火曜日, 12月 31, 2019

国宝へようこそ 法隆寺

国宝へようこそ 第1集「法隆寺」

(オープニング)
オープニング
オープニング映像。今回は法隆寺の国宝を紹介。
キーワード
国宝法隆寺
(国宝へようこそ)
国宝「中門」
最初に紹介する国宝は「中門」。出入り口がふたつというかまえ。この門のむこうに仏の世界がひろがる。西院伽藍には世界最古の木造建築がたち並ぶ。
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中門国宝斑鳩町(奈良)法隆寺西院伽藍
国宝「五重塔」
続いて紹介する国宝は「五重塔」。釈迦の骨をまつるために建てられた。心柱の真下に安置されている。上にいくほど屋根が小さくなっており、これはより高く美しく感じさせる工夫だという。木の特徴を見極めて建てられているため、今でも一直線。軒下には縁の下の力持ちてきな存在として踏ん張る像がつくられている。
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五重塔国宝法隆寺西岡常一
国宝「金堂」
続いて紹介する国宝は「金堂」。寺の本尊をまつる重要な建物。法隆寺のなかで最も古く、まさに世界最古の木造建築!中国古来の建築様式で建てられている。中国にはもうのこっていないので貴重だという。大きな扉は一本のヒノキからきりだされた1枚板。当時すでに樹齢1000年はこえていたとみられている。注目は扉の格子の部分。格子をよく見ると、1枚の板をくりぬいてつくられていることがわかる。
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ヒノキ国宝法隆寺金堂
聖徳太子と法隆寺
法隆寺は再建されたものと考えられている。もともとの法隆寺はどこにあったのか?今よりすこし南側に建っていたという。それは落雷で全焼。あとかたもなく消えてしまった。聖徳太子が最初の法隆寺をつくった人物。仏教を積極的に学び日本の礎をきずいた。日本に仏教をひろめるため聖徳太子がみずから創建したのが法隆寺だった。聖徳太子はやまいにたおれ突然この世を去った。皇位継承をめぐる争いで一族も滅亡した。最初の法隆寺が焼けたのはその後のことだった。しかしおよそ40年後法隆寺は再建され、西院伽藍が完成した。一体何のために…?
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国宝法隆寺聖徳太子西院伽藍
国宝「釈迦三尊像」
法隆寺再建のワケが金堂の中に隠されていた。中央には国宝「釈迦三尊像」。法隆寺の本尊。釈迦三尊像のうしろには仏から放たれる光をあらわした光背が広がる。仏が人々を救済するために小さな姿となってあらわれ、炎のうずをまいて上へ上へとのぼっていく。あらわしているのは浄土の世界。天蓋からたれる細長いかざりは木でつくられ、その間にある小さなたまは当時貴重だったガラスなどをつかっている。鳳凰がまい、その上では天人が笛をふき、浄土の世界がにぎやかに演出されている。しかしそれらは下からはほとんど見えない場所にある。
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国宝法隆寺聖徳太子釈迦三尊像 (法隆寺)金堂
釈迦三尊像の光背の裏側にはこの像をつくったいきさつがきざまれていた。聖徳太子がやまいにふす。家臣たちは病気の回復を願いこの像をつくりはじめたという。しかし聖徳太子は死んでしまう。この像は太子の死後に完成したものだった。この像は聖徳太子と同じ身長でつくられており、人々は釈迦と聖徳太子の姿をかさねあわせたとみられている。
キーワード
国宝法隆寺聖徳太子釈迦三尊像 (法隆寺)金堂
国宝「薬師如来坐像」
当時聖徳太子を慕っていたのは僧侶や豪族など様々な人たち。人々の太子への思いがうんだもう1つの仏像が「薬師如来坐像」。この像は太子の死後数年経ってから釈迦三尊像にならってつくられたといわれている。釈迦三尊像、薬師如来坐像、そっくりなこの2つの像には、太子の時代を生きた人々と太子なき時代を生きた人々の思いが込められている。聖徳太子の浄土をつくるため金堂はたてられ、法隆寺は再建された。
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国宝法隆寺聖徳太子薬師如来坐像釈迦三尊像 (法隆寺)金堂
国宝「毘沙門天立像」
聖徳太子への信仰がつづくなか、様々な像がうみだされ金堂をいろどった。国宝「毘沙門天立像」。大陸から伝わった仏像に日本独自の彫刻技術が加わっている。
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国宝毘沙門天立像法隆寺聖徳太子金堂
国宝「吉祥天立像」
国宝「吉祥天立像」。赤を基調としたひときわ華やかな印象。そでの部分からは布のような質感を味わうことができる。
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吉祥天立像国宝法隆寺聖徳太子金堂
国宝「廻廊」
西院伽藍は周囲が廻廊で囲まれている。廻廊は神聖な場所をしきる役割をはたす。柱は宮大工によって大切に手入れされてきた。1300年ここにたちつづける柱。幾多の天変地異をたえてきたこの木に数え切れない人が触れた。柱のいたんだ部分は新しい木でうめられ、パッチワークのようなあとがのこっている。
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国宝廻廊法隆寺西院伽藍
国宝「百済観音」
法隆寺にはまだまだ国宝が!なかでもとりわけ神秘のベールにつつまれているのが国宝「百済観音」。作風から飛鳥時代後期につくられたとみられている。当時の仏像は正面からおがむため、横からみた姿はあまり考えられていなかった。しかし百済観音は横からみても美しい。表面には木屎漆がもりつけられ、厚みと柔らかさを表現している。微笑んでいるのかそうでないのか?この百済観音は多くのナゾに満ちている。はじめて寺の記録に登場したのは江戸時代の中頃になってから。そこには朝鮮半島百済からきたと記されていた。ところが百済ではクスノキで仏像はつくらない。日本でしかクスノキは使われていなかったことから、日本でつくられたと考えられている。明治になると寺の別の場所から宝冠がみつかり、頭にあててみるとピッタリ。百済観音のものだとわかった。しかしいつから法隆寺にあって、誰がつくったのかは今もナゾのまま。
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クスノキ国宝朝鮮半島法隆寺百済百済観音像
国宝「九面観音」
国宝「九面観音」。頭上に8つの顔をもつ仏様。驚くのは、釘もたたないというかたさのビャクダンの木からほられていること。顔はハリがあり若々しい。
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ビャクダン九面観音国宝法隆寺
国宝「伝 橘夫人念持仏 及び厨子」
国宝「伝 橘夫人念持仏 及び厨子」。自宅にまつられていた、今でいう仏壇。高さ2mの厨子に像が安置されている。聖徳太子によって仏教がひろまり100年ほどたつと、仏像が個人のもちものとしてもつくられるようになった。光背にはみごとなすかし彫りがほどこされている。蓮池は、さざなみが再現されている。うしろのびょうぶには天女の姿。女性も極楽浄土にゆけるよう願う思いが込められている。女性の極楽浄土へのおしえを日本にひろめたのは他でもない聖徳太子だった。仏様を覆う天蓋は、聖徳太子のためにつくられた釈迦三尊像の天蓋とおなじ模様がほどこされている。
キーワード
伝 橘夫人念持仏 及び厨子国宝法隆寺聖徳太子釈迦三尊像 (法隆寺)
(エンディング)
エンディング

二次方程式

【数学】 天才数学者が二次方程式の簡単な解き方を考案!「推測も暗記も必要ない」 2019/12/29


1朝一から閉店までφ ★2019/12/29(日) 17:40:30.69ID:CAP_USER>>2>>36>>54>>71>>98
MATHEMATICS 2019/12/29 

point 
・天才数学者が二次方程式の簡単な解き方を考案した 
・新しい二次方程式の解き方は推測も暗記も必要ない 



数学が好きな人も嫌いな人も2次方程式を習ったことでしょう。2次方程式を解くための方法は歴史を通しても共通であり、世界中の数十億人という人がわたしたちと同じ方法を学んできました。 

しかし、最近になって天才数学者ポーシェン・ロー氏によって二次方程式の簡単で新しい解き方が考案されました。数学界の歴史に刻まれるような大発見によって、私たちはややこしい二次方程式の解き方から解放されたのです。 

研究論文の詳細は「arXiv」で公開されました。 



A Simple Proof of the Quadratic Formula 
https://arxiv.org/abs/1910.06709 


また、二次方程式の簡単な解き方はポーシェン・ロー氏のwebサイトでも説明されています。 


Quadratic Method: Detailed Explanation 
https://www.poshenloh.com/quadraticdetail/ 





天才数学者ポーシェン・ロー 

ポーシェン・ロー(Po-Shen Loh)氏はカーネギーメロン大学の数学教授。米国の国際数学オリンピックチームのナショナルコーチとしても活躍している天才数学者です。彼の技術は多岐にわたり、2018年には米国大統領早期キャリア賞で科学者としても表彰されたほどです。 

ロー氏は「高度な概念をあらゆるレベルの人に教える」教育者として知られています。現在の数学に関して、多くの人にとって複雑で身近ではないと感じており、より簡単で理解しやすい数学を追い求めているとのこと。 

今回の発見について、「世界の人にできるだけ共有したい」と述べています。 




これまでの二次方程式の解き方 
     ===== 後略 ===== 
全文は下記URLで 
https://nazology.net/archives/49629

2ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 17:45:43.76ID:ju3sDemi
>>1 
平方完成した方よくね? 

3ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 17:45:58.82ID:Z73Q+2/w
ショーロン・ポーかと 

4ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 17:47:21.33ID:51/XGhFT
時間かかるやん 

5ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 17:48:08.20ID:z4bShr6y
不備の侍でやれよw シンプルだろうがぼけ 

6ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 17:55:17.10ID:8n+dQ8gH
2つの解の和と積が簡単な数値の場合はうまくいくが 
そうでない場合は逆に煩雑になる方法だな。 

7ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 17:58:44.73ID:QzCn49pi>>8
まず日本語に訳してくれ 

8ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:01:09.56ID:tdoVIo7m

9ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:02:57.87ID:/Q/Ur5En
うーん、これは賢い 
日本語の解説より元の論文の3ページ目2.2の記述の方がわかりやすいよ 

10ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:03:06.36ID:QtGwFrVT>>15
難しくて良く分からん 

11ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:06:51.36ID:D4RA+FZs
で? 

12ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:08:27.52ID:BP+eYgGb
(x-a)(x-b)=0というように因数分解すれば一目で解るものもあるというのは従来も教えられたことだがな。 

13ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:10:18.33ID:CiWgrUkx
サイトを見てみたら、「推測も暗記も必要ない」というのは大嘘。 
解くための手順を覚えないといけない。 

一般に、これを「アルゴリズム」という。 
コンピュータや代数の分野では、おなじみの言葉だよね。 

要するに、二次方程式の解の公式を言葉で表現したのと、ほぼ同じことをやってるだけ。 
アホらし。 

14ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:10:48.49ID:naY5dcz2
天才には画期的なのかもしれないけど公式覚えたてというか 
うろ覚えの人が試験中に苦し紛れに試行錯誤するやり方だな 

15ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:12:15.14ID:8n+dQ8gH>>17>>20>>50>>53>>81
>>10 
x^2+ax+b=0を解くには 
解の和がaなので、2つの解をa/2+u, a/2-uと置く。 
解の積がbなので、(a/2+u)(a/2-u)=bが成り立つ。 
これよりu^2=a^2/4-b 
uを求め、a/2+u, a/2-uを求めると解が求まる。 

16ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:17:12.76ID:wO6wfLaj
99が88!! 

17ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:18:04.25ID:8n+dQ8gH
>>15 
訂正 
x^2+ax+b=0を解くには ではなく 
x^2-ax+b=0を解くには でした。 

18ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:27:50.17ID:CBped1/p
どの辺がすごいのかね? 

19ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:30:29.59ID:mUXpXVV/
こういうの考えるとなんかメシの種になるのか 
コンビニでバイトしたほうがよくね 

20ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:30:30.22ID:cBttHJcI
>>15 
スゲー 

21ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:31:26.74ID:Ou6MtJEy
おれの場合、実生活で二次方程式の根の公式を使ったことすらないね。 
テキトーに方程式をデッチあげたら、あとは PC で数値解法を使って、 
グラフを描いてしまうよ。 

22ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:35:34.28ID:BjAOWwkA>>24>>72
(-b±sqr(b^2-4ac))/2aで十分だわ 

23ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:36:24.79ID:alIO46mt
高校生かよw 

24ニュースソース検討中@自治議論スレ2019/12/29(日) 18:38:08.19ID:cBttHJcI>>34
>>22 
それを忘れた人のためだろ

除夜の鐘


除夜の鐘

詳細
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。
除夜の鐘(じょやのかね)は、日本仏教にて年末年始に行われる年中行事の一つ。12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院梵鐘を撞(つ)くことである。除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。
日本以外に、韓国でも行われており、ソウルにある普信閣をはじめとする、各地で行われている。特に有名な普信閣で行われる除夜の鐘は、日本同様にテレビ中継される。また、回数が108回ではなく33回撞かれるのが特徴である(忉利天に由来する)。

108つの由来

除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。この「108」という数の由来については、次のような複数の説がある。格別にどれが正しいということはないが、一般には煩悩説が有名である。
煩悩の数
眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世今世来世三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。
1年間
の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数が108となり、1年間を表す。
なお、寺によって撞く回数は108回と決まらず、200回以上の場合などがある。

作法

Konkaikomyoji 03.jpg
鐘を撞く前には鐘に向かって合掌する。108回撞く寺院においては、108回のうち107回は旧年(12月31日)のうちに撞き、残りの1回を新年(1月1日)に撞くとする寺院もある。実際には撞き始めの時刻は23時00分、23時30分、23時45分など様々であり、年明けと同時の0時00分に一つめが撞かれる寺院も少なからず存在する。

動画

除夜の鐘と放送

東京上野寛永寺にて1927年昭和2年)、JOAK(NHK放送センターの前身である社団法人東京放送局)のラジオによって史上初めて中継放送された。これが「除夜の鐘」という風習が日本に広く定着するきっかけとなった。[要出典]
NHKゆく年くる年』で、日本各地の寺院で除夜の鐘が撞かれながら年が明ける様子を全国中継しているが、『ゆく年くる年』の番組開始当初のタイトルこそ『除夜の鐘』であった。

その他

朝夕の鐘

108回の鐘は本来、除夜(大晦日の夜)だけでなく、平日の朝夕にも撞かれるべきものである。しかし鳴鐘の習慣のない寺院も多くあり、これは常の鳴鐘が禁じられていた名残りである。明治以降、鳴鐘の習慣を復興した寺院では略して18回に留められる例が多い。まれに修行寺院などでは古式にのっとり、108回打っている事例もある。

初夜の鐘(そやのかね)

午後8時、その日最初に撞かれる鐘。正岡子規が詠んだ「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の「鐘」は、奈良・東大寺の初夜の鐘であった。

戦時の鐘

第二次世界大戦中、後には、多くの寺鐘が金属回収令により失われ、除夜の鐘が鳴らせなくなった。このため、一部寺院では、大太鼓を代わりとしていた[1]

現状

大晦日深夜から初詣でにぎわうような有力寺院を中心として、21世紀においても年越しの風物詩として続いている。一方で、役僧・檀家の高齢化や近隣住民から騒音としての苦情により、大晦日の昼間に撞いたり、中止したりする寺もある[2]。こうした動きに対しては「騒音ではなく、安易にやめる必要はない」「ラジオの普及で広まった文化であり、深夜にこだわる必要はない」という両論がある[3]。 

脚注

  1.  富山市史編纂委員会編『富山市史 第二編』(p1100)1960年4月 富山市史編纂委員会
  2.  年末恒例「除夜の鐘」深夜ではなく…昼間に”. 日本テレビ放送網(2019年12月17日作成). 2019年12月18日閲覧。
  3.  除夜の鐘 昼に響く/参拝者減・「騒音」で変わる風物詩日本経済新聞』夕刊2018年12月27日(社会面)2019年1月26日閲覧。

関連項目

除夜の鐘》意味と由来・大晦日・歴史・回数・108回・つき方・時間・煩悩

▲梵鐘の写真
(梵鐘=ぼんしょう と読みます)
除夜の鐘の由来
 除夜の鐘をつく理由は、人の心にある煩悩を祓うためと言われています。
仏教では、人には百八つの煩悩(=ぼんのう)があると考えられてきました。その煩悩を祓うためにつく除夜の鐘の回数は108回とされています。
煩悩とは、人の心を惑わせたり、悩ませ苦しめたりする心のはたらきのことを言います。

●人の心の乱れ・汚れを煩悩とすると、代表的な煩悩には、
1.欲望
(肉体的および精神的なもの)、
2.怒り、
3.執着、
4.猜疑
などがあります。
更に煩悩を細かく分類すると、三毒とか、百八煩悩とか、八万四千煩悩など、分類のしかたにもさまざまなものがあります。

●筆者の中学生の時の担任のS先生は四苦八苦(4×9+8×9)という俗説を紹介して下さいましたが、まさに諸説紛々です。事務局でもいろいろと調べてみましたが、煩悩については諸説あり、具体的に108つの煩悩を挙げるよりも、百八という数は、「いわゆる沢山という意味」だと理解すればよいと考えています。
 ※108つの煩悩の話しへ>>

月曜日, 12月 30, 2019

上海の芥川龍之介――幻想の破滅 | nippon.com

上海の芥川龍之介――幻想の破滅 | nippon.com
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c029145/

上海の芥川龍之介――幻想の破滅

明治末期から昭和初期にかけて、東京の田端は多くの芸術家が集う「梁山泊」であり、多くの夢を持った若者が住んでいた。
年月が経ち、彼らの名は日本の文壇や芸術界を席巻した。作家の芥川龍之介、室生犀星、菊池寛、思想家の岡倉天心、画家の竹久夢二や小穴隆一らだ。ただ今となっては名士の影も残らず、跡地に田端文士村記念館が建つばかりである。 
10月1日から同記念館で企画展「芥川龍之介の生と死」が開かれている(2020年1月26日まで)。紀行文『上海游記』冒頭の自筆原稿6枚は、今回の展示の目玉の一つだ。 
芥川の作品で中国読者が最も知っているのは、おおよそ妖気の充満し、狂気的な『羅生門』と『地獄変』の2つだろう。だが彼本人が最も関心を持ったのは、中国の唐の伝奇小説や清(しん)の怪奇小説であった。芥川は生涯に140ほどの作品を生み出したが、その中の12編は中国の怪談を改編した作品だ。日本人になじみやすいよう書き直し、また過去作品を現代化することに非常に長(た)けていた。
1921年、芥川は「大阪毎日新聞」の海外観察員として上海に向かい、120日余りかけて、南京、九江、漢口、長沙、洛陽、大同、天津、沈陽などを巡歴した。「老大国」が中華民国になって10年に満たない最初期に、その政治、文化、経済、風俗を目撃した。そして自ら経験した出来事と所思所感を併せて記し、紀行文『上海游記』が誕生した。
筆者は最近どうやら、芥川と縁があるようだ。田端の記念館で企画展を見た後の11月27日、NHK放送センターへ招かれてドラマ『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』の試写会に参加した。このドラマは8K映像で100年前の中国の「魔都」上海を再現している。(ちなみに中国でもよく使われる「魔都」という呼び名は、実は日本の作家、村松梢風による1923年の上海旅行記のタイトルに由来する。)
NHKのドラマ「ストレンジャー~上海の芥川龍之介~ 」は、2019年12月30日午後9時から総合テレビ、BS4K、BS8Kで同時放送。英語版は12月28、29日にNHKワールドJAPANで放送。英語版と中国語版が2020年1月以降に海外向けにネット配信される。NHKのドラマ『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~ 』は、2019年12月30日午後9時から総合テレビ、BS4K、BS8Kで同時放送。英語版(前・後編)は12月28、29日にNHKワールドJAPANで国際放送。英語版と中国語版が2020年1月以降に海外向けにネット配信される。
ドラマの撮影は大部分が中国で行われ、スタッフの9割を占める180人が中国人だった。番組の制作には細部にまで気が配られている。音楽の稲本響は100年前に作られたピアノを使用し、芥川を演じる松田龍平が着るスーツは、デザイナーの柘植伊佐夫が当時の裁縫方法で作っている。
物語の冒頭は芥川が上海に到着して船から下りるシーンだ。人力車の車夫は強盗と何ら変わりなく、花を売る老婆の欲に底はなし。芥川は失望を禁じえなかった。「現代の支那に何があるか? 政治、学問、経済、芸術、悉(ことごとく)堕落しているではないか? 殊に芸術となった日には、嘉慶道光(かけいどうこう)の間以来、一つでも自慢になる作品があるか? しかも国民は老若を問わず、太平楽ばかり唱えている。成程若い国民の中には、多少の活力も見えるかも知れない。しかし彼等の声と雖(いえど)も、全国民の胸に響くべき、大いなる情熱のないのは事実である。私は支那を愛さない。愛したいにしても愛し得ない」(『長江游記』より原文ママ)
芥川の目に映る上海の城隍廟(じょうこうびょう)は、病的な緑色を広げた池だった。「その池へ斜めに注がれた、隆々たる一条の小便と、――これは憂鬱愛すべき風景画たるばかりじゃない。同時に又わが老大国の、辛辣恐るべき象徴である」(『上海游記』より)。彼が以前に読んだ中国の小説には、神仙が物乞いに化けている話が多かった。ところが実際の中国の物乞いは、「石榴(ざくろ)のように肉の腐った膝頭をべろべろ舐めていたり、――要するに少々恐縮する程、ロマンティックに出来上っている」。
「ストレンジャー~上海の芥川龍之介~ 」の試写会に出席した芥川龍之介役の松田龍平「ストレンジャー~上海の芥川龍之介~ 」の試写会に出席した芥川龍之介役の松田龍平
画像:NHK提供画像提供:NHK
ドラマの場面と登場人物の『上海游記』の再現度は極めて高い。例えば、京劇『玉堂春』に登場する妓女の蘇三(そさん)を演じた名優、緑牡丹が楽屋で顔の化粧すら洗い落とさないまま、「美しい袖を翻(ひるがえ)して、見事に床の上に手洟をかんだ」シーンだ。一説によればこの緑牡丹は、若かりし頃の荀慧生(後の京劇の「四大名旦[女形]」の1人)であるようだ。
また、章炳麟(しょうへいりん 孫文の元同志で、辛亥革命を理論的に支えた思想家)の「糸のように細い眼」、黄ばんだ顔、「気の毒な程薄い」口ひげやあごひげ、そして彼の書斎の壁に引っ付いたワニの剥製。
さらには清の遺臣、鄭孝胥(ていこうしょ)の血色のよい顔、腰はまっすぐで姿勢がよい姿。彼は清貧に暮らすが、3階建ての家に住み、竹むらのある庭には雪毬(せっきゅう)の花の香りが充満する。筆者もまた芥川と同じように感嘆を漏らしてしまった。「私もこう云う清貧ならば、何時身を処しても差支えない」。 
加えてドラマには、芥川が小有天という酒楼で見た美人たち、愛春、時鴻(じこう)、洛娥(らくが)、天竺、林黛玉(りんたいぎょく)も登場する。彼は『上海游記』で南国美人を称賛し、特に耳を偏愛して「支那人の耳に、少なからず敬意を払っている」と記している。「日本人の耳は平すぎる上に、肉の厚いのが沢山ある。中には耳と呼ぶよりも、如何なる因果か顔に生えた、木の子のよう」で、「昔から、油を塗った鬢(びん)の後に、ずっと姿を隠して来た。が、支那の女の耳は、何時も春風に吹かれて来た」のだという。
画像:NHK提供画像提供:NHK
芥川は上海旅行の中で、混乱と変革の中でもがく中華民国を見聞したばかりではなく、彼自身の日本に対する見方を変え、ひいてはいくらかの反戦意識が芽生えたと言っていい。この点で特に重要なのは、(日本への亡命経験がある)章炳麟との会話だ。
章炳麟は芥川にこのように言った。「私が最も憎む日本人、それは桃太郎だ。彼は雉(キジ)、犬、猿と徒党を組んで島を占拠した――鬼が島を。ならば島の鬼には自分の生活がなかったというのか?彼らは落ち着いた暮らしをして楽しく過ごしていた、平和を愛していた……」。この考え方は芥川を本当に驚かせた。 
ドラマでは触れられなかったが、芥川は章炳麟からの啓発によって、帰国後の1924年、過去作品を現代化する得意の技術を発揮し、彼自身の『桃太郎』を発表している。 
芥川の手による桃太郎は犬、雉、猿に号令をかけて、この3匹を従えて桃源郷のごとき鬼が島に乗り込んだのである。島は「実は椰子(やし)の聳(そび)えたり、極楽鳥の囀(さえず)ったりする、美しい天然の楽土だった。こういう楽土に生を享(う)けた鬼は勿論平和を愛していた」。桃太郎は鬼を見ては殺し、犬はただ一噛みに鬼の若者を殺し、雉も鋭いくちばしに鬼の子を突き殺した。猿は鬼の娘を絞め殺す前に、必ず凌辱(りょうじょく)を恣(ほ)しいままにした。 
まるで後年日本が中国を侵略する予言をそのままに描写したかのようだ。自分の書斎に「我鬼窟」と命名した芥川には、もしかしたら既に誰が本当の鬼なのか分かっていたのかもしれない。
画像:NHK提供画像提供:NHK
ドラマは、芥川が上海で面会した李人傑こと李漢俊(1902年に14歳で来日。東京帝国大学を卒業し、帰国後は21年の中国共産党設立に関わる。27年に軍閥により殺害)の訃報で幕引きとなる。芥川版『桃太郎』の結末では、鬼は屈服することなく、美しい熱帯の月明かりの下で鬼が島の独立を計画していた。芥川自身は27年7月に服薬自殺した時、上海で買った布地で仕立てた浴衣を着て、こと切れていたのだった。
(原文中国語。科学技術振興機構「客観日本」2019年12月18日掲載。元記事はこちら
バナー画像:ドラマ「ストレンジャー~上海の芥川龍之介~ 」で芥川役を演じる松田龍平(提供:NHK)

Macro modelling MMT

Macro modelling MMT

“The accounting identities equating aggregate expenditures to production and of both to incomes at market prices are inescapable, no matter which variety of Keynesian or classical economics you espouse. I tell students that respect for identities is the first piece of wisdom that distinguishes economists from others who expiate on economics. The second? … Identities say nothing about causation.” James Tobin, leftist Keynesian 1997
Money is ultimately a creation of government—but that doesn’t mean only government deficits determine the level of demand at any one time. The actions and beliefs of the private sector matter as well. And that in turn means you can have budget surpluses and excess demand at the same time, just as you can have budget deficits and deficient demand.”  Jonathan Portes (orthodox Keynesian).
The increasingly abstruse debate among economists (mainstream, heterodox and leftist) continues on the validity of Modern Monetary Theory (MMT) and its relevance for economic policy.  The debate among leftists went up another gear with the publication of leftist Doug Henwood’s fierce critique of MMT in Jacobin here. Leading MMTer Randall Wray angrily responded to Henwood’s attempted demolition here. And then from the heart of MMT land, Pavlina Tcherneva, program director and associate professor of economics at Bard College and a research associate at the Levy Economics Institute replied to Henwood in Jacobin.
In the mainstream, Paul Krugman had a go, with a response from Stephanie Kelton.  Kelton is a professor of public policy and economics at Stony Brook University, Long Island New York. She was the Democrats’ chief economist on the staff of the U.S. Senate Budget Committee and an economic adviser to the 2016 presidential campaign of Senator Bernie Sanders.
Although this debate is getting very arcane and even nasty, it is not irrelevant because many leftists in the labour movement have been attracted by MMT as theoretical support for opposing ‘austerity’ and for justifying significant government spending to obtain full employment and incomes.  In particular, the radical wing of the Democrat party in the US has used MMT to support their call for a Green New Deal – arguing that more government spending on the environment, climate change and health can easily be financed by the issuance of dollars, rather than by more taxes or more government bonds that would raise public debt.
I won’t pitch into the MMT debate as above as I have already spent some ink in three posts trying to critique the theory and policy of MMT from a Marxist viewpoint, with the aim of working out whether MMT offers a way forward to meeting ‘the needs of the many’ (labour) over the few (capital).  And for me, that is the ultimate purpose of such a debate.
All I would add on the current debate among Keynesian, Post-Keynesians and MMTers is that MMTers argue with orthodox Keynesians over whether government spending can create the money to finance it; or taxation and borrowing is needed to create the money to fund government spending.  But as post-Keynesian Thomas Palley puts it: “government spending and taxation occur simultaneously so creation of money via money financed deficits and destruction of money via taxation also occur simultaneously. It is a pointless exercise to try and determine which comes first.”  Marxist analysis would agree.
Instead, in this post I want to look at MMT’s macro model.  In the twitter debate that is viral (at least among economists and activists!), critics of MMT have sometimes argued that MMT is just a series of vague assertions without any rigorous model.  This riled Kelton.  She immediately posted a paper written in 2011 by Scott Fullwiler of Warburg College, another MMT leader (who also recently commented on one of my blog posts).  In this paper, Scott outlined the MMT macro model in some detail.
Basically, he starts off with a Keynes/Kalecki post-Keynesian macro model of aggregate demand.  This model is simply an identity.  There are two ways of looking at an economy, by total income or by total spending and they must equal each other.
Thus National Income (NI) = National Expenditure (NE).
Following the ‘Keynesian Marxist’ Michal Kalecki, we can break this down into:
(NI) Profits + Wages = (NE) Investment + Consumption.  Now there are two sorts of income and two sorts of spending.
If we assume that all Wages are spent then and all Profits are saved, we can delete Wages and Consumption from the identity.  So
Profits = Investment
In the MMT version from Scott, he puts the same macro identity differently, with Investment on the left side of the equality.  Thus.
Investment = Profits
Why?  Because, as we shall see, all post-Keynesian theory argues that it is Investment that leads Profits, not vice versa.
But Scott re-expands the parts on the right-hand side to look at flows, so that wages that are saved are added back with profits to get Private Saving (so assuming some household saving); and he also adds in Government saving (taxation less spending) and Foreign Saving (net imports or current account deficit).
Thus Profits as a separate category disappears into Private Savings and we get:
Investment = Private Saving + (Taxation – Government Spending) + (Imports – Exports)
But then Scott also dispenses with the separate category Investment and converts it into Private Saving less Investment or the Private Sector Surplus.  So now we have Private Sector Savings (Wages saved plus Profits less Investment).  So Scott continues:
Private Sector Surplus = Government Deficit + Current Account Balance
Or
Private Sector Surplus – Current Account Balance = Government Deficit
This is the key MMT identity.  It argues that if the Government deficit rises, then assuming the Current Account balance does not change, the Private Sector Surplus (Wages saved +Profits less Investment) rises.  The MMT conclusion (assertion) is that increasing the Government deficit will increase the Private Sector Surplus . And if we exclude Wages saved (the MMT identity does not) and the Current Account balance, then we have:
Net Profits (ie Profits after Investment) = Government deficit
And we can conclude that Government deficits determine Net Profits ie Profits less Investment.
In the paper Scott then presents a time series graph comparing US Private Net Saving (remember this includes Household net saving) with Government deficits and concludes that “It shows how closely the private sector surplus and the government sector deficit have moved historically, which isn’t surprising given they are nearly the opposing sides of an accounting identity.”
But then Scott says: “What we notice (from these graphs) is that the current rise in the government’s deficit is creating net saving for the private sector.”  But is that how to view the causal direction of these macro identities?  The post-Keynesians reckon that the causal connection is that Investment creates Profits or in the MMT version Government deficits create net profits (private saving).  But in my view, the causal direction of this identity is in reality the opposite, namely that Marxian theory says that Profits create Investment, because Profits come from the exploitation of labour power.
Let us go back to the basic Kalecki identity, Profits = Investment, with Investment back on the right hand side.  Investment (which disappeared in Scott Fulwiller’s model) can be broken down to Capitalist investment and Government investment.
Profits = Capitalist investment + Government investment
Under the Kalecki causation, increasing government investment (by deficits, if you want) will raise Profits (and for that matter, wages too through more employment and wage rates – the post-Keynesian identities just refer to Private Saving and (importantly) do not break that out into Wages saved and Profits).
Thus Profits + Wages saved = Private investment + Government investment
But what if the Kalecki causation is back to front?  What if Profits lead Investment, not vice versa.  Then the identity is:
Profits (because Wages are spent) = Investment (comprising Capitalist investment and Government investment).  We can expand this to cover external flows so that:
Domestic Profits + Foreign Income = Capitalist investment + Government Investment + Foreign Inward Investment
Now assume both Domestic Profits and Foreign Income are fixed. What will happen if Government Investment rises?  Private Investment will fall unless foreign inward investment rockets.
How can government investment/spending be increased without Private (capitalist?) investment falling (being crowded out)?  By running budget deficits, say the post-Keynesians (and MMT).  Borrowing could be done by issuing government bonds (orthodox Keynesian) or by ‘printing money’ ie increasing cash reserves in banks (MMT).  Issuing bonds may reduce Private Investment to boost Government investment, but the credit created would stimulate overall Investment.  Printing Money (MMT) would raise Investment without reducing Private Investment (magic!). MMT/Keynesians will say if Government Investment is not funded by taxes on Domestic Profits but by borrowing with bonds or printing money, then it will not affect profits.  Marxists would say that this is ‘fictitious’ investment that must deliver higher profit at some point. 
All this is because identities do not reveal causation and it is causation that matters.  For the Keynesians, it is the right hand side of the equation (Investment) that causes the left hand side (Profits); namely, that it is capitalist investment and consumption that creates profit.  For MMTers, it is a variant of the same, but netted: Net government investment/spending (deficits after taxes) causes Net Private Savings (Profits and Saved wages after investment).
But in the real world of capitalist production, this is back to front.  Profits lead Investment, not vice versa; and Net Private Savings enable Government deficits not vice versa.  The graphs offered by Scott in his paper of the time series of deficits and net private surpluses can be interpreted with just that causality.  What I read from the first graph is not that the current rise in the government’s deficit is creating net saving for the private sector” (Fullwiler), but the opposite: higher net savings (profits after investment) will produce a higher government deficit or lower surplus.  In other words, when capitalists hoard/save and won’t invest, and that is particularly the case in recessions, then government deficits rise (through lower tax revenues and higher unemployment benefits).  And Scott’s graphs show that the US government deficits reach peaks in all the post-war US recessions and are at their lowest in boom times.
Indeed, if I do the correlations between the government balance and net private savings, there is indeed a very small inverse relation of 0.07; in other words, a larger government deficit is correlated (weakly) with a net private savings surplus.  But if I do the correlation between the government balance and GDP growth, there is a small positive correlation.  In other words, more government surplus/less deficit aligns with more GDP growth, the opposite of the Keynes/Kalecki causation, which suggests that it is growth that leads government balances, not vice versa (see the Portes quote above).
Any causation is also modified by the external account.  Scott’s second graph including the current account shows that a persistent current account deficit (net foreign inflows) from the 1980s helped to fund US government deficits, even though the private sector surplus disappeared in the 2000s.  So the main MMT causation argument is further muddied by foreign income.
We can only really better understand the causal connections if we have Investment isolated and Profits isolated. You see, contrary to the Keynesian/post-Keynesian/MMT view, the Marxist view is that “effective demand” (including government deficits) cannot precede production.  There is always demand in society for human needs.  But it can only be satisfied when human beings do work to produce things and services out of nature.  Production precedes demand in that sense and labour time determines the value of that production.  Profits are created by the exploitation of labour and then those profits are either invested or consumed by capitalists.  Thus, demand is only ‘effective’ because of the income that has been created, not vice versa.
Because the Keynesians/post-Keynesians have no theory of value, they do not recognise this and read their own identity the wrong way round. From a Marxist view, profits are the causal variable.  So if profits fall, then either investment, or capitalist hoarding or the government deficit must fall, or all three.
What is the evidence that profits lead investment and government deficits and not the other way round, as the Keynesians argue?  This blog has provided overwhelming empirical support to the Marxist causal direction. See my paper here which compiles all the compelling empirical research (including my own) that supports the Marxist view that, in a capitalist economy, profits lead investment, which in turn drives GDP growth and employment, while government deficits have little influence.
If the Keynes/Kalecki causation direction is right, then all that we need to do to keep a capitalist economy going is to have more government budget deficits.  If the MMTers are right, all we need to achieve permanent full employment is permanent government deficits (subject to some possible inflation constraint).  What the orthodox Keynesians and the MMTers disagree about is whether these deficits (of government spending over taxes) can and should be financed by issuing government bonds for banks to buy or by the central bank printing money.
The more important question, however, is what drives a capitalist economy.  It is the profitability of capitalist investment that drives growth and employment, not the size of a government deficit. The Keynes/Kalecki/MMT macro models hide behind identities and turn them into causes.  But identities “say nothing about causation” (Tobin).  It’s profits, not government spending, that call the tune.
This entry was posted on March 3, 2019 at 11:32 am and is filed under capitalismeconomicsmarxismProfitability. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.