金曜日, 1月 31, 2020

2020/1 Economist Stephanie Kelton on Trillion Dollar Deficits, Modern Monetary Theory - Bloomberg

Economist Stephanie Kelton on Trillion Dollar Deficits, Modern Monetary Theory - Bloomberg
https://www.bloomberg.com/news/videos/2020-01-30/u-s-can-run-deficits-much-bigger-than-1-trillion-economist-kelton-video

08:30

火曜日, 1月 28, 2020

ハマスホイとドライヤー Hammershøi i Dreyer






Vilhelm Hammershoi 1864-1916: Danish Painter of Solitude and Light (Guggenheim Museum Publications)
Vilhelm Hammershoi, Robert Rosenblum他 | 1998/9/1
5つ星のうち5.0 1

http://opac.nmwa.go.jp/detail?bbid=0000037921

https://yma.opac.jp/opac/Holding_list/search?rgtn=400007840
https://www.tobikan.jp/guide/artlibrary.html
http://jmapps.ne.jp/tobikan_opac/det.html?data_id=72184
Vilhelm Hammershøi, 1864-1916 : Danish painter of solitude and light 著者名 [curated by] Anne-Birgitte Fonsmark, Mikael Wivel ; in collaboration with Henri Loyrette, Robert Rosenblum 著者名カナ Fonsmark, Anne-Birgitte Wivel, Mikael Loyrette, Henri Rosenblum, Robert 発行所 Ordrupgaard ; Guggenheim Museum 発行年 1998 形態 191 p. : ill. (some col.), ports. ; 29 cm. 注記 English ed. Catalog of the exhibition held at Ordrupgaard, Copenhagen, Aug. 15-Oct. 19, 1997, Musée d'Orsay, Paris, Nov. 18, 1997-Mar. 2, 1998 and Solomon R. Guggenheim Museum, New York, June 19-Sept. 7, 1998 資料ID 72184 分類記号1 28 分類記号2 De 分類記号3 98 所在 開架


Poul,Vad ポール・ヴァズ序文1997が比較の嚆矢




¥27,250 (5点の中古品と新品)






____
Annette Rosenvold Hvidt om Vilhelm 

Hammershøi - På sporet af det åbne bi...
https://youtu.be/h8t8VXzQB-I





Hammershøi i Dreyer / [commissariat, Anne-Birgitte Fonsmark ... [et al.] ; catàleg, coordinació, Marina Palà ; coordinació de textos, Rosa Puig] ★
出版事項
Barcelona : Centre de Cultura Contemporània de Barcelona : Diputació Barcelona , c2007
Catalan and English. 注記    36 col. pls. 49 figs. VOL    [ISBN]9788498031386 VOL    [ISBN]8498031389
http://opac.nmwa.go.jp/detail?bbid=0000043121

及びその英語版
Hammershøi, Dreyer : the magic of images / [editor, Annettte Rosenvold Hvidt ; authors, Jordi Balló ... [et al.]]
出版事項 Copenhagen : Ordrupgaard , c2006 形態 131 p. : ill. (some col.) ; 25 x 25 cm. 注記 Published on the occasion of an exhibition held at Ordrupgaard, Copenhagen, Sept. 1, 2006-Jan. 7, 2007 and at the Centre de Cultura Contemporània, Barcelona, Jan. 24-May 1, 2007. 注記 Includes bibliographical references (p. 128-130). 注記 55 figs., 41col. pls. VOL [ISBN]9788788692556
http://opac.nmwa.go.jp/detail?bbid=0000043576
(頁数は少ないが図版は多い。本の完成度はカタラン語版が上)

浅野 信二 (@asano_shinji)
⁦‪@dempow‬⁩ !まさにそのものズバリの本が手許にあります。西語なので中身全然分かりませんが…恐らくドライヤーの映像にハンマースホイの影響を見る様な感じでしょうか…? pic.twitter.com/mLkCBh3577

https://twitter.com/asano_shinji/status/1222829817646612480?s=21


ドライヤー
ORDET---EMOTION PURE
https://youtu.be/jMW1qYuLrxk



Gertrud final scene
https://youtu.be/7m6gPBen4cs





ドライヤーは1958年3月11日ハマスホイと共にホイッスラーの影響を手紙に書いている
★p.27,35,137,145



ホイッスラー『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』1871年 オルセー美術館

Praesidenten, C. Th. Dreyer  - 1919 -

カール・テオドア・ドライヤー









カール・テオドア・ドライヤー (Carl Theodor Dreyer1889年2月3日 - 1968年3月20日) は、デンマーク映画監督

生涯









出生の秘密

1889年2月3日コペンハーゲンで生まれた。父はスウェーデン在住のデンマーク人、母はスウェーデン人。父は富裕な地主で、母はその家の女中であった。カールは私生児として生まれ、すぐに乳児院に預けられた。いくつかの施設を転々とした後、翌1890年にコペンハーゲンの植字工ドライヤー家の養子となった。養家はカールに対して極めて厳格であった。ドライヤーは次のように後述している。「彼らはわたしが飢えないでいることを感謝するよう絶えず強要した。厳密に言えば、わたしには何も要求する権利がないこと、わたしの生母はその死によって養育費の支払を免れ、結果的に彼らを騙したのだから、と」[1]。その後、17歳の時に事務員の仕事を見つけ、ドライヤー家を出た。以後、養家には二度と足を踏み入れることはなかった。

ドライヤーは18歳の時、生みの母であるヨセフィーナ・ニルソンの運命と自身の出生の秘密を探り当てた。ヨセフィーナの妊娠発覚後、父とその一族は彼女にスウェーデンを離れ、秘密裏にデンマークで出産することを強制した[1]。ヨセフィーナはカールを出産した後にスウェーデンに戻ったが、別の男性との間に再び男児を身ごもった。相手の男性に結婚を拒否されると、彼女は硫黄を使った民間療法中絶を試み、貧困と孤独の中、硫黄の過量摂取による中毒で死亡した。不幸にまみれた母の死を知ったドライヤーは、男性や権力者の欺瞞によって生まれる社会の抑圧と不寛容が母を死に追いつめたと悟った。母とドライヤー自身の運命を決定づけた「社会の抑圧と不寛容」というテーマは、その後の作品に色濃く反映され、繰り返し描かれることになった。また、ドライヤーは自身の出生について多くを語ることはなかった。

映画への傾倒

ドライヤーはその後、ジャーナリストに転身。新聞に演劇評などを寄稿した。また、当時世間の大きな話題となっていた航空機に興味を持ち、報道記事だけでなく自らも気球の飛行に積極的に参加した。この時期に『怒りの日』や『奇跡』の原作となった戯曲の舞台を演劇評論家として鑑賞した。また、裁判記事も執筆し、毎日のように裁判所に通った。これによって中産階級の人々を知るようになった。
ドライヤーの関心は次第に映画へと傾き、ジャーナリストとして映画批評を執筆する傍ら、デンマークの映画会社ノーディスク・フィルムで働くようになった。ここで編集サイレント映画字幕の挿入を行い、映画技術を学んだ。これらの仕事についてドライヤーは「その仕事はまさに、素晴らしい学校のようなものでした。(中略)私はその学校で五年間学んだのです。私は今では自分の映画を、撮影がなされるつど、頭のなかで編集してゆきます。編集は演出の一部分をなしているのです。」[2]と述懐している。その後、脚本の執筆も行うようになり、1918年に第1作『裁判長』の製作に着手。翌1919年に同作を完成させた。

様々な国での映画製作

3作目の『サタンの書の数頁』(1920年)以降、ドライヤーは不況と映画界の凋落を招いていたデンマークを離れ、ヨーロッパの様々な国を渡り歩いた。これにより、これ以後に製作した『不運な人々』(1922年)はドイツ、『むかしむかし』(1922年)はスウェーデン、『グロムダールの花嫁』(1926年)はノルウェーと作品ごとに製作会社が変わるという事態に見舞われた。当時の世界の映画界はハリウッドスタジオ・システムに見られるように特定のスタジオと独占契約を結び、同じようにそのスタジオと契約しているスタッフや俳優と一つのグループを形成しながらそのスタジオの希望に添うような作品を作り続けることが常識であった。ドライヤーはそのような常識から逸脱した状況での映画製作を余儀なくされた。
このような状況の中、1924年にドイツで製作した画家を主人公にした『ミカエル』で耽美性を極め、翌1925年にデンマークに帰国して製作したある一家を描いた室内劇『あるじ』で興行的な成功を収めた。これによってフランスのソシエテ・ジェネラール・ドゥ・フィルム社から歴史劇の製作を依頼され、マリー・アントワネットカトリーヌ・ド・メディシスジャンヌ・ダルクの3つの企画案からジャンヌ・ダルクの異端審問火刑までを実際の裁判記録に沿って描く伝記映画に着手。1928年に『裁かるるジャンヌ』を発表した。1932年には自身初のトーキーとなった『吸血鬼』をフランスとドイツで製作。しかし、これらの作品は現在ではドライヤーの代表作として知られるが、当時は興行的には失敗に終わった。『裁かるるジャンヌ』はオリジナルネガが火事で消失し、その後に未使用のネガを再編集して製作した第2版も火事で消失するなど不運に見舞われた。また、『吸血鬼』では配給会社がナレーションを加えた上に全体を短縮し、ドライヤーを失望させた。
その後は『怒りの日』(1943年)、『奇跡』(1955年)、『ゲアトルーズ』(1964年)とほぼ10年に1作品のペースでの製作を余儀なくされた。しかし、『奇跡』はヴェネツィア国際映画祭金獅子賞ゴールデングローブ賞外国映画賞を受賞。『ゲアトルーズ』もヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞するなど、いずれの作品も国際的に高く評価された。

実現しなかった企画

1968年3月20日の明け方、ドライヤーはコペンハーゲンの病院内で79歳で死去した。晩年、ドライヤーはキリストの生涯とエウリピデスの戯曲『メディア』の映画化の2つの企画を進めており、「キリストについての映画によって、それにまた『メディア』によって、悲劇に到達したいと考えています」と語っていたが[2]、これらの企画が実現することはなかった。また、ユージン・オニールウィリアム・フォークナーの作品の映画化をアメリカで行うことも望んでいた[2]。ドライヤーは『ゲアトルーズ』の製作時からカラー映画の研究を行っており、これらの企画においてそれが実行される予定であった。

名前の表記









裁かるるジャンヌ』の製作国がフランスであったため、作品が日本に輸入された際、フランス語読みのカール・テオドール・ドライエル、またはドレイエルという表記で紹介され、これが広く知られるようになった。その後、デンマーク語の発音に近いカール・テオドア・ドライヤー、またはカール・Th・ドライヤーと改められて表記されるようになった[注 1]

作風









生涯で14本の長編映画を監督し、いずれの作品も神秘性リアリズムを併せ持つとされる。また、女性が主役の作品が多く、その中で彼女たちは女性の意志や表現を抑圧しようとする社会秩序に対して果敢に闘いを挑もうとするのが特徴である。
長編作品は脚色ものが多く、中でも戯曲の脚色が多数を占めている。台詞を圧縮して純化することにより、必要不可欠な言葉だけで構成し直すのがドライヤーの脚色法であった。ドライヤーは「台詞はいわばクローズアップで提示されるべき」だと考え[2]、本質的なもの以外の装飾を帯びた演劇的な台詞を削り取った。また、これはカットの連続性を損なわないためでもあった。
ドライヤーは固定のスタイルを持たないことでも知られ、常にその作品一本にしか有効ではないスタイルを探し求めた。例えば、『吸血鬼』ではどのカットを撮影する時もレンズに不自然な光を入り込ませるためにスポットライトを幕に当て、その反射光がカメラに向かうように細工して灰色の画面を作り出し[2]、さらにラストには白い光も加えて、それをもとに作品のスタイルを形作っていった。撮影前に行なわれる入念なリハーサルやカメラマンとの綿密な打ち合わせ、舞台装置の作成への積極的な関与など、画面を構成する要素の全てをコントロールすることを望んでのことであった。ドライヤーは度々誤解されるが、1シーン1カットのみの監督ではなく、モンタージュ派でもないとされる。作品や主題、アクションにおいて何をどのように表現するのか、あらゆる可能性を追求し続けたと言われている。このことについてドライヤーは「自分をある一定のフォルムに、ある一定のスタイルに限定してしまうというのは、きわめて危険なことなのです」と語った[2]

影響









未完に終わった『メディア』の脚本は同じデンマーク出身のラース・フォン・トリアーによって1988年テレビ映画として製作された。また、ピエル・パオロ・パゾリーニはドライヤーが生前に企画していたキリストに関する映画と『メディア』の映画化をそれぞれ『奇跡の丘』(1964年)、『王女メディア』(1969年)として実現した。
ジャン=リュック・ゴダールは『女と男のいる舗道』(1962年)の中で、アンナ・カリーナ演じる主人公ナナが映画館で鑑賞する映画として『裁かるるジャンヌ』を引用した。
ジャン=マリー・ストローブは「最終的にドライヤーがカラー作品を撮ることができなかったこと(彼は二十年以上もカラー作品を撮ろうと考えていたのだ)やキリストについての作品を撮れなかったという事実(国家や反ユダヤ主義の起源に対する崇高なる反抗)は、我々がカエルの屁ほども価値がない社会に生きているのだということを思い知らせる」と述べた[3]
フランソワ・トリュフォーはドライヤーへの追悼文の中で「カール・テホ・ドライヤーはこの世を去って、映画の最初の世代の王様たち、まず最初に沈黙を、ついで言葉を制御した偉大な映画作家たちの世代のあとを追ってその列に加わったのである」と語った。[4]

監督作品









長編

  • 裁判長 Præsidenten (1919年)
  • 牧師の未亡人 Prästänkan (1920年)
  • サタンの書の数頁 Blade af Satans bog (1920年) 別題『サタンの書の数ページ』
  • 不運な人々 Die Gezeichneten (1922年)
  • むかしむかし Der var engang (1922年)
  • ミカエル Michael (1924年)
  • あるじ Du skal ære din hustru (1925年)
  • グロムダールの花嫁 Glomdalsbruden (1926年)
  • 裁かるるジャンヌ La Passion de Jeanne d'Arc (1928年) 別題『裁かるゝジャンヌ』
  • 吸血鬼 Vampyr (1932年) 別題『ヴァンパイア』
  • 怒りの日 Vredens dag (1943年)
  • 二人の人間 Två människor (1945年)
  • 奇跡 Ordet (1955年) 別題『奇跡 (御言葉)』
  • ゲアトルーズ Gertrud (1964年) 別題『ガードルード』

短編

  • 母親支援 Mødrehjælpen (1942年)
  • 田舎の水 Vandet på landet (1946年)
  • 村の教会 Landsbykirken (1947年)
  • 癌との戦い Kampen mod kræften (1947年)
  • 彼らはフェリーに間に合った De nåede færgen (1948年)
  • トーヴァルセン Thorvaldsen (1949年)
  • ストーストレーム橋 Storstrømsbroen (1950年)
  • 城の中の城 Et Slot i et slot (1954年)

参考文献









  • ジョルジュ・サドゥール 『カール・ドライヤーの展開』 (『世界映画史 12』図書刊行会、2000年)

脚注










注釈

  1.  『フィルムセンター』51「デンマーク映画の史的展望」(東京国立近代美術館フィルムセンター/1979)には次のようにある。「この資料中のデンマーク人の人名や地名は、在日デンマーク大使館のベント・リンドブラード書記官の協力を得て、なるべく原音に近く表記した。そのうち、旧来の慣例といちじるしく違うものはつぎのとおりである。旧)カール・テオドル・ドレイエル、新)カール・テオドア・ドライヤー」

出典

  1. a b 「異端者 魔女 聖者 罪人 Heretics, Witches, Saints, and Sinners 」ユッテ・イェンセン Jytte Jensen、NFC Newsletter 2003 No.51
  2. a b c d e f 「カール・Th・ドライヤーに聞く」ミシェル・ドラエ(『作家主義』奥村昭夫訳、リブロポート、1985)
  3.  ジャン=マリー・ストローブ 「カール・ドライヤーについて」 坂本安美訳 『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン No.22』1977年
  4.  フランソワ・トリュフォー 「カール・テホ・ドライヤーの白のイメージ - 崇高なまでの美しさに達した映像」 山田宏一蓮実重彦訳『キネマ旬報754号』1979年

外部リンク















https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%
83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%
B9%E3%83%9B%E3%82%A4

ヴィルヘルム・ハンマースホイ - Wikipedia

ハンマースホイは1864年、コペンハーゲン
の裕福な家庭に生まれる。1872年、8歳の時から個人レッスンでデッサンを学び始め、1879年からはコペンハーゲンのデンマーク王立美術院で学ぶ。
1885年、21歳の時、妹のアナを描いた『若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ』を王立美術アカデミーの展覧会に出品するが、アカデミーの授与するノイハウスン賞に落選したことで当時の美術家の間に物議を醸し話題となる。『若い女性の肖像』は、黒と灰色を主調としたモノトーンに近い色彩、曖昧な空間表現、自由なタッチなどが当時のアカデミーの趣味に合致しなかったものである。
1888年にはコペンハーゲンの歯科医で美術コレクターでもあったアルフレズ・ブラムスンが初めてハンマースホイの作品を購入。以後、ブラムスンはハンマースホイのコレクター・後援者として、生涯にわたり画家を支援した。ブラムスンは画家の生前にいくつかの展覧会を組織し、画家の没後には作品目録の作成や伝記執筆を行っている。
1891年にはアカデミーで知り合った画家ピーダ・イルステズの妹のイーダと結婚。彼女の姿はハンマースホイの多くの室内画に登場する。ハンマースホイはイーダとともに1898年から1909年までコペンハーゲン、ストランゲーゼ30番地のアパートで暮らし、その室内風景を多く描いた。この30番地のアパートは所有者が変更したため1909年に引き払い、1913年には筋向いのストランゲーゼ25番地に移っている。
1908年にデンマーク王立美術院の総会会員に就任し、1910年には同評議員になる。1911年、ローマで開かれた国際美術展で第一等を獲得。1910年代に入ってヨーロッパ各国で個展が開かれるようになり、評価が進んだ。
1916年にコペンハーゲンで咽頭癌で死去。晩年のハンマースホイは病弱で、1914年に母を亡くしたショックもあり、この頃の作品には未完成のまま筆を置いたものが多い。死の前年の1915年には遺作となった『室内、ストランゲーゼ25番地』という1枚の絵を制作したのみであった。












ハンマースホイの絵画の大部分は室内風景画である。なかでも、1898年から1909年まで暮らしたコペンハーゲン、ストランゲーゼ30番地のアパートの室内を描いたものが多い。このアパートで制作された室内画には同じ部屋が繰り返し描かれ、アパートのどの部屋のどの位置から描かれたかが正確に特定できる。また、同じピアノ、テーブル、椅子、磁器製のパンチボウル、金属製のストーヴなどが多くの絵に繰り返し登場する。室内の様子には生活感や物語をうかがわせるものがほとんどない。室内に描かれる人物は1人か2人で、後ろ向きであることが多く、正面向きに描かれたとしても顔のタッチがほとんどぼかされるか影に入っているうえ、人物は鑑賞者と視線を合わせない。さらには、人物のいない、無人の室内を描いた作品も少なくない。このように、ハンマースホイの絵はタイトル以外、解釈の手がかりをほとんど排除している。同じ室内を繰り返し描く点などフェルメールのオランダ絵画の影響が指摘されるが、白と黒を基調としたモノトーンに近い色使いと静謐な画面はハンマースホイ独自のものである。
室内画のほか、肖像画、風景画なども制作している。肖像画のモデルは家族と親しい友人に限られ、人物は鑑賞者と視線を合わせないように描かれることが多い。複数の人物を描いた集団肖像画においてもその点は同様で、画家の弟や友人らを描いた『5人の肖像』(1901 - 02年)では、描かれた5人の人物は互いに視線を交わすことなく、自らの内面と向き合っているようにみえる。宮殿などの建物や都市近郊の風景を題材にした風景画も制作しているが、ハンマースホイの描く風景には人物がほとんど登場しない。こうした静寂、寂寥感は、ジャンルや制作時期を問わず、ハンマースホイの作品全般に通じる特色である。


Dreyers filmkunst by Kau, Edvin: Akademisk Forlag 9788750028598 - Penn and Ink Used and Rare Books

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ハマスホイとドライヤー Hammershøi i Dreyer
https://youtu.be/_yEiwQIEfIs

◇ YouTube - El descobriment de Hammershøi i Dreyer
http://www.youtube.com/watch?v=_yEiwQIEfIs
ハンマースホイとドライヤー」展の紹介番組。
















Hammershøi and Dreyer | Exhibitions | CCCB


www.cccb.org/en/exhibitions/file/...and-dreyer/10917




Hammershøi and Dreyer














Exhibition
  • Hours and prices 













The CCCB presents the exhibition Hammershøi and Dreyer, bringing together for the first time the bodies of work of the two most universal Danish artists of all time: the painter Vilhelm Hammershøi (Copenhagen, 1864–1916) and the filmmaker Carl Theodor Dreyer (Copenhagen, 1889–1968). The show is a co-production of the CCCB and Copenhagen's Ordrupgaard, where it will run until 7 January 2007.
This exhibition is the first time Hammershøi's work has been shown in Spain, represented here by 36 essential pieces. To date, anthological shows of the Danish painter have only been presented in Paris, New York and Hamburg.

The artists
Vilhelm Hammershøi (Copenhagen, 1864 - 1916) was an artist who created his own personal style, independent of the trends of the time. His work is confined to a few pictorial themes: interiors of the places where he lived; a solitary woman, normally with her back turned to us, in a domestic setting; portraits of family and friends; monumental buildings in Copenhagen and London, and landscapes of the Danish island of Sealand. These motifs appear repeatedly in his paintings, creating an atmosphere of mystery with no apparent action, and this immobility is one of the keys to the fascination it exerts. Hammershøi's range of colours is dominated by greys which, in his hand, acquire a strange depth. He was one of the painters who best knew how to express the tempo of solitude and the corporeal nature of light.
Carl Theodor Dreyer(Copenhagen, 1889 - 1968) directed films that refine the expressivity of light and shadow, and are characterized by an indefatigable quest for spiritual truths and beauty. In the course of 40 years, he filmed both silent and speaking films, including The President ( Præsidenten , 1918), Michael ( Mikaël , 1924), Master of the House ( Du Skal Ære Din Hustru , 1925), The Passion of Joan of Arc ( La Passion de Jeanne d'Arc , 1927 ), Vampyr (1932) and Day of Wrath ( Vredens Dag , 1943). In 1955, Dreyer won first prize in the Venice Film Festival with the film The Word ( Ordet ). His last film, Gertrud (1964), was highly controversial, but was awarded the Danish Bodil Prize for the Best Film of the Year. Today it is considered one of the ten best films in the history of the cinema.

The analogies
The exhibition presented by the CCCB aims firstly to publicize two very well known creators for the history of painting and film, though they are little known beyond Danish borders. The Barcelona show is only the fourth international exhibition to be devoted to Hammershøi . Dreyer's films are screened very occasionally, and this is one of the first times they have been presented in an exhibition.
The second challenge of this project is to show the strong visual and creative relations between the artists, and in their methods, their intimate understanding of art and their aesthetic similarities.
Hammershøi and Dreyer have many thematic and formal analogies:
• They share the conviction that the greatest dramatic intensity is found in interiors (of a house, an image, a face).
• Their treatment of the human figure, particularly the female form: the enigmatic women with their backs to us in domestic interiors refer to the contemplation and ecstasy of the characters and their personal dramas, and even contain the hint of death.
• The dominance of light in the scene is impeccable in both artists. Hammershøi knew how to paint it , while Dreyer gave it cadence.
• Exteriors. First, there are the landscapes, charged with a very special atmosphere. Then there are the exteriors perceived through sculptural figures, windows and doors closed on the interiors represented.

The exhibition
As pointed out by the exhibition curators, Anne-Birgitte Fonsmark, Annette Rosenvold Hvidt, Casper Tybjerg and Jordi Balló, Dreyer was probably " Hammershøi 's best and maybe his only true heir". However, the challenge of the exhibition is not just to highlight the analogies between the painter and the filmmaker, but also to establish the explicit link between the bodies of work of the authors in a two-way relationship. The exhibition will help us to understand some of the creative forms of the filmmaker by means of a knowledge of the painter's work, and to better understand the essence of the painter in the light of the films by Dreyer that follow.
In order to achieve this aim, great care has been taken in the way the work of these two creators is shown to the public. This is why the exhibition design has been entrusted to the architecture practice RCR Aranda Pigem Vilalta Arquitectes, with the collaboration of Ventura-Llimona.
The exhibition comprises 36 works by Hammershøi and 12 audiovisuals showing excerpts from Dreyer's films . The exhibition also presents photographs and documents on loan from the two artists' personal archives, highlighting the process of reflection and work involved in their creations.
The show begins with Dreyer, underlining the importance of light in his films. It continues with Hammershøi's paintings, presented one by one to highlight the intimate relationship between the spectator and the work and to convey the central ideas of his painting: austerity, sobriety, silence and slowness.
Dreyer remains present throughout the sector devoted to the works of Hammershøi, turning a visit to the exhibition into a sensorial experience in which the spectator can admire Hammershøi's works in the light of Dreyer.














Previous activities















Sponsors
La Vanguardia

As pointed out by the exhibition curators, Anne-Birgitte Fonsmark, Annette Rosenvold Hvidt, Casper Tybjerg and Jordi ...

Reflex de l'interior: El cinema de Dreyer i l'exemple de Hammershøi

Research outputChapter in Book/Report/Conference proceeding › Book chapter › Research

Standard

Reflex de l'interior : El cinema de Dreyer i l'exemple de Hammershøi. / Tybjerg, Casper.
Hammershøi i Dreyer. ed. / Annette Rosenvold Hvidt. Barcelona : Centre de Cultura Contemporània, 2007. p. 26-35.
Research outputChapter in Book/Report/Conference proceeding › Book chapter › Research

Harvard

Tybjerg, C 2007, Reflex de l'interior: El cinema de Dreyer i l'exemple de Hammershøi. in AR Hvidt (ed.), Hammershøi i Dreyer. Centre de Cultura Contemporània, Barcelona, pp. 26-35.

APA

Tybjerg, C. (2007). Reflex de l'interior: El cinema de Dreyer i l'exemple de Hammershøi. In A. R. Hvidt (Ed.), Hammershøi i Dreyer (pp. 26-35). Barcelona: Centre de Cultura Contemporània.
https://ja.coursera.org/lecture/scandinavian-movies-tv/2-2-the-golden-age-of-swedish-cinema-and-dreyer-by-associate-professor-casper-NMBBw








Camera and Space | Carlthdreyer
https://www.carlthdreyer.dk/en/carlthdreyer/about-dreyer/visual-style/camera-and-space
Kau, Edvin (1989). Dreyers Filmkunst. Copenhagen: Akademisk Forlag.

上記書籍にドライヤー1958年3月11日の手紙が引用されているという
Even in his very first film, The President (1920), Dreyer made a point of using the film set to convey part of the portrayal of personality. He wrote in a letter [1] that the surroundings should reflect the personality of the characters, "while at the same time I also strived for simplicity", and revealed that painters such as Whistler and Hammershøy had been an inspiration in his work. [2] With his second film, Leaves from Satan's Book (1920), he actually aimed to "produce a cinematic work which will be considered a classic work", and in a discussion about the film budget he made it clear to technical director Wilhelm Stæhr of Nordisk Film that the company might as well forget all about savings, because he had no intention of making a "standard film",

Vilhelm Hammershoi | Viajes Extraordinarios
https://viajesextraordinarios.wordpress.com/tag/vilhelm-hammershoi/

Figuras 1 y 2
Figuras 1 y 2[ドライヤー監督作品『裁判長』(1918年)とホイッスラーの絵画(後述)]


En una carta fechada el 11 de marzo de 1958, el cineasta confesaba acerca de El Presidente, su primera película, que se inspiró en la estética de pintores como Hammershoi y Whistler para modelar el ambiente del sobrio espacio doméstico. La influencia de James Whistler se hace evidente en una secuencia con la que le rinde homenaje pasando al lenguaje cinematográfico La Madre, una de sus obras más conocidas (fig. 1 y 2). Casi un tableau vivant, sería su única réplica directa de una pintura. Ante el recordatorio constante de artículos que reproducían una copia del lienzo del pintor estadounidense junto a un fotograma de la película, Dreyer decidió seguir recurriendo al arte como fuente de inspiración para sus exigentes escenografías pero sin caer de nuevo en el error de representar de forma exacta la obra original.




Hammershøi | Creature and Creator
http://creatureandcreator.ca/?p=1186
The Danish film director Carl Theodor Dreyer (1889-1968) was profoundly affected by Hammershøi’s images (Balló et al. 2006). The closing scene of his 1ast movie Gertrud(1968; Schamus, 2008) ends on an image that could easily be a Hammershøi painting. The movie, based on a 1906 play by the Swedish writer Hjalmar Söderberg (1869-1941), concerns the passionate life of a woman who sought the freedom to love whomever she wished to love. At the end of the movie, the elderly Gertrud, living as a recluse, is visited by her old friend Axel Nygren. She returns his letters; he burns them: they say goodbye. The final minute can perhaps serve as our farewell to Hammershøi
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References
Alsdorf, B. (2016) Hammershøi’s Either/Or. Critical Inquiry, 42, 268-305.
Balló, J., Fonsmark, A.-B., Hvidt, A. R., & Tybjerg, C. (2006). Hammershøi > Dreyer. The Magic of Images. Copenhagen: Ordrupgaard
Dreyer, C. T. (2001). Gertrud. Criterion Collection (DVD)
Fonsmark, A.-B., Wivel, M., Loyrette, H., & Rosenblum, R. (1998). Vilhelm Hammershøi, 1864-1916: Danish painter of solitude and light. Copenhagen: Ordrupgaard.
Harris, J. C. (2013). Interior with piano and woman in black (Strandgade 30) Vilhelm Hammershøi. JAMA Psychiatry, 70, 774-775.
Kierkegaard, S. (1843, translated Hannay, A., 1992). Either/or: A fragment of life. London, England: Penguin Books.

Koerner, J. L. (1990). Caspar David Friedrich and the subject of landscape. New Haven: Yale University Press.
Monrad, K. (2012). Hammershøi and Europe. New York: Prestel.
Prettejohn, E. (2005). Beauty and art, 1750-2000. Oxford: Oxford University Press.
Rosenblum, R. (1975). Modern painting and the northern romantic tradition: Friedrich to Rothko. New York: Harper & Row.
Schamus, J. (2008). Carl Theodor Dreyer’s Gertrud: The moving word. Seattle: University of Washington Press.
Vad, P. (1992). Vilhelm Hammershøi and Danish art at the turn of the century. New Haven: Yale University Press.

ヴィルヘルム・ハンマースホイとアンドレイ・タルコフスキーとカール・ドライヤー



































◇ Rustles Hid Themselves in Shadows.... - Woolgathersome
http://woolgathersome.blogspot.com/2008/12/vilhem-hammershi-1864-1916-vilhelm.html
ハンマースホイの絵画からタルコフスキーの『サクリファイス』『鏡』へ。
「His work is long and slow」というリルケの言葉が紹介されています。
◇ Vilhelm Hammershøi - Sublime Things
Vilhelm Hammershøi. Amazing Danish painter. Truely the poetry of silence. Imagine a Tarkovsky camera floating through these empty rooms (like this sequence shot from The Mirror). As if carried by birds.
◇ HAMMERSHOI Y DREYER (Exposición en Barcelona) - Pasión Silente
http://pasionsilente.blogspot.com/2007/04/exposicin-hammershoi-y-dreyer.html
◇ CCCB :: Exhibition Hammershøi and Dreyer - Centre de Cultura Contemporània de Barcelona
http://www.cccb.org/en/album?idg=17292
http://www.cccb.org/en/exposicio-hammersh_i_and_dreyer-10917
バルセロナ現代文化センターで開催された「ハンマースホイとドライヤー」展の展示風景と概要。
◇ YouTube - El descobriment de Hammershøi i Dreyer
http://www.youtube.com/watch?v=_yEiwQIEfIs
ハンマースホイとドライヤー」展の紹介番組。
◇ Vilhem Hammershoi の展覧会 - gyuのバルセロナ便り
http://gyuopera.exblog.jp/6416450/
◇ 'Hammershoi i Dreyer'
ハンマースホイとドライヤー。世紀転換期の画家と、ひと世代下の映画監督。二人のデンマーク人の関係(基本的には前者から後者への影響)をテーマに、2006年から2007年にかけてコペンハーゲンバルセロナで行われた展覧会の図録。
本文はカタラン語で、後ろにごく小さな活字でスペイン語訳と英訳が掲載されています。
豊富に盛り込まれたドライヤーの作品の写真、充実した文献リストは価値が高い。4本ある論考は、単純な影響や表面的な類似の指摘にとどまらず、例えば写真というテクノロジーの視点から両者を眺めるなどより高度な考察を加えたものもあり、読み応えがあります(ただ個人的には、耳に聞こえない周波数の轟音が常に鳴り響いているような異様な運動感・強度を持つドライヤーの画面と、空気までが石化したようなハンマースホイのそれとの間には類似よりも断絶が大きすぎるという印象が強く、どうしても説得されませんでしたが)。
http://www.amazon.co.jp/Hammershoi-i-Dreyer-L-Almonacid/dp/8498031389
アマゾンのカスタマーレビューより。
◇ Vilhelm Hammershøi and Carl Dreyer - Some Came Running
 勉強になったのは、ハンマースホイが1916年に亡くなったときに追悼展覧会が開催され、それに若きドライアーが訪れて、処女作『裁判長』(1918年)の製作に非常なる影響を受けたという点。このことはドライアー自身がインタヴューのなかで言明しているそうだが、ハンマースホイとドライアーの関係を最初に指摘したのはポール・バズというデンマークの小説家らしい。簡潔な画面構成と、孤立した人物像というスタイル的な類似から、女性(とくに母親)の影響、厳格な性格、同時代的な無理解(と一部少数からの熱狂)といった状況と受容における連関まで包括的にそのつながりを指摘するものであった。
 ただし5年前にドライアー特集に通いつづけた者としては、やはり両芸術家の相違も気にならないではない。ハンマースホイのもっとも特徴的な肖像は、なによりも具体的な貌を奪われた女性である。だがドライアーにおいて強烈なのは、あの正面から捉えられた顔である。『裁かるゝジャンヌ』のジャンヌの顔、あるいは『奇跡』のインゲの顔。なるほど『あるじ』では人物が後ろ姿で捉えられたショットが存在していたように記憶するがあれは男性であった(ハンマースホイの絵画で、後ろを向いているのはいつも女性である)。
 もう一つは視線である。ときに無人の室内空間を描いたハンマースホイに対し、ドライアーは徹底して人間を捉える。とくにトーキー以後のドライアーは二人の人物が、けっして視線を合わせることなく対峙して厳しい対話を重ねるというスタイルがとられている。ハンマースホイの絵画でも、複数の人物を描いた肖像画は存在する。だが圧倒的に多いのは一人を描いたものだ。
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◇ YouTube - Andrei Tarkovsky - Mirror
http://www.youtube.com/watch?v=-pu49SYGRnk
タルコフスキー『鏡』より。
◇ YouTube - "The Mirror" trailer
http://www.youtube.com/watch?v=uXYfRkuA3cM
タルコフスキー『鏡』予告編。
◇ YouTube - Tarkovsky's Mirror Set to Arvo Pärt's Mirror in the Mirror
http://www.youtube.com/watch?v=dweiGyjxhHs
タルコフスキー『鏡』の映像を再編集。音楽はアルヴォ・ペルト「spiegel im spiegel」。
◇ YouTube - Andrey Tarkovskiy "MIRROR"
http://www.youtube.com/watch?v=4hLJyT_TeIQ
タルコフスキー『鏡』より。
◇ YouTube - Tarkovski Zerkalo (The mirror)
http://www.youtube.com/watch?v=GC9ciRNW6DU
タルコフスキー『鏡』より。
◇ YouTube - Ordet (Carl Theodor Dreyer, 1955) A Cinematic Miracle
http://www.youtube.com/watch?v=TBtJyaOUmcM
ドライヤー『奇跡』より。
◇ YouTube - Ordet
http://www.youtube.com/watch?v=mnwCaOz4YLU
ドライヤー『奇跡』より。
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◇ 「ハンマースホイ展」 - 弐代目・青い日記帳
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1527


Annette Rosenvold Hvidt om Vilhelm Hammershøi - På sporet af det åbne bi...
https://youtu.be/h8t8VXzQB-I


Hammershøi i Dreyer / [commissariat, Anne-Birgitte Fonsmark ... [et al.] ; catàleg, coordinació, Marina Palà ; coordinació de textos, Rosa Puig] ★
出版事項
Barcelona : Centre de Cultura Contemporània de Barcelona : Diputació Barcelona , c2007
Catalan and English. 注記    36 col. pls. 49 figs. VOL    [ISBN]9788498031386 VOL    [ISBN]8498031389
http://opac.nmwa.go.jp/detail?bbid=0000043121

及びその英語版
Hammershøi, Dreyer : the magic of images / [editor, Annettte Rosenvold Hvidt ; authors, Jordi Balló ... [et al.]]
出版事項 Copenhagen : Ordrupgaard , c2006 形態 131 p. : ill. (some col.) ; 25 x 25 cm. 注記 Published on the occasion of an exhibition held at Ordrupgaard, Copenhagen, Sept. 1, 2006-Jan. 7, 2007 and at the Centre de Cultura Contemporània, Barcelona, Jan. 24-May 1, 2007. 注記 Includes bibliographical references (p. 128-130). 注記 55 figs., 41col. pls. VOL [ISBN]9788788692556
http://opac.nmwa.go.jp/detail?bbid=0000043576

(頁数は少ないが図版は多い。本の完成度はカタラン語版が上)



浅野 信二 (@asano_shinji)
⁦‪@dempow‬⁩ !まさにそのものズバリの本が手許にあります。西語なので中身全然分かりませんが…恐らくドライヤーの映像にハンマースホイの影響を見る様な感じでしょうか…? pic.twitter.com/mLkCBh3577


https://twitter.com/asano_shinji/status/1222829817646612480?s=21


ドライヤー
ORDET---EMOTION PURE
https://youtu.be/jMW1qYuLrxk



Gertrud final scene
https://youtu.be/7m6gPBen4cs





ドライヤーは1958年3月11日ハマスホイと共にホイッスラーの影響を手紙に書いている
★p.27,35,137,145



ホイッスラー『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』1871年 オルセー美術館

Praesidenten, C. Th. Dreyer  - 1919 -





ジェームズ・マクニール・ホイッスラー - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%

ドライヤーはハマスホイと共にホイッスラーの影響を手紙に書いている
★p.145



ジェームズ・マクニール・ホイッスラー



















ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラーJames Abbott McNeill Whistler1834年7月11日 - 1903年7月17日)は、アメリカ合衆国の19世紀後半の画家、版画家。おもにロンドンで活動した。印象派の画家たちと同世代であるが、その色調や画面構成などには浮世絵をはじめとする日本美術の影響が濃く、印象派とも伝統的アカデミズムとも一線を画した独自の絵画世界を展開した。

生涯



















ホイッスラーは、1834年にアメリカ合衆国マサチューセッツ州ローウェルに土木技師の子として生まれた。アメリカ人であるが、パリで美術を学び、画家としての生涯の大半をロンドンとパリで過ごしている。
ホイッスラーは、土木技師であった父が鉄道建設の仕事のためロシアに移住するのに従い、1842年(1843年とも)からの数年間をロシアのサンクトペテルブルクで過ごし、その後、ロンドンやブリストルにも住んだ。1851年にはアメリカに戻ってウェストポイント陸軍士官学校に入るが1854年に中退。1年間ほどワシントンD.C.で地形図の銅版画工として働いた後、1855年にはパリに居を構えている。
パリでは当時のリアリズムの巨匠であったシャルル・グレールのアトリエに通うが、その伝統的な画風にあきたらず、当時の革新的な画家であったギュスターヴ・クールベに強い共感を覚えた。パリでは画家のアンリ・ファンタン=ラトゥール(1836 - 1904)、アルフォンス・ルグロ(1837 - 1911)と「三人会」を結成している。
数年後の1859年にはロンドンにもアトリエを構え,ロセッティ兄妹と知り合った。以後、ロンドンとパリを往復しつつ制作活動を続け、1860年からはロンドンのロイヤル・アカデミーに出品している。ホイッスラーは1862年にロンドンの展覧会に出品し、翌1863年にはパリの「落選展」に出品された、当時恋人だったジョアンナ・ヒファーナンをモデルにした『白の少女』(ホワイト・ガール)で一躍注目を集めた。この作品では、モデルの少女の白いドレス、手にしている白い花、背景の白いカーテン、足下の白い敷物など、さまざまな白の色調が対比され、人物の内面描写よりも色彩のハーモニーを表現すること自体が絵画の目的となっている。この頃から彼の作品には「シンフォニー」「ノクターン」などの音楽用語を用いた題名が付されることが多くなった。
1876年から翌年にかけては、パトロンであった富豪レイランドのロンドンの邸宅の室内装飾を手がけた。壁面に孔雀を大きく描いた食堂の内装は、のちに部屋ごとワシントンDCのフリア・ギャラリーに移されている。1879~80年はヴェネツィアで過ごしたが再びロンドンに戻り、1886年にはイギリス美術家協会会長に任命されるなど、名実ともにイギリス画壇の中心人物となった。1903年にロンドンで没している。

作風



















耽美主義の代表的画家とも目されるホイッスラーの絵画は、現実世界を二次元平面に再現することよりも、色彩と形態の組み合わせによって調和のとれた画面を構成することを重視していた。作品の題名に「シンフォニー」「ノクターン」「アレンジメント」などの音楽用語を多用することも、絵画は現実世界の再現ではなく、色彩と形態から成る自律的な芸術だとする彼の姿勢の反映といえよう。こうした彼の絵画に対する考えは、印象派やセザンヌなどに通じるものだが、ホイッスラーの用いる色彩は地味で、モノトーンに近い作品も多く、光と色彩の効果を追い求めた印象派の作風とは一線を画している。イギリスでは1862年ロンドン万国博覧会以来、日本の美術工芸品が紹介されており、上述のようなホイッスラーの作風にも浮世絵などの日本美術の影響が指摘されている。64年にはジャポニスムによる作品を試み、日本の落款のような蝶のサインを使った。68年になると浮世絵の意匠を借用した『肌色(はだいろ)と緑のバリエーション=バルコニー』を制作。
ホイッスラーの代表作の1つである『青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ』は、ロンドンのテムズ川に架かる平凡な橋を描いたものだが、橋全体のごく一部を下から見上げるように描いた風変わりな構図、単色に近い色彩、水墨画のような、にじんだ輪郭線などに日本美術の影響が感じられる。
1877年にロンドンのグローヴナー・ギャラリーにホイッスラーが出品した『黒と金色のノクターン-落下する花火』は、ほとんど抽象絵画を思わせるまでに単純化された作品であった。同時代の批評家で、ラファエル前派などの新しい芸術運動の理解者であったジョン・ラスキンもこの作品は理解ができず、「まるで絵具壷の中味をぶちまけたようだ」と酷評した。このため、ホイッスラーは名誉毀損でラスキンを訴えるに至る[1]。ホイッスラーは訴訟に勝ちはしたものの、多額の訴訟費用を支払うために自邸を売却するはめになった。

代表作




















日本での画集



















  • 『ファブリ世界名画集 88 ジェームズ・ホイッスラー』田中英道 解説 平凡社 1973
  • 『ファブリ研秀世界美術全集 10 マネ,モネ,ホイッスラー』黒江光彦 研秀出版 1976
  • 『ホイッスラー』フランシス・スポールディング 吉川節子訳 西村書店 アート・ライブラリー 1997

脚注



















  1.  NHK『迷宮美術館』制作チーム『NHK『迷宮美術館』巨匠の言葉 この「一枚の絵」は何を語っている?』三笠書房、2009年、94頁。ISBN 978-4-8379-2342-8

関連項目



















  • ビーン (映画) - ホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント―母の肖像」が登場。ビーンのミスによって汚損されてしまい、証拠隠滅の為に細工したレプリカのポスターとすり変えられてしまう。
  • モーティマー・メンペス - 弟子

外部リンク