木曜日, 3月 31, 2016

ヨハン・クライフ(1947~2016) その可能性の複数の中心

ヨハン・クライフ(1947~2016)
その可能性の複数の中心

クライフターン、トータルフットボール…
その可能性は複数の中心を持つ。

クライフのすごいところはポジショニングだ。
1974年のブラジル戦、西ドイツ戦をビデオで見たとき、動いて欲しいところにクライフが動いていて驚いた。ゲームで自分が動かしているかのようだった。
つまらない試合もクライフの手にかかると面白くなる。
ユーロで優勝したギリシアを攻撃的に再解釈したのもそこから発展した一例だ。
今日のバルサもクライフがいなければ至高の存在足り得なかった。
バルセロナやバイエルン、自治と自主管理の伝統とサッカーは共にある。
自分にとってクライフは21世紀最大のアナーキズムの思想家だ。


20160324

イニエスタ、“クラシコ”勝利を誓う「クライフ氏への最高の贈り物に」 (SOCCER KING) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160331-00425984-soccerk-socc
イニエスタ、“クラシコ”勝利を誓う「クライフ氏への最高の贈り物に」
SOCCER KING 3月31日(木)12時29分配信


バルセロナの主将を務めるMFイニエスタ [写真]=VI Images via Getty Images

 バルセロナに所属するスペイン代表MFアンドレス・イニエスタが、4月2日に行われるリーガ・エスパニョーラ第31節、レアル・マドリードとの伝統の一戦“エル・クラシコ”に向けての意気込みを語った。30日付のスペイン紙『マルカ』が伝えている。

 24日に亡くなったヨハン・クライフ氏の功績を受け、本拠地カンプ・ノウで開催されるレアル・マドリードとの伝統の一戦“エル・クラシコ”で、クライフ氏の追悼セレモニーを実施する。同氏は選手時代にバルセロナなどでプレーし、3度のバロンドールを受賞。指導者としては、バルセロナでクラブ史上初のチャンピオンズカップ優勝、リーガ・エスパニョーラ4連覇などを達成した。

 イニエスタは、レアル・マドリードとの一戦について「勝利することは特別なことになるだろう。クライフ氏が世界中のサッカーファンに、特にバルサファンに残してくれたものに対する最高の贈り物だと思う」と、クライフ氏に捧げる特別な試合になると話した。

 さらに、「クライフ氏から教わった全てを出すことが最大級の称賛になる。僕たちはそれを示すために是非勝ちたいね」と続け、勝利を誓った。

SOCCER KING

クライフと対面したときの思い出語る本田「常識を覆した人」 (ゲキサカ) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160326-01625840-gekisaka-socc
クライフと対面したときの思い出語る本田「常識を覆した人」
ゲキサカ 3月26日(土)20時5分配信


画像: Kaoru WATANABE (ゲキサカ)

 29日のW杯アジア2次予選・シリア戦(埼玉)に向けて合宿中の日本代表FW本田圭佑(ミラン)が26日の練習後、報道陣の取材に応じ、24日に死去した元オランダ代表のヨハン・クライフ氏について言及した。

 25日、自身の公式サイトに英文の追悼メッセージを寄せた本田は08年から09年までの2年間、オランダのVVVでプレー。オランダ2部でMVPを獲得した当時の活躍が評価され、NPO法人ヨハン・クライフ財団から高校時代を過ごした石川県金沢市に「本田圭佑クライフコート」が寄贈された。

 そうした縁もあって、「そこまで親しい間柄ではないけど、(公式サイトで)コメントさせてもらった」と述べた本田は、3年前に会ったときの思い出を語った。

「バルセロナの病院で初めて会って、いろんな話をした。クライフコートのお礼もしたし、『なぜここにいるんですか?』と聞いたら、『先週、スコットランドでゴルフをしていて腰を痛めたんだ』と。本当かどうかは分からないですよ」

 オランダでプレーしているときから「クライフの話はよく聞いていた」という本田。「世界のサッカーにとって大きな損失であるのは間違いない。(サッカーの)常識を覆した人だと思う」と故人を悼んだ。



本田圭佑「3年前お元気だった…」/クライフ氏悼む - 日本代表 : 日刊スポーツ: 日本代表FW本田圭佑(29=ACミラン)が25日、自身の公式サイトで、24日に68歳で亡くなったサッカーの元オランダ代表で、伝説的な名選... bit.ly/1RqSPeD

soccerss(サカレス【soccerss】)6日前


RT @SoccerKingJP: 【速報】 サッカー界のレジェンドであるヨハン・クライフ氏が24日、亡くなったことが公式HPで発表されました。 肺がんと戦っていたクライフ氏はバルセロナでご家族に見守られる中、68歳で息を引き取ったそうです。ご冥福をお祈りいたします。 http…

melo_mth_gb(乙キー)6日前








グスタフ・ランダウアー(Gustav Landauer, 1890-1919)


グスタフ・ランダウアー(Gustav Landauer, 1890-1919)


『「資本論」の読み方』邦訳293頁でプルードンに関連してゲゼルが言及。

以下の邦訳書162頁にプルードンに関する記述がある。
ブーバーの叢書から出版している。ベンヤミンに影響を与えたとされる。

レボルツィオーン―再生の歴史哲学 単行本 – 2004/11


内容(「BOOK」データベースより)

1918年、ドイツ帝国の敗北局面に誕生したミュンヘン評議会“レーテ”で、クルト・アイスナーと共に活躍したが、反革命の報復で殺害された独自の社会哲学者。分権・連合・協同社会論の原像が、いま、甦る。

内容(「MARC」データベースより)

1918年、ドイツ帝国の敗北局面に誕生したミュンヘン評議会「レーテ」で活躍したが、反革命の報復で殺害された独自の社会哲学者・ランダウアーの代表作を全訳。分権・連合・協同社会論の原像が、いま甦る。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ランダウアー,グスタフ
1870年、南西ドイツのカールスルーエ近郊に生まれる。ベルリン大学、ハイデルベルク大学、シュトラスブルク大学で哲学・神学を学ぶ。ドイツ社会民主党青年派分派を経て、独立社会主義者として活動。ドイツ・ロマン派、ニーチェ、プルードン、クロポトキンの影響の下に独特なロマン主義的分権・連合・協同社会の思想を展開し、ベンヤミン、ブーバー、ティリッヒ、ラガツらに影響をあたえた。マイスター・エックハルトなど中世キリスト教神秘主義の研究者としても知られる。1919年、ミュンヘン・レーテ共和国の教育・文化大臣としてレーテ革命をになったが、同年5月、反革命義勇軍によって虐殺された 

大窪/一志
1946年生まれ。東京大学哲学科卒業。実存哲学専攻。編集者を経て著述業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
形式: 単行本
著者は、1919年ミュンヘンにおいて革命義勇軍によって処刑された。ロマン主義とアナキズムを重ね合わせたような彼の思想は、ベンヤミンなどにも強い影響を与えたといわれる。彼の社会変革構想は独特である。集権化された現代的な社会を、「中世」にすでにあった部分社会へと解体していくこと、そして国家権力を粉砕するのではなく、「社会へと再吸収すること」。つまり彼のモチーフは、「革命」ではなく中世という「かつてあった安定社会をどう再現するのか」ということにおかれているのだ。こうした構想は、「過去とは既成のものではなく、生成されるものである」という独特のロマン主義的歴史哲学に裏付けられている。そして、革命は社会問題は解決することはない、あくまで精神の先例であり「再生」への契機であるとするところは、ハナ・アレントとも交錯する。彼の中世論では、いうまでもないだろう、網野義彦の「無縁・苦界・楽」が思い出される。彼はミュンヘン・レーテの教育大臣を務めている。活動家としての政治実践と、彼のロマン主義的な社会主義思想が両立する、そんな時代があったのである。以後、「実践的」マルクス・レーニン主義者はこうした思想にはわき目もふってこなかったのである。ランダウアーのような歴史哲学は、実践と結びついてこそ光彩を放つ。昨今のクソ実証しか頭にない歴史学に「歴史は生成するもの」などといってら「歴史教科書の会」と勘違いされかねないだろう。ポスコロ歴史学にいったら、見事に「消費」してくれるだろう。









グスタフ ・ ランダウアー研究覚書

 
(Adobe PDF)
 

m-repo.lib.meiji.ac.jp/.../1/sundaishigaku_71_128.pdf
グスタフ ・ ランダウアー のロm[m< け"ロ』離=ゅ~ 〈}m離。2}ゅ]m) は、 ドイツ革命の中で きわめてュ ニ ークな展開を遂げた. バイエルン革命において、 とりわけ、 一九一九年四 月初旬のいわゆるパイエルン ・ レーテ共和国の成立に際し、 指導. 的な役割を演じた ...



 そのような批判の中でも、本稿で筆者はまず、アナーキストによってなされた、マルクス思想の歴史的相対化について検討し、次いで「唯物史観」を拒絶したドイツ出身のアナーキストであるグスタフ・ランダウアー(Gustav Landauer, 1890-1919)の主張を検討する。
 この場合の「唯物史観」とは、資本主義の発展が、必然的に社会主義社会の到来をもたらす、というものであり、「科学的社会主義」とは言えない、とI・ウォーラーステインが表現するものである(『脱=社会科学』藤原書店、一九九二年、二三九~二四〇を参照)。
 そのような、「唯物史観」の拒絶というかたちでのマルクス主義批判は、一九世紀末から徐々にアナーキストたちのあいだから生まれてきたと思われる。

 それ以前、アナーキストたちは、主に反権威主義と連合主義に基づいて、マルクス主義を非難し、これに対抗しきたが、歴史観に関しては、マルクス主義者たちと似通った主張を展開していた。
 したがって、ランダウアーによる唯物史観の拒絶は、アナーキズム史上においても重要である。
 しかしながら、日本で紹介されてきたアナーキストによるマルクス主義批判は、もっぱら反権威主義に基づく批判であり、ランダウアーのような主張があったという事実は紹介されていないのではないだろうか。

 ランダウアーは、「歴史は科学ではない」と主張して「科学的社会主義」を非難する一方、独自の思想形成の過程を経て(三宅立「グスタフ・ランダウアー」『ドイツ社会主義研究』勁草書房、一九八九年、二八一~四三五頁、R. Link-Saliger, 'Einleitung', in: Signatur: g. l. Gustav Landauer im "Sozialist" (1892-1899), ed. R. Link-Saliger, Frankfurt, 1986, pp.11-36を参照)、歴史における人間の「精神」や「意志」の重要性を強調し、すぐに「革命」を開始せよと呼びかけた(この「革命」とは、一般にイメージされるようなものではないが、これは後述する)。
 こういった彼の主張は、ドイツでは、一九六〇年代に「再発見」されるが、彼の「意志」を強調する言葉だけが注目されることが多く、そのような「主意主義的革命観」が、アナーキズム思想の重要な特徴の一つだという見解さえ示された(cf. P. Loesche, 'Anarchismus', Politische Vierteljahresschrift, 1974, p.56)。
  
  しかしながら、実際には、一九世紀以来、アナーキストのほとんどは、唯物史観に似通った歴史観を持ち、資本主義の発展が必然的に革命をもたらすという見解では、マルクス主義者と大差はなかった(U. Linse, 'Der deutsche Anarchismus 1870-1918', Geschichte in Wissenschaft und Unterricht, 1969, pp.514-515)。
 したがってランダウアーの主張は、当時のアナーキストたちの中では、むしろ少数派に属していたのであり、「主意主義的革命観」が、アナーキズム思想一般において重要な要素であるとは言えない。
 むしろ彼のそういった主張は、ドイツにおけるアナーキストたちのあいだで徐々に受け入れられていったと考えた方がよいだろう。

 本稿では、まず、ランダウアーの主張が現われる以前からアナーキズム派の側で開始されていた、マルクス主義の歴史的相対化を扱い、次いでランダウアーの主張を検討し、さらに彼の影響を受けたアナーキストたちの主張と行動を見る。以上の検討を通じて筆者は、アナーキストたちがマルクス主義の問題点として批判していた、マルクス主義者のレトリックに注目し、マルクスからマルクス主義者への、レトリックの継承に関する研究を提案する。以下ではまず、ランダウアーが現れる前のドイツ語圏におけるアナーキストの歴史観について見ていきたい。

また、たとえばプルードンは、一八四六年、運動において指導的地位を占めながら、「新たな不寛容の指導者」や「新たな宗教の使徒」としてふるまわないということを、自分がマルクスらに協力する際の条件の中に入れていたが、それはプルードンがマルクスに、そのような権威主義の兆候を見出していたからではないだろうか(A. Muehlberger, P. J. Proudhon, Leben und Werke, Stuttgart, 1898, rpt. Hamburg, 1979, pp.54-55. あるいは、J・ジョル『アナキスト』岩波書店、一九八五年、六八-六九頁を参照)。それともマルクス主義の教条主義や権威主義の起源は、やはりエンゲルスとその後継者たちなのだろうか。

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前表紙
同時代社, 2015/05/20 - 211 ページ
貧困と隷属からの脱出を導くのは『資本論』ではない!20世紀を覆ってきた「国家」「科学」「進歩」に対して「共同体」「精神」「再生」を対置し“いま・ここ”から行動を開始すること―鮮烈によみがえる100年前の呼びかけ!

http://www.doujidaisya.co.jp/book/b199779.html
目次
主な内容〉
本書使用上の注意――龍井葉二

序文 第二版
第一版
 1 社会主義とは何か?
 2 没落から上昇への道のり
 3 精神を欠いた世界
 4 社会主義の本分と実際
 5 マルクス主義
 6 資本主義の先にある未来?
 7 共同体の再生
 8 共同精神・民衆・連合

 付録 社会主義同盟十二箇条
人名索引・解説

  訳者あとがき――寺尾佐樹子

内容説明

貧困と隷属からの脱出を導くのは『資本論』ではない!
20世紀を覆ってきた「国歌」「科学」「進歩」 に対して
「共同体」「精神」「再生」を対置し
《いま・ここ》から行動を開始すること―-
いま鮮烈によみがえる100年前の呼びかけ!

●ランダウアーの呼びかけ

■新しい社会は、資本主義の発展の結果ではなく
そこからの離脱によって初めて可能になります。
■社会主義は、志のある人たちが、いま望もうと
すれば、可能となります。
■貧しき人びとよ、団結して互いに信頼し合うのです。
信用、相互主義こそが資本なのです。

火曜日, 3月 29, 2016

漱石と荀子:メモ

            ( 文学孔子老子(漱石レポート)リンク:::::::::

漱石と荀子:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/blog-post_31.html

漱石自身が装丁を担当した「こゝろ」(1914)の単行本表紙には、中国『康熙字典』(1716)の説明が添えられてる。

一荀子解蔽篇ー心者形之君也而神明主也
(心は肉体の君主であり、精神の主体です。)


「こゝろ」初版本表紙の謎:
http://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2009/10/post-b422.html

【荀子解蔽篇】心者形
之君也而神明之主
也【禮大學疏】總包萬
慮謂之心又【釋名】心
纖也所識纖微無不
貫也又本也【易復卦】
復其見天地之心乎
【註】天地以本爲心者

●書き下し文

【「荀 子」解蔽篇。】心は形の君なり、而して神明の主なり。【「禮」・「大學」 疏。】總て萬慮を包む、之を心と謂ふ。又、【「釋名」。】心、纖なり。識る所、纖微も貫かざる無きなり。又、本なり。【「易」復卦。】復たは其れ、天地の 心を見るか。【註。】天地に本を以て心を爲す者


僕はこの康熙字典からの引用を、秦恒平氏のように「こゝろ」の解釈の一助とすることに、意識的に避けてきた……

http://tenmei.cocolog-nifty.com/matcha/2014/04/post-d492.html    (漱石自身が装丁を担当した「こゝろ」表紙には、)中国『康熙字典』 (1716)の説明が添えられてる。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1396140788
「心者形之君也。而神明之主也。出令而無所受令。自禁也自使也、自奪也自取也、自行也自止也。故口可劫而使墨云、形可劫而使詘申、心不可劫而使易意。是之則受、非之則辭。故曰心容其擇也無禁必自見、其物也雑博、其情之至也不貳。」

(心 は肉体の君主であり、精神の主体です。自分の方から命令を出しますが、他から命令を受けることはありません。自ら禁じ自ら使います。自ら奪い自ら取る のです。自ら行き自ら止まります。口は無理やり黙らせたり、云わせたりできます。体は無理やり屈ませたり、伸ばしたりできます。でも心は無理やり意志を変 えさせることはできないのです。自ら「是」とすればこれを受入れ、自ら「非」とすれば受け付けません。だからこう言えるのです。心の状態は、物事を選択す るについては、禁じる者は無くて、自ら見て 〔自由に選択します。〕 物事は接する際は雑多ですが、その精髄の極致にあっては統一があって雑多になりません。)

こゝろ - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/こゝろ
こゝろ』(こころ)とは、夏目漱石の長編小説。漱石の代表作の一つ。1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行された。

荀子
『荀子』勧学篇の言葉「青は藍より出でて藍より青し」(青出於藍而勝於藍)

http://blog.livedoor.jp/gelanping_a/archives/51627115.html

青出於藍而勝於藍

qing1 chu1 yu2 lan2 er2 sheng4 yu2 lan2

「荀子」より。原文は「青,取之於藍而青於藍;冰,水為之而寒於水」。青は藍から作られたが藍より青くなり、氷は水からなったが水より寒くなる。君子というものは、日々自分を反省し、鍛えていけば、師匠を超えるぐらいの学問に到達できるという意味です。

今は日本語の「青は藍より出でて藍より青し」と同じように、弟子が師匠を超えるという意味で多く使われています。 
_________
荀子は性悪説が有名だが、それでも孔子の教えを遵守している。タブララサを主張していると考えればわかりやすい。ライプニッツよりもロック寄りに孔子を解釈していると言える??
 

月曜日, 3月 28, 2016

ハイデガーと老子,荘子:再掲


              (老子ハイデガーリンク:::::::::

NAMs出版プロジェクト: ハイデガーと老子、荘子:再掲

http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/blog-post_62.html

荘子

https://freeassociations2020.blogspot.com/2021/09/blog-post_14.html


老子・ハイデガー・ラカン:メモ : 別ブログ

http://yojiseki.exblog.jp/9852744/
ハイデガーは1946年に中国文学研究家のHsiao*と老子の翻訳を試み(芽野良男作成年譜より)、ラカンも1969年に中国語の女性?家庭教師(フランソワ・チェン)から老子を教わっている。

ハイデガーが興味を示したのは第1章と第15章、特に第15章の以下のラインに興味を示したと言う。
(http://www.thomehfang.com/suncrates3/9poetico.htm)

<濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。>

さて、ラカンが興味を示したのは第一章と第42章の冒頭。特に第一章の「道」が行為と発話(La Voie/voix,[The Voie/voix], [Way/voice])の二つの意味をもつ点に注目したらしく、以下の図を書いたそうだ。
("The later Lacan" p.43**及びhttp://www.lacanchine.com/L_Cheng-Lacan3.html

     le faire — sans nom — n'ayant désir
le Dao <
     le parler — le Nom — ayant désir

(翻訳すると)
   doing-nameless-not having desire
Tao/
  \speaking-the name- having desire


   行為-    無名- 無欲
 道/
  \道う(言う)-名前-  欲望を持つ       

これは、住所を書く順序の日本と西洋との違いといった比較文化論や、主体の喪失と享楽の出現といった問題体系に繋がるらしいが、邦訳がないためにはっきりしたことはわからない。

ちなみに第42章冒頭は以下の内容。

<道生一、一生二、二生三、三生萬物。 萬物負陰而抱陽、冲氣以爲和。>

<「道」から「一」が生み出される。
「一」から二つのものが生まれ、二つから三つのものが生まれ、
三つから万物が生み出される。
これらすべては肯定と否定の統一によって調和し、
あらゆるものによって包まれる。>


ラカンは、ハイデガーフリークだったので、老子への取り組みは、(いわゆる「東風」が状況的にあったとしても)その影響はあったかも知れない。ヘラクレイトス論のロゴス解釈との類似が指摘されているし、RSI理論をまとめるための「中間の空間」なる用語を42章から編み出しているという(『ジャック・ラカン伝』p380)。セミナール14、20、21で老子が触れられているそうだが(老子以前は孟子が参照されたりしている)、空虚な中心という概念(老子第11章)などが精神分析の構造化に寄与した、あるいは後押しをしたとも考えられなくもない。

ハイデガーとラカンに共通するのは、単なる東洋趣味で彼らは老子に興味を示したのではないということだ。「天」といった後期ハイデガーの神秘主義に通じる面はあるが、論理主義的な興味が彼らには一貫している(よく言われるユング的解釈とは一線を画す)。
特にラカンは分析家のディスクールを老子に見ていたと思われる。
資料が集まり次第、再考したい。


『中国哲学とヨーロッパの哲学者 下』(堀池信夫、p714)によると、パウル・シャオは蕭欣義という字を書き、台湾出身。同書ではハイデガーが老子に触れた講演「言葉の本質」(『言葉への途上』所収。「この「道」、すなわち、タオという語には、思考しつつ言うことの持つ、あらゆる秘密の中の最たる秘密は匿されているように思われます。」下p724)などが考察されている。
二人が使ったテクストは蒋锡昌『 老子校诂』(1937年、上海)だそうだ。
http://shop.kongfz.com/book/3240/61398596.html

** Later Lacan an Introduction pdf
http://www.scribd.com/doc/25977204/The-Later-Lacan-an-Introduction



参考:

"Heidegger and Asian Thought"p.102-103
(1947年8月9日ハイデガーからシャオ氏への手紙における老子の引用)
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<"Wer kann still sein und aus der
stille durch sie auf den Weg bringen
(bewegen)etwas so,dass es
zum ersheinen kommt?"

[Wer vermag es,stillend etwas
ins Sein zu bringen?
Des Himmels Tao. >

"Who can be still and out of stillness and through it move something on to the Way so that it coms to shine forth?"

[Who is able through making still to bring something into Being?
The tao of heaven.

孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。

たれかよく濁りてもってこれを静かにして徐(おもむろ)に清からん。
たれかよく安んじてもってこれを動かして徐に生ぜん。

濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。

老子 道徳経 第15章
http://nam-students.blogspot.com/2009/10/blog-post_23.html#note15
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&printsec=frontcover&dq=heidegger+asian&as_brr=3&ei=tEdsS666BI3aNdDDrY4P&cd=1#v=onepage&q=tao%20hsiao&f=false
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA102&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2HP6osFw-63zP_EbO2mT8WB48BSg&w=685
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA103&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2YgQIBvewUeIvgItpgZAARHVleAw&w=685
http://ic.mixi.jp/p/eaea7f330846a48f586014559a7f564dcbf07d9c62/4b6c4c59/bbs/50283475_93.jpg



山小屋にて1947年8月9日 

親愛なるシャオ様

私は度々あなたを思い出します。またすぐにあなたとの会話を
再開できればうれしいです。
あなたが私に書いてくれた次の行を考えています。

<"Wer kann still sein und aus der
stille durch sie auf den Weg bringen
(bewegen)etwas so,dass es
zum ersheinen kommt?"

[Wer vermag es,stillend etwas
ins Sein zu bringen?
Des Himmels Tao. >

孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。

濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。

道徳経(天の道)より

親愛なる情を持って 
あなたのマルティン・ハイデガーより 

_______

荘子とハイデガーの世界内存在(in-der-Welt-sein) : 別ブログ

http://yojiseki.exblog.jp/14401302/

以下、『茶の本』、「第三章 道教と禅道」(岡倉覚三・天心 村岡博訳)より

「しかしながら、道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。
シナの歴史家は道教のことを常に「処世術」と呼んでいる、というのは道教は現在を——われら自身を取り扱うものであるから。われらこそ神と自然の相会うところ、きのうとあすの分かれるところである。(略)人生の術はわれらの環境に対して絶えず安排するにある。道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂き世の中にも美を見いだそうと努めている。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000238/files/1276_31472.html

このなかの「処世(術)」の英訳 (to be in the being of the world)がハイデガーの世界内存在(in-der-Welt-sein)に繋がったとされる。

荘子の「処世」は「世に処(お)る(In-Sein)」と「世に処する(Ver-walten)」の二つを兼ねる。

以下、今道友信「一哲学者が歩んだ道」(中央公論1999年1月号)より
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5022

「私の恩師の一人、伊藤吉之助は一九一八年、第一次世界大戦直後、ドイツに留学、そのときハイデガーを教師に雇いました。敗戦後のドイツはひどいインフレ で、連合国側の日本の留学生のポケットマネーはドイツの若い学者たちには魅力的でした。(中略)伊藤は帰国に際し、お礼の心づもりで『茶の本』の独 訳"Das Buch von tee"をハイデガーに手渡しました。それが一九一九年。そして一九二五年にハイデガーの名を高からしめた『存在と時間』が出版され、あの術語がことわり もなしに使われていたので、伊藤は驚くと同時に憤慨もしていました。それからはるか後年の一九四五年、「いやあ、世話にはなっだんだが、やづければよがっ だなあ」と庄内弁で私に述懐なさったことがあります。」
(後に『知の光を求めて―一哲学者の歩んだ道』今道友信  2000/3 に再録)

この説はハイデガーの老子への興味も説明出来るので十分信憑性がある。
とはいえ茶道にキリシタンの洗礼の儀式が影響を与えたという説もあるから、影響はどちらか一方からのものではなく相互的なものかも知れない。

資料:
"Das Buch vom Tee"
/ Okakura Kakuzo. Aus d. Engl. von Marguerite und Ulrich Steindorff
Person(en) Okakura, Kakuzō ; Steindorff, Marguerite ; Carrington, Ulrich Steindorff
Verleger Leipzig : Insel-Verl.
Erscheinungsjahr [1919]
Link zu diesem Datensatz
http://d-nb.info/361981058
http://www.worldcat.org/title/buch-vom-tee/oclc/646945959?referer=di&ht=edition
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上記書籍は1921年版だそうだが残念ながら奥付がない。
該当箇所は31頁。確かに"Kunst des In-der-Welt-Sein(s)"とある。


« Allein das wichtigste Gedanke des Taoismus an das
Leben Asians liegt auf dem Gebiete der Aesthetik. Die chi-
nesischen Historiker haben vom Taoismus stets als von 
der "Kunst des In-der-Welt-Sein” geredet, denn er handelt 
von der Gegenwart, von uns selbst. » 


« Allein der wichtigste Gedanke des Taoismus an das Leben Asians liegt auf dem Gebiete der Aesthetik. Die Chinesischen Historiker haben vom Taoismus stets als von der Kunst des “In-der-Welt-Sein” geredet, denn er handelt von der Gegenwart, von uns selbst. » 

"Chinesische Historiker haben vom Taoismus immer als von der .Kunst des In-der -Welt-Seins' gesprochen, denn er handelt von der Gegenwart - von uns selbst."
参考:大島淑子 Oshima Yoshiko "Leben als Phaenomen"

あるいは、

"Historiker haben vom Taoismus immer als von der >Kunst des In-der-Welt- Seins< gesprochen, denn er handelt von der…"
参考:"Identität als Unverborgenheit: Kant, Nishida, Heidegger" Yoshiaki Yamashita 
山下善明(明星大学)著『非覆蔵性としての同一性―カント、西田、ハイデガー―』(邦訳なし?)
追記:
荘子に処世、处世、處なる単語はない。
http://ctext.org/zhuangzi/zhs?searchu=%E8%99%95&page=6
また処世を超越せよというメッセージが荘子の一般的な読みだ。ただ以下のような指摘がある。
 《『荘子・天下篇』にある「獨與天地精神往来。而不敖倪於萬物。不譴是非。以與世俗處。」(独り天地の精神と往来して、万物に敖倪せず、是非を譴めず、以て世俗と処す)「天地自然の神妙なはたらきとともに世界を往来しながら、万物の上にたって驕りたかぶるようなことはない。また是非の区別をきびしく追求したりすることもなく、世俗のなかにたりまじっている」*281という金谷氏の解釈とも似た境地であるとも考えられよう。》
* 281 金谷治訳注『荘子 第四冊雑篇』岩波書店 1971年 P229 以下pdf141~2頁

本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

 

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次に、売茶翁の生涯や煎茶精神などについての研究は、川頭芳雄氏の『佐賀県郷土史 物語. 第一輯 脊振山と ...... 不敖倪於萬物。不譴是非。以與世. 俗處。」(独り天地の 精神往来して、万物敖倪せず、是非を譴めず、以て世俗と処す)「天.

剰余価値学説史 マルクス=エンゲルス全集 26巻1,2,3 :目次


              (経済学マルクスリンク::::::::::

剰余価値学説史 マルクス=エンゲルス全集 26巻1,2,3 :目次

http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/26123.html
マルクス『資本論』:メモ及び目次
http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/blog-post_29.html?m=0
NAMs出版プロジェクト: プルードン/マルクス往復書簡 1846
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_10.html

マルクス 剰余価値学説史 簡易目次
大月書店 マルクス=エンゲルス全集 26巻1,2,3 online

https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK02_26_01
第26巻Ⅰ 剰余価値学説史 第1分冊
第26巻序文
剰余価値学説史(『資本論』第4巻)第1分冊
手稿『剰余価値に関する諸学説』の内容目次 3
一般的覚え書き 7
第1章 サー・ジェームズ・ステュアート.「譲渡に基づく利潤」と富の積極的増加との区別 8
第2章 重農学派 12
第3章 A.スミス 48
第4章 生産的および不生産的労働に関する諸学説 160
第5章 ネッケル.資本主義では階級対立が貧困と富との対立として現われるということ 376
第6章 余論.ケネーによる経済表 381
第7章 ランゲ.労働者の自由に関するブルジョア的-自由主義的見解にたいする論難 429
〔補録〕
科学の経済的役割に関する,労働と価値とに関する,ホッブズの所説 441
ペティ 443
ペティ,サー・ダッドリ・ノース,ロック 459
ロック.ブルジョア的自然法理論の立場からの地代および利子の取扱い 460
ノース.資本としての貨幣.利子率の低下の原因としての商業の拡大 465
富の源泉としての勤労に関するバークリの所説 471
ヒュームとマッシー 472
重農学派に関する章への補足 480
ビュア.土地貴族の賛美 484
ジョン・グレー.重農学派の立場からの土地貴族にたいする論難 486
余論(生産的労働について) 492
資本の生産性.生産的労働と不生産的労働 495
『資本論』第1部および第3部のプラン草案 526

https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK02_26_02
第26巻Ⅱ 剰余価値学説史 第2分冊

剰余価値学説史(『資本論』第4巻) 第2分冊
第8章 ロートベルトゥス氏.余論.新しい地代論 3
第9章 いわゆるリカードの法則の発見の歴史に関する覚え書き.ロートベルトゥスに関する補足的覚え書き(余論) 138
第10章 費用価格に関するリカードとA.スミスの理論(反論) 205
第11章 リカードの地代論 310
第12章 差額地代の表とその解明 329
第13章 リカードの地代論(結び) 402
第14章 A.スミスの地代論 451
第15章 剰余価値に関するリカードの理論 501
第16章 リカードの利潤論 574
第17章 リカードの蓄積論 それの批判(資本の根本形態からの恐慌の説明) 637
第18章 リカード雑論.リカードの結び(ジョン・バートン) 741
〔補録〕
農業の改良に関するケアリ,マルサスおよびジェームズ・ディーコン・ヒュームの所説 801

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第26巻Ⅲ 剰余価値学説史 第3分冊
剰余価値学説史(『資本論』第4巻) 第3分冊
第19章 T.R.マルサス 3
第20章 リカード学派の解体 83
第21章 経済学者たちにたいする反対論(リカードの理論を基礎とする) 312 ☆
第22章 ラムジ 427
第23章 シェルビュリエ 471
第24章 リチャード・ジョーンズ 516
〔補録〕
収入とその諸源泉.俗流経済学 587
6 プルドンの利子反対論.利子と賃労働制度との関連についての彼の無理解 671 
7 利子反対論においてプルドンを越えるルターの優越.資本主義的諸関係の発展につれての利子観の変化 677 

☆は柄谷行人が『トランスクリティーク』で引用した箇所所収の章。
なお、プルードンが1846年のマルクス宛往復書簡でルターを批判しているので、学説史の最後の補録であてつけのようにルターを評価し、プルードンを批判している。ただし、マルクスはプルードンの交換銀行定款を読んでいないし、マルクスの経済決定論自体はプルードンに往復書簡で示唆されたものだ。マルクスは実践以外はプルードンのプログラムに従っている。

大月書店 マルクス=エンゲルス全集 26巻1,2,3 online

第26巻Ⅰ 剰余価値学説史 第1分冊
第26巻序文
剰余価値学説史(『資本論』第4巻)第1分冊
手稿『剰余価値に関する諸学説』の内容目次3
一般的覚え書き7
第1章 サー・ジェームズ・ステュアート.「譲渡に基づく利潤」と富の積極的増加との区別8
第2章 重農学派12
1 剰余価値の源泉に関する研究の,流通部面から直接的生産部面への移転.剰余価値の唯一の形態としての地代12
2 重農主義の体系における諸矛盾.その封建的外皮とブルジョア的本質.剰余価値の解明における二面性19
3 ケネーにおける社会の3階級.テュルゴーによる重農主義理論のいっそうの発展.資本主義的諸関係のより深い分析の諸要素24
4 パオレッティによる価値と物質との同一視33
5 スミスにおける重農主義的諸要素34
6 資本主義的基礎に立脚する大農業の支持者としての重農学派40
7 重農学派の政治的見解における諸矛盾.重農学派とフランス革命42
8 プロイセンの反動家シュマルツによる重農主義理論の俗流化44
9 重農学派の迷信への反対46
第3章 A.スミス48
1 スミスにおける2つの価値規定48
2 スミスにおける一般的な剰余価値論.労働者の労働生産物からの控除としての,利潤,地代および利子59
3 スミスによる,社会的労働のあらゆる部面における剰余価値生産の発見70
4 資本と賃労働との交換における価値法則の作用に関するスミスの無理解72
5 剰余価値と利潤との混同─―スミスの理論における俗流的要素75
6 利潤,地代および労賃を価値の源泉と見るスミスのまちがった理解81
7 価値と収入との関係についてのスミスの二面的理解.「自然価格」を労賃,利潤および地代の合計と見る彼の見解84
8 社会的生産物の全価値を収入に分解するスミスの誤り.総収入と純収入に関する彼の見解における諸矛盾88
9 スミスの理論を俗流化する者としてのセー.セーにおける社会的総生産物と社会的収入との同一視.それらを区別しようとするシュトルヒとラムジの試み96
10 年々の利潤と賃金が,利潤と賃金のほかに不変資本をも合む年々の商品を買うということは,どうして可能であるか,の研究101
a 消費手段の生産者たちの不変資本をこれらの生産者間の交換によって補填することの不可能性101
b 社会の全不変資本を消費手段の生産者と生産手段の生産者とのあいだの交換によって補填することの不可能性125
c 生産手段生産者間における資本と資本との交換.年々の労働生産物と年々新たにつけ加えられた労働の生産物143
11 価値の尺度に関するスミスの矛盾した見解158
第4章 生産的および不生産的労働に関する諸学説160
1 資本主義的生産の意味での生産的労働は剰余価値を生産する賃労働のことである160
2 生産的労働に関する重農学派と重商主義者の所説162
3 生産的労働のスミスの理解における二面性164
a 生産的労働は資本と交換される労働であるとする説明164
b 生産的労働は商品に実現される労働であるとする説明171
4 生産的労働の規定におけるブルジョア経済学の俗流化190
5 生産的労働のスミスの見解の追随者.対象の歴史について193
a リカードとシスモンディ──生産的労働のスミスの第1の説明の追随者193
b 生産的労働と不生産的労働とを区別しようとする初期の試み(ダヴィナント,ペティ)195
c ジョン・ステュアート・ミル──生産的労働のスミスの第2の説明の追随者202
6 ジェルマン・ガルニエ203
a 資本と交換される労働と,収入と交換される労働との混同.消費者の収入による全資本の補填に関するまちがった考え203
b 資本と資本との交換による不変資本の補填210
c ガルニエのスミスにたいする論難の俗流的諸前提.ガルニエの重農主義的見解への逆もどり.不生産的労働者の消費を生産の源泉とみる見解―─重農学派に比べての一歩後退225
7 シャルル・ガニル232
a 交換および交換価値に関する重商主義的見解232
b あらゆる支払労働の生産的労働への編入240
8 純収入に関するガニルおよびリカードの所説.生産的人口の減少を説くガニル.資本の蓄積および生産諸力の増大を説くリカード246
9 収入と資本との交換269
a 収入と収入との交換270
b 収入と資本との交換275
c 資本と資本との交換286
10 フェリエ.スミスの生産的労働および蓄積の理論にたいする彼の論難の保護貿易主義的性格.蓄積の問題におけるスミスの混乱.生産的労働者に関するスミスの見解における俗流的要素297
11 ローダデール.スミスの蓄積論と彼の生産的および不生産的労働者の区別とにたいする反対者316
12 「非物質的生産物」に関するセーの所説.不生産的労働の無制限な増大の正当化319
13 デステュット・ド・トラシ.利潤の源泉に関する俗流的見解.産業資本家を唯一の生産的労働者だとする賛美323
14 スミスの生産的労働と不生産的労働との区別にたいする論難の一般的特徴づけ341
15 アンリ・シュトルヒ.物質的生産と精神的生産との関係の非歴史的考察.支配階級の「非物質的労働」に関する彼の見解345
16 ナッソー・シーニア.ブルジョアジーにとって有用なあらゆる活動を生産的だとする賛美.ブルジョアジーとブルジョア国家とにたいする追従350
17 ぺレグリーノ・ロッシ.経済的諸現象の社会的形態の無視.不生産的労働者による「労働の節約」という俗流的見解357
18 チャーマズによる,富者,国家および教会の浪費の弁護367
19 スミスと彼の生産的および不生産的労働に関する区別についての結び368
第5章 ネッケル.資本主義では階級対立が貧困と富との対立として現われるということ376
第6章 余論.ケネーによる経済表381
1 借地農業者と土地所有者とのあいだの流通.再生産が行なわれない借地農業者への貨幣の還流382
2 資本家と労働者とのあいだの貨幣流通について389
a 労賃を資本家の労働者にたいする前貸だとする,ばかげたきまり文句.利潤を危険補償とみなすブルジョア的見解389
b 労働者が資本家から買う諸商品.再生産が行なわれない場合の貨幣の還流399
3 経済表による借地農業者と製造業者とのあいだの流通408
4 経済表における商品流通と貨幣流通.貨幣が出発点に還流するいろいろな場合414
5 経済学の歴史における経済表の意義427
第7章 ランゲ.労働者の自由に関するブルジョア的-自由主義的見解にたいする論難429
〔補録〕
科学の経済的役割に関する,労働と価値とに関する,ホッブズの所説441
ペティ443
a 人口理論―─不生産的職業にたいする批判443
b 労働時間による価値の規定445
c 土地価格,地代および利子の規定449
d 「土地と労働とのあいだの自然的な同等関係」454
ペティ,サー・ダッドリ・ノース,ロック459
ロック.ブルジョア的自然法理論の立場からの地代および利子の取扱い460
ノース.資本としての貨幣.利子率の低下の原因としての商業の拡大465
富の源泉としての勤労に関するバークリの所説471
ヒュームとマッシー472
a マッシーとヒュームの利子論472
b ヒューム.利潤と利子との低下は商工業の繁栄による473
c マッシー.利潤の一部分としての利子.利潤率からの利子の高さの説明476
重農学派に関する章への補足480
a 経済表に関する補足的覚え書480
b 重農学派の重商主義への逆もどり.自由競争への要求482
c ケネー.交換では価値は現実には増加しない483
ビュア.土地貴族の賛美484
ジョン・グレー.重農学派の立場からの土地貴族にたいする論難486
余論(生産的労働について)492
資本の生産性.生産的労働と不生産的労働495
a 社会的労働のいっさいの生産力は資本の生産力として現われる495
b 資本主義的生産の体制内での生産的労働500
c 資本と労働とのあいだの交換における2つの本質的に違っている契機505
d 資本にとっての生産的労働の独自な使用価値508
e サーヴィスを提供する労働としての不生産的労働.資本主義の諸条件のもとでのサーヴィス提供の購買.資本と労働との関係をサーヴィス提供の交換と考える俗流的見解511
f 資本主義社会における手工業者および農民の労働518
g 物質的な富に実現される労働としての生産的労働の副次的規定521
h 非物質的生産の領域における資本主義の諸現象522
i 物質的生産の総過程という視角からみた生産的労働の問題523
k 物質的生産の一部門としての運輸業.運輸業における生産的労働524
『資本論』第1部および第3部のプラン草案526
a 『資本論』第1部または第1篇のプラン526
b 『資本論』第3部または第3篇のプラン527
c 『資本論』第3部第2章のプラン527
〔注解〕
〔付録〕
文献目録
人名索引
度量衡および通貨表
第26巻Ⅱ 剰余価値学説史 第2分冊

剰余価値学説史(『資本論』第4巻) 第2分冊
第8章 ロートベルトゥス氏.余論.新しい地代論3
1 農業における超過剰余価値.資本主義の諸条件のもとにおける工業に比べての農業のより緩慢な発展3
2 剰余価値率と利潤率との関係.農業における不変資本の要素としての農業用原料の価値11
3 農業における価値と平均価格.絶対地代16
a 工業における利潤率の均等化16
b 地代の問題の定式化23
c 絶対地代の存在にとって必要な条件としての土地の私的所有.農業における剰余価値の利潤と地代とへの分割32
4 農業の生産費のなかに原料の価値ははいらないというロートベルトゥスの命題42
5 ロートベルトゥスの地代論のまちがった諸前提57
6 工業と農業とにおける平均価格と価値との関係に関するロートベルトゥスの無理解.平均価格の法則69
7 利潤率と地代率とを規定する諸要因に関するロートベルトゥスのまちがった見解78
a ロートベルトゥスの第1の命題80
b ロートベルトゥスの第2の命題84
c ロートベルトゥスの第3の命題100
8 ロートべルトゥスによってゆがめられた法則の真の核心108
9 差額地代と絶対地代との相互関係.地代の歴史的性格.スミスとリカードの研究方法について112
10 地代率と利潤率.歴史的発展のいろいろな段階における農業の生産性と工業の生産性との関係129
第9章 いわゆるリカードの法則の発見の歴史に関する覚え書き.ロートベルトゥスに関する補足的覚え書き(余論)138
1 アンダソンによる差額地代の発見.彼の剽窃者マルサスによって土地所有者の利益のためになされたアンダソンの見解の歪曲138
2 経済的諸現象の評価におけるリカードの根本原理としての生産力の発展.マルサスによる支配階級の最も反動的な諸要素の弁護.ダーウィンによるマルサス人口論の事実上の反駁143
3 地代に関する諸見解の歴史のロッシャーによる偽造.リカードの科学的不偏性の諸実例.農業生産における地代と工業生産における地代.競争の二重の作用148
4 生産物が騰貴する場合の価値と剰余価値との関係の問題におけるロートベルトゥスの誤りと混乱156
5 リカードによる絶対地代の否定―─価値論における彼の誤りの一帰結159
6 穀物価格の不断の上昇に関するリカードの命題.1641-1859年の平均的な穀物価格の表164
7 絶対地代と差額地代との区別,生産的労働と不生産的労働との区別,および私的所有による地代の発生に関するホプキンズの所説170
8 開墾費.穀物価格の上昇期と下落期(1641-1859年)177
9 アンダソン対マルサス.農業の生産性の上昇およびそれが差額地代に及ぼす影響に関するアンダソンの命題181
10 リカードの地代論にたいするロートベルトゥスの批判の無根拠.資本主義的農業の特殊性にたいするロートベルトゥスの無理解188
第10章 費用価格に関するリカードとA.スミスの理論(反論)205
A 費用価格に関するリカードの理論205
1 重農学派の理論の崩壊と,地代に関する見解のいっそうの発展205
2 リカードの労働時間による価値規定.彼の研究方法の歴史的な正当性とその欠陥209
3 「絶対的」価値と「相対的」価値の問題におけるリカードの混乱.価値形態についての彼の無理解216
4 利潤,利潤率,平均価格などに関するリカードの所説221
a 不変資本対可変資本と固定資本対流動資本とのリカードによる混同.相対的価値の変動の彼のまちがった説明221
b リカードによる費用価格と価値との混同.そこから生ずる彼の価値論の諸矛盾.利潤率の均等化の過程と価値の費用価格への転化とにたいする彼の無理解244
5 平均価格または費用価格と市場価格263
a まえがき.個別的価値と市場価値,市場価値と市場価格263
b リカードによる市場価値形成過程と費用価格形成過程との混同267
c リカードにおける「自然価格」の2つの規定.労働の生産性の変動に基づく費用価格の変動273
B 費用価格に関するスミスの理論280
1 費用価格論におけるスミスのまちがった前提.スミスの価値と費用価格との同一視を保持することによるリカードの前後撞着280
2 労賃,利潤および地代の「自然率」に関するスミスの理論288
第11章 リカードの地代論310
1 アンダソンおよびリカードによる地代論の展開の歴史的諸条件310
2 リカードの費用価格の説明の欠陥と彼の地代論へのその影響315
3 リカードの地代定義の不十分321
第12章 差額地代の表とその解明329
1 地代の量と率との諸変動329
2 差額地代と絶対地代との種々の組合せ.表A,B,C,D,E332
3 表の分析354
a 表Aについて.個別的価値と市場価値との関係354
b リカードの地代論と農業生産性逓減の着想との関連.利潤率の変動との関係における絶対地代の率の変動357
c 生活手段と原料との価値(したがってまた機械の価値)の変化が資本の有機的構成に及ぼす影響に関する考察361
d 市場価値の変動によって生ずる総地代の変動378
第13章 リカードの地代論(結び)402
1 土地所有の非存在というリカードの前提.その位置や豊度に従って行なわれる新たな土地への移行402
2 差額地代は穀物価格に影響を及ぼしえないというリカードの主張.農産物の価格を高くする原因としての絶対地代409
3 農産物の「自然価格」に関するスミスおよびリカードの見解416
4 農業における改良およびそれが地代に及ぼす影響に関するリカードの所説420
5 スミスの地代論とマルサスの2,3の命題とにたいするリカードの批判433
第14章 A.スミスの地代論451
1 問題提起における諸矛盾451
2 農業生産物需要の特殊な性格に関するスミスの主張.彼の地代論における重農主義的要素469
3 スミスによる各種の土地生産物の需給関係の説明.地代論に関する彼の諸結論476
4 スミスによる土地生産物の価格変動の分析489
5 地代の運動に関するスミスの見解および種々の社会的階級の利害に関する彼の評価498
第15章 剰余価値に関するリカードの理論501
A 利潤および地代に関するリカードの所説501
1 リカードによる剰余価値の諸法則と利潤の諸法則との混同501
2 利潤率変動の種々の場合509
3 不変資本価値と可変資本価値との反対の変動およびそれが利潤率に及ぼす影響514
4 リカードの利潤論における費用価格と価値との混同517
5 一般的利潤率と絶対地代の率との関係.賃金低下の費用価格に及ぼす影響520
B 剰余価値に関するリカードの所説532
1 労働の量と労働の価値532
2 労働能力の価値.労働の価値538
3 剰余価値544
4 相対的剰余価値.相対的労賃560
第16章 リカードの利潤論574
1 リカードが剰余価値と利潤とを区別している個々の場合574
2 一般的利潤率(平均利潤)(または「一般的利潤率」)(「通常利潤」)の形成583
a リカードの利潤論の出発点としての与えられた平均利潤率583
b 植民地貿易および一般に対外貿易が利潤率に及ぼす影響に関するリカードのまちがった見解588
3 利潤率の低下に関する法則591
a 利潤率の低下に関するリカードの理解におけるまちがった諸前提591
b 地代の増大が利潤部分を漸次に吸収して行くというリカードの見解593
c 利潤の一部分および資本の一部分の地代への転化.農業に充用される労働量によって変動する地代の大きさ608
d 農産物価格の同時的上昇を伴う利潤率の上昇の歴史的な例証.農業における労働生産性の増大の可能性621
e 利潤率の低下に関するリカードの所説と彼の地代論623
第17章 リカードの蓄積論 それの批判(資本の根本形態からの恐慌の説明)637
1 不変資本を考慮に入れないスミスとリカードの欠陥.不変資本の種々の部分の再生産637
2 不変資本の価値と生産物の価値641
3 資本蓄積のための必要な諸条件.固定資本の償却と蓄積過程におけるそれの役割645
4 蓄積過程における諸生産部門の相互依存.農業および機械製造業における剰余価値の一部分の不変資本への直接的転化650
5 資本化される剰余価値の不変資本および可変資本への転化661
6 恐慌の問題(序説).恐慌による資本の破壊664
7 資本の過剰を認めながら同時に商品の過剰生産を否定する愚かな考え670
8 リカードによる一般的過剰生産の否定.恐慌の可能性は商品と貨幣との内的な対立から生ずる674
9 資本主義の諸条件のもとでの生産と消費との関係に関するリカードのまちがった見解683
10 恐慌の可能性の現実性への転化.ブルジョア的経済の全矛盾の現われとしての恐慌686
11 恐慌の諸形態について694
12 資本主義の諸条件のもとでの生産と消費との矛盾.主要な消費財の過剰生産の一般的過剰生産への転化699
13 生産の増大についてゆけない市場.無制限な需要と無制限な資本投下に関するリカードの見解708
14 過剰生産の基礎としての,抑制しがたい生産力の発展と消費の制限とのあいだの矛盾.一般的過剰生産の不可能に関する理論の弁護論的性格713
15 資本蓄積の種々の方法および蓄積の経済的結果に関するリカードの見解723
第18章 リカード雑論.リカードの結び(ジョン・バートン)741
A 総所得と純所得741
B 機械 機械が労働者階級の状態に及ぼす影響に関するリカードとバートンの所説747
1 リカードの見解747
a 機械による労働者の駆逐に関するリカードの所説747
b 生産における諸改良が商品の価値に及ぼす影響に関するリカードの所説.労働者の解雇によって遊離する賃金財源に関する彼のまちがった見解750
c リカードの誠実さ、機械の使用に関する彼の見解の訂正.彼の新しい問題提起のうちに保特されているまちがった諸前提754
d 機械の採用が労働者に与える諸結果に関するリカードの所説766
2 バートンの見解783
a 資本の蓄積過程における労働需要の相対的減少に関するバートンの所説.この過程における資本の有機的構成の作用についての彼の一面的な理解783
b 労賃の運動と人口の増加に関するバートンの所説789
〔補録〕
農業における需要供給の不断の一致に関する命題の初期の定式化.ロートベルトゥスおよび18世紀の経済学者のなかの実際家797
土地所有者と商人との敵対関係に関するナサニエル・フォースターの所説799
地代と利潤との関係に関するホプキンズの見解800
農業の改良に関するケアリ,マルサスおよびジェームズ・ディーコン・ヒュームの所説801
農業労働の生産性の増大に関するホジスキンとアンダソンの所説803
利潤率の低下804
〔注解〕
〔付録〕


文献目録

人名索引  

度量衡および通貨表


第26巻Ⅲ 剰余価値学説史 第3分冊
剰余価値学説史(『資本論』第4巻) 第3分冊
第19章 T.R.マルサス3
1 マルサスによる商品範疇と資本範疇との混同3
2 剰余価値に関するマルサスの俗流的見解10
3 労働者階級にたいする態度におけるマルサス学派とリカード学派との共通な特徴16
4 マルサスによるスミス価値論の一面的な解釈.リカードとの論争のなかでのスミスのまちがった命題の利用17
5 不変の価値に関するスミスの命題のマルサスによる解釈21
6 労働価値論を反論するにあたっての,マルサスによるリカードの価値法則修正の命題の利用25
7 マルサスの通俗的な価値定義.利潤を価格への付加分とみなす彼の見解.相対的労賃に関するリカードの見解にたいする反論28
8 生産的労働と蓄積とに関するマルサスの所説33
a 生産的労働と不生産的労働33
b 蓄積34
9 不変資本と可変資本(マルサスの見解における)35
10 マルサスの価値論40
11 過剰生産.「不生産的消費者」等々42
12 リカードにたいするマルサスの反論の社会的本質.ブルジョア的生産の諸矛盾に関するシスモンディの見解の歪曲57
13 「不生産的消費者」に関するマルサスの見解にたいするリカード学派の批判68
14 マルサスの諸著書の弁護論的で剽窃者的な性格72
15 匿名の著書『経済学概論……』のなかで明示されているマルサスの諸原理75
第20章 リカード学派の解体83
1 R.トレンズ83
a 平均利潤率と価値法則との関係に関するスミスおよびリカードの所説83
b 「労働の価値」と利潤の源泉との規定におけるトレンズの混乱86
c トレンズと生産費の概念97
2 ジェームズ・ミル103
a 剰余価値と利潤との混同105
b 資本と労働とのあいだの交換を価値法則に一致させようとするミルのむだな試み109
c 工業利潤の規制的役割についてのミルの無理解123
d 需要,供給,過剰生産125
e プレヴォ.リカードおよびジェームズ・ミルのいくつかの結論の拒否.利潤の不断の減少は不可避的でないことを証明しようとする試み131
3 種々な論争書138
a 『経済学における若干の用語論争の考察』.経済学における懐疑論138
b 『……原理の研究』.恐慌をひき起こす資本主義的生産の諸矛盾の無理解149
c トマス・ド・クインシ.リカード的立場の欠陥を克服することの不可能158
d サミュエル・ベーリ160
α 『経済学における若干の用語論争の考察』および価値の規定に関するベーリの表面的な相対主義.労働価値論の拒否160
β 「労働の価値」および利潤の規定におけるべーリの混乱.内在的な価値尺度と,商品価値または貨幣価値という表現との混同191
γ ベーリによる価値と価格との混同207
4 マカロック219
a リカードの体系を首尾一貫させるという外観のもとでのそれの俗流化と完全な解体.資本主義的生産の無恥な弁護.非良心的な折衷主義219
b 労働概念の自然過程への拡張によるそれの歪曲.交換価値と使用価値との同一視231
5 ウェークフィールド.労働の価値および地代に関するリカードの理論にたいする異論247
6 スターリング.需要供給による利潤の説明248
7 ジョン・ステュアート・ミル251
a 剰余価値率と利潤率との混同.「譲渡に基づく利潤」の観念の諸要素.「前貸利潤」に関する混乱した諸見解251
b 資本家が自分の不変資本を自分で生産するように変わる場合に起こる利潤率の外観上の変化281
c 不変資本の価値変動が剰余価値や利潤や労賃に及ぼす影響について287
8 リカード学派への結論的覚え書き310
第21章 経済学者たちにたいする反対論(リカードの理論を基礎とする)312
1 『国民的苦難の根源と救済策.……ジョン・ラッセル卿への書簡』,ロンドン,1821年(匿名)312
a 剰余労働としての利潤,地代,利子について.資本の蓄積と「労働財源」との相互関係312
b 単純再生産および拡大再生産における資本と収入とのあいだでの交換について323
c この筆者の功績と誤謬.対外貿易について.真の富としての自由な時間330
2 レイヴンストン.剰余生産物としての資本.資本主義的発展の敵対的形態とその内容との混同.生産力の資本主義的発展の諸成果に関する否定的判断338
3 ホジスキン345
a リカードの理論からの必然的な帰結としての,資本の不生産性に関するテーゼ345
b 資本は蓄積された労働であるというリカードの定義にたいする反論.「共存的な労働」の概念.対象化された過去の労働の過小評価349
c 単なる流通現象としてのいわゆる蓄蔵(在庫など──流通貯水池)367
d 資本家による労働者のための生活手段の「蓄蔵」という着想にたいする反論.資本の呪物化の現実の諸原因にたいするホジスキンの無理解377
e 複利.それに起因する利潤率の低下388
f 労働の社会的性格および資本と労働との関係に関するホジスキンの所説408
g 彼の著書『民衆経済学』におけるホジスキンの基礎的命題の定式化411
h 資本の権力および所有権の変革に関するホジスキンの所説416
4 経済学者たちにたいする対立者としてのブレイ417
第22章 ラムジ427
1 不変資本と可変資本とを区別しようとする試み.非本質的な社会的形態としての資本の把握427
2 剰余価値および価値に関するラムジの見解.剰余価値の利潤への還元.不変資本および可変資本における価値変化が利潤の率と量とに及ぼす影響について430
3 総利潤の純利潤と企業者利潤とへの分割に関するラムジの所説.彼の見解における弁護論的要素459
第23章 シェルビュリエ471
1 不変資本と可変資本とを区別しようとする試み471
2 資本主義的生産の進展につれての可変資本の相対的な減少474
3 資本の有機的構成およびそれの利潤率への影響に関するシェルビュリエの所説.彼の「取得の法則」479
4 拡大再生産としての蓄積について492
5 シェルビュリエにおけるシスモンディ的見解の諸要素.資本の有機的構成.固定資本と流動資本495
6 リカードとシスモンディとの互いに排除し合う見解を調和合一させようとするシェルビュリエの試み512
第24章 リチャード・ジョーンズ516
1 『富の分配と税源とに関する一論』.ジョーンズにおける諸生産様式の歴史的相違にたいするセンス.地代論の個々の問題においてのリカードにたいする彼の優越516
2 『……経済学序講……』.「国民の経済的構造」の概念.「労働財源」に関するジョーンズの混乱535
3 リチャード・ジョーンズ『国民経済学教科書』,ハートフォード,1852年542
a 資本に関するジョーンズの所説.生産的労働と不生産的労働とについての彼の見解543
b 資本生義的生産が生産力の発展に及ぼす影響に関するジョーンズの所説.追加固定資本の充用可能性の諸条件について560
c 蓄積および利潤率に関するジョーンズの所説.剰余価値の源泉について578
〔補録〕
収入とその諸源泉.俗流経済学587
1 資本主義的生産の基礎の上での利子生み資本の発展.資本の一呪物形態としての利子生み資本.資本利子に関する俗流経済学者たちおよび俗流社会主義者たちの所説587
2 産業資本との関係における利子生み資本と商業資本.より古い諸形態.派生的な諸形態605
3 種々の収入という形態での剰余価値の個々の部分の分割.利子と産業利潤との関係.最高度に呪物化された諸収入形態の非合理性611
4 剰余価値の本質――剰余労働──からの剰余価値の諸転化形態のいっそうの分離.「資本家の労賃」としての産業利潤622
5 古典派経済学と俗流経済学との本質的な相違.商品の市場価格の構成要素としての利子と地代.利子および地代の非合理的な諸形態に合理的な外観を与えようとする俗流経済学者たちの試み


6 プルドンの利子反対論.利子と賃労働制度との関連についての彼の無理解 671
   7 利子反対論においてプルドンを越えるルターの優越.資本主義的諸関係の発展につれての利子観の変化 677
    〔注解〕
〔付録〕
   文献目録
   人名索引



『剰余価値学説史』はどう読めばいいのか? | Internet Zone::WordPressでBlog生活

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さて、次↓は、戦前のカウツキー版の目次。戦前の『剰余価値学説史』から拾ってみた。カウツキーは、マルクスの草稿を、経済学者、経済学説の時代順に並べ替えている。

【第1巻】
第1章 重農学派とその2、3の先行者および同時代の人々
 1、サー・ウィリアム・ペティ
 2、チャールズ・ダヴィナント
 3、サー・ダッドレイ・ノースとジョン・ロック
 4、デヴィッド・ヒュームとジョセフ・マッシィ
 5、サー・ジェームズ・スチュアート
 6、重農学派の体系の一般的性質
 7、チュルゴー
 8、フェルディナド・パオレッティとピエトロ・ヴェリ
 9、アダム・スミスの重農主義的見解。彼の翻訳者ジェルマン・ガルニエ
 10、テオドール・アントン・ハインリヒ・シュマルツとグラーフ・ド・ビュア
 11、イギリスの一重農主義者
 12、ネケール
 13、ランゲ
 14、ケネーの『経済表』による社会的総資本の再生産と流通
 『経済表』への付録
  1 表における最初の2つの流通行為
  2 土地所有者と借地農業者との間の流通
  3 最後の流通行為
  4 資本家と労働者とのあいだの流通
  5 流通に必要な貨幣量
  6 商品の売られる前に労賃が前貸しされるということからする資本利潤の説明

第2章 アダム・スミスと生産的労働の概念
 1、アダム・スミスの労働による価値の規定
 2、剰余価値の発源
  (a)利潤
  (b)地代
  (c)資本利子
  (d)租税
  (e)重農学派を超えたスミスの進歩
  (f)より多くの労働とより少ない労働の交換
  (g)剰余価値と利潤の混同
 3、資本および土地所有、価値の源泉
 4、価格の労賃、利潤および地代への分解
  (a)これにかんするアダム・スミスの議論
  (b)他の著述家のこれにかんする議論
 付論
  (1)全資本の労賃および利潤への分解の問題の研究。第1設問
  (2)問題のさらに進める研究。第2の設問
  (3)資本と資本のあいだの交換およびこれにたいする価値変動の影響
  (4)収入と資本の交換
 5、生産的労働と不生産的労働
  (a)資本を生産する労働としての生産的労働の定義
  (b)商品を生産する労働としての生産的労働の定義
  (c)スミスの定義にたいする論争
  (d)アダム・スミスの前後における生産的労働にかんする2、3の見解
   (α)僧侶
   (β)商人と小商人
   (γ)弁護士、医師、役人等々
   (δ)貧民、失業者
  (e)ジェルマン・ガルニエ
  (f)ガニール
  (g)ガニールとリカードウの総収入および純収入論
  (h)フェリエ、スミスの資本蓄積論、生産的労働の新たなる定義
  (i)ラーダデールとセイ
  (j)デステュット・ド・トラシィ、利潤の成立
  (k)ハインリヒ・シュトルヒ、精神的生産
  (l)ウィリアム・ナッツソウ・シィニョア
  (m)ペレグリノ・ロッシ
  (n)トーマス・チャルマーズとアダム・スミスの2、3の見解
 付論 生産的労働の概念

【第2巻】
第1章 剰余価値と利潤
 1、リカードウの著作の構造
 2、リカードウの利潤理論
  (a)リカードウの価値の説明
  (b)利潤、利潤率、生産価格
  (c)生産価格と市場価格
   (α)リカードウの見解
   (β)生産価格と市場価格にかんするスミス
 3、リカードウの剰余価値の叙述
  (a)剰余価値と利潤
  (b)労働の量と労働の価値
  (c)労働力の価値と労働の価値
  (d)剰余価値
  (e)相対的剰余価値
 4、利潤率
  (a)利潤の量と率
  (b)一般的な利潤率の形成

第2章 地代
 1、ロードベルトゥス
  (a)農業と工業
  (b)ロードベルトゥスにおける問題設定、農業における原料
  (c)価値、生産価格および地代
  (d)ロードベルトゥスの地代論の批判
  (e)批判の続き――3つのロードベルトゥスの定式
   (α)第1の定式
   (β)第2の定式
   (γ)第3の定式
  (f)差額地代
  (g)雑
  (h)リカードウにかんするロードベルトゥスの見解
 2、いわゆるリカードウの法則の発見と歴史にかんする注意
  (a)アンダーソンとマルサス。ロッシャー
  (b)絶対地代と差額地代
  (c)1641年から1859年にいたる穀物価格の運動
  (d)アンダーソン地代論
  (e)地代論にかんする種々の著者
 3、リカードウの地代論
  (a)種々な地代論の核心
  (b)リカードウの理論の歴史的諸条件
  (c)農業における価値と生産価格
  (d)リカードウによる地代の説明
  (e)豊穣な土地への移行による地代の変化
   (α)地代の量の変化
   (β)差額地代の諸変動
   (γ)リカードウの正常的場合の叙述
   (δ)リカードによる彼の正常的な場合の叙述
  (f)スミスの地代論にたいするリカードウの批判
  (g)アダム・スミスの地代論
   (α)価値、価格および地代
   (β)常に地代を生ずる土地生産物
   (γ)時には地代を生じ、時には生ぜざる土地生産物
   (δ)2種の土地生産物の価値の関係における諸変動
  (h)生産価格と地代
  (i)地代と利潤率の低落と
   (α)リカードウの諸前提の検討
   (β)この場合にかんするリカードウの所説
 付録 価値変動の、資本の有機的構成におよぼす影響

第3章 資本蓄積と恐慌
 1、単純再生産
 2、収入の資本への転化
 3、蓄積された剰余価値の可変資本および不変資本への転化
 4、恐慌
  (a)恐慌の原因
  (b)商品の過剰生産と資本の過剰
  (c)購買と販売の統一、生産過程と流通過程の統一
  (d)全般的過剰生産と部分的過剰生産
  (e)生産の拡張と市場の拡張
 5、蓄積と消費
第4章 雑
 1、総所得と純所得
 2、機械
  (a)リカードウの見解
  (b)バートンの見解

ちなみに、『剰余価値学説史』というのは、カウツキーが編集・発行するときにつけた表題。『資本論』を刊行し続けていたマイスナー社との関係で、『資本論』とは別の書名をつけざるをえなかったからだと言われている[1]

マルクス自身がつけた表題は「剰余価値にかんする諸学説」。ただし、このタイトルは、『経済学批判』の続巻として、『経済学批判』の「A 商品の分析の史的考察」「B 貨幣の度量単位にかんする諸理論」「C 流通手段と貨幣にかんする諸理論」の続きのつもりでつけられたもの。しかし、書いているうちに、狭い意味での剰余価値にかんする「諸理論」ではすまなくなって、再生産論なども論じられることになった[2]

そして、『資本論』では、『経済学批判』のように商品、貨幣、剰余価値のそれぞれについて、それぞれの理論的展開のあとに学説史をつけるというスタイルをやめて、『資本論』第4部として学説史をとりあげるという構想に変更された。しかし、「61-63年草稿」の「剰余価値にかんする諸学説」は、その第4部の草稿として書かれたものではない。もちろん、もしマルクスが『資本論』第4部を書いていれば、そのときには執筆の材料として「剰余価値にかんする諸学説」を利用しただろう。しかし実際には、マルクスは『資本論』第4部としての学説史にかんする草稿を何も書いていない。このことも、「剰余価値にかんする諸学説」を読むときのポイントだろう。

  1. 『剰余価値学説史』はディーツ社刊。 [↩]
  2. そこらあたりの変転を読み取ることも、『剰余価値学説史』を読み解くカギになるだろう。 [↩]

『剰余価値学説史』(「1861-63年草稿」の「剰余価値にかんする諸学説」部分)には何度か挑戦していますが、まったく歯が立ちません。(^_^;)