. Nationalize financially failing enterprises deemed strategically important to the promotion of
    public purpose, including transportation manufacturing businesses, by taking control from
    shareholders and directors, and assuming all operating expenses and incomes similar to that of
    bankruptcy. Corporate management and employees can be left in place, should that be
    deemed to further public purpose.
    The crisis may not be the fault of the shareholders, but it is a risk they take when investing.
    3. Increase the minimum social security payment to $2,000 per month, offsetting the losses
    from uninsured pensions and supporting our seniors at a level that makes us proud to be
    Americans.
    4. Increase the minimum unemployment compensation to $500 per week and make it available
    without restriction to all of the unemployed.
    5. Fund $15 per hour jobs for qualifying non profit organizations to allow them to employ
    anyone willing and able to work for that wage.
    6. Lower the eligibility age of free Medicare from 65 to 0 and adequately fund it to provide
    medical care that makes us proud to be Americans.
    7. Eliminate the tariffs.
    8. Supplement with proposals to eliminate undesired emissions and channel sustainable

    growth.





    サッチャー時代はこう見えた by ウォーレン・モズラー(2013年4月10日)

    モズラーブログより。
    ケルトン祭りで一部で盛り上がったKestrelさんのネタ。
    MMTの人が「中央銀行がインフレ制御しているなんて、嘘ですよ(もちろん失業率も)」と言うときにしばしば使うネタということですか。
    以下は私の記憶をすっかり書こう。
    改めての調査はしていない、憶が重要だから。
    第二次世界大戦から1973年頃までは 「黄金時代」 と言われる。比較的低いインフレ率および失業率、高い生産性でアメリカの中産階級は時代を謳歌していた。これが可能だった理由は?ケインズ政策?ケネディ減税があった。しかし、その背景にはアメリカの豊富な原油生産能力があったという事実は見落とされている。テキサス鉄道委員会は価格を二・五〇ドルから3.0ドルの範囲に維持するために割当量などを設定していた。この価格は彼らの 「必要」 よりは少し高いかったかもしれないが、コスト上昇効果をもたらしたので、結果としてゆるやかな物価上昇という安定状態ができていた。あらゆる物品の価格は直接的にしろ間接的にしろ原油価格の影響を受けていたのだ。
    ところが1970年初頭、米国の原油需要が生産能力を上回った。テキサス鉄道委員会代わって価格設定者の地位に就いたのはサウジアラビアだった。当然ながら、彼らの主たる目的は物価の安定ではない。まず彼らは確か1975年までに価格を10ドルにまで引き上げ、世界的なパニックを引き起こした。そこで小休止があったとは言え、彼らは間もなく20ドルまで引き上げ、1980年には40ドルまで引き上げていた。
    原油価格がコスト構造に組み込まれていたので、消費者物価指数 (インフレ) は70年末までに二桁に跳ね上がった。ケインズ主政策の看板手法は価格および賃金のコントロールだ。ニクソン大統領はしばらくこれを実行した。しかし有権者たちにとっては、自分たちの取り分(組織労働等の賃金規制)が政府によって決められるよりもインフレの方が嬉しかった。アーサー・バーンズ時代にFRB金利は確か6%くらまで引き上げられた。後任のミラーはこれを引き継いだが、間もなく人気を失った。1979年、ノッポのポールが実行した借入準備預金目標政策は、貨幣オペレーションへの無知ぶりを証明した最大級の事例だろう。ところがその約一年後、石油価格が暴落し続いて物価が下落し、ノッポのポールは「勇気を持ってインフレに打ち勝った男」との称号を得ることになった。
    ここで見落とされたことがある。1978年、ジミー・カーター大統領が天然ガスの規制緩和を行い、供給量が大幅に増加していたのだ。米国の電力事業者は石油から天然ガスにシフトした。対抗してOPECは必死に1500万バレル/日の生産量を削減したが、とうとう30ドルを維持することもできなくなった。この巨大な供給ショックため、原油はだぶつき、その後サウジが再び有利な立場に戻るまでの20年近くは10ドル台をうろつくことになった。この間グリーンスパンはゴルディロックス経済の立役者という評価を得た。しかしこれは安定した原油価格の産物に過ぎずFRBの功績ではないのだ(少なくともく自分の認識では)。
    70年代の原油価格は外国の独占企業により継続的に上昇していた。どの国もそっくりなインフレ状態だった。そしてこのインフレは原油価格の下落とほぼ同時期に終わった。「英雄たち」 はたまたまそこにいただけだった。私の考えでは、彼らは余計なことをしてむしろ事態を悪化させていた。ところが環境の方が 「良く」なったので英雄と呼ばれるようになった。そのタイミングでその地位にいたということによって。
    この70年代、外国の独占企業が原油価格を引き上げたときの選択肢は二通りあっただろう。第一は、相対的な価値変動を許容(今日FRBがやろうとしているのと同様に)し、原油価格の上昇が他の財(その最大のものは賃金)の価格水準に波及しないようにする道だ。これは「実質交易条件の悪化」になる。この選択肢の場合、サウジは石油と引き換えにもっと多くの商品とサービスを手に入れることになった。第二の選択肢は、他のすべての財の価格を情報に調整することで相対的な価値を一定に保ち、実質交易条件が悪化しないようにする道だ。驚くべきこととと思うが、当時こうした議論を耳にしたことはなかったし、今も聞かない。悪い方法ではないはずだ。実際の選択は両者の折衷だった。価格調整がなされた財と実質交易条件を悪化させた財が混在した。このの過程で、すべてが醜いことになった。
    インフレの原因は労働組合だと決めつけられた。組合が組合員のために待遇を改善しようとしたり将来の保障を確保しようとするからだと。もそそも組合の力とは、企業が持った価格決定力の派生物であることが忘れられた。だから企業が対外競争上の価格設定力を失うにつれ、組合も交渉力を失って行った。そもそも外国の独占企業による価格上昇に対処するという目的のために、不況と高失業/生産ダウンは必要な薬だったのか??? フォード大統領は「今こそインフレを叩け」 という大スローガンを掲げ、カーター大統領は人質問題もあり脆弱感が増した。そしてこのインフレを真にインフレを終息させたもの、1978年の天然ガスの規制緩和は、当時、そして今日に至るまでほとんど注目されて来なかった。
    今と同じく当時も誰一人として貨幣システムを理解していなかった。長く知的指導者であった主流のケインズ主義者もそうだった。ケインズ主義者が取り返しのつかない失敗をしでかした後、マネタリストが台頭したが回復することはなかった。今日に至っても、物価安定の名の下での物価や賃金の抑制、為替レートの固定などを求める声が健在らしい。
    こうした流れにおいてレーガンやサッチャーのタイプが台頭することは実に自然なことだ。そしてサッチャー流の政策に批判的な人たちは今に至っても、私に言わせれば、有効で包括的は提案ができていない。彼らは皆、我々には長期的な財政赤字問題があると信じ、それに基づいた提案をする。皆、貨幣システムを全然知らないまま我らの文明を破壊している。彼らがそうする理由はわからないが、本当にただただ破壊している。
    サッチャー?
    盲人が盲人を率いていた時代の話だし、それは現状も同じ。
    以上が私が記憶していることだ。
    気になっているのはこれから起こることであって、当時起こったことじゃあないし。
    と思ったら、ご本人から補足が!
    原油価格の下落は、インフレが収まったいくつかの要因の一つで、でかいのは緊縮財政だったとのこと。
    勉強になりましたー
    https://twitter.com/wbmosler/status/1151825190076190720


    ウォーレン・モズレー Warren Mosler 1949~
    http://econdays.net/?p=9406
    ジェイムズ・K・ガルブレイス「命取りに無邪気な七つの嘘(ウォーレン・モズラー)」 への序文

    MMT(Modern Monetary Therory)創始者のひとり、ウォーレン・モズラーがサイトで配布している
    SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS
    OF ECONOMIC POLICY、
    https://moslereconomics.com/wp-content/powerpoints/7DIF.pdf 2010
    原文は平易な英語で書かれており、超おススメなのですが、前半(七つの嘘のパート)だけ日本語化してみたく。
     嘘その1~6
    http://econdays.net/?p=9414 リンク切れ★
    http://econdays.net/?p=9488
    http://econdays.net/?p=9522
    http://econdays.net/?p=9619
    http://econdays.net/?p=9668


    ジェイムズ・K・ガルブレイス「命取りに無邪気な七つの嘘(ウォーレン・モズラー)」 への序文

    MMT(Modern Monetary Therory)創始者のひとり、ウォーレン・モズラーがサイトで配布している「SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS
    OF ECONOMIC POLICY、ttps://moslereconomics.com/wp-content/powerpoints/7DIF.pdf」。

    原文は平易な英語で書かれており、超おススメなのですが、前半(七つの嘘のパート)だけ日本語化してみたく。
     嘘その1
     嘘その2
     嘘その3以降(coming soon)

    まず、ガルブレイス教授による序文です。


    ウォーレン・モズラーは珍鳥だ。独学のエコノミストでありながら変人ではない。投資の成功者でありながら高慢ではない。教育の才をもつビジネスマン。公共の善に真にコミットする資本家。


    彼とは議会証言や時事に関する記事を一緒に書いたこともあるが、それらへの努力は自分を超えている。私が保証する。


    多くの経済学者は、複雑性というものをそのまま評価する。現代の経済学ジャーナルを見れば一目で確認できる。本当に、不可解な議論が威光をもたらしているのだ!議論が明らかに不可解に見える時は、論者自身もそれをわかっていない場合が多い(フィンランドのヘルシンキで中央銀行家と国際金融経済学者の会議に出たときのことだ。ある発表の後、スウェーデンの傑出した経済学者に尋ねてみた。「あなたが教えてきた学生のうちどのくらいがその数式を追えましたか?」彼は言った。「ゼロ」)。ウォーレンの才能は簡潔にして明晰であることだ。彼は物事をできるだけ単純に考える(そのために多大な労力を払っている。真の単純化は難しいのだ)。彼は馴染みやすい比喩や、素朴な喩え話を好んでする。彼の話を使えば誰でも、ほとんどの子供(少なくとも私の子供)や同級生、金融市場のプレーヤーにその説明をすることができる。難しいのは、固定観念への強い忠誠を持つ経済学者たちだけだ。政治家はもちろん理解するのだが、自分自身の考えを口にできることが滅多にない。


    ウォーレン・モズラーのこの小本は、キーとなる7つの問題についての議論が提示されている。それらは、政府の赤字や債務、財政赤字と民間貯蓄の関係、貯蓄と投資の関係、社会保障や貿易赤字に関する論点だ。ウォーレンはこれらを「無邪気な嘘」と呼ぶ – 私の父が最後の本で作ったフレーズを使ってくれた。父も喜んだことだろう。


    各々の論点を結びつける糸は単純そのものだ。現代金融はスプレッドシートだ!コンピューター上で動いている!政府の支出や貸出は、民間銀行の口座の数字を増やすことでなされる。税金を集めるときは数字を減らす。借りるときは当座預金(準備預金勘定と呼ばれる)から貯蓄(有価証券勘定と呼ばれる)に残高を移す。実務的な操作はこれがすべてだ。政府が支出する貨幣はどこかから来るものはなく、貨幣を作る費用すらない。ゆえに、政府は破産のしようがない。


    貨幣は政府の支出で創造される(あるいは信用を創出する銀行貸出によって)。税は私たちが貨幣を欲しがるようにするためだ – 税金を納めるために貨幣が要る。そして税は支出を制限する役割を持つ。税は私たちの支出の合計が、今の値段で入手できるモノを超えないように、つまり、物価を押し上げたりインフレーションにならないようにしている。但し、支出に先んじた税金は必要ない。必要ない言うより、できない。なぜなら政府が支出するまでは納める貨幣が存在しないから。
    政府の自国通貨での借金は、デフォルトする必要が全くない。利払いとは、債券の保有者の銀行口座に金利を加えるだけなのだから。あり得るとすれば、政府が自分からデフォルト – 金的な自殺行動 – を決断するか、中央銀行に強制されるかだ。しかし米国の中央銀行は何が起こっても米国政府の小切手を決済するだろう。


    政府債務が将来の重荷になるということもない。なりようがない。未来に生産されるものは未来に消費される。どのくらい生産できるかは、その時の経済の生産性に依存する。それは今日の公的債務とは何の関係もない。今日の公的債務は未来の生産性を下げたりしない。むしろ、債務こそが今日の資源の賢い活用に直結し、未来の経済の生産性を高めるだろう。


    公的債務は民間金融貯蓄を増やす。会計の事実として、ぴったり同額増やす。輸入は利益で、輸出は費用だ。私たちは消費の資金調達のために中国から借りているのではない(訳注:対中国の貿易赤字の話が出ます)。その借入の資金とは、米国の消費者が米国の銀行で借りているものだ。社会保障の民営化は、単に経済に存在する株式と債券の所有者を、リスク資産はシニア層に、安全資産は金持ちに入れ替えるだけになるだろう。連邦準備制度は好きなように金利を決めている。


    この小本ではこれらは全部、単純な原則として提示される。


    ここにはまた、一人の金融専門家の教育についての魅力的な記述、また、米国の経済を高失業の危機から救うためのアクションプログラムが書かれている。ウォーレンの方法は、給与支払税を停止することによって勤労者の所得を8%以上増やし、州や地方政府に人口に比例した補助を出すことによって財政の危機を癒し、職を望む人ならだれでもある程度の報酬で雇う公的な雇用プログラムを提示するというものだ。これによって失業の危機を消滅させ、特に若い人々に有益な仕事を与えることになる。


    ウォーレンのヒーローは、経済学者では父を別とすれば、ウェイン・ゴドリーとアバ・ラーナーだ。ゴドリーは最近亡くなった驚くべき人物で、そのストックーフロー一貫マクロ経済モデルによってこの本の内容の多くの部分の見取り図を描いた。このモデルは最も優れた景気予測ツールの一つだ。ラーナーは「機能財政論」を提示した。これは公共政策の評価は債務や赤字がどれだけになろうと、雇用、生産性、物価の安定といった現実世界の結果で判断されるべきという論だ。ウォーレンもまたラーナーの基準に忠実だ。その原則とは、経済学においては他人に理解してもらうのがどれほど困難であっても原理において妥協をしてはいけない、というものだ。願わくば自分も彼のようにこの原則を貫くものでありたい。


    とにかく、この本は魅力的で、非常に有益な読み物だ。大いに推薦する。


    James K. Galbraith The University of Texas at Austin June 12, 2010



    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 1/7」

    この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら
    嘘2はこちら

    命取りに無邪気な嘘 その1:
    政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。

    事実:
    政府の支出は、収入には全く制約されない、つまり「ソルベンシー・リスク」というものは存在しない。言い換えれば、連邦政府は赤字の大きさとは無関係に、また税収がいかに少ないとしても、自国通貨を用いた支払いをすることができる。


    上のことを国会議員(私は何度も聞いた)や普通の市民に話すと、彼らは強い調子でこう言うだろう: 「…政府は、資金を調達するために徴税や借金をしなければならない。家計と同じで、使うお金は用意しておく必要がある。」そして、医療、防衛、社会保障などなどすべての政府支出についてこんな質問をしてくるだろう。

    「どうやってそれを払うのだ?」

    これはキラー質問だ。誰も正しくわかっていない。本書の底流である「公共の目的」の核心はこの質問に正しく答えるところにある。この本をほんのしばらく読み進めれば、それは理論でも哲学でもなく、単なる冷徹な事実なのだと明瞭に分かって行くだろう。ではこの質問に答えるべく、まずは政府がどのように税を取っているかを正確に観察し、その次にどのように支出してるかを検討しよう。

    政府はどのように税を取っているのか?

    スタートとして、あなたが小切手を切ることで税金を払うときに起こっていることを見てみよう。政府は小切手を受け取り、これが引き落とされて「精算」となる。政府がすることと言えば、あなたの当座預金口座の数字を減らす方向に変える。あなたの銀行の残高から小切手の金額分を差し引くことによって。この時政府は何かの実物を手に入れているとか、誰かにあげたりなどしているだろうか?違う。これは「金貨を使う」ようなものではない。この時起こっていることはオンライン銀行で実際に見ることができる。スクリーン上に表示されているあなたの口座の残高をじっと見てみよう。もとの残高が5000ドルだったとして、政府に送った小切手は2000ドルだ。小切手が精算されるとき何が起こるだろうか。数字の5が3に変わり、新しい残高は3000ドルに減った。あなたの目の前で!政府は本当に何も「得て」ないし、誰かにあげたりしていない。FEDのバケツに金貨が落とされたりしていない。彼らは銀行口座の数字を変えただけ。どこかに「行った」ものなど何もない。

    それでは地元の税務署で現金によって納税する場合はどうなっているだろうか。あなたはまず窓口の人に札束を手渡すだろう。担当者はそれを数えて領収書をくれる。社会保障や国の借金への金利やイラク戦争に手を貸してくれてありがとうございますと言ってくれるといいのだが。次にあなた、つまり納税者が部屋を出る。担当者は、あなたがやっと手に入れ今手渡したばかりの現金をシュレッダーに投げ込む

    そう、それは捨てられる。破壊される!なぜ?もう使い道がないのだ。ちょうどスーパーボウルのチケットと同じだ。スタジアムに入って窓口にチケットを出すときには1000ドルの価値だったかもしれない。担当者はそれを切り刻んで捨てる。ワシントンに行けば裁断された紙幣を本当に買うことができる。

    あれれ、政府は集めた現金を捨てているならば、いったい政府はどうやって支払いをしているのだろうか。社会保障やいろいろな政府の支出は?違うのだ。

    政府は支出するために、あらかじめ税をとることによってお金を確保しておく必要があると考えるのはナンセンスだということが、おわかりいただけただろうか?政府がお金を「使う」前に何かを「得て」いるということは実際に無いのだ。では、以上の如く政府は徴税によって何も得ていないとすれば、何をどのように支出しているのだろうか?

    政府はどのように支出しているのか?

    あなたが2000ドルの社会保障給付を受け取るところを想像してみよう。受け取る銀行口座にはもともと3000ドル入っているとしよう。パソコンに表示されるその口座をじっと見えていると、政府がいっさい「現金使わず」に支出する様子がわかるだろう。3000ドルだったあなたの口座の残高が一瞬にして5000ドルになる。さてここであなたにお金を渡すために、政府は何をしただろう? 政府は、単に口座に書かれている番号を3000から5000に書き換えただけだ。パソコンに金貨を捻じ込んだわけではない。政府がしたことと言えば、政府のスプレッドシート(訳者注:エクセルに代表される、表を作るソフトウエアのこと)にデータを打ち込んだことだけなのだ。このシートは金融システムの中で無数のスプレッドシートとつながっている。政府支出とは「米国ドル通貨システム」と呼ばれる政府のスプレッドシートにデータを入力することで実施されているというわけだ。

    ご参考に、これはテレビ番組の”60ミニッツ”から、よきFED議長であるベン・バーナンキの言葉だ。

    スコット・ペリー: それはFEDが税金を使っているということでは?

    バーナンキ議長
    :それは税金なのではありません。民間銀行は、あなたが市中銀行に口座を持つのとほぼ同じように、Fedに口座を持っています。なので、市中銀行に貸し付けを行うには、我々はFedにある市中銀行の口座残高を、簡単なコンピュータ操作で増やすだけなんですよ。


    議長がきれいな英語で説明しているのはこんなことだ。「お金は、銀行口座の数字を変えるだけの操作によって払い出されている(支出にしても貸出にしても)」。支出する前に、あらかじめ税(または借入金)を「獲得」することなどまるでなくて、ただスプレッドシートに数値を入力することが、私たちが「政府支出」と呼ぶものなのだ。そのデータはどこからか「やってくる」ものではない。それなら誰でも知っている!

    似たような話がどこにあるか?例えばフットボールスタジアム。ひいきチームがフィールドゴールを決めて、7点だったスコアボードが10点になった。この時、この3点ってスタジアムはいったいどこから手に入れたんだっけ、なんて気にする人いる?いるわけない!

    あるいは、ボウリング場で5ピンを倒して表示されるスコアが10から15になった。あれれ、このボウリング場はどこからこの5点を手に入れたんだ?なんて不思議に思うだろうか?そんなことない!

    その次、ボウリング場のシステムがあなたのフットフォールトを見つけて、スコアを5点減点したとしよう。この時ボウリング場の人は、やあこれでプレーヤーにあげられるポイントが増えたぞ、なんて思うだろうか?もちろん思わない!

    このように、私たちはデータ入力がどのようなものであるか知っている。しかしどういうわけか、政治家、メディア、そしてなんと言っても、著名な主流派経済学者たちはこれをひっくり返して理解しているのだ。政府はあらかじめドルを「持っている」のでも「持っていない」のでもない。出発点として、まずはこのことを覚えよう。

    スタジアムも同じで、誰かに配るために貯めた点数を「持つ」とか「持たない」ではない。ドルの話で言えば、私たちの政府は、その機関である連邦準備銀行と財務省を通じたシステムの「記録係」をしている。(同時に、ルール作りもしている!)

    ここまでで「どうやってそれを払うのだ?」という質問の機能的回答が得られた。答えはこう。「政府は普段の支払いでやっているように、私たちの銀行口座の数字を変えるだけですよ。」

    大統領がいつもいつも間違えるように「連邦政府の金が尽きる」ということはない。それはありえない。それから、中国だかどこかからドルを「獲得」しなければならないということもない。政府が支出の時にしなければならない事といえば、連邦準備銀行のある口座の数字を変えることだけ。政府が支出を望むなら、その金額に上限はない(社会保障でも利払いでもそう)。誰に対して払う場合であれ、政府によるドル払いは全部これなのだ。

    ただし、これは政府がいくら支出しても物価が上がる(つまりインフレ)可能性がないということではない。

    そうではなく政府は破産のしようがないということだ。それは単純にあり得ない。[1]

    それならどうして政府の人間はこれをわかっていないような感じなのだろう。議会の歳入委員会が「どうやってそれを払うのだ?」と心配するのはなぜだろう。よく言われるところの「連邦政府も家計と同じで、まず使うお金を用意してから支出しなければならない」という話を信じているからかもしれない。そう、彼らだって政府は家計とは違うという話を聞いたことがあるだろう。でも信じられなかったのだろうし、意味が通って確信させてもらえるような説明を受けなかったのだろう。

    彼らがみんな見落としているのはここだ。「自国自身が創り出す通貨による支出と、他の誰かによって創られた通貨での支出は異なる。」実は政府を家計になぞらえるのも、正しくやればちゃんとしたものができる。そこで次は家庭内の「通貨」を作る例をやってみよう。

    まず親がクーポンを作ることで話が始まる。次に、子供たちに家事を頼む時にこのクーポンを与えると決める。その次は「モデルを動かす」ために、毎週10枚のクーポンを税として子供たちから集めることにする。税を支払わない子供には罰を与える。これは、私たちも税を払わないとペナルティがあるという現実の税をコピーしている。クーポンは新通貨だ。親は「支出」することによって子供たちから「サービス」(家事)を購入する。この新しい家庭内通貨における両親は、通貨の発行者として連邦政府に相当する。この「独自通貨を持つ家計」は独自通貨を持つ政府と非常に似ているとわかるだろう。

    では、この通貨がどのように機能するかの質問だ。親は子供の雑用への対価としてクーポンを支払うことになるが、そのためにあらかじめ子供たちからクーポンを徴収しておかなければならないのだろうか?もちろんそんなことはない。むしろ逆に、週10クーポンを徴収できるようにするためには、先に子供に家事をしてもらってクーポンを支払っておく必要がある。そうでなければ子供たちは親に支払うクーポンを得ることができない。

    現実の経済でも、政府はちょうどこの家庭と同じように自国通貨の発行者なので、支出のためのドルを、どこかから税を取ったり借りたりするなどして準備しておく必要がない。現代の技術をもってすれば、政府は親がクーポンを印刷するようにドルを印刷する必要すらない。

    覚えてほしい。ボウリング場に点数をためる箱がないのと同じように、政府がドルを持つとか持たないではない。ドルの場合では私たちの政府が記録係だ。親子クーポンの話では、親がどれだけクーポンを持っているかはどうでもいいことになる。親は、子供たちがどれだけ稼いだか、と、彼らが毎月の10クーポンを支払ったかどうかだけを紙一枚にメモしておくだけでいい。政府が支出するときも、元手がどこかから「やってくる」わけではない。フットボールスタジアムやボウリング場のポイントがどこからか「やってくる」わけではないのと変わらない。また、政府が税を取っても(または借りても)、支出のために使える「蓄えられた原資」が増えるわけではない。

    政府の支出を実際に行う(銀行口座の数字を加算する)財務省の人たちは、税金を集めている歳入庁の人たちの電話番号すらしらないし、接触もしない。同じ財務省の中の「借入」(国債の発行)担当者との接触もない。集めた税額や借り入れた額が本当に重要事項なのだったら、少なくともお互いの電話番号くらいは知っているはず!支出という目的に関してそれらは明らかに重要ではないのだ。

    私たちの側は(政府側ではないですよ)、何か支払いをするためには、ドルをあらかじめ持っておく必要がある。これは子供たちが週ごとのクーポンを親に払うため、あらかじめ親からクーポンを稼がなければならないのと同じだ。州政府や市町村や企業も、私たちと同じ舟に乗っている。ドルの支出できるようになるためには、まずどうにかしてドルを用意できる状態になっていなければならない。稼いだり、借りたり、何かを売ることで初めてドルを使えるようになる。つまり私たちが納税しなければならないドルが直接的または間接的に由来しているのは、通貨の始まるところ、つまり政府の支出からなのだ。(政府の借入もあるが、その議論はのちほど)

    では次は、国の通貨をゼロから作ってみよう。新しい通貨を持つ新しい国を想像しよう。国民はまだ誰も通貨を持っていない。政府はまず、たとえば固定資産税をとりますよ、と宣言する。さて、それはどうやって支払われるだろう? 政府が支出を開始してくれないとできっこない。政府が支出をスタートすることで初めて人々は納税のための新しい通貨を準備できるようになる。

    繰り返す:納税の元手になるものは、もともと政府の支出(または借入)に由来するもの。それ以外に何があり得ようか?[2]

    そう、つまり究極的に言えば、政府は私たちに納税に必要な原資を提供するため、まず支出しなければならないのだ。そしてこの意味で政府とは、子供からクーポンを回収するためにはそれを使わなければならなかった親と同じだ。政府にしろ親にしろ、支出した以上の通貨を集めることは不可能だ。ほかのどこかから来るなんてことがあるだろうか?[3]

    というわけで、いまの政治家は、支出を可能にするために税金を取るか借りるかして、私たちから貨幣を取る必要があると信じている。しかし本当はこうだ。

    私たちが税金を払えるようにするためにはまず政府の支出が必要だ

    私たちは政府(やボウリング場やフットボールスタジアム)がやっているように、「数字を変える」ことができない[4]。子供たちが毎週のクーポン支払いのためクーポンを稼ぐか入手しなければならないのと同じように、私たちはドルで税金を払うためにそれを稼ぐか入手しなければならない。もうお分かりのように、家庭内クーポンを発行している家計とちょうど同じだ。子供たちが親に支払うのに必要なクーポンは親から受け取るしかないのだ。

    そして、前に述べたように政府支出はオペレーション上、収入(税収や借入)に制約されることはない。いや、議会が「自分から課している」制約なら現実に存在するが、それは全く別の問題だ。なるほど債務上限ルールや財政収支ルール、FEDによる国債買入禁止ルールなどは存在する。これらはすべて、金融システムの生きた知識を持たない議会によって課されているルールに過ぎない。公共の目的を推進するという観点からは、今の金融制度の下でこれらの制約を自ら課すことは生産を制限することに繋がる。

    こうした制約は、金融という配管の中にわざわざ障害物を設置するようなもので、わざわざ問題を作り出しているものだ。事実、これらわざわざ置いた障害物が、この間の金融危機を実体経済にまで流出させ、不況を招くことになったのだ。

    政府支出が、機能として収入に制約されていないという事実は、「ソルベンシーリスク」は存在しないという意味になる。言い換えれば、債務がどれだけ多いとしても、また税収がどれだけ少ないとしても、政府はいつでも自国通貨で支払いをすることはできる。

    ただし、政府は何の問題もなく好きなだけ支出できるという意味ではない。過剰な支出は物価を上昇させ、インフレをあおる。

    この文が意味するのはソルベンシーリスクは存在しないということで、言わば連邦政府は破産しないということであり、オバマ大統領か何度も言う「支出するお金が無くなる」とか「政府の支出はいくら借りることができるかに制限されている」とうことはない、ということだ[5]

    お次はこの質問が来るだろう。 「社会保障のお金はどこから来るの?」。それにはこう答えよう。「それはただのデータ入力です。ボウリングのスコアと同じところから来るのですよ。」

    別の言い方をすれば、政府の小切手は、政府が不渡りにしようと決断しない限り不渡りにならない。

    政府の小切手は不渡りにならない

    数年前、オーストラリアの経済学カンファレンスで「政府の小切手は不渡りにならない」と題した講演をした時のことだ。聴衆の中にオーストラリア連銀で首席研究員を務めるデイビッド・グルーエン氏がいた。あれは最高のドラマだった。その数年前から私はこの学会で何度か講演をしていたのだが、「政府のソルベンシーは問題ではない」ということを参加者の多くに本当に分からせることまではできていなかった。彼らはいつも最初にこう言っていた。「オーストラリアのような小規模な開放経済はアメリカ合衆国と違うってことをアメリカ人はわかっていない」と。教育を受けすぎた(おそらく)脳には、この論点に限れば経済の規模は全く関係ないということが、なかなか理解されないようだった。スプレッドシートはスプレッドシートだ。ビル・ミッチェル教授と彼の同僚の数人以外の人たちには「心の壁」があって、もし「マーケットがオーストラリアに反乱を起こして”債務を調達”できなくなったらどうなるのか」という深い怖れを抱いていた。

    そういうわけだったので、私は米国政府の小切手は不渡りにならないという話を始めたのだが、数分話したところで、デイビッドの手が上がり、中級の経済学部の学生がよくやるようなお馴染みの台詞を言った。「もし債務の金利がGDPの成長率を超えたら、政府債務は維持不能だ。」質問ですらなく、あたかも事実だとして述べたのだ。

    対して私はこう答えた。「さあ私は連銀の端末入力担当者だ。デイビッド、教えてくれないか、”維持不能”っていうのはどういう意味だい?金利がとても高くて、過去20年間で政府債務が大きくなりすぎたから政府は金利を払えないと言うのかい?自分はちょうどいま年金受給者への小切手を切るところだけれど、この小切手が不渡りになるよと言っているのかい?」

    デイビッドは黙り、深い思考に沈み、このことを考え続け、ついにこう言った。「ああ、自分は今日ここに来た時まで、準備銀行の小切手清算がどのように機能しているのかちゃんと考えたことがなかった。」さらにユーモアを挟もうとオバマ大統領の言葉を引用した。しかし、そこにいた誰も笑ったり音を立てたりしなかった。全員が彼の答えを待っていた。それはこの議論の「天王山」だった。ついにデイビッドは言った。「いや、その小切手は普通に処理する。でもそれはインフレを引き起こし通貨価値を下げる。人々が”持続不可能”という言葉で意味しているのはそれなんだ。」

    聴衆は死んだように静かだった。長い議論は終わった。小規模な開放経済だろうがソルベンシーは問題ではないのだ。「そうだ、我々はいつもそれを言っていたんだ」といういつもの一段階上の観点からのコメントが来たが、ビルと私で瞬時に撃退した。

    私はデイビッドに話し続けた。「ええと、ほとんどの年金支払者が関心を持っているのは、引退したときに基金が存続しているだろうか、とか、オーストラリア政府はもう基金に支払うことができなくなるのでは、ということじゃなかったのかな。」対してデイビッドはこう答えた。「いや、彼らが心配しているのはインフレーション、オーストラリアドルの水準だと思う。」するとニューカッスル大学の経済学部長のマーチン・ワッツが嘴を入れた。「彼らは悪魔だ、デイビッド!」。デイビットは考え深げに認めた。「イエス、あなたが正しいようです。」

    あの日、シドニーの学会で参加者が確認したこととは何だっただろう? 独自通貨を持つ政府は、政府が望みさえすれば、常にフットボールスタジアムと同じように、ボードに好きなポイントを入れることができる。過剰な支出の帰結はインフレーションかもしれないが、決して破産ではない。

    事実はこうだ。:政府債務が支払い不能を引き起こすことはあり得ない。ソルベンシーの問題は存在しない。支出とは政府自身の準備銀行に持つ口座の数字を増やすだけの行為なのだから、「お金を使い果たす」ということはない。

    そう、家計や企業、そして地方政府は小切手を切る際にあらかじめ銀行口座にドルを持っている必要がある。さもないと不渡りになってしまう。それは彼らが支出するドルを創造しているのが別の主体 – 連邦政府 – だからだ。家計や企業、そして地方政府はドルの記録係ではないのだ。

    政府が税を取る理由

    では政府は支出のために何かを得ているわけではなく、そうしておく必要もないのなら、政府はどうして私たちに税を課しているのだろうか?(ヒント:親自身はクーポンを必要としないのに子供から週10のクーポンを取る需要がある。それと同じ理由だ)

    政府が私たちから税金を取ることには、大事な理由がある。税は、経済の中に「ドルを獲得するニーズ」を生み出すのだ。このことゆえに、人々はドルを得るためにモノやサービスや労働を売らなければということになる。納税の義務があるからこそ、政府はもともと何の価値もない紙切れでモノを買うことができる。そのドルを納税のために必要とする人がいるからだ。子供たちに課するクーポン税が、家事をすることで親から稼ぐクーポンのニーズを生み出している。固定資産税で考えよう(所得税で考えるのは現時点ではちょっと早い。結局は同じことなのだが、回りくどい複雑な話になってしまうからだ)。さて、あなたは固定資産税をドルで払うか、さもなければ家を失ってしまう。ちょうど子供と同じ状況だ。子供たちも10クーポンを手に入れなければ罰を受けることになる。そこであなたは何かを売ろうと考える。必要なドルを入手するために、モノかサービスか労働力を売らなければと。これは、必要なクーポンを得るために家事をしようと動機づけられる子供とまさに同じだ。

    最後になるが、「税を納めるためにドルを必要としている人たち」と「モノを売ったり買ったりするためにドルを欲したり使ったりする人々」の関係を見よう。ここで、新しい通貨を持つ新しい国の例に戻る。通貨の名前は「クラウン」とし、固定資産税が課されるとしよう。政府がこの税を課す目的の一つは、軍隊の創設だ。兵士の給料を「クラウン」で支払うと定めて志願者を募る。固定資産を持っている人々は、いきなりクラウンを得る必要に迫られるが、そのうちの多くの人々は兵士となって政府から直接クラウンを得たいとは思わない。彼らは自分の持つモノやサービスを売りに出して、軍隊に参加しなくても、交換によって必要なクラウンを得られないかと行動し始める。固定資産を持たない人々から見ても、チキン、トウモロコシ、衣服や、散髪、医療など、多くの欲しいモノやサービスが売りに出されているということなる。モノやサービスを売っている人々は、軍隊に参加せずに税金を納めるためのクラウンを受け取りたい。これらのモノがクラウンとの交換のために売りに出されることにより、貨幣を得ようと軍に参加した人々も、必要なモノやサービスを購入するための貨幣を得ることになる。

    物価は「政府が必要とする兵士数が集まるところ」に調整されて行く。そこに調整されるまでは、納税者全員が税を納めるには支出総額が足りないので、クラウンが必要だけれども軍には参加したくない人々は売りに出すモノやサービスの価格を必要な金額が得られるところまで下げるか、あきらめて軍に参加するということになるからだ。

    次に紹介するのは理論上の概念ではなく本当に起こったことだ。1800年代のアフリカで、英国が作物を作るために植民地を作ったときの話だ。最初英国は現地の人々から職を募ったが、英国のコインを稼ぐことに興味を示さす者は誰もいなかった。そこで英国はすべての住居に「小屋税」を課し、それは英国の硬貨だけでしか納められないものとした。すると地域はたちまち「マネタイズ」され、人々は英国の硬貨を必要とすることになり、それを得るためにモノや労働力を売りに出し始めた。こうして英国は彼らを英国硬貨で雇い、作物を育てることができるようになったのだ。

    これはちょうど、親が子供に家事をやってもらうため子供たちから労働時間を得ていたのと同じことだ。そして、これがドルや円、ポンドといったいわゆる「不換貨幣」のしくみだ(金本位制は終わり、固定相場制も今やわずかに残っているのみだ)。

    さあ、以上で現代経済における税の役割を、経済学の言葉を使って新たな角度から見る準備が整った。勉強してきた経済学者なら「税の総需要抑制機能」と言うものだ。この「総需要」とは「購買力」のカッコいい言い方だ。

    政府が私たちから税を取るのは、ある一つの理由のためだ。支出を限定することよって通貨の希少性と価値を維持するのだ。あるいは、「インフレを引き起こすことなく政府が死守する余地を残すため」に私たちからお金をとっている考えてもいい。経済を巨大デパートだと考えてみよう。毎年、私たちみんなが生産し売りに出しているモノやサービスでいっぱいの巨大デパートだ。そして仮に、私たちはデパートで売っているものをちょうど全部買うだけ給与をもらったり利益を稼げたりできている、としよう。(つまり、さらに借り入れができればデパート全部のもの以上を買える)。もしその時、いくばくかのお金が税として奪われると、デパートで売られているもの全部を買うには購買力がその分足りないということになる。こうして欲しいものを政府が買う「余地」が生まれる。ここで政府が欲しいものを買えば、政府と私たちの支出を合わせてても、デパートで売られているもの全部より多いということにはならない。

    ところが、政府が税を取りすぎる(支出に比して )と 、デパートで売られているものがすべて売られるには総支出が足りない、ということになる。企業が生産したものがすべて売れないと、人々は職を失い、支出するお金が足りなくなり、モノはさらない売れなくなる。人々はさらに職を失い、経済は下降スパイラルに陥る。これは不況と呼ばれているものだ。

    政府が税を取っている裏には、公共インフラを提供するという公的な目的があることを覚えておいてほしい。公共インフラとは軍や、法律システム、議会、政府の執行機関などなどだ。これらを初め、いちばん保守的な人でも政府に任せたいと考える事柄はかなりたくさんある。

    では、こんなことを考えてみよう:私たちにとって望ましいように国が運営されるとして、その「適正」な政府支出はどのくらいで、税はどのくらいであるべきだろうか? この質問をする理由だが、ここで伝えたいのはこういうことだ。「政府支出の適正額」とは、正しく理解されれば、これは経済的、政治的な意思決定なのであって、政府の財政状態とは何の関係もないものなのだ。政府を運営する真の「コスト」とは、運営のために消費する現実のモノとサービスだ。それは労働時間、燃料、電気、炭素繊維、ハードディスクなどなど、政府が買わなければ民間の人々も入手可能なものだ。従って、政府が政府運営のため実物資源を買い上げると、民間部門の活動のために残る実物資源はだいぶ減少することになる。人的資源を例にすれば、防衛のために十分な兵力を持つ軍隊の兵士数とは、民間で作物を育て、車を製造し、医療行為をし、株や不動産を売る事務をし、家にペンキを塗り、芝生を刈るなどなどをする人がどれだけ減るかということと関係する。

    それゆえ、私の考え方からは、「適正な」水準の公共インフラを備えた政府の大きさとは、「財政」の観点からではなく、実質的な便益と費用に基づいてまず決めるべきということになる。この時金融システムとは、私たちの現実の経済と政治的な目的を調整するために使われる道具なのであって、何をするかを決めるときに参照する情報源ではない。こうして適正なサイズの政府のためには何をどれだけ買う必要があるかがまず決まったら、税は、政府がその買い物をした後に「デパート」に残っている売り物を買うのに十分なだけの購買力が私たちに残るように調整される。私の見立てでは、一般的に税は政府支出よりだいぶ少なくなるのがいい。理由はすでに説明したし、この本の後でも詳しく論じる。こう考えると、GDPの5%ほどの財政赤字あたりが基準になるだろう。今でいえば毎年7500億ドルというところだ。しかしながら、この数字自身に絶対的な意味があるわけではなく、状況によってだいぶ多かったり少なかったりする。大事なのは、税の目的とは、経済が過熱しすぎず、また停滞しすぎにもならないようにバランスをとることだ。私たちが望む政府の大きさと範囲を先に決めるので、税額はその適正量に合うように設定されることになる。

    これが意味するのは、経済を低迷から救い出すために政府を大きくするべきではないということだ。あらかじめ適正な大きさの政府にしてあるのなら、経済低迷のたびに政府を大きくするべきではない。もちろん、低迷期に政府支出を増やせば多くの仕事が創出され、低迷は終わるだろう。しかしそれは、適切な減税によって民間の支出を望ましい量に再生することによって低迷を終わらせるのに比べ、だいぶ劣ると思う。

    さらに悪いのは、財政黒字の時に政府を大きくすることだ。再度言うが、政府の大きさがどれくらいであるべきは政府の財政とは何の関係もない。それは財政とは完全に独立に決めるものだ。この政府支出の適正量は、税収とも借入能力とも全く関係がない。その二つは単に公共の目的に資する政策実現のための道具に過ぎず、支出するしないの根拠にはならず、そもそも政府支出に必要な収入源でもない。

    政府の役割がどうあるべきかについての細かい意見は本の後半になるが、安心してほしい、ビジョンとしては基本的な公益基盤に集中する、今よりずっと合理的で効率的な政府だ。幸いなことに、それを容易に成し遂げる、ものすごく賢明な方法が存在する。規制をはるかに小さくしても、公的目的をより良く推進するために、市場の力を導く適切なインセンティブを導入することは可能だ。結果として世界にうらやましがられる政府と文化ができるだろう。私たちのアメリカ的価値、つまり、真摯な労働やイノベーションの奨励、平等な機会の提供、公平な結果、真の誇りをもって遵守される法と規制といったものを表明する政府になるだろう。

    少し脱線した。税金はどのくらい必要かという問題に戻ろう。もし政府が単純に政府に必要なものだけを買おうとし、私たちから購買力を奪わなかったら、つまり税を取らなければ「少な過ぎるモノを多すぎるお金が追いかける」ことになりインフレになるのだった。実際のところは、そもそも税がなかったら、国の貨幣でモノを売ろうという人がいなくなるというのは先に論じたとおりだ。

    こういったインフレを起こさないように政府が支出をしていくためには、政府は徴税によって私たちの購買力をいくらか除去しなければならない。何かに支払うためではなく、支出がインフレを引き起こさないようにするためだ。経済学者ならこんな風に言う。税の機能は収入を増やすこと自体ではなく、総需要を統制することにある。言い換えれば、政府が私たちに税を課し、私たちのお金を奪うのはインフレを避けるためであって、支出するためのお金を獲得するためではない。

    再度言う。税の機能は経済を統制するためであって、議会の支出のためのお金を得るためではない

    そして、これも再度言うが、政府はドルを持っているわけでも持っていないわけでもない。政府は単に私たちの銀行口座の数字を増やすことによって支出し、減らすことによって徴税している。こうした行為は、経済を統制するという公共の目的のためと考えられる。

    しかし、政府がこの「命取りに幼稚な嘘」の第一番、「政府が支出をするためには、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない」を信じ続ける限り、産出と雇用を制約する政策が支持され続けていくだろう。そうやらなければ素晴らしい経済的結果など、容易に達成できるのだが。

    1. いま心の中で疑問がわいたと思う。それにはこの本でもすぐ後でも答えるが、ここに簡単に書いておく。

      疑問:政府が支出のための税を必要としないなら、いったいどうして税を取るのか?

      答え:政府が税金を取るのは、経済学者が「総需要」(「購買力」をカッコよさそうに表す言葉)と呼ぶものを調整するためだ。簡単に言えば経済が「加熱しすぎている」時には税を増やすことで冷やし、「低迷しすぎている」時には税を減らして温める。税は支出のためのお金を得るためのものではなく、購買力が強すぎてインフレになったり、弱すぎて失業や不況を招いたりすることがないように調節するためのものだ。
      []

    2. 準備預金の会計を理解している人のために。FEDは準備預金を加えずしてそれを除去することはできない。それでは決済日に国債残高が増えていた時にFEDがやることは何か?レポ取引を行う。金融システムに資金を提供し、国債を買わなければならない。そうでなければ国債を買う資金がないので、銀行は資金不足に陥ってしまう。ここでFEDにおける資金不足とは何だろう?機能の面では、それは政府からの借り入れだ。それゆえ、いずれにしても国債を買うために使うお金はいずれにしても政府自身に由来するということになる。税を支払うにせよ国債を買うにせよ、その資金は政府の支出に由来しており、政府の支出がまずあって、次に徴税や借り入れができるようになるという順番だ。 []
    3. 金融システム内部ではどうなっているかについてのメモ:
      小切手を切ることで政府に納税をするとき、政府はあなたの銀行がFEDに持っている準備預金口座から引き落とす。準備預金は民間部門では生み出せず、FEDに由来するしかない。もしあなたの銀行が準備預金を持っていなかったら、あなたの小切手はその銀行の準備預金不足となる。準備預金不足はFEDからの借り入れに他ならない。したがって、いずれにしても政府に支払うための資金は政府にのみ由来している。 []
    4. ここで思い出してほしいのが、州政府や地方政府は、連邦政府のようなドルの発行者ではなく、ドルのユーザーだということだ。地方政府は私たちと同じ位置にいる。いずれも小切手を切る前には銀行口座に資金を用意しておかないと破産してしまう。親と子の比喩で言えば、地方政府は与える前に獲得しておく必要がある子供と同じ位置にある。 []
    5. バラク・オバマ大統領から引用 []


    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 2/7」

    この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら

    嘘1嘘3嘘4嘘5

    命取りに無邪気な嘘 その2:
    政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる

    事実:
    そのような、ある世代全体に及ぶ負担は存在しえない。子供たちは、債務があろうがなかろうが彼らが生産できるものなら何でも消費することができる。


    これは、政府の赤字財政支出は問題であると認識している多くの人が最初に頭に思い浮かべている「無邪気な嘘」だ。いま支出のために借りるということは将来返すことになるのだろうと。メディアもいつもそのように報道している。

    “財政赤字の増加は将来の増税を意味する” 

    そして赤字財政支出で支払いを後回にすると、私たちの子孫の生活水準や福祉を損なうことになる。

    プロの経済学者たちはこれを「世代間」債務問題と呼ぶ。それは「政府が赤字財政支出をすると、その支出の支払い負担が将来世代に残る」というようなことだ。

    巨額の数字が、今にも倒れてきそうだ!

    しかし幸いなことに七つの命取りに無邪気な嘘はこれ全部、やさしい理解の仕方によってあっさり却下することができる。「将来、私たちの子孫のモノやサービスが奪われる、その理由は”国の借金”と呼ばれているもののためだ」という考えはひたすらバカバカしいのだ。

    要点を伝えるための話をしよう。数年前のことだ。セント・クロイ島のボートデッキで、かつて上院議員やコネチカット州知事を務めた、ローウェル・ウェイッカー氏と夫のクラウディア夫人にばったり出会った。私はウェイッカー知事にこう尋ねた。「この国の財政政策にまずいとこはありますか?」 彼の返事は、「今の支出の支払い負担を子供たちに残す赤字の増大を止めなければならない」というものだった。

    そこで自分は、彼の論理の背後に隠されている嘘を表現できないかと願いつつ次の質問をした。「子供たちがこれから向こう20年間で毎年15万台の自動車を製造するとして、そこで彼らは、さあ負債を返済しようと考えて2008年の今にその自動車を送ったりするでしょうか。我々だって、第二次大戦以来の債務を返済するためにモノやサービスを1945年に送ったりしているでしょうか?」

    今私はコネチカット上院議員に立候補しているが、全く同じことを言っている。他の候補者たちのホットなテーマは、「私たちは現在の支出のために中国などから借金をしていて、子や孫に支払いのつけを回している」とのことだ。

    もちろん、もうお判りのように、私たちは政府債務を支払うために時をさかのぼりモノやサービスを過去に送り返したりしていないし、子供たちもそんなことはする必要がない。

    将来、子供たちが仕事に行ったり、モノやサービスを生産する時に、過去の政府支出がその妨げになる理由もない。また、子供たちの未来においても(いまも同じなのだが)国債残高がいくらであろうと、その時生きている人は誰でも仕事に行けるし、モノやサービスを生産したりそれを消費することができるのだ。「過去のために」と今年の生産を諦め、諦めた分をご先祖世代に送り返すなどということはない。子供たちは、私たちが彼らに残す何であれ、私たちに返さないし、返すことができない。返したいと望んだとしてもだ。

    赤字支出の調達とは、何ら重大なことでもない。政府が支出するとき、政府は私たちの銀行口座の数字を増える方向に「変える」だけだった。より精確にはこうだ。私たちが普段使っている民間銀行がFEDに口座を持っていて、それは準備預金口座と呼ばれている。海外の政府もまたFEDに同様のを持っている。これら準備預金口座は、ちょうど民間銀行が持つ当座預金口座と見なせる。

    政府が支出するときに(税は関係ない)政府がすることと言えば、適切な当座預金(準備預金口座)の数字を大きくすることだけだ。たとえば政府があなたに2000ドルの社会保険の支払いをするときは、あなたの口座を置いている銀行がFEDに持っている当座預金口座の数字を2000ドル増やす。さらに自動的に、あなたの口座の数字が2000ドル増えることになる。

    次に「国債とは実際のところ何であるか」を理解しよう。国債とは、FEDに置かれる普通預金だ。国債を買うときにFEDにドルを送ると、将来のどこかの時点で彼らは利子を付けて返してくる。民間銀行の普通預金と同じだ。銀行にドルを送ると、彼らは利子を付けて返してくる。銀行が2000ドル分の価値を持つ国債を購入するとしよう。FEDはこの国債の支払いを受けつけるため、銀行がFEDに持っている当座預金の口座の数字を2000ドル分減らし、普通預金口座の数字を2000ドル増やす。(ここで私は国債のことを「普通預金口座」と言っている。そうなのだから。)

    言い換えれば、政府が「借金する」と言われているものをするときに政府がすることとは、FEDにある当座預金から普通預金(国債)に残高を移すことなのだ。FEDは全部で13兆の債務を持っているが、これは「経済が全体としてFEDに持っている普通預金がその額である」という以上の意味はない。

    さて国債が満期を迎え、その「債務」を返済しなければならない時には何が起こるだろうか? そう、もうおわかりの通り、FEDにある普通預金口座(国債)からFEDにある適正な当座預金口座(準備預金)にドル収支がシフトするだけだ。何も新しいことはない。はるか以前からそうされている通りなのだ。しかしこれほどシンプルで今後も問題になるわけがないということを、誰も理解していないように思われる。

    連邦政府の徴税と支出が作用するのは分配だ

    分配とは、生産されたすべてのモノとサービスが誰のものになるかということだ。政治家が法案を通すたびにやっていることだ。彼らは制度によってモノやサービスの行き先を変える。良い方向の変更もあれば悪い変更もある。良くなる方の確率を上げるのは、7つの「命取りに無邪気な嘘」への無理解を減らしていくことだ。たとえば議会では毎年税制について議論するときに収入と支出に注目している。「いちばん払えそうなところに課税」。「必要とされているところに支出」。また、利息やキャピタルゲインや不動産、もちろん所得にどうやって課税するかも決めている。これらはみな、分配の問題だ。

    議会はまた、政府は誰を雇って誰を解雇するか、モノを誰から買うか、誰が直接給付を受けるかを決定する。さらに、価格や収入に直接影響を及ぼす法を作りもする。

    米国ドルを持っている外国人には特有のリスクがある。彼らは私たちにモノやサービスを売ることによってドルを稼ぐが、将来私たちからモノやサービスを買える保証はない。物価が上がる(インフレーション)かもしれないし、外国人が私たちから買いたい物に合法的に課税することもあり得る。この場合彼らの購買力が減少するということになる。

    たとえば、昔、日本が私たちに一台2000ドル以下で自動車を売っていたとしよう。彼らはそのドルをFEDの普通預金口座にずっと持っていた(米国の国債を持っている)として、今彼らがこのドルを使いたいと思っても、自動車を買うためには一台20,000ドル以上は必要になるだろう。彼らはどうしたらいいだろうか?メーカーに電話して文句を言う?彼らは、何百万台の素晴らしい自動車をFEDの帳簿に置かれた信用と交換したのだ。それによって買うことができるのは私たちが許可したものだけだ。最近起こったことを見てみよう。FEDは金利を引き下げたのだが、これによって日本が米国国債から得る金利が減少した。(この議論はこの先の別の「無邪気な嘘」に続く)

    これは全部、合法的で日常的なものだ。毎年の産出は全体の生活水準に広がる。債務残高があるからといって現実の産出がどこかに消えたりはしない。債務の大きさとも関係ない。債務残高が産出や雇用を減らすこともない。むしろ分かっていない政治家たちが債務を減らす決定をすることが産出と雇用を減らす。残念なことに今はそれだ。だからこれは「命取りに無邪気な嘘」なのだ。

    今日(2010年4月15日)、議会は増税によって政府支出の余地を必要以上に増やし、私たちからさらに購買力を奪おうとしている。私たちが欲しいものに支出したとしても政府の巨大支出は可能だ。経済と呼ばれる大きなデパートにはまだ売れていないものがたくさん残っているのだから。

    どうしてそれが分かるかって?簡単!失業者の数を数えればいい。この経済にどれだけ巨大な余剰能力があるかを見ればいい。FEDが「産出ギャップ」と呼ぶもので、私たちが今生産しているものと、完全雇用の時に生産できるものの差だ。それは凄い量だ。

    もちろん、赤字や政府債務は「記録」されるが、もう知っている通り、それはFEDが国債と呼んでいる私たちが普通預金に預けている額だ。ついでながら、米国の累積赤字を経済の規模との比率でみると、まだ日本より小さく、ほとんどのヨーロッパ諸国よりだいぶ小さく、第二次大戦当時に大恐慌から脱出するためだったそれ(そして後の負担にはならなかった)よりもはるかに小さい。

    この本を深く理解したあなたは、赤字の規模は財政運営上の問題ではないということに気付いているだろう。税の機能は経済を統制することであって、議会が考えているように歳入を増やすことではないと気づいてくれたらうれしい。私にはいまの経済からの悲鳴が聞こえている。人々が支出するのに十分なお金を持っていないと叫んでいる。購買力が強すぎて使い過ぎだと叫んではいない。これに同意しない人、いる?

    失業は倍増している。GDPは、もし議会が課税し過ぎず、また、これほどまでに私たちから購買力を奪わなかったとした場合に比べ10%以上は小さいだろう。

    私たちが潜在力を発揮していないということは – 完全雇用に達していないということは – 子孫の利益のために生産できる物やサービスを子孫からも奪っていることになる。同じように、高等教育への助成の削減は、子供が将来彼らにできる最高のことをするのに必要な知識を彼らから奪っている。また、基礎研究や宇宙開発への支出削減は、そこからの果実を子供たちから奪い、その代わりに今この失業を維持しているということになる。

    そう、生きている人々は、今年産出するものを消費することができるし、さらに産出のいくらかを「モノやサービスへの投資」という形で使おうと決めることもできるのだ。それは将来の産出を増やすだろう。そしてそう、今年の産出を誰がどう使うかについて最大の発言力を持つのは議会だ。過去の財政赤字に由来する分配問題があるなら議会で議論すればいい。分配は合法的手続きによって人々の満足に変えることができるのだ。

    中国への返済はどうする?

    政府債務の返済を心配する人は、それが実務的にどのようなものかをボルトとナット(入金記帳と出金記帳)レベルでの理解ができていないのだろう。そうでなければそういう心配に意味がないと気付いているはずだ。彼らが分かっていないのは、ドルも国債もどちらも「口座」にほかならず、政府が帳簿に乗せている「数字」以上のものではないということだ。

    まず最初は、私たちが中国とどうやって現状に至ったのかを見てみよう。最初は中国が私たちにモノを売りたいと思い、私たちがそれを買いたいと思ったのがスタートだ。例として、米軍が一億ドルの制服を中国から買おうして、中国はその値段で制服を売りたいと望んだとしよう。よって米軍は中国から一億ドルの制服を買ったと。ここでは両者がハッピーであることを理解してほしい。そこに「不均衡」などない。中国は一億ドルよりもユニフォームよりを持っていることもできたし、売れなかったかもしれない。米軍はユニフォームでなく一億ドルを持っていることもできたし、買えなかったかもしれない。元の論点に戻ろう。中国はどうやって支払いを受けるのだろうか。

    中国は米国の連邦準備銀行(FRB)に準備預金口座を持っている。準備預金口座とは簡単に言えば当座預金口座の格好良い名前だ。「連邦準備銀行」だから、当座預金口座と呼ばないで「準備預金」口座と呼ぶわけだ。さて中国への支払いのため、FEDは中国がFEDに持つ当座預金口座に一億ドルを足す。口座の数字を変えるだけ。この数字は別にどこかから来たわけではなくて、フットボールのスコアと何も変わらない。中国には選択肢がある。何もしないでそのまま十億ドルをFEDにある当座預金に置いたままでもいいし、米国の国債を買うこともできる。

    繰り返すが、国債は簡単に言えばFEDに置かれる普通預金の格好の言い呼び方だった。買い手はFEDにお金を渡し、後日金利付きで返ってくる。これは普通預金だ。銀行にお金を渡し、後日金利付きで返ってくる。

    仮に中国が一年物の国債を買うとしよう。そこで起こることはこうだ。「FEDは中国の当座預金から一億ドルを引き、中国の普通預金口座に一億ドルを加える。」そして一年物の国債の満期の一年後に起こることはこれだけだ。「 FEDは中国の普通預金口座からそのお金(利息が付いている)を差し引き、FEDにある中国の当座預金口座に加算する。」

    中国は現時点で、二兆ドルほどの米国国債を持っている。それらが満期になり中国に返済するときが来たら私たちはどうする? FEDの普通預金口座にあるそのドルを減らし、FEDの当座預金口座に足したら、あとは何なら、彼らが次に何をしたいと言うかを待てばいい。

    これは政府の債務が満期を迎えたときにいつも、常に起こっていることだ。FEDは帳簿上の普通預金口座から数字を減らして当座預金口座の数字に足す。人々が国債を購入する場合は、FEDは当座預金口座から減らして普通預金口座に加算する。どうして大騒ぎするわけ?

    ただただ悲劇的な無理解だ。

    中国は私たちが「債務償還の原資を調達」する必要がないと知っていて騒ぎをバカにしているだろう。今ならガイトナー、クリントン、オバマ、サマーズやそれ以外の行政の執行者たちもそのバカに含まれる。議会やマスコミもバカだ。

    興味のある読者のために、より技術的な書き方をしよう。例えば短期、中期、長期の国債が銀行に買われるとき、私たちが「金融システム」と呼ぶスプレッドシートへの入力が二つなされる。まず、政府は買い手がFEDに持つ準備預金勘定(当座預金)からの引き落としをする。次に、買い手がFEDに持つ有価証券勘定の数字を増やす(振り込む)。いつも通り、政府は単にスプレッドシートの数字を買えるだけだ。片方の数字は小さくなり、もう片方が大きくなる。そして満期日が来ると、中国が持っているその国債が償還される。FEDはもう一度スプレッドシートの二つの数字をただ変える。中国がFEDに持っている有価証券勘定から引き落とす。そして中国がFEDに持つ準備預金(当座預金)勘定に振り込む。これで全部だ。債務償還完了!

    中国は自分のお金を取り戻した。中国はFEDの当座預金にUSドル(巨額)を持っている。中国が何か欲しいのなら – 自動車、船舶、不動産、他の通貨 – 代金をドルの振込で受け取りたい売り手から市場価格で買う必要がある。中国が何かを買うときには、FEDは中国の当座預金からその金額を引き落とし、中国がそれを買った誰かさんの当座預金に同額を加算する。

    「中国への返済」が「中国が米国ドルで持つ富」を何ら変えるわけではないことにも注意してほしい。単に彼らは同じ金額を「国債(普通預金)」でなく「当座預金」で持つというだけのことだ。彼らがやっぱり国債で持っておきたいと望んでも、問題ない。FEDは彼らのUSドルをもう一度当座預金から普通預金に移すだけだ。適切に数字を変えることによって。

    国の債務の返済とは、FEDにある満期になったある一つの証券勘定を減らし、FEDにある別の勘定の数字を増やすことなのだ。この移動は実質経済にとってごく普通のことだし、主流経済学者や政治家やビジネスマンやマスコミが思っているような「差し迫った危機」でも何でもない。

    もう一度。国の債務の返済とは、政府が、自身が持つスプレッドシートの二つの数字を変えることだ。一つの数字は、有価証券が民間部門に所有されているかを表す数字で、これは減らされる。もう一つの数字はFEDに置かれているUSドルがどれだけあるかを表す数字で、これは増やされる。それで終わり。債務返済終了。貸し手にお金が戻った。凄い取引かな?

    では、もし中国が今の低い金利ではもう米国の国債を買わないと言ったらどうなる?彼らを引き付けるために金利を上げなければならいだろうか?違う!

    それなら中国は当座預金で持ち続ければいいだけだ。自国の金融システムを理解している政府なら別段問題を感じない。残高が政府支出に使われるわけではないのは前に説明したとおりだ。それがFEDの当座預金にあろうが、FEDの普通預金あろうが、悪くなる道理は一切ない。

    ではもし中国がこう言ったらどうなるだろう。「FEDに当座預金勘定などもう持ちたくない。金とか何か別の方法で返してくれ!」。現在の「不換紙幣」制度[1]の下では、単にその選択肢はない。中国だって、米国軍に制服を売ってFEDの当座預金でお金を持った時に理解していた通りだ。ドル以外の何かで欲しいならば、その欲しいものを売りたい人から買わなければならない。ちょうど私たち国民がドルで支出しているように。

    いつか私たちの子供たちも、私たちがやっているように、そして私たちの親もやっていたようにスプレッドシートの数字を変えているだろう。願わくばもっと理解が進んでいることを。何しろ今は「子供たちに政府債務を残している」などという命取りに無邪気な嘘が政策を動かし、最適な生産や雇用ができないようにさせられているのだから。

    失われた産出や人的資本の棄損は、私たちにも子供たちにも現実の代償となっていて、現役世代と将来世代の両方を痛めつける。私たちが生産できるはずのものを制限し、高失業(犯罪や家族問題や医療問題を伴う)を維持するとそうなることになる。私たちが完全雇用と産出を維持する方法を知ってさえいれば現実として投資できるものを、子供たち世代は奪われていることになるのだ。

    1. 1971年、米国は金本位制から完全に離脱し、ドルと金との交換は政府に保証されなくなった。 []

    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 3/7」

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    命取りに無邪気な嘘 その3:
    政府赤字が貯蓄を奪う

    事実:
    財政赤字が貯蓄を増やす


    ローレンス・サマーズ

    数年前のこと。トム・ダシュル上院議員とともにローレンス・サマーズ副財務長官と面談する機会があった。もともとダシュル上院議員とは、「無邪気な嘘」たちがどれほど彼への投票者たちの福祉に反する働きをしているかについてずっと話し合っていた。そういうわけで彼がこの元ハーバード大学の経済学部教授、しかも叔父には二人のノーベル経済学賞受賞者がいる副財務長官との面談をセッティングしたというわけだ。サマーズの反応を見てみたかったし、自分の言うことに同意してくれればよいなと思っていた。

    この質問から始めた。「ラリー、財政赤字の何が悪いんだい?」彼は答えた。「財政赤字が、本来は投資に回されるべき貯蓄を奪ってしまうことだ。」私は反対した。「それはない。国債はFEDが運用上の諸要素を調節するのに働いているに過ぎない。貯蓄や投資とは何の関係もないじゃないか。」彼はこう返してきた。「いや自分は準備預金の会計はよく知らないから、そのレベルの議論はできないよ。」

    ダシュル上院議員は信じられないという様子でこれを見ていた。このハーバード大経済学教授、副財務長官であるローレンス・サマーズが準備預金会計を理解していない?悲しいが本当だ。

    こうして面談の残りの20分は「節約のパラドックス」(詳しくは無邪気な嘘6番にて)を段階を踏んで説明することになった。彼なりに理解してくれたようで、最後にこう言った。「…そうすると、投資がもっと必要で、それが貯蓄になる?」私はフレンドリーに答えた。「イエス」。こうして良きハーバード大教授に対して経済学の一番の初歩を説明して面談は終わった。翌日のこと、彼がコンコルド連合(財政赤字テロリスト集団)とともに演壇に立ちながら財政赤字の重大な危険性について話しているのを見ることになった。

    このように、この致命的に無邪気な嘘第三番は国のトップ中のトップにおいても健在だ。じっさい財政赤字はどのように働いているのだろうか。それはこの上なく単純な話だ。政府の赤字は、額が幾らであっても、政府以外の残り全部(企業、家計、国内居住者、非国内居住者)ー「非政府」部門と呼ばれている ー が持っているドル建ての金融資産の増加額とぴったり一致する。つまり財政赤字は、私たち政府以外の「金融性貯蓄」をぴったり同額増やす働きをするのだ。

    一言で済む。政府の赤字は私たちの貯蓄を増やす(ぴったり)。これは会計的な事実であって、理論とか哲学といったものではない。議論の余地がない国民所得計算の基本なのだ。たとえば、去年の財政赤字が1兆ドルだったなら、みんなの金融資産貯蓄を合わせたものがちょうど1兆ドル増えたということを意味になる(経済学をかじったことが事がある人なら、純金融貯蓄とは現金と国債とFEDにある銀行の預金の合計だということを覚えているだろう)。これは経済学入門であり、銀行論金融論のイロハのイにあたる。疑問の余地もない会計の恒等式だ。ところがそれが政治の最上層部でもずっとねじ曲がったまま理解されているのだ。彼らはただただ間違っている。

    CBO(議会予算局)の誰かに尋ねてみればいい。私は実際尋ねたことがある。彼らは答えるだろう「収支は必ず一致させなくてはならない」。そうしたら次は、財政赤字と私たちの貯蓄の増加が一致しているかを確認してみよう。もし一致していなければ、彼らは深夜まで残業してどこで会計ミスをしたのかを探すはめになる。

    前に書いたように政府の支出はスプレッドシートへの入力だった。財政赤字はそれが集まったものだ。政府支出の際、会計係は「政府」という名前の口座から引き落とし操作を行い、同時に受け取る誰かさんの口座に振り込む操作をする。政府の口座の残高は減り、誰かさんの口座の残高はぴったり同じ額だけ増える。

    次は、政府の財政赤字が民間の貯蓄を増やす様子をオペレーションごとに見ていこう。ついでに、最近登場してきた新しいこんな無邪気な嘘のバカバカしさをも暴くことになる。

    「財政赤字は結局誰かから借たものを別の誰かに与えるものだから、何もプラスにはならない。ある人から別の人への移動に過ぎない。」というやつだ。つまり財政赤字は私たちの貯蓄を増やしたりせず、貯蓄を付け替えているだけだと言うのだ。最上級の間違いだ!では、財政赤字は貯蓄の付け替えているのではなく、貯蓄を増やしている様子を見ていこう。

    1.スタート。政府が一千億ドルの国債を販売する。(注意:この販売は強制ではない。つまり国債の買い手は買いたいから買う。買わないよりも買った方が得だと考えている。政府に強制された誰かが買うわけではない。オークション形式で販売され、いちばん少ない利回りを受け入れた参加者に売られることになる。)

    2.国債の買い手が代金を支払うが、買い手がFEDに持つ当座預金口座から一千億ドルが支払いとして引き落とされる。つまり、FEDの当座預金口座にあったお金は、国債、つまりFEDにある普通預金口座に移される(訳者注:筆者は前の記事で「国債」を「普通預金」になぞらえており、この記事でもそれを受けている)。この時点では非政府部門の貯蓄はまだ変化していない。買い手が国債を買う前は当座預金にあったお金が、そのまま貯蓄として普通預金口座に移動しただけだ。

    3.こうして一千億ドルの国債を販売した後、財務省は普段よく買っているものに一千億ドル分支出するとする。

    4.この財務省の支出が誰かの当座預金を一千億ドル分増やすことになる。

    5.ここにおいて、非政府部門の当座預金に一千億ドルが加算され(国債購入前の残高に戻る)、同時に一千億ドルの国債も持っている状態になっている。

    まとめ:一千億ドルの赤字財政支出が、非政府部門(政府以外の全員と言う意)の貯蓄を新しい国債という形で一千億ドル増加させた。

    一千億ドルという新国債の買い手はまず、当座預金のお金を国債(普通預金)に移動させた。次に財務省が一千億ドルの支出をしたことにより、この一千億ドルの受け取り手の当座預金が同額増える。

    ポイントに戻ると、赤字財政支出とは、単に政府以外にある金融資産(ドルと国債)をシフトさせるだけのものではないとわかった。赤字財政支出は、非政府部門にある金融資産貯蓄をぴったり同額、ダイレクトに増やすのだ。そして同様に、財政黒字はとは、私たちの貯蓄をダイレクトに同額奪うものなのだ。メディアも政治家も、一流経済学者たちでさえ、これを逆に考えている!

    1999年7月のこと。ウオールストリートジャーナルの一面に二つの見出しが並んでいた。向かって左は、クリントン大統領と財政黒字額を賞賛し、いかに財政運営がうまくいっているか説明する内容の記事だった。向かって右側の記事は、アメリカ人は貯蓄をしておらず、私たちはもっともっと働いて貯蓄に励まなければならないという内容だった。何ページかめくるとグラフが載っていて、財政黒字が増えていることを示す線と、国民の貯蓄が減っていることを示す線が一緒に描かれていた。二つの線はほぼ同じ形をしていたが、向きが真逆だった。このことは、財政黒字の増加が、民間貯蓄の減少とほぼ等しいことをはっきり示していた。

    財政黒字であるならば、民間貯蓄(海外居住者のドル建て金融貯蓄を含む)の増加はあり得ない。あり得ないのだが、主流経済学者や政府高官にはまだ理解されていない。

    アル・ゴア

    2000年の初め頃、フロリダ州ボカラトンの私邸で催されたアル・ゴア大統領候補の資金集めパーティのディナーで私は彼の隣に座っていた。経済について議論するためだ。彼の最初の質問はこうだった。「予測では向こう10年の財政黒字が5.6兆ドルになると見込まれていますが、次期大統領としてはこの黒字を何に使えばいいでしょうね?」私は説明した。5.6兆ドルの黒字はありえない、なぜならそれは非政府部門の金融資産貯蓄を5.6兆ドル減らすわけで、馬鹿げた計画なのだ。その時点で、民間部門にはそれだけの額を課税で奪われるだけの貯蓄は残っていなかったし、直近の数千億ドルの黒字が民間貯蓄を奪っていたことは、むしろクリントン景気が崩壊直前であることを暗示していた。

    私はさらに指摘した。200年以上の米国の歴史における直近六回の財政黒字期を見てみると、その直後に不況に陥ったのは六回のうちたった六回だけだったと。そして、来たる崩壊は、財政黒字を許容して私たちの貯蓄を抜きとったために起こるのだから、結果としての不況は、私たちの失われた貯蓄が十分埋め合わせられ、産出と雇用を修復するのに必要なだけの総需要をもたらすだけの財政赤字が蓄積せれるまで収束しないことでしょう、と。

    起こったのはその通りのことだった。経済は崩壊し、2003年にブッシュ大統領は緊急回避的に強力な財政赤字支出を打ち出した。しかしその後、クリントン時代の黒字時代に失われた金融資産(財政黒字はぴったり同額の貯蓄を私たちから抜き取る)を十分埋め合わせるのに十分な財政支出に到達しないうちに(財政黒字はぴったりその額だけ私たちから貯蓄を奪っていたのだから)、再び財政赤字は縮小されてしまった。そしてサブプライムのバブルが崩壊し、再び経済は崩壊したが、それは当時の環境に対して財政赤字が小さいままだったからなのだ。

    現在の政府財政の水準といえば、私たちは税を取られ過ぎの状態にあり、税引き後の所得は経済と呼ばれる巨大デパートで売られているものを買うには十分なものではなくなっている。

    とにかく、アルは良い生徒だった。さらに詳しい話をしたところ、この話が本当であること、そしてこれから何が起こり得るかについてまでも同意してくれた。しかし彼は「そこまでは行けない」とも言った。立ち上がる彼に私は言った。政治的現実はわかるよ、と。彼は演壇に向かい、来たるべき黒字をどう使うかの演説を始めた。

    ロバート・ルービン

    10年ほど前、2000年くらいだったか景気減速の直前ごろ、シティバンクの顧客ミーティングでロバート・ルービンと一緒になった。クリントン政権の前財務長官だ。他に20人ほどの顧客がいた。ルービン氏は経済についての持論を述べ、低い貯蓄率はやがて問題になって行くだろうと指摘した。その話を数分聴いたところで、私は「自分も貯蓄率の低さは問題と思う」と述べてからこう尋ねた。「ボブ、ワシントンでは誰か、財政黒字が非政府部門の貯蓄を奪っていることを認識している人がいるのかい?」彼は答えた。「いや、黒字は貯蓄をもたらす。政府が黒字運営できれば市場から国債を買い戻せるから、貯蓄と投資が増える。」私は反論した。「いや、黒字運営だと私たちは国債をFEDに売って納税資金を獲得しなきゃならないから、私たちの金融資産貯蓄はその黒字分だけ減るじゃないか。」ルービンは言った。「いや、間違えているのは君だろう。」私は反論せず、ミーティングは終わった。私の質問の答えは得られた。黒字が貯蓄を奪うことを彼が理解していないのならば、クリントン政権の誰もが理解していないということだ。経済はその後ほどなく崩壊したのだった。

    2009年1月に貯蓄統計が発表され、マスコミは「貯蓄成長率がGDPの5%と1995年以来の最高水準に達した」と報じたが、同時に、財政赤字はGDPの5%を超えていたいうことの方は報じられなかった。財政赤字も1995年以来の最高水準だったのだが。

    明らかに、主流は財政赤字が貯蓄を増やすということをまだ理解していない。アル・ゴアはわかっているとしても、何も語らない。まあ、今年も財政赤字が増えるか見ていよう。そして貯蓄も増えるかどうかも観察しよう。再度言うが、非政府部門の「ドル建て純貯蓄」(海外居住者も合わせた金融資産)の原資になることができるのは、政府の支出だけなのだ。

    貯蓄を増やせと言っているその人のことを観察しよう。同じ口で「収支を均衡」させたいと言ってはいないだろうか。財政支出削減と増税により、つまり、私たちから貯蓄を取り除くことによって。同じ口で正反対のことを言う。混乱の元になるだけで何ら解決にはならない。それが国のトップレベルで起こっていることなのだ。

    一人を除いて。

    ウェイン・ゴドリー教授

    ウェイン・ゴドリー教授はケンブリッジ大学の経済学部長を退かれて、80歳を超えていらっしゃる。教授は過去何十年にもわたり英国経済を予測する名人として知られていた。彼は自身が開発した「セクター(部門)分析」によって予測を行っていた。この手法の核心にあるのは「政府部門の赤字は、政府以外の部門の純金融貯蓄を合計したものと等しくなる」という事実なのだ。しかし、彼の予測の成功、会計上の絶対的ファクトも、彼の地位の重さ(これらは皆今もある)をもってしても、彼の教えが主流を説得するにはまだ至っていない。

    さて、読者はこのことを理解したはずだ。

    財政赤字は、主流が信じているような「恐るべき何か」ではない。そう、赤字はとても重要だ。過剰な支出はインフレを引き起こす。とは言っても政府が破産することはない。財政赤字は子供たちの負担ではない。財政赤字は、単にある人から別の人への資金移動でもない。財政赤字は私たちの貯蓄を増やす。

    では財政赤字の役割を政策面で見るとどうだろう。それはとても単純。私たちの産出と雇用は、財政支出が足りないと維持できない。経済と呼ぶ巨大デパートで売られているものを買うのに十分な購買力が私たちにないときには、政府は減税もしくは政府支出の拡大によって、私たちの産出物が確実に売れるように行動することができるのだ。

    税の一般的機能とは、購買力と経済の調整だ。産出と雇用をサポートするのに適切な水準で課税がなされおり、税収が政府の支出よりもかなり少ない結果としての財政赤字は、ソルベンシーだのサステイナビリティだの子供への悪い影響だのは、何も怖れることはないのだ。

    働いてお金を得たいけれど、あまり使いたくないと人々が思っていたら?それでいいじゃないか!政府は人々が支出したいと思うまで減税し続てもいいし、支出して生産物を買ってもいいし、雇用してもいい(インフラ修復、社会保障、医療研究、などなど)。どう組み合わせるかは政治の問題だ。適切な額の財政赤字は、私たちが望む産出を雇用を成し遂げるためのものであり、また、適切な政府の大きさとは、財政赤字の大小とは無関係に考えられるべきものだ。

    本当に大切なのは現実の生活 – 産出と雇用 – だ。財政赤字の大きさは一つの統計値だ。1940年代、アバ・ラーナーという名の経済学者はこれを「機能的財政論」と呼び、このタイトルの本(現代にもなお通用する)を書いている。

    訳者のリンク集

  • 「フューチャー・デザインはなぜ必要か」というスライド
  • 「政府債務残高名目GDP比は過去120年で最悪の水準」という記事
  • 「債務残高の国際比較(対GDP比)」で「債務残高は最悪」と財務省


  • MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 4/7」

    この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら
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    本翻訳は@やまぐろさんに大半をやっていただいたのです、感謝です。

    命取りに無邪気な嘘 その4:
    社会保障制度は崩壊している

    事実:
    政府の小切手は不渡りにならない


    国会議員が全員信じているようなものがもし何か一つあるとすれば、それは「社会保障制度は崩壊している」ということだろうか。かつてオバマ大統領(候補)が「そのお金はいつか尽きているだろう」と言ったかと思えば、ブッシュ大統領は「破産」という言葉を一日に四度も口にした。マケイン上院議員もしょっちゅう「社会保障制度は崩壊している」と主張しているのだから。全員、間違い!


    すでに論じてきたように、政府が自国の貨幣を「持っている」とか「持っていない」とかではなかった。政府は、わたしたちの銀行口座の数字をただ変更するだけだ。社会保障制度もその一つ。政府が社会保障費を適宜支払う能力に上限などない。


    社会保障信託基金の口座残高の数字がいくつだったとしても別段問題はない。Fedにあるすべての口座は皆そうだが、信用基金とは帳簿の「記録」に過ぎないからだ。社会保障費を支払うときに政府がしなければならないことと言えば、受取人の口座の数字を増やし信託基金の口座の数字を減らす、それで全部だ。仮に信託基金の数字がマイナスになったとしても問題ない。それは単に、社会保障費の支払いによって受益者の口座の数字が増えたことを表しているのに過ぎない。


    社会保障制度の民営化の是非は、ワシントンでなされる主要な議論のひとつだ。読者はもうおわかりだろうが、この議論は全く意味をなしていない。まずはそれを片付け、その次の話に進むことにしよう。


    社会保障制度の民営化とは具体的にはいったい何だろう?そしてそれは経済や私たち個人に対しどのような影響を及ぼすのだろう?


    民営化の考え方は、こうだ。
    1. 社会保障の徴収と支給を共に減額する。
    2. 社会保障費としての徴収が減る分で被雇用者は優良株式を購入する。
    3. 徴収が少なくなるので、政府の財政赤字がいったんかなり拡大する。財務省は「それを賄う」(彼らの表現)ために国債を売る


    これでわかっただろうか?簡単な言葉に置き換えよう。
    - あなたの給料から社会保障のために引き落とされる金額は少なくなる
    - あなたはこれまで引き落とされていた分の資金で株式を買うことができるようになる。
    - あなたが将来リタイアした後にもらえる社会保障費は少々少なくなる。
    - 但し、その時あなたは株式の所有者となっている。社会保障支払いを途中でやめた分よりも価値がついている可能性がある。


    個人の視点からは興味深いトレードオフであるように見える。ただし、あなたが買った株式はかなり時間を掛けてゆっくり値上がりしていなければならない。案に賛成な人は、こう考える。


    「これによりいったんは財政支出が大きく拡大するが、それは後の社会保障給付の抑制によって埋め合わせられる。そして、社会保障費として徴収されていたお金は株式市場に流れ込むことで、経済の成長と発展につながる」


    案に反対な人は、2008年の大暴落を引き合いに、社会保障の代わりとして株式市場に資金を投入するなど危険性が高すぎると主張する。


    「もし人々が株式市場で敗北したら、政府は退職者を貧困から救うために年金支給を増やさなければならなくなるだろう。だから、私たちが多数の高齢者を貧困ラインを下回るような危機に晒そうと思わない限り、政府がリスクを負うことになるのだ。」


    両方とも、ひどい間違いだ!(いったいだれがこんなこと思いついたんだ!)


    これはメディアの議論でよく現れる典型的な間違いで、「合成の誤謬」と呼ばれているものだ。教科書的な典型例を挙げよう。フットボールの試合を観戦中に、もっとよく見ようと立ち上がるとする。では、全員が立ち上がって観戦すれば全員が試合をもっとよく見えるようになるだろうか?そうはならない。全員が立ち上がってしまったら、誰一人立つ前よりよく見えるようにはならないどころか、立ち上がる前より見えなくなってしまう。


    彼らはみな、社会保障制度への参加者という立場からのミクロレベルでしかものを見ておらず、国民全体をマクロなレベルで見ていないのだ。


    マクロ(大きな絵、トップダウン)レベルで見たときに何が根本的に間違っているかを理解するためには、まず最初に「社会保障制度への参加とは、機能的には国債の購入と同じだ」ということを理解する必要がある。説明しよう。


    現行の社会保障制度においては、あなたが今政府にドルを渡すと、後日ドルが戻ってくる。これはまさしく、あなたが国債を買うとき(もしくは普通預金口座にお金を預けたとき)に起こることだ。


    いま政府にドルを渡し、後日ドルが戻ってくる。加えて利子がつく。そう、社会保障制度は結果としてよい投資ということになって多めのリターンをもたらしてくれるかもしれない。しかし利回りがいくらであるかという点を除けば、国債とほぼ同じなのだ。(なお、今やこのことを知ったあなたは議会よりも一歩先に進んでいる。)


    スティーブ・ムーア


    さて、これでCATO研究所の経済学部長のスティーブ・ムーアと私との数年前の会話について話す準備が整った。彼は現在CNBCのレギュラー出演者で、長年社会保障の民営化を推進しようとしてきた人物だ。スティーブは私が主催したある会議で、社会保障についてスピーチするためフロリダにやって来たことがある。彼は、国民に社会保障の支払いをさせるのではなく、その資金を株式市場に投入するに任せたほうが、退職して時間が経ったときには彼らにとって良くなるのだとする講演を行った。また彼は、政府の財政赤字の一時的な増加もそれには十分な価値があり、株式への資金が景気の拡大と繁栄を助け、それ続く景気拡大により長期的にはおそらく”払い戻されているだろう”と主張した。


    その時点で私は質疑応答のセッションに持って行った。


    ウォーレン:「スティーブ、あなたの言う、お金を政府に社会保障税の形で与え、後でそれを取り戻すというのは、機能として見れば国債を買うのと同じです。つまり、いま政府にお金を渡し、後であなたに返ってくるという機能という面においてです。唯一の違いは、高齢者がどのくらいのリターンを得るかですね。」
    スティーブ:「そうだが国債の方が利回りが大きい。社会保障は2%の利子が付くだけだ。社会保障は個人にとって悪い投資だ。」
    ウォーレン:「オーケー、投資面についてはあとで触れるつもりですが、あなたの民営化案では、政府が支給する社会保障の額を減らし、社会保障制度に参加していた被雇用者はその分のお金を株式市場に投入するということになりますね。」
    スティーブ:「そうだ。1ヵ月あたり約100ドル、承認された優良銘柄のみに対してだ。」
    ウォーレン:「なるほど。そして財務省は、徴収が減る分を埋め合わせるために追加の国債を発行し、それを売却する必要があるのですね。」
    スティーブ:「そう、それは将来の社会保障支給という財政負担を減らすことにもなる。」
    ウォーレン:「そうですね。私の論点を続けますが、株式を買うことになる被雇用者はその株式を別の誰かから買うわけで、株式の所有者は変わりますが経済に新しい資金が投入されるわけではありませんね。」
    スティーブ:「そうだ。」
    ウォーレン:「株式を売った人たちはそれによってお金を得ますが、それが追加国債を買うお金になると見ることができますね。」
    スティーブ:「そうだ。そのように考えることはできる。」
    ウォーレン:「するとどうなるでしょう。我々がすでに同意したように、被雇用者は国債を購入することと機能的に同義である社会保障への支払いをやめて、株を買うと。そしてその株を売った方人の方は、その代わりに新しく発行された国債を買うと。これをマクロのレベルから見てみると、いくつかの株式の所有者が変わり、またいくつかの国債の所有者が変わっているというだけです。社会保障を債券として捉えれば、株式総数も発行済国債も総数はほぼ変わりありません。ですのでこのことが経済や総貯蓄、その他のことに影響を与えることはありません。せいぜい取引手数料が発生するくらいでしょう。」
    スティーブ:「そうだ、そのように見ることもできる。しかし私はそれを民営化だと捉えている。政府よりも人々の方が上手な投資ができると確信している。」
    ウォーレン:「オーケー。しかし人々が持つ株式の量に変化はないとあなた同意しましたよね。するとこの提案では経済全体に変化はありません。」
    スティーブ:「しかし、社会保障制度の参加者にとって変化は確かにある。」
    ウォーレン:「そうです。そしてそれ以外の人にまさしくちょうど逆の変化が起こるということです。そしてこの点に関しては議会も主流の経済学者もまったく議論してきていないのではないでしょうか?あなたがたは提案の実態よりも、民営化という言葉に対してイデオロギー的なバイアスを持っているように見えます。」
    スティーブ:「私はこの案がいいと思っているのだ。民営化を信じている。民間は政府よりも上手な投資ができると信じる。」


    私はスティーブとの話をここで打ち切った。彼の提案は決して株式の数を変えないし、アメリカ人一般が投資のためにもつ株式の数も変えない。ゆえにマクロレベルでは、国民が「政府ができるよりも優れた投資」をできるようにはならない。そして、スティーブはそれを知っているが、彼にとって重要なことではない – 彼はこの話が非論理的だと知りながら、ただ話を続けるのだった。


    メディアが彼を批判することもない。彼は「社会保障制度よりも株式の方が良い投資である」だとか、「政府が国債を売らなければならなくなり、それが投資に使われるべき貯蓄を奪う」だとか、「政府債務がどんどん増大るすると政府は破産の危機にさらされる」などと、私たちが「無邪気な嘘」と呼んでいるありとあらゆるナンセンスを展開しているのだが。
    残念なことだが、命取りに無邪気な嘘はモグラ叩きのようにあちこちから湧いてきて、どこからまともに相手をして行けばいいのか見えにくくなってしまうほどだ。


    そして議論のレベルが低くなって行く!この「世代間の」とかいう話は次のように続く。「問題なのは、30年後には今より多くの退職者が存在するので労働者人口は今よりも減少し(それ自体は真実だ)、社会保障信託基金が枯渇してしまうことだ(あたかも信託基金の口座の値が政府の支出能力を制約になるなどと、、、馬鹿馬鹿しい話だが彼らはそう信じている)。だから問題解決のため、高齢者が必要な財やサービスへの支払いをするための十分なお金を持てるようにするべく、何とかしてその方法を構築する必要がある。」その考え方がとんでもなく酷いのだ。


    労働者が減少し退職者が増加する問題(”依存人口比率”と呼ばれる)だが、彼らは「高齢者が十分な購買ができるための基金を確実に作ることで問題を解決できる」と考える。


    こんな風に考えてみよう。もし今から50年後、現役で働いている人はたったの一人、退職者が三億人だとしよう(単純化のために誇張している)。現役のたった一人ですべての食糧を生産しなければならず、あらゆる建物を建てメンテナンスする必要があり、洗濯をしたり、すべての医療ニーズを満たしたり、テレビ番組を制作する、エトセトラエトセトラエトセトラ・・・と、この一人はものすごく忙しいだろう。さて、いまのわたしたちは、この三億人の退職者が彼一人に対して支払うための十分な基金を確実に持てるようにしておこうと考える必要があるのだろうか?私はそうは思わない!これは明らかにお金の問題ではない。


    我々がしておかなければならないこと。それはこのたった一人の労働者が十分賢く、また十分生産的であるようにしておき、またすべてをこなすために十分な資本財とソフトウェアがあるような状態を作っておくことだ。さもなくば退職者たちがいくらたくさんのお金を持っていようと深刻な問題に直面してしまう。ゆえに今の問題というのは、現役労働者を充分には生産的ではない状態に留めておくことの方で、その結果が将来の資本財とサービス不足につながってしまう。


    「”支出のためお金”を多くためておく」というスローガンはせいぜい物価上昇につながるだけで、より多くの財やサービスを創出することには決してつながらない。この主流派ストーリーはいっそう酷くなって次のように展開する。「それゆえ、政府は今のうちに歳出を削るか増税をしておく必要がある。将来の支出に備えて資金を積み増しておくためだ。」これはまったく馬鹿馬鹿しい話で、われわれ現役世代の幸福だけでなく、将来世代の生活水準をも破壊する「命取りに無邪気な嘘」であることを読者はもう理解されていると信じる。


    私たちはもう、政府はドルを持つとか持たないとかではないと知っている。政府は私たちの銀行口座の数値を増やすことで支出し減らすことで徴税している。税率を上げることは私たちの支出能力を下げることにはなるが、政府の支払い能力を何ら増やしはしない。もし支出が多すぎて、経済が”過熱”(経済という巨大デパートで売られているものに対する、私たちの購買力が強すぎるということ)したそしてもそれはまあオーケーだ。しかしその逆の場合、今の実態が正にそうなのだが、仮に完全雇用状態だったら生産され売りに出されるであろうものに対して支出がはるかに弱いようなときは、増税して私たちからさらに支出能力を奪ってしまうと、それは実態を更に悪化させることにしかならない。


    このストーリーは、まだまだ酷くなる。主流派経済学者は、私たちが今日作ることができるもののうち、50年先も役立つ実際の財などほとんどないと言う。


    そしてこう続ける。「私たちが遠い未来の子孫のためにできるたったひとつのことは、彼らが将来の需要を満たせるようにすることを確かなものにするために、彼らが知識と技術を持てるよう今ベストを尽くすことだ」、と。公共の財産を未来のために「抑制(貯蓄)」するために我々がすることは今日の支出をカットなのだと言う。皮肉なことにそれは何にもならないどころか、雇用と成長を減らし、我々の経済を後退させることにしかならない。そしてさらに悪いことに、またがっかりさせられることに、私たちの指導者が方針を誤ってまず削減したのは教育分野だったのだ。教育こそは子供たちの50年後のためにいま為されなければならないことだとは、主流派も同意するところであるのに。


    もし政策決定者が、通貨システムがどのように機能しているかを正しく把握したならば、問題は社会資本そして恐らくはインフレなのであり、政府の支払い能力は問題ではありえないということに気づくことになるはずだ。


    彼らが高齢者の収入をもっと確保しておきたいと考えていたならば気づくだろう。問題は単純に「便益の向上」なのであって、真の課題は「私たちは高齢者に対してどれくらい水準の実質資源を割り当てたいのか」なのだ。高齢者にどのくらい食料を割り当てるのか?どの程度の住居を?衣服を、電気を、ガソリンを、医療サービスを? 本当の問題とはこういうこと。そしてそう、高齢者により多くのモノとサービスを与えることは、残りの人たちの分が少ないということになる。私たちの本当のコストとは、高齢者に割り当てているモノやサービスの量なのだ。それにいくらを支払っているかでは決してない。それは銀行口座の「数字」でしかない。


    そしてもし将来を心配するようなリーダーであるなら、その目的から見て価値が高いと考えられる教育形態に対して助成をするだろう。


    しかし、彼らは金融システムを理解していない。理解するまではこうしたことを「正しい方向性」で把握することはない。


    そうであるかぎり、この社会保障に関する「命取りに無邪気な嘘」は、私たちの今の幸福と将来の幸福の両方を棄損し続けるというわけだ。


    https://web.archive.org/web/20180722230046/http://econdays.net/?p=9668


    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 5/7」

    この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら


    これまでの目次

    • 嘘1:政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。
    • 嘘2:政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる
    • 嘘3:政府赤字が貯蓄を奪う
    • 嘘4:社会保障制度は崩壊している

    命取りに無邪気な嘘 その5:
    貿易赤字は維持することのできない不均衡で、職業や産出を奪うものである

    事実:
    輸入とは実質的に利益で輸出は費用だ。貿易赤字は私たちの生活水準を直接的に改善する。職は輸入が原因で失われるのではなく、政府支出の水準に対して税が高すぎるゆえに失われる。

    読者諸兄はこれを見ただけで、主流派は貿易についてもやはり全部逆に捉えているのではないか、と疑うだろう。貿易の話をきちんと理解するためにはいつも忘れないでおくべきことがある。経済的に「受け取ること」は「与えること」より良い、ということだ。

    輸入とは実質の利益であり、輸出は実質の費用なのだ。

    別の言い方をすると、海外の誰かが消費するモノやサービスを生み出すために労働することは、経済的に良いことをもたらさない。ただし海外からモノやサービスを輸入し消費する分がなければだ。簡潔に言えば、国の富とは「自分たちのために産出し保有しているものすべて」に「輸入したすべて」を足し、「輸出の分」を引いたものだ。

    結局のところ、貿易赤字は私たちの生活水準を向上させている。そうでないことはあり得るだろうか?だから貿易赤字とは、大きいほど好ましいのだ。主流の経済学者や政治家、そしてマスコミは皆、貿易問題をあべこべに考えている。残念な真実だ。

    要点を理解するための例え話。第二次大戦後、もしマッカーサー司令官が「日本は戦争に負けたのだから毎年200万台の自動車を米国に送ること」と宣言していたら、それは征服した敵からの搾取である、大きな国際問題になっていただろう。第一次大戦後に同盟国がドイツに対し高額過ぎ搾取的な賠償請求を行って第二次大戦を引き起こすことになったことを繰り返しているという非難にさらされたことだろう。マッカーサーはそんな命令はしなかった。にもかかわらず、実際には日本はその後60年以上にわたり米国に毎年約200マン台の自動車を送り続けてきた。対して米国から送ったものはほとんどなかった。すると驚くべきことに、日本側はこのことは「貿易戦争に勝利」したことを意味すると考え、われわれ米国側は「負けている」という意味だと考えるのだ。しかし米国は自動車を獲得し、日本は口座にドルが入りましたという通知をFEDから受け取っただけだった。

    中国も同じだ。彼らの製品が米国の小売店の棚をいっぱいにし続けている一方で、FEDからの支払い通知書以外のものは受け取っていないことから「戦いに勝っている」と考えている。大狂気だ。

    毎日のように目にするマスコミの見出しやコメントを引用してみよう。
    - 米国は貿易赤字に「陥って」いる
    - この貿易赤字は維持不可能な「不均衡」だ
    - 中国のせいで米国の職が失われている

    聞き飽きたナンセンスだ。私たちは貿易赤字から膨大な利益を得ている。諸外国は数千億ドル分に相当するモノとサービスを米国に送ってきており、これは米国から諸外国に送ったモノとサービスより多い。彼らは生産して輸出したいし、私たちは輸入して消費したい。これは修正する必要がある維持不可能な不均衡だろうか?それを終わらせることを望む理由は?彼らが対価として私たちからのモノとサービスを望んでいないけれども私たちにはそれを送りたいのなら、それを受け入れるべきでないというのは何故だろう。理由などない。ただ国の指導者達は金融システムを完全に誤解して、実は巨大な実質利益なのを国内の失業という悪夢にひっくり返して理解しているだけなのだ。

    これまでの「無邪気な嘘」を思い出してほしいが、米国は常に国内の生産をサポートし、国内の完全雇用を維持することが可能だ(減税または政府支出、あるいはその両方によって)。たとえ中国やその他の国が国内産業のライバルとなるモノやサービスを送ると決めたとしてもだ。外国が売りたいものと、私たち自身が完全雇用の水準で生産できるものの全部を買うのに十分な購買力を維持すればいいだけのことだ。その結果として一つかそれ以上の産業は失われるかもしれない。それでも適正な財政政策をもってすれば、働くことができて働く意思のある人々を全員雇用し、民と公が消費するためのモノやサービスを生産しつつ、十分な購買力を維持することは常に可能だ。実際に、ずっと貿易赤字は高水準だったにもかかわらず、低い失業率を最近まで保つことができていた。

    では、米国は支出の習慣を賄うため、酔っぱらった水夫のように外国から借金しまくっているというあの話は?それも嘘だ!中国が国債を買うかあるいは別の方法でわれわれの支出を賄っていて、それに依存している、なんてことは全然ない。実際に起こっていることはこうなのだ:「米国の信用創造が海外の貯蓄を賄っている」

    これはどういう意味か?例として典型的な取引で見てみよう。米国に住んでいるあなたが中国製の自動車を買うと決意する。米国の銀行に行き、その自動車を買う資金の借入が受理される。あなたは借入れた資金を自動車と交換した。中国の自動車会社は銀行預金を得、銀行の帳簿にはあなたへの貸付金と中国の自動車会社の預金が記載されている。参加者は皆「ハッピー」だ。あなたは資金より自動車を持っていたかった。借りていなかったら変えないのだからあなたはハッピー。中国の自動車会社は自動車よりも資金を持っていたい。車を売っていないとそうならないのだから彼らもハッピー。銀行は貸付金と預金を持ちたいが、貸し出さないとそうならないのだから、やはりハッピー。

    「不均衡」はどこにもない。全員が満足しきっている。まさしく望みの物を実際に得ている。銀行は貸付金と預金を得たのでハッピー、そして貸借は一致。中国の自動車会社は貯蓄として米国ドルの預金を得たのでハッピー、そして貸借は一致。あなたは欲しかった自動車を得、納得の上で支払いをしたのでハッピー、そして貸借は一致。この時点で全員が望みの物を得てハッピーな状態だ。

    そして、この中国人が望んだ米国ドルの銀行預金を賄っているのが米国内の信用創造、つまり銀行貸出で、私たちが「貯蓄」とも言っているものだ。さて「海外資本」ってどこに?そんなものはない!米国は海外資本に何か依存しているという考えは当てはまらないのだ。それどこか、米国ドルという金融資産を貯蓄したいという彼らの希望を賄っているのは米国の信用創造プロセスなのだから、彼らがこれに依存している。私たちは、外国の貯蓄が何かを賄っているということに依存していたりはしない。

    再度言うが、これは私たちのスプレッドシートだ。もし私たちのドルを貯蓄したいのなら、彼らは私たちの砂場の中で遊ぶしかないのだ。また、海外の貯蓄者がドル預金を使うことにはどんな選択肢があるだろう?特になにもありはしない。別の金融資産を誰か売りたい人から買うか、モノやサービスを売りたい人から買えるだけだ。その取引が市場価格でなさるなら売り手も買い手も双方ハッピーだ。買い手は欲しかった、モノやサービスや金融資産などを獲得する。売り手も欲しかった、ドル預金を獲得する。不均衡などあり得ない。なので、米国の海外資本依存の可能性は毛ほどもない。この手続きのどこにも海外資本は登場していないのだから。



    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 6/7」

    この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら

     

    これまでの目次

    • 嘘1:政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。
    • 嘘2:政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる
    • 嘘3:政府赤字が貯蓄を奪う
    • 嘘4:社会保障制度は崩壊している
    • 嘘5:貿易赤字は、職業や産出を奪う

     

    命取りに無邪気な嘘 その6:
    投資には、先立つ貯蓄が必要だ

    事実:
    投資が貯蓄を増やすのだ

     

    嘘は残すところあと二つとなったが、これは大事だ。この嘘がこの経済全体を覆っているために、実物資源の議論が実物部門から逸らされ、金融部門の議論にすり替えられてしまっているからだ。その結果、実物投資が公共の利益から切り離されてしまっている。私の見立てでは、この嘘のために有用な産出と雇用の20%以上が毎年毎年捨てられている。これは人類史上、比類のない規模だ。そしてまた、いま経験中の金融危機を直接導いたものは、これなのだ。

    経済学の教科書で「倹約のパラドックス」と呼ばれている話がスタートだ。こんな感じだ。経済全体の中で、産出物が全部売れたときの総支出は必ず総所得(利益を含む)と等しい。(次の文に行く前に、これを理解したかどうか必ず確認せよ)。もし誰かが消費を所得以下に抑えようとすれば、他の誰かが所得以上に消費しない限り、産出物に売り残りが生じることになる。

    売れ残った産出物は過剰在庫になり、売上不足から生産調整そして雇用カットとなり、結果、総所得が減少する。この所得減少分は、貯蓄のために使わないことにした金額と等しい。こう考えてみよう。ある人が貯蓄(収入以下の支出しかしないようにする)しようとすれば、それは失業しつつあることになる。売れ残りが出るなら雇用主はもうその人を雇わない。

    つまり、このパラドックスはこうだ。「収入の一部を使わずに貯蓄しようとすることが、収入を減らし貯蓄を不可能にする」。反対に、借金して収入以上の支出をしようとすると、収入が増え、実物投資と貯蓄ができるようになる。極端な例で考えてみよう。国民全員が国内自動車業界に新型ハイブリッドカーを注文したとする。自動車業界も、突然それほど多くの車を製造することはできないので、私たちを雇用し、新しい需要を満たすべく、まず新工場を建てるための借金をする。そうすると、私たちは皆、新しい工場と設備(これらは資本財だ)を使って働き、所得を得るようになるだろう。しかし、まだ世界には買いたい車が存在していないので、新車が組み立てラインから出てくるまでは、得たお金を「貯蓄」しておかなければならない。新車を買おうと決めた結果、しまいには支出より貯蓄が多くなっている。同時に、生産用の資本財への支出を賄ったのは、まさに実物投資であり、これは貯蓄と等しい。

    私はこのことをよくこう表現する。「貯蓄とは、帳簿に記録された投資だ」

    教授

    1996年、ニューハンプシャーのカンファレンスでバシル・ムーア教授とこの話をしたところ教授は、こんど書こうと思っている本でこの表現を使っていいかとお聞きになった。その名前の本は出版され、聞いた話では面白いそうだ。(本にサインするチャンスを待っている)

    不幸なことに、この事実、議会もマスコミも主流経済学者も完全に取り違えてしまっている。将来の投資を賄うためには、先にもっと貯蓄しておかなければならないと結論してしまう。ミクロレベルではまったく正しいこの話も、やはりマクロレベルでは正反対の誤りなのだ。ちょうど、銀行の貸出が預金を作るのとまったく同じように、投資が貯蓄を作るのだ。

    ころが、無限の知恵をお持ちの我らの指導者たち。消費の低迷で投資が落ち込むときに彼らはどうしているだろう。ぜったいこう決意する。「我々はもっと貯蓄しなければならない。そうすれば投資のためのお金が増えるだろう。」(私は主流経済学者たちからの反論を一度も聞いたことがない)。議会はこれを実現するために税構造を変え、貯蓄が有利になるようなインセンティブ設計をする。年金基金やIRAその他の税優遇機関が、税を繰り延べたい資金を積み上げ易くなるようにする。そうなれば簡単に予想できるように、そのインセンティブは総需要(購買力)を除去する方向に働く。つまり、われわれ自身が生産するものを購買するための貨幣を奪う働きをしてしまう。これが経済を減速させ、民間部門の債務が拡大し、結局公的部門は、単にそれを補うためだけの赤字財政支出を余儀なくされることになる。 

    インフレ的でない巨額財政赤字が現出する理由はこれだったのだ。

    実際、議会が作り出す、支出(「需要漏出」と言われる)を減らそう減らそうとする税のインセンティブ構造こそが、私たちの購買力の多くを奪うものなのであり、結局はそれこそが、完全雇用を維持するために多額の財政赤字が必要になる事態を引き起こしている、当のものだったのだ。皮肉なもので、議会が貯蓄奨励税制を推し進めるのは、投資のためのお金と貯蓄しようと考えてのことのはずだった。財政赤字とは真逆のことをしたかったのに。

    もちろん、もっと悪いことが起こる! 巨大な資金プール(この致命的に無邪気な嘘6で誕生したプールだ。貯蓄は投資されなければならない)は、将来の受益者のために管理され複利運用されなければならない。問題は、連邦政府の赤字が必要になることに留まらない。これら、複利運用される何十億ドルもの資金が、あの恐ろしい金融セクターの基盤になることが問題だ。金融セクターは何千人ものファンドマネジャーを雇っている。大部分は政府の規制対象になってはいる。ほとんどの資金は上場株式、格付き債券に投資されるが、一部は多角投資として他の戦略、たとえばヘッジファンドや商品パッシブ運用戦略に向かう。そして、これら「肥大化したクジラ」を飼っていれば、必ずサメが現れる – 何千もの仲介や金融管理産業のプロフェッショナルというサメを生きながらえさせるのが、この第6の命取りに無邪気な嘘だったのだ。



    Deadly Innocent Fraud #7: 

     It’s   bad  thing  that  higher  deficits  today  mean higher taxes tomorrow. 


     Fact: I  agree   the  innocent  fraud  is  that  it’s   bad  thing, when in fact it’s a good thing!!! 


     Your  reward  for  getting  this  far  is  that  you  already  know the  truth  about  this  most  common  criticism  of  government deficits.   saved  this  for  last  so  you  would  have  all  the  tools  to make a decisive and informed response. 

     First,  why  does  government  tax?  Not  to  get  money,  but instead  to  take  away  our  spending  power  if  it  thinks  we  have too much spending power and it’s causing inflation. 

     Why  are  we  running  higher  deficits  today?  Because  the “department  store”  has   lot  of  unsold  goods  and  services  in it,  unemployment  is  high  and  output  is  lower  than  capacity. The  government  is  buying  what  it  wants  and  we  don’t  have enough  after-tax  spending  power  to  buy  what’s  left  over.  So we  cut  taxes  and  maybe  increase  government  spending  to increase  spending  power  and  help  clear  the  shelves  of  unsold goods  and  services. 

     And  why  would  we  ever  increase  taxes?  Not  for  the government  to  get  money to spend - we know it doesn’t work that way.  We  would  increase  taxes  only  when  our  spending  power  is too  high,  and  unemployment  has  gotten  very  low,  and  the  shelves have  gone  empty  due  to  our  excess  spending  power,  and  our available  spending  power  is  causing  unwanted  inflation. 

     So  the  statement  “Higher  deficits  today  mean  higher  taxes tomorrow”  in  fact  is  saying,  “Higher  deficits  today,  when unemployment  is  high,  will  cause  unemployment  to  go  down to  the  point  we  need  to  raise  taxes  to  cool  down   booming economy.”  Agreed!


    Part II:  The  Age of Discovery

      I  was  born  in  the  Manchester  Memorial  Hospital  on  September 18,  1949.  My  parents  are  Daniel  and  Muriel  Mosler,  and   was the  oldest  of  three  children.  My  brother  Seth  was  born  in  1951 and  my  sister  Susan  in  1955.  We  lived  in  an  apartment  on  West Middle  Turnpike  before  moving  to   three-bedroom  house  at 47  Marion  Drive  in  1960.  We  lived  there  for  about  three  years before  selling  the  house  and  moving  to   nearby  rental  due to  financial  difficulties.   attended  Wadell  School  and  then Buckley  elementary  school  after  we  moved.   went  to  Illing Jr.  High  School  and  then  Manchester  High  School  where  my father had also graduated in 1937.



    致命的な無実の詐欺その7 

     今日赤字が多いと、明日は税金が高くなるというのは悪いことだ。 


     事実:私もそう思う。無実の詐欺は、悪いことだと言っているが、実際は良いことなのだ


     ここまで読んでくれたあなたへのご褒美は、政府の赤字に対するこの最も一般的な批判についての真実をすでに知っていることだ。 私は、あなたが決定的な、情報に基づいた対応をするためのすべてのツールを持つように、これを最後に取っておいた。 

     まず、なぜ政府は税金を取るのだろうか? お金を得るためではなく、私たちの消費力が強すぎてインフレを引き起こしていると考えたら、その消費力を奪うためです。 

     なぜ今日、より高い赤字を出しているのか? デパート」には売れ残った商品やサービスがたくさんあり、失業率は高く、生産量は生産能力より低いからだ。政府は欲しいものを買っていて、残ったものを買うだけの税引き後支出力がない。 そこで、減税を行い、政府支出を増やして支出力を高め、売れ残った商品やサービスの棚を片付ける手助けをする。 

     では、なぜ増税をするのだろうか? 政府がお金を使うためではない。 私たちが増税するのは、私たちの消費力が高すぎて、失業率が非常に低くなり、私たちの過剰な消費力のために棚が空になり、使える消費力が望ましくないインフレを引き起こしているときだけである。 

     つまり、"今日の赤字が多いと明日の増税になる "という発言は、実際には、"失業率が高い今日、赤字を増やすと、好景気を冷やすために増税が必要なほど失業率が下がる "と言っていることになるのです。 同意見だ!


    第二部:大航海時代

      私は、1949918日、マンチェスター記念病院で生まれた。 両親はダニエルとミュリエル・モスラーで、私は3人兄弟の長男であった。 1951年に兄のセス、1955年に妹のスーザンが生まれました。 私たちは、ウエスト・ミドル・ターンパイクのアパートに住んでいましたが、1960年にマリオン・ドライブ47番地にある3ベッドルームの家に引っ越しました。 3年ほど住んだ後、経済的な理由で家を売り、近くの賃貸住宅に引っ越しました。 引っ越した後は、ウェーデル小学校、そしてバックリー小学校に通いました。 私はイリングJr.高校を経て、父も1937年に卒業したマンチェスター高校に進学しました。

    ...


    ーーー


    ウォーレン・モズレー Warren Mosler 1949~
    http://econdays.net/?p=9406
    ジェイムズ・K・ガルブレイス「命取りに無邪気な七つの嘘(ウォーレン・モズラー)」 への序文

    MMT(Modern Monetary Therory)創始者のひとり、ウォーレン・モズラーがサイトで配布している
    SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS
    OF ECONOMIC POLICY、
    https://moslereconomics.com/wp-content/powerpoints/7DIF.pdf 2010
    原文は平易な英語で書かれており、超おススメなのですが、前半(七つの嘘のパート)だけ日本語化してみたく。
     嘘その1~6
    http://econdays.net/?p=9414 リンク切れ★
    http://econdays.net/?p=9488
    http://econdays.net/?p=9522
    http://econdays.net/?p=9619
    http://econdays.net/?p=9668

    29 Comments:

    Blogger yoji said...

    ここにはまた、一人の金融専門家の教育についての魅力的な記述、また、米国の経済を高失業の危機から救うための
    アクションプログラムが書かれている。ウォーレンの方法は、給与支払税を停止することによって勤労者の所得を
    8%以上増やし、州や地方政府に人口に比例した補助を出すことによって財政の危機を癒し、職を望む人ならだれでも
    ある程度の報酬で雇う公的な雇用プログラムを提示するというものだ。これによって失業の危機を消滅させ、特に
    若い人々に有益な仕事を与えることになる。

    8:40 午後  
    Blogger yoji said...

    http://econdays.net/?p=9406
    ジェイムズ・K・ガルブレイス「命取りに無邪気な七つの嘘(ウォーレン・モズラー)」 への序文

    MMT(Modern Monetary Therory)創始者のひとり、ウォーレン・モズラーがサイトで配布している「SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS
    OF ECONOMIC POLICY、https://moslereconomics.com/wp-content/powerpoints/7DIF.pdf」。
    原文は平易な英語で書かれており、超おススメなのですが、前半(七つの嘘のパート)だけ日本語化してみたく。
     嘘その1
     嘘その2
     嘘その3以降(coming soon)
    まず、ガルブレイス教授による序文です。

    ここにはまた、一人の金融専門家の教育についての魅力的な記述、また、米国の経済を高失業の危機から救うための
    アクションプログラムが書かれている。ウォーレンの方法は、給与支払税を停止することによって勤労者の所得を
    8%以上増やし、州や地方政府に人口に比例した補助を出すことによって財政の危機を癒し、職を望む人ならだれでも
    ある程度の報酬で雇う公的な雇用プログラムを提示するというものだ。これによって失業の危機を消滅させ、特に
    若い人々に有益な仕事を与えることになる。

    8:41 午後  
    Blogger yoji said...

    http://econdays.net/?p=9414

    8:42 午後  
    Blogger yoji said...

    1~5
    http://econdays.net/?p=9414
    http://econdays.net/?p=9488
    http://econdays.net/?p=9522
    http://econdays.net/?p=9619
    http://econdays.net/?p=9668

    8:45 午後  
    Blogger yoji said...

    http://econdays.net/?p=9406
    ジェイムズ・K・ガルブレイス「命取りに無邪気な七つの嘘(ウォーレン・モズラー)」 への序文

    MMT(Modern Monetary Therory)創始者のひとり、ウォーレン・モズラーがサイトで配布している「SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS
    OF ECONOMIC POLICY、https://moslereconomics.com/wp-content/powerpoints/7DIF.pdf」。
    原文は平易な英語で書かれており、超おススメなのですが、前半(七つの嘘のパート)だけ日本語化してみたく。
     嘘その1~5
    http://econdays.net/?p=9414
    http://econdays.net/?p=9488
    http://econdays.net/?p=9522
    http://econdays.net/?p=9619
    http://econdays.net/?p=9668
    まず、ガルブレイス教授による序文です。

    ここにはまた、一人の金融専門家の教育についての魅力的な記述、また、米国の経済を高失業の危機から救うための
    アクションプログラムが書かれている。ウォーレンの方法は、給与支払税を停止することによって勤労者の所得を
    8%以上増やし、州や地方政府に人口に比例した補助を出すことによって財政の危機を癒し、職を望む人ならだれでも
    ある程度の報酬で雇う公的な雇用プログラムを提示するというものだ。これによって失業の危機を消滅させ、特に
    若い人々に有益な仕事を与えることになる。

    8:45 午後  
    Blogger yoji said...

    http://econdays.net/?p=9406
    ジェイムズ・K・ガルブレイス「命取りに無邪気な七つの嘘(ウォーレン・モズラー)」 への序文

    MMT(Modern Monetary Therory)創始者のひとり、ウォーレン・モズラーがサイトで配布している
    「SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS
    OF ECONOMIC POLICY、https://moslereconomics.com/wp-content/powerpoints/7DIF.pdf」。
    原文は平易な英語で書かれており、超おススメなのですが、前半(七つの嘘のパート)だけ日本語化してみたく。
     嘘その1~5
    http://econdays.net/?p=9414
    http://econdays.net/?p=9488
    http://econdays.net/?p=9522
    http://econdays.net/?p=9619
    http://econdays.net/?p=9668
    まず、ガルブレイス教授による序文です。

    ここにはまた、一人の金融専門家の教育についての魅力的な記述、また、米国の経済を高失業の危機から救うための
    アクションプログラムが書かれている。ウォーレンの方法は、給与支払税を停止することによって勤労者の所得を
    8%以上増やし、州や地方政府に人口に比例した補助を出すことによって財政の危機を癒し、職を望む人ならだれでも
    ある程度の報酬で雇う公的な雇用プログラムを提示するというものだ。これによって失業の危機を消滅させ、特に
    若い人々に有益な仕事を与えることになる。

    8:46 午後  
    Blogger yoji said...

    http://econdays.net/?p=9406
    ジェイムズ・K・ガルブレイス「命取りに無邪気な七つの嘘(ウォーレン・モズラー)」 への序文

    MMT(Modern Monetary Therory)創始者のひとり、ウォーレン・モズラーがサイトで配布している
    「SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS
    OF ECONOMIC POLICY、https://moslereconomics.com/wp-content/powerpoints/7DIF.pdf」。
    原文は平易な英語で書かれており、超おススメなのですが、前半(七つの嘘のパート)だけ日本語化してみたく。
     嘘その1~5
    http://econdays.net/?p=9414
    http://econdays.net/?p=9488
    http://econdays.net/?p=9522
    http://econdays.net/?p=9619
    http://econdays.net/?p=9668
    まず、ガルブレイス教授による序文です。

    ここにはまた、一人の金融専門家の教育についての魅力的な記述、また、米国の経済を高失業の危機から救うための
    アクションプログラムが書かれている。ウォーレンの方法は、給与支払税を停止することによって勤労者の所得を
    8%以上増やし、州や地方政府に人口に比例した補助を出すことによって財政の危機を癒し、職を望む人ならだれでも
    ある程度の報酬で雇う公的な雇用プログラムを提示するというものだ。これによって失業の危機を消滅させ、特に
    若い人々に有益な仕事を与えることになる。

    8:47 午後  
    Blogger yoji said...

    嘘その6
    http://econdays.net/?p=10584

    8:53 午後  
    Blogger yoji said...

    ポスト・ケインジアン達に対しモズラーは、税と借入が政府支出の財源になっていないということを説明した。当初、ケルトンは彼を信じなかった。「ウォーレンが出したこれ、出口はそこなのです。私たちが教えられてきたことすべての逆。」と彼女は私に言った。彼女はモズラーの理論が誤りであることを証明する論文を書こうと決めたのだが、そのために連邦準備制度、財務省、そして民間銀行システムの相互作用を深く調べた結果、彼女は自分自身驚いたことに、モズラーが正しいと結論に至ってしまった。「このリサーチのプロセスを通じて」と彼女は言った、そして「私は、ウォーレンとまったく同じ場所にたどり着いた。細かい複雑な事柄がたくさんありましたけれど。」徴税と債券の売却は、政府支出のあとに行われる。それらの目的は政府に資金を供給することではなく、経済システムの過熱を防ぐために貨幣を除去することだ。

    モズラーは学界の外から来ましたが、彼の理論は経済学者のいくつかの理論と一致していた。「ある意味でウォーレンがしたことは、知っておくべきことを我々に思い出させるものだった。」と彼女は私に言った。「彼は確かにオリジナルの貢献をしましたが、彼はまた私達に文字通り60、80年前に確立されたけれども忘れられていた教訓を思い出させてくれたのです。」

    ケルトンとレイはウェイン・ゴドリーの部門別バランス分析をモズラーに紹介した。それは政府赤字に害がないというばかりか、実際にはむしろ有益なものであることを示唆するものだ。ゴドリーの理論を単純化して、どの経済にも2つの部門があるとする。民間部門と公共部門(または政府部門)とする。政府が徴税額以上の支出をすると、財政赤字が発生する。そして、公共部門の赤字はそのまま民間部門の黒字を意味している。

    ケルトンは次のように説明してくれた:私が政府部門全体で、あなたが民間部門全体であると想像してみてください。私は100ドルを戦費や橋の修理や教育の改善に支出します。民間部門はこれらを実現するために必要な仕事をします。そして政府は100ドルを支払いました。次に90ドルを税として取り返すと民間部門の手元に10ドルが残ります。これが政府の赤字です。税金で回収する以上に支出しました。しかし民間部門のあなたは、以前持っていなかった10ドルを持っています。民間部門がお金をためるためには、政府の赤字が必要なのです。

    【翻訳記事】政府が無限のお金を持っているという過激な理論【MMT入門向け】 | ナショナリズム・ルネサンス

    MMTerはインフラ投資や減税などあらゆる財政刺激策を支持するだろうが、彼らの特徴的な政策は連邦政府が資金を提供し、地方が運営される雇用保証(ジョブギャランティ)政策だ。フルタイムでもパートタイムでも、仕事を望んでいる人は誰でも、その地域社会にとって価値があると思われるプロジェクトに1時間あたり15ドルが支払われるというものだ。道路の建設の場合もあるだろうし、高齢者の世話や託児所での仕事もあるだろう。必要なサービスが提供され、同時に失業者および潜在失業者が仕事を見つけられるようになる。

    「これは...」、カンファレンスのパネルでランダル・レイは言った。「とても効果的な貧困対策プログラムなのです」。フルタイムの場合、これらの仕事には年間31,000ドル以上が支払われ、5人家族を貧困から救うことができることになる。このパネルでレイとケルトンは、同プログラムが1400万人から1900万人の雇用を創出し、GDPとして5000億ドルから6000億ドルが加算されし、物価の上昇は1パーセント未満に留まるだろうとした。モズラー氏はこれを「一時的な雇用プログラム」と呼ぶ。なぜなら彼はこの連邦政府の支出によって生み出された余分な需要が民間部門の雇用の急増の火付け役となると確信しているからだ。

    金融危機から10年が経った今も、アメリカ経済はくたくたになっている。ケルトンはこれを「がらくた経済(a junk economy)」と呼ぶ。公式の失業者数は比較的低いが、賃金の長期的な停滞と、失業統計にカウントされない就業意欲の喪失を引き起こしている。今日の実質賃金の中央値は、ジミー・カーターが大統領だったときより低い。米国の歴史で初めて、ほとんどのアメリカ人の暮らしぶりが両親世代よりより悪化するということになりそうだ。昨年、ドナルド・トランプが勝利した要因の一つには、私たちの多くにとって、アメリカンドリームは死んでおり、経済が壊れているということに彼が気づいていた点にもあっただろう。

    MMTは、この経済を修復することは可能なのであり、雇用を創出してより良いアメリカを築くために必要なのは、政府の赤字を心配することをやめることなのだと言う。「政府だって分不相応な出費なんてできない。人々がそう言うのをよく聞きますよね」とケルトン氏。「全く違うのです。今、私たちはその「分」をはるかに下回る生活しかしていないのです。」

    モズラーは言う。「政治家が赤字に囚われるのは有権者がこう言うからだ。「私たちが選んだのは、赤字が大きすぎるから削減する必要があると信じる代表者だ。」MMTを支持する学者や左派の活動家たちは、自分たちはアメリカを変えられるのだと人々の考えが変わることを願っている。モズラーは続けた。人々はひとたびMMTの洞察を理解すれば、二度とそれらを忘れることはないと確信している。「元に戻る人はいないよ」

    マイヤーソンはそこまで楽天的ではない。彼は知的な議論で勝てば十分とは信じていない。「億万長者が権力を握っているのだから、彼らのアジェンダを支持する経済学が優勢になるんだ。もしMMTが主流になって公共支出を増やすことが当たり前になったら、権力と富が支配階級からシフトすることになるだろう。マイヤーソンは、それは闘争なしでは起こらないのではと疑っている。カンファレンスで、グループ「Debt Collective」のアン・ラーソンとローラ・ハンナが会議で述べた言葉が印象に残っているという。「トリクルダウンによるMMTはあり得ません。それは組織された人々によってもたらされる以外にないのです。」

    【翻訳記事】政府が無限のお金を持っているという過激な理論【MMT入門向け】 | ナショナリズム・ルネサンス
    73 にゅん (ワッチョイ df10-9b2Z)[] 2019/05/26(日) 00:39:20.35 ID:iJTwod+Z0
    >>71
    おお、うれしいな。

    それじゃ、リンク集にもはいっているけれど、次はこれがいいよ。
    これも紹介記事。

    「政府が無限のお金を持っているという過激な理論」 
    https://ameblo.jp/sorata31/entry-12445770102.html

    1:40 午後  
    Blogger yoji said...

    705 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 4fc9-EeXc)[sage] 2019/07/24(水) 22:19:49.75 ID:w8c7FI7a0
    【論文】世界金融システムを不安定化する欠陥論理
    2002 / 03 / 29   ウォーレン・モスラー  Warren B. Mosler
    http://www.genron-npo.net/future/archives/2785.html
    1949年生まれ。米国証券会社AVM,L.P.アソシエイツの創業者で、現会長。コネチカット大学で経済学の学士号
    を取得。82年に自社を設立するまで、約10年間、確定利付き証券のトレーダーを経て、最近は、エンタープライズ・
    ナショナルバンクをはじめとするいくつかの企業の取締役及び株主。主著『Soft Currency Economics』(1994)。
    マクロ経済、金融政策に関する講演など活動範囲は広い。

    706 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 4fc9-EeXc)[sage] 2019/07/24(水) 22:20:41.45 ID:w8c7FI7a0
    >>705
    概要
    米国の大手格付機関は日本の国債格付けを、先進国では最低水準まで下げている。金融システム不安を主な
    理由としたこの格下げによって、海外の機関投資家による日本売り圧力が高まっている。しかし、格付機関による
    日本国債格下げの論理には欠陥があると、モスラー氏は指摘する。日本の自国通貨での支払い能力は、理論的
    にも現実にも無限であり、債務比率の悪化は支払い能力を制限するものではないからである。
    要約
    大手格付機関のムーディーズ、スタンダード&プアーズは、共に日本国債を先進国中ではイタリアを下回る最低の
    レベルにまで格下げしており、さらに一段の格下げもありうるとしている。格付機関は、日本の支払い能力を理由に
    格下げしているが、その論理には重大な欠陥があるとモスラー氏は結論づけている。

    天文学的な債務を抱えながらも、高いインフレ率によって見かけ上の債務比率上昇を抑えているトルコでさえ、自国
    通貨での支払いに支障はない。また、債務不履行を選択したロシアでさえ、実際にはルーブルによる支払い能力を有
    していた。こうした事例は、自国通貨での支払い能力が理論的にも現実にも無限であることを極めて明確にしており、
    「債務比率の悪化」や同種の事態が主権国家の発行通貨での支払い能力を制限しないことを意味している。したが
    って、支払い能力に疑問の余地がない日本の円建債務は、AAA格付に相当するものである。日本が支払い意思を
    持つことは、最近の格下げを行った格付機関によってさえも問題とされたことはない。

    世界金融システムを不安定化する格下げは欠陥論理から導き出されたものであり、日本が対処すべき真の金融問
    題とは、格付機関が持ち込んだ「人為的な」金融問題とモスラー氏は主張する。

    5:32 午後  
    Blogger yoji said...

    forced by
    and California. In both cases the states were
    the investment community
    "get their fiscal house in
    to
    order" as determined by the investment community.
    There is no
    stability pact. There is a
    bigger force
    out
    there, which brings
    us to my major concern, which
    is the following. It's logical that the marketplace
    will limit deficit spending of member nations.
    keep
    Furthermore, should a member's revenues fail to
    pace with expenditures due to an economic slowdown,
    investors will likely demand a budget that promotes fis-
    cal balance through spending
    cuts or tax increases
    before they will purchase that member's debt. In other
    words, market forces can demand procyclical fiscal pol-
    icy during a recession. Without a higher fiscal authority
    such as the European Central Bank standing by with
    subject
    to investor
    counter-cyclical capability and not
    downward spiral can result, with
    preferences,
    a severe
    member nation insolvency at least a technical possibil-
    ity. At that point, and probably much sooner, I'm cer-
    tain that the ECB would step out of its Maastricht
    constraints and take action. Alternatively, I would not
    expect the ECB to take action other than in a crisis.

    12:11 午前  
    Blogger yoji said...

    強制的に
    そしてカリフォルニア。どちらの場合も州は
    投資コミュニティ
    「財政の家に入る

    投資コミュニティによって決定されるように "
    ありません
    安定協定。あります
    大きな力
    でる
    そこに
    私の主な関心事に
    以下です。それは市場が論理的です
    加盟国の赤字支出を制限する。
    キープ
    さらに、会員の収入が失敗した場合
    景気減速による支出のペース
    投資家は、おそらく財政を促進する予算を要求するでしょう。
    支出による均衡
    減税または増税
    彼らがそのメンバーの負債を購入する前に。その他に
    つまり、市場勢力は循環的な財政政策を要求することができます
    不況の間に凍っています。より高い財政当局がなければ
    欧州中央銀行のように
    件名
    投資家へ
    逆循環能力ではなく
    下向きのスパイラルは
    好み、
    ひどい
    加盟国の破産は少なくとも技術的な可能性
    ityその時点で、そしておそらくずっと早い時期に、私は
    ECBがマーストリヒトから抜け出すことになる
    制約を受けて対策を講じる。あるいは、私はしません
    ECBが危機以外の行動をとることを期待しています。

    12:13 午前  
    Blogger yoji said...

    2013

    カスタマーレビュー
    リッキーk
    5つ星のうち4.0MMTの入門書
    2014年4月16日
    形式: ペーパーバックAmazonで購入
    いわゆるModer Monetary Theoy の概説書である。と、いうか、
    本書が今日のMMTのベースになった考え方、
    というべきか。

    MMTの中心的な考え方、
    つまり
    バランスシートアプローチ、
    ストック=フローアプローチ、
    租税貨幣説(Tax Driven View)、
    IRMA(Interest Rate Maintenance Account)、
    政府部門雇用の賃金を本位とするための
    Job Guarantee Program 構想、

    こうしたものは、ほぼ本書で
    さらっと触られている。

    つまり、

    ・多くの人が、政府は、財政が不足しているから
    赤字公債を発行することで、民間の資金を調達している、
    と考えているが、それは錯覚。
    政府の負債が、民間部門のネットでの
    資産を形成するのであり、
    政府が民間の余剰資金を借りているわけではない。
    もしも政府が負債を発行しなくなったら
    民間部門はネットでの金融資産を確保することができず、
    貯蓄超過状態におちいってしまう、

    ・主権貨幣soverign currency を発行できる政府は
    形式的にはデフォルトに陥る危険性はない。
    したがって、均衡財政政策は愚策。
    政府はマクロ経済全体との関係の中で
    あるべき債務残高を決定するべき

    ・政府貨幣は、政府の徴税権によって
    通用力を保証されている。
    政府が租税を徴収するのは
    政府貨幣を流通させるためであって、
    民間が生み出した所得を政府が重用するためではない。

    ・金融市場で、資金の需要と供給によって
    金利が決定されるというのは、錯覚。
    実際には、そのようなことは不可能。
    現状では、(アメリカの場合)準備の積み期間と
    所要準備の計算期間がずれている。
    (※本書が描かれた後に
    所要準備計算期間は変更されており、
    本書の記述はやや古い。)
    連銀がFFレートを決定すると
    それに合わせる形で民間部門の主体的行動の結果
    ベースマネーの流通量が決定される。
    そして、ベースマネーの供給に合わせる形で
    国債が、政府によって新規発行されたり
    連銀によって売りオペ、買いオペされることで
    数量を調整される。
    近年では、これに加えて
    超過準備に金利がつけられるようになった。
    この超過準備に対する金利は
    実際にはFFレートを決定してしまっている。
    裏を返せば、
    いくら市場にマネタリーベースが過剰になっても
    中央銀行がFFレートに合わせて、
    一種の定期預金のようなものを供給することで
    民間部門の利潤最大化行動の結果、
    マネタリーベースの過剰発行を抑えることができる。
    よく考えれば、中央銀行が行っているのは
    金利を生み出す商品が不足しているとき
    (つまり、マネタリーベースが過剰になっているとき)、
    市場に金利を生み出す金融商品を提供しているのであって、
    これによって結果として
    ベースマネーは常に適正な水準(FFレートに見合った水準)に
    維持されることになる。
    こうした現実の動きを直視することによって、
    適切な金融市場のコントロールが可能になる。

    ・金本位制の時代には
    新たに採掘された金が、もしも過剰であれば、
    つまり、金の市場価格が政府の公示価格より低ければ
    政府に売られ、もしも過少であれば、
    中央銀行から払い戻しされ、市場に提供されることで
    ベースマネーの量が調整されていた。
    現在では、金にそのような役割を果たさせることはできない。
    むしろ労働にその役割を与えるべきであろう。
    政府が、最低雇用賃金を決定し、
    その賃金で無限に労働者を雇用することを決める。
    その結果、労働者は、もしも労働市場の賃金が
    政府の最低賃金より高ければ
    民間で雇用され、政府の定める賃金の方が高ければ
    政府に雇用されるようになる。
    その結果、景気が悪くなると
    自然とベースマネーの供給量が増え、
    景気が過熱し、労働市場が払底すると、
    ベースマネーの増加がなくなる一方で、
    所得税率が上昇(Mosler自身は所得税に
    こだわる必要はないという)し、
    ベースマネーの流通残量が
    自然減少する。(これに対して
    中央銀行がどのように歩調を合わせることになるのかは
    記されていない)
    そして、(一般均衡論の示す通り)
    各商品の相対価格比は市場で決まるが、
    その絶対価格水準は、政府が定める
    最低賃金によって決まる。

    と、いうようなわけで、
    この非常に薄っぺらくコンパクト(活字デカすぎ)なパンフレットを読めば、
    大体、MMTの概要は理解できる。
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    Soft Currency Economics II: The Origin of Modern Monetary Theory
    Warren Mosler
    5つ星のうち4.0
    1

    5:50 午後  
    Blogger yoji said...

    WARREN MOSLER
    British economy for multiple decades. And he did it all w
    his sector analysis," which had at its core the fact that the
    government deficit equals the savings of financial assets of e
    other sectors combined. However, even with the success of his
    forecasting, the iron-clad support from the pure accounting
    facts, and the weight of his office (all of which continues t
    this day), he has yet to convince the mainstream of the validity
    to
    of his teachings
    So now we know
    - Federal deficits are not the "awful things" that the
    mainstream believes them to be. Yes, deficits do
    matter. Excess spending can cause inflation. But the
    government isn't going to go broke.
    -Federal deficits won't burden our children.
    Federal deficits don't just shift funds from one perso
    to another.

    2:20 午後  
    Blogger yoji said...

    411 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 41c9-BXNL)[] 2019/08/27(火) 15:57:42.57 ID:HtdIicVD0
    >>386
    > そもそも金融なんて世界でもっとも優秀な経済学者が予想しても> ありえないくらい予想が外れる。
    > たとえば、かつてのロシア国債のデフォルトなんて、当時の最先端の> 金融工学で、しかも最も優れた分析力があるノーベル経済学者の
    > 二人が、世界中の経済や政治、債権の資金の動きを予想して、> 10万年に数回しかデフォルト確率がないと判断して、彼らが
    > 運営してたヘッジファンドで、 買って買って買いまくった。> 結果は、その10万年に数回のことが簡単に起こって、彼らの
    > ヘッジファンドは破綻して、世界中へ影響した。> そのくらい、そんな単純な理由で動くと思おうやつは、現実を知らないバカだけだから。
    > > ここまで現実の経済を知らないやつなんて、まともな社会人で一人もおらんわ。

    LTCM伝説―怪物ヘッジファンドの栄光と挫折 単行本 ? 2001/2
    ニコラス ダンバー (著), Nicholas Dunbar (原著), 寺沢 芳男 (翻訳)

    では、そんな話ではないな。当時のロシア国債の金利は40%。当然破綻リスク、インフレリスクもある。
    それを承知でLTCMは為替でヘッジしたが、政府が為替市場を閉鎖、自行優遇等で損失。(読んでもよくわからんがw)

    でなんと、MMT四天王?のウォーレン・モズラーもファンドHROでロシア国債に投資。ヘッジがロシア政府の規制でヘッジができず。
    さらに悪賢い弁護士のせいで清算に。(ここも読んでもわからん)
    これがきっかけで、LTCMのロシアの損失は軽微だったが、世界中の投資家が投資資金を引き上げLTCMが破綻というような
    流れ。(正しい理解は本でw)

    当時はIMFが資金投入しても、腐敗した政府系銀行は事実上の横領で、アジアビーチ、ドバイの成金に。

    12:04 午前  
    Blogger yoji said...

    759 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 5333-uxNz)[sage] 2019/09/02(月) 13:48:35.57 ID:LmDy2p/80
    The 7 Deadly Innocent Frauds of Economic Policy (English Edition) Kindle版
    Warren Mosler (著)

    リッキーk
    5つ星のうち4.0MMTの概説書だが、ちょっと初めての人にはお勧めしかねるかな。。。(選挙向け?)
    2014年5月27日
    99円ということだが、ネット上で無料配信されている。。。

    年金問題を含む、将来世代への負荷の問題についてはやや違和感があった。
    現在世代がいくら政府債務を残そうと、そのせいで将来世代の生産が低下したり、雇用が悪化する、というのは
    全く馬鹿げた話である。その意味で現在の政府赤字が将来の債務となりそれが将来世代の負担になる、という議論は全く馬鹿げている。
    むしろ、現在失業を放置し、教育をおろそかにし、インフラをぼろぼろのまま残せば、それこそ、将来世代に対する実際の負担になるのである。
    こうした主張は、確かに賛同できるものだ。
    しかし、この政府債務は、将来の誰かの資産になるのであり、そして、その負債は、将来のだれかが返済しなければならない。
    (返済は空想だとしても、金利負担は現実だ。)つまり、これは将来世代の間の分配関係に現在の世代が大きな影響を与えてしまうはずである。
    これに対して、「将来世代の間の分配関係の問題は将来世代が考えるべき問題だ」、といってかたずけてしまっているのは、
    おいら的には、ちょっと、どうかなあ、という気がする。

    >政府は半永久の存在だから、政府は負債は返す必要がない。永久に先送りが可能。
    確かに金利負担が問題だが、金利収入は民間の収入で、日本では20%は税金。

    10:42 午後  
    Blogger yoji said...


    526 にゅん (ワッチョイ 9f24-tl1m)[] 2019/09/16(月) 10:40:08.99 ID:2coE3f4B0
    うーん、「どこから来たか考えない、、、」

    それよか、モズラー風にごまかさず、
    「フットボールのスコアのようにキーボード操作でゼロから作り出す」
    っいうとこだと思うんだけど。


    532 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 9f24-tl1m)[] 2019/09/16(月) 11:06:26.62 ID:2coE3f4B0
    >>531
    文字化け?
    書き直し。

    G(財政支出)-T(徴税額)= ΔB(民間の国債の変化) + ΔM(民間の準備預金の変化)

    7:10 午後  
    Blogger yoji said...

    563 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 9f9d-+dKN)[sage] 2019/09/16(月) 16:45:27.39 ID:HuqqSIma0
    >>526
    モズラーは「フットボールのスコア」で、レイは「メジャーリーグの試合のスコア」だったから、
    地味に文化の違いがあって笑った覚え

    1:21 午前  
    Blogger yoji said...

    ISHIZUKA Ryouji (@ISHIZUKA_R)
    2019/09/14 14:47
    私が内生説に転向(?)したのは吉田暁『決済システムと銀行・中央銀行』(2002)を読んでからだ。貨幣はモノではなくシステムなのだ、と気づいた。システムといっても静的なそれではなく、日常的な決済業務に支えられる常に変動する動的システム。モノではなくコトだと知った。

    Twitterアプリをダウンロード

    6:53 午後  
    Blogger yoji said...

    The concept of fiat money can be illuminated by a simple model: Assume a world of a parent and several children. One day the parent announces that the children may earn business cards by completing various household chores. At this point the children won't care a bit about accumulating their parent's business cards because the cards are virtually worthless. But when the parent also announces that any child who wants to eat and live in the house must pay the parent, say, 200 business cards each month, the cards are instantly given value and chores begin to get done. Value has been given to the business cards by requiring them to be used to fulfill a tax obligation. Taxes function to create the demand for federal expenditures of fiat money, not to raise revenue per se. In fact, a tax will create a demand for at LEAST that amount of federal spending. A balanced budget is, from inception, the MINIMUM that can be spent, without a continuous deflation. The children will likely desire to earn a few more cards than they need for the immediate tax bill, so the parent can expect to run a deficit as a matter of course.
    To illustrate the nature of federal debt under a fiat monetary system, the model of family currency can be taken a step further. Suppose the parent offers to pay overnight interest on the outstanding business cards (payable in more business cards). The children might want to hold on to some cards to use among themselves for convenience. Extra cards not needed overnight for inter-sibling transactions would probably be deposited with the parent. That is, the parent would have borrowed back some of the business cards from the children. The business card deposits are the

    10:29 午後  
    Blogger yoji said...

    national debt that the parent owes.
         The reason for the borrowing is to support a minimum overnight lending rate by giving the holders of the business cards a place to earn interest. The parent might decide to pay (support) a high rate of interest to encourage saving. Conversely, a low rate may discourage saving. In any case, the amount of cards lent to the parent each night will generally equal the number of cards the parent has spent, but not taxed -the parent's deficit. Notice that the parent is not borrowing to fund expenditures, and that offering to pay interest (funding the deficit) does not reduce the wealth (measured by the number of cards) of each child.  

    10:31 午後  
    Blogger yoji said...

    soft curr2より


    The concept of Fiat Money can be clarified by a simple model that assumes a world of parents and multiple children. One day, parents announce that children can earn business cards by completing various household chores. At this point, the card has virtually no value, so the child doesn't care at all about accumulating the parent's business card. However, if a parent announces that a child who wants to eat or live at home must pay 200 business cards every month, the card is instantly valued and chores begin to complete . Business cards are given value by requiring them to be used to fulfill their tax obligations. Taxes work to generate demand for federal spending on legal currencies, rather than making income on their own. In fact, tax requires a minimum spending to the federal government. A balanced budget is the minimum that can be consumed from the beginning without continuous deflation. Children will want to get more cards than they need for the immediate tax bill. So parents can naturally expect to be in the red.
    To illustrate the nature of federal debt under the legal monetary system, we can take the household currency model one step further. Suppose a parent is applying for overnight interest on an unpaid business card (pay with more business cards). Children may want to hold several cards and use them conveniently between themselves. Additional cards that are not needed overnight for siblings are probably deposited with the parent. In other words, parents would have borrowed some of their business cards from their children. Business card deposit National debt borne by parents.
    The reason for the borrowing is to support the minimum next day lending rate by giving the business card owner a place to earn interest. Parents may decide to pay (support) high interest to promote savings. Conversely, lowering rates can prevent savings. In any case, the amount of cards lent to parents each night is generally equal to the number of cards used by the parent but not taxed, that is, the parent's deficit. Note that parents are not borrowing to cover spending, and paying interest (funding a deficit) does not reduce each child's wealth (measured by the number of cards).

    10:33 午後  
    Blogger yoji said...

    フィアットマネーの概念は、親と複数の子供の世界を想定した単純なモデルによって明確にすることができます。ある日、両親は子供たちがさまざまな家事を完了することで名刺を獲得できると発表します。この時点では、カードには実質的に価値がないため、子供は親の名刺を蓄積することをまったく気にしません。ただし、家で食事や生活をしたい子供が毎月200枚の名刺を支払わなければならないと親が発表した場合、カードは即座に評価され、雑用が完了し始めます。名刺は、納税義務を果たすために使用することを要求することで価値が与えられます。税金は、独力で収入を得るのではなく、法定通貨に対する連邦政府の支出の需要を生み出す働きをします。実際、税には連邦政府への最低支出が必要です。バランスの取れた予算は、継続的なデフレなしで最初から消費できる最小の予算です。子どもたちは、即時の税法案に必要なカードよりも多くのカードを取得したいと思うでしょう。そのため、親は自然に赤字になることを期待できます。
       法的通貨制度の下での連邦債務の性質を説明するために、家計通貨モデルをさらに一歩進めることができます。親が未払いの名刺で一晩の利子を申請していると仮定します(名刺を追加して支払います)。子どもたちは、いくつかのカードを保持し、それらの間でそれらを便利に使用することができます。兄弟には一晩必要ではない追加のカードは、おそらく親に預けられます。言い換えると、親は子供から名刺の一部を借りていたでしょう。名刺預金両親が負担する国債。
      借入の理由は、名刺の所有者に利子を稼ぐ場所を与えることにより、翌日の最低貸出金利をサポートするためです。保護者は、貯蓄を促進するために高い利子を支払う(サポートする)ことを決定できます。逆に、レートを下げると節約を防ぐことができます。いずれにせよ、毎晩親に貸し出されるカードの量は、一般的に親が使用しているが課税されていないカードの数、つまり親の赤字と同じです。両親は支出をまかなうために借りているわけではなく、利子を支払う(赤字を賄う)ことは、各子供の富(カードの数で測定)を減らさないことに注意してください。

    10:34 午後  
    Blogger yoji said...

    Soft Currency Economics II WHAT EVERYONE THINKS THEY KNOW ABOUT MONETARY POLICY IS WRONG By Warren Mosler


    誰もが金融政策について間違っていると思うソフト通貨経済学IIウォーレン・モスラー著

    10:37 午後  
    Blogger yoji said...



    OK、フィル・ハーヴェイは失業を骨の話で説明しています
    部屋に95本の骨を入れてから、骨を得させるために100匹の犬を送ります。
    5匹の犬は骨を取得しません
    経済学者と社会学者は5匹の犬を脇に連れて行きます。
    特別な訓練コースを受けさせ
    確実に骨を得る技能を身につけさせる
    そしてまた実験をする
    彼らは骨を取得させるために100匹の犬を送ります
    これらの5匹の犬は今回、骨を持って戻ってきます。
    彼らは一生懸命働けば誰でも骨を得られるという
    別の5匹が今度は骨を得られない
    失業率は5%、5匹は職を得られない
    これをマクロの問題と呼びます
    訓練によって解決するのはミクロの問題
    マクロの問題をミクロのレベルで解決出来ません
    唯一の解決策は5本の骨を与えることです

    12:44 午後  
    Blogger yoji said...

    Part I: The Seven Deadly Innocent Frauds
    Deadly Innocent Fraud #1:
    The federal government must raise funds through taxation or borrowing in order to spend. In other words, government spending is limited by its ability to tax or borrow.
    Fact:
    Federal government spending is in no case operationally constrained by revenues, meaning that there is no “solvency risk.” In other words, the federal government can always make any and all payments in its own currency, no matter how large the deficit is, or how few taxes it collects.
    命取りに無邪気な嘘 その1:
    政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。
    事実:
    政府の支出は、収入には全く制約されない、つまり「ソルベンシー・リスク」というものは存在しない。言い換えれば、連邦政府は赤字の大きさとは無関係に、また税収がいかに少ないとしても、自国通貨を用いた支払いをすることができる。

    Deadly Innocent Fraud #2:
    With government deficits, we are leaving our debt burden to our children.
    Fact:
    Collectively, in real terms, there is no such burden possible. Debt or no debt, our children get to consume whatever they can produce.
    命取りに無邪気な嘘 その2:
    政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる
    事実:
    そのような、ある世代全体に及ぶ負担は存在しえない。子供たちは、債務があろうがなかろうが彼らが生産できるものなら何でも消費することができる。

    Deadly Innocent Fraud #3:
    Federal Government budget deficits take away savings.
    Fact:
    Federal Government budget deficits ADD to savings.
    命取りに無邪気な嘘 その3:
    政府赤字が貯蓄を奪う
    事実:
    財政赤字が貯蓄を増やす

    Deadly Innocent Fraud #4:
    Social Security is broken.
    Fact:
    Federal Government Checks Don’t Bounce.
    命取りに無邪気な嘘 その4:
    社会保障制度は崩壊している
    事実:
    政府の小切手は不渡りにならない

    Deadly Innocent Fraud #5:
    The trade deficit is an unsustainable imbalance that takes away jobs and output.
    Facts:
    Imports are real benefits and exports are real costs. Trade deficits directly improve our standard of living. Jobs are lost because taxes are too high for a given level of government spending, not because of imports.
    5:
    貿易赤字は維持することのできない不均衡で、職業や産出を奪うものである
    事実:
    輸入とは実質的に利益で輸出は費用だ。貿易赤字は私たちの生活水準を直接的に改善する。職は輸入が原因で失われるのではなく、政府支出の水準に対して税が高すぎるゆえに失われる。


    Deadly Innocent Fraud #6:
    We need savings to provide the funds for investment.
    Fact:
    Investment adds to savings.
    命取りに無邪気な嘘 その6:
    投資には、先立つ貯蓄が必要だ
    事実:
    投資が貯蓄を増やすのだ


    Deadly Innocent Fraud #7:
    It’s a bad thing that higher deficits today mean higher taxes tomorrow.
    Fact: I agree - the innocent fraud is that it’s a bad thing, when in fact it’s a good thing!!!
    致命的な無邪気な詐欺#7:
    今日の赤字の増加が明日の増税を意味することは悪いことです。
    事実:私は同意します -
    無実の詐欺は、それが悪いことであるということです。実際、それは良いことです。

    8:26 午後  
    Blogger yoji said...


    Deadly Innocent Fraud
    命取りに無邪気な嘘 

    #1:
    The federal government must raise funds through taxation or borrowing in order to spend. In other words, government spending is limited by its ability to tax or borrow.
    政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。

    #2:
    With government deficits, we are leaving our debt burden to our children.
    政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる。

    #3:
    Federal Government budget deficits take away savings.
    政府赤字が貯蓄を奪う。

    #4:
    Social Security is broken.
    社会保障制度は崩壊している。

    #5:
    The trade deficit is an unsustainable imbalance that takes away jobs and output.
    貿易赤字は維持することのできない不均衡で、職業や産出を奪うものである。

    #6:
    We need savings to provide the funds for investment.
    投資には、先立つ貯蓄が必要である。

    #7:
    It’s a bad thing that higher deficits today mean higher taxes tomorrow.
    今日の赤字の増加が明日の増税を意味することは悪いことである。

    8:32 午後  
    Blogger yoji said...


    Deadly Innocent Fact:

    Fact:
    事実:

    #1:
    Federal government spending is in no case operationally constrained by revenues, meaning that there is no “solvency risk.” In other words, the federal government can always make any and all payments in its own currency, no matter how large the deficit is, or how few taxes it collects.
    政府の支出は、収入には全く制約されない、つまり「ソルベンシー・リスク」というものは存在しない。言い換えれば、連邦政府は赤字の大きさとは無関係に、また税収がいかに少ないとしても、自国通貨を用いた支払いをすることができる。

    #2:
    Collectively, in real terms, there is no such burden possible. Debt or no debt, our children get to consume whatever they can produce.
    そのような、ある世代全体に及ぶ負担は存在しえない。子供たちは、債務があろうがなかろうが彼らが生産できるものなら何でも消費することができる。

    #3:
    Federal Government budget deficits ADD to savings.
    財政赤字が貯蓄を増やす。

    #4:
    Federal Government Checks Don’t Bounce.
    政府の小切手は不渡りにならない。

    #5:
    Imports are real benefits and exports are real costs. Trade deficits directly improve our standard of living. Jobs are lost because taxes are too high for a given level of government spending, not because of imports.
    輸入とは実質的に利益で輸出は費用だ。貿易赤字は私たちの生活水準を直接的に改善する。職は輸入が原因で失われるのではなく、政府支出の水準に対して税が高すぎるゆえに失われる。

    #6:
    Investment adds to savings.
    投資が貯蓄を増やすのだ。

    #7:
    I agree - the innocent fraud is that it’s a bad thing, when in fact it’s a good thing!!!
    私は以下に同意します -
    無実の詐欺は、それが悪いことであるということです。実際、それは良いことです。

    8:38 午後  
    Blogger yoji said...

    ABCs of MMT (@ABCsofMMT)
    2020/10/01 20:57
    Feeding on these “Bloated Whales” are the Inevitable Sharks... pic.twitter.com/gxBPr3DNQ3

    https://twitter.com/abcsofmmt/status/1311636411989319680?s=21


    インフレ的でない巨額財政赤字が現出する理由はこれだったのだ。

    実際、議会が作り出す、支出(「需要漏出」と言われる)を減らそう減らそうとする税のインセンティブ構造こそが、私たちの購買力の多くを奪うものなのであり、結局はそれこそが、完全雇用を維持するために多額の財政赤字が必要になる事態を引き起こしている、当のものだったのだ。皮肉なもので、議会が貯蓄奨励税制を推し進めるのは、投資のためのお金と貯蓄しようと考えてのことのはずだった。財政赤字とは真逆のことをしたかったのに。

    もちろん、もっと悪いことが起こる! 巨大な資金プール(この致命的に無邪気な嘘6で誕生したプールだ。貯蓄は投資されなければならない)は、将来の受益者のために管理され複利運用されなければならない。問題は、連邦政府の赤字が必要になることに留まらない。これら、複利運用される何十億ドルもの資金が、あの恐ろしい金融セクターの基盤になることが問題だ。金融セクターは何千人ものファンドマネジャーを雇っている。大部分は政府の規制対象になってはいる。ほとんどの資金は上場株式、格付き債券に投資されるが、一部は多角投資として他の戦略、たとえばヘッジファンドや商品パッシブ運用戦略に向かう。そして、これら「肥大化したクジラ」を飼っていれば、必ずサメが現れる – 何千もの仲介や金融管理産業のプロフェッショナルというサメを生きながらえさせるのが、この第6の命取りに無邪気な嘘だったのだ。

    http://econdays.net/?p=10584

    MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 6/7」

    この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら

    これまでの目次

    嘘1:政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。
    嘘2:政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる
    嘘3:政府赤字が貯蓄を奪う
    嘘4:社会保障制度は崩壊している
    嘘5:貿易赤字は、職業や産出を奪う
    命取りに無邪気な嘘 その6:
    投資には、先立つ貯蓄が必要だ


    事実:
    投資が貯蓄を増やすのだ


    嘘は残すところあと二つとなったが、これは大事だ。この嘘がこの経済全体を覆っているために、実物資源の議論が実物部門から逸らされ、金融部門の議論にすり替えられてしまっているからだ。その結果、実物投資が公共の利益から切り離されてしまっている。私の見立てでは、この嘘のために有用な産出と雇用の20%以上が毎年毎年捨てられている。これは人類史上、比類のない規模だ。そしてまた、いま経験中の金融危機を直接導いたものは、これなのだ。

    経済学の教科書で「倹約のパラドックス」と呼ばれている話がスタートだ。こんな感じだ。経済全体の中で、産出物が全部売れたときの総支出は必ず総所得(利益を含む)と等しい。(次の文に行く前に、これを理解したかどうか必ず確認せよ)。もし誰かが消費を所得以下に抑えようとすれば、他の誰かが所得以上に消費しない限り、産出物に売り残りが生じることになる。

    売れ残った産出物は過剰在庫になり、売上不足から生産調整そして雇用カットとなり、結果、総所得が減少する。この所得減少分は、貯蓄のために使わないことにした金額と等しい。こう考えてみよう。ある人が貯蓄(収入以下の支出しかしないようにする)しようとすれば、それは失業しつつあることになる。売れ残りが出るなら雇用主はもうその人を雇わない。

    つまり、このパラドックスはこうだ。「収入の一部を使わずに貯蓄しようとすることが、収入を減らし貯蓄を不可能にする」。反対に、借金して収入以上の支出をしようとすると、収入が増え、実物投資と貯蓄ができるようになる。極端な例で考えてみよう。国民全員が国内自動車業界に新型ハイブリッドカーを注文したとする。自動車業界も、突然それほど多くの車を製造することはできないので、私たちを雇用し、新しい需要を満たすべく、まず新工場を建てるための借金をする。そうすると、私たちは皆、新しい工場と設備(これらは資本財だ)を使って働き、所得を得るようになるだろう。しかし、まだ世界には買いたい車が存在していないので、新車が組み立てラインから出てくるまでは、得たお金を「貯蓄」しておかなければならない。新車を買おうと決めた結果、しまいには支出より貯蓄が多くなっている。同時に、生産用の資本財への支出を賄ったのは、まさに実物投資であり、これは貯蓄と等しい。

    私はこのことをよくこう表現する。「貯蓄とは、帳簿に記録された投資だ」

    5:15 午後  

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