「固有信仰は民俗学によってしか接近できない。と同時に、それは民俗学では接近できない」
(『遊動論』133頁)
他にも重要な考察がある。
☆
狩猟採集によって得た収穫物は、不参加者であれ、客人であれ、すべての者に、平等に分配される。これは、この社会が狩猟採集に従事しているからではなく、遊動的だからである。彼らはたえず移動するため、収穫物を備蓄することができない。ゆえに、それを所有する意味もないから、全員で均等に分配してしまうのだ。これはまさに「純粋贈与」であって、互酬的ではない。…
定住以前の狩猟採集社会には、共同寄託はあるが互酬的交換はなかったと考えるべきである。
柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』(文春新書2014.01.20)
目次 :
第1章 戦後の柳田国男 7
1戦中から戦後へ 8
2柳田の敗北 21
3農民=常民の消滅 29
4非常民論 33
注 42
第2章 山人 45
1近代と近代以前 46
2農政学 56
3焼畑狩猟民の社会 67
注 73
第3章 実験の史学 79
1供養としての民俗学 80
2山人と島人 87
3公民の民俗学 100
4オオカミと「小さき者」116
注 125
第4章 固有信仰 127
1新古学 128
2固有信仰 135
3祖霊信仰と双系制 145
4「場」としての家 150
5折口信夫と柳田国男 157
6固有信仰と未来 166
注 174
付論 二種類の遊動性 177
1遊動的狩猟採集民 178☆
2定住革命 182
3二種類のノマド 186
4柳田国男 193
あとがき 197
主要参考文献 202
柳田国男年譜 205
『遊動論』の構成:
第一章①戦後の柳田国男(遊牧民的資本主義=吉本隆明批判)
第二章②山人 (協同組合=協同自助論)
第三章③実験の史学 (国家に抗する小日本主義=小さきもの)
第四章④固有信仰 (互酬制を脱する過去=未来の原理)
付論 ☆二種類の遊動性(遊動民と遊牧民)
③|☆①
ー+ー
②|
④
①と
④は両義的
以下、文庫版柳田国男全集において、柄谷行人が
文春新書『遊動論 柳田国男と山人』(全角頁数)で言及したもの。@は引用。(半角数字)はちくま文庫版の頁数。『遊動論』付録年譜参照。
第1巻
海上の道(28,87)……………………………………… 7
「鼠の浄土」(131@(203))
海南小記(27)…………………………………… 297
島の人生…………………………………… 525
「島々の話 その四」(90@(635)。沖縄での講演「世界苦と孤島苦」からの引用という形をとっている)
*解説(福田アジオ)(28@(697~8))…………………… 689
第2巻
雪国の春(94)……………………………………… 7
豆の葉と太陽……………………………… 345
第3巻
ジュネーブの思い出(92~3@(393))……………………… 389
第4巻
遠野物語(1,32,33,46,52,67,72@(9),76)………………………… 7
山の人生(70,85@(236)@(242),89@(88)@(88),116~7@(169))…………………77
「山人考」(41@(236),85@(236)@(242))
「山に埋もれたる人生のある事」(61@(81~2))
山人外伝資料(85~6@(385))……………………………… 385
第5巻
後狩詞記(35,52,67,69)……………………………………… 7
山民の生活(99)………………………………… 529
第6巻
妖怪談義……………………………………… 7
「天狗の話」(72)
第7巻 第8巻 第9巻 第10巻 第11巻
第12巻
婚姻の話……………………………………… 7
「聟入考」(146)
家閑談(154@(422),154~5@(344))……………………………………… 273
親方子方(151)…………………………………… 499
第13巻
先祖の話(22~,22@(208),22~3@(209),23,25@(11),43,
134@(65)@(77~8)@(91~2)@(115)@(182)@(196),136~7@(65),137~8@(198),140@(61),140~1@(181),150@(209),167@(166~7),168(@(167)),174)……………… 7
日本の祭(123@(248),129@(239),132~3@(404),153~4@(225),169@(239))…………………………………… 211
神道と民俗学(55@(434),121~2@(526),128~9@(444),129@(445),134~5@(518))……………………………… 431
祭礼と世間(135@(559)@(560)………………………………… 543
神道私見(49@(600)@(?『故郷七十年』?),55@(596~7)@(597),129@(596),170@(596~7))…………………………………… 587
第14巻
山宮考(24)……………………………………… 389
第15巻
山宮考?
第16巻 第17巻 第18巻
第19巻
蝸牛考(111@(137「方言周圏説×論○」))…………………………… 7
第20巻
家の話(152@(423))……………………………………… 419
第21巻
第22巻
小さき者の声(「子供と言葉」125@(441))……………………………… 335
第23巻
こども風土記(124~5@(82))………………………………… 7
第24巻
狼のゆくえ 583~「孤猿随筆」(117)
山宮考?
第25巻
第26巻
明治大正史 世相篇(62@(346)@(344)@(345),101~2@(376),102@(394),110)…………………… 7
第27巻
青年と学問………………………………… 115
「青年と学問」(97~8@(133~4))
「南島研究の現状」(90@(223),91~2@(225))
「郷土研究ということ」(108~9@(291))
「島の話」(89@(207))
東北と郷土研究(114@(506))…………………………… 486
実験の史学(11@(525),37,37,81@(518)@(518~9),108,112@(527),112~3@(526),115)………………………………… 518
第28巻
郷土生活の研究法(110@(216),118,130@(60『玉勝間』)@(60),151)…………………………… 7
民間伝承論(81~2@(395~6),110@(319)「重出立証法」,112@(300)@(260),113@336~7),115@(300))………………………………… 245
第29巻
時代ト農政(59~60@(122),62~3@(119),63~4@(372~3),(75朱子))……… 7
日本農民史(103,104@(489))………………………………… 229
都市と農村(15@(489))………………………………… 333
中農養成策(62)………………………………… 550
第30巻 第31巻
第32巻
炭焼日記(13@(426))………………………………… 163
野辺の小草(叙情詩)
「夕づゝ 」
かのたそがれの国にこそ/こひしき皆はいますなれ/うしと此世を見るならば/我をいざなへゆふづゝよ..(73~4@(50))...50
(定本柄谷行人集第一巻172頁参照)
文庫未収録:
「文学・学問・政治」中野重治との対談(16@(ちくま文庫~対談集138),17@(142))
「故郷七十年」(46~7@(255),48@(23)@(23),旧全集別巻三)
「故郷七十年拾遺」(53~4@旧全集別巻三(451),定本柄谷行人集一172~3頁参照)
『近世奇談全集』序言(50~1@最新版全集第22巻? 1 校訂近世奇談全集 15)
「世界苦と孤島苦」(27?,90@『ちくま文庫版全集1』(635),91,旧全集別巻三(320~1))
「東北研究者に望む」(94@(?最新版全集第27巻 60 東北研究者に望む 1-3 115-118))
「国際労働問題の一面」(95~6@旧全集第29巻)
「九州南部地方の民風」(68@,70~1@(最新版全集第23巻 169 九州南部地方の民風 624-631))
『評伝オーロビンド』(書名未掲載。171,172@(110),176@(63),176@(110))
「南方氏の書簡について」『柳田国男南方熊楠往復書簡集』上下(107~8@「南方熊楠宛書簡大正3年1914年5月12日(下236),108@「南方氏の書簡について」(下252),121@(上17))
『折口信夫対話集』(170,171@「日本人の神と霊魂の観念そのほか」(193))
「民俗学の話」(24@旧全集24巻(503))
『柳田国男論集成』橋川文三(12~3@(67),173@(76))
参考:
第13巻
「先祖の話」(22(208),23(209),150(209))より
「少なくとも国のために戦って死んだ若人だけは、何としてもこれを仏徒の言う無縁ぼとけの列に、疎外しておくわけにはいくまいと思う。もちろん国と府県とには晴の祭場があり、霊の鎮まるべきところは設けられてあるが、一方には家々の骨肉相依るの情は無視することが出来ない。」
「新たに困難に身を捧げた者を初祖とした家が、数多く出来るということも、もう一度この固有の生死観を振作せしめる一つの機会であるかも知れぬ。」
第23巻
「こども風土記」(124~5@(82))より
「児童は私が無く、また多感である故に、その能力の許す限りにおいて時代時代の文化を受け入れる。古く与えられたものでも印象の深さによって、これを千年・五百年の後に持ち伝えるとともに、いつでも新鮮なる感化には従順であった。そうして常に幾分か親たちよりも遅く、無用になったものを棄てることにしていたらしい。ことに国語のうるわしい匂い・艶・うるおいなどは、かつて我々の親たちの感じたものを、今もまだ彼らだけは感じているように思う。こういうところに歴史を学ぼうとする者の反省の種が潜んでいる。」
第22巻
「子供と言葉」「小さき者の声」(125@(441),旧全集第20巻)より
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます。」
___
| |
| |目
| |デ
| |見
| |ル
| |
___| _ |
| | |
| | |耳
| | |デ
| | |キ
| | |ク
| | |
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| | | |
| | | |郷
| | | |人
| | | |ノ
| | | |感
| | | |覚
|___|___|___|
俗 口 習
信 碑 俗
柳田国男(民間伝承の)「三部分類」
(『民間伝承論』ちくま文庫版全集第28巻373頁より。柄谷行人『柳田国男論』113頁参照)
柳田国男は民間伝承の三部分類(目・耳・心)を提唱している。
あくまで帰納法であり、宇野弘蔵のようなヘーゲル経由ではない。
座標が縦横にあるから応用が効き、秘教化しないところがミソだ。
柄谷の論考はこれらを遡行するものだ。
ちなみに、あとがきによると付論「二種類の遊動性」は中国講演草稿として書かれた。
内容的には以下の②とほぼ重なる。
柄谷行人「中国で読む『世界史の構造』」
雑誌「現代思想」青土社 2013年5〜10月号:メモ
___________
|③ ⑤⑥| |
| | ② |
|④ | |
|_____①_____|
| | |
| ⑥ | |
| | |
|_____|_____|
著者が2012年9月から2カ月間にわたって中国の研究機関(中国の友人に頼まれ北京清華大学及び、北京哲学会、中央民族大学、社会科学院、上海大学)で『世界史の構造』の詳細な解説を行った記録。2013年5〜10月号、全六回。
5月号 第一回「『世界史の構造』について」
6月号 第二回「世界史における定住革命」☆
7月号 第三回「専制国家と帝国」
8月号 第四回「東アジアの帝国」
9月号 第五回「亜周辺としての日本(上)」
10月号 第六回「亜周辺としての日本(下)」
主要参考文献及び人名:
(登場順、重複あり)
吉野作造(10)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12~3@(67),173)
柳田國男・中野重治「文学・学問・政治」(対談)(「展望」一九四七年一月号所収、のちに筑摩書房、宮国登編『柳田國男対談集』に収録、ちくま学芸文庫、一九九二年)(16@(138),17@(142))
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
花田清輝「柳田国男について」(松川哲夫編『花田浦輝評論集』所収、岩波文庫、一九九三年)(18@(199),19@(201))
中村哲『柳田国男の思想』法政大学出版局、一九八五年(23@(『柳田国男研究』1973年,102))
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、一九八二年(31,32)
吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、一九八四年(33)
坪井洋文『イモと日本人』未来社、一九七九年(34)
坪井洋文『稲を選んだ日本人』未来社、一九八二年(34)
網野善彦「中世における天皇支配権の一考察」(「史学雑記」一九七二年八月号所収、山川出版社)(36)
網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、二〇〇〇年(37)/
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
グラムシ(42)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
古本隆明『超資本主義』徳間書店、一九九五年(43)
赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、一九九四年 (44)
小熊英二『単一氏族神話の起源』新曜社、一九九五年(40,44)
大塚英志『怪談前夜』角川選書、二〇〇七年(46)
兪汝為『荒政要覧』(48,49,51)
柳田国男・田山花袋編校訂『近世奇談全集』、博文館、一九〇三年(50~1)
平田篤胤『仙境異聞』(51,130,131)
井上円了「妖怪学」?(52?,74?)
横井時敬(57)
ロバート・オーウェン(58)
J・S・ミル(59,75)
東畑精一(65)
字沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、二〇〇〇年(65~7)
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)(69)
松崎憲三「二つのモノの狭間で(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(72)/
菊地章太『妖怪学の祖 井上圓了』角川選書、二〇一三年(74)
カント『視霊者の夢』?(74)
島崎藤村『夜明け前』(75)
スマイルズ『自助論』or『西国立志編』(75)
J・S・ミル(59,75)
宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書、二〇一二年(75)
朱子(75(『時代ト農政』参照))
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
マルクス(58,76『共産党宣言』@,77)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
ミシュレ『魔女』(83)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、二〇〇九年(94)
アダム・スミス(96)
三浦銕太郎(96)
石橋湛山(96)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
岡村民夫『柳田国男のスイス』森話社、二〇一三年(101)
大塚英志『公民の民俗学』作品社、二〇〇七年(102~3,104)
赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』五柳書院、二〇〇一年 (106)
柳田国男・南方熊楠『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』上下 平凡社ライブラリー、一九九四年(107~8@(下236),108@「南方氏の書簡について」(下252),121@(上17))
1607年に兪如為が記した中国の救荒書『荒政要覧』
http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/354/1/SZK0002693_20040929055329451.pdf#search='荒政要覧とは'
きゅうこうしょ みんかんびこうろく 日本最初の本格的救 荒 書『民間備荒録』(Q611-2)
救荒書とは一般には飢饉を生き延びる術を記した書物を指します。飢饉への備えを説き、飢饉 の際にどのようにして食糧を食いつなげ、またどのような食物が食べられるかを伝えることを 目的としています。救荒書の登場は、中国では15世紀初頭の『救荒本草』が最初です。日本で
たてべせいあん はさらに遅れ18世紀後半に現れます。奥州一関藩藩医建部清庵(正徳2(1712)年~天明3
(1783)年)が記した『民間備荒録』が、本格的な日本最初の救荒書で、それ以降の救荒書の一つ の手本となりました。当館の久能文庫には、版本2巻が所蔵されています。(Q611-2)
建部清庵は漢方外科を修得しながら、 オランダ医学にも深い知識を持っていました。また『解 らんがくかいてい おおつきげんたく
体新書』で有名な杉田玄白と親交を結び、さらに『蘭学階梯』の著者大槻玄沢の師でもありま した。
ほうれき めい わ 『民間備荒録』の最初の刊行は宝暦5(1755)年、10(1760)年、明和8(1771)年と諸説がある
ものの、当館が所蔵するものは文政7(1824)年版です。 『民間備荒録』の記述からみると、宝暦5年に東北地方は 5 月から異常な低温となり、8 月
まで雨が降り続く冷害に遭い、16世紀末以来という惨状となったとあります。清庵はその惨状 ゆじょい こうせいようらん
を目の当たりにし、さらに1607年に兪如為が記した中国の救荒書『荒政要覧』を見たこと じょこうけい のうせいぜんしょ みやざきやすさだ
で同書の編纂を思い立ちました。本書は『荒政要覧』や徐光啓の『農政全書』をもとに、宮崎安貞 のうぎょうぜんしょ かいばらえきけん や ま と ほんそう てらじまりょうあん わ か ん さんさい ず え
の『農業全書』や貝原益軒の『大和本草』や寺島良安の『和漢三才図会』などの成果を参考 にしながら成立しました。建部はこの書を見てもわかるように中国の成果を受け継ぎ、農書・ 本草学分野の成果を活用し、地域性を考慮した植物の栽培にまで神経を払っていました。序の
きもいり くみがしら 部分で、「この書は、もっぱら肝煎・組頭という村役人に、飢饉に苦しむ貧しい農民を救わせ
る方法を教えることを目的としており、実のなる木々を植えて、今後の飢饉に備えさせようと するものである。」といい、村役人に飢え苦しむ民を救う方法を伝えるという現実的な飢饉対策 を唱え、同時に飢饉対策の責任が村役人にあることを断言しています。
本編は上下巻によって大きく内容を変えており、上巻では飢饉の際に食糧とする植物(なつ め・栗・柿・桑・菜種)の栽培法や飢饉に備えて食料を蓄える方法が記され、下巻では人々を 飢えから救うために草根木葉の正しい食べ方とその解毒法を述べています。
びこう
『民間備荒録』に記載した救荒のための植物を中心に、104種の植物を採録した図集が『備荒 そうもくず す ぎ たげんぱく す ぎ たはくげん
草木図』です。『備荒草木図』は、清庵死後、杉田玄白の娘婿になった息子杉田伯玄が、父の遺 稿を校訂し世に出しました。文字の読めない当時の庶民にも一見してわかるようにとの配慮の もとに編纂されたものです。
【参考資料】
『日本農書全集』第18巻・第68巻(610.8/11) 「日本における救荒書の成立とその淵源」白杉悦雄
(『東アジアの本草と博物学の世界 上』所収 499.9/16) 『近世農書に学ぶ』飯沼二郎(610.3/127)
『近世科学思想 上』古島敏雄
(『日本思想体系62』 121.08/100)