エリアーデ(ミルチア・),165(『世界宗教史1』[:文庫②208])
エリュール(ジャック・),413
遠近法的倒錯,84(「原因と結果の-」ニーチェ,×『道徳の系譜』,◯『善悪の彼岸』)
エンゲルス,vi,5@,12@,30,34,258@(『イギリスにおける労働者階級の状態』),266@,283@@,283~284@,326,357@,358,359@,362,363@,364@,365@,366@,367, 368@,369~370@,397,
「カール・マルクスの死によせて」,5@,
『イギリスにおける労働者階級の状態』,258@,266@,357@,359@,397,[:244,251,251,673,473,672]
『空想から科学へ』(『ユートピアから科学へ』),283@@,283~284@(x「
ゴータ綱領批判」),
「ゴータ綱領批判」, 283~284@,
『ドイツ・イデオロギー』,12@,33@,262,344@,380~381,
『共産党宣言』,262,263@,
『ドイツ農民戦争』,vi,30~,34,358~,362,363@,364@,365@,366@,367@,[:⑦551,(349:61~62,360:97~98),359,359]
「原始キリスト教史によせて」,368@,369~370@,[:451~452,445],
「ブルーノ・バウアーと原始キリスト教」,369@@[:#19:297,298],
『聖家族』,413
大塚久雄,256^406,406
岡田明憲,165~165@(『ゾロアスターの神秘思想』[:32~33])
カーチ(パトリック・V・),121,122@(「ポリネシアの島々を文化実験する」『歴史は実験できるのか』),400
カウツキー,xi,34,228@(『中世の共産主義』),371(『キリスト教の起源』),411@(『トマス・モアとユートピア』),
『トマス・モアとユートピア』,371,411@[:2],
『中世の共産主義』,228@[:165],371,
『キリスト教の起源』,371
カエサル,215(『ガリア戦記』)
貨幣,528(-の「力」),131(-と国家)
柄谷行人,404(『歴史と反復』),407(『トランスクリティーク』著者名は省略),412(『歴史と反復』),414,
『歴史と反復』,404,412,
『トランスクリティーク』,407,
『世界史の構造』,1,69,355,415,
『哲学の起源』,398,399,405,
『ニュー・アソシエーショニスト宣言』,414,
「Dの研究」,411
ガリレオ,50
カント,ix,285~291(287@,288~289@),339,396,407,
『永遠平和のために』,286,287@,289
『世界公民的見地における一般史の構想』,288~289@
韓非子,182
岸本廣大,405(『古代ギリシアの連邦』)
北村透谷,407(雑誌『平和』)
救貧法,247
キルケゴール,xi,377,381@(『反復』),398
ギルバート,49(『磁石論』),51
偶像崇拝,403
グーテンベルグ,239
クック(ジェームズ・),123
クラストル,124(「国家に抗する社会」),159 (『国家に抗する社会』)
グラムシ(アントニオ・),6,103(『現代の君主』)
ケインズ,309(-主義),312~313
ゲルナー(アーネスト・),238(『民族とナショナリズム』)
孔子,151
交通,vi,35,229,306,307,344,345,377,411
コーン(ノーマン・),231@(『千年王国の追求』)[:83,97,89,4]
コーンフォード(フランシス・M・),179@(『宗教から哲学へ』)
ゴドリエ(モーリス・),76(『贈与の謎』),333
コペルニクス,50
コミュニズム,405
ゴルトン(フランシス),399
コンミューン, (→パリ・コンミューン)
サーリンズ,76~77@(『石器時代の人類学』),78
ザスーリチ(ヴェ・イ・),x,308,342,(343),346
佐保田鶴治,404(『八十八歳を生きる』)
産業革命,294
シェークスピア,271(『ヴェニスの商人』),401(『-』)
ジェームズ一世,240
シェリング,398
『資本論』, →マルクス
島崎藤村,418(『夜明け前』)
周辺,405
シュティルナー,358
シュナイダー(ネイサン・),409(『ネクスト・シェア』)
シュワブ(クラウス・),409(『グレート・リセット』)
ショー(バーナード=),306
ジラール(ルネ・),86,87@(『暴力と聖なるもの』)
秦,151,181~183
信用,270,398?
信用主義,244@,271@
スコット(ジェームズ),63,80~81@,81@(『反穀物の人類史』),125~126@
鈴木鴻一郎,397(『経済学原理論』),407(『-』)
スターリン,308
スペンサー(ハーバート・),60
スミス,20,56(『国富論』),56@(『道徳感情論』),57@(ダーウィン『人間の由来』,『道徳感情論』邦訳解説より),246@(『諸国民の富』),297,299
聖書,100@(黙示録),174,175,176@(マルコ),176~177@,177@@@, 178@@(ルカ,マルコ),206@,
ヨハネの黙示録,100@,369,
ルカによる福音書,178@,206@,
マルコによる福音書,174,175,176@,176~177@,177@@@@,178@
総資本,295,407
贈与,68
ソクラテス,17,179~
ソレル,384(『暴力論』)
ゾロアスター,162~167
ソロモン王,170,171
ダーウィン,55(『種の起原』),55~61,57@@(『人間の由来』),61(『人間の由来』)
ダイアモンド(ジャレド),109,122
タイラー,28
タキトゥス,215(『ゲルマーニア』)
ダンバー(ロビン・),65,66,67(書名なし『人類進化の謎を解き明かす』?)
力,vi,1~,4~,58(貨幣の「-」),128(国家をもたらす「-」),262(物神),378
朝鮮王朝,405
堤純子,414(『アーミッシュの老いと終焉』)
定住,403
デカルト,50
デューリング,323(エンゲルス『反-論』)
デュルケーム(エミール・),2(『自殺論』,集合表象),31,72,397
デリダ,30(『マルクスの亡霊たち』),310
“天皇制ファシズム”,7
『ドイツ農民戦争』, →エンゲルス
ドゥルーズ,310
トーテミズム,87,163
トーテム, →フロイト『トーテムとタブー』
トロツキー,307,345
ニーチェ,84@(『道徳の系譜』),85@,149@
ニュートン,50(『自然哲学の自然的諸原理』)
ネーション,238,239,291,346
ハイデガー,405
ハウ,333
バウアー(ブルーノ・),317,367,368,369,413『暴かれたキリスト教』)
ハスケル(ジョナサン・),408(『無形資産が経済を支配する』→共著者ウェストレイク)
ハムラビ王,147~,162,147@(『ハンムラビ法典』,『古代オリエント資料集成1』より[:71,72])
パリ・コンミューン,237,316
パルヴス(アレクサンドル・),409
バルト(カール・),379-384,379@@(「イエス・キリストと社会運動」),413,
「イエス・キリストと社会運動」『教会と国家1』,378~376@,379@@[:29,13,20]
ハワイ,123
バンヴェニスト(エミール・),332
ハンムラビ法典, →ハムラビ王
ファース(レイモンド・),73,74(Economics of the New Zealand Maori by Firth, Raymond )
フーコー,248~249@(『狂気の歴史』),249~250@(『監獄の誕生』),250@(『フーコー・コレクション』4),251@(『-』),252~3@(『-』),310,
『狂気の歴史』,248~249@,
『監獄の誕生』,249~250@,
『フーコー・コレクション』4,250@,251@,252~3@
ブーバー,152
フクヤマ(フランシス・),30
フス,239,366(-(チェコ))
ファリントン,53
フーリエ,394
フェティシズム,76,77(-(物神)),398
フォイエルバッハ,358,413
フス,239
物質代謝,35
物象化,325,375
物神,47,57,59,94,262(力),325(神「-」),375
ブッダ,183~187
プラトン,329
ブランキ,307
フランチェスカ,229
プルードン,34,188,263,272,299,324,325(『経済的諸矛盾の体系』),357~358,394
ブルーノ(ジョルダーノ・),54
フレーザー(ジェームズ・),118(『金枝篇』)
フロイト,vii,3~4@,7,31,82~84,83@,86(『トーテムとタブー』),86~95,88@,89@,91@,92@,94@,155-157,385~387,386@,392,
「続・精神分析入門講義』,3~4@,
『トーテムとタブー』82,86,87,93,
『モーセという男と一神教』(『モーセと一神教』),83@,93,
「戦争と死に関する時評」,88@,
『夢判断』,89,90,
『快感原則の彼岸』,89@,90,386@,
「自我とエス」,90,93~94@,
「ユーモア」,91@[③:408],
「文化の中の居心地悪さ」,92@@ブロス(ド・),27(『フェティシュ諸神の崇拝』),28,47
ブロック(マルク・),406(『王の奇跡』)
ブロック(モーリス・),411
ブロッホ,xi,377~387,377(『ユートピアの精神』『革命の神学者トマス・ミュンツァー』),380@『この時代の遺産』,381~2@『希望の原理』,383@(『キリスト教の中の無神論』[:xviii])
ヘーゲル,16,17~18@(『-哲学史講義』),192@,196@,268,286(『精神現象学』),407(『論理学』)
『ヘーゲル哲学史講義』,16,17~18@,
『世界史の哲学講義』,192@,196@,
『精神現象学』,286,
『論理学』,14,268,407
ベーコン(フランシス・),197@(『ノヴム・オルガヌム』)
ヘス(モーゼス),10~13,35,356,397
ヘッケル(エルンスト),399
ベトナム,405
ベネディクトゥス,226
ヘブライ語聖書,404
ベル(ダニエル・),296
ベンサム(ジェレミー・),249
ヘンスラー(オットー・),160(『アジール』)
ベンヤミン,xi,377 (『暴力批判論』),383,384@(『暴力批判論』),385
ヘンリー八世,335,336
暴力装置,6
ボイス(メアリー・),166@(『ゾロアスター教』),167~168@『-』)
ボエシ(エティエンヌ・ド・ラ・),102@(『自発的隷従論』),125
ボーム(クリストファー・),61@(『モラルの起源』),62@
ポーロ(マルコ・),402(『東方見聞録』)
ホカート(A・M・),119@(『王権』),120@@,406
墨子,151,181(『墨家十論』),182
ホッブズ,vii,31,48,99,101@ (『リヴァイアサン』),102,104,106,110~111@,112,115,272,273,281,282,284,285,400@,404,407
ホブズボーム,213@(『共同体の経済構造』),218@
ポランニー(カール・),140(『人間の経済』),144@,402
ボルタ(ジャンバッティスタ・デッラ・),399(『自然魔術』)
マーティン(フェリックス),401(『21世紀の貨幣論』)
マクルーハン,294(『人間拡張の原理』),295,296
マッハ(エルンスト・),50
マリノフスキー,133(『西大西洋の遠洋航海者』)
マルクス(カール・),
vi,ix,x,1~16(9~10@,12@,14@,14~15@),19~39(21@,22@,24~25@,26@,38~39@),45~46@,69@,
193~194@,244@,247@,285@,297@@,343@,351@,376,377,378,380,387,388,389,391,393,396,
397@, 398,405~415,
『ドイツ・イデオロギー』,12@,33@[:旧旧岩波48],262,285@,344@,380~381,
『共産党宣言』,262,263@[:39],343@[:#19:288],
『経済学批判』,9~10@,69@,193~194@,397@,[:13~15,14,328~329,15]
『資本論草稿集』,49~80@,
『資本論』,94,275,278
『資本論』第一巻,14@,22@,79@,95@,247@,351@,
『資本論』第二巻,297@@,316,341,
『資本論』第三巻,38~39@,244@,271@,
『資本制生産に先行する諸形態』,218,
『古代社会ノート』,32,
「ザスーリチへの手紙」,(343)@[:#19:239],
「木材窃盗」事件,410,
『聖家族』,413
丸山眞男,7
マン(マイケル・),142@(『ソーシャル・パワー』),399
マンフォード(ルイス・),227~228@(『機械の神話』)
ミュンツァー(トマス・),34,324,358,359,362
モア(トマス・),326~,329@(『ユートピア』),331@,332@,335,336@,
『ユートピア』,329@,331@,336@ ,[:31,130,219]
モーガン(ルイス・),29,32~33@,33,195,316,
『古代社会』,32~33@[:下390],107@[:上150],195
モース,vi,28,31,46,64,71~78,72@,82,95@,132@,333,
『贈与論』,31,72@,95@,132@,[:369,116,212]
モーセ,162,167
モルトマン(ユルゲン・),383(『希望の神学』)
モンテーニュ,96,97,411(『エセー』),412@(『エセー』)
屋形禎亮,402(『人類の起源と古代オリエント』)
山本義隆,51@(『磁力と重力の発見』3)
ユートピア,232,326~,329,331
幽霊,263
吉本隆明,7
ライプニッツ,50
ラカン,7
ラボック,29
良知力,412@(『マルクスと批判者群像』)
ランゲ(オスカル・),301
リーチ(エドマンド・),121(『高地ビルマの政治体系』)
リービッヒ(ユスタス・),37
リフキン(ジェレミー・),314
リントン(マイケル・),414
ルーズベルト(フランクリン・),309
ルカーチ,47(『歴史と階級意識』),76,377
ル=ゴフ(ジャック・),220@(『ヨーロッパは中世に誕生したのか?』)
ルター(マーティン・),230,239
レヴィ=ストロース,84(『親族の基本構造』),96~7@(『悲しき熱帯』)
レーニン,345(『プロレタリア革命と背教者カウツキー』)
レーマー(トーマス・),402(『ヤバい神』),414(『-』)
老子,151,181,183
ロシア,342,376(-革命)
ワルラス,262,299,300,
『経済学と正義、プルードンの経済学説の批判的検討と反論』[1860年],299
ホッブズ モース
スミス
↓
モース スミス
ホッブズ
スピノザ
ニーチェ、ホッブズ、カント、フロイト、マルクス
世界史の構造と同じ箇所を引用
マルクス経済学批判序説
フロイトモーセ
モース贈与論
参考:
反デューリング論再考
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/11/httpsja.html
34頁にプルードンが宗教に反対したと書かれているが、プルードンのデビュー作は批判的にではあるがユダヤ教の本来的な回復を謳ったものだし、常に書き込みをした自分の聖書を大事にしていた。著作に聖書からの引用も多い。カトリックやルターには批判的だった。
The Arcades Project
著者: Walter Benjamin、 Walter W. Benjamin
Proudhon on Hegel: "The antinomy is not resolved: here is the fundamental flaw of all Hegelian philosophy. The two terms of which the antinomy is composed balance out. ... A balance is by no means a synthesis." "Let us not forget," adds Cuvillier, "that Proudhon was for a long time a bookkeeper." Elsewhere, Proudhon speaks of the ideas determining his own philosophy as "elementary ideas, common to bookkeeping and metaphysics alike." Armand Cuvillier, "Marx et Proudhon," A la Lumière du marxisme, vol. 2 (Paris, 1937), pp. 180-181. [a19,4]
プルードン、ヘーゲルを語る。「二律背反は解決されない。ここに、すべてのヘーゲル哲学の根本的な欠陥がある。二律背反が構成されている2つの用語は、均衡を保っている。... バランスは決して総合ではない。" 「プルードンが長い間、簿記係であったことを忘れてはならない」とキュヴィリエは付け加えている。また、プルードンは、自らの哲学を決定する考え方を、「簿記と形而上学に共通する初歩的な考え方」だと語っている。Armand Cuvillier, "Marx et Proudhon," A la Lumière du marxisme, vol.2 (Paris, 1937), pp.180-181. [a19,4]
https://twitter.com/slowslow2772/status/1588968948691013632?s=61&t=H6owwDQBqxoxD8vcbMETjg
0:0:①
フロイト,vii,3~4@,7,31,82~84,83@,86(『トーテムとタブー』),86~95,88@,89@,91@,92@,94@,155-157,385~387,392,
「続・精神分析入門講義』,3~4@,
チカコー
3~4
#35
別訳
マルクス主義の強みは明らかに、歴史の把握とそれにもとづいた未来の予言にあるのではなく、人間の経済的諸関係が人間の知的、倫理的、芸術的態度に及ぼすところの、避けうべからざる影響を鋭く指摘した点にあるのです。それによって従来ほとんど完全に誤解されてきた数々の因果関係や依存関係の正体が暴露されたのです。しかし、経済的動因が社会における人間の行動を決定する唯一の動因であると考えるわけには行きません。さまざまの人間、人種、国民が同一の経済条件のもとでさまざまに行動するという疑う余地のない事実からしてもすでに、経済的諸契機が唯一無二のものでないことは明らかです。生きている人間の反応が問題である場合に、なぜ心理的因子を無視することができるのか、そもそも理解に苦しみます。なぜなら、心理的因子はすでにあの経済的諸関係を作り出す際に関与していたというだけではなく、経済的諸関係の支配下にあっても人間はほかならぬ自己の根源的な欲動の動き、つまり自己保存欲動、攻撃欲、性愛欲求、快感獲得と不快回避の衝動というようなものをはたらかせることができるからなのです。以前の一研究の中でわれわれはまた超自我の意味深長な要求を主張したこともありますが、この超自我というものは過去の伝統および理想形成を代表し、新しい経済局面からの働きかけに対してはしばらく抵抗するのです。
新潮文庫下
0:0:③
グラムシ
6:
「知性のペシミズム(悲観主義)、意志のオプティミズム(楽観主義)」 アントニオ・グラムシ『獄中ノート』
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/11/19291219.html
0:0:⑤
ヘーゲル『哲学史講義』2:2:B:2善の原理
確信をもって決断をくだす主体性が、ソクラテス自身においてどのように独特の形を取るかは、またべつの問題です。各人はそれぞれ自分自身の精神をもっていますが、その精神がソクラテスには自分の精神として独立にあらわれてくる。ソクラテスのダイモニオン(精霊)の名で知られているものが、それに関連します。ダイモニオン(精霊)は人間が自分の洞察にもとづいて自己決定することを禁じます。しかし、ソクラテス自身があれこれとたくさんの奇妙なイメージを述べたてているこの有名なダイモニオンについて、これを守護霊や天使の類と考えることも良心と考えることもまちがいです。というのも、良心とは普遍的な個人のもとにあるもの、普遍的真理にふれているという確信にささえられた精神であるのに、ソクラテスのダイモニオンはむしろ普遍性とは対立する側面をもたざるをえないからだし、といって、そのあらわれかたを見ると、けっして具体的な形のある霊だとも思えないからです。ソクラテスの純粋な意識は、このどちらともちがったものです。ダイモニオンがどのような欠点をもっているかはただちにわかる。つまり、普遍性の欠如を補うのに、個々の場合にしかあてはまらない不十分な補足しかおこなわれていないことがそれで、これでは、堕落したものの否定面を払拭する再建はおぼつかない。個々の場合にやるかやらないかをどう決断するかがかれの対象で、ソクラテスはこの個人的行為については十分に意識していた。そこには夢想、迷信の類はまったく見られず、ものごとは必然の論理に従って考察されていて、ただソクラテスがこの必然性を認識せず、結果だけが意識された。そこで、それは、一個人にだけあらわれる特異なものに思え、現実性の稀薄な想像上のイメージとなったのです。
主体の内面が、みずから知り決断しているのですが、この内容がソクラテスではなお特異な形式を取っている。精霊というのは、やはり、無意識の、外的な決断主体で、にもかかわらず主観的なものです。精霊はソクラテス自身ではなく、ソクラテスの思いや信念でもなく、無意識の存在で、ソクラテスはそれにかりたてられています。同時に、神託は外的なものではなく、かれの神託です。それは、無意識とむすびついた知という形態を取るもので、とりわけ催眠状態によくあらわれる知です。死にそうなとき、病気のとき、強硬症にかかったとき、正常な知性にはまったく見えてこないつながりが見え、未来や現在がわかることがあります。そんなことはありえないとあっさり否定されることが多いのですが、事実、こういう現象はおこるので、ソクラテスの場合には、知と決断と思考に関係し、意識的・自覚的に生じたはずのことが、このような無意識の形式で受けとられたのです。
0:0:⑧(1:2:③)
モーガン(ルイス・),29,32~33@,33,195,316,
『古代社会』,32~33@[:下390],107@[:上150],195
It will be a revival, in a higher form, of the liberty, equality and fraternity of the ancient gentes.
それは古代氏族の自由、平等および友愛のより高度の形態における復活であろう。
岩波文庫下390頁
#4:2
チカコー32頁
古代社会 Ancient Society モーガン Morgan 1877
ドイデ
itc9頁
チカコー33
旧岩波文庫48
共産主義とは、われわれにとって確立されるべきなんらかの状態、現実をそれに適合させる〔richten〕べきなんらかの理想ではない。われわれが共産主義と名づけるのは、いまの状態を廃棄する現実的運動である。
1:0:②
山本義隆,51@(『磁力と重力の発見』3)
1:0:③
第1部 予備的考察 力とは何か
ざる手」とは市場のメカニズムである。 そして、それを解明することが、科学としての組
スミスはそれを『国富論』において論じようとした。 そこから 「経済学」が生まれたといってもよい。
したがって、ダーウィンがスミスから影響を受けたのは、経済学というよりも、むしろその根底に
ある考え方にであった。スミスは、エゴイズムから出立して、その逆のように見える同情あるいは良
心が成り立ちうることを説明した。 ダーウィンはそのような見方を、動物社会にも適用しようとした
のである。たとえば、彼は同情を「社会的本能」と呼んで、つぎのように述べた。
《きわだった社会的本能を授かった動物であれば、何であれ、その知能が人間と同じぐらいか、ほとんど同じぐらいに発達すれば、すぐさま道徳観念や良心を必然的に獲得するはずだ》。
さらに、彼はいう。
道徳的な気質――ここに家族のきずなも含まれると考えた上で――が発展するための基礎は、
社会的本能にある。このような本能はきわめて複雑な性質をもっていて、下等動物の場合にはあ
る特定の行動を引き起こす特別の性向を表わすが、 もっとも重要な要素は愛情であり、共感とい
う独自な情動である。 社会的本能を生まれつきもっている動物は、 一緒にいることを喜び、相互
に危険を知らせあい、多様な方法をつうじて互いに防衛し助け合う。このような本能の適用範囲
は、同一種に属するすべての個体にではなく、同じ集団に属する個体だけに限定される。この本
能は種にとってきわめて有益であるため、 それは、恐らく自然淘汰を通じて獲得されてきたもの
である。「人間の由来」 一八七一年、アダム・スミス、高哲男訳『道徳感情論』訳者解説より)
:57
以下の提言は、大いに正しいであろうと私には思われる。すなわち、よく発達した社会的本能を備えた動物ならば(5)、どんな動物であれ、その知的能力が人間のそれに匹敵するほど発達すればすぐに、必然的に道徳観念または良心を獲得するだろうということだ。
長谷川訳#3
道徳的性質の発達は、さらに興味深くて困難な問題である。このことの基礎は、家族のきずなも含めて、社会的本能のなかにある。これらの本能は非常に複雑な性質のものであり、下等動物においては、ある特定の行動を起こさせるような特別の傾向を与えている。しかし、われわれ人間においてもっと重要な要素は、愛情と共感という特別な感情である。社会的本能を備えた動物は、他の個体と一緒にいることに喜びを感じ、たがいに危険を知らせ合い、多くの点でたがいに守り合い、助け合う。これらの本能は、同種に属するすべての個体に適用されるのではなく、同じ集団に属している個体に対してのみ向けられる。それらは種にとってたいへん有利なので、自然淘汰を通じて獲得されてきた可能性は非常に高い*2。
長谷川訳#21
https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/ethics_outline/outline2/EvolutionaryEthics.html
「親子間の愛情も含めたはっきりとした社会的本能を備えているならば、どんな動物でも、その知的能力が人間と同程度あるいは近い程度にまで発達したとたん、不可避的に道徳的感覚ないし良心を獲得するに違いない」[71-72:102]
●チャールズ・ダーウィン『人間の由来』
(Charles Darwin, The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex, London: John Murray, 1st edition, 1871. 頁付けは原則として[左記のロンドン版初版:1877年発行の新版を収録したWilliam Pickering社1989年発行の全集版]で示すが、初版になく1874年John Murray社発行の第2版で追加ないし修正された文章に関してはその都度注記し[第2版:全集版]で示す)
『種の起源』(しゅのきげん、英: "On the Origin of Species")は1859年初版刊行。
1:0:⑤
ボーム(クリストファー・),61@(『モラルの起源』),62@,[:393,394]
Moral Origins モラルの起源 クリストファー ボーム (著), Christopher Boehm
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/11/christopher-boehm.html
:61
亀が助け合う動画
モース,vi,28,31,46,64,71~78,72@,82,95@,132@,333,
『贈与論』,31,72@,95@,132@,[:369,116,212]
チカコー
72
1:1:①
贈り物というのは、したがって、与えなくてはならないものであり、受け取らなくてはならないものであり、しかもそうでありながら、もらうと危険なものなのである。それというのも、与えられる物それ自体が双方的なつながりをつくりだすからであり、このつながりは取り消すことができないからである。
モース贈与論#3:369
1:1:①
ファース(レイモンド・),73,74(Economics of the New Zealand Maori by Firth, Raymond )
スコット(ジェームズ),63,80~81@,81@(『反穀物の人類史』),125~126@
#3
チカコー80~1
1:1:③
わたしは、初期の、記録のない時期に人口密集地が放棄されたうちの相当多くは、政治ではなく病気が理由だったと考えてまず間違いないと思う。
#3
チカコー81
1:1:③
定住しない人びとは、たいてい意図的に繁殖力を制限している。定期的に野営地を動かす際のロジスティクスを考えると、子ども2人を同時に抱えて運ぶのは、不可能とはいわないまでも、かなりな負担になる。その結果、狩猟採集民が子どもを作るのはおよそ4年ごととなり、離乳を遅らせる、堕胎薬を使う、育児放棄する、あるいは子殺しをするなどして間隔を開けることになる。また、激しい運動とタンパク質豊富な赤身肉の食餌という組み合わせは、思春期の訪れを遅らせ、排卵を不定期にし、閉経を早めることにもなる。
#5
チカコー121~2
1:2:⑦
沖積層の都市国家どうしで戦争が当たり前だったことは明らかだ。実際の話、もしかなりの割合の捕虜が互いの臣民を目的とした都市国家間戦争から生じたのだとしたら──しかもそれまで独立していた地域コミュニティの出身者だったのだとしたら──その共有文化を考えれば、彼らはたいした混乱なしに、捕らえた側の都市国家のふつうの臣民になったと考えるのが妥当だろう。おそらく、公式に奴隷化されることすらなかったのではないだろうか。
反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー ジェームズ・C・スコット 2019
Against the Grain: A Deep History of the Earliest States James C. Scott 2017
1:1:④
ニーチェ
負い目という感情や個人的な義務という感情はすでに指摘したように、存在するかぎりでもっとも古く、もっとも原初的な人格的な関係に根ざすものである。すなわち買い手と売り手の関係、債権者と債務者の関係から生まれてきたものなのだ。この関係のうちで人格と人格が直面し、人格が他の人格との関係でみずからを計ったのである。どれほど低い文明であっても、このような関係が確認されないような文明はまだみいだされていないのである。
値段をつけること、価値を測定すること、同等な価値のあるものを考えること、交換すること──これらは人間のごく最初の思考において重要な位置を占めていたものであり、ある意味では思考そのものだったのである。
:85~6別訳
弱き者の自己欺瞞
1:#13
定本第一巻149頁参照、別訳
たとえば民衆が雷をその雷光から分離して、雷光は雷という主体の行為であり、主体の作用であると考えるのと同じように、民衆の道徳もまた強さ〈そのもの〉と強さの〈現れ〉を分離して考える。あたかも強い者の背後にはもっと別の無頓着な〈基質〉のようなものが控えていて、それが強さを現すのも現さないのも、自由に決めることができると考えるようなものである。しかしこうした基質などは存在しないのだ。行為、作用、生成の背後には、いかなる「存在」もない。「行為者」とは行為の背後に想像でつけ足したものにすぎない──行為がすべてなのである。
民衆は雷が光るというとき、行為を二重にしているのである。それは作用が作用すると言うようなものなのだ。[雷光という]同じ一つの現象をまずその原因とみなして、次にはその作用とみなしているのである。自然科学者は「力が動かす、力が原因である」などと語るとき、同じようなことをしているのである。──わたしたちの科学もすべて、冷静で、情動に左右されることはないと称しながらも、言葉の誘惑に負けているのであり、騙されて「主体」という〈取り替え子〉を押しつけられ、これを追い払うことができないでいるのである
:84「原因と結果の遠近法的倒錯」?
1:1:④⑤⑥⑦
フロイト
『トーテムとタブー』82,86,87,93,
『モーセという男と一神教』(『モーセと一神教』),83@,93,
「戦争と死に関する時評」,88@,
『夢判断』,89,90,
『快感原則の彼岸』,89@,90,
「自我とエス」,90,93~94@,
「ユーモア」,91@,
「文化の中の居心地悪さ」,92@@
1:1:⑥
チカコー92:
共同体にもある種の超自我が形成されるのであり、この超自我の影響のもとで、文化が発展していくと主張することもできるからである。
光文社文庫別訳
フロイト著作集③493
全集20該当訳
チカコー92:
倫理はいわば、治療の試みであることを理解すべきである。それまでは文化のどんな働きでも実現できなかった目標を、超自我の命令によって実現しようとするのである。
別訳
1:1:⑥
4:3:⑤
フロイト
『快感原則の彼岸』,89@,90,386@,[:⑥163,163]
1:1:⑦
フロイト
「自我とエス」,90,93~94@,[:⑥285]
モース,vi,28,31,46,64,71~78,82,95@,132@,333,
『贈与論』,31,95@,132@,[:116,212]
1:1:⑦
チカコー
95
そこでは人間は、結局のところ霊の代理として行動しているにすぎない(58)。それというのも、こうした交換・契約は、(その渦のなかに人と物とを巻き込むだけでなく、)人や物に程度の差はあれ結びついている聖なる存在者たちをも巻き込むからなのだ(59)。
1:2:⑦
ホカート(A・M・),119@(『王権』),120@@,406,[:77,367,32]
1:3:①
チカコー
132
贈与は必然的に信用という観念をともなうのだ。経済にかかわる法は、物々交換から売買へと進化したわけではないし、売買にしても、その場での支払いから期間を置いた支払いへと進化したわけではない。贈り物を与えること、そしてある一定の期間を置いてお返しをすること、このシステムの上にこそ、一方に物々交換が成立し(もともとは時間の隔たりがあったのにもかかわらず、その隔たりが省略されたり短縮されたりすることによって)、他方に購買と販売(一定期間を置いた支払いによる販売も、その場での支払いによる販売も)、および貸借が成立したのである。というのも、わたしたちの周囲にあって今日にまで生き残っているアルカイックな社会はすべて、信用というものを現に知っているわけであるし、本章で叙述している段階よりも発達した段階の過去の法制度のなかに(とりわけバビロニア法)、それを知らなかったものがある、などということは、証明されていないからである。
聖書,174,175,176@(マルコ),176~177@,177@@@, 178@@(ルカ,マルコ),
ヨハネ黙示録,100@,
ルカによる福音書,178@,
マルコによる福音書,174,175,176@,176~177@,177@@@,178@
新共同訳新約聖書
チカコー
100
1:2:①
マルクス資本論1:1:2孫引き
…この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
黙示録13:17
→
チカコー
それがDの到来であり、「神の国」の到来である。それは、天国や極楽のような、この世界の外、彼岸に想定されるようなものではない。イエスの語る「終末」は、この世界の問題でもある。この世界はそのままにとどまる。ただ、何かが変わるのだ。そのとき交換様式が変わる、といってよい。《フアリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ×「ルカによる福音書」ヽもo‐いじ。つまり、人と人の「間」、いいかえれば交換の形態が変わる。すなわち、交換様式Dが到来する。そして、それは原遊動性の回帰であるがゆえに、反復強迫的である。イエスをせきたてる終末論的衝迫は、そこから来る。
また、「マルコ」からは、つぎのようなことも読みとれる。イエスは大工であった。彼の父ヨセフも同様である。つまり、彼らは祭司でも農民でもない、遊動的な工芸人であった。そして、イエスが最初に選んだ弟子は、ガリラヤ湖で網を打っていた四人の漁師である。《わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよ(π》→ヽ)。漁師は多くの点で、遊牧民と類似する。モーセが遊牧民を率いたように、イエスは漁師を率いたのである。そして、彼らはイエスの下で、″牧師矢oあ一oじというより、むしろク人間をとる漁師クとなった。イエスと弟子(使徒)たちが遊動的であったことはいうまでもない。したがって、原始キリスト教は、原遊動性とその回帰(終末)という問題と切り離すことができな(8)いのである。
チカコー
178
1:4:⑥
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。21『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(「ルカによる福音書」17:20-21)
チカコー
206
2:1:⑤
神の国はあなたがたの間にあるのだ。
新143
チカコー
178
1:4:⑥
(1:17)
マルコ
わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう
178頁
1:4:⑥
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11182742791?__ysp=44Oe44Or44KzIOODnuOCv%2BOCpCDogbfmpa0%3D
新約聖書のマルコさんは、職業は何になりますか?、 マタイさんは、徴税人ですね、 ルカさんは、お医者さんですね、 ヨハネさんは、漁師さんですね、
ベストアンサー
聖書には、ペテロと一緒にいた通訳家としか書いてないです。 黄金伝説では、 レビ人で祭司だと書いてます。
ホッブズ,vii,31,48,99,101@ (『リヴァイアサン』),102,104,106,110~111@,112,115,272,273,281,282,284,285,400@,404,407
チカコー
1:2:①
101
…実は一種の人造人間にほかならない。自然の人間よりも巨大かつ強力であり、自然の人間を守ることを任務としているところに特徴がある。
この人造人間は主権を人工の生命としている。それは全身の活力と運動の源泉である。為政者や司法・行政を担当する官吏は、人工の関節である。
はじめに
別訳
チカコー
1:2:④
110~111
アメリカのあちこちに散在する未開人は、政府を持たない。もっとも、数家族単位のものはある。そこでは、自然の欲望のままに合意が形成される。アメリカの未開人は今日でも、右に述べた野蛮な生活を営んでいるわけである。
それはともかくとして、万人の畏怖するような共通の力を欠いた場合、生活はどのようなものになるのだろうか。その見当をつけるには、平和な統治の下で暮らしていた人々が、内戦が起こるたびにどれほど劣悪な生活環境の中に転落していくかを観察すればよい。
1:13
別訳
参考:
世界史の構造
血讐は共同体が上位の組織に対して自律性をもつことを意味するから、「目には目を」という「法」は、下位共同体の自律性を否定することである。その点でいえば、ギリシアのポリスが国家に転化したといえるのは、互酬的な血讐が禁止されたときである(9)。
(9) Christopher Gill, Norman Postlethwaite, and Richard Seaford, Reciprocity in Ancient Greece, Oxford University Press, USA,
1998.
https://www.amazon.co.jp/Reciprocity-Ancient-Greece-English-Christopher-ebook/dp/B08R7MX5Y2/ref=monarch_sidesheet
103^480
世界史の構造
1:4:⑧
181
孔子『論語』,181@
墨子『墨家十論』,181~182
墨子,151,181(『墨家十論』),182
墨子
2:1:①
ヘーゲル『世界史の哲学講義[下]』,192@,196@,[:17,107]
17頁
107頁
2:1:④
アウグスティヌス,203~209,207@(『神の国』)
チカコー
2:1:④
帝国95
正義がなくなるとき、王国は大きな盗賊団以外のなにであろうか。盗賊団も小さな王国以外のなにものでもないのである。盗賊団も、人間の集団であり、首領の命令によって支配され、徒党をくんではなれず、団員の一致にしたがって奪略品を分配するこの盗賊団という禍いは、不逞なやからの参加によっていちじるしく増大して、領土をつくり、住居を定め、諸国を占領し、諸民族を征服するようになるとき、ますます、おおっぴらに王国の名を僭称するのである。そのような名が公然とそれに与えられるのは、その貪欲が抑制されたからではなく、懲罰をまぬがれたからである。ある海賊が捕らえられて、かのアレクサンダー大王にのべた答えは全く適切で真理をうがっている。すなわち、大王が海賊に、「海を荒らすのはどういうつもりか」と問うたとき、海賊はすこしも臆するところなく、「陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小さい舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」と答えたのである(『神の国』服部英二郎・藤本雄三訳、岩波文庫)。
墨子の非攻にも似た記述がある。
チカコー
2:1:⑤
207
帝国97~98
人間の社会は、家からはじまって、そこから都市へと進み、そして世界にいたるのである。まったく世界は水の合流のようであって、それが大きければ大きいほど、それだけ多くの危険に満ちている。この段階においては、何よりもまず言語の相違が人間と人間を遠ざける。(中略)また、強大な力をもつ国家は、征服した民族に軛を課すだけでなく、平和的友好的方法によって自国の言語を課そうと骨折ったのであった。(中略)これはほんとうである。しかし、いかに多くの、そしてどれほど大きな戦闘によって、いかに多くの人間の殺戮によって、どれほど人間の血が流されることによって、このことが成し遂げられたことか。これらの戦闘は過去のものとなっている。しかし、それらの悲惨は終わってはいない。というのは、つねに戦闘がなされてきた、そしていまもなされている敵対する外国の民は欠けることがなかったし、いまも欠けてはいないけれども、すくなくとも、帝国の広大さそれ自身がいっそう悪質な戦闘、すなわち同盟者間の戦いや内乱を引き起こしてきたからであって、それによって、……人類はいっそう惨めに動揺させられるのである(『神の国』第一九巻・第七章、岩波文庫5)。
2:2:④
カウツキー,xi,34,
228@(『中世の共産主義』),371(『キリスト教の起源』),411@(『トマス・モアとユートピア』),
『トマス・モアとユートピア』,371,(4:1:④_338^)411@,
『中世の共産主義』,228@,371,
『キリスト教の起源』,371
『キリスト教の起源』,371
モムゼン[:275]
2:3:④
ヴェーバー,31,32,127,129,154@(『宗教社会学』),169@,169(『古代ユダヤ教』),170,171~172@,172@,172~173@,227,241,242@(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』),245@(『-』),402(『家産制と封建制』),406@(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』),
『支配の社会学1』,127,
『宗教社会学』,154@,169@,
『古代ユダヤ教』,169,171~172@,172@,172~173@,
『古代社会経済史』,170,
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』,227,242@,406@,
『家産制と封建制』,402
チカコー
242
2:3:④
このような天職として労働義務を遂行し、それを通して神の国を求めるひたむきな努力と、ほかならぬ無産階級に対して教会の規律がおのずから強要する厳格な禁欲とが、資本主義的な意味での労働の「生産性」をいかに強く促進せずにいなかったかはまったく明瞭だろう。営利を「天職」と見なすことが近代の企業家の特徴となったのと同様に、労働を「天職」と見なすことが近代の労働者の特徴となった。
チカコー
406(^243)
一面的な「唯物論的」歴史観にかえて、これまた同じく一面的な、文化と歴史の唯心論的な因果的説明を定立するつもりなど、私にはもちろんないからだ。両者ともひとしく可能なのだ3が、もし研究の準備作業としてでなく、結論として主張されるならば、両者とも歴史的真実のために役立つものとならないだろう。
2:3:⑥
『フーコー・コレクション』4,250@,251@,252~3@
フーコー・コレクション4
10哲学者の回答 (集成V:163)
216頁
14真理と権力 (集成VI:192)
346~7頁
2:3:④
ヴェーバー
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』,227,242@@,406@,[:360,67,369],
チカコー
242
2:3:④
このような天職として労働義務を遂行し、それを通して神の国を求めるひたむきな努力と、ほかならぬ無産階級に対して教会の規律がおのずから強要する厳格な禁欲とが、資本主義的な意味での労働の「生産性」をいかに強く促進せずにいなかったかはまったく明瞭だろう。営利を「天職」と見なすことが近代の企業家の特徴となったのと同様に、労働を「天職」と見なすことが近代の労働者の特徴となった。
文庫360
チカコー
242
2:3:④
あたかも労働が絶対的な自己目的»Beruf«「天職」であるかのように励む
文庫67
チカコー
406^243
一面的な「唯物論的」歴史観にかえて、これまた同じく一面的な、文化と歴史の唯心論的な因果的説明を定立するつもりなど、私にはもちろんないからだ。両者ともひとしく可能なのだ3が、もし研究の準備作業としてでなく、結論として主張されるならば、両者とも歴史的真実のために役立つものとならないだろう。
文庫369
3:1:①
チカコー
『共産党宣言』,262,263@,343@[:#19:288]
263
ヨーロッパに幽霊が出る共産主義という幽霊である。ふるいヨーロッパのすべての強国は、この幽霊を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる、法皇とツァー、メッテルニヒとギゾー、フランス急進派とドイツ官憲。
反対党にして、政府党から共産主義だと罵られなかったものがどこにあるか、反対党にして、自分より進歩的な反対派に対して、また反動的な政敵に対して、共産主義の烙印をおしつけて悪口を投げかえさなかったものがどこにあるか?
3:2:①
「ゴータ綱領批判」, 283~284@[#19:21],
エンゲルス,vi,5@,12@,30,34,258@(『イギリスにおける労働者階級の状態』),266@,283@@,283~284@,326,357@,358,359@,362,363@,364@,365@,366@,367, 368@,369~370@,397,
「カール・マルクスの死によせて」,5@,
『イギリスにおける労働者階級の状態』,258@,266@,357@,359@,397,[:244,251,251,673,473,672]
『空想から科学へ』(『ユートピアから科学へ』),283@@,283~284@(x「
ゴータ綱領批判」),
「ゴータ綱領批判」, 283~284@[#19:21],
『ドイツ・イデオロギー』,12@,33@,262,344@,380~381,
『共産党宣言』,262,263@,
『ドイツ農民戦争』,vi,30~,34,358~,362,363@,364@,365@,366@,367,[:⑦551,(349:61~62,360:97~98),359]
「原始キリスト教史によせて」,368@,369~370@,[:451~452,445]
『聖家族』,413
3:2:②
カント,ix,285~291(287@,288~289@),339,396,407,
『永遠平和のために』,286,287@,289
『世界公民的見地における一般史の構想』,288~289@
287
この連合が求めるのは、なんらかの国家権力を手に入れることではなくて、もっぱらある国家そのもののための自由と、それと連合したほかの諸国家の自由とを維持し、保障することであって、しかも諸国家はそれだからといって、(自然状態にある人間のように)公法や公法の下での強制に服従する必要はないのである。連合制度は次第にすべての国家の上に拡がり、そうして永遠平和へと導くことになろうが、連合制度のこうした理念の実現可能性(客観的実在性)は、おのずから証明されるのである。なぜなら、もし幸運にもある強力で啓蒙された民族が一共和国(共和国は、その本性上、必然的に永遠平和を好むが)を形成することができたら、この共和国がほかの諸国家に対して連合的結合のかなめの役をはたすからで、その結果諸国家はこの結合に加盟し、こうして諸国家の自由な状態は国際法の理念に即して保障され、連合はこの種の多くの結合を通じて次第に遠くにまで拡がっていくのである。
永遠平和
カント岩波文庫
チカコー
3:2:③
288
…自然は戦争を通じて、そして戦争にそなえて決して縮小されることのない過剰な軍事力を国家に準備させ、こうした軍備のために平時にあっても国内の窮迫を実感させるのである。そして当初はいくつかの不十分な試みを実行させて、さまざまな荒廃、政府の転覆、国力の徹底した消耗などを経験した後になって、やっとのことで、理性があればこれほど痛ましい経験を積まなくても実現できたはずのこと、すなわち無法な未開の状態から抜けだして、国際的な連合を設立するという課題を実現するようになるのである。
第七命題
世界市民という視点からみた普遍史の理念(一七八四年)光文社 永遠平和のために所収
別訳
チカコーでは岩波カント全集から引用
参考:
カント全集14
- 歴史哲学論集
- 世界市民的見地における普遍史の理念(福田喜一郎訳)☆
- 啓蒙とは何か(福田喜一郎訳)
- J・G・ヘルダー著『人類史の哲学考』についての論評(福田喜一郎訳)
- 人種の概念の規定(望月俊孝訳)
- 人間の歴史の臆測的始元(望月俊孝訳)
- 哲学における目的論的原理の使用について(望月俊孝訳)
- 理論と実践(北尾宏之訳)
- 万物の終わり(酒井潔訳)
- 永遠平和のために(遠山義孝訳)
世界共和国へでも引用されていた第八、九命題は岩波文庫から
チカコー
3:2:③
288
自然は人間を、戦争をとおして、また戦争へ向けてのけっして縮小されない過度の軍備、さらにまったく平和状態にある国家でさえも結局はそれぞれ内心抱かざるをえない苦境をとおして、最初は不十分ながらいろいろな試みをさせるが、最終的には、多くの荒廃や国家の転覆を経て、さらに国力をことごとく内部から消耗させた後に、これほど多くの悲惨な経験をしなくとも理性ならば告げることのできたこと、つまり野蛮人の無法状態から抜け出して国際連盟を結ぶ方向へ追い込むのである。ここで国家はすべて、最小の国家でさえも、自国の軍隊や自国の法律上の判決からではなく、もっぱらこの大きな国際連盟(アンフィクチオン同盟FoedusAmphictyonum)すなわち統一された権力と統一された意志の法に則った決断から、自国の安全と権利を期待することができる。(『普遍史』第七命題『カント全集14』岩波書店)13頁
『憲法の無意識』と同箇所
4:1:④
モア(トマス・),326~,329@(『ユートピア』),331@,332@,335,336@,
『ユートピア』,329@,331@,336@ ,[:31,130,219]
4:1:②
329@
#1
イギリスの羊です。以前は大変おとなしい、小食の動物だったそうですが、この頃では、なんでも途方もない大いで、その上荒々しくなったそうで、そのため人間さえもさかんに殺しているとのことです。おかげで、国内いたるところの田地も家屋も都会も、みない潰されて、見るもむざんな荒廃ぶりです。
4:1:②
329@
#1
イギリスの羊です。以前は大変おとなしい、小食の動物だったそうですが、この頃では、なんでも途方もない大いで、その上荒々しくなったそうで、そのため人間さえもさかんに殺しているとのことです。おかげで、国内いたるところの田地も家屋も都会も、みない潰されて、見るもむざんな荒廃ぶりです。
:31
4:1:③
331@
#6
金というものは元来それ自体としては何の役にもたたないものである。にもかかわらず今日全世界の人々の間において非常に尊重されている、それも、元来なら人間によって、そうだ、人間が用いるからこそ、尊重されていたのに、今では逆に人間自体よりももっと尊重されている。なぜそうなのか、ユートピア人にはどうしても合点が行かないのである。
:130
#9
336@
だから今日いたる所で繁栄をほしいままにしているあらゆる国家のことを深く考える時、神に誓ってもよいが、私はそこに、共和国の名のもとにただ自分たちの利益だけを追求しようとしている金持の或る種の陰謀のほか、何ものも認めることはできない。金持はまず第一に、どうしたら自分たちが不正な手段でかき集めたものを安全に確保することができるか、次にどうしたら出来るだけ安い賃銀で貧乏人の労力を自分たちの都合のよいように利用することができるか、ということを考え、そのためあらゆる手段と術策を見つけようと 々としている。そしてそういう方策がみつかると、この金持たちは、国家のために、つまり一般大衆の幸福のためにとかいってこれらの方策が守られるように強制する。するとやがてそれが法律になっているのである。
:219
『共産党宣言』,262,263@,343@[:#19:288]
チカコー
別訳
343
4:1:⑥
ひどく分解してはいるが太古からの土地所有の一形態〔原生的共有の形態〕であるロシアの農民共同体は、共産主義的共有のより高い形態〔土地所有のより高い共産主義的形態〕に直接に移行しうるであろうか? それとも反対に、そのまえにそれは西ヨーロッパの歴史的発展においておこなわれたと同じ崩壊過程を通過しなければならないであろうか?
この問題に対して今日可能な唯一の解答は、次の如くであろう。もしロシア革命が西ヨーロッパにおけるプロレタリア革命への合図となり、その結果両者がたがいに補いあうならば、現在のロシアの土地共有制は、共産主義的発展の出発点として役立つことができる。
4:2:④
エンゲルス,
「原始キリスト教史によせて」,368@,369~370@,[:#22:451~452,445],
「ブルーノ・バウアーと原始キリスト教」,369@@[:#19:297,298],
4:3:③
バルト(カール・),379-384,379@@(「イエス・キリストと社会運動」),413,
「イエス・キリストと社会運動」『教会と国家1』,379@@[:29,13,20]
キルケゴール,xi,377,381@(『反復』),398
[:206]
4:3:④
ブロッホ,xi,377~387,377(『ユートピアの精神』『革命の神学者トマス・ミュンツァー』),380@『この時代の遺産』,381~2@『希望の原理』,383@(『キリスト教の中の無神論』[:xviii])
4:3:⑤
フロイト
『快感原則の彼岸』,89@,90,386@,[:⑥163,163]
…社会主義の運動も、プルードンやマルクス以後「科学的社会主義」とみなされるようになった。が、それも根本的に交換様式Dをめざすものであり、その意味で普遍宗教の性格を保持しているのである。とはいえDは、それとして意識的に取り出せるものではない。「神の国」がそうであるように、「ここにある、あそこにある」といえるようなものではない。また、それは人間の意識的な企画によって実現されるものでもない。それは、いわば″向こうから来る″ものだ。
188頁
1:4:⑨
また、ここで重要なのは、Dは人間の意志あるいは企画によって到来するものではない、ということである。それはいわば「向こうから来る」。その意味で、それは“共産主義という幽霊”だといってよい。そして、その存在を明らかにすることが、「社会主義の科学」にほかならない。
353頁
4:1:⑨
「希望」とは、人が未来に意識的に望むことではない。また、実現すべき何かでもない。それは、いやおうなく、向こうから来る。つまり、むしろ希望がないように見える時にこそ、「中断され、おしとどめられている未来の道」としての希望が到来する。つまり、共産主義は、むしろその実現がとうていありそうもないような状況においてこそ到来する。
383頁
4:3:③
ところがDは、Aとは違って、人が願望し、あるいは企画することによって実現されるようなものではない。それはいわば“向こうから”来るのだ。
395頁
4:3:⑨
そこで私は、最後に、一言いっておきたい。今後に、戦争と恐慌、つまり、BとCが必然的にもたらす危機が幾度も生じるだろう。しかし、それゆえにこそ“Aの高次元での回復″としてのDが必ず到来する、と。
396頁
4:3:⑨
第三者に開かれた会計システムは集合力の端緒だ。
《『マクベス』だと、二人で魔女の予言を聞く。バンクォーとマクベスが二人で聞く。》
柄谷行人「文学の〈外部〉」『柄谷行人対話篇2』より
《「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)ではない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」》
ベンヤミン『パサージュ論4』岩波文庫より孫引き
唯物論 幽霊論
━━━━━┳━━━━━
┃
1:4:⑥
《ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。21『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」》178頁
(「ルカによる福音書」17:20-21)
《一面的な「唯物論的」歴史観にかえて、これまた同じく一面的な、文化と歴史の唯心論的な因果的説明を定立するつもりなど、私にはもちろんないからだ。両者ともひとしく可能なのだが、もし研究の準備作業としてでなく、結論として主張されるならば、両者とも歴史的真実のために役立つものとならないだろう。》406(^243)頁
(ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)
序論0:1~9
┏━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━1:━━━┓
┃2:2:1~5┃2:1:1~5┃ 1:2 ┃予備的考察 ┃
┃封建制 ┃ギリシア・ローマ :1~9 ┃ 力とは何か:0:1~6
┃ (ゲルマン)┃(古典古代) ┃交換様式Bと力┃交換様式Aと力:1:1~7
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┣━2 世界史の構造と「力」━━╋━1 交換から来る「力」━━━┫
┃2:3:1~7┃ ┃ 1:3 ┃ 1:4 ┃
┃絶対王政と ┃ ┃交換様式Cと力┃交換様式Dと力┃
┃ 宗教改革┃ ┃ :1~7 ┃ :1~9 ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┣━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃3:2:1~7┃3:1:1~7┃4:2:1~5┃4:1:1~9┃
┃資本= ┃ 経済学批判 ┃社会主義の科学┃社会主義の科学┃
┃ネーション=国家 ┃ 二┃ 一┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┣━━3 資本主義の科学━━━━╋━━4 社会主義の科学━━━━┫
┃3:3:1~7┃ ┃4:3:1~9┃ ┃
┃資本主義の ┃ ┃社会主義の科学┃ ┃
┃ 終わり┃ ┃ 三┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┗━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┛
MMT(現代貨幣理論)で問題になるのは統合政府(=リフレ派も使うが)の概念の整合性で、
政府と銀行は交換様式BとCだから統合政府はこれらの結婚と読める。
経済学は国家と資本の概念規定が未熟だから論者のポジションで結論が変わる。
柄谷の交換様式はそこに一定の基準を与える。
簡単に言えばMMTによる信用貨幣論の拡張の最後の切り札が柄谷交換様式論だ。
ケインズ超国家通貨案とLETSが親和的であることもそこから整理される。
チカコー目次を読めば交換様式が各位相でフラクタルに機能することがわかる。
超国家通貨案=バンコール案もLETSの原理で出来ている。
マルクス『資本論』 絶対的5〜9、 商品と __________相対的10〜13__貨幣〜3|資本の変態|(資本の |剰余|資本|拡大|単純|| と循環| 循環過程)価値|へ4|価値形態論1| 1〜6 |1、2、3| 〜16 一般的|貨幣||_二資本の流通過程__|_一資本の生産過程__|| |拡大|単純|時間| | 資本の ||資本の回転|再生産 ・|_労 賃_|蓄積過程 ||7〜17 社会的総資本|17〜20|21〜25| |_____|18〜21|出来高__|_____|| | 生産過程49|資本|労働|| 利潤 | | 競争の |_三位一体48| 1〜20| | 外観50|土地| ||____三資本主義的生産の総過程への転化|__|| 絶対・|差額| 資本家|労働者| 利子 |_地代_・| 生産51|_諸階級52|21〜36|37〜47| 分配と |地主| ||複利24_資本主義的・|_____|__|__|
価値形態論の位置に交換様式論がある(再生産表式の方がより重要…)。
赤と青の色を入れ替えてもいい(国家が赤字で間違いではない)。
第二章 封建制(ゲルマン) 2:2:①~⑤
封建制 (ゲルマン) ① アジア的 ⑤宗教改革 |
第二部 世界史の構造と「力」
第一章 ギリシア・ ローマ(古典古代) 2:1:①~⑤
ギリシア・ローマ (古典古代) ②亜周辺 ④ 「神の国」
|
第二章 交換様式Bと力 1:2 : ①~⑨
①ホッブズ ⑧ 官僚制
| 第一部
交換から来る「力」
第一章 交換様式Aと力 1:1 :①~⑦
② モース ⑤ フロイト
|
第三章 絶対王政と宗教改革
2:3 :①~⑦
④ ヴェーバー ④ 信用主義 ⑥フーコー |
| 第三章 交換様式Cと力
1:3 :①~⑦ ① モース ③ 帝国 ④法 ⑦ 世界/普遍宗教 | 第四章 交換様式Dと力 1:4 : ①~⑨ ⑥ イエス ⑦ソクラテス ⑧ 孔子 ⑨ ブッダ
|
第二章 資本=ネーション=国家 3:2:①~⑦
② カント ⑦ プルードン | 第三部 資本主義の科学
第一章 経済学批判 3:1:①~⑦
① 幽霊 ④ 信用主義 ⑤ マルクス ⑤ ホッブズ |
第二章 社会主義の科学2 4:2:①~⑤
①エンゲルス ②ドイツ農民戦争
| 第四部 社会主義の科学
第一章 社会主義の科学1 4:1:①~⑨
① エンゲルス ⑥ ザスーリチ ⑥~⑨ マルクス |
第三章
資本主義の終わり
3:3:①~⑦
⑤ ピケティ ⑥ マルクス ⑥ エンゲルス ⑦環境問題 |
| 第三章
社会主義の科学3 4:3:①~⑨
②カウツキー ③ ブロッホ ③ キルケゴール ④ ベンヤミン
| 注 あとがき
~ 予備的考察~ 1:0 力とは何か : ①~⑥ ①力 ③交換 ③ スミス ③ ダーウィン
~序論~ 0:①~⑨ ③ 交換様式 ⑧ 科学 ⑨環境 |
前の部の1箇所が先の部全体を予告する。
┏━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━┓
┃2:2:①~⑤ ┃2:1:①~⑤ ┃ 1:2 ┃ 1:1 ┃
┃封建制 ┃ギリシア・ローマ┃ :①~⑨ ┃ :①~⑦ ┃
┃ (ゲルマン) ┃(古典古代) ┃交換様式Bと力 ┃交換様式Aと力 ┃
┃ ①アジア的 ┃ ②亜周辺 ┃ ①ホッブズ ┃②モース ┃
┃ ⑤宗教改革 ┃ ④「神の国」┃ ⑧官僚制 ┃⑤フロイト ┃
┣━━2 世界史の構造と「力」━━━╋━━1 交換から来る「力」━━━━┫
┃2:3:①~⑦ ┃ ┃ 1:3 ┃ 1:4 ┃
┃絶対王政と ┃ ┃交換様式Cと力 ┃交換様式Dと力 ┃
┃ 宗教改革 ┃ ┃ :①~⑦ ┃:①~⑨ ⑥イエス
┃ ④ヴェーバー ┃ ┃①モース③帝国 ┃⑦ソクラテス⑧孔子
┃ ④信用主義 ┃ ┃⑦世界/普遍宗教┃⑨ブッダ ┃
┣━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━┫
┃3:2:①~⑦ ┃3:1:①~⑦ ┃4:2:①~⑤ ┃4:1:①~⑨ ┃
┃資本= ┃ 経済学批判 ┃社会主義の科学二┃社会主義の科学一┃
┃ネーション=国家┃①幽霊④信用主義┃ ┃ ①エンゲルス ┃
┃ ②カント ┃ ⑤マルクス ┃ ①エンゲルス ┃ ⑥ザスーリチ ┃
┃ ⑦プルードン ┃ ⑤ホッブズ ┃②ドイツ農民戦争┃ ⑥~⑨マルクス┃
┣━━━3 資本主義の科学━━━━━╋━━━4 社会主義の科学━━━━━┫
┃3:3:①~⑦ ┃ ┃4:3:①~⑨ ┃~予備的考察~ ┃①力
┃資本主義の終わり┃ ┃社会主義の科学三┃力とは何か1:0┃ 交換
┃ ⑤ピケティ ┃ ②カウツキー③ブロッホ┃ :①~⑥ ③スミス
┃ ⑥マルクス ┃ ┃③キルケゴール ┃ ③ダーウィン┃
┃ ⑥エンゲルス ┃ ┃④ベンヤミン ┃~序論~0:①~⑨
┗━━━━━━━━┻━━━━━━━━┻━━━━━━━━┻ ③交換様式⑧科学┛
⑨環境
信用主義244@,271@
2:3:4
重金主義は本質的にカソリック的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。……しかし、プロテスタント教がカソリック教の基礎から解放されていないように、信用主義も重金主義の基礎からは解放されていない。
(第三巻第五篇第二五章、鈴木ほか訳、「世界の名著」44、中央公論社、一九七四年)
244頁
3:1:4
《重金主義は本質的にカソリック的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。…しかし、プロテスタント教がカソリック教の基礎から解放されていないように、信用主義も重金主義の基礎からは解放されていない》。271頁
856 考える名無しさん[] 2022/10/14(金) 13:41:52.41 ID:0
『力と交換様式』 第3部第1章 経済学批判 270ページ
あらためていうと、物神(フェティシュ)とは、
人と人の交換において生じる、霊的な「力」である。
実は、マルクスは、『資本論』第一巻でそれについて述べた後、
物神という言葉を二度と使わなかった。
しかし、事実上、さまざまなかたちで、霊的な「力」を見ようとしたのである。
たとえば、彼はそれを「信用」に見いだした。
信用とは、契約・取引と決済との間に時間的乖離があるときに不可欠となる、
当事者間の信頼である。だが、それはたんなる信頼ではなく、
人を強いる観念的な力であり、その意味で物神的である。
信用という場合、人々はそれを物神だと思わない。
金銀を崇め求めるなら、物神崇拝と見えるだろうが、
銀行券や電子マネーとなれば、そうは見えないというのと同様である。
しかし、マルクスによれば、信用主義は、「商品の内在的精霊としての貨幣価値にたいする信仰」(『資本論』第三巻第五篇第三五章、『全集』第25b巻)にほかならない。
ゆえに「信用」は、「物神」(商品の内在的精霊 holy ghost)の否定ではなくて、
その変形にすぎない。そして、マルクスはいう。
《重金主義は本質的にカソリック的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。…しかし、プロテスタント教がカソリック教の基礎から解放されていないように、信用主義も重金主義の基礎からは解放されていない》。
信用という場合、人々はそれを物神だとは思わない。金銀を崇め求めるなら、物神崇拝と見えるだ
ろうが、銀行券や電子マネーとなれば、そうは見えないというのと同様である。しかし、マルクスに
よれば、信用主義は、「商品の内在的精霊としての貨幣価値にたいする信仰」(『資本論』 第三巻第五篇第
三五章、『全集』第25b巻) にほかならない。ゆえに「信用」は、「物神」(商品の内在的精霊 holy ghost)
の否定ではなくて、その変形にすぎない。そして、マルクスはいう。《重金主義は本質的にカソリッ
ク的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。 ......しかし、プロテスタント教がカソリ
ク教の基礎から解放されていないように、信用主義も重金主義の基礎からは解放されていない》。
このような観点から見ると、ヴェーバーが「資本主義の精神」をプロテスタンティズムに見出した
ことも、違った意味をもつ。 彼が産業資本主義の初期に見出した宗教的問題とは、重金主義から信用
主義への転換にほかならないのだ。重金主義には、金という金属を尊重する点で、物神崇拝が顕著で
あるが、信用主義以後は、それが消えた。その意味で、物神から解放されたように見えるが、そうで
はない。逆に、物神崇拝が一般化するのは、むしろその後である。それまでは、物神性は重視される
と同時に軽蔑の対象でもあった。たとえば、シェークスピアの『ヴェニスの商人』 において、金貸の
ユダヤ人、シャイロックが不当に蔑視されたように。
270~1頁
信用貨幣論とマルクス
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/12/blog-post_17.html
岩波文庫7
《重金主義(モネタルジュステム)は本質的にカトリック的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。「スコットランド人は金を嫌う The Scotch hate gold.」。紙券としては、諸商品が貨幣として存在することは、一つの単に社会的な存在(ダーザイン)である。聖列に加わらしめるものは、信仰である。商品の内在的霊魂としての貨幣価値にたいする信仰、生産様式とその予定秩序とにたいする信仰、自己自身を価値増殖する資本の単なる人格化としての、個々の生産担当者にたいする信仰。しかし、プロテスタント教がカトリック教の基礎から解放されないように、信用主義は、重金主義の基礎から解放されない。》
『資本論』第三巻第五篇第三五章「貴金属と為替相場」
宇野、熊野が引用した部分。
マルクスが引用文の前で述べたインドの金保有量はケインズが研究したものでもある。
スピノザ、ケインズ、マルクス
《重金主義(モネタールジステール)は本質的に旧教的であって、信用主義(クレディットジステール)は本質的に新教的である。「スコットランド人は金貨をきらう。」(The Scotch hate gold.)紙幣としては、諸商品の貨幣定在はただ社会的な定在である。救済するものは信仰である。
諸商品の内在的精霊としての貨幣価値を信仰すること、生産様式とその予定秩序とを信仰すること、自己じしんを増殖する資本の単なる人格化としての、生産の個々の代理者を信仰すること。だが、新教が旧教の基礎から解放されていないように、信用主義は重金主義の基礎から解放されていない。》
マルクス『資本論』3-35-2河出書房新社世界の大思想
Das Monetarsystem ist wesentlich katholisch, das Kreditsystem wesentlich
protestantisch. "The Scotch hate gold." <"Die Schotten hassen Gold."> Als
Papier hat das Gelddasein der Waren ein nur gesellschaftliches Dasein. Es ist der
Glaube, der selig macht. Der Glaube in den Geldwert als immanenten Geist der
Waren, der Glaube in die Produktionsweise und ihre pradestinierte Ordnung, der
Glaube in die einzelnen Agenten der Produktion als blose Personifikationen des
sich selbst verwertenden Kapitals. So wenig aber der Protestantismus von den
Grundlagen des Katholizismus sich emanzipiert, so wenig das Kreditsystem von
der Basis des Monetarsystems.
3:2:6
《 6 資本の自己増殖を可能にする絶え間ない「差異化」
あらためていうが、“マルクス主義”では、交換様式ではなく、生産様式(生産力と生産関係)が重視されてきた。また、産業資本の変化に関して鈍感であった。たとえば、生産といえば、工場労働のようなものが思い浮かべしれたのである。ゆえに、そのような見方に対して、 一九六〇年代以後、資本制生産における大きな変化が注目された。一言でいえば、それは「生産からサービスヘの移行」である。ダニエル・ベルはそれを「ポスト工業時代」と名づけた。それ以前は一般に、サービスは家事のような仕事であり、生産は製造のような仕事だと考えられてきた。ところが、産業資本主義の進展の中で、もはやそのような区別が成り立たない事態が生じた。それが、「生産からサービスヘ」という変化として注目されたわけである。その意味で、ポスト工業主義は、ポストマルクス主義を合意するものであった。
確かに、このような事態は、一九世紀中期の産業資本を考察した『資本論』には存在しないように見える。しかし、その点に関して、マルクスはこう述べていた。《ここで産業というのは、資本主義的に経営されるどの生産部門をも含めた意味である》『資本論』第二巻第一篇第二章、鈴木ほか訳)。つまり、彼が産業資本と呼ぶもの、あるいは、「生産部門」と呼ぶものは、製造業に限定されるものではなかった。たとえば、一般に、運輸業は、新たな生産物をつくり出すのではなく、人と物を移転させるサービスであると見なされる。アダム・スミスもそう考えていた。
しかし、マルクスはいう。《だが運輸業の売るものは場所の変更そのものなのである。生みだされる効果は運輸過程、つまり運輸業の生産過程と不可分に結びついている。人と商品は運輸手段とともに旅をするのであって、運輸手段の旅、その場所的運動こそは、運輸手段によっておこなわれる生産過程なのである》(『資本論』第二巻第一篇第二章、鈴木ほか訳)。つまり、産業資本の下では、狭義の生産だけでなく、運輸のような「場所の変更」、つまり、差異化が、価値を生産するものとして重要なのだ。》
3:2:7
《 7 新古典派の「科学」
ここで、もう一つ、マルクスが『資本論』に専念していたのと同時期に、経済学において生じた大きな変化について述べておこう。それはスミスらの古典派経済学に対して、 新古典派が出現したことである。その代表者の一人が、スイスの経済学者レオン・ワルラス(一八三四―一九一〇)である。今日では、彼は、近代経済学、つまり、新古典派経済学の祖として知られている。 しかし、彼は、経済学者であり、また、土地国有化論を唱えた社会主義者の父、オーギュスト・ワルラスから大きな影響を受けていた。そして、彼自身も、社会主義者として考え活動したのである。
たとえば、マルクスが『資本論』に取り組んでいたとき、ワルラスは『経済学と正義、プルードンの経済学説の批判的検討と反論』(一八六〇年)を書いていた。つまり、彼がプルードンを意識していたことは明らかだが、マルクスの「経済学批判」については何も知らなかったようである。のちにワルラスは『社会経済学研究』(一八九六年)において、マルクスの古典派経済学にもとづく労働価値論を批判した。そのとき彼は、マルクスが古典派と違って、商品の価値を「交換」から見る観点をもっていたことに注意を払わなかった。
ワルラスは古典派経済学に対して、生産ではなく、効用と交換を重視した。 確かに、経済学に「科学」の装いを与えるのは、そのような認識である。その結果、効用を数学的に処理すれば、科学的だと見なされるようになった。こうして、ワルラスの理論は、そこにあった「社会主義」を切り捨てて評価され、新古典派の始祖と見なされるにいたったのである。しかし、一般にそう思われているのとは違って、効用と交換に注目したのは、ワルラスだけではない。同時期にマルクスもそうしたのだ。
実際、『資本論』において、マルクスが注目したのは、生産ではなく、「効用と交換」から来る問題であった。すなわち、 使用価値と交換価値である。ただ、そのとき、 彼は、後者において生じる「力」、つまり、物神を見ようとした。しかし、エンゲルスをふくめて、マルクス主義者はそのことに気づかなかったのである。たとえば、彼らは、マルクスが資本による剰余価値の搾取を発見したと考えた。しかし、それはすでにリカード左派が唱えていたことである。『資本論』におけるマルクスの創見は、そこにはない。それは何よりも、交換から生じる“力”を見出したことにある。経済学を真に「科学」にするのは、そのような認識である。
しかし、物神などを論じるのは、非科学的だと思われた。爾来、経済学において支配的になったのは、効用を数学的に処理することが科学的だという見方の方である。そこから見ると、『資本論』の経済学は十分に科学的でないということになる。たとえば、「計画経済」を進めたソ連邦では、古典派経済学にもとづくように見える 『資本論』は、事実上無視された。 マルクス主義経済学者オスカル・ランゲの『社会主義の経済理論』(一九三六年)が示すように、むしろ新古典派の数理経済学が活用されたのである。》299~300頁
書評:
《そこで私は、最後に、一言いっておきたい。今後に、戦争と恐慌、
つまり、BとCが必然的にもたらす危機が幾度も生じる。しかし、
それゆえにこそ、“Aの高次元での回復″としてのDが必ず到来する、と。》369頁
┏━━━━━━━┳━━━━━━━┓
┃ ┃ ┃
┃ 国家B ┃ 国民A ┃
┃ ┃ ┃
┣━━━━━━━╋━━━┳━━━┫
┃ ┃ b ┃ a ┃
┃ 資本C ┣━━━╋━┳━┫
┃ ┃ c ┣━╋━┫
┗━━━━━━━┻━━━┻━┻━x
テンニースなどの説とは別に、
CからDが、BからDが到来するかもしれない。
無論資本主義は死に至る病だがその分析がDをもたらすかもしれないし、
Bにも同じことが言えるかも知れない。
Dは視覚的には右半分を読者に委ねる円である。
芸術家はDから、xというモデルを作るところから始める。
マルクスは唯物論一本槍で論敵を論破してきたから幽霊論、物神論はそのバランスを取るためにデリダや柄谷など後継者に必要になった。
資本主義下での物神と単なるフェティシズムを分けることが主観だが、結果的に唯物論と観念論のアンチノミーが維持され、物神は歴史的に定位される。
《『資本論』第三巻で考察される「信用」は、まさに霊的な力の問題である。》398頁
ただ物神が信用の問題というのは言葉が足らない。信用を経済的に定位するバランスシートこそが物神化を防ぎ、有効需要を可能にする。
マルクスのアドルフ・ワグナー批判などは唯物論が財政学理解を妨げていることを如実に示していた。これらは国家の信用の問題だ。
信用は幽霊ではない。
複式簿記はマクベスの魔女のようなものであり、ハムレットの幽霊とは違う。
固有名と固有名、マテリアルな(唯物論は唯心論に反転し得るが)言語ゲーム、開かれた共同主観性はアンチノミーの維持であり、アソシエーションと呼び得る。
《『マクベス』だと、二人で魔女の予言を聞く。バンクォーとマクベスが二人で聞く。》
「文学の〈外部〉」『柄谷行人対話篇2』より
以下の『資本論』からの信用主義についての引用が重要だ。2:3:4(244頁),3:1:4(271頁)
これらは熊野純彦が宇野弘蔵経由で論点にしていた。
《重金主義は本質的にカソリック的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。……しかし、プロテスタント教がカソリック教の基礎から解放されていないように、信用主義も重金主義の基礎からは解放されていない。》
(マルクス『資本論』第三巻第五篇第二五章、鈴木ほか訳、「世界の名著」44、中央公論社、一九七四年)
マルクスは信用主義がアルカイックなものであることを理解していない。
それは贈与から交換が生まれたことを理解していないのと同じだ。
マルクスではなくプルードンが信用の問題を理解していた。交換銀行の3つの形態(脱国家、原資付、用国家)こそが新たな戦いに示唆を与える。
(ヴェーバー、マルクスではなく、ジンメルやゾンバルトが参照されるべきだ。
ゾンバルトの視点から『ヴェニスの商人』などは、信用経済の歴史の中で、「新しい」事例として評価され得る。)
以下の認識はマルクス主義から出てこない。
参考:
ジンメル『貨幣の哲学』(1999^1900)
ゾンバルト再考
(プルードン、デューリングのユダヤ研究をゾンバルトが受け継いだと見ることが出来る。)
https://www.iwanami.co.jp/book/b612116.html序論 1 上部構造の観念的な「力」 2 「力」に敗れたマルクス主義 3 交換様式から来る「力」 4 資本制経済の中の「精神」の活動 5 交換の「力」とフェティッシュ(物神) 6 交換の起源 7 フェティシズムと偶像崇拝 8 エンゲルスの『ドイツ農民戦争』と社会主義の科学 9 交換と「交通」第一部 交換から来る「力」 予備的考察 力とは何か 1 見知らぬ者同士の交換 2 自然の遠隔的な「力」 3 「見えざる手」と進化論 4 貨幣の「力」 5 定住化と交換の問題 6 共同体の拡大と交換様式
第一章 交換様式Aと力
1 贈与の力
2 モースの視点
3 原始的な遊動民と定住化
4 トーテミズムと交換
5 後期フロイト
6 共同体の超自我
7 反復強迫的な「力」
第二章 交換様式Bと力
1 ホッブズの契約
2 商品たちの「社会契約」
3 首長制社会
4 原始社会の段階と交換様式
5 首長が王となる時
6 カリスマ的支配
7 歴史の「自然実験」
8 臣民と官僚制
9 国家をもたらす「力」
第三章 交換様式Cと力
1 貨幣と国家
2 遠隔地交易
3 帝国の「力」
4 帝国の法
5 世界帝国と超越的な神
6 交換様式と神観念
7 世界宗教と普遍宗教
第四章 交換様式Dと力
1 原遊動性への回帰
2 普遍宗教的な運動と預言者
3 ゾロアスター
4 モーセ
5 イスラエルの預言者
6 イエス
7 ソクラテス
8 中国の諸子百家
9 ブッダ
第二部 世界史の構造と「力」
第一章 ギリシア・ローマ(古典古代)
1 ギリシア芸術の模範性と回帰する「力」
2 亜周辺のギリシアの“未開性”
3 ギリシアの「氏族社会の民主主義」
4 キリスト教の国教化と『神の国』
5 悲惨な歴史過程の末の到来
第二章 封建制(ゲルマン)
1 アジア的なあるいは古典古代的な共同体との違い
2 ゲルマン社会の特性
3 ゲルマン社会における都市
4 修道院
5 宗教改革
第三章 絶対王政と宗教改革
1 王と都市(ブルジョア)との結託
2 「王の奇蹟」
3 臣民としての共同性
4 近代資本主義(産業資本主義)
5 常備軍と産業労働者の規律
6 国家の監視
7 新都市
第三部 資本主義の科学
第一章 経済学批判
1 貨幣や資本という「幽霊」
2 一八四八年革命と皇帝の下での「社会主義」
3 「物神の現象学」としての『資本論』
4 交換に由来する「力」
5 マルクスとホッブズ
6 株式会社
7 イギリスのヘゲモニー
第二章 資本=ネーション=国家
1 容易に死滅しない国家
2 カントの「平和連合」
3 自然の「隠微な計画」
4 帝国主義戦争とネーション
5 交換様式から見た資本主義
6 資本の自己増殖を可能にする絶え間ない「差異化」
7 新古典派の「科学」
第三章 資本主義の終わり
1 革命運動とマルクス主義
2 十月革命の帰結
3 二〇世紀の世界資本主義
4 新自由主義という名の「新帝国主義」
5 ポスト資本主義、ポスト社会主義論
6 晩年のマルクスとエンゲルスの仕事
7 環境危機と「交通」における「力」
第四部 社会主義の科学
第一章 社会主義の科学1
1 資本主義の科学
2 『ユートピア』とプロレタリアの問題
3 羊と貨幣
4 共同所有
5 「科学的社会主義」の終わり
6 ザスーリチへの返事
7 「一国」革命
8 氏族社会における諸個人の自由
9 私的所有と個人的所有
第二章 社会主義の科学2
1 エンゲルス再考
2 一八四八年革命挫折後の『ドイツ農民戦争』
3 一五二五年の「階級闘争」
4 原始キリスト教に関する研究
5 共産主義を交換様式から見る
第三章 社会主義の科学3
1 物神化と物象化
2 カウツキーとブロッホ
3 ブロッホの「希望」とキルケゴールの「反復」
4 ベンヤミンの「神的暴力」
5 無意識と未意識
6 アルカイックな社会の“高次元での回復”
7 交換様式Dという問題
8 交換様式Aに依拠する対抗運動の限界
9 危機におけるDの到来
注
あとがき
┏━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━┓
┃2:2:①~⑤ ┃2:1:①~⑤ ┃ 1:2 ┃ 1:1 ┃
┃封建制 ┃ギリシア・ローマ┃ :①~⑨ ┃ :①~⑦ ┃
┃ (ゲルマン) ┃(古典古代) ┃交換様式Bと力 ┃交換様式Aと力 ┃
┃ ①アジア的 ┃ ②亜周辺 ┃ ①ホッブズ ┃②モース ┃
┃ ⑤宗教改革 ┃ ④「神の国」┃ ⑧官僚制 ┃⑤フロイト ┃
┣━━2 世界史の構造と「力」━━━╋━━1 交換から来る「力」━━━━┫
┃2:3:①~⑦ ┃ ┃ 1:3 ┃ 1:4 ┃
┃絶対王政と ┃ ┃交換様式Cと力 ┃交換様式Dと力 ┃
┃ 宗教改革 ┃ ┃ :①~⑦ ┃:①~⑨ ⑥イエス
┃ ④ヴェーバー ┃ ┃①モース③帝国 ┃⑦ソクラテス⑧孔子
┃ ④信用主義 ┃ ┃⑦世界/普遍宗教┃⑨ブッダ ┃
┣━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━┫
┃3:2:①~⑦ ┃3:1:①~⑦ ┃4:2:①~⑤ ┃4:1:①~⑨ ┃
┃資本= ┃ 経済学批判 ┃社会主義の科学二┃社会主義の科学一┃
┃ネーション=国家┃①幽霊④信用主義┃ ┃ ┃
┃ ②カント ┃ ⑤マルクス ┃ ①エンゲルス ┃ ⑥ザスーリチ ┃
┃ ⑦プルードン ┃ ⑤ホッブズ ┃ ┃ ┃
┣━━━3 資本主義の科学━━━━━╋━━━4 社会主義の科学━━━━━┫
┃3:3:①~⑦ ┃ ┃4:3:①~⑨ ┃ 序論0:①~⑨┃
┃資本主義の終わり┃ ┃社会主義の科学三┃③交換様式⑨環境┃
┃ ⑤ピケティ ┃ ②カウツキー③ブロッホ┃~予備的考察~ ┃
┃ ⑥マルクス ┃ ┃③キルケゴール ┃力とは何か1:0┃
┃ ⑥エンゲルス ┃ ┃④ベンヤミン ┃:①~⑥ ③スミス
┗━━━━━━━━┻━━━━━━━━┻━━━━━━━━┻━━③ダーウィン┛
序論0:1~9
┏━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━1:━━━┓
┃2:2:1~5┃2:1:1~5┃ 1:2 ┃予備的考察 ┃
┃封建制 ┃ギリシア・ローマ :1~9 ┃ 力とは何か:0:1~6
┃ (ゲルマン)┃(古典古代) ┃交換様式Bと力┃交換様式Aと力:1:1~7
┃ 1アジア的 ┃ 2亜周辺 ┃1ホッブズ8官僚制 2モース5フロイト
┣━2 世界史の構造と「力」━━╋━1 交換から来る「力」━━━┫
┃2:3:1~7┃ ┃ 1:3 ┃ 1:4 ┃
┃絶対王政と ┃ ┃交換様式Cと力┃交換様式Dと力┃
┃ 宗教改革┃ ┃ :1~7 ┃ :1~9 ┃
┃ 4ヴェーバー┃ ┃3456帝国 ┃6イエス,9ブッダ
┣━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃3:2:1~7┃3:1:1~7┃4:2:1~5┃4:1:1~9┃
┃資本= ┃ 経済学批判 ┃社会主義の科学┃社会主義の科学┃
┃ネーション=国家 4信用主義┃ 二┃ 一┃
┃ 7ワルラス┃ 5ホッブズ┃1エンゲルス ┃6ザスーリチ ┃
┣━━3 資本主義の科学━━━━╋━━4 社会主義の科学━━━━┫
┃3:3:1~7┃ ┃4:3:1~9┃ ┃
┃資本主義の ┃ ┃社会主義の科学┃ ┃
┃ 終わり┃ ┃ 三┃ ┃
┃ 5ピケティ ┃ ┃2,3ブロッホ┃ ┃
┗━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┛
…芸術家はDから、xというモデルを作るところから始める。
┏━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┓
┃2:2:1~5┃2:1:1~5┃ 1:2 ┃ 1:1 ┃
┃封建制 ┃ギリシア・ローマ :1~9 ┃ :1~7 ┃
┃ (ゲルマン)┃(古典古代) ┃交換様式Bと力┃交換様式Aと力┃
┃ 1アジア的 ┃ 2亜周辺 ┃1ホッブズ8官僚制 2モース5フロイト
┣━2 世界史の構造と「力」━━╋━1 交換から来る「力」━━━┫
┃2:3:1~7┃ ┃ 1:3 ┃ 1:4 ┃
┃絶対王政と ┃ ┃交換様式Cと力┃交換様式Dと力┃
┃ 宗教改革┃ ┃ :1~7 ┃ :1~9 ┃
┃ 4ヴェーバー┃ ┃1モース3帝国┃6イエス9ブッダ
┣━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃3:2:1~7┃3:1:1~7┃4:2:1~5┃4:1:1~9┃
┃資本= ┃ 経済学批判 ┃社会主義の科学┃社会主義の科学┃
┃ネーション=国家 4信用主義┃ 二┃ 一┃
┃ 7プルードン┃ 5ホッブズ┃ 1エンゲルス┃ 6ザスーリチ┃
┣━━3 資本主義の科学━━━━╋━━4 社会主義の科学━━━━┫
┃3:3:1~7┃ ┃4:3:1~9┃序論0:1~9┃3
┃資本主義の ┃ ┃社会主義の科学┃ 1フロイト┃交換様式
┃ 終わり┃ ┃ 三┃予備的考察 ┃
┃ 5ピケティ ┃ ┃2,3ブロッホ┃力とは何か1:0:1~6
┗━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┛
┏━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━┓
┃2:2:①~⑤ ┃2:1:①~⑤ ┃ 1:2 ┃ 1:1 ┃
┃封建制 ┃ギリシア・ローマ┃ :①~⑨ ┃ :①~⑦ ┃
┃ (ゲルマン) ┃(古典古代) ┃交換様式Bと力 ┃交換様式Aと力 ┃
┃ ①アジア的 ┃ ②亜周辺 ┃ ①ホッブズ ┃②モース ┃
┃ ⑤宗教改革 ┃ ④「神の国」┃ ⑧官僚制 ┃⑤フロイト ┃
┣━━2 世界史の構造と「力」━━━╋━━1 交換から来る「力」━━━━┫
┃2:3:①~⑦ ┃ ┃ 1:3 ┃ 1:4 ┃
┃絶対王政と ┃ ┃交換様式Cと力 ┃交換様式Dと力 ┃
┃ 宗教改革 ┃ ┃ :①~⑦ ┃:①~⑨ ⑥イエス
┃ ④ヴェーバー ┃ ┃①モース③帝国 ┃⑦ソクラテス⑧孔子
┃ ④信用主義 ┃ ┃⑦世界/普遍宗教┃⑨ブッダ ┃
┣━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━┫
┃3:2:①~⑦ ┃3:1:①~⑦ ┃4:2:①~⑤ ┃4:1:①~⑨ ┃
┃資本= ┃ 経済学批判 ┃社会主義の科学二┃社会主義の科学一┃
┃ネーション=国家┃①幽霊④信用主義┃ ┃ ①マルクス ┃
┃ ②カント ┃ ⑤マルクス ┃ ①エンゲルス ┃ ⑥ザスーリチ ┃
┃ ⑦プルードン ┃ ⑤ホッブズ ┃ ┃ ┃
┣━━━3 資本主義の科学━━━━━╋━━━4 社会主義の科学━━━━━┫
┃3:3:①~⑦ ┃ ┃4:3:①~⑨ ┃~予備的考察~ ┃①力
┃資本主義の終わり┃ ┃社会主義の科学三┃力とは何か1:0┃
┃ ⑤ピケティ ┃ ②カウツキー③ブロッホ┃ :①~⑥ ③スミス
┃ ⑥マルクス ┃ ┃③キルケゴール ┃ ③ダーウィン┃
┃ ⑥エンゲルス ┃ ┃④ベンヤミン ┃~序論~0:①~⑨
┗━━━━━━━━┻━━━━━━━━┻━━━━━━━━┻ ③交換様式⑧科学┛
⑨環境
第二章 封建制(ゲルマン) 1 アジア的なあるいは古典古代的な共同体との違い 2 ゲルマン社会の特性 3 ゲルマン社会における都市 4 修道院 5 宗教改革 |
第二部 世界史の構造と「力」 第一章 ギリシア・ローマ(古典古代) 1 ギリシア芸術の模範性と回帰する「力」 2 亜周辺のギリシアの“未開性” 3 ギリシアの「氏族社会の民主主義」 4 キリスト教の国教化と『神の国』 5 悲惨な歴史過程の末の到来
|
第二章 交換様式Bと力 1 ホッブズの契約 2 商品たちの「社会契約」 3 首長制社会 4 原始社会の段階と交換様式 5 首長が王となる時 6 カリスマ的支配 7 歴史の「自然実験」 8 臣民と官僚制 9 国家をもたらす「力」 | 第一部 交換から来る「力」
予備的考察 力とは何か 1 見知らぬ者同士の交換 2 自然の遠隔的な「力」 3 「見えざる手」と進化論 4 貨幣の「力」 5 定住化と交換の問題 6 共同体の拡大と交換様式
第一章 交換様式Aと力 1 贈与の力 2 モースの視点 3 原始的な遊動民と定住化 4 トーテミズムと交換 5 後期フロイト 6 共同体の超自我 7 反復強迫的な「力」
|
第三章 絶対王政と宗教改革 1 王と都市(ブルジョア)との結託 2 「王の奇蹟」 3 臣民としての共同性 4 近代資本主義(産業資本主義) 5 常備軍と産業労働者の規律 6 国家の監視 7 新都市
|
| 第三章 交換様式Cと力 1 貨幣と国家 2 遠隔地交易 3 帝国の「力」 4 帝国の法 5 世界帝国と超越的な神 6 交換様式と神観念 7 世界宗教と普遍宗教
| 第四章 交換様式Dと力 1 原遊動性への回帰 2 普遍宗教的な運動と預言者 3 ゾロアスター 4 モーセ 5 イスラエルの預言者 6 イエス 7 ソクラテス 8 中国の諸子百家 9 ブッダ
|
第二章 資本=ネーション=国家 1 容易に死滅しない国家 2 カントの「平和連合」 3 自然の「隠微な計画」 4 帝国主義戦争とネーション 5 交換様式から見た資本主義 6 資本の自己増殖を可能にする絶え間ない「差異化」 7 新古典派の「科学」 | 第三部 資本主義の科学
第一章 経済学批判 1 貨幣や資本という「幽霊」 2 一八四八年革命と皇帝の下での「社会主義」 3 「物神の現象学」としての『資本論』 4 交換に由来する「力」 5 マルクスとホッブズ 6 株式会社 7 イギリスのヘゲモニー
|
第二章 社会主義の科学2 1 エンゲルス再考 2 一八四八年革命挫折後の『ドイツ農民戦争』 3 一五二五年の「階級闘争」 4 原始キリスト教に関する研究 5 共産主義を交換様式から見る | 第四部 社会主義の科学
第一章 社会主義の科学1 1 資本主義の科学 2 『ユートピア』とプロレタリアの問題 3 羊と貨幣 4 共同所有 5 「科学的社会主義」の終わり 6 ザスーリチへの返事 7 「一国」革命 8 氏族社会における諸個人の自由 9 私的所有と個人的所有
|
第三章 資本主義の終わり 1 革命運動とマルクス主義 2 十月革命の帰結 3 二〇世紀の世界資本主義 4 新自由主義という名の「新帝国主義」 5 ポスト資本主義、ポスト社会主義論 6 晩年のマルクスとエンゲルスの仕事 7 環境危機と「交通」における「力」
|
| 第三章 社会主義の科学3 1 物神化と物象化 2 カウツキーとブロッホ 3 ブロッホの「希望」とキルケゴールの「反復」 4 ベンヤミンの「神的暴力」 5 無意識と未意識 6 アルカイックな社会の“高次元での回復” 7 交換様式Dという問題 8 交換様式Aに依拠する対抗運動の限界 9 危機におけるDの到来
|
注 あとがき 序論 1 上部構造の観念的な「力」 2 「力」に敗れたマルクス主義 3 交換様式から来る「力」 4 資本制経済の中の「精神」の活動 5 交換の「力」とフェティッシュ(物神) 6 交換の起源 7 フェティシズムと偶像崇拝 8 エンゲルスの『ドイツ農民戦争』と社会主義の科学 9 交換と「交通」
|
序論
1 上部構造の観念的な「力」
2 「力」に敗れたマルクス主義
3 交換様式から来る「力」
4 資本制経済の中の「精神」の活動
5 交換の「力」とフェティッシュ(物神)
6 交換の起源
7 フェティシズムと偶像崇拝
8 エンゲルスの『ドイツ農民戦争』と社会主義の科学
9 交換と「交通」
第一部 交換から来る「力」
予備的考察 力とは何か
1 見知らぬ者同士の交換
2 自然の遠隔的な「力」
3 「見えざる手」と進化論
4 貨幣の「力」
5 定住化と交換の問題
6 共同体の拡大と交換様式
第一章 交換様式Aと力
1 贈与の力
2 モースの視点
3 原始的な遊動民と定住化
4 トーテミズムと交換
5 後期フロイト
6 共同体の超自我
7 反復強迫的な「力」
第二章 交換様式Bと力
1 ホッブズの契約
2 商品たちの「社会契約」
3 首長制社会
4 原始社会の段階と交換様式
5 首長が王となる時
6 カリスマ的支配
7 歴史の「自然実験」
8 臣民と官僚制
9 国家をもたらす「力」
第三章 交換様式Cと力
1 貨幣と国家
2 遠隔地交易
3 帝国の「力」
4 帝国の法
5 世界帝国と超越的な神
6 交換様式と神観念
7 世界宗教と普遍宗教
第四章 交換様式Dと力
1 原遊動性への回帰
2 普遍宗教的な運動と預言者
3 ゾロアスター
4 モーセ
5 イスラエルの預言者
6 イエス
7 ソクラテス
8 中国の諸子百家
9 ブッダ
第二部 世界史の構造と「力」
第一章 ギリシア・ローマ(古典古代)
1 ギリシア芸術の模範性と回帰する「力」
2 亜周辺のギリシアの“未開性”
3 ギリシアの「氏族社会の民主主義」
4 キリスト教の国教化と『神の国』
5 悲惨な歴史過程の末の到来
第二章 封建制(ゲルマン)
1 アジア的なあるいは古典古代的な共同体との違い
2 ゲルマン社会の特性
3 ゲルマン社会における都市
4 修道院
5 宗教改革
第三章 絶対王政と宗教改革
1 王と都市(ブルジョア)との結託
2 「王の奇蹟」
3 臣民としての共同性
4 近代資本主義(産業資本主義)
5 常備軍と産業労働者の規律
6 国家の監視
7 新都市
第三部 資本主義の科学
第一章 経済学批判
1 貨幣や資本という「幽霊」
2 一八四八年革命と皇帝の下での「社会主義」
3 「物神の現象学」としての『資本論』
4 交換に由来する「力」
5 マルクスとホッブズ
6 株式会社
7 イギリスのヘゲモニー
第二章 資本=ネーション=国家
1 容易に死滅しない国家
2 カントの「平和連合」
3 自然の「隠微な計画」
4 帝国主義戦争とネーション
5 交換様式から見た資本主義
6 資本の自己増殖を可能にする絶え間ない「差異化」
7 新古典派の「科学」
第三章 資本主義の終わり
1 革命運動とマルクス主義
2 十月革命の帰結
3 二〇世紀の世界資本主義
4 新自由主義という名の「新帝国主義」
5 ポスト資本主義、ポスト社会主義論
6 晩年のマルクスとエンゲルスの仕事
7 環境危機と「交通」における「力」
第四部 社会主義の科学
第一章 社会主義の科学1
1 資本主義の科学
2 『ユートピア』とプロレタリアの問題
3 羊と貨幣
4 共同所有
5 「科学的社会主義」の終わり
6 ザスーリチへの返事
7 「一国」革命
8 氏族社会における諸個人の自由
9 私的所有と個人的所有
第二章 社会主義の科学2
1 エンゲルス再考
2 一八四八年革命挫折後の『ドイツ農民戦争』
3 一五二五年の「階級闘争」
4 原始キリスト教に関する研究
5 共産主義を交換様式から見る
第三章 社会主義の科学3
1 物神化と物象化
2 カウツキーとブロッホ
3 ブロッホの「希望」とキルケゴールの「反復」
4 ベンヤミンの「神的暴力」
5 無意識と未意識
6 アルカイックな社会の“高次元での回復”
7 交換様式Dという問題
8 交換様式Aに依拠する対抗運動の限界
9 危機におけるDの到来
注
あとがき
~~~~~~
序論
1 上部構造の観念的な「力」
2 「力」に敗れたマルクス主義
50:
デカルト、ニュートン、コペルニクス、エルンスト・マッハ、ガリレオ
3 交換様式から来る「力」
4 資本制経済の中の「精神」の活動
5 交換の「力」とフェティッシュ(物神)
6 交換の起源
7 フェティシズムと偶像崇拝
8 エンゲルスの『ドイツ農民戦争』と社会主義の科学
9 交換と「交通」
第一部 交換から来る「力」
予備的考察 力とは何か1 見知らぬ者同士の交換2 自然の遠隔的な「力」3 「見えざる手」と進化論4 貨幣の「力」5 定住化と交換の問題6 共同体の拡大と交換様式
第二章 交換様式Bと力 1 ホッブズの契約 2 商品たちの「社会契約」 3 首長制社会 4 原始社会の段階と交換様式 5 首長が王となる時 6 カリスマ的支配 7 歴史の「自然実験」 8 臣民と官僚制 9 国家をもたらす「力」 | 第一部 交換から来る「力」
予備的考察 力とは何か 1 見知らぬ者同士の交換 2 自然の遠隔的な「力」 3 「見えざる手」と進化論 4 貨幣の「力」 5 定住化と交換の問題 6 共同体の拡大と交換様式
第一章 交換様式Aと力 1 贈与の力 2 モースの視点 3 原始的な遊動民と定住化 4 トーテミズムと交換 5 後期フロイト 6 共同体の超自我 7 反復強迫的な「力」 |
第三章 交換様式Cと力 1 貨幣と国家 2 遠隔地交易 3 帝国の「力」 4 帝国の法 5 世界帝国と超越的な神 6 交換様式と神観念 7 世界宗教と普遍宗教 | 第四章 交換様式Dと力 1 原遊動性への回帰 2 普遍宗教的な運動と預言者 3 ゾロアスター 4 モーセ 5 イスラエルの預言者 6 イエス 7 ソクラテス 8 中国の諸子百家 9 ブッダ |
第一章 交換様式Aと力1 贈与の力2 モースの視点3 原始的な遊動民と定住化4 トーテミズムと交換5 後期フロイト6 共同体の超自我7 反復強迫的な「力」
第二章 交換様式Bと力1 ホッブズの契約2 商品たちの「社会契約」3 首長制社会4 原始社会の段階と交換様式5 首長が王となる時6 カリスマ的支配7 歴史の「自然実験」8 臣民と官僚制9 国家をもたらす「力」
第三章 交換様式Cと力1 貨幣と国家2 遠隔地交易3 帝国の「力」4 帝国の法 5 世界帝国と超越的な神6 交換様式と神観念7 世界宗教と普遍宗教
第四章 交換様式Dと力1 原遊動性への回帰2 普遍宗教的な運動と預言者3 ゾロアスター4 モーセ5 イスラエルの預言者6 イエス7 ソクラテス8 中国の諸子百家9 ブッダ
第二章 封建制(ゲルマン) 1 アジア的なあるいは古典古代的な共同体との違い 2 ゲルマン社会の特性 3 ゲルマン社会における都市 4 修道院 5 宗教改革
| 第二部 世界史の構造と「力」
第一章 ギリシア・ローマ(古典古代) 1 ギリシア芸術の模範性と回帰する「力」 2 亜周辺のギリシアの“未開性” 3 ギリシアの「氏族社会の民主主義」 4 キリスト教の国教化と『神の国』 5 悲惨な歴史過程の末の到来 |
第三章 絶対王政と宗教改革 1 王と都市(ブルジョア)との結託 2 「王の奇蹟」 3 臣民としての共同性 4 近代資本主義(産業資本主義) 5 常備軍と産業労働者の規律 6 国家の監視 7 新都市 |
|
第二部 世界史の構造と「力」
第一章 ギリシア・ローマ(古典古代)
1 ギリシア芸術の模範性と回帰する「力」
2 亜周辺のギリシアの“未開性”
3 ギリシアの「氏族社会の民主主義」
4 キリスト教の国教化と『神の国』
5 悲惨な歴史過程の末の到来
第二章 封建制(ゲルマン)
1 アジア的なあるいは古典古代的な共同体との違い
2 ゲルマン社会の特性
3 ゲルマン社会における都市
4 修道院
5 宗教改革
第三章 絶対王政と宗教改革
1 王と都市(ブルジョア)との結託
2 「王の奇蹟」
3 臣民としての共同性
4 近代資本主義(産業資本主義)
5 常備軍と産業労働者の規律
6 国家の監視
7 新都市
第二章 資本=ネーション=国家 1 容易に死滅しない国家 2 カントの「平和連合」 3 自然の「隠微な計画」 4 帝国主義戦争とネーション 5 交換様式から見た資本主義 6 資本の自己増殖を可能にする絶え間ない「差異化」 7 新古典派の「科学」
| 第三部 資本主義の科学
第一章 経済学批判 1 貨幣や資本という「幽霊」 2 一八四八年革命と
皇帝の下での「社会主義」 3 「物神の現象学」としての 『資本論』 4 交換に由来する「力」 5 マルクスとホッブズ 6 株式会社 7 イギリスのヘゲモニー |
第三章 資本主義の終わり 1 革命運動とマルクス主義 2 十月革命の帰結 3 二〇世紀の世界資本主義 4 新自由主義という名の「新帝国主義」 5 ポスト資本主義、ポスト社会主義論 6 晩年のマルクスとエンゲルスの仕事 7 環境危機と「交通」における「力」
|
|
第三部 資本主義の科学
第一章 経済学批判
1 貨幣や資本という「幽霊」
2 一八四八年革命と皇帝の下での「社会主義」
3 「物神の現象学」としての『資本論』
4 交換に由来する「力」
5 マルクスとホッブズ
6 株式会社
7 イギリスのヘゲモニー
第二章 資本=ネーション=国家
1 容易に死滅しない国家
2 カントの「平和連合」
3 自然の「隠微な計画」
4 帝国主義戦争とネーション
5 交換様式から見た資本主義
6 資本の自己増殖を可能にする絶え間ない「差異化」
7 新古典派の「科学」
第三章 資本主義の終わり
1 革命運動とマルクス主義
2 十月革命の帰結
スターリン,308
3 二〇世紀の世界資本主義
4 新自由主義という名の「新帝国主義」
フーコー、ドゥルーズ、デリダ,310
5 ポスト資本主義、ポスト社会主義論
6 晩年のマルクスとエンゲルスの仕事
7 環境危機と「交通」における「力」
第二章 社会主義の科学2 1 エンゲルス再考 2 一八四八年革命挫折後の『ドイツ農民戦争』 3 一五二五年の「階級闘争」 4 原始キリスト教に関する研究 5 共産主義を交換様式から見る
| 第四部 社会主義の科学
第一章 社会主義の科学1 1 資本主義の科学 2 『ユートピア』とプロレタリアの問題 3 羊と貨幣 4 共同所有 5 「科学的社会主義」の終わり 6 ザスーリチへの返事 7 「一国」革命 8 氏族社会における諸個人の自由 9 私的所有と個人的所有 |
第三章 社会主義の科学3 1 物神化と物象化 2 カウツキーとブロッホ 3 ブロッホの「希望」とキルケゴールの「反復」 4 ベンヤミンの「神的暴力」 5 無意識と未意識 6 アルカイックな社会の“高次元での回復” 7 交換様式Dという問題 8 交換様式Aに依拠する対抗運動の限界 9 危機におけるDの到来
|
注 あとがき 序論
1 上部構造の観念的な「力」 2 「力」に敗れたマルクス主義 3 交換様式から来る「力」 4 資本制経済の中の「精神」の活動 5 交換の「力」と
フェティッシュ(物神) 6 交換の起源 7 フェティシズムと偶像崇拝 8 エンゲルスの『ドイツ農民戦争』と 社会主義の科学 9 交換と「交通」 |
第四部 社会主義の科学
第一章 社会主義の科学1
1 資本主義の科学
2 『ユートピア』とプロレタリアの問題
3 羊と貨幣
4 共同所有
5 「科学的社会主義」の終わり
6 ザスーリチへの返事
7 「一国」革命
8 氏族社会における諸個人の自由
9 私的所有と個人的所有
第二章 社会主義の科学2
1 エンゲルス再考
2 一八四八年革命挫折後の『ドイツ農民戦争』
3 一五二五年の「階級闘争」
4 原始キリスト教に関する研究
5 共産主義を交換様式から見る
第三章 社会主義の科学3
1 物神化と物象化
2 カウツキーとブロッホ
3 ブロッホの「希望」とキルケゴールの「反復」
4 ベンヤミンの「神的暴力」
5 無意識と未意識
6 アルカイックな社会の“高次元での回復”
7 交換様式Dという問題
8 交換様式Aに依拠する対抗運動の限界
9 危機におけるDの到来
注
あとがき
アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスを
とる」
(プルードン『革命と教会における正義』☆未邦訳、斉藤悦則氏のHPより)
http://www.kagomma.net/saito/works.html
矛盾と生きる――プルードンの社会主義(91.10)
http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
☆De la justice dans la Révolution et dans l’Eglise - Tome I 1858
この言葉はベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫版第4巻391頁、岩波文庫版4,430頁)にも孫引きされている。
書評
『パサージュ論4』岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。
「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)ではない。」
「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(『マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇~一八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
柄谷の『世界史の構造』以降、断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk
(German Edition)
Walter Benjamin
~~~
王の奇跡―王権の超自然的性格に関する研究/特にフランスとイギリスの場合 単行本 – 1998/11/1
https://ja.wikipedia.org/wiki/マルク・ブロック
マルク・ブロック(Marc Léopold Benjamin Bloch、1886年7月6日 - 1944年6月16日)は、フランスの歴史学者。アナール学派の初期の重要な代表者の1人。ストラスブール大学教授(1936年にパリ大学教授)。
経歴[編集]
古代史学者ギュスターヴ(英語版)の子としてリヨンに生まれ、各地の高校で教鞭をとった後、1919年ストラスブール大学の中世史教授となる。翌年、『王と農奴』により文学博士を取得。リュシアン・フェーヴルと共に、『社会経済史年報』を創刊。これによりアナール学派の基礎を築いた。日本の歴史学者である朝河貫一とも書簡を交わす等、交流があった。
第二次世界大戦が勃発すると、ブロックは当時53歳の高齢をおして出征。フランス降伏の後もレジスタンス運動を続けたが、故郷リヨンにおいてドイツ軍に捕縛され、銃殺刑に処せられた。
著書(邦訳)[編集]
エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ & アンドレ・ビュルギエール(フランス語版)監修
浜名優美監訳(藤原書店, 2010年11月-2011年6月)
「第6章:中世における金の問題 (金貨鋳造 / 銀の自給自足と金の欠乏 / 西方世界の金貨不足 / ベザント、マンクス、マラボタン / アラブ通貨の流通 / 模倣貨 / 金貨鋳造の再開 / 国際的な交換手段としての金 / 経済史は同時に社会史でなければならない, 1933年)」(平澤勝行訳)
「第7章:水車の出現と普及 (回転石臼から製粉水車へ / 中世 ― 製粉水車の普及 / 手回し石臼から修道院、領主の製粉水車へ, 1935年)」(平澤勝行訳)
関連文献[編集]
関連項目[編集]
原題は「奇跡を行なう王たち」ないし「奇跡をもって病気を癒す王たち」の意。「王の奇跡」とは、王にさわってもらえば病気、それも瘰癧が治癒するという俗信のことである。中世、王の権威は必ずしも不動のものではなかった。特に、フランスの場合、カペー朝初期の王の実勢力など到底大諸侯に及ばなかった。にもかかわらず、この種の呪術的な権威は王のみが保持するところであった。この一見取るに足りない慣習を手がかりに、「宗教的なものから魔術的なものに至るまで何段階にもわたる王の観念」、「他の一切の権力に優越するだけでなく、全く別個の次元に属する権力」を解明した。
それではその民衆的な王の治癒信仰とはどのようなものであったのか。非常に長くにわたって(おおよそ11世紀から18世紀の政治革命まで)、特にフランスと英国において(つまり教皇権力との鋭い対立の圏外で)、おもに瘰癧(るいれき)と呼ばれる結核性腺病を対象に(あらゆる病からだんだんに瘰癧に収斂していった)、王によるかなりの数のタッチが行われ続けたのだ(チャールズ2世は、生涯に10万人もの瘰癧さわりをおこなった)。
この本は、王の瘰癧さわりに関する豊かなフォークロアが楽しい。瘰癧さわりを盛り立てる道具立て、例えば王の聖別、塗油、あるいは王の身体に刻まれたしるしについて、時には相矛盾することがらが詳しく語られる。読む方としては、すっきりしない感じもするが、そこがマルク・ブロックの誠実さだろう。聖マルクール信仰との混交や指輪治癒、また驚くべきことに、瘰癧さわりは、その病者への布施とセットで行われたというのだ(初めはつつましく、次第に大盤振る舞いの様相を呈してゆく)。
ルネサンス時代の知識人が王の奇跡治癒に懐疑的であったことを別にしても、著者は王のタッチによって治らぬ者もいたし、快癒はごく僅かだったと傍証する。しかし、この本の謎めいた面白さは、著者マルク・ブロックが表面的な言述とは別の次元で、王の奇跡を信じていたのではないかと考えさせられるところだ。王は「雨をよぶ首長」と似ている、言えば分かりやすいか。奇跡の実演という再現前をとおしてしか、王権存立の根源を説明できないとマルク・ブロックは確信していたはずだ。
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スミス,20,56(『国富論』),57@(ダーウィン「人間の由来」『道徳感情論』解説より),246@(『諸国民の富』),297,299
ダーウィン,55(『種の起原』),55~61,57@(『人間の由来』)
《 したがって、「いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力が含まれている。人間がそれから受け取るものは、それを眺めることによって得られる喜びの他に何もない」という『道徳感情論』冒頭のスミスの主張は、人間本性には、自己利益だけでなく、隣人である他者、つまり共に生きる他者の幸福を「眺めるだけで満足する喜び」も含まれている、という明確なメッセージとして受けとめられなければならない。もとより、利己的であること、つまり個人の自己愛・自己利益が否定されたわけではない。あらゆる動植物にとって、自己保存、つまり種の存続と繁栄が自己目的であり、究極目的であるとスミスは繰り返し指摘していた。だから、自己利益だけでなく、「他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力」が存在すると追加しただけであるが、このスミスの主張が、チャールズ・ダーウィンが『人間の由来』で明確に概念化した「社会的本能」とまったく同内容であること、これは指摘しておく価値がある。
《道徳的な気質──ここに家族のきずなも含まれると考えた上で──が発展するための基礎は、社会的本能にある。このような本能はきわめて複雑な性質をもっていて、下等動物の場合にはある特定の行動を引き起こす特別の性向を表わすが、もっとも重要な要素は愛情であり、共感という独自な情動である。社会的本能を生まれつきもっている動物は、一緒にいることを喜び、相互に危険を知らせあい、多様な方法をつうじて互いに防衛し助け合う。このような本能の適用範囲は、同一種に属するすべての個体にではなく、同じ集団に属する個体だけに限定される。この本能は種にとってきわめて有益であるため、それは、恐らく自然淘汰を通じて獲得されてきたものである。》
スミスが、一世紀後に定式化されるダーウィンの自然淘汰・選択の理論、つまり進化論を知っているはずはない。ダーウィンがスミスを高く評価していたのは事実だが、社会的本能に由来する共感という独自な情動にもとづいて人間の道徳的気質の発展を説明するダーウィンの主張は、明らかに、スミスの主張の進化論的定式化である。では、社会的本能という概念を用いなかったスミスは、道徳的気質の発展をどのように説明したのであろうか。」
57:
スミスはそれを『国富論』において論じようとした。そこから「経済学」が生まれたといつてもよい。
したがって、ダーウインがスミスから影響を受けたのは、経済学というよりも、むしろその根底にある考え方にであつた。スミスは、エゴイズムから出立して、その逆のように見える同情あるいは良心が成り立ちうることを説明した。ダーウインはそのような見方を、動物社会にも適用しようとしたのである。たとえば、彼は同情を「社会的本能」と呼んで、つぎのように述べた。《きわだった社会的本能を授かった動物であれば、何であれ、その知能が人間と同じぐらいか、ほとんど同じぐらいに発達すれば、すぐさま道徳観念や良心を必然的に獲得するはずだ》。さらに、彼はいう。
道徳的な気質――ここに家族のきずなも含まれると考えた上で――が発展するための基礎は、社会的本能にある。このような本能はきわめて複雑な性質をもつていて、下等動物の場合にはある特定の行動を引き起こす特別の性向を表わすが、もつとも重要な要素は愛情であり、共感という独自な情動である。社会的本能を生まれつきもつている動物は、一緒にいることを喜び、相互に危険を知らせあい、多様な方法をつうじて互いに防衛し助け合う。このような本能の適用範囲は、同一種に属するすべての個体にではなく、同じ集団に属する個体だけに限定される。この本能は種にと.ってきわめて有益であるため、それは、恐らく自然淘汰を通じて獲得されてきたものである。(『人間の由来』 一八七一年、アダム・スミス、高哲男訳『道徳感情論』 訳者解説より)
第1部 予備的考察 力とは何か
スミスはそれを『国富論』において論じようとした。そこから「経済学」が生まれたといってもよい。
したがって、ダーウィンがスミスから影響を受けたのは、経済学というよりも、むしろその根底に
ある考え方にであった。スミスは、エゴイズムから出立して、その逆のように見える同情あるいは良
心が成り立ちうることを説明した。 ダーウィンはそのような見方を、動物社会にも適用しようとした
のである。たとえば、彼は同情を「社会的本能」と呼んで、つぎのように述べた。 《きわだった社会
的本能を授かった動物であれば、何であれ、その知能が人間と同じぐらいか、ほとんど同じぐらいに
発達すれば、すぐさま道徳観念や良心を必然的に獲得するはずだ。さらに、彼はいう。
道徳的な気質――ここに家族のきずなも含まれると考えた上で が発展するための基礎は、
社会的本能にある。このような本能はきわめて複雑な性質をもっていて、下等動物の場合にはあ
る特定の行動を引き起こす特別の性向を表わすが、 もっとも重要な要素は愛情であり、共感とい
う独自な情動である。社会的本能を生まれつきもっている動物は、一緒にいることを喜び、相互
に危険を知らせあい、多様な方法をつうじて互いに防衛し助け合う。 このような本能の適用範囲
は、同一種に属するすべての個体にではなく、同じ集団に属する個体だけに限定される。この本
能は種にとってきわめて有益であるため、それは、恐らく自然淘汰を通じて獲得されてきたもの
である。(『人間の由来』 一八七一年、アダム・スミス、高哲男訳『道徳感情論』 訳者解説より)
57
人間の由来 上下合本版 (講談社学術文庫) Kindle版
#21
《 道徳的性質の発達は、さらに興味深くて困難な問題である。このことの基礎は、家族のきずなも含めて、社会的本能のなかにある。これらの本能は非常に複雑な性質のものであり、下等動物においては、ある特定の行動を起こさせるような特別の傾向を与えている。しかし、われわれ人間においてもっと重要な要素は、愛情と共感という特別な感情である。社会的本能を備えた動物は、他の個体と一緒にいることに喜びを感じ、たがいに危険を知らせ合い、多くの点でたがいに守り合い、助け合う。これらの本能は、同種に属するすべての個体に適用されるのではなく、同じ集団に属している個体に対してのみ向けられる。それらは種にとってたいへん有利なので、自然淘汰を通じて獲得されてきた可能性は非常に高い*2。
…
訳注
*2 ここでも「種にとってたいへん有利」という表現が使われているが、ダーウィンがどのような群淘汰を考えていたのか、それとも個体淘汰で考えているのかは不明である。》
マルサス人口論
http://nam-students.blogspot.com/2015/04/blog-post_16.html
マルサス経済学→ダーウィン進化論生物学→フロイト精神分析
マルサス経済学
↓
ダーウィン進化論生物学
↓
フロイト精神分析
マルサスの原理はソローの成長理論に姿を変えて現在も生きているが
マルサスの論敵であったゴドウィン(カルヴァン派)の「原理」もまた系譜として生きている
《人間は共通の性質を共にもっているのであって, ひとりの人の利益もしくは快楽に貢献
するものは, 別の人の利益もしくは快楽にも貢献するであろう。 そこで, 公正不偏な正義の
原理からして, この世界の財産は共同の蓄積物であり, そこから欲しいものを引き出すに
ついては, ひとりひとりが同じ正当な資格をもつ, ということになる。 ……わたくしは
生存手段にたいして権利をもち, かれも平等の権利をもっている。 わたくしは, わたくし
自身や他人を害することなしにできるすべての快楽にたいして権利をもち, かれの権利も,
この点においては, 同様の大きさである。》
(ゴドウィン『政治的正義(財産論) 』1973年白井厚訳31頁)
スミスは一人二役
追記:
《マルサス・モデルでは一人当たりの耕地面積(l)が、ソロー・モデルでは一人当たりの資本ストック(k)が変数となる…
ともに唯一の定常状態に収斂する。》
ウィリアムソン マクロ経済学〈1〉スティーブン・D. ウィリアムソン#8:315頁より
以下のマクロ経済学上級書でもマルサスの名が、ソローモデルを論ずる中で触れられている。
ローマー『上級マクロ経済学』(Advanced Macroeconomics by David Romer)
《1:10 ソロー・モデルにおいて天然資源を生産要素の1つとして考慮した場合
少なくともマルサス以来、生産要素の中には有限にしか供給されないもの(分かりやす
い例は土地や天然資源)があるので、経済成長はいずれストップするという考え方がある。》
(1:1:10邦訳初版42頁1998年)
川越敏司図でわかる経済学
2017
130-1頁
マルサス的な人口問題(絶対的過剰人口)が発生するよる前の段階で、別種の人口問題が
発生すると論じたのは、カール・マルクスです。マルクスは技術が進歩すると以前よりも少ない
人数で生産が可能になるので、経済成長に伴い失業者が増え、貧困にあえぐようになると論じました。マルクスはこれを、相対的過剰人口の問題と呼びました。
https://38news.jp/europe/10657
欧州 2017年6月25日
【三橋貴明】マルサスの過少消費説
18世紀末から19世紀にかけて活躍した経済学者トマス・ロバート・マルサスといえば「マルサスの罠」でございます。
マルサスの時代の経済は、生産活動に「土地」「労働」を投入し、農産物を生産するスタイルでした。土地の広さには限界があるため、当時の経済学は「収穫逓減」が常識でした。
土地という制約条件がある以上、労働をどれだけ増やしても、「労働者一人当たりの生産=所得」は増えません。それどころか、収穫逓減の法則により、投入される労働者「単位当たり」の生産量は減少していくのです。
収穫逓減が必ず成立するとなると、人口の増加率が常に生産物の増加率を上回ることになり、人類は飢餓から逃れることができない。これが「マルサスの罠」でした。
実際には、産業革命や技術革新が、マルサスの罠を破壊することになったわけですが、マルサスと言えば、もう一つ、非常に示唆的なことを言っています。
所得格差の拡大が、過少消費、過剰投資を生み出し、経済を長期的停滞に追い込むという考え方、すなわち過少消費説です。
なぜ、所得格差が過少消費をもたらすのか。低所得者は、消費性向は高いものの、消費するために十分な所得を得られない。高所得者は、消費するために十分な所得はあるが、消費性向が低い。
結果的に、有効需要が不足し、経済は長期停滞に陥る。マルサスの過少消費説は、やがてはケインズの有効需要の理論に引き継がれました。
ダンバー(ロビン・),65,66,67
人類進化の謎を解き明かす ロビン・ダンバー Human Evolution Robin Dunbar 2014
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/10/2016620-httpswww.html
レーマー(トーマス・),402(『ヤバい神』),414(『-』)
ヤバい神: 不都合な記事による旧約聖書入門 トーマス・レーマー DIEU OBSCUR Thomas Romer
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/10/blog-post_81.html
408:
無形資産が経済を支配する―資本のない資本主義の正体 Kindle版
ジョナサン・ハスケル (著), スティアン・ウェストレイク (著), 山形 浩生 (翻訳) 形式: Kindle版
柄谷行人さん『力と交換様式』インタビュー 絶望の先にある「希望」|じんぶん堂
https://book.asahi.com/jinbun/article/14748689
柄谷行人さん『力と交換様式』インタビュー 絶望の先にある「希望」
2022.10.25
「これ以上ないところまで書いた」
柄谷さんは、四半世紀にわたって、〈交換〉から社会の歴史を見る仕事に取り組んできた。今作は、その〈交換様式〉がもたらす〈観念的な力〉に着目した到達点といえる一冊だ。
「私は、これ以上ないというところまで書きました。だから、今後どうすればいいんですか、なんてことを聞かないでもらいたい(笑)」
その仕事に取りかかったきっかけの一つは1991年のソビエト連邦崩壊だった。
「やはり、すごく大きな事件だったんですね。このとき、〈歴史の終焉〉ということが大々的に言われましたが、私は反対でした。なぜなら、何も終わっていなかったからです」
当時、米国の政治学者フランシス・フクヤマが、イデオロギーの対立は自由・民主主義の勝利に終わったという仮説を示して注目を集めた。根本的な革命はもう起こらないとも言われた。しかし、柄谷さんは、〈歴史の終焉〉が意味するのは、本当の終焉ではなく、国家と資本、ネーション(民族)が互いに結びついた強固な体制が出来上がることだと考えた。それは歴史の前進ではなく、必然的に戦争や恐慌をもたらす、と。そして、その体制をどうやって超えるか、ということを問い続けてきた。
近年のインタビューでは、「戦争の時代が来る」と指摘してきたが、現にロシアがウクライナに侵攻する事態になっている。
「私は別に驚かなかった。資本、ネーション、国家が残っている以上、歴史の〈終焉〉はなく、〈反復〉があるだけです。たとえば、90年ごろにアメリカで言われた〈新自由主義〉は、その後、事実上、〈新帝国主義〉に転じた。つまり、90年以後の世界史は、別に新しいものではない。実際、ロシアとウクライナの戦争は、第1次世界大戦や第2次世界大戦の反復でしかない」
なぜ「交換様式」なのか
資本=ネーション=国家を超えた未来はあり得るのか。まず、柄谷さんがその可能性をまとまった形で考察したのが、2001年の『トランスクリティーク』だ。カントとマルクスの読解を通じて、交換の観点から社会をみるというアイデアを示した。その後、9・11以降の世界の分断を受けて、その考察を練り直し、〈交換様式〉として2010年の『世界史の構造』で全面的に展開され、体系的理論となる。
〈交換様式〉は、柄谷さんが編み出した独自の概念だ。社会のシステムを交換から見ることで、四つの交換様式を見いだした。その四つは、A=贈与と返礼の互酬、B=支配と保護による略取と再分配、C=貨幣と商品による商品交換。Dは、Aを高次元で回復したもので、自由と平等を担保した未来社会の原理として掲げられている。歴史上にあるDは様々な形を取るため、柄谷さんは〈X〉と呼んできた。
四つの交換様式は同時に存在していて、どの交換様式が支配的かによって、社会のありようが決まってくる、と説く。Aならば氏族社会、Bであれば国家、Cの場合は資本制社会が、その代表例だ。Dが支配的な社会はいまだに存在していないという。
そもそも交換様式という考えはどのように生まれたのか。柄谷さんは、ソ連崩壊によって〈マルクス主義〉が否定されても、マルクスや主著『資本論』は「終わっていない」と考えた。
「いわゆるマルクス主義では、国家やネーション(民族)といった上部構造は、経済的下部構造(生産力と生産関係)によって規定されている、という考えが支配的ですが、それだけでは説明できないことが多い」
「そのため、マックス・ウェーバーは、近代の産業資本主義を生んだのはプロテスタンティズムであるとし、宗教的な上部構造の自立的な力を強調した。また、フロイトは、経済的下部構造ではなく、心理的な上部構造に、人間を動かす無意識の働きを見ようとした。それ以来、観念的、イデオロギー的な上部構造を重視する考えが強くなったといえます」
「一方、マルクス主義者も、エンゲルスがいっているように、別に〈経済決定論〉を唱えたわけではない。したがって、現在では、経済的なものだけでなく、イデオロギー的宗教的なものを総合的に見るべきだという考えになっています。しかし、私はそこで済ませたくなかった」
柄谷さんは、「経済的な下部構造が上部構造を決定するという考えに反対ではない」という。「ただし、経済的下部構造には、生産様式だけではなく、交換様式がある。そして、生産様式を超えるような力は、交換様式からくるのです」
「マルクスが『資本論』で注目したのは、交換様式です。そして、それがもたらす物神的な力です。そう考えたマルクスが参照したのは『リヴァイアサン』で、国家という怪獣について論じたホッブズです」
「国家には力がありますが、それが武力によると思ってはいけない。武力があっても、国家は続かない。国家が存続するためには、武力ではない何か別の力が必要です。そのことを見抜いた人が、ホッブズです。ホッブズが洞察したのは、国家の〈力〉が、それに従えば保護されるという〈交換〉によって成り立つということです」
「同様にマルクスは、貨幣の力が、商品の交換に根ざすことを見た。『資本論』で交換様式という観点を取ったとき、すでにマルクスは、ウェーバーやフロイトが気づいていたにもかかわらず、それを宗教や無意識に求めた問題を、交換、すなわち、広い意味で〈経済的〉な観点から説明できると思っていたわけです」
しかし、このような考えは、その後無視されるにいたった。そして、柄谷さんは、交換様式という視点から、2010年に『世界史の構造』を書き上げた。
「再考」して見いだした交換の「霊的な力」
柄谷さんは「『世界史の構造』を書いたとき、これで最後だ、もう言うことはない、と思った」と話す。実際、その後の著作『哲学の起源』や『帝国の構造』は、補足として書いたものだという。そして、2015~16年に、雑誌「atプラス」で「Dの研究」を連載した。
「一番説明するのが難しい『D』について書いているうちに、A、B、Cについてももう一度考える必要を感じたのです」
本書では、「再考」という言葉が度々登場する。
「考えるということは、再考するということですよ(笑)。そうすると、同じ問題が違って見えてくる」
「今度の本で注目したのは、交換様式が観念的な力をもたらすということです。それが顕著なのは交換様式Dです。それは、観念的なあるいは霊的な問題、つまり宗教的な次元にみえます。だから、だから他の交換様式とは違う、ということになる。しかし、どの交換様式も霊的な力をもつのです。ただA・B・Cの場合は、その力が霊的なものとは見なされない。私はそれらがもつ霊的な力について考えた」
〈霊的〉というと科学的でないという反論が浮かぶ。しかし、柄谷さんは、「磁力も17世紀半ばまでは実在の力とは見なされなかった」と指摘し、「科学的な態度とは、たんに霊を斥けるのではなく、霊として見られるほかないような『力』の存在を承認した上で、その謎を解明すること」だと説く。
「交換が〈霊的・観念的な力〉をもたらすということは、もともとマルクスが『資本論』で考えたことです。そこでは、貨幣・資本の力が、交換から生じる〈物神的な力〉だということを示していました」
商品は、交換されることで初めて商品としての価値を持つ。マルクスはそれを「命がけの飛躍」と呼んだ。
「ところが、ルカーチに代表されるマルクス主義者は、物神という考えを単なる冗談として扱った。今もそうみなしています。それが交換様式Cから来る、観念的な力だということを見なかった」
ところが、後に、同じような事態が、交換様式Aに関しても起きたという。
「マルクスの死後、交換様式Aから生じる観念的な力に注目した人物がいます。人類学者マルセル・モースです。彼が未開社会に見いだしたのは、Aがもたらす〈霊的な力〉です。例えば、贈与された者は返礼しなくてはならない。贈与と返礼を強いているのは、物に付着した霊的な力だとモースは言う」
「しかし、霊的などと言うと、科学者からバカにされるから難しい。モースもそう言ったため、彼を称賛したレヴィ=ストロースなどにも批判された。しかし、モースは、他に言いようがないからそう言ったのです」
交換様式Bについても、柄谷さんはホッブズが用いた「リヴァイアサン」という怪物の比喩が、単なる比喩に留まらないという着眼点から論を深めていく。
「国家に従えば保護されるという交換がないと、国家の力自体が終わってしまう。ホッブズが面白いのは、その力を海の怪獣リヴァイアサンと呼んだことです。普通の力じゃない。物理的に力がないように見えても、ものすごい力を持つわけです。
「その意味で、貨幣も国家も、異なる交換様式から生じた観念的な力としてとらえることができます。さらにネーション(民族)についても同様のことがいえます。それはベネディクト・アンダーソンのいう〈想像の共同体〉ですから。つまり、Aの低次元での回復です」
資本=ネーション=国家を超えるもの
柄谷さんは『世界史の構造』で、資本、国家、ネーションが、それぞれ異なる交換様式C、B、Aによってもたらされる力によって支えられている、ということを明らかにした。それをさらに根本的に再考することが今作の課題であったといえる。
「重要なのは、これらの〈霊〉たちを一掃する力をもたらすものがある、ということなのです。それが交換様式Dです。そこに資本・ネーション・国家を揚棄する力が生じる。そうでないと、資本=ネーション=国家、すなわちA・B・Cの連合体が永続するでしょう」
交換様式論の最大の特色は、Dという第4の交換様式を置いたことだろう。ただ、A・B・Cに比べて、Dはイメージがわきづらい。多くの読者を戸惑わせると同時に引きつけてきた。
今作でもDについて考えることについて、「一番つまずいた」と明かし、「もう頭が働かない」と苦笑いする。そこで、柄谷さんは長年親しんできたお酒をやめた。
「禁酒しても別に頭は働きませんよ(笑)。だけど、違うものが出てきた。例えば、マルクスに関しても、以前とは違う態度になりました。乗り越えるとかではなくて、彼の別の可能性を読むという感じになった」
特に晩年のマルクスが、モルガンの『古代社会』の研究に打ち込んだことに着目した。
「それは、まだ階級社会以前のAが支配的な段階です。晩年のマルクスは、未来の共産主義を、『古代氏族の自由、平等および友愛のより高度な形態における復活』とする考え方に共感していた。私の言い方で言えば、Aの高次元での回復がDだということになります」
一方で、それまで否定的に見ていた「エンゲルスの可能性も見つけた」という。
「私だけではないが、マルクスを再評価するためにエンゲルスを悪者にするということがよくありました。でも、今回は違います。たとえば彼は、最晩年、原始キリスト教の起源の問題に取り組んだ。これは、いわゆる史的唯物論とは違う仕事で、交換様式Dにつながるものです」
人間の意志を超えた「D」の到来
ただし、『力と交換様式』で強調されるのは、Dは人間の意志で作り出すことは出来ないということだ。
「交換様式C・B・Aの揚棄を可能にするのは、ただ一つ、交換様式Dが到来することです。とはいえ、それがいつ、いかにして来るかはわからない。それは、われわれの意志を越えています」
たとえば、国家(B)の力にもとづいて社会を変えれば、結局国家が残る。では、国家に依拠することなく、私たちにできることはないのか。柄谷さんは、「それは、不可能ではない」という。「それは、意識的に交換様式Aを追求することです。ただし、それは、BやCの力に阻まれてローカルに留まります。が、それでいいのです。AがDをもたらすと考えてはいけない」
実践としてのAの一つがアソシエーションだ。協同組合のように、特定の興味や目的で結びついた社会組織を指す。かつて、柄谷さんは2000年から約2年半にわたって社会運動体「NAM(ニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント)」を続け、その後も原発反対のデモなど様々な形で実践してきた。最近では、国葬に反対するデモにも参加した。
「Aの運動は、自発的なものです。誰かが指揮したり強制したりして成り立つものではない。自然発生的なものです。実際、日本でも、コロナの拡大と並行して、Aの運動が、自然発生的に拡大しているように思う」。たとえば、これまで、人が都市に出て行ったため荒廃した農村部に、逆に都市から人が入ってきて農業をするという現象が各地に見られる。「その場合、それは、従来の村落共同体に戻ることにはなりません。もとからいる人が、外から入ってきた人と一緒に、新しい農業をやるような体制ができつつある。そこから新しい共同体が生まれるのではないかという予感がします。その場合、誰かが導いてそうなるわけじゃない。しかし、今までできなかったことが自然にできるようになる。それと同じようなことが、Dについてもいえます」
絶望的な未来にある「希望」
Dによる社会がいつ到来するともしれないまま、世界は危機の中にある。柄谷さんは、Dの一つの表現として、マルクス主義思想家エルンスト・ブロッホの〈希望〉という概念を挙げている。それは、資本と国家を揚棄する可能性を指すもので、「中断され、おしとどめられている未来の道」の回帰だという。
「これは本来キリスト教の観念だと思う。だけど、彼はそれをキリスト教としては言わない。しかし、それではよくわからない。私が考えたのは、それを交換様式の観点から説明することです」
柄谷さんの考えでは、「未来の道」はブロッホのいう「未だ-意識されないもの」がもたらすものだ。こうしたDの可能性は、原始キリスト教や初期の仏教、あるいは共産主義の構想などとして、抑圧されても繰り返し歴史のなかでよみがえってきた。
今後において、国家(B)と資本(C)が必然的にもたらす危機は繰り返しやってくる。しかし、それゆえにAの回帰としてのDは必ず到来する、というのが柄谷さんの認識だ。「〈希望〉がまだあります。絶望的な未来においてこそ」この本を書いた人
柄谷行人(からたに・こうじん)
1941年生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学大学院人文科学研究科英文学専攻課程修了。73年、「〈意識〉と〈自然〉--漱石試論」で群像新人文学賞を受けデビュー。78年に『マルクスその可能性の中心』で亀井勝一郎賞。法政大学教授を経て、イエール大学客員教授、コロンビア大学客員教授、近畿大学特任教授を歴任。91~2002年、浅田彰氏らと雑誌「批評空間」を編集。主な著書に『畏怖する人間』『日本近代文学の起源』『探究Ⅰ』『探究Ⅱ』『隠喩としての建築』『トランスクリティーク――カントとマルクス』『世界史の構造』『哲学の起源』など。著作は、英語や中国語、台湾語、韓国語、フランス語、ドイツ語、トルコ語に翻訳されている。05年より朝日新聞書評委員。
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1:1:④
遠近法的倒錯,84(「原因と結果の-」ニーチェ,×『道徳の系譜』,◯『善悪の彼岸』)
チカコー
84頁「原因と結果の遠近法的倒錯」出典は『道徳の系譜』ではなく『善悪の彼岸』であろう。
『道徳の系譜』1:13にも似た指摘があるし、遠近法については『権力への意志』に多々あるがピッタリの言葉は『善悪の彼岸』2:32にある。
以下善悪の彼岸より各種訳
Friedrich Nietzsche
JENSEITS VON GUT UND BÖSE
1885-86
2:32
“Statt der Folgen die Herkunft: welche Umkehrung der Perspektive!”
結果ではなく起源を重視するとは、何という遠近法の転換だろう! 光文社
結果の代わりに由来をもってする何という見方の逆転であろう!岩波文庫
結果の代りに由來。なんといふ遠近法の反轉! ちくま学芸文庫
結果ではなく、原点。なんという逆転の発想でしょうか。deepl
以下のサイトを参照
http://livresque.g1.xrea.com/notes/anachronism01.htm
以下引用:
例へば『道徳の系譜學によせて』第一論文「一三」、「同じ出来事を一度まず原因と見なし、次にもう一度それをその結果と見なす」(ちくま学芸文庫版全集11 p.405)
『探究Ⅱ』第二部「第九章 超越論的動機」(一九八九年六月初刊→〈講談社学術文庫〉一九九四年四月、pp.220-221)では「系譜学的であることは、結果であるものを原因とみなす「認識の遠近法的倒錯」をえぐり出すこと」と説かれる。また「そのことを最初にいったのは、[……]スピノザである」として、『エチカ』からの引用を掲げてゐる(同前pp.225-226、cf.第二部第八章p.203)
「目的論は、実は原因であるものを結果と見なし、反対に〈結果であるものを原因〉と見なす」
(工藤喜作・斎藤博譯『エティカ』第一部「付録」、下村寅太郎責任編輯『世界の名著 25 スピノザ ライプニッツ』中央公論社、一九六九年八月→『スピノザ ライプニッツ 世界の名著30』〈中公バックス〉一九八〇年九月、p.120。
追記:
スピノザ別訳
《…しかしまだ付け加えたいことがある。それは、目的に関するこの説は自然をまったく転倒するということである。なぜならこの説は、実は原因であるものを結果と見、また反対に(結果であるものを原因と)見る。》
岩波文庫エチカ第一部付録
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1f