水曜日, 10月 28, 2009

プルードンによるクールベ論



以下は岩波新書『クールベ』(坂崎坦著)に付されたプルードン(Pierre Joseph Proudhon,1809年1月15日-1865年1月19日)によるクールベ論である。訳者によるプルードンの著書(『芸術の原理およびその社会的使命について』未邦訳)の要約なのか、プルードン自身のこうした単文があるかは原文が確認できなかった。

参考:
死の床のプルードン
http://nam-students.blogspot.com/2018/07/blog-post_72.html 
courbet
https://vimeo.com/545410989

後記:
1946年「『クールベ』雄山閣によると、原文は坂崎による要約だろうが1863年の展覧会パンフの構想を再現したものだろう
それが1865年に発展的に一冊にまとまった
https://raforum.info/dissertations/spip.php?article142

http://nam-students.blogspot.jp/2018/05/blog-post_81.html

付録・クールベ覚え書



ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet, 1819年6月10日 - 1877年12月31日)

      1 芸術の原理およびその社会的使命について

 美を評価できるのは人間だけで、人間は人間および事物の美醜を認識し、この認識をば新享楽手段、洗練された快楽となすところの、審美眼ないし能力を持っている。これが人間の持つ詩的感性である。ここに美しいもの、怖ろしいもの、崇高なもの、下劣なものに対する敏感な「感覚(サンチマン)」が認められる。そこに人間は「自己評価」ないし「自尊心」の衝動を受ける。対象を再現する「模倣」の能力は、かかる感覚から生ずるのである。以上が、三つの芸術的基礎工作である。これになおつけ加うべきは、実の概念は純粋な精神的内容ではなく、客観的現実を持つものであり、この本質的に客観的な芸術も、非常に個性的、動的、自由なものであり、美の印象は束の間の(瞬間的な)ものであり、したがって美の影像(イマージュ)は、これを観念(理想)の裏切りに対し防衛せねばならない。芸術家の持つ審美的感情は、哲学的精神と反比例する筈である。これらの付言からつぎのことが生ずる。すなわち芸術の発展は、外部(環境)の成長に支配され、純粋に想像的芸術は膠着停滞の外ないであろう。

 これが芸術の根本原理である。芸術の目的は、観念(理想)である。写実主義と理想主義(観念主義)は、ほとんど相容れぬ言葉となった。しかし現実と理想(芸術家にあって)とは分離できない。理想は、概念に相応するもの、これに関連するものである。概念は、心があるものから作る繁殖力ある、特殊的、典型的観念である、物質的なものの抽象である。したがって理想は普遍を意味し、現実を意味するものではない。観察する個人に対立するものであり、よって現実(レエル)の対立を意味する。さらに概念は純粋完全な典型、完全、絶対である。ゆえに理想はわれわれの前に全的対象として現われるところの完全な形式(フォルム)である。しかしこの理想は存在しないから、これをそのまま表現し描写することは不可能である。しからばこの理想は芸術において如何なる役割を果すであろうか?

 自然というものは、その中の諸理想ないし諸典型に基づき特殊な具体化をやっている。芸術家のやることも、ちょうどこの自然の作用と同じである。すなわち芸術家は、われわれに伝えようと欲するところの、自己のある概念(イデ)に基づく影像(イマージュ)を作り上げつつ、自然そのものを継続するのである。かくして芸術は、本質には具体的、特殊的、決定的であること、自然と同じである。芸術はこの特殊的、具体的フォルムのおかげで、美と崇高の感情、完全への愛、理想(イデアル)をばより深く注入(作品へ)することができる。したがって芸術は、「人間の精神的、肉体的完成のための、自然および人生の理想主義的(観念主義的)表現」である。諸主要芸術的表現の検討は、この理論によるこの定義の、正当なことを立証するであろう。

 芸術は、それが正義および科学へ服従させられていた間は非常に栄えた。芸術が、芸術のための芸術であろうと欲した時、芸術は一国民族の衰頼、堕落を開始した。歴史の教えるところがこれである。だからエジプトでは、その起源からして、社会的、政治的、宗教的使命を受入れたのである。而してこうした使命が、他民族による征服のために、他の文化の制覇のために消滅してしまった時、芸術の火も消えてしまった。ギリシャも同様である。芸術が宗教的でなくなった時、預廃(デカダンス)が始まったのである。ルネッサンス時代においても信仰というものが世に存在しなかったために、芸術は結局フォルムに対する偶像崇拝は到達し、したがって芸術の崩壊が来た。そこで宗教改革が起こって、新たな、超自然的な、象徴的な偶像崇拝を挫折せしめた。宗教改革はかかる偶像崇拝を廃止したのであった。かくてそこには庶民、俗人(非宗教的な)のみが残り、こうした俗人の生活の研究が芸術を再び盛んにした。すなわちレンブラントが現われた。レンブラントは絵画におけるルーテルである。フランス革命は審美的方面に関心を持つ暇が無かったゆえに、あらゆるものをひっくりかえそうとした。そして審美学のことは他日に譲ったのである。一時古代が悦ばれた。

 つぎに起こった問題は、ルネッサンス以来古代に啓示された芸術のかわりに、何故フランス芸術というものが無かったのであろうか、ということであった。浪浸主義画家と古典主義画家の争いもこの点に存した。両派はついに和解するところが無かった。これは浪浸主義画家も、古典主義画家に匹敵する誤謬を犯したからである。というのは、古典派は古代のみを崇めたと同様、浪浸派も中世紀のみを認めたので、双方とも現代生活を描くということがデカダンスに陥らないため、芸術にとって甚だ肝要であるということを顧慮しなかったからであった。この不合理を、シュナヴァール氏は年齢によってきまる美的感性の減退に帰しているが、写実主義乃至自然主義派は、こしうた不合理をまったく廃棄してしまおうと考えた。

 そして、こうした主張は如何にして実現せられたか? クールベが人間をあるがままの姿において、単なる諷刺、嘲笑の悦びからでなく、一般教化の目的として、美術的ニュース(報告)として、その人それぞれの意識の地金をそのままに現わして描いたところの、『市場帰りのフラジェーの農夫達』『居ねむる糸つむぎの女』『オルナンの埋葬』『水浴の女連』の諸傑作によって、これは示されたのである。これこそ真の近代芸術の出発点である。すなわち絵画はその時代の表現でなくてはならない、その時代の倫理的役割を果すものでなくてはならないからである。上述の諸作品は、いずれもその主題が、異論なしにこうした時代的であることを証明しているのである。これを倫理的観点から見ればどうであろうか。『市場帰りのフラジューの農夫達』と『居ねむる糸つむぎの女』は、単純で静かで上品なフランシュ・コンテ地方、一般にフランスの、良き農民生活を示したものである。


『オルナンの埋葬』はグロテスクだと非難された、実際グロテスクである。脂肪肥りで変な格好のブルジョア女を措いた『水浴の女達』では、美食家で運動嫌いのこの女の愚劣と利己心は用心している。



クールベの芸術は、諷刺、攻撃、皮肉、風俗画でなく、真実を反映する鏡である、写実主義芸術である。認識し論争し叱責し判別する意味において批評主義的芸術である。理性を補助する、倫理的な、合理的な、推理的な芸術である。観察の芸術であって、単なる霊感の芸術ではない。

 この批評主義芸術理論は、クールベの新作品数点によって肯定せられた。『石割人夫』の画は、貧困への奴隷を示す。賦役とか強制労働とか大衆の労働として、社会の強健分子の各々に課された貧困への奴隷を示すものである。石工たちは、福音書の寓言に値する。それは実践倫理である。『セーヌ河畔の娘達』はこれに対立するもので、帝政時代のエレガントな女たちである。瞑想的で夢見がちな、それでいて倣慢で、姦通、離婚、自殺を平気でやる彼女たちは、いつまでも見ていると怖ろしくなってくる。見ているだけでも、悪事から転向させ得るであろう。

(『石割人夫』は第二次世界大戦のドレスデン爆撃で焼失。)

さらにクールベは、『ヴィーナスとプシュケ』によって、その教化を続ける。この画はこの時代特有の淫蕩と偽善とを現わしたものである。最後に、『僧侶連』ないし『会議の帰途』も、「僧侶に求める厳粛な徳をば、僧侶の中に支持するだけの、宗教的訓練の急激な没落(無力)」を証明するものである。というのは、この画は、単に酩酊しているところを描くために、表現せられたのではなかった。目的はそれよりもはるか彼方に在った。


                (『会議の帰途』の元の絵はカトリック教徒に買い取られて消失。)


 クールベの作品の物語るところは、大体以上の如きものである。もちろんそこにはいくつかの欠点がある。すなわち遠近法や均衡に欠陥がある。黒っぼい配色、それも単一な配色で面白くない。また甚だしい誇張もある。服装のだらしなさがある。ポンチ絵式のところがある。往々残忍なところもある。一体クールベは、思想家であるよりも画家である。彼は、画家の範囲を出なかった。彼の概念はきわめて簡単である。しかし甚だ倣慢であったから、自分ではそれを知ってはいない。こういう留保をやれば、後は写実主義、批評主義派は、人間的、哲学的、解剖的、総合的、デモクラティックで、進歩主義であり、事実存在の理由があるといっていいのである。しかし、写実派はまだ完全に自己意識が足りない。それは理論を欠いている。彼らは純粋の写実派というものは不可能であるということを知る必要がある。写実派は、その観念(理想)が意識に、科学に、真理に法律に従属せしめられるから、同時に観念主義(理想主義)だといえるであろう。のみならず芸術の史的発展において、写実派はほんの一時的にその一発展段階に存在するに過ぎない.新しい情勢が生じ、精神美を肉体的に結合させ、人間の実を、同時にドグマおよび宗教から独立した人間の徳を、創造するであろう。

 クールベは、この史的発展の本質的因子である。そのゆえにクールベに光栄あれ。画家の中では、彼はモリエールを模倣し、すぐれたコメディを絵画に移入させた最初の人であり、まずわれわれのあるがままの婆を描いてわれわれに報告し、われわれを懲戒し、矯正しようと真面目に企てた。つぎに彼は寓話画でわれわれを悦ばせ、絵草紙でへつらうかわりに、われわれの姿を自然のままでなく、情欲および悪徳の現われのままに、これを表現する勇気を持った。
 願わくば、画家たちのクールベを模倣せんことを。ただし彼らの時代、国土、彼らの見解に即して表現すべきである。願わくばその概念を具体化せんとする彼らが、芸術を正義と効用とに結び付けんことを。

 〔この一文は、一八六三年、プルードンがクールベの意見を参考にしつつ執筆したもので、これが公け
 になったのはプルードンが死んだ一八六五年より以後である。〕




追記:


上野の西洋美術館の研究資料センターで、以下のクールベの描いたプルードン像(『1853年のプルードン』、1965年、プチ・パレ)の資料を入手した。
Bulletin du Laboratoire du Musée du Louvre no.4 p.31 MARTINE ECALE: 'A propos du portrait de Proudhon 'より
この絵は改変する前の元のバージョン。完成形では消された夫人の姿が映っている。
(掲載論文では以下のように2つのバージョンが比較されている。↓)

娘の成長具合から見て、1856年の間違いだという指摘もある。
http://oyavinet.exblog.jp/3054127/

その後、プルードン夫人の肖像Portrait de Madame Euphrasie Proudhonは、別途描かれた。


_
画家のアトリエ1855


金曜日, 10月 23, 2009

老子『道徳経』(TaoDeChing - Lao Tze)

老子 道徳経 原文+読み下し文+訳文+英訳(TaoDeChing - Lao Tze)
道経徳経TOP

                 253234
生活131516 /\
処世術243344   /2139       行政29、武器軍事3031@37
処世術47@50(死)、 / 4052        465457(無為)、585962
65__________/__発出論_\________武器軍事(68)、69、(税金7579
    \       /   /\   \      /
学問批判1920(母)、48@______\政治17325360(小魚、聖人)、67(宝)、74
  言語56、知71/\  /    \  /\聖人3@、自然及び天地27(善)、7072@73
    感覚論12@1435    \/  \/
        /\  /\      /\  / \
       /  \/__\____/__\女性(受動性)礼賛、嬰児礼賛10@、非区別28
 8@(善)、6678@ \  /   /    \(無為43)、非区別49、嬰児55
    /_______\___\/___/______\
物理、(無用の用11@\  逆説2@18、  理想状況(61)、64、小国寡民80@
2226、対立3663\   4581@
(柔弱76@)、77     \   /
                 \/
                 2338@4151@

一〇一一一二一三一四一五一六一七一八一九二〇二一二二二三二四二五二六二七二八二九三〇三一三二三三三四三五三六三七三八三九四〇四一四二四三四四四五四六四七四八四九五〇五一五二五三五四五五五六五七五八五九六〇六一六二六三六四六五六六六七六八六九七〇七一七二七三七四七五七六七七七八七九八〇八一TOP


パーソンズ体系における老子『道徳経』
 ____________________________________18、30______
|                       |           |31、53|     |
|                       |9、12、13、19、|57、69|   80|
|                       |20、23、24、44|74、75|     |
|   2、81                |48、50、72、73|_____|_____|
|                       |           |29、36|17、35、46、
|                       |           |54、58|59、60、62、
|                       |           |61、66|67、68、78
|                       |___________|79___|_____|
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|                       | 3、22、27、  |7、8、10、15、 |   
|                       | 41、45、56  |21、28、33、38|
|                       |           |43、47、49、51|   
|                       |           |55、63、64、65|
|                       |           |70、71      |
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| 4、5、11、16、26、40、42、   |                       |
| 76、77                 | 1、6、8、14、25、32、34、37、 |
|                       | 39、52                 |
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道経
體道第一 養身第二 安民第三無源第四虚用第五 成象第六 韜光第七易性第八運夷第九能爲第十 無用第十一 檢欲第十二猒恥第十三 賛玄第十四 顯徳第十五 歸根第十六猒淳風第十七俗薄第十八還淳第十九異俗第二十虚心第二十一益謙第二十二虚無第二十三 苦恩第二十四象元第二十五重徳第二十六巧用第二十七反朴第二十八無爲第二十九 儉武第三十 偃武第三十一聖徳第三十二辯徳第三十三任成第三十四仁徳第三十五微明第三十六 爲政第三十七TOP
 
徳経
論徳第三十八 法本第三十九 去用第四十 同異第四十一道化第四十二偏用第四十三立戒第四十四 洪徳第四十五儉欲第四十六鑒遠第四十七忘知第四十八任徳第四十九貴生第五十 養徳第五十一歸元第五十二 益證第五十三修觀第五十四玄符第五十五 玄徳第五十六淳風第五十七 順化第五十八 守道第五十九 居位第六十謙徳第六十一爲道第六十二 恩始第六十三 守微第六十四淳徳第六十五  後己第六十六 三寳第六十七 配天第六十八玄用第六十九知難第七十知病第七十一愛己第七十二任爲第七十三制惑第七十四 貪損第七十五戒強第七十六天道第七十七任信第七十八任契第七十九 獨立第八十 顯質第八十一 TOP
 

道経

第一章
道可道非常道。名可名非常名。
無名天地之始。有名萬物之母。
故常無欲以觀其妙。常有欲以觀其徼。
此兩者。同出而異名。同謂之玄。玄之又玄。
衆妙之門。

道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべくは常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは万有の母。
故に常無を以ってその妙を見んと欲し、常有を以ってその徼(きょう)を観んと欲す。此の両者は、同じきに出でて而も名を異にす。
同じきこれを玄と謂い、玄のまた玄は衆妙の門なり。

語りうる「道」は「道」そのものではない、名づけうる名は名そのものではない。名づけえないものが天地の始まりであり、名づけうるものは万物の母である。
だから、意図をもたない者が「道」に驚き、意図ある者はそのあらわれた結果しか見れない。
この二つは同じものである。
これらがあらわれて以来、名を異にする。
この同じものは神秘と呼ばれ、神秘から神秘へとあらゆる驚きの入口となる。

1. The Way
The Way that can be experienced is not true;
The world that can be constructed is not true.
The Way manifests all that happens and may happen;
The world represents all that exists and may exist.

To experience without intention is to sense the world;
To experience with intention is to anticipate the world.
These two experiences are indistinguishable;
Their construction differs but their effect is the same.

Beyond the gate of experience flows the Way,
Which is ever greater and more subtle than the world.

第二章
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。
故有無相生。難易相成。長短相較。高下相傾。音聲相和。前後相隨。
是以聖人。處無爲之事。行不言之教。
萬物作焉而不辭。生而不有。爲而不恃。功成而不居。
夫唯不居。是以不去。

天下みな美の美たるを知るも、斯れ悪のみ。みな善の善を知るも、斯れ不善のみ。
故(まこと)に有と無と相い生じ、難と易と相成り、長と短と相い形(あら)われ、高と下と相い傾き、音と声と相和し、前と後と相い随う。
是を以って聖人は、無為の事に処り、不言の教えを行なう。
万物焉(ここ)に作(おこ)るも、而も辞(ことば)せず、為すも而も恃まず。功成る而も居らず。夫れ唯だ居らず、是を以って去らず。

美があまねく美として認められると、そこに醜さがでてくる。
善があまねく善として認められると、そこに不善がでてくる。
だから、有と無はたがいに生まれ、難と易はたがいに補いあい、長と短はたがいにそれぞれの位置をしめ、高と低はたがいに矛盾し、声と音はたがいに調和しあい、前と後はたがいに順序をもつ。
だから、賢者は干渉しないでものごとを扱い、言葉のない教えをする。
万物は間断なく盛大である。
成長していっても、誰れもそれを所有しない。
仕事が成しとげられても、それに頼るものはいない。
達成されても、名声を求めるものはいない。
名声を求めないから、成功はつねにそこにある。

2. Abstraction
When beauty is abstracted
Then ugliness has been implied;
When good is abstracted
Then evil has been implied.

So alive and dead are abstracted from nature,
Difficult and easy abstracted from progress,
Long and short abstracted from contrast,
High and low abstracted from depth,
Song and speech abstracted from melody,
After and before abstracted from sequence.

The sage experiences without abstraction,
And accomplishes without action;
He accepts the ebb and flow of things,
Nurtures them, but does not own them,
And lives, but does not dwell.


第三章
不尚賢、使民不爭。不貴難得之貨、使民不爲盜。不見可欲、使心不亂。
是以聖人之治、虚其心、實其腹、弱其志、強其骨。常使民無知無欲、使夫知者不敢爲也。
爲無爲、則無不治。

賢を尚(たっと)ばざれば、民をして争わざしむ。得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗みを為さざしむ。欲すべきを見(しめ)さざれば、民の心をして乱れざらしむ。
是(ここ)を以って聖人の治は、其の心を虚しくして、其の腹を実(み)たし、其の志(のぞみ)を弱くして、其の骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、夫(そ)の知者をして敢えて為さざらしむ。
無為を為せば、則ち治まらざる無し。

賢者を尊重する者がいなければ、人は競争をしないだろう。
貴重なるものに価値をおくことをやめれば、人は不法の利益をもつことはないだろう。
欲望を刺激するものを見る者がなければ、心は混乱しないだろう。
だから、賢者は人々の心をくつろがせ、腹をしっかり固めさせ、志を弱めてやり、身体と強くさせて人々を導く。
彼は人々を知識も欲望もない状態にする。
これは、知識をもつ賢者はあえて行動しないということを意味する。
彼の無為によって、教養をもたない者がいないわけではない。

3. Without Action
Not praising the worthy prevents contention,
Not esteeming the valuable prevents theft,
Not displaying the beautiful prevents desire.

In this manner the sage governs people:
Emptying their minds,
Filling their bellies,
Weakening their ambitions,
And strengthening their bones.

If people lack knowledge and desire
Then they can not act;
If no action is taken
Harmony remains.

第四章
道冲、而用之或不盈。淵兮似萬物之宗。
挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。
湛兮似或存。
吾不知誰之子、象帝之先。

道は冲(むな)しきも、これを用うれば或(ま)た盈(み)たず。淵として万物の宗(そう)たるに似たり。その鋭を挫き、その粉を解き、その光を和し、その塵に同じくす。
湛(たん)として存する或(あ)るに似たり。
吾れ、誰の子なるかを知らず、帝の先に象(に)たり。

「道」は無によってはたらき、満ちあふれたものではない。
それは深いところで、すべてのもとになるものである。
鋭さをにぶらせ、もつれを解きほぐし、光を和げ、地球を一つにしながら、それは残っている。
誰れが創ったかわからないが、神以前にそれがあったのは本当らしい。

4. Limitless
The Way is a limitless vessel;
Used by the self, it is not filled by the world;
It cannot be cut, knotted, dimmed or stilled;
Its depths are hidden, ubiquitous and eternal;
I don't know where it comes from;
It comes before nature.

第五章
天地不仁、以萬物爲芻狗。聖人不仁、以百姓爲芻狗。
天地之間、其猶■籥乎。虚而不屈、動而愈出。
多言數窮、不如守中。

天地は不仁、万物を以って芻狗(すうく)と為す。聖人は不仁、百姓をもって芻狗となす。
天と地の間は、其れ猶(な)お、■籥’(たくやく)のごときか。虚しくして屈(つ)きず。動きて愈々(いよいよ)出(い)ず。多言はしばしば窮す。中(ちゅう)を守るに如(し)かず。

天と地に慈善はなく、すべてのものを偏りなく扱う。
賢者にも慈善なく、人々を偏りなく扱う。
宇宙全体はふいごのようにもともと空である。
何もしなければ、何も欠くものはない。
行えば行うほど、出てくるものは多い。
言葉を出せば出すほど使いはたされる。
だから、ものごとを動かす前にそのままとどまっているほうがよい。

5. Nature
Nature is not kind;
It treats all things impartially.
The Sage is not kind,
And treats all people impartially.

Nature is like a bellows,
Empty, yet never ceasing its supply.
The more it moves, the more it yields;
So the sage draws upon experience
And cannot be exhausted.

第六章
谷神不死、是謂玄牝。
玄牝之門、是謂天地根。綿綿若存、用之不勤。

谷神(こくしん)は死せず、是を玄牝と謂う。
玄牝の門、是を天地の根と謂う。
緜緜として存するがごとく、これを用いて尽きず。

空の精神的現実はいつも存在する。
それを受動性の神秘と呼ぶ。
その入口は宇宙の根源である。
止めることなく、それはいつまでも残る。
汲み出しても尽きることはない。

6. Experience
Experience is a riverbed,
Its source hidden, forever flowing:
Its entrance, the root of the world,
The Way moves within it:
Draw upon it; it will not run dry.

第七章
天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。
是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私耶、故能成其私。

天は長く地が久し、天地の能(よ)く長く且(か)つ久しき所以の者は、其の自ら生ぜざるを以て、故に能く長生す。
是(ここ)を以て聖人は、其の身を後にして而も身は先んじ、其の身を外にして而も身は存す。其の無私なるを以てに非ずや、故に能くその私を成す。

天と地はいつまでも存在している。
それらは存在を存在として考えないからいつまでも続いている。
賢者は背後に身をおきながら、前へすすむ。
彼は自己を忘れて、自分自身を発見する。
人が自己の状態に達するのは無自己によってではないか。

7. Complete
Nature is complete because it does not serve itself.

The sage places himself after and finds himself before,
Ignores his desire and finds himself content.

He is complete because he does not serve himself.

第八章
上善若水。水善利萬物、而不争。處衆人之所悪。故幾於道。
居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。
夫唯不争、故無尤。

上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して而(しか)も争わず。衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。
居(きょ)には地を善しとし、心には淵(えん)なるを善しとし、与(まじわり)には仁を善しとし、言には信を善しとし、正には治を善しとし、事には能を善しとし、動には時を善しとす。
夫(そ)れ唯だ争わず、故に尤(とが)め無し。

最上の善とは水のようなものである。
水はあらゆるものに利益を与え、争わない。
それは人の嫌う地味な場所でいつも満足している。
このように、水は「道」に近いものである。
我々は住むために、地味な場所を好む。
いろいろな考えのためには、奥深さを好む。
友だちとの交わりには、心やさしさを好む。
言葉には、誠実さを好む。
政治には、良き秩序を好む。
出来事においては、能力を好む。
行動においては、正しい時を好む。
このように、我々は争わないから、まちがうことはない。

8. Water
The best of man is like water,
Which benefits all things, and does not contend with them,
Which flows in places that others disdain,
Where it is in harmony with the Way.

So the sage:
Lives within nature,
Thinks within the deep,
Gives within impartiality,
Speaks within trust,
Governs within order,
Crafts within ability,
Acts within opportunity.

He does not contend, and none contend against him.

第九章
持而盈之、不如其已。揣而鋭之、不可長保。金玉滿堂、莫之能守。富貴而驕、自遺其咎。功成名遂身退、天之道。

持(じ)してこれを盈(み)たすは、その已(や)むにしかず。揣(きた)えてこれを鋭(するど)くすれば、長く保つべからず。金玉(きんぎょく)堂に満つれば、これをよく守ることなし。富貴にして驕(おご)れば、おのずからその咎(とが)を遺(のこ)す。功(こう)成り名遂(と)げて身退(しりぞ)くは、天(てん)の道なり。

なにかを手にもって自慢するなら、それをもたない方がよい。
人がその窮境を主張しても、その状態に長くとどまることはないだろうから。
部屋に貴重品が満ちあふれていても、誰れもそれらをまもりつづけることはできないだろう。
富裕で高い地位にあって自慢すると、不幸を招く。
仕事が完全に成しとげられ、その任務が充分に終われば、自分の地位を去る。
これが「自然」の道である。

9. Retire
Fill a cup to its brim and it is easily spilled;
Temper a sword to its hardest and it is easily broken;
Amass the greatest treasure and it is easily stolen;
Claim credit and honour and you easily fall;
Retire once your purpose is achieved - this is natural.

第十章
載營魄抱一、能無離乎。專氣致柔、能嬰兒乎。滌除玄覽、能無疵乎。愛民治国、能無爲乎。天門開闔、能爲雌乎。明白四達、能無知乎。
生之畜之、生而不有、爲而不恃、長而不宰。是謂玄徳。

営魄を安んじ、一を抱きて、能(よ)く離れること無からんか。気を専(もっぱ)らにし柔を致して、能く嬰児ならんか。玄覧(げんらん)を滌除(できじょ)して、能(よ)く
疵(し)無からんか。民を愛し国を治めて、能く以って為すこと無からんか。天門開闔(かいこう)して、能く雌(し)たらんか。明白四達して、能く以って知ること無からんか。
これを生じこれを蓄(やしな)い、生ずるも而も有とせず、為すも而も恃まず、長たるも而も宰(さい)たらず。是を玄徳と謂う。

魂とはくを一つに統一し、離れないようにできるか。
呼吸を調和集中させ、嬰児のようにすることはできるか。
自分の中の曇った鏡をきれいにし、何もないようにすることはできるか。
人々を愛し、国を統治して、しかも知られずにいることができるか。
無存在の領域に出入りし、行動を自分で起こすことができるか。
明るい照明を知らなくても、あらゆる方面へ及ぼすことはできるか。
それを養い、育てよ。
生み出しても、それを所有するな。
はたらかせても、それに頼るな。
導いても、それを統御するな。
これは神秘の徳と呼ばれる。

10. Harmony
Embracing the Way, you become embraced;
Breathing gently, you become newborn;
Clearing your mind, you become clear;
Nurturing your children, you become impartial;
Opening your heart, you become accepted;
Accepting the world, you embrace the Way.

Bearing and nurturing,
Creating but not owning,
Giving without demanding,
This is harmony.

第十一章
三十輻共一轂。當其無、有車之用。 
挺埴以爲器。當其無、有器之用。
鑿戸以爲室。當其無、有室之用。
故有之以爲利。無之以爲用。

三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。其の無に当って、車の用あり。埴(つち)をうちて以って器を為(つく)る。其の無に当って、器の用あり。戸?をうがちて室を為る。其の無に当って室の用有り。
故に有の以って利を為すは、無を以って用を為せばなり。

三十本の輻が車輪の中心に集まる。
その何もない空間から車輪のはたらきが生まれる。
粘土をこねて容器ができる。
その何もない空間から容器のはたらきが生まれる。
ドアや窓は部屋をつくるために作られる。
その何もない空間から部屋のはたらきが生まれる。
これ故に、一つ一つのものとして、これらは有益な材料となる。
何もないものとして作られることによって、それらは有用になるもののもとになる。

11. Tools
Thirty spokes meet at a nave;
Because of the hole we may use the wheel.
Clay is moulded into a vessel;
Because of the hollow we may use the cup.
Walls are built around a hearth;
Because of the doors we may use the house.
Thus tools come from what exists,
But use from what does not.

第十二章
五色令人目盲。五音令人耳聾。五味令人口爽。馳騁田獵、令人心發狂。難得之貨。令人行妨。
是以聖人。爲腹不爲目。故去彼取此。

五色(ごしき)は人の目をして盲ならしむ。五音(ごいん)は人の耳をして聾ならしむ。五味は人の口をして爽(たが)わしむ。馳騁畋猟は人の心をして狂を発せしむる。得難きの貨は、人の行いを妨げしむ。
是を以って聖人は、腹を為して目を為さず。故に彼を去(す)てて此れを取る。

おびただしい色は人の目をまどわせ、おびただしい音は人の耳をだめにし、おびただしい味は人の口をそこなう。
狩猟で競い、追跡すれば、人の心を凶暴にする。
めずらしい価値ある品物はその持主の安全をおびやかす。
だから、賢者は腹に集中し、感覚の誘惑には集中しない。
このように、彼はあるもの(内部の力)をとり、他のもの(外部の力)を捨てるのである。

12. Substance
Too much colour blinds the eye,
Too much music deafens the ear,
Too much taste dulls the palate,
Too much play maddens the mind,
Too much desire tears the heart.

In this manner the sage cares for people:
He provides for the belly, not for the senses;
He ignores abstraction and holds fast to substance.

第十三章
寵辱若驚。貴大患若身。何謂寵辱若驚。寵爲上、辱爲下。得之若驚、失之若驚。是謂寵辱若驚。何謂貴大患若身。吾所以有大患者、爲吾有身。及吾無身、吾有何患。故貴以身爲天下、若可寄天下。愛以身爲天下、若可託天下。

寵辱(ちょうじょく)、驚(おどろ)くがごとし。大患(たいかん)を貴(たっと)ぶこと身のごとし。何をか寵辱驚くがごとしと謂(い)う。寵を上となし、辱を下(げ)となす。これを得ては驚くがごとく、これを失いては驚くがごとし。これを寵辱驚くがごとしと謂(い)う。何をか大患を貴ぶこと身のごとしと謂(い)う。われ大患あるゆえんは、わが身あるがためなり。わが身なきに及びては、われ何の患(うれい)かあらん。故に身をもって天下を為(おさ)むるより貴ぶものは、すなわち天下を寄(よ)すべし。身をもって天下を為(おさ)むるより愛(め)ずるものは、すなわち天下を託(たく)すべし。

名誉と不名誉は我々を興奮させる。
つまり、我々は苦しみを自己にもつからである。
名誉と不名誉が興奮させるとはどうゆうことか。
名誉は我々を上の方へ引き上げ、不名誉は下の方へ下げる。
このように、名誉あるときには興奮し、不名誉のときにもまた興奮する。
それが、名誉と不名誉が興奮させる、といわれる所以である。
大きな苦しみを自己にもつとはどういうことか。
大きな苦しみをもつ理由はただ自己を有することによる。
自己を有しなければ、どこに苦しみがあろうか。
自己と世界とを同一にすれば、そのとき、自己の中に世界はある。
自己を愛するように世界を愛するならば、そのとき、自己の中に世界はある。

13. Self
Both praise and blame cause concern,
For they bring people hope and fear.
The object of hope and fear is the self -
For, without self, to whom may fortune and disaster occur?

Therefore,
Who distinguishes himself from the world may be given the world,
But who regards himself as the world may accept the world.

第十四章
視之不見、名曰夷。聽之不聞、名曰希。摶之不得、名曰微。
此三者。不可致詰、故混而爲一。
其上不、其下不昧。繩繩不可名、復歸於無物。是謂無状之状、無物之象。是謂惚恍。
迎之不見其首、隨之不見其後。執古之道。以御今之有。能知古始。是謂道紀。

これを視(み)れども見えず、名づけて夷(い)と曰(い)う。これを聴けども聞こえず、名づけて希と曰う。これを摶(とら)うるも得ず。名づけて微(び)と曰う。此の三つの者は詰(きつ)を致すべからず。故(もと)より混じて一と為る。
其の上はあきらかならず、是れを無状の状、無物の象(しょう)と謂い、是れを恍惚と謂う。
これを迎うるも其の首(こうべ)を見ず、これに随うともその後(しりえ)を見ず。古(いにしえ)の道を執(と)りて、以って今の有を御(ぎょ)すれば、能(よ)く古始(こし)を知る。是を道紀と謂う。

しっかりと見ないから、何も見えない。
それは形のないものと呼ばれる。
しっかりと聞かないから、何も聞こえない。
それは音がないものと呼ばれる。
しっかりとつかまないから、何もつかめない。
それは実体のないものと呼ばれる。
これら三つをつきつめることはできず、混ざりあって一つになっている。
上にあっても明るくなく、下にあっても暗くない。
目に見えず、どんな名前でも呼びようがない。
それはまた無にもどって行く。
それは形のない形と呼ばれ、イメージのうかばない形と呼ばれる。
それはつかまえにくいものである。
近づいて行ってもその顔は見えず、ついて行ってもその後ろ姿は見えない。
遠い過去の「道」をつかまえ、現在あるものを制御すると、原始の始まりが理解できる。
これが「道」の本質である。

14. Mystery
Looked at but cannot be seen - it is beneath form;
Listened to but cannot be heard - it is beneath sound;
Held but cannot be touched - it is beneath feeling;
These depthless things evade definition,
And blend into a single mystery.

In its rising there is no light,
In its falling there is no darkness,
A continuous thread beyond description,
Lining what can not occur;
Its form formless,
Its image nothing,
Its name silence;
Follow it, it has no back,
Meet it, it has no face.

Attend the present to deal with the past;
Thus you grasp the continuity of the Way,
Which is its essence.


第十五章
古之善爲士者、微妙玄通、深不可識。夫唯不可識、故強爲之容。與兮若冬渉川。猶兮若畏四隣。儼兮其若客。渙兮若冰之將釋。敦兮其若樸。曠兮其若谷。混兮其若濁。孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。保此道者、不欲盈。夫唯不盈、故能蔽不新成。
古(いにしえ)の善(よ)く士たる者は、微妙玄通(げんつう)、深くして識(し)るべからず。それただ識るべからず、故に強(し)いてこれが容(よう)をなす。与(よ)として冬川を渉(わた)るがごとし。猶(ゆう)として四隣(しりん)を畏(おそ)るるがごとし。儼(げん)としてそれ客のごとし。渙(かん)として氷(おこり)のまさに釈(と)けんとするがごとし。敦(とん)としてそれ樸(ぼく)のごとし。曠(こう)としてそれ谷のごとし。混(こん)としてそれ濁(にご)れるがごとし。たれかよく濁りてもってこれを静かにして徐(おもむろ)に清からん。たれかよく安んじてもってこれを動かして徐に生ぜん。この道を保つ者は、盈(み)つることを欲せず。それただ盈たず、故によく敝(やぶ)れて新たに成さず。

いにしえの「道」にすぐれた人は洗練され、深く啓発されていた。
その深さはほとんど測ることができない。
測れないので、私は彼の姿を描こう。
慎重なること、冬の冷たい流れを渡るかのよう、
落ちついていること、近隣の人の邪魔をしないかのよう、
丁寧なること、訪問するときのよう、
やわらかなること、氷がとけはじめるときのよう、
重厚なること、まだ削られていない塊のよう、
度量のひろさ、渓谷のよう、
底の見えない暗さ、まざりものがあるかのようである。
濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。
「道」を保持していく人はそれが極端にあふれることを望まない。
極端なところに行くことを望まないから、彼は古いものにとどまるし、新しいものにもなることができる。

15. Enlightenment
The enlightened possess understanding
So profound they can not be understood.
Because they cannot be understood
I can only describe their appearance:

Cautious as one crossing thin ice,
Undecided as one surrounded by danger,
Modest as one who is a guest,
Unbounded as melting ice,
Genuine as unshaped wood,
Broad as a valley,
Seamless as muddy water.

Who stills the water that the mud may settle,
Who seeks to stop that he may travel on,
Who desires less than may transpire,
Decays, but will not renew.

第十六章
致虚極、守靜篤。萬物竝作、吾以觀復。
夫物芸芸、各歸其根。歸根曰靜、是謂復命。復命曰常、知常曰明。不知常、妄作凶。
知常容。容乃公、公乃王、王乃天、天乃道。道乃久。沒身不殆。

虚を到すこと極まり、静を守ること篤し。万物は並び作(お)こるも、吾は以って復(かえ)るを観る。
夫(そ)れの芸芸たる各々其の根(こん)に復帰す。根に帰るを静と曰い、是を命に復ると謂う。命に複るを常(じょう)と曰い、常を知るを明といい、常を知らざれば、妄作して凶なり。
常を知れば容なり。容は乃(すなわ)ち公なり、公は乃ち王なり、王は乃ち天なり、天は乃ち道なり、道は乃ち久し、身を没(お)うるまで殆(あや)うからず。

空虚を熟視して、真に静寂を守る。
万物はどれも盛んであるが、私はそれらの無為をみつめる。
ものは絶え間なく動き、休まない。
しかし、それぞれのものは根源にもどってしまう。
根源にもどっていくと静寂になる。
静寂になるということは存在の運命にもどることである。
存在の運命とは実在である。
実存を知ることを開明と呼ぶ。
それを知らないで誤って行えば、災いにであう。
実存はすべてを包みこみ、すべてを包みこめば、自己はなくなる。
自己がないということはすべてが満たされており、
すべてが満たされれば、超越することになる。
超越すれば、「道」に達する。
「道」に達すれば永久に続く。
身体が死んでも、それは終わらない。

16. Decay and Renewal
Empty the self completely;
Embrace perfect peace.
The world will rise and move;
Watch it return to rest.
All the flourishing things
Will return to their source.

This return is peaceful;
It is the flow of nature,
An eternal decay and renewal.
Accepting this brings enlightenment,
Ignoring this brings misery.

Who accepts nature's flow becomes all-cherishing;
Being all-cherishing he becomes impartial;
Being impartial he becomes magnanimous;
Being magnanimous he becomes natural;
Being natural he becomes one with the Way;
Being one with the Way he becomes immortal:
Though his body will decay, the Way will not.

第十七章
大上下知有之。其次親而譽之。其次畏之。其次侮之。
信不足、焉有不信。
焉兮其貴言、功成事遂、百姓皆謂我自然。

大上(だいじょう)は下(しも)これ有るを知るのみ。其の次は親しみてこれを誉(ほ)む。其の次はこれを畏る。其の次はこれを侮る。
信(しん)足らざれば、すなわち信ざらざれる有り。
悠(ゆう)として其れ言を貴(おも)くすれば、功は成り事は遂げられて、百姓は皆我は自然なりと謂わん。

最上の指導者は誰れも知らない。
その次の指導者は人々に親近感があり、ほめたたえられる。
その次の者は人々に畏れられる。
最下等の指導者は人々に軽蔑される。
指導者が充分に誠実を示さないと、人々の信頼は得られない。
気をつけて、言葉の価値を高めよ。
仕事が行われ、事業が成しとげられたとき、それはひとりでにそうなったのだと人々はいうだろう。


17. Rulers
The best rulers are scarcely known by their subjects;
The next best are loved and praised;
The next are feared;
The next despised:
They have no faith in their people,
And their people become unfaithful to them.

When the best rulers achieve their purpose
Their subjects claim the achievement as their own.

第十八章
大道廢、有仁義。智慧出、有大僞。六親不和、有孝慈。國家昏亂、有貞臣。
大道廃(すた)れて仁義あり。智慧出(い)でて大偽(たいぎ)あり。六親和せずして孝慈あり。国家昏乱(こんらん)して貞臣(ていしん)あり。

大いなる「道」が衰えたとき、慈善と道義の教えが起こった。
人の思考や分別が尊ばれたとき、大きな偽りが始まった。
家族の者たちが不和となったとき、子としての孝行や愛情が必要となった。
国が混乱し暗黒となってから、忠義な臣下を求めることになった。

18. Hypocrisy
When the Way is forgotten
Duty and justice appear;
Then knowledge and wisdom are born
Along with hypocrisy.

When harmonious relationships dissolve
Then respect and devotion arise;
When a nation falls to chaos
Then loyalty and patriotism are born.

第十九章
絶聖棄智、民利百倍。絶仁棄義、民復孝慈。絶巧棄利、盗賊無有。
此三者、以為文不足。故令有所屬。
見素抱樸。少私寡欲。

聖を絶ち智を棄(す)つれば、民の利は百倍せん。仁を絶ち義を棄つれば、民は孝慈に復帰せん。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊あること無からん。
此の三者、以って文足らずと為す。故に属(つ)ぐ所あらしめん。
素(そ)を見(あら)わし、樸を抱け。私を少なくし欲を寡(すく)なくせよ。

識別することをやめ、知識を放棄せよ。
そうすれば、人々は何倍も利益を得るだろう。
慈善をやめ、道義を捨てよ。
そうすれば、人々はたがいにもっと愛しあうだろう。
利口な教えをやめ、利益を捨てよ。
そうすれば、盗みや詐欺はなくなるだろう。
識別と知識、慈善と道義、利口と利益はただ外面的な工夫にすぎない。
そこで、これら以外の何かを求めなければならない。
純真さをあらわし、生まれつきの本性に固執せよ、
自己本位の自己を取りのぞき、強欲を捨て、人による学習を捨てよ、
そうすれば思いわずらうことはなくなるだろう。


19. Simplify
If we could abolish knowledge and wisdom
Then people would profit a hundredfold;
If we could abolish duty and justice
Then harmonious relationships would form;
If we could abolish artifice and profit
Then waste and theft would disappear.

Yet such remedies treat only symptoms
And so they are inadequate.

People need personal remedies:
Reveal your naked self and embrace your original nature;
Bind your self-interest and control your ambition;
Forget your habits and simplify your affairs.

第二十章
絶学無憂。唯之與阿、相去幾何。善之與惡、相去何若。人之所畏、不可不畏。荒兮其未央哉。
衆人熈熈、如享太牢。如春登臺。我獨泊兮其未兆、如嬰兒之未孩。儡儡兮若無所歸。衆人皆有餘、而我獨若遺。我愚人之心也哉、沌沌兮。
俗人昭昭、我獨昏昏。俗人察察、我獨悶々。澹兮其若海、兮若無止。衆人皆有以、而我獨頑似鄙。我獨異於人、而貴食母。

学を絶てば憂い無し。唯と阿と相い去ること幾何ぞ。美と悪と相去ること何若ぞ。美と悪と相去ること何若(いかん)ぞ。人の畏るる所、畏れざるべかざるも、荒として其れ未だ中(つ)きざるかな。
衆人は煕煕として太牢(たいろう)を享(う)るが如く、春に台(うてな)に登るが如し。我は独り泊(はく)として其れ未だ兆(きざ)さず。嬰児の未だ孩(わら)わざるが如し。累々として帰する所なきが若(ごと)し。衆人は皆余り有るに、而(しか)るに我は独り遺(うしな)えるが若(ごと)し。我は愚人の心なるかな、沌沌たり。
俗人は昭昭たり、我は独り昏昏たり。俗人は察察たり、我は悶悶たり。澹(たん)として其れ海の若く、?(りゅう)として止まるなきが若し。衆人は皆以(もち)うる有り、而るに我は独り頑にして鄙(ひ)に似たり。我は独り人に異なり、而して母に食(やしな)わるるを貴ぶ。

学ぶことをやめれば、憂いがなくなる。
敬意を表して「はい」というのと、非礼な「ああ」ということにどれほどの違いがあろう。
善と悪にどれほど違いがあろうか。
他人が恐れるところで、私もまた恐れなければならないだろうか。
これは何とばかげたことか。
人々は生けにえの祝宴を楽しみ、花咲く春の日に高台に登って楽しんでいるかのようだ。
私はただ一人、身じろぎもせず、何と静寂にしていることか。
ちょうどまだ笑ったことのない赤子のように。
戻るべき家ももたず、目的もなく私はさまよう。
人々は多くの野心と欲望をもっている。
私一人だけがこれらすべてを置き去りにしてきてようだ。
私はなんとなまくらだ。私の心はまったく愚かものの心だ。
人々は光り輝いているのに、私一人が暗く鈍い。
人々は賢く好奇心が強いのに、私一人がはっきりしなくて鈍い。
私は穏やかな海のように何と静かなことか。
私はなにものにも縛られず流されるようだ。
人々はすべて目的をもっている。
私一人が異様で、善くないもののようだ。
私には他人と違っているところがある。
私は「母」によって養われている。


20. Wandering
What is the difference between assent and denial?
What is the difference between beautiful and ugly?
What is the difference between fearsome and afraid?

The people are merry as if at a magnificent party
Or playing in the park at springtime,
But I am tranquil and wandering,
Like a newborn before it learns to smile,
Alone, with no true home.

The people have enough and to spare,
Where I have nothing,
And my heart is foolish,
Muddled and cloudy.

The people are bright and certain,
Where I am dim and confused;
The people are clever and wise,
Where I am dull and ignorant;
Aimless as a wave drifting over the sea,
Attached to nothing.

The people are busy with purpose,
Where I am impractical and rough;
I do not share the peoples' cares
But I am fed at nature's breast.

第二十一章
孔徳之容、惟道是従。道之為物、惟恍惟惚。惚兮恍兮、其中有象。恍兮惚兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚眞、其中有信。
自古及今、其中夫去。以閲衆甫。吾何以知衆甫之状哉、以此。

孔徳の容は惟(た)だ道に是れ従う。道の道たる。惟れ恍惟れ惚。恍たり惚たり、其の中に物あり。恍たり惚たり、其の中に象あり。窈たり冥たり、其の中に精あり。其の精甚だ真、真の中に信あり。
今より古に及ぶまで、其の名は去らず。以って衆甫を閲ぶ。吾れ何を以って衆甫の然るを知るや、此れを以ってなり。

徳に固有のものは「道」のひびきである。
「道」というものはおぼろげで、とらえようがない。
おぼろげでとらえようがないが、そこには形がある。
おぼろげでとらえようがないが、そこには何物かがある。
測りがたく見えにくいが、そこには本質がある。
本質は実に純粋で、そこには生き生きとした真実がある。
昔から今日に到るまで、「道」という名前のものがないわけではなかった。
我々はそれによって万物の始まりを見る。
万物の始まりはこれによってわかるのだ。


21. Accept
Harmony is only in following the Way.

The Way is without form or quality,
But expresses all forms and qualities;
The Way is hidden and implicate,
But expresses all of nature;
The Way is unchanging,
But expresses all motion.

Beneath sensation and memory
The Way is the source of all the world.
How can I understand the source of the world?
By accepting.

第二十二章
曲則全。枉則直、窪則盈。敝則新。少則得、多則惑。是以聖人、抱一爲天下式。
不自見故明、不自是故彰。不自伐故有功、不自矜故長。
夫惟不争、故天下莫能與之争。古之所謂曲則全者、豈虚言哉。誠全而歸之。

曲なれば則ち全(まった)し。枉(ま)がれば則ち直し。窪めば則ち盈(み)つ。敝(やぶ)るれば則ち新たなり。少なければ則ち得られ。多ければ則ち惑(まど)う。
是を以て聖人は、一を抱きて天下の式と為る。自ら見(あら)わさず、故に明らか。自ら是とせず、故に彰(あら)わる。自ら伐(ほこ)らず故に功有り。自ら矜(ほこ)らず、故に長し。
夫れ惟だ争わず、故に天下能くこれと争う莫(な)し。古の所謂わゆる曲なれば則ち全しとは、豈(あ)に虚言ならんや。誠に全くしてこれに帰す。

曲がっているものは完全に残る。
まっすぐであるために、身をかがめよ。
いっぱいになるために、くぼみがあるべきだ。
使いつくすことが、若返ることになる。
欲しい人はもっと得られるだろうし、たくさんもっている人は奪われるだろう。
だから、賢人は「一」をしっかりつかみ、天下の模範となる。
自分を見せびらかさないから、おのずからはっきりと見られ、
自分を主張しないから、きわだって見える。
信用を求めないから、信用をうけ、
うぬぼれないから、最高のものとなる。
争うことをしないから、天下の人で争えるものはいない。
「曲がっているものは完全に残る」という昔の言葉は真実で、
実際、人は完全でいることができるのである。
言葉によってでなく、ひとりでに起こってくるのである。

22. Home
Accept and you become whole,
Bend and you straighten,
Empty and you fill,
Decay and you renew,
Want and you acquire,
Fulfill and you become confused.

The sage accepts the world
As the world accepts the Way;
He does not display himself, so is clearly seen,
Does not justify himself, so is recognized,
Does not boast, so is credited,
Does not pride himself, so endures,
Does not contend, so none contend against him.

The ancients said, "Accept and you become whole",
Once whole, the world is as your home.


第二十三章
希言自然。飄風不終朝、驟雨不終日。孰爲此者、天地。天地尚不能久、而況於人乎。故從事於道者、道者同於道。徳者同於徳。失者同於失。同於道者、道亦樂得之。同於徳者、徳亦樂得之。同於失者、失亦樂得之。信不足焉、有不信焉。

希言(きげん)は自然なり。飄風(ひょうふう)は朝(あした)を終えず、驟雨(しゅうう)は日を終えず。たれかこれをなす者ぞ。天地なり。天地すらなお久しきこと能わず、而(しか)るをいわんや人においてをや。故に道に従事(じゅうじ)する者は、道は道に同じくし、徳は徳に同じくし、失は失に同じくす。道に同じくするとは、道もまたこれを得(う)るを楽しむ。徳に同じくするとは、徳もまたこれを得(う)るを楽しむ。失に同じくするとは、失もまたこれを得るを楽しむ。信足らざれば、不信(ふしん)あり。

自然はことばで表さない。
暴風が起きても朝中続くことはなく、激しい雨が一日中続くことはない。
これらは天と地の活動である。
天と地でさえ、いつまでもその活動を続けることはできない。
まして人間はできようか。
「道」を学ぶ者は「道」と同一になる。
人が徳に達すると、その徳と同一になる。
人が徳と同一になると、徳もまたおのずから人と同一になる。
人が失うものと同一になると、失うものもまたおのずから人と同一になる。
この同一性を信じなければ、これは起こらないだろう。

23. Words
Nature says only a few words:
High wind does not last long,
Nor does heavy rain.
If nature's words do not last
Why should those of man?

Who accepts harmony, becomes harmonious.
Who accepts loss, becomes lost.
For who accepts harmony, the Way harmonizes with him,
And who accepts loss, the Way cannot find.


第二十四章
跂者不立。跨者不行。自見者不明。自是者不彰。自伐者無功。自矜者不長。其於道也、曰餘食贅行。物或惡之。故有道者不處。

跂(つまだ)つ者(もの)は立(た)たず。跨(また)ぐ者(もの)は行(ゆ)かず。自(みずか)ら見(あらわ)す者(もの)は明(あき)らかならず。自(みずか)ら是(ぜ)とする者(もの)は彰(あきら)かならず。自(みずか)ら伐(ほこ)る者(もの)は功(こう)無(な)し。自(みずか)ら矜(ほこ)る者(もの)は長(ちょう)ぜず。其(そ)の道(みち)に於(お)けるや、余食(よしょく)贅行(ぜいこう)と曰(い)う。物(もの)或(つね)に之(これ)を悪(にく)む。故(ゆえ)に有道(ゆうどう)の者(もの)は処(お)らず。

つまさきで立つものは長く立つことはできない。
大股で歩くものは長く歩くことはできない。
見せびらかすものはすぐれていない。
みずから正しいと主張するものは、他よりきわだっているわけではない。
信用を求めるものは信用を得られない。
自分をほこるものは最高のものではない。
「道」の立場からいうと、これらすべては生物が好まない余分のものである。
だから、「道」を有する人はそんなところに留まらないのである。


24. Indulgence
Straighten yourself and you will not stand steady;
Display yourself and you will not be clearly seen;
Justify yourself and you will not be respected;
Promote yourself and you will not be believed;
Pride yourself and you will not endure.

These behaviours are wasteful, indulgent,
And so they attract disfavour;
Harmony avoids them.

第二十五章
有物混成、先天地生。寂兮寥兮、獨立而不改、周行而不殆。可以爲天下母。吾不知其名、字之曰道。強爲之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。
故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大。而王居其一焉。人法地、地法天、天法道、道法自然。

物有り混成し、天地に先んじて生ず。寂(せき)たり、寞(ばく)たり、独立して改(かわ)らず、周行して殆(とど)まらず、以って天下の母と成すべし。吾れ其の名を知らず。これに字(あざな)して道という。強いてこれが名を成して大と曰う。大なれば曰(ここ)に逝く。逝けばここに遠く、遠ければ曰に反(かえ)る。
故に道は大、天も大、王も亦(ま)た大なり。域中に四大あり。而して王は其の一に居る。人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然の法る

形はないが、混沌としたものがあり、天と地より先に存在していた。
音もなく、空漠。
あらゆるところに充ち、疲れることがない。
それは天下の母だといわれる。
その名は知られておらず、「道」と呼ぶだけである。
もし私が名をつけようとするなら、それを「大」と呼ぼう。
「大」は無制限に広がっていくことである。
無制限に広がるとは遠ざかることであり、
遠ざかるとは「近くに」返ってくることである。
このように「道」が大であるように、天も大、地も大、人もまた大である。
世界には四つの大があり、人はその一つの位置を占める。
人は地に従い、地は天に従い、天は「道」に従い、「道」は「自然」に従う。


25. Beneath Abstraction
There is a mystery,
Beneath abstraction,
Silent, depthless,
Alone, unchanging,
Ubiquitous and liquid,
The mother of nature.
It has no name, but I call it "the Way";
It has no limit, but I call it "limitless".

Being limitless, it flows away forever;
Flowing away forever, it returns to my self:

The Way is limitless,
So nature is limitless,
So the world is limitless,
And so I am limitless.

For I am abstracted from the world,
The world from nature,
Nature from the Way,
And the Way from what is beneath abstraction.

第二十六章
重爲輕根、靜爲躁君。是以聖人、終日行不離輜重。雖有榮觀、燕處超然。奈何萬乘之主、而以身輕天下。輕則失臣、躁則失君。

重は軽の根(こん)たり、静は躁(そう)の君たり。ここをもって聖人は、終日行けども輜重(しちょう)を離れず。栄観ありといえども、燕処(えんしょ)して超然たり。いかんぞ万乗(ばんじょう)の主にして、身をもって天下より軽んぜん。軽ければすなわち臣(しん)を失い、躁なればすなわち君を失(うしな)う。

重いものが軽いものの根源であるように、
静かであることがそわそわすることの根源である。
だから、統治者は朝から晩まで旅をしても、重い荷馬車から離れない。
どんなに素晴らしい環境にいても、彼は静かになって心を動かされないのだ。
「一万の戦車をもつ」指導者が天下を前にして、
どうして軽々しくふるまえることができようか。
軽々しくふるまえば根源を失うことになり、
そわそわすれば、主たるものが失われる。

26. Calm
Gravity is the source of lightness,
Calm, the master of haste.

A lone traveller will journey all day, watching over his belongings;
Yet once safe in his bed he will lose them in sleep.

The captain of a great vessel will not act lightly or hastily.
Acting lightly, he loses sight of the world,
Acting hastily, he loses control of himself.

A captain can not treat his great ship as a small boat;
Rather than glitter like jade
He must stand like stone.

第二十七章
善行無轍迹。善言無瑕謫。善數不籌策。善閉無關鍵、而不可開。善結無繩約、而不可解。
是以聖人、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。是謂襲明。故善人者、不善人之師、不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要妙。

善く行く者は轍迹(てっせき)なし。善く言う者は瑕謫(かたく)なし。善く数える者は籌策(ちゅうさく)を用いず。善く閉ざす者は關鍵(かんけん)なくして而も不開くべからず。善く結ぶ者は繩約(じょうやく)なくして而も解くべからず。
是を以て聖人は、常に善く人を救う、故に人を棄つること無し。常に善く物を救う、故に物を棄つること無し。是を明に襲(よ)ると謂う。故に善人は不善人の師。不善人は善人の資(し)なり。其の師を貴ばず、其の資を愛さざれば、智ありと雖も大いに迷う。是を要妙(ようみょう)と謂う。

すぐれた行為者は痕跡(善であれ悪であれ)を残さない。
すぐれたことばを使う人は少しのきず(善であれ悪であれ)も残さない。
すぐれた計算者は計算器具を使わない。
門をとざすのにすぐれた者はかんぬきを使わないが、誰れもその戸は開くことはできない。
結ぶのにすぐれた者は縄を使わないが、誰れもそれをほどくことはできない。
このように賢人は人を救うのにすぐれており、だからどんな人も見捨てない。
彼はまた物を救うのにすぐれており、だから何物をも見捨てない。
これは明を洞察すると呼ばれる。
だから、善である者は善でない者の師であり、
善でないものは善であるものの源である。
善ある者をありがたく思わず、善なき者を大事にしないならば、
どんなに知恵があっても迷いがある。

27. Perfection
The perfect traveller leaves no trail to be followed;
The perfect speaker leaves no question to be answered;
The perfect accountant leaves no working to be completed;
The perfect container leaves no lock to be closed;
The perfect knot leaves no end to be ravelled.

So the sage nurtures all men
And abandons no one.
He accepts everything
And rejects nothing.
He attends to the smallest details.

So the strong must guide the weak,
For the weak are raw material to the strong.
If the guide is not respected,
Or the material is not cared for,
Confusion will result, no matter how clever one is.

This is the secret of perfection:
When raw wood is carved, it becomes a tool;
When a man is employed, he becomes a tool;
The perfect carpenter leaves no wood to be carved.

第二十八章
知其雄、守其雌、爲天下谿。爲天下谿、常徳不離、復歸於嬰兒。
知其白、守其黒、爲天下式。爲天下式、常徳不、復歸於無極。
知其榮、守其辱、爲天下谷。爲為天下谷、常徳乃足、復歸於樸。
樸散、則爲器。聖人用之、則爲官長。故大制不割。

其の雄(ゆう)を知りて、其の雌(し)を守れば、天下の谿と為る。天下の谿と為れば、常の徳は離れず、嬰児に復帰す。
其の白を知りて、其の黒を守れば、天下の式(のり)と為る。天下の式と為れば、常の徳はたがわず、無極に復帰す。
其の栄を知りて、其の辱(じょく)を守れば、天下の谷と為る。天下の谷と為れば、常の徳は乃(すなわ)ち足り、樸に復帰す。
樸は散ずれば、即ち器となる。聖人はこれを用いて、則ち官の長となる。故に大制は割(さ)かず。

積極的なことを知りつつ、消極的なところにとどまるのは、天下の深い谷間のようなものである。
天下の深い谷間であれば、本当の「徳」は離れることがなく、赤子のままにおかれる。
白を知りつつ、黒にとどまるのは、天下の模範となる。
天下の模範であれば、十分に変わることのない「徳」は最初の非区別の状態にとどまる。
原初の非区別が区別されるとき、ものごとが生み出される。
賢人が原初の非区別を使えば、人々の指導者となる。
だから、偉大な統治をするものは非区別である。


28. Becoming
Using the male, being female,
Being the entrance of the world,
You embrace harmony
And become as a newborn.

Using strength, being weak,
Being the root of the world,
You complete harmony
And become as unshaped wood.

Using the light, being dark,
Being the world,
You perfect harmony
And return to the Way.

第二十九章
將欲取天下而爲之、吾見不得已。天下神器。不可爲也。爲者敗之、執者失之。故物或行或隨、或呴或吹。或強或羸、或載或隳。是以聖人、去甚、去奢、去泰。

まさに天下を取らんと欲してこれをなせば、われその得ざるを見るのみ。天下は神器なり。なすべからず。なす者はこれを敗り、執(と)る者はこれを失う。故に物あるいは行きあるいは随(したが)う。あるいは呴(く)しあるいは吹(ふ)く。あるいは強めあるいは羸(よわ)む。あるいは載せあるいは隳(おと)す。ここをもって聖人は、甚(じん)を去り、奢(しゃ)を去り、泰(たい)を去る。

天下を治めようとするものたちが、どうにもできないことを私は知っている。
天下は神聖な器で、どうにもしようがないものだ。
それを扱うと失敗し、それに固執すると失ってしまう。
ものの性質は変化し、一方が行えば他方がまねをする。
一方がゆるやかに息をすれば、他方は激しく息づく。
一方は精力的であり、他方はおとなしい。
一方は背負い、他方は損なう。
だから、賢者は過度な行いを避け、わがままでなく、極端になることを避ける。


29. Ambition
Those who wish to change the world
According with their desire
Cannot succeed.

The world is shaped by the Way;
It cannot be shaped by the self.
Trying to change it, you damage it;
Trying to possess it, you lose it.

So some will lead, while others follow.
Some will be warm, others cold
Some will be strong, others weak.
Some will get where they are going
While others fall by the side of the road.

So the sage will be neither wasteful nor violent.

第三十章
以道佐人主者、不以兵強天下。其事好還、師之所処、刑蕀生焉、大軍之後。必有凶年。
善者果而已。不敢以取強。果而勿衿、果而勿伐。果而勿驕、果而不得已。果而勿強。
物壮則老。是謂不道、不道早已。

道を以って人主を佐(たす)くる者は、兵を以って天下に強いず。其の事は還(かえ)るを好む。師の処(お)る所は、荊棘(けいきょく)焉(ここ)に生じ、大軍の後は必ず凶年あり。
善者は果(か)つのみ。以って強いるを取らず。果ちて矜(ほこ)ること勿(な)く、果ちて已むを得ずとす。是を果ちて強いる勿しと謂う。
物は壮(さか)んなれば則ち老(お)ゆ。是を不道と謂う。不道は早く已(や)む。

「道」によって君主を助けるということは、武力を優勢にすることではない。
武力を優勢にすれば尊大さが生まれる。
武力のあるところにはどこでも無秩序が起こる。
大きな戦いのあとには喪失の年がくる。
勝利はただ競争の結果にすぎない。
力の優勢をあえて求むべきではない。
勝利は結果にすぎないから、そのために見せびらかすべきではない。
結果にすぎないから、誇るべきではない。
結果にすぎないから、獲得しただけにすぎない。
結果にすぎないから、力の優勢を求むべきではない。
強いことを求めると衰退に行きつく。
これは「道」に反することである。
「道」に反することは長く続かない。


30. Violence
Powerful men are well advised not to use violence,
For violence has a habit of returning;
Thorns and weeds grow wherever an army goes,
And lean years follow a great war.

A general is well advised
To achieve nothing more than his orders:
Not to take advantage of his victory.
Nor to glory, boast or pride himself;
To do what is dictated by necessity,
But not by choice.

For even the strongest force will weaken with time,
And then its violence will return, and kill it.

第三十一章
夫兵者不祥之器、物或悪之、故有道者不処。君子居則貴左、用兵則貴右。
兵者不祥之器、非君子之器。不得已而用之、恬淡爲上。勝而不美。而美之者、是楽殺人。夫楽殺人者、則不可以得志於天下矣。
吉事尚左、凶事尚右。偏将軍居左、上将軍居右、言以喪禮処之、殺人之衆、以哀悲泣之、戦勝以喪禮処之。

夫れ兵は不祥の器、物或いはこれを悪(にく)む。故に有道者は処(お)らず。君子、居らば則ち左を貴び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ。
兵は不祥の器にして、君子の器に非ず。已(や)むを得ずしてこれを用うれば、恬淡(ていたん)なるを上(じょう)と為す。勝ちて而も美ならず、而るにこれを美とする者は、是れ人を殺すを楽しむなり。夫れ人を殺すを楽しむ者は、即ち以て志を天下に得るべからず。
吉事は左を尚(たっと)び、凶事は右を尚ぶ。偏将軍は左に居り、上将軍は右に居る、喪礼を以てこれに居るを言うなり。人を殺すことの衆(おお)きには、悲哀を以てこれを泣き、戦い勝つも喪礼を以て之に処る。

武器は、人々によって蔑視される不吉な前兆をもった道具である。
だから、「道」を有した人はそれを身におかない。
武器は不吉な前兆をもった道具である。
避けることができない時だけ、それを使用する。
たとえ、戦闘にあたっても、冷静で冷淡であるのがよい。
たとえ、戦争に勝ったとしても、光栄とすべきではない。
光栄とは、人を殺害するのを楽しむことを意味するからだ。
人々を殺害するのを楽しむような人は、天下で成功しない。

31. Armies
Armies are tools of violence;
They cause men to hate and fear.
The sage will not join them.
His purpose is creation;
Their purpose is destruction.

Weapons are tools of violence,
Not of the sage;
He uses them only when there is no choice,
And then calmly, and with tact,
For he finds no beauty in them.

Whoever finds beauty in weapons
Delights in the slaughter of men;
And who delights in slaughter
Cannot content himself with peace.

So slaughters must be mourned
And conquest celebrated with a funeral.

第三十二章
道常無名樸。雖小、天下不敢臣。侯王若能守之、萬物將自賓。天地相合、以降甘露、民莫之令而自均。始制有名。名亦既有、夫亦將知止。知止所以不殆。譬道之在天下、猶川谷之與江海。

道は常に無名の樸(ぼく)なり。小なりといえども、天下あえて臣(しん)とせず。侯王もしよくこれを守れば、万物まさにおのずから賓(ひん)せんとす。天地は相合して、もって甘露(かんろ)を降(くだ)し、民はこれに令することなくしておのずから均(ひと)し。始めて制して名あり。名もまたすでにあれば、それまたまさに止(いた)るところを知らんとす。止(いた)るところを知るは殆(とど)まらざるゆえんなり。譬(たと)えば道の天下に在(あ)るは、なお川谷(せんこく)の江海(こうかい)に与(くみ)するがごとし。

「道」は実在的であるが名がない。
もともと区別がなく目にみえないものである。
けれども、天下にそれを支配できるものは何もない。
もしも統治者や君主がそれにとどまれば、天下の万物は当然、彼らに従うだろう。
そして、天と地は統一され、平和の露を降らせるだろう。
命令されなくとも、人々は自ら調和するだろう。
区別が始まると名前ができる。
名前ができるとどこにとどまるかを知るべきである。
とどまるところを知れば、決して消耗されない。
世の中で「道」にとどまるということは、河や海に注ぐ谷川と同じである。


32. Shapes
The Way has no true shape,
And therefore none can control it.
If a ruler could control the Way
All things would follow
In harmony with his desire,
And sweet rain would fall,
Effortlessly slaking every thirst.

The Way is shaped by use,
But then the shape is lost.
Do not hold fast to shapes
But let sensation flow into the world
As a river courses down to the sea.

第三十三章
知人者智。自知者明。勝人者有力、自勝者強。
知足者富。強行者有志。不失其所者久。死而不亡者壽。

人を知るものは智なり、自らを知るものは明なり。人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し。
足るるを知る者は富む。強(つと)めて行う者は志(こころざし)有り。其の所を失わざる者は久し。死して而も亡びざる者は寿(いのちなが)し。

他人を知るものが智のある人であり、自己を知るものが目覚めた人である。
他人を負かすには力がいる。
満足することが富んでいることであって、
力をもって行うものが大志を抱くことになる。
源を保持するものが永続し、死んでも失っていないものが永遠に生きるのである。

33. Virtues
Who understands the world is learned;
Who understands the self is enlightened.
Who conquers the world has strength;
Who conquers the self has harmony.
Who is determined has purpose;
Who is contented has wealth.
Who defends his home may long endure;
Who surrenders his home may long survive it.

第三十四章
大道氾兮、其可左右。萬物恃之而生而不辭。功成不名有。愛養萬物而不爲主。常無欲、可名於小。萬物歸之而不爲主、可名爲大。是以聖人、終不自大、故能成其大。

大道は氾(はん)として、それ左右すべし。万物これを恃(たの)みて生ずれども辞せず。功成りて名を有せず。万物を愛養(あいよう)すれども主とならず。常に無欲、小(しょう)と名づくべし。万物これに帰すれども主(しゅ)とならず、名づけて大となすべし。ここをもって聖人、ついに自(みずか)ら大とせず。故によくその大を成(な)す。

大いなる「道」はすべて普及する。
そして、あちらへ、こちらへと行く。
万物はそこにとどまり、成長する。
そして、そこから閉め出されるものは何もない。
仕事を完成しても功績を求めない。
万物を養っても支配することはない。
意図をもたないから小さなものと呼ばれ、
万物がそれに向かっていても、それらを所有しないから、
大いなるものと呼ばれる。
だから、賢人は偉大になろうとしない。
ここから、その偉大さが達成されるのである。

34. Control
The Way flows and ebbs, creating and destroying,
Implementing all the world, attending to the tiniest details,
Claiming nothing in return.

It nurtures all things,
Though it does not control them;
It has no intention,
So it seems inconsequential.

It is the substance of all things;
Though it does not control them;
It has no exception,
So it seems all-important.

The sage would not control the world;
He is in harmony with the world.

第三十五章
執大象、天下往、往而不害、安平大。
楽與餌、過客止。道之出言、淡乎其無味。視之不足見、聽之不足聞、用之不可既。

大象を執(と)りて、天下を往(ゆ)けば、往きて而して害あらず。安、平、大なり。
楽(がく)と餌(じ)とは過客も止(とど)まる。道の言に出(い)だすは、淡乎として其れ味わい無し。これを視るも見るに足らず、これを聴くも聞くに足らず。これを用いて既(つく)すべからず。

大いなる象をつかんで天下を扱うと、どこに行っても何の害にもあわない。
天下を穏やかに、静かに、そして平和にするのである。
音楽やおいしい匂いは通行人を魅惑し、しばらく立ちどまらせる。
「道」の味は淡泊で味がない。
それを見ようとしてもよく見えず、それを聞こうとしてもよく聞こえない。
だが、それは用いても使い尽くせないものである。

35. Peace
If you offer music and food
Strangers may stop with you;
But if you accord with the Way
All the people of the world will keep you
In safety, health, community, and peace.

The Way lacks art and flavour;
It can neither be seen nor heard,
But its benefit cannot be exhausted.

第三十六章
將欲歙之、必固張之。將欲弱之、必固強之。將欲廢、必固興之。將欲奪之、必固與之。是謂微明。柔弱勝剛強。
魚不可脱於淵、國之利器、不可以示人。

将(まさ)にこれを歙(ちぢ)めんと欲すれば、必ず固(しばら)くこれを張れ。将にこれを弱くせんと欲すれば、必ず固くこれを強くせよ。将にこれを廃せんと欲すれば、必ず固くこれを興(おこ)せ。将にこれを奪わんと欲すれば、必ず固くこれを与えよ。是を微明という。柔弱は剛強に勝つ。
魚は淵より脱すべからず、国の利器は以て人に示すべからず。

凝縮しようと思えば、まず分散しておかなければならない。
気を弱めようと思えば、まず強めておかなければならない。
衰えさせようと思えば、まず勢いよくさせておかなければならない。
獲得しようを思えば、まず与えておかなければらならい。
これは見えない光と呼ばれる。
柔らかいものは剛いものに勝ち、弱いものは強いものに勝つ。
魚が池の深いところにいるように、
国家最高の武器は見えないようにしておくのがよい。

36. Opposition
To reduce someone's influence, first expand it;
To reduce someone's force, first increase it;
To overthrow someone, first exalt them;
To take from someone, first give to them.

This is the subtlety by which the weak overcome the strong:
Fish should not leave their depths,
And swords should not leave their scabbards.

第三十七章
道常無為、而無不爲。侯王若能守之、萬物將自化。化而欲作、吾將鎮之以無名之樸。
無名之樸、夫亦將無欲。不欲以靜、天下將自定。

道は常に無為にして、而も為さざるは無し。侯王若もし能(よ)くこれを守らば、万物は将(まさ)に自ずから化せんとする。化して作(おこ)らんと欲すれば、吾れ将にこれを鎮むるに無名の樸を以ってせんとす。無名の樸は、夫れ亦た将に無欲ならんとす。欲あらずして以って静かならば、天下将に自ら定まらんとす。

「道」は実在し、何事もしない。
だが、それによって為されるということはない。
もし統治者がそこにとどまるならば、あるゆるものは自然に変わるだろう。
もし変わる過程で意図があらわあれるならば、
名前のないもともとの非区別によって抑制するべきである。
名前のないもともとの非区別を経験すれば、意図のない状態があらわれる。
意図がなくなれば静かになり、天下は自然に安らかになるであろう。


37. Tranquillity
The Way takes no action, but leaves nothing undone.
When you accept this
The world will flourish,
In harmony with nature.

Nature does not possess desire;
Without desire, the heart becomes quiet;
In this manner the whole world is made tranquil.


徳経

第三十八章
上徳不徳、是以有徳。 不徳不失徳、是以無徳。
上徳無爲、而無以爲。下徳爲之、而有以爲。上仁爲之、而無以爲。上義爲之、而有以爲。上禮爲之、而莫之應、則攘臂而之。
故失道而後徳。失徳而後仁。失仁而後義。失義而後禮。夫禮者、忠信之薄、而亂之首。前識者、道之華。而愚之始。是以大丈夫、處其厚、不居其薄。處其實、不居其華。故去彼取此。

上徳(じょうとく)は徳とせず。是を以って徳あり。下徳(かとく)は徳を失わざらんとす。上徳は無為にして、而して以って為すとする無し。上仁はこれを為して、而して以って為すとする無し。上義はこれを為して、而して以って為すとする有り。上礼は、これを為して、而してこれに応ずるなければ、則ち以って臂(うで)を攘(はら)ってこれをひく。
故に道を失いて而して後に徳あり、徳を失いて而して後に仁あり、仁を失いて而して後に義あり、義を失いて而して後に礼あり。夫れなる者は、忠義の薄きにして、而して乱の首(はじめ)なり、前識(ぜんしき)なる者は、道の華にして、而して愚(ぐ)の始めなり。是(ここ)を以って大丈夫(だいじょうぶ)は、その厚きに処(お)りて、その華に居らず。故に彼を去りて此れを取る。

徳の高い人は徳を自慢しない。
だから、徳がある。
低い徳の人は徳にこだわる。
だから、徳がない。
高い徳の人は何の行動もしないが、何事も為されなかったということはない。
低い徳の人は行動するが、故意になされる。
高い仁愛の人は行動するが、動機をもってするのではない。
高い道義の人は行動するが、動機をもってするのである。
最も礼儀のある人は行動するが、誰もそれに従わず、
それで、袖をまくり、相手を引っぱろうとする。
だから、「道」が失われると徳がそこにあり、
徳が失われると、仁愛がそこにある。
仁愛が失われたのちに道義がきて、道義が失われたのちに礼儀がくる。
礼儀は信義を欠くことで、無秩序の第一歩となる。
予期された知識は「道」の外見であり、愚行の始まりである。
ここから、偉大な人は真実を選びとり、外見をとらないのである。
彼は真実によって行動し、外見によっては行動しない。
このように、彼は「道」のはたらきに従い、外見を見合わせるのである。

38. Ritual
Well established hierarchies are not easily uprooted;
Closely held beliefs are not easily released;
So ritual enthralls generation after generation.

Harmony does not care for harmony, and so is naturally attained;
But ritual is intent upon harmony, and so can not attain it.

Harmony neither acts nor reasons;
Love acts, but without reason;
Justice acts to serve reason;
But ritual acts to enforce reason.

When the Way is lost, there remains harmony;
When harmony is lost, there remains love;
When love is lost, there remains justice;
But when justice is lost, there remains ritual.

Ritual is the end of compassion and honesty,
The beginning of confusion;
Belief is a colourful hope or fear,
The beginning of folly.

The sage goes by harmony, not by hope;
He dwells in the fruit, not the flower;
He accepts substance, and ignores abstraction.

第三十九章
昔之得一者。天得一以清、地得一以寧、神得一以靈、谷得一以盈、萬物得一以生、侯王得一以爲天下貞。其致之、一也。天無以清將恐裂。地無以寧將恐廢。神無以靈將恐歇。谷無以盈將恐竭。萬物無以生將恐滅。侯王無以貴髙將恐蹷。故貴以賤爲本、髙必以下爲基。是以侯王自謂孤寡不轂。此非以賤爲本耶。非乎。故致數譽無譽。不欲琭琭如玉、落落如石。

昔(はじめ)の一を得たるもの。天は一を得てもって清く、地は一を得てもって寧(やす)く、神は一を得てもって霊に、谷は一を得てもって盈(み)ち、万物は一を得てもって生じ、侯王(こうおう)は一を得てもって天下の貞(てい)たり。そのこれを致すは、一なればなり。天もって清きことなければはた恐らくは裂(さ)けん。地もって寧(やす)きことなければはた恐らくは発(ひら)かん。神もって霊なることなければはた恐らくは歇(や)まん。谷もって盈つることなければはた恐らくは竭(つ)きん。万物もって生ずることなければはた恐らくは滅びん。侯王もって貴高(きこう)なることなければはた恐らくは蹶(たお)れん。故に貴は賤をもって本となし、高はかならず下をもって基となす。ここをもって侯王は自ら孤・寡・不穀(ふこく)と謂う。これ賤をもって本となすにあらずや。あらざるか。故に誉(よ)を数うるを致せば誉(ほまれ)なし。琭琭(ろくろく)として玉のごとく、落落(らくらく)として石のごときを欲せず。

昔、「一」を得たものがいた。
「一」を得て、天は清らかに、
「一」を得て、地は穏やかになった。
「一」を得て、神は霊的になった。
「一」を得て、海は充満している。
「一」を得て、万物は生きかえった。
「一」を得て、統治者は天下の模範となった。
これらすべては、「一」によってこうなったのである。
清らかでなければ、天は裂かれるだろうし、
穏やかでなければ、地は揺れるだろう。
霊的でなければ、神は砕けてしまい、
充満してなければ、海は干上がってしまうだろう。
生きかえることがなければ、万物は消滅するだろうし、
天下の模範でなければ、統治者はつまずいてしまうだろう。
だから、価値なきものは価値あるものの基礎として役立ち、
劣っているものは優れているものの基礎として役立つ。
このように、統治者は自らを長所のない、
価値のない、孤立した者を呼ぶのである。
これは価値なきものが価値あるものの基礎として役立つことを証明しているのではないだろうか。
だから、最高の名誉はほめられないことである。
統治者は優美な翡翠のようの尊ばれることを望まない。
彼らは平たくて堅い岩石のようである。


39. Support
In mythical times all things were whole:
All the sky was clear,
All the earth was stable,
All the mountains were firm,
All the riverbeds were full,
All of nature was fertile,
And all the rulers were supported.

But, losing clarity, the sky tore;
Losing stability, the earth split;
Losing strength, the mountains sank;
Losing water, the riverbeds cracked;
Losing fertility, nature disappeared;
And losing support, the rulers fell.

Rulers depend upon their subjects,
The noble depend upon the humble;
So rulers call themselves orphaned, hungry and alone,
To win the people's support.

第四十章
反者道之動。弱者道之用。天下萬物生於有、有生於無。

反(はん)は道の動なり。弱(じゃく)は道の用なり。天下万物は有より生じ、有は無より生(しょう)ず。

あともどりするのが「道」の動きかたである。
たわみやすいのが「道」のはたらきである。
天下のあらゆるものは有から生まれる。
有は無から生まれる。


40. Motion and Use
The motion of the Way is to return;
The use of the Way is to accept;
All things come from the Way,
And the Way comes from nothing.

第四十一章
上士聞道、勤而行之。中士聞道、若存若亡。下士聞道、大笑之。 不笑不足以爲道。
故建言有之。明道若眛、進道若退、夷道若■。上徳若谷、太白若辱、廣徳若不足、建徳若偸。質眞若渝、大方無隅、大器晩成、大音希聲、大象無形。
道隱無名。夫唯道、善貸且成。

上士(じょうし)は道を聞けば、勤めてこれを行なう。中士は道を聞けば在るが若(ごと)く亡きが若し。下士(かし)は道を聞けば、大いにこれを笑う。笑われざれば、以て道と為すに足らず。
故に建言(けんげん)にこれ有り。明道は昧(くら)きが若(ごと)く、進道は退くが若く、夷道(いどう)は■(らい)なるが若し。上徳は谷の若く、広徳は足らざるが若く、建徳は偸(おこたる)が若く、質真(しつしん)は渝(かわ)るが若く、大白は辱(じょく)なるが若く、大方は隅(ぐう)無し、大器は晩成し、大音は希声(きせい)、大象(たいしょう)は形無しと。
道は隠れて名なし。夫(そ)れ唯(た)だ道は、善く貸し且つ善く成す。

優れた才能をもってる人が「道」に耳をかたむけたとき、熱心にそれを行う。
普通の人が「道」に耳をかたむけたとき、それを信じるように見えるが信じていない。
最も劣った人が「道」に耳をかたむけたとき、大声で笑う。
笑わなかったら、それは「道」でないかもしれない。
だから、「建言」にある。
理解しないように「道」を理解せよ。
そこから出てくるように「道」の中に入れ。
困難があるかのようになめらかに「道」とともに動け。
最高の徳は、徳でないかのようである。
すべてを包む徳は、徳を欠いているかのようである。
厳しい徳は怠けたぶらつきのようである。
真の本質は空であるかのようである。
大いなる白は黒であるかのようである。
大いなる方形には隅がない。
大いなる容器はできあがるのがおそい。
大いなる音楽は音がない。
大いなる象は形がない。
「道」は隠れたもので、名前がない。
しかし、「道」はあるゆるものに援助を与え、成しとげるようさせるものである。


41. Following
When the great man learns the Way, he follows it with diligence;
When the common man learns the Way, he follows it on occasion;
When the mean man learns the Way, he laughs out loud;
Those who do not laugh, do not learn at all.

Therefore it is said:
Who understands the Way seems foolish;
Who progresses on the Way seems to fail;
Who follows the Way seems to wander.

For the finest harmony appears plain;
The brightest truth appears coloured;
The richest character appears incomplete;
The bravest heart appears meek;
The simplest nature appears inconstant.

The square, perfected, has no corner;
Music, perfected, has no melody;
Love, perfected, has no climax;
Art, perfected, has no meaning.

The Way can be neither sensed nor known:
It transmits sensation and transcends knowledge.

第四十二章
道生一、一生二、二生三、三生萬物。 萬物負陰而抱陽、冲氣以爲和。
人之所惡、唯孤寡不殼。而王公以爲稱。故物或損之而益、或益之而損。
人之所教、我亦教之。強梁者不得其死。吾將以爲教父。

道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生じる。万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以って和を為す。
人の悪(にく)む所は、唯(た)だ孤(こ)、寡(か)、不穀(ふこく)なるも、而も王公は以って称と為す。故に物は或いはこれを損して益し、あるいはこれを益して損ず。
人の教うる所、我れも亦たこれを教えん。強梁者は其の死を得ず。吾れ将(まさ)に以って教えの父と為さんとす。

「道」から「一」が生み出される。
「一」から二つのものが生まれ、二つから三つのものが生まれ、
三つから万物が生み出される。
これらすべては肯定と否定の統一によって調和し、
あらゆるものによって包まれる。
長所もなく、価値もなく、孤立したものを誰れも好まない。
ところが、統治者はそれらのことばを自称して使っている。
このように、ものは価値を減らすことによって、かえって価値をふやし、
価値をふやすことによって、かえって価値を減らすのである。
昔の日とはこれを教えている。
「凶暴な人は凶暴さによって自分野人生を終える。」
これが基本的な標語である。


42. Mind
The Way bears sensation,
Sensation bears memory,
Sensation and memory bear abstraction,
And abstraction bears all the world;
Each thing in the world bears feeling and doing,
And, imbued with mind, harmony with the Way.

As others have taught, so do I teach,
"Who loses harmony opposes nature";
This is the root of my teaching.


第四十三章
天下之至柔、馳騁天下之至堅。無有入無間、吾是以知無爲之有益。不言之教、無爲之益、天下希及之。

天下の至柔(しじゅう)は、天下の至堅(しけん)を馳騁(ちてい)す。無有は無間に入る。われここをもって無為の益あるを知る。不言の教(おしえ)、無為の益、天下これに及ぶもの希(まれ)なり。

世の中で最もしなやかなものは、世の中の最も堅いものを貫通する。
無はすきまのないところに入りこむ。
ここで私は、行動のない行動の価値を知り、言葉のない教えの価値を知る。
行動のない行動の価値に匹敵できるものは世の中に何もない。

43. Overcoming
Water overcomes the stone;
Without substance it requires no opening;
This is the benefit of taking no action.

Yet benefit without action,
And experience without abstraction,
Are practiced by very few.

第四十四章
名與身孰親。身與貨孰多。得與亡孰病。是故甚愛必大費。多藏必厚亡。知足不辱、知止不殆、可以長久。

名と身とはいずれか親しき。身と貨とはいずれか多なる。得と亡とはいずれか病(へい)なる。この故に甚(はなは)だ愛すれば必ず大いに費(つい)え、多く蔵すれば必ず厚く亡(うしな)う。足るを知れば辱(はずか)しめられず、止(とど)まるを知れば殆(あや)うからず、もって長久なるべし。

名誉と身体、どちらが切実であるか。
身体と財産、どちらに多くの価値があるか。
成功と失敗、どちらに大きな害悪があるか。
あまりに大事にすると費やすものが多く、
多く貯めれば貯めるほど失うものは多い。
満足すべきことを知れば恥をかかず、
正しい時にとどまることを知れば危険に出会わない。
こうすれば、いつまでも持ちこたえられるのである。


44. Contentment
Health or reputation: which is held dearer?
Health or possessions: which has more worth?
Profit or loss: which is more troublesome?

Great love incurs great expense,
And great riches incur great fear,
But contentment comes at no cost;
Who knows when to stop
Does not continue into danger,
And so may long endure.

第四十五章
大成若缺、其用不弊。大盈若沖、其用不窮。大直若詘、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。清靜爲天下正。

大成は欠くるがごとくにして、その用弊(やぶ)れず。大盈(たいえい)は沖(むな)しきがごとくにして、その用窮(きわ)まらず。大直(たいちょく)は詘(くっ)するがごとく、大功(たいこう)は拙(せつ)なるがごとく、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるがごとし。躁(そう)勝てば寒、静勝てば熱。清静(せいせい)は天下の正たり。

最も完成したものに達すると、何も完成していないようである。
それを用いてもつきることはない。
最も充満したものに達すると、まだ空虚のようである。
それをもちいても限りがない。
このように、完全にまっすぐなものものは曲がっているかのようである。
最も技量のあるものはくだらないかのようである。
最も雄弁な人は口がきけないかのようである。
こうして、静けさは動きにまさる。
寒さは暑さにまさる。
静けさは天下の模範となる。

45. Quiet
Great perfection seems incomplete,
But does not decay;
Great abundance seems empty,
But does not fail.

Great truth seems contradictory;
Great cleverness seems stupid;
Great eloquence seems awkward.

As spring overcomes the cold,
And autumn overcomes the heat,
So calm and quiet overcome the world.

第四十六章
天下有道、却走馬以糞、天下無道、戎馬生於郊。罪莫大於可欲、禍莫大於不知足、咎莫大於欲得。故知足之足、常足。

天下に道あれば、走馬を却(しりぞ)けてもって糞(つちか)い、天下に道なければ、戎馬(じゅうば)、郊(こう)に生ず。罪は可欲(かよく)より大なるはなく、禍(わざわい)は足るを知らざるより大なるはなく、咎(とが)は得んと欲するより大なるはなし。故に足るを知るの足るは常(つね)に足るなり。

天下が「道」によって治められるとき、馬は畑を耕すのに使われる。
天下が「道」によって治められないとき、馬や武器は辺境のそばにまで増殖する。欲望の罪より大きい罪はない。
満足するのを知らないほど大きな災いはない。
征服することよりも大きな誤りはない。
だから、足りたと思うことで満足できれば、いつでも充分なのである。

46. Horses
When a nation follows the Way,
Horses bear manure through its fields;
When a nation ignores the Way,
Horses bear soldiers through its streets.

There is no greater mistake than following desire;
There is no greater disaster than forgetting contentment;
There is no greater sickness than seeking attainment;
But one who is content to satisfy his needs
Finds that contentment endures.

第四十七章
不出戸、知天下、不闚牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。

戸を出(い)でずして、天下を知り、牖(まど)より闚(うかが)わずして、天道を見る。その出(い)ずることいよいよ遠(とお)ければ、その知ることいよいよ少なし。ここをもって聖人は行かずして知り、見ずして名(あきら)かに、なさずして成(な)る。

戸口から出ないで、天下のことを知る。
じっと外を見ないで、天の道のすべてを知る。
遠くへ行けば行くほど、知ることはいっそう少なくなる。
だから、賢人は出かけないで、あらゆるものを知る。
見ないでも、あらゆるものを確認し、
行動しないでも、あらゆることを成しとげる。

47. Knowing
Without taking a step outdoors
You know the whole world;
Without taking a peep out the window
You know the colour of the sky.

The more you experience,
The less you know.
The sage wanders without knowing,
Sees without looking,
Accomplishes without acting.

第四十八章
爲學日益、 爲道日損。 損之又損、以至於無爲。無爲而無不爲。
取天下、常以無事。及其事、不足以取天下。

学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じて又た損じ、以って無為に至る。無為にして而も為さざるはなし。
天下を取るは、常に無事を以ってす。其の事有るに及んでは、以って天下を取る足らざる。

学問をするとき、日ごとに蓄積していく。
「道」を行うとき、日ごとに減らしていく。
減らしたうえにまた減らすことによって、何もしないところにゆきつき、
そして、すべてのことがなされるのだ。
だから、無為によって、しばしば天下を勝ち取る。
行動するようでは、天下は勝ち取れないのだ。


48. Inaction
The follower of knowledge learns as much as he can every day;
The follower of the Way forgets as much as he can every day.

By attrition he reaches a state of inaction
Wherein he does nothing, but nothing remains undone.

To conquer the world, accomplish nothing;
If you must accomplish something,
The world remains beyond conquest.

第四十九章
聖人無常心、以百姓心爲心。 善者吾善之、不善者吾亦善之、 徳善。信者吾信之、不信者吾亦信之、徳信。
聖人在天下。歙歙為天下渾其心。百姓皆注其耳目。聖人皆孩之。

聖人は常に心無く、百姓(ひゃくせい)の心を以て心と為す。善なる者は吾れこれを善(よ)しとし、不善なる者も吾れ亦これを善しとして善を徳(う)。信なる者は吾れこれを信じ、不信なる者も吾れ亦これを信じて、信を(う)。
聖人の天下に在るや、歙歙(きゅうきゅう)たり。百姓は皆其の耳目を注ぐも、聖人は皆これを孩(と)ざす。

賢人には定まった心はない。
だが、人々の心をその心とする。
彼は善であるものを善とするが、善でないものも善と考える。
このようにして、区別のないものに達する。
彼は真なるものを真とするが、真でないものも真と考える。
このようにして、区別のないものに達する。
天下の賢人は良心的に人々の心を区別のないものにする。
人々は見たり聞いたりする感覚をあてにするから、
賢人は彼らを赤子のように扱う。

49. People
The sage does not distinguish between himself and the world;
The needs of other people are as his own.

He is good to those who are good;
He is also good to those who are not good,
Thereby he is good.
He trusts those who are trustworthy;
He also trusts those who are not trustworthy,
Thereby he is trustworthy.

The sage lives in harmony with the world,
And his mind is the world's mind.
So he nurtures the worlds of others
As a mother does her children.

第五十章
出生、入死。生之徒十有三、死之徒十有三。人之生、動之死地亦十有三。夫何故。以其生生之厚。蓋聞、善攝生者、陸行不遇兕虎、入軍不被甲兵。兕無所投其角、虎無所措其爪、兵無所容其刃。夫何故。以其無死地。

出(い)ずれば生、入れば死。生の徒十に三あり、死の徒十に三あり。人の生くるや、動きて死地に之(ゆ)くものまた十に三あり。それ何の故ぞ。その生を生とするの厚きをもってなり。蓋(けだ)し聞く、「善(よ)く生を摂する者は、陸行して兕虎(じこ)に遇わず、軍に入りて甲兵を被(こうむ)らず」と。兕もその角を投ずる所なく、虎もその爪を措(お)く所なく、兵もその刃を容(い)るる所なし。それ何の故ぞ。その死地(しち)なきをもってなり。

生きのびる道と死にいく道がある。
十人のうち三人が生きのび、十人のうち三人が死んでしまう。
さらに十人のうち三人が生命に執着するが、しかし、彼らもそれを失ってしまう。
何故かといえば、生命を豊かにしすぎるからである。
自分の生命を守るにすぐれた者は、虎や犀に出会うことがない。
戦場においても、危険な武器を身につけない。
犀も彼を突き刺すことはできないし、虎も爪でひっかくことができない。
武器も彼を傷つけることはできない。
何故かといえば、彼に死という場所がないからである。

50. Death
Men flow into life, and ebb into death.

Some are filled with life;
Some are empty with death;
Some hold fast to life, and thereby perish,
For life is an abstraction.

Those who are filled with life
Need not fear tigers and rhinos in the wilds,
Nor wear armour and shields in battle;
The rhinoceros finds no place in them for its horn,
The tiger no place for its claw,
The soldier no place for a weapon,
For death finds no place in them.

第五十一章
道生之、徳畜之、 物形之、器成之。 是以萬物、莫不尊道而貴徳。 道之尊、徳之貴、夫莫之命、而常自然。
故道生之、徳畜之。長之育之、亭之毒之、養之覆之。生而不、爲而不恃、長而不宰、是謂玄徳。

道、これを生じ、徳、これを蓄(やしな)い、物、これを形づくり、器、これを成す。是を以って万物、道を尊びて徳を貴ばざるは莫(な)し。道の尊きと徳の貴きは、夫(そ)れこれを命ずる莫くして、常に自ずから然り。
故に道、これを生じ、徳、これを蓄(やしな)い、これを長じてこれを育て、これを亭(かた)めこれを毒(あつ)くし、これを養いこれを覆う。生ずるも而も有とせず、成すも而も恃(たの)まず、長たるも而も宰(さい)たらず、是れを玄徳と謂う。

「道」はすべてのものを生み出し、「徳」がそれらを養う。
ものはそれぞれの性質によって形づくられ、関係ある状態がそれらを満たす。
だから、あらゆるものはすべて「道」を敬い、「徳」を尊ぶ。
「道」が敬われ、「徳」が自然に尊ばれるのは、
誰かが命令するのではなく、自然にそうなるからである。
このように、「道」はすべてを生み出し、「徳」はそれらを養う。
それらを生み出し、育て、形を与え、特性を与え、かばい、守る。
それらを生み出しても、所有することはない。
はたらかせても、報いを期待せず、成熟しても、管理することをしない。
これは見えない「徳」と呼ばれる。

51. Nurture
The Way bears all things;
Harmony nurtures them;
Nature shapes them;
Use completes them.

Each follows the Way and honours harmony,
Not by law,
But by being.

The Way bears, nurtures, shapes, completes,
Shelters, comforts, and makes a home for them.

Bearing without possessing,
Nurturing without taming,
Shaping without forcing,
This is harmony.


第五十二章
天下有始、以爲天下母。既知其母、復知其子、既知其子、復守其母、没身不殆。塞其兌、閇其門、終身不勤。開其兌、濟其事、終身不救。見小曰明、守柔曰強。用其光、復歸其明、無遺身殃。是謂習常。

天下に始(はじめ)あり、もって天下の母たり。既にその母を知り、またその子を知り、すでにその子を知りて、またその母を守れば、身を没するまで殆(あや)うからず。その兌(たい)を塞(ふさ)ぎ、その門を閉ずれば、終身勤せず。その兌を開き、その事を済(な)せば、終身救われず。小を見るを明といい、柔を守るを強という。その光をもって、その明に復帰せば、身の殃(わざわい)を遺(のこ)すことなし。これを習常(しゅうじょう)と謂う。

世界には始めがある。
それは世界の母と呼ばれる。
その源を知ったものは、その表れを知る。
その表れを知り、その源とともにとどまるとき、人生で不足することはない。
言葉による表現をやめ、感覚への道をふさぐならば、一生くたびれることはない。これに対して、言葉が満ちあふれ、わずらわしさが増すならば、
一生救われないだろう。
見えないものを見るのが覚醒であり、柔らかさを保持するのが強さである。
内なる光りによって覚醒にかえれ。
そうすれば、不幸にならない。
これは真実に従った暮らしと呼ばれる。

52. Clarity
The origin of the world is its mother;
Understand the mother, and you understand the child;
Embrace the child, and you embrace the mother,
Who will not perish when you die.

Reserve your judgments and words
And you maintain your influence;
Speak your mind and take positions
And nothing can save you.

As observing detail is clarity,
So maintaining flexibility is strength;
Use the light but shed no light,
So that you do yourself no harm,
But embrace clarity.

第五十三章
使我介然有知、行於大道、唯施是畏。大道甚夷、而民好徑。朝甚除、田甚蕪、倉甚虚、服文綵、帶利劔、厭飮食、財貨有餘。是謂盗夸。非道哉。

われをして介然(かいぜん)として知るあり、大道を行なわしむれば、ただ施(ななめ)ならんことをこれ畏(おそ)る。大道は甚(はなは)だ夷(たいら)なれども、民は径(こみち)を好む。朝(ちょう)甚だ除(ととの)えば、田甚だ蕪(あ)れ、倉甚だ虚(むな)し。文綵(ぶんさい)を服し、利剣(りけん)を帯び、飲食に厭(あ)き、財貨余りあり。これを盗夸(とうか)と謂う。非道なるかな。

私にわずかでも知識があり、大きな道を歩むならば、
それからはずれるのではないかと恐れる。
大きな道はまったく平坦であるのに、人々は小さな近道を行きたがるものだ。
宮廷はきれいになっていても、人々の畑はひどく荒れはて、
倉庫には穀物の貯えはなにもない。
支配者は高価な衣服を着て、立派な剣をつけ、腹いっぱい飲み食いし、
法外な財宝と高価なものを持っている。
これこそ最大の盗人であり、大きな道からはずれたことである。

53. Difficult Paths
With but a small understanding
One may follow the Way like a main road,
Fearing only to leave it;
Following a main road is easy,
Yet people delight in difficult paths.

When palaces are kept up
Fields are left to weeds
And granaries empty;
Wearing fine clothes,
Bearing sharp swords,
Glutting with food and drink,
Hoarding wealth and possessions -
These are the ways of theft,
And far from the Way.

第五十四章
善建者不抜、善抱者不脱。子孫以祭祀不輟。修之於身、其徳乃眞。修之於家、其徳乃餘。修之於郷、其徳乃長。修之於國、其徳乃豐。修之於天下、其徳乃普。故以身觀身、以家觀家、以郷觀郷、以國觀國、以天下觀天下。吾何以知天下然哉。以此。

善(よ)く建つるものは抜けず、善く抱くものは脱(ぬ)けず。子孫もって祭祀して輟(や)まず。これを身に修(おさ)むれば、その徳すなわち真なり。これを家に修むれば、その徳すなわち余(あま)る。これを郷に修むれば、その徳すなわち長(なが)し。これを国に修むれば、その徳すなわち豊(ゆた)かなり。これを天下に修むれば、その徳すなわち普(あまね)し。故に身をもって身を観(み)、家をもって家を観、郷をもって郷を観、国をもって国を観、天下をもって天下を観る。われ何をもって天下の然(しか)るを知るや。これをもってなり。

しっかりと基礎がおかれておけば、引き抜かれるものはない。
しっかりと抱かれておれば、抜きでるものは何もない。
子々孫々祭祀はとだえないだろう。
自己において道を修めれば、徳は本当のものとなり、
一家族において修めれば、徳はあり余るほどになる。
一つの村で修めれば、徳は永続するし、
一国において修めれば、徳はたくさんのものとなり、
天下において修めれば、徳はすべてをつつみこむものとなる。
このように、自己を通して自己を熟視し、
家族を通して家族を熟視し、
社会を通して社会を熟視し、
国を通して国を熟視し、
天下を通して天下を熟視できる。
私が天下をありのままにわかる理由は、こうするからである。

54. Cultivate Harmony
Cultivate harmony within yourself, and harmony becomes real;
Cultivate harmony within your family, and harmony becomes fertile;
Cultivate harmony within your community, and harmony becomes abundant;
Cultivate harmony within your culture, and harmony becomes enduring;
Cultivate harmony within the world, and harmony becomes ubiquitous.

Live with a person to understand that person;
Live with a family to understand that family;
Live with a community to understand that community;
Live with a culture to understand that culture;
Live with the world to understand the world.

How can I live with the world?
By accepting.


第五十五章
含徳之厚、比於赤子。 蜂■■蛇不螫、猛獣不據、攫鳥不搏。 骨弱筋柔而握固。未知牝牡之合而全作、精之至也。終日號而不嗄。和之至也。
知和曰常、知常曰明。益生曰祥、心使氣曰強。
物壯則老、謂之不道。不道早已。

含徳の厚きは、赤子(せきし)に比す。蜂■■蛇(ほうたいきだ)も螫(さ)さず、猛獣も拠(おそ)わず、攫鳥(かくちょう)も搏(う)たず。骨は弱く筋は柔らかくして而(しか)も握ること固し。未だ牝牡の合(ごう)を知らずして、而も全(さい)の作(た)つは、精の至りなり。終日号(さけ)びて而も嗄れざるは、和の至りなり。
和を知るを常と曰(い)い、常を知るを明と曰う。生を益すを祥と曰い、心、気を使うを強と曰う。物は壯んなれば則ち老ゆ。是を不道と謂う。不道は早く已(や)む。

「徳」を豊かにもつ人は、無垢な子どもと同じように見られる。
彼は、昆虫の針からも、野獣の爪からも猛禽の攻撃からもまぬがれる。
骨や筋肉は強いとはいえないが、手のにぎりはいつもしっかりしている。
男女の交合についてまだ何も知らないのに、可能性は明かであり、
生命の本質は完全なものになっている。
一日中泣き叫んでも声がかれることはない。
彼の内的調和が最高だからである。
この内的調和を知ることが真実とともにあるということだ。
真実とともにあれば、啓発される。
しかし、生命に何かをつけ加えようとすると邪悪になる。
可能性をおしつけると、心は不自然になる。
ものが不自然になると、それらは衰えていく。
これは「道」からそれることである。
そうすると、すぐに生を終えてしまう。

55. Soft Bones
Who is filled with harmony is like a newborn.
Wasps and snakes will not bite him;
Hawks and tigers will not claw him.

His bones are soft yet his grasp is sure,
For his flesh is supple;
His mind is innocent yet his body is virile,
For his vigour is plentiful;
His song is long-lasting yet his voice is sweet,
For his grace is perfect.

But knowing harmony creates abstraction,
And following abstraction creates ritual.
Exceeding nature creates calamity,
And controlling nature creates violence.

第五十六章
知者不言、言者不知。
塞其兌、閉其門。 挫其鋭、解其紛、 和其光、同其塵、是謂玄同。
故不可得而親、不可得而疎。不可得而利、不可得而害。不可得而貴、不可得而賤。故爲天下貴。

知る者は言わず、言う者は知らず。その兌(たい)を塞ぎ、その門を閉じ、その鋭を挫き、その粉を解き、その光を和し、その塵に同じくす。これを玄同と謂う。
故に得て親しむべからず、得て疎んずべからず。得て利するべからず。得て害するべからず。得て貴くすべからず。得て賤しくすべからず。故に天下の貴きものと為る。

知っているものは、しゃべらない。
しゃべるものは、知ってはいない。
言葉による表現をやめ、感覚の門を閉ざし、すべての鋭さをにぶらせ、
そのもつれを解きほぐし、その明るさを和らげ、そして、大地と一つになる。
これは「道」と同一になるといわれる。
それに近づくことができず、また、遠ざけることもできない。
それに利益を与えることもできず、また、害を及ぼすこともできない。
尊敬へと高めることはできず、また、恥の苦しめることもできない。
だから、天下で最も尊い人なのである。

56. Impartiality
Who understands does not preach;
Who preaches does not understand.

Reserve your judgments and words;
Smooth differences and forgive disagreements;
Dull your wit and simplify your purpose;
Accept the world.

Then,
Friendship and enmity,
Profit and loss,
Honour and disgrace,
Will not affect you;
The world will accept you.

第五十七章
以正治國。以奇用兵、以無事取天下。吾何以知其然哉。以此。
天下多忌諱、而民彌貧。民多利器、國家滋昏。人多智慧、邪事滋起。法令滋彰、盗賊多有。
故聖人云、我無爲而民自化、我好靜而民自正、我無事而民自富、我無欲而民自樸。

正を以って国を治め、奇を以って兵を用い、無事を以って天下を取る。吾れ何を以って其の然るを知るや、此れを以ってなり。
夫れ天下に忌諱(きき)多くして、民彌々(いよいよ)貧しく、民に利器多くして、国家滋々(ますます)昏(み)だれ、民に智慧多くして邪事滋々(ますます)起こり、法令滋々(ますます)彰(あきら)かにして、盗賊多く有り。
故に聖人は云う。我れ無為にして民自ら化し、我れ静を好みて民自ら正しく、我れ無事にして民自ら富み、我れ無欲にして民自ら樸なりと。

静けさによって国を指導せよ。
めずらしい作戦で戦争を行え。
何もしないで天下を勝ち取れ。
どうしてそれがわかるかといえば、
拘束と制限が多くなればなるほど、人々はますます貧しくなる。
人々が武器を多くもてばもつほど、国はますます混乱する。
こざかしいぺてん師が多くなればなるほど、奇妙なものはますます生じる。
法令と命令の押しつけが厳しくなればなるほど、盗賊と悪漢はますます多くなる。
だから、賢人はいう。
「私は行動しない。
そうすると、人々はおのずから教化される。
静寂にしていると、人々はおのずから落ち着いてくる。
何も干渉しなければ、人々はおのずから富み栄える。
私が欲望をなくしておれば、人々はおのずから本来の簡潔さに戻る。」


57. Conquer with Inaction
Do not control the people with laws,
Nor violence nor espionage,
But conquer them with inaction.

For:
The more morals and taboos there are,
The more cruelty afflicts people;
The more guns and knives there are,
The more factions divide people;
The more arts and skills there are,
The more change obsoletes people;
The more laws and taxes there are,
The more theft corrupts people.

Yet take no action, and the people nurture eachother;
Make no laws, and the people deal fairly with eachother;
Own no interest, and the people cooperate with eachother;
Express no desire, and the people harmonize with eachother.

第五十八章
其政悶悶、其民淳淳。其政察察、其民缺缺。
禍兮福之所倚、福兮禍之所伏。 孰知其極。其無正邪。正復爲奇、善復爲妖。人之迷、其日固久。
是以聖人、方而不割。廉而不■。直而不肆、光而不耀。

其の政(まつりごと)悶悶(もんもん)たれば、其の民は淳淳(じゅんじゅん)たり。其の政察察(さつさつ)たれば、其の民は缺缺(けつけつ)たり。
禍(わざわ)いは福の倚(よ)る所、福は禍いの伏(ふ)す所。孰(た)れかその極を知らん。其れ正(せい)無きか。正は復(ま)た奇と為り、善は複た妖(よう)と為る。人の迷えるや、其の日固(もとよ)り久し。
是(ここ)を以て聖人は、方なるも而(しか)も割(さ)かず、廉なる而もそこなわず、直なるも而も肆(の)びず、光あるも而も耀(かがや)かさず。

国が簡素で寛大に治められるとき、人々は誠実で正直である。
国が無上に猛烈な取り調べによって治められるとき、
人々は誤りやすく、不正直になる。
不運なときに、幸運があらわれ、幸運なときに、不運がひそんでいる。
誰れが最後の正しさを決定することができるのか。
あるいは、最後の正しさというのはいったいあるのだろうか。
正しさがうそに変わると、善は邪悪に変わる。
これは長らく人々を困惑させてきた。
賢者はものを扱うとき、自分の考えをしっかりともっているが、
しかし、鋭くはない。
彼は純粋であるが、害を及ぼすことはない。
彼はまっすぐであるが、激することはない。
彼には光があるが、きらびやかではない。

58. No End
When government is lazy and informal
The people are kind and honest;
When government is efficient and severe
The people are discontented and deceitful.

Good fortune follows upon disaster;
Disaster lurks within good fortune;
Who can say how things will end?
Perhaps there is no end.

Honesty is ever deceived;
Kindness is ever seduced;
Men have been like this for a long time.

So the sage is firm but not cutting,
Pointed but not piercing,
Straight but not rigid,
Bright but not blinding.

第五十九章
治人事法、莫若嗇。夫唯嗇、是謂早服。早服、謂之重積徳。重積徳、則無不克。無不克。則莫知其極。莫知其極、可以有國。
有國之母、可以長久。是謂深根固柢、長生久視之道。

人を治め天に事(つか)うるは、嗇(しょく)に若(し)くは莫し。夫(そ)れ唯だ嗇。早く服するは、これを重ねて徳を積むと謂う。重ねて徳を積めば、則ち克(か)たざる無し。克たざる無ければ、則ち其の極を知る莫し。其の極を知る莫ければ、以って国を有(たも)つべし。
国を有つの母は、以って長久なるべし。是を、根(こん)を深くし柢(てい)を固くし、長生久視するの道なり、と謂う。

自然に従って人々を導くには、つつましくすることが最高である。
つつましくすることは戻ることを意味し、
戻ることは、徳を積み重ねることを意味する。
徳を積み重ねれば、あらゆるものがうまく扱われる。
あらゆるものが扱われると極限に至る。
極限において人は国を治めることができる。
源にあって国を治めれば永続できる。
根を深くし、幹を固くすれば、いつまでも生きながらえることができる。
だから、大きな国を治めることは料理を準備するように簡単である。(通常この行は60章冒頭に置く)

59. Restraint
Manage a great nation as you would cook a delicate fish.

To govern men in accord with nature
It is best to be restrained;
Restraint makes agreement easy to attain,
And easy agreement builds harmonious relationships;
With sufficient harmony no resistance will arise;
When no resistance arises, then you possess the heart of the nation,
And when you possess the nation's heart, your influence will long endure:
Deeply rooted and firmly established.
This is the method of far sight and long life.

第六十章
治大國、若烹小鮮。以道莅天下、其鬼不神。非其鬼不神、其神不傷人。非其神不傷人、聖人亦不傷人。夫兩不相傷。故徳交歸焉。

大国を治むるは、小鮮(しょうせん)を烹(に)るがごとし。道をもって天下に莅(のぞ)めば、その鬼(き)、神(しん)ならず。その鬼、神ならざるのみならず、その神、人を傷(そこな)わず。その神、人を傷わざるのみならず、聖人もまた人を傷わず。それ両(ふた)つながら相傷わず。故に徳こもごも帰(き)す。

大国を治めるのには、小魚を煮るようにする。(この行59章末尾説あり)
「道」が天下に普及すれば、悪はその力を失う。
それは、悪がもはや精神的力をもたないということではなく、
その力が人々を傷つけないということである。
実際、その力が人々を傷つけないばかりでなく、
まず、支配者が人々に害を及ぼさない。
どちらも傷つけることがないから、
互いに「道」によって利益が得られるのである。

60. Demons
When you use the Way to conquer the world,
Your demons will lose their power to harm.
It is not that they lose their power as such,
But that they will not harm others;
Because they will not harm others,
You will not harm others:
When neither you nor your demons can do harm,
You will be at peace with them.

第六十一章
大國者下流。天下之交、天下之牝。牝常以靜勝牡、以靜爲下。
故大國以下小國、則取小國。小國以下大國、則取大國。故或下以取、或下而取。大國不過欲兼畜人、小國不過欲入事人。夫兩者、各得其所欲、大者宜爲下。

大国は下流なり。天下の交(こう)、天下の牝(ひん)なり。牝は常に静を以て牡(ぼ)に勝つ。静を以て下ることを為すなり。
故に大国以て小国に下れば、則ち小国を取り、小国以て大国に下れば、則ち大国を取る。故に或いは下りて取り、或いは下りて而して取る。大国は兼ねて人を畜(やしな)わんと欲するに過ぎず、小国は入りて入りて人に事(つか)えんと欲するに過ぎず。夫(そ)れ両者、各々其の浴する所を得んとせば、大なる者宜しく下ることを為すべし。

大きな国はつつましく、貯水池のようである。
そこには、すべての流れが交わる。
それは天の受動性である。
受動性は静けさによっていつも能動性にまさる。
静けさは能動性よりも下位にある。
大きな国が小さな国よりも下位にあると、小さな国にまさり、
小さな国が大きな国よりも下位にあると、大きな国にまさる。
このように、つつましくなりながら、一方は他方にまさる。
あるいは、本来、低い地位にありながら、一方は他方にまさる。
大きな国はただ人々を導き、彼らを育てることを望む。
小さな国はただ他に従属し、たがいに仕事をすることを望む。

61. Submission
A nation is like a hierarchy, a marketplace, and a maiden.
A maiden wins her husband by submitting to his advances;
Submission is a means of union.

So when a large country submits to a small country
It will adopt the small country;
When a small country submits to a large country
It will be adopted by the large country;
The one submits and adopts;
The other submits and is adopted.

It is in the interest of a large country to unite and gain service,
And in the interest of a small country to unite and gain patronage;
If both would serve their interests,
Both must submit.

第六十二章
道者萬物之奥。善人之寳。不善人之所保。美言可以市尊、美行可以加人。人之不善、何棄之有。
故立天子、置三公。雖有拱璧以先駟馬、不如坐進此道。
古之所以貴此道者何。不曰求以得、有罪以免耶。故爲天下貴。

道なる者は万物の奥なり。善人の宝なり。不善人の保(やす)んずる所なり。美言は以て尊(そん)を市(か)うべく、美行は以て人に加うべし。人の不善なるも、何の棄(す)つることかこれ有らん。
故に天子を立て、三公を置くに、拱璧(こうへき)以て駟馬(しば)に先んずる有りと雖(いえ)ども、坐して此の道を進むに如(しか)ず。
古(いにえ)えの此の道を貴ぶ者は、何そ。求むれば以て得られ、罪有るも以て免れると曰(いわ)ずや。故に天下の貴きものと為る。

「道」はあらゆるものの底に隠されている。
立派な人はそれを尊重し、価値なき人はそれによって護られるものである。
良きことばは、名誉として報酬を得、良き仕事は人々を印象づける。
たとえ価値なき人であっても、「道」は決して見捨てることはない。
大きな国に皇帝が立てられ、大臣が任命され、玉や馬が授けられても、
「道」以上に善い提供物はない。
「道」は遠い昔から非常に尊ばれてきた。
どうしてかというと、それを求めないから、人はそれを得るのだ。
たとえ過ちがあったとしても、人はその報いから免れる。
こうして、「道」は天下で最も尊いものとされるのである。

62. Sin
The Way is the fate of men,
The treasure of the saint,
And the refuge of the sinner.

Fine words are often borrowed,
And great deeds are often appropriated;
Therefore, when a man falls, do not abandon him,
And when a man gains power, do not honour him;
Only remain impartial and show him the Way.

Why should someone appreciate the Way?
The ancients said, "By it, those who seek may easily find,
And those who regret may easily absolve"
So it is the most precious gift.

第六十三章
爲無爲、事無事、味無味。
大小多少、報怨以徳。
圖難於其易、爲大於其細。天下難事、必作於易、天下大事、必作於細。是以聖人、終不爲大、故能成其大。
夫輕諾必寡信、多易必多難。是以聖人猶難之、故終無難矣。

無為を為し、無事を事(こと)とし、無味を味わう。
小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以てす。
難きを其の易きに図り、大を其の細に為す。天下の難事は必ず易きより起こり、天下の大事は必ず細より作こる。是(ここ)を以て聖人は、終(つい)に大を為さず、故に能く其の大を為す。
夫(そ)れ、軽諾(けいだく)は必ず信(しん)寡(すく)なく、多易は必ず難多し。是を以て聖人すら猶(な)おこれを難(かた)しとす。故に終(つい)に難きこと無し。

行為や無為、作用や非作用、知や無知、大や小、多や少、
それは、憎しみを愛でもって報い、難しいものに対して易しいうちに処理し、
大きいものに対して小さいうちに処理するようなものである。
天下の難しい仕事は易しいことのなかに始まりがあり、
天下の大きな仕事は小さなことの中に始めがあるからである。
それ故に、賢者は決して大きくなろうとしない。
だから、大きいものに達する。
軽々しく約束すれば、約束を守ることはまれであり、ものを手軽に考えると、
もっと困難なことが起こることが多い。
それ故に、賢者はものを困難なものとしてとらえる。
だから、彼はいつも困難に打ち勝つのである。

63. Difficulty
Practice no-action;
Attend to do-nothing;
Taste the flavorless,
Magnify the small,
Multiply the few,
Return love for hate.

Deal with the difficult while it is yet easy;
Deal with the great while it is yet small;

The difficult develops naturally from the easy,
And the great from the small;
So the sage, by dealing with the small,
Achieves the great.

Who finds it easy to promise finds it hard to be trusted;
Who takes things lightly finds things difficult;
The sage recognizes difficulty, and so has none.

第六十四章
其安易持、其未兆易謀、其脆易破、其微易散。爲之於未有、治之於未亂。合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土。千里之行、始於足下。爲者敗之、執者失之。是以聖人、無爲、故無敗。無執、故無失。民之從事、常於幾成而敗之。愼終如始、則無敗事。是以聖人欲不欲、不貴難得之貨。學不學、復衆人之所過。以輔萬物之自然、而不敢爲。

その安きは持し易(やす)く、そのいまだ兆(きざ)さざるは謀(はか)り易く、その脆(もろ)きは破(やぶ)り易く、その微(び)なるは散(さん)じ易し。これを未有になし、これを未乱に治む。合抱(ごうほう)の木は、毫末(ごうまつ)より生ず。九層の台は、累土(るいど)より起こる。千里の行は、足下(そっか)より始まる。なす者はこれを敗り、執(と)る者はこれを失う。ここをもって聖人は、なすことなし、故に敗るることなし。執(と)ることなし、故に失うことなし。民の事(こと)に従うや、常にほとんど成るにおいてこれを敗る。終りを慎(つつ)しむこと始めのごとくなれば、すなわち敗(やぶ)るる事なし。ここをもって聖人は不欲を欲し、得難(がた)きの貨を貴ばず。不学を学び、衆人の過ぐるところに復す。もって万物の自然を輔(たす)けて、あえてなさず。

じっとしているものはとらえやすい。
現れないうちは扱いやすい。
ちょうど始まっているものは壊れやすい。
小さいものは消滅させやすい。
何でもないうちに処理し、無秩序になる前に秩序だてておけ。
大きな木も小さな若枝から成長する。
九重の塔も一つの小さなかたまりからつくられ始める。
何千マイル行く旅も足もとから始まるのだ。
扱おうとすると失敗し、固執したりすると失ってしまう。
それ故に、賢人は何も行わないから、何も損なわず、
何も固執しないから、何も失わない。
仕事をする場合、ほとんど完成に近づいたときに失敗する。
それ故に、仕事のやり始めと同じく、終わりの段階でも注意せよ。
そうすると、失敗することはない。
こうして、賢者にとって、進んでするということは進んでしないことである。
彼は得るのが難しいものに価値をおかず、学ばれないものを学び、
他人によってつくられてきた誤りを避ける。
彼は万物の本性に従い、それらを決して妨げない。

64a. Care at the Beginning
What lies still is easy to grasp;
What lies far off is easy to anticipate;
What is brittle is easy to shatter;
What is small is easy to disperse.

Yet a tree broader than a man can embrace is born of a tiny shoot;
A dam greater than a river can overflow starts with a clod of earth;
A journey of a thousand miles begins at the spot under one's feet.

Therefore deal with things before they happen;
Create order before there is confusion.

64b. Care at the End
He who acts, spoils;
He who grasps, loses.
People often fail on the verge of success;
Take care at the end as at the beginning,
So that you may avoid failure.

The sage desires no-desire,
Values no-value,
Learns no-learning,
And returns to the places that people have forgotten;
He would help all people to become natural,
But then he would not be natural.

第六十五章
古之善爲道者、非以明民、將以愚之。民之難治、以其智多。故以智治國、國之賊。不以智治國、國之福。知此兩者、亦稽式。常知稽式、是謂玄徳。玄徳深矣、遠矣。與物反矣、然後乃至大順。

古(いにしえ)の善(よ)く道を為す者は、以て民を明らかにするに非ず。将(まさ)に以てこれを愚かにせんとす。民の治め難きは、其の智の多きを以てなり。故に智を以て国を治むるは、国の賊。智を以て国を治めざるは国の福なり。此の両者を知るは、亦た稽式なり。常に稽式を知る、是れを玄徳と謂う。玄徳は深し、遠し。物と与(とも)に反(かえ)る。然る後乃(すなわ)ち大順(たいじゅん)に至る。

いにしえの「道」にすぐれた者は人々に打算的な思考をもたず、
それを知らないままにさせていた。
人々を治めることが難しいのは、彼らが知的分別をしているからである。
知的分別によって国を治めることは有害である。
知的分別によらないで国を治めることは幸福である。
この違いを知って規範をつくる。
この規範を知ることは深遠な「徳」である。
深遠な「徳」は奥深く遠くまでとどく。
それはものの後戻りであり、「道」との大いなる調和へと至るのである。

65. Subtlety
The ancients did not seek to rule people with knowledge,
But to help them become natural.

It is difficult for knowledgeable people to become natural;
So to use law to control a nation weakens the nation,
But to use nature to control a nation strengthens the nation.

Understanding these two paths is understanding subtlety;
Subtlety runs deep, ranges wide,
Resolves confusion and preserves peace.

第六十六章
江海所以能爲百谷王者、以其善下之、故能爲百谷王。是以欲上民、必以言下之、欲先民、必以身後之。
是以聖人、處上而民不重、處前而民不害。是以天下樂推而不厭。以其不爭、故天下莫能與之爭。

江海の能く百谷の王たる所以の者は、其の善くこれに下るを以て、故に能く百谷の王たり。是(ここ)を以て民に上(かみ)たらんと欲すれば、必ず言を以てこれに下り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以てこれに後(おく)る。
是を以て聖人は、上(かみ)に処(お)るも而(しか)も民は重しとせず、前に処(お)るも民は害とせず。是を以て天下は推すことを楽しんで厭わず。其の争わざるを以って、故に天下能くこれと争う莫し。

川や海はあらゆる水に対して指導的に支配する。
それらが他の水に対して低い地位にあるからだ。
それがあらゆる水に対して指導的に支配する理由である。
このように、統治者が人々の指導者になろうと望むならば、
まず、人々の前でつつましくしなければならない。
人々の先頭に立とうと望むならば、まず、彼らのあとに身をおかねばならない。
彼が高い地位にいても、人々は彼の権威を感じず、
人々の前にいても、人々は何ら障害も感じることがない。
だから、すべての人々は彼を支持し、いやがらない。
彼は、誰れとも争わないから、他の人は彼と荒そうことができないのである。

66. Lead by Following
The river carves out the valley by flowing beneath it.
Thereby the river is the master of the valley.

In order to master people
One must speak as their servant;
In order to lead people
One must follow them.

So when the sage rises above the people,
They do not feel oppressed;
And when the sage stands before the people,
They do not feel hindered.

So the popularity of the sage does not fail,
He does not contend, and no one contends against him.

第六十七章
天下皆謂。我道大似不肖。夫唯大。故似不肖。若肖。久矣其細矣夫。我有三寶。持而保之。一曰。慈。二曰。儉。三曰。不敢爲天下先。慈故能勇。儉故能廣。不敢爲天下先。故能成器長。
今舎慈且勇。舎儉且廣。舎後且先。死矣。夫慈。以戰則勝。以守則固。天將救之。以慈衞之。

天下皆我れを大なるも不肖(ふしょう)に似たりと謂う。夫(そ)れ唯大なり。故に不肖に似たり。若し肖ならば、久しいかな其の細(さい)なるや。
我れに三宝有り、持してこれを保つ。一に曰く慈(じ)、二に曰く倹(けん)、三に曰く敢えて天下の先と為らず。慈なるが故に能(よ)く勇、倹なるが故に能く広く、敢えて天下の先と為らざるが故に能く器の長を成す。今、慈を舎(す)てて且(まさ)に勇ならんとし、倹を舎てて且に広からんとし、後なるを捨てて且に先ならんとすれば、死せん。
夫れ慈は、以って戦えば則ち勝ち、以って守れば則ち固し、天将(まさ)にこれを救わんとし、慈を以てこれを衛(まも)る。

世間の人は、私が決まったものを出さず、何ものもあらわしていないという。
私が何ものもあらわしていないのは、決まったものを出していないからである。
もし何かをあらわしていたら、私はもはや決まったものをあらわさないだろう。
私が価値あるものとしてもっている三つの宝がある。
第一は慈しみであり、
第二は倹約であり、
第三は天下の人々の先頭に立つことを望まないことである。
慈しみがあるから勇気を出すことができ、
倹約するから広く施しをすることができ、
天下の人の先頭に立たないから、自分の能力の充分な成長をとげることができる。
ところが、現在、人々は勇敢であろうとして、慈しみをもたない。
広く施そうとするが、倹約はしない。
自分の能力の充分な成長を望んで、天下の先頭に立つことにあこがれる。
しかし、実際に死があるだけだ。
戦争にあっても、慈しみによって勝利を得る。
防衛にあっても、うまく防ぐことができる。
この種の人は天によって救われ、慈しみによって護られる。


67. Unimportance
All the world says,
"I am important;
I am separate from all the world.
I am important because I am separate,
Were I the same, I could never be important."

Yet here are three treasures
That I cherish and commend to you:
The first is compassion,
By which one finds courage.
The second is restraint,
By which one finds strength.
And the third is unimportance,
By which one finds influence.

Those who are fearless, but without compassion,
Powerful, but without restraint,
Or influential, yet important,
Cannot endure.

第六十八章
善爲士者不武。善戰者不怒。善勝敵者不與。善用人者爲之下。是謂不爭之徳、是謂用人之力、是謂配天之極。

善(よ)く士たる者は武ならず。善く戦う者は怒らず。善く敵に勝つ者は与(あらそ)わず。善く人を用(もち)うる者はこれが下となる。これを不争の徳と謂い、これを人の力を用うと謂い、これを天の極に配(はい)すと謂う。

すぐれた戦士は荒々しくない。
すぐれた闘士は怒気をあらわさない。
すぐれた勝利者は競争をしない。
すぐれた指導者は人々の前でつつましい。
これは争わない「徳」といわれ、他人の力をうまく使うといわれる。
これは空間と時間をこえ、天の至上さと匹敵する。


68. Compassion
Compassion is the finest weapon and best defence.
If you would establish harmony,
Compassion must surround you like a fortress.

Therefore,
A good soldier does not inspire fear;
A good fighter does not display aggression;
A good conqueror does not engage in battle;
A good leader does not exercise authority.

This is the value of unimportance;
This is how to win the cooperation of others;
This to how to build the same harmony that is in nature.

第六十九章
用兵有言、吾不敢爲主而爲客、不敢進寸而退尺。是謂行無行、攘無臂、扔無敵、執無兵。禍莫大於輕敵、輕敵幾喪吾寳。故抗兵相加、哀者勝矣。

用兵に言あり、「われあえて主とならずして客となり、あえて寸を進まずして尺を退く」と。これを無行を行き、無臂(むひ)を攘(ふる)い、無敵を扔(つ)き、無兵を執(と)ると謂う。禍(わざわい)は敵を軽んずるより大なるはなし。敵を軽んずればほとんどわが宝を喪(うしな)う。故に兵を抗(あ)げて相加(くわ)うるときは、哀(かな)しむ者勝つ。

戦術について次のことばがある。
「わがほうは最初に敵を攻撃せず、攻撃されてから行動する。」
「わがほうは一寸でも進もうとはせず、一尺でも後退するのだ。」
これは作戦のない作戦、武器のない武器をとり、敵のない敵を襲い、
兵器のない兵器を運ぶといわれる。
敵をあなどるほど大きな禍いはない。
敵をあなどるということは、
慈しみ、倹約、そして天下の先頭に立とうと思わない教えを破ることである。
だから、二つの軍隊が交戦するとき、慈しみをもっている方が勝利をしめる。

69. Ambush
There is a saying among soldiers:
It is easier to lose a yard than take an inch.

In this manner one may deploy troops without marshalling them,
Bring weapons to bear without exposing them,
Engage the foe without invading them,
And exhaust their strength without fighting them.

There is no worse disaster than misunderstanding your enemy;
To do so endangers all of my treasures;
So when two well matched forces oppose eachother,
The general who maintains compassion will win.

第七十章
吾言甚易知、甚易行。天下莫能知、莫能行。言有宗、事有君。夫唯無知、是以不我知。知我者希、則我者貴。是以聖人、被褐而懷玉。

わが言は甚(はなは)だ知り易(やす)く、甚だ行ない易し。天下よく知ることなく、よく行なうことなし。言に宗(そう)あり、事に君あり。それただ知ることなし、ここをもってわれを知らず。われを知る者は希(まれ)なれば、われに則(のっと)る者は貴し。ここをもって聖人は、褐(かつ)を被(き)て玉(ぎょく)を懐(いだ)く。

私の言葉を理解し、それに従うのは難しくない。
しかし、天下に誰れもそれを理解し、従うことのできる者はいない。
何故ならば、言葉は源からでており、行為には行う人がいるからだ。
これがわからないで、私を理解することはできない。
私を理解できなければできないほど、私はますます価値あるものとなる。
だから、賢人はぼろぼろの衣服の下に貴重な宝物をかくしている。

70. Individuality
My words are easy to understand
And my actions are easy to perform
Yet no other can understand or perform them.

My words have meaning; my actions have reason;
Yet these cannot be known and I cannot be known.

We are each unique, and therefore valuable;
Though the sage wears coarse clothes, his heart is jade.

第七十一章
知不知上。不知知病。夫唯病病、是以不病。聖人不病、以其病病、是以不病。

知りて知らずとするは上なり、知らずして知るとするは病(へい)なり。夫れ唯だ病を病とす、是を以って病あらず。聖人は病あらず。其の病を病とするを以って、是を以って病あらず。

知ることのできないものを知るのが最上である。
そして、これを知らないのが欠点である。
欠点を欠点として知れば欠点とはならない。
賢人には欠点がない。
彼は欠点を欠点として理解する。
だから、彼は欠点をもたない。


71. Limitation
Who recognizes his limitations is healthy;
Who ignores his limitations is sick.
The sage recognizes this sickness as a limitation.
And so becomes immune.

第七十二章
民不畏威、則大威至矣。無狎其所居、無厭其所生。夫唯不厭、是以不厭。是以聖人、自知不自見、自愛不自貴。故去彼取此。

民、威を畏(おそ)れざれば、すなわち大威(たいい)至らん。その居るところに狎(な)るることなかれ、その生ずるところを厭(ふさ)ぐことなかれ。それただ厭がず、ここをもって厭がれず。ここをもって聖人は、自らを知りて自らを見(しめ)さず、自らを愛して自らを貴(たっと)ばず。故にかれを去りてこれを取(と)る。

人々が恐れをもたないとき、「根本的な恐怖」を経験する。
自分の住んでいる場所がせばめられないから、彼らは安心して生活している。
安心して生活しているから、彼らの生活は平和である。
それ故に、賢者は自分自身を知っているが、みずからを見せびらかさない。
自分自身を養うが、みずからを偉ぶらない。
小さな恐れを捨てるけれども、根本的な恐怖を経験する。

72. Revolution
When people have nothing more to lose,
Then revolution will result.

Do not take away their lands,
And do not destroy their livelihoods;
If your burden is not heavy then they will not shirk it.

The sage maintains himself but exacts no tribute,
Values himself but requires no honours;
He ignores abstraction and accepts substance.

第七十三章
勇於敢則殺、勇於不敢則活。此兩者或利、或害。天之所惡、孰知其故。是以聖人猶難之。天之道不爭而善勝、不言而善應、不召而自來、繟然而善謀。天網恢恢、疏而不失。

あえてするに勇なればすなわち殺(さつ)、あえてせざるに勇なればすなわち活(かつ)。この両者はあるいは利、あるいは害。天の悪(にくむ)むところ、たれかその故を知らん。ここをもって聖人すらなおこれを難(かた)しとす。天の道は争わずして善く勝ち、言わずして善く応ぜしめ、召さずしておのずから来(まね)き、繟然(せんぜん)として善く謀(はか)る。天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疏(そ)にして失わず。

勇敢だが、無謀なものは死ぬ。
勇敢だが、無謀でなければその命は救われる。
この二つのうち、一方は利となり、他は損失となる。
天が憎むことを誰れが知ろう。
賢人でさえすぐれた選択はできない。
天の道に従えば、争わないでも必然的に勝ち、尋ねなくても自発的に反応し、
招かなくても成功はひとりでにやってくるし、
故意でなくても天の道はうまく工夫されている。
自然の網はすべてを包みこむ。
その目はあらいが、何も逃さない。


73. Fate
Who is brave and bold will perish;
Who is brave and subtle will benefit.
The subtle profit where the bold perish
For fate does not honour daring.
And even the sage dares not tempt fate.

Fate does not attack, yet all things are conquered by it;
It does not ask, yet all things answer to it;
It does not call, yet all things meet it;
It does not plan, yet all things are determined by it.

Fate's net is vast and its mesh is coarse,
Yet none escape it.

第七十四章
民不畏死、柰何以死懼之。若使民常畏死、而爲奇者、吾得執而殺之、孰敢。常有司殺者殺。夫代司殺者殺、是謂代大匠斲、夫代大匠斲者、希有不傷其手矣。

民、死を畏(おそ)れざれば、いかんぞ死をもってこれを懼(おそ)れしめん。もし民をして常に死を畏(おそ)れしめて、而うして奇(き)をなす者は、われ執(とら)えてこれを殺すを得るも、たれかあえてせん。常に司殺者(しさつしゃ)ありて殺す。それ司殺者に代わりて殺す、これを大匠(だいしょう)に代わりて斲(き)ると謂う。それ大匠(だいしょう)に代わりて斲(き)る者は、その手を傷つけざることあるは希(まれ)なり。

人々はもはや死を恐れない。
どうして彼らを死をもっておどかすのか。
生きているのを同じように死を恐れているならば、
我々は犯人をつかまえ、死に向かわせることができる。
その時、誰れが罪を犯すことになろうか。
(自然には)人間の生命を終わらせるものがいつもある。
我々が殺す役目を負うならば、
木を伐る偉大な工人の役目を負うようなものである。
我々が木を伐る工人の役目を負うならば、
ほとんど手助けができず、自分の手を傷つけることになる。

74. Execution
If people were not afraid of death,
Then what would be the use of an executioner?

If people were only afraid of death,
And you executed everyone who did not obey,
No one would dare to disobey you.
Then what would be the use of an executioner?

People fear death because death is an instrument of fate.
When people are killed by execution rather than by fate,
This is like carving wood in the place of a carpenter.
Those who carve wood in place of a carpenter
Often injure their hands.

第七十五章
民之飢、以其上食税之多。是以飢。民之難治、以其上之有爲。是以難治。民之輕死、以其上求生之厚。是以輕死。夫唯無以生爲者、是賢於貴生。

民の飢(う)うるは、その上(かみ)の税を食(は)むことの多きをもってなり。ここをもって飢(う)う。民の治め難きは、その上(かみ)のなすことあるをもってなり。ここをもって治め難し。民の死を軽(かろ)んずるは、その上の生を求むることの厚(あつ)きをもってなり。ここをもって死を軽(かろ)んず。それただ生をもってなすことなき者は、これ生を貴ぶより賢(まさ)る。

人々が食糧を奪われるのは、王があまりにも重く税金をとるからである。
だから、彼らは飢え苦しむのだ。
人々が治まらないのは、王が生活に干渉するからで、だから、治めにくいのだ。
人々が自分の生命を軽く捨てるのは、彼らの王が途方もなく生を追求するからで、
それ故に、人々は自分の生命を軽く捨てるのである。
自分の生命を少しでも気にかけない物こそ、
他人の生命を尊ぶ方法を知るのである。


75. Rebellion
When rulers take grain so that they may feast,
Their people become hungry;
When rulers take action to serve their own interests,
Their people become rebellious;
When rulers take lives so that their own lives are maintained,
Their people no longer fear death.

When people act without regard for their own lives
They overcome those who value only their own lives.

第七十六章
人之生也柔弱、其死也堅強。萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。
是以兵強則不勝、木強則折。強大処下。柔弱処上。

人の生まるるや柔弱、其の死するや堅強なり。万物草木の生まるるや柔脆(じゅうぜい)、其の死するや枯槁(ここう)なり。故に堅強なるものは死の徒(と)にして、柔弱なる者は生の徒なり。是(ここ)を以て兵は強ければ則ち勝たず、木は強ければ則ち折る。強大なるものは下(しも)に居り、柔弱なるものは上に処る。

人が生きているときは、身体は柔らかく、かよわい。
死ぬときには、堅くてこわばっている。
草木が生きているときは、柔らかく、かよわい。
死ぬときには、しなびれて枯れれいる。
それ故に、堅いものは死に近く、柔らかいものは生に近い。
このように、軍隊は柔軟でなければ戦いに負ける。
板がかたく乾けば、それは砕ける。
強くて堅いものは低いままにあり、
柔らかくてしなやかなものは高いところにある。

76. Flexibility
A newborn is soft and tender,
A crone, hard and stiff.
Plants and animals, in life, are supple and succulent;
In death, withered and dry.
So softness and tenderness are attributes of life,
And hardness and stiffness, attributes of death.

Just as a sapless tree will split and decay
So an inflexible force will meet defeat;
The hard and mighty lie beneath the ground
While the tender and weak dance on the breeze above.

第七十七章
天之道其猶張弓乎。髙者抑之、下者擧之。有餘者損之、不足者補之。天之道損有餘而補不足。人之道則不然、損不足以奉有餘。孰能有餘以奉天下。唯有道者。是以聖人、爲而不恃、功成而不處、其不欲見賢。

天の道はそれなお弓を張るがごときか。高きものはこれを抑え、下(ひく)きものはこれを挙(あ)ぐ。余りあるものはこれを損(へら)し、足らざるものはこれを補う。天の道は余りあるを損(へら)して足らざるを補う。人の道はすなわち然(しか)らず、足らざるを損してもって余りあるに奉(ほう)ず。たれかよく余りあるをもって天下に奉ぜん。ただ有道の者のみ。ここをもって聖人は、なして恃(たの)まず、功成りて処(お)らず、それ賢を見(しめ)すことを欲(ほっ)せず。

自然の道は弓を引いた曲線に似ている。
上端のものは押し下げられ、下端のものは引き上げられる。
余りすぎは減らされ、足りないものは補われる。
自然の道は余っているものを減らし、足りないものを補うのである。
一方、人の道は足りないほうを減らし、余っているほうへ補うのである。
いったい余りすぎるものをもっていて天下の人々のためにおぎなうことのできる者は誰れか。
「道」を有した者だけがそれをできる。
それ故に、賢者はそれをするが、誰れがしているのかわからない。
成功しても、名声を求めない。
そして、他人よりも優れていることを見せびかすようなかことがあるだろうか。

77. Need
Is the action of nature not unlike drawing a bow?
What is higher is pulled down, and what is lower is raised up;
What is taller is shortened, and what is thinner is broadened;
Nature's motion decreases those who have more than they need
And increases those who need more than they have.

It is not so with Man.
Man decreases those who need more than they have
And increases those who have more than they need.

To give away what you do not need is to follow the Way.
So the sage gives without expectation,
Accomplishes without claiming credit,
And has no desire for ostentation.

第七十八章
天下莫柔弱於水。而攻堅強者、莫之能勝。以其無以易之。
弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。是以聖人云、受國之垢、是謂社稷主、受國不祥、是謂天下王。正言若反。

天下の水より柔弱なるは莫(な)し、而(し)かも堅強を攻むる者、これに能(よ)く勝る莫し。其の以てこれを易(か)うるもの無きを以てなり。
弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざる莫くも、能く行なう莫し。是を以て聖人は云う、国の垢を受く、是を社稷の主と謂い、国の不祥を受く、是を天下の王と謂う、と正言(せいげん)は反するが若(ごと)し。

水は天下で最も柔らかく、しなやかなものである。
また、それは強くて堅いものに最もよく打ち勝つことができる。
これは真実で、変わることがない。
「しなやかなものが堅いもの負かし、柔らかいものが強いものを負かす。」
天下のすべての人がこれを知っているが、それを人生に適応できない。
だから、賢者はいう。
「国全体のはずかしめを引きうける者は、国家の予言者になる。
天下の悪い予言を堪え忍べる者は、天下の王となる。」
正しい表現は反対に聞こえるものである。


78. Yielding
Nothing in the world is as soft and yielding as water,
Yet nothing can better overcome the hard and strong,
For they can neither control nor do away with it.

The soft overcomes the hard,
The yielding overcomes the strong;
Every person knows this,
But no one can practice it.

Who attends to the people would control the land and grain;
Who attends to the state would control the whole world;
Truth is easily hidden by rhetoric.


第七十九章
和大怨必有餘怨。安可以爲善。是以聖人執左契而不責於人。有徳司契、無徳司徹。天道無親、常與善人。

大怨(たいえん)を和すれば必ず余怨(よえん)あり。いずくんぞもって善となすべけんや。ここをもって聖人は左契(さけい)を執(と)りて人に責めず。有徳は契を司(つかさど)り、無徳は徹を司る。天道は親(しん)なし、常に善人に与(くみ)す。

深い怨みを和解させても、必ずいくつかの怨みがあとに残る。
このように、和解は最善の方法とはいえない。
賢者は借人の契約書は握っているけれど、借人に支払いを求めない。
だから、
「徳」のある者は契約書を握るだけであり、
「徳」のない者は税金のとりたてをする。
自然の道にえこひいきはない。
それはつねに善人の側につく。

79. Reconciliation
When conflict is reconciled, some hard feelings remain;
This is dangerous.

The sage accepts less than is due
And does not blame or punish;
For harmony seeks agreement
Where justice seeks payment.

The ancients said: "nature is impartial;
Therefore it serves those who serve all."


第八十章
小國寡民、使有什伯之器而不用。使民重死而不遠徙。雖有舟轝、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。使民復結繩而用之、甘其食、美其服、安其居、樂其俗。鄰國相望、雞犬之聲相聞、民至老死不相往來。

小国(しょうこく)寡民(かみん)、什伯(じゅうはく)の器(き)あるも用いざらしむ。民をして死を重んじて遠く徙(うつ)らざらしむ。舟轝(しゅうよ)ありといえども、これに乗るところなく、甲兵(こうへい)ありといえども、これを陳(つらぬ)るところなし。人をしてまた縄を結びてこれを用い、その食を甘(あま)しとし、その服を美とし、その居に安んじ、その俗を楽しましむ。隣国(りんごく)相望み、雞犬(けいけん)の声相聞こゆるも、民は老死に至るまで相往来(おうらい)せず。

小さくて人口の少ない国がある。
数多くの道具があったとしても、誰れもそれを使わない。
人々は生命を大事にし、誰れも遠くに移住することを望まない。
船や車は役に立つが、誰れもそれらに乗らない。
すばらしい武器を所有していても、誰れもそれを使わない。
人々にもう一度、縄を結んで約束のしるしとしたような時代に戻らせ、
すばらしいごちそうで楽しませ、立派な服装を着させる。
自分の住居でおちつかせ、習慣を楽しませる。
隣の国はすぐ見えるところにあり、鶏の鳴き声や犬の吠えるのがきこえるけれど、人々は互いに往き来することもなく、その人生を送るのである。


80. Utopia
Let your community be small, with only a few people;
Keep tools in abundance, but do not depend upon them;
Appreciate your life and be content with your home;
Sail boats and ride horses, but don't go too far;
Keep weapons and armour, but do not employ them;
Let everyone read and write,
Eat well and make beautiful things.

Live peacefully and delight in your own society;
Dwell within cock-crow of your neighbours,
But maintain your independence from them.

第八十一章
信言不美、美言不信。善者不辯、辯者不善。知者不博、博者不知。聖人不積、既以爲人己愈有、既以與人己愈多。天之道、利而不害。聖人之道、爲而不爭。

信言(しんげん)は美ならず、美言(びげん)は信ならず。善なる者は弁(べん)ぜず、弁ずる者は善ならず。知る者は博(ひろ)からず、博き者は知らず。聖人は積(つ)まず、既(ことごと)くもって人のためにしておのれいよいよ有し、既(ことごと)くもって人に与えておのれいよいよ多し。天の道は、利して害せず。聖人の道は、なして争(あらそ)わず。

言葉が真理をあらわしていると、その言葉は美しくなく、
言葉が美しいと、その言葉は真理をあらわしていない。
本当に立派な人は言葉で議論をせず、言葉で議論する人は立派ではない。
本当の知者は博識でなく、博識の人は本当に知っていない。
賢者は蓄めることをしない。
他人のために出し尽くすと、得るものは多くなり、
他人のために分けてやると、得るものはさらに多くなる。
天の「道」は善いことをなすが害を加えない。
賢者の「道」は行いをするが名声を求めない。

81. The Sage
Honest people use no rhetoric;
Rhetoric is not honesty.
Enlightened people are not cultured;
Culture is not enlightenment.
Content people are not rich;
Riches are not contentment.

So the sage does not serve himself;
The more he does for others, the more he is satisfied;
The more he gives, the more he receives.
Nature flourishes at the expense of no one;
So the sage benefits all men and contends with none.


参照サイト:
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8318/genbun_ue.html
http://kanbun.info/shibu02/roushi00.html
http://www.ginzado.ne.jp/~okoshi/rousi.html
http://www.chinapage.com/gnl.htmlより

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老子『道徳経』(1〜81)

|_道(ロジック)1#,23,25,32,34,(51),60
| | |
| | 発生論11#,21,25,39#,40#,42,52
| |    |
| |    |    __水8#,78#
| |    |___|  
| |        |__嬰児 (女性(受動性)礼賛6,10#,20,28,49)49,55、
| |
| |    _物理法則4,5,(自然,天地5,6,7),無用の用11#,22,26,36,40,(対立52,63)
| |___|
|     |_理想状態64,(小国寡民)80#
| 

|_徳
修身政治38,41,51#,55,65
  | | 
  | 逆説1,2#,18,(41),81#   
  | ||

  | ||______感覚批判12#,14,(相2,20),35
  | |
 
  | |     __
学問批判18,19,20,48#
  | | 学問_|  
  | |__| |__知識批判71

  |    |
  |    |  __聖人5,29,49,64,70
  |   政論_|
  |      |__政治論3#,13,15,17,25,26,27,29,53,61,(63),65,71,72#,74#,79  
  |           
  | 
修身____処世術(玄6,27,善2,8,65)7,9,16,24,33,44,47#,50,67(宝),70,73、
  |__|
     |  __武器軍事29,30,31#,36,(68),69
    政治_|
       |__行政37,46,54,57,58,59,(60),61,62,(66),(68),(72),税金75#,(78)


参考: 夏目漱石老子解説図



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