月曜日, 12月 24, 2012

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ネーション  ステート |
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 |遠   |  夢|生物学   ハイデガー| ライプニッツ    |    |   |ス
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 |め   |____農業_____|____|___________|____|   |
 |に  /|   |     (徳|論) /|   |       |   /|   |ム
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 | /(法|論) |形 而 上 学| /  |   |   宗教  | /  |   |ム
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 |神秘主義|   |       |    |   |       |    |   |
 |    |啓 蒙|と は 何 か|   ヘーゲル |       |    |ボルツァーノ
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 デカルト
    スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    ハイデガー
     柄谷 フロイト
ドゥルーズ    老子
 アドルノ    パーソンズ
 カレツキ ゲゼル
    ライプニッツ
 スポーツ    文学
     ガンジー
     ラカン
     ニーチェ ショーペンハウアー 
      孔子 
          インド哲学


音楽建築原発政治中国歴史分類図像学

文学東洋思想プラトンアリストテレスリンク::::::





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日曜日, 12月 23, 2012

カント『人間学』:メモ

(参考:→パーソンズが思想家を分類した図フーコーと『人間学』カント:インデックス、→リンク::::::

『人間学』(実用的見地における人間学 Anthropologie in pragmatischer Hinsicht. 1798)

 カント 坂田徳男訳 昭和27年(1952)岩波文庫版:概略目次  →原目次及び詳細目次

第一部 人間学的教授学(人間の外部や内部を認識する方法について)

 第一編 認識能力について
 第二編 快・不快の感情について☆☆
 第三篇 欲求能力について☆☆☆

第二部 人間学的性格記述 (人間の内部を外部より認識する方法について) 

 分類 1.個人の性格 2、両性の性格 3、民族の性格 4、人類の性格☆☆☆☆


(第二部冒頭1で気質を説明する四体液説が紹介されている。)

    A・・・・・・・・・・・B
das sanguinische    das melancholische
   多血質         憂鬱質
    ・           ・
    ・           ・
das cholerische     das phlegmatische
    C・・・・・・・・・・・D
   胆汁質         粘液質

AとB及びCとDは互いに矛盾し、AとC及びBとD
は互いに中和される。また、AとCは共に生命力の高揚、
BとDは共に生命力の沈静、AとBは単に感情的、CとD
は行動的である。
(高坂正顕『カント』1947年p56より)

<一般的な性格と理性的な自由を付与された存在としての性格そのものがあり、上記の図にある気質は前者。>


          __________________________________ 
         /|               /|    人  (教育論/認識)/|オ
        / (/認識/預言)       / |           感官 / |
       / |             /  |   悟性     構想力/  |プ
      /___|____________間___|____________/   |
     /|  |           /|   |   (/快、不快) /|   |ス
    / |   |          / | 個人、国民    感性的 / |   |
   /(/欲求)者|  学      /(性格論/ +民族)   知性的/  |   |・
  /___|___|________/___|_両性、人類______/   |   |
 |    |  の|       |    |   |       |    |   |ポ
 |永   |   |       |    |   |       |    |  論|
 |遠   |  夢|       |    |   |       |    |   |ス
 |平   |   |_______|____|___|_______|____|__理|
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 |の   | / | 自   然 | の  |形/ |而   上  |学   | /学|
 |た   |/  |       |    |/  |       |    |/  |ゥ
 |め   |___|_______|____|___|_______|____|   |
 |に  /|   |     (徳|論) /|   |       |   /|   |ム
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 | /(法学)  |形 而 上 学| /宗教(目的論)       | /  |   |ム
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 |   /         (倫理|学) /          (美|学) /
 |  / 実 践 理 性 批 判 |  /  判 断 力 批 判  |  /
 | /              | /(目的論)         | /
 |/_______________|/_______________|/

カントがほぼ四半世紀(一七七二年の冬学期から一七九五年の冬学期まで)にわたって行なった人間学の講義、その講義録。



「エゴイズム(Egoisumus)に対立せられうるのはプルラリスムス(Pluralismus=多元主義)だけである。それはすなわち全世界を自己の中に包みもっているものとして、自分を見なしたり振舞ったりするのではなく、自分を一人の単なる世界公民として考え、また振舞うような考え方のことである」

預言者的天賦という項目〜〜預言(経験則による自然的なもの)占言(既知の経験則に反したもの)、霊的預言(超自然的なものにもとずく霊感)に分けられるという。

☆☆
快には感性的快と知性的快があるという。 

☆☆☆:食事について
「真の人間性と最もよく調和すると思われるような歓楽生活は、よき社交仲間(それもできれば交代する)のよき食事である。これについてチェスタフィールドは、「その仲間の優雅の女神の数[三人]より少なくてもならず、また芸術の女神の数[九人]より多くてもならぬ」といっている」
(『人間学』第一部第三篇、理想社版全集第14巻255頁)

カント『人倫の形而上学』にも同内容の記述がある。本来の出典はゲリウス『アッティカの夜』より。

Kant bei seinem Mittagsmahl (1892) Emill Dörstling (1859-1939)


http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2011/11/--2011-8232.html  
以下、上記サイトより引用。
☆☆☆☆
「人間は生来上善である。とはいえ、人間は悪をあえておかそうとする。人間の本分に関して実用的人間学が達した総括的結論と人間の完成過程に関する特性は、人間が自己の理性によって定められた本分は~芸術やもろもろの学問により文明化し道徳化するにある。~ゆえに人間は善に行くように教育されねばならぬ、しかるに人間を教育するものはこれまた人間である、すなわちいまだに生来の粗野な状態にありながらもしかも、彼自身の必要とするところのものを実現せねばならぬ人間なのである。
 そして最後に、人類の意欲は一般的には善であるが、その実現には世界公民的に結合せられた一つの組織としての人類において、又かかるものとしての人類足らんとして、進歩してゆく世界市民の有機的組織によってのみ可能である。」

 この言葉が、「実用的人間学」の最後の言葉です。


★渋谷治美氏の全集の「人間学」の解説↓

 実用的人間学とはどのようなものか P518

(1)人間とは、文化(陶冶・洗練)を通して自己教育していく地上に生存する理性的生物であると認識すること(カントはこれを「世界知」としたー岩波文庫では世間知と呼び換えている)が実用的人間学の目標である。
(2)「実用的な人間学」の特徴は、人間は自由の主体として自ら何を形成し何をすべきかの究明にあること
(3)人間を「世界市民」とみなす視点にこそ実用的人間学の神髄があること


以下wikiより

日本語のいわゆる「人間学」はドイツ語の 'Anthropologie' の訳語であり、ドイツ語圏ではこの語はかつては人間に関する哲学的な研究を意味するものであった。この語を「人類学」と訳する者もいるが、英米圏のAnthropologyが人類を生物学的に研究する自然人類学のみならず、人類の文化的社会的な側面を研究する文化人類学を含むことから、20世紀に興った哲学の一部門を「哲学的人間学」(独:Philosophische Anthropologie、英:philosophical anthropology、仏:anthropologie philosophique)と呼び、人間学と人類学を区別するのが通例である。

イマヌエル・カントは、この「人間学」の立場を明確にした代表的な哲学者でもある。カントは、哲学には、、「わたしは何を知ることができるのだろうか」(Was kann ich wissen?)、「わたしは何をすべきなのであろうか」(Was soll ich tum?)、「わたしは何を望むのがよいのだろうか」(Was darf ich hoffen?)「人間とは何だろうか」(Was ist der Mensch?)という4つの問題に対応する4つの分野があるとした上で(『論理学講義』他)、最後の問題について研究する学を「人間学」であるとした。高坂正顕は、カント哲学の全体を人間学の大系であるとしており、以後、カントは「人間学」を自身の哲学の根本のひとつにしていたという見方がされるようになった。

_______________

以下の原目次は第二版以降。 岩波全集第15巻17ー9頁より。岩波版には独自の→詳細目次が別にある。
<>内は引用者メモ。数字は岩波全集版頁数。
目 次
第一部 人間学的な教訓論
 第一編 認識能力について
  自分自身を意識すること〔統覚〕について
  白己中心主義について
  自分の〔感性的〕表象が自由に〔悟性的に〕意識できることについて
  自分白身〔の内面〕を観察することについて
  われわれが意識しないまま抱いている類いの表象について
  自分の表象を意識する際の判明性と非判明性について
  悟性と対照された感性について
  感性の弁護
  認識能カー般に可能なこと〔のあれこれの程度〕について
  感官の仮象をめぐる技巧的な戯れについて <眩惑(自然ー技巧的、錯覚ー欺瞞)p56>
  許すことのできる道徳的な仮象〔ふり〕について
  五つの外的感官について
  内的感官について
  感官感覚の強度が増減する原因について
  感官能力の抑止、衰弱、全面喪失について
  種類の違いに応じた感性的能力について
  構想力によって過去のことや未来のことを現在化する能力について
  健康状態における意のままにならない創像、すなわち夢について
  表示能力〔記号の能力〕について <スウェーデンボルグ=夢想p118>
  悟性に根拠をおくかぎりでの認識能力について 

             <人間学遺稿ではこの後に、上位の3つの認識能力のうちの悟性における、神学/法学/医学、及び啓蒙についての考察がある。p358-
  認識能力に関するかぎりでの魂の弱さと病いについて
  認識能力におけるいくつかの才能、すなわち機知、明敏、独創性または天才について

 第二編 快と不快の感情
  感性的な快について
   A 愉快なものに関する感情、すなわち何かある対象を感覚するときの感性的な快について
   B 美しいものに閲する感情、または趣味について

 第三編 欲求能力について
   興奮について
   情念について <自然/文化  A自由奔放の傾向性・性・(B復讐欲)/C名誉欲・権勢欲・所有欲 p230->
   肉体的な最高善について
   道徳的かつ肉休的な最高善について <食事の集い、4人から最高10人まで p245>

第二部 人間学的な性格論
 A 個人の性格について
  1 気だてについて
  2 気質について<1感情aお調子者の多気質b苦虫君の気鬱質、2活動cお山の大将の胆汁質d沈着冷静型の粘液質 図p263>
  3 心構えとしての性格について
  人相術について
 B 男女の性格について
 C 国民の性格について
 D 人種の性格について
 E 人類の性格について
  人類の性格描写の概要
        ____________________




岩波版全集第15巻詳細目次人間学遺稿の目次は別にある)

目 次
<>はメモ。
はじめに
〔原目次〕
第一部 人間学的な教育論
     人間の内面および外面を認識する方法について
第一編 認識能力について
 自分自身を意識すること〔統覚〕について
 自己中心主義について 多元主義p28>
  余談 自分中心主義的な言葉遣いの煩わしさについて
 自分の〔感性的〕表象が自由に〔悟性的に〕意識できることについて
 自分自身〔の内面〕を観察することについて 
 われわれが意識しないまま抱いている類いの表象について
 自分の表象を意識する際の判明性と非判明性について
 悟性と対照された感性について
 感性の弁護
  第一の告発に対する感性の正当化
  第二の告発に対する感性の正当化
  第三の告発に対する感性の正当化
 認識能力一般に可能なこと〔のあれこれの程度〕について
 感官の仮象をめぐる技巧的な戯れについて <眩惑(自然ー技巧的、錯覚ー欺瞞)p56>
 許すことのできる道徳的な仮象〔ふり〕について
 五つの〔外的〕感官について
  触覚の感官について
  聴覚〔の感官〕ついて
  視ること〔視覚〕の感官について
  味覚と嗅ぐこと〔嗅覚〕の感官について
  外的諸感官に関する一般的な注
  いくつかの問題
 内的感官について
 感官感覚の強度が増減する原因について
  a 対 照
  b 新 鮮
  c 交 替
  d 〔感覚の〕充足状態に至るまでの漸増     
 感官能力の抑止、衰弱、全面喪失について
 構想力について
 種類の違いに応じた感性的創像能力について
  A 造形の感性的創像能力について
  B 連想の感性的創像能力について
  C 親和の感性的創像能力〔について〕
 構想力によって過去のことや未来のことを現在化する能力について
  A 記憶について
  B 先見能力(予見)について
  C 占い師の天分(予言者の能力)について
      <預言(経験則による自然的なもの)占言(既知の経験則に反したもの)、霊的預言(超自然的なものにもとずく霊感)に分けられる。p112>
 健康状態における意のままにならない創像、すなわち夢について
 表示能力(記号の能力)について  <スウェーデンボルグ=夢想p118>
  追 記
 悟性に根拠をおくかぎりでの認識能力について 
  分 類
 上位の三つの認識能力相互の人間学的な比較 
             <人間学遺稿では、上位の3つの認識能力のうちの悟性における、神学/法学/医学、及び啓蒙についての考察がある。p358->
 認識能力に関するかぎりでの魂の弱さと病いについて
  A 一般的な分類 <認識能力の欠陥=弱さ/病気(鬱病/狂気)p133>
  B 認識能力における心の弱さについて
  C 心の病いについて
  雑 注
 認識能力におけるいくつかの才能について
 比較する機知と詭弁を弄する機知との種別的な差異について
  A 生産的な機知について
  B 明敏または探究の才について
  C 認識能力の独創性または天才について <発明/発見。p165>

第二編 快と不快の感情〔について〕
  分 類
 感性的な快について
  A 愉快なものに関する感情、すなわち何かある対象を感覚するときの
    感性的な快について
   具体例による解明
   退屈と気晴らしについて <退屈→自殺p178、人生の短さp180>
  B 美しいしいものに関する感情、すなわち反省された直観における
    一部は感性的で一部は知性的な快について、または趣味について
   趣味は道徳性を外から促進する傾向を含んでいる
 趣味についての人問学的な診断
  A 旅行の趣味ついて
  B 技芸の趣味について
  贅沢について

第三編 欲求能力について
 興奮についてーー情念と対照して
 特に興奮について
 A 心による興奮の制御について
 B さまざまな興奮そのものについて
 臆病と勇敢について
 目的からすると逆効果に働く興奮について(魂の手に負えない衝動)
 自然が健康を機械的に促進するときに用いる興奮について
  総 注
 情念について 
 情念の分類 <自然/文化  A自由奔放の傾向性・性・(B復讐欲)/C名誉欲・権勢欲・所有欲 p230->
  A 情念としての自由奔放の傾向性について
  B 情念としての復讐欲〔の傾向性〕ついて
  C 情念としてべ他人に対して何らかの影響力をもつ能力に
    執着する傾向性について
   a 名誉
   b 権勢欲
   c 用心欲
 情念としての熱中〔狂想〕する傾向性について
 肉体的な最高善について
 道徳的かつ肉体的な最高善について <安楽←→徳。交際p244。食事p245>

第二部 人間学的な性格論
     人間の内面を外面から認識する方法について
  分 類
 A 個人の性格
  Ⅰ   気だてについて
  Ⅱ 気質について
   1 感情にまつわる気質
    A お調子者の多血質
    B 苦虫君の気鬱質
   2 活動の気質
    C お山の大将の胆汁質
    D 沈着冷静型の粘液質 <図↓p263>

C____A
胆    多
汁    血
質    質
|    |
|    |
D____B
粘    気
液    鬱
質    質

岩波カント全集15巻263頁より
ABは感情、CDは活動の気質に分類される。季節でいえば春秋夏冬の順である。通常の四体液説とは順番が違う。

  Ⅲ 心構えとしての性格について
   人間に一つの性格が備わっているかいないかから直ちに帰結する諸性質について
  人相術について
   人相術への自然の誘いについて
  人相術の分類
   A 目鼻の形について
   B 面貌に見られる性格的なものについて
   C 顔癖から読み取れる性格的なものについて
   他愛のない余談の数々
   D 男女の性格
     とりとめのない覚え書き
     いくつかの実用的な結論
   C 国民の性格〔国民性〕
   D 人種の性格
   E 人類の性格
    人類の性絡描写の概要 <権力と、自由と法律、p326試作図↓。善と悪p330>


   権 力
    |
 野蛮C|専制政治B
____|_____法律と権力
無政府A| 共和制D
    |
  自由と法律

p326
(法律の捉え方が一般と違う?)


 自由  権力  法律
____    ____A無政府
    ________B専制政治
    ____    C野蛮
____________D共和制


        _______________________



書評=フーコー『カントの人間学』:メモ(再送) 

重要なのは7章の「源泉・領域・限界」の『論理学』と『オプス・ポストゥムム』(遺稿、遺作)に触れた箇所だろう。

『論理学』での文法上の
「主語」「述語」「繋辞」(96頁)がそれぞれ、
『オプス・ポストゥムム』の
「源泉・領域・限界」、
つまり
「神」「世界」「人間」(94頁)に対応し、
さらに『第一批判』の
「理性」「知性」「感性」(106頁)、
全体系では
「純粋理性」「実践理性」「判断力」(106頁)に対応する、という指摘は参考になった。

(三幅対を強調すれば以下の図のようになるだろう)

   神 _________ 世界    遺稿
(源泉)|\       /|(領域) 
    | \人 間 学/ |     
  主語|__\   /__|述語    論理学
    |\  \人間  /|     
    | \ (限界)/ |      
  理性|__\ | /__|知性    能力  
    |\  \繋辞  /|     
純粋  | \  |  / |実践       
理性批判|__\_|_/__|理性批判  批判書(↑レベル)
     \  \感性  /  
      \  |  /
       \ | /
        \判断力批判


あるいは(ア・プリオリな認識の場所を強調した場合)、

           _________
        感性|   人    /|判断力
        / |  間    / |
       /知性__学___ /  |実践理性
人間(限界)|   |     |繋辞 |  
      |_理性|_____|___|純粋理性_______
世界(領域)|   |     |述語/|      ア
      | 能力|_____|_/_|批判書  プ・ 
神(源泉)_|_ /______|主語/______リ__
      | /       | /      オ
遺稿    |/________|論理学     リ


全体系は、


          __________________________________ 
         /|               /|    人  (教育論/認識)/|オ
        / |              / |              / |
       /  |             /  |             /  |プ
      /___|____________間___|____________/   |
     /|   |           /|   |    (快、不快) /|   |ス
    / |   |          / |   |          / |   |
   / (欲求) |  学      / (性格論)|         /  |   |・
  /___|___|________/___|___|________/   |   |
 |    |   |       |    |   |       |    |   |ポ
 |永   |   |       |    |   |       |    |  論|
 |遠   |   |       |    |   |       |    |   |ス
 |平   |   |_______|____|___|_______|____|__理|
 |和   |  /|       |    |  /|       |    |  /|ト
 |の   | / |  自   然| の  |形/ |而   上  |学   | /学|
 |た   |/  |       |    |/  |       |    |/  |ゥ
 |め   |___|_______|____|___|_______|____|   |
 |に  /|   |     (徳|論) /|   |       |   /|   |ム
 |  / |人 倫|の      |  / |理性の限界内における |  / |   |
 | /(法学)  |形 而 上 学| /宗教(目的論)       | /  |   |ム
 |/___|___|_______|/___|___|_______|/   |   |
 |    |   |       |    |   |       |    |   |
 |    |   |       |    |   |       |    |   |
 |    |   |_______|____|___|_______|____|___|
 |    |  /        |    |  /(空間)(時間)|(数学)|  / 
 |    | /   純   粋 | 理  |性/  批   判  |    | /
 |    |/          |    |/(物理学)     |    |/
 |    |___________|____|___________|____/
 |   /         (倫理|学) /          (美|学) /
 |  / 実 践 理 性 批 判 |  /  判 断 力 批 判  |  /
 | /              | /(目的論)         | /
 |/_______________|/_______________|/




カント『視霊者の夢』1766年
- 『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik

カントは 『視霊者の夢』を 「形而上学的結び目」としての霊の考察から始めている。霊とは何か。霊は存在するのか、霊という語は何を意味しているか。これらの問いに対して、カントは 「大学の方法的な饒舌」を否定 す る こ と か ら 始 め 、 「私 は 何 も 知 ら な い 」とい う ソ ク ラ テ ス 的 無 知 を 出 発 点 と し て い る 。
し か し霊 と い う 言 葉 は 、 そ れ が 幻 影 で あ れ 、 現 実 的 な も の で あ れ 一 般 に 使 用 さ れ て い る こ と は 事 実 で あ る 。 し たがってその 「隠れた意味」が開示されなければならない。カントは 「霊的」という語を 「物質的」という語と の対比において考察を進める。「物質的」とは、(1)ある空間内において存在 (延長)し 、(2)他の物質の侵入に 抵抗する何かがある (不可入的)場 合をいう。
それらの合成が、不可入的かつ延長的な全体を与える単純な諸実体は、物質的統一 と称されるが、それ らの 全 体 は 、 物質と 呼 ば れ る 。
 これに対 して 「霊的」とは、(1)不可入性の特性を具有せず、(2)それをどんなに集め合わせても一つの固い全 体を形づくることはない。
この種の単純な存在者は非物質的存在者と名づけられ、またもしそれらが理性を持つ場合は、霊と名づけられる。 霊は、(1)単純な実体として空間内に現存し、活動性を持つが空間の充実としての抵抗をもたず、物質的存在 者に対しても可入的である。(2)直接的現在の場所は点ではなく、それ自体一空間であるが延長を持たない。延 長の限界が形を定めるのであるから、霊は如何なる形も考えられない。
ところで、いま 「人間の魂」が一つの霊であるとすれば、それは次のように考えなければならない。(1)物体 界における人間の魂の場所は、その変化が私の変化があるような物体である。すなわち私の身体が私の魂の場所 である。 (2)身体内の私の魂の場所については、「私が感覚するところに私は在る」とされている。カントは 霊の活動性、可入性、無延長性等の特性から推測して、人間の魂についても、それを脳髄の極小部分に閉じ込め るような物体的考え方をせず、私の身体において私の感ずるところに在るという考え方をしている。
以上がカントの霊の規定であるが、この際問題は、霊という超経験的概念に対するカントの認識論的基本姿勢 にある。注目すべき特徴をあげると、まず 「普通の経験を頼りにして」考察が進められていることである。そ れは端的には 「常識の立場」である。「常識は、真理を証明し、また解明しうる諸根拠を洞察する以前に、しば しば真理に気づく」からである。次に、この経験を頼 りにする常識の立場が、直ちに経験論の立場を意味する ものではないことである。この点に関しては、カントは極めて慎重である。「霊的と名づけられるような種類の 存在者が一体可能であるかどうか」。カントは自問して、次のように自戒している。
この際私はこの最も深遠で最も不分明な問題において、最も容易に切迫してくる性急な決定を警戒せざるをえない。
http://www.fukushima-nct.ac.jp/~welfare/lib/arc_fnct/47/06-008.PDF


「悟性の秤りは、やはりまったく偏りがないわけではない、つまり未来への希 望という銘をもつその腕木は、その腕木についている皿に乗る軽い根拠でも、他の側のそ れ自身ではより大きな重みの思弁を高くはね上げるような機構的な利点をもっている。こ れは、私が恐らく除きえない、また実際決して除こうとは思わない唯一の不正である」

「しかし、死とともにすべてが終わるという思想に堪えることができ、また その高貴な心術が未来への希望にまで高められなかったような誠実な心は、いまだかって なかったであろう。したがって、来世への期待を善良な心の感情の上に基礎づける方が、 逆に心の正しい態度を来世への希望の上に基礎づけるより、人間性と道徳の純粋さに一層 適合しているようにおもわれる」

http://www.kochinet.ed.jp/ko-rinri/pdf_data/

近代批判の鍵 - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-36.html>
カント論に関して、私はこの本(『理性の不安』)から決定的な影響を受けた。私の『トランスクリティーク…カントとマルクス』という著作は、『視霊者の夢』からカントの可能性を見る坂部氏の本なしにありえなかった、といっても過言ではない。しかし、最初に『理性の不安』を読んだとき、私はむしろそれを文学評論として読んだのである。というのも、坂部氏は、カントの『視霊者の夢』に関して何よりも、「自己を嘲笑する」ことから始めるカントの書き方に注目していたからである。氏はそこに、ディドロやスターンの文学との共時的な類似を見出している。一八世紀の小説では、サタイヤや書簡体など多種多様な表現形式がとられたが、一九世紀に「三人称客観」の手法が確立したとき、それらは未熟な形式として抑圧されてしまった。 「三人称客観」の視点は仮構であるが、それはカントでいえば、「超越論的主体」という仮構に対応するものである。逆にいうと、カントが超越論的主体を仮構した時点で、小説に生じたのと同じことが哲学におこった。坂部氏がとらえたのはそのような変化である。『視霊者の夢』に見られるカントの「理性の不安」や多元的分散性は、『純粋理性批判』では致命的にうしなわれてしまった、と坂部氏はいう。カントの柔軟な思考と文体は、「学校の文体といわば妥協し、伝統的な形而上学の枠どりに何らかの程度復帰して、自己の思考の社会化に乗り出すと同時に、必然的にうち捨てられることになる」(「カントとルソー」{坂部恵集第2巻}p232)。 とはいえ、坂部氏は、『純粋理性批判』よりも『視霊者の夢』のほうが重要だといっているわけではない。坂部氏がいいたいのは、『純粋理性批判』あるいは「批判哲学」は、それよりも前の『視霊者の夢』から見るとき、別の可能性、つまり、近代哲学を超える可能性をもちうるということである。すなわち、坂部氏は、近代批判の鍵を、近代以前にさかのぼるかわりに、十八世紀半ば、すなわち、啓蒙主義とロマン主義の境目の一時期に求めたのである。そこでは、もはや啓蒙的合理性が成り立たなくなっている。にもかかわらず、そこであくまで啓蒙的スタンスを維持しようとするならば、「自己嘲笑」的なスタイルによってしかありえない。カントが『視霊者の夢』でとった文体は、そのような苦境が強いたものである。
「近代批判の鍵」・『坂部恵集1』月報(岩波書店)より


※定本『トランスクリティーク』335頁におけるカント『人間学』引用部分、孫引き

  年若き人よ。満足してしまうこと(悦楽、耽溺、恋愛等等のことどもについて)のないようにさ
 れるがよい。それはこのような満足を全くもたずにすまそうとするストア的な考え方に従うので
 はなくて、ますます増大する享楽をいつも前途にもっていようとする、洗練されたエピクロス的
 な考えからいうのである。このようにあなたの生の感情の現金所有額を倹約することは、享楽を
 延期することによって、——よしんば生涯の最後に達して所持現金の使用を概ね断念することに
 なろうとも、——実はあなたをより富んだ人にするのである。享楽を意のままにすることができ
 るという意識は、一切の観念的なものがそうであるように、かの、享楽とともに消尽し、かくし
 て全体の量を滅少させながら感官を満足させるところの一切のものにも増して有効であり、かつ
 その及ぶ範囲が広大なのである、(『人間学』第一篇二五d、坂出徳男訳、岩波文庫)80頁


   


Kant's handschriftlicher Nachlaß
    Anthropologie.
岩波書店版カント全集第15巻(335-339頁)  A版 第15巻 55-899頁(抄訳)
カント遺稿 
 人間学
目 次

I 人間学への覚書集
  人間学の課題と区分について
第一部 人間学的な教訓論
 第一編 認識能力について
  自分自身を意識することについて(省略)
  自分の表象が自由に意識できることについて
  自分白身を観察することについて(省略)
  われわれが意識しないまま抱いているたぐいの表象について
  自分の表象を意識する際の判明性と非判明性について
  悟性と対照された感性について
  感性の弁護ーー感官の仮象をめぐる技巧的な戯れについてーー許すことのできる道徳的な仮象
  について
  認識能力が一般になしうることについて(省略)
  五感についてーー内的感官について
  感官感覚の強度が増減する原因について(省略)
  感官能力の抑止、衰弱、全面喪失について(省略)
  構想力について
  さまざまな種類の感性的創造能力について
  構想力によって過去のことや未来のことを現在化する能力について
   A 記憶について(省略)
   B 先見能力についてーーC 占い師の天分について
  健康状態における不随意な関係、すなわち夢について
  表示能力(記号の能力)について(省略)
  悟性に根拠をおくかぎりでの認識能力についてーー区分(省略)
  上位の三つの認識能力相互の人間学的な比較
  生産的な機知について
  認識能力に関するかぎりでの魂の弱さと病いについて
   A 一般的な区分ーーーC 心の病いについて
   B 認識能力における心の弱さについて
  認識能力における諸才能について(省略)
  比較する機知と理屈をこねる機知との種別的な差異について
   A 生産的な機知について
   B 明敏または探究の才について(省略)
   C 認識能力の独創性または天才について(省略)
 第二編 快と不快の感情
  区分(省略)
  感性的な快について
   A 愉快なものに関する感情、すなわち何かある対象を感覚するときの感性的な快について
   B 美しいものに関する感情、すなわち、反省された直観における一部は感性他で一部は知性的
     な快について、または趣味についてーー認識能力の独創性または天才について
  贅沢について(省略)
 第三編 欲求能力について
  特に興奮について
   A 心による興奮の支配について
   B さまざまな興奮そのものについて
  臆病と勇敢について
  自然が健康を機械的に促進するときに用いる興奮について(省略)
  情念について(省略)
  情念としての、他人に対して何らかの影響をもつ能力に執着する傾向性について
   a 名誉欲
   b 権勢欲
   c 所有欲(省略)
  肉体的な最高善について
  道徳的かつ肉休的な最高善について(省略)
第二部 人間学的な性格論
  区分(省略)
  A 個人の性格
   I 気だてについて(省略)
   II 気質について(省略)
   III 心構えとしての性格について
   人相術について
  B 男女の性格
  C 国民の性格     
  D 人種の性格(省略)
  E 人類の性格
  F 年齢の性格


II 一七七〇年代の講義草稿より

III 一七八〇年代の講義草稿より

一三五五
 ドイツの国民精神について。
 諸民族が合流するよりは、反発力によって互いに抗争するというのが、摂理の意図するところであるので、国と
しての自負とか、国同士の憎み合いなどは、諸国家を分離しておくために、不可避のこととなる。それゆえ、ユダ
ヤ人やトルコ人のように、他のすべての宗教は呪われた邪教であると信じている場合には、宗教を理由として、ま
た、他の民族はみな不器用で無知であると信じているところでは、悟性のうぬぼれが理由となって、あるいはまた、
誰もがわが民族の前に恐れおののかねばならぬと信じている場合には、勇気を理由として、さらに、他の民族はみ
な奴隷状態にあると思っている場合には、自由を理由として、いずれの場合も、ある民族は他国よりも自国を愛す
るのである。各国の政府はこの妄想を歓迎する。これが、われわれが本能に任せて互いに結合したり分離したりす
る、その世界編制のメカニズムなのだ。一方、理性はわれわれに法を与えて、本能は盲目だから、われわれの中の
動物性を導くことはするけれども、理性の格率によってとって代わられねばならない、と教えるのである。そうな 
るためには、ここに述べた国家の妄想は根絶やしにされるべきであり、祖国愛と世界市民主義がそれにとって代わ
らなければならない。

(同書410~1頁)

参考:柄谷行人『帝国の構造』(190~1頁)

土曜日, 12月 22, 2012

『法華経』:文底内証の寿量品たる「一品二半」(漢訳/訓読)

『法華経』(→泉鏡花と『法華経』リンク::::::全体図↓)


参照:http://www.myofukuji.or.jp/okyo/index.html

              妙 法 蓮 華 経 総 科(A~E日蓮解説リンク付き
  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
一経三段                                     二経六段
┃                                           ┃
┣序━巻第一━序品━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━序┓ ┃
┃分┏    方便品━━┳━━━━━━━━━━━━略して三を開いて一を顕す━┓分┃ ┃
┃ ┃           ┗━━正説━┓                   ┃ ┃ ┃
┃ ┃            ┏━領解━╋━法説周━┓             ┃正┃ ┃
┃ ┃          ┏━╋━述成━┫     ┃             ┣宗┫ ┃
┃ ┃巻第二 譬諭品━┫ ┗━授記━┛     ┃             ┃分┃ ┃
┃ ┃          ┗━━━正説━┓     ┃             ┃ ┃
┃ ┃    信解品━━━━━領解━╋━譬喩周━╋広く三を開いて一を顕す━━┛ ┃迹┃
┃ ┃巻第三 薬草諭品━━━━述成━┫     ┃               ┣門┫
┃ ┃    授記品━━━━━授記━┛     ┃               ┃ ┃
┃ ┃    化城諭品━━━━正説━━┓    ┃               ┃ ┃
┃ ┃巻第四 五百品━┓ ┏━領解━┓┣因縁周━┛               ┃ ┃
┃          ┣━╋━述成━╋┛                    ┃ ┃
┃正┃    人記品━┛ ┗━授記━┛                     ┃ ┃
┣宗┫    法師品10━┳━━━━━━━━━━━━弘通の功の深きを明かして━┓ ┃ ┃
┃分┃    宝塔品11━┛               未来の流通を勧む  ┃流┃ ┃
┃ ┃巻第五 提婆品12━━━━━━━━━━━━━━往事を挙げて流通を証す━━╋通┛ ┃
┃ ┃    勧持品13━━━━━━━━━━━━━━他方と此の土の流通を勧む━┫分  ┃
┃ ┃    安楽行品14━━━━━━━━━━━━━初心者のために安楽行を説く┛   ┃
┃ ┃              ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━序┓ ┃
┃ ┃    従地涌出品15━━┫                       分┃ ┃
┃ ┃              ┗━━━━━━━━━略して近を開いて遠を顕す━┓
┃ ┃巻第六 如来寿量品16━━近を開いて遠を顕す┓             ┣正╋本┛
┃ ┗            ┏━法身の記を授く━━╋広く近を開いて遠を顕す━━┛宗┃門
┃      分別品17━━╋━領解申す━━━━┛              分┃
┃ ┏            ┗┓                         ┃
┃ ┃    随喜品18━━━┻初品の因の功徳━━━━━┓            ┃
┃ ┃    功徳品19━━━━初品の果の功徳━━━━━╋━滅後の功徳を説いて┓ ┃
┃ ┃巻第七 不軽品20━━━━信毀の罪福━━━━━━━┛     流通せしむ┃流┃
┃流┃    如来神力品21━━別付嘱━━┳━━嘱累流通┓          ┣通┛
┗通┫    嘱累品22━━━━総付嘱━━┛      ┃          ┃分
 分┃    薬王品23━━━━苦行━━━┓      ┃          ┃
  ┃    妙音品24━┳━━三昧━━━┫      ┣━流通を付嘱す━━━┛
  ┃巻第八 普門品25━┛       ┣━━化他流通┫
  ┃    陀羅尼品26━━━総持━━━┫      ┃
  ┃    厳王品27━━━━誓願━━━┛      ┃
  ┗    勧発品28━━━━神通━━━━━━自行流通┛

参照:岩波文庫『法華経下』
サンスクリット原典では第22品が末尾にまわる。     『法華経』(全体図
漢訳/訓読:http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/hokekyou/hk.html

参照:http://homepage3.nifty.com/y-maki/hihan/gojyusanndan.htm

____________

『法華経』

参照:http://www.myofukuji.or.jp/okyo/index.html 

          妙 法 蓮 華 経 総 科
  ┏━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━┓
一経三段
                          二経二段
┃                                 ┃
┣序━巻第一━序品━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━序┓ ┃
┃分┏    方便品━━┳━━略して三を開いて一を顕す━┓分┃ ┃
┃ ┃           ┗━━正説━┓         ┃ ┃ ┃
┃ ┃            ┏━領解━╋━法説周━┓   ┃正┃ ┃
┃ ┃   _      ┏━╋━述成━┫     ┃   ┣宗┫ ┃
┃ ┃巻第二 譬諭品━┫ ┗━授記━┛     ┃   ┃分┃ ┃
┃ ┃          ┗━━━正説━┓     ┃   ┃ ┃

┃ ┃   _信解品━━━━━領解━╋━譬喩周━╋━━━┛ ┃迹┃
┃ ┃巻第三 薬草諭品━━━━述成━┫     ┃     ┣門┫
┃ ┃    授記品━━━━━授記━┛     ┃     ┃ ┃
┃ ┃   _化城諭品━━━━正説━━┓    ┃     ┃ ┃
┃ ┃巻第四 五百品━┓ ┏━領解━┓┣因縁周━┛     ┃ ┃
┃ ┃          ┣━╋━述成━╋┛          ┃ ┃
┃正┃    人記品━┛ ┗━授記━┛           ┃ ┃
┣宗┫    法師品10━┳━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ ┃
┃分┃   _宝塔品11━┛               ┃流┃ ┃
┃ ┃巻第五 提婆品12━━━━━━━━━━━━━━━━━╋通┛ ┃
┃ ┃    勧持品13━━━━━━━━━━━━━━━━━┫分  ┃
┃ ┃    安楽行品14━━━━━━━━━━━━━━━━┛   ┃
┃ ┃              ┏━━━━━━━━━━━━━序┓ ┃
┃ ┃   _従地涌出品15━━┫             分┃ ┃
┃ ┃              ┗━━━━━━━━━━━━┓ ┃
┃ ┃巻第六 如来寿量品16━━近を開いて遠を顕す┓   ┣正╋本┛
┃ ┗           
 ┏━法身の記を授く━━╋━━━┛宗┃門
┃      分別品17━━╋━領解申す━━━━┛    分┃
┃ ┏            ┗┓              
┃ ┃    随喜品18━━━┻初品の因の功徳━━━━━┓  ┃
┃ ┃   _功徳品19━━━━初品の果の功徳━━━━━╋┓ ┃
┃ ┃巻第七 不軽品20━━━━信毀の罪福━━━━━━━┛┃流┃
┃流┃    如来神力品21━━別付嘱━━┳━━嘱累流通┓┣通┛
┗通┫    嘱累品22━━━━総付嘱━━┛      ┃┃分
 分┃    薬王品23━━━━苦行━━━┓      ┃┃
  ┃   _妙音品24━┳━━三昧━━━┫      ┣┛
  ┃巻第八 普門品25━┛       ┣━━化他流通┫
  ┃    陀羅尼品26━━━総持━━━┫      ┃
  ┃    厳王品27━━━━誓願━━━┛      ┃
  ┗    勧発品28━━━━神通━━━━━━自行流通┛


               法華経A
┏━━━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
一経三段B                            二経六段
┃                                  ┃
┃┏序分━━巻第一 序品第1━━━━━━━━━━━━━━序分━┓   ┃
┃┃   ┏                         ┃C  ┃
┃┃   ┃    方便品第2━━━━━━┳━━━━━━正宗分╋迹門┓┃
┗╋正宗分┫巻第二 譬諭品第3~人記品第9┛         ┃  ┃┃
 ┃   ┃ ~四                      ┃  ┃┃
 ┃   ┃巻第五 法師品第10~安楽行品第14━━━━流通分┛  ┃┃
 ┃   ┃                            ┣┛
 ┃   ┃              ┏━━━━━━━序分━┓  ┃
 ┃   ┃    従地涌出品第15━━┫          ┃  ┃
 ┃   ┃              ┗━━━━━━┓   ┃D ┃
 ┃   ┃巻第六 如来寿量品第16━━━━━━━┓ ┣正宗分╋本門┛ 
 ┃   ┃            ┏━━━━━━╋━┛E  ┃
 ┃   ┗    分別品第17━━╋━━━━━━┛     ┃
 ┃   ┏            ┗━━━━━━┓     ┃
 ┃   ┃    随喜品第18━━━━━━━━━┻┓    ┃
 ┃   ┃    功徳品第19━━━━━━━━━━╋┓   ┃
 ┃   ┃巻第七 不軽品第20━━━━━━━━━━┛┃   ┃
 ┃   ┃    如来神力品第21━━━┳━━━━┓┣流通分┛
 ┗流通分┫    嘱累品第22━━━━━┛    ┃┃
     ┃    薬王品第23~妙音品第24┳━━╋┛
     ┃巻第八 普門品第25~厳王品第27┛  ┃
     ┃    勧発品第28━━━━━━━━━━┛
     ┗


 
               法華経A
┏━━━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
一経三段B                            二経六段
┃                                  ┃
┃┏序分━━巻第一 序品第1━━━━━━━━━━━━━━序分━┓   ┃
┃┃                             ┃C  ┃
┃┃   ┏    方便品第2━━━━━━┳━━━━━━正宗分╋迹門┓┃
┗╋正宗分┫巻第二 譬諭品第3~人記品第9┛         ┃  ┃┃
 ┃   ┃ ~四                      ┃  ┃┃
 ┃   ┃巻第五 法師品第10~安楽行品第14━━━━流通分┛  ┃┃
 ┃   ┃                            ┣┛
 ┃   ┃              ┏━━━━━━━序分━┓  ┃
 ┃   ┃    従地涌出品第15━━┫          ┃  ┃
 ┃   ┃              ┗━━━━━━┓   ┃D ┃
 ┃   ┃巻第六 如来寿量品第16━━━━━━━┓ ┣正宗分╋本門┛ 
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 ┃   ┗    分別品第17━━╋━━━━━━┛     ┃
 ┃   ┏            ┗━━━━━━┓     ┃
 ┃   ┃    随喜品第18━━━━━━━━━┻┓    ┃
 ┃   ┃    功徳品第19━━━━━━━━━━╋┓   ┃
 ┃   ┃巻第七 不軽品第20━━━━━━━━━━┛┃   ┃
 ┃   ┃    如来神力品第21━━━┳━━━━┓┣流通分┛
 ┗流通分┫    嘱累品第22━━━━━┛    ┃┃
     ┃    薬王品第23~妙音品第24┳━━╋┛
     ┃巻第八 普門品第25~厳王品第27┛  ┃
     ┗    勧発品第28━━━━━━━━━━┛
     


参照:岩波文庫『法華経下』
サンスクリット原典では第22品が末尾にまわる。     
漢訳/訓読:http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/hokekyou/hk.html 

無量義経 http://www.geocities.jp/bukkyouni/2muryougikyou.htm

無量義経徳行品第一(現代語訳)

http://p.booklog.jp/book/21562/page/267165

信仰 │ 名言集および格言集
http://www.oyobi.com/maxim01/18_01.html

上よりの迫害を受けるによつて真の信仰が顕はれる。

日蓮 「書簡集」

別冊歴史読本参照(矢内原忠雄が引用しているが多分意訳)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C

妙法蓮華経二十八品一覧 編集
前半14品(迹門)
第1:序品(じょほん)
第2:方便品(ほうべんぼん)
第3:譬喩品(ひゆほん)
第4:信解品(しんげほん)
第5:薬草喩品(やくそうゆほん)
第6:授記品(じゅきほん)
第7:化城喩品(けじょうゆほん)
第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)
第9:授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)
第10:法師品(ほっしほん)
第11:見宝塔品(けんほうとうほん)
第12:提婆達多品(だいばだったほん)
第13:勧持品(かんじほん)
第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)
後半14品(本門)
第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)
第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)
第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)
第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)
第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)
第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)
第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)
第22:嘱累品(ぞくるいほん)
第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)
第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)
第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)(観音経)[注釈 6]
第26:陀羅尼品(だらにほん)
第27:妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)
第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)
その他の追加部分 編集
第29:廣量天地品(こうりょうてんちぼん)
第30:馬明菩薩品(めみょうぼさつぼん)
28品のほか、以上の追加部分も成立しているが、偽経扱いとなり普及しなかった。「度量天地品第二十九」は冒頭部分のみを除いて失われている。『妙法蓮華経』28品と同じくネット上でも大正新脩大蔵経データベースで閲覧できる。

法華七喩(ほっけしちゆ) 
法華経では、7つのたとえ話として物語が説かれている。これは釈迦仏がたとえ話を用いてわかりやすく衆生を教化した様子に則しており、法華経の各品でもこの様式を用いてわかりやすく教えを説いたものである。これを法華七喩、あるいは七譬(しちひ)ともいう。

三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品)
長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品)
三草二木(さんそうにもく、薬草喩品)
化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)
衣裏繋珠(えりけいしゅ、五百弟子受記品)
髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)
良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)


成立年代 

『法華経』の成立時期については諸説ある。

代表的な説として布施浩岳が『法華経成立史』(1934)で述べた説がある[1]。これは段階的成立説で、法華経全体としては3類、4記で段階的に成立した、とするものである。第一類(序品〜授学無学人記品および随喜功徳品の計10品)に含まれる韻文は紀元前1世紀ころに思想が形成され、紀元前後に文章化され、長行(じょうごう)と呼ばれる散文は紀元後1世紀に成立したとし、第二類(法師品〜如来神力品の計10品)は紀元100年ごろ、第三類(7品)は150年前後に成立した、とした[1]。その後の多くの研究者たちは、この説に大きな影響を受けつつ、修正を加えて改良してきた[1]。だが、近年になって苅谷定彦によって、「序品〜如来神力品が同時成立した」とする説[2]が唱えられたり、「勝呂信静によって27品同時成立説[3]が唱えられたことによって、成立年代特定の問題は『振り出しにもどった』というのが現今の研究の状況だ」と管野博史は1998年刊行の事典において解説した[1]。

中村元は、(法華経に含まれる)《長者窮子の譬喩》に見られる、金融を行って利息を取っていた長者の臨終の様子から、「貨幣経済の非常に発達した時代でなければ、このような一人富豪であるに留まらず国王等を畏怖駆使せしめるような資本家はでてこないので、法華経が成立した年代の上限は西暦40年である」と推察した[4]。また、渡辺照宏も、「50年間流浪した後に20年間掃除夫だった男が実は長者の後継者であると宣言される様子から、古来インド社会はバラモンを中心とした強固なカースト制度があり、たとえ譬喩であってもこうしたケースは現実味が乏しく、もし考え得るとすればバラモン文化の影響が少ない社会環境でなければならない[5]」と述べた。


  1. a b c d 『哲学 思想事典』岩波書店、1998年、pp.1485-1486 【法華経】
  2. ^ 苅谷定彦『法華経一仏乗の研究』1983
  3. ^ 『法華経の成立と思想』1993
  4. ^ 宮本正尊 編『大乗仏教の成立史的研究』(昭和29年) 附録第一「大乗経典の成立年代」
  5. ^ 渡辺照宏 『日本の仏教』 岩波書店、2002年6月12日、188頁。ISBN 978-4004121510

https://blogs.yahoo.co.jp/ts19570728/66639431.html?__ysp=5rOV6I%2Bv57WMIOW3uyA4

法華経は八巻二十八品からなり、開経の無量義経、結経の仏説観普賢菩薩行法経各一巻を入れて十巻
ともいう。その内容を巻別にあげれば、
無量義経:徳行品第一、説法品第二、十功徳品第三
妙法蓮華経巻一:序品第一、方便品第二
妙法蓮華経巻二:譬喩品第三、信解品第四
妙法蓮華経巻三:薬草喩品第五、授記品第六、化城喩品第七
妙法蓮華経巻四:五百弟子受記品第八、授学無学人記品第九、法師品第十、見宝塔品第十一
妙法蓮華経巻五:提婆達多品第十二、勧持品第十三、安楽行品第十四、従地涌出品第十五
妙法蓮華経巻六:如来寿量品第十六、分別功徳品第十七、随喜功徳品第十八、法師功徳品第十九
妙法蓮華経巻七:常不軽菩薩品第二十、如来神力品第二十一、嘱累品第二十二、薬王菩薩本事品第二十三
        妙音菩薩品第二十四
妙法蓮華経巻八:観世音菩薩普門品第二十五、陀羅尼品第二十六、妙荘厳王本事品第二十七
        普賢菩薩勧発品第二十八
仏説観普賢菩薩行法経

-聖教新聞社「教学小辞典」より-



____________

http://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/5/15.htm#20

略開近顕遠動執生疑
略開近顕遠
長行


爾時世尊。説是偈已。告弥勒菩薩。

 爾の時に世尊、是の偈を説き已って、弥勒菩薩に告げたまわく、…



http://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/6/17.htm#01

総授法身記 総じて法身の記を授く
教家総叙 (教家の総叙)

爾時大会。聞仏説寿命劫数。長遠如是。無量無辺。阿僧祇衆生。得大饒益。

 爾の時に大会、仏の寿命の劫数長遠なること是の如くなるを説きたもうを聞いて、無量無辺阿僧祇の衆生大饒益を得つ。


http://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/6/17.htm#05

弥勒総申領解 (弥勒総じて領解を申ぶ)

爾時弥勒菩薩。従座而起。偏袒右肩。合掌仏向。而説偈言

 爾の時に弥勒菩薩座より起って、偏に右の肩を袒にし、合掌し仏に向いたてまつりて、偈を説いて言さく、

____________
                『法華経』(全体図

 五重三段とは、
A一代一経三段・
B法華経一経三段・
C迹門熟益三段・
D本門脱益三段・
E文底下種三段

(第一重) 一代一経三段 ◎釈尊一代五十年の経々を三段に分けて判釈A
(第二重)法華経一経三段 ◎第一重の正宗分を序・正・流通の三段に分けて判釈B
(第三重)迹門熟益三段 ◎法華三部経のうち、無量義経と法華経迹門を三段に分けて判釈C
(第四重)本門脱益三段 ◎法華三部経のうち、法華経本門と観普賢菩薩行法経を三段に分けて判釈D
(第五重)文底下種三段 ◎文底下種の法門より、仏教の一切を括って三段に分けた判釈E
http://homepage3.nifty.com/y-maki/hihan/gojyusanndan.htm



日蓮 観心本尊抄 
<原文>+(現代語訳)


<法華経一部八巻二十八品・進んでは前四味・退いては涅槃経等の一代の諸 経惣じて之を括るに但一経なり始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは序分なり無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり涅槃経等は流通分なり、正宗十巻 の中に於て亦序正流通有り無量義経並に序品は序分なり、方便品より分別功徳品の十九行の偈に至るまで十五品半は正宗分なり、分別功徳品の現在の四信より普 賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分なり。>

(法華経一部二十八品・すすんでは前四味(乳味・酪味・生 蘇味・熟蘇味・)(法華経は醍醐味)の教え最後のほうでは涅槃経までの教えを整理してみるとただ一経にまとめられます。寂滅道場(初涅槃)から般若経にい たるまでは釈尊一代の教えの序分であり、無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗分であり涅槃経は流通分なのです。)
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55372579.html


<正宗十巻の中に於て亦序正流通有り無量義経並に序品は序分なり、方便品より分別功徳品の十九行の偈に至るまで十五品半は正宗 分なり、分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分なり。>

(正宗分のなかの十巻の中にまた序分・正宗分・流通分があります。無量義経と法華 経序品は序分なのです。方便品より、分別功徳品の十九行の偈にいたるまで十五品半は正宗分なのです。分別功徳品の現在の四信(仏在世あるいは滅後に法華経 を修行する者が初心の功徳を計るさいに四つの段階にわかれる。信解・略・一念解言趣・広為他説・深深観成の四つ)より普賢経にいたるまでの十一本半と一巻 は流通分なのです。)
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55372579.html


<又法華経等の十巻に於ても二経有り各序正流通を具するなり、無量義経 無量義経と序品は序分なり方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚 の仏・本無今有の百界千如を説いて已今当に超過せる随自意・難信難解の正法なり、>

(また法華経の十巻(経典は昔は巻物であり法華経は十巻二十八品)においても序・正宗・流通分があるのです。無量義経と序品は序分であり 方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なのです。その教主を論ずるならば始成正覚の仏、本無今有 (もとなくしていまあり:久遠の本地を明かさず今の成仏を論ずる)百界千如を説いて已今当(過去・現在・未来)に超える随自意で難信難解の正法なので す。)


<又本門十四品の一経に序正流通有り涌出品の半品を序分と為し寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す其の余は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊に非ず所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ、>

(又 本門十四品の一経に序正・流通有り、涌出品の半品を序分と為し寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す、その余は流通分とする、その教主を論ずれば始成正覚 の釈尊にではなく説くところの法門も亦天地の如き違いがあります。十界が久遠と説かれ、その上に国土世間既に顕われています。)
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55372579.html


<本門を以て之を論ずれば一向に末法の初を以て正機と為す所謂一往之を見る時は久種を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ、再往之を見れば迹門には似ず本門は序正流通倶に末法の始を以て詮と為す、在世の本門 と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。>

(本門から考えれば末法の始めをもって正機とするのです。いちおうこのことを考えると、久遠の昔に下種があったというべきで大通智 勝仏・前四味(乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味)をもって熟とし本門にいたって妙覚に登ったのです。しかしさらによく見れば迹門とは違い本門は序分・正宗分・ 流通分ともに末法の始めから始まるのです。お釈迦様在世の本門と末法の始めは同じものですがお釈迦様の本門は過去の下種を刈り取るためで末法の始めは下種 の為なのです。お釈迦様の仏法は一品二半(従地湧出品十五の後半と如来寿量品第十六一品と分別功徳品第十七の前半)であり末法の下種は南無妙法蓮華経なの です。)
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55372839.html

結論
<所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う、>

(結論は迹化や他方の大菩薩等に釈尊の内証の寿量品を以て授与すべきでなく末法の初は謗法(ほうぼう)の国であり悪機が充満し、故に菩薩の布教を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与しようと考えたのです。)
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55372839.html

参考:
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55372579.html 観心本尊抄 講義(12)A〜D
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55372839.html (13)E、結論
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55373080.html (14)  『法華経』(全体図

無量義経

http://www.geocities.jp/bukkyouni/2muryougikyou.htm

無量義経徳行品第一(現代語訳)

http://p.booklog.jp/book/21562/page/267165
_______________

妙法蓮華経 従地涌出品第十五 



爾時弥勒
菩薩。及八千恆河沙諸菩薩衆。皆作是念。我
等從昔已来。不見不聞如是大菩薩摩訶
薩衆。從地踊出住世尊前。合掌供養問訊
如来。時弥勒菩薩摩訶薩。知八千恆河沙諸
菩薩等心之所念。并欲自決所疑。合掌向
仏。以偈問曰。

無量千万億。大衆諸菩薩。
昔所未曾見。願兩足尊説。
是從何所来。以何因縁集。
巨身大神通。智慧思議。
其志念堅固。有大忍辱力。
衆生所楽見。為從何所来。
一一諸菩薩。所將諸眷屬。
其数無有量。如恆河沙等。
或有大菩薩。將六万恆沙。
如是諸大衆。一心求仏道。
是諸大師等。六万恆河沙。
倶来供養仏。及護持是経。
將五万恆沙。其数過於是。
四万及三万。二万至一万。
一千一百等。乃至一恆沙。
半及三四分。億万分之一。
千万那由他。万億諸弟子。
乃至於半億。其数復過上。
百万至一万。一千及一百。
五十與一十。乃至三二一。
單己無眷屬。楽於獨処者。
倶来至仏所。其数轉過上。
如是諸大衆。若人行籌数。
過於恆沙劫。猶不能尽知。
是諸大威徳。精進菩薩衆。
誰為其説法。教化而成就。
從誰初発心。稱揚何仏法。
受持行誰経。修習何仏道。
如是諸菩薩。神通大智力。
四方地震裂。皆從中踊出。
世尊我昔来。未曾見是事。
願説其所從。国土之名號。
我常遊諸国。未曾見是衆。
我於此衆中。乃不識一人。
忽然從地出。願説其因縁。
今此之大會。無量百千億。
是諸菩薩等。皆欲知此事。
是諸菩薩衆。本末之因縁。
無量徳世尊。唯願決衆疑。

爾時釈迦牟尼分身諸仏。從無量千万億他
方国土来者。在於八方諸宝樹下師子座上
結加趺坐。其仏侍者。各各見是菩薩大衆。
於三千大千世界四方從地踊出住於虚
空。各白其仏言。世尊。此諸無量無辺阿僧
祇菩薩大衆。從何所来。爾時諸仏各告侍
者。諸善男子。且待須臾。有菩薩摩訶薩。
名曰弥勒。釈迦牟尼仏之所授記。次後作
仏。以問斯事。仏今答之。汝等自当因是
得聞。

(正宗分 開近顕遠第二 動執生疑段)

爾時釈迦牟尼仏。告弥勒菩薩。善哉善哉
阿逸多。乃能問仏如是大事。汝等当共一
心。被精進鎧発堅固意。如来今欲顯発
宣示諸仏智慧。諸仏自在神通之力。諸仏師
子奮込之力。諸仏威猛大勢之力。爾時世尊。

欲重宣此義。而説偈言。
当精進一心。我欲説此事。
勿得有疑悔。仏智思議。
汝今出信力。住於忍善中。
昔所未聞法。今皆当得聞。
我今安慰汝。勿得懐疑懼。
仏無不實語。智慧不可量。
所得第一法。其深分別。
如是今当説。汝等一心聽。



爾時世尊。説此偈已。告弥勒菩薩。我今於
此大衆。宣告汝等。阿逸多。是諸大菩薩摩
訶薩。無量無数阿僧祇從地踊出。汝等昔
所未見者。我於是娑婆世界。得阿耨多羅
三藐三菩提已。教化示導是諸菩薩。調伏
其心令発道意。此諸菩薩皆於是娑婆世
界之下此界虚空中住。於諸経典讀誦通利
思惟分別正憶念。阿逸多。是諸善男子等。
不楽在衆多有所説。常楽靜処懃行精進
未曾休息。亦不依止人天而住。常楽深智
無有障礙。亦常楽於諸仏之法。一心精進
求無上慧。爾時世尊欲重宣此義。而説偈
言。

阿逸汝当知。是諸大菩薩。
從無数劫来。修習仏智慧。
悉是我所化。令発大道心。
此等是我子。依止是世界。
常行頭陀事。志楽於靜処。
捨大衆閙。不楽多所説。
如是諸子等。學習我道法。
晝夜常精進。為求仏道故。
在娑婆世界。下方空中住。
志念力堅固。常懃求智慧。
説種種妙法。其心無所畏。
我於伽耶城。菩提樹下坐。
得成最正覺。轉無上法輪。
爾乃教化之。令初発道心。
今皆住不退。悉当得成仏。
我今説實語。汝等一心信。
我從久遠来。教化是等衆。

動執生疑

爾時弥勒菩薩摩訶薩。及無数諸菩薩等。心
生疑惑怪未曾有。而作是念。云何世尊於
少時間。教化如是無量無辺阿僧祇諸大菩
薩。令住阿耨多羅三藐三菩提。即白仏言。
世尊。如来為太子時出於釈宮。去伽耶城
不遠坐於道場。得成阿耨多羅三藐三菩
提。從是已来始過四十余年。世尊。云何於
此少時大作仏事。以仏勢力以仏功徳。教
化如是無量大菩薩衆当成阿耨多羅三藐
三菩提。世尊。此大菩薩衆。假使有人。於千
万億劫。数不能尽不得其辺。斯等久遠已
来。於無量無辺諸仏所殖諸善根。成就
菩薩道常修梵行。世尊。如此之事世所難
信。譬如有人。色美髮黒年二十五。指百
歳人言是我子。其百歳人。亦指年少言是
我父生育我等。是事難信。仏亦如是。得道
已来其實未久。而此大衆諸菩薩等。已於
無量千万億劫。為仏道故懃行精進。善入
出住無量百千万億三昧。得大神通久修梵
行。善能次第習諸善法。巧於問答人中之
宝。一切世間甚為希有。今日世尊方云得
仏道時初令発心教化示導。令向阿耨多
羅三藐三菩提。世尊得仏未久。乃能作此
大功徳事。我等雖復信仏随宜所説。仏所
出言未曾虚妄。仏所知者皆悉通達。然諸
新発意菩薩。於仏滅後。若聞是語或不信
受。而起破法罪業因縁。唯然世尊。願為解
説除我等疑。及未来世諸善男子。聞此事
已亦不生疑。爾時弥勒菩薩。欲重宣此義。
而説偈言。

仏昔從釈種。出家近伽耶。
坐於菩提樹。爾来尚未久。
此諸仏子等。其数不可量。
久已行仏道。住於神通力。
善學菩薩道。不染世間法。
如蓮華在水。從地而踊出。
皆起恭敬心。住於世尊前。
是事難思議。云何而可信。
仏得道甚近。所成就甚多。
願為除衆疑。如實分別説。
譬如少壯人。年始二十五。
示人百歳子。髮白而面皺。
是等我所生。子亦説是父。
父少而子老。擧世所不信。
世尊亦如是。得道来甚近。
是諸菩薩等。志固無怯弱。
從無量劫来。而行菩薩道。
巧於難問答。其心無所畏。
忍辱心決定。端正有威徳。
十方仏所讃。善能分別説。
不楽在人衆。常好在禪定。
為求仏道故。於下空中住。
我等從仏聞。於此事無疑。
願仏為未来。演説令開解。
若有於此経。生疑不信者。
即当墮悪道。願今為解説。
是無量菩薩。云何於少時。
教化令発心。而住不退地。

妙法蓮華経巻第五 終


妙法蓮華経 如来寿量品第十六


爾時仏告。諸菩薩及。一切大衆諸
善男子。汝等当信解。如来誠諦之
語。復告大衆。汝等当信解。如来
誠諦之語。又復告諸大衆。汝等当
信解。如来誠諦之語。是時菩薩大
衆。弥勒為首。合掌白仏言。世尊。唯願説之。
我等当信受仏語。如是三白已。復言唯願
説之。我等当信受仏語。爾時世尊。知諸
菩薩三請不止。而告之言。汝等諦聴。如来
祕密神通之力。一切世間天人及阿修羅。皆
謂今釈迦牟尼仏出釈氏宮。去伽耶城不
遠坐於道場。得阿耨多羅三藐三菩提。然
善男子。我実成仏已来。無量無辺百千万億
那由他劫。譬如五百千万億那由他阿僧祇
三千大千世界。假使有人末為微塵。過於
東方五百千万億那由他阿僧祇国。乃下一
塵。如是東行尽是微塵。諸善男子。於意云
何。是諸世界。可得思惟校計知其数不。

弥勒菩薩等倶白仏言。世尊。是諸世界無量
無辺非算数所知。亦非心力所及。一切聲
聞辟支仏。以無漏智。不能思惟知其限数。
我等住阿惟越致地。於是事中亦所不達。
世尊。如是諸世界無量無辺。爾時仏告大
菩薩衆。諸善男子。今当分明宣語汝等。是
諸世界。若著微塵及不著者。尽以為塵一
塵一劫。我成仏已来。復過於此百千万億那
由他阿僧祇劫。自從是来。我常在此娑婆
世界説法教化。亦於余処百千万億那由
他阿僧祇国導利衆生。諸善男子。於是中
間。我説燃燈仏等。又復言其入於涅槃。
如是皆以方便分別。諸善男子。若有衆
生来至我所。我以仏眼。觀其信等諸根利
鈍。随所応度。処処自説名字不同年紀大
小。亦復現言当入涅槃。又以種種方便説
微妙法。能令衆生発歓喜心。諸善男子。如
来。見諸衆生楽於小法徳薄垢重者。為是
人説。我少出家得阿耨多羅三藐三菩提。
然我実成仏已来久遠若斯。但以方便教
化衆生。令入仏道作如是説。諸善男子。
如来所演経典。皆為度脱衆生。或説己身
或説他身。或示己身或示他身。或示
己事或示他事。諸所言説皆実不虚。所
以者何。如来。如実知見三界之相。無有生
死若退若出。亦無在世及滅度者。非実非
虚非如非異。不如三界見於三界。如斯
之事。如来明見無有錯謬。以諸衆生有
種種性種種欲種種行種種憶想分別故。欲
令生諸善根。以若干因縁譬喩言辭種種
説法。所作仏事未曾暫廢。如是我成仏
已来甚大久遠。寿命無量阿僧祇劫常住不
滅。

諸善男子。我本行菩薩道所成寿命。今猶
未尽復倍上数。然今非実滅度。而便唱言
当取滅度。如来以是方便教化衆生。所
以者何。若仏久住於世。薄徳之人不種善
根。貧窮下賎貪著五欲。入於憶想妄見網
中。若見如来常在不滅。便起恣而懐厭
怠。不能生難遭之想恭敬之心。是故如
来以方便説。比丘当知。諸仏出世難可値
遇。所以者何。諸薄徳人。過無量百千万億
劫。或有見仏或不見者。以此事故我作
是言。諸比丘。如来難可得見。斯衆生等
聞如是語。必当生於難遭之想。心懐恋慕
渇仰於仏。便種善根。是故如来。雖不実滅
而言滅度。

又善男子。諸仏如来法皆如是。為度衆生
皆実不虚。譬如良医智慧聰達。明練方薬
善治衆病。其人多諸子息。若十二十乃至
百数。以有事縁遠至余国。諸子於後飮他
毒薬。薬発悶亂宛轉于地。是時其父還来歸
家。諸子飮毒。或失本心或不失者。遥見其
父皆大歓喜。拜跪問訊善安穏歸。我等愚癡
誤服毒薬。願見救療更賜寿命。父見子
等苦悩如是。依諸経方。求好薬草色香美
味皆悉具足。擣和合與子令服。而作是
言。此大良薬。色香美味皆悉具足。汝等可
服。速除苦悩無復衆患。其諸子中不失心 擣和合
者。見此良薬色香倶好。即便服之病尽除
愈。余失心者。見其父来。雖亦歓喜問訊求
索治病。然與其薬而不肯服。所以者何。毒
気深入失本心故。於此好色香薬而謂不
美。父作是念。此子可愍。為毒所中心皆顛
倒。雖見我喜求索救療。如是好薬而不肯
服。我今当設方便令服此薬。即作是言。
汝等当知。我今衰老死時已至。是好良薬今
留在此。汝可取服勿憂不差。作是教
已復至他国。遣使還告。汝父已死。是時諸
子聞父背喪。心大憂悩而作是念。若父在
者。慈愍我等能見救護。今者捨我遠喪他
国。自惟孤露無復恃怙。常懐悲感心遂醒
悟。乃知此薬色味香美。即取服之毒病皆
愈。其父聞子悉已得差。尋便来歸咸使見
之。

諸善男子。於意云何。頗有人能説此良医
虚妄罪不。不也世尊。仏言。我亦如是。成仏
已来。無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫。
為衆生故。以方便力言当滅度。亦無有
能如法説我虚妄過者。爾時世尊欲重宣
此義。而説偈言。

自我得仏来。所経諸劫数。
無量百千万。億載阿僧祇。
常説法教化。無数億衆生。
令入於仏道。爾来無量劫。
為度衆生故。方便現涅槃。
而実不滅度。常住此説法。
我常住於此。以諸神通力。
令顛倒衆生。雖近而不見。
衆見我滅度。広供養舍利。
咸皆懐恋慕。而生渇仰心。
衆生既信伏。質直意柔軟。
一心欲見仏。不自惜身命。
時我及衆僧。倶出霊鷲山。
我時語衆生。常在此不滅。
以方便力故。現有滅不滅。
余国有衆生。恭敬信楽者。
我復於彼中。為説無上法。
汝等不聞此。但謂我滅度。
我見諸衆生。没在於苦海。
故不為現身。令其生渇仰。
因其心恋慕。乃出為説法。
神通力如是。於阿僧祇劫。
常在霊鷲山。及余諸住処。
衆生見劫尽。大火所焼時。
我此土安穏。天人常充満。
園林諸堂閣。種種宝荘厳。
宝樹多華菓。衆生所遊楽。
諸天撃天鼓。常作衆伎楽。
雨曼陀羅花。散仏及大衆。
我浄土不毀。而衆見焼尽。
憂怖諸苦悩。如是悉充満。
是諸罪衆生。以悪業因縁。
過阿僧祇劫。不聞三宝名。
諸有修功徳。柔和質直者。
則皆見我身。在此而説法。
或時為此衆。説仏寿無量。
久乃見仏者。為説仏難値。
我智力如是。慧光照無量。
寿命無数劫。久修業所得。
汝等有智者。勿於此生疑。
当断令永尽。仏語実不虚。
如医善方便。為治狂子故。
実在而言死。無能説虚妄。
我亦為世父。救諸苦患者。
為凡夫顛倒。実在而言滅。
以常見我故。而生恣心。
放逸著五欲。墮於悪道中。
我常知衆生。行道不行道。
随応所可度。為説種種法。
毎自作是念。以何令衆生。
得入無上道。速成就仏身。


妙法蓮華経 分別功徳品第十七 

爾時大會聞仏説寿命劫数長遠如是無量
無辺阿僧祇衆生得大饒益。於時世尊。告
弥勒菩薩摩訶薩。阿逸多。我説是如来寿命
長遠時。六百八十万億那由他恆河沙衆生。
得無生法忍。復有千倍菩薩摩訶薩。得聞
持陀羅尼門。復有一世界微塵数菩薩摩訶
薩。得楽説無礙辯才。復有一世界微塵数菩
薩摩訶薩。得百千万億無量旋陀羅尼。復
有三千大千世界微塵数菩薩摩訶薩。能轉
不退法輪。復有二千中国土微塵数菩薩摩
訶薩。能轉清浄法輪。復有小千国土微塵
数菩薩摩訶薩。八生当得阿耨多羅三藐三
菩提。復有四四天下微塵数菩薩摩訶薩。四
生当得阿耨多羅三藐三菩提。復有三四天
下微塵数菩薩摩訶薩。三生当得阿耨多羅
三藐三菩提。復有二四天下微塵数菩薩摩
訶薩。二生当得阿耨多羅三藐三菩提。復
有一四天下微塵数菩薩摩訶薩。一生当得
阿耨多羅三藐三菩提。復有八世界微塵数
衆生。皆発阿耨多羅三藐三菩提心。仏説是
諸菩薩摩訶薩得大法利時。於虚空中。雨
曼陀羅華摩訶曼陀羅華。以散無量百千万
億衆宝樹下師子座上諸仏。并散七宝塔中
師子座上釈迦牟尼仏及久滅度多宝如来。
亦散一切諸大菩薩及四部衆。又雨細末
栴檀沈水香等。於虚空中。天鼓自鳴妙聲深
遠。又雨千種天衣。垂諸瓔珞眞珠瓔珞摩尼
珠瓔珞如意珠瓔珞。遍於九方衆宝香爐
焼無價香。自然周至供養大會。一一仏上。
有諸菩薩執持幡蓋。次第而上至于梵天。
是諸菩薩以妙音聲歌無量頌讃歎諸仏。
爾時弥勒菩薩從座而起。偏袒右肩合掌向
仏。而説偈言。

仏説希有法。昔所未曾聞。
世尊有大力。寿命不可量。
無数諸仏子。聞世尊分別。
説得法利者。歓喜充遍身。
或住不退地。或得陀羅尼。
或無礙楽説。万億旋總持。
或有大千界。微塵数菩薩。
各各皆能轉。不退之法輪。
復有中千界。微塵数菩薩。
各各皆能轉。清浄之法輪。
復有小千界。微塵数菩薩。
余各八生在。当得成仏道。
復有四三二。如此四天下。
微塵諸菩薩。随数生成仏。
或一四天下。微塵数菩薩。
余有一生在。当成一切智。
如是等衆生。聞仏寿長遠。
得無量無漏。清浄之果報。
復有八世界。微塵数衆生。
聞仏説寿命。皆発無上心。
世尊説無量。不可思議法。
多有所饒益。如虚空無辺。
雨天曼陀羅。摩訶曼陀羅。
釈梵如恆沙。無数仏土来。
雨栴檀沈水。繽紛而亂墜。
如鳥飛空下。供散於諸仏。
天鼓虚突中。自然出妙聲。
天衣千万種。旋轉而来下。
衆宝妙香爐。焼無價之香。
自然悉周遍。供養諸世尊。
其大菩薩衆。執七宝幡蓋。
高妙万億種。次第至梵天。
一一諸仏前。宝幢懸勝幡。
亦以千万偈。歌詠諸如来。
如是種種事。昔所未曾有。
聞仏寿無量。一切皆歓喜。
仏名聞十方。広饒益衆生。
一切具善根。以助無上心。




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妙法蓮華経 従地涌出品第十五



爾の時に弥勒菩薩、及び八千恒河沙の諸の菩薩衆、皆是の念を作さく、
我等昔より已来、是の如き大菩薩摩訶薩衆の、地より涌出して、世尊の前に住して、合掌し供養して、如来を問訊したてまつるを見ず聞かず。
時に弥勒菩薩摩訶薩、八千恒河沙の諸の菩薩等の心の所念を知り、並びに自ら所疑を決せんと欲して合掌し、仏に向かいたてまつりて偈を以って問いて曰さく、
無量千万億の 大衆の諸の菩薩は 昔より未だ曾て見ざる所なり 願わくは両足尊説きたまえ 是れ何れの所より来れる
何の因縁を以ってか集れる 巨身にして大神通あり 智慧思議し?し 其の志念堅固にして 大忍辱力有り 衆生の見んと楽う所なり 為れ何れの所より来れる

一一の諸の菩薩の 所将の諸の眷属 其の数量有ること無く 恒河沙等の如し 或は大菩薩の 六万恒沙を将いたる有り 是の如き諸の大衆 一心に仏道を求む 是の諸の大師等 六万恒河沙あり 倶に来って仏を供養し 及び是の経を護持す
五万恒沙を将いたる 其の数是れに過ぎたり 四万及び三万 二万より一万に至る 一千一百等 乃至一恒沙 半及び三四分 億万分の一 千万那由佗 万億の諸の弟子 乃ち半億に至る 其の数復上に過ぎたり 百万より一万に至り 一千及び一百 五十と一十と 乃至三二一 単己にして眷属無く 独処を楽う者 倶に仏所に来至せる 其の数転た上に過ぎたり 是の如き諸の大衆 若し人籌を行いて数うること 恒沙劫を過ぐとも 猶尽くして知ること能わじ

是の諸の大威徳 精進の菩薩衆は 誰か其の為に法を説き 教化して成就せる 誰に従って初めて発心し 何れの仏法を称揚し 誰れの経を受持し行じ 何れの仏道を修習せる

是の如き諸の菩薩は 神通大智力あり
四方の地震裂して 皆中より涌出せり 世尊我昔より来 未だ曾て是の事を見ず 願わくは其の所従の 国土の名号を説きたまえ 我常に諸国に遊べども 未だ曾て是の事を見ず
我此の衆の中に於いて 乃し一人をも識らず 忽然に地より出でたり 願わくは其の因縁を説きたまえ
今此の大会の 無量百千億なる 是の諸の菩薩等 皆此の事を知らんと欲す 是の諸の菩薩衆 本末の因縁あるべし 無量徳の世尊 唯願わくは衆の疑を決したまえ

爾の時に釈迦牟尼仏の分身の諸仏、無量千万億の他方の国土より来りたまえる者、八方の諸の宝樹下の師子座上に在して、結跏趺坐したまえり。其の仏の侍者、各各に是の菩薩大衆の、三千大千世界の四方に於いて、地より涌出して虚空に住せるを見て、各其の仏に白して言さく、
世尊、此の諸の無量無辺阿僧祇の菩薩大衆は、何れの所より来れる。

爾の時に諸仏、各侍者に告げたまわく、
諸の善男子、且く須臾を待て。菩薩摩訶薩有り、名を弥勒と曰う。釈迦牟尼仏の授記したもう所なり。次いで後に作仏すべし。已に斯の事を問いたてまつる。仏今之に答えたまわん。汝等自ら当に、是れに因って聞くことを得べし。

(正宗分 開近顕遠第二 動執生疑段)

爾の時に釈迦牟尼仏、弥勒菩薩に告げたまわく、
善い哉善い哉、阿逸多、乃し能く仏に是の如き大事を問えり。
汝等、当に共に一心に精進の鎧を被、堅固の意を発すべし。
如来今、諸仏の智慧、諸仏の自在神通の力、諸仏の師子奮迅の力、諸仏の威猛大勢の力を顕発し宣示せんと欲す。
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
当に精進して一心なるべし 我此の事を説かんと欲す 疑悔有ることを得ること勿れ
仏智は思議し?し
汝今信力を出して 忍善の中に住せよ 昔より未だ聞かざる所の法 今皆当に聞くことを得べし 我今汝を安慰す 疑懼を懐くことを得ること勿れ 仏は不実の語無し 智慧量るべからず 得る所の第一の法は 甚深にして分別し?し 是の如きを今当に説くべし 汝等一心に聴け


爾の時に世尊、是の偈を説き已って、弥勒菩薩に告げたまわく、
我今、此の大衆に於いて汝等に宣告す。阿逸多、是の諸の大菩薩摩訶薩の、無量無数阿僧祇にして地より涌出せる、汝等昔より未だ見ざる所の者は、我是の娑婆世界に於いて、阿耨多羅三藐三菩提を得已って、是の諸の菩薩を教化示導し、其の心を調伏して、道の意を発さしめたり。
此の諸の菩薩は、皆是の娑婆世界の下、此の界の虚空の中に於いて住せり。
諸の経典に於いて、読誦通利し、思惟分別し、正憶念せり。
阿逸多、是の諸の善男子等は、衆に在って多く所説有ることを楽わず、常に静かなる処を楽い、勤行精進して、未だ曾て休息せず。
亦、人天に依止して住せず。常に深智を楽って、障礙有ること無し。亦常に諸仏の法を楽い、一心に精進して無上慧を求む。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
阿逸汝当に知るべし 是の諸の大菩薩は 無数劫より来 仏の智慧を修習せり 悉く是れ我が所化として 大道心を発さしめたり 此等は是れ我が子なり 是の世界に依止せり 常に頭陀の事を行じて 静かなる処を志楽し 大衆の?閙を捨てて 所説多きことを楽わず 是の如き諸子等は 我が道法を学習して 昼夜に常に精進す 仏道を求むるを為っての故に
娑婆世界の 下方の空中に在って住す
志念力堅固にして 常に智慧を勤求し 種種の妙法を説いて 其の心畏るる所無し
我れ伽耶城 菩提樹下に於いて坐して 最正覚を成ずることを得て 無上の法輪を転じ 爾して乃ち之を教化して 初めて道心を発さしむ 今皆不退に住せり 悉く当に成仏を得べし 我今実語を説く 汝等一心に信ぜよ
我久遠より来 是れ等の衆を教化せり

動執生疑

爾の時に弥勒菩薩摩訶薩、及び無数の諸の菩薩等、心に疑惑を生じ、未曾有なりと怪んで、是の念を作さく
云何ぞ世尊、少時の間に於いて、是の如き無量無辺阿僧祇の諸の大菩薩を教化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしめたまえる。
即ち仏に白して言さく、
世尊、如来太子たりし時、釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是れより已来、始めて 四十余年を過ぎたり。世尊、云何ぞ此の少時に於いて、大いに仏事を作したまえる。仏の勢力を以ってや、仏の功徳を以ってや、是の如き無量の大菩薩衆を教化 して、当に阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめたもうべき。
世尊、此の大菩薩衆は、仮使人有って、千万億劫に於いて、数うとも尽くすこと能わず。其の辺を得じ。斯等は久遠より已来、無量無辺の諸仏の所に於いて、諸の善根を植え、菩薩の道を成就し、常に梵行を修せり。
世尊。此の如き事は、世の信じ難き所なり。

譬えば人有って、色美しく、髪黒くして年二十五なる、百歳の人を指して、是れ我が子なりと言わん。其の百歳の人、亦年少を指して、是れ我が父なり我等が生育せりと言わん。
是の事信じ難きが如く仏も亦是の如し。得道より已来、其の実に未だ久しからず。
而るに此の大衆の、諸の菩薩等は、已に無量千万億劫に於いて、仏道の為の故に勤行精進し、善く無量百千万億の三昧に入出住し、大神通を得、久しく梵行を修し、善能く次第に諸の善法を習い、問答に巧みに、人中の宝として、一切世間に甚だ為れ希有なり。
今日世尊、方に仏道を得たまいし時、初めて発心せしめ、教化示導して、阿耨多羅三藐三菩提に向わしめたりと云う。世尊、仏を得たまいて未だ久しからざるに、乃し能く此の大功徳の事を作したまえり。

我等は復、仏の随宜の所説、仏の所出の言、未だ曾って虚妄ならず、仏の所知は、皆悉く通達し給えりと信ずと雖も、然も諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於いて、若し是の語を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起さん。
唯然なり世尊、願わくは為に解説して、我等が疑を除きたまえ。
及び未来世の諸の善男子、此の事を聞き已りなば、亦疑を生ぜじ。

爾の時に弥勒菩薩、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
仏昔釈種より 出家して伽耶に近く 菩提樹に坐したまえり 爾しより来尚未だ久しからず
此の諸の仏子等は 其の数量るべからず 久しく已に仏道を行じて 神通智力に住せり 善く菩薩の道を学して 世間の法に染まざること 蓮華の水に在るが如し 地より涌出し 皆恭敬の心を起して 世尊の前に住せり 是の事思議し難し
云何ぞ信ずべき 仏の得道は甚だ近く 成就したまえる所甚だ多し 願わくは為に衆の疑を除き 実の如く分別し説きたまえ
譬えば少壮の人 年始めて二十五なる 人に百歳の子の 髪白くして面皺めるを示して 是れ等我が所生なりといい 子も亦是れ父なりと説かん 父は少く子は老いたる 世を挙って信ぜざる所ならんが如く
世尊も亦是の如し 得道より来甚だ近し

是の諸の菩薩等は 志固くして怯弱無し 無量劫より来 而も菩薩の道を行ぜり 難問答に巧みにして 其の心畏るる所無く 忍辱の心決定し 端正にして威徳 有り 十方の仏の讃めたもう所なり 善能く分別し説けり 人衆に在ることを楽わず 常に好んで禅定に在り 仏道を求むるを為っての故に 下の空中に於いて 住せり
我等は仏に従って聞きたてまつれば 此の事に於いて疑無し 願わくは仏未来の為に 演説して開解せしめたまえ 若し此の経に於いて 疑を生じて信ぜざるこ と有らん者は 即ち当に悪道に堕つべし 願わくは今為に解説したまえ 是の無量の菩薩をば 云何にしてか少時に於いて 教化し発心せしめて 不退の地に住 せしめたまえる


妙法蓮華経 如来寿量品第十六

爾の時に仏、諸の菩薩、及び一切の大衆に告げたわく、
諸の善男子、汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし。
復大衆につげたまわく、
汝等当に、如来の誠諦の語を信解すべし。
又復、諸の大衆に告げたまわく、
汝等当に、如来の誠諦の語を信解すべし。
是の時に菩薩大衆、弥勒を首と為して、合掌して仏に白して言さく、
世尊、唯願わくは之を説きたまえ。我等当に、仏の語を信受したてまつるべし。
是の如く三たび白し已って、復言さく、
唯願わくは之を説きたまえ、我等当に、仏の語を信受したてまつるべしと。

爾の時に世尊、諸の菩薩の、三たび請じて止まざることを知しめして、之に告げて言わく、
汝等諦かに聴け、如来の秘密神通の力を。
一切世間の天人、及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏、釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり。
然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり。
譬えば、五百千万億那由佗阿僧祇の三千大千世界を、仮使人有って、抹して微塵と為して、東方五百千万億那由佗阿僧祇の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如 く東に行きて是の微塵を尽さんが如き、諸の善男子、意に於いて云何。是の諸の世界は、思惟し校計して、其の数を知ることを得べしや不や。

弥勒菩薩等、倶に仏に白して言さく、
世尊、是の諸の世界は、無量無辺にして、算数の知る所に非ず。亦心力の及ぶ所に非ず。一切の声聞、辟支仏、無漏智を以っても、思惟して其の限数を知ること能わじ。我等阿惟越致地に住すれども、是の事の中に於いては、亦達せざる所なり。世尊、是の如き諸の世界無量無辺なり。

爾の時に仏、大菩薩衆に告げたまわく、
諸の善男子、今当に分明に、汝等に宣語すべし。是の諸の世界の、若しは微塵を著き、及び著かざる者を尽く以って塵と為して、一塵を一劫とせん。我成仏してより已来、復此に過ぎたること百千万億那由佗阿僧祇劫なり。
是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す。亦、余処の百千万億那由佗阿僧祇の国に於いても、衆生を導利す。
諸の善男子、是の中間に於いて、我然燈仏等と説き、又復、其涅槃に入ると言いき。是の如きは皆方便を以って分別せしなり。
諸の善男子、若し衆生有って我が所に来至するには我仏眼を以って、其の信等の諸根の利鈍を観じて、応に度すべき所に随って、処処に自ら名字の不同、年紀の 大小を説き、亦復、現じて当に涅槃に入るべしと言い、又、種種の方便を以って、微妙の法を説いて、能く衆生をして歓喜の心を発せしめき。

諸の善男子、如来諸の衆生の、小法を楽える徳薄垢重の者を見ては、是の人の為に、我少くして出家し、阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。
然るに我、実に成仏してより已来、久遠なること斯の若し。但方便を以って、衆生を教化して仏道に入らしめんとして、是の如き説を作す。
諸の善男子、如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり。或は己身を説き、或は他身を説き、或るは己身を示し、或るは他身を示し、或るは己事を示し、或るは他事を示す。
諸の言説する所は、皆実にして虚しからず。

所以は何ん。如来は如実に、三界の相を知見す。生死の、若しは退、若しは出有ること無く、亦在世、及び滅度の者無し。
実に非ず、虚に非ず、如に非ず、異に非ず、三界の三界を見るが如くならず。
斯の如きの事、如来明かに見て、錯謬有ること無し。
諸の衆生、種種の性、種種の欲、種種の行、種種の憶想分別有るを以っての故に、諸の善根を生ぜしめんと欲して、若干の因縁、譬喩、言辞を以って、種種に法を説く。所作の仏事未だ曾て暫くも廃せず。
是の如く、我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず。
諸の善男子、我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり。
然るに今、実の滅度に非ざれども、而も便ち、唱えて当に滅度を取るべしと言う。

如来、是の方便を以って、衆生を教化す。所以は何ん。若し仏、久しく世に住せば、薄徳の人は善根を種えず、貧窮下賎にして、五欲に貪著し、憶想妄見の網の中に入りなん。
若し如来、常に在って滅せずと見ば、便ち?恣を起して厭怠を懐き、難遭の想、恭敬の心を生ずること能わじ。
是の故に如来、方便を以って説く。比丘当に知るべし。諸仏の出世には、値遇すべきこと難し。
所以は何ん。諸の薄徳の人は、無量百千万億劫を過ぎて、或は仏を見る有り、或は見ざる者あり。此の事を以っての故に、我是の言を作す。
諸の比丘、如来は見ること得べきこと難しと。
斯の衆生等、是の如き語を聞いては、必ず当に難遭の想を生じ、心に恋慕を懐き、仏を渇仰して、便ち善根を種ゆべし。是の故に如来、実に滅せずと雖も、而も滅度すと言う。

又善男子、諸仏如来は、法皆是の如し、衆生を度せんが為なれば、皆実にして、虚しからず。
譬えば、良医の智慧聡達にして、明かに方薬に練し、善く衆病を治す。
其の人、諸の子息多し。若しは十、二十、乃至百数なり。
事の縁有るを以って、遠く余国に至りぬ。
諸子後に他の毒薬を飲む。薬発し、悶乱して地に宛転す。
是の時に其の父、還り来って家に帰りぬ。諸の子毒を飲んで、或は本心を失える、或は失わざる者あり。遙かに其の父を見て、皆大いに歓喜し、拝跪して間訊すらく、

善く安穏に帰りたまえり。我等愚癡にして、誤って毒薬を服せり。願わくは救療せられて、更に寿命を賜えと。
父、子等の苦悩すること是の如くなるを見て、諸の経方に依って、好き薬草の色香美味、皆悉く具足せるを求めて、擣弃和合して、子に与えて服せしむ。
而して是の言を作さく、
此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり。汝等服すべし。
速かに苦悩を除いて、復衆の患無けんと。

其の諸の子の中に、心を失わざる者は、此の良薬の色香、倶に好きを見て、即便ち之を服するに、病尽く除こり癒えぬ。
余の心を失える者は、其の父の来れるを見て、亦歓喜し、問訊して病を治せんことを求索むと雖も、然も其の薬を与うるに、而も肯て服せず。所以は何ん。毒気深く入って、本心を失えるが故に、此の好き色香ある薬に於いて、美からずと謂えり。父是の念を作さく、
此の子愍むべし。毒に中られて心皆?倒せり。我を見て喜んで救療を求索むと雖も、是の如き好き薬を、而も肯えて服せず。
我今当に方便を設けて、此の薬を服せしむべし。
即ち是の言を作さく、

汝等当に知るべし。我今衰老して、死の時已に至りぬ。是の好き良薬を、今留めて此に在く、汝取って服すべし。差えじと憂うること勿れと。
是の教を作し已って、復他国に至り、使を遣して還って告ぐ
汝が父已に死しぬと。
是の時に諸の子、父背喪せりと聞いて心大いに憂悩して是の念を作さく、
若し父在しなば、我等を慈愍して、能く救護せられまし。今者、我を捨てて遠く他国に喪したまいぬ。
自ら惟るに孤露にして復恃怙無し。
常に悲感を懐いて、心遂に醒悟しぬ。乃ち此の薬の色香味美なるを知って、即ち取って之を服するに、毒の病皆愈ゆ。
其の父、子悉く已に差ゆることを得つと聞いて、尋いで便ち来り帰って、咸く之に見えしめんが如し。
諸の善男子、意に於いて如何。頗し人の、能く此の良医の虚妄の罪を説く有らんや不や。
不なり、世尊。

仏の言わく、
我も亦是の如し、成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗阿僧祇劫なり。衆生の為の故に、方便力を以って当に滅度すべしと言う。
亦能く法の如く、我が虚妄の過を説く者有ること無けん。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数 無量百千万 億載阿僧祇なり
常に法を説いて 無数億の衆生を教化して 仏道に入らしむ 爾しより来無量劫なり
衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず 而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く 我常に此に住すれども 諸の神通力を以って ?倒の衆生をして 近しと雖も而も見えざらしむ

衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し 咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず 衆生既に信伏し 質直にして意柔?に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず 時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず
我時に衆生に語る 常に此に在って滅せず 方便力を以っての故に 滅不滅有りと現ず 余国の衆生の 恭敬し信楽する者有らば 我復彼の中に於いて 為に無上の法を説く 汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり
我諸の衆生を見るに 苦海に没在せり 故に為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ 其の心の恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説く
神通力是の如し 阿僧祇劫に於いて 常に霊鷲山 及び余の諸の住処に在り 衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充 満せり 園林諸の堂閣 種種の宝をもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天天鼓を撃って 常に衆の伎楽を作し 曼陀羅華を雨らして  仏及大衆に散ず

我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて 憂怖諸の苦悩 是の如き悉く充満せりと見る 是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以って 阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず
諸の有ゆる功徳を修し 柔和質直なる者は 則ち皆我が身 此に在って法を説くと見る
或時は此の衆の為に 仏寿無量なりと説く 久しくあって乃し仏を見奉る者は 為に仏には値い難しと説く 我が智力是の如し 慧光照らすこと無量にして 寿命無数劫なり 久しく業を修して得る所なり
汝等智有らん者 此に於いて疑を生ずること勿れ 当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず
医の善き方便をもって 狂子を治せんが為の故に 実には在れども而も死すと言うに 能く虚妄を説くもの無きが如く
我も亦為れ世の父 諸の苦患を救う者なり

凡夫の?倒するを為って 実には在れども而も滅すと言う 常に我を見るを以っての故に 而も?恣の心を生じ 放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん
我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って 応に度すべき所に随って 為に種種の法を説く
毎に自ら是の念を作さく 何を以ってか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと



妙法蓮華経 分別功徳品第十七

爾の時に大会、仏の、寿命の劫数長遠なること、是の如くなるを説きたもうを聞いて、無量無辺阿僧祇の衆生、大饒益を得つ。
時に世尊、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、
阿逸多、我、是の如来の寿命長遠なるを説く時、六百八十万億那由佗恒河沙の衆生、無生法忍を得。
復、千倍の菩薩摩訶薩有って、聞持陀羅尼門を得。
復、一世界微塵数の菩薩摩訶薩有って、楽説無礙弁才を得。
復、一世界微塵数の菩薩摩訶薩有って、百千万億無量の旃陀羅尼を得。
復、三千大千世界微塵数の菩薩摩訶薩有って、能く不退の法輪を転ず。
復、二千中国土微塵数の菩薩摩訶薩あって、能く清浄の法輪を転ず。
復、小千国土微塵数の菩薩摩訶薩有って、八生に、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
復、四四天下微塵数の菩薩摩訶薩有って、四生に、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
復、三四天下微塵数の菩薩摩訶薩有って、三生に、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
復、二四天下微塵数の菩薩摩訶薩有って、二生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
復、一四天下微塵数の菩薩摩訶薩有って、一生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
復、八世界微塵数の衆生有って、皆、阿耨多羅三藐三菩提の心を発しつ。

仏、是の諸の菩薩摩訶薩の、大法利を得ることを説きたもう時、虚空の中より、曼陀羅華、摩訶曼陀羅華を雨して、以って無量百千万億の宝樹下の、師子座上の 諸仏に散じ、並びに七宝塔中の、師子座上の釈迦牟尼仏、及び久滅度の多宝如来に散じ、亦、一切の諸の大菩薩、及び四部の衆に散ず。又、細抹の旃檀、沈水香 等を雨し、虚空の中に於いて、天鼓自ら鳴って、妙声深遠なり。又、千種の天衣を雨らし、諸の瓔珞、真珠瓔珞、摩尼珠瓔珞、如意珠瓔珞を垂れて、九方に?く せり。衆宝の香炉に、無価の香を焼いて、自然に周く至って大会に供養す。一一の仏の上に、諸の菩薩有って、旛蓋を執持して、次第に上って梵天に至る。是の 諸の菩薩、妙なる音声を以って、無量の頌を歌って、諸仏を讃歎したてまつる。
爾の時に弥勒菩薩、座より起ちて、偏(ひとえ)に右の肩を袒にし合掌し、仏に向いたてまつりて、偈を説いて言さく、
仏希有の法を説きたもう 昔より未だ曾て聞かざる所なり 世尊は大力有して 寿命量るべからず 無数の諸の仏子 世尊の分別して 法利を得る者を説きたもうを聞いて 歓喜身に充?す

或は不退地に住し 或は陀羅尼を得 或は無礙の楽説 万億の旋総持あり
或は大千界 微塵数の菩薩有って 各各に皆能く 不退の法輪を転ず
復中千界 微塵数の菩薩有って 各各に皆能く 清浄の法輪を転ず
復小千界 微塵数の菩薩有って 余り各八生在って 当に仏道を成ずることを得べし
或は四三二 此の如き四天下 微塵数の菩薩有って 数の生に随って成仏せん
或は一四天下 微塵数の菩薩 余り一生在ること有って 当に一切智を得べし
是の如き等の衆生 仏寿の長遠なることを聞いて 無量無漏 清浄の果報を得
復八世界 微塵数の衆生有って 仏の寿命を説きたもうを聞いて 皆無上の心を発しつ

世尊無量 不可思議の法を説きたもうに 多く饒益する所有ること 虚空の無辺なるが如し
天の曼陀羅 摩訶曼陀羅を雨して 釈梵恒沙の如く 無数の仏土より来れり
栴檀沈水を雨して 繽紛として乱れ墜つること 鳥の飛びて空より下るが如くにして 諸仏に供散し
天鼓虚空の中にして 自然に妙声を出し 天衣千万億 旋転して来下し 衆宝の妙なる香炉に 無価の香を焼いて 自然に悉く周?して 諸の世尊に供養す

其の大菩薩衆は 七宝の旛蓋 高妙にして万億種なるを執って 次第に梵天に至る
一一の諸仏の前に 宝幢に勝旛を懸けたり
亦千万の偈を以って 諸の如来を歌詠したもう
是の如き種種の事 昔より未だ曾て有らざる所なり 仏寿の無量なることを聞いて 一切皆歓喜す
仏の名十方に聞えて 広く衆生を饒益したもう 一切善根を具して 以って無上の心を助く





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妙法蓮華経。従地湧出品第十五


その時弥勒菩薩さまをはじめとされる八千恒河沙の菩薩のみなさまは、皆さまこのように思われたのです。『われわれは、ずっと昔からお釈迦さまに従ってきたのに、見たことも聞いたこともない。どうして、このような大菩薩さま方が地より湧き出で、お釈迦さまの前で合掌供養され、お釈迦さまに、お問いかけになられるのだろうか。』
弥勒菩薩さまは、八千恒河沙の菩薩の皆さまが疑問に思っていることをお知りになり、また、御自身も分からなかったので、この様にお釈迦さまに問いかけになられたのです。

「この無量千万億というものすごく多くの菩薩様方に、我々は会ったことはございません。お釈迦さま、お教えください。この方たちはどこからいらしたのでしょうか。どのような因縁で、智慧、思議の大神通力の巨身を持ち、堅固そのものの志念も持ち、大忍耐力もあられる。また、衆生を見て《楽ですか》と問いかけられる、この方たちは、いったいどこからいらしたのでしょうか。一人ひとりの菩薩様が諸々の眷属引き連れられていらっしゃる。その数、無量恒河沙としか言いようがありません。六恒河沙の眷属を率いられていらっしゃる大菩薩様もいらっしゃいます。その大衆のお一人おひとりが、一心に仏道を求められていらっしゃる。このような大師の皆さまが六恒河沙。共にいらして仏さまを御供養され、この経を護持しておられる。その方々がまた、五万恒沙を率いられ、その方々が更に、四万恒沙を率いられ、三万、二万より一万、一千、一百、一恒沙に至り、半及び三四分、億万分の一、千万那由他、万億の諸の弟子、から半億に至ります。実際の数はもっと多いでしょう。百万より一万、一千、一百、五十、十、三、二、一、一人だけで眷属のないもの、独りを楽しむ者まで、皆ともに仏さまの元にいらっしゃっています。実数はもっともっとたくさんでしょう。このような多くの人々を、一人ひとり数えていたら、恒沙劫かかっても数えきれません。

この諸々の大威徳、精進の菩薩さま方は、一体どなたが、説法教化され、成就されたのでしょうか。どなたに従い初発心され、どのような仏法を称揚され、どなたの経を受持され、行じられ、どのような仏道を習い修められたのでしょうか。この諸菩薩さま方は、大神通智力をお持ちです。四方の地は揺れ、裂け、皆さま地中より湧き出でられたのです。お釈迦さま。私は今までこのようなことは見たことがございません。お願いですから、この方たちはどのような国土にいらしたのかお教えください。わたしは常に諸国を巡っておりますが、そのような国は見たことがございません。わたしは、この地湧の菩薩様方の内の唯の一人も存じあげないのです。忽然と地より湧き出でられたのです。その因縁をお教えください。今、ここに集う無量百千億の菩薩は、みな、地湧の菩薩さま方のこれらの因縁を知りたいのです。無量の徳をお持ちのお釈迦さま。どうかお答えください。」

その時、お釈迦さまの分身諸仏であられる無量千万億の他方の国土よりいらっしゃった仏さま方は、八方の宝樹の下の獅子の座にお着きになられていたのですが、その仏さまの従者でいらっしゃる方も、みなさま三千大千世界の四方の地から涌出されて虚空にいらっしゃる菩薩様方をご覧になられたのです。そして、みなさま仏さまに


「この、無量無辺阿僧祇と言う膨大な数の菩薩様方は、どこからいらしたのですか」


と問われたのです。

その時に、仏さま方は、各々その従者の方に告げられたのです。

「少しお待ちなさい。弥勒と言う名前の菩薩さまがいらっしゃいます。お釈迦さまは、この菩薩様に『私の次に仏となります』と記を授けられています。その方がすでにお聞きになっています。仏さまは、今この答えを語られます。あなた方はそれを聞けば分かるでしょう。」

その時、お釈迦さまは弥勒菩薩様に告げられました。

「善いですね。善いですね。弥勒よ。仏のこの大事をよく問うている。あなた方は一心に、精進の鎧を被り、堅固の意を発しなければなりません。わたしは今、まさに、
『諸仏の智慧』を宣示しようとしているのです。
『諸仏の自在の神通力』を宣示しようとしているのです。
『諸仏の獅子奮迅の力』を宣示しようとしているのです。
『諸仏の威猛大勢の力』を宣示しようとしているのです。」

お釈迦さまは、この義を重ねて宣べられました。

「まさに、一心に精進しなさい。わたしは、このことを説こうとしているのです。決して疑ってはなりません。仏智は不思議なものではありません。あなた方は、今、《すべてを忍ぶ善》に自身がいると信じてごらんなさい。昔より聞いたことのない法が、まさに聞こえますから。

『わたしは今、あなたを安心させ、慈んでいるのです。』
このことは絶対忘れないでください。仏の言葉は実でないものはなく、その智慧は量ることは出来ないのですよ。これを得る最初の法は、あなた方が今一心に聴いている
『仏は、あなたを安心させ慈しむ』
と言う深い分別なのです。」

お釈迦さまは、これを語り終えられて、弥勒菩薩様に、このように告げられました。

「わたしは、《この大衆は何者か》とあなた方に告げましょう。弥勒よ。この地湧の大菩薩。あなた方が見たこともない無量無数阿僧祇の大菩薩たちは、わたし自身が、この娑婆世界で仏としてきた者たちなのですよ。すなわち、教化指導し、その心を調伏し、仏道に導き、仏としてきた者たちなのです。そして、この諸菩薩は、皆この娑婆世界の下の虚空の中にあって、諸々の経典を読誦通利し、思惟分別し、正しく憶念しているのです。
弥勒よ。これらの菩薩は、衆に多く説くことを楽しみとはせず、常に静かなるところを楽しみとし、勤行精進し、いまだ休息することはないのです。人界(リラックス)、天界(幸福)に安住せず、なにも妨げることが出来ない、深い智を楽しみとし、無上慧を求めて一心に精進して、諸仏の法を楽しみとしているのです。」

お釈迦さまは、このことを重ねて宣べられました。

「弥勒よ。この大菩薩たちは、無数劫と言う昔から仏の智慧を習い修めてきた者たちなのです。皆、わたし自身が教化してきたのです。大道の道を志すように発心させたのもわたしです。そして、この者たちは皆私の子。常にこの世界にあって、常に仏道修行を行い、静かなるところを楽しみとし、大衆の闇を捨て、多くを説くことを楽しまない。これらの者たちは、私の法を学び習い、仏道を求めるために昼夜にわたり常に精進しているのです。この娑婆世界の下法空中に住み、志念力強固。常に智慧を求め勤め、種々の妙法を説き、その心は畏れがありません。わたしは、伽耶城の菩提樹の下に坐し、正覚を得て、無上の仏の法をあなた方に開いて、みなさんを教化し、仏道の心を生じさせ、そして、今、みなさん、ことごとく不退の地位に至り、皆さんことごとく仏となったのです。わたしは今、本当の事を言っているのです。あなた方は一心にこれを信じなさい。わたしは久遠の昔から、これらの者たちを教化してきたのです。」

動執生疑) 

弥勒菩薩様も無数の諸菩薩様方も、未曾有の怪しむべきことと心に疑惑を生じられたのです。
『いかにお釈迦さまでも、この無量無辺阿僧祇と言う膨大な数の大菩薩様方を教化して、全員に仏さまと同じ智慧や悟りを得させるのには、あまりにも時間が少ない。』
このように思われたのです。そこで、仏さまにこのようにお尋ねしました。

「お釈迦さま。お釈迦さまが太子の時、王宮を出られて、伽耶城を去られてからそれほどの年月が経っているわけではありません。つまり、仏さまの智慧や悟りを得られてから、四十年余りしか経っていないのです。お釈迦さまは、このような短い時間でこのような仏事を成されたのですか。どのような仏さまの勢いや力を以て、また、どのような仏さまの功徳をもって、このような無量の大菩薩さま方を仏さまとなされたのですか。
お釈迦さま。
この大菩薩さま方は、その数を数えようとしても千万億劫の期間数え続けたとしても、数えきれないのです。そして、その悟りの深さすら量りきれないのです。この方たちは久遠の昔から、無量無辺の仏さまのもとで諸々の善根を植えられ、菩薩道を成就された後も常に修行されていらっしゃる方とお見受けします。
お釈迦さま。このことだけはどうしても信じ難いのです。
たとえば、きれいな黒髪の二十五歳の美しい青年がいます。その人が百歳の人を指して、
『これは、私の子です。』
と言い、百歳の人が年少の若者を指して、
『これは、わたしを育てた、私の親です。』
と言っているのと同じです。これは信じがたい。仏さまも同じです。道を得てから、それほどの時が経っていらっしゃらない。でも、この諸々の大菩薩さまは、無量千万億劫と言う期間、仏道にあって勤行精進され、無量百千万億回の三昧に、出入りされ、大神通力を得られ、仏の行を積まれ、問答に於いて、巧みに、徐々に善き方向に導かれる善法を語られる、一切世間の人中の宝でいらっしゃいます。これは甚だ稀有なこと。
さっき、お釈迦さまは、みなさんにこのように言われました。
『仏道を得て、初めて発心させ、教化し導き、仏の智慧や悟りに向かわせる。』と。
お釈迦さまが仏になられてから久しからずと聞こえます。どのようにして、このような大功徳の事を成されたのですか。我らは、仏さまの宣べられたところを信じます。仏さまの言葉により、虚妄に会ったことはありません。仏さまは、すべてに、通達していらっしゃるのを知っております。でも、仏滅後の末法の世界で、初心者の菩薩がこの言葉を聞けば、信じて受けることが出来なくなり、法を破ることとなり罪業の因縁となるのです。だから、お釈迦さま。この意味を解説されて、我々の疑いをお晴らしください。また、未来の人々も、これを聞けば疑いを生じることもなくなるのです。」

弥勒菩薩様は、この義を再び語られました。

「仏さまは、昔釈迦族より出家され、伽耶の近くの菩提樹の下の座で悟りを開かれました。それほど昔の事ではありません。この、諸々の仏子は、その数を数えたくとも、とても数えきれるものではなく、久しく仏道を行しられた証拠に、神通知力があられ、善く菩薩道を学ばれ、世間の法に汚染されていらっしゃらない。水に浮かぶ蓮華の華のごとく、地より湧き出でられ、みなさま、恭敬の心を起こされ、お釈迦さまの御前にあられます。このことは、思義しがたいことです。これは、どのように信じたらよいのか分からないことです。仏道を得るのに甚だ近いのに、その成就完成された姿があまりにも多いのです。お願いですから、我々の疑いをお晴らしください。我々に分かるように、この事実をお教えください。たとえば、二十五歳の少壮の人が、髪の毛も白くなった皺だらけの百歳の人を指して、
『これは、私が生んだわたしの子。』
と言い、また、百歳の人も
『これは私の父です。』
と説くのと同じです。父が若く、子が年寄り、こんなことはあり得ないと世間の人は誰もが思うことです。お釈迦さまも一緒です。得道されたのは、ごく最近。ところがこれらの菩薩様方は、志固く、臆病なところも弱いところも何もない。無量劫の昔から菩薩道を行い、その心畏れることなく難しい問いに巧みに答えられる。忍辱の心は決定し、端正にして威徳があり、善くその説を分別されること、十方仏が讃えられるところです。人衆にあって楽しまず、常に禅定を好まれ、仏道を求められる故に、下の空中にあられます。我らは、仏さまに聞き従うために、このことに関して疑うことはありません。しかし、仏さま。未来のために、開いて解いてお教えください。どのようにして、このような無量の菩薩さまをこんなわずかの間に、発心教化され、不退の境地にまで至らしめられたのでしょうか。」


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妙法蓮華経。如来寿量品第十六

 その時仏さまは、諸々の菩薩さま方、そして、神々、御使い、鬼悪魔、人々までの一切衆生にこのようにおっしゃいました。
「善男子よ。あなた方は如来の誠の真理の言葉を信解しなさい。」
また、おっしゃいました。
「あなた方は如来の誠の真理の言葉を信解しなさい。」
そして、また、また、おっしゃいました。
「あなた方は如来の誠の真理の言葉を信解しなさい。」

この時、弥勒さまを首とされる菩薩さま方は、合掌してこのようにおっしゃいました。

「お釈迦さま。お願いですから、ただ、これをお説きください。我々は仏さまの言葉を信じてお受けします。」

このように三回、お釈迦さまがおっしゃられるたびに答えられたのです。

「ただ、これをお説きください。我々は仏さまの言葉を信じてお受けします。」と。

お釈迦さまは、三回請うて止まらないのをお知りになられ、このようにおっしゃいました。

「あなた方は《如来の秘密、神通の力》の真理を聞きなさい。一切世間の、【天界】、【人界】、【修羅界】の思考から言えば、釈迦族の宮を出て伽耶城を去り、道場に座して、仏の悟りを得たのは遠い昔の話ではないと言えます。でも、善男子よ。実はわたしが仏となったのは、無量無辺百千万億那由他劫という昔の事なのです。これを譬えれば、
五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を細かい塵として、東方の五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎるたびのその一粒を落とし、その塵がすべて尽きるまでと言ったら、みなさん、それらの広さを思い描くことができますか。その国の数を数えることが出来ますか。」

弥勒菩薩さま方は、このように答えられました。

「お釈迦さま。その世界は無量無辺。とても数え切れるものでもなく、心に思い描くこともできません。声聞界、辟支仏(縁覚)界のすべての智を以てしても、思い描くことも、その限りを知ることもできません。我々は阿惟越致地(菩薩界)にありますが、それでも、そこに達することはできません。お釈迦さま。そのような世界は無量無辺としか言いようがありません。」

仏さまは、大菩薩の皆さま方に告げられました。

「諸々の善男子たちよ。今まさにあなた方が分明に宣言した通りなのですよ。これらの世界の微塵も、微塵でないものもすべて微塵として、その塵の一粒を一劫と数えましょう。わたしが実に、仏となってから、これを過ぎること百千万億那由他阿僧祇劫なのですよ。そして、その時から、わたしは常にここ(法華経)にあって、娑婆世界を説法教化し、また、別の場所の百千万億那由他阿僧祇の国の者たちも導き、利してきたのです。
善男子よ。この中間にあって、わたしは過去仏の話を出し、『わたしはその仏に習い仏となった』と説き、また『涅槃に入る』とも言ったのです。これらはすべて方便分別の教えです。
 諸々の善男子よ。
衆生が縁あって、わたしのところに来たとしましょう。わたしは仏眼を以て、その信仰の様子などを観るのです。そして、諸根の利鈍に応じて導くのです。その状態によって、名字の不同も、年紀の大小も説き、そして、肉体の体に戻って、『まさに涅槃に入る』とも説くのです。また、種々の方便を以て、微妙の法も説いて、人々に歓喜の心を発せさせるのです。
諸々の善男子よ。
如来は徳の薄い、垢が重なった小法を喜ぶ、【人界】や【天界】に有る者のためには、『わたしは、少くして出家し、仏の悟りを得た』と、説くのです。わたしは実に仏となって以来、久遠の昔から、衆生を教化し仏の道に入れようとするために、ただこの様な方便を以て説いてきたのです。

諸々の善男子よ。
如来が語ったことは、皆、衆生を仏にするためなのですよ。
わたし自身のこともそう。他のだれかのこともそう。
わたし自身があるのもそう。他のだれかがあるのもそう。
わたしのことを示すのもそう。他のだれかを示すのもそう。
諸々のわたしが語ったこと、説いたことは、皆、実であり虚妄ではありません。
なぜかと申しますと、如来は如実に過去、現在、未来の姿を知見するからです。
生まれることも死ぬこともなく、退くことも出ることもなく、世に在る者も、滅度する者もありません。
実に非ず虚にあらず。同じでないが、違いもない。
過去、現在、未来を見ると、過去でもなく、今でもなく、未来でもない。

これらのことを、如来は明らかに知るのです。だから、間違えることはないのです。
諸々の衆生には、いろいろな性質があり、いろいろな欲があり、いろいろな行動があり、いろいろな憶測や想いがあります。これらを分別し、《善根を生じさせるためにはどのようにしたら良いか》と、若干の因縁や、比喩や言辞を用いて種々の説法を行うのです。これが、仏事であり、すべてを語りつくすこともできないし、少しも廃す必要などないのです。
これが、《わたしが仏となって以来、甚大久遠であり、寿命は無量阿僧祇劫であり、常にあって滅びない》ということなのです。
諸々の善男子よ。
わたしは最初から菩薩道を行じて、その寿命は今なお尽きない。そして、その数倍の寿命を持つのです。しかし、今これは実の滅度ではないけれども、《まさに滅度を取る》と言うのです。これは、如来はこの方便を以て衆生を教化しようと言うことに他ありません。なぜかと申しますと、仏がこの世に久しくあると、薄徳の人は、善根を植えることをしないからです。困窮した下賤の考えに執着し、五欲に執着し、このような憶想妄見の網に囚われてしまうのです。
『如来さまは、常にいらっしゃり、わたしをお救いくださる。だから、わたしは自由にしてよい。』
このように憶想して、厭怠を懐いてしまうものなのです。そこには、遭い難いと言う想いも、恭敬の心もない。だから、如来は、
『比丘よ。諸仏が世に出られることは滅多になく、遭い難いものなのですよ。』と方便を説くのです。
この意味は、実際に仏は、諸々の薄徳の人にとっては、無量百千万億劫を過ぎても、実際に遭えるかどうか分からないほど、遭い難いものだからです。だから、わたしはこの様に語るのです。
『比丘たちよ。如来は、衆生などにとっては、まみえ難いものなのですよ。』と。
この言葉を聞けば、必ず遭い難いと言う想いを生じ、心は仏を渇仰して恋慕を懐くのです。
そして、これが善根の種となるのです。だから、如来は、実には不滅であっても、滅度と言うのです。

また、善男子よ。
諸仏如来の法は、皆このようなものなのです。衆生を仏に導くためのものなので、皆、実であり虚ではない。

例えば、すべてに通達した智慧を持ち、良く薬を調合し、人々の病を治す良医があったとしましょう。その子供は多く、十人、二十人、百人といます。いろいろな因縁により、良医は他の国に行っておりました。その子供たちは、その間に毒薬を飲んでしまいました。その毒薬により、悶え乱れ、地を転げまわっております。その時、父は家に帰ってまいりました。子どもたちは、毒を飲んでしまったのですが、本心を失ってしまった者も、まだ、本心までは失わなかった者もいたのです。皆、遥かに父を見て大喜びし、ひざまずいて拝み、このように言ったのです。
『善くお戻りになられました。我らは愚かで何も知らず、間違えて毒薬を飲んでしまったのです。お願いですから、どのようにしたら治るか診察していただき、更に寿命を賜りたいのです。』と。
父が子どもたちを見ると、その苦悩は、諸経の色や香りの良い薬草を求め好んだことが原因であることがわかりました。そこで、それらをことごとく具足した薬を調合して、子供たちに与え、このようにおっしゃったのです。
『ここに、色、香、美味をことごとく具えた大良薬があります。あなた方はこれを服用しなさい。速やかに苦悩を除き、二度と衆の疾患に侵されることはなくなりますから。』
その子供たちの内、まだ本心を失っていない者たちは、この良薬は色も香りも好ましいと見えたので、すぐに服用して、病をことごとく除き癒されたのです。他の本心を失ってしまった者たちは、父の姿を見て大喜びして
『病を治す薬をお与えください。』
とは言ったのですが、その薬を服用することはなかったのです。なぜかと言えば、毒気が深く入り込み、本心を失ってしまっていたので、この色も香りも好ましい薬を、『美しくない』としか言いようがなかったのです。父はこのように思いました。
《この子は、なんてかわいそうなのだろう。毒に呑み込まれてしまって、心が転倒してしまっている。ただ、わたしを見て喜び、救療を求めるのだが、この好薬を与えても服用しようとしない。わたしは、この薬を服用させるために、まさに、方便を説こう。》
そして、このように言ったのです。
『お前たちは知っていると思うが、わたしは老い、衰弱して、それほど長くは生きられない。今、ここに、この良薬を留めてある。あなた方はこれを服用しなさい。憂いはなくなるから。』
このように教えて、また他国に至り、
『あなた方のお父様が、お亡くなりになられました。』
と、使いを遣わされたのです。この時、子供たちは父背喪の知らせを聞いて、心は大憂悩したのです。そして、このように思ったのです。もし、父上がいらしたのならば、われらをこの苦悩からお救いくださるのに、今、我々をお残しになり、遠く他国でお亡くなりになってしまった。わたしは、救いを求めてももはやないことが、はっきりとわかった。そして、常に悲感を懐き、その悲観故に心は遂に覚醒し、この薬が色も、香りも、美味であることを悟ったのです。すなわち、この薬を取り服用して、毒の病は皆癒されたのです。
その父は、その子がことごとく毒から離れたことを聞いて、子供たちのもとに帰ると言う使いを遣わせたのです。
善男子よ。意味に於いて問いましょう。この良医は、虚妄の罪に問うべきでしょうか。」

「いや、お釈迦さま。意に於いてその罪はありません。」

仏さまは言われました。

「わたしも、同じなのです。私が仏となってから、無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫と言う時間が経っているのです。方便力を以て、『私は滅度する』と言うのです。誰が、このように法を説くわたしを、『偽物に過ぎない』と言えるでしょうか。」

お釈迦さまは、この義を重ねて語られました。

「わたしが仏になって以来、無量百千万億載阿僧祇と言う劫数が経っています。その無量劫の昔より、常に無数億と言う衆生を説法教化し、仏道に入らせてきたのです。そして、衆生を導くための方便としての涅槃を現してきたのですが、その本当の姿は、不滅であり、ここ(法華経)で常に説法しているのです。わたしはここ(法華経)に常にあるのですが、諸々の神通力故に、転倒した衆生には、近くいてもみえないのです。衆生は私の滅度を見、その功績を広く供養し、皆、仏に恋慕を懐き、仏を渇仰する心が生まれるのです。
 衆生には、昔から真直ぐな性質で、柔軟な意識で信伏しており、身命を惜しまず、仏を見ようとする一つの心があるのです。(その心を思い出した)ときに、わたしも衆僧たちも、共に霊鷲山から出て、衆生に語りかけるのです。
『ここに常にあり、不滅ですよ。方便力故に死んだように見えますが、実は不滅なのですよ。』と。
だから、どの国の人々であっても、恭敬し信楽する者であれば、わたしは彼の心の中に於いて、無上法を説くのです。あなた方は、これが聞こえないから、ただ私が《滅度した》と言うのですよ。
わたしは、衆生は現身の生にこだわり、その生を渇仰するために苦海に没していると見ます。その原因は、現身の生への渇仰なのです。だから、この循環から導き出すために、法を説いているのです。阿僧祇劫に及ぶ神通力はここにあるのです。

仏は、常に霊鷲山にあり、そして、ありとあらゆるところにありますが、(転倒した)衆生には、そこは《永遠の大火が常に燃えるところ》と見えてしまうのです。でも、わたしのこの場所は、常に安穏であり、天の人々はその園林や堂閣に常に充満し、種々の宝は荘厳であり、宝樹は華も果も多い。衆生は遊び楽しみ、諸天は天鼓を撃ち、常に天衆は伎楽をなし、曼陀羅華を、仏や大衆に降らすのです。わたしの浄土は壊れることはありませんが、衆は、それを焼き尽くすところ、諸々の苦悩に憂い恐れるべきところと見るのです。このようなものが充満するとみるのは、阿僧祇劫を過ぎても、三宝の名も聞こうとしない、衆生の悪業を因縁とする諸々の罪故なのです。諸々の功徳を修め、柔和質直な者は、皆、私の身がここ(法華経)にあって法を説くと見ます。その時、この衆のために、仏寿無量と説いているのです。久しく、仏に見える者のためには、仏は遭い難しと説くのです。わたしの智力はこのように、智慧の光は無量の未来までも照らすため、寿命は無数劫におよび、久しく修行を得させる所となります。あなた方の内、智のある者は、これを疑ってはなりません。このように断言しきりなさい。
『仏の言葉は実であり、虚妄ではない。』と。
医者が、善い方便を用いて、狂った子を治すために、実際は生きているのに、死んだと言ったとしても、虚妄を説いたと言えないでしょ。わたしもまた、世の父なのです。諸々の苦の患者を救うために、転倒した凡夫のために、実際にはあるのに、滅すと言うのです。常に仏があるとみれば、勝手気ままにしても良いと言う心が生まれ、五欲を野放しにして、悪道の中に堕ちるのです。わたしはいつも、衆生が何を行うようになるのか、何を行なわなくなるのかを知り、その導くべきところに応じて、種々の説法を行ってきたのです。そして、いつも、このように思っているのです。

『どのようにしたら、衆生を無上道に入らせることができるか。どのようにしたら、衆生を仏とすることが出来るか。』と。」

以上全文



http://book.geocities.jp/petero_rom/details1016.html

妙法蓮華経。分別功徳品第十七

 その時、集まられた無量の皆さまの内、阿僧祇と言う多くの衆生は、『仏さまの寿命は長く遠いこと無量無辺』と言う言葉を聞いて、あふれ出るような益を受けたのです。お釈迦さまは、弥勒菩薩さまに告げられました。

「弥勒よ。私が如来の寿命は長遠であると説くことによって、
六百八十万億那由他恒河沙の衆生が、《生じることもなく、滅びることもないと言う安らぎ》を得、

その千倍の菩薩が、神々を動かす陀羅尼の意味を理解し、

また、一世界微塵数の菩薩が、何者にも妨げられることのない弁を楽しむ才を得、

また、一世界微塵数の菩薩が、無量の陀羅尼を施す力を得、
また、三千大千世界微塵数の菩薩が、不退転の仏の教えを説く力を得、
また、二千中国土微塵数の菩薩が、よく清浄の仏の教えを説く力を得、
また、小千国土微塵数の菩薩が、あと八回生まれることによって仏となることが出来るようになり、
また、四十四天下微塵数の菩薩が、あと四回生まれることによって仏となることが出来るようになり、
また、三十四天下微塵数の菩薩が、あと三回生まれることによって仏となることが出来るようになり、
また、二十四天下微塵数の菩薩が、あと二回生まれることによって仏となることが出来るようになり、
また、十四天下微塵数の菩薩が、次に生まれるときに仏となることが出来るようになり、
また、八世界微塵数の菩薩が、仏の悟りを得、仏となることが出来ました。」

仏さまが、この諸々の菩薩さま方が大法利を得たと説かれたとき、虚空中より、曼陀羅華や摩訶曼陀羅華が無量百千万億の宝樹の下の師子の座にお着きになっている仏さま方の上に、そして、七宝塔の中の師子の座につかれていらっしゃる釈迦牟尼仏さまと、滅度してから久しい多宝如来さまの上に、またまた、すべての菩薩さまや四部衆の上にもふってきたのです。また、栴檀や沈水香などの良い香りが漂い、虚空の中では、妙声深淵な天鼓が鳴り、千種の天衣が漂い、諸々の飾りや、真珠や、摩尼珠や如意珠の連なった飾りが九方に下がったのです。衆宝の香炉では、計り知れない価値の香が焚かれ、このように、すべてのものがこの大会を供養されたのです。お一人お一人の仏さまの上に、たれ飾りを持たれた菩薩様方があられ、次第に上に上って行かれ、梵天さまとなられ、この菩薩様方は、妙音声で、たくさんの讃歌を歌われ、仏さま方を讃嘆されたのです。
弥勒菩薩さまは座より立たれ、右肩をお出しになられ、仏さまに合掌申し上げ、このように申し上げられたのです。


「仏さまは、今まで一回も聞いたことのない稀有な法を説かれました。

『仏さまは大いなる力があり、その寿命は量ることが出来ない。』と。
無数の諸々の仏子は、お釈迦さまが分別されて、その法利を説明されたので、皆、歓喜につつまれたのです。ある者は、不退転の位置に至り、ある者は、陀羅尼を得、ある者は、万億の教えの中にある譬えようのない価値の源を知ったのです。大千世界微塵数と言う菩薩様方が、不退の法を説法される力を得られ、中千世界微塵数と言う菩薩様方が、清浄の法を説法される力を得られ、小千世界微塵数と言う菩薩様方が、あと八回生まれることにより仏さまとなる力を得られ、また、四回、三回、二回生まれることにより仏さまとなる力を得られた方も、数こそ違え、微塵数と言う単位の菩薩様方なのです。十四天下微塵数と言う菩薩様方は、次にお生まれになられるときに仏さまとなられる力を得られ、八世界微塵数の菩薩様方は、仏さまの寿命の話を聞かれ、無上心を発せられたのです。お釈迦さまの説かれた無量不可思議の法は、虚空無辺のように、多くの有り余る益があるので、天は、曼陀羅や摩訶曼陀羅を降らせ、神々も、御使いたちも、海の砂のように多い世界からいらっしゃり、栴檀や沈香は、あたかも鳥が空を飛ぶように細かい霧となって降り、諸仏を供養し、天鼓は、虚空の中で、おのずから妙声をだし、百万億の天衣は周りながら下りてきたのです。衆宝の妙香炉には、計ることの出来ない価値の香が焚かれ、その香りは当たり一面に立ち込め、諸々の仏さまを供養されたのです。その大菩薩衆は、高く妙なる万億種の七宝の下げ飾りを執って、次第に梵天の世界に至られたのです。一人ひとりの仏さまに、この宝の下げ飾りが懸り、千万の讃歌で以て、それぞれの如来さまを褒め称えられる。このような数々の一回も聞いたことも見たこともない事柄が起こっているのは『仏寿無量』と聞いて、皆が大歓喜したあかしです。仏の名は、十方のすべての衆にことごとく広く益を与えるのです。一切すべてのものには無上心を助けると言う善根があるからです。」



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       /~本門D
      /__\
     /(流通分)
    /__\/__\
   /\ 妙法蓮  /一品二半E
  /__\ 華経 /本門D~
 /(序分)\  B(正宗分)
無量義経/__\/__迹門C_\
\    ((正宗分))   /\
序文))  無量義経・  ((流通分)) 
華巌・   法華経・     涅槃経等
阿含・   観普賢菩薩行法経
方等・   A
般若部の
法華以前の諸経

       /本門D
      /__\
     /(流通分)
一品二半E__\/__\
   /\ 妙法蓮  /\
  /__\ 華経 /迹門C
 /(序分)\ B/(正宗分)
/__\/__\/__\/__\
\    ((正宗分))   /\
序文))  無量義経・  ((流通分)) 
華巌・   法華経・     涅槃経等
阿含・   観普賢菩薩行法経
方等・   A
般若部の
法華以前の諸経


図解試作

       /迹門
      /__\/ 
     /\正宗分\/
    /__\/_一品二半
   /\ 妙法蓮  /\
  /__\ 華経 /本門\   
 /\序分/\  /流通分/\
/__\/__\/__\/__\
\    (正宗分)     /\
序文)   無量義経・   (流通分) 
華巌・   法華経・     涅槃経等
阿含・   観普賢菩
方等・   薩行法経
般若部の
法華以前の諸経

あるいは、

      
       /迹門C
      /__\/ 
     /(宗分)/
    /__\/_一品二半E
   /\ 妙法蓮  /\
  /__\ 華経B/本門D   
 /(序分)\  /(流通分)
/__\/__\/__\/__\
\    ((正宗分))   /\
序文))  無量義経・  ((流通分)) 
華巌・   法華経・     涅槃経等
阿含・   観普賢菩
方等・   薩行法経
般若部の
法華以前の諸経A



                               /\
                              /__\
                             /\  /\  
                            /__\/__\
                           /\  迹門  /\
                          /__\ 正宗分/__\   
                         /\  /\2〜9\  /\ 
                        /__\/__\/__\/_9\
                       /\              /\      
                      /__\   一経三段     /__\  (迹門、流通分、10〜14)
                     /\  /\  <正宗分>   /\  /\  /
                    /__\/__\  2〜17  /__\/14\/
                   /\      /\      /\  迹門  /16  
                  /__\ 2  /__\    /__\ 流通分/半15正宗分、
本門(一品二半)半15から 
                 /\  /\  /\  /\  /\ 10〜14/一品二半\            17半まで 
                /__\/__\/__\/__\/10\/__\/15半/17半
               /\                    本門&一品二半   /\
              /__\                       序分   /半17
             /\  /\                          /\流通分、本門(&一品二半)
            /__\/__\                        /__\/__\
           /\      /\                      /\      /\
          /__\    /__\      妙 法 蓮 華 経     /__\    /__\
         /\  /\  /\  /\                  /\  /\  /\  /\
        /__\/__\/__\/__\    、           /__\/__\/__\/__\
       /\              /\              /\    一経三段      /\ 
      /__\   一経三段     /__\            /__\    &本門     /__\
     /\  /\   &迹門    /\  /\          /\  /\ (&一品二半)  /\  /\
    /__\/__\  <序分>  /__\/__\        /__\/__\  <流通分> /__\/__\
   /\      /\   1  /\      /\      /\      /\半17〜28/\      /\
  /__\    /__\    /__\    /__\    /__\ 半17/__\    /__\ 28 /__\
 /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\