http://www.freeassociations.org/
Wolfgang Amadeus Mozart - Il Sogno di Scipione, KV 126
http://youtu.be/A7JzTVf5LCAMozart - Il sogno di Scipione
http://youtu.be/33N1V2l3LKgスキピオ・アエミリアヌス - Wikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス・アフリカヌス・ヌマンティヌス(ラテン語:Publius Cornelius Scipio Aemilianus Africanus Numantinus、 紀元前185年 - 紀元前129年)は、共和政ローマ期の軍人、政治家。カルタゴの破壊者である。
第二次ポエニ戦争で活躍したスキピオ・アフリカヌス(大スキピオ、大アフリカヌス)と区別して小スキピオ、小アフリカヌス、スキピオ・アエミリアヌス・アフリカヌスとも称される。なお、以下文中では「アエミリアヌス」と記載する。
ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクスの息子として誕生。叔母であるアエミリアはスキピオ・アフリカヌスの妻であったのでスキピオ・アフリカヌスは義理の叔父にあたる。その後従兄弟でスキピオ・アフリカヌスの長男プブリウス・コルネリウス・スキピオの養子となりスキピオ家に入り、以降は名を「プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス」とする。兄弟のクィントゥス・ファビウス・マクシムス・アエミリアヌスもクィントゥス・ファビウス・マクシムスの養子になっている。
紀元前168年には実父アエミリウスが指揮を取る第三次マケドニア戦争に従軍しピュドナの戦いで活躍した。紀元前151年には執政官ルキウス・リキニウス・ルクッルスの副官としてヌマンティア戦争へ従軍したが、ルクッルスがカウカ住民との和約を破って住民を大虐殺したため、ルクッルスが次に攻撃したインテルカティアでは苦戦を強いられた。アエミリアヌスは自らが保証人となって和約を結ぶことでインカルティアからの支援を得ることが出来た。
第三次ポエニ戦争時、カルタゴの三重防壁を破るために派遣され、紀元前146年にカルタゴを陥落させる。繁栄したカルタゴが滅んで行くさまを当事者として目の当たりにし、炎上するカルタゴを見つめ「ローマもいつか滅びる日が来るのであろうか」とポリュビオスに語って嘆いたという。これ以降「アフリカヌス」の称号を持つようになった。
ヌマンティア戦争の司令官にも選ばれ、紀元前133年にはヌマンティアを征服し、イベリア半島にローマの支配権を確立した。以降「ヌマンティヌス」の名を持つ(詳細は当項目を参照)。
スキピオ・アフリカヌスの外孫でグラックス兄弟の姉であるセンプロニアが妻であり、兄弟とは生来の血縁に加えて義兄弟という立場でもあった。そのような近い関係にあっただけに、アエミリアヌスは父を早くに失った兄弟の若い頃は親密に面倒を見たが、保守勢力の代表たる元老院のプリンケプスとなっていた晩年には、兄弟の改革には反対する立場をとりつづけた。プルタルコスによれば、ティベリウス・グラックスの演説をヌマンディア遠征中で聞いたアエミリアヌスは「このような事を言う者は死ねばいい」と言ったらしい。そのためティベリウスが反対派の扇動した暴動において撲殺された時、民衆の怒りを買い、一族のスキピオ・ナシカのように国外退去させられそうになったという。紀元前147年及び紀元前134年の2度執政官に選出され、紀元前142年にはルキウス・ムンミウスと共にケンソル(監察官)を務めた。
紀元前129年、アエミリアヌスは農地法への反対演説を控えた前日に死亡しているのが発見された。死因については病死以外に、農地法への賛成派(ポプラレス)による暗殺、妻センプロニア及び義母コルネリアに殺害されたなどの説がある。
アエミリアヌス死後の共和政ローマ期に活躍した哲学者マルクス・トゥッリウス・キケロは、著書『国家論』(De re publica)の中で自らの宇宙観を記す際に、「スキピオの夢」と称されるアエミリアヌスを題材とした一節を残した。また、「スキピオの夢」を題材とした作品として、ルネサンス期の画家ラファエロ・サンティが絵画(「騎士の夢」)を製作、18世紀の音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがオペラ「シピオーネ(スキピオ)の夢」(en)を作曲(発表は1772年)した。
以前影武者について書いたがそれは脇の主題についてだった。
柄谷との比較は主題に関わる。
柄谷はアウグスティヌス経由(アウグスティヌス自身はキケロ『国家論』3経由)でアレクサンドロス大王と海賊のやりとりを紹介している。
あるとき、アレキサンダー大王は、海賊を捕らえた。
大王が海賊に、「海を荒らすのは、どういうつもりか」と問うたとき、海賊はすこしも臆すところなく、「陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小さい舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」と答えたのである。(アウグスティヌス『神の国』第1巻、272頁、岩波文庫)
http://jiyuu-gennsou.at.webry.info/200805/article_6.html
(帝国95頁参照)
http://booklog.jp/users/touxia/archives/1/B000UH4TUA
冒頭 信玄 信康 影武者 3人の会話で始まる。
その構図が 絵になっている。
逆さ磔にされる盗人 があまりにも信玄に似ているので
つれてこられたということから・・・はじまる
影武者は、
『たかが 5貫10貫 盗んだ 小どろぼう・・・
国をとるために かぞえきれない人を殺したものに
悪人呼ばわりされる筋合いはない』という。
信玄は
『何なりと申すがよい。
確かに わしは強欲非道の大悪人じゃ。
実の父を追放し わが子も殺した。
天下を盗むためにはなにごとも辞さぬ覚悟じゃ。』
ただしその後信玄に殉ずる影武者の論理は交換様式Aである(244頁参照7-6)。
(チャップリン『殺人狂時代』の最後のセリフも想起させるが、こちらは権力の主題はない。チャップリンは交換様式Cを主題としている。ディランのスウィートハートは宗教的でAの高次の回復だ。)
「小さきもの」を擁護しつつも、アレクサンドロスの拡大主義を柄谷は支持しているようだ
アリストテレスは老子と同じで小国主義だ。Aになる(老子とCは漢代につながった)。
アリストテレスはアレクサンドロスの師ではあるが、Bを邁進したアレクサンドロスと対立したとされる(95頁参照)。
アレクサl影武者
ンドロスl
ーーーー+ーーーーー
殺人狂時l
代 l
黒澤明のメッセージは動くなだが、柄谷は移動を勧める。
かつて柄谷のマクベス論と蜘蛛の巣城は呼応したが、柄谷は福田恒存に近かった。
黒澤明は近代的自我を認めない。黒澤明の方がより過激なのだ。
柄谷は黒澤明に追いついた。
「正義がなくなるとき、王国は大きな盗賊団以外のなにであろうか。盗賊団も小さな王国以外のなにでもないのである。盗賊団も、人間の集団であり、首領の命令によって支配され、徒党をくんではなれず、団員の一致にしたがって奪略品を分配するこの盗賊団という禍いは、不逞なやからの参加によっていちじるしく増大して、領土をつくり、住居を定め、諸国を占領し、諸民族を征服するようになるとき、ますます、おおっぴらに王国の名を僭称するのである。そのような名が公然とそれに与えられるのは、その貪欲が抑制されたからではなく、懲罰をまぬがれたからである。ある海賊が捕らえられて、かのアレキサンデル大王にのべた答はまったく適切で真実をうがっている。すなわち、大王が海賊に、『海を荒らすのはどういうつもりか』と問うたとき、海賊はすこしも臆すところなく、『陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小さな舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです』と答えたのである(1)。
(1)この話はノニウス・マルケルルスによって語られ、マルケルルスはキケロからそれを借りてきている(キケロ『国家論』三)。」(1巻273)アウグスティヌス[服部英次郎訳]『神の国』第四巻第四章 全(岩波文庫1,273~4頁1982-1991)
脚注を除いた全文を柄谷は引用している(『帝国の構造』95頁)。
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_03/9/notes/ja/GFK2006-tanaka1.pdf
黒澤明『影武者』冒頭は以下、
ちなみに黒澤明『影武者』冒頭に以下、のセリフがある、
「フフフフ、俺は、たかだか五貫十貫の小銭を盗んだ小泥棒だ。国を盗るために、数え切れねぇほど人
を殺した大泥棒に、悪人呼ばわりされる覚えはねぇ!」
(中略)
信玄「…たしかにこの儂は強欲非道の大悪人だ。 実の父を追放し、わが子も殺した。儂は天下を盗るためな
ら何事も辞さぬ覚悟だ。
しかしな、血で血を洗う今の世に、何者か 天下を盗り天下に号令せぬ限り、 その血の河の流れは尽きず、屍
の山は築かるるばかりぞ」
(チャップリン『殺人狂時代』の最後のセリフも想起させるが、こちらは権力の主題はない。チャップリン
は大恐慌など交換様式Cを主題としている。)
「血の河の流れ」と「屍の山」は、信玄の戒め(「動くな」)を守らない勝頼によって、長篠の戦いの結
果、現実化してしまう。信玄のセリフは映画のラストにつながっているのだ。
近親を罰する信玄の論理は交換様式B(に近いの)だが、その後信玄に殉ずる影武者の論理は交換様式Aである(244頁参照7-6)。
肉親(わが子)の情を頼り、上からの連合を提示するには秀虎(A)は、まず馬印という象徴と起請文を要求する太郎(B)に裏切られ、さらに妻や裏切り者を交渉で手に入れる次郎(C)にも裏切られるが、「何もいりませぬ」という三郎(D)の愛に最終的に気づかされることになる。
『影武者』が冒頭で3(人の男)を提示しているのに対し、『乱』が冒頭で4(人の騎士)提示しているのも興味深い。