http://www.freeassociations.org/
ピケティの指摘では、低成長期に資本、ストックが重要になる。
全体が成長していないのに格差が拡大することが問題視される。
格差そのもの、その固定化はそこまで問題視されない。
格差の拡大が低成長の原因だという仮説がそこにある。
この仮説によってピケティとマルクスが再び交わる。
『21世紀の資本』第五章(185頁)の表を見ると、日本は企業の内部留保が多いことがわかる。
https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEggoFgs8D0-l0d2nQi7_qP9UtH8cPjCF6OreNP2H2-De0zM7KwRuZ9Sizc7uG8lISLuE5wSpPgSoH5fr6PAnV1HVs-1rBaZPKV1yPUp1gpkRWRZyUUA1lunc1u66iNYUTx4jjvd/s640/blogger-image-1760427857.jpg
《 民間貯蓄の構成要素二つ
ついでなので、民間貯蓄に構成要素が二つあることも明らかにしておこう。民間個人が直接行った貯蓄
(世帯可処分所得のうち、ただちには消費されない部分)、そして企業がその所有者である民間個人にか
わり、直接的あるいは金融投資を通じて間接的に行う貯蓄だ。この二番目の構成要素は、企業が再投資す
る利益(「内部留保」とも呼ばれる)が占めており、国によっては民間貯蓄総額の半分にも達する(表5−2参照)。》
ちなみに法人税に累進性はない。
大企業は大きくなると物作りから金融業へシフトする
ソニーもその一つだろう
これはオランダ、英国を想起すればわかるように
歴代覇権国家にも当てはまる
ちなみに、ピケティはタックス・ヘイブンの存在を会計的に推察している、、、、、
《ガブリエル・ズックマンは、あらゆる情報源を比較し、これまで用いられていなかった
スイス銀行のデータを利用することによって、この相違の説明として最も説得力のある
理由は、報告されていない巨額の金融資産がタックス・ヘイブンに存在することだと示した。
かれの慎重な推計によると、この金額は世界GDPのおよそ10パーセントに相当する(55)。
これを上回る(最大で2、3倍の)推計を出したNGOもある。手元の情報源の現在の状況を
考えると、筆者はズックマンの推計のほうがやや現実的だと考えるが、この種の推計はもともと
不確かだし、ズックマンが下限である可能性もある(56)。
…
タックス・ヘイブンの金融資産の大部分(少なくとも4分の3)が富裕国の住民のものである
ことは、あらゆる証拠が示す通り。結論は明白だ。富裕国の、他の地域に対する純資産ポジシ
ョンは、実際はプラスなのだ(富裕国は平均して貧困国より多くを所有していて、その反対で
はない。結局のところ、何ら驚くことではない)。それなのに、富裕国の最も裕福な住民たち
が資産の一部をタックス・ヘイブンに隠しているため、この事実は覆い隠されているわけだ。》
21世紀の資本第12章
消費組合、協同組合の可能性は理念的には確保したい
むろん経営者の努力は報われるべきだし、
情報開示さえあれば株式会社は人類史における進歩に違いないが
ホールディングス、持ち株会社、財閥が認められてからの反動性は認識すべきだ
労働力の再生産が困難になり、自分の首を絞めている
移民推進論者は安価な労働力を前提としているが持続可能ではない
ちなみに、ピケティはタックス・ヘイブンの存在を指摘している。
《ガブリエル・ズックマンは、あらゆる情報源を比較し、これまで用いられていなかった
スイス銀行のデータを利用することによって、この相違の説明として最も説得力のある
理由は、報告されていない巨額の金融資産がタックス・ヘイブンに存在することだと示した。
かれの慎重な推計によると、この金額は世界GDPのおよそ10パーセントに相当する(55)。
これを上回る(最大で2、3倍の)推計を出したNGOもある。手元の情報源の現在の状況を
考えると、筆者はズックマンの推計のほうがやや現実的だと考えるが、この種の推計はもともと
不確かだし、ズックマンが下限である可能性もある(56)。
…
タックス・ヘイブンの金融資産の大部分(少なくとも4分の3)が富裕国の住民のものである
ことは、あらゆる証拠が示す通り。結論は明白だ。富裕国の、他の地域に対する純資産ポジシ
ョンは、実際はプラスなのだ(富裕国は平均して貧困国より多くを所有していて、その反対で
はない。結局のところ、何ら驚くことではない)。それなのに、富裕国の最も裕福な住民たち
が資産の一部をタックス・ヘイブンに隠しているため、この事実は覆い隠されているわけだ。》
『21世紀の資本』第12章より
空海は、「真如」「法界」をその体とし、存在するだけで自ら(「真如」)を説かない「果分 不可説」の「法仏」(法身、毘盧遮那)に代り、密教が起てた「法仏」(大毘盧遮那、大日 如来)に自ら(「自内証」)を自ら説法するペルソナを付与し、「法仏の談話」を可能(「果分 可 ...
デジタル大辞泉 - 法身説法の用語解説 - 仏語。真理としての法そのものが説法している ということ。密教で、大日如来が法身のままで説法すること。また、その説法。
辞書別に見る:大辞林 第三版
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〇ムダラバ. 営業者(資金運用者)が、出資者から資金を集め、投資・運用結果の利益を 配当するという取引形態。出資者は、事業は ... が買い手との間に入って、転売という形 を取り、買い手は、金融手数料を加えた金額を分割支払する方法(例 自動車ローン).
ムシャラカとは何か. このページでは、ムシャラカの意味を説明しています。 ムシャラカ はムダラバと同様に事業への投資や配当によるスキームであるが、共同出資であること が違いである。 ムダラバでは資金の出し手は事業投資から生み出された配当を ...
<参考:イスラム金融の主なスキーム>
ムラバハ:売買取引。売値と買値の差額が利息相当となる。
イジャラ:リース取引。
ムダラバ:信託取引。
ムシャラカ:共同出資。
イスティスナ:製造する商品を銀行が顧客に代わって製造者に発注、代金を支払う取引。
製造されたものは顧客に引き渡され、銀行は顧客から代金をリース料などとして回収する。
サラム:売主が対象物を後日引き渡す約束で、買主が代金を一括先払いする先渡し取引。
ワカラ:代理人を指名し、代理人に業務遂行を任せ、手数料を支払う取引。
タカフル:頼母子講に似た保険システム。
International Economic Review
それは近所の人との頼母子講を孫のサッカー留学に使うというものだった。
<参考:イスラム金融の主なスキーム>
ムラバハ:売買取引。売値と買値の差額が利息相当となる。
イジャラ:リース取引。
ムダラバ:信託取引。
ムシャラカ:共同出資。
イスティスナ:製造する商品を銀行が顧客に代わって製造者に発注、代金を支払う取引。
製造されたものは顧客に引き渡され、銀行は顧客から代金をリース料などとして回収する。
サラム:売主が対象物を後日引き渡す約束で、買主が代金を一括先払いする先渡し取引。
ワカラ:代理人を指名し、代理人に業務遂行を任せ、手数料を支払う取引。
International Economic Review
<参考:イスラム金融の主なスキーム>
ムラバハ:売買取引。売値と買値の差額が利息相当となる。
イジャラ:リース取引。
ムダラバ:信託取引。
ムシャラカ:共同出資。
イスティスナ:製造する商品を銀行が顧客に代わって製造者に発注、代金を支払う取引。
製造されたものは顧客に引き渡され、銀行は顧客から代金をリース料などとして回収する。
サラム:売主が対象物を後日引き渡す約束で、買主が代金を一括先払いする先渡し取引。
ワカラ:代理人を指名し、代理人に業務遂行を任せ、手数料を支払う取引。
頼母子講(たのもしこう)ブリタニカ国際大百科事典より
無尽ともいい,講の組織による民間の金融組合の一種。講員が掛金を定期間に出し合い, 入札または抽籤で毎回その
なかの1人が交代で所定の金額を受取る。全員に渡し終えた 時点で講は解散する。出し合った金で家畜や家財道具など
を買入れ,交代に分与する 方法などがある。
世界古典文学全集〈第7巻〉仏典2 (1965年) 筑摩書房 にも、華厳経21/28の現代語訳が所収されている。 |
華厳経
http://www.geocities.co.jp/suzakicojp/kegon1.html
第十八章 十無尽蔵品
一切の諸仏は、衆生は顛倒によって戒をおかす、ということを知っておられる。そこで、わたしは、ひたすら仏道を求め、無上のさとりを完成し、ひろく衆生のために、真実の法を説き、顛倒をはなれ、清浄の戒をたもたしめ、ことごとく無上のさとりを成就せしめよう。』
菩薩は、みずから、自分の過去世をおもうのに、
『わたしは、限りない昔から、親、兄弟のなかで、罪をおかしてきた。あるいは、相手をあなどって、みずからたかぶったり、あるいは、心が乱れて、節義を失ったり、あるいは、腹をたてて、親しみがなくなったり、このように、迷いまどうて、いろいろな悪をつくってきた。一切衆生もまた、そのとおりで、もろもろの罪をおかしている。どうして、これでよいことがあろう。
そこでわたしは、みずから罪をはじ、さとりを完成し、また、衆生のために真実の法を説き、衆生をして罪をはじさせ、さとりを完成させよう。』と。
これが、菩薩の無尽の慚蔵である。
菩薩は、みずから恥じておもうに、
『わたしは、昔から、感覚の対象や、妻子兄弟や、財産や宝物などを、むさぼりもとめて、満足することがなかった。こうしたことは、やめなくてはならない。』
菩薩は、そのとき、こころにおもうよう、
『わたしは、これまで、命をおとしてきたことは、測り知れないが、ひとを救うために、自分の命を捨てたことは、まだ一度もなかった。幸いに、御馳走や衣服を得たことは、この上もないよろこびである。このさい、わたしは、命をすて、一切をささげて、衆生のためにつくし、大いなる施しを完成しよう。』と。
これが、菩薩の最後の行じがたい施しである。
ありとあらゆるものは、みずから生じたものでもなく、他によってつくられたものでもない、それは、不生であり、不滅であり、施すこともなく、受けることもなく、ことばによって、表しようがないからである。
菩薩のおもいには、十種ある。
すなわち、① 寂かなおもい、② 清らかなおもい、③ にごりのないおもい、④ 澄みとおるおもい、⑤ ちりを離れたおもい、⑥ 種々のちりを離れたおもい、⑦ あかを離れたおもい、⑧ ひかりかがやくおもい、⑨ たのしむおもい、⑩ さわりやへだてのないおもい、である。
菩薩が、このおもいをなすとき、いかなる世間も、菩薩のこころを、みだすことはできず、いかなる悪魔も、そのこころを、うごかすことはできない。
以上が華厳経1-21章からの抜粋です。
参考元はこちらです:
http://members13.tsukaeru.net/qookaku/index.html
http://members13.tsukaeru.net/qookaku/mahayana_sutra/mahayana_sutra.html
②無一物中無尽蔵
『華厳経』に、一つの塵の中に全宇宙が宿っていると説かれてあり、天台では「南無の
一念に三千世界を見る」という意味のことが説かれ、禅に「無一物の中に無尽のもの(全
宇宙)がある」といいます。浄土教では「南無の一声にみ佛の兆歳永劫の修行の功徳が込
められている」と、言います。
経典散策・大方広仏華厳経
http://heartland.geocities.jp/nyoimani/無一物中無尽蔵 この「無一物中無尽蔵」という言葉は、中国宋代の詩人蘇東坡(そとう ば)の、 素紈(がん)画かざれば意高き哉 儻(も)し丹青を着ければ二に落ち来る 無一物 中無尽蔵花有り月有り楼臺(ろうだい)有り という詩から引用された句です。 詩の大意は ...
柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』第二章脚注より
柳田によれば、社倉を理論化し実行したのが南宋の朱子である。朱子に関するこのような見方は、日本の江戸思想史には見当たらない。徳川幕府公認のイデオロギーである朱子学では、朱子は観念的な道義や正統性を説く哲学者だと見なされている。しかし、朱子はきわめて実践的であり具体的であった。また、国家による政策ではなく、民間の自治を説いた。朱子の思想は、科挙制度が全面的に実現された南宋の社会から生まれた。それは、どんな階級の出身でも試験に通れば支配層に入れるという制度を背景にしている。また、この制度は、宋代における南方開拓とともに植民した農民が土地所有権を得るようになった経済的変化にもとづいている。そこから生まれた「士大夫」階級から、自由思想家が輩出し、その一人が朱子であった。しかし、そのような社会は南宋以前にはなく、南宋の滅亡後にも二度となかった。朱子学は明代で隆盛を極めるようになったが、科挙の必須科目となって固定化・形骸化してしまった。宋代にあったような実践的な性格が失われたのである。(戻る)
以下、柄谷行人『柳田国男と山人』より
《注5.柳田によれば、社倉を理論化し実行したのが南宋の朱子である。朱子に関するこのよう
な見方は、日本の江戸思想史には見当たらない。徳川幕府公認のイデオロギーである朱子学
では、朱子は観念的な道義や正統性を説く哲学者だと見なされている。しかし、朱子はきわ
めて実践的であり具体的であった。また、国家による政策ではなく、民間の自治を説いた。
朱子の思想は、科挙制度が全面的に実現された南宋の社会から生まれた。それは、どんな
階級の出身でも試験に通れば支配層に入れるという制度を背景にしている。また、この制度
は、宋代における南方開拓とともに植民した農民が土地所有権を得るようになった経済的
変化にもとづいている。そこから生まれた「士大夫」階級から、自由思想家が輩出し、その
一人が朱子であった。しかし、そのような社会は南宋以前にはなく、南宋の滅亡後にも二度
となかった。朱子学は明代で隆盛を極めるようになったが、科挙の必須科目となって固定化
・形骸化してしまった。宋代にあったような実践的な性格が失われたのである。》
玉音放送にも抜粋引用された『近思録』(朱熹/朱子と呂祖謙)で紹介された張横渠の言葉(下Dのみ)、
(岩波文庫、新釈漢文大系及び中国古典新書も2行目(B)が「命」ではなく「道」となっている。
出典『横渠文集』に忠実なのかはわからないが、中国では「命」が一般的のようだ。)
(岩波文庫、新釈漢文大系及び中国古典新書も、2行目が「命」ではなく「道」となっている。出典『横渠文集』に忠実なのかはわからないが、中国では「命」が一般的のようだ。)
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