日曜日, 2月 25, 2018

財務3表





谷山豊

Jacobi多様体と数体

JaCObi多様体と数体D§1.緒 言虚2次体上の類体はすべて,虚数乗法を持つ楕円函数のモズルと,周期の等分値とにより生成され得るというのが,古典的な虚数乗法論の主要な結果である。所で,この理論の,より高次の体への一般化を試みたものとしては,これまで, Hёcke[2],[3]の理論があるにすぎない。ここでは,此等の理論を特別の場合として含む,下般的な虚数乗法論を作ることを目標とする。一方,代数体上定義された代数曲線の←函数に対し,HasSeは,それが全複素平面で有理型で,普通の型の函数等式を満すであろうと予想した。この予想は, α“π+妙π+ε=0という形の方程式で定義される曲線に対して0まWeil[8]により,虚数乗法を持つ楕円曲線に対してはDeuring[1]により,それぞれ肯定的に解決された。ここでは,上の理論の応用として虚数乗法を十分多く持つ曲線及びAbel多様体に対し, この予想を証明する。§2.準 備"Aをσ次元Abel多様体,班(4)を4のendomorphismの環,10(4)を,γ(4)の係数環の,有理数体への拡大により得られるalgebraとする。 班(A)の元は, Aの1次第1種微分の空間の1次変換を引き起すから, 此の空間の基底ωl,…・,物を用いて,班(A)を逆表現することが出来る。S(μ),μC)(■)を,此の逆表現の行列とする.今以上すべてのものが,有限次代数体んの上で定義されているとする。Tをたの素イデアルとし,此等のものをmOd.鶉でreduceして得られるものを,対応する記号の上に~をつけて表わすことにする。補助定理1.ほとんどすべての(つまり有限個を除く)恥に対し, AはAbel多様体で,μ→μは,班(■)から2(4/1)の中への同型写像であり,又う1,…。,あσは4の1次第1種微分の空間の基底で,それによるγ(a)の逆表現をS(μ)と書けば,S(μ)=S(μ).この補助定理の中で除かれた素因子Tを,スの例外素因子という。以後mOd.弔で考えることは,例外でない撃に限ることにし,一々断らない。`ほとんどすべての'という形容詞も省略することがある。仮定1.以後,2(4)が,2σ次の代数体Kのorderと同型な環Rを含むと仮定する。Kを含む最小の正規体をKと書く。Rのすべての元に対し, S(μ)は, ん。KIこおいて,同時に対角形に変換される。そのとき,Xの=(1し)にと書ける.σtはKから複素数体の中への同型写像で,特にσlは恒等写像とする。以後μとμlを同一視する。補助定理2.σOを,Kの複素共範同型とすれば, σl,・…,σク,σOσl,…・,σOσσ lま, K から複素数体の中への, 2g個の同型写像すべてである。それ故とくに,4が単純ならば,Kは,総実なるσ次の体るの,総虚な2次の拡大である。系.たがKを含むとき,σをのλへの接続の一つを再びσをで表すことにする.そのときたの数βに対して, Nκ/K(βσrl.…βσ『1)のすべての共輌は,その絶対値が(Nの1/2である。ここでNは絶対ノルムを表わす。

§3.Hasseの←函数まず,RがKのprincipal orderでぁるとする。 Rのイデアルαに対し, αα=0,Vα〔αを満す4の点αを,4のα分点という, αが,αより本当に大きいどんなイデアル6に対してもう分点でないとき,本来のα分,点という,α分点はN(α)個, 本来のα分点は′(a)個ある,ただしψ(a)はαのEuler函数。それ故,αを本来のα分点とするとき,グを,λ(α)/んの同型写像とすれ|ゴ, ασ=μσα なるμσ(Rがある.ルを含むmOd.oでの剰余類をくσ〉と書けば,〈σ)|まσにょリー意に定まり, αと素なdll余類である.んはすべてのμの定義体だから, αστ=(μσα)τ=μσμτα。それ故,σ→〈σ〉は,ん(α)/んのGalois群から,mOd.αの素剰余類群の中への同型写像を与える。特に,た(α)/ん|まAbel拡大である。さて,″をスのん上のgeneric point(以下G.P.と略す)とする.零をたの素因子とする.そのとき, ″→″珊はオのendomorphismであるが,仮定1より,それは,Rの中に逆像π"を有する。(″N撃は,夕の座標のヽ印乗を座標に持つ点を表わす。)又,例外素因子と素なんのイデアルお=撃1・…撃γに対し1ぉ=π澪1…・πttγと定義する.仮定2.λ⊃て(§3のみ)。補助定理3。わ(π魅)=Nた/K(おσrl.…魅σ,1),今,上に考えたイデアル0が,Kの判別式の2倍と素であるとする.適当な自然数Fを取れば,た(α)は, た上のIFを法とするStrahl類体に含まれる。ここでFがαで割れるとしてよい。σ(撃)をん(α)/んでの,零のFrobenius 自己同型とすれば, ″■)=α騨=元摯″だから,π"は〈σ(弔)〉に属する.故に, σ(8)をん(α)/んでの, おのArtin記号とすれば‐πぉC〈σ(魅)〉.特に, たの数βに対し,β=l mod.Fならば,πくβ)=l mOd.α。それ故補助定理2の系と補助定理3とより,αについての仮定を使えば,此のようなβに対しては,π〈β)〓Mκ/K(βσ11・…βσア1)。それ故,χ(8)=π魅/lπぉ10またの量指標である。さて,4の,Hasseのζ―函数は例外でない恥に対する■の合同ζ―函数の無限積として定義される。所が後者は,4の,λ上ノ次の点の個数Ⅳレから計算される°,所が″′は,4の,部-1分点の個数,故に″′=N(π孫-1).以上をまとめて,定理1.仮定1,2の下に,スのん上のζ―函数ζИ(s)は,次のように表わせる.00〓のた1.1じル←~誉″F好嘲→mμここでχは上に定義された量指標,ルはKの2σ個の同型写像で,積は,一定のμに対しては, ρtの, μ項の組合せすべてにわたる.LはんのL―函数,0(s)は,簡単な形の有理函数で,例外素因子に由来するD。系,Cを,有限次代数体ん上定義された代数曲線で,そのJacobi多様体が,上の定理の条件を満すものとする。そのときCの←函数に対しても,Hasseの予想が成立つ.即ちそれは,量指標のL―函数により表せる.§4.不分岐拡大体の構成仮定3.以後RはKのprincipal orderとする。KのGalois群をGとし,KIこ対応するその部分群を″とする。Σ腸`σ=ク                            `=1Σ腸じ を満すσ全体の作る,Gの部分群`=1を,G*とする。K*を,G*に対応する,Kの部分体とする。そのとき次の形の分解が成『:説等謹7111[Hil〔:|||ll・i〔il::i:告はKのイデアルになる。そのときたの素イデアル弔で, N″/κ*=摯='メ なるものに対し,(π雫)=「(p)∫.仮定4.κ*の,ほとんどすべての1次素イデアルゃに対し,「(p)は,Kの,どんな真部分体のイデアルにもならない

補助定理4.以上の仮定が成立てば,4は単純である。又K*の1次の,の, んにおける素因子恥に対し,λも単純である.したがって2(4),γ(4)は共にRに同型である.補助定理5.αをんの上のG.P。とする。Rのイデアルαに対し,4から,或るAbel多様体Bへの準同型′αで,    ん(スα“)=∪α(.ん(αの を満すものがある.此のスα,Bは同型を除き一意に定り,ん上で定義され得る。そして,スαA筈′6Aは,Kでα~6なること,即ち,α=6(β)なるKの数βがあることと同等である。ゃを,K*の1次素イデアル,Tをπにおけるその素因子とすれば, 明かに π(夕)=π(々む)グ).ただし夕=坤。ここでB〓λαスとして,2(ス)と班C)との同型対応を, スノ=μりαなるμ∈班(■)とμ*C班(め とを対応させることにより固定する。そのとき, 班(4)のイデアル6の像をう*と書けば,明かに,26りα4室れA・一方, たの同型写像σに対し,4から4σへの準同型スがあると仮定する.σは)(4)から班(4σ)への同型♂:μ→μσを引き起す。故に,′→μ*は,I(4σ)の自己同型である。所が,補助定理6.仮定4の下に,班(4)の自己同型Σに対し, 表現S(μΣ)とS(μ)とが同じ特性根を持てば,Σは実は恒等置換である.系.S(/)がS(μ)と同じ特性根を持てιゴ,メ′=μ*.ここで,解析的理論を援用しなければならない。Endomorphism環がRと同型で,同一の表現S(のを許容するような,互いに同型でないAbel多様体をス1,・…,4んとすれば,Riemann行列の理論より,4tの間には,上への準同型が存在し,さらに,4t=λot4と取れる。今此等の中で,単因子がすべて1であるRiemann形式を持うものをAl,…・,4んとすれば, これらも, その中の一つスにより,ス|=′●,4と書けるが,そのときαじはKのイデアルで,Kの,指数2の実体K。(補助定理2を見よ)へのノルムαFじが,KOの狭い意味での主類に属するものの作る,Kのイデアル類すべてにわたる。此のような類の作る群をCと書けば,Cの位類は, それ故ん′である。簡単のためん/K*を正規とし,そのGalois群をGとする.σ(6に対し,2(4σ)はRと同型で, 又4σもすべての単因子1なるRiemann形式を持つから,4σ笙′α“)4と書け,これにより,α(σ)を含むイデアル類[σ]が一意に定まる。勿論[σ](α.又τ(6に対し, 4στ笙′3(のスOC/〓′。“口。(っ4。所が,τは,K*の上の自己同型だからS(μτ)はS(μ)と同じ固有値を持つ,故に補助定理6の系よりμr=μ*, 従らて α(σ)τ=α(σ)*, 結局4στ≡′。(τ)。(のス・故にσ→[σ]は,GからCの中への準同型写像である。そのkernelをるとし, 0に対応する: んの部分体をでとすれば, K/K*のGalois群はCの部分群と同型,故にAbel群である。αをスのん上のG.P。とする。ゎをK*の1次素イデアルとし, σ(p)を, pの,K″0でのFrobenius自己同型とすれば,pの, んでの素因子弔でreduCtiOnして,π(ασQ))=π(F2)=π(′r5)″),貝日ち 五σ(D笙々簿√.2(a)笙R笙班(4)(補助定理4)ょり,これから,「(や)C[σ(p)].特にσ(p)∫=11ま「(p)∫~1と同等。それ故,K*のイデアル6で,「(6)がKで単項イデアルになるものすべての作る群をIとすれば,定理2.Kは,イデアル群rに対する,K*の類体である.特に,Cの各類が,「(6)なる形のイデアルで代表されるときは,[K:K*]=ん′.此れは,`類方程式'の既約性を意味する.§5.分点の体における分解法則κ*のイデアル数の系を一つ選びの, イデ

アル6を表すイデアル数をβと書く。「(β)=βτrl……βτ『11まnにより1の算根因子を除き定まり,従って,本質的には, イデアル数の系の選び方によらない。絶対値を比べれば,π摯=ε′Γ(合)イがわかる。ただし畢0まんの素イデアル, Nたノκ*弔=pt,=(お),又ε′は1の幕根である。Kに含まれる1の薫根の集合をEと書き,スの点αに対し,Eα=Σε(2(εα)なる, 0次元のcycleを定義する.そしてん(¢)0を,んを含み,その上でEαが有理的になる最小の体とする。αをKのイデアル,αを,スの,本来のα分点とする。K*の素イデアルゎがんでノ次に分解するとする。一方/0を合同式ε′′Γ(合)′0≡ε mOd.αが成立つ最小の自然数とする。ここにε′′は1の軍根,ε〔E。今Fを,ノと/0との最小公倍数とすれば,π絆=ε′″′Γ(合)F=ε2(α), ε2CE, だから, Eα Oま石yで不変,故にEαはた上高々F//次,故にス計上高々F次である。EαのKX上の次数は,弔のん(α)0/んでの分解の次数に等しい.それを島とすれば,それ故FO≦ユー方定義より, π澪。〃万〓τZなるε〔Eがあるから,π澪″≡ε(a).貝口ちε′r(3)「o=ε(a).又鳥力`/の倍数であることは明かだからF≦F。,故にF=FO.故に,ε′「(β)=ε mod.α,ε(Eを満すイデアル(β)の作る群をf・と書けば,定理3.ん(α)。は,んと, ィデアル群Icに対する,K*の類体との合成体である。系。4がK上で定義されていれば,K(α)oは,■に対する,K*の類体である。

註1)二三の事情のため,この題名は内容に多様体と数体                 I“そぐわないものになった。妥当な題名は,`Abel多様体と数体'であろう。
2)以下に現われる概念の定義,主要性質についてはヽヽreil[6],Shimura[5],Hecke[4]その他を見られたい。
3)補助定理2はこの補助定理を使って証明される.従ってこれを先に書いた方が良いかもしれない.4)Weil[7].
5)Rがprincipal orderでないときは,principal orderのときに帰着される。
6)定義はHecke[4].

文  献
[1]M. Deuring, Die Zetafunktionen eineralgebraischen Kurven vom Geschlecht Eins,Nachr.Akad,Wiss.Gёttingen,(1953),85-94.
[2]E.Hecke,Hёhere Modulfunktionen undihre  Anwendung auf  die Zahlentheorie,Mtth.Ann.,71(1912),137.
[3]E.Hecke,Ober die Konstruktion relat市ABEL―scher Zahlkёrper durch Modulfunk―tionen von zwei Variablen, WIath. Ann., 74(1913), 465-510.
E4] E.Hecke, Eine neue Art von Zetafunk―tionen und ihre Beziehing zur Verteilungder Primzahlen, Ⅱ, Math.Z.,6(1920),11-51.
[5]Go Shimura, ReductiOn of algebraicvarieties with resp∝t to a discrete valuatiOnof the basic neld, Amer.」.Math。,77(1955) 134-176.
[6]A.Weil, Vari6t6s ab61iennes et courbesalg6briques,Paris, 1948.
[7]A.Weil,Number of sOhtiOns of equationsin flnite nelds, Bull. Amer. Math. Soc., 55(1949), 497-508.
[8]A.Weil,Jacobi sums as`Gr6ssenchar‐aktere',Trans.Amer.Math.Soc.,73(1952),487-495.(本研究は文部省研究助成金(昭29年)によるものである






地政学の逆襲:転載



地政学の逆襲
『ネットワーク分析―何が行為を決定するか』(安田雪、新曜社)で紹介されていた、スナイダーとキックの論文*は興味深い。
ウォーラーステインが、直観的に中心、周辺として分けた国際的な従属構造を数値化しているのだ。




しかし、これらはパラメーターの選び方にもよるが、基本的には軍事力と経済力が従属関係を決定するという結論が先に見えているものだ。ヘーゲルのように主人―奴隷関係として思弁化していない点は偉いとは思うが、、、

これに対して、最近柄谷行人が紹介しているウィットフォーゲル(以前このブログでも紹介した**)などはそれに対して地政学の重要性を示している。
こちらのほうが、これからのアメリカ、日本のあり方を指し示しているように思う。
アメリカ合衆国は南米に吸収されるだろうし、日本は「島」だということが重要になるのだ。

追記:
地政学の重要性は、以前にも書いたが、スケールフリーを誘発するネット社会が、「地域」という実体をもつことではじめてスケールフリー化を防ぐことができるという展望にも関わる。



Structural Position in the World System and Economic Growth, 1955-1970: A Multiple-Network 
Analysis of Transnational Interactions 
David Snyder; Edward L. Kick 
The American Journal of Sociology, Vol. 84, No. 5. (Mar., 1979), pp. 1096-1126. 
Stable URL: 
http://links.jstor.org/sici?sici=0002-9602%28197903%2984%3A5%3C1096%3ASPITWS%3E2.0.CO%3B2-X 


現代の地政学

〈犀の教室〉
佐藤優 著
四六判 320頁 定価:本体1500円+税
978-4-7949-6826-5 C0031 〔2016年7月〕

 

この知見を抜きにして、世界情勢は語れない。
話題の「地政学」テキストの決定版!

イギリスのEU離脱で揺れるヨーロッパ、泥沼化する中東情勢、「イスラム国」の脅威、世界に広がるテロ・難民問題、覇権国家の思惑、宗教・宗派間の対立……複雑に動く国際情勢を読み解くには、いま「地政学」の知見が欠かせない。各国インテリジェンスとのパイプを持ち、常に最新の情報を発信し続ける著者が、現代を生きるための基礎教養としての地政学をレクチャーする。世界を動かす「見えざる力の法則」の全貌を明らかにする、地政学テキストの決定版!

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【目次】

第一講 地政学とは何か

第二講 ハートランドの意味

第三講 ヨーロッパと中東

第四講 海洋国家とは何か

第五講 二一世紀の地政学的展望

____

マンガでわかる地政学 (池田書店) Kindle版


**

還ってきたウィットフォーゲル

『 「東洋的専制主義」論の今日性—還ってきたウィットフォーゲル 』(湯浅 赳男 )はルサンチマンが漂う文体だが、非常に興味深い研究書だ。
湯浅氏の訳した『オリエンタル・デスポティズム』などは、日本の官僚機構を見ると今日的な書だと思うが、本書はその絶好のイントロダクションだろう。
ネットワーク理論を研究していて思ったことだが、地政学的視点(ウィットフォーゲルの理論も一義的には地政学だ)がないとその理論そのものがスケールフリー(格差拡大的)、デスポティズム(専制主義的)になってしまうのだ。
内容的には、思想の状況論よりも実質において、亜周辺が中心に移行する過程が解明されるともっと有意義ではあろうが、、、
『源氏物語』が中心にいる中国の宦官の目から見れば冒涜の書であるという記述(p90)など、中心/周辺/亜周辺の考察がいかにアクチュアリティを持つかがわかる。マルクスの相対化などはこうした考察抜きには不可能だろう。

また冒頭の図式付きの要約がありがたい。以下引用です(ちなみに図で捨象されたという遊牧民の問題に関しては『世界史の誕生』 (ちくま文庫) 岡田 英弘が示唆に富む)。




本書の要点
*水力国家とは、単に水利・治水を行う国家ではなく、自然と間接的に関わる工業社会型国家と同じレヴュルの概念で、自然と直接的に関わる国家である。
*文明は中心・周辺・亜周辺の三重構造をつくっている (上図)。
*階級の社会学には、(権力)の階級社会学と(所有)の階級社会学とがある。
*『オリエンタル・デスポティズム』(東洋的専制主義)を一般理論とすれば、『資本論』は特殊理論である。 



図解 いちばんやさしい地政学の本 単行本(ソフトカバー) – 2017/5/30


土曜日, 2月 24, 2018

マーラーとフロイト


http://nam-students.blogspot.jp/2018/02/blog-post_76.html

 しかし、マーラーにしてみれば、精神の根底から揺りかえされたのであり、第十交響曲の草稿の余白に、私宛にほとばしり出たような言葉の断片を書きつけたのもその頃であった。彼は自分の送ってきた生活の中に、神経病者的なもののあることを自覚し、突然、ジークムント・フロイトに相談しようと思い立った(そのころフロイトはオランダのライ´アンに住んでいた)。彼がフロイトに自分の心の異様な状態と不安感とを説明すると、フロイトは鮮かに彼の精神を鎮静させてくれた。彼はマーラーの告白をきいて、激しく彼の誤りを責めたという。「どうしてあなたのような身分の方が若い女に一緒にいてくれと頼む気になるんですか」と彼は聞いた。彼の結論は以下のようだった。「私は君の奥さんを知っている。あの人は父親を愛しており、父親に似た人間だけしかえらばないし、愛さないのだ。あなたの年齢は、あなたはひじょうに恐れているようだが、実はあの人にとっては魅力のある年齢だ。だから心配することなどない。一方、あなたは自分の母親を愛している。それで、あらゆる女のうちに自分の母親のイメージを求めている。あなたのお母さんは、生活に疲れ、やつれ果てていた。あなたは無意識のうちに、自分の奥さんを同じ目に会わせたいと望んでいるのだ」
 フロイトの言ったこの二つはともに当たっていた。グスタフ・マーラーの母の名はマリーといった。彼の最初の頃の衝動は、私の名前をマリーに変えようということだった。しかも彼はマリーのrの発音が不得意であったにもかかわらずなのである。さらに私を知るにつれ、私の顔がもっと「悩みを持っている」ほうがよいと言った。ある時彼が私の母に、私があまり苦労をしないで育ってきたのは残念なことだ、というと、母はこう答えた、「だいじょうぶよ――いまにそうなるから」と。
 私も、求めるのは、小柄で、やせて、頭がよく、精神面の秀でた男性ばかりであった。それは、私が知っており、愛している私の父の面影なのである。
 フロイトの診断は、マーラーの精神状態を整えることができた。もっとも当人は母に対する心理的な固定の件は認めようとしなかった。彼はその種のことには目を背けて認めようとしなかった。


マーラー
愛と苦悩の回想
アルマ・マーラー
中公文庫1987年
313~4頁


Mahler and Freud - rodoni.ch

 

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https://www.rodoni.ch/busoni/neill/aggiunte/mahlerfreud.pdf

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psychoanalysis, surprised Freud by understanding it with remarkable speed. Perhaps Mahler, in his turn, was surprised by Freud's analysis of himself - as partial as it had to be in the peculiar circumstances of the interview. In a letter of 1935 to Theodor ReikFreud wrote: "In highly interesting expeditions through [ Mahler's] life history, we discovered his personal conditions for love, especially his Holy Mary complex (mother fixation)".10. Mahler, his wife tells us, "refused to acknowledge" ...



 こうした感情的には穏やかならぬ毎日を送っていた頃のある日、私は娘のグッキーを連れて散歩に出た。家の近所ま玉戻ってくると、私の歌を弾き、歌っているのがきこえた。私は立ち止まった――というより立ちすくんだ。捨てられた、可哀想な私の歌。私中一けあまもつたの中す一¨¨¨一幹﹈マぁぇ】『時一赫毅一¨り一¨”一いゃ一一¨″﹈一中静一ヽ一言も言えなかった。「蒔一型」酔ダ『一0たんだ。いい歌だ――すばらしいょ。ぜひ仕事をしたまぇ、出版し・ ヽヽ ドに  ,■ ♪,て ,ハ´じによ ′、 ヽよ。よ一かは制鰤』パ」紳湖舞日作曲を始めてくれないことには、ぼくは心安らかでないよ。ぼくはあの頃は勝手で、何もわからなかったんだよ」彼は何回もくり返して弾いた。私は坐ったまま聴かされる羽目になった――十年の歳月ののちに、やっと、私の願ってぃたものがかなえられたのである。しかもそれだけでなかった。彼が私の才能を過大評価して大げさな言葉で褒めてくれるので、それだけはやめさせた。その夏、私


マーラー 君に捧げるアダージョ 2011 (プレビュー)

https://youtu.be/HzzoVDNbytE


https://mental.or.jp/column/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%A8%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC


映画 「マーラー・君に捧げるアダージョ」 を観てきました。

ドイツ語の原題は「カウチの上のマーラー」カウチとは、精神分析で使用する寝椅子のことです。

マーラーがフロイトの治療を受けたのは1910年ですが、映画では前額法が用いられていましたが、この時期のフロイトは前額法をやめ、自由連想法に切り替えていたはずですので、映画の資料に問題があったのかどうか分かりませんが、それ以外のところは大体史実に忠実に描かれていた様に思います。

参考:

Mahler: Symphony 3, movement 4 (Nietzsche: Midnight Song)

https://youtu.be/GZ4MtSIvK_4

「 おお人間よ! 心せよ 」
           交響曲第3番第四楽章より
O Mensch! Gib acht  

      詩: フリードリッヒ・ニーチェ

おお人間よ! おお人間よ! 
心せよ! 心せよ!
何を語っているのか 深い真夜中は?
「われは眠っていた われは眠っていた
深き夢より われは目覚める
世界は深い
はるかに深いのだ 昼間が考えていたよりもずっと
おお人間よ! おお人間よ! 
深い 深い 深いのはその苦悩 深いのはその苦悩
だが快楽は -心の苦悩よりなお深いのだ
苦悩は語る:消え去れ!と
だがあらゆる快楽は永遠を求める
深い 深い永遠を求めるのだ!」



Mahler and Freud - rodoni.ch

 

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psychoanalysis, surprised Freud by understanding it with remarkable speed. Perhaps Mahler, in his turn, was surprised by Freud's analysis of himself - as partial as it had to be in the peculiar circumstances of the interview. In a letter of 1935 to Theodor ReikFreud wrote: "In highly interesting expeditions through [ Mahler's] life history, we discovered his personal conditions for love, especially his Holy Mary complex (mother fixation)".10. Mahler, his wife tells us, "refused to acknowledge" ...


We are particularly  fortunate in the case of Mahler  that  the  kind  of information I have in mind comes from a meeting he had in  1910  with none other than Sigmund Freud. The fact that the  meeting  took  place has  been  known  for  some  time; Mrs. Mahler mentions it in her memoir of her husband and gives a brief account  of  the  interview,  based  upon what she was told  by  Mahler.8  What has come to light recently  is Freud's  own  account  of  his conversation with Mahler, made by  Freud in a personal  communication  to  the psychoanalyst Marie Bonaparte in 1925. Perhaps I may  say  at this point that it is entirely  due to the courtesy  and most generous cooperation of Dr. Ernest Jones,  Freud's biographer, that I am in possession of this new  material.9  


First a word about the meeting itself.  In  1910, Mahler became seriously alarmed about his relationship to his  wife. He was advised to consult Freud, wrote, was given  an  appointment  - cancelled it. He cancelled his appointment – significantly  - no less than three times. Finally  the meeting took place in Leyden, Holland, towards the end  of  August.  The two  men  met  in  a hotel, and then, in Dr. Jones' words, "spent four hours  strolling  through  the  town  and conducting a sort of analysis". The interview  over, Freud caught a tram back to the coast, where he was on a holiday, and Mahler returned by  night train to the Tyrol.  


8  See Alma Mahler,  Gustav Mahler: Memories and Letters,  London, 1946, pp.146-7

 9  See Ernest Jones,  Sigmund Freud: Life and Work,  Vol.  II    London, 1955, pp. 88-9.  Dr. Jones was good enough to provide  me with the materials that formed the basis of this broadcast in advance of its  publication in the second volume of his immaculate biography. I am happy  to pay  tribute once more to his generosity. 




expounded his humane science. Perhaps  it was this common ground, between psychoanalyst and patient that explains why  Mahler, who had never before  met  with psychoanalysis,  surprised Freud by  understanding it with remarkable speed. Perhaps Mahler, in his turn,  was surprised by  Freud's analysis of himself - as partial as it had to  be in the peculiar circumstances of the interview.  In a letter of 1935 to Theodor Reik,  Freud  wrote:  "In highly  interesting expeditions  through [Mahler's] life history,  we discovered his personal conditions for love, especially  his  Holy  Mary complex (mother fixation)".10   


10

See Theodor Reik,  The Haunting Melody, New  York, 1953, pp. 342 ff. 


But it is not my  purpose this evening  to attempt a critical evaluation of specific features of Mahler's  music. I only  hope to show  how  frequently in  his music, though by  very  various means, he re-enacted his traumatic childhood experience, how  the  vivid contrast between high tragedy  and low  farce, sublimated,  disguised and transfigured as it often was, emerged as a leading artistic  principle in his music, a principle almost always  ironic in intent and execution.  Mahler himself confused the issue  by  crudely  over-simplifying it. It would be easy  to point to the parallel between  his  music  and  his childhood experience if comedy  always  relieved tragedy, or  a commonplace thought succeeded every  noble one. But his  music, mercifully, is more interesting than that: the trauma  assumes  complex shapes. However, in his first symphony, in the slow  movement,  we have a clear instance of the  basic  conflict at work. The movement is a sombre funeral march. Mahler's  use of a round, ""Frere Jacques", as the  basis  of the march is symptomatic of both his ironic intention and of his ability  to make old - even mundane - musical material  serve  new ends by  reversing its established meaning. [SI 3  p.  78.  Start  of movement to Fig. 3.] Already  in the  movement's  first  section, the funereal mood has been interrupted  by  outbreaks of deliberate parody. In the gloomy recapitulation, the very  march itself is juxtaposed with these mundane invasions, not quite hurdy-gurdy  music perhaps, but close to  it.  The result is almost a  literal  realization of the tragic mood inextricably mingled with the commonplace. [SI 3. p. 89. 2 bars after Fig. 14 to  Fig. 17.] Many  like examples of this  kind  of simultaneous expression of seeming opposites could be found in  Mahler's early  music. As he matured, the gap between his contrasts  narrowed.  There  is  a  greater degree  of thematic and formal integration. One might say  that in disciplining  his tension, Mahler succeeded in subduing the most strident features of his contrasting materials. The  Seventh  Symphony's first  movement offers an interesting instance. The movement begins with an exalted, mysterious slow  introduction. [SVII 1. p.  1.  Start  of movement  to  Fig.  3.] This compelling mood is abruptly  terminated in a passage  in Mahler's favourite march rhythm, which bumps us down to earth - a common function of Mahler's  march-inspired motives. [SVIlI. p. 5'. bar 1 to p. 6, bar 3.] The sudden drop  in  the  level  of  harmonic tension and the sudden change in the character of the musical invention are, I think, striking. That the march motive grows thematically  out  of  the opening paragraph integrates the contrast but does not lessen its effect. It is rather  as  if Mahler were expressing the conflict in terms of pure music - demonstrating that even  the  most  farreaching and profound musical  idea  can have a commonplace consequent, and one, moreover, which is thematically  strictly  related.  It is,  so  to speak, still his childhood experience; still the hurdy-gurdy punctures and deflates and makes its  ironic  comment.  But  now  the experience is lived out at the subtlest artistic level. Even the  mundane march  motive  is occasionally  transformed into something sublime. For the most part, however, it ranges the movement as a free agent, as a saboteur, stressing a rough world's impingement upon the eternal. Here, as a final example  from  this  work, the rudely  triumphant march cuts across the ecstatic convolutions  of  the movement's lyrical second subject. [SVIlI. p. 69. 2 bars before Fig. 60 to p. 72, double bar.]  Perhaps the most significant  musical consequence of Mahler's childhood  trauma  was  this:  that his unhappy  experience meant that the hurdy-gurdy  - the symbol of the commonplace - assumed a quite  new weight. Its music became  as  charged  with emotional tension as the tragic  incident to which it was related. The conjunction of high tragedy and the commonplace meant that the commonplace  itself,  in  the  right context, could be used as  a  new  means of expression; and here Mahler remarkably  foreshadowed a main trend in 20th century  art, not only  in music, but also in the literary  and visual  arts.  Undoubtedly  this 11  See Bruno Walter and Ernst Krenek,  Gustav M4hler,  New  York, 1941,  pp.  1634


 Mahler,  his wife tells us, "refused to acknowledge"  this fixation - the denial  confirms rather than contradicts Freud's diagnosis - but it seems that  the meeting had a positive effect and Mahler's marriage was stabilized for the brief remainder of his life.  



http://www.acheronta.org/acheronta18/delahanty.htm

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自動翻訳

しかし、両作品のカテゴリーは専ら自分の次元に属していることに留意すべきである。すなわち、精神分析理論の専門は内部構造、無意識、夢、性的欲求の説明から理解される。 すべての音楽分析の具現性には、その構成モード、調波関係、コード、スタイルとジャンル、および音楽運動の歴史的状況が含まれます。 作品の独自の領域では、彼らの特別で補完的な意味を持っています。

"a)正確にその科学的、哲学的、審美的などの価値を構成する限り、不可欠な歴史的意義。

b)純粋に個人的な意義は、精神分析に明らかにされ、仕事の中で個々の症状以上のものであり、非常にしばしば特定の非典型的な精神構造の症状を表す限り、最初のものに従属する」(Goldmann、1957、p。 64)

コンサルテーション

ミュージシャンの画家は苦しみの中で喜びを求めました。 言葉遊び 彼の危機に苦しんでいるマーラーは、オランダのライデンで夏休みを楽しんでいたフロイトに相談するよう伝言を送りました。 マーラーは画家、フロイトは喜び、 ライドは苦しみを意味します。

マーラーは名前の入った封筒を手に入れましたが、手紙は彼の妻アルマのためのものでした。 そこで彼は彼の心を奪った。 アルマは年を取って、夫の愛情を念頭に置き、彼自身の創造とレクリエーションに焦点を当て、若くて美しい青い目の妻を内向きに捨てました。 彼の手にミサイルを持っていたマーラーは、その意味を尋ね、彼の出発点を知りました。 彼の悲しみは罪悪感に変わり、痛みでいっぱいでした。 両方とも一日中泣き、後悔して歩いた。 その中で、エクスタシーと嫉妬の殉教が起こった。 アルマは自尊心を取り戻し、彼女が彼女に無関心であったことを明らかにしました。 マーラーは、地面に近づくために、地面に横たわっている嘆きを持っています。 彼はその後、彼女を失うというパニックに苦しんだ。

ウィーンの精神分析家、アルマの親戚であるネパレクは、彼をフロイトに勧めました。 オランダの精神分析者Groenveldtが会議を開催しました。 マーラーの疑念は、プロウドが限界を設定するまで、同意と同意を否定して、連続電報を送るように彼に誘導した。 1910年8月26日のセッションは、都市の周りを歩いて4時間続いた。

アルマ氏は、「私は彼に奇妙な気分や不安を話したし、フロイトは明らかに彼を落ち着かせた」と告白した。彼は告白を聞いた後、激しい非難をした。結論として、彼は「私は彼の妻を知っている」と尋ねた。彼女は父親を愛していて、彼のような男だけを選び愛することができる。あなたがとても恐れているのは、まさにあなたを魅了するものです。苦しみを感じないでください。あなたはあなたの母親を愛し、すべての女性の中で彼女を探しました。落ち着きや病気に圧倒されました。無意識のうちに、 "(マーラー、1947、p.147)。

マーラーは1910年8月26日または27日に妻に電報を送った。「私はまだよく抵抗しています。本当に正常です。私はライン川に沿って悲しいことに過ごしました。 Reikによると、 "治癒"の後、彼の疑念と拘束が消えて、愛する能力が強化されました。

マーラーの文書と手紙で私はフロイトについての言及を見つけました:「フロイトはまさに正しいです:あなたはいつも私の光と中心点でした」彼は1910年9月7日にアルマに手紙を書いた。 一方、フロイドはさまざまな機会にマーラーを数えます。 1911年5月17日、ウィーン精神分析学会の水曜日の会合で、マーラーの死の前日、マックス・グラフは、マールラーの野望が、彼の悲劇に基づいて彼の天才の特徴であるとコメントした9歳 Paul Federnは、症状に基づいて創造性を主張する理由はないと答えました。実際、彼の泳ぎの狂信は心臓発作を引き起こしました。 フロイトはこのセッションで論文が多かれ少なかれ正しいと判断したが、彼の裁量によってマーラーについて何も追加できなくなったと結論づけた。 次の週、スタイナーは霊的な影響が死を引き起こす可能性があると述べました。 ヘラーは、マーラーの早期死は、若く死んだ天才たちのそれと等しいと考えています。 フロイは、マーラーにとって、彼の人生の本質的なポイントであり、彼の芸術的可能性に従って彼の経験を変えて提供するか、あるいは紛争を避けるという代替案が提示されたと述べた。

フロイトは1935年1月4日にライクに弟子の質問に答えて書きました。「私は1912年にマーラーを精神分析しました。ライデンのライデンでは、私は非常に良い結果を得ています。その時、彼の妻は自分の性欲を彼女から奪ったという事実に反抗し、人生の歴史の中で非常に面白い侵入を通して、彼の条件を発見したので、個人的には、特に聖母マリアとの複合体(母性固定)のために、私はその天才の人の心理的理解の能力を賞賛する絶好の機会を得ました。その時には、強迫神経症の症候的な外観あたかも神秘的な建物に1つの穴が開けられたかのようだった」 (Reik、1956、p.237)。


マーラー、アルマ(1946年)、グスタフ・マーラー、記憶と手紙マドリード、トーラス、1979年。

Reik、Theodor(1956)、精神分析研究の冒険、ブエノスアイレス、Hormé、1967



フロイトとマーラー | みゆきクリニック

https://mental.or.jp/column/フロイトとマーラー

映画 「マーラー・君に捧げるアダージョ」 を観てきました。
天才作曲家グスタフ・マーラーのセルフィッシュな素顔と、妻の不貞に苦悩する姿、美貌と才能に恵まれたマーラーの若き妻アルマの、不倫と天才に仕える者の苦悩、そしてマーラーが救いを求めて精神分析医フロイトの元を訪れ治療を受ける3つの主題を軸に、マーラーの亡くなる前年の、晩年が描かれています。

ドイツ語の原題は「カウチの上のマーラー」カウチとは、精神分析で使用する寝椅子のことです。

マーラーがフロイトの治療を受けたのは1910年ですが、映画では前額法が用いられていましたが、この時期のフロイトは前額法をやめ、自由連想法に切り替えていたはずですので、映画の資料に問題があったのかどうか分かりませんが、それ以外のところは大体史実に忠実に描かれていた様に思います。

フロイトはマーラーと、診察室ではなく、ホテルで会います。
フロイトはシチリア旅行を切り上げて、忙しいマーラーの公演スケジュールに合わせて、マーラーの滞在先を訪れ、時間を作りますが、マーラーは2度もフロイトとの約束を直前でキャンセルしたばかりか、3度目も逃げ出そうとし、フロイトが追いかけ、強引に治療に引きずり込みます。

フロイトは葉巻をひっきりなしに吸い続けながら、マーラーに心の深淵をのぞく様、乱暴に、執拗にたたみかけます。
耐えきれずにマーラーは部屋を飛び出しますが、深夜戻って来て治療を再開します。
切羽詰まっていたとは言え、短時間で立て直して治療に戻ってくるあたりは、天才の持つ、常人を越えた自我の強さを示していると言えるのでしょう。

映画の中のフロイトは、現代の精神分析のある種体系化された治療技法から見ると、とても稚拙で、お話にならない位、技術的には未熟です。

精神分析医は、1日に同じ患者と何時間も会ったり、一緒に食事をしたり、同じ列車のコンパートメントに乗ったり、自分の家族のことや個人的なことを話したりはしません。映画を見た人に、これが精神分析だと思われたら困るな、と思う様な態度ややりとりばかりです。

もし現代において、同じようなことを若い精神分析を志す医師が行ったとしたら、彼は先輩の上級医師から集中砲火を浴びて、立ち直れない位批判されたでしょう。
精神分析はフロイトが創始したものですが、理論や技法が体系化されたのはむしろフロイト以後ですので、フロイト自身が、精神分析の初心者だったのです。

しかし・・・、患者さんに対しては絶対に行ってはならないことの連続ですが、専門領域は違うけれども、同時代を生きた二人の天才の出会いとして見ると、この映画はまた違った趣を持って胸に迫ってきます。

野戦病院で、消毒も麻酔も十分ではない状況で無理やり行った手術の様な、非常に乱暴な治療ではありましたが、結果的にマーラーは救われます。
どう、救われたのでしょう・・・?
妻・アルマの気持ちが既に離れていることに変わりはなく、マーラーの辛い苦しい状況は、何ら変わっていないのに・・・?

マーラーの「心のあり様」が変わったのです。
妻の心は既に自分から離れている、しかし不貞があったとしても、許せるかどうかなどということではなく、何があったとしても自分の人生からアルマを失うことは出来ない・・・もし起こりうる最大の悲劇があるとしたら、妻を失うことにある・・・そのことにマーラーが気付き、二人の関係性を見つめ直した、苦しい状況に変わりは無くても、その気付きが、マーラーを救ったのでしょう。

フロイトとマーラーの言語的なやり取りは、強引で乱暴なものに終始していたにも関わらず、何故マーラーは短期間の治療で、その様な「心のあり様」が数段高い所へ登ることができたのでしょう・・・?

そこに、言葉の上では表現されてはいないけれども、二人の天才の無意識的コミュニケーションというべき、魂の語らい、の様なものを想像してみます。
私は「魂」とか「スピリチュアル」という言葉が嫌いで、魂とかスピリチュアルと言っただけで、何か崇高なものであるかの様に錯覚している人たちの考え方にはどうしても馴染めず、これらはギリギリまで使いたくない言葉の一つですが、しかし、それでも、他に表現の仕様がない、これ以外に適当な言葉が見つからない…そういう場合があります。
フロイトとマーラーの関係が、恐らく、そうなのでしょう・・・。

乱暴な治療にも関わらず、マーラーが不幸の中にも心の安定を見出すことが出来たのは、言語や時空を越えた何かが作用していたはずです。
フロイトは、言葉ではなく、魂の交流で、マーラーを変えたのでしょう。
そして恐らくフロイトは、終生、魂の治療を続けたのでしょう。

フロイトと出会った人は、どんな出会い方をしたにせよ、好むと好まざるとに関わらず、大きな影響を受けずにはいられなかった、と言われています。
人によっては心の色彩が変わる程の、体験だったのでしょう。

フロイトとマーラーの間に、どのような無意識的コミュニケーションがあったのか、それは誰にも分かりません。
フロイトとマーラー自身、それをどれほど自覚していたのかすら、分かりません。
稀有な天賦の才能が出会い、短時間で人生を変える程の魂の交流があった・・・結果として言えるのは、それだけです。

フロイトは、魂とかミステイックなものを遠ざけ、その様な世界に向かおうとするユングを厳しく戒め、とうとう破門してしまいました。
その為にユングは、精神病状態にまで陥っています。

「天空に飛翔するのはたやすい、しかし勇気を持って地上にとどまれ」とはフロイトの有名な言葉ですが、フロイトは言語表現にこだわり、安易に「魂」などと言う定義不能なものを学問に取り入れることを、嫌いました。
しかし、誰よりもフロイトは、魂の仕事を、していたのでしょう。
誰よりもその能力が優れていたからこそ、その力を恐れたのでしょう。

芸術家は天賦の才能に恵まれているとはいえ、神の啓示に形を与え、それを表現する、いわば自らの才能の従僕です。
マーラーは音楽と言う表現で、フロイトは言葉と言う表現で、自らの才能に仕えたのでしょう。

私の恩師の小此木啓吾先生は古澤平作先生に師事し、古澤平作先生はフロイトに師事しました。
だから私はフロイトの曾孫弟子にあたる・・・ということが、私の密かな誇りです。

金曜日, 2月 23, 2018

ダイアモンド博士の“ヒトの秘密” - NHK 2018 全12回

ダイアモンド博士の“ヒトの秘密” - NHK
世界的ベストセラー『銃・病原菌・鉄』で知られる進化生物学者ジャレド・ダイアモンド博士が、アメリカ・ロサンゼルスで、若者向けに行った特別授業を12回にわたって放送。ヒトと動物の違いと共通点に注目し、言語やアートの本質、夫婦の不思議、そして、なぜ人間の間で格差が拡がってしまったのかを考える事によって、環境破壊や、戦争と大量虐殺など人間が抱えている問題について、解き明かしていく。

ダイアモンド博士の“ヒトの秘密” 1▽チンパンジーからヒトへ1.6%のドラマ

プロローグ

https://www.dailymotion.com/video/x6dbd32

第1回チンパンジーからヒトへ1.6%のドラマ
第2回「動物のコトバ、ヒトの言語」
第3回「芸術(アート)のジョーシキを 疑え」 
第4回「性と出会いのメカニズム」

第8回“進化”から見た文明格差





  

第8回「“進化”から見た文明格差」

ダイアモンド博士は、「銃・病原菌・鉄」でピュリッツァー賞を受賞した進化生物学者。人間の進化によって現代社会を考察する博士の特別授業を12回にわたって放送。

第8回のテーマは「格差」。ヒトは、狩猟採集の暮らしから少しずつ農業に移行してきた。しかし、そのタイミングとスピードには、地域によって大きな違いがあった。どのような条件が、その差を生んだのか。また、それは、後の人々の暮らしに、どのような影響を与えたのか。ダイアモンド博士が、ヒトの文明の謎に切り込んでいく。

【出演】進化生物学者…ジャレド・ダイアモンド,【声】糸博

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第7回「農業は人類に何をもたらしたのか」

ダイアモンド博士は、「銃・病原菌・鉄」でピュリッツァー賞を受賞した進化生物学者。人間の進化によって現代社会を考察する博士の特別授業を12回にわたって放送。

第7回のテーマは「農業」。狩猟採集の生活から農業への移行は、ヒトの暮らしを大きく変え、文明発展の基礎となった。一方、農業はヒトの体や社会に、大きな問題も引き起こしてきた。農業は人類をどう変えたのか。ダイアモンド博士が生徒たちと明らかにする。

【出演】進化生物学者…ジャレド・ダイアモンド,【声】糸博

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第6回「不思議いっぱい ヒトの寿命」

ダイアモンド博士は、「銃・病原菌・鉄」でピュリッツァー賞を受賞した進化生物学者。人間の進化によって現代社会を考察する博士の特別授業を12回にわたって放送する。

第6回は寿命について。ヒトの人生、そして動物の一生の長さは、どうやって決まるのか。なぜヒトは人生の半ばで子供を産まなくなるのか。そこには、進化によって緻密に設計された生と死のメカニズムがあると言われる。ダイアモンド博士が、命の謎に迫る。

【出演】進化生物学者…ジャレド・ダイアモンド,【声】糸博

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第5回「夫婦の起源 性の不思議」

ダイアモンド博士は、「銃・病原菌・鉄」でピュリッツァー賞を受賞した進化生物学者。人間の進化によって現代社会を考察する博士の特別授業を12回にわたって放送する。

第5回のテーマは夫婦関係について。ヒトや動物は、パートナーを見つけ、出来るだけ多くの子孫を残そうと手をつくす。中でもヒトは、ほかの動物とは大きく異なる夫婦関係を築いてきた。果たしてその関係は、ヒトの発展にどのように貢献したのか。ダイアモンド博士が夫婦関係をめぐる進化の謎を解き明かす。

【出演】進化生物学者…ジャレド・ダイアモンド,【声】糸博

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第4回「性と出会いのメカニズム」