水曜日, 8月 29, 2012

人倫の形而上学:付リンク

               (カント:インデックス、→リンク:::::::)
カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)→目次、図

『人倫の形而上学』は、理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

道徳の形而上学
 法論の形而上学的基礎原理
 徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

岩波全集250頁:

 V これら二つの概念の解明

A 自己の完全性

 完全性という言葉は、多くの誤解にさらされている。時にこの言葉は、超越論的哲学 に属する概念として、まとめられ一つの事物を構成する多様なるものの全体性と理解され、〜〜しかしまた、目的論に属する概念として、ある事物の性質がある目的に一致していることを意味するとも理解されている。第一の意味での完全性を量的(実質的)完全性、第二の意味での完全性を質的(形式的)完全性と名づけることができよう。量的完全性はただ一つしかありえない(なぜなら、一つの事物に属するものの全体は唯一であるから)。しかし質的完全性については、一つの事物に多数ありうるし、そして本来ここで論じられるのも、後者の完全性についてである。

…

B 他人の幸福

…


図解としては、

1法(権利、量)→2徳(目的、質)

が正しい。


第1部 
法論 序文/序論(区分)
 1部 私法
    1章(所有?)
    2章(物件/債権)
    3章(契約)
 2部 公法
    1節 国家法
    2節 国際法
    3節 世界公民法

第2部 
徳論 序文/序論(区分)
第1篇 原理論
    1部 自分自身へ
       1巻 完全義務
       2巻 不完全義務
    2部 他人へ
第2篇 方法論(教授論)
 ___________
|     |     |     
|     法     |     
| 人倫  |     |     
|_____|_____|
|     |     |
|     徳     |    
|     |     |     
|_____|_____|
あるいは、

 ___________
|     |     |     
| 1法  
| 2徳  |     
|     |     |     
|_人倫__|_____|
|     |     |
|     
|     |    
|     |     |     
|_____|_____|
 (1法=権利→2徳=目的)
あるいは、

 ___________
|     |     |     
| 2徳  
| 1法  |     
|   目的|   権利|     
|_人倫__|_____|
|     |     |
|     
|     |    
|     |     |     
|_____|_____|
 (1法=権利→2徳=目的)


参考:
ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)

第1部 抽象的な権利ないし法(自分のものとしての所有;契約;不法)
第2部 道徳
  企図と責任
  意図と福祉
  善と良心
第3部 人倫態
1家族 
  婚姻
  家族の資産
  子供の教育と家族の解消
2市民社会
  欲求の体系
  司法
  ポリツァイとコルポラツィーオーン)
3国家 
  国内法 
  国際法
  世界史)

       /\
      /  \
     / 人倫 \
    /______\
   /\      /\
  /  \    /  \
 / 法  \  / 道徳 \
/______\/______\


カントと違い、ヘーゲルは人倫という共同体の習俗を普遍的な命題と捉えて固定化した。
→ネット上で公開されている木村靖比古の諸論考が参考になる。

追記:

カント『人倫の形而上学』:メモ

以下、カント『人倫の形而上学』の読書メモです。

英数字は叙述順(法論1〜2、徳論3〜9)。漢数字はカントの原本にある番号。
上下、左右どちらかの数字しか記載されていなくセットで語られる。基本的にカント作成の図のままだが、Bの図は全集記載のものと90度ずらし、転置した。
番号を振り直し全体系での位置づけも追加したが、柄谷行人が『〜政治を語る』p116でいう「発見的 heuristic な仮説」(必ず正しい答えが導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る方法)として機能すればいいと思い作成しました。

A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


         分析的
        完全義務
         法 論  
他         |        自
者  二 2、7  | 一 1、5  分
に  人間達の権利 | 人間性の   自
対         | 内なる権利  身
す_________|________に
る  四   8  | 三   6  対        
義  人間達の目的 | 人間性の   す
務         | 内なる目的  る
          |        義
          |        務
         徳 論
        不完全義務
         総合的

あるいは、

A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)



         分析的

        完全義務

         法 論  

自         |        他

分  一 1、5  | 二 2、7  者

自  人間性の   |人間達の権利  に

身  内なる権利  |        対

に_________|________す

対  三   6  | 四   8  る

す  人間性の   | 人間達の目的 義

る  内なる目的  |        務

義         |        

務         |        

         徳 論

        不完全義務

         総合的


B 徳の義務の図式(同p297より)

       徳の義務の実質
   二 4    | 一 3
   他者の目的  | 自己の目的 
   他者の幸福  | 私自身の完成   
 外________|________内
 的 四      | 三      的
   動機=目的  | 動機=法則   
   適法性    | 道徳性
       徳の義務の形式
  分析的←          →総合的

あるいは、

B 徳の義務の図式(同p297より)


       徳の義務の実質

   一 3    | 二 4

   自己の目的  | 他者の目的

   私自身の完成 | 他者の幸福

 内________|________外

 的 三      | 四      的

   動機=法則  | 動機=目的   

   道徳性    | 適法性

       徳の義務の形式

  分析的←          →総合的


           
この場合、道徳性は内的なもの、適法性(法則性ではない)は外的なものと定義し直され、Aのそれと(「分析的←→総合的」に関しては再考の余地がある)交差する。



https://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/book/lookupname?key=Kant%2C%20Immanuel%2C%201724%2D1804


[X-Info] Kant, Immanuel, 1724-1804: Die metaphysik der sitten. (Königsberg, F. Nicolovius, 1803) (page images at HathiTrust)


_______全体系内での位置づけ______
          |
          |
   <量>    |    <質>
         第一批判
          |
____実質____|____________
2 |1|  |  |
_7法5|4_徳_3|
8 |6|  |  |
__|<関係>|__|    <様相>
    |     |
 第二 |基礎づけ |     第三批判
 批判 |(定言= |     
(関係)形式_確然)|____________

カントには形式的な事象の方がより本質的で人間の目的となり得るというねじれた思い込みがある。そこがパーソンズと違う。

追記:
カントによれば、目的は実質的、義務は形式的なものである。

         実 質
         目 的
          |        
   他者の幸福  | 
          | 
          |
他_________|________自
者         |        己
          |    
          | 自己の完全性  
          |        
          |        
         義 務
         形 式

(他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。追記:ゲーム理論ではまず出てこない利得表。)


カント『人倫の形而上学』:目次
http://sociology.g.hatena.ne.jp/hidex7777/20060214/p1
行為が拘束性の法則の下にあり、したがってまた、その行為の主体が自分の選択意志の自由に基づいて考察されるかぎりで、その行為は作為と呼ばれる。行為者は、そうした行動を通して結果の【創始者】とみなされる。そしてその結果というものは、行為そのものとともに、行為者の【責任に帰せ】られうるが、それは、それらのことへ拘束性を課する法則があらかじめ知られている場合である。
【人格】とは、その行為の【責任を帰すること】の可能な主体である。それゆえ、【道徳的】人格性とは、道徳法則の下にある理性的存在者の自由にほかならない(一方、心理学的人格性とは、自分の現存在の種々の状態において、自己自身の同一性を意識する能力にすぎない)。このことから次に、人格とは、その人格が(自分一人で、あるいは、少なくとも他人と一緒になって)自分自身に課する法則以外のいかなる法則にも服することはない、といったことが帰結する。
【物件】とは、責任を帰することのできない事物である。それゆえに、自由な選択意志の客体で、それ自身は自由をもたないすべてのものは、物件(res corporalis)と呼ばれる。
作為が義務に適っているか、あるいは義務に反しているか(factum lictum aut illicitium)に応じて、一般にそれは【正しい】か【不正】か(rectum aut minus rectum)であって、義務そのものがどのような種類の内容、もしくは起源であるのかは問わない。義務に反したそれは、【違反】(reatus)と呼ばれる。(Kant[1797=2002:39])


カント『人倫の形而上学』目次:

  • 第一部 法論の形而上学 的定礎
    • 序文
    • 法論の区分表
    • 人倫の形而上学 への序論
      • I 人間の心の諸能力と人倫の法則との関係について
      • II 人倫の形而上学の理念と必然性とについて
      • III 人倫の形而上学の区分について
      • IV 人倫の形而上学への予備概念
    • 法論への序論
      • A 法論というもの
      • B 法とは何か
      • C 法の普遍的原理
      • D 法は強制する権能と結びついている
      • E 厳密な意味での法は、普遍的法則に従って万人の自由と調和する全般的相互的強制の可能性としても表象される
      • 法論への序論についての付論
        • 二義的な法について
        • I 衡平
        • II 緊急権
      • 法論の区分
        • A 法の義務の一般的区分
        • B 法の一般的区分
      • 生得の権利は唯一である
      • 人倫の形而上学一般の区分
    • 法論の第一部 私法
      • 第一編 外的ななにかを自分のものとしてもつ仕方について
      • 第二編 外的ななにかを取得する仕方について
        • 外的な私のもの・あなたのものの取得の区分
        • 第一章 物権について
        • 第二章 債権について
        • 第三章 物件に対する仕方で人格に対する権利について
          • 第一項 婚姻権
          • 第二項 親権
          • 第三項 家長権
          • 契約に基づいて取得されるすべての権利の教義的区分
            • I 貨幣とは何か
            • II 書籍とは何か
        • 挿入章 選択意志の外的対象の観念的取得について
          • I 取得時効による取得の仕方
          • II 相続
          • III 死後に名声を遺すこと
      • 第三編 公的裁判の判決により主観的に制約された取得について
          • A 贈与契約について
          • B 使用貸借契約について
          • C 遺失物の再請求(再先占)について
          • D 宣誓による保証の取得について
          • 自然状態における私のもの・あなたのものから法的状態における私のもの・あなたのものへの移行一般
    • 法論の第二部 公法
        • 第一章 国家法
          • 国民の統合の本性から生じる法的効果に関する一般的注解
          • 祖国および外国に対する市民の法的関係について
        • 第二章 国際法
        • 第三章 世界市民法
        • 結語
    • 付論 『法論の形而上学的定礎』への注釈的覚書
  • 第二部 徳論の形而上学的定礎  (1803年)
    • 序文
    • 徳論への序論
        • I 徳論の概念の論究
        • II 同時に義務である目的の概念の論究
        • III 同時に義務である目的を考える根拠について
        • IV 同時に義務である目的とは何か
        • V これら二つの概念の解明
          • A 自己の完全性
          • B 他人の幸福
        • VI 倫理学は、行為に対して法則を与えるのではなく(法論がこれを行うのであるから)、ただ行為の格率に対してだけ法則を与える
        • VII 倫理学的義務は広い拘束性にかかわるが、法の義務は狭い拘束性にかかわる
        • VIII 広い義務としての徳の義務の解説
          • 一 同時に義務である目的としての自己の完全性
          • 二 同時に義務である目的としての他人の幸福
        • IX 徳の義務とは何か
        • X 法論の最上の原理は分析的であった、徳論のそれは総合的である
        • XI 徳の義務の図式は先の原則に従って次のように表すことができる
        • XII 義務概念一般に対する心の感受性の情感的予備概念
          • a 道徳感情
          • b 良心について
          • c 人間愛について
          • d 尊敬について
        • XIII 純粋な徳論に関する人倫の形而上学の普遍的原則
          • 徳一般について
        • XIV 徳論を法論から区別する原理について
        • XV 徳にはまず自己自身の支配が必要とされる
        • XVI 徳には無感動(強さとみられる)が必然的に前提される
        • XVII 徳論の区分への予備概念
        • XVIII 〔倫理学の区分〕
    • I 倫理学的原理論 (巻末の倫理学の区分表、倫理学の区分の表は以下の目次とほぼ同じ)
      • 第一部 自己自身に対する義務一般について
        • 序論
        • 第一巻 自己自身に対する完全義務について
          • 第一編 人間の、動物的存在者としての自己自身に対する義務
          • 第二編 人間の、単に道徳的存在者としての自己自身に対する義務
            • I 嘘言について
            • II 貧欲について
            • III 卑屈について
            • 第一章 人間の、自己自身に関する生得的審判者としての自己自身に対する義務について
            • 第二章 自己自身に対するあらゆる義務の第一の命令について
            • 挿入章 道徳的反省概念の多義性、人間の自己自身に対する義務であるものを他のものに対する義務と考えるということ、について
        • 第二巻 人間の自己自身に対する(自己の目的に関する)不完全義務について
            • 第一章 自己の自然的完全性の発展と増進という、すなわち実用的意図における、自己自身に対する義務について
            • 第二章 自己の道徳的完全性を高めるという、すなわち単に人倫的な意図における、自己自身に対する義務について
      • 第二部 他人に対する徳の義務について
          • 第一編 単に人間としての他人に対する義務について
          • 第二編 人間の状態に関する人間相互の倫理学的義務について
          • 原理論の結び 友情における愛と尊敬とのきわめて緊密な結合について
          • 補遺 社交の徳について
    • II 倫理学的方法論
            • 第一章 倫理学的教授法
              • 注解 道徳的問答法の断編
            • 第二章 倫理学的修行法
    • 結び 宗教論は、神に対する義務の教説として、純粋な道徳哲学の限界外に存する
    • 倫理学の区分表

 __________________カント『人倫の形而上学』_________________☆
| 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
|生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
|      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
|____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
|    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
|祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
|市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
|_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
|     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
|     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
|   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
|___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
|     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
|     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
|     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
|_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
|     |     |     |     |     |    区分☆☆☆図式☆☆徳論への序論 ←
|     |     |     | 1愛の義務     |    (食事、自殺)一動物的存在|
|     |     |第一編 単に人間として|     |     |第一巻 自己自身に  |
|_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
|     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
|     |     |2徳の義務|     |     |     |二道徳的存在     |
|     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
|_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____|
|    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
|     |     |     | 第一章 |     1実用的意図|     |     |
|第二編 人間の状態に関|    倫理学的教授法|第二巻 人間の自己自身|     |     |
|する人間相互の倫理学的|__/倫理学的方法論_|に対する(自己の目的に|_____|_____|
|     義務について|   結び 宗教論は、|関する)不完全義務について    |     |
|    原理論の結び/|第二章   神に対する義務    |     |     |     |
|    補遺 社交の徳|倫理学的  道徳哲学の限界外  2人倫的な意図|     |     |
|_____|_____|修行法__倫理学の区分表_____|_____|_____|_____| →図TOP



参考:ヘーゲル法の哲学
                               /\
                              /ゲルマン
                             /\世界史\
                            /東洋\/ギリシア、ローマ
                           /対外主権   /\
                          立法権\ 国家 /__\   
                         /\国内法\  /\国際法\
                        君主権\/統治権/__\/__\
                       /\              /\
                      /__\            /__\  
                    教育と解体/\ <倫理=共同世界>/福祉行政と職業団体
                    /__\/__\       社会政策\/職業団体
                   /\      /\      /\      /\
                  /__\ 家族 /__\    /財産\ 市民 /裁判\
                 /\婚姻/\  /\資産/\  /\欲求/\  /\司法/\
                /__\/__\/__\/__\/満足\/労働\/正義\/現実性     
               /\                              /\
              /  \                            /__\
             /強制と犯罪                          /共同体精神
            /______\                        /__\/__\
           /\      /\                      /\      /\
          / 不法に対する法  \       <客観的精神>      /__\善と良心/__\
        無邪気な不法\  / 詐欺 \                  /\善、主観  /\良心/\
        /______\/______\                /__\/__\/__\/__\
       /\              /\        アンティゴネー\              /\ 
      /  \            /  \       オイディプス__\            /__\
     / 譲渡 \   <法>    / 交換 \          /\結果/\   <道徳>   /\自由/\
    /______\        /______\        /__\/__\        /__\/__\
   /\      /\      /\      /\      /\      /\      /\      /\
  /  \ 財産 /  \    /  \ 契約 /  \    /__\企図と責任  \    /__\意図と福祉__\
 / 所有 \  /物の使用\  /わがまま\  / 贈与 \  /\関心/\  /\行動/\  /\一般/\  /\特殊/\
/______\/______\/______\/______\/__\/__\/__\/__\/__人格__\/__法/__\ 

カントと違い、ヘーゲルは人倫という共同体の習俗を普遍的な命題と捉えて固定化した。

☆
A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


         分析的
        完全義務
         法 論  
他         |        自
者  二 2、7  | 一 1、5  分
に  人間達の権利 | 人間性の   自
対         | 内なる権利  身
す_________|________に
る  四   8  | 三   6  対        
義  人間達の目的 | 人間性の   す
務         | 内なる目的  る
          |        義
          |        務
         徳 論
        不完全義務
         総合的           →図

図:カントの徳論における徳福一致

2他者の幸福 ←  → 自己の幸福1
      |\  /|
      | \/ |
      | /\ |
4     |/  \|     3
他者の完全性↓     ↓自己の完全性


☆☆
B 徳の義務の図式(同p297より)

       徳の義務の実質
   二 4    | 一 3
   他者の目的  | 自己の目的 
   他者の幸福  | 私自身の完成   
 外________|________内
 的 四      | 三      的
   動機=目的  | 動機=法則   
   適法性    | 道徳性
       徳の義務の形式
  分析的←          →総合的         →図
           
この場合、道徳性は内的なもの、適法性(法則性ではない)は外的なものと定義し直され、Aのそれと(「分析的←→総合的」に関しては再考の余地がある)交差する。

(上記は左右逆Z型)


☆☆☆
倫理学の第一区分

             自己自身に対する
   人間の人間に対する/
義務/         \他人に対する
  \
   人間の人間以外の  人間以下の存在
      存在に対する/
            \人間以上の存在

倫理学の第二区分

         教義論
     原理論/
倫理学的/   \決疑論
    \    教授論
     方法論/
        \修行論

二が一に先行する。
(理想社版318頁)


参考:
NAMs出版プロジェクト: カント体系
http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5252.html?m=1#98


道徳形而上学原論
(1785年 - 『人倫の形而上学の基礎付け』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten)
NAMs出版プロジェクト: カント『道徳形而上学原論』『人倫の形而上学の基礎づけ』
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_11.html
 _______________________________________________
|           |           |           |           |
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|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|__________第一章__________|___________|___________|
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|  普通の道徳から  |    哲学へ    |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|___________|___________|___________|___________|
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |   仮言的命法   |
|           |           |           |   蓋然的     |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|__________第三章__________|__________第二章__________|
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|  実践理性批判へ  |  道徳形而上学から |    仮言的命法  |   定言的命法   |
|  自由       |  自律       |    実然的    |   画然的☆    |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|___________|___________|___________|___________|

(カント自身が明言するように、批判書とは論理展開が逆である。)

☆
「君の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、けっしてたんに手段としてのみ用いるのみならず、つねに同時に目的[=自由な主体]として用いるように行為せよ」
(岩波文庫103頁、定本『トランスクリティーク』181頁)

http://deztec.jp/z/dw/j/note06.html
http://d.hatena.ne.jp/rue_sea/comment?date=20120714


あるいは、
 __________________カント『人倫の形而上学』_________________☆
| 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
|生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
|      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
|____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
|    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
|祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
|市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
|_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
|     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
|     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
|   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
|___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
|     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
|     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
|     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
|_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
|     |     |     |     |     |    区分☆☆☆図式☆☆徳論への序論 ←
|     |     |     | 1愛の義務     |    (食事、自殺)一動物的存在|
|     |     |第一編 単に人間として|     |     |第一巻 自己自身に  |
|_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
|     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
|     |     |2徳の義務|     |     |     |二道徳的存在     |
|     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
|_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____|
|    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
|     | 第一章 |     |     |     |     |     1実用的意図|
|    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|     |     |第二巻 人間の自己自身|
|__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|_____|_____|に対する(自己の目的に|
|結び 宗教論は、   |     義務について|     |     |関する)不完全義務について
|神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
|道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|     |     |2人倫的な意図    |
倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____| →図TOP

 __________________カント『人倫の形而上学』_________________☆
| 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
|生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
|      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
|____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
|    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
|祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
|市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
|_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
|     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
|     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
|   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
|___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
|     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
|     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
|     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
|_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
徳論への序論      |     |     |     |     |     |1愛の義務|
図式☆☆区分☆☆☆   |     |     |     |     |     |     |
|     |     |第一巻 自己自身に  |     |     |第一編 単に人間として|
|_____|_____|対する完全義務について|_____|_____|の他人に対する義務について
|     |     |(自殺、食事)    |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     |2徳の義務|     |
|     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
|_____|____第一部____|_____|_____|___第二部_____|_____| 
|    自己自身に対する義務一般について   |    他人に対する徳の義務について/    |
|1実用的意図     |     |     |     |     |     | 第一章 |
|第二巻 人間の自己自身|     |     |第二編 人間の状態に関|     |倫理学的教授法
|に対する(自己の目的に|_____|_____|する人間相互の倫理学的|__/倫理学的方法論_|
|関する)不完全義務について    |     |     義務について|     | 結び 宗教論は、
|     |     |     |     |原理論の結び     |第二章  |神に対する義務の教説として、
|    2人倫的な意図|     |     |補遺 社交の徳    |倫理学的 |純粋な道徳哲学の限界外に存する
|_____|_____|_____|_____|_____|_____|修行法__|_倫理学の区分表   →図TOP

 __________________カント『人倫の形而上学』_________________
| 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表
|生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
|      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
|____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
|    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
|祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
|市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
|_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
|     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
|     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
|   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
|___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
|     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
|     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
|     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
|_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
|徳論への序論     |     |     |     |     |     |1愛の義務|
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|     |     |第一巻 自己自身に  |     |     |第一編 単に人間として|
|_____|_____|対する完全義務について|_____|_____|の他人に対する義務について
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     |2徳の義務|     |
|     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
|_____|____第一部____|_____|_____|___第二部_____|_____| 
|    自己自身に対する義務一般について   |    他人に対する徳の義務について/    |
|1実用的意図     |     |     |     |     |     | 第一章 |
|第二巻 人間の自己自身|     |     |第二編 人間の状態に関|     |倫理学的教授法
|に対する(自己の目的に|_____|_____|する人間相互の倫理学的|__/倫理学的方法論_|
|関する)不完全義務について    |     |     義務について|     | 結び 宗教論は、
|     |     |     |     |原理論の結び     |第二章  |神に対する義務の教説として、
|    2人倫的な意図|     |     |補遺 社交の徳    |倫理学的 |純粋な道徳哲学の限界外に存する
|_____|_____|_____|_____|_____|_____|修行法__|_倫理学の区分表

婚姻権について:

婚姻とは法則に基づくものであり、「性を異にする二個の人格が自分たちのもろもろの性的固有性の生涯にわたる相互的占有のためにする結合である」
(家族的社会の権利の第一項 婚姻権 24、理想社版全集第11巻123頁)。     TOP

___________

そもそも婚姻はどのように定義されるであろうか。
カントによれば,婚姻は「性を異にする2人格が互いの性的特性を生涯にわたって互いに占有 しあうための結合」*(Ⅵ,277)であるが,種別的に言えば,性的共同態のなかでも自然的なものであ り,そのなかでも法則に従うものが婚姻である,とされる。

人間性の権利は,「君の人格にある人間性を常に同時に目的として用い,決して単に手段としてだ けしか用いないことがないように行為せよ」**という命令に表現される。これは定言命法であり,先 の「人間性の法則」の命令だと考えられる。

カントによれば,このように手段とされた人格の人間性を目的として回復することを可能にする 唯一の条件は,「一方の人格が他方の人格によって物件のように取得されながら,この後者の人格が 反対にまた前者の人格を物件のように取得する」(ibid.)という条件である。しかしこの条件によ ると,相互の物件である性器を互恵的に使用するという意味で,物権や契約における対人権で済む のではないであろうか。

この問いについては,全人格の取得は婚姻という条件のもとでだけ可能である,とカントは答え ている。つまり婚姻以外の形態での自然的な性的共同態は,人格を単に物件としたり,債権の対象 としたりするので,人格の絶対的統一性と矛盾する。この意味で,内縁関係も法的に有効な契約で はないとされる(vgl. 278f.)。

 定言命法によるカントの家社会論 ~物権的対人権について
 http://www.hosei.ac.jp/bungaku/museum/html/kiyo/52/articles/sugasawa.pdf
 カント『人倫の形而上学』からの引用はアカデミー版カント全集の巻数と頁数とを併記。

*
「結婚とは、性器の使用を一方が他方に交互に許す権利の契約である 」とも訳され得る。
**
『道徳形而上学原論』(『人倫の形而上学の基礎づけ』)より


食事について:

<真の人間性と最もよく調和すると思われるような歓楽生活は、よき社交仲間(それもできれば交代する)のよき食事である。これについてチェスタフィールドは、「その仲間の優雅の女神の数[三人]より少なくてもならず、また芸術の女神の数[九人]より多くてもならぬ」といっている>
(『人間学』第一部第三篇、理想社版全集第14巻255頁)

本来の出典はゲリウス『アッティカの夜』より。

Kant bei seinem Mittagsmahl (1892) Emill Dörstling (1859-1939)





 (以下、理想社版全集第11巻416−420頁より)

注  道徳的問答教示法の断片
 教官は、自分の生徒の理性に対して、自分が生徒に教えようと思うことを問い質す。そして、万一生徒がその質
問に答えられないような場合には、教官はその質問を生徒に(彼の理性を指導しながら)言い含めてやる。

一、教官 汝の人生における最大の、いやそれどころか全き要求はなにか。 
  生徒 (黙して答えず)
  教官 万事がつねに汝の望みのままになることである。
   
二、教官 このような状態は、なんとよばれるか。 
  生徒 (黙して答えず)
  教官 それは幸福(不断のしあわせ、満ち足りた生活、自分の状態に全面的に満足しきっていること)とよば
   れる。

三、教官 では、汝が(この世において可能であるかぎりの)あらゆる幸福を手中に納めているとしたら、汝はそ
     をすべて自分のために手離さずにおくか、あるいはまたそれを汝の隣人にも分け与えるか。 
  生徒 私は、それを分け与え、他のひとびとをも幸福にし、満足もさせるでしょう。 

四、教官 では、それはたしかに、汝が可なりとはいえ、よき衷心の持ち主であることを証明してはいる。だがし
   かし、汝がその際によき分別をも示しているかどうかを見せよ。--汝は、一体怠け者に柔らかい枕をあて
   がって、その者がなにもせずにいい気になって自分の一生を浪費させるであろうか、あるいは、酔いどれに
   対して酒やその他の酔わせるものを欠かせないようにしてやり、詐欺師に対しては、他人を騙すようにひと
   好きのするような姿や態度をさせ、また、乱暴者に対しては他人を征服することができるように大胆さと鉄
   拳とを与えるようなことがあるであろうか。これらは、それぞれの者が自分なりの仕方で幸福になるために
   望むほどの手段ではあるが。 
  生徒 いいえ、そんなことにいたしません。 

五、教官 それでは分かるであろう。たとえ、汝があらゆる幸福を汝の手中に納め、それに加うるに最善の意志を
   所有しているとしても、やはり汝は、その幸福を躊躇せずに手を伸ばすものにはだれにで心ゆだねてしまう
   ことなく、まずそれぞれのひとがどの程度まで幸福に価するであろうかを調べるであろう。--しかしなが
   ら、汝自身としては汝は、やはり自からの幸福の内に算え入れるあらゆるものを、まず備えることにいささ
   かの躊躇もしないであろうが。 
  生徒 はい。
  教官 しかしながら、そこで汝が実際に自から幸福に価するであろうかという疑問を思い浮かべることはない
   か。
  生徒 もちろん思い浮かべます。 
  教官 ところで、汝の内にあってただ幸福のみを追求するところのものは、傾向性である。しかしながら、汝
   の傾向性を、あらかじめこの幸福に価するという条件によって制約するところのものは、汝の理性である。
   そして、汝が自分の理性によって自分の傾向性を制約し、克服できるということこそ汝の意志の自由であ
   る。

六、教官 さて、汝が幸福にあずかりながら、しかもまたそれに価するものであるためには、どうすればよいかを
   知るための規則や指示は、全くひとり汝の理性の内にのみある。このことは、汝が、このような汝の振舞の
   規則を経験により、あるいは他人により、その指導を通じて学びとる必要はないというほどのことを意味し
   ている。すなわち、汝自身の理性が汝に対して、まさに汝がなにをなすべきかを教え、そして命ずるのであ
   る。たとえば、もし汝が、絶妙な虚言を思いつき、それによれば汝あるいは汝の友人に莫大な利益を与える
   ことができ、しかもなおそのためにだれも他のひとに害をおよぼさないというような場合に遭遇したとすれ
   ば、汝の理性は、それに対してなんというか。
  生徒 その利益が私や私の友人にとっていかほど大きなものであっても、私は嘘をつくべきではありません。
   嘘をつくということは、卑劣なことで、人間を幸福に価しないものにしてしまします。--ここに、私のし
   たがわなくてはならない理性の命令(あるいは禁令)による無条件的強制があります。これに対しては、私
   の傾向性のすべてに沈黙しなければなりません。
  教官 このような理性によって直接的に人間に課せられた--理性の法則にしたがって行為せよという--必
    要性をなんとよぶか。
  生徒 それは義務といいます。
  教官 それだから、人聞にとっては、自分の義務を遵奉することが、幸福に価するための普遍的で、しかも唯
   一の条件であり、これとそれとは、同じことなのである。

七、教官 しかしながら、たとえわれわれが、--それあるによって幸福に価する(少なくとも価しなくはない)
   ような--そのような活動的な善意志を自覚しているとしても、われわれは、この自覚の上に、このような
   幸福に価するという確かな希望をも建てることができるか。
  生徒 いいえ。それだけに頼るわけにはまいりません。というのは、幸福を手に入れるということは、必ずし
   も、われわれの能力のおよぶところではなく、そして自然の成り行きもまたおのずから功績にしたがって行
   なわれるわけではないからです。むしろ、人生の幸福(われわれのしあわせ一般)は、環境に左右されてお
   り、その環境は、なかなか必ずしもすべてが人カのおよぶところではないからです。それゆえ、われわれの
   幸福は、つねにただ願望にとどまって、なにか他の力が加わらなければ、この願望はついに希望にはなりえ
   ないことになります。

八、教官 このような幸福を人間の功罪によって分け与え、自然全体を支配し、そして、世界を最高の英知でもっ
   て統治する力が現実のものであると認めるという、すなわち神を信ずるというそれ自身の根拠を、理性はー
   体持っているか。
  生徒 はい。というのは、われわれに評価することのできる自然の営みにおいて、われわれに、世界創造者の
   いい表わし難いほど偉大な芸術によるという他に説明の仕様がないきわめて広く深い英知を見ているからで
   す。また、道徳的秩序についても、それが世界の最高の誉れを宿しているかぎり、われわれは、それに劣ら
   ぬ賢明な統治をこの創造者から期待してよい理由を実際に持っているのです。つまり、もし、われわれが自
   分の義務に背反することによって生ずる、幸福に価しないという事態に自分からたち到るのでなければ、わ
   れわれは事実また、幸福にあずかるようになることを期待できるからです。


上記問答法は脱力するくらいカント哲学のつまらなさを表現してはいるものの、カント哲学の全体像をうまく提示してはいる。
プラトンにまで劣る対話。
ドストエフスキーがいかに偉大かがわかる。
ドゥルーズの重要性も思い知らされる。




    ☆スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    ハイデガー
     ☆柄谷 フロイト
ドゥルーズ    老子
 アドルノ    パーソンズ
 カレツキ ゲゼル
    ライプニッツ
 スポーツ    文学☆☆
     ガンジー
     ラカン☆
     ニーチェ
      孔子


______________










老子


マルクス



☆柄谷





_____________
















































J・J・ヴァーグナーによる国家(Der Staat)

JJヴァーグナーによる国家(Staat)
邦訳シュミット『政治的ロマン主義』241頁参照

Der Staat... (1815刊行、2012/2/4に再刊)
Johann Jakob Wagner(1775-1841)

原書:
http://books.google.co.jp/books?id=_QjVFiKAQF4C&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false

国家
1土地関係
  1人件(1国家、2市町村、3組合、4家族)

2生活
 (感情生活と

  知的生活)
   1自己支配、
   2家族、
   3身分、
    1国事、
    2商業、
    3手工業、
    4土地労働
      1鉱山、
       1金属、2岩石、3土壌、4塩
      2林業、
       1濶葉樹【かつようじゅ】広葉樹の旧称。2針葉樹、3柳類、4灌木
      3耕作、
       1果樹、2葉菜、3茎菜、4根菜
      4畜産
       1魚、2鳥、3猟獣、4家畜
   4住居

3精神
(祭司階級と学問)

悪
1支配欲、2所有欲、3自惚、4貪食

4国家
  1司法
  2執行
  3立法
  4国家法
   1君主制 2貴族制 3民主制 4専制


JJヴァーグナーは明らかにカントを意識していて、記載法は、

   人  件
    国家(1)
市町村(2)  組合(3)
    家族(4)

といったカントのカテゴリー記述に似たものになっている。
下図はZ状に推移するように書改めたもの。
なお、ネオプラトニズムに影響を受けたヘーゲル(1770- 1831)の三分割法(『エンチクロペディー』Enzyklopaedie der philosophischen Wissenschaften、1817年、1827年、1830年)よりは刊行ははやい。

 
 _______________________________________________
|     |     |     |     |     |     |     |     |
| 国家  | 市町村 |     |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|____人 件____|_____|_____|___感情生活____|_____|_____|
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|  組合 |  家族 |     |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|_____|___土地関係____|_____|_____|____生 活____|_____|
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     | 自己支配| 家族  |
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|_____|_____|_____|_____|_____|_____|____知的生活___|
|     |     |     |     |     |     |国事 商業|     |
|     |     |     |     |     |     | 身分  | 住居  |
|     |     |     |(歴史的所与としての)|     ☆土地  手|     |
|_____|_____|_____|___国   家___|_____|労働_工業|_____|
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|____祭司階級___|_____|_____|____司法_____|_____執行____|
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|_____|____精 神____|_____|_____|____国 家____|_____|
|     |     |☆☆   |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     | 君主制 | 貴族制 |
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|_____|_____|____学 問____|____立法_____|____国家法____|
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     | 民主制 | 専制  |
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|_____|_____|_____|_____|_____|_____|_____|_____|
 

☆   4土地労働
      1鉱山、
       1金属、2岩石、3土壌、4塩
      2林業、
       1濶葉樹【かつようじゅ】広葉樹の旧称。2針葉樹、3柳類、4灌木
      3耕作、
       1果樹、2葉菜、3茎菜、4根菜
      4畜産
       1魚、2鳥、3猟獣、4家畜

☆☆
     悪(配置場所不明)
      1支配欲、2所有欲、3自惚、4貪食

『孔子家語 』:書評

以下書評。

孔子家語(こうしけご) 新釈漢文大系 (53) (単行本)
宇野 精一 (著)


例えば『論語』9-17に以下のような記述がある。

<子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜。
子、川の上(ほとり)に在りて曰わく、逝く者は斯(か)くの如きか。昼夜を舎(や)めず。
先生が川のほとりで言われた、「過ぎ行くものはこの[流れの]ようであろうか。昼も夜も休まない。」 >

だがこれでは何がなんだかわからない。

『孔子家伝』三恕にはもっと詳しい記述が有り、これを読めば上記の記述も納得がいく。

< 孔子觀於東流之水。子貢問於孔子曰:「君子之所以見大水必觀焉者、是何?」孔子曰:「夫 水遍與諸生而無為也、似'コ。其流也'下、裾拘必循其理、似義、其洸洸乎不'盡、似道。若有決行之、其應佚若聲響、其赴百仞之谷不懼、似勇。主量必平、似 法。盈不求概、似正。'約微達、似察。以出以入以就鮮'求A似善化。其萬折也必東、似志。是故見大水必觀焉。

 孔子が東に流れる河をじっと見つめていた。子貢が孔子に、
「君子が大きな河を見ると必ずじゅうぶん観察するのはどうしてでしょう」と問うた。孔子は、
「水というものは万物に生命を与えていながら、なにもしていないような状態でいるのは、徳と似ている。其の流れは低い方に従って直曲し、必ずこの道理に従 うといういうことでは、義と似ている。水がこんこんと湧き出て尽きることがないということでは、道と似ている。もし堰(せき)を切って水を流すと、声に応 ずる響きの速さで流れゆき、百仞(ひゃくじん)の谷でも何処でも恐れずに流れてゆくのは、勇気と似ている。くぼんだ所にそそいで必ず平らになるのは、法度 に似ている。一杯になってもますかきで余分を除く必要もなく、たいらになるということでは、正に似ている。弱弱しくても大変小さな所まで浸透してゆくと言 うことでは、洞察力に似ている。その中に出入りすることによって清潔になれるということでは、立派な感化に似ている。数多く曲がりくねっていても必ず東に 流れると言うことでは、意志に似ている。だから君子は大きな河を見ると必ずじゅうぶんに観察して考えるのである」と答えた。>
(訳文は某ネットサイトより)



『孔子家語』は偽書扱いされる場合もあるが、これを読まない論語研究者はまずいない。

例えるならジミヘンの海賊版のコンピレーションのみたいなもので、権利関係で認められていないとはいえ、確実にジミヘンのギターの断片は聞こえてくる、、、といったようなものだ。

ちなみに上記の記述は『旬子』(荀子 宥坐篇第二十八)にもある。ただこれら散逸したエピソードを一冊に集めてくれたのは助かる。

同じ出版社から出ている簡易版でも初心者には充分なのだが、上の記述は残念ながら簡易版にはない。

岩波文庫版は現代語訳がないから初心者には勧められない。
本書をそのまま文庫にしてもらいたいのだが,,,


注:
画像は、

顧?『聖蹟図』賛詩訓釈稿(下): Translations and Notes on Gu Yuan's "Kong fuzi Sheng Ji Tu praise"
著者: 竹村, 則行

 『文學研究 』(九州大学)2012年3月

より

内容は対応しているが、本書『孔子家語』と直接の関係はない。

以下、おまけ。
『孔子家語』は原『論語』のように孔子家の壁から発見されたものとは別に後の時代に王粛によって書き換えられたとも言われる。



補足:

孔子家語

孔子の言行及び弟子との問答を録した書。
初め二十七巻であったが後に散逸。
今に伝わるものは魏の王粛が「左氏伝」「大戴礼」「礼記」などから孔子に関する記事を集めたものとされ、原本より成るものかは不明。
全十巻四十四編。
孔子家語の成立時期 256年頃
http://www.kokin.rr-livelife.net/syutten_search.html?a1=%E7%8E%8B%E7%B2%9B&b1=%E5%AD%94%E5%AD%90%E5%AE%B6%E8%AA%9E&b2=%E5%B7%BB%E7%AC%AC%E4%BA%8C&b3=%E8%87%B4%E6%80%9D

火曜日, 8月 28, 2012

ショーペンハウアーとウィトゲンシュタイン


「私が進んできた道は次のようなものである。観念論は人間をユニークなものとして世界から分離する、唯我論は私だけを分離する。そして最後に、私が見てとるには、私もまた残余の世界に属するのである。従って一方には何も残存しなく、他方には世界がユニークなものとして残存する。このようにして観念論は厳格に考え抜かれると実在論に至るのである。[((論考)5.64☆を参照]」

(ウィトゲンシュタイン、1916年10月15日、「草稿」邦訳『ウィトゲンシュタイン全集第一巻』277頁より)

D・A・ワイナーによれば上記の記述もショーペンハウアー『意志と表象〜』に応酬したものだと言う(三和書籍141頁)。
ワイナーは指摘していないが、同じ論理がショーペンハウアー『根拠律』(19節邦訳全集第一巻51頁)のスピノザに関する言及にもある。

→『意志と表象としての世界』:図解&目次

『天才と才人―ウィトゲンシュタインへのショーペンハウアーの影響 』(単行本)
D.A.ワイナー著
http://www.amazon.co.jp/dp/4916037529/

以下読書メモ:

著者は、ウィトゲンシュタイン『論考』(5.633)の「君」はショーペンハウアーのことだと指摘する(104頁)。
ウィトゲンシュタインは「ショーペンハウアーの亡霊と論争している」(112頁)のだ。
孤高の両思想家は孤高であるという接点を持つ(両者ともに影響関係の必要ない天才であり、努力し勉学に励む才人でもある)。

有名な「梯子」(6.54)の比喩も『続意志と表象』から引いているという(71頁)。

意志と表象の意志の部分をフロイトが受け継いだとするなら(*)、表象の部分の吟味をヴィトゲンシュタインが批判的に受け継いだのだ。『論考』でその固有名を言及されないショーペンハウアーは「梯子」の一つだったとも言える、、、

表象から意志への移行をウィトゲンシュタインはショーペンハウアーによる動かない腕の比喩を逆手に取って拒否する(126頁)。

ただし、著者はウィトゲンシュタインがショーペンハウアーを通じてカントに接近したと書くが、むしろスピノザと接近しているのではないか?
それは、「永遠の相」(『意志と表象』34節で引用されるスピノザの言葉)を芸術に求めるショーペンハウアー、それに倫理的態度を付け加えるウィトゲンシュタイン(195頁)を見るとわかる(参考「草稿」1916年10月7日)。

ショーペンハウアーはスピノザの演繹的手法を批判したが、思想の実質は受け継いでいる。
カントとプラトンだけにショーペンハウアーの影響関係が限定されるわけではない。

彼らの関係を(ショーペンハウアーによる四つの根拠律を考慮しつつ)図示するとこうなるかも知れない。

スピノザ|ウィト
____|____
カント |ショーペン
    |フロイト

なお、本書はカバーデザインが与える印象と違い、学術的労作と言えると思う。
翻訳も両者邦訳全集の引用元頁数が注記されていて親切だ。


*注:
ショーペンハウアーとフロイトの関係については、小林敏明氏(『<死の欲動>を読む』47頁)によればZentner『忘却への逃走』(未邦訳)↓に詳しい(意志がエスに、知性が自我に対応する)。

3.2. „Es" und „Ich" - „Wille" und „Intellekt" im Vergleich
http%3A%2%2Fexternal.dandelon.com%2Fdownload%2Fattachments%2
Fdandelon%2Fids%2FDE00409D8261E81701023C12577DE00306C0A.pdf





「…表象としての世界に徹頭徹尾立ち止まるなら、私が客観を私の頭の中の表象と説こうが、
時間と空間の中に現われる表象と説こうが、どちらでもよい(略)そこでこの意味でなら、
観念的なものと実在的なものとの同一性ということが、ともかく主張されうるかも知れな
い。」
(ショーペンハウアー『意志と表象』続編第18章第二巻の補足。白水社版では第6巻13頁)

参考:P.M.S.ハッカー『洞察と幻想 ヴィトゲン シュタインの哲学観と経験の形而上学』(八千代出版)

☆
「論理哲学論考」 Tractatus Logico-Philosophicus
http://tractatus-online.appspot.com/Tractatus/webfontjp/index.html
世界の中のどこに形而上学的主体が認められるのか。
あなたは、これは眼と視野の関係と同じ事情だと言う。しかし、現実には、あなたは眼を見ることはない。
そして、視野におけるいかなるものも、それが眼によって見られていると推論できるものはない。
  5.634
このことは、われわれの経験のいかなる部分もア・プリオリではないということと結びついている。
われわれが見るすべては、また別のようでもありえた。
われわれが記述できるすべては、また別のようでもありえた。
ものにはア・プリオリな秩序は存在しないのである。
- 5.64
ここにおいて、独我論を徹底すると純粋な実在論に一致することが見てとれる。独我論の自我は広がりを欠いた点に収縮し、自我に対応していた実在だけが残される。
  5.641
それゆえ、哲学において非心理学的自我を論じうることには確かに意義がある。

ーーーー
 つまり、ウィトゲンシュタインの「論考」に対するかつての(キルケゴールの言葉を借りれば)「極まりない信頼」は、そのままそれへの「刺すような風刺」となったのである。「探究」は、「論考」を「重要な仕事」だと認めると同時に「バカげたものと見なしている」。しかし、「探究」の「論考」に対するこのアンヴィバレントな評価は、合冊本全体の中での「探究」への評価にも返ってくるのである。1949年、「探究」を仕上げたばかりのウィトゲンシュタインは、主治医に自分の哲学を説明していて「ひょっとしたら全部まちがいかもしれません!」と叫ぶ(マルコム68)。
 そして「論考」に対する態度の転換は、ウィトゲンシュタインに突然訪れた。それは経済学者スラッファによる批判である。
「スラッファは、あれやこれやの細かな点ではなく、彼の全体の展望に関してウィトゲンシュタインに再考させる力をもっていた。このことを例証する一つの逸話がある。それはウィトゲンシュタインがマルコムとフォン・ウリクトとの両人に話し、そのとき以来何度も繰り返し語られてきたものであった。それは、ウィトゲンシュタインが命題と命題が表現している事柄は同じ「論理的形式」を表現していなければならないと主張した会話に関するものである。この考え方に対して、スラッファは指先で顎をこするナポリ人特有のジェスチャーをし、そして尋ねた。「その論理的形式は何か」。その話によれば、この発言によって、命題はそれが表現する実在の<像>でなければならないという『論考』の考え方をウィトゲンシュタインは主張するのを断念した」(モンク277)。



マルコム 回想のヴィトゲンシュタイン 法政大学 114頁


1929年?



ヴィットゲンシュタインにおける「私的言語」の問題 - 流通科学大学

(Adobe PDF)
神尾論稿

と、ヴィットゲンシュタインは言う。さらに、そうした命題を構成する究極の最小単位が、「 要素. 命題」(Elementarsatz)である。「要素命題」とは、それ以上は分解できない もっとも単純な「命. 題」である(vgl. TLP 4.21, 4.221)。つまりは、言語は、まずは「命題 」に、さらには「要素命題」. にまで解体可能 .... のである。1929 年のことと思われるが、 車中でイタリア出身の経済学者スラッファと次のような. やり取りがあり、 ..... ているかの ように錯覚される)〈私〉なんぞはない、というのが、ヴィトゲンシュタインの主張が. 最終的 に向かう ...

ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出 (平凡社ライブラリー (266)) 新書 – 1998/10/1


水曜日, 8月 15, 2012

ザビーナ・シュピールライン

小林敏明『フロイト講義<死の欲動>を読む』はフロイトに対するショーペンハウアーの影響についてなど一般教養を高める意味では有意義な本だったが、ザビーナ・シュピールラインの名が出ていないのは残念だった。以前も書いたが、死の欲動はシュピールラインがフロイトに教えたものとさえ言えるからだ(過去記事)。
以下、フロイト『快感原則の彼岸』の脚注より。

「ザビーナ・シュピールラインはすでにこの考え方(引用者注:「死の欲動」)をうちだしている。その論文は内容も思想も豊富だが、残念ながらわたしは完全には理解できない」(フロイト『快感原則の彼岸』一九二〇、脚注。ちくま文庫『自我論集』186頁等参照)

印象論になるが、シュピールラインは理論的にも人間関係の面でもフロイトとユングの間をとりもとうとしたと言えるだろう。
写真は、クローネンバーグの『デンジャラスメソッド』(Cronenberg’s “A Dangerous Method”)より

















以下、wikiより

ザビーナ・シュピールライン(Sabina Spielrein 1885年 - 1942年)はロシア出身の精神分析家。

ロストフの裕福なユダヤ人の家庭に生まれ育つ。父ニコライは商人、母エヴァは当時のロシアでは珍しい大学卒(歯学部)の女性だった。
ロストフの女子ギムナジウムを経て、1904年8月17日、統合失調症患者としてチューリヒ近郊のブルクヘルツリ精神病院に入院し、ここで医師として働いていたユングと知り合い、恋に落ちる。1905年6月1日に退院した後、チューリヒ大学医学部に入学し、1911年、統合失調症に関する論文を提出して医学部を卒業するまでユングとの関係は続いた。ユングは彼女が学位論文を書くにあたっての助言者だったが、同時に彼自身もザビーナから学問的に多大な影響を受けた。しかし既婚者のユングが、彼の子を産みたいというザビーナの希望を撥ねつけたため、二人の愛は破局を迎えた。同じ1911年、ウィーンでフロイトと会い、ウィーン精神分析学協会に参加。ユングとの恋愛体験に基づく論文『生成の原因としての破壊』は、フロイトのタナトス概念に影響を与えた。
1912年、ロシア系ユダヤ人医師パヴェル・ナウモーヴィチ・シェフテルと結婚し、ベルリンで暮らした。第一次世界大戦中はスイスで暮らしたが、1923年、ソヴィエト政権下のロシアに帰国し、ロシア精神分析学協会に参加すると共に、モスクワにて幼稚園を設立。なるべく早い時期から子供たちを自由人として育てることを旨とした幼稚園であり、スターリンが息子ヴァシリーを偽名で入園させたこともあったが、3年後、幼児たちへの性的虐待という冤罪をかけられたため、閉鎖を余儀なくされた。背後には、精神分析学に対するスターリン政権からの弾圧があった。
1936年、大粛清の最中に夫が病死し、ザビーナと娘たちは1942年に故郷ロストフにて、侵攻したナチの手で殺害された。
2002年、『私の名はザビーナ・シュピールライン』と題するドキュメンタリーがスウェーデンの映画監督エリザベト・マルトンによって作られ、2005年には米国でも封切られた。近年、精神分析学に対する彼女の貢献に関して再評価が進みつつある。