火曜日, 3月 31, 2015

弁証法の拒絶:ゴダール『さらば、愛の言葉よ』

                   (映画リンク::::::::::本頁

弁証法の拒絶:ゴダール『さらば、愛の言葉よ』
GODARD  "Adieu au langage" 

【物語】
「人妻と独身男が出逢う。ふたりは愛し合い、口論し、叩き合う。一匹の犬が町と田舎を彷徨う。季節はめぐり、男と女は再会する。犬は気付くとふたりのもとに落ち着く。他者が個人の中にいて、個人が他者の中にいる。そして登場人物は三人になる。かつての夫が全てを台無しにし、映画の第二幕が始まる。第一幕と同じようで、それでもどこか異なる。人類からメタファーへと移り、犬の啼き声と赤ん坊の泣き声で物語は終わる。」(プレスより)

ゴダールの3Dは、ドゥルーズがゴダール作品の特質として最初に指摘した、弁証法の拒絶の結実だ。映画内の章にも1(隠喩)と2(自然)はあるが3はない(『ソシアリスム』にはあったが)。エイゼンシュテインがその立体映画論において未来に存在を楽観視した民衆のための広場はそこにはないが、未来の代わりに現在がある。子供の代わりに犬がいる(『ソシアリスム』に続いてではあるが、デリダへの応答は珍しい*)。

夫婦から生まれる赤ん坊の隠喩はヘーゲルの弁証法のプロトタイプだが、ゴダールは音だけで処理する。
想像力がある者は現実に頼らない、ということだろう。

未来はないと言ったが、前半仕切りに流れるスラブ行進曲(音楽ではなく音への遡行、むしろ数学への傾倒)は、プーチンの暴走を予言している。ゴダールはプロセスをそのまま作品にしているが、未来を予言しているところもある。例えば、『ソシアリスム』冒頭に出ていた経済学者はシャルリーへのテロに巻き込まれて2015年に殺されている。

左右のカメラをわざとズラすシーンは2箇所。ともに男女の乖離を描いているが、すぐに元に戻る。モンタージュされないのだ。2Dではどういう処理になるのだろうか?
ちなみに同じく視差を扱って成功しているのは宮崎駿の風立ちぬ(冒頭メガネのシーン)くらいだろう。

3Dの効用は、望遠が使えず、画角が一定になり、人物に近づくしかなくなるために、かえって被写体が生き生きしてくることだ。

邦題が不評だが、ハードボイルド小説を踏まえた命名はこれまでのゴダール作品の流れからは正しい。しかし今回はもっと素のゴダールが出ている。
引用群はここではない何処かではなく(アフリカが記号的に使われるが)、日常を異化効果によって蘇らせる。『ソシアリスム』にあった資本への視点は消え、自然への視点が増えた。映画の引用は素材が3Dではないからか後退しており、それがいい方向性を示している。『リア王』の時のソニマージュ(における実験の体験)を立体映画でやり直している観がある。もっと私小説的なのだ。

政治的問題は男女間の問題(排泄と平等及び『アリア』的女性の叫びの変奏)に二重写しされる。
ゴッホの点描を見た後のような視覚の広がりを歴史的にゴダールは我々にもたらした。
普通の日本語字幕が浮き出て見えることで映像と観客との溝は広がるのだが、その溝が心地よい。

弁証法の拒絶は、同一化への希求の表れ(キリーロフ〜『中国女』でも描かれた〜)でもある。 

近年称えられたモナリザ3D絵画説と呼応して、実に刺激的な作品だった。

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以下の写真は『ソシアリズム』より


2015年シャルリー事件で殺された経済学者ベルナール・マリス(『資本主義と死の欲動』未邦訳)はゴダール『ソシアリスム』冒頭に出演していたそうだ。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Bernard_Maris
http://www.outsideintokyo.jp/j/review/jeanlucgodard/

<第1楽章 こんな事ども>
(地中海の月明かりで)黒黒々とした海面。

経済学者ベルナール・マリス「(オフ)お金は公共財産だ。」
アリッサ(アガタ・クーチュール)「(オフ)水と同じ?」
マリス「(オフ)そうだ。」

同パンフより

Фильм социализм  Film socialisme 2010 godar
https://youtu.be/MTQJuyeSKgA
『ソシアリスム』より
2015年に殺された経済学者(ベルナール・マリス)
2015年にシャーリーへのテロで巻き込まれ殺された経済学者ベルナール・マリス(『資本主義と死の欲動』未邦訳)はゴダールソシアリスム冒頭に出演していたそうだ。
「新潮」201503鼎談の浅田彰発言参照
http://fr.wikipedia.org/wiki/Bernard_Maris
http://www.outsideintokyo.jp/j/review/jeanlucgodard/




『動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある』: ジャック・デリダ, マリ=ルイーズ・マレ, 鵜飼 哲
http://www.amazon.co.jp/dp/448084743X/
内容紹介
猫に自らの裸を見られた体験から始まる講演など4編を収録。デカルト、カント、レヴィナス、ラカン、ハイデッガーを辿り直し、動物と人間の伝統的な対立関係を考察する。

デリダはブーバーの猫に関する考察に批判的だが(23頁)、明らかにレヴィナス経由でブーバーに負っている。43頁のゴダールが引用した猫からの視線は柄谷行人が引用したブーバーの考察そのものだ。矮小化した上でブーバーを批判しているのだ。なお本書第IV章でデリダはハイデガーの「3」へのこだわりを揶揄している(282頁他)。弁証法批判と言えよう。動物への視点も批判的にではあるがハイデガーからゴダールへと還流している。

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以下、参考サイト:



ゴダール『さらば、愛の言葉よ』(5)音楽


 『さらば、愛の言葉よ』で引用されている音楽は、おなじみのベートーヴェン交響曲第7番第二楽章をはじめ、シベリウスのワルツや交響曲第二番、あるいはシェーンベルクなど、多くはクラシックだ。中でも印象的なのは、繰り返し鳴らされる弦の低音で、これはチャイコフスキー『スラブ行進曲』の冒頭である…
 と、こう書くと、まるでそれが『スラブ行進曲』の始まりを予感させるか音楽であるかのように読めるかもしれないが、そうではない。この映画で鳴らされる弦の合奏は、ごく主観的に書くなら、禍々しい時代の予兆を感じさせるような陰にこもった響きであり、とても原曲の『スラブ行進曲』ような、勇ましい展開を期待できるものではない。これは他の引用にも言えることで、ベートーヴェンやシベリウスの交響曲が引用されているからといって、その楽章全体をきいたときの感慨が引用によって立ち上がるかといえば、そんなことはまるでない。
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デルタ関数とは

 デルタ関数とは、空間の一点にだけ存在する粒子を数式中に表現したいためにディラックによって発明された関数である。  理論上の話だが、ある一点において密度は無限大、 しかしその密度を積分して全体量を求めると有限量であるという性質が欲しかったのである。  イメージとしては次のような関数である。
   のところでだけ無限大となり、それ以外のところでは 0 である。  しかし無限大というのは数値ではなくて、限りなく大きくなる極限を考えるときのイメージに過ぎないので、 これを定義として使うのは数学的にふさわしくない。  しかも「0 を含む区間で積分すると有限の値になる」という性質もまだ言い表せていない。
 実は次のように定義しておけば万事解決することが分かる。
 ここで出てくる  は任意の実連続関数であるとする。  どんな形の関数  を使っても、デルタ関数と掛け合わせて積分すると、  での  の値だけが拾われて出てくるとするのである。
 なぜこれでうまく行くのかを説明しよう。  上の定義のところに、常に 1 であるような関数  を当てはめてみる。  すると次のように、デルタ関数を積分すると有限値である 1 になることが導かれる。
 さらに、どんな関数を使っても  における値  しか拾ってこないことから、  以外の区間での  の値はデルタ関数によって無効化されていることになる。  つまり、  以外の区間では  となっているのだと言えるだろう。
 というわけで、(1) 式や (2) 式では無限積分を使っているが、 積分区間に  を含んでいさえすれば同じ形の式が成り立っているとして良い。
 デルタ関数は関数に似てはいるが、実は関数ではない。  これを関数だと認めると、数学での分類の上ですっきりしない部分が出てくるらしいのである。  それで数学では関数 (function) ではなく超関数 (distribution) というものに分類されている。  しかし物理学徒はそのようなことには無頓着なのだ。
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はるの魂 丸目はるのSF論評


非Aの世界
THE WORLD OF NULL-A

A・E・ヴァン・ヴォークト
1945


 第二次世界大戦終戦の年に発表され、日本では文庫として1966年の冬に登場している。私は、1979年の第20版を所有している。300円。近年、新装版として再発行されたが、在庫限りのようである。
 SFの中では、歴史的作品として名高い。今回、おそらく初再読であるが、初読は高校生の頃だろう。どうにも、入り込めなかったのを覚えている。たしか、続編の「非Aの傀儡」も持っていて、読んでいたはずなのだが、手元にない。記憶もおぼつかない。
 今回、読み終えて、それでも腑に落ちない点があり、ちょっとネットで調べたら「一般意味論」とアリストテレス(A)の前提の否定についての解説を見つけ、ようやく得心がいった。20世紀初頭から1933年頃に形成された理論というか、考え方だったのだね。
 それを前提にしてヴォークトがSFに仕立て上げたわけだ。20世紀後半に、エコロジー思想が一部のSFに取り入れられていったように。ふうん。
 それで得心がいったからといって、どうなるものでもないのだが、その非A=一般意味論がある故に、話しがややこしくて、私には理解できなかった作品である。今も、すっきりしたとは言えない心持ちである。私の理解力は浅いのだ。
 さて、2006年の時点で読み直してみて、「機械」(世界をコントロールするコンピュータ)と、その機械が行うゲームによって職業などが決まるという社会や、拡張された脳、クローンと、同一性確保による記憶の移転での「無限の生」など、現代SFではナノテク・ヴァーチャルリアリティ技術・バイオ技術などによって表現される外挿が行われている点で、歴史的名作であろう。
 また、ひとつの考え方や方法論を外挿するとどのような作品が可能なのかを理解させる点でも、優れた作品かも知れない。
 話しはというと、非A者であるギルバート・ゴッセンは、機械によるゲームによって非A者の世界である金星に行くことを願っていた。しかし、自らの記憶が偽りのものであることを知った彼は、宇宙規模の陰謀に巻き込まれていることを知る。一度は殺され、その記憶があるのに、再び彼は生を得て、金星で目覚める。自分に一体何が起きているのか、誰が自分を殺そうとするのか、誰が自分を操っているのか、誰がどんな目的で彼の記憶を操作しているのか。様々な疑問を自ら解決しつつ、次第に判明する地球と金星の危機に対応するためにギルバート・ゴッセンは、彼をサポートする人たちとともに奮闘する。
 というところでよいのかな。
 つい先日読んだばかりなのに、私が非A人ではないばかりに、作品のイメージすらおぼつかない。とほほ。
 さてと、1945年に書かれた本作品だが、舞台は2560年。2018年に一般意味論協会が金星の非A的可能性を認識し、2100年代に非A的能力を伸ばすための機械によって選別された人が金星に来るようになっていた。舞台の2560年頃の地球人口50億人。金星には2億4千万人が暮らしている。
 大体、20世紀中葉の作品では地球人口が50億人ぐらいで、当時の予想人口の倍というのが多い。50億人は多かったのであろう。

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http://aiaikawa-rj.lyricnet.jp/2015/02/blog-post.html
昨年出た村上春樹の短編集『女のいない男たち』は、浮気する女たちのせいで傷つく男たちがテーマになっていた。ゴダールの『さらば、愛の言葉よ』のベースも人妻と独身男がおりなす物語ではあったが、女はなぜ簡単に二股をかけるのか?と糾弾する勢いの村上春樹に比べ、ゴダールはそんなことはどうでもよくて、大事なのは犬であるというのが結論だ。サルトルの『存在と無』、デリダの『動物ゆえに我あり』などが引用され、人間批判が展開される。

たとえば「登場人物って嫌い」と女が言う。
人は世の中に登場した瞬間から、他人に意味づけされる。その結果、他人の言葉はわかるが自分の言葉がわからない状態になる。登場人物とは、自分の言葉を失った人間のことなのだ。

たとえば「自由な生き物は干渉しあわない。手にした自由が互いを隔てるのだ」という言葉が愛犬ロクシ-の動画に重ねられる。
不自由な人間は、自由を求めて不毛に争い合うというわけだ。

たとえば、子供をつくろうと男に言われた女が「犬ならいいわ」と答える。
これほど未成熟な映画があるだろうか。ゴダールに理由なんてない。あるのはロクシ-への愛と3Dへの好奇心のみだ。
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動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある (単行本): ジャック・デリダ, マリ=ルイーズ・マレ, 鵜飼 哲: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/448084743X/

内容紹介

猫に自らの裸を見られた体験から始まる講演など4編を収録。デカルト、カント、レヴィナス、ラカン、ハイデッガーを辿り直し、動物と人間の伝統的な対立関係を考察する。



初稿:
ゴダールの3Dは、弁証法の拒絶だ。エイゼンシュテインがその立体映画論において未来に存在を楽観視した民衆のための広場はそこにはないが、未来の代わりに現在がある。子供の代わりに犬がいる(デリダへの応答は珍しい)。
夫婦から生まれる赤ん坊の隠喩はヘーゲルの弁証法のプロトタイプだが、ゴダールは音だけで処理する。
想像力がある者は現実に頼らない、ということだろう。
左右のカメラをわざとズラすシーンは2箇所。ともに男女の乖離を描いているが、すぐに元に戻る。モンタージュされないのだ。
2Dではどういう処理になるのだろうか?
ちなみに同じく視差を扱って成功しているのは宮崎駿の風立ちぬ(冒頭メガネのシーン)くらいだろう。
邦題が不評だが、ハードボイルド小説を踏まえた命名はこれまでのゴダール作品の流れからは正しい。しかし今回はもっと素のゴダールが出ている。
引用群はここではない何処かではなく、日常を異化効果によって蘇らせる。ソシアリスムにあった資本への視点は消え、自然への視点が増えた。『リア王』の時のソニマージュ(における実験の体験)を立体映画でやり直している観がある。もっと小説的なのだ。
政治的問題は男女間の問題に二重写しされる。
ゴッホの点描を見た後のような視覚の広がりを歴史的にゴダールは我々にもたらした。
普通の日本語字幕が浮き出て見えることで映像と観客との溝は広がるのだが、その溝が心地よい。
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621: 
浅田彰が『構造と力』で言及した伊藤高史の「SPACY」
Spacy 1981 - Takashi Ito
https://youtu.be/Mf18mahEAjo

《共産主義が一度だけ存在した
あのときだけだ
ウェンブリー・サッカー・スタジアムで--
ハンガリーが英国を
6対3で破ったときだ
英国の個人プレーに対し
ハンガリーは全員で戦った》
ゴダール『アワーミュージック』より

  Dans “Notre musique” (2004), Godard himself lance :
 « Le communisme a existé deux fois quarante-cinq minutes, au stade de Wembley, quand le Honved Budapest a battu la Hongrie par 6-3 (sic). Les Anglais jouaient individuel, les Hongrois jouaient ensemble » . 

Godard rend un bel hommage amer au Barça de Guardiola. - Interviews - Coupes d'Europe

Le casting improbable est un art : dans le nouveau (et “difficile ” –terme pudique) Jean-Luc Godard, “Film Socialisme”, projeté au Festival de Cannes dans la section Un Certain Regard et qui sort en salles mercredi, on croise Patti Smith, l'ex-tenniswoman Cathy Tanvier, le philosophe Alain Badiou et Andrés Iniesta. Le compère de Xavi au sein du milieu barcelonais, pourtant, n'apparaît pas en chair et en os mais le temps de quelques plans d'archives fulgurants, au milieu de maillots blancs mancuniens, au soir de la démonstration de force des Blaugranas en finale de Coupe d'Europe (2-0). 

Le football et Godard, une mélodie en sous-sol mais bien présente tout au long de son œuvre. Comme le montre la récente biographie que lui a consacré Antoine de Baecque (1), JLG est un vrai fan de sport –dans une de ses rares apparitions comme acteur, dans le “Paris nous appartient” de Rivette, on le voit à la terrasse d'un café parisien en train de lire L'Equipe, journal auquel il accorda un entretien remarqué en 2001. S'il est encore plus fan de tennis (le sport le plus cinégénique qui soit avec la boxe), JLG aime le foot, un art qu'il juge plus « vrai » que le cinéma, d'une certaine façon : « Dans les arts, on peut dire : ʺOn marque plein de butsʺ [...] et puis, si vous avez une grande gueule ou si vous êtes riche ou si vous êtes une vedette, on vous croit » , déclarait-il y a une quinzaine d'années. Comme toute passion, cet attachement a ses scènes originelles, comme celle-ci que le cinéaste racontait dans un entretien télévisé : « Je me souviens très bien de la fin de la guerre. Je jouais au football et quelqu'un est venu annoncer "La guerre est finie !". J'étais gardien de but et comme j'ai tourné la tête, j'ai pris un but » . Godard parle football comme il filme, à coups d'aphorismes fulgurants, paradoxaux ou obscurs ( « Je ne comprends pas pourquoi ils mettent une photo de Zidane en Une d'un magazine de foot, plutôt qu'une photo du ballon » ), mais aussi de plans splendides.

S'il n'a jamais réalisé de film sur le foot (contrairement à un de ses disciples, l'Allemand Hellmuth Costard, avec un essai de cinéma-vérité sur Georges Best, “Fussball wie noch nie”), le cinéaste franco-suisse a parsemé son œuvre de références footballistiques. Dans “Une femme est une femme” (1964), Jean-Claude Brialy joue au golf avec un balai dans son living en écoutant le commentaire radio d'un clasico : « Del Sol à Puskas, Puskas à Del Sol, Del Sol à Di Stefano, Di Stefano à Del Sol... Oh, je pleure parce que le Real est grand aujourd'hui...  » . Dans “Numéro deux” (1975), un petit garçon regarde à la télévision la percée victorieuse de Cruyff à la première minute de la finale de la Coupe du monde 1974 contre l'Allemagne, pendant que son grand-père lui demande de « mettre la troisième chaîne » . Dans “Notre musique” (2004), Godard himself lance : « Le communisme a existé deux fois quarante-cinq minutes, au stade de Wembley, quand le Honved Budapest a battu la Hongrie par 6-3 (sic). Les Anglais jouaient individuel, les Hongrois jouaient ensemble » . 

Godard n'aime donc que les équipes mythiques, mais qui ont acquis ce statut dans l'agonie. Après avoir tout raflé pendant cinq ans, le Real du milieu des sixties entame son déclin ; les Pays-Bas de Cruyff ont essuyé une défaite impensable face à l'Allemagne ; la grande Hongrie est victime de sa défaite contre la RFA à Berne et des évènements politiques au pays. Sport populaire, le foot est traversé par les pulsions (argent, voyeurisme, violence) de la société. « Pour Godard, c'est simple. Si un c'est la solitude et, sans doute, la folie ; et si deux, c'est toujours la dialectique du couple, [...] à partir de trois, c'est la guerre mondiale » , écrivait le critique Serge Daney. On imagine ce que ça peut donner à vingt-deux et 50.000 spectateurs... En 1979, “Sauve qui peut (la vie)”, sans doute le plus beau film de Godard, voit Dutronc lâcher des commentaires scabreux en regardant sa fille jouer au foot ( « T'as encore jamais eu envie de la caresser ou de l'enculer ? » ). “Soigne ta droite” (1987) se termine sur des images d'acteur rejouant, telle une mise au tombeau, le drame du Heysel, survenu deux ans plus tôt, entrecoupées de plans des Rita Mitsouko enregistrant l'album “The No Comprendo”. Et, peu après la finale du Mondial 2006, l'oracle de Rolle lâchait : « A la crucifixion du Christ, ils étaient dix-sept. A la première d'Hamlet, ils étaient cent cinquante. Mais, pour la finale du Mondial, ils étaient deux milliards de téléspectateurs » .

C'est d'ailleurs un genre de crucifixion que donnent à voir les plans d'Iniesta dans “Film Socialisme”. Au ralenti, le joueur s'effondre, trébuche contre un adversaire, finit au sol la tête collée au ballon. Avant et après, on voit des plans de Staline, d'Hitler, de Don Quichotte, d'avions, de canons, on entend flotter les noms d'Hemingway, Orwell, Dos Passos, les fantômes d'une guerre civile perdue par les Catalans. Quelques jours après une défaite, footballistique cette fois, contre l'Inter, Godard disait dans une interview aux Inrockuptibles apprécier le Barça de Guardiola, mais déplorait qu'il ne soit pas vraiment capable d'aligner plusieurs prestations de très haut niveau : « Barcelone n'arrive pas à tenir deux matchs de suite à son niveau. [...] Pourquoi n'y arrivent-ils pas ? Quand on n'y arrive pas, on fait moins de matchs » . Comme s'il y voyait la même splendeur inégale et fragile qu'il a souvent attribuée à ses propres films, lui qui disait : « Le cinéma, c'est faire durer un petit peu quelque chose d'extraordinaire » .
Jean-Marie Pottier 
(1) Godard, biographie, Grasset.

フィルムソシアリズムには倒されるイニエスタの下半身の映像が出てくる

水曜日, 3月 25, 2015

4スタンス理論:メモ

           (スポーツリンク:::::::::

NAMs出版プロジェクト: 4スタンス理論:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/blog-post_25.html(本頁)


4スタンスマトリックス:右足の重心 (上から見た図)

 ______つま先側A       パラレルタイプ 
|M・ジャガー  | M・ジャクソン     A2・B1
|石川遼、本田o | M・ジョーダン
|ロナウ O __o    ボルト
|ジーニョ /  \_o 稲本、長友
|イチロー(     )o 王
|  A1 \_   |  A2
内側1_____) /_____外側2
   B1   | |   B2  |
 松井秀喜  / /    長嶋  |
 リベリー |  |マラドーナ   |
 ジダン  \_/|ベッカム、メッシ|
 岡崎、中村憲剛 |香川、柏木、俊輔|
 ブッフォン   |C・クライバー |
        踵側B_______| クロスタイプ 
                  [A1・B2]

廣戸聡一氏の公式本(*)と多少違う。松井と長嶋は逆。
ロナウジーニョもA1ではなくA2とされる。本田は公式本に従った。
(*廣戸聡一『4スタンス理論 バイブル』2014,2015年,実業之日本社、他)
    _
   |\        /\
   |\\       ||
     \\      ||
      \\     ||
       \\|   ||
       _\|   \/

      A1     A2
__________|___________
      B1  |  B2
      __  
      ||   /\
      ||    \\|
      \/    _\|_
      /\      |\
      ||      |\\
      L|        \/ 


 _             __ 
|\       /\    ||  /\
|\\      ||    ||   \\|
  \\     ||    \/   _\|_
   \\    ||    /\     |\
    \\|  ||    ||     |\\
    _\|  \/    L|       \/

   A1    A2    B1     B2















4スタンスマトリックス:右足の重心 (上から見た図)

 ______つま先側A       パラレルタイプ 
|M・ジャガー  | M・ジャクソン     A2・B1
|石川遼   o | M・ジョーダン
|ロナウ O __o    ボルト
|ジーニョ /  \_o 稲本、長友 
|イチロー(     )o 王 
|  A1 \_   I  A2 
内側1_____) /_____外側2
   B1   l I   B2  | 
 松井秀喜  / /    長嶋  | 
 リベリー I  Iマラドーナ   | 
 ジダン  \_/|ベッカム、メッシ| 
 本田、中村憲剛 |柏木、俊輔   | 
 ブッフォン   |C・クライバー |
        踵側B_______| クロスタイプ 
                  [A1・B2]

廣戸聡一氏の公式本(*)と多少違う。公式本では本田はA1、松井と長嶋は逆、
ロナウジーニョもA1ではなくA2とされる。
(*廣戸聡一『4スタンス理論 バイブル』2014,2015年,実業之日本社、他)

https://www.youtube.com/watch?v=2Eq4iRTNXRA
FOOT×BRAIN 150411 ゲスト:廣戸聡一


軸:
みぞおち内 みぞおち外
   A1 A2
   B1 B2
首付け根外 首付け根内
(同190頁より)

   パラレル  クロス パラレル
        (  )
     B1 _B2_ B1
     A2|\A1/|A2
    //\| \/ |/\\
   || || /\ || ||
  vww ||/__\|| wwv  1は人差し指、
      / /  \ \      2は薬指が基点
      | |  | |
      | |  | |
       \|  |/
      /_|  |_\ 
    A1・B2クロス/A2・B1パラレル

クロスタイプは左右対角同士の肩と股関節を連動させて動く。
パラレルタイプは左右同側同士の肩と股関節を連動させて動く。 
(『サッカー4スタンス理論』電子版2014年035頁より)

1は人差し指、2は薬指が基点(同227頁より)

______

クロスタイプ↓は左右対角同士の肩と股関節を連動させて動く。

        (  )    軸:
      ___B2___  首付け根
     /  \A1/  \ みぞおち
    //\  \/  /\\
   || |  /\  | ||
   mn | /__\ | nm
      / /  \ \ 
      | |  | |
      | |  | |
      2B|  |B2
      /_|  |_\
       A1  1A

パラレルタイプ↓は左右同側同士の肩と股関節を連動させて動く。

        (  )    軸:
     B1 _||_ B1 首付け根
     A2|    |A2 みぞおち
    //\|    |/\\
   || ||    || ||
   mn || __ || nm
      / /  \ \ 
      | |  | |
      | |  | |
      \B1  1B/
      /_|  |_\
      2A    A2

『サッカー4スタンス理論』電子版2014年035頁より

    _
   (_)
 ___|___
    | クロスタイプ
    | 重力に対する絶対的な垂直意識
    |_
   /   \_ー
  / _ー
 /_ー
_ー
   _
  (_)
 ___\___
     \  パラレルタイプ
      \ 重力に対する相対的な垂直意識
       \_
      /  \_ー
     / _ー
    /_ー
   _ー
廣戸聡一『4スタンス理論 バイブル』(2014,2015年,実業之日本社)264頁参照



A:進行方向の前足上に軸を作る(軸はみぞおちを通る)、
   _
  (_)
 ___\___
     \  
     |\ 
     | \_
     |/  \
     /    \/
    /

B:進行方向の後足上に軸を作る(軸は首付け根を通る)、
         _
        (_)
      ___\___
         /|
        / |
       /  |
      / \ |
     |   \|
     |    \

廣戸聡一『4スタンス理論 バイブル』(2014,2015年,実業之日本社)194,195頁参照


_____

   パラレル  クロス パラレル
        (  )      軸:
     B1 _B2_ B1   Bは首付け根
     A2|\A1/|A2   Aはみぞおち を通る
    //\| \/ |/\\
   || || /\ || || 基点:
   mn ||/__\|| nm 1は人差し指、
      / /  \ \    2は薬指 が基点
      | |  | |
      | |  | |
      \B|  |B/
     2/*1  1_\2
       A    A
    A1・B2クロス/A2・B1パラレル
*:
 ______つま先側A       パラレルタイプ 
|M・ジャガー  | M・ジャクソン     A2・B1
|石川遼   o | M・ジョーダン
|ロナウ O __o    ボルト
|ジーニョ /  \_o 稲本、長友 
|イチロー(     )o 王 
|  A1 \_   I  A2 
内側1_____) /_____外側2
   B1   l I   B2  | 
 松井秀喜  / /    長嶋  | 
 リベリー I  Iマラドーナ   | 
 ジダン  \_/|ベッカム、メッシ| 
 本田、中村憲剛 |柏木、俊輔   | 
 ブッフォン   |C・クライバー |
        踵側B_______| クロスタイプ 
                  [A1・B2]

廣戸聡一『4スタンス理論 バイブル』(2014,電子版2015年,実業之日本社,190~1頁)、
『サッカー4スタンス理論』(電子版2014年,030,035,227頁)参照。




参考:
綾瀬はるか B1 20160115
https://www.youtube.com/watch?v=dOiDa6G3tuA

日曜日, 3月 22, 2015

「世界建築史をめぐって」 中川武、原広司、柄谷行人2015年3月21日(土) 早稲田大学大隈記念講堂 大講堂


                     (柄谷行人リンク:::::::::
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/20153-21.html(本頁)
参考:
NAMs出版プロジェクト: 都市はツリーではない:資料(削除済み)
http://nam-students.blogspot.jp/2008/01/blog-post.html
NAMs出版プロジェクト: バックミンスター・フラー:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/11/wikipedia_22.html
NAMs出版プロジェクト: ラマヌジャン
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_21.html
注解:浅田彰インタビュー2016 ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 より(浅田孝他)
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/2016-4.html(削除済み)
NAMs出版プロジェクト: 熊本城 再建へ 2017
http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/blog-post_1.html





シンポジウム
( 公 開 )
「世界建築史をめぐって」
中川武、原広司、柄谷行人
2015年3月21日(土) 早稲田大学大隈記念講堂 大講堂
http://www.lah-waseda.jp/news/post/132.html
 

10+1 web site|建築の世界史──中川武教授最終講義のために中川武教授最終講義・記念シンポジウム「世界建築史をめぐって」|テンプラスワン・ウェブサイトhttp://10plus1.jp/monthly/2015/07/pickup-01.php …



以下、twitterより

早稲田で中川武教授最終講義。なぜか柄谷行人が来るので行ってみる。
柄谷さんがレジュメを作ってきていてびっくり(写真)。
途中、隣の原広司に斬りかかるなど、いつもの柄谷節でたいへん面白い。
驚くことに、大隈講堂はほぼ満員。 


柄谷行人、原広司、中川武。 思想家、建築家、歴史家と立場はまるで違えど、「オリジナル世界全史」の希求者という点では横一列。そして、柄谷さんが建築の領域に切り込んで来て、議論が動き出しそう。 

RT @zorach2002: とりあえず分かったことは、哲学者の柄谷行人によると、建築には住居とモニュメントがあり、モニュメントを作る人に方が偉い。安藤忠雄はモニュメントを作る人になろうとしている。
sasaki_makoto(佐々木真)37分前



ご登壇いただいた先生、ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。


倒錯したマルクス主義としての住宅産業の席巻。学者として「マルクス主義」だけ、あるいは「建築家」だけというのは割り切れれるだろうが、「マルクス主義者として建築家としてやっていく」というのは、厄介な矛盾を引き受けなければ可能性もないということか。美学の問題も。K.マイケル・ヘイズ。

「世界集落への旅」も振り返ってみれば「都市からの撤退」の一つ。柄谷の図式でいう商品交換様式の場から互酬様式の場の探求、かつそこに普遍的な「構造」を見出すという。「マルクス主義者」であったらしい西山卯三は「建築家」を否定しハウスメーカーを育成した。その結果は今日見る通り。

最後に中川先生は「初めて建築家の講演を聞いたのは学祭にお呼びした原広司先生の講演でした」と。そのとき原先生は「マルクス主義者として建築家としてやっていく」とおっしゃったそうな。そして退官シンポに再び原先生をお招きするという。なんだかこういうエピソードは好い。

レボリューションのもともとの意味は回転(revolve)、つまり時間や世代を回すという意味。そのことと生物における変態を原広司さんはかけたのではないかな。生物や歴史には後戻りできない閾がある、といえる。前者の場合、変態がそうだろう。

都市とは交換の場である、というのはマルクスの『経済学批判』の中のテーゼの一つ、都市には色々性格がある、というのはロッシの『都市の建築』の劈頭で述べられる事でもある。

マックス・ウェーバーの周縁革命論をヘーゲル批判として読むこと、しかし、中心、周縁、亜周縁といった場合、世界システム論やアナール派とどう距離をとるのか。

モニュメントからインストルメント(住宅)へというのは、ロシア・コンストラクトヴィスト(リシツキー)、バウハウス(マイヤー)、チェコ・アヴァンギャルド(タイゲ)らのテーゼでもある。

社会とは生産様式の事である、はアンリ・ルフェーヴルらの前提でもある。柄谷の生産様式から交換様式へというテーゼはあらためて「生産様式」を彷彿させる(フレドリック・ジェイムソン)。網野善彦はバリバリの構造派、史的唯物論の内部批判なのである。

大隈講堂なう。 
  

979 名前:考える名無しさん :2015/03/22(日) 22:52:08.88 0
GOTO, Haruhiko 
@haruhikogoto 
原さんの、構造で止まってんじゃないかという指摘に、柄谷さんが、お前の言っていることもトポロジカルな構造だと切り返したところが、今日の一番注目を集めたところでしたね。 
でも、両者のつかう「構造」には、ねじれの関係があって、共通言語になってないと思います。 
0:29 - 2015年3月22日


48 名前:考える名無しさん :2015/04/10(金) 08:53:23.12 0
シンポジウムとは名ばかりで、柄谷先生の独壇場、持論を振りまき、その果てには 
「建築を定義すれば、住宅とモニュメントに二分される」「住宅は生活からの必然であり、 
モニュメントは国家権力の象徴、あるいは市民が自ら求める象徴」。司会者の 
「都市が抜けていませんか」には「都市も国家の一部。支配者側に属する。 
支配者と言っても独裁者は直ぐに破たんするもの」「あくまで成功する支配者(国家) 
とは、被支配者に対し、搾取=分配、贈与=返礼をきちんと実行する」 
建築のことは何もわからないと前置きしながら、語ること語ること。 
「中川先生のスライドにあったピラミッドが非常に良い例。搾取と分配が 
きちんと実行され、しかも権威と象徴も示したたぐいまれなモニュメント建築」 
この日の主役であるはずの中川先生のテーマ「夢の世界建築史」なんて 
ぶっ飛んでしまいました。さすがの原先生もタジタジのステージでした。 
70歳を過ぎてもこの圧倒的なパワーは一体何なのでしょうか。 
未だに毒づき角が立っている大先輩を久しぶりに拝見し、元気を頂戴致しました。


//////

トポロジカルからフラクタルな構造への転換が、
モニュメントから住居への転換に対応し、時間の導入を可能にするだろう。
そこまで構造を規定して始めてその構造が異なる価値観を持つ人々の共通の基盤になる。
そこでは柄谷の交換図は建築よりも都市(=柄谷自身は国家と同義で都市という言葉を使うが、アソシエーションを体現する都市も原理的にはあり得る)に対応する。

経済学などでも利子率iの導入が動態への第一歩だろうが、それは貨幣価値を固定しているので、
恣意的な動態だ。

追記:
 at 3:26pm - 3 Apr 15:

“@engawajournal: ザップ「古賀茂明の話したいこと」アーサー・ビナード 20150402 - dailymotion.com/video/x2lkc0f_… …”
この図は分かり易い。右上と左下を入れ替えれば、柄谷行人の交換図と似ている。
image.2chlog.com/2ch/live/livew… (https://twitter.com/yojisekimoto/status/583878150666326016?s=17


水曜日, 3月 18, 2015

宇宙の泡状構造:メモ


             (科学リンク::::::::::
NAMs出版プロジェクト: 宇宙の泡状構造
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/blog-post_24.html(本頁)

遠くを見ることは過去を見ることである。
過去を見ることは未来を見ることである。
100万個の泡状(foam-like)構造になった銀河がそれを教えてくれる。

満月9個分のエリアの観測で、100万個以上の銀河が捉えられていた。 画像解析には3年を要した。
距離別に100枚近い銀河の泡状構造を解析した結果を示す。
25億年、35億年、60億年前の宇宙の泡状構造を見ると、古い時代ほど泡の大きさが小さくなっていた。

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「ハッブル宇宙望遠鏡 銀河の泡の謎に挑む」(2011月4月5日,2015年3月18日15分版再放送) | コズミック フロント | NHK宇宙チャンネル
http://www.nhk.or.jp/space/program/cosmic_110405.html

 人類の宇宙観に革命を起こし続けている『ハッブル宇宙望遠鏡』。地上600キロの大気圏外にあり、大気の影響の受けないため、ゆらぎないクリアな映像で、彼方にある数千億個の星々が集まる"銀河"すら鮮烈に映し出すことができます。
 これまでの地上観測により、地球の近くの銀河は、石けんの泡のような形に集っていることがわかってきました。泡の膜の部分に銀河が群れ集まり、泡の中は銀河がなく空っぽになっています。この銀河が作り出す泡構造は、地球の近くだけのことなのか、それとも遙か彼方まで続く構造なのかは、ながく謎に包まれていました。これを解くため、世界中から100名をこえる科学者が集まり、ハッブル史上最大の観測が行われました。そして、近くの宇宙だけではなく、はるか100億光年先まで、銀河が泡のように連なっていることが観測によって初めて解き明かされました。

 理論シミュレーションから、銀河の泡が出来るには、見えない謎の重力源「ダークマター」が必要だと考えられています。ダークマターがあると、その重力により光が曲げられます。この現象は、あたかもレンズのような働きをするため"重力レンズ"とよばれます。ごくわずか銀河の光の変化でさえ、ハッブルならくっきりと捉えることが可能です。そこで、これ測定することでダークマターの分布が調べられました。結果、泡のような銀河の分布とダークマターの分布がピタリと一致しました。銀河はダークマターの重力により、泡構造を作っていたのです。

 2010年春、1個の天体で銀河系の半分(5万光年)もの大きさがある不思議な巨大天体が東京大学の大内正己准教授によって発見されました。この謎の天体までの距離は、129億光年。すなわち、129億年前もの「太古」の天体であることから「ヒミコ」と名付けられました。そして、ハッブル宇宙望遠鏡をつかっての「ヒミコ」の観測が行われます。宇宙探求の最前線(コズミックフロント)にたつ研究者を追いました。

コズミック フロント | NHK宇宙チャンネル
http://www.nhk.or.jp/space/program/cosmic.html

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何十年も前から天文学者は, 宇宙の中で目に見える物質が無秩序に分布して いるのではないことに気づいていました. 銀河, クエーサー, 星間ガスは石鹸の泡に例えられるような模様を描いています. 巨大なボイド(銀河のない空洞領域)が壁(シート)状の構造や 繊維(フィラメント)状の構造により 囲まれていて, それらシートやフィラメントの交わるところに密度の高い超銀河団が あります. スローン・ディジタル・スカイ・サーベイ(SDSS)の大きな目的の 一つは, この宇宙の大規模構造を詳細にそして遠くま で地図に描くことです. 科学者たちはさまざまな宇宙進化の理論を唱えています. 異なった理論は異なった大規模構造を予言します. SDSSによってどの理論が正しいのか, もしくはまったく新しい理論を考えなけれ ばならないかが明らかになることでしょう. 

銀河団

銀河は宇宙の中で一様に分布しているのではなく, むしろ群れをなしています. これは楕円銀河についてはとくに当てはまります. このような銀河の集団がどう いった分布をしているか, その分布が時間とともにどう進化するのかということは 宇宙論モデルの大変重要なテストになります. 例えば, 異なる宇宙論モデルでは, 赤方偏移とともに銀河団の数がどう変わるかという予想が大きく異なります. さらに, 銀河が群れるだけでなく. 銀河団も群れをなしています!  銀河と銀河団がともにどれくらい集団化しているのかもさまざまな宇宙論モデル のテストになります. 銀河団の質量, 分布, および進化を研究することで, 宇宙における基本的な質量分布の形成史についてきわめて重要な知見を得る ことができます. これは宇宙論の根本的な目標の一つです. 
ある銀河団を可視光で見た画像の上に
X線の等輝度線を重ねて表示した.
銀河団それ自体も大変面白い性質を持っています. 銀河団はとても質量が大きく (太陽質量の10^14 倍もある)重力が強いので, 何百万度という非常に高温なガスを 銀河団内に閉じこめておくことができます. このガスはX線を放射します. そのX線はChandraROSAT,XMM などのスペース(大気圏外)にある 衛星から観測できます. これらのX線衛星による観測から, 多くの銀河団が副次的な構造を持ち, 内部の力学 構造も複雑なものであることが示されました. このことは, 銀河団が最近でも 進化していることを示唆しています. さらにこれらの観測から, X線を出すガスが銀河団中のバリオンの質量の大部分 (すべての銀河の質量の総和と同じかもしくはそれ以上)を占めていることがわか りました. これはとても興味深い結果です. 銀河団は銀河の密集する領域として発見 されたことを思い出して下さい. ところが銀河はその銀河団という構造の総質量の わずかな部分にしかすぎないのです. 天文学者の中には, 銀河を含まず, 重力的に つなぎとめられた巨大なガスの固まりだけからなる銀河団が存在するかもしれ ないと言う人さえいるのです! 
銀河団の質量は非常に巨大なので, その重力は背後にある天体からの光を曲げて しまいます. これは重力レンズとして知られる現象です. 光の曲がり具合いは銀河団 の総質量に依存するので, 重力レンズの度合いを計ることで銀河団の重さを知る ことができます. この測定値は, X線ガスや速度分散など他のものから求めた 銀河団の質量推定値と比較することができます. これらの質量推定により, 宇宙の総質量に関する制限にもなる, 銀河団の質量光度比 (M/L)を計算 することができます. M/Lはまた, バイアス(偏り) を見積もること にも使われます. このバイアス(偏り) が分かると, 銀河の分布と他の物質の分布の 関係がわかるのです. 
銀河団の質量測定の結果, 銀河団内の物質の大部分が 暗黒物質(ダークマター)で あることもわかりました. 目に見える銀河の質量とX線を放射するガスの質量 を足し合わせたものと, 銀河団の総質量の推定値を比較すると, 後者の方が遙かに 大きくなり, 銀河団中のほとんどの物質は銀河や高温ガスとは別の形で存在するこ とになります! 実際宇宙の大部分は, 直接見ることはできないが, その重力から 存在が推定できる暗黒物質からできているという ことが明らかになっています. これはここ十年の最も大きな, そして最も興味深 い発見の一つです. 
HSTで観測された非常に遠方の銀河団.
古くて赤い銀河が多いことに注目.
銀河団の性質に加えて, 銀河団中の銀河の性質も大変興味深いものです. 楕円銀河とS0銀河は, フィールドよりも, 銀河を多く含む銀河団中により多く 存在すること, また銀河団中の銀河に占める早期型銀河(E+S0)の割合は, 銀河団 の密度に依存することはよく知られています. X線を放つ銀河間ガスや潮汐力を 引き起こす近傍銀河の重力場と銀河団内の個々の銀河の相互作用は, 個々の銀河の 形態, 測光, および分光の優れたデータで詳しく研究することができます. しかし驚くべきことに, 銀河団のような高密度領域中に存在するのはほとんど 楕円銀河であるのはなぜなのか, ということの説明すらあまりできてはいません. いくつかの一般論は考えられていますが, 詳細な物理過程は理解されていないのです. また銀河団中の銀河の進化もほとんど理解されていません. わたしたちは, 赤方偏移が0.5くらいまでは, 時間を遡るにつれて過去の銀河団には青い銀河 がよりたくさんあることを知っています. このことは昔ほど星形成が盛んだったことを示しています. しかし一方で, 赤方偏移が約1の銀河団に, つまり宇宙が生まれてから数十億年のとき に, 見かけ上古く赤い銀河がかなりの数あることも知っています. SDSSのデータを用いると, 何千個もの銀河団について, 銀河団の富裕度(リッチネス), 赤方偏移, および形態の滑らかな関数としてこれらの効果を研究することが できるようになります.

超銀河団

超銀河団とは複数の銀河団の集合体です. 一般的に言って, 銀河団は泡のような物質分布 のうちのフィラメントやシートの中にあるのに対して, 超銀河団はこれらの構造の 交わるところに見つかっています. 超銀河団は知られているもののうち, 宇宙で最も 大きな構造で, 中には2億光年もの大きさのものもあります! しかし, 超銀河団はとても希なもので, 知られているものはごくわずかです. 近くにあって最も有名なのは, グレイトウォールとペルセウス-うお座超銀河団 です. 最近, 赤方偏移が1程度のところに超銀河団があるという証拠が出て きました. これは構造形成理論や宇宙論モデルに重要な制限を与えるものです. 
さらに超銀河団のM/L比を測ったところ, この値が銀河団と超銀河団で ほとんど変わらないことが分かってきました. このことは, 謎の物質である 暗黒物質は, 銀河団以上のスケールでは宇宙の質量に寄与していないことを 意味しています. 

ボイド(超空洞)

以下の図にはSDSSの小さなスライスに含まれる主サンプルの10,853個の銀河と より遠方の大規模構造を調べるために選ばれた「明るく赤い銀河」サンプル の486個の銀河の分布を示しています. これはSDSSの最終目標のわずか1%に しか過ぎないのです. 壁やシートやフィラメントやボイドが織りなす泡のような 構造がはっきりと見えています. 

SDSSの分光サーベイのスライス中の銀河の分布.  (A. Pope, JHU)

銀河のないボイドが占める領域の割合は宇宙のモデルによって変わります. 従って, 大規模構造の正確な地図は私たちの住んでいる宇宙がどのような ものであるかを知る手がかりを与えてくれるのです. さらに, ボイドのそばに ある銀河は, 銀河団にある銀河と違って星生成活動が活発であることも 知られています. 
_____


ここで紹介する壮大な宇宙の話は、ハッブル宇宙望遠鏡による未知への挑戦の記録である。
NHKBSプレミアムチャンネルが5月初旬放送した宇宙シリーズの一つを要約したものである。
宇宙空間に打ち上げられたハッブル望遠鏡は、大気の陽炎の様な像の揺らぎを受けない為、100億光年彼方までの鮮明な画像を送り続けている。
そして今、今世紀最大の謎である銀河の泡構造の解明に挑んでおり、宇宙に存在する「ダークマター」(暗黒物質)の強大な重力が、銀河の泡構造に大きな影響を与えている事が解明されつつある。
ハッブル宇宙望遠鏡は1990年4月、スペースシャトルによって高度600kmの円軌道に打ち上げられた。
宇宙に浮かぶ史上最大の望遠鏡、長さ13m、バスほどの大きさがある。 時速28000キロで飛行しながら天体を撮影する。 2009年には最新鋭の観測機器が取り付けられ、性能は格段に向上した。 直径2.4mの反射鏡を持ち、捉えた映像を時々刻々地上の観測センターに送信している。
地上からは観測できない宇宙空間の鮮明なカラー画像を送り続けている。 左図は1600光年彼方のオリオン星雲の1600年前の映像である。 
クローズアップしてみると、ガスの中に奇妙な天体が見えて来た。 これは星の卵です。 中心にあるのは、これから太陽のように輝く星になる。 驚異的な解像力を持つため、細部までくっきりと捉えることが出来る。
まるで花の蕾のような天体。 ハッブルは間隔を空けながらおよそ半年間に渡ってこの天体を撮影し、ガスや塵が膨張して行く様子を鮮明に捉えた。
ハッブルは90分で地球を一周する猛スピードで飛行しながら、空の一点を確実に捉え続け光を集めて行く。 これらの制御は地上からリモートコントロールで行われている。
こちらは観測されたデーターが送られてくるアメリカのメリーランド州にある宇宙望遠鏡科学研究所である。
ハッブルの使用は世界中に公開されている。 この研究所では、各国の研究所が提案する利用計画を公平に検討し、実施計画に織り込む。 一年間に届く提案はおよそ1000件、その中から選ばれるのはおよそ200件、8割が落選する。
所長のマット・マウンテンさんです。 所長になって嬉しい事は、優れた数多くの提案に出会える事、辛いのは不採用になった提案者からのクレームだと言います。
審査をパスすれば、いよいよ観測が始まる。 数時間で終わるものもあれば、何十時間も掛る観測もある。
しかし、地上に届いた生の写真は画質が悪く、同じ天体を何度も撮り、重ね合わせてノイズを取り去る。 また、ハッブルは色の異なる3つのフィルターを使用し、それらを重ね合わせて正確な色を再現している。
このような高度な画像処理によって、鮮明なカラー写真に仕上げ、一般にも公開している。
また、ハッブルでは星やガスまでの距離によって立体的な配置の写真を作成できる。 左図はその一例である。
宇宙では星星も人間と同じ様に生まれ死んでいく。 星は宇宙でガスや塵が集まり、その中で誕生する。 
巨大なガスの雲が広がるカリーナ星雲である。 この画像の端から端まで50光年ある。二つの風船をくっ付けた様に膨らむガスの中心には、間もなく一生を終える巨大な星がある。 年老いた星がガスや塵を猛烈な勢いで噴出し、最後を迎えようとしている。
左図は今から1000年前に大爆発を起こした星の残骸である。 爆発の勢いは凄まじく、今でも毎秒1300kmのスピードでガスが拡がっている。 やがて、ガスは再び集まり、次の世代の星を作る材料となる。 ハッブル望遠鏡は、こう言った星々の生と死を鮮明な画像で捉える事に成功した。
これはハッブルが捉えた我々が住む銀河系の写真である。
大きさは10万光年、地球は左側の太い渦巻きの中間、内側に位置する。
銀河系の外にも無数の銀河が存在する。 ハッブルはその一つ一つを鮮明な画像で捉えている。
これはM104銀河を横から見た写真で、渦巻銀河の特徴である中心部の膨らみと、円盤状に拡がる腕の部分の薄さが良く分かる。
まるで雲の塊のようですが、これも銀河です。 赤く見えるのは銀河の中心から噴出した水素ガスです。 
こちらは一億光年彼方の2つの銀河です。 銀河同士が衝突しています。2つの銀河は最後には合体し、一つの巨大な銀河になる。 
銀河の衝突の起きている所、そこには多くの銀河が密集している。 なぜ、銀河が密集している所があるのでしょうか。
その謎を、ハッブル望遠鏡観測史上最大の観測時間を使って解き明かそうとする研究者グループがいる。 
銀河集団は泡構造をしていると言うニュースは新聞でも大きく取り上げられた。
泡の構造を発見した天文学者のマーガレット・ゲラーさんです。 宇宙では銀河はばらばらに位置していると天文学者は考えていた。 そこで私たちは銀河までの距離を調べ、それを3次元に並べ直してみた。
地球を起点に、ゲラーさんは1000個の銀河を並べてみた。
そして、銀河の分布の不思議な偏りを発見した。
泡の大きさは2億光年にも達していた。
しかし、ゲラーさんが観測した範囲は狭く、たまたまその部分だけが泡構造をしているのかも知れないという反論が出た。 
小高い山の上にあるアパッチ・ポイント天文台で、アメリカ、日本、ドイツが協力する泡構造の観測が始まった。
それはスローン・デジタル・スカイ・サーベイ(SDSS)と呼ばれた。
観測目標はゲラーさんの観測範囲のおよそ100倍、見上げる夜空の半分です。 この範囲の銀河を見つけ、全ての銀河の距離を測ろうとした。これはSDSSの観測結果をもとに距離ごとに銀河を配置した宇宙地図です。 この一粒一粒が星々の大集団である銀河です。 その数100万個、どの方向を見ても宇宙は泡構造が延々と続いている。
天文学者のスコビルさんはSDSSよりはるかに遠い宇宙の泡構造を見たいと考えた。
ハッブルを使えばSDSSが観測した30億光年よりはるかに遠い100億光年先までの泡構造を見る事が出来る。
より遠くを見る事で、泡構造の昔の姿を見ようと考えた。
しかし、それには大きな障壁があった。
例えば満月の範囲を捉えるには、およそ80枚の画像が必要だ。宇宙の泡構造を捉えるには、満月9個分の広さが必要になる。 
この大規模な観測を成功させる為、スコビルさんをリーダーに世界7カ国から100人を超える研究者が集まるプロジェクトが結成された。 その名は「コスモ・プロジェクト」、2002年彼らは提案書を提出した。 ハッブルが一年間に観測できるのは、地球3000周分だが、要求したのは1200周分、全体の半分に近かった。 時間を短縮する事で、最終的にはこの大型プロジェクトは承認された。
2003年遂に観測が始まった。
満月9個分のエリアの観測で、100万個以上の銀河が捉えられていた。 画像解析には3年を要した。
距離別に100枚近い銀河の泡構造を解析した結果を示す。
25億年、35億年、60億年前の宇宙の泡構造を見ると、古い時代ほど泡の大きさが小さくなっていた。
もう一つの解析結果は、暗黒物質の重力によるレンズ効果が多く観測された事であった。
遠くの銀河が発した光は、アインシュタインの一般相対性原理により湾曲して望遠鏡に入る。
観測された写真で見ると、写真の矢印のように銀河が細い円弧のように変形して見える。
これらのデータを解析すると、暗黒物質の宇宙分布が立体的に推定される。 左図は、銀河の分布と暗黒物質の分布を同一空間で比較したものである。
これから、銀河は暗黒物質の重力に引かれて、暗黒物質と同じ様な分布をしている事が理解される。
左図は、暗黒物質の100億光年に亘る立体構造である。
暗黒物質の正体はまだ分かっていないが、銀河の総重量より重い暗黒物質が宇宙に存在し、銀河の泡構造に大きく影響している事は分かった。
ハッブル宇宙望遠鏡はこれからも、宇宙の謎の解明に向けて大きな貢献を期待されている。

           (終り)
_____

////////////


http://skyserver.sdss.org/edr/jp/

_____________


      渦巻銀河
     /
楕円銀河/
    \
     \
      棒渦巻銀河
     (我々の銀河はこちらと
     いう説が有力になった)

 https://ja.wikipedia.org/wiki/ハッブル分類/

ハッブル分類


ハッブルの音叉図
Hubble sequence photo.png
ハッブル分類(ハッブルぶんるい)は、銀河をその形態によって分類する方法。エドウィン・ハッブルが1926年に提唱した。
大きく分けると楕円銀河レンズ状銀河渦巻銀河棒渦巻銀河と、どれにも当てはまらない不規則銀河がある。


_____

Hubble's Data(1929):
数々の銀河の距離と離れる速度の関係

km/sec
   速|            /
   度|_____|_____
/_
1000|         /|  
    |     |   / | 
    |     |  /  |
    |     | /   |
    |     |/    |
 500|_____/_____|_
    |    /|     |
    |   / |     |
    |  /  |     |
    | /   |     |
    |_____|_____|_______
     0    1     2  距離(Mpcメガパーセク)
        
Mega parsec:
地球から遠くの恒星を観測すると、地球は太陽の周りを直径3億キロの円を描いて1年で公転しているため、半年経って同じ恒星を観測すると3億キロ離れたところから見ることになるため、見える方向がほんのわずかに変化します。
この変化のことを年周視差といい、距離が近いほど大きくなります。
で、この年周視差の大きさが1秒(1秒は3600分の1度です)になる距離を1パーセクと定めていて、1パーセクは3.26光年に相当します。

そして1kpc(キロパーセク) = 1000パーセク、1Mpc(
メガパーセク) = 1000kpc = 100万パーセク となります。
kpcは銀河系内レベル、Mpcは遠くの銀河レベルの距離を議論する時に使います。


   距離

岩波文庫『銀河の世界』(1936,1999)#5:175頁参照。
ハッブルは、#1:49頁でカント1755年03月 - 『天界の一般的自然史と理論』Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmelsを引用している。
(マンデルブロも同じカントの論文から引用している)

1929年発表の元論文、
A relation between distance and radial velocity among extra-galactic nebulae
http://www.pnas.org/content/15/3/168.full
A Relation between Distance and Radial Velocity among Extra-Galactic Nebulae. Authors: Hubble, Edwin. Affiliation: ... Publication Date: 03/1929. Origin: JSTOR; PNAS. DOI: 10.1073/pnas.15.3.168. Bibliographic Code: 1929PNAS...15..168H ...


Edwin Hubble Discoveries Timeline - Pics about space
http://pics-about-space.com/edwin-hubble-discoveries-timeline?p=1#



銀河 - Wikipedia


ja.wikipedia.org/wiki/銀河
銀河(ぎんが、英: galaxy)は、恒星やコンパクト星、ガス状の星間物質や宇宙塵、そして 重要な働きをするが正体が詳しく分かっていない暗黒物質(ダーク ... これら星々は恒星 系、星団などを作り、その間には星間物質や宇宙塵が集まる星間雲、宇宙線が満ちて いる。 ..... その形は3-50個ほどの銀河が集まった銀河群と呼ばれる小規模な集団に 始まり、フラクタル状の階層的段階の集団を構成 .... イマヌエル・カントは1755年の論文 でアンドロメダが孤立した天体だと述べたが、太陽系になる前のガス円盤という考察に 止まっ ...  
銀河の世界
 叢書名   岩波文庫  ≪再検索≫
 著者名等  ハッブル/〔著〕  ≪再検索≫
 著者名等  戎崎俊一/訳  ≪再検索≫
 出版者   岩波書店
 出版年   1999.08
 大きさ等  15cm 312p
 注記    The realm of the nebulae.
 NDC分類 443.6
 件名    銀河  ≪再検索≫
 ISBN等 4-00-339411-9

"These are small luminous patches, only slightly more brilliant than the dark background of the sky; they have this in common, that their shapes are more or less open ellipses; and their light is far more feeble than that of any other objects to be perceived in the heavens." 

Kant then mentions and rejects the views of Derham that the patches are openings in the firmament, through which the fiery Empyrean is seen, and of Maupertius that the nebulas are enormous single bodies, flattened by rapid rotation. Kant then continues: 

It is much more natural and reasonable to assume that a nebula is not a unique and solitary sun, but a system of numerous suns, which appear crowded, because of their distance, into a space so limited that their light, which would be imperceptible were each of them isolated, suffices, owing to their enormous numbers, to give a pale and uniform luster. Their analogy with our own system of stars; their form, which is precisely what it should be according to our theory; the faintness of their light, which denotes an infinite distance; all are in admirable accord and lead us to consider these elliptical spots as systems of the same order as our own—in a word, to be Milky Ways similar to the one whose con-iDiscours sur les diffSrentes figures des astres (Paris, 1742). stitution we have explained. And if these hypotheses, in which analogy and observation consistently lend mutual support, have the same merit as formal demonstrations, we must consider the existence of such systems as demonstrated. . . . We see that scattered through space out to infinite distances, there exist similar systems of stars [nebulous stars, nebulae], and that creation, in the whole extent of its infinite grandeur, is everywhere organized into systems whose members are in relation with one another. ... A vast field lies open to discoveries, and observation alone will give the key. The theory, which came to be called the theory of island universes, 6 found a permanent place in the body of philosophical speculation. The astronomers themselves took little part in the discussions: they studied the nebulae. Toward the end of the nineteenth century, however, the accumulation of observational data brought into prominence the problem of the status of the nebulae and, with it, the theory of island universes as a possible solution. 

The Nature of the Nebulae. (a) THE FORMULATION OP THE PEOBLEM. A few nebulae had been known to the naked-eye observers and, with the development  



理想社10,54~5頁


 わたくしはここに提出した学説中、それが創造の計画について示す崇高な表象によって最もこの学説を魅力的たらしめるような部門に到達した。わたくしをそこに導いた思想の系列は簡単で単純である。それは次のような点にある。もしわれわれが銀河について描写したように、 その位置において一つの共通平面に関繋している恒星群の体系が、われわれから非常に遠く離れていて、この体系を構成している個々の星をどんなに如ろうとしてもそれが望遠鏡にとってすらもはや感受されないとすれば、またもしその距離が銀河の星の距離に対して、銀河の星の距離がわれわれから太陽までの距離に対して持つ比とちょうど同じ比を持つものとすれば、要するに、もしこのような恒星界が、恒星界の外にある観測者の目から、 測りえないような遠距離に眺められるとすれば、 この恒星界は小さい角度の下に、微弱な光をもって輝く一つの小空間として現われ、その形は、もしその平面が目に直面して示されれば円形となり、側方から見られれば楕円形となるであろう。光の微弱さ、その形、またその直径が認めうるほどの大きさをなしていることが、そのような現象を、もしそのような現象があるとすれば、個々に見られるあらゆる星とは十分明瞭に区別するであろう。
 天文学者たちの観測の中にこの現象を探し出すのに長くかかる要はない。この現象はいろいろの観測者によって明瞭に知覚されている。人びとはその奇異なことに驚いた。人びとは臆測を遅しうし、時には突飛な想像をめぐらし、[B48]時には見かけだけの概念に譲歩したが、この概念というのも突飛な想像と同様、何の根拠もないものであった。われわれの推測しているのは雲霧状の星罫勲ごであり、あるいはむしろ、ド・モペルテェイ氏が次のように記述しているものの一種である。すなわちいわく、それは空虚な天界空間の、暗黒よりもやや明るい小さな箇所であって、それ
は空虚な天界空間の、暗黒よりもやや明るい小さな箇所であって、それらは多少拡がった楕円形を表している点ですべてが一致しているが、その光はわれわれが天界で認める他のどういう光よりもはるかにびじゃくである。



 われわれの提出した学説は、宇宙の森羅万像の無限の曠野へ視界を開き、偉大な造物者の無限性にふさわしい考えとして、これらが神の作品であるという考えをもたらす。そこでは地球も一つの砂粒としてほとんど目にとまらない惑星宇宙の巨大さが、もし悟性を驚嘆させるとすれば、銀河のすべてを充たしている無数の宇宙群と体系群とをわれわれが仰ぎ見るとき、どんな驚嘆をもって瞳目せしめられることであろうか。けれども、すべてこれらの測り知りえない星群の秩序がさらにまた、われわれがその終わるところを知らない一つの数の単位をなすものであり、そしてこの数がおそらくその単位とちょうど同じように理解を越えた巨大さをなし、しかもこれがまた、なお新しい数結合の単位であるということをわれわれが知るとき、この驚嘆はどんなに増大することであろう。われわれは宇宙群と体系群とのますます大きく前進してゆく関係の最初の項を見るだけなのであり、この無限級数の最初の部分がすでに、全体からわれわれが何を推測すべきかを認識せしめるのである。ここには終わりはなく、人間の理解力がどんなに数学の助けによって高められようとも、その一切の力が沈み没してしまう真の不可能测性の深渊があるのみである。みずからを啓示してきた英知、至善、全能は無限であり、まさにそれに比例して実り豊かに活勤的である。それゆえこれらの啓示の計画はまさにそれらと同様に無限であり無際限でなけれぼならない。



「摯議一熱にはゆ限一『わ嘲「嘲】けれな」はい囃¨翡『刹刺¨融祠いつ赫¨」なわ」″』が¨の啓示の計画はまさにそれらと同様に無限であり無際限でなければならない。しかし森羅万象の偉大さについてわれわれのつくりうる概念を拡大するのに役立つ重要な発







如何なる鎖であろうか、神から初めをなす鎖、何たる自然の数々であろうか
天界のもの地界のものから、天使、人間から禽獣にいたるまで、
六翼の天使長から虫けらにいたるまで! おお、その広さ、眼もあえて
届かず見るをえず、無限なるものから汝へ、汝から無へと!

ポープ

第三篇 自然の諸類比に基づいて種々なる惑星の居住者を比較する試論