月曜日, 6月 30, 2014

ハイデガー「クーラの神話」『存在と時間』#42

リンク::::::::::ハイデガー:インデックス存在と時間医学

NAMs出版プロジェクト: ケア、クーラの神話:再掲
NAMs出版プロジェクト: ハイデガー「クーラの神話」『存在と時間』#42

第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈にもとづく、気遣いとしての現存在の実存論的な学的解釈の確証


「気遣い」としての現存在の以下のような自己解釈は、或る古い寓話のうちに記されているものである(1)。

カツテくーら〔気遣い〕ハ川ヲ渡ルヤ、粘土ノ土地ヲ見ツケタ。
 思イニフケリツツくーらハソノ一塊ヲ取リアゲ、形ヅクリ始メタ。 
スデニ作リアゲテシマッタモノニ思イヲメグラシテイル間ニ、ゆぴてるガヤッテ来タ。
ゆぴてるニくーらハ、形ヲエタソノ一塊ノ粘土ニ精神ヲ授ケテクレ、ト願イ、ゆぴてるハヨロコンデソノ願イヲカナエテヤッタ。
 トコロガ、ソノ像ニくーらガ自分自身ノ名前ヲツケヨウトシタトキ、 
ゆぴてるハソレヲ禁ジテ、自分ノ名前コソソレニ与エラレルベキダ、ト言イハッタ。 
くーらトゆぴてるトガ名前ノコトデ争ッテイル間ニ、大地(てるす)モマタ立チアガッテ、
 自分ノ身体ノ一部ヲソノ像ニ提供シタカラニハ、自分ノ名前ガソレニツケラレルベキダト望ンダ。
 彼ラハさとぅるぬす〔時間〕ニ裁キヲアオギ、彼ハモットモダト思エル次ノヨウナ裁キヲクダシタ。
 「ナンジゆぴてるヨ、ナンジハ精神ヲ与エタユエ、コノ像ガ死ヌトキニハ精神ヲ受ケ取リ、 
ナンジてるすヨ、ナンジハ身体ヲ授ケタユエ身体ヲ受ケ取ルベシ。 
ダガ、くーらハコノモノヲ最初ニ作リアゲタユエ、ソレガ生キテイル間ハ、くーらガソレヲ所有スルガヨイ。
トコロガ、ソノ名前ニツイテナンジラガ争ッテイル以上、 
ソレハ明ラカニふーむす(地)カラ作ラレテイルノダカラ、ほも〔人間〕ト名ヅケルガヨカロウ」。

(1)著者は、K・ブールダハの『ファウストと気遣い』という論文をつうじて、現存在を気遣いとして実存論的・存在論的に学的に解釈するための以下のような前存在論的な証例に突き当たったのである。『文芸学と精神史とのためのドイツ季刊誌〔*〕』第一巻(一九二三年)一ページ以下。ブールダハが示しているのは、ゲーテがヒギヌスの寓話二二〇番として伝承されているクーラ寓話をヘルダーから受けついで、彼の『ファウスト』第二部のために改作したということである。とりわけ、前掲論文四〇ページ以下参照。──以下にかかげる原文はF・ビューヘラーの『ライン学報』第四十一巻(一八八六年)五ページに従って引用し、翻訳はブールダハの前掲論文四一ページ以下によっている。 〔*〕「季刊誌」の原語が、第一版、第四版、第七版、第十四版などでは Vierteljahrsschrift、第十五─十七版では Vierteljahresschrift と表記されている。ドイツ語ではいずれの表記も可能。訳文には影響がない。


かつてクーラ〔気遣い〕は川を渡るや、粘土の土地を見つけた。
思いにふけりつつクーラはその一塊を取りあげ、形づくり始めた。 
すでに作りあげてしまったものに思いをめぐらしている間に、ユピテルがやって来た。
ユピテルにクーラは、形をえたその一塊の粘土に精神を授けてくれ、と願い、ユピテルはよろこんでその願いをかなえてやった。
ところが、その像にクーラが自分自身の名前をつけようとしたとき、 
ユピテルはそれを禁じて、自分の名前こそそれに与えられるべきだ、と言いはった。 
クーラとユピテルとが名前のことで争っている間に、大地(テルス)もまた立ちあがって、
 自分の身体の一部をその像に提供したからには、自分の名前がそれにつけられるべきだと望んだ。
 彼らはサトゥルヌス〔時間〕に裁きをあおぎ、彼はもっともだと思える次のような裁きをくだした。
 「なんじユピテルよ、なんじは精神を与えたゆえ、この像が死ぬときは精神を受け取り、 
なんじテルスよ、なんじは身体を授けたゆえ身体を受け取るべし。 
だが、クーラはこのものを最初に作りあげたゆえ、それが生きている間は、クーラがそれを所有するがよい。
ところが、その名前についてなんじらが争っている以上、 
それは明らかにフームス(地)から作られているのだから、ホモ〔人間〕と名づけるがよかろう」。


《「クーラ」の「二重の意味」が指しているのは、被投された企投というその本質上の二重構造をとる一つの根本機構なのである。》


iTunes でブックをチェック:
artwork

存在と時間II

ハイデガー, 原佑 & 渡邊二郎
哲学/思想, ブック, ノンフィクション, 小説/文学
2003年5月10日
存在論は古代中世以来、ヨーロッパ哲学の根本課題であった。ハイデガーはこの伝統を新たに取り上げ直し、存在の根底を見つめ、生存の基底を直視し、実存の深みを見定めようとする。

Copyright © 2014 Apple Inc. All rights reserved.

日曜日, 6月 15, 2014

プルードンとユダヤ人


NAMs出版プロジェクト: プルードンとユダヤ人

http://nam-students.blogspot.jp/2014/06/blog-post_15.html:本頁

プルードンがナポレオン三世と会談した際、次のような会話があったと言われている。 

ナポレオン三世「いったい君はどのような社会を望んでいるのかね?」 
プルードン「私は私が保守主義者としてギロチンにかけられる社会を夢見ています」 
(『コンミューンの炬火 −ブランキとプルードン− 』S.モリニエ他  現代思潮社より) 

プルードンは「ユダヤ人」という著作の構想を持っていたようだが、 
内容はよくわからない。マルクスに応答したものであったと推測される。
ただ、プルードンにとって当時のライバルはナポレオン三世であってマル
クスではないし、当時のオートバンクと呼ばれる個人金融業者 内において
ユダヤ資本がどの程度占めていたかは不明。 
公式に開示された範囲でプルードンのユダヤ人観、というよりそのユダヤ
教観を紹介するなら、それは以下のようなものであった。


「ユダヤの立法者の目的が,第7日目の礼拝に関するかぎり,4重 
であるということ,すなわち同時に市民的,家庭的,道徳的かつ衛生を考 
慮したものであるこの目的は,したがって,国民の創立者の思想が包括す 
ることのできるもっとも広大でもっと普遍的なものであるということをわ 
たくしが確証することに首尾よく成功するならば,…‥わたくしは課題 
のすべての条件を満足させることになると信ずる。そしてモーゼの諸制度 
の崇高さを示すことによってわたくしはわたくしの検討する問題の深みに 
達するであろう。」(懸賞論文『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.37) 16頁

「宗教は…理性に話しかけることをやめてしまった。…そのことで宗教を 
責めようとは思わない…宗教は新しい事態に順応しまたはそれと調和する 
時をいまだもっていない。」(『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.47) 20頁

「イスラエル人たちは……住所を変えること,過度に裕福にな 
ったり破産したりすることはできなかった。その理由を発見するのは容易 
である。かれらのあいだでは,少なくとも相続財産分配の不安定性や思わ 
ぬ出来事が許す範囲で,不動産は平等であった。家族の財産が他の家族 
の手に移るのを禁止する法律もあった。……初めから土地は平等な分配に 
従わされていた。…」(『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.54) 26頁
(以上、「初期プルードンにおける経済学的諸命題について」(後藤修三) 
「中京商学論叢」vol.14.3.1967年より孫引き) 

プルードンはユダヤ教の戒律における平等主義を自らの集合力(『資本論』 
の用語では「結合労働力」)理論の根拠とすることで、その言論活動を開始 
したことになる。 

追記: 
オートバンクに関しては、 
「フランスにおける企業金融:19世紀後半から第一次大戦まで」佐藤, 朋子 
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31238/1/22%281%29_P103-139.pdf

プルードンのジェンダー観については以下、

http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
(6)プルードンは性差のアンチノミーにもこだわる。彼は男女の異質性と相補性の意義を強調し、価値の一元化を拒否したのだが、彼の考え方は当時のフェミニストからも激しく批判された。なるほど、彼が性別役割分業の固定化を承認するような言い回しをしていることに問題があるけれども、彼の真意は多様性に対する寛容の呼びかけであった。

(3)「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」(『正義論』第二巻、155頁)。

 

 プルードンの日記に、以下の記述があった、ということらしい。 

 http://www.marxists.org/reference/subject/economics/proudhon/1847/jews.htm 

  

 訳すと、 

 1847 年 12 月 26 日: ユダヤ人ども。この民族について一言書いておくこと、こいつらは他者と交わることなく何にでも首を 

 突っ込んできては一切をその毒で犯す、と。フランス女性と結婚した奴以外はフランスから駆逐すべき。シナゴーグは廃止 

 させ、一切の職業から放逐すべき。いずれはこの宗教そのものを撲滅すべき。キリスト教徒がこいつらを神殺しと非難する 

 のも自業自得だ。ユダヤ人こそは人類の敵である。中東に追い返すか、さもなくば根絶やしに。殺戮でも焼き討ちでも追放 

 でもいいから、とにかくユダヤ人はいなくなれ。 

Pierre Joseph Proudhon 1847

On the Jews


Source: Carnets de P.J. Proudhon. Paris, M. Rivière, 1960;
Translated: for marxists.org by Mitchell Abidor.

Translator’s note: Though some twentieth century writers have maintained that Proudhon was not an anti-Semite, we find in his notebooks proof of the contrary. In this selection from his notebooks Proudhon’s anti-Semitism goes far beyond that of Marx at approximately the same time, calling not for the end of what Jews represent, i.e., capitalism, but of the Jews as a people. Proudhon’s privately expressed thoughts were elaborated on in the same year as this entry by his follower Alphonse Toussenel in his “Les Juifs, Rois de l’Epoque,” The Jews, Kings of the Era. After reading the passage translated here it can come as no surprise that the founder of the royalist group Action Française, the Jew-hater Charles Maurras, drew inspiration from Proudhon.


December 26, 1847: Jews. Write an article against this race that poisons everything by sticking its nose into everything without ever mixing with any other people. Demand its expulsion from France with the exception of those individuals married to French women. Abolish synagogues and not admit them to any employment. Finally, pursue the abolition of this religion. It’s not without cause that the Christians called them deicide. The Jew is the enemy of humankind. They must be sent back to Asia or be exterminated. By steel or by fire or by expulsion the Jew must disappear.

  

 英語版 Wikipedia でも言及されてる。 

 http://en.wikipedia.org/wiki/Proudhon#Anti-semitism_and_sexism  *


プルードンにとってあらゆるネーションが呪詛の対象だった。 

「ひとはいう,ローマはイタリア人たちのものだ,と。わたくしは答える,ちょうど 
ナポリがナポリ人たちのものでありパリがパリ人たちのものであるように 
ローマはローマ人たちのものだ,イタリア人たちというのは,フランス人 
たちと同様に,1つの抽象(une abstraction)であって,真実なのは 
フランスという国をもつ政治的一大集団(une grande agglomération 
politique)が現時点に存在しているということである,しかしそうかとい 
ってこの事実はアルプスのむこう側にその集団の対応物〔統一イタリア〕 
を作り出すための理由では全然ない,まったく反対である,と。」 
(「イタリアにおける連邦と統一(3)」後藤修三「中京商学論叢」通巻第43号1967年 105頁)


He was not consistently libertarian in his ideas, tactics and language. His personal bigotries are disgusting and few modern anarchists would tolerate them – Namely, racism and sexism. He made some bad decisions and occasionally ranted in his private notebooks (where the worst of his anti-Semitism was expressed). While he did place his defence of the patriarchal family at the core of his ideas, they are in direct contradiction to his own libertarian and egalitarian ideas. In terms of racism, he sometimes reflected the less-than-enlightened assumptions and prejudices of the nineteenth century. While this does appear in his public work, such outbursts are both rare and asides (usually an extremely infrequent passing anti-Semitic remark or caricature). In short, "racism was never the basis of Proudhon's political thinking" (Gemie, 200-1) and "anti-Semitism formed no part of Proudhon's revolutionary programme." (Robert Graham, "Introduction", General Idea of the Revolution, xxxvi) To quote Proudhon: "There will no longer be nationality, no longer fatherland, in the political sense of the words: they will mean only places of birth. Man, of whatever race or colour he may be, is an inhabitant of the universe; citizenship is everywhere an acquired right." (General Idea of the Revolution, 283)

—Iain McKay, "Property Is Theft! A Pierre-Joseph Proudhon Anthology. AK Press UK – Edinburgh, 2011" p. 36


「もはや、政治的意味にかける国籍や祖国は存在せず、ただ出生の土地があるだけとなる。人間は、どんな人種に属し、
どんな皮膚の色をしていようと、現実に、この普遍的世界の土着の住民であり、彼はどこででも市民権を手に入れ
る。自治体がその区域の境界内で国を代表し、その権限を行使するのと同じく、地球上の各国民はそれぞれ人類を
代表し、自然がこの国民に割り当てた境界内で、人類を代表して活動する。外交も、会談もなしに、諸国民のあい
だでは調和が支配する。以後、何ものもこの調和を乱すことはできないであろう。」
(プルードン『十九世紀における革命の一般理念』第七研究,原著1851年、邦訳三一書房303頁)


金曜日, 6月 13, 2014

アダム・スミス Smith, Adam『国富論』(v+mのドグマへの反論)

              (経済学マルクスリンク::::::::::

アダム・スミス Smith, Adam『国富論』
http://nam-students.blogspot.jp/2014/06/smith-adam.html(本頁)
2016:
 

丸山俊一 & NHK「欲望の資本主義」制作班「欲望の資本主義―ルールが変わる時」
https://itun.es/jp/66taib.l


アダム・スミス(Adam Smith、1723年6月5日(洗礼日) - 1790年7月17日)は、イギリスグレートブリテン王国)の経済学者神学者哲学者である。スコットランド生まれ。1750年頃、後に友人となる哲学者ヒュームと出会う。主著は1759年発表のグラスゴー大学での講義録『道徳情操論』(または『道徳感情論』The Theory of Moral Sentiments)、1776年刊行の『国富論』(または『諸国民の富』とも。原題『諸国民の富の性質と原因の研究』An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)。「経済学の父」と呼ばれる。

国富論4:2に出てくる「見えざる手」はパレート最適を先取りしている。

《…かれはこのばあいに、他のおおくのばあいと同様に、みえない手にみちびかれて、かれの意図のどこにもなかったひとつの目的を、促進するようになるのである。』国富論4:2

見えざる手(みえざるて、英: an invisible hand)とは、アダム・スミスの『国富論』の第4 編第2章に現れる言葉である。 ... 最後の最終戦争には、信徒は神の見えざる手により 救済され、天国へ行くことができる」などの教えから来る物 ... 

神の見えざる手(カミノミエザルテ)とは
kotobank.jp/word/神の見えざる手-466561 デジタル大辞泉 - 神の見えざる手の用語解説 - 市場において、各個人の利己的な行動 の集積が社会全体の利益をもたらすという調整機能。アダム=スミスが「国富論」で提唱 した。見えざる手。→市場原理[補説]神の見えざる手(invisible hand of God) ...

NAMs出版プロジェクト: パレート最適:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_82.html


以下本題、

中村賢一郎『経済学説研究』(118~120頁)によると、スミスはv+mのドグマに陥っていないとのことである。

《「労働の年生産物全体は,結局その住民の消費を充足すべく,また収入
獲得のために予定されたものであるにせよ,それが最初に土地か生産的労
働者の手のいずれかに由来するばあいには,自然にそれ自体は二つの部分
に分割される。その一つが資本の回収,つまりすでに資本のなかからひき
あげられた食料品や材料などの半製品や完成品を更新するために予定され
たものであり,他の部分はこの資本の所有者の資財の利潤としての収入
が,他の人の土地の地代としての収入のいずれかを構成するために予定さ
れたものなのである 」[ スミス 1776,『諸国民の富』(国富論)岩波文庫(2) 340-1 頁]。

このように、スミスはある意味でドグマに陥ってはいない。…

…売上金額の国民所得への解消(V+Mのドグマ)からいえることは、スミス
が国民所得の「付加価値集計方法」(value added method)の先駆的発見者であ
るということ、さらに所得集計上の「重複計算の除去」(eliminathon of multiple
counting)を指摘した先駆者として高く評価されるべきことである。》



(同119頁)



>HOME >DATABASE

『国富論』 
Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations
20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫



Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫

<目次>
・凡例
・第三版の読者に
・第四版の読者に
・序文および本書の構想
第一編 労働の生産力の改良、および労働の生産物が国民ののさまざまな階層のあいだに自然に分配される順序について
 第一章 分業について
 第二章 分業を生む原理について
 第三章 分業は市場の広さによって制限されるということ
 第四章 貨弊の起源と使用について
 第五章 商品の実質価格と名目価格について、すなわちその労働価格と貨弊価格について
 第六章 商品の価格の構成部分について
 第七章 商品の自然価格と市場価格について
 第八章 労働の賃金について
 第九章 貯えの利潤について
 第一〇章 労働と貯えのさまざまな用途における賃金と利潤について
  第一節 職業の性質自体から生じる不平等
  第二節 ヨーロッパの政策によって引き起こされる不平等
 第一一章 地代について
  第一節 つねに地代を提供する土地生産物について
  第二節 地代をときには提供し、ときには提供しない土地生産物について
  第三節 つねに地代を提供する種類の生産物と、ときによって地代を提供したりしなかったりする種類の生産物との、それぞれの価値のあいだの割合の変動について

   過去四世紀間の銀の価値の変動についての余論
    第一期
    第二期
    第三期
     金銀の比価の変動
     銀の価値は依然として減少しつづけているという疑念の根拠
     改良の進行が三つのことなる種類の原生産物に及ぼすさまざまな効果
      第一の種類
      第二の種類
      第三の種類
     銀の価値の変動にかんする余論の結論
     改良の進行が製造品の実質価格に及ぼす影響
  本章の結論

第二編 貯えの性質と蓄積と用途について
  序論
 第一章 貯えの分類について
 第二章 社会の貯え全体の一特定部門と考えられる貨幣について、すなわち国民資本の維持費について
 第三章 資本の蓄積について、あるいは生産的労働と不生産的労働について
 第四章 利子つきで貸しつけられる貯えについて
 第五章 資本のさまざまな使用について

第三篇 さまざまな国民における富裕の進歩のちがいについて
 第一章 富裕の自然的進歩について
 第二章 ローマ帝国没落後のヨーロッパの旧状での農業の阻害について
 第三章 ローマ帝国没落後の諸都市の発生と発達について
 第四章 都市の商業はどのようにして農村の改良に寄与したか

第四編 政治経済学の諸体系について
  序論
 第一章 商業的あるいは商人の体系の原理について
 第二章 国内で生産できる品物の外国からの輸入にたいする制限について
 第三章 貿易差額が不利と想定される諸国からの、ほとんどすべての種類の品物の輸入にたいする特別の制限について
  第一節 商業主義の原理からみてさえそれらの制限が不合理であることについて預金銀行、とくにアムステルダムの預金銀行にかんする余論
  第二節 他の諸原理からみてもそれらの特別の制限が不合理であることについて
 第四章 戻し税について
 第五章 奨励金について
   穀物貿易と穀物法にかんする余論
 第六章 通商条約について
 第七章 植民地について
  第一節 新植民地建設の動機について
  第二節 新植民地の繁栄の諸原因
  第三節 アメリカの発見と、喜望峰経由の東インド航路の発見から、ヨーロッパが引き出した利益について
 第八章 重商主義についての結論
 第九章 農業主義について、すなわち、土地の生産物がすべての国の収入と富の唯一または主要な源泉だとする政治経済学の諸体系について

第五編 主権者または国家の収入について
 第一章 主権者または国家の経費について
  第一節 防衛費について
  第二節 司法費について
  第三節 公共事業と公共施設の経費について
   第一項 社会の商業を助長するための公共事業と公共施設について
    そして第一に、商業一般の助長に必要な公共事業と公共施設について
    商業の特定部門を助長するのに必要な公共事業と公共施設について
   第二項 青少年教育のための施設の経費について
   第三項 あらゆる年齢の人びとの教化のための施設の経費について
  第四節 主権者の尊厳を保つための経費について
  本章の結論
 第二章 社会の一般収入あるいは公収入の源泉について
  第一節 主権者または共同社会の専属でありうる原資すなわち源泉について
  第二節 租税について
   第一項 賃料にたいする税、地代にたいする税
    地代にではなく土地の生産物に比例する税
    家賃にたいする税
   第二項 利潤、すなわち貯えから生じる収入にたいする税
    特定の職業の利潤にたいする税
    第一項と第二項への付録。土地、家屋、および貯えの基本価値にたいする税
   第三項 労働賃金にたいする税
   第四項 すべての種類の収入に無差別にかかることを目的とする税
    人頭税
    消費財にたいする税
 第三章 公債について

・解説(水田 洋)
・索引(引照文献/人名・地名・国名/事項)

1759年:道徳感情論The Theory of Moral Sentiments(冒頭)

第一篇 適合性という感覚について   

第一章 共感(シンパシー)について  

1 いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力(プリンシプル)が含まれている。


木曜日, 6月 12, 2014

ルソー(『社会契約論』関連)

                    (政治学リンク::::::::::

NAMs出版プロジェクト: ルソー、ゲーテ、ソローの植物学:メモ再掲
『思想的地震 柄谷行人講演集成1995-2015』 (ちくま学芸文庫) 柄谷行人
http://nam-students.blogspot.jp/2017/01/1995-2015-httpwww.html

NAMs出版プロジェクト: ルソー
http://nam-students.blogspot.jp/2014/06/blog-post_12.html:本頁@
「(18世紀の社会思想家で、直接民主制を主張した)ルソーのころのジュネーブの人口は2万400人だったが、これぐらいだと直接民主制ができる。しかも僕たちには今、SNSやツイッター(Twitter)というのがあって、たとえば勝間(和代)さんやホリエモン堀江貴文さん)は、ツイッターでフォロワーが15万人もいる。1人のサービスを15万人がフォローしていて、しかも勝間さんや堀江さんはそれに(レスポンスを)返している。そういうことができるインターネットというテクノロジーは、10万人とか5万人という規模だったら、直接民主制を可能にするんですよ」

もし、人民が十分に情報を与えられて熟慮するとき、市民がたがいにいかなるコミュニケーションも取らないのであれば[Si (...) les Citoyens n'avaient aucune communication entre eux]、小さな差異が数多く集まり、結果としてつねに一般意志が生み出され、熟慮はつねによいものとなるであろう。 [……]  一般意志がよく表明されるためには、国家のなかに部分的社会が存在せず、また各市民が自分だけに従って意見を述べることが重要なのである(注3)。注3 第二篇第三章。全集第五巻、一三五─一三六頁。一般意志2.0東浩紀より孫引き



社会契約論』(しゃかいけいやくろん、Du Contrat Social ou Principes du droit politique, 社会契約について、もしくは政治的権利の原理)は、思想家ジャン=ジャック・ルソーによって執筆され、1762年フランスで公刊された政治哲学の著作である。古くは『民約論』とも訳した。「一般意志」というルソーの造語を世に送り出した書として有名である。


社会契約論
作田啓一訳
1:6
もし社会契約から、本質的でないものを取り除くなら、次の言葉に帰着することがわかるだろう。われわれのおのおのは、身体とすべての能力を共同のものとして、一般意志の最高の指揮のもとに置く。それに応じて、われわれは、団体のなかでの各構成員を、分割不可能な全体の部分として受け入れる。

2:3
全体意志と一般意志とのあいだには、しばしばかなり相違がある。後者は共同の利益だけを考慮する(六)。前者は私的な利益にかかわるものであり、特殊意志の総和にすぎない。しかし、これらの特殊意志から、〔一般意志との距離である〕過不足分を相殺させて引き去ると(1)、差の総計が残るが、これが一般意志である。

3:12

第十二章 主権はいかにして維持されるか  

 主権者は、立法権以外になんらの力も持たないので、法によってしか行動できない。そして、法は一般意志の真正の行為(四六)以外の何ものでもないのだから、主権者は人民が集会したときのほかは、主権者として行動しえない。人民の集会! とんでもない妄想だ! と人は言うだろう。今日では、それは妄想である。だが、二千年前にはそうではなかったのだ。人間はその本性を変えたのだろうか。


3:15

代表者という着想は近世のものである。それは封建政体、すなわちあの不正で不条理な政体から今日に受け継がれている。この政体のもとでは、人間は堕落しており、人間という名称も〔臣下を意味していたので〕屈辱的なものであった。古代の共和国においては、いや君主国においてさえ、人民はけっして代表者を持たなかった。


ギリシア人にあっては、人民のなすべきことはすべて人民みずからが行なった。人民はたえず広場で集会した。

4:3
「抽籤による選出が民主政の本性にふさわしい」とモンテスキューは言っている。これには私も賛成である。

特殊意志×n=全体意志
全体意志-Y=一般意志

参考:
NAMs出版プロジェクト: くじ引き関連資料 +ヴェネツィアのくじ引き

社会契約論  (白水社)原著1762年
目次  
 緒言 
第一篇  
 第一章 第一篇の主題  
 第二章 最初の社会について  
 第三章 最強者の権利について  
 第四章 奴隷状態について  
 第五章 最初の約束につねにさかのぼらなければならないこと  
 第六章 社会契約について  
 第七章 主権者について  
 第八章 社会状態について  
 第九章 土地所有権について 
第二篇  
 第一章 主権は譲渡できないこと  
 第二章 主権は分割できないこと
 第三章 一般意志は誤ることがあるか  
 第四章 主権の限界について  
 第五章 生と死の権利について  
 第六章 法について  
 第七章 立法者について  
 第八章 人民について  
 第九章 人民について(続き)  
 第十章 人民について(続き)  
 第十一章 立法のさまざまな体系について  
 第十二章 法の分類 
第三篇  
 第一章 政府一般について  
 第二章 政府のさまざまな形態を構成する原理について
 第三章 政府の分類  
 第四章 民主政について  
 第五章 貴族政について  
 第六章 君主政について  
 第七章 混合政府について  
 第八章 あらゆる統治形態があらゆる国にふさわしいわけではないこと 
 第九章 よい政府の特徴について  
 第十章 政府の悪弊とその堕落の傾向について  
 第十一章 政治体の死について  
 第十二章 主権はいかにして維持されるか  *
 第十三章 主権はいかにして維持されるか(続き)  
 第十四章 主権はいかにして維持されるか(続き)  
 第十五章 代議士または代表者について  **
 第十六章 政府の設立はけっして契約ではないこと  
 第十七章 政府の設立について  
 第十八章 政府の簒奪行為を防ぐ手段 
第四篇  
 第一章 一般意志は破壊できないこと  
 第二章 投票について  
 第三章 選挙について  
 第四章 ローマの民会について  
 第五章 護民府について  
 第六章 独裁について  
 第七章 監察制度について  
 第八章 市民宗教について  
 第九章 結論 
社会契約論または共和国の形態についての試論(初稿) 
〔解題〕私と『社会契約論』(作田啓一) 
〔解説〕社会契約による共和国の設立(川出良枝)

凡例  
一、本書で使用されるテキストは、JEAN-JACQUES ROUSSEAU ; ŒUVRES COMPLÈTES, Bibliothèque de la Pléiade, N. R. F.,édition publiée sous la direction de Bernard GAGNEBIN et Marcel RAYMANDである。



iTunes でブックをチェック:
artwork

社会契約論

ジャン=ジャック・ルソー & 作田啓一
哲学/思想, ブック, ノンフィクション
2010年7月30日
『社会契約論』の決定版、作田訳が待望のUブックス化。民主主義の聖典か、はたまた全体主義思想の先駆けか。民主主義を支えるのは、神に比される立法者、それとも「市民宗教」? 解説は川出良枝・東大教授。

_____



『思想的地震 柄谷行人講演集成1995-2015』 (ちくま学芸文庫) 柄谷行人
http://nam-students.blogspot.jp/2017/01/1995-2015-httpwww.html

135:

《人民はアセンブリ(集会したとき・寄り合い)においてだけ、主権者として行動しうるだろう》(ルソー「社会契約論」)。3:12 岩波文庫


**

《代表という考えは近代のものである。…古代の共和国では、いな君主国においてすら、人

民は決して代表者をもたなかった》(同)3:15


「代表者という考えは近世のものである。それは封建政治に、すなわち人間が堕落し、人間という名前が恥辱のうちにあった、かの不正でバカげた政治に、由来している。古代の共和国では、いな君主国においてすら、人民は決して代表者をもたなかった。こうした言葉を、ひとは知らなかったのだ。」(岩波文庫p.133-134)3:15

「だからわたしはいう、主権とは一般意志の行使にほかならぬのだから、これを譲りわたすことは決してできない、と。またいう、主権者とは集合的存在にほかならないから、それはこの集合的存在そのものによってしか代表されえない、と。権力は譲りわたすこともできよう、しかし、意志はそうではない。」(p.42)2:1

ルソー『社会契約論』を読む -

http://d.hatena.ne.jp/femmelets/20120627


《ルソーはこういっています。人民は集会に来たときにだけ主権者として行動しうると。》

柄谷行人「憲法9条の今日的意義」(2016年1月23日講演のテキスト起こし) 

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/300.html

人民は集会したときにだけ、 主権者として行動しうるであろう (第三編 第一 二章).



水曜日, 6月 11, 2014

墨子関連

              (リンク::::::::::歴史学

参考:中国文明孔子老子


NAMs出版プロジェクト: 墨子関連

サイトは殆どありません。抜粋は、以下のサイトにあります。
http://konton88.exblog.jp/16983598/
http://fiolencino.exblog.jp/2850990

Gブックスには、国訳漢文大系の「荀子、墨子」が公開されていて、書き下しと語釈を調べることができます。
http://books.google.co.jp/books?id=_fvA9Gfs4K4C&printsec=frontcover...

左下の検索窓に、篇名や語句を入れ、検索します。

墨子

墨子(ぼくし、生没年不詳、紀元前450~390頃?)は中国戦国時代思想家河南魯山の人[1]。あるいはその著書名。墨家の始祖。一切の差別が無い博愛主義(兼愛)を説いて全国を遊説した。いわゆる墨子十大主張を主に説いたことで世に知られている。は翟(羽の下に隹)という。

経歴[編集]

最初、儒学を学ぶも、儒学のの思想を差別愛であるとして満足せず、独自の学問を切り開き、墨家集団と呼ばれる学派を築くに至った。

生誕地はであると思われる。墨(ぼく)という名前から、墨(すみ)を頻繁に使う工匠、あるいは入れ墨をした囚人であった、などの諸説が生まれたが、詳しいことは全くわかっていない。司馬遷史記孟子荀卿列伝における墨子についての記述でも、「蓋し墨子は宋の大夫なり」(恐らく墨子は宋の高官であろう)などと憶測の文章になっている。前漢代から早くも謎多き人物であったようである。かなりの学があったようであるから、卑しい身分の家柄の出身では無かった可能性が高い。当時は、学問するにも書物を読むにも相応の家柄でなければ出来なかったからである。

著書[編集]

『墨子』

著書『墨子』(53篇現存)は墨子本人やその弟子の思想を記した書物。大部分は墨子本人による記述ではなく、その弟子によって編まれたとみられる。一部が散逸しており、元の姿は無い。近年の先秦時代由来の出土文献と比べることで、墨家集団消滅(後述)以来、清代末までほとんど編集の手が加えられてこなかった事が伺える。

  • 第一構成 「親士」「修身」「所染」「法義」「七患」「辞過」「三弁」
    断想集。
  • 第二構成 「尚賢」「尚同」「兼愛」「非攻」「節用」「節葬」「天志」「明鬼」「非楽」「非命」「非儒」
    「十論」。墨子の主要論考。
  • 第三構成 「経上」「経下」「経説上」「経説下」「大取」「小取」
    「墨弁」。墨子の哲学、幾何学等を記した論文集。
  • 第四構成 「耕柱」「貴義」「公孟」「魯問」「公輸」
    言行録、説話集。
  • 第五構成 「備城門」「備高臨」「備梯」「備水」「備突」「備穴」「備蛾傅」「迎敵祠」「旗織」「号令」「雑守」他に散逸して編名が分からないもの10編
    城(すなわち市街地)を守る為の詳細かつ具体的な技術論集。

主な思想[編集]

主な思想は以下のとおりである。兼愛・非攻のような非常に理想主義的な思想を展開する墨子は、当時勢力の拡大に躍起になっていた諸侯の考え方とは相容れず、諸侯からは敬遠されがちであったことが、墨子の多くの編から読み取ることが出来る。

兼愛[編集]

「天下の利益」は平等思想から生まれ、「天下の損害」は差別から起こるという思想。全ての人に平等な愛をということである。

非攻[編集]

一言で言えば、非戦論である。墨子直著と見られ、「人一人を殺せば死刑なのに、なぜ百万人を殺した将軍が勲章をもらうのか」と疑問を投げかけている。

墨子、および墨家の全体像[編集]

墨子と弟子とのやりとりからは、功利主義的な多くの弟子を諭すのに苦労する墨子の姿が散見される[2]。また、墨子自らに赴いて、を攻めようとする楚王を説き伏せようと努力することもあった[3]。このような幾多の墨子の努力の甲斐有って、思想集団として、また、兼愛・非攻の究極の実践形と言える防御・守城の技術者集団として、墨家は儒学と並び称される程の学派となった[4][5]

墨子の没後、墨家集団は三墨と呼称される三つの集団に分裂するも、未だ大勢力を誇るが[4]帝国成立後、突如として各種文献から墨家集団の記述は無くなり、歴史上から消えてしまった。なぜ墨家は忽然と消えてしまったのか。焚書坑儒の言葉に代表される秦帝国の思想統制政策により、集団として強固な結束をもっていた墨家は儒学者その他の思想派よりも早く一網打尽にされ、一気に消滅したと思われる。 さらに代になると、墨家と激しく対立していた儒家が一大勢力となった為、墨家思想排斥の動きが加速したであろうことは想像に難くない。

その後、墨子の思想は中国でほとんど顧みられる事が無く、代まで時代が下る。清末の動乱期になって西洋文明を積極的に摂取していく動きが中国に広がる中で、墨子の思想はキリスト教の思想に酷似しているとの見地から再研究を始める学者が徐々に現れ始めた。その代表的な学者に孫詒譲がいる。かれら清末の学者らによって、墨子の思想は2000年以上の雌伏を経て再評価されるようになった。

逸話[編集]

  • 楚の王は伝説的な大工公輸盤の開発した新兵器、雲梯(攻城用のはしご)を用いて、宋を併呑しようと画策する。それを聞きつけた墨子は早速楚に赴いて、公輸盤と楚王に宋を攻めないように迫る。宋を攻めることの非を責められ困った楚王は、「墨子先生が公輸盤と机上において模擬攻城戦を行い、墨子先生がそれで守りきったなら宋を攻めるのは白紙にしましょう」と提案する。机上模擬戦の結果、墨子は公輸盤の攻撃をことごとく撃退し、しかも手ごまにはまだまだ余裕が有った。王の面前で面子を潰された公輸盤は、「自分には更なる秘策が有るが、ここでは言わないでおきましょう」と意味深な言葉を口にする。すかさず墨子は「秘策とは、私をこの場で殺してしまおうということでしょうが、すでに秘策を授けた弟子300人を宋に派遣してあるので、私が殺されても弟子達が必ず宋を守ってみせます」と再び公輸盤をやりこめた。そのやりとりを見て感嘆した楚王は、宋を攻めないことを墨子に誓った。使命を終えた帰り道、宋の城門の軒先で雨宿りをしていた墨子は、乞食と勘違いされて城兵に追い払われてしまった。墨子の御技は、救われた宋人にもわからない程の素早さであった[3] この逸話から「自説を頑なに守る」という意味の「墨守」という故事成語が生まれた。
  • 2004年に当時の小泉純一郎首相が、イラクへの自衛隊派遣に関する国会論争において墨子の「義を為すは、毀(そしり)を避け誉(ほまれ)に就くに非(あら)ず」という言葉を引用して自説を主張した。

脚注[編集]

  1. ^ 墨子の出身地については、山東省滕州であるという説と、河南省平頂山市魯山県であるとする説がある。山东滕州央视宣传墨子故里引平顶山网友不满, 2009年08月06日 11:42 来源:大河网 记者 薛素芬
  2. ^ 『墨子』魯問編
  3. a b 『墨子』公輸編
  4. a b 韓非子』顕学編
  5. ^ 呂氏春秋』有度編

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]


墨家

墨家(ぼくか、ぼっか)は、中国戦国時代墨子によって興った思想家集団であり、諸子百家の一つ。博愛主義(兼愛交利)を説き、またその独特の思想に基づいて、武装防御集団として各地の守城戦で活躍した。墨家の思想は、都市の下層技術者集団の連帯を背景にして生まれたものだといわれる。代表的な思想家に、墨翟(墨子)がいる。

戦国時代儒家と並び最大勢力となって隆盛したが、の中国統一ののち勢威が衰え消滅した。

基本思想(墨家十論)[編集]

以下が『墨子』における墨家の十大主張である。全体として儒家に対抗する主張が多い。また実用主義的であり、秩序の安定や労働・節約を通じて人民の救済と国家経済の強化をめざす方向が強い。また全体的な論の展開方法として比喩や反復を多様しており、一般民衆に理解されやすい主張展開が行なわれている。この点、他の学派と異なった特色を有する。特に兼愛、非攻の思想は諸子百家においてとりわけ稀有な思想である。

兼愛
兼(ひろ)く愛する、の意。全ての人を公平に隔たり無く愛せよという教え。儒家の愛は家族や長たる者のみを強調する「偏愛」であるとして排撃した。
非攻
当時の戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵攻を否定する教え。ただし防衛のための戦争は否定しない。このため墨家は土木冶金といった工学技術と優れた人間観察という二面より守城のための技術を磨き、他国に侵攻された城の防衛に自ら参加して成果を挙げた。
尚賢
貴賎を問わず賢者を登用すること。「官無常貴而民無終賤(官に常貴無く、民に終賤無し)」と主張し、平等主義的色彩が強い。
尚同
賢者の考えに天子から庶民までの社会全体が従い、価値基準を一つにして社会の秩序を守り社会を繁栄させること。
節用
無駄をなくし、物事に費やす金銭を節約せよという教え。
節葬
葬礼を簡素にし、祭礼にかかる浪費を防ぐこと。儒家のような祭礼重視の考えとは対立する。
非命
人々を無気力にする宿命論を否定する。人は努力して働けば自分や社会の運命を変えられると説く。
非楽
人々を悦楽にふけらせ、労働から遠ざける舞楽は否定すべきであること。楽を重視する儒家とは対立する。
天志
上帝(天)を絶対者として設定し、天の意思は人々が正義をなすことだとし、天意にそむく憎み合いや争いを抑制する。
明鬼
善悪に応じて人々に賞罰を与える鬼神の存在を主張し、争いなど悪い行いを抑制する。鬼神について語ろうとしなかった儒家とは対立する。

組織[編集]

墨家集団は鉅子(きょし)と尊称された指導者の下、強固な結束で結ばれていた。その証左として『呂氏春秋』の記述によれば、において、守備していた城が落城した責任をとって鉅子の孟勝以下、墨者400人が集団自決したという。城から脱出して孟勝の死と鉅子の引継ぎを田襄子に伝えにいった使者の墨者二人も、楚に戻って後追い自殺したという。このような強固な結束と明鬼編の存在から、墨家集団は宗教集団的色彩をも帯びていたであろうと思われる。

歴代鉅子[編集]

墨子、呂氏春秋等に散見される鉅子の名前は以下の通り。なお、『荘子』・天下篇によれば、墨家は相里氏と鄧陵氏の二派に分れ、互いに「別墨」と非難したとある。また『韓非子』・顕学篇は、前二派に加え相夫氏もあると伝える。末期墨家の鉅子についての詳細は分かっていない。

  1. 墨子…初代
  2. 禽滑麓(きんかつり)…二代目
  3. 孟勝…三代目
  4. 田襄子…四代目

以下不詳

呂氏春秋・去私篇には鉅子・腹䵍の名前もある。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

参考:

楊朱

楊朱(ようしゅ、生没年未詳、前370頃? - 前319頃? )は中国春秋戦国時代の思想家。個人主義的な思想である為我説(自愛説)を主張した。は子居。

人間の欲望を肯定し、自己満足が自然に従うものであるとした。儒家墨家に対抗し、異端として孟子などから排撃される。著書は伝わらず、「列子(楊朱篇)」、「荘子」などに学説が断片的であるが記載される。

哲学史の研究においては、西洋で同時代に快楽主義を提唱したエピクロスと比較される。