土曜日, 1月 31, 2015

史記 - 本紀[秦始皇本紀][57] - 司馬遷 故事「鹿を指して馬という」

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NAMs出版プロジェクト: 史記 - 本紀[秦始皇本紀][57] - 司馬遷 故事「鹿を指して馬という」
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構                    成
『史記』とは?中国最古の紀伝体の歴史書。
十二本紀五帝、夏、殷、周、秦、秦始皇、項羽、高祖、呂后、孝文、孝景、孝武。
十表三代(世表)、十二諸侯、六国、秦楚之際(月表)、漢興以来諸侯、高祖功臣侯者、恵景間侯者、建元以来侯者、建元已来王子侯者、漢興以来将相名臣。
八書礼、楽、律、暦、天官、封禅、河渠、平準。
三十世家呉太伯、斉太公、魯周公、燕召公、管蔡、陳杞、衛康叔、宋微子、晋、楚、越王句践、鄭、趙、魏、韓、田敬仲完、孔子、陳渉、外戚、楚元王、荊燕、斉悼恵王、蕭相国、曹相国、留侯、陳丞相、絳侯周勃、梁孝王、五宗、三王。
七十列伝個人の伝記。

『史記』の構成

『史記』は本紀12巻・表10巻・書8巻・世家30巻・列伝70巻の計130巻から成っている。黄帝を初めとする五帝から夏・殷・周の三代、秦、漢楚抗争期を経て前漢の武帝までの歴史を著述した通史である。『漢書』以後の正史はみな一代の王朝のみを扱った断代史となったが、本紀と列伝を中心とする紀伝体の形式は以後も受け継がれた。

1.本紀

五帝から漢の武帝までの帝王の記録。各王朝ごとの政治的事件を年代順に記した部分である。また漢以後は皇帝一代ごとに巻を改めている。殷周の戦いなど太古の歴史については、主に『書経』を引用して著述が為されている。始皇帝以前の秦の歴史を記した秦本紀を置き(本来は諸侯の歴史を記した世家に入れるべき内容である。)、五年の覇権しか持ち得なかった項羽の事跡を記した項羽本紀を設け、そして呂后本紀を置いて恵帝や少帝の事跡もそこに含ませたのが変則的で、それについては古来議論が行われ、その正否が問われてきた。

秦本紀や項羽本紀を挿入したのは、周から秦、秦から前漢に移る過渡期の歴史を読者がより良く理解出来るようするための処置であると考えられている。また呂后本紀を置いたのは、恵帝から二人の少帝の時代は呂后を始めとする呂氏一族が実権を握っていたからである。当時の一般的な認識からも、恵帝本紀や少帝本紀を置くよりも、呂后本紀を置いた方が自然とされていたのであろう。

2.表

表は太古の王朝の系譜・東周期や漢代の諸侯の年表・漢王朝の官吏の在職年表等を記した部分である。名称の通り、内容を表にまとめて一覧出来るようになっている。

3.書

書は音楽・天文・治水・経済など古代の文化史・制度史をまとめた部分である。礼・楽・律・暦・天官・封禅・河渠・平準の八つに分かれている。ちなみに書は『漢書』以降の正史では、志と呼ばれるようになった。

4.世家

周代から前漢に至る諸侯の国の歴史を、本紀と同様に編年的に記している。呉太伯世家・斉太公世家などの周代の封建諸侯の歴史を著述した部分と、留侯世家・蕭相国世家などの漢王朝の功臣や王族の伝記を書いた部分とに分かれている。前者は『春秋左氏伝』と共通のエピソードが多く、特に春秋時代の部分は『左伝』のダイジェストとの印象を受ける。後者の内容は列伝とあまり変わりが無い。事実、漢王朝の功臣で諸侯となった者でも、韓信のように後に謀反人として処刑された者の伝記については、淮陰侯列伝など列伝の部に入れられている。

また孔子や陳勝・呉広らの伝記も世家に分類されている。彼らの伝記は本来なら列伝に入れるべきなのだが、司馬遷は彼らの果たした歴史的な役割を鑑みて世家に分類したのである。

5.列伝

列伝は個人の伝記を集めた部分で、その個人の生涯を通して社会的・文化的な様相を描き出している。いわば政治史を追った本紀・世家を内容的に保管する役目を持っている。

列伝は商君列伝・孟嘗君列伝など基本的に1人の伝記を記した単伝、管晏列伝・孫子呉起列伝など2~3人の同じ類型に属する人物の伝記を集めた合伝、そして酷吏列伝・貨殖列伝・游侠列伝など同じグループに属する人々の伝記を集めた類伝の3つに分かれる。中でも光彩を放っているのが、循吏・儒林・酷吏・游侠・佞幸・滑稽・貨殖といった類伝の部分である。また列伝部分の記述には、司馬遷が遊学中に得た体験なども盛り込まれており、(孟嘗君列伝の末尾、司馬遷が孟嘗君の領地であった薛について述べた箇所など)本紀や世家以上に多様な史料を用いて著述したことを想像させる。

司馬遷の父・司馬談は、『史記』を著述することにより天人相関説(天が常に人間の行いを監視し、良い行いをした者には福徳を下し、悪い行いをした者には罰を与えるという因果応報の思想。)を人間の歴史の中から明らかにしていくという構想を持っていたとされる。事実、例えば戦国時代の秦の武将・白起の伝記を扱った白起王翦列伝では、白起が趙との長平の戦いで降伏した敵兵40万人を結局騙して生き埋めにしてしまったことが天の怒りに触れ、結局白起自身も無実の罪で死ぬことになったと書かれている。ここでは悪業を行うといずれ天からその罰が与えられるという因果応報の法則が明らかにされているわけである。

ところが伯夷列伝では、伯夷・叔斉の兄弟や孔子の弟子であった顔回のような賢者が貧困の中で不本意な死を遂げたこと、それとは逆に盗蹠(とうせき)のような大泥棒が天寿を全うしたことを挙げ、「天道是邪非邪」(天道は是か非か?)と、天人相関説に対して疑問を投げかけている。これは言うまでもなく司馬遷が宮刑を受けたことが影響している。司馬談と司馬遷の天命に対する見方には、少しくズレが存在するわけである。



史記』(しき)は、中国前漢武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢武帝までである。このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっている。

二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。

日本でも古くから読まれており、元号の出典として12回採用されている。


史記

史記にあらわれる故事成語[編集]

以下は初出を特記しない限り『史記』を原拠とするものである。([#]は横山光輝漫画電子書籍版)

  • 「王侯将相いずくんぞ種あらんや」 巻48・陳渉世家
  • 「唇破れて歯寒し」 巻39・晋世家、巻46・田敬仲完世家。初出は『春秋左伝』僖公五年
  • 「狡兎死して走狗煮らる」 巻41・越王句践世家、巻92・淮陰侯列伝。初出は『韓非子』内儲説下
  • 「先んずれば人を制す」 巻7・項羽本紀
  • 「将に将たり」 巻92・淮陰侯列伝
  • 「断じて行えば鬼神もこれを避く」 巻87・李斯列伝
  • 「智者も千慮必ず一失あり。愚者も千慮また一得あり」 巻92・淮陰侯列伝
  • 「忠言耳に逆らい、良薬口に苦し」 巻55・留侯世家、巻108・淮南衡山列伝(『史記』では「毒薬」)。初出は『韓非子』外儲説左上
  • 「天道是か非か」 巻61・伯夷列伝、巻63・老子韓非列伝
  • 「桃李もの言わざれど下おのずから小径(こみち)をなす」 巻109・李将軍列伝
  • 「謀(はかりごと)を帷幄(いあく)の中にめぐらし、勝ちを千里の外に決する」 巻130・太史公自序。張良の伝記で言及するものは『漢書』巻40・張良伝
  • 「匹夫の勇、婦人の仁」 巻92・淮陰侯列伝。「匹夫の勇」の初出は『孟子』梁恵王下
  • 「寧ろ鶏口となるとも牛後となるなかれ」 巻69・蘇秦列伝
  • 臥薪嘗胆」 巻41・越王句践世家(「嘗胆」のみ。「臥薪嘗胆」は『十八史略』春秋など)[#2:2]
  • 管鮑の交わり」 巻62・管晏列伝。初出は『列子』力命
  • 「完璧」 巻81・廉頗藺相如列伝[#5:1]
  • 鴻門の会」 巻7・項羽本紀、巻8・高祖本紀、巻55・留侯世家、巻95・樊噲列伝[#10:3]
  • 国士無双」 巻92・淮陰侯列伝[#11:1]
  • 「左袒」 巻9・呂太后本紀、巻10・孝文本紀
  • 「屍を鞭打つ」 巻66・伍子胥列伝
  • 「鹿を馬となす」(「馬鹿」の語源という説がある) 巻6・秦始皇本紀 [#9:4]
  • 四面楚歌」 巻7・項羽本紀[#12:3]
  • 酒池肉林」 巻3・殷本紀、巻123・大宛列伝。初出は『韓非子』喩老
  • 宋襄の仁」 巻39・晋世家、初出は『韓非子』外儲説左上
  • 「背水の陣」 巻92・淮陰侯列伝。初出は『尉繚子』天官
  • 刎頸の交わり」 巻81・廉頗藺相如列伝、巻89・張耳陳余列伝、巻92・淮陰侯列伝[#5:1]
  • 「右に出ずる者なし」 巻104・田叔列伝
  • 「流言蜚語」 巻107・魏其武安侯列伝
  • 「怨み骨髄に入る」 巻5・秦本紀
  • 「曲学阿世」 巻121・儒林列伝
  • 「士は己を知る者のために死す」 巻86・刺客列伝[#16:1]
  • 「雌雄を決す」 巻7・項羽本紀
  • 「傍若無人」 巻86・刺客列伝
  • 「満を持す」 巻41・越王句践世家
  • 「立錐の地なし」 巻55・留侯世家
  • 「一敗、地に塗る」 巻8・高祖本紀
  • 「百発百中」 巻4・周本紀
  • 「鳴かず飛ばず」 巻66・淳于髠列伝


諸子百家争鳴 - 史記(しき・太史公書) 130巻12本紀10表8書30世家70列伝 - 司馬遷(しば・せん) - 

http://www.sunrain.jp/zhuzi_baijia/shiji.html

列伝より
86 刺客列伝 第二十六 - 曹沫・専諸・予譲聶政・荊軻・高漸離
122 酷吏列伝 第六十二 - 郅都・寧成・周陽由・趙禹・張湯・義縦・王温舒・尹斉・楊僕・減宣・杜周
124 遊侠列伝 第六十四 - 朱家・田仲・劇孟・王孟・郭解

嚢中の錐 - 故事ことわざ辞典[#6:1]

http://kotowaza-allguide.com/no/noutyuunokiri.html

嚢中の錐とは、すぐれた人物は、多くの人の中にいても自然に才能が現れ、目立つものだということのたとえ。

【嚢中の錐の解説】

【注釈】 「嚢」とは、袋のこと。

袋の中に入れた錐は、その先端がおのずと袋の外に突き出て目立つことから。

『史記・平原君伝』に「夫れ賢士の世に処るや、たとえば嚢中の錐に処るが若し」とあるのに基づく。

【出典】 『史記』

【注意】

【類義】 錐の嚢中に処るが如し/錐、嚢を通す/紅は園生に植えても隠れなし

【対義】

【英語】

【用例】 「彼は嚢中の錐だ。間違いなく大成するだろう」


中国の正史[編集]

中国では、当初は『春秋』のように編年体の史書が一般的であったが、司馬遷の著した『史記』(前91年成立)以来、紀伝体が盛んに行われるようになった。史記を継いで前漢王朝一代の歴史書とした班固の『漢書』からは王朝ごとに時代を区切った紀伝体の史書(いわゆる「断代史」)の体裁が流行した。しかし、「史記」「漢書」をはじめ、西晋陳寿が書いた『三国志』(280年成立)、范曄が書いた『後漢書』、沈約が書いた『宋書』など、当初の紀伝体史書はみな個人の撰であった。

に至って、歴史書を編纂する事業は国家の事業となり、『晋書』『梁書』『陳書』『周書』『隋書』などが次々と編纂され、これまでの紀伝体の史書のうち史記や漢書、三国志などとあわせて「正史」とした。これらは北朝の系譜に連なる唐の編纂であるが故に、晋朝の後継国である南朝よりも、むしろ北朝の諸王朝を正統として扱う傾向があったといわれる。こうして唐以降、正史は王朝の支配の正統性を明らかにする道具となり、王朝が成立すると滅亡した前王朝の正史を編纂させるようになった。このため、正確さよりも政治的思惑が最優先されて歴史書としての価値は大きく損なわれる事になった。

唐代以降は、正史が編纂される手法も確立される。朝廷内で皇帝に侍る史官が、皇帝および国家の重大事を記録する「起居注」を蓄積し、皇帝が崩御すると、代ごとに起居注をまとめた「実録」が編纂される。王朝が滅んだ際には次に正統を継いだ王朝が国家事業として、前王朝の皇帝ごとの実録を元に正史を編纂する、というのが大まかな手順である。このため、たとえば正史の「明史」よりも「明実録」の方が記録は詳細に残されている。史料としては、実録が1次史料、正史が2次史料ということになるが、どちらがより真実に近いかはそれぞれの史料によって異なる。

清のとき、二十四書が正史として再度選ばれ、「二十四史」と呼ばれるようになったので、中国の正史といえば普通二十四史を指す。二十四史に、中華民国期に編纂された『新元史』や『清史稿』を含めて「二十五史」あるいは「二十六史」という呼び方も見られる。また、台湾国民政府によって、正史としての『清史』(実際は『清史稿』の改訂)が編纂されたが、中華人民共和国政府はこれを認めていない。中華人民共和国は国家清史編纂委員会を立ち上げ、独自の『清史』を2002年より編纂中。当初は2013年の完成を予定していたが、内容に万全を期すため、完成は2015年に先送りされた。




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史記-本紀[秦始皇本紀][57]

   

原文

三年。章邯等。將其卒圍鉅鹿。楚上將軍項羽。將楚卒。往救鉅鹿。冬趙高為丞相。竟案李斯殺之。夏章邯等戰數却。二世使人讓邯。邯恐使長史欣請事。趙高弗見。又弗信。欣恐亡去。高使人捕追不及。欣見邯曰。趙高用事於中。將軍有功亦誅。無功亦誅。項羽急撃秦軍虜王離。邯等遂以兵降諸侯。八月己亥。趙高欲為亂。恐群臣不聽。乃先設驗。持鹿獻於二世曰。馬也。二世笑曰。丞相誤邪。謂鹿為馬。問左右。左右或默。或言馬。以阿順趙高。或言鹿者。高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高。

書き下し文

三年、章邯しょうかん等、其のそつひきいて鉅鹿きょろくを囲む。 
楚の上将軍じょうしょうぐん項羽こうう、楚の卒をひきい、往きて鉅鹿を救ふ。 
冬、趙高ちょうこう丞相と為り、つい李斯きしを案じて之を殺す。 
夏、章邯しょうかん等、戦ひてしばしばしりぞく。 
二世にせい、人をしてかんむ。 
かん恐れ、長史ちょうしきんをして事を請はしむ。 
趙高、まみへず、又た信ぜず、きん、恐れてげ去る。 
高、人をして捕追ほついせしむも及ばず、きんかんまみへて曰く、 
趙高、事をうちに用ゆ。 
将軍、功有るも誅せられ、功無きも亦た誅せられん、と。 
項羽、急に秦軍を撃ち、王離おうりを虜にす。 
かん等、遂に兵を以て諸侯に降る。 
八月己亥きがい、趙高、乱を為さんと欲し、群臣の聴かざるを恐る。 
乃ち先づ験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、 
馬なり、と。 
二世笑ひて曰く、 
丞相誤れるか。 
鹿を謂ひて馬と為す、と。 
左右に問ふ。 
左右或ひは黙し、或ひは馬と言ひ、以て趙高におもねしたがふ。 
或ひは鹿と言ふ、高因りてもろもろの鹿と言ひし者を法を以てひそかにつ。 
後、群臣皆な高を畏る。

現代語訳・抄訳

二世皇帝の三年、章邯等は兵を率いて鉅鹿きょろくを包囲した。 
楚の上将軍である項羽は楚の兵を率いて救援に向かい、これを撃破した。 
冬、趙高は丞相と為り、ついに李斯を謀殺した。 
夏、章邯等は項羽と戦闘して度々敗れた。 
二世皇帝は人を遣わして章邯を非難した。 
章邯は恐れ、長史の司馬欣を使者にして事情を訴えようとした。 
趙高は司馬欣に会うことなく、また信じることもなかった。 
司馬欣は趙高を恐れて逃亡した。 
趙高は追っ手を差し向けたが及ばず、司馬欣は章邯の元に戻って言った。 
趙高は全てを自分の思うがままに執り行っています。 
将軍は功を為しても誅殺され、功が無くても誅殺されることになるでしょう、と。 
項羽は急進して秦を攻め、王離おうりを虜にした。 
章邯等はついに手勢を率いて降伏した。 
八月己亥きがいの日、趙高は悪化する形勢が皇帝に露見してしまうことを恐れ、謀反を起こそうと考えた。 
群臣が自分に従うか心配した趙高は、一計を案じ、鹿を引いて二世皇帝に献じて言った。 
馬です、と。 
皇帝は笑って言った。 
丞相は何を言っているのだ。 
鹿を指して馬と為している、と。 
そして左右に尋ねた。 
ある者は黙して答えず、ある者は同調して馬といい、趙高を恐れて曲従した。 
中には鹿と答えた者も居たが、趙高はこれを法に引っかけて罪に陥れた。 
これより後、群臣の誰もが趙高に恐怖した。

出典・参考・引用
司馬遷著,塚本哲三編「史記」第1巻146-147/297
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語句解説

章邯(しょうかん)
章邯。秦末の名将。陳勝・呉広の乱を破竹の勢いで鎮圧し、斜陽の秦を救った。後に秦中枢の腐敗から楚に帰属。秦滅亡後は三秦として雍王(ようおう)に封じられ、漢の侵攻を数ヶ月にわたって防ぐも水攻めにあって自刃した。
項羽(こうう)
項羽。秦末の武人。向かうところ連戦連勝、わずか三年にして覇王を称すも劉邦との一戦に敗れて滅亡。四面楚歌の故事は有名。
趙高(ちょうこう)
趙高。秦の宦官。奸臣の代表。権力を得るために多くの功臣を粛清し、恐怖政治を行った。二世皇帝に鹿を献じて馬と為し、自身の権勢を試した故事は有名。
李斯(りし)
李斯。秦の政治家。秦建国の功臣。荀子に師事し法家として有名。富国強兵を献策し、統一国家樹立後は焚書坑儒による思想統一、文字や度量衡の統一など国家体制の構築に尽力した。後に趙高の姦計によって刑死。司馬遷は「人々は忠を極めて五刑を被り死すというが、その本質を察すれば間違いであろう。本当に忠義の人であったなら、李斯の功は古の周公や召公にすら匹敵するものである」と述べている。

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トップカスタマーレビュー

投稿者 研究者 トップ1000レビュアー 投稿日 2016/7/7
形式: 文庫 Amazonで購入
横山光輝『史記』を底本とした氏の『三国志事典』の故事成語版のようなものであろうと想定していたが、実際本書を開いてみると、ほぼ全てが漫画版にあるエピソードを抄写 (途中からコピペ) しただけの構成となっており、氏の『史記』を全書所持している私にとっては、ほとんど無益な内容のものであった。

目次の故事成語は全部でたった9つ。 すなわち、

臥薪嘗胆 (文庫版2巻6話)、[電子書籍版2:2]
鶏鳴狗盗 (3巻14話)、[電子書籍版4:3食客三千]
完璧 (3巻15話)、[電子書籍版5:1刎頚の友]
奇貨居くべし (5巻21話)、[電子書籍版6:4]
千金 (5巻22話)、[電子書籍版7:1嫪(ろう)アイの乱]
焚書坑儒 (5巻27話)、[電子書籍版8]
背水の陣 (8巻40話)、[電子書籍版12]
四面楚歌 (8巻42話)、[電子書籍版12]
抜山蓋世 (8巻42話)、[電子書籍版12]


である。 いくらなんでも、これでは数が足りなすぎる。 尚、最初の章だけは趣が変わっており、これに至っては、抄写ではなく、漫画1巻第1話「司馬遷」がそっくりそのまま挿入されている。

横山『史記』を持っている読者からすれば、上記の目次情報が本書のほぼ全てである。 漫画版で見られない情報は、始めにある人間関係図と、各章末にある1ページコラムのみである。 しかしこれらとて、故事成語に絡む逸話の纏めに過ぎない。 私が本書を「横山史記ファンにこそ」お勧めができないというこの事実は、皮肉であり、切歯扼腕たる思いであるが、漫画未読層には本書が史記の登竜門となる可能性がなきにしもあらずとし、星2つを残すことにした。
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史記 (横山光輝の漫画) - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/史記_(横山光輝の漫画)
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史記 (横山光輝の漫画)

史記』(しき)は、横山光輝による歴史漫画作品。『ビッグゴールド』(小学館)に、1992年(創刊号)から1997年にかけて本編が、1998年から1999年(休刊号)にかけて「史記列伝」が連載された。単行本は全16巻(文庫版は全11巻)が同社から発売されている。

あらすじ編集

時は時代、漢に仕える太史令司馬談の子として生まれた司馬遷は学問に優秀で、35歳で出世街道に乗ることが出来た。そのとき、漢時代は絶頂期を迎え、7代武帝封禅の儀式を行い、父・司馬談もその儀式を調査し参加していた。だが、父が病に倒れ、封禅の儀式には参加できなかった。司馬談は死ぬ間際に司馬遷に対し、遺命として「太史令になり後世まで語り継がれる賢人や名君の記録を残してくれ」と頼み、この世を去った。

司馬遷は遺言を聞き入れ、太史令となり太初暦を完成させた。だが、友人の李陵匈奴との戦いで援軍無く矢尽きて匈奴に降ったことを擁護したため、武帝の怒りを買って牢獄に入れられ、死刑か大金を納付するか宮刑を受けるかを選択させられた。父の遺言を守るため、司馬遷は宮刑を受けて生き延びた。

武帝は司馬遷を宮刑にしたことを気にし、中書令に任命する。司馬遷は宮廷の書物が自由に見られることから、『史記』をつづり娘に託し、父の遺言を果たした。

司馬遷は最後に亡き父司馬談のことを回顧して「お父上、あとは後世の評価を待つだけでございます」と述べた。

史記との差異編集

過度な演出は控えてあり、省略は非常に多いものの、実際に描かれた場面については司馬遷の『史記』にかなり忠実と言えるが、差異は随所に見られる。

  • (横山版)呉越の戦いで「臥薪嘗胆」の故事が触れられるが、「臥薪」は『十八史略』に記述され、「嘗胆」と合わせて一つの故事成語になったものであり、作中のナレーションでも触れられている。
    • (司馬遷)記述されるのは、「嘗胆」のエピソードのみである。
  • (横山版)呉起が、の君主の元公に仕えていた頃、斉が魯を攻めた際元公の疑いを晴らすため、斉出身の妻を離縁し、帰国させた。ただ、斉との合戦の後、「呉起は妻を殺して将軍になった」という不穏な噂が流れる。
    • (司馬遷)呉起は魯の大夫の讒言を聞き、名誉を守るために妻を殺害して二心がないことを示した。
  • (横山版)孝公が逝去して子の恵文王が立つと商鞅は追い詰められて、に亡命するも、かつて親交があった魏の公子卭中国語版を欺いた過去があるために、秦に強制送還された。今度は北方のに逃亡したが、商鞅に恨みを持つ恵文王の追撃が執拗のために、黽池で捕獲された。商鞅はそのまま車裂きの刑を受けて、無残な最期を遂げた。
    • (司馬遷)上記同様に商鞅は逃亡先の魏から強制送還され、領地に戻って家臣とともに領内の兵を集めて北方の鄭県を攻撃した。しかし、恵文王も軍勢を派遣してこれを迎え討って、黽池で商鞅は戦死した。恵文王の命で商鞅の遺体は車裂きにされ曳き回しされた。
  • (横山版)湣王蘇代に命じてを内乱状態にさせた。
    • (司馬遷)湣王は燕が内乱状態となったのに乗じて軍を進めただけで、内乱状態に陥らせたという記述は確認できない。
  • (横山版)秦王政が他国人追放令を出したために投獄された韓非に対し、李斯は拷問を受け生き恥を晒すのであれば自害したほうが良いとして毒薬を渡した。
    • (司馬遷)李斯は韓非を疎んじていたために韓非を自害させている。
  • (横山版)秦王政が、将軍王翦に命じて項燕を壊滅してを滅ぼしたとき、最後の王の負芻を捕らえて、これを処刑した。
    • (司馬遷)上記のように王翦は、蒙武とともに楚を滅ぼして負芻を捕虜にしたことは述べられているが、以降のことは何も記されていない。
  • (横山版)陳平が農業に精を出す兄の陳伯の目を盗んで、その兄嫁と密通した。
    • (司馬遷)陳平の兄嫁は家事を手伝わない義弟の悪口をある人物に言ったため、それを聞いた兄の陳伯は怒って妻と離縁した(実際は劉邦の武将たちが新参者の陳平を「陳平は兄嫁と密通した噂がある」と中傷した記述がある)。
  • (横山版)を平定した韓信蒯通の進言で、斉の「仮王」を認めるための使者として派遣されたのが周叔(『通俗漢楚軍談』のみの人物)であり、劉邦は韓信のこの行為に激怒したが、張良と陳平に足を踏まれながら宥められて、渋々とこれを認めた。
    • (司馬遷)この際の使者の姓名は触れられていない。
  • (横山版)垓下の戦いで追い詰められた項羽は寵愛する虞美人を置いていこうとするが、それに対し虞美人は項羽の「垓下の歌」に歌を返したのち、「大王さまの足手まといになってはなりませぬ」と言い、剣舞のために受け取った剣で自害して果てる。これは『通俗漢楚軍談』にあるエピソードで、ナレーションでも触れられている。
    • (司馬遷)「垓下の歌」を歌う場面で虞美人は登場するが、その顛末については全く触れられていない。
  • (横山版)恵帝崩御後に呂后が呂一族を王として封建することを建議した際に右丞相王陵がこれに反対した。しばらくして王陵の従者が「呂后は右丞相を宴会に招待して毒殺する噂がある」と忠告した。これを聞いた王陵は身の危険を感じて、病と称して呂后に申請して右丞相を辞任して、領地に戻った。代わって陳平が右丞相となった。
    • (司馬遷)上記通りに王陵が呂氏一族の封建に反対した。王陵に対して腹を立てた呂后は建前は昇進の名目で王陵を太傅に任じるが、実際には名目上の官職であった。呂后の対応に激怒した王陵は病と称して自邸に引き籠って、参内さえしなかった。
  • (横山版)呂后亡きあとに、漢の皇族である朱虚侯劉章が兄のの哀王劉襄に、呂氏が漢王朝簒奪の計画を立てていることを知らせた。哀王は打倒呂氏を建議した際に斉の宰相(召平のこと)が異論を述べたため、激怒した哀王が宰相が呂氏と内通していると疑って、自決用の剣を差し出して無理やりに宰相を自害させた。
    • (司馬遷)上記同様に弟の知らせで哀王は母方の叔父の駟鈞、郎中令の祝午、中尉の魏勃らを召し出して、打倒呂氏を建議した。これを聞いた呂后が派遣した目付である斉の宰相召平は軍勢を率いて、王宮を包囲した。これを見た魏勃は召平を欺いて、召平の宰相邸を取り囲んで召平を自害に追い込んだ。
  • (横山版)淮南厲王劉長が「呂氏によって、兄弟が次々と死に追いつめられてたため、兄に代わってその仇を討つ」と称して、辟陽侯審食其を斬り捨てた。これを聞いた袁盎文帝を諌めたが、文帝は淮南厲王が弟という理由でこれを不問にした。しばらくして、棘蒲侯柴武の太子と謀反を企んだことが露見され、再び不問とされると思い正直に白状した。しかし、文帝は弟をに流罪とした。淮南厲王はその途中ので病死した。
    • (司馬遷)淮南厲王の生母趙美人がかつて仕えた趙王張敖の家臣である貫高らの謀反に連座によって、河内に投獄された。厲王の母方の叔父の趙兼(周陽由の父)は辟陽侯審食其を通じて、呂后に嘆願したが呂后はこれを無視し、審食其のそのまま放置した。そのため牢獄にいた趙美人は劉長を産んで、自殺した。呂后に養われて成長した劉長は母の自殺が審食其に原因があると判断して、ある日に審食其をたずね、鉄鎚で打ち、従者の魏敬がその首を刎ねて、兄の文帝のもとに向かって肌脱ぎになって謝罪し、文帝はこれを不問にした。あとは上記通りに棘蒲侯柴武の太子の柴奇と謀反を企み、露見されて朝廷の大臣たちは劉長の処刑を求めたが、文帝が弟をかばったために蜀に流罪となった。護送中に役人たちは劉長を恐れ、檻の扉を開こうとしなかったため、怒った劉長は絶食してついに餓死した。
  • (横山版)晁錯の厳格な法令に反発して呉楚七国の乱を起こした宗室である王の劉濞に対して、景帝は晁錯を誅殺して、袁盎を呉王のもとに勅使として派遣した。呉王に謁見した袁盎はかえって帰順を勧められて、困惑して返事を保留した。その夜に袁盎はの陣営に逃亡した。
    • (司馬遷)上記通りに、晁錯を誅殺した景帝は、袁盎を太常に任じて、宗正である徳頃侯の劉通(劉濞の甥)とともに勅使として、呉の陣営に派遣した。しかし、呉王は甥の劉通のみ謁見を許して、袁盎に対しては目通りをさせずに抑留した。ある日の夜に呉の宰相時代に助けたことのある人物が袁盎を訪ねて、逃亡するように勧められて、その好意を受けた袁盎はその手引きにより梁の陣営に逃亡した。
  • (横山版)南陽太守義縦寧成の身辺調査をしたため、寧成は南陽より逃亡、行方知れずとなっている。
    • (司馬遷)南陽に赴任してきた新しい太守義縦は函谷関都尉寧成の一族を調べて取り潰し、有罪となった寧成は(函谷関の土豪である)孔氏・暴氏の一族らとともに逃亡した。
  • (横山版)南越を鎮圧した前漢の勅命で、司馬遷は宣撫と視察の役目を終えた後に、武帝に報告に向かう途中で、親友の陳達から、父の司馬談が危篤状態であることを知らされる。
    • (司馬遷)『史記』ではそのような記述はなく、司馬遷は武帝から西南奉使に任じられて、巡遊する武帝に付き従った事実があるのみである。その後、役目を終えた司馬遷は父の臨終に立ち会った。

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副題主人公格(できごと)
1覇者への道司馬遷、管仲重耳
2復讐を誓った人々伍子胥夫差句践
3悲劇の改革者西門豹呉起孫武孫臏商鞅
4奇謀詭策楽毅田単孟嘗君
5秦の脅威藺相如刎頸の交わり)、白起長平の戦い)、范雎
6乱世に生きる平原君春申君信陵君呂不韋
7若き支配者呂不韋、李斯荊軻
8始皇帝王翦始皇帝趙高
9天下大乱陳勝陳勝・呉広の乱)、項羽劉邦、李斯
10秦 滅亡項羽、劉邦(鴻門の会
11劉邦東進韓信張耳陳余彭城の戦い
12四面楚歌韓信(井陘の戦い)、陳平、項羽(垓下の戦い
13呂后君臨韓信、蕭何呂雉
14劉氏攻撃陳平、周勃袁盎
15漢大帝国晁錯周亜夫呉楚七国の乱)、冒頓単于中行説
列伝予譲聶政朱家郭解郅都寧成王温舒杜周

私的漫画世界|横山光輝|史記

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登場人物

第1巻

● 司馬遷(史記の著者)
● 菅仲(斉の臣,鮑叔の友人)
● 鮑叔(斉の宰相)
● 桓公(斉王,覇者となる)
● 重耳(晋の公子,後の文公)
● 夷吾(晋の公子,後の恵公)

第2巻

● 平王(楚王,暴虐な性格)
● 伊子胥(楚の臣,呉に亡命する)
● 専諸(呉の臣,僚王を殺害する)
● 闔閭(僚王を殺害し呉王となる)
● 孫武(『孫子』の著者,呉の軍師)
● 勾践(越の太子→越王となる)
● 夫差(呉の太子→呉王となる)

第3巻

● 西門豹(魏の官吏,因習を打破)
● 呉起(呉子の著者)
● 孫武(『孫子』の著者,呉の軍師)
● 孫臏(斉の軍師)
● 龐涓(孫臏と同門,魏の将軍)
● 商鞅(秦の宰相,法による統治)

第4巻

● 昭王(燕王)
● 楽毅(燕の将軍)
● 田単(斉の将軍,反間の計)
● 孟嘗君(斉の王族,薛の領主)
● 昭王(秦王)
● 馮驩(孟嘗君の食客)

第5巻

● 恵文王(趙王,和氏の璧)
● 藺相如(趙の宰相)
● 廉頗(趙の上将軍,刎頚の友)
● 趙括(趙の将軍,長平の戦い)
● 白起(秦の常勝将軍)
● 王翦(秦の将軍)
● 范睢(秦の宰相,遠交近攻策)
● 須賈(魏の中大夫)
● 魏斉(魏の宰相)

第6巻

● 平原君(趙の宰相)
● 毛遂(平原君の食客)
● 春申君(楚の宰相)
● 信陵君(魏の公子)
● 呂上韋(子楚の後見人)
● 子楚(趙の人質,後の秦王)
● 政(子楚の子,後の始皇帝)

第7巻

● 呂上韋(秦の相国)
● 政(秦王,後の始皇帝)
● 李斯(楚の人,秦の丞相)
● 韓非(韓の公子,絶対君主制を進言)
● 鄭国(韓の人,水利技術者)
● 荊軻(燕の刺客,秦王殺害に失敗)
● 樊於期(秦の将軍,燕に亡命)

第8巻

● 王翦(秦の将軍)
● 始皇帝(中原を統一,中央集権国家)
● 張良(韓の貴族,始皇帝の暗殺に失敗)
● 趙高(秦の宦官)
● 胡亥(秦二世皇帝)
● 扶蘇(秦皇太子,自害)

第9巻

● 陳勝(秦末の農民一揆を指揮)
● 項梁(楚の貴族,項羽の叔父)
● 項羽(楚軍を率いて秦を滅亡させる)
● 劉邦(叛乱軍を率いて秦を滅亡させる)
● 章邯(秦の将軍,囚人軍を組織)
● 范増(知謀の士,項羽の軍師)
● 子嬰(秦,三世皇帝,趙高を謀殺)

第10巻

● 樊噲(劉邦の義弟,妻同士が姉妹)
● 酈食其(高陽の儒者,劉邦の知恵袋)
● 張良(韓の吊家の出,劉邦軍に合流)
● 鯨布(項羽軍の将軍)

第11巻

● 韓信(漢の大将軍)
● 夏侯嬰(劉邦の腹心)
● 蕭何(漢王の丞相)
● 張耳(魏の人,趙の将軍)
● 陳余(魏の人,趙の将軍)
● 蒯通(説客,韓信の知恵袋)
● 

第12巻

● 韓信(漢の大将軍,斉王となる)
● 魏豹(西魏王,韓信に敗れる)
● 陳余(趙の将軍,韓信に敗れる)
● 李左車(趙の参謀,韓信に献策する)
● 酈食其(劉邦の参謀,釜茹の刑死)
● 龍且(楚の将軍,韓信に敗れる)
● 陳平(魏の人,離間の策を推進)
● 魏無知(漢の官僚,陳平を推薦)
● 彭越(前身は夜盗,項羽と対立)

第13巻

● 鐘離眜(楚の将軍)
● 陳豨(漢の将軍,韓信の反乱に加担)
● 鯨布(項羽軍の将軍,准南王)
● 呂后(劉邦の正室)
● 戚姫(劉邦晩年の寵姫)
● 恵帝(漢の二世皇帝)
● 如意(戚姫の息子,呂后に毒殺される)

第14巻

● 灌嬰(漢の将軍,呂氏に反乱する)
● 陸賈(劉邦の近習)
● 周勃(漢の将軍)
● 呂産(漢の相国)
● 袁盎(漢の中郎)
● 文帝(呂氏一族処刑後に皇帝となる)
● 景帝(文帝の皇太子,晁錯を抜擢)
● 晁錯(景帝の側近)

第15巻

● 呉王(呉楚七国の乱,誅殺される)
● 大単于冒頓(匈奴を統一する)
● 武帝(前漢最盛期の皇帝)
● 中行説(元漢臣,匈奴に帰順する)


臥薪嘗胆 (文庫版2巻6話)、[電子書籍版2:2]
鶏鳴狗盗 (3巻14話)、[電子書籍版4:3食客三千]
完璧 (3巻15話)、[電子書籍版5:1刎頚の友]
奇貨居くべし (5巻21話)、[電子書籍版6:4]
千金 (5巻22話)、[電子書籍版7:1嫪(ろう)アイの乱]
焚書坑儒 (5巻27話)、[電子書籍版8]
背水の陣 (8巻40話)、[電子書籍版12]
四面楚歌 (8巻42話)、[電子書籍版12]
抜山蓋世 (8巻42話)、[電子書籍版12]

電子書籍版は列伝が別枠。

1:

第1話 司馬遷1

第2話 名宰相·管仲2

第3話 驪姫の陰媒3

第4話 漂泊の覇者·文公4

2:

第1話 復譬の鬼·前編5

   復誓の鬼·後編

第2話 臥薪嘗胆6

第3話 呉の逃亡7

3:

第1話 因習打破8

第2話 改革者の悲劇9

第3話 孫子の兵法10

第4話 業因強国策11

4:

第1話 先從隗始12

第2話 奇謀詭策13

第3話 食客三千14

5:

第1話 刎頚の友15

第2話 長平の大合戦16

第3話 便所の屈辱17

6:

第1話 嚢中の錐18

第2話 老いの野望19

第3話 主を震わす者20

第4話 奇貨 居くべし21

7:

第1話 嫪アイの乱[嫪毐の乱]22

第2話 我れ鳥獸にあらず23

第3話 刺客荊軻24

8:

第1話 保身の術25

第2話 始皇帝(1)26

第3話 始皇帝(2)27

第4話 趙高の陰謀28

9:

第1話 農民王陳勝29

第2話 項羽立つ30

第3話 劉邦亭長31

第4話 馬と鹿32

10:

第1話 函谷関ヘの道33

第2話 関中一番乗り34

第3話 鴻門の会35

第4話 咸陽炎上36

11:

第1話 国士無双37

第2話 壊れた友情(前編)38

第3話 壊れた友情(後編)

第4話 唯水の合戦39

12:

第1話 背水の陣40

第2話 離間の策41

第3話 四面楚歌42

13:

第1話 准陰公韓信43

第2話 禍、これより始まらん44

第3話 後継者争い45

第4話 呂公専横46

14:

第1話 呂氏の陰媒47

第2話 呂氏誅伐48

第3話 栄光と恐怖49

第4話 直言居士·袁盎50

15:

第1話 呉楚七国の乱(前編)51

  呉楚七国の乱(後編)

第2話 大単干冒頓52

最終話 禍の男53



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▼第1話/義に殉ずる
▼第2話/男と見込まれ
▼第3話/大侠客朱家
▼第4話/最後の侠客
▼第5話/酷吏蒼鷹
▼第6話/野心家寧成
▼第7話/冬の月・前編
▼第8話/冬の月・後編
▼第9話/酷吏時代 

●あらすじ/紀元前5世紀頃、晋(しん)では6人の家老が権力闘争を始めていた。予譲(よじょう)は6人の家老の内の范(はん)氏、中行(ちゅうこう)氏に仕えていたが、役目は使い走り程度。次に仕えた智伯(ちはく)には才能を認められたものの、智伯は趙一族の軍に討ち取られてしまう。予譲は、その敵を討とうと決心するのだが……(第1話)。
▼戦国時代の斉に、聶政(じょうせい)という男がいた。聶政は韓の領内で生まれたが、ふとしたことから喧嘩を起こし、そのとき相手を斬ってしまったため、仇討ちの手が母や姉にも及ぶのを恐れ、斉に身を隠していた。そんな聶政の元に、韓の大臣・厳仲子(げんちゅうし)が「恨みを持つ人物を討つ手伝いをしてほしい」と頼みにやって来た。この突然の依頼に聶政は大いに戸惑うのだが……(第2話) 
●本巻の特徴/コミック版「史記」には描ききれなかった物語をまとめている。



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諸子百家争鳴 - 史記(しき・太史公書) 130巻12本紀10表8書30世家70列伝 - 司馬遷(しば・せん) - 生没年:前145? - 前87? 姓:司馬 名:遷 字:子長 出身地:左馮翊夏陽

http://www.sunrain.jp/zhuzi_baijia/shiji.html

列伝より
86 刺客列伝 第二十六 - 曹沫・専諸・予譲聶政・荊軻・高漸離
122 酷吏列伝 第六十二 - 郅都・寧成・周陽由・趙禹・張湯・義縦・王温舒・尹斉・楊僕・減宣・杜周
124 遊侠列伝 第六十四 - 朱家・田仲・劇孟・王孟・郭解


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■司馬遷(しば・せん) 生没年:前135? - 前86? 姓:司馬 名:遷 字:子長 出身地:左馮翊夏陽 … 
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太史令として漢の武帝に仕えたが、匈奴に投降した李陵を弁護して逆鱗に触れ、死刑を宣告される。
しかし、父・談の意志を継いで史書を完成させるため、宮刑に処されて宦官となることで死罪を免れた。
二十四史の第一に数えられる紀伝体の『史記(太史公書)』130巻を完成させ、青史に名を刻んだ。

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■『史記』について … 
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『史記』(130巻12本紀10表8書30世家70列伝)は漢の司馬遷の著で、正史である二十四史の筆頭。
紀伝体の祖で、帝王の事跡である「本紀」、諸侯国の興亡を記す「世家」、著名な人物の「列伝」、
世系や年表の「表」、礼楽制度の「書」から成り、黄帝から漢の武帝まで、約三千年間の歴史を記す。
その簡潔で力強い文章は古来より「文の聖なり」と絶賛され、読者を感動させる天下の名文といえる。
太史公自序(司馬遷の自伝)によれば、526,500字の大著であるが、一部亡失しており後人が補作した。

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■本頁について
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本頁は、『史記(全8巻)』(司馬遷/小竹文夫・小竹武夫/ちくま学芸文庫)
『国訳漢文大成(経子史部13~16) 史記(全4巻)』(司馬遷/公田連太郎・箭内亙/国民文庫刊行会)、
『史記(8) 「史記」小事典』(司馬遷/久米旺生・竹内良雄・丹羽隼兵/徳間文庫)による。
.....
>>>「史記年表」はこちら

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■史記(しき・太史公書) 130巻12本紀10表8書30世家70列伝 526,500字 … [史記年表]
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太史公(司馬遷の自称)は李陵を弁護した罪によって獄屋に幽閉され、処刑されるという禍いに遭うた。
そこで喟然(きぜん)と歎いて言った。「これはわたしの罪であろうか。これはひとえにわたしの罪であろうか。
わが身をこわされて、世に用いられぬ廃人となったとは。」
.....
処刑されたのち、退いて深く思いをひそめ、こう考えた。「そもそも『詩』『書』の、意味が隠微でことばが簡約なのは、
その志すところを遂げたいと思うからである。むかし西伯(周の文王)は羑里(ゆうり)に拘(とら)われて、『周易』をのべ、
孔子は陳・蔡に困苦して、『春秋』を作り、屈原は放逐されて、『離騒』を著わし、左丘〔明〕は失明して、『国語』を作り、
孫子臏は脚を斬られて、兵法を論じ(『孫臏兵法』)、呂不韋は蜀にうつされて、『呂覧(呂氏春秋)』を世に伝え、
韓非は秦に囚われて、『説難』『孤憤』の諸篇を作った。『詩』三百篇も多くは賢人聖人の発憤によって成ったものである。
これらはみな、人の心に鬱結しているものがあり、それを洩らすことができないので、このように過去のことを述べ、
思いを未来に寄せたものであろう」と。
.....
そこでついに陶唐(堯の国号)よりこのかた麟止(武帝が雍で白麟を獲り、金で趾を造る)までのことを論述した。
その記述は黄帝より始まる。(太史公自序)

=亡佚篇(『漢書』芸文志)
=漢の褚少孫による補作

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■本紀(12本紀)
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散逸した天下の旧聞を網羅し、王者の事績の興りについて、その始末を探求し、その盛衰を観察し、
それをそのおこないにあてて論考し、ほぼ三代のことを推究し、秦漢のことを記録し、上は軒轅(黄帝)に
筆を起こして、下は現在に及び、十二本紀を著した。(太史公自序)
.....
00 三皇本紀 - 庖犠・女媧・神農(唐の司馬貞による補作)
01 五帝本紀 第一 - 黄帝・顓頊・嚳・堯・舜 
02 夏本紀 第二 - 夏 禹 … 帝桀(17代) 国姓:姒姓夏后氏 国都:陽城
03 殷本紀 第三 - 殷 湯王履 … 帝辛(紂王 30代) 国姓:子 国都:商・亳・朝歌
04 周本紀 第四 - 周 武王発 … 赧王延(37代) 国姓:姫 国都:鎬京(宗周)・雒邑(成周)
05 秦本紀 第五 - 秦 襄公开 … 秦王政(31代) 国姓:嬴姓趙氏 爵位:伯爵 国都:平陽・雍・櫟陽・咸陽
06 秦始皇本紀 第六 - 秦 始皇帝政・二世皇帝胡亥・秦王子嬰(3代) 国姓:嬴姓趙氏 国都:咸陽
07 項羽本紀 第七 - 項籍
08 高祖本紀 第八 - 漢 高皇帝劉邦 … 平帝衎(13代) 国姓:劉氏 国都:雒陽・櫟陽・長安
09 呂后本紀 第九 - 呂雉・恵帝盈(2代)・少帝恭(3代)・少帝弘(4代)
10 孝文本紀 第十 - 文帝恒(5代)
11 孝景本紀 第十一 - 景帝啓(6代)
12 孝武本紀(今上本紀) 第十二 - 武帝徹(7代)

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■表(10表)
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すでにこれを条分して述べたが、その事績には、時代を同じくするものがあり、時代を異にするものもあり、
年代の差が明らかでないので十表を作った。(太史公自序)
.....
13 三代世表 第一 - 五帝(黄帝・顓頊・嚳・堯・舜)の系譜と夏・殷・周の三王朝の系譜
14 十二諸侯年表 第二 - 周王朝の諸侯国(魯・斉・晋・秦・楚・宋・衛・陳・蔡・曹・鄭・燕・呉)の年表
15 六国年表 第三 - 戦国時代の六大国(魏・韓・趙・楚・燕・斉)の年表
16 秦楚之際月表 第四 - 「秦楚之際」とは秦と楚(項羽)の交替期の意で、この時事を月単位で記す
17 漢興以来諸侯年表 第五 - 漢の高祖元年(前206)から武帝の太初四年(前101)までに封ぜられた諸侯王の興亡表
18 高祖功臣侯者年表 第六 - 劉邦に仕えた功臣のうち、侯に封ぜられた者とその子孫の動向
19 恵景間侯者年表 第七 - 漢の2代恵帝から6代景帝の間に功労や血縁によって侯に封ぜられた者の一覧
20 建元以来侯者年表 第八 - 漢の7代武帝の元年(前141)以後に功労によって侯に封ぜられた者の一覧
21 建元已来王子年表 第九 - 漢の7代武帝の元年(前141)以後に劉姓の王の子で侯に封ぜられた者の一覧
22 漢興以来将相名臣年表 第十 - 漢の三公(丞相・相国、太尉・将軍、御史大夫)の任官者と異動一覧

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■書(8書)
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時代によって、礼楽に増減変遷のあること(礼書・楽書)、律暦に改易のあること(律書・暦書)、
山川のこと(河渠書)、鬼神のこと(封禅書)、天・人の関係(天官書)、時弊を承(う)け世変に通じて
時宜に処すること(平準書)、これらについて八書を作った。(太史公自序)
.....
23 礼書 第一 - 礼の起源・効用・根本精神などを総合的に検討し、その重要性を強調した一篇
24 楽書 第二 - 『礼記』の楽記を全面的に引用して加筆し、先王の楽について論じた一篇
25 律書 第三 - 古来、音律は法度規則や軍事等、万事の根本であると論じる
26 暦書 第四 - 暦法の意義と原理、およびその変遷の歴史について
27 天官書 第五 - 日・月・星の運行と宇宙界の変異についての観測と人間世界に起こる事象との関連について
28 封禅書 第六 - 天子がその政治上の成功を天地に報告するため、泰山で行った国家的祭典「封禅」について
29 河渠書 第七 - 黄河を中心とする河川の治水、水利事業、および水路建設の歴史について
30 平準書 第八 - 漢の財政・経済政策について 「平準」とは「平らにすること」であり、とくに物価・財政を安定させる事をいう

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■世家(30世家)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
二十八宿が北辰を中心にめぐり、あるいは三十輻が一つの轂(こしき)を中心に廻り、
それらの運行がきわまりないように、輔弼股肱の臣をこれにたぐえ、忠信から道をおこない、
主上を奉戴することについて、三十世家を作った。(太史公自序)
.....
31 呉太伯世家 第一 - 呉 国姓:姫 始祖:太伯 廃主:呉王夫差(25代) 爵位:子爵 国都:姑蘇
32 斉太公世家 第二 - 斉 国姓:姜姓呂氏 始祖:太公望(呂尚) 廃主:康公貸(32代) 爵位:侯爵 国都:営丘・臨淄
33 魯周公世家 第三 - 魯 国姓:姫 始祖:周公旦 廃主:頃公讎(34代) 爵位:侯爵 国都:魯山・奄城・曲阜
34 燕召公世家 第四 - 燕 国姓:姫 始祖:召公奭 廃主:燕王喜(43代) 爵位:伯爵 国都:薊・襄平
35 管蔡世家 第五 - 管 国姓:姫 始祖:管叔鮮 首都:管城/蔡 国姓:姫 始祖:蔡叔度 国都:上蔡
36 陳杞世家 第六 - 陳 国姓:嬀 始祖:胡公満 爵位:侯爵/杞 国姓:姒 始祖:東楼公/曹 国姓:姫 始祖:曹叔振鐸 爵位:伯爵
37 衛康叔世家 第七 - 衛 国姓:姫 始祖:康叔封 廃主:衛君角(43代) 爵位:伯→侯→公→侯→君 国都:朝歌・曹・楚丘・帝丘・野王
38 宋微子世家 第八 - 宋 国姓:子姓載氏 始祖:微子啓 廃主:康王偃(32代) 爵位:公爵 国都:商邱・彭城
39 晋世家 第九 - 晋 国姓:姫 始祖:唐叔虞 廃主:静公俱酒(38代) 爵位:侯爵 国都:唐・曲沃・翼・絳・新絳
40 楚世家 第十 - 楚 国姓:羋姓熊氏 始祖:熊繹 廃主:楚王負芻(43代) 爵位:子爵 国都:丹陽・郢・陳・寿春
41 越王句践世家 第十一 - 越 国姓:姒 始祖:無余 廃主:越王無彊(?代) 国都:会稽・琅琊・呉・会稽
42 鄭世家 第十二 - 鄭 国姓:姫 始祖:桓公友 廃主:康公乙(25代) 爵位:伯爵 国都:新鄭
43 趙世家 第十三 - 趙 国姓:嬴姓趙氏 始祖:烈侯籍 廃主:幽穆王遷(10代) 爵位:侯爵 国都:中牟・晋陽・邯鄲
44 魏世家 第十四 - 魏 国姓:姫姓魏氏 始祖:文侯斯 廃主:魏王假(9代) 爵位:侯爵 国都:安邑・大梁
45 韓世家 第十五 - 韓 国姓:姫姓韓氏 始祖:景侯虔 廃主:韓王安(11代) 爵位:侯爵 国都:陽翟・新鄭
46 田敬仲完世家 第十六 - 田斉 国姓:嬀姓田氏 始祖:太公和 廃主:斉王建(8代) 爵位:侯爵 国都:臨淄
47 孔子世家 第十七 - 孔丘
48 陳渉世家 第十八 - 陳勝・呉広
49 外戚世家 第十九 - 漢の皇后とその一族について 呂高后・薄太后・竇皇后・王皇后・衛皇后・鉤弋夫人
50 楚元王世家 第二十 - 劉邦の兄弟、劉伯・劉仲・劉交とその子について
51 荊燕世家 第二十一 - 劉賈・劉沢
52 斉悼恵王世家 第二十二 - 漢の諸侯国・斉について 劉肥・劉襄・劉章
53 蕭相国世家 第二十三 - 蕭何
54 曹相国世家 第二十四 - 曹参
55 留侯世家 第二十五 - 張良
56 陳丞相世家 第二十六 - 陳平
57 絳侯周勃世家 第二十七 - 周勃・周亜夫
58 梁孝王世家 第二十八 - 漢の諸侯国・梁について 劉武
59 五宗世家 第二十九 - 景帝の五人の妃が産んだ十三人の子について
60 三王世家 第三十 - 武帝の三人の子、劉閎・劉旦・劉胥について

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■列伝(70列伝)
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士民が正義をたすけ、豁達(かったつ)非凡で、世に処して時機を失わず、功名を天下に立てた
ことについて、七十列伝を作った。(太史公自序)
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61 伯夷列伝 第一 - 伯夷・叔斉
62 管晏列伝 第二 - 管仲・晏嬰
63 老子韓非列伝 第三 - 李耳・荘周・申不害・韓非
64 司馬穰苴列伝 第四 - 司馬穰苴
65 孫子呉起列伝 第五 - 孫武・孫臏・呉起
66 伍子胥列伝 第六 - 伍子胥
67 仲尼弟子列伝 第七 - 孔子の門弟七十七人について
68 商君列伝 第八 - 商鞅
69 蘇秦列伝 第九 - 蘇秦・蘇代・蘇厲
70 張儀列伝 第十 - 張儀・陳軫・公孫衍
71 樗里子甘茂列伝 第十一 - 樗里疾・甘茂・甘羅
72 穰侯列伝 第十二 - 魏冄
73 白起王翦列伝 第十三 - 白起・王翦
74 孟子荀卿列伝 第十四 - 孟軻・鄒衍・淳于髠・荀況
75 孟嘗君列伝 第十五 - 田嬰・田文・馮驩
76 平原君虞卿列伝 第十六 - 趙勝・毛遂・虞卿
77 魏公子列伝(信陵君列伝) 第十七 - 魏無忌・侯嬴・朱亥
78 春申君列伝 第十八 - 黄歇・李園
79 范雎蔡沢列伝 第十九 - 范雎・蔡沢
80 楽毅列伝 第二十 - 楽毅
81 廉頗藺相如列伝 第二十一 - 廉頗・藺相如・趙奢・趙括・李牧
82 田単列伝 第二十二 - 田単
83 魯仲連鄒陽列伝 第二十三 - 魯仲連・鄒陽
84 屈原賈生列伝 第二十四 - 屈原・賈誼
85 呂不韋列伝 第二十五 - 呂不韋
86 刺客列伝 第二十六 - 曹沫・専諸・予譲・聶政・荊軻・高漸離
87 李斯列伝 第二十七 - 李斯
88 蒙恬列伝 第二十八 - 蒙恬
89 張耳陳余列伝 第二十九 - 張耳・陳余・張敖
90 魏豹彭越列伝 第三十 - 魏豹・彭越
91 黥布列伝 第三十一 - 黥布
92 淮陰侯列伝 第三十二 - 韓信
93 韓信盧綰列伝 第三十三 - 韓王信・盧綰・陳豨
94 田儋列伝 第三十四 - 田儋・田栄・田横
95 樊酈滕灌列伝 第三十五 - 樊噌・酈商・夏侯嬰・灌嬰
96 張丞相列伝 第三十六 - 張蒼・周昌・任敖・申屠嘉・韋賢・魏相・邴吉・黄覇・韋玄成・匡衡
97 酈生陸賈列伝 第三十七 - 酈食其・陸賈・朱建
98 傅靳蒯成列伝 第三十八 - 傅寛・靳歙・周緤
99 劉敬叔孫通列伝 第三十九 - 婁敬・叔孫通
100 季布欒布列伝 第四十 - 季布・欒布
101 袁盎晁錯列伝 第四十一 - 袁盎・晁錯
102 張釈之馮唐列伝 第四十二 - 張釈之・馮唐
103 萬石張叔列伝 第四十三 - 万奮・石建・石慶・衛綰・直不疑・周仁・張欧
104 田叔列伝 第四十四 - 田叔・田仁・任安
105 扁鵲倉公列伝 第四十五 - 秦越人・淳于意
106 呉王濞列伝 第四十六 - 劉濞
107 魏其武安侯列伝 第四十七 - 竇嬰・田蚡・灌夫
108 韓長孺列伝 第四十八 - 韓安国
109 李将軍列伝 第四十九 - 李広・李陵
110 匈奴列伝 第五十 - 匈奴単于:頭曼・冒頓・老上・軍臣・伊稚斜・烏維・烏師廬・呴犂湖・且鞮侯 中行説
111 衛将軍驃騎列伝 第五十一 - 衛青・霍去病 ほか将軍十数名の小伝
112 平津侯主父列伝 第五十二 - 公孫弘・主父偃
113 南越列伝 第五十三 - 南越:趙佗・趙胡・趙嬰斉・趙興・趙建徳 呂嘉
114 東越列伝 第五十四 - 閩越:騶無諸・騶郢・騶丑・騶居股/東甌:騶揺/東越:騶余善
115 朝鮮列伝 第五十五 - 衛満・衛右渠
116 西南夷列伝 第五十六 - 夜郎/滇/邛/雟/冄駹/昆明/筰 唐蒙
117 司馬相如列伝 第五十七 - 司馬相如
118 淮南衡山列伝 第五十八 - 劉長・劉安・劉賜
119 循吏列伝 第五十九 - 孫叔敖・子産・公儀休・石奢・李離
120 汲鄭列伝 第六十 - 汲黯・鄭当時
121 儒林列伝 第六十一 - 申培・轅固・韓嬰・伏勝・児寛・孔安国・高堂・楊何・董仲舒・胡毋
122 酷吏列伝 第六十二 - 郅都・寧成・周陽由・趙禹・張湯・義縦・王温舒・尹斉・楊僕・減宣・杜周
123 大宛列伝 第六十三 - 張騫 大宛/于寘/扜罙/烏孫/康居/奄蔡/大月氏/安息/条枝/大夏/身毒
124 遊侠列伝 第六十四 - 朱家・田仲・劇孟・王孟・郭解
125 佞幸列伝 第六十五 - 鄧通・韓嫣・李延年
126 滑稽列伝 第六十六 - 淳于髠・優孟・優旃・郭舎人・東方朔・東郭先生・王先生・西門豹
127 日者列伝 第六十七 - 司馬季主
128 亀策列伝 第六十八 - 亀甲・筮竹による卜占について
129 貨殖列伝 第六十九 - 各地の風土・物産や財を成した商人、范蠡・子貢・白圭ほかについて
130 太史公自序 第七十 - 司馬氏の系譜 司馬談・司馬遷の自序自伝

合計百三十篇、五十二万六千五百字、題して『太史公書』という。
自序の概略は、これにより遺を拾い闕(けつ・欠)を補って、わが一家言を立てたものであり、
本書は六経の異伝をあわせ取り、諸子百家の雑語を整理したものである。
その正本は名山におさめて亡失に備え、副本は京師にとどめて、
後世の聖人君子の批判を待とうと思う。
よって太史公自序(第七十)をつくった。
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太史公言う。わたしは黄帝より以来、太初年間にいたるまでのことを歴述し、
百三十篇をもっておわることとする。(太史公自序)


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