火曜日, 12月 30, 2014

戦車を駆る女王テオドラ


テオドラ (ユスティニアヌスの皇后) - Wikipedia

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%89%E3%

83%A9_(%E3%83%A6%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%

8B%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%9A%87%E5%90%8E)


Teodora, emperatriz de Bizancio, parte 1 (1954)

http://youtu.be/HQNI0XI36hQ


Teodora, emperatriz de Bizancio, parte 2 (1954)

http://youtu.be/mCu6bvmru8o


ビザンツ世界の歴史映画

http://heartland.geocities.jp/zae06142/bizantfiction.html


ビザンツ歴史映画「戦車を駆る女王テオドラ」

http://heartland.geocities.jp/zae06142/theodra.html
1954年フランス・イタリア製作・原題「Teodora, imperatrice di Bisanzio」。本作については、Weblioの映画情報に簡単なあらすじが 記載されていますし、他でも若干日本語のあらすじが記載されているサイトもあるようですが、vhsもdvdも英語版はなく、イタ リア語版のvhsが辛うじ て出回っている程度のようです。私は長らく、ソード・サンダル映画に偏見と先入観を持ってきましたが、本作で覆されてしまいまし た。今回ネットで見つけた 映画のうち、もっとも気に入った作品の一つなので、少し詳細を記載したいと思います。これは日本語字幕版dvdが出たら、 3000円程度以下なら絶対買い ますし、英語版dvdも再版して欲しいところです(ひょっとしたら、ヘラクレス映画のように、数十本まとめて20ドルくらいの dvd-boxに入って売ら れているのかも知れませんが。。。この内容でイタリア語版さえdvdが出ていないということは、版権が切れているのかも知れませ ん。他のGianna Maria Canale出演作はdvdやvhsが出ているのですから。あくまで推測ですが。)

 本作は、1時間半程度ですが、二部構成となっています。第一部は后妃となるまで、第二部は、ニカの乱を鎮めて安定した治世を出 発させる迄。下記は前半後半それぞれの、テオドラの活躍場面のカット。
 戦車競技に出場してしまうテオドラ。

 ニカの乱を鎮めるべく、バルコニーから反乱軍に演説するテオドラ。

 




北川景子 悠久の都 トルコ イスタンブール~2人の皇后 愛の軌跡を辿る~ - Gガイド.テレビ王国

http://tv.so-net.ne.jp/schedule/200181201412302100.action

女優・北川景子が数千年の時を超えて、帝国の皇帝を支えた美しく強い妻たちの軌跡を辿るドキュメンタリー。皇帝に愛された2人の女性に着目しながら神秘的な街を紹介する。

番組詳細

女優・北川景子が初めて訪れた国トルコ、ユネスコ世界文化遺産に登録されたイスタンブール。この国に、歴史を変えてしまうほどの大恋愛が二度もあった。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代に生きたトルコのクレオパトラと言われる「テオドラ」と、オスマン帝国時代の「ヒュッレム」、皇帝に愛された女性が皇帝の心をも変え、さらに国を動かしていく。数千年の時を超えて、2人の女性の息遣いの残るイスタンブールを辿るドキュメンタ リー。民衆に愛され、現代もトルコの人々に支持されているテオドラ、そしてヒュッレムとは、どんな人物だったのか? 帝国の皇帝を支えた、美しく強い妻たち。『愛の物語』がなかったらトルコの大帝国はあったのだろうか? イスタンブールに残る文献や美術品からひも解いていく。番組では、夫が絶大な権力を握るまでを支えた妻たちの軌跡を辿る。大帝へと導いた女としての手練手管、そして現代に至るまでトルコで愛されている2人 の女性の魅力を描いていく。難攻不落の首都と言われたコンスタンティノープルを守り続けた城壁、ビザンチン帝国ユスティニアヌス帝が再建したアヤソフィア大聖堂などを見学し、世界3大料理と言われるトルコ料理も堪能する。皇帝に愛された2人の女性に着目しながら、アジアとヨーロッパの建築様式を感じる神秘的な街を紹介。北川景子と共に巡る、美しいイスタンブールの情景もお楽しみに。

HD 16:9 コピー可


日曜日, 12月 28, 2014

20141229 古事記の世界







影響その他編集

アンドロメダー (エドワード・ポインター

アンドロメダーの物語は日本・欧米ともによく知られている。アンドロメダーを描いた絵画が残り、アントニオ・ヴィヴァルディは「救われたアンドロメダ」というセレナータを作曲している。

アンドロメダーが生け贄になった時の状態は、裸体だった(裸にされて海岸に据えられた)という設定と、着衣だった(白い服の着用など。なお、この衣服も他のギリシア神話の人物と同じような形で、古代アフリカ人の衣服ではない)という設定がある。名画などでは前者の設定が多く、生け贄としての姿は全裸のものが多い。しかし、映画作品・星座物語(書籍・プラネタリウムなど)のストーリー・絵を伴うアンドロメダ座の星図では着衣であることが多い。なお彼女は白人の姿で描かれることが多いが、エチオピア王国の王女ということから黒人と看做されるのが神話時代からの定説である[3]

アンドロメダ型神話編集

英雄が、強力な怪物と戦って女性を救い出すという神話の定型の一つ。ペルセウス型神話、ペルセウス・アンドロメダ型神話ともいわれる[要出典]

アンドロメダ型神話の例

番組情報
『古事記の世界』
CGアニメでひも解く日本誕生物語
『古事記の世界』




ドキュメンタリー/教養
■12月29日(月) 10:00~10:55【第1話】
■12月30日(火) 10:00~10:55【第2話】
■12月31日(水) 10:00~10:55【第3話】
■ 1月 1日(木) 10:00~10:55【第4話】
■ 1月 2日(金) 10:00~10:55【第5話】
■ 1月 3日(土) 10:00~10:55【第6話】

みどころ

【今回の放送日時】 2014年12月29日(月)10:00~10:55

 私たち日本人はどのようにして生まれ、どこへ向かおうとしているのか。その答えが1300年前に生まれた日本最古の歴史書「古事記」にある。
 ドラマティックな「古事記」の物語のハイライトを3DCGアニメーションで紹介。そこに秘められた様々な「謎」をスタジオトークで紐解いていく。
 また、紀行パート「古事記の旅」では、今も残る「古事記」神話の里を訪ね、土地にまつわる伝説・民話や祭りと共に、今も残る雄大な自然・風景を美しい映像でお届け。
昨年6月に放送した第1話【国生み】、第2話【黄泉の国】に引き続き、今回は下記の内容でお送りする。

 

■第1話「国生み」~日本はこうして誕生した~ 12月29日(月) 10:00~10:55
 イザナミの出産によって誕生する日本の国土、そして2人の神によって作り出されるありとあらゆる神々の物語をアニメーションで紹介。
 紀行編では、日本のはじまりの島といわれる瀬戸内海の小島「オノゴロ島」、イザナキとイザナミがその周りを回って国土を生んだ「天の御柱」と伝えられる奇岩など、古事記ゆかりの地を紹介する。

■第2話「黄泉の国」~日本人の死生観に迫る~ 12月30日(火) 10:00~10:55
 夫・イザナキノミコトとともに国土を生み、様々な神々を生んできたイザナミノミコトが亡くなり、その死を悼むイザナキが、死者が住む黄泉の国へイザナミを訪ねるところから始まる。
 紀行では、島根県「黄泉平坂」(よもつひらさか)と言われる場所や、イザナキノミコトが祭られた日本最古の神社の一つを紹介する。

■第3話「天の岩屋 ~姉弟神の対決~」 12月31日(水) 10:00~10:55
 高天の原(たかまのはら)を治める姉・天照大御神(あまてらすおおみかみ)と、弟・スサノヲノミコトが対峙した「誓約(うけひ)」とは何か?紀行パートでは、アメノウヅメが舞い踊る「天の岩屋」の舞台となった宮崎県・高千穂を訪れる。

■第4話「八俣大蛇 ~英雄の誕生~」 1月 1日(木) 10:00~10:55
 高天の原を追放され地上に降り立ったスサノヲノミコトは、恐ろしいヲロチに生け贄にされようとする娘に出会う。ヲロチ退治を引き受けたスサノヲノミコトの策略とは?稲羽のシロウサギを助ける大国主神(オオクニヌシノカミ)も登場。二柱の神を通して日本人の英雄像を考察する。

■第5話「根の堅州国(ねのかたすのくに)~新たなる試練~」 1月 2日(金) 10:00~10:55
 兄である八十の神々に命を狙われるオホナムヂの神(後の大国主神)。逃れた根の堅州国でスサノヲノミコトの娘と恋に落ちる。スサノヲノミコトがオホナムヂに課した、「王者」になるための数々の試練とは?紀行では、神の力が宿る石「翡翠」の原郷、新潟県・糸魚川を訪ねる。

■第6話「国譲り ~日本国成立~」 1月 3日(土) 10:00~10:55
 試練を乗り越え、地上の王となった大国主神に、天照大御神を始めとする高天の原の神々は、国を引き渡すよう迫る。大国主神の下した決断とは?日本を二分した戦いの謎とは?

 

<放送スケジュール>
■12月29日(月) 10:00~10:55【第1話】
■12月30日(火) 10:00~10:55【第2話】
■12月31日(水) 10:00~10:55【第3話】
■ 1月 1日(木) 10:00~10:55【第4話】
■ 1月 2日(金) 10:00~10:55【第5話】
■ 1月 3日(土) 10:00~10:55【第6話】


キャスト

ホラン千秋
里中満智子(漫画家)
三浦佑之(立正大学 教授)


表示マーク
マークについて:字幕放送、二ヶ国語放送、5.1ステレオ放送、データ放送、3D放送


20141229 曹操と孔明


参考:

同シリーズ

古代中国 よみがえる伝説「項羽と劉邦 王者の条件」 -14.04.25-—在线播放—优酷网,视频高清在线观看

http://v.youku.com/v_show/id_XNzAzODc5MDA0.html 


項羽と劉邦 四面楚歌

http://youtu.be/7jlU6Jd9xGA


古代中国 よみがえる伝説「曹操と孔明~乱世の英雄 知られざる素顔~」 ステレオ 字幕放送


チャンネル:BSプレミアム
放送日時:2014年3月22日(土)
午後9:00~午後10:00(60分)12月29日再放送
ジャンル:ドキュメンタリー/教養 > 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 > 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 > カルチャー・伝統文化
番組内容
古代中国を彩る英雄たちの伝説を、新発見の発掘などから探る3回シリーズ。第1集は、奸臣・曹操に悲劇の名軍師・諸葛孔明が挑む三国志の物語。吉川晃司が意外な実像に迫る
詳細
考古学の発掘ラッシュで、古代中国を彩る英雄たちの伝説が、新たな歴史の真実としてよみがえろうとしている。3回シリーズの第1集は、奸臣・曹操に悲劇の名軍師・諸葛孔明が挑む三国志の物語。実は私たちが知るエピソードの多くは、後の時代に脚色された物語にすぎない。ところが曹操墓が発見され、遺骨などの映像が外国メディアに初めて公開された。曹操と孔明の知られざる実像に迫る。旅人は中国史が人生の指南役と語る吉川晃司




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D
建安元年(196年)1月、荀彧と程昱の勧めに従い、長安から逃げてきた献帝を迎え入れるために、曹洪に献帝を迎えに行かせたが、董承に妨害された。同年2月、豫州西部の汝南、潁川に割拠していた黄巾賊の黄邵劉辟何儀らを破り、建徳将軍に任命された。同年6月、鎮東将軍に昇進し、費亭侯に封じられた。同年7月、洛陽に赴き、首都を守護したため、韓暹は逃亡した。献帝は曹に節鉞を仮し与え、録尚書事とし、司隷校尉も担当させた。同年9月、董昭の策略を用いて、献帝を自らの本拠である許昌に迎え入れた。献帝は曹操を大将軍とし、武平侯に封じた。同年10月、政敵の楊奉を討伐して、後漢政府から追放したため、楊奉は袁術のもとへ逃走した。曹操は大将軍を袁紹に譲り、自らは司空車騎将軍に任命された。またこの年、曹操は棗祗韓浩らの意見を採用して、屯田制を開始している。

中国[編集]

前漢武帝は、辺境地帯を防衛する兵士に農耕を行わせた(軍屯)。後漢末期に徐州陶謙陳登を典農校尉に任じて屯田のことを行わせ、続いて196年には曹操は、韓浩棗祗らの提言に従って屯田制を導入した。これは、辺境地帯でなく内地において、荒廃した田畑を一般の人民にあてがって耕作させるもの(民屯)で、当初は許都の周辺で行われ、のち各地に広まった。屯田制下の人民は、各の典農中郎将、各の典農都尉によって、一般の農村行政とは別に軍事組織と結びついた形で統治された。司馬懿の提言で、長期にわたる抗争を繰り広げていたそれぞれの国境付近(淮河流域、関中)でも軍屯が展開され、これにより安定した食糧供給を維持した魏は、両国との争いを有利に進めた。晋の時代になると民屯が廃止され、軍屯のみが残った。こうした国家土地・人民を直接に管理支配しようとする試みは、のちの均田制にも通じるものであったといえる。

こうした軍戸制は、モンゴルの千戸制を模した組織を作ろうとした元代の漢人部隊で復活し、明代になるとより大々的に実施され今日では衛所制と言われている。また軍隊が、必要応じて耕作する、という意味での広義の屯田は、唐宋以後も、清に至るまで、特に辺境防衛の兵糧確保の手段として、しばしば行われている。


益州南部の平定[編集]

劉禅が帝位に即くと、諸葛亮は武郷侯・開府治事・益州刺史になり、政治の全権を担った。 諸葛亮は孫権が劉備の死去を聞けばたぶん異心を抱くだろうと深く心配していたが、鄧芝を派遣して孫権との友好関係を整え、孫権は魏との関係を絶ち、蜀と同盟し、張温を派遣して返礼させた。さらに、魏に対する北伐を企図する。魏は、諸葛亮が実権を握ったのを見て、華歆王朗陳羣・許芝、同族の諸葛璋ら高官が相次いで降伏勧告の手紙を送りつけたが、諸葛亮は返事を出さず後に「正議」を発表し彼らを批判した。

益州南部で雍闓高定らが反乱を起こすが、諸葛亮は建興3年(225年)に益州南部四郡を平定。この地方の財物を軍事に充てた。この時、七縱七禽の故事があったともいわれるが、本伝には見えない(詳しくは孟獲の項を参照)。


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噫吁戲危乎高哉
蜀道之難難于上青天
蚕叢及魚鳧
開國何茫然
爾來四萬八千歳
不與秦塞通人煙
西當太白有鳥道
何以橫絶峨眉頂
地崩山摧壯士死
然后天梯石棧相鉤連

噫吁戲(ああ) 危ふきかな高い哉
蜀道の難きは青天に上るよりも難し
蚕叢と魚鳧(ぎょふ)と
開國 何ぞ茫然たる
爾來 四萬八千歳
秦塞と人煙を通ぜず
西のかた太白に當りて鳥道有り
何を以てか峨眉の頂を橫絶せん
地崩れ山摧けて壯士死す
然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す

現代語訳

ああ、なんと危ういことよ険しいことよ。
蜀道の険しさといったら、晴天に登るよりも大変なほどだ。

蚕叢と魚鳧が開国した頃のことは今では知りようもなく、
それ以来四万八千年の月日が流れているが、境を接する秦国と人の行き来はなかった。

西方の太白には鳥の通う道があるが、それも峨眉山の頂には達していない。

地が崩れて山がくだけ、ここを通る多くの壮士が死んだ。
そんなことがあってから天に登る梯子と吊り橋がかけられたのだ。


蜀への道の険しさを歌った詩です。「ああ危ういかな難いかな」の出だしが、すごく気持ちよかったです。だいぶ気合の入った朗読が録れたと思います。

蜀は周囲を険しい山に囲まれ、外部から隔絶された世界でした。(だから孔明はすでに強い勢力を持っている魏、呉と争うのを避け、蜀の地に国を作りなさいと劉備にすすめた。)

【峨眉山】は四川省峨眉の東南にあるけわしい山。仏教や道教の聖地として知られます。李白の詩では「峨眉山月の歌」が有名です。

朗読:左大臣

蜀道の険(しょくどうのけん)は、戦国時代の恵王が王を騙して敷かせた道。

蜀道とは漢中から成都への桟道の事を指す。李白が「蜀道の難は、青天に上るよりも難し」と歌ったほどの難所であった。 中でも、垂直に切り立った肌に取り付く蜀の桟道は、現在は観光名所として知られる。



諸葛亮 - Wikipedia

諸葛亮

孔明」はこの項目へ転送されています。 .... 周囲ではこれを笑って「孔明の嫁選びを真似 てはいけない」と囃し立てたという。 ..... 元戎(『魏氏春秋』によれば、この弩は十本の矢 を同時に発射することができた)・一説には一輪車の起源とさ...

略伝-書生時代-三顧の礼-赤壁の戦い

横山光輝「三国志」 - 潮出版社

若武者・姜維に策を見抜かれ、生まれて初めて敗北を味わった孔明は、姜維を味方 につけようと動きだす。天水城に夜襲をかけた孔明は、暗闇の中に姜維そっくりの兵士を 登場させ、姜維を反逆者に仕立てあげる。行き場を失った姜維は蜀に帰順 .... 孔明は 食糧を運ぶ一輪車「木牛流馬」を作り、仲達の作戦をくつがえす。魏軍は木牛流馬に しかけが ...

会報--南船北馬第78期 - nifty

噫吁戯危乎高哉/蜀道之難難於上青天 (ああああ危ういかな高いかな、 蜀道の難きは 青天に上るよりも難い)。 ... てこずった挙句、孔明が考案したと伝えられる運搬道具で、 詳細は図として残っていないので推測の域を出ないが、どうやら一輪車のようである。

策略・兵法

孔明のものが多いため人物別にまとめようとも思いましたが物語の順のほうが流れが わかりやすそうなのでこうしました。 他にも「これは名 ... へ 孔明(蜀) 曹操への降伏を 考えている呉の周瑜に孔明が「絶世の美女という喬公の姉妹を曹操は手に入れたいと 言っている。 ..... 孔明(蜀) 六度目の北伐の際に造った、兵糧を運ぶ牛の形をした一輪車 。 道 ...


参考:

同シリーズ

項羽と劉邦 四面楚歌

http://youtu.be/7jlU6Jd9xGA

http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-40363.html?no=40347


土曜日, 12月 27, 2014

存在論的リスト、『差異と反復』より(ドゥルーズ:メモ)


  (リンク::::::::::『差異と反復』アンチ・オイディプスノート本頁

存在論的リスト、『差異と反復』より(ドゥルーズ:メモ)

http://nam-students.blogspot.jp/2014/12/blog-post_27.html@


ドゥルーズ『差異と反復』はドゥルーズ流哲学史だ。シュミラクルのシステムもデカルト(5)→スピノザ(4)→ライプニッツ(1,2,3)→ヘーゲル(6)→ニーチェ(7)の順に解釈及び書き換え可能だ(ベルクソンの逆円錐は全体のモデルとしては有効だが、横からではなく上下から見る形が重視される)。


《要するに、見せかけ(シュミラクル)のシステムは、表象=再現前化の諸カテゴリーとは、はじめから、きわめて異なるように思われる諸概念によって、記述されなければならないのだ。
(1)諸強度〔差異〕がそこで組織される、深さ、スパティウム〔強度的空間〕。
(2)諸強度によって形成される、齟齬する諸セリー、諸強度によって描き出される、個体化のもろもろの場(個体化の諸ファクター)。/
 (3)諸強度を連絡の状態に置く、「暗き先触れ」。/
(4)カップリング、内的共鳴、そこから生じる強制運動。
(5)そのシステムにおける受動的自我と幼生の主体との構成、および、時-空的純粋力動の形成。
 (6)そのシステムの二重の異化=分化を形成し、それらのファクターを覆ってくる、質と広がり、種と部分。
 (7)質と延長が展開された世界において、それでもなおその諸ファクターの執拗な持続を証示する、包み込みの中心。
見せかけ(シュミラクル)のシステムは、発散〔分岐〕と脱中心化を肯定する。》
邦訳単行本『差異と反復』412~3頁、結論、見せかけ、より

《まずは(1)と(2)の概念が創造の母胎、/
(3)の概念が媒介者、/
(4)から(7)が生起のメカニズムという点を押さえればよい。》
哲学の歴史、鈴木泉640頁


1,2ニーチェ

4スピノザ

5デカルト

3,5,7文学



1,2,3,6,7ニーチェ

4,スピノザ

5,デカルト


(5)そのシステムにおける受動的自我と幼生の主体との構成、および、時-空的純粋力動の形成。【デカルト】
(4)カップリング、内的共鳴、そこから生じる強制運動。【スピノザ】*
(1)諸強度〔差異〕がそこで組織される、深さ、スパティウム〔強度的空間〕。
(2)諸強度によって形成される、齟齬する諸セリー、諸強度によって描き出される、個体化のもろもろの場(個体化の諸ファクター)。【ライプニッツ?】***
 (3)諸強度を連絡の状態に置く、「暗き先触れ」。
 (6)そのシステムの二重の異化=分化を形成し、それらのファクターを覆ってくる、質と広がり、種と部分。【ヘーゲル?】
 (7)質と延長が展開された世界において、それでもなおその諸ファクターの執拗な持続を証示する、包み込みの中心。【ニーチェ】
見せかけ(シュミラクル)のシステムは、発散〔分岐〕と脱中心化を肯定する。》
邦訳単行本『差異と反復』412~3頁、結論、見せかけ、より


The ontological list

1the depth or spatium in which intensities are organized; 2the disparate series these form, and the fields of individuation that they outline (individuation factors); 3the “dark precursor” which causes them to communicate; 4the linkages, internal resonances and forced movements which result; 5the constitution of passive selves and larval subjects in the system, and the formation of pure spatio-temporal dynamisms; 6the qualities and extensions . . . which form the double differenciation of the system and cover over the preceding factors; 7the centres of envelopment which nevertheless testify to the persistence of these factors in the developed world of qualities and extensities.

Intensive Science and Virtual Philosophy (Bloomsbury Revelations) 
by Manuel DeLanda
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 まず『差異と反復』の全体像を把握するためにドゥルーズ自身の言葉をみる。

 《差異は、表象=再現前化の諸要請に服従させられているかぎり、それ自身において思考されていないし、それ自身において思考される可能性もない。<差異は「つねに」それらの諸要請に服従させられていたのか、そうだとすればどのような理由で>という疑問は、当然注意深く検討してみるべきものである。しかし、純然たる齟齬するものたちが、わたしたちの表象=再現前化的な思考には近づくことのできない或る神的な知性の天上の彼岸を、あるいは非類似の《大洋》の、わたしたちには測深できない手前にある冥府を形成しているということも明らかである。いずれにせよ、それ自身における差異は、その差異を思考されうるものに仕立てあげてしまうような、異なるものと異なるものとのあらゆる関係を拒絶するように思われる。まさしく思考されうるものへと、それ自身における差異が生成するのは、飼い馴らされる場合、すなわち、表象=再現前化の四重の首伽〔諸要請〕──概念における同一性、述語における対立、判断における類比、知覚における類似──に服従される場合でしかないと思われる。》(『差異と反復』結論、冒頭391頁)

別訳:
《(1)諸強度(=内包量)がそこで組織される強度的(=内包量)空間(スパティウム)
 (2)諸強度(=内包量)が形成する齟齬する諸系列(セリー)、諸強度(=内包量)が描き出す、個体化のもろもろの場(個体化の諸要因)/
 (3)諸強度(=内包量)を交通させる暗き先触れ/
 (4)そこから生じるカップリング、内的共振、強制運動
 (5)システムにおける受動的自我と幼生的主体との構成、および時-空的純粋ダイナミスムの形成
 (6)システムの二重の分化=差異化を形成し、先の諸要因を覆う、質と広がり、種と部分
 (7)質と延長が展開された世界において、それでもなお、それらの諸要因の執拗な持続を告げる包み込みの中心。…
…まずは(1)と(2)の概念が創造の母胎、/
(3)の概念が媒介者、/
(4)から(7)が生起のメカニズムという点を押さえればよい。》(哲学の歴史、鈴木泉639~640頁)

上記前半部分は、邦訳単行本『差異と反復』412~3頁、結論、見せかけ、とは別訳。

The ontological list

1the depth or spatium in which intensities are organized; 2the disparate series these form, and the fields of individuation that they outline (individuation factors); 3the “dark precursor” which causes them to communicate; 4the linkages, internal resonances and forced movements which result; 5the constitution of passive selves and larval subjects in the system, and the formation of pure spatio-temporal dynamisms; 6the qualities and extensions . . . which form the double differenciation of the system and cover over the preceding factors; 7the centres of envelopment which nevertheless testify to the persistence of these factors in the developed world of qualities and extensities.

Intensive Science and Virtual Philosophy (Bloomsbury Revelations) 
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《 (1)諸強度〔差異〕がそこで組織される、深さ、スパティウム〔強度的空間〕。
  (2)諸強度によって形成される、齟齬する諸セリー、諸強度によって描き出される、個体化のもろもろの場(個体化の諸ファクター)。
  (3)諸強度を連絡の状態に置く、「暗き先触れ」。
【ライプニッツ】
 (4)カップリング、内的共鳴、そこから生じる強制運動。【スピノザ】
(5)そのシステムにおける受動的自我と幼生の主体との構成、および、時-空的純粋力動の形成。【デカルト】
   (6)そのシステムの二重の異化=分化を形成し、それらのファクターを覆ってくる、質と広がり、種と部分。【ヘーゲル】
    (7)質と延長が展開された世界において、それでもなおその諸ファクターの執拗な持続を証示する、包み込みの中心。【ニーチェ】
 見せかけ(シュミラクル)のシステムは、発散〔分岐〕と脱中心化を肯定する。》
(邦訳単行本『差異と反復』412~3頁、結論、見せかけ、より)

【】内には引用者が恣意的に哲学者名を入れた。間違っているかもしれないが、『差異と反復』を哲学史として読む試みの一環である。数字は時系列ではない。遡行した後再び流れ出す。この哲学史は思考のモデルになる。《…まずは(1)と(2)の概念が創造の母胎、(3)の概念が媒介者、(4)から(7)が生起のメカニズムという点を押さえればよい》(鈴木泉、哲学の歴史、639~640頁)。アガンベンの図も参考になる。


以下、
アガンベンの『思考の潜勢力(La Potenza del pensiero)』の最後で紹介されている哲学史的見取り図(邦訳単行本では、雑誌掲載時と違いニーチェとドゥルーズとの間に線が追加訂正されている)。

   超越           内在

  カント          スピノザ
    |            |
  フッサール        ニーチェ
      \       /  |
        ハイデガー    |
       /     \   |
レヴィナス、デリダ   フーコー、ドゥルーズ


 TRASCENDENZA                    IMMANENZA


                      Kant                    Spinoza

                       |                           |

                Husserl                     Nietzsche

                           \                    /     |

                              Heidegger       |

                           /                    \     |

     Lévinas, Derrida                  Foucault, Deleuze



《Se tale è la ricchezza e, insieme, l'ambiguità contenuta nel diagramma testamentario L'immanence: une vie..., la sua assunzione come compito filosofico implicherà retrospettivamente la ricostruzione di un tracciato genealogico che distingua chiaramente nella filosofia moderna – che è, in un senso nuovo, in gran parte una filosofia della vita – una linea dell'immanenza da quella della trascendenza, secondo uno stemma approssimativamente di questo tipo: 》(Pagina 377 L'immanenza assoluta )


「(略)彼(引用者注:ドゥルーズ)の遺書を哲学の使命として引き受けるとともに、近代哲学
〜その大部分は、新たな意味での「生の哲学」である〜を内在の線と超越の線ではっきり区別す
るような系譜図を遡及的に再構成してゆくという仕事も、その一端として必然的に課されるので
ある。それはたとえば、このような概略的な系統図が目安になるだろう。」
(アガンベン「絶対的内在」邦訳『現代思想2002.8』邦訳改訂版『思考の潜勢力』再録

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ドゥルーズ『批評と臨床』より


 第5章 カント哲学を要約してくれる四つの詩的表現について          


1「〈時間〉の蝶番がはずれている……」        

──シェイクスピア『ハムレット』第一幕第五場 

…『純粋理性批判』とは、北方の王子たるハムレットの本なのだ。カントは、この逆転の全射程を把握することを可能にする歴史的状況の中にいる。…[邦訳単行本『差異と反復』第2章146頁参照]


2「〈私〉とは他者である……」        

──ランボー、一八七一年五月イザンバール宛て書簡、        

一八七一年五月十五日ドゥムニー宛て書簡。

…概念─対象関係はカントにおいても存続しているが、それは、もはや鋳造[moulage]ではなく変調[modulation]を構成するような〈私─自我〉関係によって二重化されているのである。…[邦訳『シネマ2』第6章213~4頁参照]


3「認識できぬ法の数々によって支配されるのは、何たる刑苦であることか! 

……というのも、それらの法の性質は        

かくしてその内容について秘密を要求するからである」

──カフカ『万里の長城』*

…『実践理性批判』において、カントは法と〈善〉の関係の逆転を行なっており、かくして、純粋にして空虚な単一性にまで法を押し上げている。〈法〉の告げることが善であり、善は法に従属するのであって、その逆ではない。…[*邦訳『カフカ』(第五章87頁^)185頁の訳者解説によると、「法の問題について」(「掟の問題」邦訳『カフカ・コレクション ノート2』147~8頁)が正確な出典元。]


3「あらゆる感覚の錯乱[dérèglement]によって未知なるものへ        

到達すること、……それも、長く、広大で、熟慮にもとづいた、        

あらゆる感覚の錯乱によって」

──ランボー、前掲書簡。

…不協和音の解放、不調和な調和──これこそが、『判断力批判』の偉大なる発見であり、カントの最後の転倒である。…[錯乱については同じく『批評の臨床』第1章「文学と生」に《文学は錯乱である。だが、錯乱は父─母にかかわる事態ではない。民衆=人民、人種、部族の数々を経由せず、世界史に憑依しないような錯乱は存在しない。あらゆる錯乱は歴史─世界的なものであり、「人種と大陸の数々の移動」なのである。文学とは錯乱である。そしてこの資格において、それはみずからの運命を錯乱の二つの極のあいだに賭ける。》とある。]


ハムレットとオイディプスはアンチノミーの関係だ。


「…してみると、カント哲学はもしかして、オイディプスの後継者ではないだろうか。」(財津訳『差異と反復』、単行本版、p.144)。


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ドゥルーズと柄谷にあって吉本にないもの、それはカント**への遡行である。


 「カント哲学を要約してくれる四つの詩的表現について」(ドゥルーズ『批評と臨床』より)

1「〈時間〉の蝶番がはずれている……」──シェイクスピア『ハムレット』第一幕第五場 
《…『純粋理性批判』とは、北方の王子たるハムレットの本なのだ。カントは、この逆転の
全射程を把握することを可能にする歴史的状況の中にいる。…》

2「〈私〉とは他者である……」──ランボー書簡。
《…概念─対象関係はカントにおいても存続しているが、それは、もはや鋳造[moulage]
ではなく変調[modulation]を構成するような〈私─自我〉関係によって二重化されて
いるのである。…》

3「認識できぬ法の数々によって支配されるのは、何たる刑苦であることか! 
……というのも、それらの法の性質はかくしてその内容について秘密を要求する
からである」──カフカ『万里の長城』***
《…『実践理性批判』において、カントは法と〈善〉の関係の逆転を行なっており、かくして、
純粋にして空虚な単一性にまで法を押し上げている。〈法〉の告げることが善であり、善は
法に従属するのであって、その逆ではない。…》

3「あらゆる感覚の錯乱[dérèglement]によって未知なるものへ
到達すること、……それも、長く、広大で、熟慮にもとづいた、
あらゆる感覚の錯乱によって」──ランボー、前掲書簡。
《…不協和音の解放、不調和な調和──これこそが、『判断力批判』の偉大なる発見であり、
カントの最後の転倒である。…》

この場合、カントはアソシエーションと同義だ。カントは自律性を模索した。吉本の自立に自律性はなかった。

***邦訳『カフカ』(87^)185頁の訳者解説によると、「法の問題について」が正確な出典元。


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第17章 スピノザと三つの『エチカ』


《『エチカ』は三つの要素を呈示している。それらは内容であるのみならず、表現の形式でもある。すなわち、〈記号〉あるいは情動[affect]、〈概念〉あるいはコンセプト[concept]、〈本質〉あるいは知覚対象[percept]がそれである。これらは認識の三つのジャンルに対応しており、このジャンルとは、実存および表現の様態でもある。》


《スピノザがライプニッツから本質的に区別されるのは、ライプニッツが、バロック的インスピレーションに近いと言うべきだが、〈暗きもの〉(《fuscum subnigrum》)のうちに、ある母胎を、ある前提を見てとるから──明─暗が、さまざまな色彩が、そして光さえもがそこから生じてくることになる、そんな母胎を、前提を見てとるからである。スピノザにおいては、反対に、すべては光であり、〈暗きもの〉も影にすぎない。》


《様態とは投影=射影のことである。…

 光の投影としての様態は、同様にして色彩であり、色彩を与える原因である。さまざまな色彩は補完性とコントラストの関係に入り、この関係は、一つひとつの色彩が限界においては全体を構成し、またすべての色彩が組み合わせの秩序にしたがって、あるいは、そこから分解の秩序へと抜け出すことによって、白(無限の様態)のうちに再び結び合うようにするのである。》


《…証明三〇は、一種の崇高な三角形を──だが点描で──描いている。その頂点が光の形象(私、〈世界〉、そして神)であり、距離としてのその辺が、今度は最大のものとして開示される絶対的速度で踏破される、そんな崇高な三角形を。第五部の特殊な性質、先行する部の方法を乗り越えるそのやり方が差し向けるのはつねにここだ。すなわち、光の諸形象の絶対的速度。

  諸々の定義、公理、公準、証明、そして系からなる『エチカ』は、みずからの流れを展開する大河─としての書物である。だが、注解の数々からなる『エチカ』は、火の、地下に隠れた書物である。第五部の『エチカ』は大気の、光の書物であり、稲妻によってそれは事を行なうのだ。記号の論理、コンセプトの論理、本質の論理。すなわち〈影〉、〈色彩〉、〈光〉。三つの『エチカ』のそれぞれは、その本性の差異にもかかわらず、他のものと共存し、他のものの中にみずからを延長している。それは唯一にして同じ世界なのだ。たがいを隔てる空虚を踏み越えるために、それぞれがブリッジを差し伸べているのである。》


http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p30

 定理三〇 我々の精神はそれ自らおよび身体を永遠の相のもとに認識する限り、必然的に神の認識を有し、また自らが神の中に在り神によって考えられることを知る。

 証明 永遠性とは神の本質が必然的存在を含む限り神の本質そのものである(第一部定義八により)。ゆえに物を永遠の相のもとに考えるとは、物を神の本質を通して実在的有として考えること、すなわち物をその存在が神の本質の中に含まれているとして考えることである。したがって我々の精神はそれ自らおよび身体を永遠の相のもとに考える限り必然的に神の認識を有し、また自らが神の中に在り云々。Q・E・D・


吉本隆明はマルクス主義の行き詰まりをヘーゲルに遡行することで打開しようとしたわけだから、比較すべきはドゥルーズではなくて同様の試みをしているジジェクだ。反反核などは戦前の科学観への回帰だが、ジジェクのレトリックと同種で、政治主義的な倒錯なのだ。ヘーゲルからは保守も革新もとり出せるという一例だ。
ドゥルーズは68年の敗北を哲学的に回収したと言えるが、実は本人的には第二次大戦が大きい(だから『シネマ』が主著と言える)。吉本も同じだが、日本にはコジェーヴにあたる人がいないから状況的には孤立して、哲学的な深化は無理だった。吉本の思考は最近の柄谷が受け継いでいてこちらは倒錯ではない。

柄谷にあって吉本にないのはカントへの遡行だ(この場合のカントはアソシエーションと同義だ)。ドゥルーズもカントやハイデガーなど一見敵側に思える哲学者に関する論考が優れている。敵の歌を歌うのが上手いのだ(柄谷のカント賛美は本気だが)。ベルグソンとは資質的に異質だ…方向が違うと言うべきか? 連続ではなく離散的なのだ。ドゥルーズのカント論稿はレトリカルな部分もあるが哲学史を押さえているので筋が通っている。

柄谷がドゥルーズの哲学にスピノザを見たのは正しい。観念と概念を十字に見たのだが、スピノザの場合これは観念を頂点とする三角形になる。概念は観念(頂点)と向かい合う辺になる(バーバラ・ミント流のピラミッド↓になる)。こうしてできたレンズに光を通す写像は次の段階である。吉本はスピノザにヘーゲル以前の神学を見出すが(ハイイメージ論2)これはネグリ以前の認識で起成原因に着目した柄谷に及ばない。吉本は文学作品は読めるが思想に興味はないのではないか?ヘーゲルのスピノザ論を真に受けただけかもしれないが。



***
■ライプニッツ著作集 第II期[1]哲学書簡  酒井潔+佐々木能章監修  2015年3月 刊行予定 
 電話もeメールもない時代に1300人もの哲学者・数学者・神学者、さらには政治 
 家や貴婦人たちと手紙を交わしていたライプニッツ。書簡を精選し、バロックの 
 哲人の思想形成プロセスを甦らせる。待望の『ライプニッツ著作集 第II期』全3巻、ついに刊行開始。 

  チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』  
             ______|________はじめに:
        差異__|__反復             |/同一性
     ___|__     |序論:    差異の哲学 / の哲学
    |      |  反復と差異     ハイデガー/|ヘーゲル
 一: |      |  __|_反復と         |美しき魂
 それ自身における差異| |   一般性の区別 反復=イデア|
    |      | |  __|__    普遍性  |
 ショーペンハウアー | | |  |  |  一 | 特 |
    |      | |行動  法  概念 般ー十ー殊 |
    | アリストテレス|    /  |  性 | 性 |
    |   類的差異、|キルケゴール_|_  単独性  |
    |  カテゴリーと|    _|_  |      |
    |   種的差異 |   |   | 留保(阻止) |
    |      | |  着衣___裸        |
 一義性と差異    |(時間)リズム| 拍子(空間)   |
 スコトゥス、    | |     |          |
 スピノザ、     | |   二:|     ヒューム |
 ニーチェ      | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
    | ライプニッツ |___時間の総合 デカルト   |
    |ヘーゲル、カント      |    カント☆  |
    |______|      現在__過去__円環  |
       |     マルクス  |   |   |  |
     ハイデガー   フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
 プラトン『ソピステス』    見せかけ   |______|デカルト
       |     理念     ベルクソン|   カント
 四:差異の理念的総合 =多様体  三:思考のイマージュ プラトン
    カント|_________________|障害としての諸公準 256頁
 ライプニッツ         |         /自然的or哲学的
 微分       五:感覚されうるものの___    
   潜在的      非対称的総合      |      表象批判
 可能的+実在的  他者 /良識、共通感覚  結論:差異と反復 存在=
   現働的     ダーウィン           ニーチェ 差異
        個体的差異 個体化 強度の  一義性を永遠回帰における
         強度的 巻き込み  特徴   反復として実現すること 449頁

種的差異アリストテレス63頁
類的差異
個体的差異ダーウィン371頁

習慣156頁
良識208,336,339頁 

マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁

 __________

目次図☆☆☆、→シネマ1シネマ2アンチ・オイディプス千のプラトー 
0=はじめに、
  序 論:反復と差異 
1=第1章:それ自身における差異
2=第2章:それ自身へ向かう反復 ☆
3=第3章:思考のイマージュ 
4=第4章:差異の理念的総合 
5=第5章:感覚されうるものの非対称的総合 
6=結 論:差異と反復 

スピノザ『エチカ』について

時間のない人は、

第四部終わりの付録から読むのがいいかも知れないが、岩波文庫版だと

第三部が上巻にあるから4から3へ遡りにくい

内容的に1,2と3,4,5で二巻に分かれている方がいい

合本ならなおいいが、、、、

電子書籍版でも2巻本は検索しにくい

ドゥルーズ『千のプラトー』電子版のように合本版を別途出して欲しい



https://mitizane.wordpress.com/2013/03/24/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%

80%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%

A6%E3%80%82%E3%81%82%E3%81%AE%E7%8B%82%E3%81%A3%E3%81%

9F%E3%81%81%EF%BC%9F/


差異と反復
ジル・ドゥルーズ
財津 理 訳
河出書房新社 ISBN4-309-23029-6
pp.143-144.

第二章 それ自身へ向かう反復

ひび割れた《私》、受動的な自我、そして時間の空虚な形式

デカルトは、《コギト》を瞬間に帰し、時間を排除することによって、あるいは連続創造を行う神にその時間を委ねることによって、はじめて結論を出すことができた。 一般的に言うなら、〔デカルトにおける〕《私》の前提的な同一性の保証は、神自身の一性にほかならないのである。 そのようなわけで、《私》が、まさしく神に負っている同一性を保持するかぎり、〔中世的な〕「神」の視点のかわりに〔近代的な〕《私》の視点を〔デカルトが〕用いたということの重要性は、世間で言われているよりもはるかに小さいのである。 《私》が、神との類似を余すところなく表現するおのれの存続、単純性、同一性を所有するかぎり、神は生き続けるということになる。 逆に言うなら、神が死ねば、《私》の同一性は存続せず、反対に、《私》のうちにおいて、本質的な非類似が、「印の消去(デマルク)〔投げ売り用の商標外し〕」が、神の印(マルク)〔商標〕あるいは刻印のかわりに創設され内化されるのである。 これこそ、カントが、少なくとも一度は、つまり『純粋理性批判』において、きわめて深く見抜いたことである。 すなわち、合理的神学と合理的心理学の同時的消滅、および神の思弁的な死が《私》の亀裂を惹起するその仕方。 〔『純粋理性批判』における〕先験的哲学の最高の主導性が、思考そのものに時間の形式を持ち込むことにあるとするならば、今度はこの形式が、純粋で空虚な形式であるかぎりにおいて、死んだ神と、ひび割れた《私》と、受動的な自我を、破棄できないかたちで意味するのである。 カントはその主導性を徹底していない、というのは確かである。 というのも、神と《私》は、〔『実践理性批判』における〕実践的な復活を体験するからである。 しかも〔『純粋理性批判』における〕思弁的な領域においてさえ、その亀裂は、新たな形式の同一性によって、つまり能動的な総合的同一性によってたちまち埋め合わされてしまい、その一方において受動的な自我は、受容性によって定義されるにすぎず、そのかぎりにおいて、いかなる総合の力能もそなえていないからである。 反対に、すでにわたしたちが見たとおり、もろもろの触発を受け取るキャパシティーとしての受容性は、ひとつの結果でしかなく、そして、受動的な自我は、それ自体受動的な総合(観照-縮約)によって、さらに深いところで構成されるのである。 もろもろの印象や感覚を受け取る可能性は、そうした受動的な総合に由来しているのだ。 カントによる総合と受動性の割りふりは、表象=再現前化の世界を救うための至高の努力である以上、それを維持するわけにはいかないのである。 すなわち、カントによるそのような割りふりにおいて、総合は、能動的なものとして考えられ、《私》における新しい形式の同一性に依拠し、受動性は、総合なき単純な受容性として考えられている。 いま言及したカント的な主導性が繰り返されうるのは、そして時間の形式が死んだ神とひび割れた《私》を同時に維持するのは、受動的な自我に関するまったく別の評価においてである。 そうした意味において、カント哲学の帰趨は、フィヒテあるいはヘーゲルにではなく、ひとりへルダーリンのみにあると言ってよい。 というのも、ヘルダーリンは、純粋時間の空虚〔な形式〕を発見し、この空虚のなかに、神的なものからの連続的な逸脱〔転回〕と、《私》に走る長い亀裂と、そして《自我》を構成する受苦〔受動〕を同時に発見しているからである。ヘルダーリンは、そのような時間の形式のなかで、オイディプスの悲劇と冒険の本質とを、相補的な諸形態をそなえたひとつの死の本能として見てとったのである。 してみると、カント哲学はもしかして、オイディプスの後継者ではないだろうか。


國分功一郎@lethal_notion

そのドゥルーズ没後20年に合わせて、大きなものを出します。ドゥルーズが死後発表を条件に収録したインタビュー映像『アベセデール』のDVD(全三枚)、その日本語版を僕の監修で発売します。最高のチームが翻訳を進めています。作業は終盤に入っています。

発売日も近いうちに発表されるでしょう。 

         現実性(アクチュアリティ)

実在性(リアリティ)+  可能性(ポッシビリティ)


         潜在性(ヴァーチャル)


http://yojiseki.exblog.jp/6300419/
実在性(リアリティ)と可能性(ポッシビリティ)
に、
     現実性(アクチュアリティ)
    と潜在性(ヴァーチャル)
が対立した軸として交差する。
これは柄谷行人『探求2』*における特殊/普遍と個別/一般の区別に相当する。
(リアリティとアクチュアリティの訳語が東浩紀に習って逆になっている。)


         B現実性(アクチュアリティ)

A実在性(リアリティ)+  可能性(ポッシビリティ)


          潜在性(ヴァーチャル)


カント、プラトンは両義的な読みが可能なためABがある。
『差異と反復』はAからBへの読み替えを可能にする運動としてある。

差異と反復5 
   潜在的      
 可能的+実在的  
   現働的     
 

潜在的なものは実在的でもあり得る(左下)、ということ。

訳語は普遍論争と同じで定着していない。

差異と反復5 
   可能的      
 現働的+潜在的  
   実在的     

   現働的      
 可能的+実在的  
   潜在的       

柄谷交換図に対応するのは上図かも知れないが(ヴァーチャルリアリティーがD)、下図もあり得る。

   現働的      
 実在的+可能的  
   潜在的  

ヴァーチャルリアリティーが資本主義なら、ヴァーチャルポッシビリティーがアソシエーションか?

http://www.eonet.ne.jp/~orion-n/ESSAY2/9.html
《●垂直方向にアクチュアル/ヴァーチュアルの軸を引く。それは下方(潜在性)から上方(現実性)への力の矢印となるだろう。C.S.パースにならって普遍(確定されないもの)から個別(確定されたもの)へと言ってもいいし(『ヨーロッパ精神史入門』第7章)、木村敏の言葉を借りて「ディオニューソス的ゾーエー」から「アポロン的ビオス」(『関係としての自己』序論)へと言い換えてもいい。リアル/ポッシブルの軸はこの垂直軸(生成軸)に直角に交差する水平軸(存在軸もしくは認識軸)をなす。それは(離人症患者でないかぎり)アクチュアリティとリアリティが表裏一体のものとして現象する世界の界面である。そしてこの二軸の交点において「私」が制度化される。 
 この図式はフェリックス・ガタリが『分裂分析的地図作成法』(49頁)で示した「四つのカテゴリーの交差行列」と相同である。》

ドゥルーズのウィト嫌いはABCを見るまで半信半疑だった。ショーペンハウアー経由で重なるし、ドゥルーズは分析哲学というか論理学(主にライプニッツ関連)から得ているものもあるから水と油ではないはず。


ドゥルーズのABC「左翼について」2/2



以前紹介したドゥルーズのyoutube動画が消されていたので再投稿いたします。

「左翼政権なるものは存在しない」という発言は動画の3分頃。
「(日本人が住所を書く時のように)遠くの知覚から始める」という発言もその後にある。

自己統治の問題を知覚の問題に接続するには? 
自己統治を他者へのシンパシーと両立させるには? 
具体的な判例を重視するには?

プルードンなら貸方借方という複式簿記を自己の内面に持つことが、生成変化を可能にすると言うだろう。