羽生善治三冠 特別講演「格言から学ぶ将棋」2013
追記:
藤井聡太将棋ノート
https://i.imgur.com/RXcuguN.jpg
~第一章~
一歩千金、金の引く手に好手あり、

>羽生善治三冠が監修を務めた「羽生善治のやさしいこども将棋入門」は、今年に入って売り上げが急増。
>販売元の出版社「池田書店」は5回目の重版を決めた。4年前に発売した「羽生善治のこども詰将棋入門」も売れている。
http://www.sankei.com/life/news/170628/lif1706280036-n1.html
将棋 出版界も藤井ブーム 本棚ぎっしり「詰め将棋」 2017年6月28日
>中でも「羽生善治のやさしいこども将棋入門」や「どんどん強くなる やさしいこども将棋入門」が人気筋で、「刷ってはなくなる」状態という。
https://mainichi.jp/articles/20170628/ddm/041/040/082000c
藤井四段の大一番に報道陣100人!民放各局もこぞって取り上げ ブーム最高潮で関連本や玩具も爆売れ 2017.6.26
>将棋本を多く出している東京都新宿区の出版社「池田書店」が2011年に発売
>した「羽生善治のやさしいこども将棋入門」は今年4回増刷を重ね、計2万部近くを出荷した。
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170626/soc1706260027-n1.html
うちの子を第2の藤井くんに!将棋グッズ大売れ 2017年6月23日10時17分
>11年に発売された「羽生善治のやさしいこども将棋入門」は今年、4回も重版して計2万部近くを出荷した。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1844481.html
http://a.co/h7FTqv6
覚えて強くなる将棋の格言
序盤中盤終盤の区別がある。
ふりがながありがたい。対照的な格言を対比し並べている点が優れている。太字は49と共通。
将棋の指し方や手筋などの基本になる、昔からいいならわされている言葉、
『格言』をたくさん知っていると将棋の達に役立ちます。
〔序盤の格言〕
●序盤は奇数の歩を突け
奇数の歩とは、1、3、7、9筋の歩。この筋の歩を突けば、攻め駒
の角や銀、桂を前へ進めやすくなる。とくに居飛車と振り飛車との戦いで、
急戦になったときに有効な格言。
●手のないときは端歩を突け
玉を囲い終わり、指す手がなくてなったときは端歩(1、9筋の歩)を
突いておけば失敗か少ないという教え。序盤の端歩突きは、とくに矢倉囲いや
の美濃囲いの戦形で効果がある。
●序盤は飛車より角
ふつう、将棋は飛車を取られると、かなりの不利になる。しかし、序盤で
は飛車より角のほうがよく働くので、序盤での飛車と角の交換ならば、角を
手に入れたほうが得ということ。
●飛角銀桂は攻撃の理想型[攻めは飛角銀桂]
攻めには飛角錐桂を使い、守りには金銀三枚を使うのが基本。
●居玉はさけよ
居玉は、最初に並べた位置から動かない玉。そこは、戦いに巻きこまれや
すく危険な場所。玉は、右か左へ動かし、金銀で囲って守るのが基本。
●玉飛接近悪形(ぎょくひせっきんあくけい)なり
玉は守る駒で、飛車は攻めの主役。そのてつが近くにいると、攻めと守り
か混乱して危険。玉と飛車は、離して戦うのが将棋の基本。これは、中盤や
終盤で飛車を使うときにも言えること。
〔中盤の格言〕
●開戦は歩の突き捨てから
歩を突いて相子に収らせると、相手陣へ歩が打てるようになるなど、攻め
のスピードが増す。将棋は、駒を捨てて戦うゲームでもある。
●飛車先の歩交換三つの得あり
飛車先の歩を交換すると、三つの得があるという教え。一つ目は、歩を持
駒にできる。二つ目は、飛車の利きが相手陣に達する。三つ目は、飛車先が
空くので、駒を進出させたり、打ったりできる。
●二枚換えなら歩ともせよ
角と銀柱のような、大駒一枚と小駒二枚の交換は小駒二枚を取ったほう
か有利なことが多い。ただし、大駒と歩二枚では、ほとんど損な交換になる。
この格言は、二枚換えが有効なことを強調して言い表している。
●離れ駒に手あり[死語]
離れ駒(浮き駒ともいう)はほかの駒と連らくのない駒。相手に離れ駒
があれば、そこを攻めると有利になることが多い。
●不利な時には戦線拡大
部分的に不利な所かあるとき、そこにばかり気をとられていると、よけい
に苦しくなってしまう。そのようなときは、戦いを盤面全体に広げるように
指せば、部分的な不利もたいしたことではなくなってくるという教え。
●両取り逃げるべからす
両取りをかけられたら、必ず一つは取られてしまう。そのようなときは、
二つとも逃げずに、ほうっておくことも考える。ほかの場所で、有効な手を
指したほうが結果としてよいことかある。
●5三のと金に負けはなし
相手陣の要所である5三のマス目に、と金を作ることができれば、勝ちやす
くなるという意味。
●焦点の歩に好手あり
焦点の歩は、相手の駒か二枚以上利いているマス目へ歩を打って攻める手
筋。焦点の歩は、よい手になることが多いので、チャンスを見逃さずに打と
う。
●と金のおそ早(はや)
相手陣に歩を打って、と金を作るのは、最低でも二手かかるので、おそい
攻めのように見えるが、結果的には速い攻めになるという意味。歩が成って
金と同じ働きをすれば、相手にとってはいやな駒になる。
●下段の香に力あり
香車は前へどこまでも利く駒なので、自陣の一段目(下段)にいるときに、
もっとも力を発揮する。香は、自陣を守りなから、相手陣の急所をねらうこ
ともできる駒。
●桂馬の高とび歩のえじき
桂は後もどりのできない駒。調子に乗って進める(高とびする)と、間肛
に歩に取られて(えじきになって)しまうことが多い。
けいさき きんじょうせき
●桂先の銀定跡なり
相手の桂が攻めてきたとき、その桂の先(頭)に銀を打てば、次に桂がど
ちらへはねても取れる。「定跡」とは、もっともよいとされる、ひとつの決ま
った指し方のこと。
●銀は千鳥(ちどり)に使え
野鳥のチドリ(千鳥)類は、斜めに進んでは立ち止まり、また斜めに進む
というジグザグ歩きをする。銀は千鳥のように斜めに動くことで効果を発揮
するという教え。
●馬の守りは金銀三枚
馬を守りに使うと、金銀三枚分もの働きがあるということ。
●遠見の角に好手あり
角の利きは遠くまでが届くので、自陣を守りなから相手隙の攻めにも働か
せることができる。自陣に角を打つのは損なようだけれど、それがよい手に
なることが多い。
〔終盤の格言〕
●終盤は駒の損得より速度
将棋の目的は、相手の玉を詰みにすること。序盤や中盤では、駒交換の損
得は火僻だけど、終盤は駒の損得よりも、相手より早く玉を詰みにすること
を第一に考える。
●攻めるは守るなり
攻げきは最大の防ぎょ。相手の攻めが強く、受け続けてばかりいると負け
てしまうようなときは、攻めることで活路が開けることも多い。
●敵の打ちたい所へ打て
将棋を指していると、相手も自分も打ちたい場所がときどき現れる。そこ
が、勝ち負けを決めるような大事な所(急所)になることも多い。相手
(急所)になることも多い。相手の打ちたい所へ自分が先に打つと、相手
はそこへ打つことができなくなるので有利になる。同じような意味の「敵の急
所は自分の急所」という格言もある。
●一歩千金
千金というのは、とても大きな価値があるという意味。歩は働きの弱い駒
だけど、局面によってはとても重要な駒になる。一枚の歩のあるなしで、勝
ち負けか決まることも多い。同じような意味の「歩のない将棋は負け将棋」
という格言もある。
●端玉には端歩
盤の端(1、9筋)にいる玉を攻めるには、端歩を突くのか有効。柱や角
などの連けいがあると、とても効果的な攻めになる。
●桂先の玉寄せにくし
桂で王手をかけられたら、利きのない桂の先(頭)へ玉を動かすと寄せら
れにくくなる。「桂頭の玉寄せにくし」ともいう。
●桂はひかえて打て
寄せで持駒の柱をすぐに活用できないときは、ひかえて(ねらう場所から
少し離して)打ち、次ではねて攻めると効果的なことが多い。
●玉の腹から銀を打て
銀は横に利かないけれど、玉の横に打っておく腹銀(はらぎん)は、寄せの決め手にな
ることが多い。
●銀は不成(ならず)に好手あり
飛車、角、歩は必ず成ったほうが得な駒。桂や香も成ったほうがよい場合
か多い。ところか銀は、不成のほうがよい手になることが多い。駒を成るか
不成にするかは、局面によって選ぶ。
●一段金に飛車捨てあり
金か自陣の一段目で守っているとき(一段金)は、飛車を打ちこまれても
強い。だから、飛車を相手に取らせる(捨てる)攻めもできるという意味。
●金底(きんぞこ)の歩岩よりかたし
金は守りに欠かせない駒。その金の下に歩を打つと、強い守りになる。自
陣の二段目にいる金の下、一段目に打つ歩を底歩といい、金と底歩の守りは、
岩よりもかたいとたとえた格言。
●金なし将棋に受け手なし
持駒に金かないために、相手の攻めを受けきれずに負けることも多い。
●金はとどめに残せ
玉を詰めるとき、持駒に金を残しておき、最後(とどめ)に打つと詰ませ
やすいという意味。
●金は斜めにさそえ
斜め後ろへ動けない金は、斜め前へ動くと一手では元のマス目にもどれな
い。相手の金を斜めに動かす(さそう)ことによって、守りを弱めることがで
きる。
●金は引く手に好手あり
金は引いて受けるのかよいという教え。「金は斜めにさそえ」の逆で、守
りの格言。
●大駒の捨て時肝要なり
飛角の大駒は、攻めや守りの主役。しかし、大駒を相手に取らすことで、
相手陣を大きくくずしたり、詰みにできたりする手筋があるときは、捨てて
もよい。大駒は人事な駒だけど、いつどこで捨てるかの見極めが大切(肝要)
ということ。
●大駒は離して打て
飛車や角は、その利きを生かすために、なるべく離して打つほうがよいと
いうこと。
●大駒は近づけて受けよ
飛車や角は、近くで攻められると意外と弱いところがある。「大駒は離し
て打て」の逆で、受ける側の有効手段。
●竜は敵陣に馬は自陣に
危は攻めに使い、馬は守りに使うと、もっともよく働くという教え。
●玉は下段に落とせ
寄せで相手の玉を下段(一段目)に落とす(移動させる)と逃げる場所が
少なくなり、詰ませやすくなる。
●中段の玉寄せにくし
「玉は下段に落とせ」の逆で、玉が中段へ逃げてしまうと詰ませにくくなる。
●玉の早逃げ八手の得あり
相手に攻めこまれる前に玉を逃がしたほうが、手数を八手も得するという
意味。ほうっておくと必至になるような局面で、一手早く逃げることで助か
ることも多い。
●玉は包むように寄せよ
一方からの攻めでは、玉を逃がしてしまう。左右や上下から、はさみうち
にすると寄せやすい。同じような意味の「玉は左右から攻めよ」という格言
もある。
●王手は追う手
「玉は包むように寄せよ」の逆で、ただの王手で玉を追いかけ回しても、
結局は逃げられてしまうということ。
チャップリン自伝下310頁#22
やっと彼が着いた。腰布をたくし上げながら、タクシーから降りてくると、たちまちまわりからは、万歳、万歳の声が湧き上った。このごみごみした狭い貧民街で、いま一人の外国人が群衆の歓呼を浴びながら、わびしい小さな家に入って行く。なんともそれは妙な光景だった。彼は三階にあがると、すぐに窓から顔を出乳言通りの群衆に手をふったのである。
ソファに並んで坐ると、たちまちフラッシュの一斉射撃を受けた。わたしは彼の右手に坐わっ教いだ蒔ない相い一″%腱獄「削堀現れい』靱凱わ静なけ餞舞赫砂漱械¨嗅わには蹴に精い婦人が坐っていて、しきりになにかくどくどと話しかけてくる。だが、わたしのほうはガンジーと話す話題のことばかり夢中になって考えているのだから、そんな話など一言も耳にははいっていない。ただフンフンと肯ぐかけだつた。さてヽいよいよ口火を切らなくてはならないのだが、といって、わたしの最近作、どうごらんになりましたか? などと訊きだすのも、相手がガンジーとあっては、変なものにきまっている、――第一、彼が映画など見るかどうか、そのほうがまず問題だった。だが、そのうちに一人のインド婦人が、突然高飛車に例の若い婦人のおしゃべりを封じてしまった。「あなた、いいかげんにおしゃべりおやめになったらどう? チャップリンさんとマハトマとのお話を伺いましょうよ」
ぎっしりつまった部屋の中が、 一瞬シーンとなった。仮面のようなガンジーの顔が、わたしの言葉を待って緊張した。おそらく同時に、全インド人の緊張ででもあったのだろう。わたしは、まずせきばらいを一つした。「もちろん、わたしは、自由を求めるインド、そしてまた、そのために闘っているインドに対して、心からの共鳴を感じていますよ。しかし、あなたのあ
の機械嫌いというのには、どうもちょっとこだわりますね」
彼は軽く笑ってうなずいた。わたしは、なおもあとをつづける。「要するにですよ、機械というものが、世のため、人のためということで使われさえすれば、これは人間を奴隷の状態から解放し、労働時間を短縮し、それによって、知性の向上、生活のよろこびというものを、増進するのに役立つことはきまってるんですからね」
「おっしゃることはよくわかります」彼は静かに言った。「しかしですよ、インドでは、それらの目的を達成する前に、まずイギリスの支配から解放されなければならないのです。現に過去において、わたしたちは機械のおかげでイギリスの奴隷になってしまったのです。したがって、もしその隷属状態から脱却しようと思えば、唯一の途は、まず機械で作られる一切の商品をボイコットすること、それ以外にはないのです。わたしたちインド人が、自分の糸は自分で紡ぎ、自分の布は自分で織るということ、それをすべての国民の愛国的義務であると規定したのも、実はそのためなのです。これがイギリスのような強大国家に対する、わたしたちの攻撃法なのです――もちろん、ほかにもまだ理由はいろいろありますがね。たとえばインドとイギリスとでは、風土がちがいます。習慣や欲望もちがいます。イギリスでは寒いために骨の折れる勤労や複雑な経済が必要でしょう。あなた方にはナイフやフォークなど食器を作る工業が必要でしょうが、わたしたちは指で食べます。そうしたことが、そのままいろんな相違になって現われてくるわけです」
なるほど、よくわかつた。自由のために闘っているインドの闘争、そのいわば用兵作戦における立派な実物教訓を示されたようなものだった。そしてそれは、逆説めいて聞えるかもしれぬが、鉄のような実行意志をもった、きわめて現実的、かつ男性的な理想家によって鼓舞されているのだった。彼はまた、こんなことも言った。最高の独立とは、 一切の不要なものをふりすてることであり、また暴力は、必ず結局において自滅するというのだった。
報道陣が引きあげると、彼は、しばらく残って彼らの礼拝を見て行かないかと言った。まずガンジーが床にあぐらをかいて坐ると、五人のインド人たちも、彼を囲んで丸くなって坐る。ロンドン貧民街のどまんなか、六人の人間が小さな部屋の床に
賜だらをかいて坐っている。サフラン色の太陽がはるか屋根のかなたにみるみる沈んでゆく。敬虔な祈りの声がしずかに流れる。そしてわたしひとりがソフアに坐って、彼らを見おろし漿熟弔げ檄膨雄銀飾つ妙綺勁崎げ度っけ孵熟掛隷れ瑚い凛畔Ⅷ行制げ鑑一改資け篠は凛い和稀榊りの声を聞いていると、すべて霧のように消えてしまうのだった。なんという大きな逆説だろう。