火曜日, 11月 24, 2009

折口信夫の文学史「日本文学系図」

齊藤 誠 (@makotosaito0724)
即位の礼だからというわけではないが、折口信夫「古代人の思考の基礎」を久しぶりに読んだ。春が来るから帝が祝すのではなく、帝が宣するから春が来るという趣旨がある。まさに帝の改元の本質であろう。帝の暦が契機となった商返しという債務帳消しの古代習慣にも言及。
aozora.gr.jp/cards/000933/f…

債務発生の原因には、共同体秩序の破壊(殺人など)に対する償いの支払も含まれていたであろうから、債務帳消しは、まさに免罪も示唆したのであろう。折口によると、債務免除は古代からの習慣であったが、文書に残されるようになったのは、中世期の徳政以降らしい。





(本来は以下のように赤線がカラー表示である。)





折口信夫「日本文学系図」
(全集第31巻、巻末より)

折口は日本文学史を呪詞(じゅし)から発生する系図として考えていた。この一元的な図に対して南方熊楠の思考は多元的である。
(柄谷行人は折口をニーチェ、熊楠をマルクス、柳田国男をヘーゲルに喩えていたが、この場合、折口はヘーゲル的ということになる。余談だが、柳田の『遠野物語』が交通の拠点としての遠野に物語が集約されて出来たと考えれば、柳田こそがマルクスまたはニーチェ的と言えよう。ただし、こうした見方は柄谷が17世紀の哲学者に対して言ったようにあくまでも「見立て」*として有効なだけである。)

*現代思想1988.10「ライプニッツ」より

図を単純化すると以下になる。

 
 
             呪詞(唱詞?)  
             (じゅし)
    ___________|___________
   |           |           |
 祝詞(のりと)    鎮護詞(いはひごと)    寿詞(よごと)
<上から下へ>    <上から間接的に下へ>   <下から上へ>
「祝詞は、      「『俺もかうだから、    「寿詞は、
 上から下に対して   お前達も、かうして     下から上に対して云ひ、
 云ふものである」   貰はなければならぬ』」   其と共に、服従を誓ふ」
   |           |           |
女房日記、記紀    ものがたり、歌      歌垣、万葉詞、芸能
   |           |           |
 隠者の文学        浄瑠璃          小説

  上層          中流           下層

  
 
               呪詞(唱詞?)  
             (じゅし)
    ___________|___________
   |           |           |
祝詞(のりと)     鎮護詞(いはひごと)    寿詞(よごと)
   |           |           |
女房日記、記紀    ものがたり、歌      歌垣、万葉詞、芸能
   |           |           |
 隠者の文学        浄瑠璃          小説

  上層          中流           下層

                                  階級 図
呪詞(唱詞)_____祝詞___女房日記、記紀_隠者の文学     上層 左
(じゅし)   | (のりと) <上から下へ>
        |「祝詞は、上から下に対して云ふものである」
        |
        |__鎮護詞__ものがたり、歌______浄瑠璃  中流 中央
        | (いはひごと)<上から間接的に下へ>
        |「『俺もかうだから、お前達も、かうして貰はなければならぬ』」
        |
        |__寿詞___歌垣、万葉詞、芸能_____小説  下層 右
          (よごと)  <下から上へ>
         「寿詞は、下から上に対して云ひ、其と共に、服従を誓ふ」

        
(仏教思想は高層階級に浸透したから図の左下部に位置づけられる。もしヘブライ文字が流入していたのが事実ならやはりこれも左上部に位置づけられるだろう。斜めの線は階級間の交通を意味する。中間の鎮護詞=いわいごとは「自由間接話法」のように階級を越えた主体の生成が可能になるものだと考えられる。)

参考:
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46952_26569.html
呪詞及び祝詞 折口信夫

なお、折口の図は右下に「ぷろれたりあ派の小説」があったり、芸能を含んでいたり、多様な要素を内包していることを追記しておきたい。折口は神道を本質的なものと考えていたが、この図では『古事記』『日本書紀』も相対化されているのだ。


参考:女房文学から隠者文学へ(一元的系図を個別的に転倒させる「発想法」がキーワードとなる折口の論文。連歌から隠者の文学に引かれた図の二番目の赤線に対応する。)


以下、鶴見和子の研究報告より



南方熊楠が記した科学的方法論としての曼荼羅の図**(京都市伏見区、龍谷大研究展示館パドマでの「南方熊楠の森」展から)

(**鶴見和子著『南方熊楠』講談社学術文庫でも紹介されている。)


学問におけるパラダイム転換の新しい風は、中心地からでなく、辺境から吹くのであろうか。

 アメリカのニューイングランドの片田舎にいた科学哲学者パース(1839−1924)は1892年、「必然性再考」という論文を「モニスト」誌に発表した。偶然性と必然性の両方を重視した南方熊楠の曼荼羅論(科学論)に先んじて偶然性の問題を論じている。

 両者の間には、何のかかわりもない。共通するのは、パースはアメリカのニューイングランド、熊楠は日本の紀伊那智という、当時の学問から見ると、まったくの辺境に住んでいたという点だけだ。

 熊楠による学問の方法論「南方曼荼羅」を、図にあらわしたのが、直線と曲線から成り立つこの絵図である。熊楠が土宜法竜に宛てた1903年7月18日付の書簡に書かれている。

 核の周りを動く電子の軌跡のような線と、そこにクロスする直線。熊楠は、すべての現象が1カ所に集まることはないが、いくつかの自然原理が必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることのできる点「萃(すい)点」が存在すると考えた。

 わたしは、南方のこの曼荼羅論を、真言僧の土宜法竜がどのように評価したか知りたいと思っているが、法竜から熊楠に宛た書簡はまだ見つかっていない。

 そこで、法竜が創立した種智院大学の現学長で、曼荼羅の専門家の頼富本宏先生にお会いする機会を得て、うかがってみた。頼富先生は「もともと曼荼羅は、聖界の諸尊の関係をあらわしたもので、熊楠は、聖界の結界を解いて、俗界の現世に通じるものとして曼荼羅を説いた」といわれた。そして熊楠は『閉ざされた曼荼羅から開かれた曼荼羅へ』展開した、と表現された。

 専門家の立場から見れば熊楠の論は逸脱だ、と言われはしないかとおそれていたのだが、この指摘はまことにありがたいことであった。


追記:
折口信夫 日本文学の発生
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/47198_35959.html
「いはひ詞は、霊魂の逸出を防いで安定させる詞である。結局は、まじなひの詞章である。神秘な技術を以て、霊魂を鎮定するのである。威力ある神の発した詞章の力によつて、対者の霊魂を圧する効果を表すのりととは、意義において違つて居る。
かうして見ると、いはひごとがのりとに対するものゝやうに聞えるが、寿詞(ヨゴト)こそ、のりとの対照に立つべきものであつた。寿詞の目的が、非常に延長せられて、鎮魂から、融けあひ、ひき立て、皆此いはひの技術によるものであり、いはひ詞の効果として現れるものである。畢竟霊魂の遊離を防いで、斎(イハ)ひ鎮(シヅ)めるのだから、怒り・嫉みを静平にし、病気を癒し鬱悒を霽らす――霊魂を鎮めることゝ、呪ひを行ふことゝが、一続きの呪術だつたのである。

      神賀詞」

国文学の発生(第四稿)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/47023_39098.html唱導的方面を中心として
折口信夫


+目次

呪言から寿詞へ


参考:
百人一首、歌織物説
http://nam-students.blogspot.jp/2012/02/httpwww8_6191.html