月曜日, 8月 31, 2009

「変容する様式:ラディカルに向って」(柄谷行人、石原慎太郎との対談、『すばる』1989年9月号)より

鳩山由紀夫の言う友愛は自由と平等をどうつなぐかという問題の解としてあるそうだ。
その問題に関して、ちょうど20年前の柄谷行人と石原慎太郎の対談(単行本未収録)が興味深い。
以下、「変容する様式:ラディカルに向って」(石原慎太郎との対談、『すばる』1989年9月号)より


(略)
●自民党の崩壊と政治への関心の高まり

柄谷 今日は政治の話がしたかった。
石原 何でまた今さら。政治なら受けて立たぬわけにいかない。
柄谷 僕は今起こっている自民党の解体と、石原さんとを絡めて考えてみるとおもしろいんじゃないかと思っているんです。もともと自民党というのは、アメリカで言えば共和党と民主党が一緒になったような政党でしょう。
石原 全くそう。
柄谷 これは階級利害も違えば、対立して当然のものが一つの党になったものです。もとナチの理論家で、カール・シュミットという政治学者がいるんですが、彼は自由主義と民主主義を対立する概念としてとらえている。彼の考えでは、民主主義というのは、国民的な同質性を目指すもので、全体主義や社会主義と矛盾しない。民主主義の反対物は、全体主義ではなくて、自由主義だというのです。そうすると、自由・民主党というのは、もともと根本的な対立をはらんでいる(笑)。なかを見れば、一応派閥として対立してきたのかもしれないけれども、今その派閥がなくなってしまったような現状ですよね。
石原 まさにおっしゃるとおりだな。全部主流になった活力の喪失というのは大変なものなんですよ。党の中にある真剣な議論は、大方人事についてでしかなかったが、それも総主流ということで、みたくなってしまった。そういう現象が起こってきたのは、二十年安楽に来すぎたということでね。
柄谷 ただ、僕がおもしろいと思うのは、そういう自民党が結成されたのは、一九五五年ですか、昭和三十年。
石原 そうね。でもなんだかつまらない話になってきたな、せっかく柄谷さんを呼び出したのに(笑)。
柄谷 いやいや、大事なことなんですよ。僕は石原論をやろうと思ってね。
石原 石原論なんていいよ。文明論をやろうよ。
柄谷 これは文明論ですよ。最近よく戦後体制は終わったと言われるけど、戦後体制が始まったのは、一九五五年ぐらいだと思うんですよ。それまではソ連がまだ軍事的に強くなかったと思うの。それが五五年ぐらいから世界的に二元構造がきちっとできたと思う。そういう意味で冷戟といいながら安定していた時代で、日本では保守合同で自由民主党ができて、片一方に社会党が再統一した。だけども、社会党はすぐに分裂したし、実質的には二大政党にはならず、自由民主党ののなかの自由主義的な部分と民主主義的な部分の"派閥"抗争として続いてきた戦後体制に対する急進主義的な批判だったんじゃないかと思うんです。ブントというのは「赤い太陽族」と言われてまして(笑)、僕のラディカリズムはまさにそういうものだった。
石原 あの頃やっと戦後の貧困が終わって、真の意味での戦後体制ができだしてきた。つまり、消費社会の台頭ね。そこで、初めて人間は存在から反映して、実存という意味を考えたんじゃないのかな。日本にいても不思議なぐらい、実存主義の流行がわかったな。日本ではインテリの間だけで、あまりはやらなかったけどね。
柄谷 サルトルがそうだったけど、この時期までの実存主義は、具体的な政治・政党へのコミットメントと結びついていたでしょう。戦前のハイデッガーでもナチへのコミットメントと結びついていたけど。そういった要素が、このあとはなくなってしまった。六〇年代後半になると、全共闘なんかは、いわゆる政治と全然関係ないところで、想像的な空間にこもるみたいなものでしょう。大学解体とかね。具体的な政治ということを考えるのを拒否した。政治的構造があまりにも安定してるから、動かせないに決まってますから、第三の世界をどこかにつくればいい、想像力の革命というような発想だったと思うんです。そういう人たちはあとでサブカルチャーに向かった。
 そのころ石原さんは政治家になった。たぶんそれは、今いわれたみたいに、実存主義的なんでしょうね。多分、石原さんは五〇年代末のラディカリズムの意識のまんま、政治家になったと思うんですよ。あとの世代にはそれがまったくない。
 しかし今僕が感じているのは、わりあいみんな政治の話をしはじめているなってことなんです。おっちゃん、おばちゃんだけじゃなくて、学生もね。もっと白けてるのかと思ったら、そうではない。これはサブカルチャーが行きつくところまで行ってしまって、もうインパクトを与えなくなってしまっていること、それからこれまでとは異質な国際的緊張を実感しはじめたということと関係があると思います。

(略)

●二世作家は淘汰されるか

柄谷 戦後休削が安定してきたということは、いろんな局面で出てきてると思うんです。例えば今、二世作家が多くなってるでしょう。政治家も二世でしょう。これは様式が安定しているということだと思うんです。歌舞伎もそうですけど。
石原 歌舞伎は絶対に安定しているね。あれは絶対的様式だから。
柄谷 様式を習得するというのはなかなか難しいわけですよ。ぽっと出て身につけるわけにいかないんです。選挙なんて、あんなもの普通の人はできませんよ。慣れるだけでも大変でしょう。作家も今や子供のときからそういう環境にいないとだめとか、そういうふうになっちゃっているわけです。しかし僕はこれは変わると思う。すでに政治の世界では、いま隣のおばちゃんがばっと選挙に通るじゃないですか。
石原 それは変わる。だけど、作家の二世現象というのは淘汰されるのかな。これは特殊な社会だから、精神や情操を含めて形而上の遺産みたいなものはあるんじゃないの。政治家と違っていい意味の遺産が。
柄谷 いやあ、『太陽の季節』じゃないけど、葬式の祭壇に石を投げるとか、そういう上の世代を殺すというようなエディプス的なものが、モダニティの核心にあると思わます。だけど、親の跡を継ぐことを受け入れる、それをごく普通にやれるというのは、やっぱりそういうのがポストモダンだろうとは思うけどね。
石原 非常にシニックな、冷静な分析ですな(笑)。
柄谷 そうです。シニックでもあるけど(笑)。親の遺産はあった方が得じゃないかという判断なんて、反撥するもんですけどね。そういう過程を今は経ないわけね。それは僕は様式が安定しているからだと思うんです。選挙はこうやればいいんだというノウハウがきちんとあって、作家はこう書けばいいんだとか。今の二世の作品というのは、そういうでは安定してるものですよ。
石原 なるほどね。僕はあまり読んでないけど、感覚的にわかるな。ならば日本の現代文学はかなりかったるいな。
柄谷 僕も別にあまり読んでいるわけじゃないですけど、今売れている村上春樹とか吉本ばなななんてのは、全く様式の世界ですよ。
石原 様式のなかのバリアント。
柄谷 そうです。例えば『ノルウェイの森』なんてのは、『愛と死をみつめて』ですよ(笑)。昔だったら『不如帰』です。結核が分裂病になっただけでしょう。そこにそこはかとなき美が出てしる。彼のメッセージは、近代は終ったということです。皆さん安心していいよ、ということです。
石原 僕はばななの小説は二、三読んだけれども、村上春樹という人はついていけないな。退屈で。
柄谷 まあ、あれは、現在の様式なんですよ。
石原 様式なんだろうね。四、五十枚で書けるなと思うようなものだもの。一体だけど、新しく出てくる文学というのは何なのかね。様式を淘汰していったら、ラディカルにならざるを得ないでしょう。いちばんエッセンシャルなものを主題にせざるを得ないでしょう。
柄谷 ええ、そうなるであろうと僕は思ってますけどね。もう数年ぐらいかかるんじゃないですか。
石原 中上なんかがやっているのは、そういう点で評価するんだな。どろどろしたラディカルなものを書いているでしょう。
柄谷 だから、中上のは売れない。
石原 エッセンシャルなものをやると、手をこんで書いても、素朴に書いても、受けにくい時代なんだね。
柄谷 そうです、難しいですよ。
石原 それは様式、いい換えれば調子の良さが跋扈しているからだな。僕なんかついに近代文学の様式にアディクトしなかったな。まあ他人の作ったものは所詮どうでもいいからね。

(略)

●『雪国』のトンネルのあとにくるもの

石原 歴史、歴史というと大げさに聞こえるけど、今意識するといちばん歴史が見えやすい時代なんだよね。様式は崩壊しつつあるし、ほんとうにおもしろい時期だからな。
柄谷 それはやっばり自民党の崩壊というかたちで出てきているのだからおもしろいですよ。
石原 それは自民党という政治様式の限界効用がつきたということよ。当然自民党は崩壊する。あんなものはただの方便だもの。リクルート事件というのは、ある意味じゃ、天の配剤だね。
柄谷 自民党は、いわば自由党と民主党に分かれるほかないですね。今の社会党の土井たか子人気は、"民主党"がないからでしょう。土井人気が示しているのは、左翼的インターナショナリズムではまったくなくて、むしろナショナリズム=民主主義なんだと思う。社会党の理論家がそれをわからないと、内部崩壊してしまうでしょうね。昔からアメリカの民主党は、日本の社会党より革新的です。しかし、保護主義的で、ケインズ主義的です。たぶん、九二年は民主党が勝つでしょうね。日本が変わらない方がおかしい。
石原 もう一回、政界の再編成をしなくちゃいけないと思いますよ。柄谷さんは、どのくらいアメリカにいってるんですか。
柄谷 来年は半年くらい。
石原 とにかく、アメリカに日本を教えてきてよ。次の文明のあるイニシャティブを、日本はアメリカに並んで持っているんですからね。それは同時に日本に向かっても、文明論というのかな、文化論というかな、新しき人よ来たれというような呼びかけをしないとね。みんな平和繁栄の中で夢うつつだから。
柄谷 まあ、日本のインテリは苦しいはずだと思いますよ。
石原 何が苦しいの。やることがありすぎて苦しいんだろう。
柄谷 むろん大半は呑気でいるんでしょうけどね。だから、少数のインテリというべきでしょうが。全部背負わなきゃいけないが、しかもそこに、目的がないでしょう。
石原 目的はあなたが与えたらいいじゃないの。
柄谷 僕は目的なんかないもの。
石原 どうして。
柄谷 いや、目的は要らないと思う。
石原 所詮、目的は他人が定めるものじゃないからな。しかしそれを造成するためには、やっぱり何かもうちょっと批評の方がねえ……。
柄谷 いや、批評は……。
石原 いつも最後からくるのかね(笑)。
柄谷 いや、すべての目的をはらうことになってますので。一切の幻想をはらうようになっている。僕はそういう、いわばデカルト=スピノザ的な情熱をもっています。だから最終的に「実存」が出てくる。
石原 幻想じゃなしに、時代に遅れた迷妄をはらってくれよ。
柄谷 いや、もう実ははらわれてるでしょう。気づいていないだけで。
石原 そうかな。だって、依然として文学そのものは、近代の文学の様式のなかで、低迷してるだろう。
柄谷 今のところ、ある意味で戻っちゃったわけですよ、『雪国』みたいなところへ。
石原 でも、あれはあれで美しいんじゃないの。
柄谷 今、『雪国』をやっては困る。トンネルの向うの、閉じられた世界で鏡の中に自分を見つめるというのは。これが今の文学だと思う。
石原 なるほど今この、『雪国』やっちゃ困るというの、それが結論だな。
柄谷 僕はその先は、全然いい展望を持ってませんね。世界は明らかに分割されるだろうとは思いますが、かつてないタイプの混乱になるんじゃないかな。米ソの冷戦休制なんて、非常に単純だったということになるのではないか、例えばアジアと西欧のことでもそうですけどね。
 だから、日本近代のもっていたアポリアというものは、全部これから引き受けなきゃいけないだろうと思うんです。そういうところに文学もあるし、批評もあるわけだから。もちろん、政治もそうだ。

(略)

(1989年七月七日ホテルエドモンドにて)