水曜日, 5月 25, 2011

アインシュタインとスピノザ

スピノザリンク:::::::::本頁



アインシュタインがスピノザを愛好していたことはよく知られている(*)。
twitter上でも信仰についてもコメントがよく引用される(***)。
以下は『私は神のパズルを解きたい』(哲学書房。写真のアインシュタインの蔵書『エチカ』は同書130頁より)で紹介されていた、アインシュタインの蔵書にもあったという1946年に出版されたリトグラフ集より(Spinoza: Eight Plates Lichtenstein, Isaac)。単に寄贈されただけのものかも知れないが。これとは別に1946年アインシュタインはスピノザに関する本の序文を書いている(**)。














S・ヘッシング編『スピノザ生誕三〇〇年記念論文集』 一九三三年―
  「スピノザは、あらゆる出来事の決定論的な拘束性という思想を実際に首尾一貫
   して人間の思考、感情、行動に適用した最初の人物です」


**
R・カイザー『スピノザ』 一九四六年―
   「私たちが自由な意志を、すなわち因果的制約から独立して働く意志を持ってい
   るという印象が幻想であり、私たちの内面で働いている原因についての無知に由
   来するものであることは、彼にとって疑いのないところであった」
http://www.press.tokai.ac.jp/bookpub.jsp?isbn_code=ISBN978-4-486-01213-9


***
1929年のニューヨークのHerbert S. Goldstein師の電信での質問「あなたは、神の存在を信じますか? 50語で答えてください。」に対して、アインシュタインは

「私は、人類の運命と行いについて気にする神ではなく、世界の秩序ある調和として現れる、スピノザの神を信じます」

(別訳「存在するものの法則ある調和のなかに自らを顕現するスピノザの神を私は信じ、人間の運命や行動に介入する神は信じません。」)

"Ich glaube an Spinozas Gott, der sich in der gesetzlichen Harmonie des Seienden offenbart, nicht an einen Gott, der sich mit Schicksalen und Handlungen der Menschen abgibt."

"I believe in Spinoza's God, Who reveals Himself in the lawful harmony of the world, not in a God Who concerns Himself with the fate and the doings of mankind."

と、ドイツ語で25(27?)語で答えた。スピノザは自然主義の汎神論者だった。

(New York, April 24, 1921?(1929?), published in the New York Times, April 25, 1929)

追記:
『スピノザ辞典』(1951)ヘの序文を含めた全三点のスピノザ関連書籍への序文の邦訳は、『アインシュタイン、ひとを語る』(東海大学出版)で読める(ガリレオやマッハへの言及が興味深い)。
http://www.press.tokai.ac.jp/bookdetail.jsp?isbn_code=ISBN978-4-486-01213-9
目次:
http://www.press.tokai.ac.jp/bookpub.jsp?isbn_code=ISBN978-4-486-01213-9
29 D・D・ルネス編『スピノザ辞典』 一九五一年―
   「確かなのは、スピノザが精神と身体の相互の影響に関する問い、およびその両
   者のどちらが「本源的」であるかという問い、このそれぞれの問いの無意味さをき
   わめてはっきりと認識していたことです」(邦訳『アインシュタイン、ひとを語る』121頁)

金曜日, 5月 20, 2011

Magic Highway USA (1958,Disney)


『ジェイコブズ対モーゼス』(邦訳218頁)で紹介されていた「高速道路USA」。
1958年にディズニーがつくった。都市計画の推進者ロバート・モーゼスはこの動画に感銘を受けたらしい。
原子力礼賛の動画もディズニーは作っていたと、岡崎乾二郎氏がtwitter上で言及していたが、こうした動画の役割は大きい。
ウォルト・ディズニー自身の趣味とは少し違うような気もするが。

ちなみにモーゼスと戦ったジェイン・ジェイコブズはこんな人。



モーゼス関連の動画。


「高速道路USA」に感銘を受けたモーゼスは4本の短編制作をディズニーに依頼した(前掲書219頁)。



ディズニー自身の趣味はこちらによく表れている。



ちなみにジェイコブズが『アメリカ大都市の死と生(The Death and Life of Great American Cities)』を刊行した1961年は、ボブ・ディランがニューヨークにやってきた年だ。1958年のこちらも重要な文章だが。以下脱線。




西部の奥地からさすらい出て
大好きな町々を後にする
いいことも悪いこともいろいろあって
ようやく辿り着いたのはニューヨークの町
そこじゃ人は地べたに這いつくばり
ビルばかりが天高く聳え立つ

ニューヨークの町に冬が来れば
風が雪を当り一面まき散らす
行くあてなしでうろつき回る
そんなことをしていたら骨の髄まで凍り付いてしまう
ぼくは骨の髄まで凍り付いてしまったよ
この17年間でいちばん寒い冬だと
ニューヨーク・タイムズは報じていた
ぼくはそんなに寒くは思わなかったけど

ぼくはおんぼろギターひっつかみ
地下鉄に飛び乗る
揺られ揺られて運ばれていき
電車から降りればそこはダウンタウン
グリニッジ・ヴィレッジだ

そこの通りを歩いていって
辿り着いたのは一軒のコーヒーハウス
そのステージに立ってギターを弾いて歌ったのさ
そこにいた男に言われたよ
「また今度で直してきな
 おまえはヒルビリーっぽすぎるよ
 俺たちゃフォーク・シンガーを探しているんだ」

見つかったのはハーモニカの仕事、ぼくは吹き始めた
息のかぎりに吹きまくって、1日1ドルの稼ぎ
からだの中がからっぽになるまで
吹いて吹いて吹きまくったよ
雇ってくれた男は僕のハーモニカを気に入ってくれた
ぼくの音色がどれほど素晴らしいか言葉を尽くして褒めちぎる
それなのにぼくの値打ちは1日たった1ドル

何週間もあたりをうろつき回り
ぼくはようやくニューヨークの町で
ちゃんとした仕事にありついた
もっと大きな場所で、稼ぎもずっとある
組合にも入って、組合費もちゃんと納めたよ

ある偉人がこんなことを言ってたよ
一本の万年筆で人を骨抜きにする奴もいるって
何を考えて彼がそんなことを言ったのか
気がつくのにそれほど時間はかからなかったよ
テーブルに食べる物もろくにない人間がたくさんいる
フォークやナイフばかりが有り余っているんだ
そいつを使って細かく切り刻むしかない

ある朝、太陽があたたかく照りつける日
ぼくはニューヨークの町からさすらい出た
帽子を目の上まで深くかぶり
目ざしたのは西部の空
あばよ、ニューヨーク
こんちわ、イースト・オレンジ

1965年のこの曲も当時の空気(シカゴが拠点のグループだが)を良く表している。

水曜日, 5月 04, 2011

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』とウィリアム・ジェイムズ


レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』とウィリアム・ジェイムズ

http://nam-students.blogspot.jp/2011/05/blog-post.html?m=0@

Does Consciousness Exist? (Essays in Radical Empiricism) 

http://nam-students.blogspot.jp/2017/10/1does-consciousness-exist-essays-in.html

NAMs出版プロジェクト: 1755年のリスボンの大震災に関して(ヴォルテールとルソー)
http://nam-students.blogspot.jp/2011/04/blog-post_5916.html 







最近、レベッカ・ソルニット↑著『災害ユートピア』(原題:A Paradise Built in Hell 地獄の中にある天国)で指摘されたエリートパニックが実際に起こったことが話題になった(柄谷行人書評)。
思想史的にはこの本で『プラグマティズム』*で著名なウィリアム・ジェイムズ( William James )を論考の柱の一にしていることが特筆される(クロポトキンも柱の一つ)。
ウィリアム・ジェイムズは1906年のサンフランシスコ大地震の前後に重要なテクストを3つ残している。
一つは「戦争の道徳的等価物」(moral equivalent of wargoogle翻訳)=戦争という暴力的衝動を他の領域に置きかえることによって戦争を回避することができるという内容、1956年刊の河出『世界大思想全集』第15巻に邦訳、スティーヴン・C. ロウ著『ウィリアム・ジェイムズ入門』に抄訳がある。)、
もうひとつは「地震の心理的効果について(“On some mental effects of the earthquakegoogle翻訳)” (1906))」(=地震に遭遇した際のエッセイ。「誰かの役に立ちたいという熱意はあらゆるところにあった」「これをアメリカ的、またはカリフォルニア的であると賛美するのは簡単だ・・・だが、私が書いているものは人間の本質の正常で普遍的な特質であると思いたい」)、
さらに「人間のエネルギー(The Energies of Mengoogle翻訳))」**だ。
すべて原文がネットで読める。

ソルニットが主に考察するのは1番目と2番目だが、3番目も冒頭でピエール・ジャネを援用していて興味深い(3番目は地震には少ししか触れておらず直接関係がないが、実際の地震を経て男女の心的エネルギーをジェイムズは考察したようだ)。
そもそもジェイムズが探究した心理学自体が経験主義の再評価の系譜にあるが(フロイトもミルを評価していた)、プラグマチズムを含む経験論の系譜が震災によってその重要性を明らかにしたと見ていい。

夏目漱石も「人間はsame space をoccupyできない」という有名な標語を書き残しているが、これなどもジェイムズの影響が伺われる言葉だ。ちなみに建国前の中国も知識人がデューイの影響を強く受けている。

注:
*ソルニットは、この書にある「もしある考えではなく、別の考えが正しいとしたら、それは実際にどんな違いを生むだろうか?」という問いかけが、ジェイムズが地震の際の人々の振る舞い方を考察した際の基調にあるという。
**バージョン違いの同名の論文がもう一つあるようだが、こちらにもジャネが出てくる。

追記:
ソルニットの震災後の日本へのメッセージは以下(これに対して池上義彦の応答もある)、

A Letter from Rebecca Solnit
Posted on March 30, 2011
北日本そしてその他の地区の兄弟/姉妹たちへ
http://jfissures.wordpress.com/2011/03/30/rebecca-solnit/
「有毒物質による災害の場合、ことは大きく異なっているかもしれません。人々はしばしば自らを孤立化せねばならず、何が排出されているか知りえず、災害はいつまでも終わらないかもしれない。地震の後、再構築することよりも、石油こぼれや放射能漏れを片付けることはより難しいです。だが、この大災害は、すでに原子力や世界中の武器に関する対話を変容させ、ドイツにおいては原子エネルギーからの脱却の高速化を促したのです。それ以外それが何を為すかは、まだ分かりません。そしてすでに言ったように、それは大なり小なり、われわれにかかっているのです。」



追記:
1906年のサンフランシスコ大地震には、幸徳秋水も立ち会っているそうだ。
 (以下、「明治流星雨」より)



「予は桑港(サンフランシスコ)今回の大震災に就いて有益なる実験を得た。夫(そ)れは外でもない、去る18日以来桑港全市は全 く無政府共産制の状態に在る。商業は総て閉止。郵便、鉄道、汽船(附近への)総て無賃。食料は毎日救助委員より頒与(はんよ)する。食料の運搬や病人負傷 者の収容、介抱や、焼跡の片付や、避難所の造営や、総て壮丁(そうてい。成年に達した一人前の男)が義務的に働く。買うとは云っても商品が無いので金銭は 全く無用の物となった。財産私有は全く消滅した。面白いではないか。併し此の思想の天地も向う数週間しか続かないで、また元の資本私有制度に返るのだ。惜 しいものだ」
幸徳秋水(1906年(明治39年)4月24日付、雑誌「光」へ寄せた一文)
http://blog.goo.ne.jp/ippusai/e/a10674a0c6141aae6b3c269be5b64066
村雨退二郎(むらさめ・たいじろう)
『史談蚤の市』78頁
中公文庫(改版)