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NAMs出版プロジェクト: 歴史学:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_22.html構 成 | |
『史記』とは? | 中国最古の紀伝体の歴史書。 |
十二本紀 | 五帝、夏、殷、周、秦、秦始皇、項羽、高祖、呂后、孝文、孝景、孝武。 |
十表 | 三代(世表)、十二諸侯、六国、秦楚之際(月表)、漢興以来諸侯、高祖功臣侯者、恵景間侯者、建元以来侯者、建元已来王子侯者、漢興以来将相名臣。 |
八書 | 礼、楽、律、暦、天官、封禅、河渠、平準。 |
三十世家 | 呉太伯、斉太公、魯周公、燕召公、管蔡、陳杞、衛康叔、宋微子、晋、楚、越王句践、鄭、趙、魏、韓、田敬仲完、孔子、陳渉、外戚、楚元王、荊燕、斉悼恵王、蕭相国、曹相国、留侯、陳丞相、絳侯周勃、梁孝王、五宗、三王。 |
七十列伝 | 個人の伝記。 |
『史記』は本紀12巻・表10巻・書8巻・世家30巻・列伝70巻の計130巻から成っている。黄帝を初めとする五帝から夏・殷・周の三代、秦、漢楚抗争期を経て前漢の武帝までの歴史を著述した通史である。『漢書』以後の正史はみな一代の王朝のみを扱った断代史となったが、本紀と列伝を中心とする紀伝体の形式は以後も受け継がれた。
1.本紀
五帝から漢の武帝までの帝王の記録。各王朝ごとの政治的事件を年代順に記した部分である。また漢以後は皇帝一代ごとに巻を改めている。殷周の戦いなど太古の歴史については、主に『書経』を引用して著述が為されている。始皇帝以前の秦の歴史を記した秦本紀を置き(本来は諸侯の歴史を記した世家に入れるべき内容である。)、五年の覇権しか持ち得なかった項羽の事跡を記した項羽本紀を設け、そして呂后本紀を置いて恵帝や少帝の事跡もそこに含ませたのが変則的で、それについては古来議論が行われ、その正否が問われてきた。
秦本紀や項羽本紀を挿入したのは、周から秦、秦から前漢に移る過渡期の歴史を読者がより良く理解出来るようするための処置であると考えられている。また呂后本紀を置いたのは、恵帝から二人の少帝の時代は呂后を始めとする呂氏一族が実権を握っていたからである。当時の一般的な認識からも、恵帝本紀や少帝本紀を置くよりも、呂后本紀を置いた方が自然とされていたのであろう。
2.表
表は太古の王朝の系譜・東周期や漢代の諸侯の年表・漢王朝の官吏の在職年表等を記した部分である。名称の通り、内容を表にまとめて一覧出来るようになっている。
3.書
書は音楽・天文・治水・経済など古代の文化史・制度史をまとめた部分である。礼・楽・律・暦・天官・封禅・河渠・平準の八つに分かれている。ちなみに書は『漢書』以降の正史では、志と呼ばれるようになった。
4.世家
周代から前漢に至る諸侯の国の歴史を、本紀と同様に編年的に記している。呉太伯世家・斉太公世家などの周代の封建諸侯の歴史を著述した部分と、留侯世家・蕭相国世家などの漢王朝の功臣や王族の伝記を書いた部分とに分かれている。前者は『春秋左氏伝』と共通のエピソードが多く、特に春秋時代の部分は『左伝』のダイジェストとの印象を受ける。後者の内容は列伝とあまり変わりが無い。事実、漢王朝の功臣で諸侯となった者でも、韓信のように後に謀反人として処刑された者の伝記については、淮陰侯列伝など列伝の部に入れられている。
また孔子や陳勝・呉広らの伝記も世家に分類されている。彼らの伝記は本来なら列伝に入れるべきなのだが、司馬遷は彼らの果たした歴史的な役割を鑑みて世家に分類したのである。
5.列伝
列伝は個人の伝記を集めた部分で、その個人の生涯を通して社会的・文化的な様相を描き出している。いわば政治史を追った本紀・世家を内容的に保管する役目を持っている。
列伝は商君列伝・孟嘗君列伝など基本的に1人の伝記を記した単伝、管晏列伝・孫子呉起列伝など2~3人の同じ類型に属する人物の伝記を集めた合伝、そして酷吏列伝・貨殖列伝・游侠列伝など同じグループに属する人々の伝記を集めた類伝の3つに分かれる。中でも光彩を放っているのが、循吏・儒林・酷吏・游侠・佞幸・滑稽・貨殖といった類伝の部分である。また列伝部分の記述には、司馬遷が遊学中に得た体験なども盛り込まれており、(孟嘗君列伝の末尾、司馬遷が孟嘗君の領地であった薛について述べた箇所など)本紀や世家以上に多様な史料を用いて著述したことを想像させる。
司馬遷の父・司馬談は、『史記』を著述することにより天人相関説(天が常に人間の行いを監視し、良い行いをした者には福徳を下し、悪い行いをした者には罰を与えるという因果応報の思想。)を人間の歴史の中から明らかにしていくという構想を持っていたとされる。事実、例えば戦国時代の秦の武将・白起の伝記を扱った白起王翦列伝では、白起が趙との長平の戦いで降伏した敵兵40万人を結局騙して生き埋めにしてしまったことが天の怒りに触れ、結局白起自身も無実の罪で死ぬことになったと書かれている。ここでは悪業を行うといずれ天からその罰が与えられるという因果応報の法則が明らかにされているわけである。
ところが伯夷列伝では、伯夷・叔斉の兄弟や孔子の弟子であった顔回のような賢者が貧困の中で不本意な死を遂げたこと、それとは逆に盗蹠(とうせき)のような大泥棒が天寿を全うしたことを挙げ、「天道是邪非邪」(天道は是か非か?)と、天人相関説に対して疑問を投げかけている。これは言うまでもなく司馬遷が宮刑を受けたことが影響している。司馬談と司馬遷の天命に対する見方には、少しくズレが存在するわけである。
史記 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/史記『史記』(しき)は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までである。このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっている。
二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。
以下は初出を特記しない限り『史記』を原拠とするものである。([#]は横山光輝漫画電子書籍版)
諸子百家争鳴 - 史記(しき・太史公書) 130巻12本紀10表8書30世家70列伝 - 司馬遷(しば・せん) -
http://www.sunrain.jp/zhuzi_baijia/shiji.html嚢中の錐 - 故事ことわざ辞典[#6:1]
http://kotowaza-allguide.com/no/noutyuunokiri.html
嚢中の錐とは、すぐれた人物は、多くの人の中にいても自然に才能が現れ、目立つものだということのたとえ。
【嚢中の錐の解説】
【注釈】 「嚢」とは、袋のこと。
袋の中に入れた錐は、その先端がおのずと袋の外に突き出て目立つことから。
『史記・平原君伝』に「夫れ賢士の世に処るや、たとえば嚢中の錐に処るが若し」とあるのに基づく。
【出典】 『史記』
【注意】 -
【類義】 錐の嚢中に処るが如し/錐、嚢を通す/紅は園生に植えても隠れなし
【対義】 -
【英語】 -
【用例】 「彼は嚢中の錐だ。間違いなく大成するだろう」
中国では、当初は『春秋』のように編年体の史書が一般的であったが、司馬遷の著した『史記』(前91年成立)以来、紀伝体が盛んに行われるようになった。史記を継いで前漢王朝一代の歴史書とした班固の『漢書』からは王朝ごとに時代を区切った紀伝体の史書(いわゆる「断代史」)の体裁が流行した。しかし、「史記」「漢書」をはじめ、西晋の陳寿が書いた『三国志』(280年成立)、宋の范曄が書いた『後漢書』、梁の沈約が書いた『宋書』など、当初の紀伝体史書はみな個人の撰であった。
唐に至って、歴史書を編纂する事業は国家の事業となり、『晋書』『梁書』『陳書』『周書』『隋書』などが次々と編纂され、これまでの紀伝体の史書のうち史記や漢書、三国志などとあわせて「正史」とした。これらは北朝の系譜に連なる唐の編纂であるが故に、晋朝の後継国である南朝よりも、むしろ北朝の諸王朝を正統として扱う傾向があったといわれる。こうして唐以降、正史は王朝の支配の正統性を明らかにする道具となり、王朝が成立すると滅亡した前王朝の正史を編纂させるようになった。このため、正確さよりも政治的思惑が最優先されて歴史書としての価値は大きく損なわれる事になった。
唐代以降は、正史が編纂される手法も確立される。朝廷内で皇帝に侍る史官が、皇帝および国家の重大事を記録する「起居注」を蓄積し、皇帝が崩御すると、代ごとに起居注をまとめた「実録」が編纂される。王朝が滅んだ際には次に正統を継いだ王朝が国家事業として、前王朝の皇帝ごとの実録を元に正史を編纂する、というのが大まかな手順である。このため、たとえば正史の「明史」よりも「明実録」の方が記録は詳細に残されている。史料としては、実録が1次史料、正史が2次史料ということになるが、どちらがより真実に近いかはそれぞれの史料によって異なる。
清のとき、二十四書が正史として再度選ばれ、「二十四史」と呼ばれるようになったので、中国の正史といえば普通二十四史を指す。二十四史に、中華民国期に編纂された『新元史』や『清史稿』を含めて「二十五史」あるいは「二十六史」という呼び方も見られる。また、台湾国民政府によって、正史としての『清史』(実際は『清史稿』の改訂)が編纂されたが、中華人民共和国政府はこれを認めていない。中華人民共和国は国家清史編纂委員会を立ち上げ、独自の『清史』を2002年より編纂中。当初は2013年の完成を予定していたが、内容に万全を期すため、完成は2015年に先送りされた。
三年。章邯等。將其卒圍鉅鹿。楚上將軍項羽。將楚卒。往救鉅鹿。冬趙高為丞相。竟案李斯殺之。夏章邯等戰數却。二世使人讓邯。邯恐使長史欣請事。趙高弗見。又弗信。欣恐亡去。高使人捕追不及。欣見邯曰。趙高用事於中。將軍有功亦誅。無功亦誅。項羽急撃秦軍虜王離。邯等遂以兵降諸侯。八月己亥。趙高欲為亂。恐群臣不聽。乃先設驗。持鹿獻於二世曰。馬也。二世笑曰。丞相誤邪。謂鹿為馬。問左右。左右或默。或言馬。以阿順趙高。或言鹿者。高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高。
三年、
楚の
冬、
夏、
趙高、
高、人をして
趙高、事を
将軍、功有るも誅せられ、功無きも亦た誅せられん、と。
項羽、急に秦軍を撃ち、
八月
乃ち先づ験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、
馬なり、と。
二世笑ひて曰く、
丞相誤れるか。
鹿を謂ひて馬と為す、と。
左右に問ふ。
左右或ひは黙し、或ひは馬と言ひ、以て趙高に
或ひは鹿と言ふ、高因りて
後、群臣皆な高を畏る。
二世皇帝の三年、章邯等は兵を率いて
楚の上将軍である項羽は楚の兵を率いて救援に向かい、これを撃破した。
冬、趙高は丞相と為り、ついに李斯を謀殺した。
夏、章邯等は項羽と戦闘して度々敗れた。
二世皇帝は人を遣わして章邯を非難した。
章邯は恐れ、長史の司馬欣を使者にして事情を訴えようとした。
趙高は司馬欣に会うことなく、また信じることもなかった。
司馬欣は趙高を恐れて逃亡した。
趙高は追っ手を差し向けたが及ばず、司馬欣は章邯の元に戻って言った。
趙高は全てを自分の思うがままに執り行っています。
将軍は功を為しても誅殺され、功が無くても誅殺されることになるでしょう、と。
項羽は急進して秦を攻め、
章邯等はついに手勢を率いて降伏した。
八月
群臣が自分に従うか心配した趙高は、一計を案じ、鹿を引いて二世皇帝に献じて言った。
馬です、と。
皇帝は笑って言った。
丞相は何を言っているのだ。
鹿を指して馬と為している、と。
そして左右に尋ねた。
ある者は黙して答えず、ある者は同調して馬といい、趙高を恐れて曲従した。
中には鹿と答えた者も居たが、趙高はこれを法に引っかけて罪に陥れた。
これより後、群臣の誰もが趙高に恐怖した。
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横山光輝の『史記』で学ぶ故事成語 | 横山光輝 | 歴史学 | Kindleストア | Amazon
https://www.amazon.co.jp/横山光輝の-史記-で学ぶ故事成語-横山光輝-ebook/dp/B01ID2AXOO/史記 (15) - 漫画(マンガ)・電子書籍ならeBookJapan
http://www.ebookjapan.jp/ebj/8424/volume15/史記 (横山光輝の漫画) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/史記_(横山光輝の漫画)『史記』(しき)は、横山光輝による歴史漫画作品。『ビッグゴールド』(小学館)に、1992年(創刊号)から1997年にかけて本編が、1998年から1999年(休刊号)にかけて「史記列伝」が連載された。単行本は全16巻(文庫版は全11巻)が同社から発売されている。
時は漢時代、漢に仕える太史令司馬談の子として生まれた司馬遷は学問に優秀で、35歳で出世街道に乗ることが出来た。そのとき、漢時代は絶頂期を迎え、7代武帝は封禅の儀式を行い、父・司馬談もその儀式を調査し参加していた。だが、父が病に倒れ、封禅の儀式には参加できなかった。司馬談は死ぬ間際に司馬遷に対し、遺命として「太史令になり後世まで語り継がれる賢人や名君の記録を残してくれ」と頼み、この世を去った。
司馬遷は遺言を聞き入れ、太史令となり太初暦を完成させた。だが、友人の李陵が匈奴との戦いで援軍無く矢尽きて匈奴に降ったことを擁護したため、武帝の怒りを買って牢獄に入れられ、死刑か大金を納付するか宮刑を受けるかを選択させられた。父の遺言を守るため、司馬遷は宮刑を受けて生き延びた。
武帝は司馬遷を宮刑にしたことを気にし、中書令に任命する。司馬遷は宮廷の書物が自由に見られることから、『史記』をつづり娘に託し、父の遺言を果たした。
司馬遷は最後に亡き父司馬談のことを回顧して「お父上、あとは後世の評価を待つだけでございます」と述べた。
過度な演出は控えてあり、省略は非常に多いものの、実際に描かれた場面については司馬遷の『史記』にかなり忠実と言えるが、差異は随所に見られる。
私的漫画世界|横山光輝|史記
http://www.geocities.jp/msakurakoji/901Comics/85.htm第1巻 | ● 司馬遷(史記の著者) |
第2巻 | ● 平王(楚王,暴虐な性格) |
第3巻 | ● 西門豹(魏の官吏,因習を打破) |
第4巻 | ● 昭王(燕王) |
第5巻 | ● 恵文王(趙王,和氏の璧) |
第6巻 | ● 平原君(趙の宰相) |
第7巻 | ● 呂上韋(秦の相国) |
第8巻 | ● 王翦(秦の将軍) |
第9巻 | ● 陳勝(秦末の農民一揆を指揮) |
第10巻 | ● 樊噲(劉邦の義弟,妻同士が姉妹) |
第11巻 | ● 韓信(漢の大将軍) |
第12巻 | ● 韓信(漢の大将軍,斉王となる) |
第13巻 | ● 鐘離眜(楚の将軍) |
第14巻 | ● 灌嬰(漢の将軍,呂氏に反乱する) |
第15巻 | ● 呉王(呉楚七国の乱,誅殺される) |
1:
第1話 司馬遷1
第2話 名宰相·管仲2
第3話 驪姫の陰媒3
第4話 漂泊の覇者·文公4
2:
第1話 復譬の鬼·前編5
復誓の鬼·後編
第2話 臥薪嘗胆6
第3話 呉の逃亡7
3:
第1話 因習打破8
第2話 改革者の悲劇9
第3話 孫子の兵法10
第4話 業因強国策11
4:
第1話 先從隗始12
第2話 奇謀詭策13
第3話 食客三千14
5:
第1話 刎頚の友15
第2話 長平の大合戦16
第3話 便所の屈辱17
6:
第1話 嚢中の錐18
第2話 老いの野望19
第3話 主を震わす者20
第4話 奇貨 居くべし21
7:
第1話 嫪アイの乱[嫪毐の乱]22
第2話 我れ鳥獸にあらず23
第3話 刺客荊軻24
8:
第1話 保身の術25
第2話 始皇帝(1)26
第3話 始皇帝(2)27
第4話 趙高の陰謀28
9:
第1話 農民王陳勝29
第2話 項羽立つ30
第3話 劉邦亭長31
第4話 馬と鹿32
10:
第1話 函谷関ヘの道33
第2話 関中一番乗り34
第3話 鴻門の会35
第4話 咸陽炎上36
11:
第1話 国士無双37
第2話 壊れた友情(前編)38
第3話 壊れた友情(後編)
第4話 唯水の合戦39
12:
第1話 背水の陣40
第2話 離間の策41
第3話 四面楚歌42
13:
第1話 准陰公韓信43
第2話 禍、これより始まらん44
第3話 後継者争い45
第4話 呂公専横46
14:
第1話 呂氏の陰媒47
第2話 呂氏誅伐48
第3話 栄光と恐怖49
第4話 直言居士·袁盎50
15:
第1話 呉楚七国の乱(前編)51
呉楚七国の乱(後編)
第2話 大単干冒頓52
最終話 禍の男53
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http://www.sunrain.jp/zhuzi_baijia/shiji.html