土曜日, 12月 28, 2013

宥坐の器(ゆうざのき):再掲

孔子論語上下リンク::::::::::) →クリックすると別サイトへ。別ブログ孔子画伝

宥坐の器(ゆうざのき)及び『論語』概念構造図:メモ
http://yojiseki.exblog.jp/15244181/

     ___________
    |行政歴史農業音楽
    |________|
    |  |叛乱|  |詩経
    |__|____|__|
    |年齢 |中庸| 
    |____|_君子
    |経済言葉日常| 
______|__|弟子
    |      
   |         
 
                    
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。
敧器に水が入っていない時は傾き、一杯の時はひっくり返る。
水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図


敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
 

付録:
宥坐の器(ゆうざのき)

http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E

敧器ともいう。
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。


観周敧器

出典 (明治書院)新釈漢文大系53『孔子家語』宇野精一著 118頁
巻第二 三恕 第九

孔子觀於魯桓公之廟、有敧器焉。夫子問於守廟者曰、此謂何器。對曰、此蓋爲宥坐之器。孔子曰、吾聞、宥坐之器、虡則敧、中則正、滿則覆。明君以爲至誡。故常置之於坐側。顧謂弟子曰、試注水焉。乃注之水、中則正、滿則覆。夫子喟然歎曰、嗚呼夫物惡有滿而不覆哉。

孔子、魯の桓公の廟(べう)を觀(み)るに、敧器(きき、傾いた器)有り。
夫子(ふうし)、廟を守る者に問ひて曰く、此れ何の器と謂ふ、と。
對へて曰く、此れ蓋(けだ)し宥坐(いうざ)の器(き)爲(た)り。
孔子曰く、吾聞く、宥坐の器は、虡(むな)しきときは則ち敧(かたむ)き、中なるときは則ち正しく、滿(み)つるときは則ち覆(くつがへ)る。
明君、以て至誡(しかい)と爲(な)す。故に常に之を坐の側(かたはら)に置く、と
顧みて弟子(ていし)に謂ひて曰く、試みに水を注げ、と。乃(すなは)ち之に水を注ぐに、中なれば則ち正しく、滿つれば則ち覆(くつがへ)る。
夫子(ふうし)、喟然(きぜん)として歎じて曰く、嗚呼(ああ)、夫(そ)れ物は惡(いづ)くんぞ滿ちて覆(くつがへ)らざるもの有らんや、と。

(ほぼ同じ内容が、『荀子』宥坐篇、『淮南子』道應訓、『説苑』敬愼篇、『韓詩外伝』巻三にある)


http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
以下上記ブログより引用。
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
これは「宥座の器(ゆうざのき)」というものです。

中国の孔子という人が桓公の廟(おたまや)に参拝したところ、そこに傾いてつるしてある「器」がありました。


孔子は廟守(びょうもり)に
「この器は何というものでしょうか」と尋ねると、廟守は「これはたぶん『宥座の器』というものでございましょう」と答えました。

それを聞いた孔子は、
「宥座の器ならば、中が空ならば傾き、程ほどならば正常になり、一杯に充満すれば転覆すると聞いています」と言って、傍らのお弟子さんに向って、「器に水をついでごらん」と言った。

御弟子さんが水を器に注ぎました。
中ほどのところでは正常の位置になり、
水が一杯になるとガクリと転覆し、
水がこぼれて空になると、またもとの傾いた状態になりました。

そこで孔子は言いました。
「世の中の万事、すべてこれと同じだ。結局満ちて覆らないものはない」

虚なれば即ち傾き
中なれば即ち正しく
満なれば即ち覆る



参考1:
『論語』より

雍也06-29

子曰、中庸之爲徳也、其至矣乎、民鮮久矣、

子の曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。

先生が言われた、「中庸の道徳としての価値は、いかにも最上だね。だが人民の間にとぼしくなって久しいことだ。」

子路13-21

子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不爲也、

子の曰わく、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり。

先生が言われた、「中庸の人を見つけて交わらないとすれば、せめては狂者か狷者だね。狂の人は[大志を抱いて]進んで求めるし、狷の人は[節義を守って]しないことを残しているものだ」

述而07-10

子謂顔淵曰、用之則行、舎之則藏、唯我與爾有是夫、子路曰、子行三軍、則誰與、子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也、必也臨事而懼、好謀而成者也、

子、顔淵に謂いて曰わく、これを用うれば則ち行い、これを舎(す)つれば則ち蔵(かく)る。唯だ我と爾(なんじ)と是れあるかな。子路が曰わく、子、三軍 を行なわば、則ち誰れと与(とも)にせん。子の曰わく、暴虎馮河(ぼうこひょうが)して死して悔いなき者は、吾れ与にせざるなり。必ずや事に臨(のぞ)み て懼(おそ)れ、謀(ぼう)を好みて成さん者なり。

先生が顔淵に向かって言われた、「用いられたら活動し、捨てられたら引きこもるという[時宜(じぎ)を得た]振る舞いは、ただ私とお前だけにできることだ ね。」子路がいった。「先生が大軍をお進めになるとしたら、誰と一緒なさいますか。」先生は言われた、「虎に素手で立ち向かったり、河を歩いて渡ったりし て、死んでもかまわないというような[無鉄砲な]男とは、私は一緒にやらないよ。どうしてもというなら、事に当たって慎重で、よく計画をねって成し遂げる ような人物とだね」


参考2:

●『論語』の君子と脳機能
               /\
 四次元          /  \
             / 君子 \ 
        左   /_    _\   右
 三次元       /  |  |  \
          /   義  信   \
         /__  |  |  __\
 二次元    /   | |  | |   \
       /    | 智  仁 |    \ 
      /___  | |  | |  ___\
 一次元 /    | | |  | | |    \
    /     | | |ネし| | |     \
   /______|_|_|__|_|_|______\ 

『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。

「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。

また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。

(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)

一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。     例:表情を読む
二次元左「智」=知識。           例:名前をつけて記憶する
三次元右「信」=信用。           例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。           例:本の執筆
四次元「君子」=脳全体をバランスよく使う。


雍也06-22

樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、

樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。

樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」


衛靈公15-18

子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、

子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。

先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」


参考3:
『論語』という革命思想 
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008

仁とは、感覚が作動していること
君子とは、学習回路が開いている人のこと

私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学ん で時にこれを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。

学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このよ うな「学習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。

学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。

01-01 『超訳 論語』より
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の 意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
 学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。 それはまさに悦びではないか。

学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ たような、そういう楽しさではないか。…

学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」 と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君 子」なのだ。〉

参考:
02-17,17-02


付録

孔子画伝
(聖蹟図)

尼山致祷図(第1図)/麒麟玉書図(第2図)/二竜五老図(第3図)/鈞天降聖図(第4図)/俎豆礼容図(第5図)/職司委吏図(第6図)/命名栄貺図(第7図)/職司乗田図(第8図)/問礼老聴図(第9図)/在斉聞韶図(第10図)/晏嬰阻封図(第11図)/退修詩書図(第12図)/夾谷会斉図(第13図)/帰田謝過図(第14図)/誅少正卯図(第15図)/女楽文馬図(第16図)/因●去魯図(第17図)/匡人解囲図(第18図)/醜次同車図1(第19図)/醜次同車図2(第20図)/宋人伐木図(第21図)/楛矢貫隼図(第22図)/適衛撃磐図(第23図)/学琴師襄図(第24図)/西河返駕図(第25図)/霊公問陣図(第26図)/子路問津図(第27図)/在陳絶糧図(第28図)/子西沮封図(第29図)/作歌丘陵図(第30図)/杏壇礼楽図(第31図)/跪受赤虹図(第32図)/西狩獲麟図(第33図)/夢奠両楹図(第34図)/治任別帰図(第35図)/漢高祀魯図(第36図)

http://www.cpcjapan.com/china/history/koushi/koushi.html

在斉聞韶図(第10図)(斉に在りて詔を聞くの図)7:13   
孔子36歳 

晏嬰阻封図(第11図)(斉の景公が孔子を臣下に用いるのに反対する晏嬰の図)18:3  
孔子36歳 
   

女楽文馬図(第16図)(斉国が魯国に女性楽団と馬を贈り、内政を乱そうとした図)18:4   
孔子57歳 

醜次同車図1(第19図)(衛国でパレードに参加させられる孔子{絵には不在}の図)9:18(15:13) 
孔子58歳 


醜次同車図2(第20図)(衛国を去るため車に乗り込む孔子の図)同上 
孔子58歳 


宋人伐木図(第21図)(木を切り倒して孔子一行に脅しを掛ける宋国人の図)7:22 
孔子58歳 




適衛撃磐図(第23図)(衛国で磐を打った孔子が通りがかりの人物に批評される図)14:41  
孔子58歳


霊公問陣図(第26図)(衛の霊公が軍事に関して孔子に尋ねる図)15:1  
孔子60歳
 

子路問津図(第27図)(旅の途中、ふたりの隠者が孔子を批判した図)18:6    
孔子64歳

在陳絶糧図(第28図)(陳国と蔡国の軍隊に包囲され、飢えに苦しむ孔子の一行の図)15:2
孔子64歳、子路55歳



孔子の遍歴した国々
魯→周→斉→魯→衛→陳→宋→鄭→蔡→楚→衛→魯

水曜日, 12月 25, 2013

ヘーゲルの未来図?と無限×(○直接者?):再掲

                    (ヘーゲルリンク::::::::::
以下転載:
http://yojiseki.exblog.jp/6013122/

先の日記にも書いたが、カトリーヌ・マラブー『ヘーゲルの未来』(未来社)の冒頭で紹介されていたヘーゲル自身による素描↓は『自然哲学』(素描はこの草稿に描かれたという*)よりも『精神現象学』(左上から、意識、自己意識、理性)を説明するものと解釈できる。



(以下の画像はわかり難いが、上のヘーゲルの素描を自分の解釈で書き直したもの。)


まず中央上部の楕円にある記号は「U」と読める。
これはUnendlichkeit(無限性)の頭文字と解釈できる。「自己意識が他者としてむきあいたいのは(略)無限の否定力をもつ存在としての他者なのである(p133以後長谷川宏訳より引用)」とヘーゲルは述べている。さらに『エンチクロペディー』111節には「他者のうちで自己に出あうという真の無限」(岩波文庫『小論理学(上)』p331)とあり、線によってつながった自己意識内の人間内(後述)にもうひとつの「U」とあることも説明できる。

左の円から中央に延びる線は明らかに視覚を表している。これは意識から延びるものと解釈できる。

対象は「まっさきにわたしたちの目に飛びこんでくる知」(p66)である。眼球は人型にも解釈できるが大差はない。その左は耳を表すだろう。これはすぐ下の「自己意識」の中の楕円と相似になっているのがわかる。
大きな人間の内部に人間を抱える「自己意識」と目される円の中には小さな人間がおり、これがさらに複雑化した耳とつながっている。これは内面的なものが聴覚とつながっているという『エンチクロペディー』第358節の記述と重なる。
自己意識の章でも述べられたように「内面的承認」(p157)は聴覚だけではそのままにとどまるのだ。
その右の自己意識内の人間は視覚であり外面である。内部に「無限性」を抱えた外面的自己意識は視覚とともに触覚を持って無限(U)に、むかって手を伸ばす。 ちなもに『精神哲学』の人間学では胎児と未覚醒の自己意識がパラレルで語られており、関連づけられるかもしれない。

一番右にある三角形(その中の左上にも三角形がある)がさまざまな解釈が可能であり問題だが、これは上部を上位概念と見たい。上の巻き物のようなものから無限者に線が引かれているからだ。この巻き物は「世界史」(p202)あるいは「掟の吟味」と解釈できよう。
そうなるとこの素描全体は意識、自己意識、理性、さらに精神をも図示したものと言える。

そもそもなぜ「無限」が頭文字として採用されるほど重要かといえば、『精神現象学』の末尾の言葉(p549)にもあるように無限性の解釈が自己形成の軌跡そのものだからだ。これは『大論理学』の第1篇でも強調されている。真無限と悪無限の差異は、ヘーゲルがスピノザを曲解したものでもあるが、絶対者というタームを過大視(絶対視)するよりもヘーゲルを神秘主義から救うだろう。

視覚と聴覚に関してはデリダが『哲学の余白』(p173)で語っているし、無限に関しても同書(p52)で語っている。マラブーはその師を越えていないと言わなければならない(同書でデリダはハイデッガーを引用しヘーゲルをいちはやくペンローズ的人工知能の問題につなげており秀逸だ)。


自己意識内の外面と内面に関しては理性の章でも語られるが(p191)、自然宗教の節でも語られることからわかるように(p474)、ヘーゲルの重要なテーマだったと言える。

この素描の描かれた1805-6年は、ちょうど『精神現象学』(1807年刊行)の書かれた時期だったこともあり、ここに説明したような恣意的な解釈も可能だと思う。

少なくともジジェクの様にラカンとつなげる前に、スピノザとカントを捨象してしまったヘーゲルをそれ自身によって読み直すことはできるだろう。


追記:
なお『現象学』のオーソドックスな読みをする上で、ネット上で言及されている佐野正晴氏作成の、ヘーゲル『精神現象学』マッピングが参考になる。興味のある方は下記HP製作者に問い合わせていただきたい。
http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re09.html

またヘーゲルの素描は『ヘーゲルの未来』の英語版では表紙に採用されており、アマゾンでは大きなイメージで見ることができ、内部も少し読むことができる。
http://www.amazon.com/Future-Hegel-Plasticity-Temporality-Dialectic/dp/0415287219/ref=pd_bbs_sr_1/102-4651908-1276956?ie=UTF8&s=books&qid=1187426933&sr=8-1


参考:
ヘーゲルの場合、主体が対象に関与している点が違うが、ヘーゲルにはデカルトの『人間論』("Traite de l Homme、"1664年、邦訳『デカルト著作集4』p271)掲載の以下の図が頭にあったのかもしれない。
この図を援用すると耳よりも脳が重要な要素であるということになる。
ちなみにデカルトは脳の中にある精気を出すという器官(腺)をUではなくH(腺H、腺は松果腺=Glandula pinealis; Corpus pinealeのこと)と表記している。
http://www.hyperkommunikation.ch/personen/descartes.htm



訂正:
Uは非有機物(Unorganischen)のことかも知れない。

「直接的な類それ自体は、プロセスに入り込み、現実的となっている」『自然哲学(下)』(未来社p221)より

追記:
Unmittelbare 即時の、直接的



「この推理はそこに在る-形成作用はそれの生成、自己自らによる生産-(a)根、茎、および葉は、(b)プロセスとしての個別であり、(C)生きた木である。」(同p229)より

よって素描読解図は以下のようになる。


追記の追記:
もう少し見やすい「ヘーゲルの自然哲学草稿の素描」(英語版『ヘーゲルの未来(The Future of Hegel)』表紙より。アマゾンの中見検索は、サファリを使うと構成ファイル一覧からコピーできる。)


Naturphilosophie und Philosophie des Geistes.Felix Meiner Verlag, Philosophische Bibliothek, Bd 333, page 113

*以下、『ヘーゲルの未来』p20より

「有機的なものの推論」
類はここでは有機的なものの側に立つ/ーー結論は、類は非有機的なものと直接に合一されるということである。ーー個体は自分自身を食い尽くす。排除することのない分裂。有機的なもののそれ自身との関係。/個体は自らの無機性を止揚し、自分自身から栄養を摂取し、自らを自分自身へと分岐させ、自分の普遍を自分の諸職別へと分裂させる。これが個体自身における過程の推移である。

訳注
☆1『自然哲学(下)ーーヘーゲル哲学体系初期草稿(三)』本田修郎、未来社、1984年、212頁。なお、同様の表現は『自然哲学(下)』、第342節補論、476頁にみられる。

補足説明:
http://yojiseki.exblog.jp/7080038/
Uを否定性としてとらえた解釈をあらたに考えたが↑、上記の無限性としての解釈が無駄だとは思えない。
「この無限がそのものとして意識の対象になる時、その意識は自己意識になっているのである」(牧野紀之訳『精神現象学』p308)


追記(2017.1.30):

Unmittelbare 即時の、直接的

Uは、
無限性ではなくこちらかもしれない。


参考:

an und fuer sich - マキペディア(発行人・牧野紀之)

http://blog.goo.ne.jp/maxikon2006/e/f380098bff4d286459dc625c611d1ca1

 2-1、Das Sein ist das unbestimmte Unmittelbare; es ist frei von der ersten Bestimmtheit gegen das Wesen und von der zweiten innerhalb seiner. Dieses reflexionslose Sein ist das Sein, wie es unmittelbar an und für sich ist. (Große Logik, S. 47)

 寺沢訳・存在は無規定な直接的なものである。それは本質に対する第一の規定態をも・それ自身の内部での第二の規定態をもまぬかれている。この反省の欠如している存在が、直接にそれ自身で独立してあるがままの存在である。

 牧野訳・〔始原を為す〕存在は〔存在なのだから〕直接的なものであるのはもちろんだが、規定を持たない直接者である。そこには〔第二段階の〕本質との対比で表面化する規定もなければ、自己自身の内部での規定もない。この反省無き〔外への反省も内への反省も無い〕存在が完全に無媒介に所与として在る存在である。

 感想・これは「大論理学」の本文の冒頭の句です。最後のan und für sichはschlechthinと同じではなかろうか。再版ではan ihm selberと替えられています。つまり、何の根拠もなくただ「そういう事がその存在の表に出ている」という事でしょう。


2-2、Das Sein ist das unbestimmte Unmittelbare; es ist frei von der Bestimmtheit gegen das Wesen sowie noch von jeder, die es innerhalb seiner selbst. Dieses reflexionslose Sein ist das Sein, wie es unmittelbar nur an ihm selber ist. (Suhr. Bd.5, S. 82)

 山口訳・存在は無規定な直接的なものである。それは本質に対する規定性から自由である。それ自身の内部でそれが持ちうるどの規定からもまだ自由であるのと同様にである。この反省を欠く存在は、直接にただそれ自身のもとにのみある存在である。

 牧野訳・〔ここで謂う所の純粋〕存在は〔存在なのだから〕直接的なものであるのはもちろんだが、規定を持たない直接者である。つまり、それは本質との対比で規定を持たないのみならず、自己自身の中にもいまだに規定を持っていない。〔更に言い換えるならば〕この反省無き〔外への反省も内への反省も無い〕存在が自己の表面に出てきただけの存在である。

 2-3、寺沢の解説・B版ではここ〔2-1の下線部〕は「直接にただそれ自身のもとに(an ihm selber)あるがままの存在」というように改められている。A版には"an und für sich"というという表現をB版よりも気軽に使う一般的傾向がある。ここもその一例で「それ自身で独立して」という位の軽い意味だと考えて、そう訳した。だが1831年のヘーゲルにとっては、この表現はもっと重々しい意味をもつものになっていたので、ここのような場合にこの表現を用いることをふさわしくないと考えて、訂正したのであろう。小さな表現上の改変であるが、ヘーゲル哲学の重要な術語の用法に関することであるから、注目しておきたい。(寺沢1、385頁)

 2-4. 牧野の感想・①私は初版と再版の詳しい対比的検討をしたことがありませんので、「A版には"an und für sich"というという表現をB版よりも気軽に使う一般的傾向がある」という寺沢の指摘は、感謝してそのまま受け入れます。

___
河出エンチュクロペディーでは:

《A 質   a 有  八六   純粋有が始まりをなす。なぜなら純粋有は純粋な思想でもあり、また無規定な、単純な直接者〔無媒介者〕でもあるからである。ちなみに、最初の始まりは媒介されたものではありえず、またそれ以上に規定されたものではありえないのである。》



直接者なる訳語は刺激的だ。



G. W. F. Hegel; Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaften im Grundrisse, 1830 

http://www.zeno.org/Philosophie/M/Hegel,+Georg+Wilhelm+Friedrich/

Enzyklopädie+der+philosophischen+Wissenschaften+im+Grundrisse/

Erster+Teil.+Die+Wissenschaft+der+Logik./1.+Abteilung%3A+Die+Lehre+vom+Sein/A.+Qualität/a.+Sein


a. Sein


§ 86



 

[182] Das reine Sein macht den Anfang, weil es sowohl reiner Gedanke als das unbestimmte, einfache Unmittelbare ist, der[182] erste Anfang aber nichts Vermitteltes und weiter Bestimmtes sein kann.


カトリーヌ・マラブー『ヘーゲルの未来』(未来社)の冒頭で紹介されていた、

「ヘーゲルの自然哲学草稿の素描」↓の上方中央部のUまたはMは、

http://pds.exblog.jp/pds/1/200711/19/41/a0024841_13504597.jpg

大小の「論理学」冒頭から推察するに、直接者(Unmittelbare 即時の、直接的)の

頭文字Uだろう。そう解釈するとスッキリする。


(中央の手を伸ばしている人間もUを抱えている。 
そう考えると無限性Unendlichkeitも捨てがたいが。)

 

     U(=直接者)

自然哲学

    論理学

       精神哲学


あるいは、


     U(=直接者)

論理学

   自然哲学

       精神哲学



といった解釈も出来る。



     U(=直接者)論理学


   自然哲学

       精神哲学


としても良い。




水曜日, 12月 18, 2013

堺利彦「社会主義鳥瞰図」

                     (柄谷行人政治学リンク:::::::::: 

堺利彦「社会主義鳥瞰図」
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』(大杉栄著.新潮社.1914年)序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)

     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家___________________
    /                                     |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_      /政友会          |
           \_資本家主義____|   _| 同志会          |
           /          |  / | 国民党          |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| /   \中正会          |
                       /                  |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派_____ロイド・ジョージ      |
      \                                   |
       労働組合主義__非政治派_____________________  |
              \政治派____                  | |
                      \____英国労働党___安部   | |
                      /           _ゾラ   | |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派_____ジョーレス_/_ショウ  | |
    \                                   | |
     \_マルクス派、正当派、非提携派、非入閣派_____堺___ゴルキー | |
     /                    ___\__リープクネヒト | |
共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派/______________| |
                        |\                |
無政府共産主義____クロポトキン______大杉 \____オスカァ・ワイルド  |
                        |     \アナトル・フランス  |
          _スチルネル、ニイチェ_  |                 |
個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|                 |
         \_日本現時文芸家の多数_/___________________|

http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2013/02/post-0343.html


1914年に書かれた「大杉君と僕」(堺利彦)という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」

というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

金曜日, 12月 06, 2013

「資本主義の世界史的諸段階」:メモ

                     (柄谷行人リンク:::::::::: 

資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
_________________________________________
      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
______|______|______|______|______|______
世界資本主義|後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
______|______|______|______|______|______
覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
______|______|_____________|_____________
経済政策  |帝国主義的 自由主義的 帝国主義的 自由主義的 帝国主義的 
______|______|_______\_____|_______\_____
資本    商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
______|______|______|______|______|______
世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム)
______|______|______|______|______|______
国家    絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
______|______|______|______|______|______
対抗運動  |分散的   集積的   分散的   集積的   分散的   
______|______|__1848_\_____|__1968_\_____
宇野経済学 |        段階論        |     現状分析
                          ロシア革命
                          国際連盟
商業資本、商人資本(G―W―G') 
           高利貸資本、金融資本(G…G')
    生産資本、産業資本(G - W ... P ... W' - G')

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変(彩色)。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
(佐藤優『国家と神とマルクス』文庫104頁)

むしろ柄谷は宇野の段階論と現状分析のなかに循環性を見出す。


以下転載

2013年11月23日 知の現在と未来:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/20131123.html
37:40〜39:00
「…社会主義運動が集権的であったのは実はロシア革命以後です。
つまりそれまではアナルコサンディカリズムが中心だった。ネットワークのようなものですね。
それはフランス、アメリカだけではない。
日本でもそうです。幸徳秋水、大杉栄に人気があったわけです。
ロシア革命以後はそうではなくなる。
資本主義国家でも社会主義者の要求を入れた福祉国家をつくろうとしました。それはまたフォ
ーディズムのはじまりでもあります。
つまり中央集権的形態はむしろ自由主義に固有なものである。
ゆえに対抗運動がネットワーク型になることを資本のポストフォーディズムへの変化と同様に
リニアな発展としてみるのは間違いだ。
むしろそれは現在が帝国主義的段階であることを意味する。
したがって今後にネットワーク型運動、マルチチュードの叛乱に期待するだけではいけない。
かつて帝国主義時代に対抗運動がどのようなものであったかを体系を通す?必要があります。」

主な参考文献(追加):
モーゲンソー『国際政治』(帝国と帝国主義の差異。帝国主義を国家間の関係で見た?)
ホブソン(岩波文庫だとホブスン)『帝国主義』(単純な内需拡大論だが、イギリスを見ていた点で、
ヒルファーディング『金融資本論』のドイツ、アメリカ偏重より評価出来るらしい)
カウツキー『帝国主義論』
レーニン『帝国主義―資本主義の最高の段階としての』
(1916年。その帝国主義観はヒルファーディングに従っている)
幸徳秋水『帝国主義』(1901年)
宇野弘蔵『経済政策論』(重商主義、自由主義、帝国主義という段階論)
アーレント『全体主義の起源2』
ウォーラーステイン 『近代世界システムII―重商主義と「ヨーロッパ世界経済」の凝集 1600-1750
デヴィッド・ハーヴェイ 『新自由主義―その歴史的展開と現在』
(レジュメには書名は未記載だが柄谷は「中国的特色を持った新自由主義」という言葉を引用した)
ネグリ&ハート 『マルチチュード ~時代の戦争と民主主義』

追記

柄谷の先の講演内容、特に「段階図」に関しては宇野弘蔵『経済政策論』の影響が大きい。
重商主義、自由主義、帝国主義という最初の枠組みがまず宇野の影響だ。

「…資本主義の世界史的発展段階の分析を媒介にして、いい換えれば、重商主義時代の商人資本、自由主義時代の 産業資本、帝国主義時代の金融資本の概念を媒介にして分析しなければならない。」(宇野弘蔵『『資本論』と私』285頁)

「重商主義政策の基礎をなす商人資本はイギリス羊毛工業に、また自由主義の基礎をなす産業資本はイギ リス綿工業にその具体的発現を見たのに対して、帝国主義の基礎をなす金融資本にドイツの重工業に具体 化されているといってよい。しかし重商主義、自由主義が、その世界史的過程をイギリスに典型的に代表 せられたのに対して、帝国主義は已に指摘したようにイギリスの資本主義的発展におくれて発展したドイ ツ、アメリカ等の資本主義の世界史的過程への参加によって出現したのであって、いわばドイツの進出的役 割に対してイギリスが防衛的立場に立つという、資本主義諸国の対立にその根拠をもっている。ここでは したがって単にドイツ重工業のみをとって金融資本の具体的発現とするわけにはいかない。…」 (第三編帝国主義、第二章金融資本の諸相『経済政策論』宇野弘蔵 弘文堂165頁)

ホブスンの評価などもアリギ経由かもしれないがドイツとイギリスを具体的に対比させた部分は宇野経由だ。
(アリギ『長い20世紀』262頁~、宇野『経済政策論』弘文堂225頁、岩波著作集236頁を参照。アリギは宇野を読んでいた?)
それは、ウォーラーステインからの影響より本質的かも知れない。
つまり、宇野のように原理論と段階論は一緒に出来ないと柄谷は考えている節がある。
(むしろ柄谷は原理と段階を無理やり一つ=一冊にしたとも言えるが、、、)

そして金融拡大の反復に関してはアリギを参照している。

「ジョヴァンニ・アリギは資本の蓄積システムのサイクルという観点から、初期の段階では、製造部門の生産拡大の傾向があり、末期には金融拡大の傾向が見られることから、初期には交易や生産に投資することによって蓄積しようとするために、生産拡大が生じ、末期には、金融だけで蓄積しようとするために、金融拡大が生じることを見出した。」(柄谷行人 長池講義 2009月7月 「歴史と反復」)
http://web.nagaike-lecture.com/?month=200907
http://web.nagaike-lecture.com/ L11~13
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nagase(10-1-30)#_ednref2

ただしアリギはこのアイデアをブローデルから得ていると明記している。

「この秩序の[すべての]資本主義的発展は、金融的拡大の段階に達することによって、ある意味ではその成熟に達したように思われる。それは秋の兆しである」(『長い20世紀』邦訳35頁より孫引き。引用元はブローデル『物質文明・経済・資本主義3 世界時間1』邦訳318頁。ブローデル邦訳書の訳文とは少し違う。)

ちなみにアリギは反復の周期は短くなってゆくと考えているし、そこを強調する。
柄谷説がアリギ説のように周期が加速しないのは情報化が進んでも平均寿命が伸びて相殺するからだろう。

金融への着目はアリギは(反復への着目と共に)ブローデル経由だが柄谷はアリギを経由しつつもやはり宇野経由(の影響も大きい)だろう。
宇野がオランダを捨象している部分が柄谷には不満らしいが、柄谷の図もオランダを省いている。
(スペースがないからと講演では弁解していた。)
アーレントのブルジョアジー台頭理論に対応するところもありこの宇野の段階論である『経済政策論』は、
(面白さは原理論に負けるが)侮れない。
アリギも柄谷もウォーラーステインよりブローデルの影響が少ないと考えられる。
それは二人ともブローデルのように生活への興味があるわけではないからだ。


宇野弘蔵、またはマルクスとスピノザ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/blog-post_29.html

ヘーゲル『小論理学』と宇野弘蔵『経済原論』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_2835.html 

なお「交換図」に関しては柄谷は宇野のようなトリアーデは採用していない。


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水曜日, 12月 04, 2013

発起人代表の浅田彰さんの声明文です。:表現人の会(特定秘密保護法案に反対 する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会)

                      (法論リンク::::::::::
https://www.facebook.com/antisecrecy/posts/604980372901141
[2013年12月5日の記事]

表現人の会(特定秘密保護法案に反対する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会)

    発起人代表の浅田彰さんの声明文です。

    浅田彰(京都造形芸術大学教授)

    特定秘密保護法案に反対する

    特定秘密保護法案が問題だらけで、ただちに廃案にすべきものであることは、多くの専門家が指摘し、より多くの国民が感じている通りです。

    ここではこの問題を世界的な視野で考えてみましょう。

    2013年の最大のニュースのひとつはスノーデン事件でした。
    アメリカ国家安全保障局(NSA)の契約社員だったエドワード・スノーデンは、NSAをはじめとするアメリカの諜報機関がインターネットなどでのコミュニケーションを世界的規模で傍受していたこと――秘密を秘密裡に盗聴していたことを曝露した。
    世界的規模で自由な情報交換を可能にするインターネットが、同時に世界的規模での超監視社会を招来しうる、いや現にそうなりつつあるということを、具体的な形で明らかにしたのです。

    この問題に対する日本の反応は異様に鈍いものでしたが、世界の多くの国々は敏感に反応しました。
    ナチスや旧社会主義の体制下で秘密警察による盗聴に苦しんだドイツが、強い拒否反応を示したのは、その好例です。
    2013年というのは、世界の人々が世界的な秘密盗聴・監視社会の問題を強く意識し、それに対する反対の声を上げ始めた年だと言っていいでしょう(もちろんこの問題は以前から論じられていたとはいえ)。

    そのような時に、「政府が秘密指定する情報を漏らした者は官民を問わず厳罰に処すが、何を秘密指定するかは秘密だ」というカフカ的不条理を帯びた法案が国会で強行採決されようとしている。悪い冗談としか思えません。
    ついでに言えば、この法案は、日本政府が同様な秘密保護体制をもつ国(さしずめアメリカ)の政府に情報を流す――つまり世界的な盗聴・監視のお先棒を担ぐことを可能にするものでもあります(こうした規定がなかったので、民主党政権はアメリカからの情報提供要請に応じなかったことがありますが、この法案ができればそういう情報提供を秘密裡に行なうことも合法化されるのです)。

    こうした観点からみても、特定秘密保護法案がただちに廃案にすべきものであることは明らかです。それを国会で強行採決するなら、安部政権は、右翼的法案の強行採決を連発して国民の総スカンを食い選挙に負けて退陣した前回の安倍政権と同じ道を歩むことになるでしょう。

    (end)

_____
20140222「素直がいちばん」
https://youtu.be/0zh60wTxN2g


 _________________
|        |\       |
| [社会思想] | \ [宗教] |
|        |  \     |
|   国家   | ネーション  |
|   B    | A  \   |
|        | [文化]\  |
|        |      \ |平
|________|_______\|
|        |        |等   
|  [経済学] |        |          
|        |        |       
|   資本   |アソシエーション|          
|   C    | D   X  |          
|        |        |          
|        |        |         
|________|________|
        自 由

文化(宗教) http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/984
社会思想 http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/982
経済学 http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/983


>part86
>http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/981
ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 eBook 2016/12
https://www.amazon.co.jp/dp/B01NBP7AFZ/

注解:浅田彰インタビュー2016 ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 より[削除済み]
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/2016-4.html

注解:浅田彰インタビュー2016 ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 より[原文未使用改訂版]

火曜日, 12月 03, 2013

宇野弘蔵『経済原論』とヘーゲル『小論理学』:メモ

             旧原論詳細目次改訂版図解柄谷行人ヘーゲルリンク::::::::::

宇野(弘蔵) …ぼくが警察に連れてゆかれたときに、警察署長がぼくに、先生のような大 学の先生が、社会主義の主張をしていいんですかと聞くんだ。ぼくは自分では社会主義を主張して たとは思わなかったが、それは黙って、どうしていけないのだろう、と聞きかえした。そうする と、だって国家から俸給をもらって、大学の先生をしているでしょう。それで社会主義の研究をし ていいのでしょうかという。ぼくは、社会主義の研究を別にしているわけではないけれども、社会 主義的なものと見られても仕方がないというようなことをやっていた。それはともかく、そのとき ぼくは、その俸給というのはどこから出たんでしょうと、署長にいった。俸給というのは、やはり 税金でしょうねというから、税金に支払う資金はだれがつくりだすのでしょうといったら、ああそ うにいうふうに考えるのですかという(笑)。だから、これはなんでもないですよ。署長にもわかる。
 遠藤(湘吉) なるほど。

(「マルクス主義と現代」『経済学を語る』東京大学出版会1967.9.20、223-4頁より、 初出『思想』1964年12月号 )

柄谷行人が参照した宇野弘蔵の段階論はスピノザに対応していた(「宇野弘蔵あるいはマルクスとスピノザ」)。
スピノザの二元論は一元論のなかでも止揚されないのだ。
ただし宇野の原理論、つまり経済原論はヘーゲル小論理学に対応する。
松村一人訳のヘーゲル『小論理学』目次に宇野が書き込んだメモのファクシミリ版が『『資本論』と私』(2008年、お茶の水書房)に載っている。

以下、多少恣意的に図解すると、
               /\
             (絶対理念)
            (生命) 理念 (認識)
            /_☆利子__\  ヘーゲル『エンチクロペディ』
           /\<概念論> /\       &
          /推論\☆分配論/__\ ☆宇野弘蔵『経済原論』
         / 主観的\  / 客観 \(「資本論」と私』冒頭参照)
        /概念__判断\/______\
       /\ ☆利潤      ☆地代 /\
      /  \            /  \
     /限度  \  『論理学』   /現実性 \
    /_☆資本__\☆『経済原論』 /☆資本の再生産過程
   /\ <有論> /\      /\  <本質論>/\
  /  \☆流通論/  \    /  \☆ 生産論/  \
 / 質  \  / 量  \  /存在本質\   / 現象 \
/_☆商品__\/_☆貨幣__\☆資本の生産過程 /☆資本の流通過程

ヘーゲルのみだと、

               /\
             (絶対理念)
            (生命) 理念 (認識)
            /______\  ヘーゲル『エンチクロペディ』
           /\ <概念論>/\
          /推論\    /__\
         / 主観的\  / 客観 \
        /概念__判断\/______\
       /\              /\
      /  \            /  \
     /限度  \  『論理学』   /現実性 \
    /______\        /______\
   /\ <有論> /\      /\ <本質論>/\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 / 質  \  / 量  \  /存在本質\  / 現象 \
/______\/______\/______\/______\

参考:ヘーゲル
http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5795.html?m=0#notee1

宇野弘蔵のみだと、

               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /\ <分配論>/\
          /  \    /__\
         / 利潤 \  / 地代 \
        /______\/______\
       /\              /\
      /  \    宇野弘蔵    資本の\
     / 資本 \  『経済原論』  /再生産過程
    /______\        /______\
   /\<流通論> /\      /\ <生産論>/\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  /資本の \
/______\/______\/_生産過程_\/_流通過程_\

本来の対応はもっと細かい。
宇野は戦後、スピノザからヘーゲルに後退した(ウェーバー以上にヘーゲルは批判されるべきだった)。
ヘーゲル論理学と資本論との対応の話は『資本論五十年』上472頁に出て来る。構想としては古いことがわかる(スピノザを読んだのとほぼ同時期)。

マルクス『資本論』を再構成しつつも原理論はヘーゲル、
段階論はスピノザに依拠している、ということか?


宇野弘蔵『経済原論』 目次


序論
第一篇 流通論
 第一章 商品
 第二章 貨幣
 第三章 資本

第二篇 生産論
 第一章 資本の生産過程
  第一節 労働=生産過程
  第二節 価値形成=増殖過程
  第三節 資本家的生産方法の発展
 第二章 資本の流通過程
 第三章 資本の再生産過程
  第一節 単純生産〜〜資本の再生産と労働力の再生産
  第二節 拡張再生産〜〜資本家的蓄積の現実的過程
  第三節 社会総資本の再生産過程〜〜価値法則の絶対的基礎

第三篇 分配論
 第一章 利潤
  第一節 一般的利潤率の形成〜〜価値の生産価格への転化
  第二節 市場価格と市場価値(市場生産価格)〜〜需要供給の関係と超過利潤の形成
  第三節 一般的利潤率の低落の傾向〜〜生産力の増進と景気循環
 第二章 地代
 第三章 利子
  第一節 貸付資本と銀行資本
  第二節 商業資本と商業利潤
  第三節 それ自身に利子を生むものとしての資本
   第四節 資本主義社会の階級性


参照:
http://komesen.sblo.jp/article/43615480.html
http://homepage3.nifty.com/tanemura/re2_index/U/uno_kozo.html


追加資料:

ヘーゲル          宇野弘蔵
小論理学          経済原論  メモ 1947?

 存在論           第一篇 流通論
  ・質             第一章 商品
   ・存在            第一節 商品の二要因
   ・定在            第二節 交換価値=価値形態
   ・向自存在          第三節 価値形態=価格
  ・量             第二章 貨幣
   ・純粋量           第一節 価値尺度としての貨幣
   ・定量            第二節 流通手段としての貨幣
   ・度             第三節 貨幣
  ・限度            第三章 資本

 本質論           第二篇 生産論
  ・現存の根拠としての本質   第一章 資本の生産過程
    ・純粋な反照諸規定     第一節 労働=生産過程
      ・同一性         a   労働過程
      ・区別          b   生産過程における労働の二重性
      ・根拠          c   生産的労働の社会的規定
    ・現存在          第二節 価値形成=増殖過程
    ・物            第三節 資本家的生産方法の発展
  ・現象            第二章 資本の流通過程 
    ・現象の世界        第一節 資本の価値と流通費用
    ・内容と形式        第二節 資本の回転
    ・関係           第三節 剰余価値の流通
  ・現実性           第三章 資本の再生産過程
    ・実体性の関係       第一節 単純生産 資本の再生産と蓄積   
    ・因果性の関係       第二節 拡張再生産 資本家的蓄積の現実的過程
    ・交互作用         第三節 社会総資本の再生産過程

 概念論           第三篇 分配論
  ・主観的概念         第一章 利潤
    ・概念としての概念     第一節 剰余価値の利潤への転化
    ・判断           第二節 一般的利潤率の形成  
      ・質的判断        a   異れる部門の利潤形成の形態
      ・反照の判断       b   商品価格の生産価格の転化
      ・必然性の判断      c   生産価格と市場価格 資本の競争
      ・概念の判断
    ・推論           第三節 一般的利潤率の低落の傾向
      ・質的な推論       a   生産力の増殖による超過利潤の追求
      ・反照の推論       b   一般的利潤率の傾向的低下の法則
      ・必然性の推論      c   資本家的生産方法の内的矛盾の展開
  ・客観            第二章 地代
    ・機械論          第一節 差額地代とその資本形態としての第一形態
    ・化学論          第二節 差額地代の第二形態
    ・目的論          第三節 絶対地代
  ・理念            第三章 利子
    ・生命           第一節 貸付資本と銀行資本
    ・認識           第二節 商業資本と商業利潤
      ・認識          a   流通資本の資本化
      ・意欲          b   商業利潤と商業資本の倒錯性
    ・絶対理念         第三節 それ自身として利子を生むものとしての資本
                     (それ自身に利子を生むものとしての資本(著作集第一巻))
                 (第四節 資本主義社会の階級性)

http://ja.wikipedia.org/wiki/エンチクロペディー#.E8.AB.96.E7.90.86.E5.AD.A6
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/2209/1/ronso0660400320.pdf


宇野弘蔵『経済原論』(ヘーゲル論理学対応)

                               /\
                              それ自身として
                             /利子を生むものとしての
                            /_資本___\
                           /\      /\
                          /__\<利子>/商業資本と
                         貸付資本と\ 流通\商業利潤
                        /_銀行資本_\資本の\/商業利潤と商業資本の倒錯性
        資本家的生産方法の内的矛盾の展開\       資本化    /\
                  ☆一般的利潤率の            /__\
                     低落の傾向\  <<分配論>> /絶対地代\
      生産力の増殖による超過利潤の追求 \一般的\生産価格と   /__\/__\
               利潤率の傾向的低下の法則/市場価格 差額地代と     /\
                  /__\<利潤>資本の競争 その資本形態<地代>/__\
          ☆剰余価値の利潤への転化\☆一般的利潤率の形成/としての\  /差額地代の
                /__\/__\/異れる/商品\/_第一形態_\/_第二形態_\
               /\        部門の 価格の               /\
              /  \     利潤形成の 生産価格の           社会総資本の
             /    \       形態 転化              /再生産過程
            /______\                        /__\/__\
           /\      /\         宇野弘蔵         /\<資本の  /\
          /  \<資本>/  \     <<<経済原論>>>   単純生産 \再生産過程>_\
         /    \  /    \                資本の再生産と\  /\拡張再生産
        /______\/______\                /__\蓄積_\/資本家的蓄積の現実的過程
       /\              /\              /\              /\
      /  \            /  \       資本家的生産方法\            /__\
     /貨幣形態\  <<流通論>> / 貨幣 \          /の発展 \ <<生産論>>  /剰余価値の流通
    /__=価格_\        /______\  生産的労働の/______\        /__\/__\
   /\      /\      /\      /\  社会的規定\<資本の  /\      /\<資本の  /\
  /  \<商品>/  \    /  \<貨幣>/  \    /  \生産過程>  \    /__\流通過程>__\
商品の二要因\  /交換価値\  /価値尺度\  /流通手段\ 労働=生産過程  /価値形成\  資本の価値\  /資本の回転
/______\/=価値形態_\/としての貨幣\/としての貨幣\/労働_労働の\/=増殖過程_\/と流通費用_\/__\/__\ 
                                 過程 二重性


上記は宇野が実際に参照したヘーゲル小論理学とは訳語が違う。また経済原論は新旧2種があり、上記はあくまで宇野の手書きメモに(ほぼ)従った。誤読があるかも知れない。おおよそ著作集第一巻の旧版の方に依拠しており、こちらがヘーゲルの影響を色濃く残している。
利子と地代の順序変更は原理を重視した場合には合理的だ。宇野の方が地代が資本主義に組み込まれた事例を沢山知っていたということかも知れない。そうすれば利子が最終部に来るのは正解だ。
生産論と流通論の名を逆にした意図はもう少し考えたい(著作集第一巻24頁参照)。
(宇野の案だとマルクスの単純・拡張再生産が生産論に収まるわけだから間違いではない。かえってマルクス『資本論』↓の方が逆になる。)
なお「恐慌の必然性」は第三篇第三章利子の第一節「貸付資本」(3-3-1-3-2)で叙述される。これは『資本論』とほぼ同じ。

 マルクス『資本論』 絶対的5〜9、   商品と
 __________相対的10〜13__貨幣〜3
|資本の変態|(資本の |剰余|資本|拡大|単純|
|  と循環| 循環過程)価値|へ4|価値形態論1
| 1〜6 |1、2、3| 〜16 一般的|貨幣|
|_二資本の流通過程__|_一資本の生産過程__|
|     |拡大|単純|時間|  | 資本の |
|資本の回転|再生産 ・|_労 賃_|蓄積過程 |
|7〜17 社会的総資本|17〜20|21〜25|
|_____|18〜21|出来高__|_____|
|     |     生産過程49|資本|労働|
|  利潤 |     | 競争の |_三位一体48
| 1〜20|     | 外観50|土地|  |
|____三資本主義的生産の総過程への転化|__|
|     絶対・|差額|     資本家|労働者
|  利子 |_地代_・| 生産51|_諸階級52
|21〜36|37〜47| 分配と |地主|  |
|複利24_資本主義的・|_____|__|__|

http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/blog-post_29.html?m=0

労働の位置づけもマルクス『資本論』とは違うが宇野の方が収まりはいい。そのかわり労働価値説は強調されないかも知れない。

ヘーゲル論理学:
http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5795.html?m=0#noter2

                               /\
                              /体系と方法
                             /絶対理念\
                            /本性\/方法、弁証法
                           /\      /\
                          /類_\ 理念 /善の理念   
                         /\生命/\  /\認識/真の理念
                        /個体\/過程\/分析\/総合\
                       /\       (算術、解析)/\
                      /必然性            /__\  
                     /\推論/\  <概念論>   /\目的的関係  
                    /質_\/反省\        /__\/__\
                   /\      /概念     /\      /\
                  /__\主観的 /必然性    /__\ 客観的/__\
                 /\概念/\  /\判断/\  /\機械的\  /化学的/\
                /__\/__\/質_\/反省\/__\/__\/__\/__\
               /\                              /\
              /  \                            /__\
             /    \                          /交互作用\
            /______\                        /__\/__\
           /\      /\                      /\      /\
          /  \ 限度 /  \        <論理学>       /__\ 現実性/__\
         /    \  /    \                  /\実体性\  /\因果性\
        /______\/______\                /__\/__\/__\/__\
       /\              /\              /\              /\ 
      /  \            /  \            /__\            /__\
     /対自存在\   <存在論>  / 度  \          /\物 /\  <本質論>   /\相関/\
    /______\        /______\        /__\/__\        /__\/__\
   /\      /\      /\      /数学     /\      /\      /\      /\
  /  \ 質  /  \    /  \ 量  /  \    /根拠\存在本質/  \    /__\ 現象 /__\
 / 存在 \  /現存在/\  /純粋量 \  /定量  \  /反省規定\  /\ 実存\  /現象世界\  /内容と形式 
/______\/___/__\/______\/______\/同一性/区別\/__\/__\/__\/__\/__\/__\ 




  おまけ:
(カラーバージョン)
宇野弘蔵『経済原論』(ヘーゲル論理学対応)

               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /\ <分配論>/\
          /  \    /__\
         / 利潤 \  / 地代 \
        /______\/______\
       /\              /\
      /  \    宇野弘蔵    資本の\
     / 資本 \  『経済原論』  /再生産過程
    /______\        /______\
   /\<流通論> /\      /\ <生産論>/\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  /資本の \
/______\/______\/_生産過程_\/_流通過程_\



                               /\
                              それ自身として
                             /利子を生むものとしての
                            /_資本___\
                           /\      /\
                          /__\<利子>/商業資本と   
                         貸付資本と\ 流通\商業利潤
                        /_銀行資本_\資本の\/商業利潤と商業資本の倒錯性
        資本家的生産方法の内的矛盾の展開\       資本化    /\
                  ☆一般的利潤率の            /__\
                     低落の傾向\  <<分配論>> /絶対地代\ 
      生産力の増殖による超過利潤の追求 \一般的\生産価格と   /__\/__\
               利潤率の傾向的低下の法則/市場価格 差額地代と     /\
                  /__\<利潤>資本の競争 その資本形態<地代>/__\
          ☆剰余価値の利潤への転化\☆一般的利潤率の形成/としての\  /差額地代の
                /__\/__\/異れる/商品\/_第一形態_\/_第二形態_\

               /\        部門の 価格の               /\
              /  \     利潤形成の 生産価格の           社会総資本の
             /    \       形態 転化              /再生産過程
            /______\                        /__\/__\
           /\      /\         宇野弘蔵         /\<資本の  /\
          /  \<資本>/  \     <<<経済原論>>>   単純生産 \再生産過程>_\
         /    \  /    \                資本の再生産と\  /\拡張再生産 
        /______\/______\                /__\蓄積_\/資本家的蓄積の現実的過程
       /\              /\              /\              /\ 
      /  \            /  \       資本家的生産方法\            /__\
     /貨幣形態\  <<流通論>> / 貨幣 \          /の発展 \ <<生産論>>  /剰余価値の流通
    /__=価格_\        /______\  生産的労働の/______\        /__\/__\
   /\      /\      /\      /\  社会的規定\<資本の  /\      /\<資本の  /\
  /  \<商品>/  \    /  \<貨幣>/  \    /  \生産過程>  \    /__\流通過程>__\
商品の二要因\  /交換価値\  /価値尺度\  /流通手段\ 労働=生産過程  /価値形成\  資本の価値\  /資本の回転
/______\/=価値形態_\/としての貨幣\/としての貨幣\/労働_労働の\/=増殖過程_\/と流通費用_\/__\/__\
                                 過程 二重性


 マルクス『資本論』 絶対的、   商品と
 __________相対的1013__貨幣〜
|資本の変態|(資本の |剰余|資本|拡大|単純|
|  と循環| 循環過程)価値|へ価値形態論
|  | 〜16 一般的|貨幣|
|_資本の流通過程__|_資本の生産過程__|
|     |拡大|単純|時間|  | 資本の |
|資本の回転|再生産 ・|_労 賃_|蓄積過程 |
17 社会的総資本|17202125 
|_____|1821出来高__|_____|
|     |     生産過程49|資本|労働|
|  利潤 |     | 競争の |_三位一体48
| 20|     | 外観50|土地|  |
|____資本主義的生産の総過程への転化|__|
|     絶対・|差額|     資本家|労働者
|  利子 |_地代_・| 生産51|_諸階級52
21363747| 分配と |地主|  |
|複利24_資本主義的・|_____|__|__|


ヘーゲル          宇野弘蔵
小論理学          経済原論  メモ 1947?

 存在論           第一篇 流通論
  ・質             第一章 商品
   ・存在            第一節 商品の二要因
   ・定在            第二節 交換価値=価値形態
   ・向自存在          第三節 貨幣形態=価格
  ・量             第二章 貨幣
   ・純粋量           第一節 価値尺度としての貨幣
   ・定量            第二節 流通手段としての貨幣
   ・度             第三節 貨幣
  ・限度            第三章 資本

 本質論           第二篇 生産論
  ・現存の根拠としての本質   第一章 資本の生産過程
    ・純粋な反照諸規定     第一節 労働=生産過程
      ・同一性         a   労働過程
      ・区別          b   生産過程における労働の二重性
      ・根拠          c   生産的労働の社会的規定
    ・現存在          第二節 価値形成=増殖過程
    ・物            第三節 資本家的生産方法の発展
  ・現象            第二章 資本の流通過程 
    ・現象の世界        第一節 資本の価値と流通費用
    ・内容と形式        第二節 資本の回転
    ・関係           第三節 剰余価値の流通
  ・現実性           第三章 資本の再生産過程
    ・実体性の関係       第一節 単純生産 資本の再生産と蓄積   
    ・因果性の関係       第二節 拡張再生産 資本家的蓄積の現実的過程
    ・交互作用         第三節 社会総資本の再生産過程

 概念論           第三篇 分配論
  ・主観的概念         第一章 利潤
    ・概念としての概念     第一節 剰余価値の利潤への転化
    ・判断           第二節 一般的利潤率の形成  
      ・質的判断        a   異れる部門の利潤形成の形態
      ・反照の判断       b   商品価格の生産価格の転化
      ・必然性の判断      c   生産価格と市場価格 資本の競争
      ・概念の判断
    ・推論           第三節 一般的利潤率の低落の傾向
      ・質的な推論       a   生産力の増殖による超過利潤の追求
      ・反照の推論       b   一般的利潤率の傾向的低下の法則
      ・必然性の推論      c   資本家的生産方法の内的矛盾の展開
  ・客観            第二章 地代
    ・機械論          第一節 差額地代とその資本形態としての第一形態
    ・化学論          第二節 差額地代の第二形態
    ・目的論          第三節 絶対地代
  ・理念            第三章 利子
    ・生命           第一節 貸付資本と銀行資本
    ・認識           第二節 商業資本と商業利潤
      ・認識          a   流通資本の資本化
      ・意欲          b   商業利潤と商業資本の倒錯性
    ・絶対理念         第三節 それ自身として利子を生むものとしての資本
                     (それ自身に利子を生むものとしての資本(著作集第一巻))
                 (第四節 資本主義社会の階級性)



追加資料2:

宇野弘蔵著作集第一巻 岩波1973年版
(1950,1952年に元版は刊行。いわゆる旧原論)

     目 次
経済原論
 序
序 論
 一 経済学の目標
 二 経済学の方法
 三 経済原論と経済学の他の研究部門との関係
 四 経済原論の篇別

第一篇 流通論
 第一章 商 品
  一 商品の二要囚——価値と使用価値
  二 交換価値=価値形態
   A 簡単なる価値形態
   B 拡大されたる価値形態
   C 一般的価値形態
  三 貨幣形態=価格
 第二章 貨 幣
  一 価値尺度としての貨幣
  二 流通手段としての貨幣
   A 商品の売買
   B 貨幣の流通
   C 鋳 賃
  三 貨  幣
   A 蓄蔵貨幣 
   B 支払手段としての貨幣
   C 世界貨幣
 第三章 資  本 
  一 資本の商人資本形式
  二 資本の金貨資本的形式
  三 資本の産業資本的形式

第二篇 生 産 論
 第一章 資本の生産過程
  一 労働=生産過程
   A 労働過程
   B 生産過程における労働の二重性
   C 生産的労働の社会的規定
  二 価値形成=増殖過程
   A 価値形成過程
   B 価値増殖過程
   C 価値法則の確立
   (1)価値関係の必然的基礎
   (2)商品生産に現われる労働の二重性
   (3)商品生産の物神崇拝的性格 
  三 資本家的生産方法の発展
   A 絶対的剰余価値の生産
   B 相対的剰余価値の生産
   (1)協  業
   (2)分  業
   (3)機械的大工業
   C 労働力の価値の労働賃銀への転化
   (1)労働者と資本家との基本的関係の確立
   (2)労働力なる商品の特殊性 
   (3)賃金形態
 第二章 資本の流通過程
  一 資本の循環と流通費用
   A 資本循環の三形式
   B 生産資本と流通資本
   C 流通費用
   (1)純粋の流通費用
   (2)保管費用 
   (3)運輸の費用
  二 資本の回転
   A 回転期間 
   (1)労働期間と生産期間 
   (2)固定資本と流動資本 
   (3)流通期間の変動
   B 資本の回転期間と資本の前貸
   C 可変資本の回転
  三 剰余価値の流通
   (1)単純再生産
   (2)拡張再生産
 第三章 資本の再生産過程
  一 資本の再生産と蓄積
   A 単純なる再生産過程
   B 剰余価値の資本への転化=資本の蓄積
   C 剰余価値の消費資金と蓄積資金(資本)とへの分割
  二 資本家的蓄積の現実的過程
   A 資本の構成に変化なくして行われる資本の蓄積
   B 資本の構成の変化を伴う資本の蓄積
   (1)資本の集積と集中
   (2)相対的過剰人口の形成
   (3)資本家的蓄積に伴ういわゆる産業予備軍の累積
   C 資本家的蓄積の一般的法則
  三 社会的総資本の再生産過程
   A 社会的再生産過程の一般的原則
   (1)単純再生産表式
    (a)社会的生産の二部門への分割と両部門間の交換取引
    (b)両部門内部の取引と奢侈品ならびに固定資本に関する問題
    (c)単純再生産の基本的条件
   (2)貨幣の機能と貨幣材料の再生産
   (3)拡張再生産表式
    (a)資本の蓄積としての貨幣の蓄積
    (b)社会的蓄積の基本的条件
    (c)蓄積の増進に伴う諸条件の変化
   B 価値法則の絶対的基礎
   C 資本と所得

第三篇 分 配 論
 第一章 利 潤
  一 剰余価値率の利潤率への転化 
   A 費用価格と利潤
   B 剰金価値率と利潤
   C 利潤率決定の三要因
   (1)剰金価値率
   (2)資本の価値構成
    (a)生産手段の節約 
    (b)生産手段の買入価格の節約
    (c)生産手段の価格の変動
   (3)資本の回転期間
  二 一般的利潤率の形成
   A 異れる生産部門に投ぜられる資本の間の利潤率の相違
   B 商品価値の生産価格への転化
   (1)生産価格と商品価値との乖離の限度
   (2)費用価格における商品価値と生産価格との乖離
   (3)生産価格変動の原因
    (a)労働賃銀の一般的変動の生産価格に及ぼす影響
    (b)労働の生産力の増減の個々の商品の生産価格に及ぼす影響
    (c)生産価格変動の資本家社会的意義
   C 生産価格と市場価格。資本の競争
   (1)商品の個別的価値と市場価値と市場価格
   (2)個別的生産価格と市場生産価格
   (3)市場価格の変動。需要供給の関係
    (a)市揚における売手と買手との競争
    (b)需要供給均衡の意味
    (c)超過利潤の追求
  三 一般的利潤率の低落の傾向
   A 生産力の増進による超過利潤の追求
   B 一般的利潤率の傾向的低落の法則
   (1)資本の蓄積と利潤率の低下
   (2)利潤率の低落に反対に作用する諸原因
   (3)一般的利潤率の傾向的低落の法則性
   C 資本家的生産方法の内的矛盾の展開
   (1)生産の拡大と価値増殖との衝突
   (2)資本の過剰と人口の低落
   (3)資本家的生産方法発展の一般的法則
 第二章 地  代
  一 差額地代とその基本的形態としての第一形態
   A 地代に転化する超過利潤
   B 差額地代第一形態
   C 耕地の拡大と地代の増減
  二 差額地代の第二形態
   A 差額地代第二形態の特質
   B 追加資本の生産性の地代増加に及ぼす影響
     (a)生産価格に変化のない場合
     (b)生産価格が低落する場合    
     (c)生産価格が騰貴する場合
   C 農業における資本の蓄積と地代
    (1)優良地における追加投資の促進と制限
    (2)優良地の追加投資がその生産価格を市場調節価格たらしめる場合——最劣
       等地に生ずる差額地代(その一)
    (3)最劣等地における追加投資による新たなる市場調節価格の形成——最劣等
       地に生ずる差額地代(その二)
  三 絶対地代
   A 土地の私有と絶対地代
   B 絶対地代の源泉と限度——独占地代との相違
   C 土地の商品化
 第三章 利  子
  一 貸付資本
   A 商業信用
   B 銀行信用による信用制度の確立
    (1)銀行における資金としての貨幣の貸付資本化
    (2)銀行資本の利潤
    (3)銀行券発行の集中
   C 貸付資本と産業資本
    (1)利子率と利潤率
    (2)恐慌の必然性
    (3)利潤率均等化の媒介物としての貸付資本
  二 商業資本と商業利潤
   A 流通費用の資本化
   B 商業利潤 
   C 商業資本の倒錯性
  三 それ自身に利子を生むものとしての資本
   A 利潤の利子と企茶利潤への分割——株式会社制度
   B 資本の商品化
    (1)株式資本
    (2)土地価格
    (3)資本主義社会の物神崇拝的性格
   C いわゆる国民所得
  四 資本主義社会の階級性
あとがき
 解  説                   鈴木鶏一郎  



改訂版図解:

                               /\
                              それ自身に
                             /利子を生むものとしての
                            /_資本___\
                           /\      /\
                          /__\<利子>/商業資本と   
                         貸付資本と\ 流通\商業利潤
                        /_銀行資本_\資本の\/商業利潤と商業資本の倒錯性
        資本家的生産方法の内的矛盾の展開\       資本化    /\
                  ☆一般的利潤率の            /__\
                     低落の傾向\  <<分配論>> /絶対地代\ 
      生産力の増殖による超過利潤の追求 \一般的\生産価格と   /__\/__\
               利潤率の傾向的低下の法則/市場価格 差額地代と     /\
                  /__\<利潤>資本の競争 その資本形態<地代>/__\
          ☆剰余価値の利潤への転化\☆一般的利潤率の形成/としての\  /差額地代の
                /__\/__\/異れる/商品\/_第一形態_\/_第二形態_\

               /\        部門の 価格の               /\
              /  \     利潤形成の 生産価格の           社会総資本の
             /    \       形態 転化              /再生産過程
            /______\                        /__\/__\
           /\      /\         宇野弘蔵         /\<資本の  /\
          /  \<資本>/  \     <<<経済原論>>>   単純生産 \再生産過程>_\
         /    \  /    \                資本の再生産と\  /\拡張再生産 
        /______\/______\                /__\蓄積_\/資本家的蓄積の現実的過程
       /\              /\              /\              /\ 
      /  \            /  \       資本家的生産方法\            /__\
     /貨幣形態\  <<流通論>> / 貨幣 \          /の発展 \ <<生産論>>  /剰余価値の流通
    /__=価格_\        /______\  生産的労働の/______\        /__\/__\
   /\      /C一般的   /\      /\  社会的規定\<資本の  /\      /\<資本の  /\
  /  \<商品>/  価値形態 /  \<貨幣>/  \    /  \生産過程>  \    /__\流通過程>__\
商品の二要因\  /交換価値\  /価値尺度\  /流通手段\ 労働=生産過程  /価値形成\  資本の価値\  /資本の回転
/______\/=価値形態_\/としての貨幣\/としての貨幣\/労働_労働の\/=増殖過程_\/と流通費用_\/__\/__\
       A簡単なる B拡大されたる             過程 二重性                         

        価値形態  価値形態


  二 交換価値=価値形態
   A 簡単なる価値形態
   B 拡大されたる価値形態
   C 一般的価値形態
  三 貨幣形態=価格

上記は、ヘーゲルの論理学では質(その後で量へ移行)に対応する。  

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日曜日, 12月 01, 2013

『イワン雷帝』と形式化の極限:メモ(再掲)

             (リンク::::::::::


『イワン雷帝』
(及び『影武者』)と形式化の極限:メモ(再掲)
http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_1.html

http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/51758544.html
(上記ブログの再掲載)
NAMs出版プロジェクト: 孫子
http://nam-students.blogspot.jp/2016/09/blog-post_28.html



一般に現代では、ダブルバインド的状況は蔓延しており、そこでは「笑い」*が治療としてあるとさえ言える。
だが、そうした状況から逃避せずに、形式化を極限まで問いつめる柄谷のような思想家による著作があるし、映画ではエイゼンシュテインの『イワン雷帝』のような作品がある。(10ミニッツ・オールダーというオムニバス映画のゴダールの作品の最後のワンカットは『イワン雷帝』第二部のものだった、、、とはいえゴダールには権力という笑いと対になるべき主題とは無縁だが。)



これは、エイゼンシュテイン自身も分析しているシーンで、主人公の感情が受動的な悲しみから能動的な怒りへ展開するシーンである。
ジジェクも言及していたようにここにプーチンのプロトタイプを見出すことも出来るが、むしろ複数のモチーフの重なり合いを見出すべきだろう。

*注
ちなみに、ダブルバインドを笑いとして捉えた映画に、黒澤明の『影武者』がある。
この映画には以下のように3つほど笑いのシーンがあるが、これらは皆自己言及のパラドックスを笑ったものである。

1、家臣の山縣が赤い顔をして信玄に我を忘れるとは何事かと、自ら我を忘れて説教をする。
2、隊列を組む兵士が見事な隊列だと感嘆したとたんに、列を乱すなと他の兵から説教される。
3、侍大将入場のために、砂場の足跡を消していたふたりの使用人が、自分の足跡を消すのを忘れる。

理解されなかったとはいえ、これらはみな同一性の希求とその不可能性という映画本来のテーマと呼応するものである-----同様のシーンは『乱』にもあるが(狂阿弥=いたずら小僧が神様を「いたずら小僧」と罵る)、こちらは悲劇的トーンで描かれる。


Kagemusha (1980) Trailer