水曜日, 2月 24, 2010

ヘーゲル「討論テーゼ」

以下、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770- 1831)が1801年、大学で講義資格を得るための討論に際して事前に提出した12ヶ条からなる「討論テーゼ(Dissertationi philosophiae. De orbitis Planetarum decía en su segunda tesis)」(あるいはドイツ語で"Hegel's Habilitationsthesen")。ローゼンクランツが伝記で触れているが、残念ながら討論そのものの内容は残されていない(参考『ヘーゲル哲学の基本構造』中野肇308頁より)

参考サイト:
http://books.google.co.jp/books?id=uY4OAAAAQAAJ&pg=PA253&dq#v=onepage&q=&f=false

1. Contradictio est regula veri, non contradictio falsi.
2. Syllogismus est principium Idealismi.
3. Quadratum est lex naturae, triangulum mentis.
4. In Arithmetica vera nee additioni nisi unitatis ad dyadem, nee subtractioni nisi dyadis a triade neque triadi ut summae, neque unitati ut differentiae est locus.
5. Ut magnes est vectis naturalis, ita gravitas planetarum in solem pendulum naturale.
6. Idea est synthesis infiniti et finiti et philosophia omnis est in ideis.
7. philosophia critica caret ideis et imperfecta est Scepticismi forma.
8. Materia postulati rationis, quod philosophia critica exhibet, Cam ipsam philosophiam destruit, et principium est Spinozismi.
9. Status naturae non est injustus et eam ob causam, ex illo exeundum.
10. Principium scientiae moralis est reverentia fato habenda.
11. Virtus innocentiam tum agendi tum patiendi excludit.
12. Moralitas omnibus numeris absoluta virtuti repugnat.


1. 矛盾は真理の規則にして、非矛盾は虚偽の規則なり
2. 推論は観念論の原理なり
3. 四角形は自然の法則にして、三角形は精神の法則なり
4.真なる算術にては、一を二に加うるほかに加法はなく、三より二を引くほかに滅法はなし。また三は和と考うベからず、一は差と考うベからず
5. 磁石が自然の梃子であるように、太陽に向かう諸惑星の重力は自然の振り子である
6. 理念は有限と無限の総和にして、全哲学は理念のうちにあり
7. 批判哲学は理念を欠くがゆえに懐疑論の不完全なる形式なり
8. 批判哲学の樹立せる理性の要請なるものは、まさしくこの哲学そのものを破壊し、スピノザ主義の原則なり
9.自然状態は不義にあらず、さればこそこれより脱れ出でざるべからず
10. 道徳学の原理は運命に捧げられるべき畏敬なり
11. 徳は能動および受動いずれの無罪潔白をも排除す
12. すべてにおいて絶対的なる道徳は徳と矛盾す

和訳と対照しやすいように記述順をあらためると、

1. Contradictio est regula veri, non contradictio falsi.
1.矛盾は真理の規則にして、非矛盾は虚偽の規則なり

2. Syllogismus est principium Idealismi.
2.推論は観念論の原理なり

3. Quadratum est lex naturae, triangulum mentis.
3.四角形は自然の法則にして、三角形は精神の法則なり

4. In Arithmetica vera nee additioni nisi unitatis ad dyadem, nee subtractioni nisi dyadis a triade neque triadi ut summae, neque unitati ut differentiae est locus.
4.真なる算術にては、一を二に加うるほかに加法はなく、三より二を引くほかに滅法はなし。また三は和と考うベからず、一は差と考うベからず

5. Ut magnes est vectis naturalis, ita gravitas planetarum in solem pendulum naturale.
5.磁石が自然の梃子であるように、太陽に向かう諸惑星の重力は自然の振り子である

6. Idea est synthesis infiniti et finiti et philosophia omnis est in ideis.
6.理念は有限と無限の総和にして、全哲学は理念のうちにあり

7. Philosophia critica caret ideis et imperfecta est Scepticismi forma.
7.批判哲学は理念を欠くがゆえに懐疑論の不完全なる形式なり

8. Materia postulati rationis, quod philosophia critica exhibet, Cam ipsam philosophiam destruit, et principium est Spinozismi.
8.批判哲学の樹立せる理性の要請なるものは、まさしくこの哲学そのものを破壊し、スピノザ主義の原則なり

9. Status naturae non est injustus et eam ob causam, ex illo exeundum.
9.自然状態は不義にあらず、さればこそこれより脱れ出でざるべからず

10. Principium scientiae moralis est reverentia fato habenda.
10.道徳学の原理は運命に捧げられるべき畏敬なり

11. Virtus innocentiam tum agendi tum patiendi excludit.
11.徳は能動および受動いずれの無罪潔白をも排除す

12. Moralitas omnibus numeris absoluta virtuti repugnat.
12.すべてにおいて絶対的なる道徳は徳と矛盾す


これらは重要なヘーゲルの宣言文でもあるが、ある種のはったりでもあるので、評価が難しい(前半は神秘的な自然観に基づく論理学であり、後半は批判哲学批判と考えられる)。ただ、大学とは討論の場であったことが原点として確認出来ればいいだろう。ヘーゲル批判に関しては同時期の『惑星軌道論』などを見る必要があるが、その自然科学観(これは現在再評価される部分もある)よりも論理学に的を絞った方がわかりやすいだろう。例えば以下のような批判がある。

以下、山下正男『論理学史』(p225)より

「(ボルツァーノは)例えばヘーゲルの好む表現 "運動とは質点Mが同じ瞬間に同じ場所mにあり,そして,ないことである"(大論理学邦訳岩波中p79より)を論理学の自殺だときめつけ,運動はそうした矛盾律を犯さなくてもつぎのように正しく把握できると主張した. "質点Mが一定の時間Tに運動するとは,Mが同一の場所に静止するようなTの部分tは一つも存在しないということである".」

月曜日, 2月 22, 2010

『森の生活』と東洋思想:メモ(転載)

『森の生活』と東洋思想:メモ

参考:
ソローが参照したとされるJoshua Marshmanの The works of confucian
https://books.google.at/books?id=DF9CAAAAYAAJ&hl=ja
52:


ソローHenry David Thoreau 『森の生活 WALDEN』(1854)には東洋思想が多く引用されている。ヴェーダ、孔子、孟子、曾子(『大学』『論語』『孟子』『中庸』、いわゆる「四書」)などだ。聖書からの引用もある。老子はなぜかない。
小学館今泉吉晴訳はソロー自身の日記からとったスケッチが上部に参照されていて楽しい。
訳はですます調で読みやすいが、中国の古典に関しては引用元がわかりにくいので補足してみたい(この点においては講談社学術文庫及び岩波文庫の注の方が参考になる)。()内は今泉訳の頁番号。

まずは孔子Confucius,King Tching Thang 、論語からの引用。

"To know that we know what we know, and that we do not know what we do not know, that is true knowledge."

「知るとは、本当に知ったということ知ることです。知らないことは知らないと、はっきり知ることです。」(今泉訳第1章経済A21頁 )
  ↓
「知るを知るとなし、知らざるを知らずとせよ、これ知るなり」巻第一為政2−17
「子曰、由誨女知之乎。知之爲知之。不知爲不知。是知也。」(岩波文庫33頁)

"Kieou-pe-yu (great dignitary of the state of Wei) sent a man to Khoung-tseu to know his news. Khoung-tseu caused the messenger to be seated near him, and questioned him in these terms: What is your master doing? The messenger answered with respect: My master desires to diminish the number of his faults, but he cannot accomplish it.. The messenger being gone, the philosopher remarked: What a worthy messenger! What a worthy messenger!"

略(今泉訳第二章どこで、何のために暮らしたか 120頁)

「遽*伯玉使人於孔子、孔子與之坐而問焉、曰夫子何爲、對曰、夫子欲寡其過而未能也、使者出、子曰、使乎使乎、」(憲問第十四、14-26、岩波文庫199頁)

「遽*伯玉(きょはくぎょく)、人を孔子に使いせしむ。孔子これに坐を与えて問いて曰わく、夫子(ふうし)何をか為す。対たえて曰わく、夫子は其の過(あやま)ち寡(すく)なからんことを欲して、未だ能わざるなり。使者出ず。子の曰わく、使いなるかな、使いなるかな。」

「遽 *伯玉が孔子の所へ使いをよこした。孔子は使いの者を席に着かせてから、訊ねられた、「あの方はどうしておられますか。」答えて、「あの方は自分の過ちの少ないようにとしておりますが、未だ出来ないでいます。」使いの者が退出すると、先生は「[立派な]使いだね、[立派な]使いだね。」と言われた。 」
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/7_2.html#anchor417122

"Confucius says truly, Virtue does not remain as an abandoned orphan; it must of necessity have neighbors."

「美徳も仲間なしには立っていられません。美徳もまた、仲間によって支えられています。(今泉訳5独り居173)
  ↓
「徳は孤ならず、必ず隣あり」( 里仁4−25、岩波文庫60頁)
「子曰、徳不孤、必有鄰」
http://sentetu.blogspot.com/2007/02/blog-post_22.html

"You who govern public affairs, what need have you to employ punishments? Love virtue, and the people will be virtuous. The virtues of a superior man are like the wind; the virtues of a common man are like the grass; the grass, when the wind passes over it, bends."

「上に立つ人の徳は風のようです。民衆の徳は草のようと言えるでしょう。」(今泉訳8村220)
  ↓
「君子の徳は風なり。小人の徳は草なり、草はこれに風を上うるとき必ず儒す」(顔淵12ー19、岩波文庫166頁)
「君子之徳風也、小人之徳草也、草上之風必偃、」


「孔子の三つの文章」(今泉訳12動物の隣人288頁)
  ↓
岩波文庫、飯田実の解説では、第5章孤独(今泉訳では「独り居」173頁)に引用された中庸第16章または13章の文章*のこと(岩波文庫『大学・中庸』210頁)。一連の語句をソローは三つに区切って引用しているのである。今泉訳は注が詳しくないので、文脈から言って論語の有名な冒頭の文章「子曰、学而時習之、不亦説乎。/子曰く、学びて時に之を習う、また説しからずや。」のことかと勘違いした。"There never is but one opportunity of a kind."=機会は一度ならず、とソローは書いている。


白文
(略)鬼神之為徳、其盛矣乎、/視之而弗見、聴之而弗聞、体物而不可遺、/使天下之人、斉明盛服、以承祭祀、洋洋乎、如在其上、如在其左右、 (略)(中庸、第十三章)

読み下し文
将に至らんとすれば、善も必ず先にこれを知り、不善も必ず先にこれを知る。故に至誠は神(しん)の如し。
子曰わく、「鬼神(きじん)の徳たる、其れ盛んなるかな。/これを視(み)れども見えず。これを聴けども聞こえず、物を体(たい)して遺(のこ)すべからず。/天下の人をして、斉明盛服して、以て祭祀を承(う)けしむ。洋洋乎(ようようこ)として、その上に在るが如く、その左右に在るが如し」

現代語訳
「神霊のはたらきというものは、いかにも盛んだね。/形を視(み)ようとしても見えないし、音を聴こうとしても聞こえないが、(それでいて、)どんな事物とでもすべて洩(も)れなくいっしょになってはたらいている。/天下の人びとに潔斎(けっさい)して身を清め、りっぱな礼服をつけて祭祀を受けつがせ、(祭場の)辺りいっぱいに満ちあふれて、人びとの頭上にあるかのようであり、また人びとの左右にあるかのようである」
http://csk.web.infoseek.co.jp/nikki-2008-2.html

"From an army of three divisions one can take away its general, and put it in disorder; from the man the most abject and vulgar one cannot take away his thought."

「軍隊も、大きくなって三つの部隊の連合ともなると、統帥する将軍を討ち取っただけで、たちまち乱れる。ところがひとりの人は、いかに貧しく、下劣であっても、その人らしい、考える力を奪うことは出来ない。」(18結論p419)
  ↓
「三軍もその師を奪うべし。匹夫もその志を奪うべからず」(子罕(しかん)第九.26、岩波文庫127頁)
「子曰、三軍可奪帥也、匹夫不可奪志也」
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/5_1.html#anchor311391

なおソローはJoshua Marshmanの The works of confucianを参照したらしい。

参考:
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/kanmei.html
http://www.1-em.net/sampo/rongo_lingual/index_09.htm
論語各国語訳

森の生活 原文
http://thoreau.eserver.org/walden00.html#toc

 その他に孟子Mencius、曽子Thseng-tseu(Zengzi またはTsang)からの引用がある。

"That in which men differ from brute beasts," says Mencius孟子, "is a thing very inconsiderable; the common herd lose it very soon; superior men preserve it ...

「人が獣類と異なるところは、言うに足らぬほどわずかに過ぎない。大衆は、たちまちのうちにその違いを失い、優れた人は注意深くそれを保とうとする」(今泉訳11法の上の法279)
 ↓
「孟子曰、人之所以異於禽獸者幾希、庶民去之、君子存之。」(離婁章句下、『孟子』 第八巻-19、岩波文庫下81頁)

書き下し文:「孟子曰く、人の禽獣に異なる所以(ゆえん)の者は幾ど(ほとんど)希(まれ)なり。庶民はこれを去り、君子はこれを存す(そんす)。舜は庶物(しょぶつ)を明らかにし、人倫を察か(あきらか)にす。仁義に由りて(よりて)行う、仁義を行うに非ざるなり。」

口語訳:「孟子がおっしゃった。『人間と鳥獣とが異なっている点は、ほとんど僅かなものである。庶民は鳥獣との違いを失い、君子はその違いを保持している。舜は万物の理法を明らかにして、人間の踏み行うべき倫理を明らかにした。舜帝は、(先王から続く)仁義の道に依拠して行ったのであり、自分独自の仁義を実践したわけではないのだ。』

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/moushi006.html

「人間の自然なものの捉え方」(今泉訳17章春401頁)

「良心」あるいは「人之情」(孟子告子章句上8「牛山の木の喩」より、岩波文庫下p241)


略(今泉訳第二章どこで、なんのために暮らしたか112頁)

「湯の盤の銘に曰く、荀に日に新たに、日日に新たに、また日にあらたなり。」(大学第二章3岩波文庫45頁)
「湯」とは殷王朝を創始した湯王を指している。聖天子として知られていた。
その湯王が、洗面の器(盤)に「荀日新、日日新、又日新」の九文字を刻み、毎日、洗面する度にそれを見ながら仕事に取り組む姿勢を新たにしたという。


"The soul not being mistress of herself," says Thseng-tseu曾子, "one looks, and one does not see; one listens, and one does not hear; one eats, and one does not know the savor of food." He who distinguishes the true savor of his food can ...

曾子「心が自由でなければ、人は見ても見えず、聞いても聞こえず、食べても味わえない」(今泉訳11章法の上の法、277頁)
 ↓
「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味 」(曾子、『大学』第三章1岩波文庫51頁)


心ここに在らざれば、視れども見えず、聞けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、」
その他にヴェーダをはじめヒンズー教経典からの引用もある。

ヴェーダ「あらゆる才能は朝とともに目覚める」(今泉訳113頁)
(The Vedas say, "All intelligences awake with the morning." Brahmin religious books )
 ↓
原典『ヴェーダ・サンヒター』Sama Veda
SAMAVEDAサーマ・ヴェーダ)。なおヴェーダ・サンヒターからの引用はまだ他にもある(第2章、今泉版121頁)。

参考:
H.D.ソローの書棚(推測) http://sugaihi.ld.infoseek.co.jp/success/bookshelf3.htm リンク切れ


ソローの、ガンジー、マーティンルーサーキング牧師らに影響を与えた部分は『市民としての反抗』(孔子の引用はここにもある)を読んだ方がわかりやすいが、『森の生活』が重要であることはかわらない(タルコフスキーも今泉約131頁の部分を『映像のポエジア』68頁で引用している)。
わからないところは今後調べて行きたい。

木曜日, 2月 18, 2010

グレン・グールド朗読『草枕』The-Three-Cornered-World_1981.


Glenn Gould reads "The Three-Cornered World" by Natsume Soseki
https://youtu.be/jvI5a3kZl0M
 
 

 
(2017/2/8追記:以下はリンク切れ)
  Gould-Glenn_The-Three-Cornered-World_1981.mp3
1981年、グレン・グールドGlenn GOULD(1932〜1982) 、カナダCBCラジオ放送にて。

 「『草枕(三角の世界 The Three-Cornered World )』が書かれたのは1906年、日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマスマンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。
 『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います。最初の章を読んでみましょう。」"The Three-Cornered World"

NATSUME Soseki translation by Alan Turney

Going up a mountain track, I fell to thinking.
Approach everything rationally, and you become harsh.
Pole along in the stream of emotions ,
and you will be swept away by the current.
Give free rein to your desires ,
and you become uncomfortably confined .
It is not a very agreeable place to live , this world of ours.


草枕
夏目漱石

        一

 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
 住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも※(「王へん+樛のつくり」)鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺※(「糸+賺のつくり」)(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、——千金(せんきん)の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である。
 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐(かい)ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏(ひょうり)のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日(こんにち)はこう思うている。——喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片(かた)づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖(ふ)えれば寝(ね)る間(ま)も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支(ささ)えている。背中(せなか)には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽(あ)き足(た)らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
 余(よ)の考(かんがえ)がここまで漂流して来た時に、余の右足(うそく)は突然坐(すわ)りのわるい角石(かくいし)の端(はし)を踏み損(そ)くなった。平衡(へいこう)を保つために、すわやと前に飛び出した左足(さそく)が、仕損(しそん)じの埋(う)め合(あわ)せをすると共に、余の腰は具合よく方(ほう)三尺ほどな岩の上に卸(お)りた。肩にかけた絵の具箱が腋(わき)の下から躍(おど)り出しただけで、幸いと何(なん)の事もなかった。
 立ち上がる時に向うを見ると、路(みち)から左の方にバケツを伏せたような峰が聳(そび)えている。杉か檜(ひのき)か分からないが根元(ねもと)から頂(いただ)きまでことごとく蒼黒(あおぐろ)い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引(たなび)いて、続(つ)ぎ目(め)が確(しか)と見えぬくらい靄(もや)が濃い。少し手前に禿山(はげやま)が一つ、群(ぐん)をぬきんでて眉(まゆ)に逼(せま)る。禿(は)げた側面は巨人の斧(おの)で削(けず)り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋(うず)めている。天辺(てっぺん)に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然(はっきり)している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布(けっと)が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義(なんぎ)だ。
 土をならすだけならさほど手間(てま)も入(い)るまいが、土の中には大きな石がある。土は平(たい)らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩(ほりくず)した土の上に悠然(ゆうぜん)と峙(そばだ)って、吾らのために道を譲る景色(けしき)はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌(いわ)のない所でさえ歩(あ)るきよくはない。左右が高くって、中心が窪(くぼ)んで、まるで一間幅(はば)を三角に穿(く)って、その頂点が真中(まんなか)を貫(つらぬ)いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉(わた)ると云う方が適当だ。固(もと)より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲(ななまが)りへかかる。
 たちまち足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下(みおろ)したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙(せわ)しく、絶間(たえま)なく鳴いている。方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂(ただよ)うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。
 巌角(いわかど)を鋭どく廻って、按摩(あんま)なら真逆様(まっさかさま)に落つるところを、際(きわ)どく右へ切れて、横に見下(みおろ)すと、菜(な)の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金(こがね)の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上(あが)る雲雀(ひばり)が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦(す)れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
 春は眠くなる。猫は鼠を捕(と)る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂(たましい)の居所(いどころ)さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒(さ)める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然(はんぜん)する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
 たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦(あんしょう)して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
  We look before and after
    And pine for what is not:
  Our sincerest laughter
    With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前をみては、後(しり)えを見ては、物欲(ものほ)しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極(きわ)みの歌に、悲しさの、極みの想(おもい)、籠(こも)るとぞ知れ」
 なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳(わけ)には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛(ばんこく)の愁(うれい)などと云う字がある。詩人だから万斛で素人(しろうと)なら一合(ごう)で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨(ぼんこつ)の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲(かなしみ)も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
 しばらくは路が平(たいら)で、右は雑木山(ぞうきやま)、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英(たんぽぽ)を踏みつける。鋸(のこぎり)のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠(たま)を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座(ちんざ)している。呑気(のんき)なものだ。また考えをつづける。
 詩人に憂(うれい)はつきものかも知れないが、あの雲雀(ひばり)を聞く心持になれば微塵(みじん)の苦(く)もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍(おど)るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も——桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物(けいぶつ)に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥(くたび)れて、旨(うま)いものが食べられぬくらいの事だろう。
 しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅(ぷく)の画(え)として観(み)、一巻(かん)の詩として読むからである。画(が)であり詩である以上は地面(じめん)を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲(ひともう)けする了見(りょうけん)も起らぬ。ただこの景色が——腹の足(た)しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴(ともな)わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊(たっ)とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶(とうや)して醇乎(じゅんこ)として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
 恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局(きょく)に当れば利害の旋風(つむじ)に捲(ま)き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩(くら)んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解(げ)しかねる。
 これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観(み)て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚(たな)へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
 それすら、普通の芝居や小説では人情を免(まぬ)かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄(とりえ)は利慾が交(まじ)らぬと云う点に存(そん)するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒(じょうしょ)は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌(いや)だ。
 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通(しとお)して、飽々(あきあき)した。飽(あ)き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞(こぶ)するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界(じんかい)を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌(しいか)の純粋なるものもこの境(きょう)を解脱(げだつ)する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世(うきよ)の勧工場(かんこうば)にあるものだけで用を弁(べん)じている。いくら詩的になっても地面の上を馳(か)けてあるいて、銭(ぜに)の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀(ひばり)を聞いて嘆息したのも無理はない。
 うれしい事に東洋の詩歌(しいか)はそこを解脱(げだつ)したのがある。採菊(きくをとる)東籬下(とうりのもと)、悠然(ゆうぜんとして)見南山(なんざんをみる)。ただそれぎりの裏(うち)に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗(のぞ)いてる訳でもなければ、南山(なんざん)に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的(しゅっせけんてき)に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独(ひとり)坐幽篁裏(ゆうこうのうちにざし)、弾琴(きんをだんじて)復長嘯(またちょうしょうす)、深林(しんりん)人不知(ひとしらず)、明月来(めいげつきたりて)相照(あいてらす)。ただ二十字うちに優(ゆう)に別乾坤(べつけんこん)を建立(こんりゅう)している。この乾坤の功徳(くどく)は「不如帰(ほととぎす)」や「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後(のち)に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気(のんき)な扁舟(へんしゅう)を泛(うか)べてこの桃源(とうげん)に溯(さかのぼ)るものはないようだ。余は固(もと)より詩人を職業にしておらんから、王維(おうい)や淵明(えんめい)の境界(きょうがい)を今の世に布教(ふきょう)して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人(ひとり)絵の具箱と三脚几(さんきゃくき)を担(かつ)いで春の山路(やまじ)をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間(ま)でも非人情(ひにんじょう)の天地に逍遥(しょうよう)したいからの願(ねがい)。一つの酔興(すいきょう)だ。
 もちろん人間の一分子(いちぶんし)だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳(わけ)には行かぬ。淵明だって年(ねん)が年中(ねんじゅう)南山(なんざん)を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪(たけやぶ)の中に蚊帳(かや)を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生(は)えた筍(たけのこ)は八百屋(やおや)へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募(つの)ってはおらん。こんな所でも人間に逢(あ)う。じんじん端折(ばしょ)りの頬冠(ほおかむ)りや、赤い腰巻(こしまき)の姉(あね)さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜(ひのき)に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑(の)んだり吐いたりしても、人の臭(にお)いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵(こよい)の宿は那古井(なこい)の温泉場(おんせんば)だ。
 ただ、物は見様(みよう)でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言(ことば)に、あの鐘(かね)の音(おと)を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第(みようしだい)でいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路(うきよこうじ)の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見(おのうはいけん)の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落(しちきおち)でも、墨田川(すみだがわ)でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情(じょう)三分芸(ぶげい)七分で見せるわざだ。我らが能から享(う)けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際(てぎわ)から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長(ゆうちょう)な振舞(ふるまい)をするからである。
 しばらくこの旅中(りょちゅう)に起る出来事と、旅中に出逢(であ)う人間を能の仕組(しくみ)と能役者の所作(しょさ)に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄(す)てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕(こ)ぎつけたいものだ。南山(なんざん)や幽篁(ゆうこう)とは性(たち)の違ったものに相違ないし、また雲雀(ひばり)や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視(み)てみたい。芭蕉(ばしょう)と云う男は枕元(まくらもと)へ馬が尿(いばり)するのをさえ雅(が)な事と見立てて発句(ほっく)にした。余もこれから逢う人物を——百姓も、町人も、村役場の書記も、爺(じい)さんも婆(ばあ)さんも——ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似(まね)をするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探(さ)ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤(じんじかっとう)の詮議立(せんぎだ)てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差(さ)し支(つかえ)ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳(わけ)に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐(ふところ)には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画(え)の前へ立って、画中の人物が画面の中(うち)をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間(あいだ)三尺も隔(へだ)てていれば落ちついて見られる。あぶな気(げ)なしに見られる。言(ことば)を換(か)えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙(あ)げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識(かんしき)する事が出来る。
 ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂(もた)れ懸(かか)っていたと思ったが、いつのまにか、崩(くず)れ出(だ)して、四方(しほう)はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾(と)くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃(こまや)かでほとんど霧を欺(あざむ)くくらいだから、隔(へだ)たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背(せ)が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾(すそ)と見える。深く罩(こ)める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
 路は存外(ぞんがい)広くなって、かつ平(たいら)だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂(あまだ)れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子(まご)がふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡(ぬ)れたね」
 まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画(かげえ)のように雨につつまれて、またふうと消えた
 糠(ぬか)のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋(ひとすじ)ごとに風に捲(ま)かれる様(さま)までが目に入(い)る。羽織はとくに濡れ尽(つく)して肌着に浸(し)み込んだ水が、身体(からだ)の温度(ぬくもり)で生暖(なまあたたか)く感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行(ある)く。

 茫々(ぼうぼう)たる薄墨色(うすずみいろ)の世界を、幾条(いくじょう)の銀箭(ぎんせん)が斜(なな)めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏(よ)まれる。有体(ありてい)なる己(おの)れを忘れ尽(つく)して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保(たも)つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡(がり)の人にもあらず。依然として市井(しせい)の一豎子(じゅし)に過ぎぬ。雲煙飛動の趣(おもむき)も眼に入(い)らぬ。落花啼鳥(らっかていちょう)の情けも心に浮ばぬ。蕭々(しょうしょう)として独(ひと)り春山(しゅんざん)を行く吾(われ)の、いかに美しきかはなおさらに解(かい)せぬ。初めは帽を傾けて歩行(あるい)た。後(のち)にはただ足の甲(こう)のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目(まんもく)の樹梢(じゅしょう)を揺(うご)かして四方(しほう)より孤客(こかく)に逼(せま)る。非人情がちと強過ぎたようだ。

参考:
青空文庫及び『「草枕」変奏曲』(1998年、横田庄一郎、67頁、69〜75頁)
『グレン・グールド複数の肖像』 ギレーヌ・ゲルタン(少し『草枕』に言及されているだけだが)
Ghyslaine Guertin, Glenn Gould pluriel, Québec, Louise Courteau, 1987. Nouvelle édition augmentée ...
Glenn Gould, Pluriel (Text Collected and Presented By Ghyslaine Guertin)1988
http://www.ubu.com/sound/gould.html
http://ubu.artmob.ca/sound/gould_glenn/Gould-Glenn_The-Three-Cornered-World_1981.mp3
グールド著作集1,2には漱石関連の情報はない。


以下、作業用対訳



山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
Going up a mountain track, I fell to thinking.
 Approach everything rationally, and you become harsh. Pole along in the stream of emotions, and you will be swept away by the current. Give free rein to your desires, and you become uncomfortably confined. It is not a very agreeable place to live, this world of ours.
  When the unpleasantness increases, you want to draw yourself up to some place where life is easier. It is just at the point when you first realise that life will be no more agreeable no matter what heights you may attain, that a poem may be given birth, or a picture created.

:
こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも※(「王へん+樛のつくり」)鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺※(「糸+賺のつくり」)(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)する
-I would go farther, and say that it is not even necessary to make this vision a reality. Merely conjure up the image before your eyes, and poettry will burst into life and songs pour fofth.
(Before even comitting your thoughts to paper, you will feel the crystal tinkling, as of a tiny bell, well up within you; )and the whole range of colours will of their own accord, and in all their brilliance, imprint themselves on your mind's eye, though your canvas stands on its easel, as yet untouched by the brush. It is enough that you are able to take this view of life, and see this decadent, sullied and vulgar world purified and beautiful in the camera of your innermost soul. Even the poet whose thoughts have never found expression in a single verse, or the painter who possesses no colours, and has never painted so much as a single square foot of canvas, can obtain sarvadon, and be delivered from earthly desires and passions.

:
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐(かい)ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏(ひょうり)のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日(こんにち)はこう思うている。——喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片(かた)づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖(ふ)えれば寝(ね)る間(ま)も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。
 After twenty years of life I realised that this is a world worth living in. At twenty five I saw that, just as light and darkness are but opposite sides of the same thing, so wherever the sunlight falls it must of necessity cast a shadow. Today, at thirty my thoughts are these: In the depths of joy dwells sorrow, and the greater the happiness the greater the pain. Try to tear joy and sorrow apart, and you lose your hold on life. Try to cast them to one side, and the world crumbles. Money is important, but be that as it may, when it accumulates does it not become a worry which attacks you even in sleep? Love is a delight', yet should the delights of love, piling one upon another, begin to bear down on you, then you will yearn for those days long ago before you knew them.-
:

余(よ)の考(かんがえ)がここまで漂流して来た時に、余の右足(うそく)は突然坐(すわ)りのわるい角石(かくいし)の端(はし)を踏み損(そ)くなった。平衡(へいこう)を保つために、すわやと前に飛び出した左足(さそく)が、仕損(しそん)じの埋(う)め合(あわ)せをすると共に、余の腰は具合よく方(ほう)三尺ほどな岩の上に卸(お)りた。肩にかけた絵の具箱が腋(わき)の下から躍(おど)り出しただけで、幸いと何(なん)の事もなかった。
 立ち上がる時に向うを見ると、路(みち)から左の方にバケツを伏せたような峰が聳(そび)えている。
 It was just as my meandering thoughts reached this point, that my right foot came down suddenly on the edge of a loose angular rock, and I slipped. To compensate for my
left foot, which I had hastily shot out in an effort to keep my balance, the rest of me-dropped ! Fortunately I came down on to a boulder about three feet across, and all that
happened was that my colour-box, which I bad been carrying slung from my shoulder, jerked forward from under my arm. Luckily no damage was done.
 As I rose and lwked around me, I noticed away off to the left of the track a towering peak shaped like an inverted bucket. -
::

 たちまち足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下(みおろ)したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙(せわ)しく、絶間(たえま)なく鳴いている。方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂(ただよ)うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。
 Immediately below me a lark burst suddenly into song. But gaze down into the valley as I would, I could see no sign of the bird; (nor could I make out where he was singing. )I could hear his voice clearly, but that was all. The ceaseless attack and vigour of his song made me feel that this vast limitless body of air was dashing backwards and forwards in a frantic eaort to escape the unbearable irritation of a thousand flea-bites. That bird really did not stop even for an instant. It seemed that he would not be satisfied, unless he could sing his heart out incessandy day and might, throughout that idyllic springtime: not only sing, but go on climbing up and up forever. There was no doubt, but that that was where the lark would die, up there among the clouds. Perhaps at the peak of his long climb, he would Bide in among the drifting clouds, and there be lost for ever, with only his voice remaining, shrouded by the air.

:

 5:50

 春は眠くなる。猫は鼠を捕(と)る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂(たましい)の居所(いどころ)さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒(さ)める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然(はんぜん)する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
  In spring everything becomes drowsy. The cat forgets to chase the mouse, and men forget that they have debts. Sometimes, they even forget how to locate their own souls, and fall into a stupor. When, however, I gazed far out over that sea of rape-blossoms, I came to my senses. And when I heard the song of the lark, the mist cleared, and I found my soul again. It is not just with his throat that the lark sings, bt with his whole being. Of an the creatures who can give voice to the acdvity of their soul, there is none so vital, so alive, as the lark. Oh, this is real happiness. When you think thus, and reach such a pitch of happiness, that is poetry.
:
  p 18

 これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観(み)て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚(たな)へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
 それすら、普通の芝居や小説では人情を免(まぬ)かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。
 In order to appreciate the poetry, you must put yourself the position of an onlooker, who being able to stand well back, can really see what is happeming. It is only from this position that a play or novel can be enjoyed, for here you are free from personal interests. You are only a poet while you are watching or reading, and are not actually involved.
 Having said this, however, I must admit that most plays and novels are so full of suffering, anger, quarrelling and crying, that even the onlooker cannot keep emotion at arm's length. He finds himself, at some point or other, drawn in, and in his turn suffers, gets annoyed, feels quarrelsome and cries. -


 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通(しとお)して、飽々(あきあき)した。飽(あ)き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞(こぶ)するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界(じんかい)を離れた心持ちになれる詩である。
 After thirty years of life h this world of ours, I have had more than enough of the suGering, anger, belligerence and
sadness which are ever present; and I find it very trying to be Subjected to repeated doses of stimulants designed to
evoke these emotion when I go to the theatre, or read a novel. I want a porm which abandons the commonplace,
and lifts me, at least for a short time, above the dust and grime of the workaday world; not one which rouses my
passions to an even greater pitch than usual.


ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌(しいか)の純粋なるものもこの境(きょう)を解脱(げだつ)する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世(うきよ)の勧工場(かんこうば)にあるものだけで用を弁(べん)じている。(いくら詩的になっても地面の上を馳(か)けてあるいて、銭(ぜに)の勘定を忘れるひまがない。)

-Western puts in partitular take human nature as their corner stone, and so are oblivious
to the existence of the realm of pure poetry. Consequently, when they reach its borders, they come to a halt, because
they are unaware that anything lies beyond. They are content to deal merely in such commodides as sympathy, love,
justice and freedom, all of which may be found in that transient bazaar which we call life.

p20
: 8m00

シェレーが雲雀(ひばり)を聞いて嘆息したのも無理はない。
 うれしい事に東洋の詩歌(しいか)はそこを解脱(げだつ)したのがある。採菊(きくをとる)東籬下(とうりのもと)、悠然(ゆうぜんとして)見南山(なんざんをみる)。ただそれぎりの裏(うち)に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗(のぞ)いてる訳でもなければ、南山(なんざん)に親友が奉職している次第でもない。
No wonder Shelley heaved
a sigh when he heard the song of the lark.  
 Happily, oriental puts have on occasion gained sufficient insight to enable them to enter the realm of pure poetry.
 Beneath the Eastern hedge I choose a chrysanthemum,
 And my gaze wanders slowly to the Southern hills.
 Only two lines, but reading them, one is sharply aware of how completely the poet has succeeded in breaking free
from this stifling world. There is no girl next door peeping over the fence; now is there a dear friend living far away
across the hills. He is above such things.
:

  ただ二十字のうちに優(ゆう)に別乾坤(べつけんこん)を建立(こんりゅう)している。この乾坤の功徳(くどく)は「不如帰(ほととぎす)」や「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後(のち)に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
 Within the space of these few short lines, a whole new world has been created.( Entering this world is not at all
like entering that of such popular novels as Hototogisu and Konjiki Yasha. )It is like falling into a sound sleep, and
esaping from the wearying round of steamers, trains rights, duties, morals and etiquette.


 Unforrtunately, however, all the modern puts, and their readers too for that matter, aJ'e
so enamoured of Western writers, that they seem unable to take a boat and drift leisurely to the reah of pure poetry.
余は固(もと)より詩人を職業にしておらんから、(王維(おうい)や淵明(えんめい)の境界(きょうがい)を今の世に布教(ふきょう)して広げようと云う心掛も何もない。(ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。)
I am not really a put by profession, so it is not my intendon to preach to modem society,

:
こうやって、ただ一人(ひとり)絵の具箱と三脚几(さんきゃくき)を担(かつ)いで春の山路(やまじ)をのそのそあるくのも全くこれがためである。(淵明、王維の)詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間(ま)でも非人情(ひにんじょう)の天地に逍遥(しょうよう)したいからの願(ねがい)。一つの酔興(すいきょう)だ。
 もちろん人間の一分子(いちぶんし)だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳(わけ)には行かぬ。
This is the sole reason why in spring I trudge all alone along mountain tracks with my colour-box and tripod slung
from my shoulder. I long to absorb straight from Nature some of the atmosphere of Yuan-ming's and Wang Wei's
wodd; and, if only for a brief period, wander at will through a land which is cmpletely detached from feelings and
emotions. This is a pecuharity of mine.
 Of course, I am only human. nerefore, however dear to me this sublime detachment from the world may be, there
is a limit to how much of it I can stand at any one time.

いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募(つの)ってはおらん。
However much I may be enthralled by the lark and the rape blossoms, I am still mortal enough to have no
desire to camp out in the middle of the mountains.

:
p21
:

山を越えて落ちつく先の、今宵(こよい)の宿は那古井(なこい)の温泉場(おんせんば)だ。
for I am crossing this mountain in the hope of being able to spend the might in an im at the hot-spring
resort of Nakoi.


p22 10m

 しばらくこの旅中(りょちゅう)に起る出来事と、旅中に出逢(であ)う人間を能の仕組(しくみ)と能役者の所作(しょさ)に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄(す)てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕(こ)ぎつけたいものだ。
I wonder how it would be if, while I am on this short journey, I were to regard events as though they were part of the action of a Noh play, and the people I meet merely as if they were actors.

Since this trip is concerned fundamentally with p#try, I should like to take the opportumity of getting near tO the Nob atmosphere, by curbing my
emotions as much as possible, even though I know I cannot disregard them entirely.

なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視(み)てみたい。芭蕉(ばしょう)と云う男は枕元(まくらもと)へ馬が尿(いばり)するのをさえ雅(が)な事と見立てて発句(ほっく)にした。余もこれから逢う人物を(——百姓も、町人も、村役場の書記も、爺(じい)さんも婆(ばあ)さんも—— )ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似(まね)をするだろう。しかし(普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探(さ)ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤(じんじかっとう)の詮議立(せんぎだ)てをしては俗になる。)動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差(さ)し支(つかえ)ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。)
(Nevertheless, )I should like, as nearly as possible, to view people from the same standpoint as I view the world of pure poetry. Bassho found even the sight of a horse urinating near his pillow elegant enough to write a Hokku about.

-I too from now on will regard everyone I meet, farmer, tradesman, village clerk, old man and old
woman alike, as no more than a component feature of the overall canvas of Nature. I know they are dilrerent from
figures in a painting, since each one I suppose will act and behave as he or she sees Gt. (However, I think it is just plain
vulgar the way the average novelist probes the, whys and wherefores of his characterS' behaviour, tries to see into the
workings of their minds, and pries into their daily troubles.)


(画中の人間が動くと見れば)差(さ)し支(つかえ)ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。(平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳(わけ)に行かなくなる。)
(Even if the people move )it will not trouble me, for I shall just think of them as moving about in a picture, and figures
in a picture, however much they may move, are confined within two dimensions.

(If of course you allow yourself to think that they are pro]'ected into the third dimension, then
complicadons arise, for you will find them josding you,and once again you will be forced to consider your clash
of interests. It iS clearly impossible for anyone in such a Situation to view things aesthedally.)

これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。
- From now on I am going to observe all those I meet objectively going to observe all those I meet objectively.

p24
:

 ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂(もた)れ懸(かか)っていたと思ったが、いつのまにか、崩(くず)れ出(だ)して、四方(しほう)はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。
  It was just as I had come to this cnclusion, that I glanced up and saw that the sky looked threateming. I felt
as though the uncertain clouds were weighing down right on top of me. Suddenly' however, almost without my
noticing, they spread out, turning the whole sky as far as I could See into a rolling, awe-inspiring sea of cloud, from
which thede began to fall a steady drizzle of spring rain.

:

時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背(せ)が右手に見える事がある。(何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。)左はすぐ山の裾(すそ)と見える。深く罩(こ)める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
 (路は存外(ぞんがい)広くなって、かつ平(たいら)だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。)
From time to time a gust Of wind would part the high curtain of cloud, revealing otr to the right a dark-grey ridge of mountain. (nero
seemed to be a range of mountains runming along there just across the valley.) hmediately to my left I could see the
foot of another mountain, and at times within the filmy depths of haze, Shadowy shapes of what might have been
pine trees showed themselves, only to hideAgain in an instant. Whether it was the rah or the trees that was moving,
or whether the whole thing was merely the unreal wavering of a dream, I did not know. Whatever it was, it struck me as
most unusual and wonderful.
24

:

帽子から雨垂(あまだ)れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子(まご)がふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡(ぬ)れたね」
 まだ十五丁か(と、振り向いているうちに、馬子の姿は影画(かげえ)のように雨につつまれて、またふうと消えた)。
-The rain was just beginning to fall in drops ffom my hat, when, about
ten or twelve, yards ahead, I heard the jingling a sman bens, and from out of the blackneSs the shape of a packhorse driver matedalized.
'I suppose you don't happen to know anywhere to stay around here, do your
'There's a tea-house just over a mile up the road. You've got pretty wet, haven't you? '
sd another mile to go! ( )
:

糠(ぬか)のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋(ひとすじ)ごとに風に捲(ま)かれる様(さま)までが目に入(い)る。羽織はとくに濡れ尽(つく)して肌着に浸(し)み込んだ水が、身体(からだ)の温度(ぬくもり)で生暖(なまあたたか)く感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行(ある)く。

 The raindrops, which had before been like chaff flying in the wind, were now getting larger and longer, and I was
able to see each separate shaft clearly. My haori (=coat) of course was saturated, and the rainwater, which had soaked right
through to my underclothes, had become tepid with the heat of my body. I felt really wretched, and so pulling my
hat resolutely down over ne eye, I set off at a brisk pace.

 茫々(ぼうぼう)たる薄墨色(うすずみいろ)の世界を、幾条(いくじょう)の銀箭(ぎんせん)が斜(なな)めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏(よ)まれる。有体(ありてい)なる己(おの)れを忘れ尽(つく)して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保(たも)つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡(がり)の人にもあらず。-
 When I think of it as happening to somebody else, it seem that the idea of me soaked to the skin, surrounded
by countless driving streaks of silver, and moving through a vast grey expnse, would make an admirable poem. Only
when I completely forget my material existence, and view myself from a purely objective standpoint, can I, as a figure
in a painting, blend into the beautiful harmony of my natural surroundings. ne moment, however, I feel annoyed
because of the rain, or miserable because my legs are weary with waking, then I have already ceased to be a character
in a poem, or a figure in a painting, and I revert to the uncomprehending, insensitive man in the Street I was before.

-依然として市井(しせい)の一豎子(じゅし)に過ぎぬ。雲煙飛動の趣(おもむき)も眼に入(い)らぬ。落花啼鳥(らっかていちょう)の情けも心に浮ばぬ。蕭々(しょうしょう)として独(ひと)り春山(しゅんざん)を行く吾(われ)の、いかに美しきかはなおさらに解(かい)せぬ。
I am then even blind to the elegance of the fleeting clouds; unable even to feel any bond of sympathy with a
falling petal or the cry of a bird, much less appreciate the great beauty in the image of myself, completely alone,
walking through the mountains in spring.
(At first I had pulled my hat down over one eye and walked briskly. Later I gazed down fixedly at my feet.
Finally, very subdued, I hunched my shoulder"nd took one de)'ected step after another. a all sides the wind shook
the tree-tops, hurrying a solitary Bgurewn his way. I felt that I had been carried rather too far in the direction of
detachment from humanity !)


追記:
グールドの前説は一部聴き取りにくい。
https://ubusound.memoryoftheworld.org/gould_glenn/Gould-Glenn_The%20Three-Cornered-World.mp3
https://vimeo.com/204314428
https://vimeo.com/204315029 作業用

The Three-Cornered World is written in 1906 but it actual point usually that term regard to so static work accept for two years Earlier at the time of the Russo-Japanese war.

The war place no direct part in the novel at least not until the last few pages but at that point it's rather jarring the more can easily read similarity to the World War I motif which brings to close another great Alpine novel Magic Mountain by Thomas Mann.

The Three-Cornered World is among other things about meditation versus action, detachment versus duty, about Western versus Eastern value systems, about people see parallel modernism.

In my opinion it is the greatest 20th-century and I gonna read a few esprit of the first chapter.

 「『草枕(三角の世界 The Three-Cornered World )』が書かれたのは1906年、日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマスマンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。
 『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います。最初の章を読んでみましょう。」"The Three-Cornered World"

火曜日, 2月 16, 2010

索引制作中の雑観:メモ

以下、定本および『原理』の総合索引製作中の雑感。

第3巻「世界資本主義の共時的構造(the synchronic structure of world capitalism)」(399頁)なる言葉は、宇野弘蔵の著作集第8巻にはないと思う。
また、ジェイムズ(ス)・クリフォードが言ったという「人類学的コギト(anthropological Cogito)」(128,142頁)も見つからなかった。
定本第2巻(207頁)キルケゴールの印税についての日記も見つからなかった。

また、内容的に疑問に思うのは『原理』にある「自給自足的な共同体」(第3巻457、原理30頁)という言葉だ。

自給自足が出来ないから人は共同体をつくるのである(この場合の共同体は貨幣共同体とでも言うべきだが、、、)。

1997年日本で米不足が起こった時、タイから輸入したためにタイの米の値段が上がり、タイの貧困層が米を買えなくなった。
これなどは日本が自給自足していないから「貨幣共同体」に頼らざるを得なくなった事例だ。
ソローの『森の生活』ではないが、こうした自給自足(「自足」という言葉が「閉じた」印象を与えるのが悪いのだが)をアナキズムの伝統として見直す必要があろう。

以下、タルコフスキーの言葉。

「われわれ全員が共に、つまり人類が、ある文明を作り出しているということに言及するとき、世界で起こってることにたいする責任を、自分では気づくことなく他人の肩に負わせ、個人の責任から絶えず逃走しようとしているのである。この根源的な前提ゆえに、個人と社会のあいだの葛藤は、いよいよ絶望的なものとなり、個人と人類とを隔絶する壁が成長していくのだ。」(タルコフスキー『映像のポエジア』キネマ旬報社、347頁)

土曜日, 2月 13, 2010

QUINE-DERRIDA





  W. V. QUINE,
Harvard University.
Traduit par Jacques DERRIDA et Roger MARTIN.

1964年にデリダはクワインの論文(というよりエッセイ)をフランス語に翻訳(Roger Martinとの共訳)している。クワインは後にデリダがケンブリッジ大学で名誉博士号を得ることに反対するが、この時は共闘関係があったことになる。
クワインの論文"Les Frontières de la théorie logique "は、英語では発表されていないとWEBにあったがどうなのだろうか?(内容はヘーゲル,フッサールを枕に、ゲーデルらを含む近代の論理学の歴史を扱っているようだが。)
元原稿は1962年イェール大学での講演記録のようだが、どこかに英文の原文があれば翻訳したいと思う(google自動翻訳)。
















1964. Les Frontières de la théorie logique / Frontieres dans la theorie logique. in Études Philosophiques (April-June 1964), 19(2): 191-208. French translation by Jacques Derrida and Roger Martin.

LES FRONTIÈRES DE LA THÉORIE LOGIQUE (1)

 La logique a ete definie, pour la derniere fois peut-etre, par Dewey,la théorie de la recherche. Ainsi comprise, la logique couvre une foule de péchés intellectuels. Qu'est-ce qui, appartenant a la théorie de la connaissance, n'appartiendrait pas a la logique entendue comme theorie de la recherche? Et pour le métaphysicien de tendance idealiste,qu'est-ce qui, dans la métaphysique, n'appartient pas a la théorie de la connaissance? C'est ainsi que nous rencontrons un traite de métaphysique dans la Logique de Hegel ; et aussi dans les Recherches logiques de Husserl.
 L'extension accordée par Hegel et Husserl au terme de ≪ logique≫ etait excessive ; nous pouvons en toute confiance en exclure la metaphysique. Mais la confusion ou la fusion de la logique avec la théorie de la connaissance est plus courante. Jusqu'a ces toutes dernieres annees, on parlait couramment de la logique comme se distribuant, en logique inductive et logique deductive ; et entre la logique inductive et la theorie de la connaissance, il n'y a pas de solution de continuite.
 Certes, la logique inductive comporte des elements passablement formels et qu'on peut assez facilement separer. Il y a les canons de l'induction de Mill ; il y a aussi le calcul des probabilites et, en outre, le reste de la statistique. Mais la logique inductive, telle qu'elle est couramment definie, a encore un objet remarquable I le probleme de l'induction, le probleme de l'usage legitime du calcul des probabilites ; et ce probleme appartient a la theorie de la connaissance. En outre, la tache de la logique inductive s'eloigne par degres vers de vastes conside,rations sur la methode scientifique, sur ce qu,on appelle la methode hypothetico-deductive, sur la methode de l'hypothese ; et ces vastes considerations sont epistemologiques.

(1) Ce texte reproduit l'une des quatre conferences consacrees aux ≪ Frontières de la Philosophic ≫ sous les auspices de l'Universite de Yale. Elle fut prononcée le 13 novembre 1962.

   192
 Considérée à la lumiere de l'activité courante, la partie de la logique qu'on a appelée déductive a moins d'affinité avec ce qu'on appelle la logique inductive que celle-ci n'en a avec la théorie de la connaissance. Une terminologie plus adaptée aux clivages actuels exigerait done que l'on distribuât(distribut) la logique inductive en statistique et en théorie de la connaissance, et que l'on reservât le nom de ≪logique≫ a la logique dite deductive. Si cet usage est restrictif, il ne l'est pas trop aujourd'hui dès que l'on est attentif a l'immense accroissement du domaine au cours des cent dernières années. Et, en fait, cet usage est devenu courant. Dorénavant, je m'y tiendrai.
  Maintenant, si j'ai limite mon propos à la logique au sens de la logique deductive, je ne l'ai limite qu'a l'acception la plus large, la plus lâche de cette expression : à la logique que nous n'avons pas eliminee comme inductive. Par exemple, on doit penser qu'une telle logique inclut même ce que G. E. Moore appelait analyse logique, à supposer que cette activite merite en quoi que ce soit le nom de logique.
 On peut, en comparant quelques exemples triviaux, mettre en évidence une difference importante entre l'analyse logique de Moore et la logique dans son sens plus etroit. ≪Aucun homme non maria n'est marie≫ est une phrase vraie selon la logique au sens etroit. Elle a ce trait caracteristique : elle reste vraie mime si nous substituons d'autres mots a ≪homme≫ , et ≪marié≫ , aussi longtemps du moins que nous ne touchons pas aux particules ≪ aucun≫ ,≪non≫ , ≪ne≫ , et ≪est≫ , c'est-a-dire a ce qu,on appelle les mots logiques. tour rassembler le tout en une phrase, nos vérités logiques dams le sens etroit sont des verites qui ne font essentiellement appel qu'à des mois logiques. Au contraire, ≪ aucun célibataire n'est marié≫ est une verite pour l'analyse logique au sens de Moore. Ce n'est pas une verite logique dans le sens ou les vérités logiques ne font essentiellement appel qu'a des mots logiques ;elle ne reste pas vraie quand nous remplaçons ≪célibataire≫ et ≪marié≫ par des mots arbitrairement choisis. Sa vérité repose plutôt sur une analyse des significations :≪célibataire≫ s'analyse en ≪homme non marié≫ , de sorte que ≪aucun célibataire n'est marié≫ s'analyse en ≪aucun homme non marie n'est marie≫, ce qui est logiquement vrai au sens etroit de l'expression.
 Quelles sont done les frontières de l'analyse logique?Signalons d'abord l'existence d'un débat philosophique brûlant à propos du concept de synonymie --- entendue comme la relation d'identite de signification. Bien entendu, cette relation est la relation fondamentale ; par elle, la tâche même de l'analyse logique est définie ou peut etre dite telle par ironie. L'un des partis soutient que l'on n'a pas atteint au sens adéquat de la relation d'identite de signification.

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L'autre parti soutient le contraire. J'avoue que je me sens en sympathie avec le premier de ces partis. Mais ce débat n'est en aucune manière un débat a l'intérieur de la logique, mais un débat au suiei de la logique, a supposer que l'analyse logique de Moore soit de la logique.
 Les héritiers actuels de Moore sont les philosophes oxoniens du langage courant. L'analyse logique de Moore, détermination directed,équivalences entre mots et phrases considérés dans une sorte de vide, tut remplacée a Oxford par la mise en rapport des énoncés avec les circonstances. Dans quelles circonstances pourrait-il etre naturel de faire telle ou telle remarque? L'influence la plus directe est ici celle de Wittgenstein et de sa doctrine : les problèmes philosophiques sont un désordre da au fait qu,on s'est écarté de l'usage naturel et ordinaire des mots.
 J'ai fait état d'un débat du second ordre : la synonymie est-elle une notion pourvue de sens? Ce débat ne vise pas aussi directement l'analyse oxonienne que celle de Moore. Cependant, concernant l'analyse d'Oxford, un autre débat du deuxième ordre est devenu une question d'actualité :faut-il reconnaitre a cette analyse un intéret réel?
 Ce débat du second ordre devint aigu en 1959, au moment ou Gellner pencha vers la negative, dams son livre Words and Things. Un débat du troisième ordre, fort vif, occupa, comme on le sait, les colonnes du Times : Ryle devait-il permettre que le livre de Gellner fat recensé dans la revue Mind? La encore, tine frontière : s'agit-il ou non de logique? In utile que je m'y arrête, l'affaire a fait assez de bruit.
 Qu'en est-il done des questions du premier ordre dans ce secteurles questions de frontières a l'interieur de l'analyse oxonienne du langage ordinaire? Je connais des esprits qu'elles n'ont guère inquiétés. C'est un des agréments de leur doctrine que d'être, selon le mot de Russell, une philosophic sans larmes.
 Replions-nous maintenant vers la logique au sens étroit. Je l'ai dit, les vérités logiques au sens étroit sont des vérités qui ne font appel, essentiellement, qu'a des mots logiques. Or, a l'intérieur ,même de cette catégorie, il est possible d'interpreter la logique plus ou moins étroites ment, en assignant des limites plus ou moins étroites au vocabulaire des mots logiques. Si l'on classe l’adverbe ≪nécessairement≫ dans le vocabulaire logique, la logique modale fait alors partie de la logique. Parmi les vérités typiques de cette partiel de a logique, nous trouvons des énoncés de la forme : ≪Si nécessairement p, alors p≫, dans lequel p tient lieu de n'importe quel énoncé ; de même, ≪nécessairement, si p alors p≫ ; Ou encore ≪Si, nécessairement si p alors q,alors, si nécessairement p alors nécessairement q≫ .

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 Quiconque accepte l'existence de la logique modale considérera ces phrases comme appartenant au domaine de la logique, et considérera ≪ nécessairement ≫ comme appartenant au vocabulaire logique. Dans ce secteur, la frontière se borne a séparer ceux qui acceptent de faire entrer l'adverbe ≪nécessairement≫ dans un discours philosophique sérieux et ceux qui s'y refusent. Qu'on he permette une fois encore d'évoquer ma sympathie pour la position negative.
  Il y a cinquante ans, Whitehead et Russell se hasardèrent a dire que les propositions fausses impliquaient toutes les propositions, et que les vraies étaient impliquées par toutes. C'est pour protester contre cette doctrine surprenante que C. I. Lewis proposa sa logique modale.
Il est bien sar que l'implication dite matérielle de Whitehead et de Russell n'était pas une implication. Il fallait arreter des dispositions pour ce qui regarde l'implication. Mais la logique modale n'est pas le seul moyen de le faire ni le meilleur.
 Mieux vaut commencer par corriger une certaine confusion chez Whitehead et Russell. Ils n,ont pas distingué ≪si-alors≫ de ≪implique≫ . ≪Si-alors≫ lie entre eux des énoncés ; appliqué aux énoncés A et B, il donne un énoncé conditionnel dont les énoncés A et B sont les composants. ≪ Implique ≫, d'autre part, est un verbe transitif liant entre eux des substantifs qui peuvent servir de nom aux énoncés A et B. L'énoncé formé au moyen de ≪ implique ≫ n'est plus dès lors un énoncé contenant A et B, mais plutôt un énoncé qui parle des énoncés A et B. Or l'implication dite matérielle de Whitehead et de Russell était en fait un moyen de composer des énoncés et non d'én parler. On aurait dû l'appeler conditionnel matériel et lire ≪si-alors≫ , non ≪implique≫ . L'implication reste une affaire du second ordre, analysable plutôt au niveau ou nous parlons au sujet des énoncés, au sujet des formes d'énoncé et de la façon dont la logique les manipule.
  Lewis laissa subsister la confusion et introduisit simplement un opérateur de nécessité, ≪nécessairement≫ ; en appliquant ce procédé a un conditionnel matériel oil, comme On l'appelle a tort, a une implication matérielle ≪si p alors q≫ , on obtient un conditionnel strict, ≪nécessairement, si p alors q≫ , qu,il appela implication stricte.
 Avec de légères variations,le système de Lewis constitue encore la partie élémentaire de la logique modale actuelle. Certains logiciens, sans confondre ≪si-alors≫ avec ≪implique≫ ,adoptent maintenant la
logique modale ; je me demande toutefois si celle-ci se serait constituée, si dans le passé on n'avait pas fait la confusion.


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 On connait une doctrine métaphysique étroitement liée a la logique modale : c'est l'essentialisme, selon lequel une chose peut posséder certains de ses caractères de manière essentielle et d'autres de manière accidentelle. Cela ne revient pas seulement a dire, comme il nous serait permis de le faire, que les mathématiciens sont des etres nécessairement doués de raison alors qu,ils n'ont pas nécessairement deux jambes, et que les cyclistes ont nécessairement deux jambes et ne sont pas nécessairement doués de raison. Cela équivaut plutôt a dire d'un individu, M. Coolidge par exemple, non pas en tant que mathématicien ou en tant que cycliste, mais simplement en tant qu,il est lui-même, qu'il est nécessairement ou essentiellement doug de raison et accidentellement pourvu de deux jambes. Cela équivaut a dire d'un certain nombre --- le nombre des planètes, par exemple, qui porte par ailleurs le nom de 9 --- que ce nombre, non pas en iani que 9 ni en iani que nombre des planètes, mais simplement par lui-meme, est nécessairement impair, tandis qu'il est de façon accidentelle seulement le nombre des planètes.
 Nous pourrions dire que 9 est nécessairement impair sans faire profession d'essentialisme. Nous pourrions soutenir que la nécessité de l'imparité tient a la manière dont nous avons spécifié le nombre ; le nombre est nécessairement impair en iani que 9 et non en iani que nombre des planètes. Mais nous ne pouvons Plus éviter ainsi l'essentialisme quand nous nous mettons a utiliser l'adverbe modal ≪nécessairement ≫ en le soumettant a des quantificateurs. Car, dès lors, nous en venons a inférer qu'il y a un nombre, tout court, qui est nécessairement impair et qui est le nombre des planètes, quoique de façon non nécessaire. Ici l'essentialisme strict est indéniable.
  Lewis n'a traité la logique modale qu'a son niveau le plus élémentaire : comme un calcul de propositions plutôt que comme une logique avec quantificateurs. C'est en 1946, dans les articles de Mlle Barcan (aujourd'hui Mme Marcus) et de Carnap que la logique modale quantifie devient explicite (1). Et, des lors, il n'y a plus moyen d'échapper a l'essentialisme. Pourtant certains aiment la logique modale sans aimer l'essentialisme. La, ils rencontrent done une frontiere.
 On peut éviter la logique modale et ses consequences essentialistes en s'engageant sur l'autre voie que j'ai indiquée il y a quelques instants : s'en tenir au conditionnel matériel comme a un moyen de composer des énoncés, et ne reconnaitre l'implication qu'a ce niveau plus élevé ou nous parlons au sujet des énoncés. -

(1)Ruth C. BARCAN. A functional calculus of first order based on strict implication, Journal of symbolic Logic, II(1946), p. 1-16; Rudolf CARNAP, Modalities and quantifications, Ibid., p. 33-64.


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Si l'on procede ainsi, l'adverbe ≪nécessairement≫ est éliminé au profit d'un prédicat exprimant un attribut des énoncés et qualifiant donc des noms d'énoncés ; le prédicat ≪est nécessaire≫, par exemple, ou meme ≪est logiquement vrai≫.
 Si l'on s'engage dans cette voie, l'implication est une relation entre énoncés et la nécessité est un attribut des énoncés. Une orientation voisine, qui évite également la logique modale et ses consequences essentialistes, conduit a parler non pas d'énoncés, mais de propositions conçues comme constituant en quelque manière les significations des énoncés. C'est ce que fait, Church (1), procédant a partir de certaines idées de Frege. L'implication devient une relation entre propositions, et la nécessité un attribut des Propositions.
 Est-ce que cela nous ramène encore à la logique modale? Si l'implication relic des prepositions, le verbe ≪ implique ≫ ne va-t-il pas etre placé entre des noms de propositions, par consequent entre des énoncés, tout comme chez Lewis? Non ; un tel argument con fond ≪servir de nom ≫ et ≪signifier≫. Les noms de propositions ne sont pas des énoncés et c'est pourquoi ce que Church se propose de faire ne rétablit pas la logique modale et ses consequences essentialistes.
 La logique modale nous menaçait d'essentialisme au moment précis ou l'adverbe modal ≪nécessairement ≫ était soumis a des quantificateurs ou, ce qui revient presque au même, en venait a gouverner des subordonnées relatives, comme dans ≪ il y a un nombre qui est nécessairement impair ≫. Or cette difficulté, si c'en est une, fait partie d'une difficulté plus large qui s'étend au delà de la logique modale et qui est, on n'en peut douter, une difficulté réelle. Il existe un grand nombre d'expressions qui créent des difficultés dès qu'elles sont soumises à des quantificateurs our qu'on leur fait commander des subordonnées relatives. Nous trouvons dans le langage de Russell les verbes d'attitude propositionnelle: ≪ il croit ≫, ≪ il souhaite ≫, ≪ il espere ≫, ≪ il sait ≫, ≪il s'étonne ≫, ≪il se réjouit ≫, etc... Ainsi, parallelement a notre exemple, ≪ il y a un nombre qui est nécessairement impair ≫, considérons l'exemple ≪ il y a quelqu'un dont Tom croit qu'il a dénoncé Catilina ≫. Appelez Cicéron le dénonciateur suppose, et Tom peut le croire ; appelez-le Tullius ou l'auteur du De Senectute, et Tom peut ne pas le croire ; et pourtant c'est toujours le meme dénonciateur.


(1) Alonzo CHURCH, A formulation of the logic of sense and denotation, in Paul Henle et al (edit.), Structure, Method, and Meaning : Essays in Honor of H. M. Schcffer, New-York, Liberal Arts, 1951.

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 D'un certain point de vue le probleme des attitudes propositionnelles est plus redoutable que celui de la logique modale ; Car l'essentialisme lui-même n'en viendra pas à bout. La division entre les attributs du célèbre Romain qui incitent Tom. a croire qu'il a dénoncé catilina et ceux qui l'en font douter, n'est même pas déterminée, fat-ce obscurément, par l'essence de ce personnage antique ; elle depend aussi de Tom.
  D'un autre point de vue encore, e probleme est plus redoutable que celui de la logique modale. On peut abandonner la logique modale sans grand dommage en adoptant l'une des deux voies déja évoquées. Mais on ne voit pas clairement comment se passer des expressions d'attitude propositionnelle. Elles ont un caractere intentionnel, comme on dit, et renvoient a un acte projeté ou a un contenu de pensée dont on ne peut donner une analyse en tefmes naturalistes ordinaires. Telle était en tout cas la position de Brentano il y a deux générations, et telle est celle de Bergmann et de Chisholm aujourd,hui (1) ; et je suis en peine d'argument satisfaisant a leur opposer. Ainsi, prenons un exemple aussi rudimentaire que celui-ci : le chien Tense que le chat est dans la grange. Je reconnais que nous ne pouvons invoquer que des positions et des mouvements d'objets dans l'espace pour prouver notre affirmation, a savoir que le chien pense que le chat est dans la grange. Je reconnais encore cecil le fait que le chien pense que le chat est dans la grange n'est rien de plus que la somme des états corporels et des activités du chien. Mais le fait demeure : nous n'avons aucun moyen général de paraphraser cette expression ≪pense que≫ sans recourir a d'autres expressions de nature désespérément semblable.
  Il y a la une frontière blessante pour tous ceux d'entre nous qui partagent avec moi le sentiment que ce qui n'est pas dit en termes de réalités naturelles n,est pas expliqué. Peut-etre touchons-nous ici au point décisif dans le problème de l'ame et du corps. C'est plus qu'une frontière de la théorie logique, mais c'en est aussi une.
 J'ai dessine plus haut une opposition entre la logique qui comprend les vérités ne faisant essentiellement appel qu'a des mots logiques, et la logique dans un sens plus large qui inclut l'analyse logique de Moore. Or la logique des attitudes propositionnelles n'est logique qu,au sens large, tout comme l'analyse logique de Moore ; car, bien entendu,≪ il croit ≫,≪ il souhaite≫ et les autres verbes d'attitude propositionnelle ne sent des mots logiques a aucun point de vue.

(1) Gustav BERGMAN, Intentionality, Archivio di Filosofa, 1955, P. 177-216 ; derick M. CEISEOLM, Perceiving: a Philosophical Study (Ithaca, Corell, 1957),chapitre II.

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  La logique au sens étroit inclut, nous l'avons vu, la logique modale, si du moins nous acceptons la logique modale ; l'adverbe ≪nécessairement ≫,si nous lui reconnaissons droit de cite, est un mot logique. Mais qu'advient-il dans le cas ou, au contraire,nous traitons l'implication et la nécessité comme relation et attribut d'énoncés? ≪ Implique ≫ et ≪ nécessaire ≫ sont-its alors des mots logiques? Je dirais que non. Ce sont des mots métalogiques qui servent a parler logiquement des énoncés ; pas des mots logiques au sens oh nous parlons de vérités logiques ne faisant essentiellement appel qu'a des mots logiques. Ces mots logiques sont ≪ tons ≫, ≪ est ≫, ≪ ne... pas ≫, ≪ et ≫, ≪ si ≫, et autres mots semblables. D'autre part, ≪ implique ≫ et ≪ nécessaire ≫, Ou même ≪ logiquement vrai≫ , sont des mots que nous utilisons pour parler métalogiquement au sujet des énoncés qui sont logiquement vrais ou qui sont relies par implication. Nous sommes obliges de reconnaitre les deux niveaux de la logique : d'une part les vérités logiques et d'autre part le discours sur les vérités logiques et les énoncés logiquement reliés.
  Au plus bas de ces niveaux, il reste encore un véritable choix: interpréter la logique de manière plus ou moins étroite,en délimitant le vocabulaire des mots logiques de manière plus ou moins étroite. Le deuxieme point de discussion, puisque nous en avons termini avec ≪ nécessairement ≫, C'est le connectif ≪∈≫ d'appartenance a une classe. Si celui-ci est compté comme mot logique, la théorie générale des ensembles fait alors partie de la logique. Ainsi font ceux qui, comme Frege et Russell, ont soutenu que la théorie des nombres et d'autres branches des mathématiques classiques sont réductibles a la logique. Ce a quoi elles sont réductibles, c'est la théorie des ensembles.
 La tendance a faire rentrer la théorie des ensembles dans la logique fut encouragée par une certaine confusion. Ainsi, considérons n'importe quelle loi de la logique ordinaire des quantificateurs, par example cette loi simple.. étant donné un objet quelconque y' tout ce qui vaut pour y vaut pour quelque chose. Nous formulons cette loi schématiquement, en écrivant ‘Fy’ pour la première phrase sur y et en écrivant ‘(∃x)Fx’ pour l'expression quantifiée qui en découle. Les notations ‘Fy’ et ‘Fx’ occupent simplement ici la place de phrases semblables au changement près de la variable qui y figure... Le ‘F’ n'a pas de statut indépendant, il n'est pas lui-même une variable, il ne peut etre soumis a un quantificateur, il ne renvoie par lui-même ni a une classe, ni a un attribut, ni a quoi que ce soit. La confusion sur ce point, confusion du ‘Fx’ de la logique stricte avec le ‘x∈z’ de la théorie des ensembles, a conduit de nombreux logiciens à mettre dans le même sac la théorie des ensembles et la logique malgré des différences aussi importantes que les suivantes. -

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Tout d'abord, les vérités de la théorie des ensembles dependent de l'existence d'espèces particulières d'objets----ensembles ou classes ---- ; d'autre part, les vérités logiques au sens strict, quand on exclut ‘∈’ , ne traitent pas d'une sorte de choses a l'exclusion d'une autre. Ensuite le grand théorème d'incomplétude de Gödel (1931) s'applique a la théorie des ensembles. Gödel a montré qu'aucun système formel ne pouvait contenir comme théorèmes toutes les vérités de l'arithmétique élémentaire, a l'exclusion de toute fausseté ; et, Puisque l'on peut définir les nombres dans la théorie des ensembles, le résultat de Gödel s'applique aussi a la théorie des ensembles. D'autre part, il ne s'applique pas aux vérités logiques au sens étroit ; celles-ci peuvent toutes etre comprises dans un système formel complet et consistant.
   Ces importantes lignes de clivage entre les vérités de la théorie des ensembles et les vérités logiques au sens strict donnent de bonnes raisons de considérer la théorie des ensembles comme des mathématiques extralogiques. Mais, mime dans ce cas, une interaction importante joue entre les deux domaines ; et Puis il y a eu cette tongue association née de la confusion ; je ne m'excuserai donc pas de dire quelques mots sur les frontières de la théorie des ensembles.
  La théorie des ensembles a commence a exister pour de bon dans les années 1870 avec l'oeuvre de Cantor. Depuis 1897, date du paradoxe de Burali-Forti, un mal terrible ra menacée au coeur. Postérieur de quelques années, le paradoxe de Russell est plus simple et mieux connu : il n'existe pas de classe qui ait pour elements toutes les classes qui ne s'appartiennent pas a elles-memes.
  Je viens de déplorer une vieille confusion entre le ‘Fx’ de la logique de la quantification et le ‘x ∈ z’, de la théorie des ensembles. Les paradoxes de la théorie des ensembles donnent a cette opinion une fameuse resonance;‘x ∈ z’ n'est meme pas sur le meme plan que ‘Fx’. On peut faire jouer le réle de ‘Fx’ a une phrase a laquelle il est impossible de faire correspondre un z. Ainsi, prenons par ‘Fx’ ‘x ∉ x’ ; le paradoxe de Russell montre qu'il n'existe pas de z dont les éléments soient et ne soient que les classes x telles que x ∉ x.
  Le probleme fondamental de la théorie des ensembles devient celui-ci : établir quelles phrases, si on leur fait jouer le réle de 'Fx',admettent un z. Nous aimerions qu'elles le fassent toutes, mais ce n'est pas possible. Pour certaines, comme je viens de le noter, nous devons renoncer tout de suite. En ce qui concerne les autres, nous découvrons que certaines peuvent jouer le role, d'autres non ; et c'est la recherche de combinaisons intéressantes a bet égard qui a fait proliférer les theories des ensembles différentes au cours des soixante dernières années.

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 La force constitue en ces matières un ideal naturel. La loi naive de l'existence des classes foumirait pour chaque condition concernant x une classe groupant seulement les choses x remplissant la condition.
 Cela, nous ne pouvons l'obtenir en fait, mais l'idéal naturel reste de réduire au minimum les exceptions.
 Depuis la grande découverte de Gödel, comme je l'ai note, nous savons qu'il n'y a pas d'espoir de trouver pour la théorie des ensembles un système complet. On peut montrer facilement, comme corollaire, que nous ne pouvons meme pas compléter la section spéciale de la théorie des ensembles qui comprend les affirmations d'existence des classes (1). On ne peut done pas vraiment réduire au minimum les exeptions a la loi naive de l'existence des classes. On essaie pourtant de réduire au minimum les entraves et la gene qu'elles font naitre et d'atteindre, dans les axiomes d'existence de classes qu'on adopte, une combinaison optimum de force et de simplicité.
  Il est un moyen simple de retrouver une bonne partie de la force et de la commodité de la loi naive de l'existence des classes : admettre certaines classes en leur conférant le statut limits de ce que j'appelle des classes ultimes ; elles peuvent avoir des éléments, elles ne peuvent jamais etre éléments. Il est habituel aujourd'hui d'affecter le mot ≪ensemble≫ tout court a un emploi particulier et de le réserver aux classes qui ne sont pas ultimes.
 L 'idée de classes ultimes a été introduite par von Neumann en 1926. Sa richesse tient a ce qu,elle nous permet de remettre en vigueur,sans porter atteinte a la consistance, la loi naive de l'existence des classes sous cette forme restreinte : étant donné une condition portant sur x, il existe une classe z --- qui au demeurant peut etre ultime --- dont les éléments sont tons les ensembles et les seuls ensembles x remplissant la condition. En fait, von Neumann n'allait pas aussi loin mais on peut le faire (2).
 Meme si on le fait, la question de savoir quelles classes doivent exister n'est en aucune manière résolue ; elle est réduite a la seule question de savoir quelles classes doivent etre considérées comme ensembles. Sur ce point subsistent plusieurs possibilités de choix et on petlt ici encore rechercher une combinaison optimum de force et de simplicité.

(1) Cf. mon étude ≪ Element and number ≫, P. 140. Journal of Symbolic Logic 25,(1941), p. 135-149.
(2) C'est ce que j'ai fait dans Mathematical Logic, 1940.

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  Comme seule l'inconsistance peut venir limiter la force, il devient intéressant d'explorer les moyens systematiques qui permettent de renforcer un système de la théorie des ensembles, indéfiniment, par étapes successives. Une technique appropriée est fournie a titre de sous-produit par la demonstration de Gödel elle-même, qui établit qu'on peut continuer indéfiniment, et qu'on n'a pas d'espoir d'obtenir une théorie des ensembles complete. En effet, considérons la demonstration de Gödel. Elle concernait en fait, je l'ai dit, l'arithmétique. Gödel montrait comment, étant donné un système S de l'arithmétique, on forme, dans la notation de l'arithmétique, un énoncé G qui est vrai si, et seulement si on ne peut le démontrer dans le système S. Alors nous pouvons utiliser l'argumentation de Gödel comme un moyen de renforcer systématiquement les systèmes de la manière suivante. Commençons par un systeme S1 de l'arithmétique des nombres et supposons-le consistant (sound): aucun de ses théoremes n'est faux. Formons alors, par le procédé de Gödel, un énoncé G1. Il est vrai si, et seulement si on ne peut le démontrer dans S1. Ainsi, puisque S1 est consistant, G est vrai et on ne peut le démontrer dans S1. Ajoutons alors G1 comme axiome supplémentaire ; le système resultant S2 est consistant. Le procédé de Gödel fournit alors G2 que nous pouvons ajouter comme axiome supplémentaire, obtenant ainsi un système consistant et encore plus fort, S3 ; et ainsi de suite.
 On peut meme Prendre cette technique en bloc comme règle de deduction dans un système fort unique, Sω, qui comprendra ainsi tous les G1, G2... parmi ses théorèmes. Mais la encore le procédé de Gödel nous donne un énoncé vrai Gω de la théorie des nombres, qui n'est pas un théoreme de Sω. Si nous l'ajoutons a Sω comme axiome, nous obtenons un système Sω + 1, et nous voila repartis. Notre suite de systemes de la théorie des nombres progressivement renforcés s'étend ainsi dans le transfini.
 J 'ai décrit ce moyen d'extension pour l'arithmétique, mais il s'applique également a la théorie des ensembles. C'est un mode d'extension qui a été étudié, avec des variantes, par Rosser, Wang et d'autres, surtout depuis 1950 (1).

(1) J. Barkley ROSSER et Hao WANG, Won-standard models for formal logic, Journal of Symbolic Logic, 15 (1950), p. 113-129 ; Solomon FEFERMAN, Transfinite recursive progressions of axiomatic theories, Ibid., 27 (1962), p. 259-316.
(2) J. C. SHEPHERDSON, Inner models for set theory, Ibid., 16 (1951), p. 161-190;17 (1952), p. 225-237; 18 (1953), p. 145-167.


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 Avant d'expliquer un autre moyen systématique de renforcer les theories, je dois expliquer ce que Shepherdson appelle un modale interieur (2). On peut quelquefois montrer qu'une certaine region particulière de l'univers du discours d'une théorie des ensembles suffit a satisfaire tous les axiomes de la théorie, a supposer qu'ils soient consistants d'abord. Cela veut dire qqe les axiomes n'exigent pas qu'il y ait, dans l'univers, plus que cette region. Gödel a utilisé cette méthode en 1940 pour démontrer la possibiliti d,admettre deux hypothèses discutées qui ont occupe une place de premier plan dans l'histoire de la théorie des ensembles : elles sont connues sous les noms d'axiome de choix et d'hypothèse du continu (1). Gödel a démontré que ces deux hypothèses sont compatibles atec un certain système standard de la théorie des ensembles, si ce système est lui-meme consistant. Il la démontré en construisant un modèle intérieur de la théorie et en montrant que les deux hypothèses --- l'axiome de choix et l'hypothèse du continu ----sont vraies pour le modèle intérieur.
 Dans les toutes dernières années, Azriel Levy et Bernays ont tire de l'idle de modèle intérieur une méthode systématique pour renforcer les theories des ensembles (2). Leur ingénieuse méthode ne s'applique qu'aux systèmes ou I'on a des classes ultimes aussi bien que des ensembles. Il consiste a renforcer un système S en y ajoutant un axiome de façon a disposer d'un ensemble qui puisse servir d'univers a un modèle intérieur de S. Un tel axiome, si l'on s'y prend bien, peut etre formalisé a l'intérieur de la notation du système tout comme un honnete énoncé de la théorie des ensembles au lieu de constituer un énoncé au sujet du système. On constate que l'addition d'un tel axiome peut augmenter considerablement la force d'un système, mesurée par ce que le système permet de démontrer dans les zones lointaines de la suite des ordinaux infinis. Notons encore qu'on peut employer cette méthode de façon réitérée.
 Il arrive a l'occasion qu'un logicien insiste pour que, au lieu d'abandonner la loi naive de l'existence de classes, qui a conduit au paradoxe, nous changions la logique meme qui a fait du paradoxe une consequence de la loi. La logique a plusieurs valeurs, par exemple, admet une ou plusieurs valeurs ≪de vérité ≫ supplémentaires en plus de la vérité et de la fausseté. La question a éte explorée pour la première fois en 1920 par Lukasiewicz qui s'y intéressait pour des raisons
abstraitement mathématiques. Mais, en 1939, Botchvar, en Russie, a essayé a,utiliser une logique a trois valeurs, comme méthode permettant de régler la question des paradoxes. L'idee consiste a s'arranger pour que le paradoxe reçoive finalement la valeur mediane.

(1) Kurt GÖDEL, The Consistency of the Continuum Hypothesis, Princeton, 1940.
(2) Azriel Livy, Axiom schemata of strong infinity in axiomatic set theory, Pacific Jornal of mathematics, 10(1960), p. 223-238; Paul BERNAYS, Zur Frage der Unendlichkeitsschemata in der axiomatischen Mengenlehre, in A. ROBINSON (edit.),Essays on the Foundation of Mathematics (dediés a Fraenkel), Jerusalem, Hebrew University, 1961.


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 Le rejet de la loi du tiers exclu est aussi associé a l'intuitionnisme de Brouwer et de ses disciples en Hollande. L'intuitionnisme découle d'une attitude épistémologique particulière face aux mathématiques ; les paradoxes sont bien loin de l'avoir provoquée a eux seuls. Ils y ont pourtant contribué.
 La logique néo-classique des fonctions de vérité a deux valeurs et des quantificateurs est un chef-d'oeuvre de clarté, de simplicité et d'efficacité. Son adéquation, le fait qu,elle constitue en général un auxiliaire logique tout a fait approprié des mathématiques (la théorie des ensembles mise a part), tout cela n'est pas mis en question, mime par les intuitionnistes, sauf sur quelques points. C'est a mom sens une bien mediocre stratégie que de mutiler cette logique en invoquant les paradoxes de la théorie des ensembles. Je dirais mime que mos chances de comprendre la théorie des ensembles et ses paradoxes sont meilleures si nous ne derangeons pas ces principes tolerants et utiles qui ne pourraient jamais produire un paradoxe par eux-memes. Les paradoxes ne sont imputables, strictement, qu'aux lois qui régissent le ‘∈’ de la théorie des ensembles. Ce n'est que parmi ces lois-ci qu'il faut établir une quarantaine.
 Je suis porte a pousser cette doctrine de la mutilation minimum un pen plus loin encore. Nous pouvons montrer que mime les classes,si l'on s'en tient aux classes finies, ne sont pas responsables de paradoxes. Je dis done : acceptons les classes finies sans restriction. Quelles que soient les choses existantes, admettons qu,il existe aussi des classes de ces choses combinées de toutes les manieres finies. Admettons la théorie non restreinte des classes finies au meme titre que la logique élémentaire comme partie commune de toutes les theories des ensembles.
 C'est la une attitude revisionniste, car la théorie non restreinte des classes finies est en nette contradiction avec les theories qui admettent des classes ultimes. Mais les avantages des classes ultimes, qui sont sans doute importants, pourraient encore etre sauvés si l'on affaiblissait légèrement l'idée de classe ultime. Disons qu'une classe ultime n'est element que des classes finies, au lieu de dire qu'elle n'est element d'aucune classe. Nous pouvons avoir a la fois des classes ultimes dans ce sens et des classes finies sans restriction.

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  Jusqu'a present, j'ai vante la force de la théorie et la richesse de l'univers comme les buts naturels de la théorie des ensembles. Cependant, il est tout aussi naturel de poursuivre un but oppose. Que ce soit par crainte devant les paradoxes, par dégout devant les abus de l'ontologie, ou par une tendance esthetique a l'economie des moyens,on peut, en théorie des ensembles, Zaire de la faiblesse un but. On peut chercher la faiblesse en décrétant que l'univers sera pauvre, ou en recherchant la faiblesse des affirmations et en laissant aussi indeterminée que possible la question de la richesse ou de la pauvrete de l'univers. Dans les deux cas, l'idée consisterait a admettre aussi peu de choses que possible, tout en restant capable d'obtenir dans les mathématiques classiques tout ce a quoi la theorie des ensembles suffit normalement --- ou un peu moins, si l'avarice philosophique est autorisée a rogner un peu sur les proprietes mathématiques.
 Sur ce chemin, on trouve encore l'intuitionnisme, mais non seulement l'intuitionnisme. Il est aussi possible de conserver intacte la logique neo-classique et de ne restreindre queles lois de l'existence des classes. Le mot d'ordre, dans ce cas, est la Prédicativité, comme il l'etait deja il y a soixante ans chez Poincare. Une théorie des ensembles predicative assure l'existence de la classe z de tous les objets satisfaisant une condition donnie, pourvu seulement que la condition ne disc rien au sujet de z. Cette exigence, qui peut etre exprimee moins vaguement, se révèle comme une restriction serieuse. Métaphysiquement, elle semble constituer une bonne partie de la difference entre le realisme et le nominalisme. La theorie predicative des ensembles est quelque chose de voisin du conceptualisme.
 Du fait que son rendement mathématique se trouve dans dne certaine mesure limité, la théorie predicative des ensembles a eu moins d'adeptes que la théorie non-prédicative. Russell a tenté de la lancer, dans les premiers temps. Weyl s'y employait en 1918. Et, dans leur dissidence, les intuitionnistes ont suivi un chemin qui s'y apparentait. Par la suite, l'activite a été faible dans le domaine de la théorie predicative des ensembles et dans d'autres mathématiques constructivistes. Mais au cours des dernieres années, elle a ete animee d'une vie nouvelle. Kreisel a decouvert que d'une demonstration appartenant de façon typique aux mathematiques classiques, on peut extraire One information supplementaire de nature constructiviste (1). Une connexion remarquable se développe ainsi entre les deux styles de la recherche mathématique. De plus, indépendamment de cette evolution, la théorie predicative des ensembles reçoit de la théorie des ensembles hyper(-)arithmétique des nombres une signification nouvelle. Sur ce point, je donnerai en quelques mots un aperçu partiel avant d'en terminer.

(1) Georg KREISEL, La prédicativité, Bulletin de la Societe mathématique de France, 88 (1960), p. 371-391.

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 J'ai cite plusieurs raisons pour lesquelles on peut vouloir se passer de la théorie predicative des ensembles. Or il y a encore une autre raison, independante de la théorie predicative des ensembles, pour preferer obtenir n'importe quel résultat donné avec le minimum de moyens fournis par la théorie des ensembles: c'est l'adaptabilite. Plus maigres sont les moyens utilisés pour démontrer un résultat donné, plus large sera la variété de theories des ensembles a laquelle la demonstration aura chance de s'appliquer ; et plus il sera aise de modifier la theorie adoptée sans menacer cette demonstration. Si en particulier nous developpons l'arithmetique des nombres naturels sans faire appel aux classes infinies - et avec un peu de dextérité nous pouvons le faire - alors notre travail convient immediatement a n'importe quelle theorie des ensembles non limitée aux classes finies. Et j'ai soutenu tout a l'heure qu'une theorie des ensembles ne devait pas eire limitee a ses classes finies.
  Replions-nous maintenant vers la logique au sens encore plus strict, qui exclut ‘∈’ du vocabulaire logique. Son vocabulaire special ne comprend des notations que pour les fonctions de verite et la quantification ; ajoutons si nous voulons l'identite, cela n'a pas grande importance. Il reste encore, associée a cette logique, une tâche métalogique, comme nous l'avons vu : le discours sur les schemas suivant lesquels les mots logiques sont disposes, et le problème de savoir quels schémas correspondent a un énoncé logiquement vrai ou font qu'un énonce en implique un autre. C'est un sujet plus large qu'il n'y parait, car il couvre la question générale de savoir si un théorème, dans une théorie formalisée quelconque,est logiquement impliqué par des axiomes donnes. Si on pouvait trouver, pour s'en assurer, un moyen de controle mecanique, la tâche des mathématiciens s'evanouirait d'un coup.
  Un tel contrôle est impossible. Church et Turing l'ont montre en 1936, par un raisonnement appuyé sur le théorème de Gödel établissant l'impossibilité de rendre complete l'arithmétique. La logique,meme si on la prend au sens très étroit, la logique des fonctions de verité et des quantificateurs n'admet pas de procédé de décision général ; il n'y a pas de procédé mécanique pour contrôler la validité et l'implication. Pourtant cette logique est complete : la validité et l'implication peuvent toujours etre demontrées dans le cas ou elles subsistent. Mais, quand elles ne subsistent pas, nous ne pouvons pas en general verifier qu'elles ne subsistent pas.


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 Pour decouvrir et démontrer ce fait remarquable, il a fait former le concept de procédé mécanique. Entre 1930 et 1936, divers logiciens y parvinrent par des cheminements trts différents mais qui tous se révélèrent équivalents. Church proposa un critère du mécanique en termes de transformations effectuées selon les règles d'un certain système de la théorie des ensembles. Gödel et Herbrand fondaient leur critère stir des transformations arithmétiques elementaires. Turing et post usaient de critères fondés sur une caricature de machine a calculer. Kleene et d'autres démontrèrent que tous ces critères étaient equivalents, et on peut aujourd'hui les regrouper tous sous le terme technique de ≪ récursivité≫.
  Cette notion est devenue la pierre angulaire de la théorie de la demonstration. Et, en même temps, elle est la pierre angulaire de la théorie generale des machines a calculer. En allant au fond de ridge de procede mecanique, Turing, Kleene et les autres ont identifie l'essence de la machine a calculer. La machine existait depuis longtemps mais son essence n'avait pas ete identifiée. Aujourd'hui, les ingenieurs euxmemes parlent des machines de Turing. lei, comme en physique nucléaire, il s'est produit une rencontre entre les esprits le plus abstraitement théoriques et les esprits le plus concrètement pratiques.
 La théorie de la recursivite a donne naissance, grace aux travaux ulterieurs de Kleene, a une hierarchie remarquable (1). Pour commencer, nous avons les ensembles recursifs de nombres naturels. Est récursif, si on se place au point de vue intuitif, un ensemble dont nous pouvons vérifier mécaniquement si un nombre lui appartient i ensuite, nous avons les ensembles récursivement énumérables de nombres naturels ; nous ne pouvons pas en général verifier l'appartenance a un tel ensemble, mais pourtant chaque element de l'ensemble a, pour ainsi dire, un certificat d'appartenance qui, si on le trouve, peut etre verifié. Au-dessus, nous trouvons le mime decalage a un niveau supérieur, du moment ou nous essayons d'imaginer ce que peut bien etre ce décalage ; les certificats ont leurs certificats. Cette hiérarchie d'une vérifiabilité toujours plus ténue se poursuit indéfiniment et a chacun de ses niveaux on peut donner des exemples sans sortir de ce qu'on appelle l'arithmétique élémentaire. En fait, il existe aussi a chaque niveau une sorte de ramification que j'ai omise dans mon esquisse.

(1) Stephen C. KLEENE, Recursive predicates and quantifiers, Transactions of the American Mathematical Society.,53 (1943), p. 41-73.

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  Les ensembles situés a l'un quelconque de ces niveaux sont dits arithmétiques. An-dessus d'eux, la hiérarchie reprend a un niveau dit hyper-arithmétique. Je ne décrirai pas celle-ci, sauf a noter qu'il semble y avoir un lien remarquable entre ene et la theorie predicative des ensembles. Le niveau hyper-arithmétique est eleve si l'on se place au point de vue de la hiérarchie itablie par Kleene dans la théorie de la demonstration, mais, considere a l'echelle extravagante de la theorie générale des ensembles, il est bas. Il semble résulter des travaux de Kreisel et d'autres que les ensembles hyper-arithmétiques pourraient bien etre tons les ensembles de nombres naturels que l'on peut obtenir dans la théorie predicative des ensembles (1).
 Un peu plus haut, j'ai abandonné la théorie des ensembles pour la logique restreinte, celle des fonctions de verite et des quantificateurs, mais ce fut pour me détourner aussitôt vers la théorie de la demonstration de niveau superieur. Qu'en est-il maintenant de la logique restreinte? Les techniques déductives ont fait des progrès. Celles-ci gagnent en importance a mesure que nous songeons a utiliser les machines a calculer pour hâter la recherche mathematique ; en effet, on peut programmer une machine de façon a lui faire chercher des demonstrations et non pas seulement a lui faire procider a des vérifications ou a des calculs. Mais je ne m'arreterai pas a ces progrès. Les questions de ce genre ont beaucoup moins d'importance theorique que bien d'autres que j'ai omises dans cette presentation d'ensemble --- la logique combinatoire par exemple, que j' ai laissée de côté seulement parce qu'elle ne se liait pas avec mes autres themes. Mais je mentionnerai pour conclure un curieux jeu de ≪squeeze ≫ que l'on pratique dans la logique des fonctions de verite et de la quantification depuis plus de trente ans. Nous avons d'un côté le développement des tests de validité. Nous savons qu'il est impossible d'avoir un test de validité adequat pour la classe de toutes les formules dans cette partie de la logique, mais on peut etablir des tests adequats pour des sous-classes de formules de plus en plus vastes. Par exemple, il se trouve que nous disposons d'un test de validité pour les formules dans lesquelles aucune phrase atomique ne lie deux variables. Nous avons également un test de validité pour les formules dans lesquelles tous les quantificateurs sont initiaux, les quantificateurs universels pricédant les quantificateurs existentiels.

(1)Cf. KREISEL, OP. cit.

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 D'autre part, nous assistons all développement des procedures de reduction. La question de la validité d'une formule dans la logique des fonctions de verite et des quantificateurs peut, par exemple, etre réduite a la question de la validité d'une formule associée ne contenant, comme phrases atomiques, que ‘Fxx’,‘Fxy’,‘Fyz’, etc..., ou la lettre arbitraire ‘F’ est toujours unique. Elle peut egalement etre reduite a la question de la validité d'une formule ne contenant que trois quantificateurs. Dreben, Wang et d'autres ont récemment progresse dans cette recherche de tests de validité et de procedures de reduction (1). Dans le passé, ceux qui ont le plus fait avancer la question sont Ackermann, Gödel, Kalmar et Suranyi (2).
  Les progres sur ces deux fronts --- tests de validité et procedures de reduction --- ont permis, par des méthodes. diverses, de diminuer l'ampleur de la catégorie de formules logiques pour lesquelles nous n,avons pas de test general de validite. Tout progrès concernant les tests de validite retranche a. cette categorie ce qui peut eire aiors soumis aux tests ; tout progrès concernant les procedures de reduction supprime une partie de la categorie en resserrant les problèmes de validité sur la partie qui reste. Les progrès sur ces deux fronts sont payants car ils rendent plus tolerable la gene apportee par le theorème d'indécidabilite. Mais on sait depuis le debut que le travail doit devenir de plus en plus difficile et que, par principe, il est interminable. Il y a la une frontière de la theorie logique, et même une frontière au beau milieu de son territoire. Nous pouvons continuer a la réduire. Nous ne pourrons jamais l'effacer.

  W. V. QUINE,
Harvard University.
Traduit par Jacques DERRIDA et Roger MARTIN.

(1)A. S. KAER, E. F. MOORE et Hao WANG, Entscheidtlngs problem reduced to the AEA case, Proceedings of the National Academy of Sciences (U. S. A.), 48 (1962),p. 365-377 ; Burton DREBEN, A. S. KAHR et Hao WANG, Classification of AEA formulas by letter atoms, Bulletin of the American Mathematical Society, 68 (1962), p. 528-532.
(2) Cf. Wilhelm AcKERMANN, Solvable Cases of ike Decision Problem, Amsterdam,North-Holland, 1954 (voir aussi les références qui y sont faites).



誤植と思われるものを()内のように訂正した。
distribuât→(distribut) , hyperarithmétique→(hyper-arithmétique)

参考:
以下作業用年表。

(1812)ヘーゲルHegel( 『大論理学』)191
 1870 カントールCantor 1870年代に活躍。199
(1874)ブレンターノBrentano (『経験的立場からの心理学』) 197
(1879)フレーゲFrege ("Begriffsschrift"概念記法) 196
(1884)フレーゲ(『算術の基礎』) 196
 1897 ブラリ=フォルティ、パラドックスparadoxe de Burali-Forti(「超限数についての疑問」) 199
(1900)フッサールHusserl(『論理学研究』Logische Untersuchungen) 191
 1902 ポアンカレPoincare(『科学と仮説』) 204
(1903)ムア G. E. Moore, Principia Ethica 『倫理学原理』 深谷昭三(訳) 192
 1910 ホワイトヘッドとラッセルWhitehead et Russell (50年前)(『プリンキア・マテマティカ』1910-13) 194
 1918 ワイル Weyl (「連続体論」The Continuum)   204
 1920 ルカジェヴィッツŁukasiewicz  202
(1923)ブラウアーBrouwer(「排中論」Law of excluded middle)203
(1925)デューイDewey( "Meaning"ーー" Experience and Nature "「経験と自然」?)191
 1926 フォン=ノイマンvon Neumann en 1926(発見は1925?)、クラスの究極のアイデア導入  200
 1930 (1930年から1936年にかけて、さまざまな論理学者がさまざまな証明を得た) 205
 1931 ゲーデル.Gödel、不完全性定理 199
(1932)ルイスC. I. Lewis  194 、(単なる事例?)クーリッジM. Coolidge 195
 1936 チャーチとチューリングChurch et Turing 、ゲーデルの定理を推論によってサポート  205
(1936)(ヒルベルトHilbert、計算可能数、ならびにそのヒルベルトの決定問題への応用) ×
 1938 デューイLogic: The Theory of Inquiry  191
 1939 Botchvar, en Russie, a essayé a,utiliser une logique a trois valeurs, 202
 1941 クワインQuine ≪ Element and number ≫(1941),(Selected Logic Papers, (1966).) 200
(1943)クレーネ(クリーニ)Kleene 、再帰的な述語と量、(原始帰納的述語)  206
 1946 ルドルフ・カルナップCarnap ミスBarcan(現在の夫人マーカス)、様相、モダリティと定量化 195
(1949)ライルRyle(『心の概念』) 193
(1954)ライルRyle( Dilemmas (1954), a collection of shorter pieces 『ジレンマ--日常言語の哲学』勁草書房、1997年)
(1954)アッケルマンWilhelm AcKERMANN,『記号論理学の基礎』 208
 1959 ゲルナーGellner Words and Things、 195
 1960 クライゼルKreisel  204
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