『共同幻想論』:再考
参考:
NAMs出版プロジェクト: 親鸞:二双四重の教判
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_22.html
柄谷行人の交換図を参照し、吉本隆明の言説を文字通り単純に当てはめると、
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本は左下に自由を見るが、アソシエーションと区別がつかない。
ハイエクと同じで、資本主義と市場経済の違いがわからないからだ。
対幻想にアソシエーションの可能性*もあったがこれを吉本は家族に回収した。
ヘーゲルではなくカントに依拠するべきだった。
*
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298頁では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
集合的トーテムは世襲
個人的トーテムは個人獲得
性的トーテムは両方
つまり
集合的
個人的 X
本来なら両方の特質をプラスに捉え、アソシエーション=Xを性的トーテムとして考えることもできた。
共同幻想
個人幻想 対幻想
と柄谷の見たて通りに図示することも可能だったのだ。
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本は左下に自由を見るが、アソシエーションと区別がつかない。
ハイエクと同じで、資本主義と市場経済の違いがわからないからだ。
対幻想にアソシエーションの可能性*もあったがこれを吉本は家族に回収した。
ヘーゲルではなくカントに依拠するべきだった。
*
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298頁では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
集合的トーテムは世襲
個人的トーテムは個人獲得
性的トーテムは両方
つまり
集合的
個人的 X
本来なら両方の特質をプラスに捉え、アソシエーション=Xを性的トーテムとして考えることもできた。
共同幻想
個人幻想 対幻想
と柄谷の見たて通りに図示することも可能だったのだ。
(この場合、共同幻想を官僚制とネーションとに分析化する必要がある。しかし吉本の「スターリン主義」といったレッテル貼りがその思考を阻害した。なお花田清輝との論争は単純再生産について理解を深める好機だったが、逸した。)
改訂版:
/非知へ
/親鸞\関係の絶対性
共同幻想 \マルクス
アフリカ\/アジア
ヘーゲル/\共同幻想論 /\古事記
/__\ /__\
/個人幻想\ /\対幻想\
/自然\/__遠野物語\/__\
/\ /\
/__\ 吉本隆明体系 /__\
/\ 詩/\ /マスイメージ
/__\/__\ /__\/__\
/\言語にとって/\ /\心的現象論 /\
/__美とはなにか__\ /__\ /__ライプニッツ
/自己表出\ /指示表出\『胎児の世界』\現代 /ハイイメージ
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
芸術言語論
3分割法は主体性はあるが神秘主義になる
4は主体性は劣るが神秘主義は回避できる
吉本は3
最近の柄谷は4
ラカンのように両者を横断することが神秘主義を回避しつつ
主体性を持つために必要になる論理学の代わりに詩がある。
心的現象論は自然哲学と解釈する。
親鸞を共同幻想論の結論部に恣意的に置いた。《「親鸞」という法号のようなものは、自分でつけたのですが、親鸞の「親」はインドの世親(天親)からとっています。世親は釈迦のあと最も偉大なインドの宗教家で、『浄土論』を書いた人です。つまり浄土門の創始者です。 一方「鸞」の字は中国の曇鸞からとっています。この人は『浄土論』を解説、解釈した『浄土論註』を書いた人です。この二人から一字ずつ取っているのです。ということは、インドの世親から中国の曇鸞を通って、日本の親鸞にきてこれで終わり、ということを意味しています。親鸞は謙虚な人ですから、そうは言っていませんが、密かにそうした自負を抱いていたのだろうと思います。親鸞の主著である『教行信証』を読むと、それがインドと中国のあらゆる浄土系のいいところというか、エッセンスを全部収録して集めてあります。そして、それに対して自分の考え方を述べています。ですから自分が浄土宗の最後の人だという自覚があったのだと思います。 念仏だけでいいという価値観をウソだという人はたくさんいるでしょう。他の宗派のお坊さんもそう言うでしょう。しかし、親鸞の考え方からいえば、とにかく自分は価値観としては最終的なところまで到達したという自負があったのだと思います。》(吉本隆明『今に生きる親鸞』)
親鸞は2or4(二双四重)
NAMs出版プロジェクト: 親鸞:二双四重の教判
/非知へ
/関係の絶対性
/\親鸞/\
『胎児の世界』_\/__\
/\心的現象論 /\
ライプニッツ_\ /__\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
/__\/__\/__\/__\
/\ /マルクス
/__\ 吉本隆明体系 /__\
/\ 詩/\ /共同幻想\
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/\ ヘーゲル/\共同幻想論 /\古事記
/__美とはなにか__\ /__\ /__\
/自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
芸術言語論 自然 遠野物語
/関係の絶対性
/\親鸞/\
『胎児の世界』_\/__\
/\心的現象論 /\
ライプニッツ_\ /__\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
/__\/__\/__\/__\
/\ /マルクス
/__\ 吉本隆明体系 /__\
/\ 詩/\ /共同幻想\
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/\ ヘーゲル/\共同幻想論 /\古事記
/__美とはなにか__\ /__\ /__\
/自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
芸術言語論 自然 遠野物語
3分割法は主体性はあるが神秘主義になる
4は主体性は劣るが神秘主義は回避できる
吉本は3
最近の柄谷は4
ラカンのように両者を横断することが神秘主義を回避しつつ
主体性を持つために必要になる
4は主体性は劣るが神秘主義は回避できる
吉本は3
最近の柄谷は4
ラカンのように両者を横断することが神秘主義を回避しつつ
主体性を持つために必要になる
参考:
[120325][NHK-E]ETV特集「吉本隆明 語る~沈黙から芸術まで~」—优酷网
・ぼくは『言語にとって美とはなにか』の言語概念をどこからつくったかといいますと、やはりマルクスの『資本論』からつくりました。ぼくは、「価値形態」としての「商品」の動き方は、言語の動き方と同じなんだと、考えたのです。そして、ぼくはどこを取ってきたかというと、「使用価値」という概念が、言語における指示性―――ものを指す作用、それから「交換価値」という概念が、「貨幣」と同じで、万人の意識あるいは内面のなかに共通にある働きかけの表現に該当するだろうなと考えたんです。ぼくはそこから、言語における「指示表出」と「自己表出」という概念を、「
出典
言語の本質とは一本の樹に例えると、幹と根は「沈黙」であり、枝や葉そして実とは「コミュニケーションのための言葉」であると。ぼくの言葉で言えば、と吉本さんは続ける。「沈黙」は〈自己表出〉であり、コミュニケーションに用いられる言葉は〈指示表出〉である。そして言葉の本体とはそのふたつが縦糸と横糸として織り合わさったものであると。そしてより重要なのは「沈黙」の方であり、話された言葉はオマケでしかない。
つまりここで吉本さんは言葉の本質を、一般に言われているような、コミュニケーションの手段とすることを否定したのである。
出典
[120325][NHK-E]ETV特集「吉本隆明 語る~沈黙から芸術まで~」—优酷网
小説についてのお話もありました。
コミュニケーションは「指示表出」。
俳句は五・七・五の限られた文字の中に自己表出があって、
小説は、筋として「指示表出」があって、
そこに価値が生まれ、間接的に「自己表出」がされている。
純文学が「自己表出」で、大衆文学が「指示表出」ということのようです。
作家は、読者に読み方を強要することはできない。
そうなると、偶然と偶然がぶつかったとき、
例えば、作品に書かれていたことと、
同じことを読者が考えていたときというような、
そういうときにしか、価値が生まれない。
《(吉本が)「自由、平等、無価値」と言ったのも印象的だった。「芸術言語論」のことを、「自由、平等」と切り出したので、何が続くのかと思いきや、「無価値」ときた。芸術の価値を云々する「芸術言語論」を「無価値」と言うのは、それは吉本さんの自己抑制で、「芸術言語論」といっても何かを強制するものではないし、その世界に入るも入らないも任意であることを指しているのだと思う。作者の真意が分かる分からないが偶然の出会いに左右されるように…》
出典
/////////
非知は無価値を出発点に表出し、他者と出会う。表出は2種に分かれ、縦糸と横糸をなし、それぞれ指示表出は使用価値、自己表出は交換価値に対応する。マルクス的には指示表出は交換価値であるべきだが、吉本の表出論は観念的であり唯物論に対して逆説的なのである。
↑
| 感動詞 助詞 <言語>
| 助動詞
自| 副詞
己| 形容詞
表|
出| 動詞
性|
| 代名詞
|
| 名詞
|______________
指示表出性→
言語にとって美とはなにか1 角川ソフィア文庫70頁、
永遠の吉本隆明 72頁より
自己は自由、指示は平等に対応する。原点に無価値がある。
吉本の観念論にとって他者とはドゥルーズや柄谷行人のような唯物論であるはずだが、微妙にすれ違う。
繰り返しになるが:
柄谷行人の交換図を参照し、吉本隆明の言説を文字通り単純に当てはめると、
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本は左下に自由を見るが、アソシエーションと区別がつかない。
ハイエクと同じで、資本主義と市場経済の違いがわからないからだ。
対幻想にアソシエーションの可能性*もあったがこれを吉本は家族に回収した。
ヘーゲルではなくカントに依拠するべきだった。
*
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298頁では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
集合的トーテムは世襲
個人的トーテムは個人獲得
性的トーテムは両方
つまり
集合的
個人的 X
本来なら両方の特質をプラスに捉え、アソシエーション=Xを性的トーテムとして考えることもできた。
共同幻想
個人幻想 対幻想
と柄谷の見たて通りに図示することも可能だったのだ。
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本は左下に自由を見るが、アソシエーションと区別がつかない。
ハイエクと同じで、資本主義と市場経済の違いがわからないからだ。
対幻想にアソシエーションの可能性*もあったがこれを吉本は家族に回収した。
ヘーゲルではなくカントに依拠するべきだった。
*
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298頁では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
集合的トーテムは世襲
個人的トーテムは個人獲得
性的トーテムは両方
つまり
集合的
個人的 X
本来なら両方の特質をプラスに捉え、アソシエーション=Xを性的トーテムとして考えることもできた。
共同幻想
個人幻想 対幻想
と柄谷の見たて通りに図示することも可能だったのだ。
ただし、品詞分類の図が(上下逆になるなら)修辞学として柄谷行人のいうアソシエーションに対応すると考えられなくもない。
////////
http://matome.naver.jp/odai/2133274922984355801
《(吉本が)「自由、平等、無価値」と言ったのも印象的だった。
「芸術言語論」のことを、「自由、平等」と切り出したので、何が
続くのかと思いきや、「無価値」ときた。芸術の価値を云々する
「芸術言語論」を「無価値」と言うのは、それは吉本さんの自己抑制で、
「芸術言語論」といっても何かを強制するものではないし、その世界に
入るも入らないも任意であることを指しているのだと思う。作者の
真意が分かる分からないが偶然の出会いに左右されるように…》
《(吉本が)「自由、平等、無価値」と言ったのも印象的だった。
「芸術言語論」のことを、「自由、平等」と切り出したので、何が
続くのかと思いきや、「無価値」ときた。芸術の価値を云々する
「芸術言語論」を「無価値」と言うのは、それは吉本さんの自己抑制で、
「芸術言語論」といっても何かを強制するものではないし、その世界に
入るも入らないも任意であることを指しているのだと思う。作者の
真意が分かる分からないが偶然の出会いに左右されるように…》
参考:吉本隆明「自由・平等・無価値」(『芸術言語論』「06表現とは何か」より)
自由と平等は、資本と国家に対応し、博愛の切り捨ては新自由主義についての
現状認識として正しい。ただここから柄谷行人ならアソシエーションの位置を探るが、
吉本は市場経済に全てを委ねてしまう。
_
「「自由・平等・友愛」の理念は、資本制=ネーション=ステートに転化した…。」
(柄谷行人『定本トランスクリティーク』429頁)
「新自由主義では、資本=国家によって、ネーションが犠牲になります。」
(柄谷行人「社会運動」2014.9,119頁)
(柄谷行人『定本トランスクリティーク』429頁)
「新自由主義では、資本=国家によって、ネーションが犠牲になります。」
(柄谷行人「社会運動」2014.9,119頁)
柄谷行人の交換図を参照し、吉本隆明の言説を文字通り単純に当てはめると、
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
_
ただし、自由と平等は吉本にとって、イデオロギーではなく活用し得る重要な概念だ。
例えば以下の図で、自己は自由(文学,芸術)、指示は平等(経済学)に対応し得る。
↑
| 感動詞 助詞 <言語>
| 助動詞
自| 副詞
己| 形容詞
表|
出| 動詞
性|
| 代名詞
|
| 名詞
|______________
指示表出性→
(参照:『言語にとって美とはなにか1』 角川ソフィア文庫70頁、
「永遠の吉本隆明』72頁)
例えば以下の図で、自己は自由(文学,芸術)、指示は平等(経済学)に対応し得る。
↑
| 感動詞 助詞 <言語>
| 助動詞
自| 副詞
己| 形容詞
表|
出| 動詞
性|
| 代名詞
|
| 名詞
|______________
指示表出性→
(参照:『言語にとって美とはなにか1』 角川ソフィア文庫70頁、
「永遠の吉本隆明』72頁)
吉本は自由を重視するが、これは観念論の擁護であるとともに、市場経済の擁護だ。
(市場経済が資本主義と区別されないところが、ハイエクや吉本の欠点だ。)
(市場経済が資本主義と区別されないところが、ハイエクや吉本の欠点だ。)
http://matome.naver.jp/odai/2133274922984355801
《(吉本隆明にとって)言語の本質とは一本の樹に例えると、幹と根は「沈黙」であり、枝や葉そして実とは
「コミュニケーションのための言葉」であると。ぼくの言葉で言えば、と吉本さんは続
ける。「沈黙」は〈自己表出〉であり、コミュニケーションに用いられる言葉は〈指示
表出〉である。そして言葉の本体とはそのふたつが縦糸と横糸として織り合わさったもの
であると。そしてより重要なのは「沈黙」の方であり、話された言葉はオマケでしかない。
つまりここで吉本さんは言葉の本質を、一般に言われているような、コミュニケーシ
ョンの手段とすることを否定したのである。》
(出典吉本隆明「芸術言語論 −沈黙から芸術まで−」: パラレル・パラソル)
「コミュニケーションのための言葉」であると。ぼくの言葉で言えば、と吉本さんは続
ける。「沈黙」は〈自己表出〉であり、コミュニケーションに用いられる言葉は〈指示
表出〉である。そして言葉の本体とはそのふたつが縦糸と横糸として織り合わさったもの
であると。そしてより重要なのは「沈黙」の方であり、話された言葉はオマケでしかない。
つまりここで吉本さんは言葉の本質を、一般に言われているような、コミュニケーシ
ョンの手段とすることを否定したのである。》
(出典吉本隆明「芸術言語論 −沈黙から芸術まで−」: パラレル・パラソル)
有節音声 対
_______→ 象
↗︎↑\ |像
/ | \ |
/ |自 \ |
/ |己 \ |
/ |表 \ |
/ |出 \ |
/ 指示表出 | \ |現
○/_______| ↘︎|実
意 対
識 象
『言語にとって美とはなにか』(1965)
鴎外半日
漱石三四郎、先生の夢
言語
コミュニケーションと非コミュ、精神構造、事態の本質
芸術+言語
横光利一再評価、自己と指示、唯一の総合を試みた作家
太宰治、反語的に芸術の価値、考えたことがない
[120325][NHK-E]ETV特集「吉本隆明 語る~沈黙から芸術まで~」—在线播放—优酷网,视频高清在线观看
http://v.youku.com/v_show/id_XMzczMTQyMTE2.html?x
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298頁では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
集合的トーテムは世襲
個人的トーテムは個人獲得
性的トーテムは両方
つまり
集合的
個人的 X
本来なら両方の特質をプラスに捉え、アソシエーション=Xを性的トーテムとして考えることもできた。
共同幻想
個人幻想 対幻想
と柄谷の見たて通りに図示することも可能だったのだ。
(この場合、共同幻想を官僚制とネーションとに分節化する必要がある。
しかし吉本の「スターリン主義」といったレッテル貼りがその思考を阻害した。
なお花田清輝との論争は単純再生産について理解を深める好機だったが、逸した。)
吉本隆明にとって平等(糸井重里の言葉なら「平ら」)は、市井の感覚としてあり、それは過去の文学作品に適応させられる。しかし十分に概念化されたとは言えない。歴史的には柄谷行人のくじ引き活用説を待たなければならなかった。
atプラス21、22頁以降で柄谷行人はピケティとの類似に関する質問に答えている。柄谷は循環を、ピケティはアップダウンはあったが歴史を通じて経済格差傾向が続いて来たことを強調する。中国語原文↓のはずだがピケティについての記述はない。 http://www.dfdaily.com/html/150/2014/7/25/1169635.shtml
/非知へ(死or胎児へ)
/関係の絶対性
/\現在/\
芸術言語論_\/_親鸞
/\心的現象論 /\
/__\ /__\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
/__\/__\/__\/__\
/\ /マルクス
/__\ 吉本隆明体系 /__\
/\ 詩/\ /共同幻想\
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/\ ヘーゲル/\共同幻想論 /\古事記
/__美とはなにか__\ /__\ /__\
/自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
『胎児の世界』 自然 遠野物語
/関係の絶対性
/\現在/\
芸術言語論_\/_親鸞
/\心的現象論 /\
/__\ /__\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
/__\/__\/__\/__\
/\ /マルクス
/__\ 吉本隆明体系 /__\
/\ 詩/\ /共同幻想\
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/\ ヘーゲル/\共同幻想論 /\古事記
/__美とはなにか__\ /__\ /__\
/自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
『胎児の世界』 自然 遠野物語
「個体発生は系統発生を繰り返す」(ヘッケル)
吉本隆明が私淑した三木成夫(『胎児の世界』他)はヘッケルのアイデアをさらに発展させた。
参考:
Haeckel=Freud
http://nam-students.blogspot.jp/2010/11/haeckelfreud.html
NAMs: Transmutation of Species (1837)ダーウィン
/非知へ(胎児へ)
/芸術言語論
心的現象論序説\現在/\
『胎児の世界』\/_親鸞(悪、死)
/\心的現象論 /\
/__\ /__\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
/__\/__\/__\/__\
/\ /マルクス
/__\ 吉本隆明体系 /__\
/\ 詩/\ /共同幻想\
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/\ ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
/__美とはなにか__\ /__\ /__\
/自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
胎児の世界 海 自然 遠野物語
/芸術言語論
心的現象論序説\現在/\
『胎児の世界』\/_親鸞(悪、死)
/\心的現象論 /\
/__\ /__\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
/__\/__\/__\/__\
/\ /マルクス
/__\ 吉本隆明体系 /__\
/\ 詩/\ /共同幻想\
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/\ ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
/__美とはなにか__\ /__\ /__\
/自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
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胎児の世界 海 自然 遠野物語
吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/yoshimoto_voice/index.html
吉本隆明さんの1964年から2008年までの
183回の講演、合計21,746分の音声を
2014年12月より順次公開していきます。
すべての講演を、無期限、無料で、
聞いていただけるようにします。
「ほぼ日」が音声を文字に起こした講演は、
そのテキストデータもフリー公開します。
どうぞ楽しみにお待ちください。
183回の講演、合計21,746分の音声を
2014年12月より順次公開していきます。
すべての講演を、無期限、無料で、
聞いていただけるようにします。
「ほぼ日」が音声を文字に起こした講演は、
そのテキストデータもフリー公開します。
どうぞ楽しみにお待ちください。
/非知へ(胎児へ)
/芸術言語論
/\現在/\
心的現象論\/_親鸞(悪、死)
/\心的現象論 /\
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ハイイメージ\現代 /マスイメージ
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/\ /マルクス
/__\ 吉本隆明体系 /__\
/\ 詩/\ /共同幻想\
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/\ ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
/__美とはなにか__\ /__\ /__\
/自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
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胎児の世界 海 自然 遠野物語
/芸術言語論
/\現在/\
心的現象論\/_親鸞(悪、死)
/\心的現象論 /\
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ハイイメージ\現代 /マスイメージ
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/\ /マルクス
/__\ 吉本隆明体系 /__\
/\ 詩/\ /共同幻想\
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/\言語にとって/\ ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
/__美とはなにか__\ /__\ /__\
/自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
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胎児の世界 海 自然 遠野物語
《共同幻想も人間がこの世界でとりうる態度がつくりだした観念の形態である。〈種族の父〉(Stamm-vater)も〈種族の母〉(Stamm-mutter)も〈トーテム〉も、たんなる〈習俗〉や〈神話〉も、〈宗教〉や〈法〉や〈国家〉とおなじように共同幻想のある表われ方であるということができよう。人間はしばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在である。共同幻想もまたこの種の負担のひとつである。だから人間にとって共同幻想は個体の幻想と逆立する構造をもっている。そして共同幻想のうち男性または女性としての人間がうみだす幻想をここではとくに対幻想とよぶことにした。いずれにしてもわたしはここで共同幻想がとりうるさまざまな態様と関連をあきらかにしたいとかんがえた。 》

/非知へ(胎児へ)
マルクス_親鸞(悪、死)
/共同幻想\
アフリカ\/アジア
ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
/__\ /__\
/個人幻想\ /\対幻想\
/自然\/__\/遠野物語__\
/\ /\
/__\ 吉本隆明体系 /芸術言語論
マスイメージ\ /\ 詩/\
/__\/__\ /__\/__\
/\心的現象論 /\ /\言語にとって/\
/__\ /__\ /__美とはなにか__\
心的現象論\ ハイイメージ\ /自己表出\ /指示表出\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
マルクス_親鸞(悪、死)
/共同幻想\
アフリカ\/アジア
ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
/__\ /__\
/個人幻想\ /\対幻想\
/自然\/__\/遠野物語__\
/\ /\
/__\ 吉本隆明体系 /芸術言語論
マスイメージ\ /\ 詩/\
/__\/__\ /__\/__\
/\心的現象論 /\ /\言語にとって/\
/__\ /__\ /__美とはなにか__\
心的現象論\ ハイイメージ\ /自己表出\ /指示表出\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
胎児の世界 海
《言語の表現としての芸術という視点から文学とはなにかについて体系的なかんがえをおしすすめてゆく過程で、わたしはこの試みには空洞があるのをいつも感じていた。ひとつは表現された言語のこちらがわで表現した主体はいったいどんな心的な構造をもっているのかという問題である。もうひとつは、いずれにせよ、言語を表現するものは、そのつどひとりの個体であるが、このひとりの個体という位相は、人間がこの世界でとりうる態度のうちどう位置づけられるべきだろうか、人間はひとりの個体という以外にどんな態度をとりうるものか、そしてひとりの個体という態度は、それ以外の態度とのあいだにどんな関係をもつのか、といった問題である。》『共同幻想論』序
/非知へ(胎児へ)
言語芸術論
/\現在/\
終戦1945年\/_親鸞(悪、死)
/\言語芸術論 /\
/__\ /__\ 言語芸術論
/\現在/\
終戦1945年\/_親鸞(悪、死)
/\言語芸術論 /\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
/__\/__\/__\/__\
/\ /マルクス
/ \ 吉本隆明体系 /__\
/指示表出\ /共同幻想\
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/詩 ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
フロイト_美とはなにか__\ /__\ /__\
/心的現象論 /自己表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
/胎児の世界_\/_海\/__\/__\/__\遠野物語/__\
/非知へ(胎児へ)
/ \
/\現在/\
終戦1945年\/_関係の絶対性
/\イメージ論 /\
/__\ /__\ / \
/\現在/\
終戦1945年\/_関係の絶対性
/\イメージ論 /\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
/__\/__\/__\/__\
言語芸術論 /マルクス
/ \ 吉本隆明体系 /国家、宗教(親鸞)
/指示表出\ /共同幻想\
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/詩 ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
フロイト_美とはなにか__\ /__\ /__\
/心的現象論 /自己表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
/胎児の世界_\/_海\/__\/__\/__\遠野物語/__\
/非知へ(胎児へ)
/ \
/\現在/\
終戦1945年\/_状況論
/\イメージ論 /\
/__\ /__\ / \
/\現在/\
終戦1945年\/_状況論
/\イメージ論 /\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
/__\/__\/__\/__\
言語芸術論 /関係の絶対性
/小説\ 吉本隆明体系 国家、宗教(マチウ書誌論、親鸞)
/指示表出\ /共同幻想\マルクス
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/詩 ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
フロイト_美とはなにか__\ /__\ /__\
/心的現象論 /自己表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
/胎児の世界_\/_海\/__\/__\/__\遠野物語/__\
/非知へ(胎児へ)
/__\
/\現在/\
終戦1945年\/_状況、親鸞(死、永遠)
/\イメージ論 /\
ライプニッツ_\ /_歌謡曲 /__\
/\現在/\
終戦1945年\/_状況、親鸞(死、永遠)
/\イメージ論 /\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
/__\/__\/__\/__\
/小説 /関係の絶対性、母型論
言語芸術論 吉本隆明体系 国家、宗教(マチウ書試論)
/指示表出\ /共同幻想\マルクス
古典経済学_\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/詩 ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
フロイト_美とはなにか__\ /__\ /__\
/心的現象論 /自己表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
/胎児の世界_\/_海\/__\/__\/__\遠野物語/__\
非知?:
http://nam-students.blogspot.jp/2014/03/blog-post_11.html
http://nikkidoku.exblog.jp/17206861/
週刊新潮・平成24年1月5・12日新年特別号に掲載されたを記事を、雑誌から全文書き起こし
(編集側の見出しや文章の間に挟んであるコメントは省き、写真も雑誌掲載とは異なります)、
その他の新聞掲載もまとめました。
http://nikkidoku.exblog.jp/17206861/
週刊新潮・平成24年1月5・12日新年特別号に掲載されたを記事を、雑誌から全文書き起こし
(編集側の見出しや文章の間に挟んであるコメントは省き、写真も雑誌掲載とは異なります)、
その他の新聞掲載もまとめました。
断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明(本論――「史観の拡張 アフリカ的段階」論 その2)
http://christianity-church-barth.undo.jp/category51/entry208.html4)日本や欧米の先進資本主義国は、歴史の必然として農業は限りなくゼロに近づいていく。そこに資本主義の終焉がある。と同時に経済学の公理として、「天然自然を相手」にする第一次産業はいつまでも貧困から脱出することはできない。したがって、先進資本主義国は「第三世界と、アジアのある一部」に「農産物担当地域」になってもらうほかはなくなる。このとき、農業ゼロの先進資本主義地域は、農業担当地域に対して物・貨幣・信用等を無償贈与するしかない。またこのとき、交換価値という概念は終焉し、「モースのいうような、未開の原始社会での贈与」とは異なる、「高度に意識された」新たな贈与価値論が必要となる。すなわち、それは、等価交換価値論を包括し止揚したところに想定される高次の贈与価値論である(吉本隆明『マルクス――読みかえの方法』1995年2月,深夜叢書社、「消費資本主義の終焉から贈与価値論へ」202頁)。逆の場合も考えられる。「対外債務の返済がまったく不可能な国(地域)と、不可能とはいえぬまでも、とても困難にみえる国(地域)に対して」「高次産業国」は、「資金供給を、贈与または贈与に近い形で実施するほかにありえない」。この贈与の概念は、「一時的なものと永続的なもの」としてある。産業の高次化とさらなる文明化が進めば、「原始的な贈与」の概念は「高次な反復概念として蘇」えざるを得ない(吉本隆明『母型論』1995年11月,学習研究社、「定義論1」160頁)。
追記:
吉本が広げた風呂敷を柄谷が閉じたと言えよう。基本アイデアの素材だけは吉本にすでにある。交換様式という柄谷の着想を待たなければならなかった。
/非知へ(胎児へ)
/__\
言語芸術論\現在/\
終戦1945年\/_状況、親鸞(死、永遠)
/\イメージ論 /\
ライプニッツ_\ /_歌謡曲 /__\
言語芸術論\現在/\
終戦1945年\/_状況、親鸞(死、永遠)
/\イメージ論 /\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
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/小説 /関係の絶対性、母型論
/ \ 吉本隆明体系 国家、宗教(マチウ書試論)
/指示表出\ /共同幻想\マルクス
古典経済学_\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/詩 ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
フロイト_美とはなにか__\ /__\ /__\
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/非知へ(胎児へ)
/母型論(未来)
言語芸術論\現在/\
終戦1945年\/_状況、親鸞(死、永遠)
/\イメージ論 /\
ライプニッツ_\ /_歌謡曲 /母型論(未来)
言語芸術論\現在/\
終戦1945年\/_状況、親鸞(死、永遠)
/\イメージ論 /\
ハイイメージ\現代 /マスイメージ
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/小説 /関係の絶対性
/ \ 吉本隆明体系 国家、宗教(マチウ書試論)
/指示表出\ /共同幻想\マルクス
古典経済学_\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/詩 ヘーゲル\共同幻想論 /古事記
フロイト_美とはなにか__\ /__\ /__\
/心的現象論 /自己表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
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吉本隆明&柄谷行人体系:
序文_『世界史の構造』&『共同幻想論』の構造_
| | |2(氏族社会)1 |
| 1国家 |3世界帝国|贈与と呪術| 定住革命|
| 第2部ギリシア| 第1部 |
|___共同幻想____|____対幻想____|
| (B)マチウ書試論| (A) |
マスイメージ| 親鸞 | 母型論 |序説 |
|2世界貨幣|4普遍宗教| |交換様式論|↑
|_____|_____|_____|_____|指示表出(平等)
| |3 | | |
|1近代国家|ネーション| |心的現象論|
| 第3部 | 第4部 |
|___個人幻想____|言語にとって美とはなにか
| (C)4 |1 (D) 2 |
|2産業資本|アソシエー|世界資本主|世界 |
|言語芸術論|ショニズム|義の段階と|共和国へ |
|_____|_____ハイイメージ|_____|↑
←自己表出 ←意識
(自由)
序文_『世界史の構造』&『共同幻想論』の構造_
| | |2(氏族社会)1 |
| 1国家 |3世界帝国|贈与と呪術| 定住革命|
| 第2部ギリシア| 第1部 |
|___共同幻想____|____対幻想____|
| (B)マチウ書試論| (A) |
マスイメージ| 親鸞 | 母型論 |序説 |
|2世界貨幣|4普遍宗教| |交換様式論|↑
|_____|_____|_____|_____|指示表出(平等)
| |3 | | |
|1近代国家|ネーション| |心的現象論|
| 第3部 | 第4部 |
|___個人幻想____|言語にとって美とはなにか
| (C)4 |1 (D) 2 |
|2産業資本|アソシエー|世界資本主|世界 |
|言語芸術論|ショニズム|義の段階と|共和国へ |
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