ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』参考動画リスト
『シネマ1 運動イメージ』財津理、斎藤範訳 法政大学出版局、2008
Cinéma 2: L'image-temps (1985)
『シネマ2 時間イメージ』宇野邦一ほか訳 法政大学出版局、2006
ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』(Gilles Deleuze ,LE BERGSONISME, 1966)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/gilles-deleuze-le-bergsonisme-1966.html
記号と事件
『運動イメージ』について
ドゥルーズ──視線の概念が本当に必要かどうか、疑わしいと思いますね。目ははじめから事物のなかにあるのだし、イメージの一部にもなっている。つまり、目というのはイメージの可視性のことなのです。…
目に相当するのはキャメラではなく、遮蔽幕(スクリーン)のほうです。
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ体系:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_72.html
ドゥルーズ体系: 分子化
スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
Hegel\ | /Heidegger
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン;Bergson
\|/
【規定】差異と反復ーーシネマ①②ーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学]
フーコー/ | (ヒューム)
(Marx)アンチ Freud
/・オイディプス\
サルトル 【 総 合 】 ニーチェ;Nietzsche
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』参考動画リスト(→シネマ2)
以下、邦訳シネマ1より
第1章
<エイゼンシュテインは、、、、或るいくつかの突撃と叫びを選択して、それらのシーンを絶頂の状態にまで推し進め、それらを互いに衝突しあうようにさせている。>
(シネマ1邦訳p.11)
具体的な題名はないが、、、、
(以下『メキシコ万歳』より)
http://www.youtube.com/watch?v=5O8wc4VBDj0#t=3m35s
第2章
<ゲアトルーズは、ドライヤーが第5次元あるいは第6次元と呼んでいたもののなかに移って行ったのだ。>(邦訳シネマ1p.53)
Gertrud 1964 Dreyer last scene
http://www.youtube.com/watch?v=kwgQ2mu3M7A
Gertrud
http://www.youtube.com/watch?v=7hxfw1sq5FY
http://www.youtube.com/watch?v=01U65dEHuiw#t=4m
第3章
<弁証法的な合成(モンタージュ)は、『イワン雷帝』に再発見されるだろう。>
(シネマ1邦訳p.63)
Ivan the Terrible - Part Two - 7/9
http://www.youtube.com/watch?v=DfcpFUDYtrY
Ivan The Terrible - Trailer (1945)
http://www.youtube.com/watch?v=JcJkHCihTmE
<それ(影)は、(略)ムルナウの『サンライズ』におけるモンタージュの母体である。、、、、繊細な様々な明-暗、、、、『サンライズ』では溺れた妻をさがすシーン、、、>(シネマ1邦訳p.90-91)
Sunrise: A Song of Two Humans (1927) 9/9
http://www.youtube.com/watch?v=h1PpFELH4O4
第4章
<どうすれば、わたしたち自身を解体することができるだろうか。それが、バスター・キートン主演の映画作品『フィルム』における、ベケットの驚くべき企てである。>
(シネマ1邦訳p.120より)
Samuel Beckett - Film
http://www.youtube.com/watch?v=3ObkLuevz5M
Samuel Beckett- FILM (silent 1965) 1/2
http://www.youtube.com/watch?v=Yws4Rty2kXw
補足:
(以下、ベケット『フィルム』試論 菊池慶子 より)
<シナリオ冒頭には「存在するとは知覚されることである。」Esse est percipi.というアイルランドの観念論者ジョージ・バークリの命題が引用され、「知覚する者」O と「知覚されるもの」Œ に分かたれた主人公は、この命題に抗うかのような逃亡と追跡を繰り広げるのだ。スクリーンに映し出される光景はキートン演ずる対象 O を追うカメラアイ Œ が見ているそれであり、Oは Œ を含む全ての「他者」の視線がもたらす苦痛を避けるために逃げ続ける。彼の「知覚されること」からの逃亡は「非−存在」への探求である。しかし最終的に彼は、決して打ち消すことの出来ない自らの知覚 Œ に遭遇してしまう。
この奇妙な宙吊り状態の知覚と(非−)存在とが、この作品の主題とされる。しかし実際の映画『フィルム』には、シナリオにはない、この主題をひっくり返すようなシーンが差し挟まれている。だが、その他の撮影時の変更点とは違い、このシーンについては、今まで殆ど言及されてこなかった。
その問題のシーンとは、まるで脈を計っているかのように見える O の両手のクローズ・アップである。ただし、本来脈は心臓に近い左手首の血管の上の皮膚に右手の指を当てることで計られるが、映画の中で三回繰り返されるこのシーンでは手の左右が全て逆になっているのだ。手の左右さえ正しければそのポーズはまさしく脈を計る行為であり、主題とは明らかに矛盾する。つまり、『フィルム』における「存在」のための要件が「(他者によって)知覚されること」であるのに対し、「脈を計る」行為は分裂し他者となった Œ を必要としない O の自己知覚の行為であると言える。
だが、左右の逆転により、このシーンは上述の行為を想起させるものにとどまり、その意味もまた宙吊りにされる。>
第5章
<ランドウの映画作品『バードウ・フォーリーズ(Bardo Follies)』[という実験映画]の中で、プロセスの総体と、液体の状態から気体の状態への移行とが概括的に表現されている。>
(シネマ1邦訳p.152)
youtubeに該当作品なし
(以下の動画に3秒ほど引用されていた。)
http://www.youtube.com/watch?v=SPtBbSls4fU#t=2m
参考サイト:
http://hcl.harvard.edu/hfa/films/2007spring/land.html
http://blogs.dion.ne.jp/wuemme/archives/551318.html
同作家の他作品
http://www.youtube.com/watch?v=oRd3727lwXs
http://www.youtube.com/watch?v=OZqLnNWEtos
第6章
<グリフィスの作品には、とりわけ強度的セリーがすでにいくつか存在している、、、(、、、『散りゆく花』)、、、>
Broken Blossoms 9/10
http://www.youtube.com/watch?v=D9853ozGcsY#t=4m20m
<、、兵士たちのクロースアップ、、、(『国民の創世』)>(シネマ1邦訳p.163)
THE BIRTH OF A NATION PART 2
http://www.youtube.com/watch?v=8TWWPhBvJJo#t=13m30s
第7章
<ドライヤーの作品においては「パッション」は「法悦」の様態で現れていた、、、>(邦訳シネマ1p193)
The Passion of Joan of Arc (1928) 8/8
http://www.youtube.com/watch?v=a-VvDjRg4nA
<、、、ブレッソンの作品においては、「パッション」はそれ自体裁判であり、、、、>(邦訳シネマ1p193)
Procès de Jeanne d'Arc: Stake, but no steak
http://www.youtube.com/watch?v=6eN3TvxkuMA
The Trial of Joan of Arc Trailer, 1962
http://www.youtube.com/watch?v=hr0anFEyP2U
第8章
<『皆殺しの天使』では、悪しき反復の法則が、、、、部屋の中に招待客をとどめるのに対し、良き反復は、それらの限界を消滅させて招待客を世界に開く、、、、>(邦訳シネマ1p233)
The Exterminating Angel Trailer
http://www.youtube.com/watch?v=ERHL5nzEMmM
第9章
<、、、闘争=二元性、、、このタイプの行動イメージは、、、いくつかの主要なジャンルを通じて展開してゆく、、、第一のジャンルはドキュメンタリーである。、、、『極北の怪異』は、ひとりのイヌイットであるナヌークがその家族とともに着岸するときの環境の提示から始まる。>(邦訳シネマ1p251-2)
http://www.youtube.com/watch?v=bVbQVWkdcFk#t=5m5s
<ある短篇傑作(『致命的な一杯のビール』)でフィールズは、「犬を外に出せない天気だ」と声を張り上げ、(略)すぐに誰が投げたかわからない雪の玉を顔いっぱいに食らう。>
(シネマ1邦訳p.269)
http://www.youtube.com/watch?v=RgpHfQpYxl4#t=4m57s
http://www.youtube.com/watch?v=DOXhjf5JYVY#t=1m2s
http://www.youtube.com/watch?v=WAKCwXkDl74#t=2m30s
第10章
<工夫を凝らした機械の発明、、、『ピラミッド』における大発明、、、、ホークスにおいて、包括者の構造に取って代わる傾向をもっているのは、まさに純然たる機能主義である。>(邦訳シネマ1p289-290)
Land of the Pharaohs (1955)
http://www.youtube.com/watch?v=OihFMMgJSU0#t=2m
<、、、小形式、、、戦争でチャーリーは、銃を撃つたびに[木の板に]印をつけていくのだが、ひとたび敵の銃弾が応じるやその印を消す。>(邦訳シネマ1p295)
charlie chaplin shoulders arms
http://www.youtube.com/watch?v=N4jaxohUGIc#t=4m
第11章
<時間は全面的に肯定されるのだが、ただしその空間のもろもろの[独立]変数のひとつの関数[従属関数]という形式で肯定されるのである。たとえば『雨月物語』では、わたしたちは、まず主人公が妖女と風呂に入るのを見て、、、、、最後に、二人が「数ヶ月後に」食事をしているとされる庭を見る。>
(シネマ1邦訳p.337)
Ugεtsυ Μοnοgαtαri (1953) 7/12(溝口健二)
http://www.youtube.com/watch?v=paDMVyXsTp4#t=6m55s
雨月物語 6/9
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5030120
<黒澤は、彼自身の側で、行動イメージの別のアスペクトの限界に立ち向かっていた、、(『どですかでん』、そこにはスラム街があり、それを統一するものはただひとつ、自分を路面電車[あるいはその運転手]だと思い込んでスラム街を横断する白痴の水平運動。)>(シネマ1邦訳p.340)
Akira Kurosawa tribute with George Lucas, Steven Spielberg
http://www.youtube.com/watch?v=HRiBBehTnZU#t=5m10s
第12章
<チコがハーポに或る言葉[flash-light]を投げかけると、ハーポはそれに対応するものを差し出していかなければならず、こうして絶えず変質してゆくセリーができあがる(たとえば、『けだもの組合』のなかでのセリー、、flash-fish-flesh-flask-flush、、、)>
(シネマ1邦訳p.346)
Animal Crackers part 6(マルクス兄弟)
http://www.youtube.com/watch?v=cpSYKKbMBOc#t=45s
Animal Crackers (6/9) Movie CLIP - Where's The Flesh? (1930) HD
http://www.youtube.com/watch?v=cvmcGY_VwvU
<『めまい』(ヒッチコック)から本当のめまいがわたしたちに伝わってくる。そして、めまいを起こさせるものはたしかに、ヒロインの心のなかにある、「同じ」女と「同じ」女との関係である。>
(シネマ1邦訳p.355)
Alfred Hitchcock - Vertigo (1:11:24-1:15:00)
http://www.youtube.com/watch?v=GnpZN2HQ3OQ#t=1m20s
シネマ2は以下、
http://nam-students.blogspot.com/2011/07/blog-post.html