土曜日, 12月 31, 2016

現代思想史入門、現代思想史キ ーワ ード年表


現代思想史入門 (ちくま新書)2016/4/22 | Kindle本
船木亨

経済ではなく情報、政治ではなく暴力、というところが新しい。精神分析は精神ではなく暴力の層にある。
ただし、ヘーゲルであれば最初に来るべき論理学が抜けている(歴史に入るのだろうが)。フェミニズムは生命の層にある。対象に引きづられ過ぎているのだ。

  現代思想史キ ーワ ード年表
生命、ダーウィン、進化論
精神、ニーチェ、ハイデガー、サルトル、実存主義
歴史、フーコー、 現象学、構造主義、言語学
情報、マルクス、 ポストモダン
暴力、ドゥルーズ、フロイト、人間工学

生命:

フーコーが生命政治について論じはじめたのは、一九六三年の『臨床医学の誕生』からである。フーコーの関心は、医療における倫理的問題の解決ではなく、そのような主題に顕著に出現してくる権力の働きを暴露することにあった。


精神:

つぎにベルクソンであるが、かれは、『創造的進化』(一九〇七年)において、生物の進化と、生物によって知覚される宇宙像の相互性について論じた。…植物には植物の、動物には動物の、そしてまた、本能には本能の、知性には知性の働きがある。どちらが優れているということはない。それゆえ、真理を捉えるものとしての知性のみが優位にあるということではないとベルクソンは主張する。


歴史:

フェルディナン・ド・ソシュール(一八五七~一九一三)は、歴史言語学派を改革しようとした少壮文法学派のひとりであったが、やがてその関心は、ラングの歴史をも説明することのできるような言語(フランス語では「ランガージュ」)の本質へと向かっていった。


情報:

デリダは、サールとの論争において、オースティンが述べた、言葉の真の行為と演劇などでの「ふり」の行為の区別を問題にした(『有限責任会社』)。


暴力:

ドゥルーズとガタリは、「無意識しか存在しない」、「無意識は何も表象しない」、「われわれが意識だと思い、さらに主体だと思う経験は、その無意識の単なる効果(生産物)にすぎない」と主張するのである。







二〇世紀のイデオロギー対立は終焉したが、新たな思想・哲学が出現していないように見える。近代のしがらみを捨てて、いま一度、現代思想の諸地層をもっとつぶさに見ていこう。そこに新たな思考が芽生えるきっかけが見つかりそうだ。生命、精神、歴史、情報、暴力の五つの層において現代思想をとらえ、それぞれ一九世紀後半あたりを出発点として、五度にわたってさらいなおす。現代思想の意義を探りつつ、その全体像を俯瞰する、初学者にもわかりやすい新しいタイプの入門書。

船木亨 『現代思想史入門』 - 

http://unnamable.hateblo.jp/entry/20160418/1460909462

現代思想史キーワード年表


はじめに

今日を読み解く思想/近代の行きづまり/ツリーからリゾームヘ/現代思想の諸地層


序章 現代とは何か

1 近代の終わり

ソーカル事件/思想の難解さ/宴のあと

2 現代のはじまり

時代としての〈いま〉/一九世紀なかばの生活/歴史のなかに入っていく哲学/シェリー夫人の「フランケンシュタイン」/われわれのなかの怪物


第1章 生命――進化論から生命政治まで

1 進化論

生物学と自然科学/ドリーシュの「生気論」/ダーウィンの「進化論」/哲学から科学が独立する/ヘッケルの「系統樹」

2 優生学

優生思想/ゴールトンの「優生学」/タブーとなった優生学/出生前診断

3 公民権運動と生命倫理

アメリカ公民権運動/フェミニズム/生命倫理/生命倫理のその後

4 生命政治

医療のアンチ・ヒューマニズム/フーコーの「ビオ-ポリティーク」/人口政策/大病院の起源/臨床医学の病気観/政策と産業のための医療/病人の側から見た病院/予防医学/生と統計/死と生/病気における苦痛/フーコーの「狂気の歴史」/健康な精神なるもの/排除と治療

5 トリアージ社会

知と権力の結合/ベンタムの「パノプティコン」/アガンベンの「剥きだしの生」/生命の数/統計的判断の不条理/道徳の終焉/国家と健康/神なき文化的妄信


第2章 精神――宇宙における人間

1 進化論の哲学

スペンサーの「文明進化論」/ジェイムズの「プラグマティズム」/ベルクソンの「創造的進化」/ホワイトヘッドの「有機的哲学」/ビッグバン仮説/宇宙進化論/宇宙と神/歴史は進化の普遍的登記簿に

2 西欧の危機

シュペングラーの「西洋の没落」/フッサールの「西欧的なもの」/新たな哲学へ

3 生の哲学

存在と生/ディルタイの「解釈学」/ギュイヨーの「生の強度」/ニーチェの「ニヒリズム」/神の死

4 人間学

シェーラーの「宇宙における人間の地位」/文化人類学/レヴィ=ストロースの「構造人類学」/野生の思考/哲学的人間学

5 実存主義とは何だったのか

有神論と無神論/サルトルの「実存主義」/ハイデガーの「アンチ・ヒューマニズム」/存在論的差異/死に向かう存在/存在と言葉/存在か無か/〈わたし〉と〈もの〉/メルロ=ポンティの「両義性の哲学」/進化と宗教


第3章 歴史――構造主義史観へ

1 歴史の歴史

古代・中世・近代/歴史の概念/ヘーゲルの「歴史哲学」/ポパーの「歴史主義の貧困」/宇宙の歴史と歴史学/ナチュラルヒストリー/存在したもの/普遍的登記簿/歴史とポストモダン

2 現代哲学

哲学の終焉のはじまり/哲学の四つの道/哲学という思想/生か意識か/現象学/フッサールの「現象学的反省」/時間性/ベルクソンの「純粋持続」/ドゥルーズの「差異の哲学」/現代哲学の終焉

3 論理実証主義

心理学と心霊学/フレーゲの「意味と意義」/ウィトゲンシュタインの「語り得ないもの」/英米系哲学

4 構造主義

歴史言語学派/ソシュールの「差異の体系」/構造主義の出発/構造主義の三つの課題/ロラン・バルトの「エクリチュール」/構造主義的批評/フーコーの「エピステーメー」/構造主義的歴史/フーコー学

5 象徴から言語へ

メルロ=ポンティの「生の歴史」/象徴と記号/フーコーの「人間の終焉」


第4章 情報――ポストモダンと人間のゆくえ

1 ポストモダニズム

建築のポストモダン/メルロ=ポンティの「スタイル」/ベンヤミンの「アウラ」/芸術のポストモダン/文学のポストモダン/近代文学/映画のポストモダン

2 ポストモダン思想

リオタールの「ポストモダンの条件」/大きな物語/思想のポストモダン/ポスト構造主義/デリダの「脱構築」/ロゴス中心主義/デリダ=サール論争/前衛とポストモダニスト/状況なるもの/ポストモダン思想のその後

3 情報化社会論

ダニエル・ベルの「イデオロギーの終焉」/アルチュセールの「国家イデオロギー装置」/トフラーの「未来学」/ボードリヤールの「シミュラークル」/道徳と芸術のゆくえ/価値の相対化/マンフォードの「ポスト歴史的人間」

4 世界と人間とメディア

ルネサンス/世界の発見/人間の発見/時計の発明/大衆の出現とマスメディア/大衆社会論/マクルーハンの「メディアはメッセージである」/文明進歩の地理空間/帝国とグローバリゼーション/管理社会論

5 マルクス主義と進歩の終わり

文明の終わり/マルクスの「共産主義革命」/資本主義社会/共産主義社会/歴史の過剰と欠如/人間の脱人間化と世界の脱中心化/サルトルの「自由の刑」/哲学のゆくえ


第5章 暴力――マルクス主義から普遍的機会主義へ

1 革命の無意識

五月革命/ライヒの「性革命」/精神分析/フロイトの「無意識」/エディプス・コンプレックス/精神分析のその後/ラカンの「鏡像段階」/構造化された無意識/どのような意味で構造主義か

2 フランクフルト学派

ベンヤミンの「暴力論」/神的暴力/亡命ユダヤ人思想家たち/アドルノとホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」/フロムの「自由からの逃走」/マルクーゼの「人間の解放」/資本主義からの逃走

3 アンチ・オイディプス

ドゥルーズとガタリの「欲望する機会」/狂人たち/無意識は表象しない/国家/野生と野蛮/資本主義社会/メルロ=ポンティの「現象的身体」/マルクスの「非有機的肉体」/フロイトの「死の衝動」/アルトーの「器官なき身体」/ドゥルーズとガタリの「千のプラトー」/自由から逃走へ

4 ポスト・ヒューマニズム

現代フランス思想/ニーチェの「神の影」/機械と人間/カフカの「エクリチュール機械」/自然と文化の二元論/機械としての人間/カンギレムの「生命と人間の連続史観」/機械一元論哲学/ドゥルーズとガタリの「普遍的機会主義」

5 機械と人間のハイブリッド

ハラウェイの「サイボーグ宣言」/女性/人間はみな畸形である/ハラウェイの「有機的身体のアナロジー」/機械と生物のネットワーク/死の衝動と生の強度/生の受動性


おわりに

今日の思考/哲学の栄枯盛衰/非哲学の出現/現代哲学から現代思想へ/現代思想の諸断層


あとがき

事項索引

人名・書名索引




現代思想史キ ーワ ード年表:
1858 進化論
1876 ベル電話機発明
1886 ガソリン自動車
1905 特殊相対性理論
1927 ビッグバン理論
1942 コンピュータの発明
1953 DNA 二重螺旋
1996 インターネット 
アポロ11号月面着陸
1978 初の体外受精児誕生
1986 チェルノブイリ原発事故
2006 iPS細胞
 1850       1900         1950            2000
_________________________________________________
生命: 
 進化論  骨相学  遺伝学      DNA クローン技術
    系統樹         新ラマルク説  生気論
      社会ダーウィニズム 優生学  複雜系オートボイエーシス
 ファシズム  民族純化     民族浄化
 エコロジー     ガイア仮説   ディープエコロジー
          帝国主義   国家主義  公民権運動  生命倫理 生命政治論
 フェミニズム             ウーマン・リブ   第三波フェミニズム
_________________________________________________
精神:
              相対性原理 ビッグバン説           宇宙進化論
    文明進化論 創造的進化論 有機的哲学  ネオダーウィニズム
            プラグマティズム
 人類学 文化人類学            構造人類学     身体論
    生の哲学 ニーチェ思想        哲学的人間学  実存主義
     解釈学       西洋の没落  存在論       アンチ・ヒューマニズム
_________________________________________________
歴史:
     新カント派    現象学  論理実証主義         分析哲学
          ベルクソニスム    日常言話学派  フランス現象学 差異の哲学
 世界史学       アナール派
     歴史言語学派 青年文法学派 構造言語学 構造人類学  記号学 構造主義 フーコー学
 民族学    心理学                              精神世界
        精神分析                    構造主義的マルクス主義
_________________________________________________
情報:
               モダニズム建築         ポストモダン建築
         印象派   現代芸術    前衛芸術 アンチロマン 脱構築 イェール学派
                          カウンターカルチャー ポストモダン思想
            管理社会   大衆社会論    情報化社会論 ポスト構造主義 文明の衝突
          文明批評             メディア論     未来学  文化批評
        マルクス主義             大学紛争 新左翼
__________________________________________________
暴力:
          精神分析 性革命        五月革命
                ラカン派  性科学
            フランクフルト学派         アンチ・オイディプス
                現象的身体      器官なき身体    ポスト・ヒューマニズム
              人間工学 サイバネティックス              サイボーギズム
                       フランス認識論  普遍的機械主義
__________________________________________________
1861 アメリカ南北戦争
1868 明治維新
1889 大日本帝国憲法
1904 日露戦争
1914 第一次大戦
1917 ソ連成立
1929 世界恐慌
1939 第二次世界大戦
1968 五月革命
1989 ベルリンの壁崩壊
2001 9.11テロ
2011 東日本大震災

有斐閣ストゥディア:経済学メモ



マクロ経済学の第一歩 | 有斐閣 2013
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641150065

マクロ経済学の第一歩 (有斐閣ストゥディア) | 柴田 章久, 宇南山 卓  2013

https://www.amazon.co.jp/dp/4641150060/


マクロ経済学の第一歩

一貫した視点でスッキリわかる!
有斐閣ストゥディア
柴田 章久 (京都大学教授),宇南山 卓 (一橋大学研究員)/著


2013年12月発売
A5判並製カバー付    , 232ページ
定価 2,052円(本体 1,900円)
ISBN 978-4-641-15006-5
First Steps in Macroeconomics

経済理論 > マクロ経済学
やさしい入門書

◆書斎の窓の「自著を語る」コーナーにて,著者が本書を紹介しています。 →記事を読む


書斎の窓 | 有斐閣
自著を語る
『マクロ経済学の第一歩』「ニュースがわかる」を超えて
京都大学経済研究所教授 柴田章久〔Shibata Akihisa〕
財務総合政策研究所総括主任研究官 宇南山卓〔Unayama Takashi〕

「減税すると景気はよくなる?」「少子高齢化で日本は破綻する?」─日本経済の重要課題を理解するために必要となるツールをわかりやすく解説します。基礎的な理論から現実の経済問題までを,一貫したフレームワークでスッキリ学べる入門テキスト。2色刷。
目次  
第1部 マクロ経済学のフレームワーク
 第1章 マクロ経済学とは何か?
 第2章 GDPとは何か?
第2部 生産と支出の決まり方
 第3章 経済成長と技術の役割
 第4章 消費の決定
 第5章 投資の決定
第3部 所得分配の決まり方
 第6章 労働市場と失業
 第7章 所得分配と格差
第4部 政府部門と海外部門
 第8章 再分配政策
 第9章 政府支出の役割
 第10章 少子高齢化と財政
 第11章 開放経済
ウェブサポート  
練習問題解答例

,各章の補足,統計データサイトのURL




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マクロ経済学 | 有斐閣 2015
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641150263
https://www.amazon.co.jp/dp/4641150265/
マクロ経済学 -- 入門の「一歩前」から応用まで

基本の「一歩前」から学べる入門テキスト
有斐閣ストゥディア
平口 良司 (千葉大学准教授),稲葉 大 (関西大学准教授)/著


2015年10月発売
A5判並製カバー付    , 292ページ
定価 2,160円(本体 2,000円)
ISBN 978-4-641-15026-3
Macroeconomics: From Basic Principles to Applications

経済理論 > マクロ経済学
入門書・概説書

マクロ経済学の理論を学び始める前に,現実の経済の仕組みから丁寧に解説します。マクロ経済学の基礎とその「一歩前」をしっかりと理解した上で,基本モデル,発展的トピックスへとステップアップして学習できます。イラストや写真を交えながら,楽しく学べる入門書。

◆書斎の窓の「自著を語る」コーナーにて,著者が本書を紹介しています。 →記事を読む



書斎の窓 2016年1月号 マクロ経済学を知る面白さ『マクロ経済学――入門の「一歩前」から応用まで』 平口良司・稲葉大
http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1601/07.html


目次  
第1部 マクロ経済学の基礎知識
 第1章 マクロ経済を観察する1:GDP
 第2章 マクロ経済を観察する2:物価・失業率
 第3章 マクロ経済を支える金融市場
 第4章 貨幣の機能と中央銀行の役割
 第5章 財政の仕組みと機能
第2部 マクロ経済学の基本モデル
 第6章 国内総生産と金利の決まり方
 第7章 総需要・総供給と物価の決まり方
 第8章 インフレとデフレ
 第9章 為替レートの決まり方
第3部 マクロ経済学の発展的トピックス
 第10章 経済が成長するメカニズム
 第11章 雇用と失業の決まり方
 第12章 資産価格の決まり方 

解答
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ミクロ経済学への第一歩 2013

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641150058
https://www.amazon.co.jp/dp/4641150052/

最初の一歩のお手伝い
有斐閣ストゥディア
安藤 至大 (日本大学准教授)/著


2013年12月発売
A5判並製カバー付    , 262ページ
定価 2,160円(本体 2,000円)
ISBN 978-4-641-15005-8
First Steps in Microeconomics

経済理論 > ミクロ経済学
やさしい入門書


◆書斎の窓の「自著を語る」コーナーにて,著者が本書を紹介しています。 →記事を読む
自著を語る 最初でつまずかないために!
――『ミクロ経済学の第一歩』の刊行に寄せて
日本大学大学院総合科学研究科准教授 安藤至大〔Ando Munetomo〕

「価格と価値は違うもの?」「需要曲線の形が変化しても,価格が実際には変化しない場合もある?」─経済学をはじめて勉強する人がひっかかりやすい箇所にポイントを絞ってわかりやすく解説。イメージしやすい具体例とイラストをふんだんに盛り込んだ,読むのが楽しい入門テキスト。2色刷。 

目次  
第1部 ミクロ経済学の考え方
 第1章 ミクロ経済学とは?
 第2章 個人の選択を考える
第2部 完全競争市場
 第3章 需要曲線と供給曲線
 第4章 市場均衡と効率性
 第5章 完全競争市場への政府介入と死荷重の発生
第3部 市場の失敗と政府の役割
 第6章 市場の失敗と政府の役割
 第7章 独 占
 第8章 外部性
 第9章 公共財
 第10章 情報の非対称
 第11章 取引費用
第4部 ゲーム理論
 第12章 ゲーム理論と制度設計 

ストゥディア ウェブサポートページ | 有斐閣
『ミクロ経済学の第一歩』[2013年12月発行]
安藤 至大 (日本大学准教授)/著
1 訂正情報
・175ページ、図8.3
(誤)「生産1単位あたりの公害のイメージ」
(正)「生産1単位あたりの公害のダメージ(x)」
・192ページ、上から4行目
(誤)「三つも実施できるため」
(正)「五つも実施できるため」
・p.209、CHECK POINTの二つ目
(誤)「アドバースセレクションへの対策として」
(正)「モラルハザードへの対策として」
お詫びして訂正いたします。
*著者のホームページ http://munetomoando.net/textbook.html
2 練習問題解答例 [PDF:852KB]
各章末に掲載された練習問題の解答例を確認できます。
3 各章の補足(準備中)


書斎の窓 | 有斐閣
http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1407/10.html


自著を語る
最初でつまずかないために!

――『ミクロ経済学の第一歩』の刊行に寄せて

日本大学大学院総合科学研究科准教授 安藤至大〔Ando Munetomo〕

安藤至大/著
A5判,262頁,
本体2,000円+税

はじめに

 みなさま、はじめまして。安藤至大と申します。わたしは2013年12月に『ミクロ経済学の第一歩』を有斐閣ストゥディアの1冊として出版しました。それにより、この『書斎の窓』に執筆する機会を頂いたわけです。
 さて本書は、タイトルからも分かるように、ミクロ経済学をはじめて学ぶ人向けの入門書です。本稿では、この教科書について簡単に紹介した上で、完成させるまでの間にどのようなことを意識していたのかを述べていきたいと思います。
 ところで『書斎の窓』の読者には、様々な分野の方がいらっしゃると思います。その中には「経済学は金儲けの学問だからキライだ!」とか「市場原理主義だからケシカラン!」などと思われている方も意外と多いかもしれません。
 そこでそのような誤解(?)を解くためにも、まずはミクロ経済学とはどのような学問なのかを簡単に紹介しておきましょう。
ミクロ経済学とは?

 ある南の島に、ワタベさんとオザキさんという2人の島民が住んでいました。そしてワタベさんはリンゴを1つだけ、またオザキさんはミカンを1つだけ持っていたとします。しかしワタベさんは、実はリンゴよりもミカンが好きでした。また反対に、オザキさんはミカンよりもリンゴのほうが好きでした。このとき2人が自分の持っている果物を交換すると、前よりも幸せになります。なにしろ、より好きなものを手にいれることができたのですから。
 ミクロ経済学で最初に学ぶことは、このように「合意の上で交換すると、交換する前よりも双方ともに得をする」ということです。このような交換の利益のことを専門用語では余剰といいます。そしてミクロ経済学では、この「余剰」を最大限に実現することを目的として、人々が自発的な取引を行ったほうが良いのはどのようなときか、また、政府が取引に介入したほうが良いのはどのようなときかという問題を考えていきます。
 「えっ、それだけ!?」と思われるかもしれません。もちろんゲーム理論の発展により、交換の利益を実現させる方法だけでなく、人々の戦略的行動や組織の内部構造などもミクロ経済学において扱えるようになりました。しかし「ミクロ経済学の第一歩」として学ぶのは、やはり市場と政府の役割分担のあり方なのです。
 というわけで、ミクロ経済学とは、金儲けの学問というよりは皆が前よりも幸せになるための方法を考える学問ですし、市場原理主義というよりは市場の役割と限界を考える学問だと考えて良いでしょう。

本書の構成

 それでは、本書の内容を簡単に紹介します。4部構成の第1部では、まず交換の利益とは何かを説明した後に、ミクロ経済学の目的とは「交換の利益を最大限に実現させること」だと紹介しています(第1章)。続いて、市場における取引を考える前に、個人の意思決定について理解する際に役立つ4つのキーワード「インセンティブ・トレードオフ・機会費用・限界的」を順に紹介します(第2章)。
 第2部では、完全競争市場とその性質について解説します。この「完全競争市場」という名前を見ると、なにか殺伐とした弱肉強食の世界を想像してしまうかもしれません。しかしこれは、人々の間の取引をとても円滑に行うことができる理想的な環境のことです。このような理想的環境を前提として、まず消費者の需要と生産者の供給について(第3章)、また需要量と供給量の釣り合いが取れている状態である市場均衡とその効率性について(第4章)、そして市場がある程度はうまく機能しているときには、人々の自発的な取引に対して政府が介入しない方が望ましいことを説明します(第5章)。
 第3部がこの教科書で最も大事なところです。ここでは、完全競争市場の前提条件が満たされていない状態(これを「市場の失敗」といいます)についての全体像を最初に紹介し、市場への適切な政府介入が行われることにより、人々が得る余剰が増加することを説明しています(第6章)。そして、独占のとき(第7章)、外部性があるとき(第8章)、公共財のとき(第9章)、情報の非対称があるとき(第10章)、取引費用が高いとき(第11章)という5種類の「市場の失敗」について、なぜ問題なのか、またどのような政府介入が必要なのかを議論します。
 第4部では、ゲーム理論の初歩を紹介します。まずゲームとは何か、またナッシュ均衡とは何かを説明した上で、ゲーム理論のアプローチを活用した制度設計について解説しています(第12章)。

インターネット上の講義資料

 この教科書のベースになったのは、政策研究大学院大学(長いので以下では政研大と書きます)で2009年より開講している「政策分析のためのミクロ経済学」の講義資料です。わたしの現在の本務校は日本大学ですが、最初の就職先が政研大だった縁で、いまでも講義や論文指導などを少しだけお手伝いしているのです。
 この講義は、公務員の方々を中心とした社会人を対象とするものです。そして受講者のほとんどは、これまでに経済学を学んだことがありません。しかし社会人としては豊富な実務経験があり、能力も高い方々ばかりです。また政研大の修士課程では、1年間で必要な単位を揃えて論文を書き、学位を取得することが求められています。そこで講義の時間を有効活用するためにも、毎回の講義で扱う内容を予習してもらうことにしました。
 当初は、定評のある教科書を用いて「ここからここまでを次回までに読んできてください」といった形で指定していました。しかし初学者が疑問に思いやすい点をさらに丁寧に解説することが重要だと思うようになり、インターネット上に自作の講義資料を掲載して活用することを2011年度から始めました。
 この講義資料がそれなりにまとまってきた頃に、出版社の方から「ぜひウチから出版しませんか?」といったお誘いを頂くようになったのですが、無料で公開しておいたほうが多くの方に活用して頂けるだろうと考えていたために、当初は出版するつもりはありませんでした。しかし無料で公開されている資料では、信頼性の面で不安に思う読者もいるのではないか、またプロの編集者に協力してもらうことは質を向上させるためにも不可欠なのではないかなどと考えた結果、有斐閣から出版して頂くことにしたのです。

本書の特徴

 出版することが決まり、原稿を大幅に書き換えることになりました。その際には、どのような点に特色がある教科書にするのかを考えることから始めました。なにしろ書店の棚には、高名な研究者による教科書がすでに数多く並んでいるわけですから、差別化をはかることが重要だと思ったのです(笑)。
 自宅近くの飲み屋で大量のアルコールを消費しつつ、1ヶ月ほど妄想をふくらませた結果として、次の3つのことが特色だといえるような教科書を作成することにしました。

1、目的がはっきりしている

 まず、この教科書では、先ほど説明したように「合意の上で行われる交換によって生み出される利益を最大限に実現させることがミクロ経済学の目的」だという点を強調した記述が何度も登場します。その上で、この目的を達成するための手段として市場と政府の役割分担を考えるという構成を読者が常に意識するように心がけました。
 また最初がよく分からないと、その後の学習が苦痛であることに配慮して、導入部分を特に丁寧に解説しました。ミクロ経済学を何のために学ぶのか、また講義で扱う個々の内容が互いにどのように関係しているのかがよく分からないままで細かい話をされても初学者にとっては苦痛だろうと考えたからです。

2、扱う内容が絞り込まれている

 また扱う内容を大幅に絞り込むことにしました。その結果として、この教科書では一般的な教科書では必ず登場するはずの内容が扱われていません。例えば、複数の財をどのように組み合わせて消費するかという話題(予算制約と無差別曲線を使った議論)は登場しません。これはベンチマークとしての完全競争市場の話はできるだけ短めにして、「市場の失敗」と政府の役割についての具体例を見ていった方が、読者は興味を維持できるはずだと考えたからです。
 その代わりに、初学者がひっかかりやすいと思われるポイントや細かい前提条件を丁寧に説明することにしました。それにより独学で使える教科書を目指したのです。

3、常に新しい情報を活用できる

 評判が良い教科書の多くは、発売されてから数年経って新版が出版されるタイミングで、改良が加えられていきます。それに対してこの教科書では、できるだけ早く読者からのフィードバックに対応したいと考えました。出版したら終わりではなく、育てていくことを重視したのです。
 そのためにインターネット上のサポートページを活用することにしました(http://www.yuhikaku.co.jp/static_files/studia_ws/index.html)。現状では練習問題の解答例が掲載されているだけですが、今後、紙面の都合で掲載できなかった説明などを順次掲載していきます。
おわりに

 わたしは以前から、「賢い人が書いた教科書がベストとは限らない」ということを、特に入門書については強く感じていました。
 そもそも多くの教科書は、学者になるためのトレーニングを積んだ賢い人が、自分が受けてきた教育を前提として執筆しています。そのために「初学者向け」の教科書として出版されているものであっても、正直に言って「難しいなあ」と感じることもありました。
 その理由の1つとして、賢い人は「分からない人が、どこが分からないのかが分からない」ということがあるのではないでしょうか? 例えば、プロ野球の名選手だった長嶋茂雄さんのような天才に野球を教えてもらうのは、なかなか難しそうです。どうすればヒットが打てるようになるのかを知りたいときに、「来た球をバァッといってガーン」などと教えてもらっても、凡人は打てるようにはなりません。それよりも苦労して習得した人のほうが上手に教えられる可能性もあるのです。
 この教科書がどのくらい上手く書けているのかは、自分ではよく分かりません。みなさまの評価にお任せします。しかし、経済学が苦手だという人を減らすことに少しでも貢献できたとしたら、それだけで大満足です!
戻る


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マクロ経済学の第一歩 (有斐閣ストゥディア) | 柴田 章久, 宇南山 卓  2013

https://www.amazon.co.jp/dp/4641150060/

マクロ経済学 -- 入門の「一歩前」から応用まで (有斐閣ストゥディア) | 平口 良司, 稲葉 大  2015

https://www.amazon.co.jp/dp/4641150265/


日曜日, 12月 25, 2016

バクーニン:メモ


             (政治学柄谷行人マルクスリンク::::::::::

NAMs出版プロジェクト: バクーニン:メモ

http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_25.html

バクーニン.Bakunin,Mikhail,❸T.38,39(ラ(ッ)サールと-,:マルクス),251@〜,276@,436(-派),437,467,459(-主義),486/❹A.6/◉W.193/◎N.13,
 「革命家の教理問答」,❸T.276@,486,
 『国家と無政府』,❸T.251@/◎N.59@

柄谷行人定本トランスクリティーク
276~7

(バクーニンは)極端なツリー型の秘密結社(前衛党)を作ろうとしたのである。バクーニンは「革命家の教理間答」にこう

いている。《一人一人の同志の手元には、数人の第二、第三の革命家がいるベきである。これらの革

命家は完全には革命に身を委ねていない人たちである。革命家はこれらの人々を自分の管理下にあ

共通の革命的資本のー部と見なすベきである。彼は自らの資本の分け前をつねにそこから最大の利

益を引き出すことができるよう、経済的に使わなければならぬ》。



486~7

(40)ネチャーエフはバクーニンが「革命家の教理問答」に書いた組織論を実行した。それがバクーニンの

意に反したことであれ、彼の組織論から生じたことは否定できない。一八四〇年代のロシアの社会主義運

動は、バクーニンもふくめて、フォイエルバッハの影響から始まっている。若いドストエフスキーもそこ

にコミットし、シベリア流刑に処せられたのである。彼がのちにネチャーエフ事件に触発されて『悪霊』

を書いたことはいうまでもないが、革命政治ヘの彼の洞察は、マルクス主義者ではなく、アナーキストの

運動から来ることに注意べきである。もしそれが二〇世紀のマルクス主義者の運動に妥当するのだとす

れば、それがマルクス主義だけでなく、アナーキズムにも共通する問題であったということを意味する。

アナーキストは「理性」の支配を否定する。しかし、「理性」によってしか「理性」の批判をなしえない

というパラドックスを忘れてはならない。たとえば、ベルグソンの「知性」批判も、理性による理性の批

判のー形態である。そのことが忘れられると、直観や生命の優位が端的に主張されるようになる。しかし、

それは実は、別のかたちをとった「理性の越権」にほかならないのである。たとえば、ソレルは、ベルグ

ソンにもとづいて、国家権力をーつの force 労働者ゼネストを violence と呼んだ。前者が抑圧的な知性で、後

者は生の躍動である、という。しかし、彼の理論が実を結んだのがむしろムッソリーニのファシズムにお

いてであったということは、偶然ではない。


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ネチャーエフ「カテキズム」が読める本は? - 文学 | 【OKWAVE】
http://okwave.jp/qa/q7397770.html
『革命家の教理問答集』あるいは『革命家の教理問答書』のタイトルでバクーニン著作集5(白水社ほか)で邦訳は読めるようです。

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38.社民党批判6.(アナーキズムとは何か?) ( 政党、団体 ) - 安岡明夫HP(yasuoka.akio@gmail.com) - Yahoo!ブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/15341856.html?__ysp=44OQ44Kv44O844OL44OzIOS6lOS6uue1hA%3D%3D
 では、問題のネチャーエフ作成の文書「革命家の教理問答書」(同p.399-408)を見てみよう。
 
 「革命家は死すべく運命づけられた人間である。彼には・・感情も愛着も・・ない。・・すべての法律、・・道徳とのあらゆるきずなを絶っている。彼にとってこの世界は容赦なき敵であり、もし彼がその中で生き続けるならば、それはこの世界をより確実に破壊せんがためにほかならない」(同p.401)。

 「彼は世論を無視する。彼は現在の社会道徳を・・軽蔑し、憎悪する」(同p.402)。

 「自らに厳しい革命家は、他に対してもきびしくあらねばならぬ。肉親の情、友情、恋愛、感謝・・は、革命の事業の唯一の冷たい感情によって、自らの中に抑圧せねばならぬ」(同p.402)。

 「仮借なき破壊の目的のために、革命家は社会の中で偽りを装って生活する・・」(同p.404)。

 「第一のカテゴリーは、猶予せずに死刑を宣告される。・・死刑を宣せられた者のリストを作成すべきである。・・リストの先に出てくる者から片付けるのである(同p.405)。

 「第二のカテゴリーは、一時的に生かしておく人々である。彼らの残忍な行為が人民に不可避的に反乱を引き起こすようにする為である」(同p.405)。

 「第三のカテゴリーは・・なるべく彼らの汚い秘密をつかんで自分たちの奴隷にしたりする・・」(同p.405)。

 「女性は・・三つの種類にわけらる・・その一は・・利用することが出来る」(同p.406)。

 「結社は全ての力と手段を尽くして、ついには人民をして忍耐の極、一人残らず蜂起に立ち上がらせるような諸悪を発達させ、これを断ち切るべくつとめるであろう」(同p.407)。

 「ロシアにおいて、真の、唯一の革命家である大胆な強盗の社会と結びつこうではないか」(同p.408)。

 色々此処には問題があるが、最重要な事は、アナーキストは人々の生活の悪化を狙っているということだ。どん底まで導き、そこで革命を狙うということだ。この事はバクーニン等の正統派アナーキストも例外ではない。また、盗賊と結びつけと言うのも共通で、バクーニンは言う。
 「人民の堕落は・・権利・・」「私は人民による盗奪行為を擁護する・・」(同p.355)。
 「盗賊団を人民革命の武器として用い」るべきと(同p.356)。

 1869年11月26日、ロシア国内でネチャーエフによって頭部を撃ち抜かれた他殺体が発見された。最後は130名が逮捕され、ネチャーエフも捕まり、35歳で獄死した。之をモデルにしたのが、ドストエフスキーの有名な小説『悪霊』である。
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参考:


土曜日, 12月 24, 2016

一遍上人


                (リンク:::::::::仏教

NAMs出版プロジェクト: 一遍上人

http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_24.html

NAMs出版プロジェクト: ニーチェ:インデックス

http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_1686.html

NAMs出版プロジェクト: 民俗学(人類学):インデックス

http://nam-students.blogspot.jp/2013/03/blog-post_9856.html

一遍(いっぺん、延応元年(1239年)ー正応2年(1289年))は鎌倉時代中期の僧侶時宗の開祖。

そのディオニソスへの賛美…最もニーチェに呼応すのは一遍かも知れない。

遊行寺の踊念仏

https://youtu.be/qUdvaXtOmj0

映画『一遍上人』予告編


 一遍智真は、延応元年(一二三九年)伊予(現・愛媛県)の豪族河野氏の子として生まれました。法然の往生から二十七年後、親鸞が六十七歳のときです。河野家は水軍の家系だったのですが、一遍が生まれた当時は没落してひっそりと生活していたようです。  
 一遍は、十歳で母を亡くしたのを機に出家しています。比叡山には行かず、大宰府の浄土宗西山派の僧侶である聖達のもとで修行しており、随縁と名乗っていました。聖達は、法然の高弟である証空の弟子です。証空は西山派の派祖です。ですから一遍は浄土宗の西山義系統で育ったということになります。
 一遍の行動と思想は、往生後十年経ってから成立した『一遍聖絵』(全十二巻、以降は『聖絵』と略)と呼ばれる絵詞伝によって知ることができます。

 この絵伝が素晴らしいのは、まず上人の死後十年というほぼリアルタイムに完成していることです。法然上人にも『四十八巻伝』という立派な絵伝がありますが、この絵伝が完成したのは法然上人の死から百年後のことです。
 一遍上人を理解するためのキーワードは四つあります。  
 まず一つ目は「漂泊」です。一遍上人の人生というのは、言わば「旅の人生」です。
二つ目は「捨聖」。僧はお釈迦様以来、出家するのが基本なので、一切のものを捨てた人間であると言えますが、一遍上人の捨て方は非常に徹底しており、他の宗教者とはレベルが違います。
三つ目は「詩歌」。一遍上人は、捨聖にふさわしく著書を残していませんが、多くの長詩と即興で詠んだ和歌を残しています。
そして四つ目が、一遍上人の宗教の最大の特徴とも言える「踊り」です。一遍上人の教えは浄土教の流れを受け継ぐものですが、法然上人の教えとも、親鸞上人の教えとも異なる特徴を備えています。その特徴をはっきり示すものが、「踊り念仏」なのです。
一遍上人の夢に熊野権現が山伏姿で現れて、こう告げました。 「あなたの勧めで衆生の往生が可能になるわけではない。それはすでに阿弥陀仏によって決定しているのだから、信、不信を問わずその札を配りなさい」
この「信・不信を問わず」という考え方は、阿弥陀仏の本願、つまり他力によって救われることを説いた浄土教の中でも新しい考え方です。ですから私は、このお告げを受けたときが、一遍上人が法然上人や師である聖達の教えを越えて、独自の浄土教を確立した瞬間だと思っています。

 これは、宝満寺というお寺で、由良の法燈国師という中国にも留学した当代の禅宗を代表するような高僧と話をされたときに詠まれた歌です。 
 となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして
tおそらく、一遍上人は念仏を称えれば悟りを開くことができるという話をなさったのだと思います。しかし、この歌に対して法燈国師は「未徹在」、つまり、「 一遍智真は、延応元年(一二三九年)伊予(現・愛媛県)の豪族河野氏の子として生まれました。法然の往生から二十七年後、親鸞が六十七歳のときです。河野家は水軍の家系だったのですが、一遍が生まれた当時は没落してひっそりと生活していたようです。  
 一遍は、十歳で母を亡くしたのを機に出家しています。比叡山には行かず、大宰府の浄土宗西山派の僧侶である聖達のもとで修行しており、随縁と名乗っていました。聖達は、法然の高弟である証空の弟子です。証空は西山派の派祖です。ですから一遍は浄土宗の西山義系統で育ったということになります。
 一遍の行動と思想は、往生後十年経ってから成立した『一遍聖絵』(全十二巻、以降は『聖絵』と略)と呼ばれる絵詞伝によって知ることができます。

 この絵伝が素晴らしいのは、まず上人の死後十年というほぼリアルタイムに完成していることです。法然上人にも『四十八巻伝』という立派な絵伝がありますが、この絵伝が完成したのは法然上人の死から百年後のことです。
 一遍上人を理解するためのキーワードは四つあります。  
 まず一つ目は「漂泊」です。一遍上人の人生というのは、言わば「旅の人生」です。
二つ目は「捨聖」。僧はお釈迦様以来、出家するのが基本なので、一切のものを捨てた人間であると言えますが、一遍上人の捨て方は非常に徹底しており、他の宗教者とはレベルが違います。
三つ目は「詩歌」。一遍上人は、捨聖にふさわしく著書を残していませんが、多くの長詩と即興で詠んだ和歌を残しています。
そして四つ目が、一遍上人の宗教の最大の特徴とも言える「踊り」です。一遍上人の教えは浄土教の流れを受け継ぐものですが、法然上人の教えとも、親鸞上人の教えとも異なる特徴を備えています。その特徴をはっきり示すものが、「踊り念仏」なのです。
一遍上人の夢に熊野権現が山伏姿で現れて、こう告げました。 「あなたの勧めで衆生の往生が可能になるわけではない。それはすでに阿弥陀仏によって決定しているのだから、信、不信を問わずその札を配りなさい」
この「信・不信を問わず」という考え方は、阿弥陀仏の本願、つまり他力によって救われることを説いた浄土教の中でも新しい考え方です。ですから私は、このお告げを受けたときが、一遍上人が法然上人や師である聖達の教えを越えて、独自の浄土教を確立した瞬間だと思っています。

 これは、宝満寺というお寺で、由良の法燈国師という中国にも留学した当代の禅宗を代表するような高僧と話をされたときに詠まれた歌です。 

 となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして

おそらく、一遍上人は念仏を称えれば悟りを開くことができるという話をなさったのだと思います。しかし、この歌に対して法燈国師は「未徹在」、つまり、「いまだ徹し切れていないではないか」と言ったといいます。
 そう言われて、一遍上人が詠み直したのが次の歌です。  

 となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだ仏  

 ほとんど同じ歌のように思われますが、ここには大きな違いがあります。  
 最初の「南無阿弥陀仏の声ばかりして」では、南無阿弥陀仏と称えている人と、それを聞いている人、つまり「二人の人」が存在しています。主客が分かれているということです。  
 でも、悟りを開くということは、仏・森羅万と一体になることなので、これでは徹し切れていない、ということになります。  
 そこで一遍上人は「南無阿弥陀仏なむあみだ仏」と詠み直したのです。こうなると主客はもはやありません。
tこの歌を聴いて、法燈国師は「ああ、これなら悟りを開いた」と言って、手巾と薬籠を与えて、印可(禅の悟りを開いた証明)となさったと伝えられています。  
 これは大変独自な形を取っていますが、禅問答と言えると思います。  
 一般的な禅問答は漢語で行いますが、ここではそれが「和歌」を使って行われたということです。ですから私は、これこそ本当の意味での日本の禅問答だと思います。

 一遍上人と言えば踊り念仏と言われるほどに「踊り」はその教えの特徴とされていますが、これは一遍上人が考え出されたものではなく、遊行の途中で自然発生的に生まれたものなのです。  
 踊り念仏が最初に行われたのは、信州の佐久、小田切という場所で念仏を称えていたときのことだったといいます。  
 ここで念仏を称えていたとき、自然に念仏が踊りになったのです。  
 踊りになったといっても、はじめは一人か二人だけだったようですが、やがてそれがみんなで踊るようになっていき、「踊り念仏」として知れ渡るものになったのです。
 なぜ念仏が踊りになったのでしょう。 『一遍聖絵』を見ると、踊りには一定の振りがあるわけではないことがわかります。  
 あるものは鉢を叩き、あるものはそれに合わせて手足を動かす。あるものは踊りはね、あるもは手を叩くといったように、それはまったくの乱舞です。  
 それは、「踊り」が彼ら各人にとっての念仏の喜びを、自由に体で表現したものなのだからでしょう。
 しかし、こうした踊りが有名になることによって、遊行には必ず念仏踊りというものがセットになって行われるようになっていきます。

 ともはねよかくてもをどれ心ごま弥陀の御法と聞ぞうれしき (「偈頌和歌」)

 …一遍上人は、「そんなつまらないことを言っていないで、お前も一緒に跳ねたらいいじゃないか、そうすれば、そういう仏教もあるということがわかるだろう。お前は知らないかも知れないけれど、これこそ本当の仏教なのだよ」と言ったというのです。  
 これは、ある意味、それまでの常識的な仏教と、一遍上人の説く新しい仏教との攻防と言えるでしょう。

 一遍上人の思想は、能にものすごく大きな影響を及ぼしています。能の「実盛」や「遊行柳」、「誓願寺」といった作品には時宗の聖者が登場するのがその証です。
 また時宗は、歌舞伎とも深く関係しています。かつて、京都の真ん中に位置する四条河原町の交差点に、「四条道場」という場所がありました。この四条道場の近くには、歌舞伎の創始者とされる出雲阿国が歌舞を行った場があり、歌舞伎の発生と時宗が何らかの関係があることが推察されます。  
 実はこの四条道場は、もともと金寺という時宗の寺院だったのです。金寺の創建は応長元年(一三一一)、時宗は演劇的性格をそなえた踊り念仏を特徴としていたこともあって、その寺院では歌合や歌会がしばしば催されていました。それが次第に芸能の場としても大きく開かれるようになり、四条道場のように多様な演劇を吸引する場としての性格を持つようになっていったのです。

 時宗が衰退した最大の理由は、江戸時代になって「檀家制度」ができたことでした。
 しかし、今こうして一遍上人の教えを見ていくと、本当の意味で宗教の命を消そうとしているのは檀家制度にどっぷりと漬かり、布教をまったく考えない今の寺院なのではないかと思えてきます。
 仏教の復活、そういう意味においても、もう一度、一遍上人のような人を日本人が本気で考えてみることが必要なのだと思います。

参考文献:
梅原猛『梅原猛の仏教の授業 法然・親鸞・一遍』PHP研究所、2014年
釈徹宗『法然親鸞一遍』新潮社、2011年
小松 茂美 (編集)『一遍上人絵伝 (日本の絵巻) 』中央公論社、1988年


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知恵袋

2012/7/618:32:09

北条時宗の「時宗」が、一遍の宗派である「時宗」と同じだったからではありません。

当時、一遍が率いる教団は「時宗」ではなく、「時衆」と呼ばれていました。室町期までに関しては「時衆」の名を用いられていました。他宗派と同様に「宗」の文字を用いるようになったのは江戸時代以降です。江戸時代に入って「時宗」と改められて宗派の名になりました。

「時宗」という呼称は、1633年の「時宗藤沢遊行末寺帳」が事実上の初見とされています。従って、時宗の名前と一緒だったからではありません。

時宗が一遍の鎌倉入りを阻止したのは、治安上の警戒心からだったようです。

時宗は南無阿弥陀仏の文字を節をつけて歌い踊るもので、一種の集団による恍惚状態が得られました。北条時宗は念仏宗による集団行動を厳しく規制していましたが、特に時宗の対しての警戒心が強かったといいます。

この頃の鎌倉は弘安の役後であり、恩賞を求める武士で混乱していたこと、また旧仏教や禅宗を支持していた鎌倉幕府は、時宗を異端として鎌倉への立ち入りを禁止したのでしょう。

1282年3月1日、巨福呂坂から鎌倉に入ろうとする一遍(先頭の顔の黒い人物)を阻もうとする北条時宗(馬上の白い着物を着た人物)

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アポロン?

北条時宗 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/北条時宗
生誕 建長3年5月15日(1251年6月5日) 
死没 弘安7年4月4日(1284年4月20日) 享年34(満32歳没)

時宗は禅宗に帰依するなど信心深く、特に禅宗は父の時頼と交友のあった蘭渓道隆南宋から来日した兀庵普寧大休正念などから教えを受けていた。蘭渓道隆が死去すると名師を招くために中国に使者を派遣し、無学祖元を招聘する。祖元が開山した鎌倉の円覚寺(鎌倉市山之内)の開祖となり、円覚寺を関東祈祷所とし、尾張国富田庄を寄進する。 また、忍性の慈善活動を支援し、土佐国大忍荘を寄進したとも言われる。 熊本県南小国町の満願寺に時宗を描いたとされる頂相が所蔵されているが、描かれているのは別人であるという説もある。また、『一遍上人絵伝』には一遍と出会った時宗の姿が描かれている。

評価編集

時宗は、父の時頼ほど伝説逸話が豊富ではなく、本格的に論評が風発するのは近世に入ってからであった。その事績を礼賛するか、非難するかの差異は評する者の史実の解釈に依拠するところが大きい。

木曜日, 12月 22, 2016

親鸞:二双四重の教判(&蓮如「白骨の章」)


                (リンク:::::::::仏教
NAMs出版プロジェクト: 親鸞:二双四重の教判 
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_22.html
NAMs出版プロジェクト: 一遍上人
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_24.html
NAMs出版プロジェクト: インド唯名論と実在論:再送
http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post_30.html

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の浄土真宗の宗祖とされる。
1173年5月14日 - 1263年1月9日1173年5月21日 - 1263年1月16日
上段・旧暦 中段・ユリウス暦 下段・グレゴリオ暦換算

                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                   }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超


\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力
           I
      竪出   I   横出
出   漸教\聖道門 I 漸教\浄土門
-----------+------------ ←四重
      竪超   I   横超
超   頓教\聖道門 I 頓教\浄土門
     (空海)  I  (親鸞)

竪超 (しゅちょう) 厳しい修行をして一気に悟ろうとする。

横超(オウチョウ)とは - コトバンク kotobank.jp/word/横超-449177
仏語。阿弥陀仏の本願の力によって迷いの世界を 跳び越えて、
浄土に往生すること。真宗の説く、他力浄土門の中の絶対他力の教えを いう。

二双四重(にそうしじゅう)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/二双四重-109695

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

『教行信証(教行証文類)』(『無量寿教』十八願(唯除規定)、四十八願に関連)。
教相判釈(体系的な分類)と五逆、悪の解釈が呼応する。

《たとえば、『尊号真像銘文』の中で、 「横截五悪趣、悪趣自然閉」(横に五悪趣を截すれば、悪趣自然に閉ず)ということを、文字の意義に即しながら解き明かしているところがあります。》(吉本隆明『今に生きる親鸞』)

「親鸞」という法号のようなものは、自分でつけたのですが、親鸞の「親」はインドの世親(天親)からとっています。世親は釈迦のあと最も偉大なインドの宗教家で、『浄土論』を書いた人です。つまり浄土門の創始者です。  一方「鸞」の字は中国の曇鸞からとっています。この人は『浄土論』を解説、解釈した『浄土論註』を書いた人です。この二人から一字ずつ取っているのです。ということは、インドの世親から中国の曇鸞を通って、日本の親鸞にきてこれで終わり、ということを意味しています。親鸞は謙虚な人ですから、そうは言っていませんが、密かにそうした自負を抱いていたのだろうと思います。
 親鸞の主著である『教行信証』を読むと、それがインドと中国のあらゆる浄土系のいいところというか、エッセンスを全部収録して集めてあります。そして、それに対して自分の考え方を述べています。ですから自分が浄土宗の最後の人だという自覚があったのだと思います。  念仏だけでいいという価値観をウソだという人はたくさんいるでしょう。他の宗派のお坊さんもそう言うでしょう。しかし、親鸞の考え方からいえば、とにかく自分は価値観としては最終的なところまで到達したという自負があったのだと思います。》(吉本隆明『今に生きる親鸞』)

二双四重
にそうしじゅう


親鸞の立てた教相判釈 (きょうそうはんじゃく) の名。釈尊が一生涯に説法したすべての教説を聖道門と浄土門とに分け,前者を竪 (じゅ) ,後者を横 (おう) として,そのそれぞれに,段階を経て悟りに達する漸教を意味する出 (しゅつ) と,ただちに悟りに達する頓教である超 (ちょう) とを配したもの (→頓教・漸教 ) 。

《「二双四重判」とは、諸仏教を竪と横、出と超に分けて、「信」の位置を説くものである。
これまでの仏教は、自己の修行·修道·修学の実践によって善根と功徳を積むこと(竪)によっ
て、自らの執着や煩悩から解脱する道(出)を捜し求めてきた。すなわち「竪」「出」の仏教であっ
たっこれに対して親鸞は、「横」「超」を主張する。つまり、阿弥陀仏の誓願が廻向されることによっ
て、人間のあらゆるはからいを横ざまに捨てて(横)、ひとっ飛びに救われる道(超)を獲得するこ
とである。親鸞の教義は、まさに「竪出」の行に代わる「横超」の信にある。》
(青木孝平『「他者」の倫理学』199頁)

《教相判釈とは、自らの仏教思想を、仏教総体の思想体系のなかに明確に位置づけるという作業である。》(同198頁)


菩提心~修行を竪(たて)に積むか横に捨てるか?
教えに関して~段階を経て出るか直ちに超えるか。
親鸞は横超☆。

     出        超
竪 聖道門・漸教   聖道門・頓教

横 浄土門・漸教   浄土門・頓教(親鸞)☆



\心   竪        横         二双
教\

出 漸教\聖道門   漸教\浄土門
                        四重
超 頓教\聖道門   頓教\浄土門(親鸞)☆

                    平等?
        自由?

真宗教旨 一 - 一心的日志 - 庐山龙泉寺-极乐之光论坛 - Powered by Discuz!
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                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                     }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超

          仏教
    聖道門        浄土門     ←二双
  漸教   頓教    漸教    頓教 
 (権教) (実教)  (権教)  (実教)
小乗 権大乗 実大乗 要門 (真門) 弘願
  竪出   竪超    横出    横超  ←四重
     竪           横

         二双四重


二双四重
仏教にはすべからく「教相判釈」といって、経典をその形式・内容などによって分類・体系化し、価値を判定して仏の究極の教えがどれであるかを解釈することが最重要である。「教相判釈」がなければ、何を信じ何を行ずるかが解からないからである。
親鸞聖人には別掲の「二双四重」の教判がある。全仏教を竪と横に分け、それぞれに出(権教)と超(実教)を組み合わせた教判である。
竪の聖道門に成仏の遅速に応じて漸教と頓教を分けられ、竪出、竪超とされる。
横の浄土門も、漸次に修行して長時間の後に仏果を得る自力の漸教と、すみやかに仏果を得る他力の頓教に分類し、横出、横超とし、二双四重の判釈をされたのである。
この二双四重の教判は、諸所で説いておられる。

「行文類」一乗釈では、
大乗は二乗・三乗あることなし。二乗・三乗は一乗に入らしめんとなり。一乗はすなはち第一義乗なり。ただこれ誓願一仏乗なり。
http://wikidharma.org/4b9399ba7bf3a
と、横超・弘願・頓教・実教である第十八願の誓願一仏乗こそが真実の仏道であるとされるのである。

「信巻本」菩提心釈(菩提心=信)
【52】 しかるに菩提心について二種あり。一つには竪、二つには横なり。
また竪についてまた二種あり。一つには竪超、二つには竪出なり。竪超・竪出は権実・顕密・大小の教に明かせり。歴劫迂回の菩提心、自力の金剛心、菩薩の大心なり。また横についてまた二種あり。一つには横超、二つには横出なり。横出とは、正雑・定散、他力のなかの自力の菩提心なり。横超とは、これすなはち願力回向の信楽、これを願作仏心といふ。願作仏心すなはちこれ横の大菩提心なり。これを横超の金剛心と名づくるなり。
http://wikidharma.org/4b93a105abf98

「信巻末」横超釈
【73】 横超断四流といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。
http://wikidharma.org/4b93acfa2387b

「化身土巻」三経通顕(真仮分判)
【35】 おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。
安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。
正とは五種の正行なり。助とは名号を除きて以外の五種これなり。雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。
横超とは、本願を憶念して自力の心を離る、これを横超他力と名づくるなり。これすなはち専のなかの専、頓のなかの頓、真のなかの真、乗のなかの一乗なり。これすなはち真宗なり。すでに真実行のなかに顕しをはんぬ。
http://wikidharma.org/4b936885c5865


愚禿鈔(上)
聖道・浄土の教について、二教あり。
一には大乗の教、      二には小乗の教なり。
大乗教について、二教あり。
一には頓教、        二には漸教なり。
頓教について、また二教・二超あり。
二教とは、
一には難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教なり。
二には易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等なり。
二超とは、
一には竪超  即身是仏・即身成仏等の証果なり。
二には横超  選択本願・真実報土・即得往生なり。
漸教について、また二教・二出あり。
二教とは、
一には難行道聖道権教、法相等、歴劫修行の教なり。
二には易行道浄土の要門、『無量寿仏観経』の意、定散・三福・九品の教なり。
二出とは、
一には竪出  聖道、歴劫修行の証なり。
二には横出  浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり。
http://wikidharma.org/4b93a35c8a81a


\心   竪        横
教\

出 漸教\聖道門   漸教\浄土門

超 頓教\聖道門   頓教\浄土門(親鸞)☆

          仏教
    聖道門        浄土門
  漸教   頓教    漸教    頓教 
 (権教) (実教)  (権教)  (実教)
小乗 権大乗 実大乗 要門 (真門) 弘願
  竪出   竪超    横出    横超
     竪           横

         二双四重

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の浄土真宗の宗祖とされる。
法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え[1]」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。


1173年5月21日 - 1263年1月16日

上段・旧暦 中段・ユリウス暦 下段・グレゴリオ暦換算

顕浄土真実教行証文類 - Wikipedia (教行信証)全6巻
https://ja.wikipedia.org/wiki/顕浄土真実教行証文類

顕浄土真実教行証文類序
「総序」と通称される。
1顕浄土真実教文類一
「教巻」と通称される。
2顕浄土真実行文類二
「行巻」と通称される。
巻末に「正信念仏偈」(「正信偈」)と呼ばれる偈頌が置かれる。☆☆
顕浄土真実信文類序
「顕浄土真実信文類三」の前に「別序」と通称される序文が置かれる。
3顕浄土真実信文類三
「別序」を含めて「信巻」と通称される。最初に書かれた?
4顕浄土真実証文類四
「証巻」と通称される。
5顕浄土真仏土文類五
「真仏土巻」と通称される。
6顕浄土方便化身土文類六
「化身土巻」と通称される。
「化身土巻」は「本」と「末」からなる。
巻末の「竊かに以みれば聖道の諸教は行証久しく廃れ浄土の真宗は証道いま盛なり」以降の部分は「後序」と呼ばれる。  

さらに、親鸞は自らを深く内省することによって、阿弥陀仏が誓願を起こして仏と成ったと『仏説無量寿経』で説かれていることは、「親鸞一人のためであった」[*]と、阿弥陀仏の本願力を自己のもの、つまり我々一人一人のためであったと受け止め、称名念仏は、ではなく、その報恩謝徳のためであると勧め教化した。 この点が、宗教者としての親鸞の独自性である。

*歎異抄から意訳

歎異抄』(たんにしょう)は、鎌倉時代後期に書かれた日本仏教書である。作者は、親鸞に師事した唯円とされる。書名は、その内容が親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった異義・異端を嘆いたものである。『歎異鈔』とも。
親鸞からの聞き書き。

三節  善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。


【訳】 善人ですら往生をとげられるのだから、まして悪人が往生できないはずがありません。


キリスト教との類似性が指摘される。

「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。私がきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(「マルコ伝」二章十七節)

PHP文庫より


無量寿経』(むりょうじゅきょう)は、大乗仏教経典の一つ。 原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ』(Sukhāvatī-vyūha)で、「極楽荘厳」という意味である。サンスクリットでは同タイトルの『阿弥陀経』と区別して、『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ぶ。
仏説無量寿経 - Wikisource
https://ja.wikisource.org/wiki/仏説無量寿経

(18) 釈尊が阿難に仰せになる。
  「 さて、たとえば世の中の貧しい乞人を王のそばに並べるとしたら、その姿かたちがはたしてくらべものになるだろうか」
 阿難が申しあげる。
  「 いいえ、そのものを王のそばに並べたときには、その弱々しく醜いことはまったく話にならないほどであります。そのわけは、貧しい乞人は最低の暮しをしているものであり、服は身を包むのに十分でなく、食べものは何とか命をささえる程度しかなく、飢えと寒さに苦しんでおり、ほとんど人間らしい生活をしていないからであリます。
  すべては、過去の世に功徳を積まなかったからです。財をたくわえて人に施さず、裕福になるほどますます惜しみ、ただ欲深いばかりで、むさぼり求めて満足することを知らず、少しも善い行いをしようとしないで、山のように悪い行いを積み重ねていたのです。
  こうしてたくわえた財産も、命が終わればはかなく消え失せ、生前にせっかく苦労して集め、あれこれと思い悩んだにもかかわらず、自分のためには何の役にも立たないで、むなしく他人のものとなります。たのみとなる善い行いはしておらず、たよりとなる功徳もありません。そのため、死んだ後には地獄や餓鬼や畜生などの悪い世界に生れて長い間苦しみ、それが終ってやっと人間の世界に生れても、身分が低く、最低の生活を営み、どうにか人間として暮らしているようなことです。
 それに対して世の中の王が人々の中でもっとも尊ばれるわけは、すべて過去の世に功徳を積んだからであります。慈悲の心でひろく施し、哀れみの心で人々を救い、まごころをこめて善い行いに努め、人と逆らい争うようなことがなかったのです。そこで、命が終ればその徳によって善い世界にのぼることができ、天人の中に生れて安らぎや楽しみを受けるのであります。さらに、過去の世に積んだ善い行いの徳は尽きないので、こんどは人間となって王家に生れ、そのためおのずから尊ばれる身となるのです。その行いは正しく、姿かたちは美しくととのい、多くの人々に敬い仕えられ、美しい衣服やすばらしい食事が思いのままに得られるのであり、それはまったく過去の世に積んだ功徳によるのであります 」
【40】  仏、弥勒に告げたまはく、「われなんぢらに語りしごとく、この世の五悪、勤苦かくのごとし。五痛・五焼、展転してあひ生ず。ただ衆悪をなして善本を修せざれば、みなことごとく自然にもろもろの悪趣に入る。あるいはそれ今世にまづ殃病を被りて、死を求むるに得ず。生を求むるに得ず。罪悪の招くところ衆に示してこれを見せしむ。身死して行に随うて三悪道に入りて、苦毒無量にしてみづからあひ燋然す。その久しくして後に至りて〔再び人間界に生じ〕ともに怨結をなし、小微より起りてつひに大悪となる。みな財色に貪着して施恵することあたはざるによりてなり。痴欲に迫められて心に随うて思想す。
煩悩結縛して解けやむことあることなし。おのれを厚くし利を諍ひて省録するところなし。富貴・栄華、時に当りて意を快くして忍辱することあたはず。 つとめて善を修せざれば、威勢いくばくもなくして、随ひてもつて磨滅す。身とどまりて労苦す。久しくして後大きに劇し。天道、施張して自然に糺挙し、綱紀の羅網、上下相応す煢々忪々として、まさにそのなかに入るべし。古今にこれあり。痛ましきかな、傷むべし」と。 仏、弥勒に語りたまはく、「世間かくのごとし。仏みなこれを哀れみたまひて、威神力をもつて衆悪を摧滅してことごとく善に就かしめたまふ。所思を棄捐し経戒を奉持し、道法を受行して違失するところなくは、つひに度世・泥洹の道を得ん」と。
仏のたまはく、「なんぢいまの諸天・人民、および後世の人、仏の経語を得て、まさにつらつらこれを思ひて、よくそのなかにおいて心を端しくして行ひを正しくすべし。 主上善をなして、その下を率化してうたたあひ勅令し、おのおのみづから端しく守り、聖〔者〕を尊び、善〔人〕を敬ひ、仁慈博愛にして、仏語の教誨あへて虧負することなかれ。まさに度世を求めて生死衆悪の本を抜断すべし。まさに三塗の無量の憂畏苦痛の道を離るべし。なんぢらここにおいて広く徳本を植ゑて、恩を布き恵を施して、道禁を犯すことなかれ。忍辱・精進・一心・智慧をもつてうたたあひ教化し、徳をなし善を立てよ。心を正しくし、意を正しくして、斎戒清浄なること一日一夜すれば、無量寿国にありて善をなすこと百歳せんに勝れたり。ゆゑはいかん。かの仏国土は無為自然にして、みな衆善を積んで毛髪の悪もなければなり。ここにして善を修すること十日十夜すれば、他方の諸仏国土にして善をなすこと千歳するに勝れたり。ゆゑはいかん。
他方の仏国は、善をなすものは多く悪をなすものは少なし。福徳自然にして造悪の地なければなり。ただこのあひだのみ悪多くして、自然なることあることなし。勤苦して欲を求め、うたたあひ欺紿し、心労し形困しみて、苦を飲み毒を食らふ。かくのごとく怱務して、いまだかつて寧息せず。
われなんぢら天・人の類を哀れみて、苦心に誨喩し、教へて善を修せしむ。に随ひて開導し、経法を授与するに承用せざることなし。意の所願にありてみな道を得しむ。仏の遊履したまふところの国邑丘聚、化を蒙らざるはなし。天下和順し日月清明なり。風雨時をもつてし、災起らず、国豊かに民安くして兵戈用ゐることなし。〔人民〕徳を崇め仁を興し、つとめて礼譲を修す」と。仏のたまはく、
「われなんぢら諸天・人民を哀愍すること、父母の子を念ふよりもはなはだし。いまわれこの世間において仏となり、五悪を降化し、五痛を消除し、五焼を絶滅して、善をもつて悪を攻め、生死の苦を抜いて五徳を獲しめ、無為の安きに昇らしむ。われ世を去りてのち、経道やうやく滅し、人民諂偽にしてまた衆悪をなし、五痛・五焼還りて前の法のごとく、久しくして後にうたた劇しからんこと、ことごとく説くべからず。
われただなんぢがために略してこれをいふのみ」と。仏、弥勒に語りたまはく、「なんぢらおのおのよくこれを思ひ、うたたあひ教誡し、仏の経法のごとくして犯すこと得ることなかれ」と。ここにおいて弥勒菩薩、合掌してまうさく、「仏の所説、はなはだ苦なり。 世人まことにしかなり。如来あまねく慈しみて哀愍し、ことごとく度脱せしめたまふ。仏の重誨を受けてあへて違失せじ」と。
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佛說無量清淨平等覺經 - Wikisource

無量寿経優婆提舎願生偈 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/無量寿経優婆提舎願生偈

無量寿経優婆提舎願生偈

無量寿経優婆提舎願生偈[1] (むりょうじゅきょう うばだいしゃ がんしょうげ)とは、世親(天親)[2] により撰述された『無量寿経』の注釈書を、後魏菩提流支(菩提留支)が漢訳した書である。『浄土論』、『往生論』、『無量寿経論』などと通称する。正式な原題は、『無量壽經優婆提願生偈』(婆藪般豆[3] 造 後魏菩提留支訳)。
2012年現在、サンスクリット原典は発見されていない。菩提流支による漢訳書のみが現存する。

概要編集

サンスクリット原典が発見されていないため、『無量寿経』は複数の漢訳が伝えられている。『浄土論』(『往生論』)は、どの『無量寿経』について注釈しているのか諸説あり定説はない。従来より提唱されているのは、『仏説無量寿経』、もしくはそのサンスクリット原典である『大スカーヴァティーヴューハ』とする説や、「浄土三部経」とする説がある。[4] また「浄土三部経」以外の浄土経典とする説もあるが、『浄土論』(『往生論』)の「一心」と『仏説無量寿経』に説かれる「本願」との関係性を踏まえると、『仏説無量寿経』を除いて言及しているとは考えにくい。
偈頌(韻文)と、それを解説した長行(じょうごう、散文)の部分からなり、特に後者においては、浄土往生の方法として「五念門」を説いている。
「五念門」とは、「礼拝門」 「讃嘆門」 「作願門」 「観察門」(かんざつもん) 「回向門」の5つをさす。なかでも浄土を観想する「観察門」が中心で、17種の国土荘厳・8種の仏荘厳・4種の菩薩荘厳よりなる。

影響編集

中国編集

日本編集

法然が、その思想に影響を受け、「浄土三部経」と並べて「三経一論」と重んじる。
その門弟である親鸞も「浄土三部経」と『浄土論』を重んじ、『浄土論』(『往生論』)の注釈書である曇鸞の『往生論註』(『浄土論註』)と合わせて重用した。

脚注編集

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  1. ^ 婆=波
  2. ^ 旧訳名は、「天親」。新訳名は、「世親」。
  3. ^ 世親(天親)のこと。
  4. ^ 勧学寮編『浄土三部経と七祖の教え』本願寺出版社、2008年、P.124 - 125。

参考文献編集

  • 勧学寮 編 『浄土三部経と七祖の教え』 本願寺出版社、2008年ISBN 978-4-89416-792-6
  • 石田瑞麿 『親鸞思想と七高僧』 大蔵出版、2001年、新装版。ISBN 4-8043-3057-7
  • 黒田覚忍 『はじめて学ぶ七高僧-親鸞聖人と七高僧の教え』 本願寺出版社、2004年ISBN 4-89416-238-5

関連項目編集

外部リンク編集



無量寿経優婆提舎願生偈註 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/無量寿経優婆提舎願生偈註
無量寿経優婆提舎願生偈註』(むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげちゅう)とは、天親『無量寿経優婆提舎願生偈』(『往生論』・『浄土論』)に、曇鸞(476年 - 542年7月7日,不詳)が註解を加えた書である。 一般には略して、『往生論註』、『浄土論註』という。またそれを略して、『論註』ともいう。「上巻」「下巻」の全2巻。(大正蔵 vol.40 p.826)
『往生論』(『浄土論』)は、『仏説無量寿経』に対する註釈であり、本書は『仏説無量寿経』の再註釈ともいえる。
衆生が浄土に往生する因も果も如来の本願、つまり他力によることを明らかにし、のちの浄土教の基礎となる。

そういえば一遍が旅を共にした尼の名は超一、超二だった…

____

☆☆
『教行信証』岩波文庫114~123頁、
『はだしのゲン』汐文社④272頁参照:

正信念仏偈

浄土真宗の偈文
正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)〈正信念佛偈〉」は、親鸞の著書『教行信証』の「行巻」の末尾に所収の偈文。一般には略して「正信偈(しょうしんげ)」の名で親しまれている。真宗の要義大綱を七言60行120句の偈文にまとめたものである。
同じ親鸞撰述の『三帖和讃』とともに、本願寺第8世蓮如によって、僧俗の間で朝暮の勤行として読誦するよう制定され、現在も行われている。

内容編集

大きく二つの部分によって構成されている。「総讃」の2句に続く前半は、「依教段」と言われ『仏説無量寿経(大無量寿経)』に依って明らかにされている、浄土往生の正因は信心であり、念仏は報恩行であることを説明し讃嘆している。後半の部分は「依釈段」と言われ、インド中国日本でこの教えを正しく伝えた七高僧の業績・徳を讃嘆している。

科文編集

  • 「総讃」………「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
  • 「依段」
    • 弥陀章」…「法蔵菩薩因位時~必至滅度願成就」
    • 釈迦章」…「如来所以興出世~是人名分陀利華」
    • 「結誡」……「弥陀仏本願念仏~難中之難無過斯」
  • 「依釈段」
    • 「総讃」……「印度西天之論家~明如来本誓応機」
    • 龍樹章」…「釈迦如来楞伽山~応報大悲弘誓恩」
    • 天親章」…「天親菩薩造論説~入生死薗示応化」
    • 曇鸞章」…「本師曇鸞梁天子~諸有衆生皆普化」
    • 道綽章」…「道綽決聖道難証~至安養界証妙果」
    • 善導章」…「善導独明仏正意~即証法性之常楽」
    • 源信章」…「源信広開一代教~大悲無倦常照我」
    • 源空章」…「本師源空明仏教~必以信心為能入」
    • 「結勧」……「弘経大士宗師等~唯可信斯高僧説」

関連項目編集

外部リンク編集



正信偈(しょうしんげ)・意訳
http://www5.synapse.ne.jp/~todoroki/siryou/syousi-ge.htm
【正信偈・意訳】 
帰命無量寿如来きみょうむりょうじゅにょらいかぎりなき「いのち」の如来に帰依(きえ)し
南無不可思議光なむふかしぎこうかぎりなき「ひかり」の如来に南無したてまつります
法蔵菩薩因位時ほうぞうぼさついんにじ(阿弥陀如来が)法蔵菩薩と名のられていたとき
在世自在王仏所ざいせじざいおうぶつしょ師の世自在王仏(せじざいおうぶつ)のみもと(所)にあらわれて
覩見諸仏浄土因とけんしょぶつじょうどいん諸仏の浄土の建立のいわれや、そこにどうしたら往生できるか、
国土人天之善悪こくどにんでんしぜんまくまた、その国土のありさまと、そこに往生している人々の善悪を観察され
建立無上殊勝願こんりゅうむじょうしゅしょう がんこのうえもないすぐれた願(十八願)をおたてになり
超発希有大弘誓ちょうほつけうだいぐせいいまだかつてなかったすぐれて大きい誓いをおたてになり
五劫思惟之摂受ごこうしゆいししょうじゅそして五刧(ごこう)という長い時間、思惟(しゆい)を重ねておさめとり
重誓名声聞十方じゅうせいみょうしょうもんじっぽうかさねて名号(名声)を十方に聞かせて救う、と誓われました
普放無量無辺光ふほうむりょうむへんこう(阿弥陀如来の)あまねく放たれる「量りない光」「辺(はし)なき光」
無碍無対光炎王むげむたいこうえんのう「何ものにも碍げられない光」「対(ならび)なき光」「もっともさかんな光」
清浄歓喜智慧光しょうじょうかんぎちえこう「清浄(しょうじょう)な光」「歓喜(かんぎ)の光」「智慧(ちえ)の光」
不断難思無称光ふだんなんじむしょうこう「断えることのない光」「思いはかり難い光」「称(とな)えつくせぬ光」
超日月光照塵刹ちょうにちがっこうしょうじんせつ「太陽や月を超えた光」を放ち、数え切れない世界を照らし
一切群生蒙光照いっさいぐんじょうむこうしょうすべてのいのちあるものが、この光明(こうみょう)に照らされている
本願名号正定業ほんがんみょうごうしょうじょうごう本願の名号は、正しく浄土往生が決定する業因(ごういん)ですから
至心信楽願為因ししんしんぎょうがんにいんお名号をいただく信心(しんじん)によって、私は救われるのです
成等覚証大涅槃じょうとうがくしょうだいねはんこの世で仏になるべき身に定まり、お浄土で覚(さと)りをひらくのは
必至滅度願成就ひっしめつどがんじょうじゅかならず成仏(じょうぶつ)させるという、仏の願いが完成したからです
如来所以興出世にょらいしょいこうしゅっせ釈迦如来(しゃかにょらい)が、この世にお出ましになったのは
唯説弥陀本願海ゆいせつみだほんがんかいただ阿弥陀如来の本願(第十八願)をお説きになるためで
五濁悪時群生海ごじょくあくじぐんじょうかい五濁悪時(ごじょくあくじ)の世にある一切の人々は
応信如来如実言おうしんにょらいにょじつごん釈迦如来(しゃかにょらい)の真実のお言葉を信じるべきである
能発一念喜愛心のうほついちねんきあいしんふたごころなく(一念)本願を信じよろこぶ(喜愛心)なら
不断煩悩得涅槃ふだんぼんのうとくねはん煩悩(ぼんのう)を断たないままで、涅槃(ねはん)を得ることができる
凡聖逆謗斉回入ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう凡夫(ぼんぷ)も聖者も極悪の人も、自力心を捨てて信心の道に入れば
如衆水入海一味にょしゅしいにゅうかいいちみ川の水が海に入って一味(いちみ)になるがごとく、平等に救われる
摂取心光常照護せっしゅしんこうじょうしょうご阿弥陀如来の摂取の光明は、常に私を照らし護(まも)って下さる
已能雖破無明闇いのうすいはむみょうあん仏さまを疑わなくなり(無明闇を破す)救われた身になっても
貪愛瞋憎之雲霧とんないしんぞうしうんむむさぼり(貧愛:とんない)や瞋(いか)り憎しみの心は、雲や霧のように
常覆真実信心天じょうふしんじつしんでんてん常に如来からたまわる真実の信心の上におおいかぶさっている
譬如日光覆雲霧ひにょにっこうふうんむたとえば、日光は雲や霧に覆(おお)われていたとしても
雲霧之下明無闇うんむしげみょうむあん雲や霧の下は明るくて闇がないが如(ごと)し :救われるということ
獲信見敬大慶喜ぎゃくしんけんきょうだいきょうき信心をいただいて仏さまを敬い、大いに喜ぶ(慶喜:きょうき)なら
即横超截五悪趣そくおうちょうぜつごあくしゅ五悪趣といわれる迷いの世界を即座に飛び越え
一切善悪凡夫人いっさいぜんまくぼんぶじん世間で善人だ、悪人だといわれる一切の人々は
聞信如来弘誓願もんしんにょらいぐぜいがん阿弥陀如来の本願(弘誓願:ぐぜいがん=第十八願)を聞いて信ずれば
仏言広大勝解者ぶつごんこうだいしょうげしゃお釈迦様は、広大な智慧を得た者(広大勝解者)とほめたたえ
是人名分陀利華ぜにんみょうふんだりけこの念仏の信心の人を泥沼に美しく咲く白蓮華だとたたえられる
弥陀仏本願念仏みだぶつほんがんねんぶつ阿弥陀仏の本願による念仏の法(教え)は
邪見僑慢悪衆生じゃけんきょうまんなくしゅじょう誤ったよこしまな考えをもち、おごりたかぶる人々には
信楽受持甚以難しんぎょうじゅじじんになん信じること(信楽受持:しんぎょうじゅじ)は、はなはだむずかしい
難中之難無過斯なんちゅうしなんむかし難の中の難で、これ以上に過ぎるむずかしいことはない(無過斯:むかし)

印度西天之論家いんどさいてんしろんげインドに出られた論家(龍樹・天親菩薩:りゅうじゅ・てんじんぼさつ)がた
中夏日域之高僧ちゅうかじちいきしこうそう中国、日本の高層(曇鸞・道綽・善導・源信・源空)がたは
顕大聖興世正意けんだいしょうこうせしょういお釈迦様(大聖)がこの世に出られた本意(正意)をあらわし
明如来本誓応機みょうにょらいほんぜいおうき阿弥陀如来の本願(本誓)は末世の私のためのものだと明らかにされた
釈迦如来楞伽山しゃかにょらいりょうがせんお釈迦さまは、インドの楞伽山(りょうがせん)において
為衆告命南天竺いしゅごうみょうなんてんじく多くの人々のために告げられた。それは南インド(南天竺:なんてんじく)に
龍樹大士出於世りゅうじゅだいじしゅっとせ龍樹菩薩(大士:だいじ)というおかたが世にでられて
悉能摧破有無見しつのうざいはうむけん「有無の見」をことごとくうちやぶり(摧破:ざいは)
宣説大乗無上法せんぜつだいじょうむじょうほう大乗のこのうえもない教え(法)を説きのべ(宣説:せんぜつ)
証歓喜地生安楽しょうかんぎじしょうあんらく歓喜地(かんぎじ)をさとり安楽(浄土)に往生するだろう、と
顕示難行陸路苦けんじなんぎょうろくろく難行の陸路をすすむのは苦しいとあらわされた龍樹菩薩は
信楽易行水道楽しんぎょういぎょうしいどうらく易行の船の旅(易行の水道=信心)の楽しきことをすすめられ
憶念弥陀仏本願おくねんみだぶつほんがん阿弥陀仏の本願(第十八願)を信(憶念:おくねん)ずれば
自然即時入必定じねんそくじにゅうひつじょう信心をいただくと同時に、必ず仏になることが決定(けつじょう)した位に入る
唯能常称如来号ゆいのうじょうしょうにょらいごうだから、ただよく常に阿弥陀如来の名号を称えて(常称如来号)
応報大悲弘誓恩おうほうだいひぐぜいおんすべての人々を救って下さる大悲(だいひ)の恩を報ぜよと述べられた
天親菩薩造論説てんじんぼさつぞうろんせつ天親菩薩(てんじんぼさつ)は『浄土論』をつくって説かれた
帰命無碍光如来きみょうむげこうにょらい何ものにもさまたげられることなく救って下さる如来を信じて
依修多羅顕真実えしゅたらけんしんじつ経典(修多羅:しゅたら)に依りて真実をあらわして
光闡横超大誓願こうせんおうちょうだいせいがんすみやかに仏になる法(横超大誓願=第十八願)を広く説かれた
広由本願力回向こうゆほんがんりきえこう広大な阿弥陀如来の第十八願の力(本願力)のはたらきによって
為度群生彰一心いどぐんじょうしょういっしん衆生(群生:ぐんじょう)を救う(度す)ため一心をあきらかにされた
帰入功徳大宝海きにゅうくどくだいほうかい大きな功徳の宝海(名号:みょうごう)に帰依投入(帰入=信ずる)すれば
必獲入大会衆数ひつぎゃくにゅうだいえしゅしゅ必ずお浄土の聖衆(大会衆数:だいえしゅしゅ)の仲間に入り
得至蓮華蔵世界とくしれんげぞうせかい命終(みょうじゅう)とともに阿弥陀如来のお浄土(蓮華蔵世界)に生まれて
即証真如法性身そくしょうしんにょほっしょうじんお浄土でただちに阿弥陀如来とおなじ仏(真如法性身)となり
遊煩悩林現神通ゆうぼんのうりんげんじんずう煩悩のさかんな世界に遊んで不思議な力(神通力)をあらわし
入生死園示応化にゅうじょうじおんじおうげ迷いの世界(生死薗)にかえって衆生を救うことができると示された
本師曇鸞梁天子ほんじどんらんりょうてんし本宗の祖師・曇鸞(どんらん)大師は、中国・梁の国王が尊敬し、国王は
常向鸞処菩薩礼じょうこうらんしょぼさつらい常に大師のおられた北の方向に向かい「曇鸞菩薩」と礼拝(らいはい)された
三蔵流支授浄教さんぞうるしじゅじょうきょう菩提流支(インドの仏教学僧)から浄土教の経典を授けられ
焚焼仙経帰楽邦ぼんじょうせんぎょうきらくほう仙人の経を焼き捨て(焚焼)、阿弥陀仏の浄土の教えに帰入された
天親菩薩論註解てんじんぼさつろんちゅうげ天親菩薩の「浄土論」を註解(ちゅうげ)して解説書『往生論註』を書かれて
報土因果顕誓願ほうどいんがけんせいがんお浄土に生まれる因(いん)も果(か)も如来の誓願によると示された
往還回向由他力おうげんえこうゆたりきお浄土に往生するのも、迷いの世界で人々を救うのも他力による
正定之因唯信心しょうじょうしいんゆいしんじんお浄土に往生し、仏となるべき身に定まるのは信心ひとつである
惑染凡夫信心発わくぜんぼんぶしんじんぽつまどいで汚染(おせん)された人々(凡夫)は、本願を信じさえすれば
証知生死即涅槃しょうちしょうじそくねはん生死の迷いのままが涅槃(覚り:さとり)であるという、仏果をうる身になり
必至無量光明土ひっしむりょうこうみょうどかならず、はかりない光明のお浄土に往生して仏(ぶつ)となり
諸有衆生皆普化しょうしゅじょうかいふけ迷える人々を、みんなすみずみまで救うといわれた
道綽決聖道難証どうしゃくけつしょうどうなんしょう道綽禅師は聖者の自力修行の教えでは証(さと)りがたいと決められて
唯明浄土可通入ゆいみょうじょうどかつうにゅうただ往生浄土の教えこそが仏さまの覚りを得る道であると明らかにされた
万善自力貶勤修まんぜんじりきへんごんしゅうそして多くの善根(万善:まんぜん)を積む自力の修行をしりぞけられて
円満徳号勧専称えんまんとくごうかんせんしょう功徳を円満にもっている名号(円満功徳)を称えることを勧められた
三不三信誨慇懃さんぷさんしんけおんごん「三不信と三信」の教え(誨:おしえ)を、ねんごろに示し(慇懃:おんごん)
像末法滅同悲引ぞうまつほうめつどうひいん正法・像法・末法・法滅のどの時代でも平等に救う法を明らかにされ
一生造悪値弘誓いっしょうぞうあくちぐぜい一生涯、悪をつくりつづけても本願(弘誓:ぐぜい)を信じれば
至安養界証妙果しあんにょうかいしょうみょうか阿弥陀如来のお浄土(安養界)に往生して、仏の覚りを開くといわれた
善導独明仏正意ぜんどうどくみょうぶつしょうい善導大師は、ただひとり誤りを正し、仏の正意を明らかにされた
矜哀定散与逆悪こうあいじょうさんよぎゃくあく自力の善行の人も、極悪の人も共にこれをあわれみ(矜哀:こうあい)
光明名号顕因縁こうみょうみょうごうけんいんねん如来の光明と名号が救いの手だてであることを明らかにされた
開入本願大智海かいにゅうほんがんだいちかい広大な阿弥陀如来の本願の智慧の海に入らせてもらうと
行者正受金剛心ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん行者は正しく金剛(こんごう)のごとく堅固(けんご)な信心を得て
慶喜一念相応後きょうきいちねんそうおうごお念仏をよろこぶ心(慶喜一念=信)がおこったとき

与韋提等獲三忍よいだいとうぎゃくさんにん
韋提希夫人(いだいけぶじん)と等しく三忍(さんにん)の徳を得て

即証法性之常楽そくしょうほっしょうしじょうらく
浄土に生まれ、法性の常楽のさとり(法性之常楽)をひらくと述べられた
源信広開一代教げんしんこうかいいちだいきょう源信(げんしん)和尚は、ひろく釈尊一代の教え(一代教)を学ばれて
偏帰安養勧一切へんきあんにょうかんいっさいひとえに阿弥陀如来のお浄土を願い、一切の人々に勧められた
専雑執心判浅深せんぞうしゅうしんはんせんじん専修念仏の信心は深く、雑業雑修の信心は浅いとわけ
報化二土正弁立ほうけにどしょうべんりゅうおもむく浄土は真実の報土と、そうでない化土(けど)があるとされた
極重悪人唯称仏ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ極重(ごくじゅう)の悪人は、ただただ念仏をしなさい
我亦在彼摂取中がやくざいひぜっしゅちゅう私(源信和尚)もまた、阿弥陀如来の光明に摂(おさ)め取られているが
煩悩障眼雖不見ぼんのうしょうげんすいふけん煩悩に眼(まなこ)がさえぎられて、その光明をみることができない
大悲無倦常照我だいひむけんじょうしょうがしかし如来の大悲は常に私を照らして下さっていると述べられた
本師源空明仏教ほんじげんくうみょうぶつきょう本宗(真宗)の祖師である源空(げんくう)上人は仏教をきわめつくして
憐愍善悪凡夫人れんみんぜんまくぼんぷじんすべての人(善悪の凡夫)をあわれみて(憐愍:れんみん)
真宗教証興片州しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう真実の宗教たる真宗を、日本の国におこし(興片州:こうへんしゅう)
選択本願弘悪世せんじゃくほんがんぐあくせ選択本願(第十八願)を、悪世のこの世にひろめられた
還来生死輪転家げんらいしょうじりんでんげ生死輪転(しょうじりんてん)の迷いの世界からぬけられず、とどまっているのは
決以疑情為所止けっちぎじょういしょし本願の教えをうたがい(疑情:ぎじょう)、信受(しんじゅ)しないからであり
速入寂静無為楽そくにゅうじゃくじょうむいらくすみやかにさとりの世界(寂静無為の楽=都)に入るには
必以信心為能入ひっちしんじんいのうにゅうただ信心(しんじん)ひとつによると述べられた
弘経大士宗師等ぐきょうだいじしゅうしとう『無量寿経』の教えをひろめて下さった真宗の祖師がたは
拯済無辺極濁悪じょうさいむへんごくじょくあくすべての極濁(ごくじょく)の悪人を、かずかぎりなくお救い下さる
道俗時衆共同心どうぞくじしゅうぐどうしん出家者(道:どう)も在家者(俗:ぞく)も、一切の人々は共に同心に
唯可信斯高僧説ゆいかしんしこうそうせつただよくこの高僧がたの説かれたことを信じなさい
(法蔵館:正信偈もの知り帳参考)
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はだしのゲン④273~4頁参照:
浄土真宗本願寺八世蓮如が撰述した御文の5帖目第16通「白骨」(はっこつ)は、御文の中でも特に有名なものである。存覚の『存覚法語』を基に作られている。
この御文は宗派により呼び方が異なる(詳細は御文を参照)。
  • 本願寺派 - 「白骨の御文章(ごぶんしょう)」
  • 大谷派 - 「白骨の御文(おふみ)」
  • 興正派 - 「白骨の御勧章(ごかんしょう)」
この御文は浄土真宗の葬儀(灰葬 還骨)で拝読される(御文を用いない宗派では拝読されない。)。
蓮如

1415年4月13日 - 1499年5月14日

上段・旧暦 中段・グレゴリオ暦換算下段・ユリウス暦
◇白骨の章
葬儀や中陰の法事などでしばしば拝読される「白骨の章」は、無常観をそそる御文章としてよく知られています。今回は、この「白骨の章」について講じていただきました。『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』や『無常講式』など、この御文章が成り立った背景にふれるとともに、「はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり」とお示しくださった蓮如上人のおこころを、しっかりと味わわせていただきましょう。
※学習のポイント
 (1)これを機会に正しい浄土真宗の葬儀について学びたいものです。
 (2)日頃から御文章に親しむために、すすんで拝読するようにしましょう。

【註釈版本文】
 それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、
まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりといふことをきかず、
一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。
われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。
 されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。
すでに無常の風きたぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ち、ひとつの息ながくたえぬれば、
紅顔(こうがん)むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、
さらにその甲斐あるべからず。さしてもあるべきことならねばとて、
野外におくりて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかて、
阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

【意 訳】
 さて、人間の定まりない有様をよくよく考えてみますと、およそはかないものとは、
この世の始めから終わりまで幻のような一生涯であります。
だから、人が一万年生きたということを聞いたことがありません。
一生は過ぎやすいものです。末世の今では、いったい誰が百年間身体を保つことができましょうか。
私が先か、人が先か、今日かもしれず、明日かもしれず、おくれたり、先立ったり、人の別れに絶え間がないのは、
草木の根本にかかる雫(しずく)よりも、葉先にやどる露よりも数が多いと、いわれています。
 だから、朝には血気盛んな顔色であっても、夕方には白骨となってしまう身であります。
現に無常の風が吹いて、二つの眼がたちまち閉じ、一つの息が永久に途切れてしまえば、
血色のよい顔も色を失って、桃や李(すもも)のような美しいすがたをなくしてしまうのです。
その時に、家族・親族が集まって嘆き悲しんでも、もはや何の甲斐もありません。
 そのままにしておけないので、野辺の送りをし火葬すれば、夜半の煙となってしまい、ただ白骨が残るだけです。
あわれという言葉だけではいい表し尽くすことができません。
人間のはかないことは、その寿命が老少定まりのない境界なのですから、
どのような人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみにして、念仏するのがよいでしょう。
  1. あなかしこ、あなかしこ。
  2. あなかしこ:
  3. [連語]《感動詞「あな」+形容詞「かしこし」の語幹》
  1.  恐れ多く存じます、の意で、手紙文の終わりに用いて相手に敬意を表す語。多く女性が用いる。
  1.  ああ、恐れ多い。
    • 「―とて箱に入れ給ひて」〈竹取
  1.  呼びかけの語。恐れ入りますが。
  1.  (あとに禁止の語を伴って副詞的に用いて)決して。ゆめゆめ。
    • 「―、道にて斬られたりとは申すべからず」〈平家・一二〉
  1. [補説]「穴賢」と当てて書くこともある。


2007年12月1日 呉智英夫子(新崎智)の授業 at 理科大
http://d.hatena.ne.jp/YdaTanuki/20080102/1199201408