ハイデガー「クーラの神話」『存在と時間』#42
NAMs出版プロジェクト: ケア、クーラの神話:再掲
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第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈にもとづく、気遣いとしての現存在の実存論的な学的解釈の確証
「気遣い」としての現存在の以下のような自己解釈は、或る古い寓話のうちに記されているものである(1)。
カツテくーら〔気遣い〕ハ川ヲ渡ルヤ、粘土ノ土地ヲ見ツケタ。
思イニフケリツツくーらハソノ一塊ヲ取リアゲ、形ヅクリ始メタ。
スデニ作リアゲテシマッタモノニ思イヲメグラシテイル間ニ、ゆぴてるガヤッテ来タ。
ゆぴてるニくーらハ、形ヲエタソノ一塊ノ粘土ニ精神ヲ授ケテクレ、ト願イ、ゆぴてるハヨロコンデソノ願イヲカナエテヤッタ。
トコロガ、ソノ像ニくーらガ自分自身ノ名前ヲツケヨウトシタトキ、
ゆぴてるハソレヲ禁ジテ、自分ノ名前コソソレニ与エラレルベキダ、ト言イハッタ。
くーらトゆぴてるトガ名前ノコトデ争ッテイル間ニ、大地(てるす)モマタ立チアガッテ、
自分ノ身体ノ一部ヲソノ像ニ提供シタカラニハ、自分ノ名前ガソレニツケラレルベキダト望ンダ。
彼ラハさとぅるぬす〔時間〕ニ裁キヲアオギ、彼ハモットモダト思エル次ノヨウナ裁キヲクダシタ。
「ナンジゆぴてるヨ、ナンジハ精神ヲ与エタユエ、コノ像ガ死ヌトキニハ精神ヲ受ケ取リ、
ナンジてるすヨ、ナンジハ身体ヲ授ケタユエ身体ヲ受ケ取ルベシ。
ダガ、くーらハコノモノヲ最初ニ作リアゲタユエ、ソレガ生キテイル間ハ、くーらガソレヲ所有スルガヨイ。
トコロガ、ソノ名前ニツイテナンジラガ争ッテイル以上、
ソレハ明ラカニふーむす(地)カラ作ラレテイルノダカラ、ほも〔人間〕ト名ヅケルガヨカロウ」。
(1)著者は、K・ブールダハの『ファウストと気遣い』という論文をつうじて、現存在を気遣いとして実存論的・存在論的に学的に解釈するための以下のような前存在論的な証例に突き当たったのである。『文芸学と精神史とのためのドイツ季刊誌〔*〕』第一巻(一九二三年)一ページ以下。ブールダハが示しているのは、ゲーテがヒギヌスの寓話二二〇番として伝承されているクーラ寓話をヘルダーから受けついで、彼の『ファウスト』第二部のために改作したということである。とりわけ、前掲論文四〇ページ以下参照。──以下にかかげる原文はF・ビューヘラーの『ライン学報』第四十一巻(一八八六年)五ページに従って引用し、翻訳はブールダハの前掲論文四一ページ以下によっている。 〔*〕「季刊誌」の原語が、第一版、第四版、第七版、第十四版などでは Vierteljahrsschrift、第十五─十七版では Vierteljahresschrift と表記されている。ドイツ語ではいずれの表記も可能。訳文には影響がない。
かつてクーラ〔気遣い〕は川を渡るや、粘土の土地を見つけた。
思いにふけりつつクーラはその一塊を取りあげ、形づくり始めた。
すでに作りあげてしまったものに思いをめぐらしている間に、ユピテルがやって来た。
ユピテルにクーラは、形をえたその一塊の粘土に精神を授けてくれ、と願い、ユピテルはよろこんでその願いをかなえてやった。
ところが、その像にクーラが自分自身の名前をつけようとしたとき、
ユピテルはそれを禁じて、自分の名前こそそれに与えられるべきだ、と言いはった。
クーラとユピテルとが名前のことで争っている間に、大地(テルス)もまた立ちあがって、
自分の身体の一部をその像に提供したからには、自分の名前がそれにつけられるべきだと望んだ。
彼らはサトゥルヌス〔時間〕に裁きをあおぎ、彼はもっともだと思える次のような裁きをくだした。
「なんじユピテルよ、なんじは精神を与えたゆえ、この像が死ぬときは精神を受け取り、
なんじテルスよ、なんじは身体を授けたゆえ身体を受け取るべし。
だが、クーラはこのものを最初に作りあげたゆえ、それが生きている間は、クーラがそれを所有するがよい。
ところが、その名前についてなんじらが争っている以上、
それは明らかにフームス(地)から作られているのだから、ホモ〔人間〕と名づけるがよかろう」。
《「クーラ」の「二重の意味」が指しているのは、被投された企投というその本質上の二重構造をとる一つの根本機構なのである。》
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