月曜日, 6月 30, 2014

ハイデガー「クーラの神話」『存在と時間』#42

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NAMs出版プロジェクト: ケア、クーラの神話:再掲
NAMs出版プロジェクト: ハイデガー「クーラの神話」『存在と時間』#42

第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈にもとづく、気遣いとしての現存在の実存論的な学的解釈の確証


「気遣い」としての現存在の以下のような自己解釈は、或る古い寓話のうちに記されているものである(1)。

カツテくーら〔気遣い〕ハ川ヲ渡ルヤ、粘土ノ土地ヲ見ツケタ。
 思イニフケリツツくーらハソノ一塊ヲ取リアゲ、形ヅクリ始メタ。 
スデニ作リアゲテシマッタモノニ思イヲメグラシテイル間ニ、ゆぴてるガヤッテ来タ。
ゆぴてるニくーらハ、形ヲエタソノ一塊ノ粘土ニ精神ヲ授ケテクレ、ト願イ、ゆぴてるハヨロコンデソノ願イヲカナエテヤッタ。
 トコロガ、ソノ像ニくーらガ自分自身ノ名前ヲツケヨウトシタトキ、 
ゆぴてるハソレヲ禁ジテ、自分ノ名前コソソレニ与エラレルベキダ、ト言イハッタ。 
くーらトゆぴてるトガ名前ノコトデ争ッテイル間ニ、大地(てるす)モマタ立チアガッテ、
 自分ノ身体ノ一部ヲソノ像ニ提供シタカラニハ、自分ノ名前ガソレニツケラレルベキダト望ンダ。
 彼ラハさとぅるぬす〔時間〕ニ裁キヲアオギ、彼ハモットモダト思エル次ノヨウナ裁キヲクダシタ。
 「ナンジゆぴてるヨ、ナンジハ精神ヲ与エタユエ、コノ像ガ死ヌトキニハ精神ヲ受ケ取リ、 
ナンジてるすヨ、ナンジハ身体ヲ授ケタユエ身体ヲ受ケ取ルベシ。 
ダガ、くーらハコノモノヲ最初ニ作リアゲタユエ、ソレガ生キテイル間ハ、くーらガソレヲ所有スルガヨイ。
トコロガ、ソノ名前ニツイテナンジラガ争ッテイル以上、 
ソレハ明ラカニふーむす(地)カラ作ラレテイルノダカラ、ほも〔人間〕ト名ヅケルガヨカロウ」。

(1)著者は、K・ブールダハの『ファウストと気遣い』という論文をつうじて、現存在を気遣いとして実存論的・存在論的に学的に解釈するための以下のような前存在論的な証例に突き当たったのである。『文芸学と精神史とのためのドイツ季刊誌〔*〕』第一巻(一九二三年)一ページ以下。ブールダハが示しているのは、ゲーテがヒギヌスの寓話二二〇番として伝承されているクーラ寓話をヘルダーから受けついで、彼の『ファウスト』第二部のために改作したということである。とりわけ、前掲論文四〇ページ以下参照。──以下にかかげる原文はF・ビューヘラーの『ライン学報』第四十一巻(一八八六年)五ページに従って引用し、翻訳はブールダハの前掲論文四一ページ以下によっている。 〔*〕「季刊誌」の原語が、第一版、第四版、第七版、第十四版などでは Vierteljahrsschrift、第十五─十七版では Vierteljahresschrift と表記されている。ドイツ語ではいずれの表記も可能。訳文には影響がない。


かつてクーラ〔気遣い〕は川を渡るや、粘土の土地を見つけた。
思いにふけりつつクーラはその一塊を取りあげ、形づくり始めた。 
すでに作りあげてしまったものに思いをめぐらしている間に、ユピテルがやって来た。
ユピテルにクーラは、形をえたその一塊の粘土に精神を授けてくれ、と願い、ユピテルはよろこんでその願いをかなえてやった。
ところが、その像にクーラが自分自身の名前をつけようとしたとき、 
ユピテルはそれを禁じて、自分の名前こそそれに与えられるべきだ、と言いはった。 
クーラとユピテルとが名前のことで争っている間に、大地(テルス)もまた立ちあがって、
 自分の身体の一部をその像に提供したからには、自分の名前がそれにつけられるべきだと望んだ。
 彼らはサトゥルヌス〔時間〕に裁きをあおぎ、彼はもっともだと思える次のような裁きをくだした。
 「なんじユピテルよ、なんじは精神を与えたゆえ、この像が死ぬときは精神を受け取り、 
なんじテルスよ、なんじは身体を授けたゆえ身体を受け取るべし。 
だが、クーラはこのものを最初に作りあげたゆえ、それが生きている間は、クーラがそれを所有するがよい。
ところが、その名前についてなんじらが争っている以上、 
それは明らかにフームス(地)から作られているのだから、ホモ〔人間〕と名づけるがよかろう」。


《「クーラ」の「二重の意味」が指しているのは、被投された企投というその本質上の二重構造をとる一つの根本機構なのである。》


iTunes でブックをチェック:
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存在と時間II

ハイデガー, 原佑 & 渡邊二郎
哲学/思想, ブック, ノンフィクション, 小説/文学
2003年5月10日
存在論は古代中世以来、ヨーロッパ哲学の根本課題であった。ハイデガーはこの伝統を新たに取り上げ直し、存在の根底を見つめ、生存の基底を直視し、実存の深みを見定めようとする。

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日曜日, 6月 15, 2014

プルードンとユダヤ人


NAMs出版プロジェクト: プルードンとユダヤ人

http://nam-students.blogspot.jp/2014/06/blog-post_15.html:本頁

プルードンがナポレオン三世と会談した際、次のような会話があったと言われている。 

ナポレオン三世「いったい君はどのような社会を望んでいるのかね?」 
プルードン「私は私が保守主義者としてギロチンにかけられる社会を夢見ています」 
(『コンミューンの炬火 −ブランキとプルードン− 』S.モリニエ他  現代思潮社より) 

プルードンは「ユダヤ人」という著作の構想を持っていたようだが、 
内容はよくわからない。マルクスに応答したものであったと推測される。
ただ、プルードンにとって当時のライバルはナポレオン三世であってマル
クスではないし、当時のオートバンクと呼ばれる個人金融業者 内において
ユダヤ資本がどの程度占めていたかは不明。 
公式に開示された範囲でプルードンのユダヤ人観、というよりそのユダヤ
教観を紹介するなら、それは以下のようなものであった。


「ユダヤの立法者の目的が,第7日目の礼拝に関するかぎり,4重 
であるということ,すなわち同時に市民的,家庭的,道徳的かつ衛生を考 
慮したものであるこの目的は,したがって,国民の創立者の思想が包括す 
ることのできるもっとも広大でもっと普遍的なものであるということをわ 
たくしが確証することに首尾よく成功するならば,…‥わたくしは課題 
のすべての条件を満足させることになると信ずる。そしてモーゼの諸制度 
の崇高さを示すことによってわたくしはわたくしの検討する問題の深みに 
達するであろう。」(懸賞論文『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.37) 16頁

「宗教は…理性に話しかけることをやめてしまった。…そのことで宗教を 
責めようとは思わない…宗教は新しい事態に順応しまたはそれと調和する 
時をいまだもっていない。」(『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.47) 20頁

「イスラエル人たちは……住所を変えること,過度に裕福にな 
ったり破産したりすることはできなかった。その理由を発見するのは容易 
である。かれらのあいだでは,少なくとも相続財産分配の不安定性や思わ 
ぬ出来事が許す範囲で,不動産は平等であった。家族の財産が他の家族 
の手に移るのを禁止する法律もあった。……初めから土地は平等な分配に 
従わされていた。…」(『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.54) 26頁
(以上、「初期プルードンにおける経済学的諸命題について」(後藤修三) 
「中京商学論叢」vol.14.3.1967年より孫引き) 

プルードンはユダヤ教の戒律における平等主義を自らの集合力(『資本論』 
の用語では「結合労働力」)理論の根拠とすることで、その言論活動を開始 
したことになる。 

追記: 
オートバンクに関しては、 
「フランスにおける企業金融:19世紀後半から第一次大戦まで」佐藤, 朋子 
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31238/1/22%281%29_P103-139.pdf

プルードンのジェンダー観については以下、

http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
(6)プルードンは性差のアンチノミーにもこだわる。彼は男女の異質性と相補性の意義を強調し、価値の一元化を拒否したのだが、彼の考え方は当時のフェミニストからも激しく批判された。なるほど、彼が性別役割分業の固定化を承認するような言い回しをしていることに問題があるけれども、彼の真意は多様性に対する寛容の呼びかけであった。

(3)「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」(『正義論』第二巻、155頁)。

 

 プルードンの日記に、以下の記述があった、ということらしい。 

 http://www.marxists.org/reference/subject/economics/proudhon/1847/jews.htm 

  

 訳すと、 

 1847 年 12 月 26 日: ユダヤ人ども。この民族について一言書いておくこと、こいつらは他者と交わることなく何にでも首を 

 突っ込んできては一切をその毒で犯す、と。フランス女性と結婚した奴以外はフランスから駆逐すべき。シナゴーグは廃止 

 させ、一切の職業から放逐すべき。いずれはこの宗教そのものを撲滅すべき。キリスト教徒がこいつらを神殺しと非難する 

 のも自業自得だ。ユダヤ人こそは人類の敵である。中東に追い返すか、さもなくば根絶やしに。殺戮でも焼き討ちでも追放 

 でもいいから、とにかくユダヤ人はいなくなれ。 

Pierre Joseph Proudhon 1847

On the Jews


Source: Carnets de P.J. Proudhon. Paris, M. Rivière, 1960;
Translated: for marxists.org by Mitchell Abidor.

Translator’s note: Though some twentieth century writers have maintained that Proudhon was not an anti-Semite, we find in his notebooks proof of the contrary. In this selection from his notebooks Proudhon’s anti-Semitism goes far beyond that of Marx at approximately the same time, calling not for the end of what Jews represent, i.e., capitalism, but of the Jews as a people. Proudhon’s privately expressed thoughts were elaborated on in the same year as this entry by his follower Alphonse Toussenel in his “Les Juifs, Rois de l’Epoque,” The Jews, Kings of the Era. After reading the passage translated here it can come as no surprise that the founder of the royalist group Action Française, the Jew-hater Charles Maurras, drew inspiration from Proudhon.


December 26, 1847: Jews. Write an article against this race that poisons everything by sticking its nose into everything without ever mixing with any other people. Demand its expulsion from France with the exception of those individuals married to French women. Abolish synagogues and not admit them to any employment. Finally, pursue the abolition of this religion. It’s not without cause that the Christians called them deicide. The Jew is the enemy of humankind. They must be sent back to Asia or be exterminated. By steel or by fire or by expulsion the Jew must disappear.

  

 英語版 Wikipedia でも言及されてる。 

 http://en.wikipedia.org/wiki/Proudhon#Anti-semitism_and_sexism  *


プルードンにとってあらゆるネーションが呪詛の対象だった。 

「ひとはいう,ローマはイタリア人たちのものだ,と。わたくしは答える,ちょうど 
ナポリがナポリ人たちのものでありパリがパリ人たちのものであるように 
ローマはローマ人たちのものだ,イタリア人たちというのは,フランス人 
たちと同様に,1つの抽象(une abstraction)であって,真実なのは 
フランスという国をもつ政治的一大集団(une grande agglomération 
politique)が現時点に存在しているということである,しかしそうかとい 
ってこの事実はアルプスのむこう側にその集団の対応物〔統一イタリア〕 
を作り出すための理由では全然ない,まったく反対である,と。」 
(「イタリアにおける連邦と統一(3)」後藤修三「中京商学論叢」通巻第43号1967年 105頁)


He was not consistently libertarian in his ideas, tactics and language. His personal bigotries are disgusting and few modern anarchists would tolerate them – Namely, racism and sexism. He made some bad decisions and occasionally ranted in his private notebooks (where the worst of his anti-Semitism was expressed). While he did place his defence of the patriarchal family at the core of his ideas, they are in direct contradiction to his own libertarian and egalitarian ideas. In terms of racism, he sometimes reflected the less-than-enlightened assumptions and prejudices of the nineteenth century. While this does appear in his public work, such outbursts are both rare and asides (usually an extremely infrequent passing anti-Semitic remark or caricature). In short, "racism was never the basis of Proudhon's political thinking" (Gemie, 200-1) and "anti-Semitism formed no part of Proudhon's revolutionary programme." (Robert Graham, "Introduction", General Idea of the Revolution, xxxvi) To quote Proudhon: "There will no longer be nationality, no longer fatherland, in the political sense of the words: they will mean only places of birth. Man, of whatever race or colour he may be, is an inhabitant of the universe; citizenship is everywhere an acquired right." (General Idea of the Revolution, 283)

—Iain McKay, "Property Is Theft! A Pierre-Joseph Proudhon Anthology. AK Press UK – Edinburgh, 2011" p. 36


「もはや、政治的意味にかける国籍や祖国は存在せず、ただ出生の土地があるだけとなる。人間は、どんな人種に属し、
どんな皮膚の色をしていようと、現実に、この普遍的世界の土着の住民であり、彼はどこででも市民権を手に入れ
る。自治体がその区域の境界内で国を代表し、その権限を行使するのと同じく、地球上の各国民はそれぞれ人類を
代表し、自然がこの国民に割り当てた境界内で、人類を代表して活動する。外交も、会談もなしに、諸国民のあい
だでは調和が支配する。以後、何ものもこの調和を乱すことはできないであろう。」
(プルードン『十九世紀における革命の一般理念』第七研究,原著1851年、邦訳三一書房303頁)


金曜日, 6月 13, 2014

アダム・スミス Smith, Adam『国富論』(v+mのドグマへの反論)

              (経済学マルクスリンク::::::::::

アダム・スミス Smith, Adam『国富論』
http://nam-students.blogspot.jp/2014/06/smith-adam.html(本頁)
NAMs出版プロジェクト: NHK欲望の資本主義:関連
http://nam-students.blogspot.jp/2017/04/nhk.html  

丸山俊一 & NHK「欲望の資本主義」制作班「欲望の資本主義―ルールが変わる時」
https://itun.es/jp/66taib.l


アダム・スミス(Adam Smith、1723年6月5日(洗礼日) - 1790年7月17日)は、イギリスグレートブリテン王国)の経済学者神学者哲学者である。スコットランド生まれ。1750年頃、後に友人となる哲学者ヒュームと出会う。主著は1759年発表のグラスゴー大学での講義録『道徳情操論』(または『道徳感情論』The Theory of Moral Sentiments)、1776年刊行の『国富論』(または『諸国民の富』とも。原題『諸国民の富の性質と原因の研究』An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)。「経済学の父」と呼ばれる。

国富論4:2に出てくる「見えざる手」はパレート最適を先取りしている。

《…かれはこのばあいに、他のおおくのばあいと同様に、みえない手にみちびかれて、かれの意図のどこにもなかったひとつの目的を、促進するようになるのである。》国富論4:2

見えざる手(みえざるて、英: an invisible hand)とは、アダム・スミスの『国富論』の第4 編第2章に現れる言葉である。 ... 最後の最終戦争には、信徒は神の見えざる手により 救済され、天国へ行くことができる」などの教えから来る物 ... 

神の見えざる手(カミノミエザルテ)とは
kotobank.jp/word/神の見えざる手-466561 デジタル大辞泉 - 神の見えざる手の用語解説 - 市場において、各個人の利己的な行動 の集積が社会全体の利益をもたらすという調整機能。アダム=スミスが「国富論」で提唱 した。見えざる手。→市場原理[補説]神の見えざる手(invisible hand of God) ...

NAMs出版プロジェクト: パレート最適:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_82.html


以下本題、

中村賢一郎『経済学説研究』(118~120頁)によると、スミスはv+mのドグマに陥っていないとのことである。

《「労働の年生産物全体は,結局その住民の消費を充足すべく,また収入
獲得のために予定されたものであるにせよ,それが最初に土地か生産的労
働者の手のいずれかに由来するばあいには,自然にそれ自体は二つの部分
に分割される。その一つが資本の回収,つまりすでに資本のなかからひき
あげられた食料品や材料などの半製品や完成品を更新するために予定され
たものであり,他の部分はこの資本の所有者の資財の利潤としての収入
が,他の人の土地の地代としての収入のいずれかを構成するために予定さ
れたものなのである 」[ スミス 1776,『諸国民の富』(国富論)岩波文庫(2) 340-1 頁]。2:3★

このように、スミスはある意味でドグマに陥ってはいない。…

…売上金額の国民所得への解消(V+Mのドグマ)からいえることは、スミス
が国民所得の「付加価値集計方法」(value added method)の先駆的発見者であ
るということ、さらに所得集計上の「重複計算の除去」(eliminathon of multiple
counting)を指摘した先駆者として高く評価されるべきことである。》



:(同119頁)

不変資本と可動資本c+v、(v+mのドグマからの離脱):

《大製造業の生産物のうち、つねに最大のものである一部分は、そのしごとの企業者の資本を回収し、他の部分は、

かれの利潤を支はらって、この資本の所有者にたいする収入を、形づくる…》国富論2:3




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『国富論』 
Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations
20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫



Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫 5.ed

<目次>
・凡例
・第三版の読者に
・第四版の読者に
・序文および本書の構想
第一編 労働の生産力の改良、および労働の生産物が国民ののさまざまな階層のあいだに自然に分配される順序について
 第一章 分業について
 第二章 分業を生む原理について
 第三章 分業は市場の広さによって制限されるということ
 第四章 貨弊の起源と使用について
 第五章 商品の実質価格と名目価格について、すなわちその労働価格と貨弊価格について
 第六章 商品の価格の構成部分について
 第七章 商品の自然価格と市場価格について
 第八章 労働の賃金について
 第九章 貯えの利潤について
 第一〇章 労働と貯えのさまざまな用途における賃金と利潤について
  第一節 職業の性質自体から生じる不平等 A
  第二節 ヨーロッパの政策によって引き起こされる不平等
 第一一章 地代について
  第一節 つねに地代を提供する土地生産物について
  第二節 地代をときには提供し、ときには提供しない土地生産物について
  第三節 つねに地代を提供する種類の生産物と、ときによって地代を提供したりしなかったりする種類の生産物との、それぞれの価値のあいだの割合の変動について

   過去四世紀間の銀の価値の変動についての余論
    第一期
    第二期
    第三期
     金銀の比価の変動
     銀の価値は依然として減少しつづけているという疑念の根拠
     改良の進行が三つのことなる種類の原生産物に及ぼすさまざまな効果
      第一の種類
      第二の種類
      第三の種類
     銀の価値の変動にかんする余論の結論
     改良の進行が製造品の実質価格に及ぼす影響
  本章の結論

第二編 貯えの性質と蓄積と用途について
  序論
 第一章 貯えの分類について
 第二章 社会の貯え全体の一特定部門と考えられる貨幣について、すなわち国民資本の維持費について B
 第三章 資本の蓄積について、あるいは生産的労働と不生産的労働について★

 第四章 利子つきで貸しつけられる貯えについて
 第五章 資本のさまざまな使用について

第三篇 さまざまな国民における富裕の進歩のちがいについて
 第一章 富裕の自然的進歩について
 第二章 ローマ帝国没落後のヨーロッパの旧状での農業の阻害について
 第三章 ローマ帝国没落後の諸都市の発生と発達について
 第四章 都市の商業はどのようにして農村の改良に寄与したか

第四編 政治経済学の諸体系について
  序論
 第一章 商業的あるいは商人の体系の原理について
 第二章 国内で生産できる品物の外国からの輸入にたいする制限について C

 第三章 貿易差額が不利と想定される諸国からの、ほとんどすべての種類の品物の輸入にたいする特別の制限について
  第一節 商業主義の原理からみてさえそれらの制限が不合理であることについて預金銀行、とくにアムステルダムの預金銀行にかんする余論
  第二節 他の諸原理からみてもそれらの特別の制限が不合理であることについて
 第四章 戻し税について
 第五章 奨励金について
   穀物貿易と穀物法にかんする余論
 第六章 通商条約について
 第七章 植民地について
  第一節 新植民地建設の動機について
  第二節 新植民地の繁栄の諸原因
  第三節 アメリカの発見と、喜望峰経由の東インド航路の発見から、ヨーロッパが引き出した利益について
 第八章 重商主義についての結論
 第九章 農業主義について、すなわち、土地の生産物がすべての国の収入と富の唯一または主要な源泉だとする政治経済学の諸体系について

第五編 主権者または国家の収入について
 第一章 主権者または国家の経費について
  第一節 防衛費について
  第二節 司法費について
  第三節 公共事業と公共施設の経費について
   第一項 社会の商業を助長するための公共事業と公共施設について
    そして第一に、商業一般の助長に必要な公共事業と公共施設について
    商業の特定部門を助長するのに必要な公共事業と公共施設について
   第二項 青少年教育のための施設の経費について
   第三項 あらゆる年齢の人びとの教化のための施設の経費について
  第四節 主権者の尊厳を保つための経費について
  本章の結論
 第二章 社会の一般収入あるいは公収入の源泉について
  第一節 主権者または共同社会の専属でありうる原資すなわち源泉について
  第二節 租税について
   第一項 賃料にたいする税、地代にたいする税
    地代にではなく土地の生産物に比例する税
    家賃にたいする税
   第二項 利潤、すなわち貯えから生じる収入にたいする税
    特定の職業の利潤にたいする税
    第一項と第二項への付録。土地、家屋、および貯えの基本価値にたいする税
   第三項 労働賃金にたいする税
   第四項 すべての種類の収入に無差別にかかることを目的とする税
    人頭税
    消費財にたいする税
 第三章 公債について

・解説(水田 洋)
・索引(引照文献/人名・地名・国名/事項)


Smith: Wealth of Nations | Library of Economics and Liberty 1776

http://www.econlib.org/library/Smith/smWN.html
TABLE OF CONTENTS
Cover
Table of Contents
Preface, by Edwin Cannan
Editor's Introduction, by Edwin Cannan
Volume I
Introduction and Plan of the Work
Book I: Of the Causes of Improvement...
I.1. Of the Division of Labor
I.2. Of the Principle which gives Occasion to the Division of Labour
I.3. That the Division of Labour is Limited by the Extent of the Market
I.4. Of the Origin and Use of Money
I.5. Of the Real and Nominal Price of Commodities, or of their Price in Labour, and their Price in Money
I.6. Of the Component Parts of the Price of Commodities
I.7. Of the Natural and Market Price of Commodities
I.8. Of the Wages of Labour
I.9. Of the Profits of Stock
I.10. Of Wages and Profit in the Different Employments of Labour and Stock
I.11. Of the Rent of Land 
Tables for I.11.
Book II: Of the Nature, Accumulation, and Employment of Stock
II. Introduction
II.1. Of the Division of Stock
II.2. Of Money Considered as a particular Branch of the General Stock of the Society...
II.3. Of the Accumulation of Capital, or of Productive and Unproductive Labour
II.4. Of Stock Lent at Interest
II.5. Of the Different Employment of Capitals
Book III: Of the different Progress of Opulence in different Nations
III.1. Of the Natural Progress of Opulence
III.2. Of the Discouragement of Agriculture in the Ancient State of Europe after the Fall of the Roman Empire
III.3. Of the Rise and Progress of Cities and Towns, after the Fall of the Roman Empire
III.4. How the Commerce of the Towns Contributed to the Improvement of the Country
Book IV: Of Systems of political Œconomy
IV. Introduction
IV.1. Of the Principle of the Commercial or Mercantile System
IV.2. Of Restraints upon the Importation from Foreign Countries of such Goods as can be Produced at Home
IV.3. Of the extraordinary Restraints upon the Importation of Goods of almost all Kinds, from those Countries with which the Balance is supposed to be Disadvantageous
Volume II
IV.4. Of Drawbacks
IV.5. Of Bounties
IV.6. Of Treaties of Commerce
IV.7. Of Colonies
IV.8. Conclusion of the Mercantile System
IV.9. Of the Agricultural Systems, or of those Systems of Political Œconomy, which Represent the Produce of Land, as either the Sole or the Principal, Source of the Revenue and Wealth of Every Country
Book V: Of the Revenue of the Sovereign or Commonwealth
V.1. Of the Expences of the Sovereign or Commonwealth
V.2. Of the Sources of the General or Public Revenue of the Society
V.3. Of Public Debts
Appendix
Footnotes (Book I, Ch. I-IX)
Footnotes (Book I, Ch. X-XI)
Footnotes (Books II-III)
Footnotes (Book IV)
Footnotes (Book V)
About the Book and Author
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____


1:3

「分業は市場の広さによって制限されるということ」スティグラーはこの章題を借りて論文を書いている。


The Division of Labor is Limited by the Extent of the Market George J. Stigler The Journal of Political Economy, Vol. 59, No. 3. (Jun., 1951), pp. 185-193.

http://www.sfu.ca/~allen/stigler.pdf


ジョージ・スティグラー - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%

83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC



____

追加:

1:6

機会費用

"If among a nation of hunters, for example, it usually costs twice the labour to kill a beaver which it does to kill a deer, one beaver should naturally exchange for or be worth two deer. It is natural that what is usually the produce of two days or two hours labour, should be worth double of what is usually the produce of one day's or one hour's labour." 

(A. Smith , 1776: p.65).

1:6

もし、たとえば狩猟者の国民のなかで、海狸一頭をころすのに、一頭の鹿をころす労働の二倍が、通常かかるとすると、とうぜん、一頭の海狸は二頭の鹿と交換される、すなわちそれだけのねうちがあることになるであろう。通常二日または二時間の労働の生産物であるものが、通常一日または一時間の労働の生産物であるものの、二倍のねうちをもつのはとうぜんである。

機会費用:フリードリヒ・フォン・ヴィーザー(Friedrich von Wieser)1914

http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/friedrich-von-wieser.html


1:6

労働価値説

《価格のさまざまな構成部分のすべての、実質価値は、このようにして、それらがそれぞれ購買または支配しうる、労働の量によってはかられる。》1.ed河出より

《価格のさまざまな構成部分のすべての、実質価値は、それらがそれぞれ購買または支配しうる労働の量によってはかられる、ということに注意すべきである。》2.ed河出より


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行動経済学:A


アダム ・スミスは 『国富論 』 (1776年 )の中で 、リスクや不確実性が人間の経済行動に及ぼす影響に言及しており 、 「だれもが利得の機会を多少とも過大評価し 、またたいていの人は損失の機会を多少とも過小評価する 」 (岩波書店版 190頁 )という合理性に反する心理的要因の重要性を指摘していた 。 


《大部分の人々が自分たちの能力について有する過大な自負心は、あらゆる時代の哲学者と道徳家がのべている古来の悪徳である。かれら自身の好運についての、ばかげた推定は、前者よりも注意されることがすくなかった。しかしながらそれは、おそらく、もっと普遍的である。いきている人間で、一応の健康と活気をもっているときに、それをいくらかでももたぬものは、ないのである。もうけの機会は、各人によって、おおかれすくなかれ過大評価されるのであり、損失の機会は、たいていの人によって過小評価され、そして、一応の健康と活気をもつ人ならだれでも、その値うち以上に評価することはめったにないのである。》
(国富論、1:10:1、河出上95頁)

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1:11:2

食物にたいする欲求は、各人において、人間の胃のせまい能力によって制限されているが…

“The demand for food is limited by the capacity of a man's stomach."

限界効用の考え方

フィッシャー1892で引用。邦訳30頁。



参考:

NAMs出版プロジェクト: 水とダイヤモンド
http://nam-students.blogspot.jp/2015/06/blog-post_2.html

マーシャル, Alfred Marshall:メモ(付『経済学原理』目次)

http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/alfred-marshall.html


水とダイヤモンドのパラドックス
http://para.zashiki.com/water-diamond/water-diamond.html
商品の価格を決定するのは限界効用

これまでは、水とダイヤモンドのパラドックスは使用価値によって交換価値を生み出す、つまり実用性が高いほど価格が高いという前提で議論されていました。しかし、この前提を否定して、交換価値を決定するのはモノの希少性と商品を一単位追加するときに得られる満足度(限界効用)であるとした人たちがいました。その中心人物が、ジェボンズ、メンガー、ワルラスの三人です。1870年代に三人はほとんど同時期にこの概念を提唱しており、この概念は限界革命と呼ばれます。

「一般的な水」と「具体的な水」は区別しなくてはならない


下記の問いに自身で答えていたのだ…
《水ほど有用なものはないけれども、それはほとんどなにも購買しないだろう。どんなものも、それと交換に手にいれることは、ほとんどできないのである。その反対に、ダイアモンドは、ほとんどなんの使用価値ももたないけれども、非常に大量の他の財貨が、しばしば、それと交換にえられるであろう。》(スミス国富論1:4)

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量子経済学2:2

ベルナール・シュミットBernard Schmitt (1929–2014),
量子経済学Quantum Economics

《もしわれわれが、ある特定の貨幣額によって、それを構成する金属片の額をあらわそうとするだけでなく、それと交換に入手しうる財貨へのあいまいな言及を、その意味のなかにふくめようとするならば、このばあいにそれが表示する富または収入は、同一のことばによってこのようにいくらかあいまいに暗示されている二つの価値のうちの、ひとつだけにひとしいのであって、前者よりも後者に、すなわち貨幣よりも貨幣の値うちに、ひとしいのであって、前者よりも後者に、すなわち貨幣よりも貨幣の値うちに、ひとしいという方が適切なのである。》スミス国富論2:2


《かれらすべてをいっしょにしたものの全収入は、あきらかに、その貨幣とその消費財との双方にではなく、それらふたつの価値のうちの一方か他方だけに、ひとしいのであって、そして前者にというより後者にひとしいという方がてきとうなのである。》


《したがって、われわれはしばしばある人の収入を、かれに年々支はらわれる金属片で表現するけれども、それは、それらの金属片の額が、かれの購買力の規模、すなわちかれが年年消費することができる財貨の価値を、規制するからなのである。それでもなおわれわれは、かれの収入を、この購買力または消費力にあるものとみなすのであって、それをもたらすその金属片にあるとはみなさない。》

国富論2:2


When, by any particular sum of money, we mean not only to express the amount of the metal pieces of which it is composed, but to include in its signification some obscure reference to the goods which can be had in exchange for them, the wealth or revenue which it in this case denotes is equal only to one of the two values which are thus intimated somewhat ambiguously by the same word, and to the latter more properly than to the former, to money’s worth more properly than to the money[1]


NAMs出版プロジェクト: Quantum economics - Wikipedia (量子経済学,ベルナール・シュミット)

http://nam-students.blogspot.jp/2016/11/quantum-economics-wikipedia.html



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FTPL:B

新フィッシャー主義とFTPL - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20170109/EconReporter_Cochrane_interview
インタビュアー
サージェントはこの理論を30年以上前に開発しましたが、主流派にこれまで採用されてこなかったのはなぜでしょうか? 何が最近変わったのでしょうか?
コクラン
実際のところ、FTPLはもっとずっと以前に遡ります。アダム・スミスは次のような素晴らしい言葉を残しています:
税のうち一定割合はある種の紙幣で支払わなければならない、と布告した王子は、それによってその紙幣に一定の価値を与えているのである。(国富論、第2冊)

“A prince who should enact that a certain proportion of his taxes should be paid in a paper money of a certain kind might thereby give a certain value to this paper money.” (Wealth of Nations, Book II)
 
ということで、基本的な考えはアダム・スミスにあったのです。
すべての貨幣経済学における謎は、「この紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命に働くのか?」というものです。考えてみれば、それは本当に謎です。あなたも私も一日中額に汗して働き、家に何を持ち帰るのでしょうか? 死んだ大統領の絵が印刷された幾枚かの紙切れです。この小さな紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命に働くのでしょうか? 誰かがそれを受け取ると知っているからです。しかしなぜその誰かはそれを受け取るのでしょうか? これが経済学の謎です。
FTPLはこの謎に根本的な回答を与えます。その理由というのは、米国では毎年4月15日に税金を払わなければならないからです。そして納税は、まさにその政府貨幣によって行わねばなりません。かつては羊や山羊で納税していた時代もありましたが、今は受け取ってもらえません。彼らは紙幣を取り戻したがっています。ということで、根本的には、貨幣の価値は、政府がそれを税金として受け取ることから生じているのです。
サージェントの研究はそのことを示す上で極めて素晴らしいものでした。しかしミルトン・フリードマンも、金融政策と財政政策の協調について有名な論文を書いています。ということで、ある意味においては、この理論は昔から存在していたのです。問題は、どの程度重きを置くか、ということに過ぎなかったわけです。


Cochrane, John H. (1998) “A Frictionless View of US Ination.” In Ben S. Bernanke and Julio J. Rotemberg. eds. NBER Macroeconomics Annual 1998. Cambridge, MA US: MIT Press. pp. 323–334. 

Sargent & Wallace (1981)
Some Unpleasant Monetarist Arithmetic Thomas Sargent,Neil Wallace (1981)
https://www.minneapolisfed.org/research/qr/qr531.pdf


《ある君主が、かれの税の一定部分は一定の種類の紙幣で支はらわれなければならないという、法令をだすとすれば、かれはそうすることによって、この紙幣に一定の価値をあたえうるであろう。》
アダム・スミス『国富論』2:2最終部
世界の大思想上
参考:
ミルトン・フリードマン  資本主義と自由  Milton Friedman Capitalism and freedom 1962 
http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/milton-friedman-capitalism-and-freedom.html
「ヘリコプター・マネー」は、米経済学者のミルトン・ フリードマン氏が、1969年の論文(”TheOptimum Quality of Money”)ch.1のなかで提唱された。
1992年MONEY MISCHIEF 『貨幣の悪戯』(1993・三田出版会)2章で再説。

M.フリードマン著『最適通貨量』単著
昭和45年1月 世界経済 161号(p40~p45) 要約のみ
Milton Friedman;The Optimum Quantity of Money And other Essays. 1969.

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不変資本と可動資本(v+mのドグマの回避):

《大製造業の生産物のうち、つねに最大のものである一部分は、そのしごとの企業者の資本を回収し、他の部分は、

かれの利潤を支はらって、この資本の所有者にたいする収入を、形づくる…》国富論2:3


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比較優位:C


《アダム・スミスの『国富論』(1776, Book IV, Chap.2)には、次のような有名な叙述がある。「もし外国が、我々自身が生産するよりも安い価格で商品を提供してくれるならば、我々が生産方法で優位性をもつ自国産業の産物の一部と引き替えにその商品を購入するのが得になる」。スミスの主張は簡単な原理に基づいている。富を増やすためには最も生産的な分野、すなわち最も低い費用で、最も多くの生産物を生み出す分野で、生産活動を行うべきである。これは比較優位の原理と呼ばれている。》

移民の経済学#2



《もしある外国がわれわれにある商品を、われわれが自分でそれをつくることができるよりもやすく、供給しうるならば、われわれがある利点をもっているやりかたで使用された、われわれ自身の勤労の、生産物のある部分をもって、かれらからそれをかう方がいい。》


国富論4:2 世界の大思想版


「見えざる」と同じ章にある。



リカードは相互的視点を加えた点が新しい。



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機会費用1:6(追加)
労働価値説1:6
行動経済学 1:10:1
限界効用1:11:2
量子経済学2:2
ftpl 2:2
比較優位4:2

これらすべて
がアダムスミス起源と言える


NAMs出版プロジェクト: NHK欲望の資本主義:関連
http://nam-students.blogspot.jp/2017/04/nhk.html

:トーマス・セドラチェク

参考:
1759年:道徳感情論The Theory of Moral Sentiments(冒頭)

第一篇 適合性という感覚について   

第一章 共感(シンパシー)について  

1 いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力(プリンシプル)が含まれている。



1:1:1
いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力(プリンシプル)が含まれている。人間がそれから受け取るものは、それを眺めることによって得られる喜びの他に何もない。哀れみや同情がこの種のもので、他人の苦悩を目の当たりにし、事態をくっきりと認識したときに感じる情動(エモーション)に他ならない。》

☆☆
《これとは反対に、秩序体系を奉じる人間(マンオブシステム)は、自分自身がとても賢明であるとうぬぼれることが多く、統治に関する彼独自の理想的な計画がもっている想像上の美しさに心を奪われることがしばしばあるため、どの部分であろうとおかまいなく、それからのごくわずかな逸脱にも我慢できない。彼は、最大の利益とか、それと矛盾しかねない最大の偏見についてはまったく考慮せず、理想的な計画を、完全にしかも事細かに規定しつづける。
彼は、まるで競技者がチェス盤のうえでさまざまな駒を配列するかのように、大きな社会のさまざまな構成員を管理できる、と想像しているように思われる。チェス盤の上の駒は、競技者がそれぞれに付与するもの以外に動き方の原則(プリンシプル)をもたないが、人間社会という大きなチェス盤の場合、それぞれの駒のすべてが、それ自身の動き方の原則──立法府が個人に付与するように決めかねないものとは、まったく異なる──をもっているなどと、彼は考えてもみないのである。もしこの二つの原則が、一致して同一方向に作用するとすれば、人間社会というゲームは、円滑に調和を保って進行するだろうし、幸福な繁栄も大いに確実なことであろう。もし両者が逆だったり、違っていたりしたら、そのゲームは悲惨なうちに進行し、社会は、つねにこれ以上ない混乱状態に陥るはずである。》

アダム・スミス『道徳感情論』講談社学術文庫
6:2:2
ハイエクがよく引用したという
間宮陽介74頁
スミスは、百科全書家を想定している


http://blog.livedoor.jp/ppdwy632/archives/2013-08-19.html
「道徳感情論  The Theory of Moral Sentiments (講談社学術文庫2176)」アダム・スミス、高哲男 訳


≪目次: ≫ 
訳者まえがき (二〇一三年四月  高 哲男) 
お知らせ 
凡例 

アダム・スミス
道徳感情論

第一部 行為の適合性(プロプライエティ)について 〔三篇構成〕 
第二部 功績(メリット)と欠陥(デメリット)について、すなわち、報奨と罰の対象について 〔三篇構成〕 
第三部 我々自身の感情と行為に関する我々の判断の基礎、および義務感について 
第四部 是認という感情に対して効用がもつ効果について 〔一篇構成〕 
第五部 道徳的な是認や否認という感情に対する慣習や流行の影響について 〔一篇構成〕 
第六部 美徳(ヴァーチュー)の特徴について 〔三篇構成〕 
第七部 道徳哲学の体系について 〔四篇構成〕 



※翻訳の原典は第六版(1790年)である。第四部までが第一巻、それ以降が第二巻として印刷・発行された。(p9-11、「凡例」) 
The Theory of Moral Sentiments; or, An Essay toward an Analysis of the Principles by which Men naturally judge concerning the Conduct and Character, first of their Neighbours, and afterwards of themselves. To which is added, A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, LL.D. Fellow of the Royal Societies of London and Edinburgh; One of the Commissioners of his Majesty's Customs in Scotland; and formerly Professor of Moral Philosophy in the University of Glasgow. The sixth Edition, with considerable Additions and Corrections. In two Volumes. London: Printed for A. Strahan; and T. Cadell in the Strand; and W. Greech, and J. Bell & Co. at Edinburgh. MDCCXC [1790].

[初版(1759年)] The Theory of Moral Sentiments. By Adam Smith, Professor of Moral Philosophy in the University of Glasgow. London: Printed for A. Millar, in the Strand; And A. Kincaid and J. Bell, in Edinburgh. 1759. 
[第二版(1761年)] The Theory of Moral Sentiments. By Adam Smith, Professor of Moral Philosophy in the University of Glasgow. The Second Edition. London: Printed for A. Millar, in the Strand; And A. Kincaid and J. Bell, in Edinburgh. 1761.
[第三版(1767年)] The Theory of Moral Sentiments. To which is added A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, L.L.D. The Third Edition. London: Printed for A. Millar, A. Kincaid and J. Bell, in Edinburgh; And sold by T. Cadell in the Strand. 1767. 
[第四版(1774年)] The Theory of Moral Sentiments; or, An Essay toward an Analysis of the Principles by which Men naturally judge concerning the Conduct and Character, first of their Neighbours, and afterwards of themselves. To which is added, A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, LL.D. The Fourth Edition. London: Printed for W. Strahan, J. & F. Rivington, W. Johnston, T. Longman; and T. Cadell in the Strand; and W. Greech at Edinburgh. 1774. 
[第五版(1781年)] The Theory of Moral Sentiments; or, An Essay toward an Analysis of the Principles by which Men naturally judge concerning the Conduct and Character, first of their Neighbours, and afterwards of themselves. To which is added, A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, LL.D. The Fifth Edition. London: Printed for W. Strahan, J. and F. Rivington, W. Johnston, T. Longman; and T. Cadell in the Strand; and W. Greech at Edinburgh. 1781. 

≪目次: ≫ 
訳者まえがき (二〇一三年四月  高 哲男) 
お知らせ 
凡例 

第一部 行為の適合性(プロプライエティ)について 〔三篇構成〕 
第一篇 適合性という感覚について 
  第一章 共感(シンパシー)について ☆
  第二章 相互の共感がもつ喜びについて 
  第三章 他人の心的傾向(アフェクション)の適合性や不適合性を、我々のものと一致するかしないかによって判断する方法について 
  第四章 同じ主題の続き 
  第五章 友好的な美徳と尊敬すべき徳について 
第二篇 適合性と両立するさまざまな激情(パッション)の程度について 
  序論 
  第一章 身体に起源をもつ激情について 
  第二章 想像力の特別な傾向や習慣に由来する激情(パッション)について 
  第三章 非社交的(アンソーシャル)な激情について 
  第四章 社交的な激情について 
  第五章 利己的な激情について 
第三篇 行為の適合性をめぐる人間の判断に及ぼす幸運と不運の影響について――すなわち、後者よりも前者の状態にあるほうが、はるかに人間の是認を得やすくなる理由は何か 
  第一章 悲哀に対する我々の共感は、一般に、喜びに対する共感に較べていちだんと鋭くはあるが、主要な当事者が自然に感じる激しさには、遠く及ばないのが普通だということ 
  第二章 功名心の起源について、すなわち、身分の区分について 
  第三章 富者と高い地位を賞賛する、すなわち、貧しくて卑しい身分の人物を軽蔑し、軽視する我々の習性(ディスポジション)によって引き起こされる道徳感情の腐敗について 

第二部 功績(メリット)と欠陥(デメリット)について、すなわち、報奨と罰の対象について 〔三篇構成〕 
第一篇 功績(メリット)と欠陥(デメリット)という感覚(センス)について 
  序論 
  第一章 感謝にふさわしい対象だと思われるものはすべて報奨に値するということ、したがって同様に、憤りにふさわしい対象だと思われるものはすべて罰に値するということ 
  第二章 謝意と憤りの適切な対象について 
  第三章 恩恵を施す人物の行為が是認されないところでは、それを受け取る人物の謝意に対する共感がほとんど存在しないということ、したがって逆に、災いのもとになる人物の動機が否認されないところでは、災いを被る人物の憤りに対するいかなる共感も存在しないということ 
  第四章 前章までの要約 
  第五章 功績と欠陥という感覚の分析 
第二篇 正義と善行(ベネフィセンス)について 
  第一章 このような二つの徳の比較 
  第二章 正義という感覚、自責の念、および功績という意識について 
  第三章 このような自然(ネイチャー)の成立ちの効用(ユーティリティ)について 
第三篇 運(フォーチュン)が人間の感情に及ぼす影響について――行為の功績と欠陥を中心に 
  序論 
  第一章 運がもつこのような影響の原因について 
  第二章 運がもつこのような影響の程度について 
  第三章 感情のこのような不規則性の究極の原因について 

第三部 我々自身の感情と行為に関する我々の判断の基礎、および義務感について 
  第一章 自己是認と自己否定の原理について 
  第二章 賞賛への愛について、および賞賛に値するものへの愛について、さらには、非難に対する不安について、および非難に値するものへの不安について 
  第三章 良心の影響力(インフルエンス)と支配力(オーソリティー)について 
  第四章 自己欺瞞(セルフ・ディシート)の性質、および一般規則の起源と用途について 
  第五章 道徳性の一般規則がもつ影響と権威について、および、それが正しく絶対者(ディティ)の法と見なされるということ 
  第六章 義務感が我々の行為の唯一の原動力であるのが当然であるのはどのような場合で、また、他の動機といっしょになるのが当然であるのはどのような場合か 

第四部 是認という感情に対して効用がもつ効果について 〔一篇構成〕 
  第一章 効用という心象(アピアランス)があらゆる技芸の生産物に与える美しさについて、および、この種の美がもつ広範な影響について 
  第二章 効用という心象が人間の特徴や行為に付与する魅力について、つまり、この魅力を知覚することが、どの程度まで是認の本源的な原動力の一つと見なせるかについて 

第五部 道徳的な是認や否認という感情に対する慣習や流行の影響について 〔一篇構成〕 
  第一章 美醜をめぐる我々の観念に対する慣習や流行(ファッション)の影響について 
  第二章 慣習と流行が道徳感情に及ぼす影響について 

第六部 美徳(ヴァーチュー)の特徴について 〔三篇構成〕 
序論 
第一篇 本人自身の幸福に影響するかぎりでの個人の特徴について、すなわち賢明(プルーデンス)さについて 
第二篇 他人の幸福に影響を及ぼしうるかぎりで見た個人の特徴について 
  序論 
  第一章 個々人(インディヴィデュアルズ)が自然の女神(ネイチャー)によって我々の配慮と思いやりに任せられる際の道理や理法について 
  第二章 そもそも社会が我々の善行(ベネフィセンス)に委ねられる道理(オーダー)について ☆☆
  第三章 万人に共通する思いやり(ビネヴォランス)について 
第三篇 自制心について 
  第六部の結論 

第七部 道徳哲学の体系について 〔四篇構成〕 
第一篇 道徳感情の理論において検討されるべき問題について 
第二篇 徳(ヴァーチュー)の性質について与えられてきたさまざまな説明について 
  序論 
  第一章 徳が適合性にあるという体系について 
  第二章 徳は賢明さにあるとする体系について 
  第三章 徳は思いやり(ビネヴォランス)にあるとする体系について 
  第四章 勝手気ままな体系について 
第三篇 是認の原動力をめぐって形成されてきたさまざまな体系について 
  序論 
  第一章 是認の原動力を自己愛から導きだす体系について 
  第二章 是認の原動力は理性にあるという体系について 
  第三章 是認の原動力は感情であるとする体系について 
第四篇 道徳性に関する実践的規則をさまざまな著者が取り扱った方法について 

附論 言語の最初の形成、および本源的ならびに複合的な言語のさまざまな特質に関する考察
   言語の最初の形成に関する考察 


訳者解説 (二〇一三年四月二二日  高 哲男) 
索引

Smith: Theory of Moral Sentiments, Part I. Of the Propriety of Action | Library of Economics and Liberty

http://www.econlib.org/library/Smith/smMS1.html
Part I

Of the Propriety of Action

Consisting of Three Sections

Section I swash Of the Sense of Propriety

Chap. I swash Of Sympathy

I.I.1

How selfish soever man may be supposed, there are evidently some principles in his nature, which interest him in the fortune of others, and render their happiness necessary to him, though he derives nothing from it except the pleasure of seeing it. Of this kind is pity or compassion, the emotion which we feel for the misery of others, when we either see it, or are made to conceive it in a very lively manner. That we often derive sorrow from the sorrow of others, is a matter of fact too obvious to require any instances to prove it; for this sentiment, like all the other original passions of human nature, is by no means confined to the virtuous and humane, though they perhaps may feel it with the most exquisite sensibility. The greatest ruffian, the most hardened violator of the laws of society, is not altogether without it.


6:

6:2:42

Smith: Theory of Moral Sentiments, Part VI. Of the Character of Virtue | Library of Economics and Liberty

http://www.econlib.org/library/Smith/smMS6.html

The man of system, on the contrary, is apt to be very wise in his own conceit; and is often so enamoured with the supposed beauty of his own ideal plan of government, that he cannot suffer the smallest deviation from any part of it. He goes on to establish it completely and in all its parts, without any regard either to the great interests, or to the strong prejudices which may oppose it. He seems to imagine that he can arrange the different members of a great society with as much ease as the hand arranges the different pieces upon a chess-board. He does not consider that the pieces upon the chess-board have no other principle of motion besides that which the hand impresses upon them; but that, in the great chess-board of human society, every single piece has a principle of motion of its own, altogether different from that which the legislature might chuse to impress upon it. If those two principles coincide and act in the same direction, the game of human society will go on easily and harmoniously, and is very likely to be happy and successful. If they are opposite or different, the game will go on miserably, and the society must be at all times in the highest degree of disorder. 


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リカード理論 「絶対優位」と「比較優位」の誤解 - 高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政治経済 現代社会 

http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-645.html?sp
   


(1)誤解

絶対優位を比較優位と勘違いしている

 誤解とは「絶対優位なものに特化し、交換(輸出)する」です。


 アダムスミス山岡洋一訳『国富論(下)』2007日本経済新聞出版社

 賢明な家長なら、買う方が安くつくものは自分の家で作らないようにするのが当然である。仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。農民は靴も服も自分では作らず、それぞれの職人に注文する。みな、近隣の人たちより、多少とも優位に立っている仕事に専念し、生産物の一部かその対価で、必要とするものを買うのが自分の利益になることを知っている。…自国で生産するより安い価格で外国から買える商品があれば、自国の労働は自国が多少とも優位にある産業に投じ、自国の生産物の一部でその商品を外国から買う方がいい。


 この説明、「比較優位」に見えますね。靴屋は靴屋、仕立て屋は仕立て屋、農民は農民、それぞれ優位にあるものに特化して交換する。

 違います。これは「絶対優位」論です。貿易相手国より安く生産できるものに特化して、互いに交換することが利益をもたらす・・・。
 
この考え方にたつと、以下の思想にまっしぐらです。

 日本は中国に安さでかなわない・・・。日本と中国は、競争をしている・・・。日本は負ける・・・。

 あらゆる分野で生産技術の劣っている国(絶対劣位国)が、優れている国(絶対優位)と貿易をしても、経済的に損害をこうむるのだ。貧しい発展途上国は、日本のような先進国と交換しても、利益はない。

 TPPを巡る論など、典型的ですよね。

 
 この、「絶対優位」に基づく誤解は、「相手国」と「自国」を比べて「優位だ、劣位だ」と言っていることにあります。