http://www.freeassociations.org/
負債論 貨幣と暴力の5000年 デヴィッド・グレーバー 著
http://nam-students.blogspot.jp/2018/02/5000.html @
参考:
ピケティ、グレーバー対談
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/08/httpstranslate.html?m=1
#4関連
負債への着目はドゥルーズが先。柄谷行人もここから影響を受けているはず。
グレーバーは批判的に言及しているが。
115#4ニーチェ
^
654ドゥルーズ
AO#7
ドゥルーズ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』
http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_5039.html
ニーチェ(『道徳の系譜』)、ドゥルーズ(『ニーチェと哲学』)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/09/httpnam-students.html
* 50 実際,この類似性は, 古代においても気づかれていた. 老子(『老子』
27 章)は「割符なしで数える者, 錠前なしで扉を守ろうとする者」に言
及している(『老子』蜂屋邦夫訳注,岩波文庫,125-26 頁 [ただし, こ
こでいわれている割符は本文においては計算棒である]). 「聖人は割符の
左半分をもっていても, その履行を強制しない. 徳のあるものは, 割符を
管理するだけで, 徳のないものが割符の履行を強制する」との主張は最も
有名である(第79章同上『老子』351 頁).
David Graeber: debt and what the government doesn't want you to know
2015/10/28
https://youtu.be/LxJW7hl8oqM
Anthropologists study taboo things everybody knows.
...
today i want to talk about Wong let's call it the peter paul principle
the less the government is in debt the more everybody else is
the mathematics are simple
imagine 40 poker chips peter has half paul has the rest obviously if peter gets 10 more then paul has 10 less.
now look at this it's a diagram of the balance between public and private sectors notice.
how the top is an exact mirror of the bottom this is what's called an accounting identity.
one goes up the other must necessarily go down what this means is that.
if the government declares we must act responsibly and pay back the national debt and runs a budget surplus then it.
the public sector is taking in more money in taxes out of the private sector than it's paying back.
in that extra money has to come from somewhere so if the government goes into surplus the private sector goes into deficit if the government reduces its stat everyone else has to go into debt in exactly.
that proportion in order to balance their own budgets.
...
money is debt bank notes are just a bunch of circulating ious don't believe me look at any banknote in your pocket.
it says i promise to pay the bearer the sum of five pounds
see it's an io pounds are either circulating government debt or they're created by banks by making loans that's where money actually comes from.
...
人類学者は誰もが知っているタブーなことを研究している。
...
今日は ウォン(円=お金)の話をしたいと思います
ピーター・ポールの原理です 借金が減れば皆が増える
数式は簡単
ポーカーチップ40枚を想像してみてください ピーターは半分を持っています
ポールは残りを持っています
明らかにピーターが10枚増えた場合、ポールは10枚減っています。
さて、これを見てください 公的部門と民間部門のバランスの図です。
上が下と正確に一致しているのは、これが会計上のアイデンティティーと呼ばれるものです。
一方が上がれば、他方は、必然的に下がらなければなりません。これが何を意味するかというと、
政府が、責任を持って行動して、国の借金を返済すると宣言して、予算が黒字になれば、
公共部門は、民間部門から、返済よりも多くの税金を取り込んでいます。
政府が黒字になれば民間部門は赤字になり、政府が財政を縮小すれば、他の誰もが正確に借金をしなければなりません。
自分たちの予算のバランスをとるために、その割合で借金をしなければならない。
...お金とは借金です 銀行券はただの流通している紙幣の束です。
私を信じない?
ポケットの中の紙幣を見てください。
5ポンドを持ち主に支払うことを約束すると書いてある
ポンドは、政府の借金を循環させているか、銀行が融資をして作ったもので、それがお金の出所です。
...
RIP David Graeber. A fellow traveller in so many ways. — Stephanie Kelton (@StephanieKelton) September 3, 2020
https://twitter.com/StephanieKelton/status/1301538136418328583?s=20
______
David Graeber: debt and what the government doesn't want you to know.
— luminous woman (@_luminous_woman) November 28, 2020
2015https://t.co/pzlSwq7vEA pic.twitter.com/cP748HfriU
https://twitter.com/_luminous_woman/status/1332532947870629891?s=21
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1332532742702022658/pu/vid/1280x720/BvexMNW82JA2Uq1U.mp4?tag=10
Anthropologists study taboo things everybody knows.
(but no one is supposed to talk about in british society
you can say almost anything you like about sex
economics however is riddled with taboo
there are basic economic principles that everybody knows
but no one is ever allowed to talk about.)
today i want to talk about Wong let's call it the peter paul principle
the less the government is in debt the more everybody else is
the mathematics are simple
imagine 40 poker chips peter has half paul has the rest obviously if peter gets 10 more then paul has 10 less.
now look at this it's a diagram of the balance between public and private sectors notice.
how the top is an exact mirror of the bottom this is what's called an accounting identity.
one goes up the other must necessarily go down what this means is that.
if the government declares we must act responsibly and pay back the national debt and runs a budget surplus then it.
the public sector is taking in more money in taxes out of the private sector than it's paying back.
in that extra money has to come from somewhere so if the government goes into surplus the private sector goes into deficit if the government reduces its stat everyone else has to go into debt in exactly.
that proportion in order to balance their own budgets.
(the chips are redistributed this isn't a theory it's simple math now you might be asking why does anybody have to be in debt why can't everybody.
governments people businesses just live within their means because then there wouldn't be any money.
this is another thing everybody knows but no one really wants to talk about )
money is debt bank notes are just a bunch of circulating ious don't believe me look at any banknote in your pocket.
it says i promise to pay the bearer the sum of five pounds
see it's an io pounds are either circulating government debt or they're created by banks by making loans that's where money actually comes from.
(you might say okay that doesn't mean i'm going to end up in debt just be improvident but in the real world how does distributed has very little to do with fiscal responsibility it's mainly about power the wealthy have a million ways to wriggle out of debt the debt always gets passed off on those least able to pay.)
so when the government runs a deficit creditors rich people again end up holding a lot of government bonds which pay quite low rates of interest.
the government taxes you to pay it off.
all of us have to pay our share.
all that's really happening when it runs a surplus is that same government takes that same debt and effectively transfers it directly to you.
as higher mortgage debt payday loans and so on.
at much higher rates of interest yet somehow taxes never seem to go down.
everyone really knows this it's just a taboo to say it.
because what it really means is if the government balances its books it makes it almost impossible for you to balance yours.
人類学者は誰もが知っているタブーなことを研究している。
(イギリス社会では誰もが口にしてはいけないことですが
エッチのことなら何でも言える
経済学はタブーだらけ
知る人ぞ知る経済原理
誰もが口にすることを許されていない)
今日は ウォン(円=お金)の話をしたいと思います... ピーター・ポールの原理です
借金が減れば皆が増える
数学は簡単
ポーカーチップ40枚を想像してみてください ピーターは半分を持っています
ポールは残りを持っています
明らかにピーターが10枚増えた場合、ポールは10枚減っています。
さて、これを見てください 公的部門と民間部門のバランスの図です。
上が下と正確に一致しているのは、これが会計上のアイデンティティーと呼ばれるものです。
一方が上がれば、他方は、必然的に下がらなければなりません。これが何を意味するかというと、
政府が、責任を持って行動して、国の借金を返済すると宣言して、予算が黒字になれば、
公共部門は、民間部門から、返済よりも多くの税金を取り込んでいます。
政府が黒字になれば民間部門は赤字になり、政府が財政を縮小すれば、他の誰もが正確に借金をしなければなりません。
自分たちの予算のバランスをとるために、その割合で借金をしなければならない。
(なぜ誰もが借金をしなければならないのか、なぜ誰もが借金をしてはいけないのか、と疑問に思うかもしれません。
政府や人々、企業は、自分たちの生活手段の範囲内で生活していれば、お金がないからです。
これは、誰もが知っていることですが、誰もが話したがらないことです。)
お金とは借金です 銀行券はただの流通している紙幣の束です。
私を信じない?
ポケットの中の紙幣を見てください。
5ポンドを持ち主に支払うことを約束すると書いてある
ポンドは、政府の借金を循環させているか、銀行が融資をして作ったもので、それがお金の出所です。
(借金をすることになるわけではないと言うかもしれませんが、現実の世界ではどうやって分配されるかは、財政責任とはほとんど関係がありません。)
政府が赤字になると、債権者である富裕層は、低金利の国債を大量に保有することになります。
政府は、それを返済するために、あなたに税金を課します。
私たち全員が、自分たちの取り分を支払わなければなりません。
それが黒字になると、同じ政府が同じ借金をして、効果的に直接あなたに転送することです。
高額な住宅ローンや給料日ローンなど、
高金利であるにもかかわらず、なぜか税金が下がることはありません。
誰もが知っていることですが、それを言うのはタブーです。
それが本当に意味するのは、政府が帳簿のバランスをとっていれば、あなたが帳簿のバランスをとるのはほとんど不可能になるということです。
RIP David Graeber. A fellow traveller in so many ways. https://t.co/14jyySjLOy
— Stephanie Kelton (@StephanieKelton) September 3, 2020
MMTの思想的背景:歴史学と文化人類学 - HatsugenToday アグリエッタ
https://hatsugentoday.hatenablog.com/entry/2019/06/30/220449シェイブテイル (@shavetail) | |
グレーバー(負債論)によれば5000年に及ぶ貨幣の歴史の中で世界的に「信用」よりも地金が支配的になる時代は紀元前800年~紀元後600年と大航海時代以後の1450年~1971年の2回で、どちらも戦乱と掠奪の時代で、現代のような国家による信用ネットワークは構築できない時代だったようです。 twitter.com/LucGov/status/…
|
シリーズ 欲望の経済史~ルールが変わる時~ http://www4.nhk.or.jp/P4384/
放送 NHK Eテレ。全6回。22:30~23:00。
時代の欲望が生む資本主義のルール、それはどこで書き換えられた?「ルール」が変わる時をつかみ出し世界の知性とともに考える。大反響「欲望の資本主義」からスピンオフ。
話数 | タイトル | テーマ | 放送日 |
---|---|---|---|
01 | 時が富を生む魔術 ~利子の誕生~ | 利子の歴史 | 2018/01/05 |
02 | 空間をめぐる攻防 ~グローバリズムと国家~ | 東インド会社 | 2018/01/12 |
03 | 勤勉という美徳 ~宗教改革の行方~ | 宗教改革による社会の変化 | 2018/01/19 |
04 | 技術が人を動かす ~産業革命からフォーディズムへ~ | 技術革新と資本主義の関係 | 2018/01/26 |
05 | 大衆の夢のあとさき ~繰り返すバブル~ | バブル経済について | 2018/02/02 |
シリーズ 欲望の経済史[新]~ルールが変わる時~1▽時が富を生む魔術~利子の誕生~
今、揺れる世界経済。資本主義の歴史とは、際限のない欲望のドラマだ。壮大な経済史を、欲望という視点から捉える異色のドキュメント。なぜ世界同時不況は起きるのか?なぜバブルは繰り返すか?どこに「ルールが変わる」ポイントがあったのか?6つのポイントに立ち返る旅に出る。「資本主義の終えん」も叫ばれる今だからこそ考える、知の冒険シリーズ。第一回は利子の誕生に着目する。時が富を生む魔術はいかにして成立したのか?
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/91726/1726001/index.html
番組内容
今、経済に注がれる眼差しが熱い。英EU離脱、トランプ現象、揺れる世界経済…。資本主義の歴史とは、際限のない欲望のドラマだ。千年近くの壮大な経済史を、欲望という視点から捉える、異色のドキュメント。
なぜ、世界同時不況は起きるのか?なぜ、バブルは繰り返すのか…?
総合、BS1で反響を生んだ「欲望の資本主義」。その問題意識を発展させ、どこに「ルールが変わる」ポイントがあったのか?6つのポイントに立ち返る旅に出る。「資本主義の終焉」も叫ばれる今だからこそ考える、知の冒険シリーズ。資本主義の流れを読み解く異色の欲望の考現学。資本主義のルールを書き換える場となった世界のポイント、世界経済のフロントランナー、経済史の専門家などに取材、エピソードをまじえ構成する。
・1月 5日 第1回 時が富を生む魔術~利子の誕生
・1月12日 第2回 空間をめぐる攻防~グローバル化と国家~
・1月19日 第3回 勤勉という美徳~宗教改革の行方~
・1月26日 第4回 技術が人を動かす~産業革命からフォーディズムへ~
・2月 2日 第5回 大衆の夢のあとさき~繰り返すバブル~
・2月 9日 最終回 欲望が欲望を生む~金融工学の果てに~
【出演】ジョセフ・スティグリッツ(コロンビア大学 教授),アンジェラ・オルランディ(フィレンツェ大学 経済学部 准教授),ウルリケ・ヘルマン(経済ジャーナリスト),トーマス・セドラチェク(チェコ総合銀行 アナリスト),ファウスト・スバッフォーニ(サン マルコ修道院 神父),ルドビカ・セブレゴンディ(パラッツォ ストロッツィ美術館 キュレーター美術史家),フランスワ・デルマンジュ(ジュネーブ大学 神学部 教授),ロバート・スキデルスキー( ウォーリック大学 名誉教授),ザンジーブ・メフタ(イギリス東インド会社 会長),ロバート・ブライス(国立海洋博物館 学芸員),ケビン・オウローク(オックスフォード大学 歴史学部教授),ルーベン・シャルケ(ユトレヒト大学 研究員),ジェイムス・モリソン(ロンドン スクール オブ エコノミクス 国際関係学科 准教授),バリー・アイケングリーン(カリフォルニア大学 経済学部 教授 元IMF上級政策アドバイザー),ダニエル・コーエン(パリ経済学院 経済学 教授)ほか
番組スタッフから【この番組を企画したきっかけは?】
大きな反響をいただいた、総合、BS1の「欲望の資本主義」から、さらに問題意識を絞りスピンオフさせたシリーズです。
そもそも「時が富を生む」という「魔術」としての「利子」は、どこでどんな時代の欲望から生まれたのか?様々な欲望の形が生まれるポイントをつかみ出し、現在との間を行き来します。
【番組の見どころは?】
歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。あのカール・マルクスの言葉ですが、ここにすべては集約されます。
様々な世界の知性、専門家たちが、「欲望の歴史」を紐解き、その本質の読み解き方を語ってくれます。
【見てくださる方に一言】
歴史とは、「現在と過去との絶えざる対話」(E・H・カー)です。
どうぞ、2018年の今から振り返るからこその「ルールが変わる時」を味わい、歴史の遠近法を捉え直してみていただければ幸いです。
ご一緒に、知の冒険に出かけましょう。(番組プロデューサー 丸山俊一)
42 Comments:
KeisukeHonda(本田圭佑) (@kskgroup2017)
2018/05/02 10:51
最近読んだお気に入りの本。シェアしたいと思ったくらいなので是非。
https://twitter.com/kskgroup2017/status/991495245933182976
デヴィッド・グレーバー 負債論
★ものを考えるのは、ある意味で、例外状態あるいはアブノーマルな事態から考えることです。
たとえば、誰でも重い病気になると人生について考えますね。
ノーマル(規範的)ではない形態から出発するというのは、
ものを考える上での基本的な姿勢だと思うんです。
しかし、それはノーマルな状態を軽蔑することではない。
ただ、日常的なノーマルなものが、どんなに複雑であるか、
またそれが堅固に見えてどんなに脆弱であるか、そういったことを知るために不可欠なのです。
ニーチェはそれを「病者の光学」と呼んだと思います。
それは、他のあらゆる事柄についてもあてはまります。
<柄谷行人;“議会制の問題”(1992早稲田大学学園祭講演)−『<戦前>の思考』>
齊藤 誠 (@makotosaito0724)
2019/05/23 11:08
今日の金融論はグレーバー負債論10章の中世、迫力の章。「政府から独立した神の秩序としての経済」というイスラームの考えを、アダム・スミスは「政府から独立した自生的な秩序としての経済」と換骨奪胎した。国富論には、ガザ―リーやトゥースィーなどイスラム学者の著作からの引用が確認されている。
MMTと、経済学という名の過つ神 | 三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」Powered by Ameba
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12450574739.html
2019/3/30
…
もっとも、貨幣論の「表券主義」と「金属主義」の争いは、それこそ古代ギリシャから延々と続けられてきました。何しろ、アリストテレス、アダム・スミス、ジョン・ロックと言ったド著名人の皆様が、ことごとく貨幣認識を間違えていたというのが人類の歴史なのです。
MMT以前に、貨幣認識が正しいか否かは、
「銀行預金がどのように発行されるおカネなのか?」
を問いただすだけで分かります。
もちろん、答えは「借用証書と引き換えに、銀行が書くことで発行されるおカネ」ですが、普通の人は銀行預金を含む「おカネのプール」が存在し、そこから「調達してくる」と考えてしまうのです。つまりは、金属主義の延長ですね。
無論、おカネが貴金属など、特定の形を持つ分かりやすいものでなければならない状況もあります。特定の貨幣社会が、異なる貨幣社会と「交易」をする場合です。為替市場や為替レートがない場合、債務と債権の記録としてのおカネでは取引ができませんものね。
アテネが紙幣を発行(書くだけだけど)していたとして、アテネ・ドラクマは異なるポリスであるコリントやスパルタでは通用しません。結果、交易の際に「価値を保存」できる貴金属が重宝されたのです(実際には、古代ギリシャのアテネは紙幣を発行しておりませんでした。念のため)
アリストテレスは、「政治学」において、貨幣について特定の共同体(例えば家族、あるいは部族)が小さいうちは、人々は財(モノ)を共同で保有していた。共同体が分離していくと、人々はそれぞれ必要なものと不要なものを交換する「物々交換」を始めた。やがて、国(古代ギリシャの場合は都市国家ポリス)と国との間で輸出入がなされるようになった。結果的に、モノの代わりを「貨幣」が務めるようになっていった、と説明しています。
つまりは、物々交換の延長線上で「貨幣」が生まれたと解説しているのです。
アダム・スミスも同じです。分業が進み、それぞれが自らが生産する「モノ」と自らが、必要とする「モノ」を交換する。この物々交換の不便さを解消するために貨幣が生まれた。というのがアダム・スミスの主張ですが、根本から間違っています。人類が特定共同体の「中」で物々交換の経済を成立させていた歴史は確認されていません。
そういえば、地動説と天動説の戦いも、古代ギリシャに端を発していますが(フィロラウスやアリスタルコスなど)、その後、真っ当な地動説が出現するのが、16世紀のコペルニクスです。
人類は、何と1800年以上も「根本から間違えている天動説」のパラダイムの下で生きてきたのです。
理由の一つは、一神教にあると考えます。「神が地上を創造した」以上、地球が太陽の周りをくるくる回っているような状況は「受け入れがたい」という話だったのではないでしょうか。
現在の貨幣論争における神は「経済学」です。経済学は、金属主義の貨幣観で発展してしまいました。
そして、「経済学教徒」である経済学者たちは、自分たちの神のパラダイムを破壊する表券主義やMMTを絶対に認めない。まさに、地動説のガリレオ・ガリレイが、キリスト教の「異端諮問」にかけられたのと同じ状況が現代に出現しているわけです。
とはいえ、金属主義や貨幣ヴェール論は、間違っているから間違っているのです。経済学という「過つ神」を殺さなければ、日本国の繁栄はないのです。
グレーバー負債論#10でスミスへのイスラムの影響についての依拠したのは以下、
Seeking the Roots of Adam Smith's Division of Labor in Medieval Persia
Hamid Hosseini
History of Political Economy, 1998, vol. 30, issue 4, 653-681
Keywords: Adam Smith; division of labor; Persia (search for similar items in EconPapers)
Date: 1998
References: Add references at CitEc
Citations Track citations by RSS feed
Downloads: (external link)
http://hope.dukejournals.org/content/30/4/653.full.pdf+html link to full text (text/html)
Access to full text is restricted to subscribers.
https://read.dukeupress.edu/hope/issue/30/4
https://ja.scribd.com/document/389250449/Roots-of-Adam-Smith-Division-of-Labor-in-Medieval-Persia
もしくは、
CONTRIBUTIONS OF MEDIEVAL MUSLIM SCHOLARS TO THE HISTORY OF ECONOMICS AND THEIR IMPACT: A REFUTATION OF THE SCHUMPETERIAN GREAT GAP
Hamid S. Hosseini
Book Editor(s): Warren J. Samuels Jeff E. Biddle John B. Davis
First published: 01 January 2003
https://doi.org/10.1002/9780470999059.ch3
5つ星のうち4.0負債とは何か、負債(と貨幣)の起源は? 市場はなぜ常に負債を必要とし、しかもそれが常に隠蔽されているのはなぜか。
2018年3月5日
形式: 単行本
本書では、「負債」とは何か、その歴史的起源はどのようなものであったかが論じられる。人間はなぜ「負債」を負うのか――つまり、なぜ他者に対して義務を約束し、その義務は果たさなければならないものとみなされるのか、これが本書のテーマである。
人間が社会の一員として手助けし合う形態には、「コミュニズム」「交換」「ヒエラルキー」の三パターンがある。負債とは、これらのうちの交換とヒエラルキーの(ヘーゲル的に言えば弁証法的矛盾の)統一体である。特に報酬を求めることなく行われる相互の関係(コミュニズム)に対し、「交換」は両者の合意の上、得るものと与えるものとが等しくなる(但し、それが数字で明示されるとは限らない)という意味で、当事者の「対等」な関係を前提とする。他方で「ヒエラルキー」とは支配するものとされるもの、収奪するものとされるものとの関係であり、「対等」とは真逆の関係である。「負債」は対等といううわべに収奪・支配という関係を包摂する。対等であるがゆえに交換という形式をとるのだが、それはヒエラルキーを結果する。イヌイットは言葉の謝礼すら拒絶するという。なぜなら謝礼の言葉を述べることは負うものと負われるものの関係を創りだし、それは「奴隷関係」を生み出すからだ。実際、ひとたび「負債」を負わされた人間は、その歴史的・社会的関係から切り離され、「対等」な関係にある、と見なされる。実際にはその負債は暴力や植民地支配、虚言により創りだされたものであることも少なくない――それこそ歴史を大きく動かしてきた――のだが、ひとたび負債という形をとってしまえば、それは対等な関係の一方が他方に対して負わなければならない義務という形態で表象される。支配者が自分の暴力的支配を正当化する手段こそ「負債」概念なのである。
本書ではA.スミスが繰り返し言及される。論点は二つである。負債のない交換というのは当時のイギリスではそれほど普及していなかった。つまりイギリスでは多くの取引は未だターリー・スティックやトークンによって、つまり個人の発行する負債によって行われていた。それにも関わらず、スミスが負債を発生させない取引として市場の交換を描いたことの意図とは何だったのか。そしてもう一つは、スミスの膨大な著述の中からなぜただ二つのことだけ――商品貨幣の生成理論と「自己の利益のための交換」――だけが、今日に至るまで経済学者はもとより、多くの人々の観念に浸透しており再生産されるのか、である。
スミスの貨幣生成理論(商品貨幣理論)の誤謬は、M.A.イネスをはじめ数多く指摘され、人類学者や歴史学者によって証明されている。誤謬であることがこれほど明々白々なのに、なぜ人の心をとらえ、再生産され続けているのだろうか。スミスの著作の中にみられるおびただしい議論の数々、労働価値説や停滞論、共感の概念などがすべて誤りとして(あるいは重要性がないとして)捨て去られた後にも何故かこの二つの命題だけは常に繰り返されている、という意味で特別な重要性を持つ。そして人類学者たちはなぜそれに代わる神話を創りだせない(あるいは創ったかもしれないが普及しない)のか。(著者は何もスミスの貨幣論の誤謬を指摘することを目的としているわけではない。そんなことはもうとっくにやりつくされているのだ。問題は、それにもかかわらずなぜ、今日に至るまでスミスの議論が繰り返されているのか、だ。)
著者は返す刀で、スミス流の商品貨幣論の対立項となっているネオ・カルタリズム(チャータリズム)(MMT)およびレギュラシオン/コンバンシオン派の信用貨幣論も批判する。著者は一旦はMMTの「租税貨幣論」をテクニカルな意味で受け入れる。貨幣が流通するのは国民が租税債務を受け入れるからだ。この点は、貨幣の素材が紙切れであろうと貴金属であろうと、変わりない。(著者は歴史を「金属貨幣」と「信用貨幣」の入れ替わりとして記述しているが、この意味では基本的にネオ・カルタリズム的な信用貨幣論のスタンスに立っているといえる。)
だがそこから一歩進めてなぜ国家には課税の権利があるのか、を問い始めると途端に議論は朦朧とし始める。ジェフリー・インガムによる「実存的負債」の概念は空疎である。いったいメソポタミアの帝国やモンゴルの支配地域の人々はなぜ帝国による課税を受け入れたのか。「実存的負債」概念では説明ができない。「実存的負債」概念によって国家の徴税権を正当化できるのはフランス革命以降の国家概念とそれと対になるコント流の(デカルト――われ思う、ゆえにわれあり――といったほうがよかった気がするのだが)自分自身を自分以外の世界と分断して表象することができる人格概念を前提とする場合だけである。歴史上、あるいは人類学的に観察される多くの社会ではまったく当てはまらない。その意味では、MMTやコンバンシオン派流の信用貨幣論はスミスの商品貨幣論と同根なのであり、両者は「コインの両面」に過ぎない。
この指摘は、MMT批判のために引用されているのがマイケル・ハドソンの著作(本書はM.ハドソンに大きな影響を受けているが、同時にハドソン自身はMMTのもっとも強力な支持者の一人であり共同研究もいくつかある)からであるという事実によって、より印象付けられる。
結局のところ、貨幣その他「負債」を基礎づける神話の内容は空疎である。貨幣の起源に人間関係、国家や徴税を含むヒエラルキー関係、奴隷制、さらにそうしたものに包摂しきれないさまざまな感覚があったとされる(正直、この辺の説明が本書の中心命題とどのように結びついているのか、評者にはよく理解できなかった)。しかしそれらは人間関係を支配する貨幣の起源でありながら、それと同時に、どれひとつとって、それ自体が直接に商業社会に結びつくものではない。むしろ暴力と支配によって負債は形成され、それが貨幣という入れ物に結びつく。貨幣(負債の数値化とその決済手段)が市場とともに登場するのは、むしろ古代帝国の侵略地域であった。侵略軍が資源の現地調達のため、トークン貨幣による納税を強い、トークンを貨幣とする市場を創りだしていった。そして近代に入り植民地支配を正当化したものも、植民地地域は「負債」を負っている、という大義であった。現代にいたるまで、金貸しが常にシャイロックのような悪人に描かれる一方で「借りた金は返さねばならぬ」という倫理的命題が再生産され債務の償還に失敗したものが「怠け者」「自己責任」の烙印を推され続ける。これを批判しようとする議論もまた、常にこの負債の「対等な交換」という側面だけを見たまま、貨幣は市民の自由に任されるべきか政府の管理におかれるべきかの両者を行き来している。これこそまさに「スミスのユートピア」ということになるのであろう。
著者は本書の最終的な目的は、読者の発想を自由にすることである、という。我々は特定の観念に縛られている。本書で対象とされているのは「借りたものは返さねばならぬ」という固定観念である。一方で無視され続けながらも我々の生活を常に支えているコミュニズム的契機――その中心にあるのは、著者の独特の言葉で言えば「愛」である――を再興することで、新たな認識基盤を創りだすことができるかもしれない(できるに違いない)。これが著者が本書に込めた最終的な目標であるようだ。
しかしながら、著者も繰り返し述べている通り、この「借りたものは返さねばならぬ」という負債の「対等関係」の虚像をはぎ取った後に現れるのはむき出しのヒエラルキー関係とそれを支える暴力装置であろう。コミュニズム的契機がむき出しのヒエラルキー関係に対してどのような関係をとることができるのか本書からは(一読した限りでは)、得られない。著者も、コミュニズム的関係性を基盤にすることで暴力を伴うヒエラルキー関係を一朝にして解体することなどできると考えているわけではない。生まれながらにして負わされてしまった負債(実存的負債概念のように思いこまされているが、その実、暴力と虚偽によりねつ造された負債)を償還するための労働を拒絶せよ、「働くな」という主張(A.ネグリを想起させる)よりは、むしろ、その打ち破りがたいヒエラルキーを見据えながらも「全ての人に職を与えろ」と要求するほうが、そしてその「職」が資本制的な意味での負債を償還するためではなく、今日のヒエラルキーを前提としてその中でその関係を内部から相対化してゆく方向性を選択するほうが(MMTのJGPでは民間部門で雇用されなかった人たちに地域社会が職を与えることが求められるが、そのためにはそこで職を得る人ばかりでなく、多くの地域住民たちが自分たちの地域社会を改善するため、何が必要かを、利潤原則を離れ、自らとらえ返す行動に参加することが求められる)よかったのではないだろうか――その意味で評者は著者よりはMMTの立場に立つものである(たとえ「実存的負債」概念が神話に過ぎないことを認めるとしても)。しかし本書の問題意識は理解しているつもりであるし、多くの人に一読を勧めたい。
690 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 6212-8yfj)[sage] 2020/04/09(木) 12:23:04.69 ID:H+aYPOC70
負債論 貨幣と暴力の5000年 (日本語) 単行本 ? 2016/11/22
デヴィッド・グレーバー (著), 酒井 隆史 (翻訳), 高祖 岩三郎 (翻訳),
21世紀の貨幣論 Kindle版
フェリックス・マーティン (著), 遠藤 真美 (翻訳)
マネーの進化史 (ハヤカワ文庫NF) Kindle版
ニーアル ファーガソン (著), 仙名 紀 (翻訳)
貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで (早川書房) Kindle版
カビール セガール (著), 小坂 恵理 (翻訳)
日本史に学ぶマネーの論理 Kindle版
飯田 泰之 (著)
874 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ f7c9-Dvvr)[sage] 2020/09/17(木) 00:44:14.22 ID:2OQ/N6G/0
BG2C FIN/SUM
中央銀行デジタル通貨(CBDC)はどんな課題を解決するのか?
銀行間決済システムが複雑な理由 星 暁雄2020年9月16日 09:30
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/event/1276018.html
お金、マネーの本質に関しては長い研究の歴史がある。副島氏は、最近の学説に基づき「マネー(お金)とは譲渡可能な
債権である」と述べる。副島氏が語った内容からは離れるが、デヴィッド・グレーバー「負債論 貨幣と暴力の5000年」は文
化人類学の知見に基づき「貨幣(お金)の起源は負債であった」と論じている。
マネーが債権、つまり負債であるなら「誰が背負う負債なのか(債務者は誰か)」が問題となる。負債を背負う主体が異
なれば、異なるマネーとなる。
日本で使われているマネーのうち、紙幣(日本銀行券)や日銀当座預金は日本銀行の負債だ。私たちが手にしている
紙幣は、国の負債が私たちの手元まで流通してきたものである。
一方、民間の銀行預金の正体はその銀行の負債である(銀行マネーの大部分は信用創造により作り出されたマネー
であるため)。銀行が異なれば債務者も異なる。
日本の銀行間の決済サービスは(1) 各銀行のシステム、(2) 全銀システム、(3)日銀ネットと3階層にまたがるシステムとなっている。
異なる銀行間が送金をするときには、全銀システムによるクリアリング(清算、決裁の準備処理)をまず実施するが、それだけ
では完結しない。最終的には日銀ネットを動かし、債権・債務を解消し、各銀行が日本銀行にもつ当座預金口座の金額を
動かす形で銀行間資金決済を完結する(セトルメント)。
anthropologists study taboo things everybody knows but no one is supposed to talk about in british society you can say almost anything you like about sex economics however is riddled with taboo there are basic economic principles that everybody knows but no one is ever allowed to talk about today i want to talk about juan let's call it the peter paul principle the less the government is in debt the more everybody else is the mathematics are simple imagine 40 poker chips peter has half paul has the rest obviously if peter gets 10 more then paul has 10 less now look at this it's a diagram of the balance between public and private sectors notice how the top is an exact mirror of the bottom this is what's called an accounting identity one goes up the other must necessarily go down what this means is that if the government declares we must act responsibly and pay back the national debt and runs a budget surplus then it the public sector is taking in more money in taxes out of the private sector than it's paying back in that extra money has to come from somewhere so if the government goes into surplus the private sector goes into deficit if the government reduces its stat everyone else has to go into debt in exactly that proportion in order to balance their own budgets the chips are redistributed this isn't a theory it's simple math now you might be asking why does anybody have to be in debt why can't everybody governments people businesses just live within their means because then there wouldn't be any money this is another thing everybody knows but no one really wants to talk about money is debt bank notes are just a bunch of circulating ious don't believe me look at any banknote in your pocket it says i promise to pay the bearer the sum of five pounds see it's an io pounds are either circulating government debt or they're created by banks by making loans that's where money actually comes from you might say okay that doesn't mean i'm going to end up in debt just be improvident but in the real world how does distributed has very little to do with fiscal responsibility it's mainly about power the wealthy have a million ways to wriggle out of debt the debt always gets passed off on those least able to pay so when the government runs a deficit creditors rich people again end up holding a lot of government bonds which pay quite low rates of interest the government taxes you to pay it off all of us have to pay our share
all that's really happening when it runs a surplus is that same government takes that same debt and effectively transfers it directly to you as higher mortgage debt payday loans and so on at much higher rates of interest yet somehow taxes never seem to go down everyone really knows this it's just a taboo to say it because what it really means is if the government balances its books it makes it almost impossible for you to balance yours
ハーヴェイは商品貨幣論としてしか読めない
そこがダメだ
MMTは2019オカシオコルテス以降弘まったが
実質はこのグレーバーからだ
https://twitter.com/StephanieKelton/status/1301538136418328583?s=20
https://www.theguardian.com/commentisfree/video/2015/oct/28/david-graeber-what-government-doesnt-want-you-to-know-about-debt-video
David Graeber: debt and what the government doesn't want you to know | C... 2015
https://youtu.be/LxJW7hl8oqM
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1332532742702022658/pu/vid/1280x720/BvexMNW82JA2Uq1U.mp4
人類学者は誰もが知っているタブーなことを研究している。
…
今日は ウォン(円=お金)の話をしたいと思います... ピーター・ポールの原理と呼んでおきます
借金が減れば皆が増える
数式は簡単
ポーカーチップ40枚を想像してみてください ピーターは半分を持っています。
ポールは残りを持っています。
明らかにピーターが10枚増えた場合、ポールは10枚減っています。
さて、これを見てください 公的部門と民間部門のバランスの図です。
上が下と正確に一致しているのは、これが会計上のアイデンティティーと呼ばれるものです。
一方が上がれば、他方は、必然的に下がらなければなりません。これが何を意味するかというと、
政府が、責任を持って行動して、国の借金を返済すると宣言して、予算が黒字になれば、
公共部門は、民間部門から、返済よりも
多くの税金を取り込んでいます。
政府が黒字になれば民間部門は赤字になり、政府が財政を縮小すれば、他の誰もが正確
に借金をしなければなりません。
自分たちの予算のバランスをとるために、その割合で借金をしなければならない。
…
お金とは借金です 銀行券はただの流通している紙幣の束です。
私を信じない?
ポケットの中の紙幣を見てください。
5ポンドを持ち主に支払うことを約束すると書いてある
ポンドは、政府の借金を循環させているか、銀行が融資をして作ったもので、それがお金の出所です。
…
政府が赤字になると、債権者である富裕層は、低金利の国債を大量に保有することになります。
政府は、それを返済するために、あなたに税金を課します。
私たち全員が、自分たちの取り分を支払わなければなりません。
それが黒字になると、同じ政府が同じ借金をして、効果的に直接あなたに転送することです。
高額な住宅ローンや給料日ローンなど、
高金利であるにもかかわらず、なぜか税金が下がることはありません。
誰もが知っていることですが、それを言うのはタブーです。
それが本当に意味するのは、政府が帳簿のバランスをとっていれば、あなたが帳簿の
バランスをとるのはほとんど不可能になるということです。
グレーバー『負債論』の要約でもある
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1332532742702022658/pu/vid/1280x720/BvexMNW82JA2Uq1U.mp4
人類学者は誰もが知っているタブーなことを研究している。
…
今日は Wong(円=お金)の話をしたいと思います... ピーター・ポールの原理と呼んでおきます。
借金が減れば皆が増える。
数式は簡単。
ポーカーチップ40枚を想像してみてください ピーターは半分を持っています。
ポールは残りを持っています。
明らかにピーターが10枚増えた場合、ポールは10枚減っています。
さて、これを見てください 公的部門と民間部門のバランスの図です。
上が下と正確に一致しているのは、これが会計上のアイデンティティーと呼ばれるものです。
一方が上がれば、他方は、必然的に下がらなければなりません。これが何を意味するかというと、
政府が、責任を持って行動して、国の借金を返済すると宣言して、予算が黒字になれば、
公共部門は、民間部門から、返済よりも
多くの税金を取り込んでいます。
政府が黒字になれば民間部門は赤字になり、政府が財政を縮小すれば、他の誰もが正確
に借金をしなければなりません。
自分たちの予算のバランスをとるために、その割合で借金をしなければならない。
…
お金とは借金です 銀行券はただの流通している紙幣の束です。
私を信じない?
ポケットの中の紙幣を見てください。
5ポンドを持ち主に支払うことを約束すると書いてある
ポンドは、政府の借金を循環させているか、銀行が融資をして作ったもので、それがお金の出所です。
…
政府が赤字になると、債権者である富裕層は、低金利の国債を大量に保有することになります。
政府は、それを返済するために、あなたに税金を課します。
私たち全員が、自分たちの取り分を支払わなければなりません。
それが黒字になると、同じ政府が同じ借金をして、効果的に直接あなたに転送することです。
高額な住宅ローンや給料日ローンなど、
高金利であるにもかかわらず、なぜか税金が下がることはありません。
誰もが知っていることですが、それを言うのはタブーです。
それが本当に意味するのは、政府が帳簿のバランスをとっていれば、あなたが帳簿の
バランスをとるのはほとんど不可能になるということです。
:deepl
ハーヴェイが書名を借りたデリダは負債論としてマルクスを読んだがこれも商品貨幣価値から脱していない
グレーバー負債論がやはり重要だ
* 49 Graham 1960:179. (『列子
2』福永光司訳注,平凡社, 1991 年,
333 頁).
* 50 実際,この類似性は, 古代においても気づかれていた. 老子(『老子』
27 章)は「割符なしで数える者, 錠前なしで扉を守ろうとする者」に言
及している(『老子』蜂屋邦夫訳注,岩波文庫,125-26 頁 [ただし, こ
こでいわれている割符は本文においては計算棒である]). 「聖人は割符の
左半分をもっていても, その履行を強制しない. 徳のあるものは, 割符を
管理するだけで, 徳のないものが割符の履行を強制する」との主張は最も
有名である(第79章同上『老子』351 頁).
* 51 あるいは, 金銭上の負債をモラル上の負債へと一息に変えてしまった,
といった方がよいかもしれない. というのも, わたしたちがこの物語を
知っているという事実そのものが, 彼が最終的に報いられたということを
ふくみをもっているからである (Peng 1994:100). 割符を意味する符()
という語が,「天命のしるしとして君主に与えられた吉兆」 という意味で
もあるのは重要だるう)
115#4ニーチェ
^
654ドゥルーズ
324#8
シェイブテイル (@shavetail)
2020/08/04 20:52
グレーバー(負債論)によれば5000年に及ぶ貨幣の歴史の中で世界的に「信用」よりも地金が支配的になる時代は紀元前800年~紀元後600年と大航海時代以後の1450年~1971年の2回で、どちらも戦乱と掠奪の時代で、現代のような国家による信用ネットワークは構築できない時代だったようです。 twitter.com/LucGov/status/…
https://twitter.com/shavetail/status/1290616714569293827?s=21
グレーバーが批判的に言及
115#4ニーチェ
^
654ドゥルーズ
AO#7
現代人類学の偉大なる著書は、モースの『贈与論』であるよりは、むしろニーチェの『道徳の系譜』である。少なくとも、そうでなくてはならないだろう。というのも『道徳の系譜』の第二論文は、「英国式の」交換や利益の考察をすべて消し去って、原始経済を〈債権者-債務者〉の関係における負債の用語で解釈しようとする試みの成功として、他にないものであるからだ。交換や利益を心理学から消し去るのは、それらを構造の中に位置づけるためではない。ニーチェは、古代ゲルマン人の法や僅かなヒンドゥの法といった乏しい材料しかもっていない。しかし彼は、モースのように、交換と負債との間で迷いはしない(バタイユもまた、彼を導くニーチェの刺戟によって、迷いはしないであろう)。登記、コード、刻印といった原始社会体の基本的問題を、これほど鋭い仕方で提起したひとは、これまでに存在しない。
人間は、強度的な胚種的流体を、つまり生物的-宇宙的な大いなる記憶を抑圧することによって、自分を人間として形成しなければならない。
この問いに対する答えは簡単である。それは負債によってである。
法の馬鹿らしさと恣意性、通過儀礼の苦痛のすべて、抑圧や教育のまったく倒錯的な装置、赤熱の烙印、残虐な仕打ち、こうしたものは、人間を調教し、生身の肉の中に刻印し、人間に縁組を可能ならしめ、債権者-債務者の関係の中で人間を形成するという意味しかもってはいない。債権者-債務者の関係は、債権債務のいずれの側においても、記憶に属する事柄である(未来にまで引きのばされる記憶である)。負債は、交換が装う見かけであるどころではなく、大地的そして身体的登記からじかに生ずる効果であり、この登記が用いる直接の手段である。負債は、まったく直接的に登記から生ずるのである。
グレーバーはニーチェに批判的だが大枠はニーチェのラインだ
負債論/D・グレーバー【品切】※2021年8月下旬重版出来予定 – 以文社
http://www.ibunsha.co.jp/books/978-4753103348/
負債論/D・グレーバー【品切】※2021年8月下旬重版出来予定
2010年6月21日
負債論──貨幣と暴力の5000年
デヴィッド・グレーバー(酒井隆史 監訳、高祖岩三郎、佐々木夏子 訳)
『国富論』から『負債論』へ
重厚な書としては異例の旋風を巻き起こした世界的ベストセラー。
現代人の首をしめあげる負債の秘密を、貨幣と暴力の5000年史の壮大な展望のもとに解き明かす。資本主義と文明総体の危機を測定し、いまだ書かれざる未来の諸可能性に賭ける、21世紀の幕開けを告知する革命的書物。
●トマ・ピケティ(経済学者)
『負債論』、愛しています(I Love Debt)。
●レベッカ・ソルニット(『災害ユートピア』著者)
グレーバーは、すばらしく深遠なまでに独創的な思想家である。
●『フィナンシャル・タイムズ』紙
新鮮・魅力的・挑発的、そしてとんでもないタイミングのよさ。
●『ニューヨーク・タイムズ』紙
われわれの経済の荒廃、モラルの荒廃の状態についての長大なフィールド報告。人類学の最良の伝統のなかで、債務上限、サブプライムモーゲージ、クレジット・デフォルト・スワップを、あたかも自己破壊的部族のエキゾチックな慣行のように扱っている。
目次
凡例
第1章 モラルの混乱の経験をめぐって
第2章 物々交換の神話
第3章 原初的負債
第4章 残酷さと贖い
第5章 経済的諸関係のモラル的基盤についての小論
第6章 性と死のゲーム
第7章 名誉と不名誉 あるいは、現代文明の基盤について
第8章 「信用」対「地金」――そして歴史のサイクル
第9章 枢軸時代(前800―後600年)
第10章 中世(600―1450年)
第11章 大資本主義帝国の時代(1450から1971年)
第12章 いまだ定まらぬなにごとかのはじまり(1971年から今日まで)
結論 おそらく世界こそが、あなたから生を借りている[あなたに生を負っている]
あとがき 2014年
世界を共に想像し直すために――訳者あとがきにかえて
著者
デヴィッド・グレーバー(David Graeber)
1961年、ニューヨーク生まれ。文化人類学者・アクティヴィスト。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学人類学教授。
訳書に、
『アナーキスト人類学のための断章』(2006年)
『官僚制のユートピア』(2017年)ほか。
日本語のみで出版されたインタビュー集として『資本主義後の世界のために』(以文社、2009年)がある。
著書に、
Bullshit Jobs: The Rise of Pointless Work, and What We Can Do About It (Penguin, 2019).
Toward an Anthropological Theory of Value:The False Coin of Our Own Dreams (Palgrave, 2001、以文社より近刊予定).
Lost People: Magic and the Legacy of Slavery in Madagascar (Indiana University Press, 2007).
Direct Action: An Ethnography (AK Press, 2007). ほか多数。
マーシャル・サーリンズとの共著に、On Kings (HAU, 2017) がある(以文社より刊行予定)。
監訳者/訳者
酒井隆史 (さかい たかし)
大阪府立大学。社会思想史、都市形成史。
著書に、
『自由論』(青土社、2001年)※2019年8月『完全版 自由論』が河出文庫より刊行。
『暴力の哲学』(河出書房新社、2004年)※2016年、河出文庫。
『通天閣』(青土社、2011年)など。
訳書に、
スラヴォイ・ジジェク『否定的なもののもとへの滞留』ちくま学芸文庫(共訳)
マイケル・ハート、アントニオ・ネグリ『〈帝国〉』以文社(共訳)
マイク・ディヴィス『スラムの惑星』明石書店(監訳)など。
高祖岩三郎 (こうそ いわさぶろう)
翻訳家、批評家、Autonomedia編集委員。
1980年渡米、ニューヨーク在住。
著書に、
『ニューヨーク烈伝』(青土社、2006年)
『新しいアナキズムの系譜学』(河出書房新社、2009年)
『死にゆく都市、回帰する巷』(以文社、2010年)など。
訳書に、Kojin Karatani, Transcritique (MIT Press)
Arata Isozaki, Japan-ness Architicture (MIT Press)
デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』(以文社、2006年)
デヴィッド・グレーバー『資本主義後の世界のために』(以文社、2009年)など。
佐々木夏子 (ささき なつこ)
1976年生まれ。
立教大学大学院文学研究科比較文明学専攻博士課程前期課程修了。
2007年よりフランス在住。現地で翻訳業に従事。
iPhoneから送信
矢吹紹介文
http://www2.big.or.jp/~yabuki/chosa1/jokyo2016.12.debt.pdf
岩波饗宴
(一六) 『かくてわれわれは、いずれも人間の割 符(シュンボロン)1に過ぎん、比目魚2のように截り割られて、一つの者が二つとなったのだから。それで人は誰でも不断に自分の片割れなる割符を索める。だから、かつて男女と呼ばれた双形者の一半に当る男達はすべて女好きであるそうして大多数の姦夫はこの種族から出たのだが、男好きな、姦通家の女達もまた同様である。しかるに女の片割れなる女達はすべて男にはまるで興味がなく、かえって心を女に寄せる、また同性愛者もこの種族から出る。最後に男性の片割れである者はいずれも男性を追いかけるそうして少年である間は彼らはもともと男性の片割れだから成年男子を愛し、またこれと一緒に臥たり抱擁し合ったりすることを喜ぶしかもこれこそ少年や青年のうちもっとも優秀な者なのである。なぜなら彼らは本質上もっとも男性的な者だからだ。なるほど世間には往々彼らを無恥だという者もあるが、それは当らぬ.彼らをそうさせるのは無恥ではなくて、むしろ大胆と勇気と男らしさとであるからである、彼らは自分に似たものを愛重するのである。その有力な証拠は、成長するや、一人前の男子として政治生活に参加する者は独り彼らに限るということである。ところでいったん壮年に達するや、彼らは少年を愛する結婚3や子供を拵えることなどには生来関心するところなく、むしろただ慣習3によってそれを強いられるに過ぎない.結婚せずに友と一生を過すことができれば、それで彼らは満足するのである。つまりこの種の人はきっと少年の愛者となりまた愛者の友4となる、彼は常にその同類を愛重するからである。ましてやもしも少年の愛者がまたは他の何人かが、
1 umbolonと割符(ローマ人のいわゆるTessera hospitalis)すなわち認識標を意味する。古代人の間には、客友はその留した家の主人と袂別するに際して、瓦とか、骰子とか、指環とかいうような物を二つに割り、彼我各一方を保存する慣習があった。後日彼らもしくはその子孫が出会ったとき、これらの両破片を合わせて見て破目が符合すれば、彼らはかつて互いに客友の間柄であったことを認知し得たのである。
2 比目魚の眼と口とは頭の一方の側にのみついているので、あたかも両断されたかのように見える。この比喩はアリストファネス自身の作『リュシストラーテ』の一一五行から藉り来ったものである。
高橋教授の書評空間: 思想としての翻訳 ゲーテからベンヤミン、ブロッホまで :三ツ木道夫 編訳
http://prof-takahashi.blogspot.com/2011/12/blog-post.html?m=1
こうした視点に立って見てゆくと、論旨にヴァリエーションはあるにせよ本書に収録された論考の多くがそうしたドイツ語表現の正統化と普遍化に組みしているのが感じられる。
その中で例外となるのが、ヘリングラートの論考に登場するヘルダーリンの翻訳論と、ヘルダーリンから大きな影響を受けたと考えられるベンヤミンの翻訳論である。そして本書の翻訳論において真に創造的でありうるのはこの例外の側なのである。
ヘルダーリンとベンヤミンの翻訳論に共通しているのは「逐語訳」という「方法」意識である。では「逐語訳」とは翻訳にどのような問題をもたらしているのだろうか。ヘリングラートは。逐語訳のためほとんど理解不能であると揶揄されたヘルダーリンのピンダロスの翻訳について次のように言う。「偉大な詩人にとって言語とは創造すべきものであり、その言語と法則には限界がない。(……)かく形成された言語は一種の有機的統一体になる」(152頁)。ヘリングラートがいう「有機的統一体(コスモス)」の真の意味を捉えるためには、ベンヤミンの次のような言葉を踏まえる必要がある。「諸言語の歴史を超えた親和関係は次の点にある。すなわち諸言語が一つの全体をなしていると考えるなら、どの言語においても一つのこと、しかも同じことが言われているという点である。むろんこれには個別の言語は到達できない。到達できるのは純粋言語、相互に補完しあう諸種の志向性の総体なのである」(194頁)。
ヘリングラートのいう「有機的統一体」の核心をなすのがベンヤミンのいう「純粋言語」に他ならない。そしてベンヤミンにおいては、純粋言語に個別の言語が不断に接近しようとする試みとして翻訳が位置づけられるのである。このとき翻訳において出会う二つの言語は、いわば純粋言語への志向性を内在させる断片、ベンヤミンの用語を借りれば暗号=割符シンボロンとしての「アレゴリー」となる。翻訳とはこの暗号=割符としての諸言語、言い換えれば断片としての諸言語を、そこから純粋言語への志向性を掘り起こしながら組み合わせる作業に他ならない。これもベンヤミンに倣っていえばそれは、個々の星々から天空に「星座コンステラツィオーン」を描き出す作業といってもよいだろう。「逐語訳」とは、こうした断片としての諸言語の組み合わせ作業である翻訳を通して純粋言語を「星座」として浮かび上がらせる方法を意味するのである。その背後にあるのがメシア論的ユートピアニズムを内包するベンヤミン固有の歴史哲学(「根源」をめぐる思考)であることはいうまでもない。
https://kotobank.jp/word/Symbol-11293
世界大百科事典
〈象徴〉を意味する西欧語(英語のシンボルsymbolなど)の語源は,ギリシア語の動詞symballein(〈いっしょにする〉の意)からきた名詞シュンボロンsymbolonで,何かのものを二つに割っておき,それぞれの所有者がそれをつきあわせて,相互に身元を確認しあうもの=割符を意味した。さらに広く,何かを共有していることで,同じ共同体の構成員であることを示す場合にも用いられた。…
1 umbolonと割符(ローマ人のいわゆるTessera hospitalis)すなわち認識標を意味する。古代人の間には、客友(クセノス)はその留した家の主人と袂別するに際して、瓦とか、骰子とか、指環とかいうような物を二つに割り、彼我各一方を保存する慣習があった。後日彼らもしくはその子孫が出会ったとき、これらの両破片を合わせて見て破目が符合すれば、彼らはかつて互いに客友の間柄であったことを認知し得たのである。
2 比目魚の眼と口とは頭の一方の側にのみついているので、あたかも両断されたかのように見える。この比喩はアリストファネス自身の作『リュシストラーテ』の一一五行から藉り来ったものである。
333#8
中国
インカ帝国のキープ(khipu)に似た結ぶ紐を使用
274 考える名無しさん[] 2021/08/23(月) 12:31:20.85 ID:0
> 人類学的に見て
> 「市場」が生まれたきっかけって戦争なんですね。
> 兵士に物資を配布するとき、いちいち戦場に
> 持っていくのではとても間に合わない。
> そこで兵士に貨幣を渡して、価値を国家が保証した。
> だから民間の人も安心して貨幣を受け取るわけです。
> 人類史的に見ると、
> それがマーケットのはじまりらしくて。
> このマーケットというのは、
> 市場(いちば)ではなく、市場(しじょう)ですね。
> いまのフリーマーケットみたいな
> 未開社会にもあるようなマーケットではなくて、
> 我々の知っている、貨幣の交換でおこなわれるマーケット。
> だからマーケットはもともと
> 政治や国家の思惑と密接に結びついている。
これって、マジ?
酒井はグレーバー負債論第九章を拡大解釈したのだろう
最初期のリュディア硬貨は傭兵への支払いに使われたそうだし(341#9)、戦争期の金属貨幣は市場での交換に適していた。
モースは戦争に対して贈与を位置付けた。そして贈与から信用貨幣、市場が生まれたとする。
グレーバーは基本的にはモースのラインだから
酒井の読みは間違い
グレーバーとモースは勿論ズレるがそれを強調しすぎるのはどうかと思う
274 考える名無しさん[] 2021/08/23(月) 12:31:20.85 ID:0
> 人類学的に見て
> 「市場」が生まれたきっかけって戦争なんですね。
> 兵士に物資を配布するとき、いちいち戦場に
> 持っていくのではとても間に合わない。
> そこで兵士に貨幣を渡して、価値を国家が保証した。
> だから民間の人も安心して貨幣を受け取るわけです。
> 人類史的に見ると、
> それがマーケットのはじまりらしくて。
> このマーケットというのは、
> 市場(いちば)ではなく、市場(しじょう)ですね。
> いまのフリーマーケットみたいな
> 未開社会にもあるようなマーケットではなくて、
> 我々の知っている、貨幣の交換でおこなわれるマーケット。
> だからマーケットはもともと
> 政治や国家の思惑と密接に結びついている。
これって、マジ?
酒井はグレーバー負債論第九章を拡大解釈したのだろう
最初期のリュディア硬貨は傭兵への支払いに使われたそうだし(341#9)、戦争期の金属貨幣は市場での交換に適していた。
ただしグレーバーの依拠するモースは戦争に対して贈与を位置付けた。そして贈与から信用貨幣、市場が生まれたとする。
グレーバーは基本的にはモースのラインだから
酒井の読みは間違い
グレーバーとモースは勿論ズレるがそれを強調しすぎるのはどうかと思う
274 考える名無しさん[] 2021/08/23(月) 12:31:20.85 ID:0
> 人類学的に見て
> 「市場」が生まれたきっかけって戦争なんですね。
> 兵士に物資を配布するとき、いちいち戦場に
> 持っていくのではとても間に合わない。
> そこで兵士に貨幣を渡して、価値を国家が保証した。
> だから民間の人も安心して貨幣を受け取るわけです。
> 人類史的に見ると、
> それがマーケットのはじまりらしくて。
> このマーケットというのは、
> 市場(いちば)ではなく、市場(しじょう)ですね。
> いまのフリーマーケットみたいな
> 未開社会にもあるようなマーケットではなくて、
> 我々の知っている、貨幣の交換でおこなわれるマーケット。
> だからマーケットはもともと
> 政治や国家の思惑と密接に結びついている。
これって、マジ?
酒井はグレーバー負債論第九章を拡大解釈したのだろう
最初期のリュディア硬貨は傭兵への支払いに使われたそうだし(341#9)、戦争期の金属貨幣は市場での交換に適していた。
ただしグレーバーも依拠するモースは戦争に対して贈与を位置付けた。そして贈与から信用貨幣、市場が生まれたとする。
グレーバーは基本的にはモースのラインだから
酒井の読みは間違い
グレーバーとモースは勿論ズレるがそれを強調しすぎるのはどうかと思う
国家は常に戦争状態にあるとしても金属貨幣は絶対ではない
したがって金属貨幣に基づく市場観も絶対ではない
酒井はグレーバー負債論第九章を拡大解釈したのだろう
最初期のリュディア硬貨は傭兵への支払いに使われたそうだし(341#9)、戦争期の金属貨幣は市場での交換に適していた。
ただしグレーバーも依拠するモースは戦争に対して贈与を位置付け、そして贈与から信用貨幣、市場が生まれたとする。
グレーバーは基本的にはモースのラインだから
グレーバーとモースは勿論ズレるが酒井のようにそれを強調しすぎるのはどうかと思う
国家は常に戦争状態にあるとしても金属貨幣は絶対ではない
したがって金属貨幣に基づく市場観も絶対ではない
酒井はグレーバー負債論第九章を拡大解釈したのだろう
最初期のリュディア硬貨は傭兵への支払いに使われたそうだし(341#9)、戦争期の金属貨幣は市場での交換に適していた。
ただしグレーバーも依拠するモースは戦争に対して贈与を位置付け、そして贈与から信用貨幣、市場が生まれたとする。
グレーバーは基本的にはモースのラインだから戦争ではなく贈与が重要になる
グレーバーとモースは勿論ズレるが酒井のようにそれを強調しすぎるのはどうかと思う
国家は常に戦争状態にあるとしても金属貨幣は絶対ではない
したがって金属貨幣に基づく市場観も絶対ではない
酒井はグレーバー負債論第九章を拡大解釈したのだろう
最初期のリュディア硬貨は傭兵への支払いに使われたそうだし(341#9)、戦争期の金属貨幣は市場での交換に適していた。
ただしグレーバーも依拠するモースは戦争に対して贈与を位置付け、贈与から信用貨幣、市場が生まれたとする。
グレーバーは基本的にはモースのラインだから戦争ではなく贈与が重要になる
勿論グレーバーとモースはズレるが酒井のようにそれを強調しすぎるのはどうかと思う
国家は常に戦争状態にあるとしても金属貨幣は絶対ではない
したがって金属貨幣に基づく市場観も絶対ではない
グレーバー負債論第九章を拡大解釈したのだろう
最初期のリュディア硬貨は傭兵への支払いに使われたそうだし(341#9)、戦争期の金属貨幣は市場での交換に適していた。
ただしグレーバーも依拠するモースは戦争に対して贈与を位置付け、贈与から信用貨幣、市場が生まれたとする。
グレーバーは基本的にはモースのラインだから戦争ではなく贈与が重要になる
勿論グレーバーとモースはズレるがそれを強調しすぎるのはどうかと思う
国家は常に戦争状態にあるとしても金属貨幣は絶対ではない
したがって金属貨幣に基づく市場観も絶対ではない
日本語としては、負債と信用はセット。 マルクスを齧っている人は信用と恐慌をセットにする。 その枠内でひっくり返そうとするから無理が出る。 商品貨幣が進歩して信用貨幣になるという欺瞞を完全に壊すには、信用を負債とセットにしないと。
バランスシート的に負債は常に信用とセットで、両者は互いに根拠です(マルクスは信用と恐慌をセットで考えますが)。第三者たる保証人に国家を置くか、共同体を置くかは議論が分かれます。素材の思考を優先するとバランスシートが見えません。極端な唯物論は観念論と同じです。
Money is a social relation of credit and debt denominated in a money of account.
Geoffry Ingham 2004a
貨幣とは計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係である。
ジェフリー ・インガム 2004a
2004a) “The Nature of Money,” Economic Sociology: European electronic newsletter, Vol 5 (2), January 2004, pp. 18-28.
kindle
https://www.amazon.co.jp/Nature-Money-Geoffrey-Ingham/dp/0745609961
中野剛志『富国と強兵』^2016
Money is a social relation of credit and debt denominated in a money of account.
Geoffry Ingham “The Nature of Money” 2004
貨幣とは計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係である。
日本語としては、負債と信用はセット。 マルクスを齧っている人は信用と恐慌をセットにする。第三者たる保証人に国家を置くか、共同体を置くかは議論が分かれる。素材の思考を優先するとバランスシートが見えない。極端な唯物論は観念論と同じ。
https://twitter.com/ishizuka_r/status/1429759026691145728?s=21
Money is a social relation of credit and debt denominated in a money of account.
Geoffry Ingham “The Nature of Money” 2004
貨幣とは計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係である。
ジェフリー ・インガム
日本語としては、負債と信用はセット。 マルクスは信用と恐慌をセットにするが。第三者たる保証人に国家を置くか、共同体を置くかは議論が分かれる。素材の思考を優先するとバランスシートが見えない。極端な唯物論は観念論と同じ。
Money is a social relation of credit and debt denominated in a money of account.
Geoffry Ingham “The Nature of Money” 2004
貨幣とは計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係である。
ジェフリー ・インガム
日本語としては、負債と信用はセット。 マルクスは信用と恐慌をセットにするが。第三者たる保証人に国家を置くか、共同体を置くかは議論が分かれる。素材の思考を優先するとバランスシートが見えない。極端な唯物論は観念論と同じ。信用貨幣論は新教ではなくもっと古い。
Money is a social relation of credit and debt denominated in a money of account.
Geoffry Ingham “The Nature of Money” 2004
貨幣とは計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係である。
ジェフリー ・インガム
日本語としては、負債と信用はセット。 マルクスは信用と恐慌をセットにするが。第三者たる保証人に国家を置くか、共同体を置くかは議論が分かれる。素材の思考を優先するとバランスシートが見えない。極端な唯物論は観念論と同じ。信用貨幣論は新教ではなくもっと古い。
kindle
https://www.amazon.co.jp/Nature-Money-Geoffrey-Ingham/dp/0745609961
中野剛志『富国と強兵』^2016
https://twitter.com/ishizuka_r/status/1429759026691145728?s=21
日本霊異記 (平凡社ライブラリー) 文庫 – 2000/1/24
原田 敏明 (翻訳), 高橋 貢 (翻訳)
156 考える名無しさん[sage] 2022/06/20(月) 22:24:08.56 ID:0
負債への着目はドゥルーズの功績のひとつ。グレーバーは批判的に言及しているが。
AO#7
《 現代人類学の偉大なる著書は、モースの『贈与論』であるよりは、むしろニーチェの
『道徳の系譜』である。少なくとも、そうでなくてはならないだろう。というのも『道徳の
系譜』の第二論文は、「英国式の」交換や利益の考察をすべて消し去って、原始経済を
〈債権者-債務者〉の関係における負債の用語で解釈しようとする試みの成功として、
他にないものであるからだ。交換や利益を心理学から消し去るのは、それらを構造の中に
位置づけるためではない。ニーチェは、古代ゲルマン人の法や僅かなヒンドゥの法といっ
た乏しい材料しかもっていない。しかし彼は、モースのように、交換と負債との間で迷い
はしない(バタイユもまた、彼を導くニーチェの刺戟によって、迷いはしないであろう)。
登記、コード、刻印といった原始社会体の基本的問題を、これほど鋭い仕方で提起したひとは、
これまでに存在しない。人間は、強度的な胚種的流体を、つまり生物的-宇宙的な大いなる
記憶を抑圧することによって、自分を人間として形成しなければならない。
…
この問いに対する答えは簡単である。それは負債によってである。
…
法の馬鹿らしさと恣意性、通過儀礼の苦痛のすべて、抑圧や教育のまったく倒錯的な装置、
赤熱の烙印、残虐な仕打ち、こうしたものは、人間を調教し、生身の肉の中に刻印し、
人間に縁組を可能ならしめ、債権者-債務者の関係の中で人間を形成するという意味しか
もってはいない。債権者-債務者の関係は、債権債務のいずれの側においても、記憶に属する
事柄である(未来にまで引きのばされる記憶である)。負債は、交換が装う見かけであるどころ
ではなく、大地的そして身体的登記からじかに生ずる効果であり、この登記が用いる直接の
手段である。負債は、まったく直接的に登記から生ずるのである。》
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