労働経済学
同一労働同一賃金の理念は、主として国際労働機関(ILO)を中心に展開してきた。
☆
ILOの組織は、総会・理事会・国際労働事務局等の本部組織の他に40以上の国に地域総局と現地事務所を設けている。また、ILOは社会対話の推進から国際連合機関のなかで唯一[4]、加盟国が政府、労働者、使用者の三者構成で代表を送っている。
…
レーン=メイドナー・モデルは1951年にLOの方針として採択されたが、内需産業の労働組合などの抵抗のため、「賃金交渉の完全な中央集権化」「完全な同一労働同一賃金」には至らなかった。しかし、連帯的賃金政策により職種内の賃金格差は縮小し、また、賃金水準も抑制されたため、特に1950年代から1970年代にかけて[23]、社民党政権下でのスウェーデン・モデルの中核を成す政策となった。
Meidner, Rudolf and Rehn, Gösta (1951): The Trade Union Movement and Full Employment. Report to the LO Congress in 1951. The Swedish Confederation of Trade Unions (LO), Stockholm.
国際労働機関(こくさいろうどうきかん、英語: International Labour Organization、略称:ILO)は、1919年に創設された世界の労働者の労働条件と生活水準の改善を目的とする国連最初の専門機関。本部はスイスのジュネーヴ。加盟国は187ヶ国(2016年2月現在)。
参考:
E.R. リンダール
Erik Robert Lindahl 1891 - 1960 スウェーデンの経済学者。
- 1919: Die Gerechtigkeit der Besteuerung (German, translated as Just Taxation: A positive solution, 1958)
- 1939: Studies in the Theory of Money and Capital
北欧モデルにおいても利潤率が理論を形成する基礎となる
ヴィクセルが源流の経済学者だ。公言されていないが直接的及び間接的に
マルクスからの影響はあると思う。
厚生経済学:
レーン=メイドナー・モデル 1951:
北欧では、企業間の労働力移動に関して政府が「積極的労働市場政策」と呼ば
れる政策を導入し、職業訓練や職場移転する間の所得保証等をおこなっている。
雇用の流動化(フレキシビリティ)と社会保障による安全(セキュリティ)を
組み合わせている(フレキシキュリティ)。スウェーデンモデルともいわれる。
日本では雇用調整助成金という逆?の手法がとられている。
現在では全EUでフレキシキュリティが労働市場の推奨モデルとされている。
利潤率/賃金
| _ 従来の賃金水準
| |/|\
| _| | |
|合理化あるいは |/| | |
| 倒産 _| | | 余剰
| ⬇︎ |/| | | |
| _|⬇︎|⬇︎|⬇︎| |
|_______|/|_|_|_|/ 同一労働同一賃金
| | | | | | |
| _|/連帯的賃金政策 |
|⬆︎ ⬆︎|⬆︎| | | | | |
| _|/| | | | | |
| | | | | | | | |
|_|/| | | | | | |
| | | | | | | | |
|/| | | | | | | |
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
|_|_|_|_|_|_|_|_|
企 企 企 企|企 企 企 企
業 業 業 業|業 業 業 業
1 2 3 4|5 6 7 8
➡︎
労働力移動
レーン=メイドナー・モデル概念図
(『高学歴貧困女子が読み解くピケティ』105頁より)
高収益企業と低収益企業の賃金を平均して同一に設定する。高収益企業は払う
賃金が下がるので、余剰を再投資に回してさらに発展するとともにイルフレも
抑制できる。低収益企業は経営努力して効率を高めていく。高められなければ
淘汰されることになる。
(『日本はスウェーデンになるべきか』204頁参照)
上図は、ある職種を雇用する国内企業を利潤率(棒グラフ)の順に並べたものである。このとき、賃金交渉が企業レベル(あるいは産業レベル)で分権的に行われているために、当該職種の賃金水準が線分ABのように利潤率に応じて高くなっていると仮定する。
ここで、労働組合と経営者団体の頂上団体の間で集権的な賃金交渉が行われ(ネオ・コーポラティズム)、企業間や業種間での賃金格差の縮小が実現し(連帯的賃金政策)、当該職種の賃金水準が線分abに設定されたとする(線分abが水平であれば、完全な「同一労働同一賃金」である)。さらに、新しい賃金水準は、インフレーションを引き起こさない程度の水準に抑制することが労使間で合意されたものとする。
図:
下記からの引用(ただし、説明のため投稿者が一部改変)。
- 宮本太郎 『福祉国家という戦略-スウェーデンモデルの政治経済学』 法律文化社、1999年、124頁、図3-2。
なお、宮本の著作は下記からの引用(ただし、一部簡略化し加筆)。
- Anna Hedborg and Rudolf Meidner, 1984, Folkhems modellen, Rabén & Sjögren, p. 67.
5 DEN SOLIDARISKA LONEPOLITIKEN 60
den solidariska lonepolitiken
65:
67:
75:
Schematisk framstallning av delarbetsmarknader i olika efterfragelagen
異なる死後の法律における労働市場の概略図
Meidner,
the role of an active manpopower policy in contribution to a solution of the dilemma between inflation and unemployment.
international conference on employment fluctuations and manpower policy .,london 1969(oecd)
arbetsloshet 失業
Oppna rektanglar: Delmarknader med arbetsloshet
Streckade:Delmarknader med brist pa arbetskraft
Oppna pilar: Selectiva atgarder for bevarande av arbetrplatser
開いている長方形:失業しているサブ市場
破線:遅れた労働市場
矢印を開く
:職場の保存のための選択弁護士
Figur 61 Schematisk f,amställning av delarbetsmarknader I olika efterfrägelägen'
öppna rektanglar Delmarknader med arbetslöshet
Streckade rektanglar Delmarknader med brist på arbets-
arbets-kraft
löshet
knapphet på
arbetskraft
* Denna form av grafisk modellframställning har tidigare använts av R. Meidner,
The role of an Active Manpower Policy in contribution to a solution of the dilemma
between inflation and unemployment. International Conference on Employment
Fluctuations and Manpower Policy, London 1969 (OECD).
図61模範的な労働市場の生産の模式図 frägelägen "
失業率の開いた長方形のサブマーケット 破線の四角形ワークフローの欠如したサブマーケットは、 労働力
緩み 希少 ラボ
*この形式のグラフィックモデルの制作は、R. Meidner、 人権擁護のための人権擁護政策 インフレと失業の間にある。雇用に関する国際会議 変動と人力政策、ロンドン1969(OECD)。
knapphet pa arbetskraft
mork pil : selectiva atgarder for att oka arbetskraftens rorlighet
不足
暗い矢印:労働者の堅牢性を高める選択弁護士
Folkhemsmodellen
Hedborg, Anna
Published by Raben & Sjogren (1984)
Used
Quantity Available: 1
参考:
宮本太郎(1999),『福祉国家という戦略―スウェーデンモデルの政治経済学―』法律文化社。
|
著者名等 | 宮本太郎/著 |
出版者 | 法律文化社 |
出版年 | 1999.12 |
大きさ等 | 22cm 281,22p |
NDC分類 | 364.0238 |
件名 | 社会保障-スウェーデン |
件名 | 福祉国家 |
要旨 | 本書は、福祉国家のスウェーデンモデルの成り立ち(システムとプロセス)をできるだけ体系的、構造的に描き出そうと試みたものである。 |
目次 | 序章 課題と視角; 第2章 スウェーデンモデルの形成; 第3章 スウェーデンモデルの成熟; 第4章 スウェーデンモデルの揺らぎ; 第5章 スウェーデンモデルを超えて; 終章 日本への示唆 |
内容 | 文献あり 索引あり |
ISBN等 | 4-589-02182-X |
書誌番号 | 3-0199070416 |
岡本英男論稿(注:同一労働同一賃金について具体的な記述はない)
レーン-メイドナー・モデルの構成要素は,1970 年代にレーンが新たに提案した限界雇用助 成金を除けば,最初にほぼ出そろった。それは『労働組合運動と完全雇用』(Meidner, Lehn et al.)と題された 1951 年 LO 大会に提出された報告書である。その報告書のなかで,レーン とメイドナーはケインズ主義に対する彼らの代替案を展開した8)。
本稿においては,1952 年にラルフ・ターヴェイによって編集・翻訳された『完全雇用下に おける賃金政策』に収められている 2 人の論文,「完全雇用下における賃金政策のジレンマ」 (ルドルフ・メイドナー)と「安定の問題:分析といくつかの政策提言」(ヨスタ・レーン)
に依りながら,2 人の政策思想を紹介していこう9)。
…
5.レーン-メイドナー・モデルの特質
ここで,レーン-メイドナー・モデルの特質をエリクソンによって描かれた図1を参照にしながら,述べていくことにしよう。このモデルの主要な目的は,完全雇用と物価安定を結びつけることであった。しかし,このモデルはまた,戦後における他の経済政策の目標である成長と平等をも目的としていた。そして,政策手段としては,緊縮的一般経済政策,連帯的賃金政策,労働市場政策,公的貯蓄,限界雇用助成金を用いていた。ここでは,そのうち緊縮的財政政策,連帯的賃金政策,労働市場政策に焦点を絞り,このモデルの特質を見ていくことにしよう24)。
(1)緊縮的財政政策レーン-メイドナー・モデルはインフレ率を抑制するために経済政策全般を緊縮的にすることを擁護する(図2の矢印1)。その場合,金融引締めよりも財政引き締めを優先した。その中心となる考えは,財政政策は景気循環全体に対して引締め基調であるべきであるというものであった。彼らの経済安定化プログラムは,完全雇用に近づいたときには財政引締めを勧告するケインジアンの考え方以上のものであった。景気循環全体に対して財政引締めをするもう一つの目的は,公的な貯蓄剰余を創出することである(矢印2)。公的貯蓄は所得と富の分配の観点から民間貯蓄よりも望ましい(矢印3)のみならず,産業政策における雇用と成長の目標の達成においても望ましい(矢印4と5)。レーンとメイドナーはまた,経済政策全般にわたる緊縮政策は非生産的企業の強制的閉鎖を通じて企業内部の合理化と構造的変化を促進する(矢印6)。緊縮的経済政策の更なる目的は彼らのモデルの平等原則を支援することであった(矢印7)。賃金ドリフトを抑制することによって,その政策は賃金が仕事の内容よりも企業間の利潤性の相違を反映するというリスクを軽減するからである。
(2)連帯的賃金政策連帯的賃金政策は会社の利潤性(収益力)に関係なく同等な仕事に対して同等な賃金を意味する(矢印8)。異なった賃金稼得者グループ間の賃金格差は許容されるが,それらは短期的な利潤や労働市場の条件ではなく労働環境,責任,経験と教育における「客観的」な差異を反映するものでなければならない。
Erixon, Lennart(2001),“A Swedish Economic Policy -The Rehn-Meidner Model's Theory, Application and Validity,”in Gosta Rehn, the Swedish Model and Labour Market Policies : International and National Perspectives, edited by Henry Milner and Eskil Wadensjo, London : Ashgate Ldt.
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The Swedish model and the Rehn-Meidner model A definition of the Swedish model and comparison to the Rehn-Meidner model Bachelor thesis in Political Science
Edvin Ekholm
p.20
Figure: Means and objectives in the Rehn-Meidner economic and wage policy model.
_____
連帯的賃金の平等原則は,1930年代においてすでにLOによって採用されていた。しかし,レーンとメイドナーはまた連帯的賃金政策を主に構造的変化を通じた全般的な経済成長を奨励する手段として,そしてインフレ的な賃金引上げ競争を緩和する手段として考えていた(矢印9と10)。連帯的賃金政策は経済政策全般にわたる緊縮政策と一緒になって収益性の最も弱い企業と産業を消滅させる危険性にさらす。その脅威は閉鎖―企業閉鎖は資源をダイナミックな産業部門に移転させることを可能にする―や収益性の最も弱い企業や産業の合理化へと導く。同時に,連帯的賃金政策は最も収益力のある企業や産業における「過剰利潤」をもたらす。それらの企業や産業は連帯的賃金政策がなければより高い賃金を払わなければならなかったはずである。これらの利潤は既存の収益力のある企業の自己金融能力を増大させ,成長力のある産業部門に新会社を設立しようとする動機を強化する。さらに,連帯的賃金政策による大規模な利潤格差は収益力の低い産業部門から高い産業部門へと資源を移転させるインセンティブを強化する。レーンとメイドナーの連帯的賃金政策の選好は,労働市場に内在する惰性のためにかなりの程度の労働の流動性を創出するには賃金格差は増大しなければならないという信念に基づいていた。産業部門間の大きな賃金格差は分配の観点から受け入れられないのみならず,それらはまた賃金―賃金スパイラルによってインフレ的になる。レーンとメイドナーはまた,公正な賃金はそれ自体でインフレ的な賃金レースを抑制するということを前提にしていた。賃金格差に異議申し立てをする状況がなければ,他の賃金稼得者の賃上げに追いつこうとする賃金稼得者の要求はそれほど激しいものにはならないことを彼らは希望していた。このことから,レーン-メイドナー・モデルにおいて中央集権的団体交渉は賃金抑制に導くことになる。しかし,それは連帯的賃金政策の条件を創出することによって間接的に導かれるのである。
(3)労働市場政策経済政策全般に緊縮政策をとることは他の事情が同じならば,経済のいくつかの部門において失業を引き起こす。とくに利潤の条件が変動するならば,そうなる。さらに,連帯的賃金政策が追求されるときには,「構造的失業」の傾向が表面化する。それにもかかわらず,完全雇用達成のためのレーンとメイドナーの中心的勧告は労働市場政策の手段であった(矢印11)。労働市場政策は,選択的需要政策,供給志向的諸政策,労働市場のマッチング過程を改善するための行為という,3つの部分に分けることができる。需要志向諸政策は総需要に及ぼす影響をできるだけ少なくしなければならないので,特定の被用者グループ,企業,地域に対象を絞られるべきである。労働市場の供給サイドは移転と再訓練の助成金や職業訓練プログラムの導入によって影響を受けることになる。他方,公共の職業紹介サービスは仕事の応募と仕事の募集を調整することになる。エリクソンは,供給志向と調整志向の諸政策がレーン-メイドナー・モデルにおける労働市場政策の中心的要素であると考えている。というのは,それらは短期的に失業を削減する以外の目的をもっているからである。
供給サイドの政策とマッチング政策の一つの目的は,労働者のアベイラビリティを改善し,労働市場の調整能力を改善することである。かくして,労働市場は成長産業部門の労働調達を促進することによっても経済成長を刺激しえることになる(矢印12)。さらに,労働市場政策はインフレとの戦いにおいて重要な武器となる。レーンとメイドナーは,もう一つの経済政策である経済全般についての拡張政策はインフレ的であるのに対して,労働市場政策はインフレ抑制効果をもつ(矢印13)ということを強調していた。労働移動の刺激は,高需要部門における賃金上昇率を抑制し,労働不足の形でのボトルネックを緩和することになる。
しかしながら,レーン-メイドナー・モデルにおいて労働市場政策は賃金削減へと導くべきであると結論することは,間違いである。労働市場政策は失業を防ぐがゆえに,不況期における賃金切下げを防ぐことになる。レーンとメイドナーは,労働市場政策のこれらの賃金引上げ効果は景気循環全体を通じて明白であると想定していたように思われる。緊縮的一般経済政策は労働市場政策のインフレ効果に対抗するものと考えられている。
労働市場政策はまた,より大きな平等を達成する目標においても役割を演じる。産業部門間の著しい賃金格差は,もし労働の流動性を促進する諸手段がとられなければ,成長企業が高賃金でもって労働者を引き寄せようとするときに生じるであろう(矢印14)。とくに,連帯的賃金政策は停滞産業部門から成長産業部門への労働移動をスピードアップさせるために政府が採用する政策諸手段によって促進される。完全雇用を保障することによって,労働市場政策はまた機能的所得分配を労働に有利なように変化させるべきである。そして,かくして,付加価値のなかで占める賃金稼得者のシェアを増加させるべきである。
レーン-メイドナー・モデルはケインズ主義の時代において,とりわけケインズ革命をいち早く経験し,完全雇用を約束している社会運動が大きな影響力をもっている国において確かにラジカルな思想であった。2人の労働組合のエコノミストはあえて緊縮的な一般経済政策を推奨し,物価の安定を完全雇用の優先と同等の地位に置いた。レーン-メイドナー・モデルは加熱した経済のなかで形成されたという事実が,その性格を決定した。労働市場政策の目的は,地域政策をも含めて,緊縮的一般経済政策と連帯的賃金政策の帰結である「失業の島々」を排除することであった。レーンとメイドナーは深刻な不況期における伝統的な赤字政策や反景気循環的政策一般に反対したわけではなかった。しかし,そのモデルの緊縮的財政政策の擁護は,完全雇用に近いときは拡張的政策は慎重に用いられなければならない,場合によっては財政と金融の引締めによって置き換えられなければならないという慎重なケインズの勧告以上のものであった。安定政策の枠組みを設定するために,財政政策の基調は一景気循環全体を通じて緊縮的であることが望ましいとされた。インフレとの戦いは高失業の時期においてすら中断されようとはしなかった。拡張的な財政金融政策は限界雇用助成金のようなインフレ抑制的諸手段でもって補完されなければならないとしていたことが,その大きな特質であった25)。
…
エリクソンによれば,レーン-メイドナー・モデルにおける連帯的賃金政策は,時々同等でない仕事に対して同等な賃金という政策と混同されるが,それは一般的な賃金の平等化というよりはむしろ公正な賃金格差を打ち立てるという野心によって支配されていた。Erixon(2001)p.18.実際に,レーンはこのような誤解を防ぐために,連帯的賃金政策について次のように詳しく述べている。「スウェーデンの議論のなかで使われてきた,この連帯というフレーズのもともとの意味は,既存の賃金格差の縮小を目標とした多かれ少なかれ中央集権的な政策を指すものであった。この原理は後になって―賃金稼得者の異なったグループ間の所得格差の大部分が事実上廃止されたとき―修正され,いまや賃金格差は労働の種類に依存すべきであるという内容となっている。たとえば,重労働と汚れ仕事は簡単で快適な仕事よりも相対的に多く支払われるべきである,と。このことはまた,賃金率は特定の産業の利潤の大きさや労使間の交渉力によってのみ決定されるべきではないということを意味する。もし,ある産業の生産性が他の産業によって支払われている平均賃金より低い賃金しか支払うことができないのであれば,低賃金は受容されるべきではない。その結果,その産業は高賃金を相殺するに十分な合理化をなしえない,または補助金を受けるに値すると見なされないのであれば,その産業は縮小しなければならないであろう。もし,ある産業が補助されるのであれば,それは低賃金を通じて被用者によって経済援助されるのではなく,全体としての社会によって援助されるべきである。」(Lehn(1952)pp.43-44.)このようなレーンの考え方は,競争社会において日常発生する所得の減少から個人や集団を保護することは職業選択の自由と調和しない,というハイエクの考え方と対照的である。
…
■
ドラッカーもレーン-メイドナー・モデルを賞賛しているという
《Drucker(1974)pp.290-291, 邦訳,pp.478-479. ドラッカーは,レーン-メイドナーモデルに基づいて実施されたレーン・プラン=スウェーデン方式の特質を次のように把握している。スウェーデン方式は,1950年代初めに労働組合の指導者ヨスタ・レーンによって考案されたものである。レーンは,スウェーデンが産業,経済の構造を変えて伝統的な低技術,低生産性の産業を縮小しなければならないことを明らかに理解していた。同時に彼は,労働者には保障を与えねばならないことも十分に理解していた。スウェーデン方式では,欧米の大部分の国で支持されている方式とは対照的に,企業や産業は雇用を維持するように奨励されていない。それとは反対に,技術開発や経済変動によって生じることになる過剰雇用に対して事前に対策を立てるように奨励されている。同時に,企業や産業は,将来どれだけ労働力を増やして,どんな技能を必要とするのかを予測するよう期待されている。この予測情報は,政府,使用者,労働組合の3者で構成する半官半民の組織であるレーン委員会(the Rehn Board)に提出される。そこで,このレーン委員会が過剰従業員の収入を保障することになる。レーン委員会は,過剰従業員を再教育し,新しい仕事を見つけて,そこに配置する。必要とあれば労働者を新しい場所に移動させて,引っ越しに伴う費用を負担する。Drucker(1974)p.290, 邦訳[マネジメント],pp.477-478.》
利潤率との関係でマルクスと比較できるが今後の課題である
Employee Investment Funds An Approach to Collective Capital Formation by RUDOLF MEIDNER with the assistance of ANNA HEDBORG and GUNNAR FOND 2017 kindle [1978]
LO (Landsorganisationen i Sverige) (1951) Fackforeningsr6relsen och den fulla syssel-sdttningen.Stockholm: LO. Google Scholar 不明
以下天池論稿
カレツキの独占度と完全雇用の考察が参照されている
RMモデルの問題点も考察されている
《カレツキは資本家は貯蓄と投資,価格形成に関する意思決定を行う能動的な主体であり,労働者は所得のすべてを支出し,貯蓄を行わない受動的な主体であるとした.資本主義社会は労働組合の賃上げ圧力によって,カレツキ独自の定義である「独占度」が引き下げられ,乗数値が上昇し国民所得が増大する.強力な労働組合は高い利潤率に対して賃金引上げ圧力を強め,賃金スパイラルをもたらすので,利潤が圧縮され,独占度が低下するのである(Kalecki 1971=1984;鍋島2001).
このようにケインズ派経済学では,労働組合にはマクロ経済の管理能力はなく,賃上げ圧力によってインフレーションを引き起こすか独占度を引き下げることしかできない.ケインズ派経済学においては,労働組合は決して無視されたり,排除されたりはしていないが,投資を妨げない程度に確保された利潤率に応じた賃金率の決定に参加する程度の受動的な役割しか与えられていない.労働者が抱える最大のリスクである失業を回避することを至上命題としたケインズ派経済学でさえ,労働組合は積極的な位置づけをされていないのである.》
《3 レーン=メイドナー・モデル
3.1 戦後の経済情勢
戦後になり世界的に経済が安定したことから,社民党は本格的な完全雇用の実現をめざしたが,戦後当初の経済不況を前提とした失業防止の経済拡張策「労働運動の戦後プログラム」が失敗し,スウェーデン経済は激しいインフレーションに見舞われた(宮本1999 pp. 117-120).その代案としてLOから出されたのがレーン=メイドナー・モデル(以下RMモデル)である.RMモデルにおいて政府の役割はインフレーションを抑制しながら経済成長を実現させ,同時に積極的労働市場政策13) 14) 15)によりインフレーションによらない完全雇用を実現することである16)(宮本1999 pp. 120-127).
3.2 RMモデルの仕組み
RMモデルは連帯主義的賃金政策と積極的労働市場政策,そして抑制的財政政策の3つの政策を組み合わせたものである.LOのエコノミストだったレーンとメイドナーが提唱したことからこう称されている.
宮本によると,RMモデルはもともと高い組織率を誇っていたスウェーデンの労働組合が,サルトシェーバーデン合意によって労働分配率の向上とインフレーションの抑制,所得格差の縮小を目的として,SAF (Svenska Arbetsgivareforeningen:スウェーデン経営者連盟)と中央団体交渉制度を設けたことが出発点である.この合意をさらに推し進めて,賃金格差を縮小させようという労働組合の政策が連帯主義的賃金政策である17).
この労働組合が主導する賃金政策が経済システムに与える影響は,インフレーションの抑制,平等な所得分配に留まらず,産業の合理化,経済構造の転換にまで及ぶ.賃金の低い低生産性部門の賃金が生産性以上に引き上げられることによって,その産業では必然的に利潤率の圧縮がおこる.企業は利潤を確保するために生産の合理化を図らなければならない.企業の存続がかなわなければ産業は淘汰される.また,賃金の高い高生産性部門では,生産性に比較して賃金が低く抑えられているので,利潤が増大する.その利潤を投資に回すことでさらに生産の増大と利潤の拡大を図るというしくみである(宮本1999 pp. 123-124).
ただし,高生産性部門における投資のうち,新規生産設備投資は新規労働需要を引き起こすが,生産合理化のための投資は失業を誘引する.この失業と労働力不足の矛盾を解決するために考案されたのが,戦後に設立された労働市場庁18)を活用した積極的労働市場政策である.積極的労働市場政策によって失業者の救済が図られるわけだが,一般的に政府が行っている失業救済策は短期の雇用創出策や企業救済である.特にケインズ経済学の枠組みでは公共投資による失業解消が主な目的となっているが,過剰に創出された有効需要は高生産性部門においては賃金ドリフトによるインフレーションを招く.そのメカニズムは,過剰な有効需要によって高利潤を得た企業が,その高利潤を高賃金という形で労働者に分配し,その高賃金がさらに高水準の有効需要となる,というものである(Meidner 1952).また,低生産性部門を温存することによって経済競争力を引き下げてしまう.救済されるような企業,産業は競争力の低下した低生産性部門なので,救済すれば低生産性部門を温存することに直結する(湯元・佐藤2010).連帯主義的賃金による産業構造の高生産性セクターへのシフトを完遂するには,公共支出による有効需要喚起策である「一般的な経済政策」を抑制し,連帯主義的賃金政策によって高生産性部門へのシフトを誘引する「選択的な経済政策」を採用しなければならない(宮本1999 p. 121).需要は喚起するが,高生産性部門に限るということである.》
《12)組合員数200万人,店舗数1687,職員数65万人で,「一組合員一票」の原則で運営されている.商業全体においては10%,野菜取引の20%,デパートメントストア取引の半分以上を占めている.また傘下の住宅賃貸貯蓄建築組合(HSB)は複合的家庭住宅・アパートの4分の1以上を建築している.消費分野において大きなシェアを占めているが,運営に際して組合員の参加は活発ではない(Pestoff 1991=1996).
13)積極的労働市場政策には労働市場訓練,雇用助成,就業体験の3種類がある.労働市場訓練は労働市場庁が重視して取り組んできた政策で,労働力不足分野の職業訓練をする.現在では訓練期間は通常6 ヶ月で,訓練参加者は失業給付と同額の給付を受けることができる.雇用助成は雇い主に賃金を補助したり,若年者の社会保険料を軽減すること(湯元・佐藤2010)で主に長期失業者に雇用機会を提供するものである.就業体験は若者を対象とした就業と訓練の双方を組み合わせたプログラムである(翁ほか2012).
14)スウェーデンでは整理解雇が自由である反面,企業は1974年に新たな再就職機会を支援する目的で設立されたホワイトカラー離職者支援NPO,TRR(Trugghetstadet),2004年設立のブルーカラー離職者支援NPO,TSLを通じて,再就職に対する責任を果たさなければならない.加盟企業は0.3%の拠出金で運営され,コーチングサービスや失業給付上限額24000SEKと失業前賃金の70%との差額を支払うことで離職者を支援している(翁ほか2012).
…
17)本来は「同一労働同一賃金」を追求するために,全国一律の職種ごとに設けられた職務評価表に基づいて産業内,産業間の賃金格差を解消することが展望されていた.しかし,実際は職務評価表は十分なものが作成されず,団体交渉の過程で低生産性部門の賃金を重点的に引き上げ,高生産性部門の賃金を抑制するというものに留まった(宮本1999 pp. 128-132).
…
21)レーンやメイドナー,エリクソンらが抑制的財政政策に固執する背景にはスウェーデン経済の輸出依存体質がある.スウェーデンはGDPのおよそ35%を輸出に充てている.そのため,国内の経済状態が海外の需要動向,特に需要の量ではなくその質に大きく左右されてしまう.売れないもの,無駄なものを生産していては,ただでさえ小さな国民経済の大部分を損なってしまう.ここに執拗なまでに産業構造の転換と財政の抑制を追求する彼らのRMモデルが抱く危機感が浮かび上がってくる.》
doors.doshisha.ac.jp/duar/.../ir/.../031001180006.pdf
ーン効果,②の効果をマルクス=ヒックス効果と呼んでいる。前者については著者は生. 産性の上昇は同一 ... は賃金主導の技術変化,すなわちマルクス=ヒックス. 効果,!&は モチベーションの増加などの効果で .... スウェーデンモデル. の概要については多くの 類書があるのでここでは割愛する。レーン=メイドナー=モデ. ルには本書の内容と強く 関連する 2 つの大きな特徴がある。第 1 に,規制やコーディネ. ーションは必ずしも生産 性に対立するものはない,という点である。第 2 に,標準的な. NAIRU モデルで想定 されて ...
db.jil.go.jp/db/seika/zenbun/E2000012613_ZEN.htm
経済成長と社会改革との独特なコンビネーション,レーン-メイドナー・モデル(the Rehn- Meidner Model),そして長期的視点に立った中央集権的な団体交渉の3つから スウェーデン・モデルは成り立っているという(Larsson 1987)。第2に ...... (注3) 多くの 政変にもかかわらず,20世紀におけるオーストリアの政党構成はオーストリア・ マルクス主義と親和的な社会(民主)党,キリスト教民主主義の系譜にある国民党,そして ドイツ系オーストリア人を支持母体とする右翼・自由党という3党あるいは「2.5党体制」を 長期 ...
www.soc.hit-u.ac.jp/~takujit/class/2006%20sengo%20seiji.html
Ⅰ. 福祉国家とは何か (2)政治学における福祉国家論(近代主義、マルクス主義、新 制度論) (3)フレームワーク:社会規範と権力資源. Ⅱ. 福祉国家の形成 (4)20世紀初頭 ―自由主義の終焉 (5)戦間期―フォーディズム体制と社会保険 (6)戦後福祉国家の 形成 イギリス「ナショナル・ミニマム」/スウェーデン「レーンメイドナー・モデル」/ フランス「社会的連帯」/ドイツ「社会的市場経済」 (7)戦後福祉国家の発展 北欧モデル /大陸モデル/自由主義モデル. Ⅲ. 福祉国家の変容 (8)福祉国家批判(ポスト・ フォーディズム、新 ...
同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約(第100号)
(日本は1967年8月24日批准)
国際労働機関の総会は、
理事会によりジュネーブに招集されて、千九百五十一年六月六日にその第三十四回会期として会合し、
この会期の議事日程の第七議題である同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬の原則に関する提案の採択を決定し、
この提案が国際条約の形式をとるべきであることを決定したので、
次の条約(引用に際しては、千九百五十一年の同一報酬条約と称することができる)を千九百五十一年六月二十九日に採択する。
第 一 条
この条約の適用上、
(a) 「報酬」とは、通常の、基本の又は最低の賃金又は給料及び使用者が労働者に対してその雇用を理由として現金又は現物により直接又は間接に支払うすべての追加的給与をいう。
(b) 「同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬」とは、性別による差別なしに定められる報酬率をいう。
第 二 条
1 各加盟国は、報酬率を決定するため行なわれている方法に適した手段によって、同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬の原則のすべての労働者への適用を促進し、及び前記の方法と両立する限り確保しなければならない。
2 この原則は、次のいずれによっても適用することができる。
(a) 国内法令
(b) 法令によって設けられ又は認められた賃金決定制度
(c) 使用者と労働者との間の労働協約
(d) これらの各種の手段の組合せ
第 三 条
1 行なうべき労働を基礎とする職務の客観的な評価を促進する措置がこの条約の規定の実施に役だつ場合には、その措置を執るものとする。
2 この評価のために採用する方法は、報酬率の決定について責任を負う機関又は、報酬率が労働協約によって決定される場合には、その当事者が決定することができる。
3 行なうべき労働における前記の客観的な評価から生ずる差異に性別と関係なく対応する報酬率の差異は、同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬の原則に反するものと認めてはならない。
第 四 条
各加盟国は、この条約の規定を実施するため、関係のある使用者団体及び労働者団体と適宜協力するものとする。
第 五 条
この条約の正式の批准は、登録のため国際労働事務局長に通知しなければならない。
第 六 条
1 この条約は、国際労働機関の加盟国でその批准が事務局長により登録されたもののみを拘束する。
2 この条約は、ニ加盟国の批准が事務局長により登録された日の後十二箇月で効力を生ずる。
3 その後は、この条約は、いずれの加盟国についても、その批准が登録された日の後十二箇月で効力を生ずる。
第 七 条
1 国際労働機関憲章第三十五条2の規定に従って国際労働事務局長に通知する宣言は、次の事項を示さなければならない。
(a) 当該加盟国がこの条約の規定を変更を加えずに適用することを約束する地域
(b) 当該加盟国がこの条約の規定を変更を加えて適用することを約束する地域及びその変更の細目
(c) この条約を適用することができない地域及びその適用することができない理由
(d) 当該加盟国がさらに事情を検討する間決定を留保する地域
2 1(a)及び(b)に掲げる約束は、批准の不可分の一部とみなされ、かつ、批准と同一の効力を有する。
3 いずれの加盟国も、1(b)、(c)又は(d)の規定に基づきその最初の宣言において行なった留保の全部又は一部をその後の宣言によっていつでも取り消すことができる。
4 いずれの加盟国も、第九条の規定に従ってこの条約を廃棄することができる期間中はいつでも、前の宣言の条項を他の点について変更し、かつ、指定する地域に関する現況を述べる宣言を事務局長に通知することができる。
第 八 条
1 国際労働機関憲章第三十五条4又は5の規定に従って国際労働事務局長に通知する宣言は、当該地域内でこの条約の規定を変更を加えることなく適用するか又は変更を加えて適用するかを示さなければならない。その宣言は、この条約の規定を変更を加えて適用することを示している場合には、その変更の細目を示さなければならない。
2 関係のある一若しくは二以上の加盟国又は国際機関は、前の宣言において示した変更を適用する権利の全部又は一部をその後の宣言によっていつでも放棄することができる。
3 関係のある一若しくは二以上の加盟国又は国際機関は、第九条の規定に従ってこの条約を廃棄することができる期間中はいつでも、前の宣言の条項を他の点について変更し、かつ、この条約の適用についての現況を述べる宣言を事務局長に通知することができる。
第 九 条
1 この条約を批准した加盟国は、この条約が最初に効力を生じた日から十年の期間の満了の後は、登録のため国際労働事務局長に通知する文書によってこの条約を廃棄することができる。その廃棄は、それが登録された日の後一年間は効力を生じない。
2 この条約を批准した加盟国で、1に掲げる十年の期間の満了の後一年以内にこの条に定める廃棄の権利を行使しないものは、さらに十年間拘束を受けるものとし、その後は、この条に定める条件に基づいて、十年の期間が満了するごとにこの条約を廃棄することができる。
第 十 条
1 国際労働事務局長は、国際労働機関の加盟国から通知を受けたすべての批准、宣言及び廃棄の登録をすべての加盟国に通告しなければならない。
2 事務局長は、通知を受けたニ番目の批准の登録を国際労働機関の加盟国に通告する際に、この条約が効力を生ずる日について加盟国の注意を喚起しなければならない。
第 十 一 条
国際労働事務局長は、前諸条の規定に従って登録されたすべての批准、宣言及び廃棄の完全な明細を国際連合憲章第百ニ条の規定による登録のため国際連合事務総長に通知しなければならない。
第 十 二 条
国際労働機関の理事会は、必要と認めるときは、この条約の運用に関する報告を総会に提出しなければならず、また、この条約の全部又は一部の改正に関する問題を総会の議事日程に加えることの可否を検討しなければならない。
第 十 三 条
1 総会がこの条約の全部又は一部を改正する条約を新たに採択する場合には、その改正条約に別段の規定がない限り、
(a) 加盟国による改正条約の批准は、改正条約の効力発生を条件として第九条の規定にかかわらず、当然この条約の即時の廃棄を伴う。
(b) 加盟国によるこの条約の批准のための開放は、改正条約が効力を生ずる日に終了する。
2 この条約は、この条約を批准した加盟国で改正条約を批准していないものについては、いかなる場合にも、その現在の形式及び内容で引き続き効力を有する。
第 十 四 条
この条約の英語及びフランス語による本文は、ひとしく正文とする。
同一労働同一賃金(どういつろうどうどういつちんぎん、英:equal pay for equal work)とは、同一の仕事(職種)に従事する労働者は皆、同一水準の賃金が支払われるべきだという概念。性別、雇用形態(フルタイム、パートタイム、派遣社員など)、人種、宗教、国籍などに関係なく、労働の種類と量に基づいて賃金を支払う賃金政策のこと。
Equal pay for equal work[1] is the concept of labor rights that individuals in the same workplace be given equal pay.[1] It is most commonly used in the context of sexual discrimination, in relation to the gender pay gap. Equal pay relates to the full range of payments and benefits, including basic pay, non-salary payments, bonuses and allowances. Some countries have moved faster than others in addressing the problem. Since President John F. Kennedy signed the Equal Pay Act of 1963, it has been illegal in the United States to pay men and women working in the same place different salaries for similar work.
同工同酬是指用人單位對於技術和勞動熟練程度相同的勞動者在從事同種工作時,不分性別、年齡、民族、區域等差別,只要提供相同的勞動量,就獲得相同的勞動報酬。
同一労働同一賃金(どういつろうどうどういつちんぎん、英:equal pay for equal work)とは、同一の仕事(職種)に従事する労働者は皆、同一水準の賃金が支払われるべきだという概念。性別、雇用形態(フルタイム、パートタイム、派遣社員など)、人種、宗教、国籍などに関係なく、労働の種類と量に基づいて賃金を支払う賃金政策のこと。
さらに、同一価値労働同一賃金(どういつかちろうどうどういつちんぎん)とは、職種が異なる場合であっても労働の質が同等であれば、同一の賃金水準を適用する賃金政策のこと。
なお、同一労働同一賃金の語は、北欧諸国の連帯的賃金政策の意味で用いられる場合もある。本稿では、これも併せて解説する。
国際的な動向編集
同一労働同一賃金の理念は、主として国際労働機関(ILO)を中心に展開してきた。
国際労働機関は1946年の「ILO憲章」で「同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認」を前文に挙げ[3]、同一価値労働同一賃金を最も重要な原則の1つとして位置づけている[要出典]。1944年の「フィラデルフィア宣言」でも、「雇用及び職業における差別の排除」を基本的権利に関する原則として挙げ、ILO加盟国すべてが「尊重し、促進し、かつ実現する義務を負う」としている[要出典]。また、ILO総会は、1951年に同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約(ILO第100号条約)を採択し[4]、1958年に雇用及び職業についての差別待遇に関する条約(ILO第111号条約)を採択した[5]。
なお、国際連合第34回総会で採択された女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女子差別撤廃条約、1979年)でも、「同一価値の労働についての同一報酬(手当を含む。)及び同一待遇についての権利並びに労働の質の評価に関する取扱いの平等についての権利」(第3編第11条d項)の確保に必要な措置を講じることを締約国に求めている。この条約により、同一職種に対する「同一労働同一賃金」を超えて、異なる職種に対する「同一価値労働同一賃金」を目指すべきことが(少なくとも男女間については)明確にされた[6]。
各国における同一労働同一賃金編集
ヨーロッパ編集
EU諸国での「同一(価値)労働同一賃金原則」は、人権保障の観点から、性別など個人の意思や努力によって変えることのできない属性等を理由とする賃金差別を禁止する法原則とされている。他方、当事者の合意により決定することが可能な雇用形態の違いを理由とする賃金の異別取扱いについては、「同一(価値)労働同一賃金原則」は、特段の立法がない限り、直ちに適用可能なものではなく、雇用形態に係る不利益取扱い禁止原則の枠組みの中で対処されている[7][8]。
雇用形態を理由とした賃金格差について、具体的には、欧州連合(EU)は1997年にパートタイム労働指令を定めて禁じている。この背景としては、ヨーロッパにおいて均等待遇が受け入れられやすい2つの社会的要因が挙げられる。
- 産業別の労働協約の存在
- ヨーロッパ各国では、1980年代以降、職種と格付けに応じた時間比例の賃金制度が、産業別の労働協約によって整備されていた。このため、同一労働同一賃金の規制に対し、企業は、従来のフルタイム労働者の賃金表をパートタイム労働者にも適用することで対応できた。
- キリスト教に基づいた正義感の共通認識
- ヨーロッパではキリスト教に基づく「不公正は正す」という正義感が共有されている。そのため、雇用形態によって時間比例以上の賃金格差が存在するなら、それは正すべきという意識があった。
なお、各国で同一労働同一賃金を導入した際に反対したのは、企業よりもむしろ労働組合であった。これは、組合員(多くはフルタイム労働者)が、自分たちの取り分が減ることを恐れたためである[9]。
アメリカでは、人種差別、女性差別、年齢差別などに対する雇用平等法制が発達している。しかし、雇用形態を超えた均等処遇について法制化はされていない。これは、「市場における公正な競争」や「契約の自由」を重んじるアメリカ社会の特徴に起因している[9]。ただし、1980年代以降、ペイ・エクイティ運動が盛んになり、職務賃金が確立された。この結果、同じ仕事をしながら賃金に大きな差が生じることは基本的に少ない[10]。
日本では、労働基準法で「使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない。」(第4条)としている。これについては、ILO第100号条約を1967年に批准している[11]ことから、労基法第4条を(同一労働同一賃金を超えて)同一価値労働同一賃金として解釈すべきだという見解も存在する[12]。関連する判例としては、女性臨時社員の賃金が女性正社員の8割以下であれば違法とするもの[13]などがある。
一方、性別以外は、労働基準法で、「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。」(第3条)としている。ただし、労働基準法第3条は差別的取扱禁止の対象とする理由を限定列挙したものであるから、たとえば学歴、勤続年数、雇用形態などを理由とした個々人の賃金額の差異も適法であると解されるのが現状である。関連する判例としては、その差異を超えた待遇格差の訴えを否定するもの[14][15]などがある。
このほか、
- 労働契約法3条3項では「労働契約は、労働者及び使用者が、就業の実態に応じて、均衡を考慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする」と包括的な理念規定がある。
- パートタイム労働法9条1項では、パートタイム労働者の賃金のうち、基本給、賞与、役付手当など職務の内容に密接に関連する賃金(職務関連賃金)の決定方法について、事業主は、通常の労働者との均衡を考慮し、パートタイム労働者の職務の内容、成果、意欲、能力、経験などを勘案して賃金を決定することが努力義務とされている[16]。
- パートタイム労働法9条2項では、通常の労働者と比較して、パートタイム労働者の職務の内容と一定の期間の人材活用の仕組みや運用などが同じ場合、その期間について、賃金を通常の労働者と同一の方法で決定することが努力義務とされている[16]。
- 厚生労働省のガイドラインでは、「所定労働時間が通常の労働者と同一の有期契約労働者については、短時間労働者法第二条に規定する短時間労働者に該当しないが、短時間労働者法の趣旨が考慮されるべきであることに留意すること」とされている[17]。
- 労働者派遣法(2012.4.6公布。6か月以内施行)では、派遣労働者の賃金等の決定にあたり、同種の業務に従事する派遣先の労働者との均衡に配慮する義務が規定された[18]。
また、欧米が「仕事」基準の「職務給」であるのに対し、日本の企業は「人」に値段がつく「職能給」「年齢給」などの年功序列型賃金を採用している。一方で、日本の企業は、正規労働者についての終身雇用の慣行に対して、非正規労働者の採用と解雇、正規労働者の残業・賞与の増減や配置転換・出向などによって労働力の調整を図ってきた。このことが正規労働者と非正規労働者(特に残業や転勤が困難な女性)の均等処遇を妨げている[9]。
2016年、第3次安倍第1次改造内閣は『ニッポン一億総活躍プラン』を閣議決定し、この中で「同一労働同一賃金の実現に向けて、我が国の雇用慣行には十分に留意しつつ、躊躇なく法改正の準備を進める」ことが明記された[20]。
レーン=メイドナー・モデル編集
レーン=メイドナー・モデル
右図は、ある職種を雇用する国内企業を利潤率(棒グラフ)の順に並べたものである。このとき、賃金交渉が企業レベル(あるいは産業レベル)で分権的に行われているために、当該職種の賃金水準が線分ABのように利潤率に応じて高くなっていると仮定する。
ここで、労働組合と経営者団体の頂上団体の間で集権的な賃金交渉が行われ(ネオ・コーポラティズム)、企業間や業種間での賃金格差の縮小が実現し(連帯的賃金政策)、当該職種の賃金水準が線分abに設定されたとする(線分abが水平であれば、完全な「同一労働同一賃金」である)。さらに、新しい賃金水準は、インフレーションを引き起こさない程度の水準に抑制することが労使間で合意されたものとする。
この場合、当該職種に対する従前の賃金水準が線分ab以下であった企業1~企業4では、△MAaの労働コストが新たに発生し、経営合理化の圧力が強まる(場合によっては倒産に至る)。その結果、企業1~企業4によって解雇された労働者が失業する。
一方、当該職種に対する従前の賃金水準が線分abを上回っていた企業5~企業8では、△MBbの余剰が生じ、拡大再生産のための投資に振り向けることができる。
このとき、企業1~企業4において生じた失業者が企業5~企業8に吸収されるように、政府は積極的労働市場政策[22]を実施する。これは、労使双方がインフレ抑制に協力する代わりに課せられた政府の義務として位置づけられる。
このように、労働力移動の流動性を高めることによって、インフレを惹起することなく国内経済全体の生産性が高度化され、国際競争力が高まる。
生産性の低い産業を救済するために政府が公共投資を行ったり、マクロ経済全体の賃金水準を顧みることなく生産性の高い産業が賃上げを行ったりすると、労働コストによるコスト・プッシュ・インフレを引き起こしてしまう。一方、スウェーデンは開放経済の小国であるため、インフレによる国際競争力の低下は国内経済に打撃を与えてしまう[要出典]。そこで、ケインズ政策に依拠することなく完全雇用を実現しつつ、国際競争力を維持する方策として考案されたのがレーン=メイドナー・モデルである。
実際の展開編集
レーン=メイドナー・モデルは1951年にLOの方針として採択されたが、内需産業の労働組合などの抵抗のため、「賃金交渉の完全な中央集権化」「完全な同一労働同一賃金」には至らなかった。しかし、連帯的賃金政策により職種内の賃金格差は縮小し、また、賃金水準も抑制されたため、特に1950年代から1970年代にかけて[23]、社民党政権下でのスウェーデン・モデルの中核を成す政策となった。
- ^ 世界人権宣言(1948 年)
- ^ 八代尚宏 『労働市場改革の経済学』 東洋経済新報社、2009年、73頁。ISBN 978-4492260975。
- ^ ILO駐日事務所 ILOについて 組織 ILO憲章、フィラデルフィア宣言
- ^ ILO駐日事務所 国際労働基準 条約一覧 1951年の同一報酬条約(第100号)
- ^ ILO駐日事務所 国際労働基準 条約一覧 1958年の差別待遇(雇用及び職業)条約(第111号)
- ^ 中島・山田・中下、1994年、38頁。
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- ^ 「「望ましい働き方ビジョン」~非正規雇用問題に総合的に対応し、労働者が希望する社会全体にとって望ましい働き方を実現する~」(2011年3月厚生労働省策定)11頁。報道発表資料参照。
- ^ a b c 水町、2005年。
- ^ 雇用環境も福祉も欧米以下!日本は「世界で一番冷たい」格差社会 【第12回】 2008年6月30日 週刊ダイヤモンド編集部
- ^ 一方で、ILO第111号条約は批准していない。
- ^ 中島・山田・中下、1994年、39-40頁。中山他、1998年、185頁。
- ^ 丸子警報器事件(長野地上田支判平8・3・15)。浜村他、2006年、243頁。
- ^ 播磨造船所事件(広島地呉支判昭24・6・15)。帝倉荷役事件(東京高判昭48・12・13)。下井・山口編、1988年、18頁。
- ^ 竹中平蔵 「雇用は健全な三権分立から」 『竹中平蔵のポリシー・スクール』 日本経済研究センター、2009年2月1日。
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- ^ 事業主が講ずべき短時間労働者の雇用管理の改善等に関する措置等についての指針(平成19年厚生労働省告示第326号)第二の三
- ^ 労働者派遣法勉強室
- ^ 竹中平蔵、幸田真音『ニッポン経済の「ここ」が危ない!―最新版・わかりやすい経済学教室』(文藝春秋社、2008年)
- ^ http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ichiokusoukatsuyaku/pdf/plan1.pdf
- ^ 宮本、1999年。宮本、2009年。
- ^ 積極的労働市場政策とは、失業手当の給付(だけ)ではなく、職業訓練と職業紹介を通じて労働力移動を促す雇用政策のこと。国立社会保障・人口問題研究所の整理によると、日本では雇用保険二事業(雇用安定事業、能力開発事業)や一般会計による公共雇用サービス(職業案内)が代表例。
- ^ 宮本、2009年、96頁。
- 下井隆史、山口浩一郎編 『ワークブック労働法』 有斐閣〈有斐閣双書〉、1988年。
- 中島通子、山田省三、中下裕子 『男女同一賃金』 有斐閣〈有斐閣選書〉、1994年。
- 中山和久他 『入門労働法』 第2版、有斐閣〈有斐閣双書〉、1998年。
- 浜村彰他 『ベーシック労働法』 第2版増補版、有斐閣〈有斐閣アルマ〉、2006年。
- 水町勇一郎 「均等待遇の国際比較とパート活用の鍵-ヨーロッパ、アメリカ、そして日本 [2][3]」 労働政策研究・研修機構、2005年。
- 宮本太郎 『福祉国家という戦略-スウェーデンモデルの政治経済学』 法律文化社、1999年。
- 宮本太郎 『生活保障-排除しない社会へ』 岩波書店〈岩波新書〉、2009年。
外部リンク編集
Gösta Rehn.
He studied at the University of Stockholm and its ”Social Research Institute” (Socialinstitutet). He started to work as an economist for the Swedish Trade Union Confederation in 1930, being this his full-time employment since 1943. From 1973 to his retirement, he was professor of labour market policy at the Institute of Social Research.
BibliographyEdit
- Los Sindicatos y la Crisis Económica - G. Bretaña, Alemana Y Suecia - P. Gourevitch, A. Martin, S. Bornstein e A. Markovits 1991 Ministerio de Trabajo y seguridad social. ISBN 84-7434-655-X
- Full sysselsättning utan inflation. Skrifter i urval. - Gösta Rehn, Eskil Wadensjö, Åke Dahlberg, Bertil Holmlund Tidens Förlag, 1988 (Full employment without inflation)
ReferencesEdit
Rehn-Meidner modelEdit
Meidner and another Swedish economist, Gösta Rehn, were responsible for the Rehn-Meidner model for economic growth as promulgated by the Swedish Social Democratic Party and the blue-collar trade union, the LO. The Rehn-Meidner model was first proposed in 1951, and for over the next 25 years was the basis for the low-inequality, high-tech oriented, rapid-innovation Swedish economy, which also was exposed to international trade and became export oriented. In response to the increasing demand on the part of workers, communities, and women for a share of the excess profits (permitted by a capital-labor-state wage suppression agreement) accumulated in an increasingly powerful capitalist sector, Rudulf Meidner created a proposal in 1976, published by the LO, that called for requiring all companies above a certain size to issue new stock shares to workers, so that within 20 years the workers would control 52% of the companies they worked in. This policy followed in Meidner's career-long efforts to build a step-wise, peaceful, institutionally supported transition to a socialist society whose carefully crafted incentive structure and culture would allow each member of society to work and contribute according to her or his capacity, and receive social support according to her or his needs.[2] Supported by important Swedish policy designer Walter Korpi, Meidner's work was opposed by pro-capitalist Social Democrats, including the aggressively conservative Finance Minister Kjell-Olof Feldt, as well as Gosta Rehn (proponent of Active labour market policies) and Olof Palme.[2] The increasing ambitions and occasional militancy of the Swedish working class in conjunction with Meidner's careful, progressive socialist institutional planning politicized the Swedish capitalist class, via the Swedish Employers Association (SAF), who joined other countries' capitalist classes ramping up their political efforts to destroy working class organizational bases and to promote the capital deregulation and mobility that began to come to obvious crisis in the 2000s.[2][3] The SAF's response was to model their political and policy strategies after the New Zealand capitalist class' campaign, which had successfully destroyed a labor movement of similar strength to the Swedish labor movement.[2]
The Rehn-Meidner model resulted in Sweden having a very egalitarian wage system, so that wage differentials between professions was very low, fortifying a low Gini coefficient. However, in the absence of the socialist steps urged by Meidner in the 1970s, the economic model resulted in capital concentration (Despite a very active social policy, Sweden has one of the highest percentages of private ownership of capital in the world.) to the point where in the late 1970s, 25% of share capital was held by the top 0.1% of shareholders and 75% by the top 10%. For the time being, the progressive taxation and pro-middle class state institutions promoted by the model extensively ameliorate this capital concentration, as can be seen in comparatively successful, egalitarian outcomes.[4]
ReferencesEdit
- Socialism: A Very Short Introduction, Michael Newman (Oxford University Press, 2005)
External linksEdit
The model is based upon an interaction between Keynesian fiscal economics, real wage growth, active labour market policies and state intervention. The purpose was to create a positive spiral as part of the business cycle, in accordance with Keynesian theory, as the creation of an expansive welfare state and public investment meant to maintain domestic demand over economic cycles ensured security, safety and stability to labour, capital, business and consumers. This, in turn, helped to ensure low inflation, by helping to prevent wage-price spirals and thereby strengthened trade unions in demanding rising real wages in line with productivity growth, which, combined with the effects of the welfare state and social programs, led to increased purchasing power and consumer confidence, resulting in rising general demand and an upwards, self-maintaining cycle which led to high growth rates and full employment, fueled by progressive taxationand redistribution of wealth, as that further increased spending power and ensured equality of incomes.
Unprofitable enterprises in the market were to be pushed toward what was known as the solidarity wage policy, with rising real wages in line with productivity growth, forcing them to improve their productive capacity in order to improve profitability, through measures such as structural adjustment as well as robotisation and automation of production, and through more indirect means such as improved working conditions meant to decrease rates of sick-leave and increase productivity. All of this freed labour resources, who were then mobilized in high-productive corporations, by means of active labour market policies, as they benefited from the labour costs comparatively favourable to them and were expanding production as general demand rose when real wages, and thereby purchasing power, increased. This led to soaring profits which were re-invested in improving the productive capacity of those corporations, partly to increase profitability, partly to meet the rising demand, partly because tax incentives favoured long-term investments in e.g. research and development, rather than in capital gains and dividends, and partly in order for these corporations not to become unproductive and thereby risk bankruptcy, ensuring high productivity growth and rising real wages, and thereby full employment and an equal distribution of incomes, whilst inflationary pressures were prevented through an incomes policy of national wage arbitration and central collective bargaining between labour unions, industrial representatives and governments, ensuring real wages did not exceed productivity growth through improving other forms of compensation, such as social benefits, working conditions, working hours and employment security.
The Workers FundEdit
A proposal was discussed in the LO congress of 1971, the Löntagarfonderna,[1] that called for requiring all companies above a certain size to issue new stock shares to workers in order to redistribute the wealth created by the company, this proposal was based on four measures:[2]
- All companies above 50 employees were to issue each year stock amounting to 20% of the year profits
- This stock -and the profits entitled- would belong to the local unions as long as they did not surpass 20% of the company stock
- New stock could not be sold and will be included as an asset of the workers fund
- The stock dividends will be reinvested in stock of the same company or used for employees training
This part of the model was never fully implemented because of changes in the Swedish government and the frontal opposition of the employers.
Outside SwedenEdit
The Rehn-Meidner Model was utilized in somewhat different shapes across the Western world, and proved successful in achieving its goals, as was shown in the prosperous time of the Post-War Golden Age of Capitalism. The model was made possible, and nations were incentivized to implement it, through the Bretton Woods system, which was the name for the postwar, international financial order, that regulated currencies, exchange rates and capital flows, partly through the use of mutual capital controls, so as to allow nations to finance their welfare states through the use of progressive taxation without fear of speculative attacks, capital flight, tax evasion and deindustrialization.
ReferencesEdit
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参考:
ミュルダールの方が知られている
- Monetary Equilibrium, (W. Hodge, 1939).
- 傍島省三訳『貨幣的均衡論』(実業之日本社, 1943年)
- Population: A Problem for Democracy, (Harvard University Press, 1940).
- 河野和彦訳『人口問題と社會政策』(協和書房, 1943年)
- An American Dilemma: the Negro Problem and Modern Democracy, (Harper & Row, 1944).
- The Political Element in the development of Economic Theory, (Routledge & Kegan Paul, 1953).
- 山田雄三・佐藤隆三訳『経済学説と政治的要素』(春秋社, 1967/増補改訂版, 1983年)
- Economic Theory and Under-developed Regions, (G. Duckworth, 1957).
- 小原敬士訳『経済理論と低開発地域』 (東洋経済新報社, 1959年)
- Beyond the Welfare State: Economic Planning and its International Implications, (Yale University Press, 1960).
- 北川一雄監訳『福祉国家を越えて――福祉国家での経済計画とその国際的意味関連』(ダイヤモンド社, 1963年)
- Challenge to Affluence, (Pantheon Books, 1962).
- 小原敬士・池田豊訳『豊かさへの挑戦』(竹内書店, 1964年)
- Asian Drama: An Inquiry into the Poverty of Nations, (Allen Lane, 1968).
- 板垣与一監訳『アジアのドラマ――諸国民の貧困の一研究(上・下)』(東洋経済新報社, 1974年)
- Objectivity in Social Research, (Pantheon Books, 1969).
- 丸尾直美訳『社会科学と価値判断』(竹内書店, 1971年)
- The Challenge of World Poverty: A World Anti-poverty Program in Outline, (Allen Lane, 1970).
- 大来佐武郎監訳『貧困からの挑戦(上・下)』(ダイヤモンド社, 1971年)
- Against the Stream: Critical Essays on Economics, (Pantheon Books, 1973).
- 加藤寛・丸尾直美訳『反主流の経済学』(ダイヤモンド社, 1975年)
ノーベル賞受賞者 |
受賞年:1974年 |
受賞部門:ノーベル経済学賞 |
受賞理由:貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と、経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析を称えて |
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- 1898年 スウェーデンのダレカルリア州グスタフスで生まれる。
- ストックホルム大学法学部に入学。クヌート・ヴィクセル、グスタフ・カッセル、エリ・ヘクシャーらのもと経済学を学ぶ。
- 1927年 Ph.D.をとる。
- 1927年 アルバ・ミュルダール(1982年ノーベル平和賞受賞)と結婚。
- 1929年-1930年 ロックフェラー財団のフェローとしてアメリカに行く。
- 1930年 『経済学説と政治的要素』をスウェーデン語で出版(英語では1953年出版)。
- 1931年 『貨幣的均衡』をドイツ語で出版(英語では1939年出版)。
- 1931年-1932年 ジュネーヴの国際問題研究所准教授に就任。
- 1933年 ストックホルム大学の教授となる。
- 1934年-1936年 スウェーデン国会の上院議員となる(1期)。
- 1938年-1942年 カーネギー財団の委嘱によりアメリカの黒人問題を調査(彼の研究は『アメリカのジレンマ』として1944年に出版された)。
- 1942年-1946年 スウェーデン国会の上院議員となる(2期)。
- 1945年-1947年 商工大臣およびスウェーデン計画委員会の委員長を歴任。
- 1947年-1957年 国連ヨーロッパ経済委員会の行政長官を果たす。
- 1957年 『経済理論と低開発地域』を出版。
- 1961年 ストックホルム大学国際経済研究所所長に選出される(~1971年)。
- 1968年 『アジアのドラマ』を出版。
- 1974年 ノーベル経済学賞をうける。
- 1987年 病気のため死去(88歳)
1933年から1947年までストックホルム商科大学で経済学の教授として教壇に立ち、さらに1945年から1947年までは通商大臣を歴任する。この間、1944年に『アメリカのジレンマ─黒人問題と近代民主主義(An American Dilemma: The Negro Problem and Modern Democracy)を上梓、「アメリカのジレンマ」という言葉を生み出した。
1956年にアルバ夫人が駐インド大使となると、インドへ赴き其処を拠点に南アジアの政治・経済・社会を調査。この時の研究を基に『アジアのドラマ』をまとめ、ニューヨーク・タイムズの編集者によって要約・縮刷されたものが一般に公刊された。その後、1960年から1967年まではストックホルム大学で国際経済学の教授として教鞭を執った。
ノーベル経済学賞の創設に尽力したうちの一人がミュルダールであり、スウェーデン国立銀行が創立300年を迎えた1968年に、それを記念する経済学賞の創設を検討していた際、ミュルダールは積極的に後押しした[3]。因みにミュルダールは「経済学は科学ではない」という持論を持っており、自身の受賞については否定的であった[4]。
ミュルダールは、自身のノーベル賞受賞について複雑な気持ちで「ノーベル賞を受理してしまったのは、連絡を受けた日の朝、寝ぼけていたからである」と述べた一方で、受賞を喜び「ようやく肩の荷がおりた」と述べている[5]。
ミュルダールの最も大きな業績として挙げられるのは、静学理論の動学化である。これは「期間分析」あるいは「継起分析」と呼ばれ、時間とともに変動する経済過程を一連の期間に区切り、経済主体の事前の計画と事後の結果を逐次的に追跡する手法である。これに関してミュルダールは経済主体の期待・予測を決定的に重視し、事前の予測値と事後の結果の値を区別して、事後の結果が再び時期の予測値の出発点となり、事前と事後が矛盾する動態的な経済過程として説明した。ミュルダールのこの考え方は、価格変動は期間と期間の移行時点において撹乱的に生ずる短期均衡の連続であると主張したエリック・リンダールの考え方とともにストックホルム学派の伝統となる事前・事後の概念を築き上げた。こうした理論的貢献は後にジョン・ヒックスによって吸収され、現代のマクロ的動態理論の重要な要素となった。またミュルダールはこの研究に関連して、「貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と、経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析」が称えられ、1974年にフリードリヒ・ハイエクとともにノーベル経済学賞を受賞した。ノーベル賞選考委員会は当初ミュルダール単独でに経済学賞を贈るつもりであったが、経済に対する政府の幅広い干渉を容認するミュルダールの立場とバランスをとるべきとの声に押されて、ハイエクとの共同受賞が決まったとされている[6]。
これ以外にもミュルダールの活動は多彩であり、不況期に景気を刺激するための財政赤字を好況期に黒字で相殺していくという反循環政策を理論的に初めて支持した1933年の財政法案の付属文を執筆した。これはジョン・メイナード・ケインズ以前のケインズ政策とも呼ばれている。理論的には1939年に発表した代表的著作Monetary Equilibrium(貨幣的均衡論)において、ストックホルム学派の伝統である事前・事後の概念を用いて期待の概念をマクロ経済学に導入した。またミュルダールは新古典派経済学を強く批判し、1960年のBeyond he Welfare State(福祉国家を越えて)で福祉国家思想を展開した。さらに開発問題に対しても関心を示し、1968年にはAsian Drama(アジアのドラマ)を発表した。
ミュルダールは、経済学が価値判断からは不可分であること、およびそこでそのような価値判断を前提としているかを明らかにすべきであるという立場を終生維持した。
- The Cost of Living in Sweden 1830-1930, (King & Son, 1933).
- Crisis in the Population Question (1934).
- Monetary Equilibrium, (W. Hodge, 1939).
- 傍島省三訳『貨幣的均衡論』(実業之日本社, 1943年)
- Population: A Problem for Democracy, (Harvard University Press, 1940).
- 河野和彦訳『人口問題と社會政策』(協和書房, 1943年)
- An American Dilemma: the Negro Problem and Modern Democracy, (Harper & Row, 1944).
- The Political Element in the development of Economic Theory, (Routledge & Kegan Paul, 1953).
- 山田雄三・佐藤隆三訳『経済学説と政治的要素』(春秋社, 1967/増補改訂版, 1983年)
- Realities & Illusions in Regard to Inter-governmental Organizations, (Oxford University Press, 1955).
- An International Economy: Problems and Prospects, (Routledge & Kegan Paul, 1956).
- Rich Lands and Poor: the Road to World Prosperity, (Harper & Brothers, 1957).
- Economic Theory and Under-developed Regions, (G. Duckworth, 1957).
- 小原敬士訳『経済理論と低開発地域』 (東洋経済新報社, 1959年)
- Value in Social Theory: A Selection of Essays on Methodology, (Routledge & Kegan Paul, 1958).
- Beyond the Welfare State: Economic Planning and its International Implications, (Yale University Press, 1960).
- 北川一雄監訳『福祉国家を越えて――福祉国家での経済計画とその国際的意味関連』(ダイヤモンド社, 1963年)
- Challenge to Affluence, (Pantheon Books, 1962).
- 小原敬士・池田豊訳『豊かさへの挑戦』(竹内書店, 1964年)
- Asian Drama: An Inquiry into the Poverty of Nations, (Allen Lane, 1968).
- 板垣与一監訳『アジアのドラマ――諸国民の貧困の一研究(上・下)』(東洋経済新報社, 1974年)
- Objectivity in Social Research, (Pantheon Books, 1969).
- 丸尾直美訳『社会科学と価値判断』(竹内書店, 1971年)
- An Approach to the Asian Drama: Methodological and Theoretical, (Vintage Books, 1970).
- The Challenge of World Poverty: A World Anti-poverty Program in Outline, (Allen Lane, 1970).
- 大来佐武郎監訳『貧困からの挑戦(上・下)』(ダイヤモンド社, 1971年)
- Against the Stream: Critical Essays on Economics, (Pantheon Books, 1973).
- 加藤寛・丸尾直美訳『反主流の経済学』(ダイヤモンド社, 1975年)
- ^ The Swedish Schools
- ^ 根井雅弘『異端の経済学』、筑摩書房、1995年4月、p.90
- ^ 日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、142-143頁。
- ^ 日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、143頁。
- ^ トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、284-285頁。
- ^ マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 日経BP社、2002年、354頁。
外部リンク編集
その他、日本学術会議連携会員、財団法人生協総合研究所理事長、社団法人北海道地方自治研究所理事、特定非営利活動法人非営利・協同総合研究所いのちとくらし理事、公務公共サービス労働組合協議会良い社会をつくる公共サービスを考える研究会幹事などを歴任。
麻生内閣時代の安心社会実現会議に委員として参加したのは[3]、当時財務大臣だった与謝野馨の推薦によるものである。与謝野が宮本を知ったのは、宮本の著書『福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー』を政務秘書官に薦められて読んだのがきっかけだという。連合は、雇用や社会保障問題のブレーンとして宮本を起用していたため、同じく安心社会実現会議委員を務めた連合会長の高木剛は、「なぜ与謝野さんは宮本氏を知っていたのか」と不思議がっていたという。宮本は、共産党の宮本顕治の息子であるため、「そんな人を首相直属の有識者会議に入れていいのか」と主張する与党(当時は自民党と公明党)幹部もいたが、与謝野は「誰であろうが、優れた意見を言う研究者なら何が問題があるのか」と突っぱねたという[6]。後に与謝野が菅内閣に経済財政政策担当大臣として入閣した時も、宮本は新成長戦略実現会議委員に起用されたほか[7]、同内閣の社会保障改革検討本部の有識者検討会では座長を務めた[8][9]。
政治学者の加藤哲郎一橋大教授のゼミナールにかつて参加していた。門下生に一橋大学教授の田中拓道がいる。
- 単著
- 『福祉国家という戦略―スウェーデンモデルの政治経済学』(法律文化社, 1999年)
- 『福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー』(有斐閣, 2008年)
- 『生活保障―排除しない社会へ』(岩波書店[岩波新書], 2009年)
- 『社会保障─セキュリティの構造転換へ』(岩波書店, 2010年)
- 『社会的包摂の政治学』(ミネルヴァ書房, 2013年)
- 『地域包括ケアと生活保障の再編』(明石書店, 2014年)
- 『共生保障 〈支え合い〉の戦略』(岩波書店[岩波新書],2017年)
- 共著
- 編著
- 『講座・福祉国家のゆくえ(1)福祉国家再編の政治』(ミネルヴァ書房、2002年)
- 『比較福祉政治 - 制度転換のアクターと戦略』(早稲田大学出版部、2006年)
- 『政治の発見 第2巻 働く』(風行社、2011年)
- 『弱者99%社会─日本復興のための生活保障』(幻冬舎新書、2011年)
- 『生活保障の戦略─教育・雇用・社会保障をつなぐ』(岩波書店、2013年)
- 共編著
- (山口二郎・坪郷實)『ポスト福祉国家とソーシャル・ガヴァナンス』(ミネルヴァ書房、2005年)
- (山口二郎・小川有美)『市民社会民主主義への挑戦 - ポスト「第三の道」のヨーロッパ政治』(日本経済評論社、 2005年)
- (神野直彦)『脱「格差社会」への戦略』(岩波書店、2006年)
- (辻康夫・松浦正孝)『政治学のエッセンシャルズ - 視点と争点』(北海道大学出版会、2008年)
- (神野直彦)『自壊社会からの脱却─もう一つの日本への構想』(岩波書店、2011年)
- (武川正吾)『講座 現代の社会政策 第6巻 グローバリゼーションと福祉国家』(明石書店、2012年)
- (伊藤光利)『民主党政権の挑戦と挫折―その経験から何を学ぶか』(日本経済評論社、2014年)
- 訳書