火曜日, 2月 28, 2017

競争の型


「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する出来合いの対処法を得るためではなく、
そのようなものを受け売りして経済を語る者にだまされないようにするためである」

ジョーン・ロビンソン


The purpose of studying economics is not to acquire a set of ready-made answers to economic questions,
but to learn how to avoid being deceived by economists.
Joan Robinson 
Contributions to Modern Economics (1978) 
Chapter 7, Marx, Marshall and Keynes, p. 75



<サピエンティア>マクロ経済学 | 東洋経済

中村 保, 北野 重人, 地主 敏樹
2016/07/01
上の言葉が英文で冒頭に掲げられる。

サピエンティア中村北野他マクロ2016は章の各冒頭でロビンソンやスミスやトービンやケインズの
言葉が掲げられている。全部英文というところがミソだ(英語を学べというメタメッセージ)。
ロビンソンの名言に直接言及はされていないが、経済を体に例え、「マクロ経済学は
、全体として見た経済の健康状態を把握するという重要な役割を担っている」(「はじ
めに」(iii))とされている。経済=身体説は歴史的に批判されて来たが現在は状況が違う(外科医が
経済学研究をして来た初期経済学に立ち還るべきだ)。
サピエンティアシリーズkindle版は検索が出来ないので勧めないが、本書の場合、図が多い
ので推薦出来る。特に第1章ではフロー循環図が6種類くらい使われていてわかりやすい。
産業連関表のイメージが把握できる。
第6章ではシミュレーション ソフトDynare↓の使い方も紹介される。

Dynare stable (recommended) ― Dynare

http://www.mathworks.co.jp/programs/nrd/buy-matlab-student.html (リンク切れ)

MathWorks - Makers of MATLAB and Simulink

https://jp.mathworks.com/




第1章でフロー循環図が6パターン紹介される。初学者にはうれしい。第7章の開放経済下の政策も図が多くていい。
第6章で簡易DSGE?ソフトも紹介される。その他、ソロー、ラムゼイ、ジョブサーチ理論も的確に紹介される。
Kindle版は検索ができないのが残念。このシリーズはやはりそこを改善すべきだ。

以下の言葉が英文のみで「はじめに」で掲げられる。各章はじめで同じ趣向。



競争の型 – hdkworks blog

http://hdkworks.com/%E7%AB%B6%E4%BA%89%E3%81%AE%E5%9E%8B/

競争の型


1999年頃に起業した際に、ポーターの書籍をかなり読み込みました。起業前の数ヶ月ほとんど持ち歩いていたといってもいいかもしれません。





タイトル  競争優位の戦略 いかに高業績を持続させるか
著者名等  M.E.ポーター/著  ≪再検索≫
著者名等  土岐坤/〔ほか〕訳  ≪再検索≫
出版者   ダイヤモンド社
出版年   1985.12
大きさ等  22cm 659p
注記    Competitive advantage./の翻訳
NDC分類 336





競争優位の戦略―いかに高業績を持続させるかです。当時は、私は、日本最大のSIerの社員でもありましたので、どうすればインターネットというテクノロジーの中で、巨大戦艦が生き延びていけるかという観点で、この本を読んでいたように思います。この時期には、私はかなりの書籍量を読み、実地として起業の中で試しているわけですが、それから、15年、時代が変わってきたにもかかわらず、少々勉強をさぼってしまっていたかもしれません。今や、この書籍は古典になってしまっていたようです。


先日久しぶりにハーバードビジネスレビューを購入してみると、ポーターのことが書いてありました。なるほどとおもい、ビジネスモデルの書籍をいくつか読み、いくつかもやもやが晴れていきました。一番腹落ちしたのは、このエントリのタイトルにした競争の型、です。この競争の型の考え方をすれば、大企業が勝てないのではなくて、戦術が違っていただけの可能性があると思うに至りました。戦い方を間違えていれば、勝てる可能性は低くなる、あたりまえの話だと。


 


Contents [hide]

1 競争の型の起源

2 戦略の型(1) IO(industrial organization)型

3 戦略の型(2) チェンバレン型

4 戦略の型(3) シュンペーター型

5 まとめ 〜新しもの好きはシュンペーター型を狙え〜

競争の型の起源


1986年ですから私が起業する前となりますが、ジェイ・バーニーというアメリカの経済学者がその起源とのことで、ポーターとは、ポーターVSバーニー論争などとも言われているようです。


上中下



上記の書籍も、少し古めの2003年ですが、「経営資源に基づく戦略論」(Resource Based View、以下RBV)と呼ばれる理論を説明したものです。かなりの大作ですが、一般論も多数書かれており、買っていて損はないと思います。


 


戦略の型(1) IO(industrial organization)型


特徴としては、下記の通りです。


事業環境の不確定要素が少ない

参入障壁が高い

2~5社で市場を独占している

企業は、緩やかに差別化をすることで過当競争を避ける

結果として、安定的な市場となる

たとえば、日本のビール業界をイメージしていただけるとわかりやすいかと思います。このような市場の場合、ポーターのSCP(Structure-Conduct-Performance)戦略が有効だと言われています。SCPとは、それぞれ


市場構造(Structure):市場規模、競合企業数、製品の差別化要因、参入コスト、市場の集中度

市場行動(Conduct):価格政策、R&D、投資、マーケティング

市場成果(Performance):生産効率、資源配分の効率、雇用水準、技術進歩のスピード収益性

を考慮し、戦うということです。よく見かけるのは、自社の「ポジショニング」をしっかり理解し、戦う方法。まさに最初の起業時に私が書いた図版にもこれが含まれておりましたが(笑)、縦軸横軸を決め、コンペティタと自社を比較し、どのようなアクションをとるのかをきめていくようなスタイルです。つきつめていくと、それは、


差別化戦略

コスト・リーダーシップ戦略

に帰着していきます。どんな市場も、立ち上げ時はこんな感じではない!のですが、いつかは成熟した市場になるわけで、ペイパル創業者ピーターティールによると、将来の市場成熟を考えた上で、起業せよ、独占を狙え、というのがおすすめなようです。



 


戦略の型(2) チェンバレン型


日本の多くの市場が、このチェンバレン型であると言われています。


比較的参入障壁は低く

複数の企業が存在し、

差別化しながら激しく競争する

数社による寡占がまだ起きていない、もしくは起きない市場です。


チェンバレン型の競争の型では、バーニーが提案したRBV(Resource Based View)に基づく戦略が有効だと言われています。前述の書籍に登場します。他社との比較すなわちポジショニングが大切なわけではなく、結局、自社の力、リソースが大事だよね、というお話です。現場力で勝ってきたたとえばトヨタなどが、このRBVの成功例としてよくあげられるようです。


戦略の型(3) シュンペーター型


 


これまでご紹介した市場は、どれもある程度の成熟した市場になるわけなのですが、まだ登場したての市場や製品の場合、あまりマッチすることはありません。2000年前後のインターネットを思い浮かべていただければ理解しやすいでしょう。そのような市場は、


日進月歩で技術革新が起こる

顧客ニーズなどにも不確定要素が多い

参入障壁も低い

という特徴があります。不確実性がきわめて高いため、他の2つの戦略のような、あらかじめ将来を予見しながら戦略立案をすることが困難です。今から思うと最初の起業時、2000年前後に、インターネットという市場で、よくポーターの戦略に則った事業計画を書いたものだと我ながらあきれてしまいます。


実際、私もそうなのですが、シュンペーター型の市場においては、スクラップアンドビルド、トライアンドエラー、とりあえずやってみる、ピポットをしまくる、そんな中から「当たり」を探りつつ、イノベーティブな製品・サービスを生み出す、言ってみれば宝探しのような活動の方が重要です。


ベンチャー的な言葉でいえば、リーンスタートアップといえるでしょう。



リーン・スタートアップ 単行本 – 2012/4/12


経済学的な観点で言えば、リアル・オプション理論ということになるでしょう。





がこれに近くなります。端的にいえば、双方とも、


「わからないときには、とりあえずやってみて、市場に出そう」


もっとも出すだけでは意味が無くて、


利用者からのフィードバック、改善、必要に応じてピポット


を続けていきます。某ネット企業の代表が、「いい風が吹いたときに、沖にいなければその風をつかめない」とおっしゃっていたことを思い出します。まさにチャンスを狙うための戦略なわけです。



上記の書籍は、シュンペーター型の市場に対してのアプローチが記述されています。


まとめ 〜新しもの好きはシュンペーター型を狙え〜


私のキャリアのスタートは大企業だったわけなのですが、今はベンチャーよりの行動をとることが多いです。それは、上記競争の型でいうと、シュンペーター型の市場を選択しているとも言うことができます。シュンペーター型の市場の方が、当たりを引いたときに大きいハイリスクハイリターンであることがその一番の理由にも思いますが、もしかしたら・・・


単にシュンペーター型の市場とそこで起きうることが好き


なのかもしれないと、思いつつあります。R&D的に小さなサイクルをくるくる回しながら、日々新しいことに触れられることも、好き、の一つなのかもしれません。私のような新しもの好きは、シュンペーター型を意識して狙った方が、いろいろと悩まなくていいようにも思います。


コンビニで新しい商品が出てたらとりあえず買ってしまう人、、、悩んでないでシュンペーター型のアクション取ったらいいかも!ですよ。



偉人 ジョーン・ロビンソン 名言集(英訳付)|心の常備薬

http://medicines.aquaorbis.net/meigen/kaigai/gakusya-e/joan-robinson

偉人 ジョーン・ロビンソン 名言集(英訳付)|心の常備薬 

ジョーン・ロビンソン
Joan Robinson
1903年10月31日 – 1983年8月5日
イギリスの経済学者
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フルネーム:ジョーン・バイオレット・ロビンソン
Joan Violet Robinson
1903年 イングランドのサリーで生まれた。
ロンドンのSt.Paul’s Girls’ Schoolに通う。
1921年 ケンブリッジ大学のガートン・カレッジに入学(途中で歴史から経済学に転じる)。
1925年 経済学のトライポス(優等卒業試験)を通り、卒業する。
1926年 ケンブリッジの経済学者オースティン・ロビンソンと結婚する。
彼の仕事の関係で2年半ほどインドに滞在する。
1929年 イギリスへ帰国。
1931年 ケンブリッジ大学のAssistant Lecturerになる。
1933年 『不完全競争の経済学』出版。
1937年 ケンブリッジ大学のUniversity Lecturerになる。
1949年 Reader(准教授)になる。
1956年 『資本蓄積論』出版。
1958年 ブリティシュ・アカデミーに入る。
1962年 Newnham Collegeのフェローとなる。
1965年 (夫の後を受けて)Newnham Collegeの教授となる一方、Girton Collegeのフェローとなる。
1979年 King’s Collegeで、女性で初めてのフェローとなる。



No.001


経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する出来合いの対処法を得るため、ではなく、そのようなものを受け売りして、経済を語る者に騙されないようにするためである。

【直訳】To get ready-made dealing to an economic problem, the purpose of learning economics is to decide not to be tricked by the person who retails such one without well and tells economy.

 

No.002


経済学は学ぶ者の姿勢いかんで、教師と同じ水準で教師の相互比較を可能にする学問である。

【直訳】The posture of the person who learns doesn’t go to economics, and it’s the learning which makes the teacher’s Pairwise Comparison possible by the same standard as a teacher.

 

No.003


どんな愚か者でも質問には答えられる。
重要なのは質問を発することだ。

【直訳】Every kind of innocent can answer a question.
An important one is to issue a question.

 

No.004


友情と尊敬のどちらかを選ぶという問題になれば、私は後のほうを取る。

【直訳】When it’s the problem that one of friendship and respect are chosen, I get the back.

 

 


ジョーン・ロビンソンが「経済学を学ぶ理由は経済学者に騙されないためだ」という趣旨のことを言った理由はなんですか?

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

2015/3/1113:00:50

マルクスは、資本制は崩壊する、といった。
しかし、『資本論』に出てくる
再生産表式には、資本制が安定的に成長するための
条件が示されている。
もしも経済学者がマルクスのうわべ(反資本主義)に
騙されることなく、資本論をまじめに読んでいれば
ハロッド=ドマーモデルは20年は早く
展開されたろう。

マーシャルは資本制経済を賛美した。
ところがマーシャルの長期モデルでは
経済外部効果により、限界費用曲線が
右下がりの下で市場が均衡することが
書かれてしまっている。
これはマーシャルにとっては大きな矛盾だ。
限界費用逓減下で市場が均衡するなら、
自由競争はできない。
マーシャル自身はこの矛盾に気づいていたが
マーシャルの弟子たちは気が付かなかった。
これを指摘したのはスラッファであるが
その後の資本制経済の進展を見れば
スラッファが予感した通り
自由主義経済ではなく
独占が市場を支配するような社会になってしまった。
マーシャルをよく読めば、こうしたことは
理論的には書かれていたのに、
資本制の讃美者たちは
マーシャルの自由主義賛美者としてのうわべに騙され
本当に書かれていることの意味に気が付かなかった。

ケインズは、政府が介入することで資本制はそこそこ、
悪くなくやっていける、と考えていた。
しかし、実際には政府支出の大きな部分が軍事費で、
現在(当時のこと)では、すでに地球を何回か
破壊できるだけの核兵器を米ソで保有している。
もしかしたら、資本制経済どころか、
人類が滅んでしまうかもしれない。しかし、
ケインズを賛美している人たちの中に
この理論的結末を理解している人たちが
どれだけいるのか。

経済学者の思想信条は
重視しなければならないが
いやしくも経済学者であるなら、
その思想信条ではなく、
その理論を厳しく批判するべきだ。それができなければ
経済学を学ぶ意味はない。

経済学をなぜ学ぶのか。
経済学者に騙されないためである、、、

と、言うような。。。。

…たしか、インドのデイリーでの講演でしたよね。。
懐かしいな。。。

ちなみに、マーシャルの下りで
限界費用逓減下で均衡する⇒独占になる
という流れがあるけれど、
スラッファの指摘を受けて
自然独占の理論を構築したのはJロビンソン自身。
ただし、ロビンソンは、その後、この理論を放棄して
チェンバレン型独占的競争理論へと
向かうことになる。

「ロビンソン 騙されない 経済学」の検索結果




日曜日, 2月 26, 2017

クセノファネス(Xenophanes、前570頃~480年頃)



柄谷行人『哲学の起源』でスピノザの先行者として言及されたクセノファネスに関しては、

http://happy.ap.teacup.com/togenuki/635.html☆、

http://www005.upp.so-net.ne.jp/entartete/miretos.html (ミレトス学派の人々)等を参照。



「しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/

 あるいは手によって絵をかき/

 人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/

 馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/

 それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう」(断片15)


参考:

「もし三角形が話す能力を持つとしたら、三角形は同様に、神は優越的に三角形であると

言うでしょうし、また円は円で、神的本性は優越的意味において円形であると言うでしょう。

そして、このようにして各人は、自己の諸属性を神に帰し、自己を神と類似のものとし、

その他のものは彼には醜く思われるでありましょう。」

書簡56(スピノザからボクセルへ)『スピノザ書簡集』岩波文庫261頁より 




哲学史の旅(4) | とげぬき・うぇぶ-さいと 別館

http://happy.ap.teacup.com/togenuki/635.html
今回、登場してもらうクセノファネス(Xenophanes、前570頃~480年頃)は、一見、地味な「詩人哲学者」であるが(たとえば、前回、登場した同時代のピュタゴラスに比べると)、知れば知るほど、あるいは、考えれば考えるほど重要な人物に思えてならない。

当初、次の古代哲学の大物たちにスムーズに移行する予定だった。しかし、彼の哲学史上に与えた本質的な「影響」を無視すると、きわめて重要な思想的「基盤」が無視されることになり、次回以降、論理的にも不都合が生じてくる。そこで、今回はクセノファネスに満腔の敬意を表して登場してもらおう。


第1章「古代哲学の誕生」

第4節:クセノファネス(Xenophanes)

クセノファネスは、小アジア、イオニアのコロフォンの生まれ。彼は哲学者であると同時に、吟遊詩人でもある。今まで論じてきた人物たちとは異なり、クセノファネスの場合、数は多くはないが、彼自身の書き残したいくつかの「諸断片」が遺存している。

それ故、本連載の中で、彼自身の思想を、より、断片に即して、明確に論じることができる最初の哲学者となる。なぜ、彼が重要なのか、それを簡潔に表現できれば幸いである。この人物を論じる場合、彼の人生観、世界観に決定的な影響を与えた、運命的な「大事件」から触れる必要があるだろう。

クセノファネスは、25歳の時、亡国の憂き目に遭う。彼の生地、イオニアのコロフォンは、ペルシア王キュロスの支援を受けたメディア人ハルパゴスの侵攻を受け、占領されたのである。クセノファネスは祖国を離れ、南イタリア、主にシチリアに移り、その地で吟遊詩人として漂白と流浪の生活をおくったという。

この事件が、どれほどの衝撃を彼に与えたかは、想像に余りあるものがある。コロフォンに生を受けてから25年、親しんできた「全現実」がひっくり返されたのだ。彼は詩の中で、ありし日のコロフォンについて詠っている。

にくむべき僭主の支配を受けずに自由であったあいだ/彼らはリュディア人たちから、役にもたたない贅沢を教えられて/紫色にそめあげた上衣をまとっては、いっしょにぞろぞろと/みなで千人を下らぬ人数で広場(アゴラ)へくり出したものだった/ふんぞり返り、格好のよい髪の毛を御自慢に、いとも妙なる香油のにおいを身にしみこませては(世界文学大系63『ギリシア思想家集』筑摩書房より)。

この「現実」は、もはや彼の「記憶」の中にしか残存しない。彼の肉親、親類、友人の多くが生命を落としたかもしれない。かつて、「ふんぞり返り、格好のよい髪の毛を自慢に、いとも妙なる香油のにおいをしみこませて」広場(アゴラ)を闊歩し、自由を謳歌していたコロフォンの人々の姿は消滅してしまったのだ。

クセノファネスは、祖国=共同体を喪失し、現実それ自体の脆弱な「移ろいやすさ」を徹底して、身に染み込ませることになった。

クセノファネスの思想で有名なのは、ギリシア神話、ホメロス、ヘシオドスに記述された「擬人化された神々」に対する徹底した否定である。

ホメロスとヘシオドスは人の世で破廉恥とされ非難の的とされるあらんかぎりのことを神々に行わせた/盗むこと、姦通すること、互いにだまし合うこと(断片11)。

しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/あるいは手によって絵をかき/人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう(断片15)。

エチオピア人たちは自分たちの神々が平たい鼻で色が黒いと主張し/トラキア人たちは自分たちの神々の目は青く髪が赤いと主張する(断片16)。

言うまでもなく、クセノファネスは「神の存在」を否定しているのではない。ただ、人間的な本質を「投影」された擬人的な神観念を批判しているのだ。このような考え方は、彼自身が、祖国=共同体の滅亡、離反という経験をし、ある種、コスモポリタンな流浪者(根無し草)となったことと無縁ではないだろう。

人間たちは神々が[人間がそうであるように]生まれたものであり、自分たちと同じ着物と声と姿を持っていると思っている(断片14)。

クセノファネスの擬人化された神観念に対する批判は、神の本質が、人間的本質の延長上にはあり得ないという主張に集約されるだろう。

この主張の中には、ギリシア神話のような、多くの属性をもつ神々が登場する「多神教風土」に対する否定も含まれている。多くの性格の神々がいるという考え方も、人間世界の近似値的な投影に他ならないからだ。次の詩片の言明は、彼の主張を明確に示している。

神はただ一つ/神々と人間どものうちで最も偉大であり/その姿においても思惟においても/死すべき者どもに少しも似ていない(断片23)。

クセノファネスは、擬人的神観念の批判を通して、人間(死すべきもの!)の認識における神の絶対的な「超越性」を示したのだ。逆に言えば、人間の「認識能力」には「限界」があること、「制約」があることを明確に言明したのである。

クセノファネスは、人間存在の存在論的な位置の「相対性」、その認識能力の「限界性」「制約性」、その認識能力が生み出すところの「知識」の「不完全性」を表明したのだ。以上のクセノファネスの「不可知論」的な洞察は、人類が存続する限り、不滅の輝きをもつだろう。

人間として、人間が置かれた形而上学的「諸条件」の思索に踏み出した者は、誠実であれば必ず、クセノファネスの洞察の前に立ち止まらざるを得ない。

人の身で確かなことを見た者は誰もいないし/これから先も/知っている者は/誰もいないだろう/神々についても、私の語るすべてのことについても/かりに本当のことを言い当てたとしても/彼自身がそれを知っている訳ではないのだ/ただすべてにつけて思惑があるのみ(断片34)。

わたしたちは「神」について、確実な知識を所有するのではなく、ただ、「思惑」があるだけだという。現在の言葉に翻訳すれば、「臆見」であろう。

しかしながら、クセノファネスは、単なる「不可知論」や「懐疑論」を主張したのではない。彼が示した最も重要な言明は、知識の漸進的な「探求」という理念である。この主張こそが、西欧の哲学的思索の基本的な「筋道」を形成したものである。

まことに神々は/はじめからすべてを死すべき者どもに示しはしなかった/人間は時とともに探求によってよりよきものを発見して行く(断片18)。

「死すべき者」である人間には、神、宇宙、世界は「超越的」であり、確実な知識を構成することはできない。それは「思惑」であり、「臆見」に過ぎない。

しかし、人間は「探求」によって、漸進的に「真実の知識」への接近が可能だという。とくに、「神」のような形而上学的対象については、探求、即ち、接近するプロセス自体に「意味がある」という見解を披瀝している。

彼の諸断片を見ていると、「知識」を2種類に弁別していることが分かる。彼は、形而上学的対象(神)については「不可知論者」である。しかし、自然などの経験的対象については必ずしもそうではない。自然については、因果性という観点から、きわめて理知的な考え方を述べている。

万物は大地から生まれて、最後にまた大地へとかえる(断片27)。

およそ生まれて成長するかぎりのすべてのものは、地と水である(断片29)。

われわれはみな、大地と水から生まれたのであるから(断片33)。

クセノファネスの思索には、西欧哲学の伝統となる「形而上学的領域」と「経験的領域」との区分けの問題意識が見事に表出されている。

つまり、彼は自然の表層を蔽った「擬人的」神観念を剥ぎ取ってしまう一方で、神観念を抽象化、純化し、「全体」「一なるもの」、あるいは、「不動なるもの」という形而上学的領域に上昇させてしまう。

一方、擬人的神観念を脱色され、地上にとり残された「もの」こそ、経験的領域、即ち、因果論的な処理が可能な「自然」に他ならないのである。

クセノファネスは以上の意味において、西欧哲学、さらには、そこを母胎として分離する科学の原点のような思想家である。現在の思想的立場に翻訳すれば、クセノファネスこそ、「超越論的実在論」の生みの親であろう。

彼は、大変、長生きをしたという。92歳の頃に自分の人生を回顧した詩の断片が遺っている。最後にその詩を紹介して終わりにしよう。

ヘラス(ギリシアの意)の土地をかなたこなたと/わが思いをさわがせ来ること/すでに六十と七年/生まれた日から数えれば、あのとき(侵攻され、占領された日)までの二十五年がこれに加わる/私がこれらについて/まちがいなく話すことができるとすれば(断片8)。 (了)
 0

土曜日, 2月 25, 2017

浅田彰『逃走論』(1984,1986)☆


                (マルクスリンク::::::::::) 

NAMs出版プロジェクト: 逃走論 1984,1986

http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/19841986.html 

ゲーデルとライプニッツ:付リンク::::
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_407.html

ジョン・ローマー『搾取と階級の一般理論』(未邦訳)/吉原直毅『労働搾取の 厚 生理論序説』

http://nam-students.blogspot.jp/2016/11/blog-post_15.html


NEOACA BLOG: 浅田彰『逃走論』

http://neoaca.blogspot.jp/2013/06/blog-post_23.html

https://i.imgur.com/Je2XNLS.gif

https://i.imgur.com/Y7OBRDu.gif

  





目次

逃走する文明

ゲイ・サイエンス

差異化のパラノイア

スキゾ・カルチャーの到来

対話 ドゥルーズ=ガタリを読む


マルクス主義とディコンストラクション

ぼくたちのマルクス

本物の日本銀行券は贋物だった

共同討議マルクス・貨幣・言語   ☆


ツマミ食い読書術

知の最前線への旅

N・G=レーゲン『経済学の神話』

今村仁司『労働のオントロギー』

広松渉『唯物史観と国家論』

栗本慎一郎『ブタペスト物語』

山本哲士『消費のメタファー』

柄谷行人『隠喩としての建築』

山口昌男『文化の詩学1・2』

蓮実重彦『映画誘惑のエクリチュール』


柄谷行人著作リスト['80s]一覧

http://karatani-b.world.coocan.jp/80_l.html


マルクス・貨幣・言語 現代思想 1983.03.01 思考のパラドックス、ダイアローグII 再録



柄谷 だから以前に岩井さんに言ったことがあるんだけど、「ケインズ主義」なんていうものはないんですよね。ケインズは当り前のことを言っている。「ケインズ主義」が出てきてからこうなったということではない。もともとそうなのですから、古典派経済学および新古典派こそがケインズの認識を「ケインズ主義」におとしめてしまう、ありもしない均衡体系を設定している。



浅田彰レジュメ:

レポート                   浅田彰


*記号論

記号論は完結した差異のシステムとしての記号体系を前提とする。


 記号体系は分節化された総体であるが、分節の仕方が恣意性に基づいているため、個々の記号は他の記号との差異においてしか規定されえず、したがって、全体が一挙にとらえられねばならない。

 そのような完結したシステムを前提すれば、その中で個々の記号を形作るシニフィアン(sa)とシニフィエ(se')のペアは、ソシュールの言う通り、一枚の紙の表裏のような一体の関係をなすことになる(図1)。

図1
I+++++++++++++I
     ___
        ↓
     _記号_
    /   \
 I se'I se'I
 +----+----+
 I sa I sa I

   *
 商品の総体をこれと同様のシステムとして考えるのは容易である。
 個々の商品は他の商品との差異においてはじめて規定されるが、そうした差異の総体が完結したシステムをなすとき、個々の商品を形作る使用価値と価値のペアは確固たる統一において立ち現われることになる(図2)。
図2

I+++++++++++++I
     ___
        ↓
     _商品_
    /   \
 I 価値 I 価値 I
 +----+----+
 I使用価値I使用価値I

    *
 ところで、このような完結したシステムは前提とすべきものなのだろうか。むしろ、媒介された結果なのではないだろうか。


*価値形態論


 マルクスは、完結したシステムに先立つ場面に遡り、そこに矛盾を孕んだネットワークを見出す。その矛盾はふたつの商品の関係においてすでに明らかである。それらは互いに相手の使用価値を鏡として自分の価値を確証しようとする。相手を《奴》(sa)、自分を《主》(se')にしようとするのである(図3)。


図3
商品I      商品II
 se'   se'
   \  /
    \/
    /\
   /  \
 sa    sa

se':相対的価値形態 …相手の使用価値を鏡として自分の価値を確証する〈主〉
sa :等 価 形 態 …自分の使用価値を鏡として相手の価値を確証してやる〈奴〉


 どちらが《奴》となり、どちらが《主》となるか。この関係はシーソーのようなものであり、磁石のように揺れ動いてやまない。先の比喩で言えば、紙の表裏は一定せず、いわばメビウス的反転をくり返すのである。
 このような混乱は商品の数を増やすほどにひどくなり、矛盾のネットワークが現出される。それはいかにして解決されるのか。
      *
 このネットワークの中から、ある一商品が、他の全商品の価値を身をもって映し出す一般的な鏡として、つまりは全員の《奴》として下方に排除され、ついで逆転運動により、全商品の価値の保証人として、つまりは全員を後見する《主》として、上方から君臨することになる。大文字のSaとしての貨幣の出現である(図4)。



図4

     全員の〈主〉となったSa
    Sa
    /\
   /  \ 
  /    \ 
 /______\
(__xxxx__)
 \      /
  \    /
   \  /
    \/
     全員の〈奴〉となったsa

 このSaが一般的な媒介のエレメントとなることによってはじめて、ひとまず矛盾が解決され、商品の総体が完結したシステムを形作りうるようになる。その中で個々の商品は固有の価値と使用価値の統一として立ち現われるが、それはSaたる貨幣のもたらす効果なのである(図5)。


図5
       Sa
       /\
      /  \ 
     /    \
    /      \
   /        \ 
  (++++++++++)    I 価値 I 価値 I
      ___         +----+----+
       \________/ I使用価値I使用価値I

 このことは記号論一般にあてはめることができる。Saが超越的な中心としてメタ・レベルから場を超コード化することによってはじめて、記号の総体が完結したシステムを形作りうるようになるのである。記号論が《ゼロ記号》として前提してきたものこそ、このSaである。

*流通論

 しかし、近代の貨幣‐資本については、ストーリーはそれでおわりというわけではない。ひとたびメタ・レベルに立った貨幣がただちにオブジェクト・レベルに再投下されて商品に化身し、そこからまたメタ・レベルヘとジャンプする。このプロセスのくり返しこそ、貨幣―資本の運動形式なのである。これを《クラインの壺》によってモデル化する(図6)。

          __
         /__\
図6    貨幣/〇  \\
        II  //
       / \ //
      /   \I
     /   / \
    /  _/  I\
   / _/    \ \
  /_/_______\_\
 (_____________)

 これは一切のスタティックなハイアラーキーを突き崩していく積極的な運動ではあるが、一定のサイクルを際限なく反復するよう強図いられている点では、未だ規制された回帰でしかない。その中で、差異は完結したシステムに封じ込められることをやめて累積的な差異化の運動を行なうようになるが、それもまた一定方向に誘導された運動でしかない。
 ここで注意しなければならないのは、商品から資本への移行が本来なんの保証もないパラドキシカル・ジャンプーー「命がけの飛躍」(salto mortale)だということである。《クラインの壺》の運動は、パラドックスをそのつど一定の仕方で飛びこえながら進行するプロセスなのである。しかし、それはパラドックスに対するなしくずしの解決なのであって最終的な解決ではない。まさにそのことこそが恐慌論の出発点である。



岩井 はっきり構造的に決まっている。漫才の「ツッコミ」と「ボケ」なん

ですね。(笑)

浅田 「ツッコミ」が「資本家」で「ボケ」が「労働者」だと。

柄谷 でもそこには悲劇性はないわな。(笑)

浅田 まあとにかく、そういう説明が成り立つと思うんですよ。岩井さんが

あえてそれを取らなかったのは「利潤」と「利子」を区別したかったからだ

と思うんです。置塩·森嶋·ローマーの「マルクスの基本定理」というのが

あって、「各産業が正の利潤率をもつような価格体系の存在と搾取率が正に

なるような価値体系の存在は同値である」という。ここで言っている「利潤

率」というのは事実上「利子率」なんですよね。

:182

 


追記:

ゲーデルの不完全性定理と較べればわかるが、マルクス価値形態論は論理が不徹底で道半ばである。

マルクスの場合、ゲーデル数にあたるものが貨幣になるが、その展開がなされていない。



転形問題に関して、浅田彰が逃走論で推奨するのが「転形手続きの数学的構造 」( 塩沢由典/basic数学1979年1月44~49頁)。

以下、

浅田彰が参考文献に挙げた塩沢 由典basic数学1979年1年の論考「転形手続きの数学的構造」より







問題は利潤がマイナスでも生産が維持されるべきだということ。
カンバン方式にはそれが出来ない。LETSならそれが出来る。



浅田 彰(あさだ あきら、1957年3月23日 - )は、京都造形芸術大学大学院長。 
専攻は経済学と社会思想史。兵庫県神戸市出身。 

著作 

単著 
『構造と力――記号論を超えて』(勁草書房, 1983年) 
『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』(筑摩書房, 1984年) 
『ヘルメスの音楽』(筑摩書房, 1985年) 
ダブル・バインドを超えて』(南想社, 1985年) 
『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館, 1994年) 
『フォーサイス1999』(NTT出版, 1999年) 
『「歴史の終わり」を超えて』(中央公論新社, 1999年) 
『映画の世紀末』(新潮社, 2000年) 
『20世紀文化の臨界』(青土社, 2000年) 
共著 
(黒田末寿・佐和隆光・長野敬・山口昌哉)『科学的方法とは何か』(中央公論社[中公新書], 1986年) 
(島田雅彦)『天使が通る』(新潮社, 1988年) 
(松浦寿輝)『ゴダールの肖像』(とっても便利出版部, 1997年) 
(田中康夫)『憂国呆談』(幻冬舎, 1999年) 
(柄谷行人)『マルクスの現在』(とっても便利出版部, 1999年) 
(田中康夫)『新・憂国呆談――神戸から長野へ』(小学館, 2000年) 
(佐和隆光)『富める貧者の国――「豊かさ」とは何だろうか』(ダイヤモンド社, 2001年) 
(四方田犬彦・大野裕之)『パゾリーニ・ルネサンス』(とっても便利出版部, 2001年) 
(田中康夫)『憂国呆談リターンズ――長野が動く、日本が動く』(ダイヤモンド社, 2002年) 
「必読書150」 

共編著 
(岡崎乾二郎・松浦寿夫)『モダニズムのハード・コア――現代美術批評の地平』(太田出版, 1995年) 
(渡邊守章・渡辺保)『表象文化研究――文化と芸術表象』(放送大学教育振興会, 2002年) 

訳書 
メアリー・ダグラス, バロン・イシャウッド『儀礼としての消費――財と消費の経済人類学』(新曜社, 1984年) 
参照リンク:wikipedia検索→「浅田彰」 

aabiblio @ ウィキ - 浅田彰書誌 http://www36.atwiki.jp/aabiblio/ 

浅田彰のドタバタ日記 http://www.realtokyo...ocs/ja/column/asada/ 

REALKYOTOhttp://realkyoto.jp/blogs/asada_akira/ 

ソトコト 憂国呆談 http://www.sotokoto.net/yukokuhodan/ 

浅田彰監修『日経イメージ気象観測』とはhttp://www36.atwiki....biblio/pages/66.html 
●○● Aquirax: 浅田彰 避難所●○●